はてなキーワード: 苦笑いとは
脳梗塞で後遺症が残ったものの、現在まで元気に過ごしているが、感情障害が発生してしまった。
自分の気に入らないことに対して、徹底的に怒鳴り散らすのだ。
迎えに来たスタッフは苦笑い程度で何もなかったように接してくれるが、内心では憎たらしくてたまらないと思う。
本当に申し訳がない。
自宅にいる時も同様だ。家族の言葉に耳を貸さず、自分で何でも出来ると思い込んで出来ていないことを指摘すると怒鳴る。
とにかく喚き散らすのだ。
家族ですらウンザリしているのに、デイサービスのスタッフは仕事といえど我慢している事に尊敬せざるを得ない。
昔からろくでなしといわれてもおかしくはないチンピラだったのだが、病のせいでさらにおかしくなってしまった。
健やかな人も疲弊していく。
なんか言葉に表させないが、そういうのが視界に入るだけでとても疲れるのだ。
彼と別れて1ヶ月と1週間、初めの2週間は毎日泣いて何度も会いに行こうとしたり未練がましく彼のツイッターやインスタにアクセスしては更新ボタン押しまくってた。でもなんだか最近だんだん脳が都合よく妄想してくれるようになった。まず遠距離だった2人は別れずにラブラブそのまま同棲を始める。彼は横浜、私は都内勤務だからJRも小田急も通る町田辺りがいいな。えー!スーモにブライダル版なんてあるんだ!2LDK?2DK?バストイレ別は必須、ガスコンロ2口以上、駅まで徒歩7分!うーん、家賃も折半なら大丈夫ここがいいバルコニーもあるし南東だし即決!って部屋が見つかった。それから数日間ZARAHOME・IKEA・ニトリ・Francfrancのページから家具や内装コーディネイトをスクショ、間取り図にペースト。なかなかおしゃれなのでは?いいなぁ家具って可愛いなぁ2019年ってコーラルピンクが流行色なんだ。花柄は飽きるしくどいからオフホワイトを主流に揃えていきたいかな。あんまりキャラも柄も好きじゃないからシンプルでミニマリストでいきたい。彼の本棚が黒だった気がするからそれが難点、家具が暗いとお部屋も暗くなるよね。無難だし汚れも目だないけど。
ルール決め(仮)
分担と束縛、制限はケンカの元、イーブンより思い遣りと手伝う気持ち
◎いっしょにやること
・火土の洗濯物干し、取り入れ
・いっしょにゴミ出し
◎やってほしいこと
・週一クイックルワイパー
◎わたしがやること
・朝ごはんつくる
・火土の洗濯
◎お互い守ってほしいこと
・リビングのカレンダーに予定を書き込む(ここに夕飯の有無も)
・お互い収支について口出ししない代わりに毎月×万の積み立てだけは欠かさずする。(大きな買い物や浪費、契約、負債については事前に相談)
・ケンカしてもその日のうちに仲直りする
◎理解してほしいこと
●境界性パーソナリティ障害持ちだけど迷惑はかけたくないとおもっている、嫌なことは優しく言ってほしい。でも常に見捨てられるのではないか嫌われたのではないかという不安を持っている。
●飲み会基本的にオッケー友達とたくさん遊んでほしい、でもそれ以上に私とも遊んでほしい。
◎わがまま
・いっしょに駅まで通勤したい
・いっしょにおふろはいりたい
とかとか!夜通しスマホのメモ帳に打ち込んじゃった。寝不足だよ。もちろんルール決めは彼の提案も組み込む、ていうかルール決めるからこれは譲れない!ってことメモ帳に箇条書きして後でお互い見せ合おうねって伝えておいたし、妄想で。彼は私にどんなルールを提案してくれたかな、異性と2人で会わない、とかかな?かわいいなぁ!会わないよー!いつも心配してたもんね、えへへうれしかったな。あとあんまりデートにこだわらないとか?私は外に出て無計画に遊ぶの好きなんだけど貯金もしたいしお家でまったりもいいよね、ダラダラするの好きだよ。いっしょに見たい映画とやりたいゲームたくさんあるよ、あー!手作り宝石石鹸とか楽しそうじゃない?ああ、1人の時間も大切だよね、分かってるよ自分の時間と自由な時間が仲の良いカップルの秘訣でしょ?互いに相手のことを思い合って2人で暮らしていこうね。お茶入れは任せてね。あーでもでも掃除も食事も一人暮らしのときはこなしてたけど同棲した途端やらなくなるのかなぁ、そういうイメージなんだけど…。それでつい[ 同棲 イライラ ]とかで検索しまくっちゃった、でも彼は協力的だから大丈夫。そんなことより私、朝ごはん担当になったから時短レシピもめちゃくちゃ検索しまくってるよ、白米とおみそ汁それに加えてなにかあったらうれしいって前に言ってたけど喜んでもらえる朝ごはん作りたいな。焼き鮭ほぐして大葉と炒りごまと炊きたてご飯に混ぜたり。おみそ汁も鯖缶使って一手間加えたりして。あと栂尾煮!レモンでさっぱり!忙しいお仕事の人だから電池切れないように朝からもりもりたくさん食べて欲しい。美味い!って笑顔で言ってくれるかなぁ、もし失敗してもめげずにがんばりたいな。横浜ってたくさんデートスポットがあって魅力的だけど別にずっとお家でいちゃいちゃデートでもいいし婚約指輪もおねだりしないし食費も光熱費も折半で構わないからご飯はきちんと一汁三菜食べたいな。今日の晩ご飯は旬の菜の花加えたボンゴレビアンコとキャベツ湯がいて絞って上にからしマヨ、作り置きしてあったリエットとカリカリに焼いた薄切りフランスパン、とかどう?生ハムとチーズもいいね、金曜日だし白ワイン飲もうよ〜!そうそう、私の嫁入り道具はルンバとジョジョ全巻。結婚式の引き出物にアイスクリームスプーンなんてどうかなぁ、指の温度で溶ける15.0%なんておしゃれな品があったよ!しかも刻印できるよ、《♡》がいいな。一生使うんだもん。あと掬う部分がハートの形になってるアイスクリームスプーンもあった!かわいい!でもブランド名がアレッシィなんだよ、思わず苦笑いしちゃった。
とかね!妄想してたら一瞬で一ヶ月経ってしまった。その間にもSNS上の彼は前向きに日々を生きようとしてて友人と会ったり出かけたり音楽を聴いたり私のことは一切出てこない、もう過去なのかな。別れる日に泣いてくれたのに。彼のページの更新ボタンを毎分押しながら3年後まで妄想している。3年後って2022年だよ?!びっくり、2/22に逆プロポーズもいいなぁとかにゃん。顔も性格も猫っぽいって言われてから猫が好き。にゃん。3年の間に籍入れちゃって貯金も順調、猫も飼いたいなー。あ、彼がツイート更新してる!なんと18秒前!うれしい!でもちょっと体調崩してるみたい。大丈夫かな、心配。ソファーに座りながらスマホ触ってるのかな?それともベットの中かな?間取りも家具もありありと思い出せるよ、私が贈ったブックスタンドはもう捨てちゃったかな……。町田ってたくさん公園があるんだよ!サンドウィッチこしらえてピクニックしたいね、圧力鍋でジューシーに味付けした豚肉ブロック、トンカツでもいいけど。ふわふわ卵サンド!ピクルスとオリーブもタッパーに詰めようね。お揃いのパーカーにオーロラソースこぼしちゃったりして。虚しくなってきた。よしよしいい感じ、いい感じにに虚しくなってきたぞ。そろそろ現実に戻って首吊る準備しなくちゃな。境界性パーソナリティ障害のこと彼と別れてから病名を知った。ほぼ9割当てはまってしまったので恐る恐る病院に行った。行ったらあっさり診断が下った。悩んでたことに病名がつくと背中を押された気持ちになる。いやほんとは電車のホームで背中押してほしいんだけど。はぁー彼がまだ恋人だったらここまで自暴自棄にならず治す気持ちになれたかもしれない、彼も受け入れてくれただろうし寄り添ってくれたと思う、ていうか私以上に悩んでくれたと思う。だってめちゃめちゃ試し行動がすごかったのだ。私のことを本当に愛してくれてるのだろうか?昨日はそう言ってくれたけど今日は?明日は?っていつも不安で、連絡を勝手に絶ったり突き放したり試すようなことして何度もなんども何度も彼を傷つけて、傷ついてる姿を見て、私なんかのことで傷ついてくれてる=私は彼にとってどうでもいい人間ではないってことだ!うれしい!ああ、こんなことしても見捨てられないんだ!とその瞬間承認欲求がフルに満たされる歪んだ心を持っていた。砂の器だったけど。いや今だに持っている、彼の中で一生私が忘れたい存在になればいい、今後出会う女性と親密になりかけたときも他の女の身体を見たときも、ていうかショートカットヘアの女を見た瞬間に私の顔を思い浮かべてほしい、お願いだから苦しんでほしい、だってめちゃめちゃ愛してるのだ、別れる直前辺りから別れた後、いまもラブが右肩上がりを続けているのだ。ほんとにごめんね、健常者からしたらマジで理解不能だったと思う。それを知らずとはいえ振り回してしまってごめんなさい、それでも好きだよって言ってくれてありがとう。しかし精神の知能指数が低いって言葉がなんとも胸に刺さる、まあ普通に知能指数も低いんだけど。はー、書ききったらすっきりした。子どもは一姫二太郎がいいな〜!
