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2020-10-26

日本から捨てられた土地で生まれ

この話をフィクションと思われてもいい。嘘松認定されてもいい。誰かの目に触れるだけで嬉しいから。

私は北国の相当の田舎で生まれた。コンビニも車がなければ行けない場所にあるようなところだ。当然電車なんて走っていない。ファミレスもないし、地方都市象徴と言われているイオンなんてものはない。地方都市とも言えない部類の地域だった。

私は小さい頃から勉強ができた。少なくても幼稚園の頃にはひらがなはかけたし、繰り上がりの足し算も誰にも教えられずにできた。漢字は一度見たらすぐに覚えた。だから読んでいた物語に出てくるような高学年向けの漢字も2、3年生の頃には書くことはできた。周りがなぜ同じようにできなかったか理解できなかった。

そんな私を親も当然理解できなかった。周りの大人は中卒と高卒しかいなかった。学校を出れば男は工場だの大工だの漁師だの農家だのになるもの、女はさっさと結婚して子供を2、3人は生むのが当たり前で、勉強なんてする必要のないものだった。スーツを着る仕事といえば役場の人か車のセールスマンぐらいだった。親も親戚も半分高卒もう半分は中卒という環境だったから、私は突然変異のなにかだったのだろう。私が勉強ができることを何か嫌な目で見ていた。私は親から勉強をしているところを見られるのが嫌で家で勉強をすることが全くできなかった。

家にはパソコンが無かった。インターネットも当然なかった。私の情報手段テレビ新聞学校図書室だけだった。町には本屋もなかった。

私は決して学校勉強から遅れることはなかった。地元中学校から高校に進学するにあたっては、地元に一つある高校ではあまり偏差値が違いすぎたため、バス電車を乗り継いだ地方都市にある校区の最上位高に進学することになった。通学時間は片道2時間以上かかる場所にあった。私の中学校からそこに進学する生徒は数年ぶりだったらしい。交通費がそれなりに掛かる場所にあったが、親は文句一つ言わずお金を出してくれた。ものすごく感謝している。

あと、高校進学とともにスマートフォンが手に入った。ただ、当時スマートフォンを使っている人など一人としていなかった。都会では当たり前だったけど、田舎にはそんなものがなかった。私はインターネットをするためにどうしても必要だった。ガラケーでいいと主張する親をどうにかなだめて、スマートフォンを買ってもらった。iPhoneなどではなく、Androidポンコツだったが、インターネットにつながるというだけで私には十分すぎるものだった。町の中で完結していた私の世界が急に広がった。Twitterを初めてオバマ大統領アカウントフォローした時には、テレビ新聞世界を飛び出した自分が誇らしい気持ちになった。ただ、Twitterでは痛い発言をして、炎上というほどではないクソリプをもらって恥ずかしくなってアカウントを消すという10代の恥ずかしいことも経験した。

同時に高校では人間関係も様変わりした。周りの子たちはよく勉強をよくやっていた。そこで初めて予習復習の必要性を知った。教科書にかかれていることだけやっていては不十分だということだった。大学受験ではそれ以上の問題が出てくるという。私は教科書は一度読めば覚えるものだったので、まともに勉強したことがなく、それだけでは点数が取れない、という経験を初めてやった。参考書も初めて買った。高校があった街は私の住んでいたところよりは何十倍も都会と呼べるところだが、いわゆる地方都市の一つで本屋さんはショッピングモールに一つあるだけだった。私は午後6時にはその街をでないと家に帰れないので、学校が終わっての僅かな時間本屋に向かい、そこで少ないお金で買える参考書立ち読みしながら一つ選んで繰り返し繰り返し勉強した。何冊も買う余裕はなかったし、予備校に通うような時間もなかった。また私は乗り物酔いをしやすいので電車ではともかくバスでは本を読めず、スマートフォン参考書自分朗読した音声を吹き込んでそれを聞いて覚えるようにした。

その後私は大学受験をする。私の地元にはそんなことをする人は誰もいない。私の親は大学受験することは認めたが国公立大学限定した。仕送り必要だし、お金がないからだ。奨学金だって借りる必要がある。私はどうしても東京に行きたかった。東京じゃなくても東京に近い横浜でも千葉でも埼玉でもどこでも良かったが、とにかく都会に住みたかった。田舎の何もなさにうんざりしていた。私は映画が好きだったが、映画というのはテレビしか見れないものだった。運良く私の家はBS契約してくれていたのでNHK BSでやっている昔の名作などを録画しては見ることができたが、面白そうな新作映画テレビYoutube予告編しか見れないものだった。アカデミー賞カンヌを取るような映画は大抵東京最初にやって、その後に地方に回ってくるが、それも大都市限定される。私の住んでいたところはツタヤもなかったのでレンタルすらできなかった。私の憧れは渋谷ミニシアターヨーロッパのどこかの映画を公開初日に見に行くことだった。今思えばそんなつまらない理由だったが、東京に住むという強いモチベーションになった。また、東京には私のような地方から出てきた学生優遇してくれる寮もあった。一人暮らしなんて贅沢はとても言えなかった。

