はてなキーワード: 低学歴の世界とは
父はインフラ勤め、母は専業主婦の普通の家庭に生まれた。両親はふたりとも高卒で20代後半で結婚してわたしが生まれた。
住まいは社宅から一軒家になり、リビングのある1階と寝室のある2階の家になった。
父は酒を飲み、タバコを吸う男だった。そして母は一滴も酒が飲めなかった。
父は暴力は振るうことは一度もなかったが、酒を飲むと、少し語気が荒くなった。母はそれを毎日避難し、毎日2階に逃げた。
子供の頃のわたしは、母を2階に呼びに行かなくてはならなかった。
母は常にわたしに、年をとったらわたしが母を介護するのだと毎日言い聞かせた。
子供であるわたしは、毎日父の不満しか口にしない母に媚び、慰めないといけなかった。
そしてたまに1階でわたしは父が酒を飲んでこぼす母への愚痴を聞いてあげないといけないのだ。
わたしは2階の自室で部屋のベッドで小さくなりながら布団を抱きしめて毎晩過ごした。
わたしは体が小さく、運動はできなかった、また容姿もよくなかった。しかし勉強はそれなりにできた。
わたしは近くの中学校を経て、県立の進学校に進学した。わたしは少しだけやっていたスポーツをやめ、ガリ勉になった。
わたしの学力は上がった。地元の医学部の推薦を受けることの出来る成績であったし、父はわたしに医者になってほしかったようだった。
しかしわたしは官僚になりたかった。文部科学省で、子供の未来を司る教育を作りたかった。思い返すと、子供である自分が満たされていないことの代償行為かもしれない。
慶応には受かったのでそちらに行くことにした。当時は家がおかしいとは思っていなかったが、家で浪人はできる精神状態ではなかったというのは無自覚ながらあったのかもしれない。
滑り止めは大阪大学の予定だったが受けなかった。そのとき父が単身赴任で大阪に行っていたので、やはり避けたかった思いがあったのかもしれない。
大学は刺激的だった。
わたしはいわゆる陽キャに分類されるであろうサークルに所属し、おそらく人生で一番楽しく充実した毎日を送っていたと思う。
そこにいた彼らはみな優秀で誠実で、親の愛と期待、また財力もあった。彼らのほとんどは期待と自信に満ちあふれていた。
彼らは本当に善性に満ちあふれていて、世の中を肯定的に見ることが出来るのだ。育ちが違うというのはこういう事を言うのだろう。昔話題になった低学歴の世界と高学歴の世界はまさしくこれである。
そのうち、わたしに初めての彼女ができた。今思うと浅はかな考えだが、わたしは全くもてなかった、だから当時、彼女さえいればバラ色の人生とは行かずとも人生が好転すると信じていた。
しかし、それは何も自分の渇きを癒やしてくれなかった。自分の持っている悩みは解決されないまま恋愛関係という新たな悩みをわたしにもたらした。
わたしは彼女と別れた。そして気まずくなりあまりサークルに行かなくなった。
年次が進みわたしは就活に向けて、大学向けの官僚の話を聞きに行った。そしてショックを受けた。そこに来たのはみな東大出身だった。自分の大学向けの講演であったにもかかわらずだ。少しは慶応出身のひともいるはずなのに。
わたしは後悔し、東大に行けなかった自分を恥じた。そして受ける努力もせず官僚を諦めた。
わたしは堕落し、成績はどんどん低下した。お金もなかったが留学するだけのGPAも全く確保できていなかったと思う。卒業はぎりぎりだった。
わたしはインフラ企業に就職した。安定した企業で地方転勤がない会社に入りたかった。NGだけがあってやりたいことが思いつかなかったので公益性などを考えた、いや就職のための美辞麗句として使用しただけかもしれない。自分でもわからない。なんだかんだで父を尊敬していたのかもしれない。
しかし、コンプレックスは拭えなかった。先輩方はみな電通や博報堂に入社していた。そもそもわたしは受けもしていない。
同じサークル出身でまさに文部科学省に入った同期もいた。ハンデを乗り越えて入省した彼は本当にすごいと思う。しかしわたしは怖くて彼と連絡をとることはできなかった。
わたしは会社で体育会系の部署に配属され、不眠症になった。不眠症は一項に改善されず処方される薬はどんどん増えていった。
わたしは仕事にやりがいも見いだせず、また傍目にも優秀とは言えなかった。当然ながら、出世コースに乗ることはできなかった。
他の会社は違うのかもしれないが、この会社は出世ルートから1度でも遅れたらもう二度と追いつくことはできない仕組みになっている。
しかしやる気はでなかった。そもそも出世したいかしたくないかもわからなかった。しかしお金は必要だった。
わたしはそのうち花形部署に配属された。それなりの残業代を得て、それらはすべてソーシャルゲームに消えた。
そこではわたしの評価は勝手に上がるようになった。私は上位の等級に選ばれ、少し位が上がって係長になった。同期では真ん中くらいか少し遅いほうかもしれない。
昔の部署で自分より年下の後輩が係長になっていたのを見て、ショックを受けていたわたしは少し持ち直した。
そもそもそれでショックを受けるまで出世がしたいとも思っていなかった。もはや取り返しのつかないことだが。
わたしは奨学金を借りていた。そして、借りたお金を利子がつかないよう両親が建て替えて両親に返す形になっていた。
なぜかそれが親の好意みたいな形になっていたし、そもそも払えるじゃないかとも今は思う。そして母は利子をつけない代わりに、支援機構の倍の速度での支払いを要求した。
わたしは10年かけてそれを返した。そして最後に振り込みをした日に両親と絶縁した。
わたしは外から見たら、おそらくそこそこ恵まれているように見えているのではないかと思う。
部屋は最新のガジェットとデザイナーズ家具で溢れている。椅子はアーロンだし、キーボードもRealforceだ。Alexaは一声かけるだけでシャンデリアを操作してくれる。なのに、わたしは大枚はたいた高級ベッドの上で、大の字で寝ることもできず、子供の時と変わらず隅っこで布団を抱いて眠ることしかできない。しかも大量の睡眠薬が必要だ。
わたしは人の顔を思い出すことができない。父も母も妹も昨日あった同僚でさえもゼロから顔を思い浮かべることができない。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 93 | 16683 | 179.4 | 60 |
01 | 64 | 8858 | 138.4 | 47.5 |
02 | 52 | 6104 | 117.4 | 64 |
03 | 19 | 1919 | 101.0 | 70 |
04 | 26 | 3636 | 139.8 | 59 |
05 | 13 | 1886 | 145.1 | 111 |
06 | 43 | 2978 | 69.3 | 31 |
07 | 59 | 4103 | 69.5 | 34 |
08 | 103 | 20335 | 197.4 | 35 |
09 | 106 | 11526 | 108.7 | 48 |
10 | 134 | 12594 | 94.0 | 56 |
11 | 115 | 11904 | 103.5 | 57 |