徹頭徹尾ただの愚痴。人によってはあるあるな内容かもしれないから、
もしそうだったら、「あるある」って苦笑いしながら読み流してくれたら嬉しいです。
一昔前には人狼にハマって、今はとある非対称対戦ゲームにハマっている。
人狼をしていた時も思ったけれど、この手のゲームは性格が出る。非常によく出る。
で、多分私の性格が悪いことも大いに影響していると思うのだけれど、必ずと言ってよいほど、その人の悪いところが目につくようになってしまう。
流石にどちらもいい大人なので、ゲームが原因でブチ切れたり、それで喧嘩するようなことは無いけれど、
ゲームの最中や終わった後の台詞を聞いて「やっぱりそうなるのか。こいつのこういうところなんだよな」と思ってしまう。
そうすると日常生活の中でも、ゲームの中で目についた「悪いところ」の類似点を発見して「やっぱこういうやつなんだなあ」と思う。
それでまた一緒にゲームをすると、またそれが補強される。負のスパイラルである。
そうして段々、密かにその人のことが嫌いになっていく。
今やっているのは、(わかる人はすぐピンと来ると思うが)1対4で鬼ごっこをするゲームだ。
逃げる側は一定条件を満たして3人以上鬼から逃げられたら勝ち、
追いかける側は3人以上を捕まえたら勝ち。2人逃げたら引き分け。
鬼はソロプレイなので、「一緒にプレイする」という時は、逃げる側でチームを組むことを指す。
4人で協力しながらゲーム勝利を目指すので、当然、ミスをすれば仲間の足を引っ張るし、
反対に、誰かひとりがものすごい活躍をしてみんなを勝利に導いてくれることもある。
で、たとえばみんなで協力しあって無事に勝利をおさめた時、第一声が
「いやあ、今回は私、仕事したからねえ」とか「(自分のキャラ)の活躍、なかなかじゃない?」
だったりする。確かにその人が良い働きをしてくれたのは勝利の一因だろう。けれど、
よくよく見るとその人と同じか、それ以上活躍している人がいたりする。
でも、そういう人には基本的には触れない。むしろ私が先回りして「あの人凄かったね! 今回はあの人のおかげで勝てたよ」とか言うと、
「でも私も頑張ったよ!」と張り合ってきたりする。おとなしく「そうだね」って言っておけばいいのに。
反対に、自分がミスをした時はよく言い訳をする。「ラグがすごくて」とか、「今のは鬼がずるい!」とか言う。
それで、同じチームの誰かがミスをするとなじる。
(もちろん、流石に一緒にプレイしている相手には言わない。いわゆる野良で入ってきた、たまたまマッチングして一緒のチームになっただけの相手に、
あるいは、自分がそこそこ好プレイを叩き出せると、ゲーム中に大笑い・大はしゃぎで報告してきたりする。
大して面白い状況でもなければよくあるプレイングだったりするのに、だ。向こうはヒーロー気分でも、
ひとつひとつは小さなことなのだけれど、積み重なってくると「ああ、この人はこういう性格なんだな」という風に見方が変わってくる。
要するに「何かが上手く行ったら自分の手柄、失敗したら周りのせいにする人なんだな」とか
「自分の失敗を素直に認められない人なんだな」とか。そうなってくると、
「この間の遅刻、そういえば電車遅延って言ってたけど、ぱっと見、どこの路線も遅延してなかったし、アレ嘘だったんだろうな。そういうところだよな」とか
こっちもそういう思考回路になってくる。
「この間も、その場の誰も知らない・興味ない人の話を一人でずーっと楽しそうにしてたけど、みんな適当に笑ってるのに気づいてなかったよな」
「この人の仕事の愚痴、いつも部下が無能なせいで〜って言うけど本当かな……?」
こんな感じで、段々その人の私生活にまで意地悪な視線を向けてしまうようになる。
勿論、ゲームになると性格が豹変する……という人も、まあいるにはいるのかもしれない。
でも基本的に運転中とゲームプレイ中はその人の本性が出るものだと思っているので、
こういうことがあると、やっぱりその人のことをじわじわ嫌いになっていく。
たかがゲームだ。ゲームは楽しいし、勿論この人だって、常にもやっとするような発言ばかりしているわけではない。
それに、昔スプラトゥーンのランカーが「このゲームのいいところは、勝ったら自分のおかげ、負けたら周りのせい、とゆるく責任転嫁して『またやるか』という気になれるところ」と言っていたので、彼のような楽しみ方が、本来は正しいのかもしれない。
いちいちこんなことを考えてしまう私は、そもそも人とやるゲームに向いていないのかもしれない。
ゲームは楽しい。だけどゲームを通じて、それまで気づいていなかった、
もしくはなんとなくわかってはいたけれどスルーできた、その人の「いやなところ」が
気になってしまうようになるのは嫌だ。
そんなことを思いながら、私は今日も相変わらず、その人のことをじんわり嫌いになりながら
一緒にゲームを楽しんでいる。
結婚して3年が経ち、30になった旦那から子どもが欲しいと言われた。
私、苦笑い。私は正直欲しくないと言った。
私はADHD持ち。毒親じゃなかったのは幸いだが、学校生活が辛すぎて未だメンタルが不安定。学校も行ったり行かなかったりで、会社も最初頑張ってても段々体調不良になり、最終的には有給使い果たして退職する事2回。今は専業主婦。
旦那は、裕福な実家にも恵まれ、成績優秀、スポーツ万能。仕事も出来る。自己肯定感に溢れてる。
そりゃね、あなたみたいに小さい時からまわりからチヤホヤされてれば、子どももそうなるんじゃないかと思うでしょうよ。
でもね、半分は私の血も入るの。小さい頃から不器用で、成長が遅くて、運動神経が悪くて、かといってすごく勉強が出来る訳でもなく、中学生になる頃には親に「殺してくれ」と泣き叫んだ私の。大人になっても死にたいは消えない、社会に馴染む事ができない私の、血が入るの。
旦那は私に、「発達障害があるようには見えないし、あなたみたいな子が生まれても可愛いと思うし、すごく大切にする。どんな子どもが生まれても、受け入れる。もし学校が辛いなら、転校したり、どうすればいいのか一緒に考える」って言ってくれたけど、発達障害は生まれたことそのものが苦しみだから。それに、どうしようもない子が生まれてしまった親の苦しみは、想像を絶するよ。
こんな事思ってるけど、旦那と結婚した時から子どもはいつか持ちたいと思っていた。いつか。でも、いつかはいつまでも来なかった。私も30近くになり、旦那もまわりが出産ラッシュの事もあり、子どもが欲しいという気持ちが強くなってきた。私は未だ、欲しいとは思えない。踏ん切りがつかない。
それで昨日、「あなたが30歳になっても子どもを作る気がないなら別れよう」と言われた。旦那は本気である。
あぁ、これはもう本格的に作らないといけないんだなぁ、と思った。30歳まであと1年程あるから、まだ子作りは待ってもらってる。
私は旦那の事が好きだし、出来ればもっと長くこの生活を続けて、子どもを作ることを肯定的に思えるまで、待って欲しい。
でも、旦那はいつまで待てばいいの、という。「俺もう30歳なんだけど」。
旦那と別れる道は考えられない。私のような弱い女性は、仕事もままならないから、専業主婦させてくれる旦那の元で、母親になる道が立場的にも一番に思える。
でも、子どもを作る事を考えると落ち込む。私の遺伝子を濃く継いでしまったらどうしよう。思春期になって、その子も私に向かって「何で生んだんだ、殺してくれ」と言うのだろうか。
子どもを産む前に、子育てがもしダメだったら、「子育てをどう辞めるか」という事を今から考えている。
申し訳ないけど、旦那に親権を渡して離婚しようと思っている。旦那は仕事忙しいけど、彼の方が実家が太い。お義父さんとお義母さんも優しくて面倒見てくれそう。私は、子ども育てられない!ってなった頃には精神科行きまくってるだろうから、それを理由に育てられないって言い張ろう。
私は実家に帰る。パートしてたらすずめの涙だけど養育費渡したい。父母は、子どもを旦那に渡して出戻りした私に呆れ返るだろうな。でも、元々子ども欲しかったの旦那だし。
まぁ、子育て無理で実家に帰った時にはもう色々絶望してるだろうから、ここで自殺するかもな。
あと、子ども産んだあと、産後うつになったら、そのタイミングで自殺ってのも考えてる。子どもいるいないに関わらず常に死にたいけど、産後死んだら、死んだ理由が「産後うつだったから仕方ないね」ってなりそう。
晩酌をしていた時に私がそう呟くと、
夫は「俺が父親だったらこんな娘に育てたくないな・・・」と苦笑いしていた。
けれども私もそれ相応の恨みがあって言っているのである。
父親は私が9歳の時にW不倫したうえ、母のお腹にいた私の妹か弟になったであろう子どもを堕ろさせていた。
発達障害の妹(のちに警察沙汰を散々起こし、手帳持ちになる)を残して、不倫相手の元へ行ってしまったのである。
