「異国風」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 異国風とは

2018-10-14

[] 【5】2018秋、ベトナムホーチミン

<< この旅行記の先頭へ


anond:20181014104131





Day 3



3日目 4,000年に一度


寝る前に飲んだ睡眠導入剤が効いたのか、夜中に一度目が覚めたものの、計8時間ほど眠る事ができた。

自律神経の回復大事なのは睡眠なので、まとまった量眠れたのは喜ばしい。


5:45からの2度寝の最中に見た夢で、自分刃物が絡むような人間関係トラブルに巻き込まれそうになった後、道路が波のように捲れ上がって崩れ落ちる大災害を間一髪で逃れて、その様を遠い目で振り返る後日・会社ビルの前で、髪型の悩みを訴えてくる女性を褒めちぎって赤面させた挙句、恥ずかしさで昏倒させていた。

全身をピンと伸ばしたまま、後ろ向きに倒れた彼女道路に激突しない様に抱きとめて、気分を落ち着けるために、彼女の真っ赤になってしまったうなじをさすっていると、仕事に厳しい事で定評のある女性同僚が「おい!」と咎めてくる。

そうすよね、会社の前では節度を守ってやらないと。

場面が変わって、その後のオフィスでも自分女性を褒めていた。

春の香港で、夢の出演者習近平麻生太郎だったのと比べれば、ややテーマ卑近になった印象がある。

願わくば刃傷沙汰崩落事故スキップして、女性を褒めちぎる件だけ現実のものとなって欲しい。

7:59、ホーチミン

窓の外の通りではもうスクーターが行き交い、そこかしこクラクションが鳴っていた。

予報によると、今日も雨は降らないらしい。


今回の旅程には自律神経の調子以外にもちょっとだけ不安要素がある。

前にも書いたが、2日後の帰国便は6:25発。

当日にホテルをチェックアウトしては到底間に合わないので、前日にチェックアウトして、タンソンニャット国際空港で夜を明かす事になるのだ。

そうなると日中歩き通しも辛いので、何処かで休めれば一番よく、H.I.Sの支店でそれが可能かどうか確かめたかった。

電話で事足りるのかも知れないが、日本人と顔を合わせて確かめたい。

朝食後の散歩ついでに行ってみよう。


軽く支度を整え、ベッドにチップを置く。

ハウスキープの感謝も有るが、防犯についても少しだけ考える。

ベトナムではチップの習慣は一般的では無いらしいし、これだけ格式の高いホテルホテルパーソンが悪さを働くとも考えづらいが、充分な額のチップがあれば不意に襲ってくる邪念の抑止効果にもなるかも知れない。

適正な額は分からないが、昨夜食べたバインミーが25,000ドン、と考えると昨日置いた5,000ドンでは軽食にも足りないぞ。安すぎだ。

仕事片付いたらバインミーを食べられる額、25,000ドンを置いて部屋を出た。


ホテルの目の前にある公園で、制服を着た少年の一群が、順番に手にマーカーを持って走り、おそらくは地面に置き、次の少年がまた走ってそれを回収するという運動をやっていた。

授業である事は確かだろうが、何の授業かはわからない。

少年達の歓声が、快晴の朝の公園風景をより活き活きとしたものにしていた。


「そちらのラウンジがあるので営業時間中はご自由にどうぞ」

H.I.Sの日本人女性スタッフちょっと素っ気ない感じで、満面の笑み少し期待していた自分の甘さにガッカリした。

接客業者が客に対して笑顔で接するのは日本独特の事で、ベトナム人にそういった過剰サービスは期待していなかったが、日本人に素っ気なくされると少し驚く。

異国に長く住めば、日本人でもサービス異国風になるのだろうか。

ラウンジにいたベトナム女性スタッフの方が物腰は柔らかかった。

まあとにかく、明日、ここで休憩できるのは間違いない。

ちょっとだけ一息ついて、目と鼻の先にあるフレンチコロニアル様式建物に向かった。


歩いて5分もないところにある美しい建物は2つ。

サイゴン大教会と、サイゴン中央郵便局だ。

黄色い壁の中央郵便局に向かう。

ここはレートの良い両替所として事前にチェックしていたが、入ってみると内装レトロな美しさに圧倒された。天井のアーチの下には扇風機が緩やかに回り、さらにその下に並ぶカウンターでは人々がガラス越しに職員と話している。郵便か、預金か、両替か。