12 | 167 | 18249 | 109.3 | 48 |
13 | 115 | 6716 | 58.4 | 35 |
14 | 164 | 10607 | 64.7 | 33 |
15 | 114 | 16431 | 144.1 | 31 |
16 | 143 | 8926 | 62.4 | 30 |
17 | 101 | 11853 | 117.4 | 69 |
18 | 107 | 13387 | 125.1 | 51 |
19 | 145 | 16116 | 111.1 | 46 |
20 | 109 | 10130 | 92.9 | 40 |
21 | 121 | 18219 | 150.6 | 38 |
22 | 133 | 15955 | 120.0 | 44 |
23 | 135 | 7601 | 56.3 | 31 |
1日 | 2381 | 256716 | 107.8 | 43 |
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https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a
この記事を拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。
先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。
ただ、自分の境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。
ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性を邪推されることもないし、純粋なぼやきを書くのに最適だろう。
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筆者は田舎の一般家庭という途轍もないギャップを必死の努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。
が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。
たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端な努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。
私も北関東の片田舎の公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴層である東京の大学に進学した。が、それは努力の放棄の結果でしかない。
「成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験は彼女からすると慣れたものだろう。
だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力を放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。
小中学校は地元の公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生が暴行で少年院に入り、卒業生がバイクで学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。
そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大を卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)
受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行が海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。
(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元の公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士の試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)
高校に進学していきなり衝撃を受けた。
まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉で表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。
なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」
当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才・天才の類にはなれない。
そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力の放棄だ。
文系でもSEとしてITの世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系で高学歴を目指した。
といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力を放棄することに繋がる。
東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しかも大学に入ってからも受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。
(ここでも自分が勝てなかった奴は東大に合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)
結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。
就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系の秀才であり、文系のエリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャを田舎で成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャに成功しても育ちの良さをカバーするための努力は尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
そういえば高学歴の世界・低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎の公立中を卒業して必死に努力して都会の旧帝大や早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。