私はどうにか大学受験をして東京とある国立大学に進学することができた。親は私の入学式に出るために人生で2度目の東京の土を踏んだ。私がそんな都会で暮らすことに不安を覚えたらしいが、進む大学も住むところも何もかもすべてを一人で決めてきた私に言えることなど何もなかった。私は親の手には負えない存在だった。

初めての東京に私は圧倒されることになる。一番驚いたのは電車だった。SUICAや本数のことではない。広告の多さだった。駅も電車内も外も広告で満たされている。歩いているだけで色んな情報が入ってくる。私が子供ときに見ていた日曜日昼の番組中吊り大賞などというのがあって週刊誌記事を色々取り上げていたけど、中吊りというものが何だったのかを恥ずかしながらそこで初めて知ったのだった。とき週刊誌卑猥コピー小学生の頭の上で揺れているのにも衝撃を受けた。電車で立っているだけで世の中のことについて情報が入ってくる。それが東京最初に印象に残ったことだ。

私はよくありがちな大学生としてサークル活動も始める。そのサークルインカレでいろんな大学の人とつながることになった。私の出身地のことを話しても誰も知らなかったので、自己紹介では東京から私の町までどうやって行くのかを話すのがつかみとして大いに受けた。

そこである東大慶応学生たちと出会たことが、私の人生そして性格にも極めて大きな影響を与えることになった。お互いの情報交換をするなかで家庭の話になった。私の父は町の工場で働いていた。トヨタなどの大企業ではなく、ただの町工場従業員として何十年も変わらない仕事をしていた。それを話す私のことを動物園の珍しい爬虫類を眺めるような、そんな目でみんなは見ていた。そんな人は誰一人としていなかったからだ。ある男の親は商社マンだった。私が「商社ってなんですか?」と聞いたら何言ってるんだこいつ?って明らかに馬鹿にされたような顔をされた。私は三菱商事三井物産を知らなかった。三菱といえば車か銀行だった。三井遊園地だった。またある女の親はファンドマネージャーで、別の女の親は広告代理店、ある男は外資系企業渡り歩いているらしかった。全員都内実家があった。

私は、自分と彼らの家庭環境のあまり格差の違いを見せつけられる事になった。最大の違いは勉強する目的だった。何を勉強するとどのような仕事につくことができるのか、そのためにはどんな資格を取る必要があるのか、その仕事につけばどれぐらいの年収が得られて、どこでどんな生活ができるのか、それらを彼らは親や親族仕事から知っていたのだ。私はテストで点を取る以上の目的がなかった。テストで点数を取れればこれぐらいの高校大学に行ける、それ以上の意味がなかった。さっき書いたが親兄弟を含めて全員中卒か高卒なので勉強をすること仕事というのはほとんど無関係と言ってよかった。せいぜい工業高校で乙4を取れば、ガソリンスタンド仕事ができるぐらいの意味しかなかった。私は大学に入って、彼らと知り合うことで、大学によってその後の人生が大きく変わることを知ったのだ。

他にもある。勉強する環境だった。彼らは小学校から塾に通って勉強をして私立中高校の一貫校に行っていた。私は中学受験というものも知らなかった。そして中高一貫校では高校1年生などで高校カリキュラムを終え、その後の2年間で大学受験勉強をひたすらにするということも知らなかった。更に学校帰りには予備校に行き、夜遅くまで勉強をするのだという。私は興味があって、知り合った一人から予備校テキストを見せてもらった。そのテキストは私が受験勉強で解けなかった問題を非常にわかやす説明していた。こんなテキストは私の手に届く場所にあった本屋にもなかった。そのテキストを読んだときに私は涙をこぼしてしまった。彼は動揺していた。私は気づいてしまったのだ。

私は東京に生まれて彼らと同じ環境にいれば東大合格できた。

私にとって東大というのは雲の上で超天才がいく学校という印象だった。東大過去問を一度やってみたことがあるが、ほとんど解けなかった。それは私が頭が悪いからだとずっと思っていた。まあ、国公立大学に入れるぐらいなんだからそれでいいよね、というのが私の自分への評価だった。でも違ったのだ。私は勉強をするにはあまりに彼らと環境が違いすぎていた。勉強する友人にも小学校のうちからまれていた。誰も勉強ができることをバカにしたりはしない。親も勉強への投資を惜しまない。彼らが望まなくても英語勉強のために夏休みカナダ語学留学をさせて、ネイティブ発音などを身に着けさせていた。私は英語勉強が好きだったが、流暢な発音馬鹿にされるものであり、英語などは隠れて勉強していた。小さな声でMP3ダウンロードした英語スピーチを繰り返していた私とは違った。彼らは圧倒的重課金と、息をするだけで情報が入ってくる恵まれ環境により、私よりも進んでいただけだった。私が布の服と木の棒で戦っている間に彼らはトマホークミサイルを連発して、敵を木っ端微塵にしていたのだ。

