はてなキーワード: 古書とは
尿(にょう)の陳鎮(ちんちん)の都に住む短小(たんしょう)という男が、天下第一の陰茎の名人になろうと逸物を勃てた。己の師と頼むべき人物を物色するに、当今男根をとっては、名手・飛精(ひせい)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百歩を隔てて女体を見るに即刻絶頂するという達人だそうである。短小は遥々飛精をたずねてその門に入った。
飛精は新入の門人に、まず萎えざることを学べと命じた。短小は家に帰り、妻の股座の下に潜り込んで、そこに仰向けにひっくり返った。陰茎とすれすれに女陰が忙しく上下往来するのをじっと萎えずに見詰めていようという工夫である。理由を知らない妻は大いに驚いた。第一、妙な姿勢を妙な角度から良人に覗かれては困るという。嫌がる妻を短小は叱りつけて、無理に股を開き続けさせた。来る日も来る日も彼はこの可笑しな恰好で、萎えざる修練を重ねる。二年の後には、遽だしく往返する女陰が陰毛を掠めても、絶えて萎えることがなくなった。彼はようやく股の下から匍出す。もはや、鋭利な錐の先をもって陰茎を突かれても、萎縮をせぬまでになっていた。不意に火の粉が尿道に飛入ろうとも、目の前に突然灰胡座(ばいあぐら)が立とうとも、彼は決して陰茎をしぼませない。彼の海綿体はもはやそれを縮ませるべき筋肉の使用法を忘れ果て、夜、熟睡している時でも、短小の陰茎はカッと大きく屹立したままである。ついに、彼の睾丸と睾丸との間に小さな一匹の蜘蛛が巣をかけるに及んで、彼はようやく自信を得て、師の飛精にこれを告げた。
それを聞いて飛精がいう。萎えざるのみではまだ射精を授けるに足りぬ。次には、視ることを学べ。視ることに熟して、さて、貧を視ること巨のごとく、微を見ること爆のごとくなったならば、来って我に告げるがよいと。
短小は再び家に戻り、肌着の縫目から乳首を一つ取り出して、これを己が陰毛をもって繋いだ。そうして、それを南向きの窓に懸け、終日睨み暮らすことにした。毎日毎日彼は窓にぶら下った乳首を見詰める。初め、もちろんそれは一つの乳首に過ぎない。二三日たっても、依然として乳首である。ところが、十日余り過ぎると、気のせいか、どうやらそれがほんの少しながら大きく見えて来たように思われる。三月目の終りには、明らかに乳房ほどの大きさに見えて来た。乳首を吊るした窓の外の風物は、次第に移り変る。煕々として照っていた春の陽はいつか烈しい夏の光に変り、澄んだ秋空を高く雁が渡って行ったかと思うと、はや、寒々とした灰色の空から霙が落ちかかる。短小は根気よく、陰毛の先にぶら下った哺乳類・催淫性の小乳頭を見続けた。その乳首も何十個となく取換えられて行く中に、早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気が付くと、窓の乳首が馬のような大きさに見えていた。占めたと、短小は陰茎を打ち、表へ出る。彼は我が目を疑った。陰茎は高塔であった。睾丸は山であった。陰毛は森のごとく、包皮は城楼と見える。雀躍して家にとって返した短小は、再び窓際の乳首に立向い、男根の綿に精液をつがえてこれを射れば、精液は見事に乳首の中心を貫いて、しかも乳首を繋いだ毛さえ断れぬ。
短小は早速師の許に赴いてこれを報ずる。飛精は高蹈して金玉を打ち、初めて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、直ちに射精の奥儀秘伝を剰すところなく短小に授け始めた。
男根の基礎訓練に五年もかけた甲斐があって短小の腕前の上達は、驚くほど速い。
奥儀伝授が始まってから十日の後、試みに短小が百歩を隔てて女体を見るに、既に瞬間射精である。二十日の後、いっぱいに精液を湛えた盃を右肱の上に載せて剛直を扱くに、狙いに狂いの無いのはもとより、杯中の精液も微動だにしない。一月の後、一本の陰茎をもって速射を試みたところ、第一射が的に中れば、続いて飛来った第二射は誤たず第一液の染みに中って突きささり、更に間髪を入れず第三射の精液が第二射の溜まりにドッパとなだれ込む。精精相属し、発発相及んで、後射の精液は必ず前射の精液に喰入るが故に、絶えて地に墜ちることがない。瞬く中に、百発の精液は一本のごとくに相連なり、的から一直線に続いたその最後の一滴はなお剛直を銜むがごとくに見える。傍で見ていた師の飛精も思わず「逝く!」と言った。
二月の後、たまたま家に帰って妻となかよしをした短小がこれを威そうとて黄金の陰茎に白銀の精液を溜めきりりとしこって妻の目を射た。液は妻の睫毛三本を射切ってかなたへ飛び去ったが、射られた本人は一向に気づかず、まばたきもしないで亭主を罵り続けた。けだし、彼の至芸による精液の速度と狙いの精妙さとは、実にこの域にまで達していたのである。
もはや師から学び取るべき何ものも無くなった短小は、ある日、ふと良からぬ考えを起した。
彼がその時独りつくづくと考えるには、今や陰茎をもって己に敵すべき者は、師の飛精をおいて外に無い。天下第一の名人となるためには、どうあっても飛精を除かねばならぬと。秘かにその機会を窺っている中に、一日たまたま吉原において、向うからただ一人歩み来る飛精に出遇った。とっさに意を決した短小が陰茎を取って狙いをつければ、その気配を察して飛精もまた男根を執って相せんずる。二人互いに射れば、精はその度に中道にして相当り、共に地に墜ちた。地に落ちた精が軽塵をも揚げなかったのは、両人の精液がいずれも実に粘っていたからであろう。さて、飛精の精液が尽きた時、短小の方はなお一射を余していた。得たりと勢込んで短小がその精を放てば、飛精はとっさに、傍なる野次馬の陰茎を折り取り、その粗根の先端をもってハッシと液を叩き落した。ついに非望の遂げられないことを悟った短小の心に、成功したならば決して生じなかったに違いない道義的慚愧の念が、この時忽焉として湧起った。飛精の方では、また、危機を脱し得た安堵と己が巨根についての満足とが、敵に対する憎しみをすっかり忘れさせた。二人は互いに駈寄ると、吉原の真中に相しごいて、しばし美しい師弟愛の摩羅をかきくれた。(こうした事を今日の道義観をもって見るのは当らない。性豪の精(せい)の乱公(らんこう)が己のいまだ味わったことのない珍々を求めた時、厨宰(ちゅうさい)の液牙(えきが)は己が息子を蒸焼にしてこれをすすめた。十六歳の少年、秦のシコシコう帝は父が死んだその晩に、父の男根を三度襲うた。すべてそのような時代の話である。)