地元の公立中を出た人間が、初めて都会の人間と高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力を放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力を放棄した。
周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇の人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。
どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間のライバルとして花を添えることしかできなかった。
一方でたまたま周囲の人間には恵まれ、人生そのものはコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったITの世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからもトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底の人生を歩んで行こうと思う。
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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後の最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから。応援しています。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
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00 | 164 | 21103 | 128.7 | 42.5 |
01 | 63 | 9087 | 144.2 | 54 |
02 | 43 | 3695 | 85.9 | 38 |
03 | 37 | 5766 | 155.8 | 54 |
04 | 50 | 4419 | 88.4 | 43 |
05 | 16 | 3574 | 223.4 | 143.5 |
06 | 43 | 2918 | 67.9 | 38 |
07 | 38 | 3249 | 85.5 | 54.5 |
08 | 50 | 6675 | 133.5 | 89.5 |
09 | 77 | 10044 | 130.4 | 42 |
10 | 80 | 12304 | 153.8 | 45 |
11 | 102 | 13817 | 135.5 | 42.5 |
12 | 128 | 13222 | 103.3 | 29 |
13 | 84 | 13117 | 156.2 | 59.5 |
14 | 79 | 10468 | 132.5 | 52 |
15 | 80 | 15280 | 191.0 | 36 |
16 | 109 | 12169 | 111.6 | 46 |
17 | 78 | 9646 | 123.7 | 50 |
18 | 98 | 15751 | 160.7 | 54 |
19 | 98 | 16287 | 166.2 | 43 |
20 | 107 | 8092 | 75.6 | 36 |
21 | 146 | 20021 | 137.1 | 49 |
22 | 177 | 24076 | 136.0 | 26 |
23 | 133 | 10456 | 78.6 | 31 |
1日 | 2080 | 265236 | 127.5 | 43 |
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公立の小中は上から下まで学歴に幅があるので、同窓会に行ったりやり取りをしてたら高学歴や高収入の世界から、低学歴や低収入の世界まで観測できる。
1次情報として観測できる以外にも、出席してない同窓生なんかの話も聞けるので、2次情報なども含めればかなりの範囲を観測できる。
しかし元増田は普遍的に存在する低学歴の世界を観測出来ていないので、同窓会に呼ばれず、小中高の友達とのやり取りなども消失しているものと推測できる。
はてなで色々高学歴の世界と低学歴の世界について見たけど、本当に"低学歴の世界"なんて日本にいくつも存在すんの?超レアケースじゃない?って思っちゃう
私は低学歴でも高学歴でもないどっちつかず(一般家庭でいわゆるMARCH下位)なんだけど、高学歴の世界があるのは理解できる。
海外旅行バンバン行ってて当たり前のように海外のデパコス使ってるような人とか、付属校に推薦で入ったから受験を経験したことない人とか、えらく金かかる塾にずーっと通い続けてた人とか、他にも「マジで?」って聞きたくなる境遇の人はたくさんいる。
私は両親ともに田舎の高卒で、就職氷河期だったから大した会社にも入社できず、父親は中小企業勤務のサラリーマンで母親はパート。金がかかるからって言われ高校まではずっと公立、それから金銭面の問題で浪人も予備校行くのも許されなくて、だから参考書使った自力の勉強で、現役で行けるレベルの大学しか行けなかった。
中学は別にレベル高くなかったし、高校も部活で決めたから偏差値は低め。周りの友達にはFランと高卒と専門がたくさんいる。
ここまで書いたら分かってくれると思うんだけど、私は"低学歴の世界"で生きてた人間だと思うのね。だけどはてなにあるような"低学歴の世界"なんて見たことないし。
"低学歴の世界"がないとは言わないけど、超レアケースなのを大々的に喧伝してるだけじゃない?ってどうしても思っちゃう。だって信じられない。
世の中"高学歴の世界"と"低学歴の世界"の溝とか考えて絶望しちゃう人間なんて滅多にいないんじゃない?私だって、そこまで恵まれた環境じゃないと思うけど両親も今の大学も好きだし。格差是正とか言われてもピンとこないっていうか。
あと関係ないかもだけど、中卒とか高卒で働いて家族を養ってる人は立派だなぁって思うけどFラン大学生は皆嫌い。高い金を親に出してもらってそんなとこ行くなんて正気?って思う。
6日前、慢性化している扁桃炎を半年ぶりに発症し、いつものように40℃まで熱が上がった。扁桃炎とは、喉にある扁桃腺という組織が病原体によって腫れ上がり、様々な症状が引き起こされる病気だ。そもそも免疫の役割を担う部位なので、その症状は正しい反応ではあるが、僕のそれは大きすぎて、過敏に反応してしまうらしい。
扁桃炎を初めて発症したのは大学2年生の夏頃で、それから2年半が経つ。合計で6回ぐらいは発症しているだろうか。今までの発症時期から推測すると、台風が近づく等の理由で気圧が変化したときと、気が抜けたときに発症するらしく、今回はおそらく後者だ。大学最後のテストが終わり、バイト先の塾で担当していた生徒の受験が終わったことは、今までの緊張を一気に和らげたのだろう。