私は自分人生を激しく呪うことになる。生まれ場所が違うだけで、家庭が違うだけでなぜここまでの差をつけられなければいけないのか。彼らは別に頭がいいわけじゃないが、環境だけで私よりもずっと高い学歴を獲得していた。それが悔しくて仕方なかった。私が入った大学別に悪い大学ではない。学歴としては十分に評価されるところだ。でも私は環境さえよければもっと上に行けたのだと。

私はショックだったが、私が住んでいたのは寮だったので部屋に一人で閉じこもって泣き崩れることもできない。私は一人でどんどん悪い考えに蝕まれていった。そして一つの結論に達する。私の住んでいた町は日本から捨てられた土地なのだと。

私が出会った家庭環境に恵まれた彼らは手に入れた学歴武器にこの後は一流企業就職したり官僚になったりするだろう。日本というのは東京大阪に住む一部の裕福な家庭から出てくる人たちで回せるのだと。私のようなど田舎に住んでいる人間そもそもいらないのだと。だから勉強する環境手段も与えられることはない。だから黙って地元で油にまみれて仕事をするか、子供をぽこぽこ産めと。

私が大学卒業した後の話だが、昨年文部科学大臣大学試験について「地方学生はそれなりに」といった発言をして相当問題になった。あれは政府本質なのだと思う。東京に住んでいる人間だけで日本は十分なのだ地方土地以上の価値はないのだ。今地方はどんどん衰退していっている。政府は口先では地方創生などと口走るが、実際はただただ衰退しているだけである高齢化が進む町にだって子供はいる。彼らを救う手段を国が与えたことがあっただろうか。

また、インターネットがあればどこにいたって勉強ができるという発言もよく聞く。あれは戯言だ。東京で使うインターネット地方で使うインターネットはまるで別物であるインターネットを使いこなすためにはまず存在をしらなくてはいけない。例えばPCプログラミングというもの存在を私の田舎認識することは極めて困難である。ただ、都会に住んでいれば、今となっては子供プログラミング教室などに通って小さいころからそういうもの存在を知ることができる。あるいはさっき書いた駅の中吊り広告だっていい。色んな情報が目に入るのだ。田舎では色んな情報存在を知る事もできない。そのような情報格差がある状態インターネットを使ったところで、格差が開く一方なのは容易に想像がつく。インターネットがあれば壁を超えられるというのは、何もわかっていない持っている立場人間発言に過ぎない。孫正義が優秀な子供奨学金を与えたりしているけど、田舎の子供は目立つ手段も知らなければ、そういう行動も取ることができない。結局ああいうので評価されるのは都会で恵まれた親からまれ子供だけである田舎の頭がいいだけで何も知らない子供はただだた埋もれていくだけだ。

話が脱線してしまったのでもとに戻す。

私は田舎を飛び出して東京まで来てしまった。田舎に私を受け入れる場所はどこにも残ってはいない。そして東京にも私が必要とされている場所はない。私のような田舎もの必要とする会社があるのだろうか。私は結婚をすることができるのだろうか。私は鬱々とした気持ちを抱えながらも、彼らに負けたくないと勉強に励むことに大学時代を費やした。奨学金も借りたしバイトもした。得たお金で高い専門書を買って、もとを取るように読みまくった。英語勉強も授業以上に独学でやった。ただ、海外に行ったのは一人でいった卒業旅行の一回だけで、そのときは非英語圏を選んだ。英語は今のところ仕事では役に立たないけど、日常生活での情報収集には役立っている。

とにかく必死だった。帰る場所必要とされる場所もないのであれば、自分で作るしかないのだと。そうがんばれたことが私にとって一番幸運だったということが今ならわかる。あのとき挫折して、引きこもりになっていたかもしれない。もしかしてテロリストのようになっていたかもしれない。あるいは当選の見込みがない政治家を目指そうとしてたかもしれない。そのどれにもならず、今私は社会人としてそれなりのお金を貰えるようになった。ただ、そのお金奨学金の返済を行っている。東京に生まれた人々は奨学金を返す必要もなく入ったお金自由に使って遊んでいるのだろう。私はまだ過去日本が課した呪縛から逃れられていない。

こんな意味のない文章を長々と書いてしまった。ここまで書いてしまったので誰かにまれたらいいと思うけど、おそらく増田の早いタイムラインの中で埋もれてしまう。私が日本が見捨てた小さな田舎で誰にも気づかれることもなく勉強をしていたときのように消えていく運命だと思う。でも書かずにはいられなかったし、誰かの目に止まって嘘松認定いいねの一つでもしてもらえたら、田舎でもがいていた中学生だった頃の私の自尊心が少しでも満たされるかもしれない。

追記1

めでたく嘘認定されたので、ちょっと補足しますね。今は業務休憩中。

高校には社長の息子とか医者ゴロゴロいたでしょって話について。

同級生にいたのは板金塗装屋の社長の子はいたよ。社長はそれぐらい。医者はいなかった。そういうお金持ちの子もっと都会の私立学校にいくのでは?うちは公立だったし。東京と違って地方公立の方がレベルが高いので。

同級生でいい家って言えば市役所の人。これは間違いない。あと警察官とか? 大手企業で働くお家とか? そういえば市議会議員の子もいたのを思い出した。つながり殆どなかったけど。

