はてなキーワード: シナリオライターとは
かれこれ、10年近くゲーム業界でカードイラストや2D素材の発注や進行をしています。
イラストレーターさんや漫画家さんが、出版社や取引企業と揉めることは往々にしてあることですが、
制作側の話って、あまり表に出ないし、出せないので、この場を借りて言いたいことを言います。
あくまでも私個人の見解、そして独り言なのでそこはご承知おきください。
はっきり言います。
安易な軽い気持ちで、イラスト、特にキャラクターデザインに関する仕事を引き請けないで欲しいです。
イラストレーターさんは、お仕事の多い方、少ない方、兼業の方、学生の方、育児や介護の合間にされてる方……様々な方がいらっしゃると思います。
人生、何があるか分かりません。
今までイラストの仕事を受けていたけど、ご家庭の事情で、突然仕事量を減らさざるを得なくなった、引越しをすることになった……結婚、出産、転職、事故、病気、災害……
それはもちろん有り得ることですので、私たち制作も理解できます。
ただ、この仕事を続けていると、急に連絡がつかなくなる方が、そこそこの割合でいらっしゃいます。
心配になってTwitterを覗きに行けば、元気に活動していらっしゃるし、別案件のお仕事情報を呟いていらっしゃる。
発注する側に問題があって、もう仕事をしたくない、関わり合いたくないなら、正直にそう言って頂きたい。なんなら、お前のココが気に食わない!という罵声を浴びせてくれてもいい。
返信が来ない=それがアンサーであるとは分かります。私の何かが気に食わなかったのだと。いつも自省しています。
ただ、何年もお付き合いしてきて、例えば納品して頂いたイラストの使用、取り扱い、今後についての相談が出来ないこと。
それが一番困りますし、今回のタイトルでもあるコンテンツを殺すことに繋がります。
むしろ、イラストレーターさんの力と言っても過言ではありません。それだけ影響力を持っているのです。(依存しすぎてるのも宜しくないのですが…今回はひとまず置いておきます)
小さく知名度のない企業が、小さい案件のキャラクターデザインをイラストレーターさんに依頼した。
イラストレーターさんも、その当時は仕事量が少なく、とりあえず小遣い稼ぎになるか、思って請けた。
しかしその後、大企業からの別案件を受けたことにより、人気絵師としてたくさんの仕事が舞い込んでくる。
このとき、小さな案件を発注した小さな企業が、イラストレーターさんに新しく仕事をお願いしようと連絡したものの、繋がらず……なんてこともよくある話で。
結果、その小さな案件で、イラストレーターが手がけたキャラは、新規のイラストが描かれず、また展開も出来ず、死ぬことになる。
キャラクターにとって、ファンにとって、新規絵がないのは死んだも同然なのです。
それはもちろん、その通りです。
ただ、キャラクターデザイン、キャラクターを作る仕事を請け負うなら、最後まで責任を持って頂いたい、とも思います。
小さい案件に構っていられない、これ以上描けないのであれば、別の人に頼んでくださいと一言ください。
原稿料が安いなら、上げてくれと言ってください。
どんなに返信が遅くてもいい。生みの親であるイラストレーターさんが新しく描いてくれるなら、(案件次第ですが)何年でも待ちます。
連絡の無視は1番の悪です。
余談ですが、イラストレーターさんの画風に寄せて描くことは意外と難しいのです。
携わっている人の人数にも、そして思惑にも大小があります。
たかが小さい案件でも、いずれはと思って、構想を練っている人がいたかもしれない。
シナリオライターさんが、そのキャラクターに対して並々ならぬ想いを抱いていたかもしれない。
それらを全て、たった1人のイラストレーターが壊すこともあるのだと自覚して、仕事を請け負って頂きたいです。
今、第1線で活躍してる有名なイラストレーターさんは、キャラクターを生み出すこと、育てていくことに覚悟をお持ちなんだなと思わずにはいられません。だからこそ、第1線に辿り着いたのだと。
僕は昔から現在にかけて「男性向け・女性向け」ジャンルの作品/コンテンツを両方それなりに摂取している。
しかしその過程で僕は「女性向けコンテンツ」に辛さを感じるようになった。この記事ではその話を綴っていこうかと思う。
体験と気持ちを具体的に述べてくのでちょっと長い。時間が余った暇つぶし程度に読んで欲しい。
僕自身はオタクコンテンツかどうかに関わらずあまり物に男性向け・女性向けをつける必要はないと思っている立場だ。
何故なら、それを好むことに生まれ持った性別など関係無いし、実際(特に最近では)その表記関係なく両方の性別の人間が楽しんでいるコンテンツは多くあるからである。
しかしながら、両方を楽しむオタクをやっていく中で、この表記が必要不可欠かどうかは置いといて、"正しい"ものではあるということをひどく痛感した。
僕は小さい頃からジャンプや特撮や美少女深夜アニメを楽しんできた主に男性向け作品を楽しんできたタイプのオタクだ。
そんな中女性向け作品に初めて触れたのはアニ横・学アリといった人気もクオリティも高い、男性が楽しむにも敷居が低い少女アニメである。
そして本格的に女性向けコンテンツに手を出したのは恋愛シミュレーションゲームにハマっていた中高生の頃だ。
この頃は有名どころのギャルゲはそれなりにプレイしていて、それまで感じたことのなかった二次元キャラと自分との奇妙な関係性に衝撃を受けていた。しかもギャルゲ黄金期とも重なり良質なストーリーの作品にも恵まれ尚のことギャルゲにのめり込んだ。
そんな中ひょんなことから乙女ゲームである「緋色の欠片」というゲームを知る。
そしてこのゲームと会ったことが、僕が自分の首を絞め続けることになった元凶となる。
きっかけはYouTubeに上がっていたMADだ。その頃ハルヒと銀魂にハマってた僕は、杉田さん経由でたまたま緋色のMADを見かけた。初見は正直MADに組み込まれていたセリフで ああ乙女ゲームね(笑)とはなった。しかしギャルゲもやり尽くした感があった頃だった事や、犬夜叉を彷彿とさせる世界観に興味を持った事(結局全然違ったが)、ストーリーも面白そうで公式サイトを見る限りドストライクの女キャラがいた事もあり購入を決意した。
で、やった。
ストーリーの面白さもさることながら、女性向けという感じはあまりしない絵柄やキャラデザ、(描写に賛否あるものの)バトルも多いので馴染み易かった事、女性キャラも結構出てくるので読みやすかった事、美鶴ちゃん、など多くの要因が重なりあまり女性向けゲームという印象を強くは受けず、かなり楽しめた。あと中二病的固有能力設定にどハマりした。家で手に紋章とか書き込んでた。俺も風を操って真空の刃で敵倒すんだ妄想を授業中してた。
さて、ここで僕は「乙女ゲームも意外とイケるじゃん…?」という心境になった。そして他にもないかなと探し始めたのだが、まぁなかなか緋色並みにバチんと第一印象でくるゲームが見つからない。同じ絵師のゲームもあったがこちらはちょっとキャラデザと設定がやろうと思うに至らなかった。結局、探していくうち絵柄と設定があそこまで俺的敷居が低く印象が良いものは稀だったんだなと知った。
乙女ゲームという俺の中では手を伸ばすには異端ジャンルをやる上で、それを乗り越えてでもやりたいと思うほどの第一印象は大事だったのだ。
(あくまで僕の"第一印象"の話なので勿論神ゲーはいくつもある)
緋色がたまたまだったのだ…と思いつつ緋色の面白さを引きずっていた僕は、今までのオタク活動もそのままに緋色の新展開や新作乙女ゲーム情報を細々と追っていた。
さて気付かぬうちに首を絞め始めたのはこの辺りからだ。
この頃展開していた緋色のコンテンツは主に続編ゲーム、ドラマCD、アニメである。
ドラマCDはギャグ展開のものが多く大いに笑っていた。しかしたまに挟み込まれる恋愛要素や女性向け的台詞にうん…みたいな気持ちに僕はなっていた。
今思えば、いや今思わずとも、当たり前に当たり前の要素ではあるのだがなんか違うんだよな〜などと思っていたのだ。そもそもゲームにもそんな要素は当たり前にあった筈なのだが、出来上がったシナリオに必要不可欠な要素の一部として享受していたんだろう僕は、そこを強調されてもみたいな気持ちだったのだろう。
でもまぁこの時の僕はちょっと違和感程度で意識するほどは思ってなかったと思う。
そんな中、「夏空のモノローグ」という乙女ゲームが発売される。
緋色以降結局プレイに至るゲームは緋色の続編である蒼黒しかやってなかった僕だが、このゲームの広告一枚絵に衝撃を受けた。
儚げな少女と普通の男子高校生が佇む、爽やかでありつつどこか俺がのめり込んできた泣きギャルゲを感じさせる絵。
これは良いぞと公式サイトを見た。キャラデザ、ストーリー、沢野井…これは俺でもイケる、絶対面白いとそう思った。
また僕がその公式サイトを見たのは発売直後だったのだが、そこにはシナリオライターが発売に寄せる文章も載っていた。
そして多分これが1番の決め手になったのだが、そのシナリオライターめちゃくちゃ見たことのある名前だったのだ。それは緋色のナンバリングタイトルである翡翠リメイクの公式サイトで見た名前、西村悠さんだった。
翡翠リメイク公式サイトにて西村さんがこのリメイクにかける想いをとても丁寧に具体性を持って綴っていたことはかなり強く印象に残っていて、とても誠実に物作りをする方だなと思ったことを覚えていた。
だから、この夏空のモノローグという作品には信頼を置いていいと強く思い、購入を決意した。
とにかくこれぐらい強く想わない限り女性向けゲームに手を出せなかった僕だが、結局この夏空は神ゲーだった。
シナリオ音楽背景etcが神なのは前提として、この記事的にいうとゴテゴテしてないキャラデザと馴染みやすい絵柄、恋愛を主軸としながらも木野瀬をはじめかなり共感できるキャラクター達の葛藤…など、これもまた女性向けゲームという敷居を低く感じさせる作りで、とてもハマった。
スタッフブログにて登場するディレクターやシナリオの西村さんが男性だったのも馴染み易かった一因かもしれない。
やっぱり女性向け作品でも良いのは良い…!そう想いを強くした僕だったが、ここで衝撃の事実を知る。
夏空のモノローグ、当時めちゃくちゃ売り上げが低かったのだ。
今でこそ根強いファンを抱えるこの神作品だが、恐らく乙女ゲームを求める女性ユーザーには第一印象は良くなかったんだと思う。何故なら僕がうーんと思っていた絵柄や設定こそが求められていたものだったからだ。
よってこれ以降、このブランドから夏空のような素朴な絵柄や雰囲気のゲームはほとんど発売されていない。多分。俺基準かも。あったらすまん。
しかし人間は成功体験を忘れられない生き物で、男性向け作品に染まりきった僕でも楽しめる作品が乙女ゲームにはある…!とかなりこのブランドの新作情報は追っていた。
何より、1人のキャラの格好良さや魅力や葛藤を長編シナリオをかけて描写してくれる乙女ゲームという媒体は他の作品とは違った体験をくれるもので割と唯一だった。
結局僕が夏空以降にプレイした作品は、緋色のナンバリングタイトルである「白華の檻」と「Code:Realise」の2つである。
どちらも同じディレクターとシナリオライターが関わっており信頼のもと購入しそして信頼を上回る作品だった。
世界観やストーリー、作品描写が本当に良く、根強く心に残る作品であり大好きだ。
しかしながら、正直絵柄はどちらも若干苦手で(いや勿論めちゃくちゃ綺麗で素晴らしいとしか言えないのだが)"女性向け!"と思うものだ。
また他媒体展開においても、特にコドリア(Code:Realize)は発売から社をかけて運営されていたのもあってか、女性向けに満足度の高いものが多く展開された。
ドラマCDの内容や商品展開や続編の展開では女性向けのコンテンツなんだという事を意識させられるものが多く、求めてないなぁ…なんて思ったし、リアルイベントなんかはもう完全にそうなのであー…違うんだよな…となった。
こうして夏空からコドリアにかけゲーム内容も展開内容も段々と自分の求めてるものからかけ離れていくと感じていた中で、あぁ俺が求めてる作品はもう出ないんだろうな…どうして変わってしまったんだろう…と思うようになった。
そして割とマジで気がついてなかった、緋色から少しずつ感じていた違和感の原因に、ようやく気がつく。
そうなのだ。
…そうなのだ…。
そうなんだよな…。
いや勿論女性向けコンテンツで乙女ゲームということは分かっていたけれど、自分がマジで対象外だったそうだったという当たり前のことになぜか気がついていなかったのだ。本当に。あれだけ女性向けは食指を伸ばしづらいと思っていたにも関わらず、だ。
なんか求めてないんだよなと思ってはいたけれど。そう…そうなんだよ…俺、対象外なんだよ。
作品がどれだけ僕にとって凄い良くて、取っつきやすい作品性であっても、その後の展開はそりゃ女性向けに振るしそれが求められているのだ。何より夏空から段々とゲーム内容や他媒体展開の女性向け的色が濃くなったコドリアが圧倒的売り上げを誇っているのが何よりの証拠だ。
この事に気がついてから、コドリアをプレイしながら何度「俺はお前達と少年漫画で出会いたかったよ…」と思っただろうか。もしそういう環境下でこの作品が生まれていたらここの描写はもっと違ったんだろうか、とか、俺はもっと楽しめていたんだろうか、とか、と。
まぁでも
恋愛要素抜きにしても少年漫画じゃ絶対こんなの通らないし俺も読まんと思う。
それが答えだ。
このゲーム達は乙女ゲームという環境下でこそ生まれた神作品だ。
物語の終わりが保障されていて、信頼のおけるシナリオライターが書いていて、キャラクター1人1人の良さをじっくり知れて、様々な男性キャラクターが主軸になりいろんな視点から物語を進めていけ、最高の背景や音楽の下、快適なプレイ環境でやれるのは乙女ゲームでありこのブランドならではなのだ。
俺は本当にやるせない気持ちになった。
好きな作品のマーケティング対象外である事はよくある事だと思う。例えば僕は東映特撮も好きだがあれは対象は子供だし、プリキュアおじさんなんて言葉は正にその象徴たるものだ。
こんなに良い作品でこんなに好きなのに、だ。
僕自身はゲームの内容に満足しつつもその後の展開には満足できず、その内女性向け色が強くなったゲーム内容も楽しめなくなってしまったのだ…。
つまり
という
俺が悪い。俺が悪かった…。
今現在ではシナリオライターさんもブランドから離れていることも相極まって全く乙女ゲームには手を出していない。
好きになっちゃいけないのに好きになっちゃうみたいな悲恋エンドだからこんなん。
さて、
最近ではオタクコンテンツはアプリゲームが主流になりつつある。
女性キャラクターが際どい衣装を着て出てくるゲームや男性キャラクター同士がクソデカ感情をぶつけるゲームなど、以前より更に男性向け女性向けという意識が強いコンテンツも多くなった。アプリ課金という性質から単発的娯楽を提供するものも増え、終わりなき物語が量産されている。
しかしながらそれと同時に、アプリという手軽さや物語が終わらないという解釈の自由度が増した事により、男性向け女性向けに関わらずいろんな人が楽しむような時代になっているようにも思う。
また、僕の周りの友人達に割とそういう男性向け女性向けを超越するオタクが多くいた事もあり、やっぱり良いもんは良いんだよな…と改めて思っている。
けれど、(僕の場合は極端なコンテンツだったからというのもあるが) やっぱり男性向け女性向けという表記は商売である以上正しいしある程度は必要なのだとも思う。
僕自身は普段は出会うはずもない完全対象外の作品にハマってしまったが故の苦悩だった。
でも出会っちゃうもんは出会っちゃうし、良いもんは良いし、オタクは理性効かない。
この中途半端な立ち位置に居がちなオタク達はきっと事象は違えどいっぱいいるし内に抱える問題はきっとまだある。
【余談①】
尚僕は現在、男性向けコンテンツに出てきた男性キャラクターに傾倒したりもしている。
でも別にそういうんじゃなく女性キャラクターも普通に好きだし、格好良いものは格好良いな〜ってやりたいだけなんだけれども。
ただこのキャラクター今は女性向け作品に主に登場するようになり「アッ!ン!!違うんだよな!!!」というのをたまにまた繰り返しているところだ。
でもそれを上回る満足度の高いコンテンツなのでやっぱり出会えて良かったなと思っている。
【余談②】
この記事とズレるので余談とするが、前々から好きだった作品に最近別の層が流れ込みそこが消費者の主流になり、作品全体のターゲット層が変わり僕もターゲット層から外れだしたという出来事があった。これもまたオタクが抱えがちな難しい問題である。
プログラミングという言葉がアフィブロガー御用達になって、SNSでプログラマーを名乗るのが憚られる感じの昨今。
プログラミングを勉強すればフリーランスで一生困らないみたいなこと書いてあるけど、そんな夢のスキルじゃないよ。
それなりにベテラン()を見てきたけど、結局はマネジメント層になれなければ会社にしがみつくことになる人が多い。
これはvueかReactか、javaかRubyかみたいな話じゃなくて、もう少し基本的な部分。
例えば大きいのはオブジェクト指向とクラス/インスタンスの概念。
他には、ガベージコレクタ、例外処理、マルチスレッド、デリゲートやラムダ式、非同期処理、バインディングとビューモデル、イテレータ、null安全。
今プログラミングを学んでる人には当たり前かもしれないけど、これらは十数年かけて徐々に当たり前になっていった。
ITバブルでブイブイ言わせていたけど、これらをうまく扱えないベテランは結構いる。
固定長メモリとポインタとmemsetで全てをまかなってきた層や、静的なモジュールで全部の画面を作ってたVB屋とか。
若いころは勉強すればいいと思うだろうが、理解はできてもそれを流暢に使いこなし適合するのは意外と難しい。
プログラムの中でその人の担当箇所だけいまいち読みにくくて、取り回しの悪いものになってしまう。いわゆるstaticおじさんというやつ。
これはベテランのイラストレータやシナリオライターが、デッサンや構成力はあっても、なんか古臭いものが出来上がってしまうのに似ている。
こうなると若いチームメイトや新しいプロジェクトからは敬遠される。
もちろん、COBOLの案件が未だにあるように、レガシー資産を利用した仕事で腕を振るえる場所は結構ある。
ただそういった環境は既存の人材・企業にがっちり掴まれてることが多く、後から見つけて入り込むのは簡単ではない。
運営は、GREEのころからトンチキテキスト(イベント)書いてたので驚きはない。
ない、がしかし、実装される曲ならきちんとゲーム内でもアンケートを取ってほしかった、って人は多いのかもしれない。
イベントの即応性はそりゃ大事かもしれないがそれのみで私たちはチュパカブラですとかいわれてもなんだ、その、困る。
とはいえ、GREE版で私たちはアイドルじゃなかったとか繰り出す運営なのでといわれたらそれまでである。
今は「PBeM」というかたちで細々と残っている。
プレイヤーがテキストでキャラクターの行動を送り、運営(マスターと呼ばれる)がそれを物語にする、という遊戯である。
あの世界を経ていると今のなろう系のスタンダードになったスキルやらポイントやらランクやらというのは、なんだか二週目の世界を見ているようでむしろ懐かしい。
なんでPBMの話をしたかというと、運営の手先であるところのマスター、つまりシナリオライターは複数いて、当然作風というものがそれぞれある。
色々あるけれど、何故か必ずトンチキなシナリオ(ナンセンス系?)を書くライターがいた。
一定の需要があるから首にならずに置かれているのだが、そのトンチキさはどうにも寒いな、と常々思っていた。
思っていただけで済んでいたのは、どこのシナリオライターが書いているお話に参加するか、はプレイヤーが決めることができたのだ。
だがトンチキシナリオを書くライターは速筆のひとが多いのか、やたらあちこちで見かけるのだ。
恐らく発注先からの無茶振りにもある程度のレベルのテキストを書いて応えているため重宝されたのだと思われる。
だんだんトンチキシナリオが持てはやされるようになり、参加する場所が少なくなり、苦痛になってやめたゲームはいくつもあった。
長い前振りだが、ミリオンライブのトンチキ具合は、このPBMで見たトンチキシナリオのテイストが無茶苦茶するのだ。
なんでだろうなぁと長らく考えていたのだが、ドラマCdの仕事一覧、みたいな公開しているWEBサイトがあって、そこで事実を知った。
トンチキ感が共通するのは当たり前で、あの当時のマスターやってたシナリオライターのひとたちが、外注ライターで参加しているのだった。
あの当時PBM企業からライター料を貰ってトンチキシナリオを書いてるひとたちが、今もミリオンライブのトンチキシナリオを書いているのである。
さもありなん。
とはいえ、PBMならば避けられたものが、ミリシタではプレイヤーは箱推しをさせられているので(劇場で担当アイドルを呼び出すとかそういう機能をどうしてつけてくれないのだろうか?)寒いこのノリを黙って受け止めるしかないのだ。
歌詞の後半部分はそれっぽいのになんかもったいないと思ってしまう。
歌い分けの貴重な曲をあのトンチキさで消してしまっているような気がする。
そんなトンチキさで新規を釣っても長居はしてくれないと思うんですがどうですかね。
・・・ところでPBMつながりでFGOのレクイエムコラボイベントのシナリオを書いているのが茗荷屋甚六というひとで、このひとはPBMでは無茶苦茶面白いマスターで当たりマスターだったのだが、FGOのこれは全然面白くはなかった。推測すると突貫で書き上げざるを得なかったのではないかと思われる。星空めておというひとは、エロゲのシナリオライターの前はPBMのマスターでグランドマスター(GM:監督みたいな立場)のひとだったのだが、面白いお話をかくけどただひとつ欠点があり遅筆、ということなのであった。
ヘルプで呼ばれたのだろうか。
今のソシャゲの中で、もう滅びたPBMを支えていたひとたちが書いている。
懐かしいしうれしいのだが、トンチキシナリオは避けられるようにしてほしい。
無理か。
無理だろうな。
FGOのフレーバーテキストやガチャ実装時の紹介文があちこちの資料・ウェブサイトから剽窃していることが判明し絶賛炎上中の件について、ディライトワークスではない別のソシャゲ会社に勤めていた経験から、「こんな感じだったのかなー」という妄想を書き連ねておく。
指名がナイのがイヤなの? ガチ課金してれば無記名霊基で指名できるし今回の配布星5もガチで指名できるよ
イベントのシナリオライター? 華々しく散った某鯖が平気で当カルデアにいる時点であっ別人ですねってなるし大事なとこは茄子じゃん(なんなら箒日記読めよ)
日替わりピックアップも充実、星5配布(最強サポの孔明含む範囲から指名できる)決定、このタイミングで文句が出るってエアプ勢? そのこだわりはよくわからん
インターネットが普及し、一人一台スマートフォンやPC等の端末所有が当たり前となってきたこの時代。
各企業や個人クリエイターの提供するサービスの一環としてアプリケーションが簡単に端末上にインストールできるようになった。
そんな前置きは程々に終えて、私が言いたいことは「FGOはおすすめできないゲーム」にまとまる。段階をすっ飛ばしすぎたが、マジで伝えたいことはそれだけなのでこれから先は余裕がある人だけ読み進めてほしい。
まず表題の「基本無料のゲーム」についてだが、これは主語が大きい上に誤解を招く書き方なので適切ではない。ただ私が扱える語彙力では、こう書きだすしか思いつかなかった。
非常に多くのソーシャルゲームがスマートフォン向けのプラットフォームでリリースされているので、しっかり誤解を解けるよう書き出す。
「向き不向きはあるが、プレイスタイルを定めて一貫していれば無料ゲームは丁度良い娯楽」となる。手元に端末さえあればいつでも好きなタイミングでゲームを起動できるし、中断もできる。丁度良い暇つぶしツールとも言えよう。私も特に代わり映えのない一ユーザーとして利用している。
ただ冒頭で記述した多くの人が知っているであろうFGOというゲームについて、嫌悪感と違和感を抱き始めているのでちょっとした発散先として失敬する。
先日2000万ダウンロードを突破したとして、キャンペーンを期間限定ですると発表しSNSで盛り上がりをみせたFGO。少し前には新章配信でユーザーを湧き上がらせたことも記憶に新しい。
胸を躍らせるユーザーが多い中、空気を壊すような日記を書くのは少々気が引ける。そのため以降は熱がある人には向かない文が数多く見受けると思われる。
警告はした。
ガチャ天井がないのはよく言われているが、ピックアップ出現の確率はマジで表記通りなのか?
最高レアの出現確率と、キャラクター装備ごちゃ混ぜガチャについては割愛する。所謂すり抜けは他のソシャゲをプレイしていてもあるので仕方ないかもしれないが、それにしてもマジなんなの?って思うことが多々あった。最高レアのキャラクターが出現演出あったと思えば、目玉のピックアップが引けない。
数年前はダバダバと有料のアイテムを購入していたが、運営サイドの方針を知ってからは端末の決済方法を削除した。福袋だの期間限定だの、お知らせ画面でしか表示見てない。
シナリオが訳わからんので解説や考察を公開している有志の投稿を見ていたが、やっぱり訳わからん。
作品特有の設定なら多少理解が進むかもしれないが、シリーズ作品や過去作からの設定およびストーリーを出されても知らねえよとしか出てこない。FGOしか知らねえし、全部繋げていると販促するならもっとうまくやれ。そもそも例外が多すぎて基本を知らねえよ。
新章もだいぶ選り好みするようなライターの書き方だったので、シナリオが得意分野のはずなのにキャラゲーになってる事態もどうなってるんだ感しかねえよ。
シナリオライター分担しているのはそれぞれの味を出すためだと分かるが、せめて各キャラクターの設定とあらかたの解釈はまとめておけよ。ブレが激しすぎて困惑しかしねえよ。キャラゲーですらないのでは。
あそこの頭のおかしいのが『俺はFGOで成功した有能』みたいな事を言っているが、FGOが成功したのはFateという土台があっただけでゲームバランスとシステムは、うんこレベルだという事。
もうやる事がなくなっているせいか、ボキャブラリーも存在せずストーリーボスに無敵か全快を付けて話を長引かせようしているだけという。
ストーリーは、面白い時もあるから評価できる。だけどバトルシステムはうんこ。
なんでTRPGやってみて?というかと言うと、ゲームマスターが無敵やら全快やら使ったらTRPGは途端につまらなくなるというのが嫌でもわかるから。
一度なら良いよ、そのくらいの演出はありだと思う。だが『確率で無敵が発生する(解除不可)』みたいなのはバランス崩しのうんこゲー確定なんだよね。
そんなものTRPGでやったら誰も寄り付かないんだよ。ただでさえ高ライフで数回削らんといけないようなボスなどもいるのに。加えて高威力の宝具(無敵貫通あり)みたいなのも付いてきたら「はあ?」ってなるんだよ。
「あぁ、こいつはゲームマスターの才能ないな」と思うのさ。
ゲームマスターの役割ってのはシナリオの進行をして、プレイヤーをどう楽しませる事が大事なのにFGOはそうじゃない。
シナリオライターは楽しませようとしてるんだと思える。だが、ディレクター・プロデューサーは違うんだな。
ネタのなくなった芸人が一発芸をかますためにアクシデントをネタにしようとしてるような感じ。
You Tubeで落ち目芸人が躍起になってるみたいなレベル。んなものだからゲームバランスなんか考えてないし、進化しようともしてない。現状維持すら失敗してる。
それでもある程度の売上が保てるのはFateというブランドのおかげ。いいよな、売れるネームが盾になってるのって。さすがヒロインがシールダーだけあるよ。
まあ、話は逸れたが運営はTRPGをやってみて盛り上げ方を学んでみたら良いんじゃないかな。
アトランティスまでプレイして感じたがグラブルみたいに進化もしてないし、後進のアプリゲームにすら追い抜かれそうな停滞はどうかと思うよ。
こいつ、「オタク」じゃねぇんだよ
そういうのに関わる「イケてる自分」を一段高く自己評価していて
他人を見下してる
ただアニメやゲームが好きで、自分が語れる場がそこにしかなかった奴
昔よくいた、クソだ
ただのクソ
今はどうか知らんが、昔はサブカル畑の奴がオタク顔して活動してたんだよな
批評とか論考とかやっちゃってさ
普通には食えない作家が、エロ畑なら好きなことをできるってんで
その後、ラノベやなろうみたいなのが台頭して、好きに発表できるようになったのと
ブームの衰退もありいなくなるんだが
エロゲは泣きゲと呼ばれて、泣けないのは駄作みたいな時代だった
「俺はエロ目的じゃない」みたいな厨房(年齢ではなく精神性)が増えて
んじゃ、オフ会とかではどうかというと
そういう、「作品を語らず自分語りするやつ」ってのは、昔っから嫌われてた
でも、気付かないんだよな
だから、その場では誰も何も言わない
裏で呼ばれなくなるだけ
今になって老害になったのじゃない
直近だと献血ポスターの宇崎ちゃんが炎上したように、ネット上ではオタクとフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛な対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクとフェミは不毛な対立をしてしまうのか。
それについて論じる前に、まず自分の立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色な見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクとフェミの不毛な対立の大きな原因であると考えているからだ。
例の宇崎ちゃんポスターの批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所で女性の性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別的である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題、グラデーションが内包されているということだ。まず第一に公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的に重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論は不毛となる。
例のポスターにおいて宇崎ちゃんは巨乳を突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。
そしてこのグラデーションへの意識をポスターを批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛な対立の最大の原因だ。
SNS上ではより強い表現を使った方がウケる。フェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というものが存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくまで不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いものも存在する。宇崎ちゃんポスターはこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーションを意識した議論が成立しづらくなってしまった。
一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまったことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論の典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまったことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんのポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性をアイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミは巨乳を差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタク=フェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性をアイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスターは性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインはフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーションを意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論は不毛となるより他にない。
とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。
ここで注意しておきたいことがある。グラデーションの存在は詭弁によって攻撃しやすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観でしかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなたの主観ですよね?」と煽るひろゆきの画像が出回っているようにこの手の詭弁が論破テクニックとして重宝されがちだ。
しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。
このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲはハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲがハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?
この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準は日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。
では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。
グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。
最後に余談となるがなぜオタクはフェミをオタクの敵とみなすのかについて自分の見解を述べる。
宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士のツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身のツイートやRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクだけが狙い撃ちで批判されているわけではない。
しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビで東大女子を排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークルに批判的なツイートをしたとしても、「【悲報】フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタクに関係あるものに言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミはオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビで凄惨な事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。
かつてはビールのポスターといえばグラビアアイドルの水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。
今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。
そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまうルートがオタクコンテンツとのコラボだ。
例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合、現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。
これは「まどマギの脚本の虚淵玄はエロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波でアニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女とチャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもので寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画がツイッターでバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。
なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体がオタク作品とコラボしたときにオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしまう場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。
また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃんの場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチで可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりんの炎上の件もこのパターンだ。
このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現がフェミに批判される事態はオタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミはオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。
そもそもあの手のゲーム内での行動をとがめるシステムや、主人公が良かれと思ってしてたことが、実は別の視点から見たら・・・みたいなのって、ウルティマ4−5でやってるし、全然目新しくない。
あれをカウンターと言われても、ウルティマでやってるしなあって思うし、単にシステムがタルくてグラフィックがチープなゲームにしか思えないのよね。
既存のRPGへのカウンター的な作品としてはヘラクレスの栄光4が好き。RPGにおける主人公のパーソナリティや、RPGにおける主人公の死をどう扱うかについて非常にラディカルな方法で描いている。
物語内で一切示唆されないから、アンテほどにはわかりやすくはないけど。このシリーズだと、世間では3が評判いいけど、おれは4を推す。
いまやってる。
グラフィックが酷い。マップはボヤボヤ。戦闘はカクカク。つらい。
敵が多くて硬くて1ステージクリアするのに1時間以上かかる。つらい。
システム的に戦艦が重要だけどお金がぜんぜん稼げなくて戦艦を買えない。つらい。
久しぶりにやったけど楽しかった(小並)。
ボリュームは少ない気がする。
図鑑埋めと対戦に興味がないとすぐ終わる。
アトリエシリーズの評価は採取と錬金の楽しさに左右されるなあ。
ただし今は他のゲームを優先して止まってる。
びっくりするほど楽しめなかった。最序盤で止まってる。
なんか作りがアドベンチャーっぽくない?
決まった手順で進めなきゃいけない感じが強い。あと敵も強い。
クエストの進め方がよく分からなくてグルグル回ってるうちに敵にやられて死ぬ。
腰を据えてやれば楽しいんだろうと思うので暇なときにやりなおすわ。
アーマード・コアよりもキャラを重視した感のあるストーリーも良い。
序盤はキャラの見分けがつかないので、チームやキャラの紹介をヘルプ的に呼び出せればもっとよかった。
どのパーツでもなんとなく雰囲気が同じという点でカスタマイズの楽しさはない。
その点では武器に色を塗れないのも地味につらかった。
ガンダムブレイカーくらいのカスタマイズの自由度でDXM並のアクションをやりたいよね(わがまま)。
時間がありあまってるときにチビチビやれば最高のゲームだったろうなあ。
次回以降「学園」というギミックをなくしたときに同じプレイ感覚を再現できるか気になる。
(それとも完全に学園ファンタジーに転換するのか?)
でも死ぬほどやってる。早く続編出して。ペナントモード強化して。
ナンバリングが変わると全てリセットされるいつものコーエー商法。
これからまた五年くらいかけてマイナーアップデートしていくのだろう。
そして俺はそのマイナーアップデートにフルプライスを支払い続けるのだ。
ライバル馬の存在は面白いんだけど、もう少しイベントにバリエーションがほしい。
絆コマンドもプレイ感覚に違いをもたらす面白いシステム。正統進化を望む。
まあ簡単に言えばペルソナフォロワーなんだけど、とにかくグラフィックがひどかった。
Switchの性能不足、というほど元が良いわけでもないし。手抜き移植だなあ。
あと、このゲームシステムならサブシナリオを充実させればめちゃくちゃ面白くなりそうなのに、
リソース不足からかメインシナリオ以外はスッカスカな感じ。すごくもったいない。
オリジナル主人公(特に女主人公)まわりのシナリオがすごく良かった。
ただ参戦作品は「既にラスボスを倒したあと」で加入してくることが多くて、
とってつけたように原作の敵が蘇って倒すだけ、みたいなシナリオが多かったのが残念。
その極めつけがオリジナルのラスボスで、もう本当に本当に本当に本当に最低だった。
無印のときの領民や商圏といった新システムは、批判も多かったけど個人的には面白いと思っていたので、
その後、旧来のシステムに戻すようなアップデートが入っていったのにはがっかりした。
当初のコンセプトの正統進化を期待したんだけどなあ。
コーエーのSLGって、ナンバリング新作をコンセプトごとガラッと変えてくるので、
最高に面白かったし、自分の色を出したまんま万人受け狙ってあれだけ面白いって凄い。
minoriブランドでエロゲのOP描いてた頃から新海誠は天才なんですけど、昔のえっちなPCゲームって大体こういうストーリーだったよなって。
ググったらおんなじような事考えてる大人が沢山いて、あのこの人達は自分と同類のクソッタレオタクだから信用できる。
私はね、色々な事を思い出していて、丁度今死にたい気分なんだ。
雫、痕、うたわれるもの、Phantom of inferno、WHITE ALBUM2、ましろ色シンフォニー、こなたよりかなたまで、るいは智を呼ぶ、はぴねす!、俺たちに翼はない、家族計画、カタワ少女、水月、カタハネ、ソルフェージュ、月に寄り添う乙女の作法、乙女は僕に恋してる、オトメ*ドメイン、さよならを教えて、夜明け前より瑠璃色な、北へ。〜Diamond Dust〜、Alr……ぜんぶぜんぶ懐かしい、遠い過去の記憶。
ToHeartでシナリオライターやってた高橋龍也はアニマス、アニメ化したモバマスの脚本の中枢を担っているし、月姫で一旗揚げてFateで法人化した有限会社Noteはなんと今もFateのソシャゲでがんがん稼いでる。
FrontWingなんて成功しないと思ってたブランドがグリザイアで一山当ててアニメ化まで漕ぎ着けたし、老舗のエルフは倒産した。
沙耶の唄の虚淵玄はこないだまで仮面ライダーの脚本描いてたし、今は西川貴教と組んで人形劇の脚本やってる。
ライアーソフトの有能ライターだった桜井光はフリーになってFateのソシャゲで若い世代から叩かれてるし、家族計画、CROSS†CHANNELの田中ロミオは一般向けのラノベ描いてアニメ化までした。
パルフェの丸戸史明の描いたラノベなんてこれから劇場公開が控えてる。
星空めておはNoteに飼われてからはあんまり世に作品を発表しなくなった。
この15年ぐらいで、何もかもが変わってしまった。
あっという間だった。
今も変わらない気でいるのは私だけだ。
今もあの頃の幻影を追っかけているのは。
戻りたい。
何も考えずPCゲームに没頭して、天才シナリオライター達が描いた夢物語に浸っているだけの日々に。
気が向いたら横浜に遊びに行ってネットミームの話で友達と盛り上がるだけで良かったあの頃に。
新海誠がこれだけ面白い脚本描いて映画作品として世に発表してる世界で、一体私は何をしてるんだ。
好きでもない仕事で日銭を稼いで、精神を壊しそうになりながら会社にしがみついて。
通勤中に、休日に、小説家になろうやハーメルンやArcadiaや東方創想話を覗いて、自分じゃない素人の小説を読んで夢の残滓を追っている。
この人生はまるで、夢を見てた学生時代の残りかすみたいな人生じゃないか。
こんな意味も価値も感じられない人生が残り30年も40年も続くなんて、想像しただけで恐怖で身がすくむ。
どこで人生を間違えてしまったのだろうと考えた時、逆なんだと思い立った。
人生を間違えなかったから、IT関係の会社勤めなんてくだらない結末に至ってしまったんだ。
4月に入社してからもう4ヵ月になる会社勤めは、別にやりたい仕事でもないが、安定した収入になる。
増田だが、文字数制限で追記できなかったことを吐いて終わらせる。
ちなみにいろいろ勘違いされている人も多いようなので、言っておくと、別に恋につじつまってなくてもいいんだと増田は思っている。キャラをしっかり描けば、つじつまが合わないのに何故か説得されてしまい、恋愛が成立する。そしてキャラクターがきちんと描けているかどうかというのは、やっぱりシナリオ全体にシナリオライターの存在をいかに悟らせないかに尽きると思っていて、その点で前述のお三方はたしかに作風が現れてはいるが、シナリオ全体に無理筋がない。描くべきものをきちんと描いた結果の必然としてキャラクターがいくつくべきところに行き着いた結果を描いている。シナリオのためにキャラクターを駒のように使うことをしないというのはとても重要なことで、虚淵氏もそのせいで「自分にはバッドエンディングしか書けない」と自棄にすらならせるほど飼いならすのが難しいスキルだが、安定感のあるシナリオライターのほとんどはキャラクターにシナリオを語らせるという手法を取っていることが多いと思う。正解ありき、シナリオありきでキャラクターを作ることが悪いわけではないが、やっぱりそれだとご都合主義的なシナリオを回避できない。殊に恋愛に関しては人間模様だけがすべてで、その中でどれだけパターン化されたシナリオの中にキャラクター性を見いだせるかが肝なのだから、お決まりのシーンやお決まりのパターンをどれだけ裏切れるかがむしろ味噌なのだと言い切ってしまってもいいと思う。
そういう意味では、とにかくデートイベントを入れたり、主人公に照れるヒロイン像、お料理イベントといったお決まりをパターンのように踏襲する手法こそ、裏切って然るべきものなんじゃないだろうか。そしていちいち主人公を好きになる主体性なんてものに、わざわざエピソードを入れなくてもいいではないか。奈須きのこ氏の悪いところは、もしかしたらつじつまを合わせることばかりに終始しすぎて、振り切れてないところにあるような気もする。Fate/ExtraやExtellaを見ていてもそうだったけど、感動シーンなはずなのに「このシーンいらねえわ」とか「別に感動させなくてもいいわ」と思ってしまうシーンがたくさんあった気がした。没個性型の主人公なのに妙にシナリオの中でノリツッコミするところなんかもモヤモヤした。パターン化され、お決まりで、踏襲的なシナリオに終始している感じがあって、言葉や台詞ばかりが妙に浮いているのだ。
いちいち主人公に格好つけてヒーローさせなくてもいいような気もする。変に人格障害こじらせたりとかも不要だと思う。衛宮士郎も、いちいちアルトリアに張り合って過去に闇を持つ壊れた人格を持つ必要なんてなかったように思う。衛宮士郎くんはちょっと無力すぎたし、そのくせ無謀に過ぎて人間的になんというか情けなくて鬱陶しさが目立つのもマイナスだ。それこそセイバーが言うように「能力が無いなら下がっているべき」なのだ。無理に前に出てセイバーを守ろうとする、そんなところに人格障害&人格破綻者みたいなエピソードを入れる必要はないし、別にそれがあったところでシナリオに深みが出たとも筆者は思わなかった。単に衛宮士郎という人間像に理解不能感が増すだけなのである。そんなことさせるくらいなら、普通の少年なのに突如ギフトとして特別な力を持ってしまった少年というプロフィールにして、普通にアルトリアの元英国騎士王というセイバーにびびったりちょっと劣等感を感じたりして、そして本当にそのまま特にヒーローっぽいことも出来ずヒーローになれず、ただ突如として与えられた聖杯戦争の参加者という立場で何らかの与えられた力との向き合い方を懊悩し、悩みながら、同じ悩みを抱えてそれでも聖騎士王という立場を全うしたアルトリアに学びながら、彼女に惹かれながら、自分の使命を全うしようとする、そんなエピソードで良かったのではないだろうか。そんなシナリオであれば、もっと素朴で純朴な恋愛が描けたのではないだろうか、どうだろうか。
そして奈須きのこ氏もそれに気づいているからこそ、Fate/Extra、Extella、Fate/GrandOrderではそういうシナリオを書こうとしたのではないだろうか。
内容にかんするきちんとした反論であったので、言及する必要を感じた。
ちなみに意見としてはこの三行が要旨であろう。
> 奈須作品は主人公の生き様を見てヒロインが主人公に惚れるケースの方が圧倒的に多い。
> そこを、分かり易い恋愛スイッチでキモ男にコロリと落ちるチョロインと勘違いしないように。
> 増田に女性の主体性って視点がない。何かしてもらったからじゃなくて、何かしているのを見て恋をするんだよ。
おそらくだが、ほぼほぼこれは衛宮士郎、岸波白野、藤丸立香を指して言っているのだろうと思う。こいつらの特徴は、生き方や人生に対する向き合い方=人格的な部分を評価されているエピソードが多いところである。これはwikipedia見るだけでも一目瞭然である。だが、その上であえて言おう。それは間違っている。なぜならば
その証拠に、型月の主人公はただのむっつりスケベである。彼らは純朴・朴念仁・お人好しという格好を装っているだけで、実はメチャクチャむっつりである。これはFate/Extra、Extellaのストーリーを追っかけていればわかる。こいつら、実はかなりヒロインに対してセクハラしてる。ただ同じくらいヒロインたちが主人公に対してセクハラをする。ただ、重要なのはセクハラがどうとか主人公がむっつりである、とかそういうところではない。要するにここから那須きのこ氏の作風が透けて見えるのである。つまりキャラクターがシナリオに追従している、という作風である。
本当はこいつらメチャクチャむっつりのドスケベ野郎なのに、ストーリーやエピソード全体で語られる人格は「公明正大で忍耐強く、極端なまでに懐が広くて朴念仁でお人好し」なんだぜ?なんでこういうキャラ付けがなされるのかというと、これまた単純な話で、要するにこいつら性癖を隠すためにこういうキャラ付けがされているだけなのだ。で、特にこれが言いたいのだけれど、本当に主人公たちがマジで性癖があってエロくて人間的に駄目なやつなら全然問題ないのだ。それは単にキャラクターの人物像を掘り進めた結果としての個性になる。だが那須きのこの場合は違う。那須きのこは自分自身の性癖や変態性を隠すために主人公に「人格者」というキャラ付けをする。つまりキャラクターからストーリーを生んでいるわけではないのだ。こいつの性的嗜好を満たすストーリーのためにキャラクターを配置しているだけなのだ。これがキャラクターが描けていない所以だ。
したがって、“女性の恋への主体性という観点が抜けている”という指摘があったが、これも違うと言えよう。何度も言うが、Fateのヒロインは基本恋愛スイッチを押されているだけだ。主体性に似たものをエピソードの中でときたま見せるときもあるが、これをもってしてFateヒロインに恋に落ちる主体性があると考えるのは間違いだ。単にストーリーのつじつま合わせを狙っているだけに過ぎず、これを持って「きちんと好きになった理由がありますよ」とエクスキューズする逃げ道を作ってるだけにしか見えない。そしてそれを成立させるための男性のキャラクターを逆算で考えるため、追従的に男性キャラクターを没個性的なくせに妙に正義感を使命感あふれて包容力がある実はムッツリスケベな男性像ばかりにしてしまうのである。
この代表格は型月ヒロインの代表格:セイバーさんと衛宮士郎くんの関係である。
これは有名な話だと思うが、セイバーはもともと男で衛宮士郎が女という設定だったことを知っているだろうか。Fate/Prototypeで描かれている関係こそが、fate/Staynightのもともとの形だったのである。これがキャラデザ担当の意向とエロゲ売り前提事情から何故かセイバーを女にしてシナリオ改訂しなければならくなった、という逸話は有名だ。(没個性型主人公というのもエロゲによくある話なので、型月主人公の妙な没個性性の源流をここに求めることも可能だろうとは思う。が、私としては前述にも述べたようにきのこ氏の作品発表系列として「空の境界」の黒桐くんを源流と考察しているし、これは間違いないと思っている)
さてここで問いたいのだが、元英国騎士王が現代高校生の落ちこぼれ魔術師もどき男子のところに召喚されてきて恋に落ちる主体性ってなんだろう???
そんなもんあるわけねーだろ。初っ端からシナリオが無理筋じゃねえか。こんなもんまともなストーリーになるわけない。よくてギャグにしかならん。衛宮士郎の人格的な闇?英国騎士王セイバーさんの聖人君主たるがゆえの騎士王としての悩み?アホかそのどこに恋愛につながる要素があるんだよ。シナリオを読めば分かるけど、終始衛宮士郎はセイバーさんを女の子扱いするために謎の頑張りを続け、デートをして現代日本の遊楽街を引っ張り回したリ飯食わせてみたりいろいろデートイベントらしきものを作ってはいる作ってはいるが(ry あれこれシナリオの中で理由らしきものは語られてはいる、語られてはいるがどれもこれも取ってつけたようなよくわからんエピソードばかり。
結局このひとことで終わっちまう気がしてならん。だってエロゲですもん。でもこの言葉で終わらせてしまったら思考停止。言葉に出した時点でシナリオに対する分析する意味自体なくなっちまうパワーワード。でもある意味では結局この言葉に行き着く気がする。要するに、Fate自体最初からつじつま合わせのためにシナリオが存在してきたようなものだ。恋に落ちて人間性を取り戻す英国騎士王という文学をエロゲにするためには、きちんと主人公とセックスするために英国騎士王を女にして、彼女とデートする必要があったんだろううん。果たしてエロゲを描くために英国騎士王を出してくる意味があったのかどうかは置いても、だ。そう、Fate/StayNightはもともとエロゲだったのだ。だからしょうがないのだ。人間性を描けていなくても、女性の恋に落ちる主体性にいまいち説得力がなくても、主人公が単にライターの性癖を隠すためだけに没個性的で奇妙なくらいに人格者でありながら実は内面は単なるむっつりスケベでも、しょうがないのだ。
そんなわけねーだろ。エロゲならキャラクターを描けてなくてもいいのかよ。そんなわけあるか。そんなこと言ったら虚淵さんだってエロゲライターだぞ。しかも割とストーリー性も評価されてるタイプのエロゲライターなのである。なのにこの作品の完成度の違いは一体なんなのだ?というもっともな指摘を那須きのこ氏は逃れられない。元がエロゲだから、元々無理筋なシナリオだから、こじつけっぽいのはしょうがない?それは単なる言い訳だろう。
少々反論もあった衛宮士郎についても言及しておこう。すなわち衛宮士郎とは、やりたいシナリオのためにキャラクターの人間像に説得力のあるエピソードを加えていく奈須きのこ氏の作風の中でも顕著な失敗例、である。主人公が没個性的な理由かつ妙なヲタノリをするのは間違いなく主人公たちが奈須きのこ氏のアバターとしても機能しているからだと私は睨んでいる。それを踏まえて何度も言うが、基本的に奈須きのこ氏はむっつりスケベなので、むっつりスケベなエピソードを書くために女の子が存在している。そしてその女の子と対比させる形で男性キャラクターを反存在的に生み出している。つまり男の子は所詮反射的にいなきゃいけない存在だから生まれてくるキャタクターに過ぎない。そしてむっつりエピソードを成立させるためには女の子がそれなりに異常でなければならないが故に、その異常な女の子に好かれてかつ包容できる男は同様にまた異常でなければならない。つまりシナリオの必然性のためにキャラクターのすべてがつじつま合わせのプロフィールを持っているに過ぎず、衛宮士郎くんの場合は元英国騎士王でありながら実は女の子という異常性を持つセイバーというキャラクターが、魔術適正がありながらほぼ無力の男子高校生である士郎くんとの恋愛を成立させ、恋愛における主体性を持って最終的に結ばれるエンディングを迎えるためには衛宮士郎くんにもそれなりに異常であり傷がなければならない、というシナリオライター的バランス感覚から逆算して生み出されたつじつま合わせのキャラクタだからだ。
そろそろ言いたいことが分かってきてもいいんじゃないだろうか?厨二病という自意識過剰な男性像が自尊心を失わずに英国騎士女王のような格上の女性とデートを成立するために必要な自意識過剰さを支えるために異常性というプロフィールが用意されている。まさにシナリオ追従でキャタクターを配置していることで起こる典型的な弊害だ。
ちなみに青セイバー・アルトリア・ペンドラゴンの過去と元英国騎士王という過去がある女を落とすために主人公(男)もまた異常でなければならない、という等式は単に奈須きのこ氏の脳内にある思い込みであって、実際にはシナリオライターの技量次第でまったくそうではないと思うし、そもそも衛宮士郎くんが男子高校生である必要もまったくなかったと思うが(※例えば虚淵氏が描く衛宮切嗣氏とセイバーの関係の方がよっぽどドラマティックな恋愛シナリオが書けたのではないかと思うくらいだ)そこは突っ込んではいけないらしい。(※これは単に奈須きのこ氏が衛宮切嗣のような男性像を描けなかったからであり、これは彼のキャラクター像が描けないというシナリオライターとしての欠陥からくるものだ。これがいかに病理的であるかは全開語った通りなので割愛するし、この原因は彼のむっつりスケベからくるものだと私は主張してはばからない。そしてこれを乗り越えて、魅力的な男性キャラクター像をきちんと描けるようになることが、奈須きのこ氏の課題だと筆者は思う)
わりと上記のような指摘があったような記憶するので、一応代表的な脚本家をあげてみる
シナリオライターのタイプにはいろいろあるが、実力の高い作者がよく言うこととして「キャラクターが勝手に動いて言うことを聞いてくれないことがある」。これはキャラクターを掘り下げて書くことが得意なタイプによくある特徴で、稀代の脚本家でいえば特撮系の脚本家として有名な小林靖子氏などがそうだろう。氏は脚本を書いていて、シナリオがキャラクターにらしくない行為を強いている場合に、躊躇なくキャラクターにシナリオを追従させる。つまりシナリオをキャラクターに合わせて改変させてしまうのだ。これはキャラクターをシナリオの駒と考えるシナリオライティングとは真逆のアプローチだが、結果としてこれが人間像をきちんと描くことからシナリオ自体の評価につながる事が多い。
また同じようにキャラクターが持つ人間像から醸し出される雰囲気や空気感を出すことにかけては吉田玲子氏の名前を出さないわけにいかない。氏の名前を検索すればすぐにでも代表的な作品がいくらでも出てくるはずだ。この人も脚本賞を二度受賞している。このひとの名前を出すと、すぐにガルパンとかけいおんが出てくるのだが、私としては「デジモンアドベンチャーぼくらのウォーゲーム」とか最近の作品では「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」や「夜明け告げるルーの歌」などを上げたい。他にも「猫の恩返し」「若女将は小学生」キャラクターを描けている、とはこういう作品のことを言うのではなかろうか。特に氏の作品はシナリオの安定感が抜群で評価できる。バランスがよく、それでいて繊細で、何気ない日常の何気ない動作の中に登場人物の感情を表現する手腕には舌を巻く。
女性ばっかりなので、男性も上げておこう。他でもない筆者は虚淵さん大好きである。Fateの中で唯一好きといえるシナリオはFate//Zeroと豪語するくらい虚淵押しである。当然PsychoPassも押さえている。ちなみに筆者を女性と指摘する声もあったが、残念ながら私は男性である。「まどマギ」はもちろん「楽園追放」「沙耶の唄」も消化済である。氏のシナリオの面白いところは、なんだかんだ言って社会風刺を含めたメッセージ性をきちんとエンタメシナリオの中に押し込めることが出来ているところである。しかもこの辺を、いわゆる世間の「反戦」だとかいうご教育主義的で説教臭い作品ではなく、エンターテインメントという作品の中で行えているところがすばらしいと思う。あくまでこれはエンタメなのだ、という前提を忘れてしまえば、主義主張の強いプロパガンダのような作品になってしまう。こういう哲学ばかりするアニメーションではなく、きちんとエンタメをやっていながら、そのエンタメに深みを与える要素として社会風刺がきちんと出来ているところがとても良い。氏の脚本のハードボイルドな側面には魅了されるばかりだ。