そんなわけで発症した扁桃炎だが、これがめちゃくちゃつらい。基本的に40℃前後の熱が3日ほど続いて、そのあと2、3日かけて徐々に熱が下がっていく。その間、なんの生産活動も知的活動もできないのでストレスは溜まるし、何より体力的に厳しい。今回も5日目まではこのルートを辿っていったのだが、6日目の今日、初めてそこから逸れた出来事が起こった。
体温が40℃になっていた。「あれ?」と思って再度測り直しても同じ体温を示す。全く意味がわからなかった。いまだに体調は優れないものの、明らかに症状は軽くなっている。もしかしたら、高熱に対して自分の感覚がマヒしてるのかもしれない。とりあえず長期戦に備え、後輩に買い物を頼む。冷蔵庫はおかゆとポカリでいっぱいだ。新型コロナも疑った。厚労省の相談窓口に電話すると、「3つの条件のうち1つでも当てはまったら各自治体の相談センターに連絡しろ」とのことだった。全く当てはまらなかったので、相談対象者ではないらしい。
やることがなくなり、落ち着きを取り戻してきたので、一旦ゆっくり考えてみる。なぜ体温計は体調に見合わない高熱を示すのか。体温計の故障をまず疑ったが、実際に脇を触るとめちゃくちゃ熱い。というか、脇だけがやけに熱を発しているようだ。「なんか変なことしたかな…?」と思い今日1日の行動を振り返ると、一つだけ心当たりがあった。
朝、脇にデオナチュレを塗ったのだ。恥ずかしながら私はワキガ体質で、ワキガ用の手術はしたものの、今でも臭いが少し残っている。デオナチュレはミョウバンを主原料とした消臭剤で、良く効くので愛用していた。「ミョウバンって発熱反応なかったっけ?」と思い、調べてみると、水を加えると発熱するらしい。そこで左脇を丹念に洗い、水気を良く拭き取り、再度体温を測ってみる。
ビンゴだった。体温計は37.8℃を示し、それは今の症状の度合いとちょうど釣り合っていた。4日後の旅行に行ける安堵感と、たくさんの買い物をさせてしまった後輩に対する若干の罪悪感を覚えながら、こんなことを思いついた。
「これ仮病に使えるやん!」
最高の名案だと思った。ネットを調べてもこのライフハックを知る人はいない。この度が過ぎた情報社会で、こんな有用なライフハックを自分が発案したという事実に震えた。ただ、よく考えてみると「高熱を示す体温計を提示することによって、休むことが認められる」という状況は実は少ないのかもしれない。社会人が会社を休むとき、わざわざ体温計を見せるのだろうか?色々と考えた結果、上記の状況が確実に成立するのは、「小中学生時代において学校、習い事等を休むとき」だと考えた。
そしてそれを考えついたとき、自分の中学校時代が頭に浮かんで離れなくなった。あのときに使えたなあ…と考えだすと止まらなくなってしまった。
私の生まれ育った町は、地理的に孤立しており、独自に発展を遂げたタイプの田舎だった。いわゆるムラ社会だったので、うまく周りと同調する必要があり、地理的特性故に逃げ道が全く見えない環境だった。
小学校のとき、少しいじめられた。いじめっ子に同調した言動に変えることでいじめはなくなった。3年生から野球を始めた。理由はひとつ上の兄がやっていたからという一点。家系的に代々運動神経は良かった。私だけ少し悪く、特に足は遅かったが、世間の平均と比べれば明らかに上だった。実際、高校の体育の成績は3年間続けて10点満点だった。ただ、レギュラーには一度もなれなかった。ミスが多発する少年野球の性質的に、足が速くてかき回せる選手が好まれるからだ。一度レギュラーの一人が怪我で離脱したとき、代理で2週間ファーストを務めた。めちゃくちゃ活躍した。打率は5割を超えてたと思う。でもその子の怪我が治った途端、すぐベンチに座らされて、たまに代打で出る程度に戻った。ここまで層の厚いチームはめずらしいと言われたが、どうすることもできず、ただ悔しいだけだった。
地元の公立中に進んだ。Fランではない大学に進んだ人が200人中20人くらいの、いわゆる低学歴の世界だった。続けて当然、という雰囲気に合わせて野球部に入部した。同級生がグレ始めるだけでなく、既にグレている先輩との付き合いも始まった。部活の顧問は勝利至上主義者だった。教育的な観点は全く持っておらず、ただ自分の願望を叶えるためにやっていたような人だった。そのために、最初の段階で完全にレギュラーを固定し、補欠には何の機会も与えない。公式戦はおろか、練習試合にもまともに出さない。出すとしても2軍試合のような形だったので、相手がかなり弱く、活躍しても何の評価もされない。ただ恥をかかされているだけだった。平日全てに朝練と午後練があるだけでなく、土日も休みは基本的に無いため、疲労はかなり溜まっていた。当然、授業は睡眠時間となる。
公式戦には1秒たりとも出させてくれなかった。練習試合でも、他の上手いメンバーと一緒にプレーをしたり強い相手と対戦することはなかった。一生懸命に見える、という理由で明らかに自分より下手な奴の出場機会が多かった。片道4時間をかけて泊まりがけで遠征したとき、たくさんの練習試合が組まれていたにも関わらず、自分だけ出場機会がなかった。チームは結局、最後の大会で全国まで進んだが、ずっと「早く負けろ」と思っていた。最後の全国大会は背番号さえもらえず、観客席に放り込まれた。やる気がないように見えるからと言われた。全国大会なので色んな人が見に来ていた。チームメイトの保護者はもちろん、先生や同級生も来ていた。ベンチにも入れなかったことを悟られないよう1番前の席に陣取り、一切振り向かないようにした。
ずっと辞めたかった。でも辞められなかった。裏切り者の烙印を押されたくなかった。唯一の社会であった学校が、自分の居てはいけない場所になってしまう。
月に1日だけでいいから、憂鬱な気持ちを抱かなくていい日が欲しかった。周りを納得させられる、部活から逃げる術が欲しかった。
たまにズル休みをするだけなら、根本的には何も解決されてないかもしれない。現代の感覚から言えば、さっさと部活をやめて他のコミュニティ持て、という解決策になると思う。でも、やっぱり中学生当時の自分にそれは難しい。あのとき、目の前で高熱を示す体温計を見せることができたら、どれだけ気分が楽になっただろうか。
昔、田舎の公立小学校(といっても地方中枢都市クラスの住宅地だが)にいたことがある。
そこで授業参観で理科の授業をやることになったのだが、俺は当時からちょっと浮いていて、
まあありていに言えば「少し変な奴」認定を受けていた。
そんな俺だったが、理科・社会の授業はほとんど授業は真面目に聞いていなかったがなぜか成績はよかった。
俺は張り切って親にいいところを見せたくて、
先生の「シリンダーを押し込むと、スポンジが外に飛び出ました。なぜですか?」という質問に手を挙げて、
「シリンダーが押し込まれたので内圧が上がり、外圧より高くなったからです」と、元気よく答えた。
どうやらここは、授業で習った通りに『シリンダーの中の空気が押し込まれたから』と答えるべきだったらしい。
俺はなぜ笑われているのかわからなかった。小学生である同級生が、俺のことを笑うのはまだわかる。
だが、授業参観に来ている親のほとんども「何を言っているんだこの子は、バカなんだな」という顔で笑っているのだ!