友達床屋さんの子どもとか、どっかの工場で働く人とかが多かったです。

でもみんなよく勉強してました。

同級生殆ど地元を出たはず。みんなどうしているんだろう。繋がりが切れてしまったので分からないので、あまりわかりませんが、facebook検索したときインターネット系の大手で働いている人はいました。

追記2

追記を書きました。

https://anond.hatelabo.jp/20201027203138

2020-10-25

家の経営計画

我が家経営状況を整理している。

かんたんにいえば、売上(給与所得)がいくらで、費用生活費教育費)がいくら営業外収益株式配当)が

いくらって書き出してる。年次P/Lだね。ここ数年は増収増益状態。といっても年次で3%程度なので堅調経営

このあと3年位で子供達が大学受験中学受験を迎えるのでキャッシュを貯めないとならない。

ちょうど転職を考えてて、リファラルで運良く内定も出たがスタートアップ給与もいまより大きくダウン。

ストックサインアップボーナスはあれど、トータルではかなりの減収に陥る。

ちょうど給料日今日、明細をみたら累積支給額が、内定から提示された金額をすでに超えていた。

シミュレーションしたらどう頑張っても減収減益は免れない。一番金のかかる時期に、資金ショートもありうる。

我が家B/S株式など金融資産に振ってるので現金あんまりないし、現金化に時間がかかる。

とはいえ内定先の業務や優秀なメンバーをみてると一緒に仕事をしてみたい気持ちになる。

一家経営者としてリスクをヘッジして安定経営を目指すか、志のためにリスクをテイクするか。

ここ1周間悩んでいるが、答えが出ない。

2020-10-24

anond:20201023204100

機能ADHD生活問題に関しては、「どうすればいいかからない」が多い。その対策は単純で「どうしたらいいか考える」。たぶん、多くのADHDの人は「どうしたらいいか考える」ことの大変さをわかっていない。定常発達の人は周りの人を見てなんとなくできてしまうが、ADHD/ASDのひとはよく考えて整理しないといけない。

なんとなく考えるのではなくて、問題をケースに分けて、ノートパソコンかなにかに、ありえる選択肢を書き並べて、メリットデメリット検討して、必要な行動を決定する。たとえば、一回着たセーターなら、

  • 床に置いておいてまた着る
  • 椅子に積み上げておいてまた着る
  • 専用の場所(吊り下げられるラックとか)を設置してそこに置く
  • 一回以上着ものは買わない
  • 毎回洗濯する

とかの選択肢がある。どれがいいのかゆっくり整理すればいい。

どんなラックを買うという選択肢があるのか、とりあえず置くとしたらどこに置けるのか、何を動かせば置くスペースが確保できるのか、一回着たものと一度も着てないものはどうわけるのか、どのくらいの頻度で同じ服を着て良いのか(=一時スペースに必要サイズはどのくらいか)、一回で洗うのか、二回で洗うのか、臭くなりそうだったら洗うのか、どういう基準で決めるのか、全部整理しないといけない。

これはかなり時間がかかるプロセスで、一回きた洗濯物の処理の方法検討するだけでもかなりのエネルギーを消費する。休日半日は潰れると思っておいたほうがいい。東大に入るのに比べたら明らかに簡単だけど、大学受験と比べてガイドしてくれる先生参考書が少ないから、自分自分ガイドすることを意識しなければならない。

2020-10-21

俺が本当に逃げたかったのは母親だったのかも知れない

19歳で大学進学のために京都に来てから、早くも二十年近くが過ぎようとしている。もともとのきっかけは本当に些細なことで、高校二年生のころ当時のクラスメイトに「京大受けてみようかな」と言ったところ「絶対に無理」と言われて、天邪鬼だった(いや、今もだけど)私は「それなら受かってやるよ!!」と心に何故か硬く決意したのでありまして。でも客観的にみればその友人の言ったことは甚だ正しく、なんとなれば当時の私の学力と言うと惨憺たるもので、高校の学年内順位なども辛うじて下から四分の一にいるかどうか。通っていた高校も曲がりなりにも「進学校」の枠に入ってはいものの、当時(おそらく今もだと思うけど)札幌に四つあった東南西北麻雀かよ、と思うけど本当にその四つがあった)の進学校のうちではドベで、北大への進学者数こそ多い(それだって今振り返って考えるにつけ、すごいことだと思うけど)ものの、東大京大といった「いわゆる」難関大学への進学者は数年に一人くらい。まあそりゃ「無理」と言われるわという状況であったのね。ここまでの流れ、「それでもなんとか受かった俺すげー」みたいないけすかない感じにしか読めないな。すまん。違うんだ。そこは本題じゃない。なのでここを省略すると、現役のときは華麗に落ち、かつ後期受験の申し込みを前期受験前にしておかなくてはいけないことをしらず、後期受けようと思っていた、北大受験すら出来ず(自業自得という言葉がこんなにも当てはまる状況他にある?って思った)、一浪確定。親に泣きついて予備校に行かせてもらい、ファンキー講師陣に必死でついていくこと一年代ゼミ英語講師(だけじゃないけど)は本当にファンキーで、セックスピストルズでかっこ良かったのはシドじゃなくてジョニロットンだったということを繰り返し述べていた)。そのおかげで本当にギリギリ合格したと言った塩梅センター自己採点やってたとき(何故か妹と妹の彼氏(これも未だに何故かよくわかってないが俺の高校同級生)がいた)どんどんバツがついていくものから、私も周りも顔が青ざめていくのは正味の話悪夢しかないのではないか。二度と経験したくないし、この世から大学受験というシステムは無くした方が良いのではなかろうかと思ってますけれども閑話休題