アーチの突き当たりに掲げられた、ホー・チミンの絵画がその様を見守っている。

まるで映画光景だ。

スマホで何枚か撮ったが、出来ればちゃんとしたカメラでも撮りたい。

可能ならまた来よう。

と、外に出ようとして、館内の土産物屋が目に留まり、のぞいて見ると帽子が売られている。

強い日差し辟易していたので好都合だ。

黒いハットをレジに持って行った。

「80,000 don.」

まとめて整理して置いた札束レジ女性に渡す。

「non , non. That,s 800,000 don. This is 80,000 don.」

お金流通する郵便局で派手な間違いをしてしまった。ドンマイ。

ベトナム人はこういう際にも誤魔化しはしないらしい。


すぐ目の前の大教会はその眼前にマリア様が起立している。

マリア様センターに一枚。

朝の散歩の成果としては充分なので、一息つける場所を探す。

と、広場脇の木陰に、白いドレスを着た少女大人に手を引かれて、何かの記念撮影の準備をしていた。

花飾りを身につけた少女は小さな淑女だ。

「Excuse me , Mr, I want teke she photograph.」

近くのカメラマンに話しかける。

から考えれば文法メチャクチャだが、自分の為だとゼスチャーで伝え、

She is beautiful.」と言うと、カメラマンは笑顔

「No probleme.」

マリア様に続いて、木陰で微笑む小さなレディーを写真に収めることができた。


ホテルに戻る途中のカフェで一息。

ここで旅の目的の一つ、練乳たっぷりベトナムコーヒーが飲めそうだ。

カウンターで指差し注文をすると、ややあって陶器カップに注がれたベトナムコーヒーサーブされた。

カフェの奥に陣取って口にする。

柔らかで濃い苦味に、底に溜まった練乳がほのかに香る。美味い。

旅の目的に充分耐えうる味だ。

ふと思いついて、ベトナムMV撮影したガールグループ新曲DLした。

強い日差しの中を歩いてなんとなく思い出し、この瞬間にぴったりだと思ったからだ。

コーヒーを飲みながら聴く

日本で聴いた時は「ちょっと古いテイストだなぁ」と思っていたが、自称「4,000年に一度の美少女」が唄う希望自由に溢れる歌詞と、明るいメロディーに涙が溢れてきた。

自律神経をやっていて心がある面で脆くなっているのは間違いない。

でも涙を流せばストレスも流れ落ちると言う。

泣けるのはきっと良いことだ。

この瞬間を楽しもう。きっと今しかできないことがある。


ホテルに戻る道すがら今度は女学校の前を通りがかった。

校門にたむろする白い制服

カオタン テクニカルカレッジでもそうだったのだが、校門前にはスクーターが引っ切り無しにやってきて、学生が乗り降りしている。

ちょうど昼時だ、近くに食事を取りに行くのかも知れない。

自分はひとまずホテルに戻ってシャワーを浴びよう。

女学校を通り過ぎてしばらくすると、正面から長い黒髪少女が駆けてきて、すれ違った。

遅刻だ、遅刻。急ぎな。」


【6】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 3|センターの神通力 へ >>

2018-10-13

[] 【2】2018秋、ベトナムホーチミン

<< この旅行記の先頭へ


anond:20181013201124





ベトナム名誉


両替に関しては、市内の両替商の方がレートがいいということで、空港では7000円だけ両替した。

小ぶりの札束を大量に手渡されたが、これがどれだけの価値があるのかさっぱり分からない。

札束に描かれているのは全部ホー・チミンで桁数も多く、なんかパッとみ どれも同じに見える。

要は慣れなんだろうけど、ベトナム人はよくこれで混乱しないものだ。


ネット情報でボッタクられないという噂のタクシー会社車両を捕まえてホテルに向かう。

いきなり問いかけられた言葉がわからないが、「I want to go hotel new world saigon.」というと出発した。

これ位のディスコミニュケーションを気にしては一人で海外旅行などできない。

もちろん日常会話の英語くらいは軽くこなせなければいけないというのは確かなのだが。


ホテルチェックイン時のディスコミニュケーションぶりもなかなかのものだったが、前回やらかしたチェックアウト時刻の確認も済ませ、無事チェックイン

New World Saigon Hotel歴史ある名ホテル日本で言えばホテルオークラのような格式で、通された部屋は「俺、一人でこんな部屋泊まったことないよ」というものだった。