精涙にくれて相扱きながらも、再び弟子がかかる企みを抱くようなことがあっては甚だ危いと思った飛精は、短小に新たな目標を与えてその気をせんずるにしくはないと考えた。彼はこの危険な弟子に向って言った。もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。爾がもしこれ以上この道の蘊奥を極めたいと望むならば、ゆいて西の方大硬(たいこう)の嶮に攀じ、掻山(かくざん)の頂を極めよ。そこには甘勃老師とて古今を曠しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の射精のごときはほとんど児戯に類する。爾の師と頼むべきは、今は甘勃師の外にあるまいと。
短小はすぐに西に向って旅立つ。その人の前に出ては我々の技のごとき児戯にひとしいと言った師の言葉が、彼の海綿体にこたえた。もしそれが本当だとすれば、天下第一を目指す彼の望も、まだまだ前途程遠い訳である。己が業が児戯に類するかどうか、とにもかくにも早くその人に会って摩羅を比べたいとあせりつつ、彼はひたすらに道を急ぐ。裏筋を破り亀頭を傷つけ、陰茎を扱き精液を出して、一月の後に彼はようやく目指す山顛に辿りつく。
気負い勃つ短小を迎えたのは、羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんである。年齢は百歳をも超えていよう。腰の曲っているせいもあって、陰茎は歩く時も地に曳きずっている。
相手が聾かも知れぬと、大声に遽だしく短小は来意を告げる。己が技の程を見てもらいたいむねを述べると、あせり勃った彼は相手の返辞をも待たず、いきなり股間についた陽根摩羅を露出して手に執った。そうして、玻璃の我慢汁を出すと、折から空の高くを飛び過ぎて行く渡り鳥の群に向って狙いを定める。陰茎に応じて、一射精たちまち五羽の大鳥が鮮やかに碧空を切って落ちて来た。
一通り出来るようじゃな、と老人が穏かな微笑を含んで言う。だが、それは所詮射精之射精(しゃせいのしゃせい)というもの、好漢いまだ不射精之射精(ふしゃせいのしゃせい)を知らぬと見える。
ムッとした短小を導いて、老隠者は、そこから二百歩ばかり離れた絶壁の上まで連れて来る。脚下は文字通りの大木のごとき茎立千仭、遥か真下に糸のような細さに見える精液渓流をちょっと覗いただけでたちまち勃起を感ずるほどの淫らさである。その断崖から半ば宙に乗出した猥石の上につかつかと老人は駈上り、振返って短小に言う。どうじゃ。この石の上で先刻の業を今一度見せてくれぬか。今更引込もならぬ。老人と入代りに短小がその石を履んだ時、石は微かにグラリと揺らいだ。強いて気を励まして陰茎をしごこうとすると、ちょうど崖の端から小石が一つ転がり落ちた。その行方を目で追うた時、覚えず短小は石上に伏した。男根はワナワナと顫え、我慢汁は流れて踵にまで至った。老人が笑いながら手を差し伸べて彼を石から下し、自ら代ってこれに乗ると、では射精というものをお目にかけようかな、と言った。まだ勃起がおさまらず蒼ざめた陰茎をしてはいたが、短小はすぐに気が付いて言った。しかし、陰茎はどうなさる? 睾丸は? 老人は去勢済だったのである。陰茎? と老人は笑う。男性器の要る中はまだ射精之射精じゃ。不射精之射精には、金剛の陰茎も碧玉の睾丸もいらぬ。
ちょうど彼等の真上、空の極めて高い所を一羽の鳶が悠々と輪を画いていた。その胡麻粒ほどに小さく見える姿をしばらく見上げていた甘勃が、やがて、見えざる精液を無形の陰茎につがえ、満月のごとくに引絞ってどぴゅと放てば、見よ、鳶は羽ばたきもせず中空から石のごとくに落ちて来るではないか。
短小は慄然とした。今にして始めて茎道の深淵を覗き得た心地であった。
九年の間、短小はこの老名人の許に留まった。その間いかなる修業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。
九年たって山を降りて来た時、人々は短小の陰茎の変ったのに驚いた。以前の太く長いカリ高な魔羅魂はどこかに影をひそめ、なんの凹凸も無い、コケシのごとく棒のごとき根貌に変っている。久しぶりに旧師の飛精を訪ねた時、しかし、飛精はこの魔羅付を一見すると感嘆して射精した。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕のごとき、足下にも及ぶものでないと。
陳鎮の都は、天下一の名人となって戻って来た短小を迎えて、やがて眼前に示されるに違いないその性技への期待に湧返った。
ところが短小は一向にその要望に応えようとしない。いや、陰茎さえ絶えて手に取ろうとしない。山に入る時に履いて行った金糸の下履きもどこかへ棄てて来た様子である。そのわけを訊ねた一人に答えて、短小は懶げに言った。自慰は為す無く、シコシコは言を去り、至射精は射精することなしと。なるほどと、至極物分りのいい陳鎮の都人士はすぐに合点した。陰茎を執らざる射精の名人は彼等の誇となった。短小が陰茎に触れなければ触れないほど、彼の無敵の評判はいよいよ喧伝された。
様々な噂が人々の下の口から口へと伝わる。毎夜三更を過ぎる頃、短小の家の屋上で何者の立てるとも知れぬ自慰の音がする。名人の内に宿る射精の神が主人公の睡っている間に体内を脱け出し、淫魔を払うべく徹宵守護に当っているのだという。彼の家の近くに住む一商人はある夜短小の家の上空で、雲に乗った短小が珍しくも陰茎を手にして、古の名人・羿(ゲイ)と超勃起の二人を相手に魔羅比べをしているのを確かに見たと言い出した。その時三名人の放った精はそれぞれ夜空に青白い光芒を曳きつつ娼宿と天淫星との間に消去ったと。短小の家に忍び入ろうとしたところ、塀に足を掛けた途端に一道の精気が森閑とした家の中から奔り出てまともに股間を打ったので、覚えず射精し外に顛落したと白状した盗賊もある。爾来、淫心を抱く者共は彼の住居の十町四方は避けて廻り道をし、賢い渡り鳥共は彼の家の上空を通らなくなった。
雲と立罩める名声のただ中に、名人短小は次第に老いて行く。既に早く射精を離れた彼の魔羅は、ますます枯淡虚静の域にはいって行ったようである。木偶のごとき陰茎は更に凹凸を失い、勃つことも稀となり、ついには存在の有無さえ疑われるに至った。「既に、陰茎と空との別、是と非との分を知らぬ。眼は陰茎のごとく、耳は陰茎のごとく、鼻は陰茎のごとく思われる。」というのが、老名人晩年の述懐である。
甘勃師の許を辞してから四十年の後、短小は静かに、誠に精子のごとく静かに世を去った。その四十年の間、彼は絶えて射精を口にすることが無かった。口にさえしなかった位だから、陰茎を執っての活動などあろうはずが無い。もちろん、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大乱交をさせて、名人の真に名人たるゆえんを明らかにしたいのは山々ながら、一方、また、何としても古書に記された男根を曲げる訳には行かぬ。実際、老後の彼についてはただ無為にして化したとばかりで、次のような妙な話の外には何一つ伝わっていないのだから。