んで、京都に来てから。もちろんこれまで本当に過保護に育った人間には寮生活ってのはペットだった猫がいきなり野良に放り出されたくらいな無謀な状況ではあったのだが、やることなすことにだれか、というか親の監視が無いことに異様な解放感を感じた。

堕落ではあるもの楽しい日々がきちんとそこにあり、毎日誰かとたくさん話をし、価値観が変わっていきながら、でもそれをちゃんと嬉しいこととして捉えられていた。人生で一番泣くことが多かったのもこの時期だし、まあなにかと閉じ込めていた感情が多かったんだなと改めて。周りにいた人たちがめちゃくちゃエモーショナルであった影響も、もちろん有ると思うけれども。

長々と前段が続いたが。

最初、私が京都に来たかった、と言うよりも「地元を離れたかった」のは、友だちもいねえし、黒歴史残ってるしで、そんなところから離れたいということかと思っていたんだが。今振り返ってみるとおそらくそこは理由の一個ではあるけれど、大きな要因ではなかったなあ、と思っている。

ここで、また冒頭のことに戻るのだが、何故京大でなくてはいけなかったか、と言うことが、わりとこの話の主題にもかかってる。

俺の母親死ぬほど世間体を気にする人で、ひと昔前の言葉を使うなら、いわゆる「教育ママ」みたいな人やった。

今になれば、彼女がそう考えるに至った経緯もわからんくもないのだが、当時はよくわかってなかったし、母親の元から離れてようやく「監視管理」をされていたのだと気づき、それがどんだけ嫌かもわかった。

うちの母ちゃん母子家庭で、母方の祖父はもともと病弱ではあったらしいが戦争行って帰って来て母親子供の時になくなったらしい。

それから生活保護を受けたりして、まあいわゆる「普通ではない」生活をして来たのが、俺に対する教育だったりに現れてんやろな、と後に振り返って思うし、そこは「子ども自分のような「「惨めな」」生活を送らせたくない」という気持ちがあったのもめちゃくちゃわかる。もちろんあとになって少しずつ理解できた話に過ぎないけれども。

ただ、それと関連するのかそうでないのかはわからないが、俺の母親は「通常そうなることが望まれてる」ルート以外の道を俺が辿ることに、異常な嫌悪感を持つ人であった。

極端な例えだが、俺がヘテロでなければ、あの人は納得しなかったと思う。タトゥーを入れたら、俺のことを拒否したと思う。法律婚をしないことにも違和感を感じたと思う。

なんとかわかってもらいたくて(甘かった)、きちんと真摯に向き合って話をしたこともあったけれども、最終的に彼女から返って来る言葉は「私はあなたの親なのだから」という、一つも意味を持たないものしかなかった。

うちの母ちゃんは「性別に関わらず家事はしなさい」と言って、洗濯料理掃除、全部教えてくれた。今も改めて思うけども、その価値観はとても正しいと思う。大人になってから話した時に「結婚前に男性から良いように扱われて本当に辛かった」と話してくれた。聞いた時は俺も辛かったし、許せねえと思ったんだ。311以降に「初めてデモに行ったよ」と話してくれたことも嬉しかった。「もしかしたらようやくお母さんと和解できるかも」と思ったから。

でも、それはすべて「対他人に関して」のことで、彼女にとってはいつまでも俺は「かわいいゆうちゃん」でしかなかったとわかって「理解し合える」「親とはいえそれぞれ別の人間として付き合える」という望みを捨てた。