タクシーに払った残りを落ち着いて数えたら1,016,000ベトナムドン。

もう一度言う。

どれだけの価値があるのかさっぱり分からない。

貨幣価値感覚が変になりそうだ。


タンソンニャット国際空港光景ちょっと元気になったものの、やはりメンヘラ直前の身でいきなり外食ハードルが高く、近くのコンビニ適当に買って夜食にすることにした。

まだ食欲自体はある。

ホテルのほど近くにサークルKがあるらしい。日本のそれと関係あるか謎だが。

サークルKまでは距離にすると100mも無いのだが、ベトナム交通事情というのが、これがいつまで経っても途切れないスクーターの波をタイミングを計りつつ渡る避けゲー状態で、僅かな距離をなかなか踏破できない。

これは油断すると死ねるヤツだ。

自律神経失調症で長期休暇を視野にも入れているというのに、蓋を開けてみれば交通事故で死にましたでは、なんだか話がよく分からなくなってしまう。

最新の注意を払い、ついでにコンビニサンドイッチカップ麺飲み物の代金も払って、なんとかホテルに戻り夜食にありついた。

日本人も含めてアジア人は大体カップ麺が大好きで、そうそう間違いなかろう、でもちょっと異国風味もあるかななんて期待していたら、出来上がったものはどうも味がない。

ベトナム料理はタイ料理と比べて優しい味わいであり、またやはり日本と比べれば完成度の差があるのかも、こんなものかな。

いやまてよ、自律神経失調症も重度になると味がしないっていうから、俺の味覚が妙なことになっているやもしれぬ、などと思って食い終わったら、調味袋を丸々1袋入れ忘れていたことに気がついた。

そりゃ味がしない筈だよ。

ベトナムカップ麺名誉回復する為に、俺は正しい調理法でまたこれに挑まなくてはならない。


【3】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 2|2日目 アリゾナ州立大学 へ >>

2013-08-27

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜

80年代女性アイドル格付

http://anond.hatelabo.jp/20130821065806

を書いたマスダです。

今日中森明菜について。

(追記)

こちらを見落とされている方が結構いらっしゃるようなので。

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子

http://anond.hatelabo.jp/20130825215309

今回は松田聖子論に続く「第2回目」です。「80年代女性アイドル格付」の順位順に書いています。次回は小泉今日子です。


松田聖子もずいぶん批判されましたが、今になってみれば、いったい何が批判されたのか、よく分からないところがあります恋多き女性という印象もありますが、婚約結婚を含めて彼女は4人の男性と法的なパートナー関係を結んだ経験がありますが、いちいち結婚という形をとりたがるのは彼女価値観の基盤が実は案外保守的からです。パートナーに対して彼女が求めるのは第一に学歴を含む社会的な地位で、判断基準は「父親が認めてくれそうな男性」というところにあります郷ひろみ芸能人の中ではインテリ志向であるし、大学中退英語も話せるので、聖子は父親の眼鏡にかなうと思ったのでしょうが、結果的には無理で、それで両者の関係は破綻したのでした。聖子はそういう時には、しょせんは他人である恋人よりは父親を選ぶ女性です。

久留米に在住していた高校時代彼女久留米付属高校男子生徒と交際していたという説と、暴走族男性と交際していたという説がありますが、後者はまず考えられません。父親が許すはずがないからです。

聖子に対する批判は「女性が主体的に取捨選択をする」という生き方に対する批判で、そういう生き方一般的になった現在松田聖子批判は一体何だったんだろう、という思いがします。人格や対人関係において聖子が批判されることは少なく、あるのは分かりやす嫉妬、あるいは批判者の自分価値観において相容れない部分があるからでしょう。聖子に対する批判者として有名だったのは(後に和解していますが)和田アキ子で、基本構造スケバンぶりっ子を毛嫌いするという分かりやすい形をしているのですが、和田アキ子は実はそんなに単純な人ではなく、ホリプロ代表するタレントとしてホリプロ経営者的な視点で批判を強めたり弱めたり、批判しなかったりしています。かつてホリプロに所属し、後に独立した石川さゆりに対して、独立後ににわかに批判を繰り返したのもその例です。大手芸能事務所タレントを批判することは基本的にはしない人なのですが、サンミュージック所属タレント例外で、サンミュージック創業者相澤秀禎氏がホリプロとたもとを分かって、ホリプロをいわば「裏切って」独立したことからホリプロサンミュージックの間には静かな確執関係があります和田アキ子による聖子批判は基本的にはその文脈で理解されるべきでしょう。

