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2022-07-11

プロテスタント大学での統一教会の扱い

統一教会ネタにいっちょ噛みしたいのでプロテスタント大学での統一教会の扱いについて説明するよ。

https://anond.hatelabo.jp/20220710130132

因みに日本ミッションスクールイエズス会の作った上智大などの少数を除いて、殆どプロテスタント系だ。これはプロテスタントの方が伝道師資格が得やすいというのと、アメリカの影響を受けているからだ。

 

プロテスタント校では統一教会絶対認定

 

日本の多くのプロテスタント教会統一教会と戦っているので、そのミッションである大学では統一教会活動ははっきりと禁止されている。「信教の自由」みたいな微温的な言い分には完全に聞く耳を持たない

特にピリピリしているのが学内での勧誘原理研偽装サークルを通じたオルグで、入学時のオリエンテーションでかなりの時間を掛けて注意を受ける。

 

もし学内での勧誘が発覚したらかならずこうする、と強く警告を受ける。

曰く 

 

1.当該学生は呼び出される。

2.教会牧師教授の説得チームが構成され親を交えた脱会説得。親が田舎に居る場合でも大学に出てきてもらう。

3.「説得に応じない場合」という譲歩の想定は無し。

4.偽装サークルを作っていた場合サークル強制的に閉鎖、関わった学生は全て停学の上で上記1と2コース

5.停学の解除条件統一教会脱会のみ(勧誘しませんの約束ではない)。

6.断った場合例外なく退学。

7.偽装サークル主催者猶予無しに退学。

 

統一教会には絶対に接近されるな、勧誘されるな、勧誘する立場までになったら退学だぞ」と念押しされるんだな。

その結果、ミッション校では完全に原理研フリーになってて、学生統一教会問題というのは過去のもので既にこの世にないものと思っていたりする。それで、卒業したら統一がまだ現役で活動しているという事を知って驚いたり、逆に接近されても気が付かなかったりする。

増田卒業後にネット原理研の話を聞いて、あれってまだ現役だったモノなの?と驚いてしまったくらいだ。

免疫まで無くなってしまうのはちょっと考えものかもな。

 

熾烈な戦闘脱会運動

 

なんでプロテスタントミッション校でこんなに統一教会を徹底的に排除しているのかというと、過去に非常に戦闘的な脱会運動をしていたからなんだな。

統一教会国会などで問題になって盛んに報道されるようになったのは1990年以降なんだが、その前の80年代には霊感商法洗脳的な集団生活などが問題になって来ていた。

それで牧師たちがこの邪教から学生相談を受けた親の子息を足り戻す脱会運動をしていたんだがこれは説得とか生ぬるいものじゃない。何しろまず洗脳解除をしなきゃいけないから使う言語肉体言語込みになる。

 

1.まずターゲット道場や寮で集団生活をして宗教活動に励んでいるので、外に出るタイミングを見計らって路上などで親と牧師達で取り囲み、説得したり怒鳴ったり泣き落とししたり腕力で肉体的に説得して車に押し込んで連れ去ってしまう。その為には生活パターンの把握が必須なので張り込みもやる。

2.統一が身柄奪還の為に連絡を取りに来るので、家には戻さない。教会大学の寮に入れる。とにかく身柄を確保してしまう。

3.洗脳を解く方法は逆洗脳。寝かせずに説得、キリスト教教義の論争を仕掛けて全て論破しまくる、大声を浴びせて疲れさせる、急に泣き落とす、急に叱りつけてから急に話を聞いて心を開かせ過去自分を思い出させる。信者のせいで崩壊した家庭の事を説明してこの先の事を考えさせる。

 

こんな風に非常に強引な手法洗脳を解き、日常に復帰させる。その後のセミナーカルトなどの例を見ても脱洗脳はみなこういう方法を取るようだ。

だけど教団側も手をこまねている訳じゃない。こういう手段で身柄を取り返しに来る。

 

通勤通学路や家の近くで待ち伏せして「騙されているんだ帰ろう」と説得する。これは数度だけじゃなくて非常にしつこく、何年間、何十何百回も繰り返される。

人身保護仮処分請求

 

から教会とか寮とかの牧師達の目の届くところに住まわせる必要があるし、法廷闘争に対抗して弁護士を立てる必要もある。

牧師達は第三者なので親は仕事を休んで家裁に行く必要もある。

 