私たち母娘はそれまで暮らしていた都心の広々としたマンションから中途半端なベッドタウンにある母の実家に住むことになった。
両親が元から共働きだったこと、母方の実家がそれなりに裕福であったこと、父からの養育費を多少もらえていたこともあって、生活には困らなかった。
ありがたいことに大学まで通わせてもらった。その点は両親に感謝しなくてはいけないかもしれない。
それでも、父親はタワーマンションで不倫相手だった後妻と暮らし、ベンツを乗り回すという、自分たちと暮らしていた時よりも羽振りのいい生活をしていた(しかもそれを娘に隠しもしない)ことに長年傷つけられていた。
パパは自分たち娘やママより後妻の女の方が大事だったんだな、と感じた。
たまに会うと「パパは君たち娘が大事だから」なんて言うんだけども本当に薄っぺらい。
・・・とまあ、こんな鬱屈した感情を吐き出しても苦笑いしながら諭し、私を受け入れてくれる夫は本当に優しい。
いまから約15年前、2005年か2006年頃の話。俺がまだ高校生だった頃の話である。
当時いつも口癖のように「カネが無い、カネが無い」とばかり言っていたクラスメイトの沼津(仮名)という男が、唐突に羽振りの良い話をするようになった。
キャバクラで10万使ったとか、パチンコで10万スッたとか、10万の腕時計買ったとか、10万単位の話ばかりするようになった。
高校生でキャバクラ行ったりパチンコ行ったりしてんのかよというのは置いといて、なんでお前の話はいつも10万なんだ、そもそもお前虚言癖で有名なクズじゃねえか。レジの金盗んだり、内引きしてたのがバレてスーパーのバイトを1週間でクビになった貧乏のお前がどこにそんな金あんだよ。
聞けば、今は結婚式の配膳のバイトをしているという。巨大なウェディングケーキを運んだり、来賓客にビールをついだりしてかなり重労働で、忙しい日などやっと仕事が終わるのが深夜0時を過ぎるなんてのが頻繁にあるが、時給は高いし残業代が死ぬほどつくので最低でも月20万は稼げるというのだ。
市内の様々な結婚式場に行くが、主に地元じゃ有名なホテルで働いているという。
いや、高校生が深夜まで働かされてるとか嘘だろ。と言うと、いわゆる派遣会社のような事務所に登録していて、事務所社長が各結婚式場に「18歳以上」と説明しているので高校生なのに深夜まで働いても問題ないという。
おいおいおいおい、あの有名な老舗ホテルがそんなクソみたいな業者に騙されてるとかありえないだろ。そもそも虚言癖の奴が言う話だし、どう転んだって信用できない。
お前もうちに来ないか、と誘われたが、その話が事実だとすると毎日深夜に帰宅するなんて親に殺されるし、深夜まで残業させられるなんて例え20万稼げたとしたってゴメンだ。俺はすぐ家に帰ってラーメンズのDVDや録画した爆笑オンエアバトルを観たいのだ。
その事務所は駅前のマンションの一室で、ホテルに出勤する前はまずそのマンションの一室で準備をしなければならない。駅前までは俺の家からバスで30分、深夜に仕事なんて終わってはバスなんてとっくに無いので家に帰れない。
とにかく重労働だというし、そんな仕事なんて絶対にできないと俺は断ったのだが、クラスで成績優秀な松川(仮名)という男がその話にのってしまった。松川は勉強はできるし一見真面目な奴だが、とにかくパチンコが好きな「真面目系クズ」で、沼津とはパチンコ仲間だった。
松川はパチンコで沼津が本当に10万スッたのを目の前で見たという。カネを持っているのは確実で、俺も稼ぎたいと松川はそのヤバい結婚式配膳派遣事務所で働くことになった。
そのうち沼津は、カネ持ってる自慢のほか、毎日女の子を取っ替え引っ替えセックスしているという自慢をするようになった。カネもあるし女も不自由しない、人生最高だとうそぶく。
沼津が言うには、派遣事務所は30代の男2人が運営しており、他20名ほどいる従業員は全員高校生だという。ホテルでの仕事が終わると事務所であるマンションの部屋に皆で戻り、コンビニで買った酒を浴びながら乱交パーティーするという。
最初は酔っ払うと30代社長が女子高生とセックスする様子を男子高校生一同見ているだけだったが、最近は男子も参加することが許され毎日セックス三昧だという。
どう考えても沼津の嘘だ。そろそろ初めての給料を貰ったであろう松川に事の真相を全て問いただそう。松川はパチンカスではあるが、嘘は絶対につかない。果たして本当に20万稼げたのか、沼津がセックス三昧なのは本当か。どうせ嘘だろうし、沼津を嘘つきとバカにし、松川を騙されたバカだと茶化そうと思ってウキウキしながら松川のところへ向かった。
結論から言うと、沼津の話は全て本当だった。松川は給料日に20数万が口座に振り込まれていたのを確認したと言い、財布の中の万札10枚近くを見せてきた。仕事が終わると乱交パーティーするというのも事実だという。沼津は率先してセックスしているが、松川は硬派を気取ったただの童貞なので、酒には付き合うが乱交パーティーが始まるとビビってさっさと帰るのだという。
乱交パーティーはにわかには信じられないが、松川が万札数枚所持していたのも事実だ。松川もいつもカネが無いと言い、150円で買えるエコー吸ってたくせに急にセブンスター吸うようになってるし。没収されろ。
いつしか沼津も松川も、「授業中に仕事の命令が来る」と学校を早退することが増え、ついには学校を休む日も増えていった。学校よりも、バイトが中心の生活になっているようだった。
当時俺には好きだった女の子がいた。名前を飯田さん(仮名)と言い、中学の頃の同級生で、高校は別々になってしまい会うことは無かったが、メールで頻繁にお笑いの話をやりとりしていた。
飯田さんは長い黒髪でおとなしい女の子だったが、見た目にそぐわずかなりコアなお笑いマニアであり、当時の女子高生が口を揃えて「好きな芸人ははねトびのキングコング」と言っていた時代にラーメンズが好きで、ユリオカ超特Qを正統派漫談師として評価していた。
俺とお笑いの好みが完全に合致するので、お笑い仲間として今年のM-1の注目芸人は誰だとか、鼻兎全巻読んだよとか、毎日メールしていた。
ある日、なんとなく飯田さんに「クラスに結婚式場でバイトして20万稼いでる奴がいる」とメールした。帰ってきたメールには「え、それ沼津くんと松川くん?そういえば高校同じだって言ってたw」
「 」
これ読んだ瞬間、頭真っ白。俺と沼津・松川は中学は別だ。飯田さんと知り合いではないはずだ。なのに知り合いってことはそれしか無いよね。
「え?バイト先一緒?」
「うん」
こんな嘘みたいな漫画みたいな話ある?俺が好きで毎日メールしてた子がよりにもよってそんなクズ会社の餌食だなんて。っていうか、俺のまわりに3人もその会社に関わってる奴いんの?
おとなしいと思ってた飯田さんも酒飲んでるってことは乱交パーティーしてるのかな。そう思うと気が狂いそうになって、息が苦しくって、胸が苦しくって、もうメールなんて出来なくなってた。
もし、俺がこれを知らずに誘われたままその事務所に行ってその光景を目にしたら、俺は壊れていたかもしれない。
もうこれ以上正気を保てないと悟って、飯田さんに何も言わず、メールを着信拒否した。
次の日、珍しく朝から登校してきた沼津がヘラヘラしながら「お前飯田の友達なんだってな」とぬかしてきた。昨日マンションの事務所でその話になったそうだ。
なんか訳わかんなくなってた俺は、沼津に「飯田も乱交やってんの?」と聞いてしまった。「俺はやったことないけど、社長とよくやってるよ」だってさ。「社長チンポでけーから、まんこに入ってるのマジで生々しい」だってさ。
幸い(幸い?)松川は乱交前に即帰宅するので飯田さんの裸を見たことはないというが、深夜マンションの一室で飯田さんは全裸で30代の社長と夜な夜なセックスしているという。みんなの目の前で。社長のお気に入りだから男子高校生が飯田さんに手を出してはいけないという暗黙の了解で、終われば全裸のまま寝て、朝にはそのマンションから学校に行くという。
なぜか沼津をブン殴りたくなる衝動にかられたけど、苦笑いしてその場から逃げたと思う。
沼津の家は新聞屋なので、深夜に帰宅しようが親は気づかないっていうし、松川の両親は熱心な創価学会員とかで両親ともに幹部だかで、学会活動のため毎日家にいないという。(担任が松川の家はいつも不在で両親に連絡がとれなくて困るとよく言っていた。)だが、飯田さんの家は一般的なサラリーマンの家庭のはずで、毎晩遅くまで娘が帰ってこないし、オッサンと付き合ってることに気づいてないのだろうか。家庭崩壊してないか。謎だ。
メールしなくなって数ヶ月後、飯田さんと同じ高校の男から聞いた話によると、飯田さんがある日から急に福山雅治似の男が運転する、ウン千万はくだらないであろう高級車で送り迎えされるようになって、学校では有名だという。「彼氏は30歳の金持ち」と自慢していて、クラスの女子から羨望の眼差しだと。