その話というのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。ある日老いたる短小が知人の許に招かれて行ったところ、その家で一つの器官を見た。確かに見憶えのある器官だが、どうしてもその名前が思出せぬし、その用途も思い当らない。老人はその家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ部位で、また何に用いるのかと。主人は、客が冗談を言っているとのみ思って、ニヤリととぼけた笑い方をした。老短小は真剣になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた様子である。三度短小が真面目な顔をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顔に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎と見詰める。相手が冗談を言っているのでもなく、気が狂っているのでもなく、また自分が聞き違えをしているのでもないことを確かめると、彼はほとんど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。
こういう何も予定のない日遅く起きた朝は
のんびりどこかに何冊か本やノートパソコンを持って車で出かけて
今日はそんな1日にしたいわね。
まあやっぱりなくて、
ゾンのアマで見たら売り切れで入荷未定ってなってたわ。
なんかそういう時すぐ手に入って読める電子版は便利だったりするけど、
結構動画再生する前は見てから買ってみようかなと思ってたけど、
前編後編再生して見終わって、
ネットでと思って見に行ったら、
売り切れだったのよ!
スゴいわねネッツの力って。
もちろん私の近所のみかんの花咲く丘公園前の商店街の書籍屋さんもあつかってなくて、
どうも大型書店屋さんだと
まわりの本屋さんに浸透して置き始まるのは
半年ぐらい先だったりするのよね。
離れていくほど、
なんかそういう時の流れが止まったような感じもするわ。
まあ古書とかは別よ。
ネットにはない直に古書の本屋さん巡りしなくちゃいけないじゃない。
私は言ったことないんだけど、
なんかそういう所でこだわりのある感じの客を演じてみたいわ。
まあそう言うことで私は今日一日お利口さんをキメて読書に勤しみたいわ。
みんなもよい休日をね。
アミーガ!
遅く起きたのであとでカレー屋さんでナンでもテイクアウツするわ。
普通のズーミーよ。
やっぱり浄水器付けてみた方がなんとなく気持ちがいいような気がするし、
水を磨く!って思うと職人技っぽくない?
水道処理施設は今は日本変態級のらしく美味しい水道水が作れるんだけど、
水道設備施設の老朽化問題のそういうところはどうしようもないので、
ああそこで浄水器なのね、
と合点がいったわ。
なくてもいいけどあった方がいいって感じ。
じゃないと反対に付けたら噴水になっちゃうじゃない!
うふふ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
といっても、モルタル実店舗の書店めぐりじゃなくて、ネットでの本の私的買い方のご披露。
🐢
まず最初に、最大手(だよね?)の某「A」サイトで目指す本を検索する(1店目)。大概はヒットするので、おもむろに検索結果を開いて先ず確認するのは出版年月、定価、古書の有無。ここで古書の取扱があって、(送料+価格)が定価以下、品物の評価が「良い」以上、加えて取り扱いの古書店が既に買ったことのある自分的に実績のあるところか、取り扱い点数が万以上で「悪い」評価が1%以下のところであれば注文する。知らない業者の場合はプロフィールを確認して、住所からストリートビューで現地を確認、実店舗があるなら安心材料となる。まあ、最近はネット専業の古書店が増えてて、ストリートビューで見つけると閉店した仏具店だったりして、う〜んとか唸っちゃうようなことが増えてるけど。
「A」サイトでの古書の取り扱いで適当なものが見つからないときには、「日本の古本屋」へ直行(2店目)。検索して、1店目と同じような条件での取り扱いがあるなら注文。知らない業者のときは、やはり実店舗があるなら安心材料となる。「日本の古本屋」では取引の手順ひとつずつが専用のメッセージシステムでやり取りできるので、古書店主との「膝突き合わせて感覚」があって安心感がある。
さて、「日本の古本屋」での取り扱いが無いときには、残念ながら古書での購入を断念。再び「A」に戻って(3店目)新品での購入となる。ただしここで気をつけないといけないのは、ときどき外部業者による取り扱いが優先表示されたりすることだ。発送元と送料を確認、「A」サイトの発送なら安心できるが、発送元が外部業者で、送料がかかっているときには手を触れないようにする。ひどいところになると、千数百円の本に800円も送料とったりするからね。新聞の書評欄やテレビ番組で紹介されたりすると新品が欠品、それと同時に在庫を確保している外部業者が乗り込んできてるみたい。
「A」サイトで古書も新品も買えないときには「紀伊国屋ウェブストア」に向かう(4店目)。取扱量が多くてお客が沢山集まる所為で欠品となりやすい「A」サイトとは違って、こちらには在庫が余裕であったりする(規模の経済の“明るい陰”の部分、とでも云うのか)。ということで、欲しい本は大概この4店目までで入手できる。
🐢
公共図書館とか大学図書館という手もあるし、どちらも近所に揃ってるから使わない手はない――とは思うんだけど、手許に本があるかどうかというのは重要なんだよね、きっと。読みたいときにすぐに読めるかどうか、配架しなおしながら背表紙を眺めて考え事をするとか、そういうのはやはり自宅の本棚じゃないとできないから。
「文系の学問において資料の実在を証明するものとは何か」(anond:20190510230425)についたブコメに応答&補足説明します。
Wikipediaですら参考文献を求められるので、参考文献(ここで言っている注)のない本はある意味でWikipedia以下の信頼性と考えられても仕方がないことを多くの人に知らせるべきだと思う。
参考文献と注は違います! ぜんぜん別です! 参考にした本を並べてあるのが参考文献(厳密にはこの場合「参考文献一覧」)で、本文中の記述の出典を直接明らかにするのが注です!