一個言いたいこととしては、「俺はあなた感情ホストクラブではない」と言うこと。

あなたの期待通りに動かないといけないなら、そんなことはできないよ、と強く思った。

お互いに理解して、別々の人間として尊重あいたいな、と思っていたけれど、少なくとも俺の親子関係のケースでは無理だった。

悲しいけれど、もう放って置くのが精神衛生上良いのだろうと思っている。

京都に来れたのは、そういう意味で本当に良かったと思う。

しんどい経験を経て来てたのは知っているからあまり強く言いたくはないけど、彼女子ども支配下に置きたかったんだなあと改めて思う。

母親が死んだとしてもなんの感情も湧かない予想を確信しているし、でも、それが少し寂しい。わかりたかった。

2020-10-18

年々集中力がなくなっていく

一番集中力があったのは中学生

高校以来集中力ダダ下がり。

大学受験中学までの勉強貯金で受かったようなもんだし。

仕事が集中できないのは当然として私生活でも映画1本まともに見ることもできなくなった。

WEBサイトを読んでいてもあっち見たりこっち見たりして細切れに見ないと集中できない。

2020-10-12

もう自分は一生何かに夢中になれないのか

大学受験燃え尽きて、大学入学以来胸を張って頑張ったと言えることがない

受験生時代は毎朝早起きして、

電車内では単語帳開いて、

放課後部活が終わったあと教室勉強したりさ

あんな風に頑張れてたのが不思議なくらい何にもやる気が起こらないんだよ

勉強サークルバイトも、たまにもらう仕事だって

終わってから残るのは達成感よりも後悔ばかり

こんな気持ちであと60年生きていくのか?信じられない

何にも頑張れないから、

こんなやつが仕事でも犯罪事故レベルミスを犯すんじゃないか不安

2020-10-10

anond:20201010221239

子供の頃は何も考えずアニメ見れたけど

大人になると常に

“やらなきゃいけない事”

”やった方がいい事“

“やっておきたい事”

が0になる瞬間てほとんどないか

「せっかく旅行してるんだから今は楽しまなきゃ」みたいな感じに

意識的に割り切らないとすっきりしないと思う。

大学受験とかは「勉強しなきゃ」って常に思っていても、1年単位での時間的ピリオドがあったけど

社会人の終わりは遠いから。

2020-10-07

anond:20201007122559

取り敢えずやってみるのはいいでしょ。大学受験もやる意味とか考えても仕方ない。

2020-10-06

好きな女には私より長生きしてほしい

半年くらい前に高校3年間ずっと好きだった人に彼氏が出来た。そのあと1週間くらい何に対するやる気も起きなかったし、コロナ禍で外に出られなかったのも手伝って5キロ近く体重が落ちた。

高校で同じ部活だったけど、無事卒業したのでこれを機に連絡を切ろうと思った。でも出来なかった〜〜!! 私は結局大学でもその子と同じサークルに入り、3ヶ月に1回くらいのペースで遊ぶ関係が続いている。 私はその子にマ〜ジで邪な感情を抱いているので、「一緒のサークルに入らん?」って聞かれて断れなかった〜〜!!!

まあそんなこんなで私はその子20番目くらいに仲良しな友達ポジションに置いてもらっている訳だけど、最近心境に変化が訪れたな〜と感じている。

変化というのも、今までは「好きで好きで仕方ない!その子彼氏が出来たら死ぬ!」と思っていたのに、今は「その子幸せになって私より長生きしてくれたらそれでいいわ〜」と思えるようになったのだ(後者後者気持ち悪いとか言ってくれるなよ)。

考えられる要因は2つ。 1つ目は「その子彼氏がメチャメチャ良い奴だった」ことである。もしその子大学で見つけたぽっと出の男に掻っ攫われていたら間違いなく死んでたしなんなら刺してた(その男を)。 でも、その子彼氏超良い奴なんだよ……。 そもそも善性の塊であるの子が2年くらい片想いしてた男なんだからいい男じゃない訳がない。周りの評判も上々、顔もいい頭もいい身長も高い。 あれ私勝てるところ無くない?! それはいいとして、2年間少しずつ距離を詰めていってやっとのことで実った恋なのだ。 私は20番目くらいの仲良しな友達なので元々その子の思いは聞かせてもらっていた。 そのため覚悟が出来ていたというのもあると思う。

2つ目は「思ったよりその子が私のことを好いてくれている可能性が出てきた」ことである高校1〜2年生の間は私の完全なる一方通行で(今思えばそんなことは無かったのだけれど)、遊びに誘うのもいつも私からだったし、善性の塊であるの子の周りにはいつも他の子がいたし、向こうは私のことなんて眼中にないのだと思っていた。 大学に入ったら多分私のこと忘れちゃうんだろうな〜なんて夜な夜な泣いたりもした。 でもこのところ、実はそんなことないのでは?と思い始めた。 遊びに誘ったら必ず直近で空いている日を教えてくれて、コロナ禍で会えなかったときには電話してくれて、誕生日には忘れずにメッセージをくれる。えっこれ友達としては相当好かれてない? イタい勘違いイタい勘違いだったらヤダな〜〜〜。 高校ときは「〇〇(その子名前)過激派ファンキャラでやってきたので(過激派なのは事実)、その子も"キモオタへの対応"的な返しをすることが多かったけど、私が大学受験で忙しかったのと、その子の恋が上手くいきそうだったこから距離を置いてみたら私からしても向こうからしてもちょうどいい距離感を築きあげることが出来た。 恋愛は上手くいかなかったけど友情としてなら上手くいっていると今は自信を持って言える。

以上の2つの要因から私は高校3年間抱き続けた激情から目を逸らし、一生消えることのないであろう恋心(と言えば聞こえはいいがただの執着もしくは信仰である)と向き合い始めている。