研ナオコパーティー聖子挨拶をしなかったことについて、「私はあんたたちとは格が違うとでも思っているのかしら」と揶揄していますが、実際に格が違うのですから、これは現実を受け入れられない研ナオコの側の問題です。研ナオコは悪口しか言っていないと言っていいほど、この種のレベルの批判を全方位的に繰り広げていますが、そういう人なんだというしかないですね。

聖子時代象徴になってしまったため、時代に対する批判までをも彼女は引き受けざるを得なかったのですが、他の女性アイドルで批判されることが多かった人と言えば、第一に中森明菜で、第二に南野陽子です。ふたりとも弱小事務所に所属していたというところに共通点があります

けれども、南野陽子はともかく、明菜への批判は、単に事務所が小さかったからでは済まされない、執拗で熱意のこもったものでした。中森明菜はそんなに問題がある人なのでしょうか。

先日、松本伊代堀ちえみバラエティ番組で、82年組は仲が良かった、中森明菜はそうでもなかったけれど、という話をしていました。明菜とは仲が悪かったんですかと話を振られて、堀ちえみフォローしようとして、「仲がいいも悪いも、あんまり接点が無かっただけなんですよ。だから好きも嫌いもないんですよ」と言ったのに対して、松本伊代は「私は嫌いなの」と明言しました。30年以上前のこと、しかも相手は現在病気療養中の人に対してああまで悪意をむき出しにして言うほどのことが果たしてあったのでしょうか。

82年組の中で中森明菜孤立していたのは事実です。明菜と親しかったのは小泉今日子くらいで、初年度の賞レースが終われば、82年組の中で歌番組常連として生き残ったのは明菜小泉今日子くらいでしたから、明菜としては松本伊代に嫌われても何の実害もなかったでしょうが松本伊代がかなり執拗に激しく明菜を嫌っていたのは数々の証言があります

松居直美は、彼女スタッフに対する暴言などで評判があんまりいい方ではなかったのですが、「明菜とは親しくするな」と松本伊代から言われたことを明言しています。そうは言っても明菜普通にいい子だったので、そんな助言は無視した、と言っていましたが。松居直美欽ちゃんファミリーだったので、松本伊代意向など無視できたのです。

松本伊代は区切りでは82年組で、実際のデビューは81年の10月であり、82年組の他のアイドルにとっては既にスターであり、先輩格であったので、82年組の中では自然リーダーシップをとる存在になっていました。明菜孤立したのは松本伊代意向によるところが大きかったのは確かですが、明菜が自ら壁を作るような面があったのも確かでしょう。同じく批判されがちなアイドルであった南野陽子は、後から事情を聞けばもっともな事情もあり、それが彼女パーソナリティの問題ではない傍証としては友人も非常に多いことが挙げられるのですが、明菜には誰とでもうまくつきあえる小泉今日子以外には友人と言うような人はいませんでした。

新田恵利歌番組明菜と一緒になった時、挨拶に行ったら無視されたのだけれど、別のパーティー会場であった時、やたらなれなれしく親しく接してきたのでその豹変ぶりが怖かったと言っています社会人一般の社交として明菜の態度が独自基準で動いている、少なくとも一般的ではないのは確かでしょう。

ただし彼女仕事上のことは別として誰かを攻撃したり、悪口を言ったりするようなことはしていません。仮に「性格に難がある」のだとしても、彼女が関心があるのは自分生き方に限られていて、他人にどうこう干渉することは一切ありません。明菜を見ていると、果たして性格がいい」とか「性格が悪い」とは一体何なのだろうと考えさせられます。他人のことにあれこれ指図するような真似もまた性格がいいに含まれてしまうのか。ひとつだけ言えるのは、明菜のことが嫌いなら嫌いで放っておけば、何の害ももたらさない人だと言うことです。誰かを攻撃するような真似はしないのですから

ザ・ベストテンプロデューサーはこの番組を心から愛して、リハーサルから熱意を以て付き合い、他の歌手が歌っている時も熱心に聴いていたアイドルとして、中森明菜南野陽子の二人の名を挙げています80年代アイドル黄金時代を心から愛していたふたりアイドル、私は単に視聴者として二人を見ていただけでしたが、確かにこの二人にはアイドルとしての「生真面目さ」が際立っていたように思います