マジかー。さっさとその会社潰れねえかなー。みんなしねばいいのになー。
沼津の話によると、深夜にもかかわらず頻繁に数名の高校生がマンションを出入りしているので通報され、事務所に警察がやってきたが何もなく無事にすんだという。無事なのかよ。
新聞社にタレこもうと思ったが、タレこみ方法も知らないし話しか知らないので証拠もないしで、どうしようもなかった。
高校卒業後、沼津はそのバイト先をやめ先輩に誘われたという土建屋に就職して、松川は会計士になりたいとか言って専門学校へ進んだ。
風の噂で飯田さんは年上の金持ちと結婚して、今は隣町のホテルで働いてると聞いた。
高校の頃は沼津たちが言うマンションの2階に事務所があると看板が掲げられているのを確認しているが、高校卒業して2年もすると、気づけば看板はなくなっていた。
そんなクソな会社、さっさと摘発されるだろうと思っていたが摘発されたなんてニュースは無いし、今となっては会社名でググっても情報は何も出てこないし、その社長とそのクソ会社がどうなったのかはわからない。
もう10年以上沼津とも松川とも連絡とってなくて、奴らが今何してるのかも知らない。
今思えば、高校生が毎月20万も稼いで税金はどうしてたんだろう。沼津からも松川からも、確定申告だとか税金だとかって話は聞いたことがない。
おれがこの遊びを編み出したのはとある国に留学してた時。大きな湖のそばにある街で、とにかく散歩が楽しかった。
晴れた日にはポルノグラフィティの「World Saturday Graffitti」を
寒い朝のカフェではUnchainの「Until dawn」を
学校終わりに寄った昼下がりの中心街ではFozztoneの「Jaguar in the stream「を
なんでもいい。その時の気分に合う曲をかけて、まるで自分がその曲のPVを演じてるかのように、時には口パクなんかしちゃったりするのだ。その曲に対するイメージを存分に出してやるのだ。これがなかなかにハマる。浸りたい気分にズブズブにはまれる。ところがある日、そんなおれの楽しみがふっつり消える。
女人禁制の我らがホーム(当時留学生何人かと一緒にホームスティしていた)に女の子がやってきた。それも日本人の。
お互いに留学環境を楽しんでいる身ではあったが、そりゃ日本語の方が考えを素直に発信できるわけで。おれらは久しぶりに味わう自分の気持ちを存分に言葉にできる楽しみに浸り、毎夜散歩をして、語り合った。友達とバーに行かない時にPVごっこをしていた時間はすべて必然とこの”発散”に費やされた。
時に彼女の部屋の鍵をこじ開けようとする他の留学生を追い出したり、彼女に猛アピールをしかけるブラジル人をどう撒くか2人で作戦会議したり、深夜にふらりと散歩して、街道沿いのドーナツ屋でおしゃべりしたり。そんないまだになんていえばいいのかわからない日にも終わりがくる。
彼女が遠いヨーロッパに発つ前夜、おれらはリビングでひたすらコーヒーを飲んで、お絵かき大会をして、気づいたら空は明るくなっていた。昼にでかいキャリーバック抱えて出発。小さい体してるくせになんてでかいもんもってるんだか。からかいながらバスに乗る。空港までは電車とバスを乗り継いで1時間半くらい。バスから見える景色がどんどん寂しいものになってく。彼女の白いキャリーバックが夕日にすっかり染まってたのを覚えてる。お互いなんも喋らなかった。いままであんなに話題尽きなかったのに。
「やっぱずっとここにいようかなあ」
聞こえないふりをした。
ここにずっと留まってちゃだめだから、笑って送りだそうってずっと決めてた。ゲートでハグして、楽しんできてねー!なんてせっかく明るく振舞ってんのに、結局あの子は泣いた。ぐずぐずに泣いて、行きたくないとダダをこねるあの子を、行きゃ変わるからって無理やり送り出した。何度も何度もぐしゃぐしゃの顔で振り返るあの子に大きく手を振った。ゲートの係員が、本当に送り出しちまうのかい?と話しかけてきた。留学して初の苦笑いで返した。
帰ったらやることは一つだった。夜の散歩をしようと思った。いつもおしゃべりして歩いたあのコースを、あのドーナツ屋までやけに遠回りの道を、今日から1人で散歩するんだ。手が寒くて、ポッケに突っ込んだ手にイヤホンが触れた。耳に差し込んだイヤホンから曲が流れてきた。自然と口が歌詞をなぞる。
旅立つ空に出会いと別れ
青春の日々全てを描き
いつか互いに大きな花を
きれいな花を咲かせまた共に笑おう
濡れた頬に当たったあの北風のするどい痛みを、おれは忘れない。
当時は溢れ出る正義感と、ずっとつるむ友達はいない程度のコミュ力、そこそこの成績もあって
どんどん「まとめあげる」的な中間管理職的なことの難しさだとか、
色々言われるのにも疲れて正直「向いてないな」って思ってた。
でも学期ごとのそういったもののの選出は名前が上がり、向いてないと正直に言いつつも結局やることになるのがほとんどだった。
行事のための看板製作などは喜んで参加してたし、そうのには関わることはしたいと思ってた。
その流れで生徒会に立候補するのは、自分でもまっとうな理由だったと思っている。
だがしかし、そこには大きな壁があった。
生徒会は内申にしっかり書かれ、影響する。そのため、やりたがる人間が多かったのだ。
自分の中学校の生徒会選挙は1年任期。毎年3学期に1,2年が、投票する。
そこそこ付き合いのある同学年はともかく、何もしらない下級生、上級生から票が入ってる気がしなかった。
おそらく同学年からも入ってないとは思わないが決め手なるほどの支持を得られてなかったのだろう。その程度のコミュ力だった。
だがしかし、まだチャンスはあった。
その後に選出される議長は、ほぼ生徒会と同じ行動をし、行事に関われる。
幸い自分は何度も役職を任された経験上司会を何度も経験し、そこそこできている自覚はある。
しかもこれは
・必ず2年生から
で決められる。
他に枠はなくこれが最後のチャンス。だがしかしこれなら任されると思った。
…が、落ちた。
選ばれた子は友人だった。
だがしかし、その子は内申+αが目的で、本当にそういった仕事をしたかったのではないのは感じていた
生徒会長もよく知った中ではあったし、教師受けもよかった(実際、担当した教員から「この役職が向いてる、推薦する」とお墨付きももらっていた)。
だがしかし、自分が良くないと思ったことは曲げられないタイプで「扱いにくい」と感じられていることも自覚していた。
多分敗因はそこだろう。そう自覚しつつも非常に悲しく悔しかった。
それまで面倒を避けてたような要領の良い子が7~8割(もしかしたらそれ以上)が占め、
いままでコツコツとクラスや委員会の運営を支えて来たような子たちはほとんど落ちていった。
それからしばらく進みできる限り行事に関わるものに参加しつつ、結果受け入れて生活していた。
中学3年にもなると受験を意識し、更に「◯◯長」をしたがる人間が増えた。
郷土に関係することをテーマを分けて発表する、という内容だったのが、
他の希望者多数のテーマに組み込まれた。しかしそれでもやっぱりそのテーマをちゃんと学習したくて立候補した。
だがしかし、昨年までが何だったのかというくらい希望者多数となり、じゃんけんで負けた。
勝者は正直、同学年の支持がない子だった。
案の定、自分のやりたかったテーマは影が薄れ、忘れ去られ、それでもやることはやって着々と作業を進めていた。
そして発表時テーマの班長は決まっていながら、それとは別に発表の「監督」を複数人選出することになった。
もちろんこれは内申に影響しないし、監督になると発表する側にはなれない。
そして後半は発表に準備だけになるし、実質、監督が指揮を取ることになる。
「船頭多くして船山に登る」状態になるのには反対したが通らず、やはりそこで自分が担当することになった。
(今思えば、それまでの行動で求心力がなかった班長で進めるのを避けたかったのかとも疑っている)
発表側をやりたかった自分は不承不承、しかし決まったものは仕方ないと全力で発表に向けて走り回った。
発表側になった班長や、人員が不足したときいつのまにか発表側に回った同じ監督だった子を羨ましいと思いながら。
確か、小道具の場所を把握してないのは監督としてどうか、的なことだったかと思う(余談だが小道具係は別にいる)
些細なことだし苦笑いしてやり過ごしたが、これまでのことでパンク寸前だった自分にはだめ押しとなって
本番中誰も来ないところでうずくまってこっそり泣いた。
部長・副部長は生徒の投票を加味して「顧問が選ぶ」という方式だった。
当時の部活は「顧問VS部員」の構造があった。その結果、明らかに「顧問が付き合いやすい」
「票が入ってないわけではない」と強調していたが、密な付き合いのある部員間の話では
それが嘘でなくても1,2人いる?という票数であるのは皆察していた。
(ぶっちゃけ、得票数TOP3の子たちは顧問に不満は持ってなかったんだから