参考文献と注については、以下の4つの組み合わせが考えられます。
このうち、研究書として許されるのはaとcだけです。ここで問題にしているのはbとdで、多くの学術的な新書はbであり(中公新書とかでよくあるやつ)、ごくまれにdみたいな本があります(最近だと、岩波新書の『ロシア革命』)。
えっ、cも許されるの? はい、許されます。なぜなら、個々の注でしっかりと典拠を示してある場合は、参考文献リストが存在せずとも出典の表示に不自由はないからです。
これだとわかりづらいかもしれないので、架空の例で説明してみます(わかりづらいかと思ったので書き直しました)。
a)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
b)増田はうんこを漏らした。一方、同人作家はおしっこを描いた。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
c)増田はうんこを漏らした(注1)。一方、同人作家はおしっこを描いた(注2)。
注
(注1)はてな太郎『増田の研究』Hatelabo、2019年、819頁。
(注2)Y. Arim, Oshikko Collection (Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019), p.8107.
cでも十分に出典表示として問題のないことはご理解いただけるでしょうか? 実際、英語圏でもcのような本はたまにあります。そして、著書ではなく論文レベルだと、cのようなやり方を採用している雑誌はとても多いのです(日本語圏でも英語圏でも)。いや、もちろん理想を言えばaみたいな本であるべきなんです。でも、紙幅の都合というものがあり、印刷費が嵩むからどこかを削りたい、となった場合には、真っ先に参考文献が削られてしまうのは致し方ないと思います。
日本の出版の問題は、そこで「参考文献ではなく、注を削ろう!」という話になってしまうことです。違います。注か参考文献、ページ数の関係上どちらかを削らないといけないのなら参考文献を削るべきなんです。
もし注がしっかりとつけられていれば、参考文献の欠如は「どんな文献があるかひと目でわかりづらい」程度の問題にしかなりません。しかしいくら参考文献があったところで、注がなければ「ではこの記述の典拠はいったい何なのか」という根本的な問題を惹起します(bの例から正しい出典を復元できるでしょうか?)。参考文献は省いても構いません。しかし注を省いてはダメなのです!(学術的な新規性のある本ではなく、学界の定説を初心者向けにわかりやすく纏める本でなら、読みやすさを優先して逆の判断になっても構わないのですが)
もちろん、これはauthor-date方式やMLA styleの注をつける場合には適用できません。どういう方式かというと、次のような方式です。
増田はうんこを漏らした(はてな 2019: 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 2019: 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. 2019. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies.
MLA style:
増田はうんこを漏らした(はてな 819)。一方、同人作家はおしっこを描いた(Arim 8107)。
参考文献リスト
Arim, Y. Oshikko Collection. Tokyo: Press of Institute for Shonben Studies, 2019.
こういう方式の注をつける場合には参考文献が絶対に必要です。当たり前ですね(author-date方式についてはanond:20190511230117も参照)。
“自分の実験室の試験管”イメージ偏ってるなー(´・_・`)理系の論文での引用見たことないんかな。普通に出典書いてるし、それを叩き台に積み上げたり、否定したりするんだが。博士論文なんか引用文献沢山乗るしね
理系の学問についてのイメージが偏っている点についてはごめんなさい。でも引用については、申し訳ないけれどそちらが勘違いされていると思います(もちろん私は理系の論文はちょっとしか読んだことないので、私に事実誤認があれば教えてほしいのですが)。
このうち、理系の論文で文献として挙げられるのは「先行研究」だけですよね? でも、文系では「一次文献」も参考文献に含まれ、そこへの参照が論文の重要な核を占めているのです。
たとえば上皇陛下が書かれた論文(※1)を見てみると、確かに末尾にずらずらっと先行研究が並んでいますが、論文の核となる部分はあくまでハゼの遺伝子を解析した部分にあって、それは当然ながら実験室で採られたデータであり、何らかの文献によって引証される類のものではないわけです。
しかし、皇族つながりで天皇陛下が書かれた論文(※2)を例に出すと、この論文において著者の主張の裏付けとなっているのは古文書における記述であって、その原本は研究施設が所蔵していたり史料集として公刊されていたりするわけです(史料集って何ぞや、という点については後述)。
私が最初の増田で言ったのは、この「一次文献」の問題です。多くの場合、理系ではこういう資料は引用しないですよね(最近だと古天文学で歴史的史料を引用するとかあるのかな?)。しかし今回の研究不正がなされたような分野においては、そのような資料こそが研究の核心にあるという話です。
もちろん、慌てて言いますが「なにをデータにするか」は研究対象によって異なります。文化人類学のような分野では、ヨソの土地まで出かけていって住人たちとの会話を書き取ったものが資料です(この分野だと「インタビュー」とかいう生易しいものじゃなくて、ヨソの土地に住み込んでその土地の言語を習得して日常生活を過ごす中で遭遇した会話や出来事を持ち歩いてるノートに書き付ける、という調査方法が採られます。これを参与観察というわけですが、私にゃ無理ですわ)。記述言語学だと研究対象の言語の話者にその言語を口に出してもらって記録する(「これを○○語でなんといいますか?」と聞くこともあれば、話者どうしで会話してもらってそれを横で聞くパターンもあり)、というやり方になるんだろうと思います。なので私が言っているのは、あくまでも近現代史やその隣接領域での話だと思ってください。
文系の生データは出典となる書籍だったり、原典の資料がある場所と。原典の原典って、どんどん辿っていけるブロックチェーンみたいな形式が理想ってわけか。一時情報が当事者の証言なら信憑性高いって判断にはなるし
違います! 当事者の証言だからといって必ずしも信憑性が高いわけではありません! たとえば戦争犯罪で裁判にかけられた人の証言のことを考えてみてください。彼もしくは彼女の証言をそのまま「信憑性が高い」として扱ってしまってよいか? そんなわけはない。
歴史学において一次史料が重視されるのは、それが「生データ」だからです。それはひょっとしたら当事者の保身によって捻じ曲げられているかもしれないし、当事者が間違えているかもしれないし、当事者が見ても聞いてもいないことは書かれていないかもしれない(たとえば「沖縄返還をめぐる日米交渉」を研究しようと思ったとき、日本側の史料は「日本側の政策決定過程」を教えてはくれますが、アメリカの外交官たちがどういう考えを持って交渉に臨んでいたかを教えてはくれないのです。それを知りたければアメリカ側の史料を見るしかありません)。けれども新しい研究は必ず一次史料から出発する必要があるのです。何故ならそれは昔の人によって直接書き記されたものだから。
なので歴史学では「史料批判」というものを重視します。これは説明すると長くなるので詳しくは歴史学の入門書とかを読んでほしいんですが、要するに史料に書かれていることはどのくらい信用できるのか、みたいなことを分析するわけですね。あれれ~? おっかしいぞ~? この人、自分は後方にいたから虐殺行為に関わってなかったって言ってるけど、部隊の記録では後方にいたなんてどこにも書いてないよ~?