なぜ笑うのか、まったく分らなかったが、結果としてその日から俺は「少し変な奴」から「バカ」に保護者公認で格下げされ、
いじめを受けることになった。
今ならなぜ笑われたかわかる。保護者のほとんども俺が言っていることが何となく理解できなかったのだ。
少数の仲のよかった(彼らも異分子扱いだった)友達は笑わなかった。その親もだ。
後で知ったが、仲の良かった友達の親は、大学職員、行政書士、パチンコ"メーカー"勤務など、
対してあざけりの表情をしていたのは───まあ、土地柄から察されるだろう。
もうすでに地元の"おな小"、"おな中"コミュニティとは10年縁切りだ。
大学の時は「大卒以外は人間とは思ってはいけない」などという傲慢な考えにとらわれたこともあった。
社会に出て、高卒でも俺より知識も技能もあるおじさんに揉まれて、
一概に括れるものではないということも分かった。
だが、たまに。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
これを読んで昔のことを思い出したので吐き出す。
僕は地方出身で大学進学と共に東京に来てそのまま東京で仕事をしているが、中学生のときに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を感じた時の話。
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僕が勉強を教えた友達Tは小学校から同級生で中学も同じだった。田舎ではよくあると思うが小学校、中学校は家から近い公立校に通う人がほとんどで、そもそもそれ以外の選択肢があるのかはよく知らない。
Tの母親はスナックを経営していて、父親は何の仕事をしていたかは知らないが見た目はパンチパーマにゴツい金のネックレスをしているような明らかに普通の人ではない感じの風貌だった。Tは小学生の頃から金髪で緑のランドセルを持っていてなかなかに個性的だった。いわゆるDQNな家庭だったんだと思う。
Tは学校の成績はダントツに悪かったが、PCとかゲームにはめちゃくちゃ詳しくて、Winnyで音楽や映画やゲームをひたすらダウンロードしたり、ゲームボーイのマジコンを買って色々なゲームを入れたりしていた。小学生のころからよくゲームをしにTの家に遊びに行っていて、中学生になってからはTママのスナックで営業時間外であればカラオケをやってもいいと言ってくれていたのでよくTママのスナックに入り浸っていた。Tと一緒に遊んでいた他の友達には不良っぽい奴らもいたが、Tは見た目こそ不良っぽさはあったが体は細くて華奢だし暴力的なことは何もなかったし、どちらかというとオタク気質なタイプだったと思う。
その頃Tも含めた何人かの友達と僕は同じ美容院に通っていた。そこの美容師の人はちょっと意識高い系な感じで、一時期「次のテストで目標の点数をとったらご飯を奢ってあげる」というのを言ってみんなで勉強しようとなっている時期があった。中学生の僕らはまだ純粋で感化されやすかったので僕もTも他の友達もモチベーションが高まっていた。
その美容師の人から「Tに勉強を教えてあげなよ」と言われたことがきっかけで、僕の家でTと2人で勉強することになった。
TはPCとかゲームに詳しいことを知っていたし理系の方が好きそうだったのでその日は理科をやることにした。僕が持っていた教材の中から簡単そうな単語を埋めるだけの小テストが載っているページを選んで「まずこの10問を答えを見ずに全問正解できるようになるまで何回もやろう。途中で分からなかったらすぐに答えを見ていいから。」って決めてやってもらうことにした。
最初はちゃんとやってくれるか少し不安だったけど、Tはすぐに静かになって集中し始めた様子だったので僕は安心して自分の勉強をしていた。
そこから2時間くらい時間が経って「全問正解できた!」とTが言った。その時のTはすごく嬉しそうな表情をして「勉強っておもしろいね!」と言ってたのがめちゃくちゃ記憶に残っている。
結局3時間くらい一緒に勉強して、Tはめちゃくちゃ疲れた様子だったのでその日はそこで終わりにした。
Tの集中して勉強をしていた様子を見て、ちゃんと勉強すればもっともっと伸びるのにと思った。その日にやった問題は簡単なものだったし3時間もかけてやるのは遅すぎるのかもしれないが、Tはまだ勉強のやり方を知らないだけだし進みの大小は関係ない。
そこで別の日に僕は「同じ塾に入って一緒に勉強しようよ」とTを誘ってみた。Tは勉強の面白さに気づいたからか乗り気になってくれてまずはTママに聞いてみることにした。Tママは少し困惑した様子ではあったけど否定はせず「お父さんがいいって言ったらいいよ」と言ってくれた。
その日たまたま父親がTママのお店に寄ることになっていたようで、そのままの流れで一緒に父親にお願いすることにした。Tママの反応が悪くなかったこともあり、きっと父親はOKしてくれるだろうと期待していた。
しばらくして父親が来て、Tは父親に向かって「塾に行って勉強したいんだけど」と言った。
その父親はすぐに「塾~!?お前が勉強なんかしてどうすんだ!バカはバカなりに生きろ!」と一蹴し、いそいそとまた出かけて行った。
しばらく僕もTも呆然としていた。
その後TやTママと何を話したのかはよく覚えていない。
その一件があってから僕とTが2人で勉強することは一度もなかった。
高校に行ってからは付き合う友達も変わったのもあり疎遠になり連絡を取ることはなくなったし、高校生の間に2~3回くらいしか会わなかったと思う。
それから数年後、成人式に出るために地元に帰った時にすごく久しぶりにTに会った。いま何してんの?という話になり「東京の大学に行ってるよ」と話すと「東京の大学って東大!?」みたいな冗談を言っていた。その他はあまり覚えていないが、たわいもない話しかしなかったと思う。