まだその子のことは超好きだから、時々一緒に撮った写真を見て泣いたりもするけどこれもこれで悪くない。

多分私は結婚することも子供を産むこともないだろうけど、その子のことを好きになれて、その子の後の人生を友人の立場から見届けられる人生幸せと言えるんじゃないかな。

ただ、その子がもし不慮の事故病気で亡くなったり、誰かのせいで不幸になったら立ち直れないしそれこそ死ぬ気がするので是非ともその子には幸せになって私よりも長生きしてほしい。これは切実に。



あとはその子結婚式に出席出来て、その子に似た子供と年に1回くらい遊べて、その子が私のお葬式に参列してくれたら大満足かな〜〜!!(いやめっちゃ強欲やんけお前)

2020-10-05

anond:20201004173050

大学受験までは学部学科偏差値序列化されて、受験生全員がほぼすべての選択肢アクセス可能に思える(もちろん学力に応じて)

大学入学した瞬間から情報の非対称性は始まり視野の広い人、情報アクセスできる人、断片的な情報から論理的結論を導き出せる人の差がどんどん広がっていく

最高峰学部修士課程で所定のカリキュラムを修了したとしても、情報を持っているものと持っていないものの差は残酷もの

たとえば灘開成ネットワークがあるとか大学教授の親戚がいるとかね

同じ学科修士でも、情報をもってうまく立ち回りメーカー研究所事業部研究・開発職じゃなくて)に就職する人と、システムインテグレーション部門でクソ上司、クソクライアント、クソ協力会社HPを削られる職場に叩き込まれる人の差は、大学1年から始まっているのだ

とはいえ修士卒の研究員では出世部長くらいまでだろうからSIでとんでもない営業成績を上げて役員になって経費使いまくり地位にのし上がれば逆転のチャンスはある

GAFAMは・・・日本人だと日本でのマーケティングで貢献しないと出世できないんじゃないかな?経歴としてはマネジャークラスでも威張れるし給料も高いけど

2020-10-03

anond:20200926032122

自分人生イージーモードだったように感じている。

子供時代勉強簡単だったし、運動も得意だった。田舎学校だったが、小学中学と学年上位の成績を取れた。ただ、努力しなければ結果が出ない子供だった。何もしないでいるととんでもない点数になる。努力必須なのが自分なのだ子供心に思った。

運動は大抵の場合、見ればできた。人がやっているのを見ていれば、コツのようなものがなんとなく把握できた。細かなところはスポーツの教本を読めばやり方は理解できて体も動かせた。突出したアスリートにはなれなかったが、自分でも器用なものだと思った。先生方にもかわいがってもらえたように思う。

大学受験は、それなりに努力はしたが、旧帝大と呼ばれるところに入って大学生活を満喫することができた。

本質的集団生活が苦手な自分であることがわかっていたので、独立してやっていける職業を、と思い公認会計士試験を受けた。これもけっこうな努力必要だったのだが、かろうじて1回で通ることができた。

当時は就職難の時代だったが、監査法人への就職はすぐに決まった。2つの法人から内定をもらえる状態だった(内定が欲しいのなら他法人内定を断れと言われたのでその法人は辞退した)。

ただ、社会人になってから人間関係に苦労した。私自身の幼さに起因したものだったと思うが、今にして思えば貴重な経験ができたと思っている。

仕事つながりで知り合った女性と数年間付き合ってのち、結婚した。監査法人は数年間務めてのち退社、独立した。

独立した当時、奨学金債務を考えれば債務超過の状態だったが、人に恵まれ仕事に困ることはなかった。

40代も半ばになった今、保有する資産総額は1億を超えた。借金はない。

苦労したといえば人間関係だった。小中学校と友達はいなかった。努力はしたのだが報われなかった。そもそも周囲の子たちと話が合わなかった。変わった子供だったのかもしれない。この領域ちょっとばかしハードモードだったかなと思わないでもないが、自分に至らぬ点があったのかもしれない。友人ができたのは高校に入って以降のことだった。自分にはそういうところがあるのだと自覚して人との距離感に注意しながら生きている。

追記

そういえば自分場合も親がそろって穏やかだった。夫婦喧嘩は見たことがないし、父親が声を荒げたところも見たことがない。母親にはよく叱られたが、自分が悪かったのだし、叱られている間も愛情を感じられるような叱り方だったような気がする。

父母ともに世渡り上手ではなかった。要領は悪いように子供の目にも見えた。裕福ではなかった。贅沢なことはできなかったが、いろんなところに車で連れて行ってもらえた。小学生の頃、海を見に連れて行ってもらって、旅館の窓から見ていた水平線に沈む夕日の風景は今も鮮やかに思い出せる。

このスレッド(と言っていいのか?)の増田主もご両親が穏やかな方々であったようで、もしかしてその辺りが重要なところなのかもしれないと思ったので筆を加えた。

2020-09-29

anond:20200929104822

切れたので分けました

・このように私は研究職向いていないのではないか就活は①にすべきでは?と思うのだが、ただ、両親や教授就職課のお兄さんは、このまま理系就職した方がいいよって言うんです。

・母は、私がさっき挙げた研究職向いていないと思う要素のほとんどは、別に他の職種でも必要能力なのだから別にあなたはどの職種も向いていないのよ。そもそも働くのが向いていないのよ、でも就職しなきゃいけないの、と言うの。