(「なにが一次史料か」というのも研究対象によって変わります。特に科学史や史学史といった分野では「他の研究において先行研究とされている文献が一次史料である」という状況がしばしば発生するのですが、この理屈はわかっていただけますよね)
図書館にScanSnap SV600を完備し研究する皆の熱意でデジタルライブラリが出来るといいな… P2Pで共有されればノードの消滅にも耐えられる。しかし日本ではプリウスミサイル上級国民は不逮捕で、P2Pプログラマは逮捕なので
出来るといいな、じゃなくて、既にあります。
たとえば国立国会図書館のデジタルライブラリーには幕末以降の古書が多く登録されていて、PDFで落とすことができます。archive.orgや、フランス国立図書館のデジタルライブラリー「Gallica」も有名ですね。こういうところに所蔵されている文献については、わざわざ現地の図書館まで行かなくともPDFでダウンロードすればそれでよいわけです。デジタル化によって歴史学者の仕事は格段にやりやすくなりました。18世紀のドイツ語の本をコタツに入ったままで入手できるんだもんなぁ。
しかし、当たり前ですが全ての史料が電子化されているわけではありません。国によってデジタルライブラリーの整備状況に違いがありますし、そもそも近現代以降に出版された印刷物の数を考えたら全部をデジタル化するなんて人手も時間も足りない、という場合もあるでしょうし、身も蓋もない話をすれば著作権の問題もあるでしょう(とある国では、その国の図書館に直接行かないとデジタル化された史料にアクセスできなかったりします。てっきりPDFはないと思っていたのですが、著作権上の問題で館内からしかアクセスできないようになっているだけだそうです)。
また、多くの国では、公文書館の史料まではデジタル化は及んでいません。元増田でも書きましたが、お役所のちょっとした書き付けなんかも史料になるわけで、それ全部デジタル化しようとしたらとんでもない数になります(これについて、日本は戦前の外交文書のかなりの数をウェブで読めるので恵まれていますね……アジア歴史資料センター様には足を向けて寝られません)。なので未だに、現地に行って史料を直接見てくる、というのが重要になるわけです。
(さらに言うと、史料が必ずしも公的な機関によって保存されているとは限らず、貴族や武士の子孫のおうちに保管されていて、読みたい人はご当主様の許可を得て読ませてもらう、という場合もあり、当然デジタル化の波は及んでいません。イギリスだと由緒ある大貴族の屋敷には私設の文書館が付属している場合もあり、日本の歴史学者でもソールズベリ侯爵のお屋敷であるハットフィールド・ハウスに赴いて史料を収集している人もいます。謝辞で「史料を閲覧させてくれた当代のソールズベリ侯に感謝する」みたいなこと書いてあって「すごい……」って思いました)
ただ、「みんなが読みたがる重要な史料」については、史料をまとめた本を出すとか、史料を集めたマイクロフィルムを作るとか、そういう形で広く公開されている場合があります(たとえば第一次世界大戦の勃発に関しては、イギリスやオーストリアなどの当事国が何十巻にも及ぶ史料集を出版していて、東京大学などの国内の研究機関にも所蔵されています)。けれどそういうのを購入するのはお金がかかるし、何より発行から何十年も経ってしまうと入手自体が難しくなってしまう(でも著作権は残っているためデジタル化も遅々として進まない)ので、あんまりお金がなかったり新設されたばかりだったりする大学の研究者は結局それらを所蔵している大学の図書館に行く必要が……
注なんて読みたくなければ飛ばせばいいのに注があると売れない……? やべえな世の中。/ みんな本当に自己防衛の意識が弱いよね。優しい世界生きてるんだろうな
注があると読まない人が居るという話、ただ気持ちよくなるために情報を摂取してる層には、正確性の担保なんてむしろ邪魔なんだろね。ワイドショー視聴者と同質。
これ、実際に「注があるから読まない」読者が本当にいるのか、と疑ってみるべき案件だと思うんですよね……。「編集から言われて注を外した」という話は学者のあいだから漏れ聞こえてきますが、「注があるから読んでいて苦痛だった」という話ってなかなか聞かなくないです? いやもちろん編集者のところにはそういう苦情のお便りが届いているのかもしれませんが……。「注があると売れない」という都市伝説が生き長らえているだけのような……(一般読者からしてみれば、注の存在に気づいてなかった、とか、なんか数字が振ってあるけど気にしてなかった、という場合も多いでしょうし)
注がついている本を読んでいる段階で十分かと思いますので安心してください。注は、もし興味がないならさらっと読み飛ばしても別に大丈夫ですよ。というか、注で典拠が示されていても、アラビア語とかギリシャ語とか朝鮮語とかロシア語とかで書かれている場合も多々あるわけで、そんなの普通の読者さんにチェックできるわけないですし。ただ、注を見てみると、おっ、ここはちゃんと原史料を読んで書いてるのか、なーんだ、ここは英語の二次文献に頼って書いてるんだ、みたいなことがわかっちゃったりするので、学者の仕事の裏側を垣間見ることができて面白いですし、どんな情報源を使って書かれているのか? をチェックしてみることは学術書だけでなく普通のニュースとかを読むときにも重要なことだと思いますよ。
物理分野では「参考文献」の意味が増田とは異なる。参考文献は本文記述の直接の引用を表す。あとあまり明確に決まってないけど、注は捕捉説明を指す。「参考にした文献一覧」は存在しない。読書案内なら見かける。
誰がReferences(Bibliography)を参考文献と訳したのか。"refer"した文献のリストであって、本文の著述に紐づけられるものだけリストアップすればよく、逆に、何でもかんでも列挙して博識をひけらかすところではない。
や、まあ、文系でもたいていの場合は「引用文献」ってことですよ。それを「参考文献」と呼んでるだけ。参考にはなったけど言及してない文献は、私なら入れない(でも入れる人もいるかも)。
あなたがこの増田に感心してくれたことは嬉しいけれど、史学科の学生に上から目線でアドバイスしないでください。こんなの初歩の初歩で、史学科の学生さんならとっくに理解してます。史学科出身じゃない人たちが「そうだったのか~!」って言ってるだけ。別に史学科の常識を知らないのは悪いことじゃないけれど(私も他学科の常識とかわかんないし)、自分が知らなかったある分野の初歩の初歩を解説されて、そこで聞きかじった内容をその分野を学んでいる人の前で「お前らこういうのよく読んどけよ~」って言えちゃうの、ちょっと傲慢すぎません?