からネットとかで統一側に立って「信教の自由がー」「信者人権がー」って言ってるのを見ると悪いが鼻で笑ってしまう。

人権学校では「崇高なもの」みたいに教わるが法廷では誰もが主張できる武器である武器を掲げているからそっちが正義みたいに思い込むのは学校ホームルームであって、こっちは法廷である

本人脱会後で終わりじゃない

 

本人の脱会成功しました。おめでとう御座います…じゃない。その後も再オルグ対策は続けなきゃならない。

非常にしつこく信者接触しに来るので、本人の引っ越しは当然のこと、家族引っ越しする。その為に家を売り払う場合もある。

本人は何とか大学卒業する。そして遠方に就職する。友人も本人を追えなくする。交友関係が切れてしまうが仕方がない。

とにかく身を隠す為の生活余儀なくされるのである。まるで犯罪者だ。

実家引っ越しには親の転職も含む場合がある。だから相当の金も掛かるし、人生も変わってしまう。でも信者のままで霊感商法従事すると本人も家族人生なんて無くなるからずっとましである

 

オウム事件で非ミッションスクールにも飛び火

 

プロテスタント牧師達はこういう風に統一教会と戦って大学から排除していたのだが、他の私学、国公立では信教の自由の下で放置されていた。だから統一ミッションスクールから手を引いてやりやす普通の私学国公立オルグをしていた。

ところがオウム事件日本中を震撼させると学内でのオルグ問題になってくる。

そこで多くの大学方針を切り替えた。プロテスタント大学のように戦闘的な脱会運動や退学処分が当然のような方針ではないが、他のカルトと一緒に統一教会原理研勧誘注意喚起が出され、「原理研偽装サークルに注意!」と張り紙が出るようになった。

 

因みに1990年頃の大学改革米国式実学学部が人気になり、旧来の学部でも実学系の講義が増えたのだが、その非常勤講師自己啓発セミナー勧誘を行う事が問題になっていた。それも当時にそういう講師を学期途中でも解雇にするという形になったのだが、、、後にこれら自己啓発系は企業社員研修に食い込むようになってブラック企業隆盛の片棒を担ぐようになったのだな。

 

名称変更問題

統一教会1980年代末にはTVで大々的に批判されたので、こういう状況になると警戒されて学内勧誘が非常に難しくなった。

そこで統一名称の変更を言い出す。世界平和統一家庭連合通称:家庭連合だ。

因みに「家庭」っていうタームは、1990年代の保守陣営流行のようななのだ

共産主義親玉ソ連が無くなって自由主義陣営共産主義陣営の戦いという「歴史が終わっ」って戦う相手がいなくなってしまったせいで、陣営としてバラバラになってしまった。運動の核が無くなっちゃったのだな。それでマルクス主義フェミニズムなんかが家族という制度攻撃している!家族父性大事にしようっていう風に再び集合するためのテーゼを共有したのだ。この時、この家族大家族なのか、戦後核家族なのかは敢えて問わないようにした。

 

この名称変更を文化庁はずっと拒否していた。理由偽装勧誘の為なの明白だから当然な対応である

これを第2次安倍内閣下村大臣時代に通してしまった。

これまでの経緯を見るとかなりヤバい事をしたと言っていいだろう。牧師らの長い戦闘脱会運動オウム事件で流れた血の果てに統一勧誘名指しが無されたのにその効果をパーにしてしまった。

 

日本保守プロテスタントの折の悪さ

保守派の論客自民党議員カソリック信徒の人は多い。日本ではプロテスタントが専ら優勢なのに奇妙だ。

それは、以上の経緯で日本プロテスタントがかなりリベラル寄りになっているって事が原因だ。

そもそも統一信者霊感商法家族崩壊という社会問題化を封じてきたのは反共議員達であって、憤怒の的だ。

反共議員が多いのは自民党だったが、社会党にはもっと濃度の濃い反共議員がいた)

そういう事情が影響していると思われる。

から日本プロテスタントが左寄りだ!っていうはそうだと思う。

だが、ネットで「日本プロテスタント共産主義!」とかいうのを見る事もあって、そういうのを見ると「ああ、やってるなぁ/誰の影響か知らずに居るんだろうなぁ」と思うのである