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Tの父親に塾に行かせてもらうようにお願いをしたとき「そもそも勉強したいと言って親が止めることなんて有り得ないだろう」と僕は楽観的に考えていた。当時の僕は自分が恵まれた環境にいる事に気づいたおらず、自分の環境だけの当たり前を「世の中の全ての人の当たり前」だと思い込んでいた。
僕に向けてそれを言われたわけではないが、この言葉は僕の中に今でもずっと響いている。
Tは勉強のやり方を知らないだけだった。僕がTに教えたのは「答えを暗記すれば問題に正解できる」という極めて当たり前のことだった。
どんなに苦手な科目であってもひたすら答えを暗記すれば比較的短時間で80点くらいは取れるようになるというのを僕は自分の経験から知っていた。それと同じことを学校の先生も教えてはいるんだろうが、Tはそれを理解することも実践することもなかった。
たった3時間程度でさえもそれができるようになるまで付き合ってくれる人が周りにいなかった。
問題を正解できてもその達成感を分かちあえる人が周りにいなかった。
勉強をやろうと言ってくれる人が周りにいなかった。
そして偶然勉強の面白さに気づくチャンスがあった時に「勉強をしてみたい」という気持ちをサポートしてくれる親がいなかった。
TはゲームやCDをたくさん持っていて新しく発売したものもすぐに手に入れていたし、塾に行かせてくれなかったのは経済的な問題ではなかったと思う。
Tの親はブランド物や貴金属にお金をかけたりゲームやおもちゃはいくらでも子どもに買い与えていたが、塾に通うための1〜2万円を払ってくれることはなかった。
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自分にはTに低学歴の世界と高学歴の世界の溝を越えさせることはできなかった。
しかし仮にあの時に塾に行けたとしてもただ挫折させるだけの結果になっていたかもしれない。僕も結局Tのサポートをいつしか諦めてしまったわけだし、そこまで強い気持ちでTに勉強をさせたいというわけではなかったんだと思う。
誰かの人生の選択に責任を持つことなんて到底できないし、ただただ未熟な中学生の身勝手な思いつきでTを振り回してしまって申し訳なかったとも思う。
彼が本気で勉強をしたいと思ったなら塾に行かなくても勉強はできるし、父親に何を言われようと行動をしていたはずだ。
でも、だからといって行動することを本人のやる気だけに求めるのはあまりにも酷すぎる。
高学歴の人であっても強い意志を持って人生の選択をしてきた人が果たしてどれだけいるだろう?
僕は偏差値60くらいの理系の学部を卒業した。東大京大や海外の大学を出ていたり博士号まで取得した人などと比べれば個人的にはとても高学歴とは言えないが、日本全体で見れば僕も高学歴に分類されると思う。
そんな僕が勉強をやり始めたきっかけを考えると、勉強をしなさいと親に言われたからやっただけだった。兄弟が塾に行っていたからという理由で親に言われて同じ塾に通い始めただけだった。
いつしか勉強をすることが自分事になり自発的に勉強することができるようになったが、最初のきっかけは親に同調しただけだ。そこに「高学歴の世界に行く!」なんて強い意志なんか一切存在していなかった。
「高学歴の世界」にいる人たちは自分の強い意志があったから勉強をして大学に行ったのだろうか?
Tと同じ環境にあったとしたら果たして同じように高学歴の世界に行けたのだろうか?
僕は今エンジニアとしてIT企業で働いている。周りには高学歴で優秀な人がたくさんいる。
もしTがあれから勉強を続けてプログラマーになっていたとしたら、この世界を知っていたら、彼はどうなっていたのだろう。
今でもたまに当時のことを思い出す。
地元にいるとしたら田舎は結婚するのが早いし、もしかするとTには子どももいるかもしれない。
この先Tが自分の子どもに「塾に行って勉強したい」と言われたら彼はその子に何て言うんだろう。
あの日のTの父親と同じように「バカはバカなりに生きろ」って言うんだろうか。
もしそんな日が来るのであれば、Tは彼の子どもには違う返答をしてくれると信じたい。
母は未婚だった。
母は、決して悪人ではなかったが、(おそらく)知的障害を持っていた。
主に私の世話をしてくれたのは近くに住む優しい叔母だった。年に一度ほど会う、父親から送られてくる相場より多額の養育費だけが、生活の頼りだった。
所謂貧困であったのだと、今ならわかるが、周りには似たような家庭ばかりだったので、これが普通だと当時は思っていた。
隣に住んでいて、慕っていた年上のお兄ちゃんは、親につけられたという根性焼きの痕があった。
育児放棄されていて、給食が唯一の生命線だというクラスメイトがいた。
喧嘩沙汰で歯が折れ、治す金も無いからとそのままにしている先輩がいた。
学級崩壊なんか当たり前だった。
どこを見ても貧しさと無教養で溢れていて、私はそれになんの違和感も抱かなかった。
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私は一ヶ月ほど叔母の家に厄介になった後、23区内に住む父親の家に引き取られた。
そして、転入した地元の公立中学に通い始め、カルチャーショックを受けた。
非行に走る生徒もいなかった。
虐待や育児放棄なんてどこにも存在しない、理性的で正常な世界がそこにあった。
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幸いにして、叔母が勉強を度々教えてくれていて、勉強自体は好きで、成績も良かった。