その結果、顧問が転属して居なくなると「部長・副部長VS部員」の対立構造に変わり、
部長、副部長が居づらい環境になり、不満を持つ子たちが言うことを聞かず、落ち込んでいってるのがわかった。
自分は比較的その子達と仲良かったのもあり、緩衝材として連絡する、仕切る、やきもきするという謎の構造ができていた。
正直この行動は部長たちの孤立を加速させ、良かったのかは自分でも疑問であったが、そうしないと団体行動も怪しい状況だったのだ。
結果、最初に話した議長/各種委員長でもあった2人は生徒会に入り浸り、ますます対立を深めていった。
これに関しては正直、仕方ないことだと思うし、それほど2人は追い詰められて居たと思う。
だが、生徒会室で仕事がなくても談笑した姿をみると自分が本気でやりたかったことを逃げ場にしていること、
その一方で自分がやりたくもないことばかりしている状況にがすごく虚しかった。
その気持を抱えながら部活動はやりとげた。
今でもこの一連の流れは思い出す。
まあ、その程度でなにやってるんだろう、明らかに貧乏くじじゃないか。
そして残念なことにこの正確、環境は今でも変わってない。
根本的な理由は「やりたがる」「でしゃばりたがる」正確と長年いじられ続ける容姿、
心意気をうまく伝えられないコミュ力、プレゼン力であり自業自得だ、と自覚している。
本気で「義」を理由に口を出ししても、「自己のため」と誤解されることも多々ある。
そこを変えないと…と思いつつも、「誰かがやらないといけないこと」をやり続けても「やりたいこと」がやれない思い出を愚痴らせてほしい
いまから十数年前、高校生の頃に「M-1甲子園」というイベントに出た。
よしもとが主催、イオンが協賛の高校生の漫才コンテストであり、吉本が素人の高校生の中から未来のスター発掘するという意図がある大会なのだが、いろいろ不可解な思いをしたので書こうとずっと思っていて、昨年末のとろサーモン久保田の上沼恵美子への暴言、立川志らくのM-1での審査を評したブログがホッテントリになったタイミングで書きたかったが師走の忙しさで書く時間がなく無下にしてしまった。
もうタイミングを逃したのだが、今年のM-1まで取っておいても書くのを忘れてしまいそうなので、今このタイミングで書かせてもらう。
俺が高校生だった十数年前、地元のイオンでM-1甲子園なるイベントの予選があるので出場しようと友人から誘われた。
俺は中学の文化祭で、生徒が体育館でステージで催し物を披露するコーナーで中2から2年連続漫才をし、2年連続投票の結果優勝した。それまでギター覚えたてのヤンキーが稚拙な演奏を披露しイキがる場でしかなく、ヤンキー以外の出場は暗黙の了解で禁忌とされていた雰囲気の中において、ヤンキーの許可なくそこに割って入った俺の漫才が優勝したのだ。
中1の頃はオタク扱いされスクールカースト最底辺だった俺が、中2の文化祭からは学校の人気者となれたのだ。その年頃の女子というのはスポットライトを浴びた男だったら誰でも良いようで、それまで俺のことをゴミのような目で睨みつけ忌み嫌っていた女子どもが急に俺のことをチヤホヤしていたが、俺は奴らのことを恨んでいたので硬派気取ってまるで無視していた。今考えたらやれたかもしれない。
高校生になってから文化祭の時の相方とは違う高校に進んでしまい、相手も部活に勉学に励みたいとのことで漫才は続けられなかったところ、別の漫才をやりたかったという友人が俺をM-1甲子園に誘ってくれた訳だ。
予選通過したら東京で決勝があり、優勝したら賞金20万円貰えるらしいのだが、まあ、中学の時の相方は笑いのセンスもよく、俺の書いたネタに文句も言わずそのまま受け入れてくれ、相性もよかったので満足いくネタが披露でき爆笑をかっさらうことができたのだが、M-1甲子園に誘ってきた奴は笑いのセンスがまるで無いどころか俺の作ったネタにいちいち文句を出し、その割に自分でネタは書かず俺のネタをベースにまったくつまらない方向に改変を要求し、お笑いをやるっつってんのに道化を演じるのが嫌なようでかっこつける言動ばかり取りたがり、人を笑わせたいというよりスポットライトを浴びてただ女子にモテたいだけという性欲しか感じられない奴で、ああこりゃあクソ滑りするなあ予選絶対通過しねえなという未来しか見えなかったが既にM-1甲子園にエントリーしてしまったので後の祭りだった。
俺は学生ながらに雑誌の読者投稿コーナーや深夜ラジオでネタが採用され、ネット大喜利で優勝を経験している職人だったので、ネタ作りに関しては自信があったのにも関わらず俺の意図した笑いどころが全却下された挙句ただ男子高校生ふたりつまらない立ち話をするだけの漫才とは言えない地獄のような内容しか用意できずM-1甲子園の予選の日はやってきた。今もその日を鮮明に記憶している。
当日、そいつは気になっている女子をつれてきて、もうすぐ始まるつってんのに、つまらない内容だがネタ合わせだけはしておきたい俺を尻目に女子と2人でイチャイチャとイオンのゲームコーナーでずっと太鼓の達人をしていた。
高校生なので楽屋などなく、これから始まるショッピングモールの広場に用意された舞台周辺に出場するっぽい高校生がぞろぞろ現れ始めた。俺も1人そこで待っていると、出場するっぽい奴が近づいてきて「あれ?見ない顔ですね?普段どこでやってるんですか?」と声をかけられた。
見ない顔?普段どこで?純粋な素人の高校生が集まっていると思っていたのだが、こいつら普段どっかの舞台出てんのか?
質問の意味がわからないので「人前で漫才やるのはこれが初めてですね〜」と答えると、「あっ…」といった顔をしてそいつは離れていった。
通りすがりの子連れ家族の父ちゃんに「これから漫才やるんですか〜?誰が出るんですか〜?」と聞かれ「高校生の漫才コンテストです」と答えると、「なんだ〜素人か〜絶対つまんねえな〜誰が見るんだそんなの」と吐き捨てられた。俺がこれから出るんだよ!という不快になる一幕もあった。
するとイオンのイベント担当みたいな人が出てきて「これから始めます」と胸につける番号札みたいなのを配りだしたので、急いでゲームコーナーから相方を引っ張り込んできた。
審査員は吉本芸人だ。各地方に吉本の事務所があり、うちの地元の吉本芸人が審査員として招かれており、イベント開始直前に腰を低くしたイオンのスタッフに先導されながら会場へとやってきた。
すると、それまで会場でそれぞれバラけてダラダラしていた、これから出場する高校生達が一斉に一列に並び、もう夕方なのに「おはようございます!」と業界丸出しの挨拶で綺麗にお辞儀をした。
それに対し審査員の吉本芸人は「おう、頑張れよ」と一言いうと審査員席に着座した。
そんなん知らん俺はもちろん並ばず業界の挨拶もせず、ポカーンですよ。こいつら、全員吉本の息かかってるやんけ!
その瞬間、この大会の意図を把握した。これは、吉本の息がかかっている、将来吉本所属が決まっている高校生を集めて、あくまで素人として吉本が世間に紹介するイベントなんだと。
予選出場の高校生コンビは全部で10組、俺の他にポカーンとしていたのは1組だけだったので、確実に素人と言えるのは俺とその1組のみで、残り8組は吉本の息がかかってる連中なのだ。
じゃあ、どう転んだって完全な素人は絶対に予選通過しねえじゃねえか。これから俺が滑るのはわかりきっているとはいえ、一気に冷めてしまった。
いざ漫才が始まると、さすが審査員の芸人におはようございますと礼する連中だけあって普段から仕込まれているのだろう、みんなしっかりとしたネタをして、横で観ている俺は笑ってしまった。
けど、他の吉本の息がかかってると思われるコンビは、他のコンビのネタには一切笑わず鬼のような目で睨みつけていた。怖っ。
で、いざ俺の出番がきたが、ボケもなく笑いどころのないネタがウケるはずもなく、少数集まった観客が舞台に目を向けず全員が手元の携帯を見ているという、生きた心地のしない地獄のような時間だった。死ぬかと思った。
漫才が終わり、審査員が苦笑いをしながら「独特な世界観ですね」とだけ言った。
その後の出番だった「おはようございます」を言わなかったコンビもやっぱり面白くなかった。
もちろん吉本高校生の中から東京行きが決まり、もうこいつとは二度と漫才しねえと決めて、素人であるはずの高校生たちの不可解な行動に疑問を持って帰った。
次の日エゴサーチをしてみると、2ちゃんねるの芸人板で俺がクソつまんねえとボロクソに叩かれていた。死ぬかと思った。
その数週間後。
深夜に何気なくテレビをつけていると、地元ローカル番組で吉本若手芸人のネタを見て笑ったら罰ゲームというコーナーが始まった。
ローカルタレントがニヤニヤしながら口に牛乳を含み、そこに出てきたのはイオンで漫才をやった高校生たちだった。
えー!?もう「吉本若手芸人」って言い切っちゃってるじゃん!!じゃあもうこいつら素人じゃないじゃん!!
