ーーーまぁ、ここまでの話はよく聞く。
先日
https://ddnavi.com/serial/563023/a/
ほんで
早稲田政経の発達障害先輩が職場で不適応を起こしている話を読んだ。
母親から距離を置き、共依存関係が切れ、自力で生きて行かざるを得なくなった時だった。
母親は高卒で、就活のことは全くわからないというタイプだった。
今まで「恋愛はダメ」「○大に行かないとダメ」「ママを養わないとダメ」などと言ってきた母親が、ここで急にハンドルを切ってきた。
「娘ちゃんの選びたいようにするのがいいよ。ママにはわからないし。」
めちゃ今更である。
私は自分の意思や判断力で決定するという岐路に、唐突に立った。
「ママを養わないダメなのかな…?」と、公務員試験の勉強をやってみたり、安定した大企業の面接を受けたものの、全くダメだった。
強い意志やモチベーションを持って社会に自分を示す同級生と闘わないといけない。
早々に心が折れ、一人暮らしの部屋で昼夜逆転、適応障害になった。そのうち、一学年下の人たちの就活が始まった。
そこで判明したのがガチガチの発達障害(ADHD)と愛着形成からくる不安障害である。
私は19歳くらいまで「偏差値の高い大学に入れば自動的に人生は薔薇色、大手企業で働けるのだ」
という母親第一書記の洗脳を大真面目に信じていた。救いようのないアホである。
母親という「最高指導者」がいない環境に放たれたADHD。在野の精神。
ストロングゼロ中毒者みたいな精神状態を思い浮かべてくれれば雰囲気は合っている。
本当なら大学でも学友とコミュニケーションを沢山とってインターンやサークルで結果を残し自信をつけないといけない。プログラミングや英語も使い物になっておくべきだ。
こういうことの知識収集、プランニングが全く出来なかった。まぁ頑張ってはみたのだが、足りなかったかもしれないし、怠惰だったこともある。
サークルやコンテストで頑張った時期もあるようだが、適応障害とストロングゼロ的生活で記憶がボロボロになってから、それを生き生きと語ることが出来なくなった。
(頑張った気持ち、というのは瞬間真空パック出来ないので、早めにアピールして他者からの評価にした方がいい、と思う。)
ともかく、母の「指導」を受けることが出来なくなった私は孤立し、無数の選択肢がある自由から逃げ出したくなった。自分で選ぶということをしっかりやってきた同級生に比べて自我がなく、きわめて幼なかったと振り返って思う。
これが母子密着、共依存を経て、唐突に野に放たれた発達障害者の怖さだと思う。
親と共依存になった子どもが誤って学んでしまう悪癖の一覧である。
子どもは母親の言われた通りにやっていて、大学受験は大団円。しかし後で大きなしわ寄せがやってくる。
発達障害で言うと、
複数あるESの締切に間に合わない。落ちる。各社の方向性に合わせて自分を微調整して動くことが出来ない。発達障害を見抜かれる。地図が読めない。大手町のビルで迷子になる。
不安障害では、不安で自己PRが出来ない。PRしていることが嘘のようで罪悪感があり眠れなくなる。(アスペ的要素もある)
そんな感じで、就活は大きな傷を残し失敗。
背水の陣で挑んだ院試で某院に入り、何とかバイトのかけもちでピヨピヨと生きている。
もうすぐ、夏が終わる。
研究者という道は?助手とか。
>>研究者になればいい 研究者の道を少し覗いていますが、 ADHDの無能凡人にはきつい世界に思えます。 霞を食ってる天才研究者か、実家暮らしで生活の保証がある研究者、ちゃんと...
道がひらけるといいな。。
やっぱ元早大生、おもろいな。。