日々終電近くで帰ってくる父だが、休日なんかに勉強の面倒を見てもらうことがあった。
そして、父の母校である某有名私大付属校に合格し、私はさらなるカルチャーショックを受けた。
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その高校は、港区の公立中学より、数段「高学歴の世界」の純度が高かった。
小学校受験し、代々その学校に通っていたりする家柄の人もいた。
わたしの居た世界では、中学受験ですら初めて聞くようなことなのに、私立の小学校を受験する人がいる、ということを初めてここで知った。
文化的なレベルも高く、趣味の絵がコンクールで大賞を取った人もいた。
人が人を何の躊躇もなく信頼できる世界。
彼らは「低学歴の世界」を一生知らないまま生きていくんだと思う。
なんとなく違和感を感じながらも、私は必死に「高学歴の世界」に適応し、馴染んでいった。
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高校の成績は良く、医学部に内部進学できるほどだったが、公認会計士になりたかったので、商学部に進学した。
「高学歴の世界」の純度は高いままだった。
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私が本来居るべき場所はあの大阪の薄暗いアパートの一室、荒れた世界だと。
父に買い与えられたタワマンで、幸福な暮らしを営むことは間違っていることだと。
私と「田舎者と貧乏人」の何が違うのだろうか。少し運が良く、「高学歴の世界」に突っ込まれただけの私。
「当たり前」とはなんなのだろうか。世界の壁をダイナミックに移動させられてしまった私には分からない。
私はいわゆる低学歴の世界で生まれて、いまは高学歴の世界に身を置く者ですが、昨日、人生で初めて親の学歴と職業を聞かれました。
いたく感動しました。
大学時代、私が死ぬ気で入学したここに、滑り止めで来たって人がいました。
大学院で、「なんで学部はそんなとこなの?もっと上に行けたんじゃないの?」という人がいます。
私は答えられなくて困っていました。確かに、なんでだろうね?って自分でも思っていましたから。
でも、今は分かってきました。
たぶん、私は低学歴の世界で生まれて、大学に進学することなんて当たり前じゃなくて、私の大学でも十分高学歴だと思っていました。上には上がいるなんて、分かってませんでした。知識としては知っていても、そこには行けない(物理)と思っていました。だから、第一志望にすらしませんでした。
前に答えられなかったのは、私も何年かは高学歴の世界に身を置いて、それが分からなくなっていたからだと思います。
思えば、そういう人たちがやっぱり仲のいい人だったんだなと思います。
4月に大学院に入学してから、有り難いことに私と仲良くしてくださる人はたくさんいます。
でも、なんとなく違和感があって、なんとなく心を許せていない感じがしていました。
これはやっぱり、彼らが高学歴の世界の人間で、私が低学歴の世界の人間だからだといまは思います。いくら今の立場が同じでも、そこまでに至る経緯は全く違っていますから、コンプレックスを持ちます。家族旅行なんてしたことのない私と、年に1度は絶対に家族と海外旅行に行くような彼らと、価値観が似通っているはずがありません。
私のような人間が低学歴の世界から高学歴の世界に行くことができたのは、ネットがあったことと、親がたまたま低学歴高収入で放任主義だったということのおかげで、運が大きいです。
未だ低学歴の世界から高学歴の世界に移住するのは、不可能とは言わないまでもほぼ不可能であると感じます。
他の方が書かれているように、時々高学歴の世界の人間にイライラします。
高学歴の人間は、自分の運のよさを知りません。努力だけではどうにもならないことがあるのを知りません。
でもこのイライラは、私のコンプレックスからくるもので、私は一生このモヤモヤとしたコンプレックスを背負って行きていくのだろうな、と思います。
http://anond.hatelabo.jp/20170204225930
これ読んで考えたけど、やっぱ勉強はしておいたほうがいいなあって思うんだよね。
自分は田舎の公立高校出身で、受験に対する姿勢も勉強に対する姿勢も弱い環境だった。
それが高3のある日、友達と勉強で勝負しようってなって、そこから勉強するきっかけを得て、旧帝大に受かった。
まあ東大に比べれば大したこと無いけどね。
ただ、本当に偶然学歴を得たと思うんだ。
そういう意味では、以前話題になった「高学歴の世界」と「低学歴の世界」の両方を何となく見てるので、
私の意見が参考になれば幸いです。
勉強しない層の価値観だと、勉強しなくても金持ちはいるし、コミュ力の方が大切だと思われている。
これは実際間違ってなくて、高学歴でも就職してからは技術職であってもコミュ力がモノをいう環境の方が多いだろう。
高卒でもアパレルやコンサルや飲食で起業して稼いでいる人もいっぱいいる。
厳密な知識や学問があまり重要で無い分野では、正直学歴なんて必要無い。
勉強で言えば読み書きそろばんができれば十分だ。微分積分や行列、群論や複素関数なんて一般の人は使わない。
だから「自分が生活していく」ことを考えれば、別に勉強なんて不要だ。
幸せかどうかも周囲との相対的なものなので、変に優秀な友達ばかり作るとかえって幸せに感じにくくもなるだろう。
だけど、それでも勉強はしておいたほうがいいと思う。
元増田の娘は頭がいいだろう。論理的に物事を考えることができる。
その場合、周囲に論理が通じないとストレスが生じやすいと思う。
こうすればみんな幸せ、こうすればもっと良くなる、なのになんでしないの?