高校生という紹介もなく、あの日イオンで見た連中全員がその番組で「吉本芸人」としてネタを披露していた。
息かかってるどころか、地元ローカル局とはいえテレビの仕事受けちゃってる時点でプロだよね!俺の予想は正解に近かったのだ。
ええ、こいつらプロじゃんと思った俺は地元吉本の所属芸人一覧をネットで確認したが、あの高校生達は誰も所属芸人に名を連ねていない。
なんなの?やっぱり素人なの?どっちなの?謎は深まるばかりである。
その数日後、この連中は「素人なのかプロなのか」の事実が判明する。
学校から帰ってきてバイトに行く準備をしながら夕方のローカルワイドショーを見ていると、地元の芸人を夢見る高校生に密着した特集がはじまった。
そこで特集されている高校生は漫才コンビではなくピンなのだが、ただつまらないダジャレやギャグをするのみで舞台では滑り続け、ライブで勝ち上がれなく悩んでいるという。
仕組みはこうだ。吉本の事務所には芸人を夢見る高校生が次々駆け込んできており、ライブで勝ち上がれば晴れてプロとして吉本に所属できる仕組みで、そのピン高校生はプロを目指しているがライブで滑り続けてなかなか勝ち上がれないのだという。
吉本の稽古場みたいなところでネタ見せをして、社員なんだか作家なんだかわからないがその様子を見ていた大人からつまらない、それじゃ勝ち上がれないぞと叱責されそのピン高校生は悔し涙を流していた。
そのシーンで、あのイオンで見た高校生たちも映り込んでいた。特集は「頑張れ○○くん!未来のスターとして応援します!」と締めくくられた。
つまり、吉本所属のプロとは言い切れないが、「吉本預かり」として普段から吉本の舞台に出演していて、稽古場では吉本の人間からも指導されている。それで、たまにテレビにも「吉本芸人」として出演しちゃう。
もうこれは素人とはいえないのではないか。完全に吉本の息かかっちゃってるんだもん。
その当時、M-1甲子園で決勝を勝ち進んだコンビが実は松竹芸能所属(事務所ページにもプロフィールが記載されていた)だとわかり、M-1甲子園の「プロは出場不可」というルールを破っているのではないかとお笑いファンの掲示板で炎上していたのだが、それ言ったら出場している高校生の大半が半分プロみたいなもんじゃねえかと思った。
やっぱり、この大会は「素人の高校生の中から未来のスターを発掘」なんて意図じゃなくて、「吉本預かりの芸人を世間に認知してもらう」大会でしかなかったのだ。
その頃は世間で圧倒的な若手お笑いブームだったこともあり、素人の大会と銘打ったM-1甲子園ですらネットではちょっとした話題になっていたのだが
俺が高校を卒業する頃には審査内容の不透明性などが指摘され盛り下がる一方で、ネットで話題になることが全くなくなってしまった。
高校を卒業したら芸人になりたいと漠然と思っていたが、こんな経験をしたので絶対に吉本に入ることだけはないなと考えていた。
高校卒業後、イオンで見た彼らのコンビ名でググって現状を調べてみたのだが、そこから吉本に所属することなく芸人の道を諦めそれぞれ大学に進学したり就職したりしているようだった(そいつらのブログを見つけたのだが解散報告などをしていた)
そんな俺も相性の良い面白い相方を見つけることもできず、ピンでやる度胸もなく、そのまま普通にサラリーマンとなった。
その後M-1甲子園は「ハイスクールマンザイ」というダサいイベント名に改名し、一時はその様子が全国放送などされていたようだが全く話題になることがないのでもうとっくに終わったイベントかと思っていたら、今調べたら去年もやってたみたいだ。
お前は絶望的にプログラミングに向いてないから諦めて刺身にタンポポ乗せる仕事でもやってろ がバズってるようで、私もかねてから考えてることをちょっと発信してみようと思う。匿名での投稿にはなるが、私は日本国外の大手企業でフルスタックエンジニアをしている。
私の主観では世の中の人の99.9%はプログラミングに向いていない。もしかしたら、9をもうひとつ増やしてもいいかもしれない。それくらいプログラミングに向いている人は希少だと思う。
ある程度数学の素養があったりする人の方がプログラミングに向いているというけど、理系でもプログラミングが苦手な人は多くいる。どういった人がプログラミングに向いているのか、もしくは向いていないのかという点については、この投稿では特に言及しない。
この投稿はプログラミングに向いていないのにやらざるを得ない環境にいて無理をしている人に向けて書いている。
自分の高校時代の友人が仕事でプログラミングを始めたけど、ボロボロになって仕事を変えるという姿をいくつか見てきた。以前の職場にも、経験者として入ってきてはいるが、向いてないなあと思うような人物を何人か見てきている。また、大学在籍時にTAとしてプログラミングを教えた経験上、向いていない学生というのも多く見てきた。この記事では、そういった人たちがプログラミングを諦めて他の道へ早く進めるように、私の意見を書き連ねていこうと思う。
こういった人々がプログラマとして多く採用されている環境では、本当に優秀なプログラマというのが少ないので、以下に書き連ねるような問題点はあまり可視化されてこない。ただ、こういう人が集まってプロジェクトを進めている環境では、プログラマとしての仕事は全員にとって辛いもののように思える。仕事は難解だが、納期の関係上残業が多くなり、精神を擦り減らしながら仕事を進める。反して、プログラミングに向いている人にとってプログラムを書く仕事というのは、美しいプログラムを書くことで自己肯定感を得ることができるという点で天職なのである。
プログラミングに向いている人は、簡潔なコードを短時間で仕上げてくる。読んでいて疑問に思いそうなところに対しては適切にコメントがなされていて、システムデザインも適切である。
対して、向いていない人は時間をかけて煩雑なコードを仕上げてくる。本人も「動けばいいや」程度の意識しか無い(私の推測だが、時間がかかっているので次の段階へ進むことしか考えられていない)ので、コードは読みにくく、洗練されていない。
こういった傾向は私が観測してきた範囲内でのことでしかないのかもしれないが、おおよそ一般的に当てはまると考えている。これを前提にこの先の内容を書いていくので、納得などをできない方はここで読むのをやめてほしい。それでは、向いていない人のもたらす問題点について書いていこうと思う。
向いている人のコードはシンプルであるがゆえに、バグが入り込みにくく、コードレビューもすんなりと終わる。対して、向いていない人はコードを仕上げるまでに時間がかかるだけでなく完成度も低いので、レビュー段階でコメントが付きやすく、多くの修正も必要になってくる。また、コード自体が煩雑になる傾向が多く、そういった部分にバグが混入しやすい。
向いている人にとっては早く問題なく終わる仕事が、向いていない人にとっては時間がかかり、不確実な結果を出すことになりがちである。
他人に任せた仕事のアウトプットを見て、自分が実装していたらもっと上手く速く出来ると思うことは稀ではない。実際にバグが混入して対応する可能性、コードレビューにかかる工数、そういった点を考慮すると、生産性は10倍以上違うのではないかと思う。
正直に言うと、プログラミングに向いていない人が書いてくるコードは見ていて辛い。仕事の場合、そういった人の書いてきたコードが100%美しい状態に達していなくてもマージせざるを得ない場合もある。私は整ったコードだけをマージしたいのだが、コードレビューに時間がかかるほどマージコンフリクトが発生しやすく、他の変更との競合も発生しうること、また全体の納期の兼ね合いやタスクの依存性を考えて、早くマージせざるを得ないという状況になりやすい。
簡単に言うと、向いている人の場合は「成果9:技術的負債1」程度で変更を加えていくのに対し、向いていない人は「成果7:技術的負債3」程度の変更が最初にコミットされ、この段階での技術的負債の割合を減らすためにコードレビューをじっくりしていく程の余裕が無い場合が多いということだ。もちろん、これはプロジェクトの内容に依存するということは言うまでもない。
そして、途中から入ってきた優秀な人材がコードを見て萎えるのである。「いや、僕もその辺のコードはあまり良くないとは思っているんだけど、事情があってね」なんてことを苦笑いしながら、説明とも言えない説明をすることになる。
向いていない人がプロジェクトで多くなってくると地獄である。本来、簡潔で完璧なコードを書ける人がコードレビューをする側へと回らざるを得ない状況になってしまうからである。本来、コードを書くことに専念した場合に、向いていない人と比べて10倍の生産性を発揮する人材が、数人の向いていない人を管理することに忙殺されてしまうのである。
もしかしたらあなたの周囲にはいないかもしれない「デキるプログラマー」に任せれば、あなたの仕事は一瞬でより美しく完成させられます。出来ない人は精神と肉体を擦り減らしながらプログラムを書いている傍ら、本当に出来る人たちは楽しみながら完璧なコードを仕上げていきます。
無理してそこで働く必要はあるか?向いていないのであれば、新しい仕事を探した方が身のためだ。特に、10年20年先のキャリアを考える上で、あなたの輝ける未来は今のレール上には無いのではないか。今は目の前の仕事に忙殺されているかもしれないが、これを機に考え直してほしい。
当方男。今まで身の回りの誰にも打ち明けてないので年末だしここで吐き出す。
幼い頃から潔癖気味で、キスにもパンチラにも生理的嫌悪感を覚えて育ってきた。性欲も薄くて手淫をほとんどしない為、夢精(数学の問題を解く夢とかマッチョがATMでお金を下ろす夢とか軽トラで椎名林檎を聞いてる夢等、性的な夢でないことが多い)に苛まれ一時期はおしっこ便利装置な竿だけ残して金玉を手術して取ろうか悩んだ時期もあった。
女の子を可愛いと思う感情はあり、プライベートでも面と向かって髪型や小物や服の色を日常的に褒めることもあって女好きな印象を与えることがあるみたいだが、実際は彼女いない歴年齢の精神年齢のひくい男なのだ。
知人に彼女について聞かれた時に、いない歴年齢だということを打ち明けると驚かれる。
「なんで彼女作らないの?」
「男の人が好きとか?」
大体この2パターンが多い。
「モテないからねー」と毎度返すが社交辞令の「意外」というレスポンスが返ってくる。
10年ぶりにあった高校の同級生何人かと呑みに言った時に「増田はうちら(女の子間)の間でホモだって噂してたんだよ」と言われた。きっと、職場の人にもホモだと思われてるんだろうなと察した。
恋愛真っ盛りな高校生時代、私はモテたわけではないがクラスの半分以上女子生徒だった商業高校に通っていて、その母数のお陰で何人かに好意を寄せられていたらしく、何度か告白をされた。
今思うと昔から女の子を真剣に可愛いと思い、かわいいと思ったことを素直に口にする所は健在で、比較的シャイな同級生と比較された私は、判断材料が少ない彼女らに気を持たせるような言動だったのかもしれない。ただ、私は下心もなく本当に友人だと思っていて、その彼女らに自分にはない「付き合いたい」という衝動とその告白を押し当てられて、無性に悲しかったことを覚えている。きっと、友情しか抱いたことの無い幼い私にはどうしたらいいのかわからなかったんだろう。
数年前、遅くまで飲んだ帰りに友達と別れて電車に乗っていた時に安酒で気持ち悪くなり、ホームで水を飲みながらボーッとしてたら終電を逃してことがあった。
たまたま目の前で電車を逃した息を切らした女性がいたので、「参っちゃいましたね」と声をかけたら「参っちゃいました」と苦笑いをしていた。
どうやら話してみると彼女は同い年で、彼女はそれがわかると急に距離を詰めてきて、言葉遣いに気を置かなくなってきたのがわかった。
その時は8月で蒸し暑く、彼女の提案で始発の電車が来るまで近くのラブホテルで涼むことになった。
汗を流せることが嬉しかった私は二つ返事で承諾し、チェックインを済ませ、彼女の言葉に甘え先にシャワーを浴びた。
彼女が「私も入ってくる」と言い、バスローブをもってシャワー室に向かう彼女を見届けたら、空調の快適さとベッドの心地良さに微睡み、気づいたら寝ていた。
「寝てんの?」と、声が聞こえて揺さぶられたので相槌だけ打っていたら、ビンタされた。
ビンタ。
生まれて初めてのビンタ。本当に親にもぶたれたことはなかった。
「痛いっしょ?次寝たらマジにいれるから。女の子に恥かかせる気?」
色々ショックだった。だって、涼むだけって話じゃなかったのか。俺みたいな得体の知れない男に身体を許せるものなのか。なんで素性もよく知らない女にビンタされないといけないのか。てか恥ってなんだ。そうか、ラブホテルって、そもそも、セックスする場所なのか。私達はセックスをしなければならないのか。君にとってのセックスはレーゾンデートルなのか?村上春樹の世界の住民なのか?