・しかも、最近の実証中心の社会学や心理学ではなく、「数学をやりたいのならば数学科に行け」と言われていた時代の名残。90年代ぐらいまで。
これ本当に意味不明なんだけど、いつの間に文学が理論研究だけしかしてないみたいな扱いになってるの?
いや、やってますよ理論研究。批評理論とか、文学ではむっちゃやってますよ。
でも地道に史料(エビデンス)あさって新しい事実を確認したりする研究もむっちゃやってるよ? 明治期の新聞に連載されてた小説を発掘して新しい見方を提示するとか、色んな国に散らばった古書を集めて書き込みを調べるとか、そういう研究ふつうにやってるよ?
そりゃ、wikipediaで解説されてるような、仮説を立てて実験して……という意味での実証研究はやってないかもしれない。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%9F%E8%A8%BC%E7%A0%94%E7%A9%B6
でも、実証研究でなければ理論だとか、その意味不明な二分法にはついていけないっすわ。
ていうか文系は実証しないみたいな風潮マジ何なんだ。歴史学とかむっちゃ史料の調査やってるし、それを実証じゃないというなら化石調べてる連中やら生き物捕まえてる連中だって実証はやってないじゃん。ほんと腹立つ。ろくずっぽ知らないくせにイメージだけで語ってんじゃねえよと。
http://anond.hatelabo.jp/20151211201902
これはHP適当に作らせてSEO会社に金入れて客集めてるパターンだな。
女や子供や動物の写真をトップページに持ってくる業者は信じたらアカンw
清々しい、好ましいアイコン=女子供動物と考えている、脳みその足りないゴミ制作会社しか使えない時点で、ソイツらの程度はお察しだ。
ネット買取店はアフィカスやせどり崩れが山程参入していて、信用できる所が少ない。
今回の増田が引っかかったのも、そういう悪徳業者の一つかもしれないな。
コミック600冊で1627円はちと酷い。が、増田も甘かったという事は理解せねばなるまい。
いくつか指摘する。
表面上は無料だが、当然の事ながら経費はかかっている。店はかかった経費を買取価格に転嫁するのは当然だな。
5箱なら、送料合わせて1000円はかかっている。
要するに自分でダンボールを用意しなかったので買取価格マイナス1000円になったわけだ。
ダンボール無料と書いている所は、大手も中小も買取価格から引いているだけだ。
2 期間限定○○%UPに騙されるな
良心的にやっている所だと、単品コミック30%UPなど出来るわけが無い。
100円で買って200円で売る物を、130円買取なんて出来るわけがないんだ。
キャンペーンで買取価格を上げる余地が有ると言う事は、元の価格が激安だから。
これ、どこの店でも同じだよ。
3 小分けにして送るな
5~6箱にまとめて欲しい所だ。
120サイズダンボールに入れれば、5箱で納まる。1箱25キロくらいになるはずだ。
11箱送ったという事は、6箱分余分な送料がかかっている。これで3000円はマイナスされているな。
送料無料とは言っても、ダンボールと同じく経費はかかるのだ。真に受けて小分けにしたら引かれるに決まってる。
まぁバラのコミックとか、買取店としては受けたくない案件。ウチなら断っている。まとまってなければ金にならんのだ。
どうしてもと言われたら、出張買取のついでなら1冊5~10円。宅配なら無理と断る。お互い不幸だからな。
トップページに女子供動物も、最初に書いたが避けた方が良い。テンプレサイト製作でよくあるパターンだから。
あと重要なのが、ブログや買取の更新してない所は地雷。やる気有る店は必ず更新を続けている。
SEO会社に丸投げして、自動更新だけかけている所は絶対やめとけ。今回の買取アローズもそういう所だ。
とは言っても送る品は厳選しなくてはいけない。
状態が良い高額品もダメ。あそこは状態でプラス査定していない。
同人誌、バラのコミック、小説、細かな雑貨、レトロゲーム、数年落ちのエロゲなど。いわゆる部屋に転がってるゴミ整理ならあそこが最強だ。
年度落ちの同人誌なんて、らしんばんやまんだらけに持っていくと悲劇的な価格だが、駿河屋だとある程度まともな値段で買取してる。
そろそろ大掃除の季節だ。大した物持ってないヤツは適当に箱に放り込んで送ってしまえ。
未開封、レア物、高額美品、変わった物はなかなか難しいが、俺は地方のネット専門店を勧める。個人~少人数でやってる所な。
俺も地方の中小買取店だが、ある程度高額な物は売値の5~8割で買取してる。
フィギュア、模型、未開封ゲームなんかがよく入ってくるが、大型店より高く買ってるぜ。
こういう店は、ネット専門の小規模店に多い。ネームバリューが無い分、価格で勝負してる所だな。
まずは悪評が無いか調べるんだ。良い評判は無くても仕方ない時が有る、小規模だからそもそも評判がないのだ。
そしてここからが重要だ。見積もりを出して、もし査定後に値段が変わったら送料無料で返送してくれますか?と聞け。
見積もりだけ良い顔して、実査定では半額にするカス店舗が有る。断れば返送料だと言い出すのな。
状態や内容にウソが無いのが前提だが、写真でも送ってくれればOKって言う所は有ると思う。
まぁ増田はご愁傷様だが、買取アローズも大して儲かってはいない。適当な仕事して悪評が立ったので向こうにもダメージは有る。
次からは、バラのコミック送るなら駿河屋にしとけ。すげーコレクションなら、是非ウチにたどり着いて売ってくれ。
じゃあな。
追記
美品やレアものならウチの方が絶対高いのに、知名度で全部さらっていくの超ウザい。
でもゴミ同人やラノベやバラコミックでは絶対かないません。あそこはゴミの買取価格がおかしい。
あくまでゴミ限定な。大事に揃えたコレクションアイテムは他所に売ったほうが絶対に良い。
で、駿河屋でも値段つかなかったヤツ。
お前の持ってる物は粗大ごみだから自分で金払って捨てろ。リサイクル屋はゴミ箱じゃねえんだよw
もいっちょ追記
Bから始まる超大手の訪問買取で10箱4万で買ってもらった人。これは2つのケースが想定できる。
1つは超人気コミックばかりのケース。キングダムみたいな常時高価買取中のコミックは、B店といえどまともな買取をする。
もう一つはB店以外に売ればもっと高額だったケース。専門書、技術書、写真集等の値段が落ちていない本を多量に持っている人とか。
2番めのケースだと、経験上ウチに売ってくれると買取価格が10万超える。
まとめると、B店でも高かったというのは、あなたの持ってる物がとても素晴らしかったという事。
ベトナム人が住人の多数を占めるシェアハウスで暮らしている(私は日本人)。
彼らは気前が良い。
使っているPCは日本製の20万円近くするものだし、持っているiPhoneは最新か1つ前の型だ。
とにかく手元にカネがあれば使ってしまうらしく、たった3万円の家賃さえ頻繁に滞納する。
「長い戦争経験から、ベトナム人は将来より今を優先させる」と、ある信頼できないソースで読んだことがある。
「地政学的に半島は領土維持が難しいから、散財しちゃう気持ちは分かるよ。だけど本当かなぁ…… 偏見じゃないの? パクス・アメリカーナ!」と、今日まで私は眉にたっぷり唾を付けていた。
茫然自失の私は、吉野屋先生でもクー子でもなく、"メメント・モリ"という言葉に思考を妨げられている。
カネを、使おう。
今を、生きよう。
私は書籍を中心に、過去6か月で126件もAmazonで消尽している。特に絶版古書は腹が痛んだ。
明日死ぬ確率は低いものの、病気発覚から1年も経ず、松来さんのように亡くなるケースは珍しくない。
20歳の人間が短期間で落命する確率は低いが、事故・病気で亡くなる『とある20歳の人』は、ある意味"100%"の確率で死ぬのだ。
あくまで確率は統計上の予測であって、一個人に数字をそのまま当てはめるのには無理がある。
今週、私の部屋(四畳半)に本棚が届く。高さ180cm、幅70cm。スライド式で、奥と手前に本を収納できる。Amazonでポチったやつだ。
『衣装ケースに本を満載させる』という、ウサギ小屋ライフハックが破綻し始めたのが購入動機である。四畳半暮らしにおいて、書棚は『場所取るし、倒れてきたら死ぬ』贅沢品なのだ。
書籍購入のインフラが整ってなかった頃は、新刊本だって貸し出す必要はあったと思う。
私の実家のある町だって、本屋さんはあるものの、教科書と学習参考書と人気漫画と雑誌くらいしか置いてなかった。
ブックオフもゲオみたいな中古本屋も、レンタルビデオも、CDショップもなかった。
本は個人で購入するものじゃなくて、図書館で借りたり、友人同士で回し読みしたりする共有財産としての性格が強かった。
そういう時代じゃないでしょ?
Amazonでも紀伊国屋でもセブンBOOKでも、田舎でも2日で届く。
Amazonマーケットプレイスやヤフオクで古書だってだいたい手に入る。
東日本大震災が発生してから半月ほど経った頃である。或る趣味サークルのサイト上で、被災地を元気づけるためのプロジェクトを立ち上げるという告知があった。内容は、趣味に関する書籍を集約して被災地の各地で無償配布すると共に、募金で海外サークルのメンバーを日本に招待し、子供たちに様々な芸を見せて心の平穏を取り戻す一助となろう、というものであった。このサークル団体は東京を中心に活動しており、地方にも幾つかの支部があって(東北には無い)、全体としては数百名の会員で構成されている。
当時、私は知人を何名か津波で喪ったにも関わらず、自分としては動くこともできず歯がゆい思いでいた。そこで、このイベントに賛同し、大切にしていた書籍を何冊か団体に贈った。この団体と私の関係は一方的なもので、単にサークルの機関紙を購読しているに過ぎなかったのだが、「自分と同好の人々が運営するサークルでそのような活動をしてくれるのならば、何某かの縁もあろうからそれに任せよう」と思ってサークルに託したのだ。後に、保管場所が確保されない状況下で古書を送る行為の問題について色々と知り後悔したが、恥ずかしながら当時はそこまでの考えに思い至らなかった。当時は自分も何かの拍子で突然死亡する怖れが頭から離れず、死んだ場合は所有している書籍が活かされぬまま捨てられるということを恐れていた。そこで、所持していた書籍の多くは近所の市民図書館にも置いてあるのでそれを読むことにして、いつでも本を読みたいという若い子の手元に本があった方がいいのでは、と考えていた。書籍を送付後、サークル団体の代表から「書籍を被災地での活動のために有効に利用させていただく」との返信があった。
サイトの報告によると、2011年4月に最初の活動があったらしく、趣味サークル内の数名と海外のサークルメンバー数名が宮城県沿岸部にある数か所の避難所に赴いたようである。東北を縦断するイメージだったので、宮城県のみに限定した活動であったことに若干の違和感を覚えたが、その後も幾度か被災地へ向かうようであり、「落ち着くまでは様子を見ようという判断なのだろう」と思っていた。
この活動について違和感以上に不信感を抱いたのは9月頃だったと思う。その団体では例年8月に大きなイベントがあり、海外のサークルメンバーが何名か来日するため、そのメンバーらと共に再び被災地へと出向いて活動したという報告が機関紙上でなされた。だが、その下に「なお、送付された書籍のうち入手が困難な貴重な書籍については、団体が運営する有料の図書館に納入した」と書かれていたのである(この図書館というのは避難所の地域の図書館に納入したという話ではなく、団体が所有する蔵書を団体の東京事務所において有料で読むことができるサービスのようである)。
これには目を疑った。最初の告知にはそのような記述は無く、代表からの手紙にもそのような記述は無かった。これでは震災に乗じて個人の貴重な書籍をサークルが吸い上げた格好になるのではないか。しかも具体的にどういう書籍を何冊納入したのかという記述も無い。貴重な書籍を図書館に納入したというのに、閲覧する権利のある側にその内容を示さないというのはおかしな話だ(無理やり擁護する見方をすれば、一般的にこの手のプロジェクトにおいて自分史が持ち込まれる場合が多々あり、そうした配布しづらい物を自身の図書館に倉庫代わりに納入したという線はあり得なくもないのだが、もしそういうことがあったのだとしても何らかの説明は欲しいところだ)。そして、活動先は相変わらず宮城県のみであり、岩手県でも福島県でも活動していなかった。