なんて考える機会が圧倒的に減る。
理不尽に声出しさせられたり、嫌いな人を家族愛でつつめ!なんてわけのわからないことを言われないで済む。
泣く子と地頭には勝てないというのは、論理で対処しようとしない集団には論理は無力であることをうまく表現している。
だから、自分が論理的な行動を大切にしてしまう場合、論理的な集団に所属することが幸せになる重要な条件となる。
2つ目は、たくさんの人を幸せにできる力を得ることができることだ。
だが、多くの人を幸せにしたり、世の中の理不尽を減らすには、いろんな知識が必要となってくる。
発想は知識の量に影響を受けるので、知識がある分、いろんな方策を考えることができるようになり、それをもって主体的に世の中を良くしていくことができる。
また、論理的でない人をどう変えるかということも複眼的な戦略が必要となる。
自分勝手で、反社会的な態度の人と切っても切れない環境というのが世の中にはある。
そういう人たちを全て切り捨てるのは現実的では無い。切り捨てた人間が多数派になった時に割りを食う可能性もある。
だから、彼らがそうなった原因だったり、どうすれば考え方を変えることができるか、なんてのもいろんな知識や経験が必要になる。
「自分がそう思うから」だけで物事を進めていくと、感じ方が違う人との軋轢を生むことになり、不幸になる人が発生してしまう。
チャームは魔除けって意味だけど、学歴は魔除けとしては非常に優秀だ。
転職や就職でも学歴があれば相手の見方も変わるし、ずっとニートをしてても学歴がいいからもしかしたらすごいのかもと思ってもらえたりする。
それと、世の中には権威主義の人が跋扈していて、論理じゃなくて、どんな人間が言ってたかでしか是非を判断できなかったりする。
そういう相手から切り捨てられたり、学歴至上主義の人間から不条理な差別を受けないためにも、この魔除けはかなり有効なのだ。
それを凌駕する才能があればいいが、そんなものを持っている人間はごくわずかだ。
もし娘さんが突出した何かを持っていないのであれば、学歴チャームを持っていない場合、ただの偏屈な嫌な女になってしまうだろう。
そういう生きづらさから守ってくれる、不可視なお守りが学歴なのだ。
大学(と大学院)を卒業して思うのが、まだまだ勉強は必要だなあと思っている。
経験や勉強なくしては、自分はだれかの意見を垂れ流しているだけで主体性が無いなと感じてしまうのだ。
人生で一番辛いのは主体性を無くした時だから。そうなる時、生きることがバカバカしくなるのも理解出来る。
それを防ぐためにも、主体的な自分を手にいれるためにも、お勉強だけじゃ無い経験も含めた勉強は重要だと思う。
ただ、学歴だけは若いうちに手に入れた方がいいので、今は受験に関わる勉強をした方が効率はいいと思う。
余談だけど、学歴だけが欲しい人ってのは受験や仕事で使わない知識や経験を軽視しすぎていると思う。
経験も知識の一部なんだけど、俗的な合コンやナンパやクラブやゴルフや登山やサーフィンや釣りやスポーツなどなど、
どれも勉強になる面はあると思う。
理系の同僚は行動力がなくて、権威に認められた知識以外を軽視しすぎて考え方に偏りが多い子が多かったから。笑
(理由をいろいろつけてたけど、多くは傷つくのが怖いとかバカにされたくないとかそういうことだった。)
なので、こういう経験もいずれは手に入れて欲しいなと思う。
男が女子を容姿で選ぶと批判されがちだけど、女のほうが女を容姿で差別してる。
幸せそうだったり、表彰されたりちやほやされてる別の女子がいても、
あんまり可愛くなかったら、でもアレ(あの顔)じゃあねwって影で笑うわけだ。
もちろんコミュ力も大事だけど、ある程度容姿がないと影ではバカにされまくり。
シミが目立ったり、肌があれてたりするのを発見すると、万引き犯を見つけた時の様な正義感で断罪。
男性から見たらわけがわからないかもしれないけど、男性が正社員じゃないと肩身がせまいように、
女性はある程度女子ルールのまともさを保たない限り肩身が狭くなるんだ。
容姿に対するコンプレックスや怨嗟が渦巻いて、傷を舐め合うか開き直って剣をぶん回してる。
本当疲れた。
でさ、こんなの若い内だけって思うでしょ?
(さらに、まともの項目欄に、結婚、子供の有無、子供の学歴、収入が絡んでくる)
自分だけが得する様な生き方を人間らしいといって開き直っちゃってる。
かたや、女を降りたようなふりをしても、多かれ少なかれ容姿の要求には振り回され続けるんだ。
かといって、男もごめんだけどさー。
..................................................
ちなみに、民度の問題というコメントがあったけど、そうでもないよ。
私は高学歴の世界も低学歴の世界も経験したけど、余裕があるからそういうのを表に出さなくて済むってだけで、
実際に腹に抱えているものはちゃんとあったりする。
自分も昔はそういうのとは別世界で居られると思ってたし、そう信じていた集団もあった。
でも、ちょっとしたバランスが崩れてほころびが見えてくると本音を言い合って、
今まで言わなかっただけの、日頃隠していた格付けや差別感をぽろっと出してしまったりするんだ。
自分が容姿なんてもういいやと宣言し、そう自分に思い込ませていても、
ふとした刺激でそういう醜さに気づかされることがあったりする。
もちろん、運良くそれとは無縁の人もいると思うけど、