人の顔色を伺いながら育ってきた長男の私は、その夜初めてセックスした。
汗を流し涼み電車を待つのが目的の場所で汗をかきまた汗を流すことになるとは思わなかった。
そこで性愛に目覚めたかというと、まったくなくて、どこを触ればどう感じて、どこを触られるのが好きなのかを探り当てる空気読みゲームと、やけに声が大きい彼女の喘ぎ声がただただ奇怪で、ただただ心も身体も疲れるだけだった。またしたいとは思えなかった。行為後に「手をつないでていい?」と言われた時、世の男がこのセックスに熱中になるという事に理解が追いつかず、「あ、自分は本当にこれから先、世間一般でいう恋愛が出来ない」ということを悟った。
昨日、友人の子供が生まれた。とてもとても幸せそうで、自分の半径が全て幸せに上手く上手く全てが続いてくれれば幸せだなと思う。
しかし、周りの幸せを自分の幸せのように感じることが出来るのは、親という身寄りがある余裕だからかもしれない。
この先、無性に孤独を感じ、パートナーに飢える日がくるかもしれない。
だから、今のうちにパートナーを作る努力をしておくべきなのだろうか。
恋愛感情を持ち合わせてない私が孤独を埋める保険としてパートナーを作るのは相手への不義理で、寂しい思いをさせてしまうのでないのだろうか。
みんな本当に、恋をして、セックスをして、愛を確かめあって、幸せを感じることが出来ているんだろうか?本当なのか?
LGBTが社会に受けいられる努力が今もされてる中、恋愛に頓着がない人間が異質な者として扱われる今日に、とても孤独を感じた。
昔、俺が小さかった頃はよく家族みんなで駅前のチェーンの居酒屋に行って、冷凍の刺身やらポテトフライやら唐揚げやらを食べて喜んでた。
居酒屋といってもはなの舞とかのファミリーで行けるタイプのやつ。
俺はそういう居酒屋が大好きで、メニューに踊る美味そうな料理の数々を見てはどれを頼もうかと胸を踊らせてたもんだ。
でも年月は流れていって、両親は離婚し、姉は大学生になって家を出て行き、家にいるのは俺と母親の2人になってしまった。
父親とはひと月に1度会い、その度に都内の美味い店に連れていって貰っている。父親は1人になってから金を持て余しているようで、かなり高級な店を提案してもふたつ返事で了承してくれる。
だから俺は高校生ながら、都内の美味い店をいくつも知っていて、焼肉ならここ、魚が食べたきゃここ、と、我ながら生意気だけれど。
でもある時たまたま父親と日にちの折り合いが付かなくて、母親と飯を食いに行くことになった。俺は数駅先の魚の美味い居酒屋を提案したけど、高いからダメだと断られて結局駅前のチェーンの居酒屋に入ることにした。
まあそれでも別に良かった。そんな店何年も行ってなかったけれど、昔の記憶を辿る限りはふつうに美味い店だ。
でも、現実はそうじゃなかった。
ポテトフライはフニャフニャで、唐揚げは悪い油の味がする。俺はこんなもんを食って喜んでたのか?と愕然とした。
こんなはずじゃない。頭の中に住み着いていた既成概念が全部吹っ飛んだ。
結局満足に食べられる料理は1つも無く、釈然としない思いだけを胃袋に重く落として店を後にした。
それ以来、俺は怖くてしょうがない。大人になったら、本当にいろんな場面で安いチェーンの居酒屋に行くことになるだろう事が。
私は抑圧されて育った子供だ。
「いやあんたそのレベルで抑圧されてたとかナメすぎ。世の中にはもっと~ アフリカの恵まれない子供たちは~ 云々」
などと言われるようなものかもしれない。
しかし、重要なのは私がどう感じていたかであって、世間から見てどうかとか、世界レベルで考えてどうかとか、そういう相対的なものではないのだ。
とにかく、私は抑圧されて育った。そう強く思っているので、このことは揺るぎない事実である。
どのように抑圧されていたのか。
ゲーム禁止、ペット禁止、ベッド禁止、高校に上がるまで21時以降のTV禁止、基本的に漫画禁止、基本的にジュース禁止、ポケモン禁止、等々。
私が今でもこのことを根に持っているのは、「なぜ禁止なのか」が明確でなかったからだと思う。
「なんで駄目なの?」と私は親によく尋ねた。
しかし返ってくる言葉は「ダメなものはダメ!そういうルールだから」
そんなよくわからないふわっとした思想によって幼少期の私は支配され抑圧されていたのだ。
ベッド禁止という謎ルールに至っては「私(母親)が布団が好きだから」という感想によるものだった。は??????
問い詰めるとヒスを起こすエモーショナルな女性だったのであまり話し合いができなかった。
思春期のころ、男子でなくて本当によかったなと強く思ったことを今でも覚えている。
私はクラスで皆が話しているゲームの話や21時以降のTVの話にまったくついていけなくてすごく悲しかったのだが、
男子はゲームやってないクラスメイトを非人間扱いしていたが女子はそこまでではなかったからだ。
年に1回あるくらい。
母はメシマズではなかったがめちゃくちゃ薄味だった。
だから、ごくたまにいくファミレスの雰囲気と、そこで出てくる濃い味の食事にすごく憧れがあった。
また、おこずかいがものすごく少なかったので、高校生になってバイトをするまでは、友達同士でちょっと都心におでかけするとかがまったくできなかった。
そういう子供がどういう成長を遂げるのか。ここに記すのはその一例である。
①性欲が強くなる
「それは関係ないのでは?」とおっしゃる輩もいるかもしれないが、抑圧されたいろいろをそういう形で発散するためにそうなったのだと自分では考えている。
性的なことに目覚めるのが早かった。第二次性徴があらわれるのは遅かったが、小学校高学年の頃には既に自慰を覚え、それから30才の現在に至るまでほぼ毎日している。
恋人の有無に関わらずだ。
初めてセックスしたのは17才の時で、その相手には性欲が強すぎてフラれた。
③深夜のファミレス大好き
深夜のファミレスの何がいいのか。
まずファミレスが出すものは高級感があまりなくちょっとジャンクな感じがある。そこがいい。
昔の親が見たら怒られそうなことをしていると思うと、罪悪感とぞくぞくする気持ちが混ざり合ってたまらない。
④夜型人間になる
深夜まで起きて生産性のないことをしていると、上記③と同様の快楽におそわれるためやめられない。
⑤ジャンクフード大好きになる
ある時期、数年にわたって主食がコイケヤのコンソメパンチだったことがある。
⑥ズレた人間になる
「天然だよね(苦笑い)」
と言われる。私は中学高校といじめに遭っていたのだが、自分で何かした訳ではなく何か変で気持ち悪いという理由でいじめられたらしい。
(理由を聞いたらそういわれた)
これは抑圧されて育ったせいで変になってしまったせいだと思う。
今では昔ほど変に思われないが、たまに素でいると変な風になってしまうのか、相手の顔が「あっ、この人変な人だ…」という感じでこわばることがある。
変に思われないよう気をつけ続けるというのはとても疲れる。
もし同じように悩んでいる人がいたとして、アドバイスできるとしたら、とりあえず礼儀正しく、丁寧な対応をするよう心がければ大目に見てもらえるよということだ。
変な人間でもいいじゃんという人がいるかもしれないが、世間の人々は変な人間は基本的に排除しようとするのでそれは無理である。
⑦コミュニティに属すると息苦しくなる
上記⑥の理由から、人と接するときは常にどこかしら緊張している(変に思われないように)ので、あらゆるコミュニティが苦手である。
上記⑦とも関連している。
私は20代前半のときに実家を出たのだが、荷物を抱えて一人きりで夜真っ暗な自分のアパートについたときの幸福感が忘れられない。
あのときほど、脳内麻薬的なものが大量に分泌されたことはなかったし、この先もないだろうと思う。
引越し先や自分が地元を出てどういうことをするかを、家族以外の誰にも告げずに出てきて、それからは地元の知り合いには誰にも会っていない。
私にとって、自分の故郷とそこでの様々なコミュニティというのは抑圧されてきた忌まわしい記憶を想起させるものだからだ。
そうやって家族以外すべてを切り捨てたときの快感、身軽さ、リセットして新しい自分でいちからスタートできるような気持ちがあまりにも絶頂だった。
私は今大学に勤めているのだが、学食のおばさんなどに顔を覚えられて話しかけられたり、いつものでいい?と言われたり、
近所の人にあいさつされたり、どっかのお店の店員さんとかに「お久しぶりですね」とか言われたりするとああああ~となってしまう。