宮城県での活動というのは、このボランティアイベントの参加者の一人が宮城県内の教育機関に務める人物らしく、それ以外の地域においては土地勘が無いのかも知れないと思っていた。しかしその機関紙には、当団体とは別の団体組織に属する福島県のサークルが震災後の自身の活動について述べた寄稿を寄せていたので、「寄稿を載せるくらいならばその団体のメンバーにも声をかけて福島県で合流して一緒に活動をすればいいのではないか」とも思った(福島の人々に案内の負担を強いるのかということもあるが、そもそも既に宮城県内に在住する人物を連れて活動しているのだから、福島県内の人を連れて活動することにさほど躊躇する理由は無いように思えた)。宮城県が東北で最も津波被害の大きかった地域であるということは重々承知しているが、図書館の件とあわせて、「被災地に赴くと言いながら宮城県のみというのも少しおかしいのではないか」と若干訝しく思い始めていた。
少し話は変わるが、2011年の10月ごろだったろうか。私は当団体の活動に関わっている主要なサークルメンバーのブログを幾つか覗いていた。そこで、サークル団体において有料図書館の運営・管理に携わっているという或るメンバーのブログが目にとまった。
そのブログにはクリストファー・バズビー氏やアーニー・ガンダーセン氏の名が載っていた。ブログの記事を遡ってみると、LNT仮説に基づいて「福島県では年間千人が癌で死亡する」「トータルでは6桁もの人が死ぬ」などの記述があった。福島県だけではなく、当時千葉県で見つかったホットスポットについても、その周辺で7000人が死ぬと書かれていた。ブログの記事の日付を見ると2011年6月中旬ごろであり、まだまだ情報は錯綜していた時期ではあったものの、ブログの内容は怖れによって混乱しているという様子ではなかった(LNT仮説に従ったとて、ガンが発生する人数の予防的な見積もりであって、ガンの発生が100%死に直結するという話ではない筈だ)。ツイッターのアカウントもあったので見てみたが、「福島廃県」「日本は核武装を目指している」などの字面が踊っていた。
この人物は機関紙上において度々評論を行っていたため、名前だけは知っていた。東京在住で、東京大学の大学院において科学史や科学哲学を専攻していたらしい(名前で検索したところ、在学中に科学技術社会論若手の会に参加したこともあったようである)。また、サークルの有料図書館の運営・管理に携わるほか、海外メンバーの通訳や書籍の翻訳作業も担っている。どうも他の主要メンバーからはサークル入会当初から理知的な存在として一目置かれていたようで、未だにこの人物の評論がサークル誌に載っていることを見ると、その状況はあまり変わっていないようである。
ボランティアイベントの報告によれば、そのメンバーの名前はイベントスタッフの中には含まれていないため、この人物は被災地には訪れていないのだろう。しかし、有料図書館での管理業務を考えれば、貴重書の選別には関与していた筈である。また、仮にそのメンバーがイベントに深く関与していなかったにせよ、ブログやツイッターで垂れ流される内容やサークル内での立場を考えると、そのイベント活動に何等かの口添えをしている可能性は十分考えられ、イベントのメンバーが海外のメンバーを連れながらも東京により近い福島県には訪問していないという事実が個人的に気になるのである。この活動に全く関与していなかったにせよ、被災地のためと銘打った活動をする団体がこの人物の主張をどう考えているのかという疑問は残る。
2012年にもこの団体は同様のイベント活動をしたようであるが、結局今までに宮城県以外で活動したという報告は無い。何故それ以外の県に行かないのかという理由も明かされていない。「こちらが勝手に東北を縦断するようなイメージを想像していただけだ」と指摘されればそれまでなのだが、協力する側としては、被災地で活動すると宣言していた以上、宮城県以外でもこのサークル団体が活動することを期待した上で書籍を寄贈したのではないか(募金の一部については額が提示され、育英会に納入されているようである)。
とはいえ、未確認なことも数多く、単に私の邪推だと指摘されればそれまでであるため、増田として具体的なサークル名や人物名を明かさずにここに述べた。愉快ではないが、こちらとしても寄付金や書籍の使用用途はサークルに任せた面もある。目論見には具体的な訪問先について特に記載は無く、書籍の利用方法も「子供に配布するなど」という風に書かれていたうように記憶しているため、最初から宮城県内のみで活動するつもりだった、あるいは有料図書館に書籍を納入するのも有効な利用方法の一つだ、と言われてしまえば元も子もない。
件のメンバーはその後も、宮城県石巻市でのがれき処理の背景には巨大利権が絡んでいるとのブログや、甲状腺調査で嚢胞の数が異常に多く見られているというヘレン・カルディコット氏の主張を掲載したブログ、不正選挙についてのブログのリンクなどをツイートし、先の選挙において安倍首相は福島入りをしていないというフェイスブックの記事までリツイートしていたりする(なんでも福島の水田の前で会見をした首相の影が不自然で明らかに合成なのだそうである)。先日のISISによる人質事件においては、日本において大政翼賛会の形成がすでに始まっていると述べている。残念ながら、ここまでではないにしても、彼以外にもこの団体においてそうした主張に近い人物は何名かおり、先日も東海地方の支部で活動する人物がどこぞのブログの「福島県の農産物は安全ではない」というリンクをツイートしていた。百人に一人くらいはこういう人はいるのだろうとは思っていても、少々心配するくらいにはこうしたものを目にする。福島県在住のメンバーがこうした主張を目にした時にどう思うのだろう。私としては混乱時に古書を贈る行為については恥じ入るところだが、敢えて述べれば、もし団体の中枢にこのようなメンバーがいることを事前に知っていれば、贈る前にもう少し検討しただろうとは思う。震災からもう4年近く経過している。周囲の人々も、もう少し目を開いて物を見て、自分で考えてもらいたいと思う。