中森家のルーツはどこにあるのでしょうか。今一つそこに触れた文章は無く、今のところ不明ですが、中森家のありようを見ていれば、社会からやや孤立している印象を受けます中森明菜東京都清瀬市出身ですが、土着の家系なのかどうか、それが気になります。と言うのは、田舎から出てきて、転職を繰り返したような人の場合地縁血縁会社縁が切れている人が多く、創価学会はそういう人たちを対象にして成長してきたのですが、宗教によるつながりもなければ、家族でこじんまりとまとまっているケースが多いからです。「亡命者家族風景」であり、コルシカ島と言う故郷を失ったボナパルト家排他的家族的結束を強めたように、中森家にはどこか亡命者マインドがあります

明菜には友人が出来ないのではなく、作らない、通り一遍の社交以上の価値を見出さないのは、家族という単位が直接世界と向き合っている、そういう世界観を持っているからです。明菜は適性に合った役ならば、天才的と言うほどの演技を見せる、そういう才能もあります1998年テレビドラマ「冷たい月」ではかつて自分の夫を結果的におとしめた専業主婦に友人のふりをして近づき、その主婦の家庭を乗っ取って崩壊させる女を演じていましたが、おそろしいほどのはまり役で、役と役者が同一視されてしま危険すら感じさせるものでした。その後、明菜役者からは遠ざかったので、結果的にその懸念は杞憂に終わりましたが。1992年に放送された「素顔のままで」では安田成美演じる女性親友になる女性を演じていましたが、最終的には安田成美演じる女性の子を、自分の家庭的幸福を捨てて引き取って育てるという結末でした。「素顔のままで」は友情を描いた作品ですが、友人を必要としない明菜には一見合わない役のようですが、「非常に親しい人は友人と言う中間的な領域ではなく家族に組み込まれる」という中間的な領域の欠如した明菜世界観に沿った役でした。

90年代の終わりにトーク番組に出場した時、明菜は許せない相手として「共演者にはそういう人はいないんですが、スタッフはいますね」と述べています松本伊代からどれほど冷たくあしらわれようとも、松本伊代の側がどれほど強く明菜意識していようとも、明菜には伊代は視界にも入っていないことが伺えます家族ではないからどうでもいい存在なのです。スタッフある意味家族の周縁部にある存在で、ここに対して仕事をしてゆくうえで中森明菜は無条件の理解を当然のこととして要求したのではないでしょうか。それが軋轢になったのでしょう。


中森明菜は「スター誕生」末期に出てきた人で、小泉今日子もほぼ同時期にその番組から輩出されています。両者とも圧倒的な高得点合格したので、複数の選択肢の中から所属事務所を選べる立場にありました。小泉今日子は最大手バーニングプロダクションを選びましたが、明菜は弱小事務所研音を選んでいます研音はいまでは大手大手、最有力の一画を占める芸能事務所ですが、当時はめぼしいタレントがいなくて明菜に社運をかけていました。明菜研音を選んだ理由は定かではありませんが、おそらく収入等の条件が他よりも良かった、それで親がそこを選んだのではないかと思います

アイドル収入ですが、驚くほど少ないのが実態です。南野陽子は、「ベストテンで1位をとっていた頃でも月収が3万円だった。あんまりだろうと直談判したらケタが二つ上がった(100万円台になった)」と述べていますし、堀ちえみは「自分もしばらくは3万円くらいで親から仕送りをしてもらっていた。スチュワーデス物語がヒットしてようやく月収30万円に上げて貰った」と述べています

明菜は早い段階で親兄弟に店舗を持たせるなどの経済的支援をしていますから経済的な条件が他のアイドルよりは恵まれていたのは確かでしょう。ただし弱小事務所に所属したハンデはあって、賞レースでは明菜は初年度はほぼ無視されていますデビューの年にはすでに「少女A」をリリースして、メガヒットもあり、82年組の中でもトップの実績を示していたのですが、その年のレコード大賞では優秀新人賞も得ていません。最優秀新人賞を獲得したのはシブがき隊で、優秀新人賞を得たのは、松本伊代堀ちえみ石川秀美早見優でした。今から見れば冗談みたいな結果でしたが、このことは相当な物議をかもし、いくら賞が事務所の力関係が反映されると言っても、中森明菜無視しているようなら上辺だけの公平さすらないではないかと言って、作詞家阿久悠審査員を辞任しています