そのせいで学食には行けなくなったし、引越し代はかかるし何もいいことがない。
世の中の親に伝えたいのは、
教育方針とかは各家庭でいろいろあるのは別にいいのだが、抑圧しすぎると子供は変な人間になり最終的にあんたらが困るよということだ。
京セラドームの周辺に住まいを移してかれこれ3年になる。便利か不便かで言えば流石に京セラドームへのアクセスが考えられているだけあってJR、阪神、地下鉄にバスは一本で海遊館からIKEAや難波と非常にアクセスが良く、飲み屋街も多くなにせ安い。大正駅周辺にある居酒屋なんて1000円持っていけば腹いっぱい食える。
加えて生活用品はドーム前に巨大なイオンがあり、ビバホームもあるため生活の質はかなり高いと行っていい。というか生活に必要な物全てが揃っている。
ただし、便利な事だけではなくやはりライブ日になると人でごった返してしまい不便に感じる時が多い。
こう言うとライブ終わりで汗をかいた観客が大移動して駅が使えなくなったりといったイメージが強いが案外住んでみると観客が帰る時間さえ外せばそこまで不便ではなく、むしろ生活必需品を買い込むイオンにライブ開始までに観客が滞在しているときこそが一番不便でかつ、フラストレーションがたまる事も多々ある。
具体的にはマナーがあまりにも悪い時が見受けられ、イオンの階段に座り込みだべったり、ご飯を食べてないのにフードコートの椅子を独占したり、一番ひどい時は何も無い床に座り込んでるやつもいた。
これらはイオンの中もあれば周辺でも起こっていて、ドーム外周にはライブ出演者のリハーサルの音を聞こうとカメムシのようにドームの窓ガラスにへばりつきライブが開催されている期間中は平気で地べたで交換会が行われる。*ドーム外周は絶好のペット散歩コースになっておりマーキングされているので正直おすすめしない。うんこ落ちてたりする。
そのたび溜息をつき、あぁこんなファン層に支えられるアイドル・バンドグループは本当に可哀そうだな、泥塗ってるのがわかんねーのかなと元オタクとして思わざるを得ない。
ただ面白い事に3年目にもなるとこの辺はファン層の傾向やノウハウが溜まってきてフラストレーション回避が出来てきた。一定の傾向も見えてきたのでどっかに書き捨ててみようかなと思った次第。
1.基本的にファン数が少なければマナーは良い、大規模になると赤信号みんなで渡れば怖くないのか悪い傾向にある
2.年齢層が高いとよりファン層の質が高く、年齢層が低いとその逆で特に一番ひどいのは20歳未満の女性ファン層
3.ジャニーズ系は年齢層高いのもあるかも知れないが比較的に質は良い。BTS/BIGBANGなどの韓国系は年齢層が低いのかかなり質が低くその中でも若年層に交じって中年女性が地べたに座っていた時はもう苦笑いしか出てこなかった。
4.ただし、先日行われた東方神起はファン層の質はかなりよかったと思う。警戒していたので逆にびっくりした。グループによっては民度の違いはあるのかも
ちなみに過去最高にファンの質が良かったのはサザンオールスターズだったかも知れない。もうイオンの客層と交じってどれがファンか見分けつかないレベルだった。
東大生は毎年10人くらい入社してくるんだが、東大生は優秀かっていうと優秀だなっておもうよそりゃ
だけど、脳筋ぞろいなんだよね
プロジェクトのナンバー2以下の立場だとすごいパフォーマンス発揮して優秀だなって思うんだよ
だけど、プロジェクトのトップになると、地の成功体験が顔をだすよね
東大って、余裕ではいる人と、糞努力して1日12時間くらいがり勉してた人に分けられるじゃん?
うちみたいなところは東大の上位層が来ないのもあってか12時間タイプが来るんだよw
とにかく成功は努力によって担保されてると思ってるタイプばかり来てうんざりするんだよね
もうね、高卒ヤンキーとそんな変わらないのよ。頭のいいヤンキーって感じ。
なんつーのかな慶応に糞努力して入ったらしいオリラジのあっちゃんみたいなタイプが多いのよw
慶応程度に努力して入るのもどうかと思うけど、成功体験がそれだから糞面倒なのは変わらんよね
そうするといつ読んだか忘れたけど、あっちゃんが結婚生活を理詰めでキリキリやるにはやるんだけど奥さんがうんざりするって記事あったよね
あれ読んで、同じタイプだなっておもった。
楽をするために努力する感じではないよね
官僚なんかが典型的なこのタイプの集まりなんじゃないかって思ってる
あいつら東大までいってなんであんなに頭悪いんだろうって思うんだけど
東大までいってヤンキーみたいな行動ロジックで処理していくからw
本当に優秀なら俺でも働ける会社に来ないんだろうけどさ
母は専業主婦だった。
自営業の父と、父方の祖父母。田舎ではあまり裕福では無いが、ごく普通の家だった。
私は一人っ子で、甘えん坊の私は幼い頃から専業主婦の母にべったりだった。
母はいつもおやつを手作りしては、学校から帰った私に食べさせてくれたし、食事も品数が多く、テーブルいっぱいに乗っていた。
父はというと昭和的思考の典型的な父親で、仕事から帰れば王様のように食卓に付き、用意されたビールを飲み、母は常に甲斐甲斐しく世話をしていた。
祖父母は子供があまり好きではなかったのか、子供の頃何かしてもらったとか、良い思い出が無い。いつもテレビを見ては文句を言っている姿しか記憶がない。
我が家では外食嫌いの父と祖父母のせいで、母はいつも家族全員の食事を作っていた。
私が生まれて初めて焼肉店で焼肉を食べたのは、19の時だ。それくらい外食したことがなかった。
だから母はたまに私を連れ出して、クルマで40分の自分の実家に連れて行った。母は免許を持っていなかったので、倍以上の時間をかけて、バスを乗り継いで。
母方の祖母は一人で定食屋を営んでいたので祖母のアジの開き定食を食べるのを楽しみにしていた。
学校の友達がレストランに行った話余りにも羨ましそうに話していたのもあり、あまり外食できなかった私へ、少なからず罪悪感があったのかもしれない。
母は、近所の田舎特有のしきたりや、慣習にあまり良い顔をしていなかった。七五三には家に近所の人を沢山呼び、祝い酒を振舞うなどのアレだ。だから私の七五三は誰も呼ばず、家族だけで寿司を食べた。
古い考えや慣習に囚われていた田舎の中から見たら少し異質に見えたのかもしれない。
そんな母の考え方は私も好きだったし、私も受け継いでいると思う。他所は他所、家は家。というスタンスだ。
だけど、高校の進路相談の時、私は先生に進学はしないときっぱり告げた。
母は驚いていた。ずっと母がやんわりと敷いたレールを歩んできたと言う自覚は、少しずつだがあった。このまま母と同じような人生を歩むのではないかと言う恐怖があった。
母の事は好きだが、母のように家の為に全てを尽くし、行けもしない旅行雑誌を眺め、溜息をつく生活など耐えられない。そう思った。
今思えば、母が自分の趣味らしい趣味をしていた所を見た事がない。おやつの時に作っていたお菓子作りは、趣味だったのだろうかもわからない。
高校在学中に公務員試験を片っ端から受験し、奇跡的にひとつだけ滑り込む事が出来た。家族は喜んでいたが、母は複雑そうな表情だった。我が家はさほど裕福では無かったので、家計を助ける為にも私は早くから働きたかったのだが、母は私を大学に行かせたかったようだった。
仕事は楽しかった。頑張れば認められるし、給料も出る。何より給料が入り、今まで出来なかった事が出来る事や物が買えるのが嬉しかった。
話していて、ハッと気づいた。
母の世界は、こんなに狭かったのか。と。
私は幾度も母に働きに出るように勧めてみたが、父やボケ始めた祖母を理由に首を縦に振る事はなかった。
帰りの車内で、母は不意に私を羨ましいと言った。
私は何も言えなかった。
母の事は大好きだし、感謝もしている。だが、私は母のようになれないし、なりたいとも思わない。
家に居ても暇だとぼやく母に、私は実家にある私が集め続けたマンガや、小説を読んでみたらどうかと言ってみた。
私は結構なオタクなので、昔から買い集めたゲームやマンガ、小説がたくさんある。
母は苦笑いをしながら読んでみる。と言った。感想を聞いた事は終ぞなかった。
あれから、十年近く経った。私は結婚し、子供にも恵まれたが、仕事は続けている。
もちろん、趣味のゲームや漫画、アニメも買う。酒も飲む。お互いの趣味に口は出さない。
母とは真逆の人生を歩んでいるとは思う。もちろん、家族の事は大好きであるが、自分の趣味も人生も楽しみたい。
両親は、今や孫に会うのが趣味かのように毎週家に来る。