2020-05-19

anond:20200519122136

40なったら50まで生きたいといい

50なったら60

60なったら70という

 

戦犯裁判

バターン半島の陥落後、1942年8月参謀本部附となり[2]、内地へ戻る。「日本ニュース」第115号にて、「本間将軍帰還」の肉声・映像が残っている。同月、予備役編入され、以後は軍務に就くことなく、フィリピン協会理事長を務めて終戦を迎えた[2]。予備役編入理由は、バターン攻略不手際とがめられたものとされる。終戦後、「バターン死の行進の関係者処罰されるのでは」という話を陸軍が聞きつけ、「先手を打って処罰すれば刑が軽くなるのではないか」(いわゆる『一事不再理』の発想)と考え、本間陸軍中将としての礼遇を停止した。しかし、結局マニラ戦犯裁判で、バターン死の行進の責任者戦犯)として召喚された。本間は前述のとおり人道主義者であり、バターン死の行進での捕虜への非人行為本間責任ではなく、部下の責任であった。しかし、結果的責任をとることとなり、有罪判決下り本間死刑と決まった。有罪判決が下ると本間弁護団アメリカ連邦最高裁判所人身保護令を求めたが、6対2の判決却下された。

処刑は、1946年昭和21年4月3日0時53分、ちょうど4年前に第14軍司令官であった本間の口より総攻撃命令が下された同じ月日、同じ時刻にあわせて執行された。当時、ほとんどの将校囚人服で絞首刑に処せられたのに対し、本間場合は、略式軍服の着用が認められ、しかもその名誉を重んじて銃殺刑であった(同じくマニラ軍事裁判死刑判決が下された山下奉文場合は、囚人服を着せられたままの絞首刑であった)。58歳没。

 

2017-04-06

入学式直前に娘が誘拐された

別居中の妻に、小学校入学式の1週間前に6歳の娘が誘拐された。

3年前に不倫して勝手に出ていった妻。

3歳の娘を育てるため、残業も全て断り、保育園の送り迎えもお弁当の準備も全てやった。

途中で娘を返せと言われたが、裁判所の結果、監護権は夫である私に認められて、裁判の結審も秒読みだった。

離婚調停調停員や弁護士の勧めもあり、月2回の宿泊を伴う面会交流実施してきた。

そんな状況から数年が経過して、娘が6歳になり、翌週に入学式を迎えた3月26日日曜日夕方事件は起こった。

待ち合わせ場所で待機してるが、時間になっても来ない。そのとき、見たことがない携帯電話番号から着信があった。

電話相手は妻だった。

「娘は返さない。帰りたくないと言ってるので、私と住みます」それだけ言って彼女一方的電話を切った。

依頼してる弁護士事務所電話したが、休日のため連絡つかず、とりあえず警察電話した。

警察官事情説明したが、警察では何もできないと回答があった。

児童相談所にも連絡した、警察署にも内容証明告訴状も送付したが、身の危険がある訳でなく、力づくではないという理由捜査はできないと言う。

通学するはずだった小学校入学手続きに行くと、教育委員会を通じて転校生手続き済みだと言われてしまった。

弁護士相談したところ、人身保護請求の申立をしてくれる事になった。請求が認められると、相手側は子供裁判所に連れて出頭する必要があり、拒否した場合罰則逮捕されるらしい。

非常に強制力がある法律なので、棄却されることも多いらしい。弁護士が言うには、子の引渡し仮処分審判結果を以て、執行官が行う強制執行相手が抵抗して失敗した場合の最終手段で申立をするのが本来の手順である説明を受けた。

日本考えて!!

本日、娘と一緒に入学式に行く予定だったのに、直前で誘拐されて、戻ってくるかも判らないなんて。

連れ去りした側に罰則がなく、事実上の連れ去ったもん勝ちになってる現在法律を考え直してほしい。

いつか戻ってくることを信じてるけど、新品のランドセルや新しい洋服に囲まれ生活が辛い。日本真剣に考えてほしい。

※追記1

娘は6歳なので、ひとりで行き来していたのでは、面会交流は引渡しもお迎えも電車の改札手前で行ってました。

※追記2

娘の本心はわからない。しかし妻からの連絡は一方的に、「帰りたくないと言っている」のみで切電されたのみでした。

 
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