明菜は不良少女路線で売り出されたと思っている人は多いのですが、実際にはそうでもありません。明菜本質は「非」であって「反」ではないからです。独立しているということは何か支配的なコミュニティアンチであることを意味しません。アンチコミュニティにおいても明菜は非であることによって孤立するでしょうから明菜聖子を芸能として愛でていますが、ただ彼女とは同じことは出来ないのでした。

デビュー作「スローモーション」は来生姉弟の作詞作曲ですが、この「非」の部分を上手く捉えています明菜には主張はないのです。しかし主張がないというのは非常に分かりにくいので、「少女A」では流通やすい不良少女の側に寄り添った装飾がほどこされています

このことは、明菜には楽曲世界観彼女キャラクターにはあまり関係が無いことを示しています。もちろん聖子的な世界観を歌えば、無理があるのですが、それは聖子楽曲世界観ニュートラルではなく、それなりの主張をはらんでいるからです(何を「可愛い」とするかはそれ自体が価値判断の表明です)。

聖子の曲、に対して明菜の歌、とも言えます。これは聖子に「歌う」能力がなく、明菜楽曲楽曲としての質が担保されていないということを意味しませんが、極端に言えばそういうことになります聖子彼女歌唱力で以て楽曲表現するのです。明菜楽曲世界観に拘泥せずに自身の歌唱自体を表現するのです。ですから明菜楽曲はむしろ世界観は薄い方がいい、ステレオタイプな理解され易さがあればそれでいい、ということになります。極論をすれば架空言語で歌った方がむしろいい、ということです。明菜には異国風楽曲が多いのですが、実際、意味が分からない歌詞がしばしばサビで出てきています

明菜歌唱本質は強弱にあります。そのコントラストが激しすぎて、音割れを防ぐために強の部分に合わせると弱の部分では何を言っているかさっぱり聞こえないということもしばしば発生しています。強弱はむろん、歌詞の流れに沿っていた方がいいわけで、おおむねそういう構成の作詞になっています。逆にそれをやり過ぎると、「聞こえない」が発生してしまうわけです(「難破船」がその例です)。「DESIRE」が明菜にとって代表曲であり、一番資質にあっているのは、尖った表現が全編にちりばめられていて、弱の強調をやり過ぎていないからです。彼女の力強いロングトーンが、弱が強調されていないために強の中の強として印象付けられる構造になっています

スローモーション」でも声は幼いのですが、「やはりあなたと一緒にいたい 一言 書きあぐね」の部分で、既に彼女歌唱本質を見せています。(失礼しました。これは「トワイライト」の一節でした)

中森明菜楽曲には歌唱を見せる工夫は必要なのですが、それはプロ作詞家作曲家ならば心得ていることです。統一的な世界観のようなもの必要が無い、むしろあってはならないのですから松田聖子プロジェクト匹敵するようなサポート体制を明菜必要しませんでした。

様々な作家彼女楽曲提供していますが、聖子における財津和夫細野晴臣松本隆大瀧詠一佐野元春松任谷由実のような「企画者」はいませんでした(それにしてもちょっとあり得ないような豪華な面子です)。

ある評論家は、松田聖子プロデュースにおいては基本的に松本隆がひとりで担当した、だからいろんな面を出そうとして聖子楽曲には多様性がある、しか中森明菜は複数の人がそれぞれ別個に担当したため、マスイメージ中森明菜に沿った同系統楽曲ばかりになった、と述べています。私も基本的にはそういうことなんだろうなと思います


成功者家族で平常心を維持できない人は結構ます。大きなマネーが動くだけに、親と子は別人格、別世帯、別会計ということが分かっていない、仮に頭で分かっていても「これくらいしてくれてもいいのに」となってしまう人は多数いますアイドル歌手に限った話ではありません。子供への影響力が自分経済力イコールになるのですから子供結婚独立を嫌う人もいます名前は出しませんが、そういう例はたくさんありますよね。浪費型には娘に対する母親が陥ることが多く、管理型には父親が陥ることが多いようです。男性芸能人場合は、結婚は「嫁を取る」という形にまだまだなりやすいので、結婚を機に別世帯であることをはっきりさせるのもやりやすいのですが、女性芸能人場合は、私のものである娘、うちの財産である娘を結果的に婚家と争って取り合う形になりやすく、娘は夫をとるか実家をとるかの選択を迫られることになります

http://anond.hatelabo.jp/20130827181234

(続き)

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん