2020-02-05

なぜオタクフェミ不毛対立をしてしまうのか

 直近だと献血ポスターの宇崎ちゃん炎上したように、ネット上ではオタクフェミの争いというものがたびたび起きている。が、そこでのやり取りを見ているといつも議論は噛み合わず、ただただ不毛対立が盛り上がるばかり。なぜこのようにオタクフェミ不毛対立をしてしまうのか。

 

 それについて論じる前に、まず自分立場を表明しておく。例の宇崎ちゃんポスターについて自分は「即座に撤去する必要があるほど問題のあるものではない」「が、今後において避けるのが無難と言える程度の問題は確かにある」という見解を持っている。なんともどっち付かずで玉虫色見解だ。ただ、このような歯切れの悪さこそが大事だと確信している。というのも白黒はっきりさせるような歯切れのいい議論ばかりがなされているのがオタクフェミ不毛対立の大きな原因であると考えているからだ。

 例の宇崎ちゃんポスター批判者が主張する理屈は「公共性の高い場所女性性的側面をことさらに強調しそれをアイキャッチャーとして利用するのは女性差別である」というものだ。この主張に向き合う上で確認しておきたいのは、この主張には程度問題グラデーション内包されているということだ。まず第一公共性の高さというのがグラデーションを含む概念だが、相対的重要性が低いのでとりあえずスルーする。より重要なのは性的な強調というのがグラデーションを含む概念だということだ。ここを意識しないとどうしても議論不毛となる。

 例のポスターにおいて宇崎ちゃん巨乳突き出し、煽るような表情でポスターを見る者に視線を向けている。これを性的な強調が無いとするのは難しい。というか不可能だろう。一方で露出は少なく、あからさまなエロというわけではない。この「性的な強調はあるがあからさまなエロではない」という半端さこそが騒動が拡大した大きな要因だ。もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳余地のないエロだったらオタク達も批判対象とされることに反発しないだろう。一方でポスターの内容が特殊な嗜好の持ち主以外誰も性的に感じないようなものであれば批判者が1人いても誰も追随しないので大きな騒ぎにはならない。性的な強調があると言ってもその程度には濃淡があり、薄ければ問題とならないし濃ければ問題となる。例の宇崎ちゃんポスターはちょうど問題があると思う人も多くいれば問題ないと思う人も多くいるグレーゾーンのものだったのだ。

 そしてこのグラデーションへの意識ポスター批判するフェミ側もそれに反発するオタク側も欠いていたのが不毛対立の最大の原因だ。

 SNS上ではより強い表現を使った方がウケるフェミ側はこの件で強い糾弾調の表現を用いてしまった。世の中には本当に一切の寛容さを示さず強く非難すべき女性差別というもの存在する。例えば医学部入試での得点操作がそれに該当する。一方で女性差別的と言えるがあくま不適切レベルでありそこまで強く糾弾しなくても良いもの存在する。宇崎ちゃんポスターこちらだろう。グレーのはずのものを真っ黒であるかのように扱ってしまったためにグラデーション意識した議論が成立しづらくなってしまった。

 一方のオタク側の問題として大きいのがオタク達が滑り坂論法に陥ってしまたことだ。滑り坂論法とはひとつを認めるとどんどんエスカレートしていき最終的には破滅的な結果を招くので最初の一歩も認めるべきでないという論法のことで、どんどんエスカレートしていくはずであるという認識が単なる不安感情の表れでしかなく根拠を欠くため誤った議論典型として扱われる。オタク達がこの誤った議論に陥ってしまたことにより何が起きたかというと、フェミ側の主張を完全否定してしまわなければならなくなってしまった。例の宇崎ちゃんポスターは先に述べたように性的強調があることを否定するのはおよそ不可能な代物だが、それすらもオタク達は否定しなければならなくなってしまったのだ。そうしてオタク達はフェミ側の「女性アイキャッチャーにするな」という主張を「結局オタクが嫌いなだけ」「フェミ巨乳差別している」といった明らかに元の主張と異なるものに捻じ曲げ、フェミ達を悪魔化することによって「オタクフェミに不当に攻撃される被害者」と位置付け団結する戦略に流れてしまった。もしもオタク達にグラデーションへの意識があれば、「女性アイキャッチャーにすべきでない」や「宇崎ちゃんポスター性的強調表現がある」といった否定しようとすると無理が生じるラインまでは受け入れつつ、とはいえその度合いは著しく不適切と言えるまでのものではないという形で反論することができただろう。しかし、滑り坂論法に囚われたオタク達の防衛ラインフェミの主張の完全否定まで引きあがってしまい、宇崎ちゃんポスターには少しも黒い要素はない、真っ白であるというグラデーション意識した議論を受け入れられない立場を取ることとなってしまった。これでは議論不毛となるより他にない。

 とにかく大事なのは白か黒か、0か100か、ではなく、物事にはグラデーションがあるということを意識しなければならないということだ。

 ここで注意しておきたいことがある。グラデーション存在詭弁によって攻撃やすい穴にもなる。その攻撃とは「基準を示せ。基準を示せないならそれはただのお前の主観しかない」というものだ。残念なことにネット上では「それってあなた主観ですよね?」と煽るひろゆき画像が出回っているようにこの手の詭弁論破テクニックとして重宝されがちだ。

 しかし、基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点無効ということもない。

 このことを考える上でハゲ頭のパラドックスを取り上げたい。髪の毛が一本も生えていないハゲ頭があるとする。ここに髪の毛を一本生やしてもその程度ではハゲハゲのままだ。では2本目を生やしたら? やっぱりハゲだ。3本目なら? まだまだ全然ハゲのままだ。髪の毛を一本増やした程度でハゲハゲでなくなることはない。しかし、このように一本ずつ髪の毛を増やしていけばいずれその頭はフッサフサになりハゲではなくなるはずだ。では、ハゲはどこでハゲでなくなるのだろうか?

 この問題についてはっきりとした基準を示すことはできない。一応頭皮のうち髪の生えていない範囲が5割に満たなければハゲとみなすというように基準を作ることは可能だが、その基準日常語としてのハゲの使われ方とは距離がある。頭皮のうち髪の生えている範囲が50パーセントならハゲではないが49%ならハゲというのは明らかにおかしい。

 では基準を示せないならハゲという概念自体存在しないのだろうか? そんなはずはない。明らかに頭髪の薄い人がいて、それをハゲと呼ぶのはただの主観に過ぎないのだろうか? もちろん大半の人はそれをハゲとみなすだろう。ただの主観に過ぎないとは言えない。

 グラデーションのあるものについてはっきりとした基準を示すことはできない。しかし、そのことは即座に客観性を欠くことを意味はしないのだ。

 

 最後に余談となるがなぜオタクフェミオタクの敵とみなすかについて自分見解を述べる。

 おそらく最大の理由情報の偏りだ。

 宇崎ちゃん騒動の発端となった太田弁護士ツイッターアカウントを見てみると、だいたいいつも自身ツイートRTで何事かに対し怒りの表明や批判をしている。別にオタクけが狙い撃ちで批判されているわけではない。

 しかし、そういった普段の振る舞いはオタク達に広く拡散されることはない。オタクが叩かれているわけでなければオタク達は特に気にしない。例えばテレビ東大女子排除した東大のウェイサークルが取り上げられ、それを受けてフェミ達がサークル批判的なツイートをしたとしても、「【悲報フェミさん、ウェイの敵だった」というようにオタク達に拡散はされない。広くオタク達がフェミ達の主張を見るのはフェミ達がオタク関係あるもの言及しているときに限られる。こうして、オタク達の中にフェミオタクばかり叩いているという認識が出来上がる。これはちょうどデータを見ると実際には治安が良くなっているのに、テレビ凄惨事件がよく取り上げられるので物騒な世の中になっているように錯覚しがちというのに似ている。

 そしてもうひとつ理由歴史的フェミ勝利たからだ。

 かつてはビールポスターといえばグラビアアイドル水着だった。しかしそういったポスターは今となってはほぼ絶滅した。

 今の時代、それこそ献血のような公共性の高いところでのポスターを作る場合、そこに起用されたのがグラビアアイドルであってもわざわざ批判を招くことが容易に予想できる水着ポスターにはしないだろう。普通に作れば炎上を招くようなものは避けることになる。

 そんな中、唯一炎上を招くようなものが通ってしまルートオタクコンテンツとのコラボだ。

 例えば鉄道オタクのように「〇〇オタク」というのではなく単に「オタク」という場合現在ではこれは二次元美少女コンテンツの熱心な消費者のことを指す場合が多い。近年(というほど最近に限らないが)のオタク文化は二次元美少女と共にあり、更に言うとエロと共に発展してきた。

 これは「まどマギ脚本虚淵玄エロゲーのシナリオライター」とか「エロさえあればなんでも許されるところでクリエイターが育った」とかそういう話ではなく、もっと直接的な話だ。ラノベを読めばなにかしらラッキースケベ的展開が用意されている場合が多いとか、異種族レビュアーズが地上波アニメ化されてるとか、彼氏のもとに彼女チャラ男からビデオレターが届くが実は彼氏のためを思ってのもの寝取られたわけではなかったというエロ同人ネタを前提にした漫画ツイッターバズるとか、そんな具合にオタク文化はエロと共にある。

 なのでオタクコンテンツの作り手は性的な要素を強調することでキャラクターを魅力的に見せるテクニックに長けているし、それは手癖レベルで染みついている。よって、公共性の高い団体オタク作品コラボしたときオタクコンテンツの作り手が普段と同じノリで仕事をすると公共性の高さに対して相応しくないとみなされるほど強い性的強調を含んだものが世に出てしま場合がある。もちろん悪意などなく無意識に。

 また、宇崎ちゃんのように単行本の表紙がそのまま流用された結果……というパターンもある。宇崎ちゃん場合作者が心身の不調やスケジュール上の都合のために献血コラボで描き下ろしを用意することができず最新単行本の表紙がポスターに流用された結果炎上を招く事態となってしまった。単行本の表紙は献血ポスターのように公共性の高いものとみなされないため性的強調を含んだイラストで「この作品にはエッチ可愛い女の子が出てきますよ~」と訴えて手に取ってもらいやすくするのは当然の戦略と認められるものだろう。が、それがそのまま別文脈に置かれてしまうと炎上を招くこととなってしまう。正直宇崎ちゃんの作者は運が悪かったと思う。描き下ろしを用意する余裕があれば炎上騒動に巻き込まれることはなかっただろう。かつてののうりん炎上の件もこのパターンだ。

 このように通常ではまず炎上するような表現が表に出てくることはないのに対し、オタクコンテンツとのコラボにおいては……という事情があるため、公共性の高いところでの性的強調表現フェミ批判される事態オタクコンテンツ絡みに偏ることになる。このことが「フェミオタクを敵視している」という印象をオタク達に与えているのではないだろうか。

  • ■anond:20191103104012 この手の話題で批判されるオタクって所謂「趣味人」としてのオタクとは意味違うからな 実際の所アニメも二次元美少女も大して興味ない、ただ女叩きたいだけ、...

    • まともなオタクは今回のフェミニストの指摘には基本的に同意してますからね 反発して叩いてるのはオタクでもなんでもないただのミソジニー連中 第一弾と第二弾が理解できないという...

      • どうせ『俺に同意しないヤツはまともなオタクとは言えない』んだろ?

        • これは「誰も傷つかない表現」で、傷ついたとか言ってる奴は全員被害妄想 素晴らしい理屈だ

  • もしもポスターの内容が対魔忍のアヘ顔といったような言い訳の余地のないエロだったらオタク達も批判の対象とされることに反発しないだろう。 秋葉のエロゲポスターですら批判さ...

  • 主張には全面的に同意する。私の日々の考えとも同感でもある。細かい例(異種族レビュアーズどうとか)はよくわからないのにもかかわらず。   私は女で、昨日はこんなエントリを書...

  • >基準を示せないものがすなわち主観にすぎないということは決してないし、基準を示せないならその論点は無効ということもない。   グラデーションがあるものは明確な基準点は打て...

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