・私は高学歴なのか?まあ一般にはそうなのだろうな。学歴足切りはされない学歴だとは思う。そりゃ東大とか偏差値的に上はいるけどね。

この大学に行きたくても入れない人は沢山いるんだよ、は色んな人に言われた。

就活を始めてインターンとかで他の学生所属を聞いて、エッ、優秀な化学系の大学って日本全国にめちゃくちゃあるじゃん!私その中じゃめちゃくちゃちっぽけじゃん!マジムリ!と思った記憶はある。狭い研究室の中で井の中の蛙をやれていた頃は幸せだったなぁ、とも当時思った。

まあ私の大学も、そのめちゃくちゃある優秀な化学系の大学ひとつではあるのだろう。

理系就職しないとしてじゃあどこに行きたいの?特に希望無いんでしょ?とも母に言われた。それはそう。大卒平均(できたらうちの大学卒業生無難金額くらい)は稼ぎたい、とはふわっと希望している。化学系の研究開発以外で何の業界があるのかどんな職種があるのかもよく知らない。知らない幸せがあるとM1の時は思っていた(就活視野を広げない言い訳とも言う)。あーあと敢えて言えば文系就職としてもいわゆる人気な業種は怖い。知り合いにいないのでよく知らないが、金融とか商社とかコンサルとかその辺ね。

就職課の人に言わせれば自己分析が足りないのだろうな。自己分析自己PR全然かけなくて1月かに発狂しながら作った。

・あれかしら、本当に退学しないまでも、第二新卒就職するつもりで少し就活するのはありだと思うの。下を知るべきかしら。

そういえば大学受験で病んだのも下を知らなかったのはあるかもな、と思っている。ハナクソほじってても入れそうな大学なんてひとつも知らなかった、高校の知り合いで、私がハナクソほじってても入れそうな大学に入っている人をかけらも知らなかった。

3年生の時に、今の学力そのままで受験になったとして入れそうな大学はどこですかと聞いたとき怒って教えてくれなかった塾の先生は少し恨んでいる。逆恨みだが。

高校受験別に病まなかったのは、私がまだ世間を知らずにぽやぽやしていたか理想が上がらなかったのが大きいと思うが、下を十分知っていたのもあるのかもしれない。楽に入れる滑り止めが沢山あったのもある。

んーただ受験就活を同様に考えるのは危険かなぁ

嗚呼やだやだ忘れてた「大学受験もっと勉強すればよかったな病」を思い出しちゃった

でもね、しょーじき大学受験ちっとも勉強しなかったし、浪人生ときセンター前2週間くらいしかまともに勉強しなかった記憶あるけど、それでもうっかりそこそこの大学に滑り込んでしまったじゃん。それが悪い意味成功体験にはなってると思う。あの時なんとかなったんだから今回もなんとかなるんじゃね?みたいな。

・院進学はほぼ即決で決めたが、就活したくないから、文系就職絶対病むから、院進をすればきっと就活楽勝だろう、は理由の半分くらいであった。もう半分は、内部進学します!と言わないと教授研究室に入れてくれなさそうだったのと、実験レポートは好きだったのはある。

この手の、結論先延ばしにしたいというモラトリアム思考でここまで来てしまう、勉強はできる人ってありがちだと思うのよね。ほら見た?ちょっと前に私が書いた理想キャリアプランもさ、結論先延ばしにしていると思わない?

・これ思いつきなんだけど、自信が無いのって有機化学ができないと思っているからかな?もう一度勉強したら自信がつくかしら?院試もう一度解いてみる?失くしたと思うから誰かから借りてやらなければならない。

あーでもこれは躁による無謀な思いつきな気がする。怖いな。

・というか今絶対躁入っているのよね、どうしよう、自己管理ができない。昨日の夜も興奮して眠れなくてこの追記を書いていたら筆が滑って朝になってしまった。

トラバ返信でもしたように、やる気が出るときと出ないとき乖離が激しくて、私は勝手に躁鬱のケがあると思っているのですが、頑張れる時期は馬鹿みたいに頑張れて徹夜休日実験早出残業も厭わないでできるのですが、できない時期は御覧のとおり引きこもる、というかんじで、高校時代から苦しんでいる。

一時期ラミクタールに手を出したが、就活で不利になるかな、というのと、平日ラボを休んで病院に行くのが嫌だったのと、お前のそれは薬じゃなおんねーよと友人に言われて2週間でやめた。

・今までの文章を読んでいただけたら分かるかと思いますが、私はどうにも理屈っぽくて、特に自己を語ると理屈っぽくなり、行動に移すまでにものすごく腰が重いという悪い癖があります。あまりよくない性格だろうなと思うので、改善出来たらいいのにな、とは思っています。やらない理由を探すのが得意で困ってしまます

この理屈っぽさを研究でも生かせればよかったのでしょうが、残念ながらあまり生きることはなく、見切り発車で実験をかけて失敗することが多いです。

それから自分選択責任を取るのが怖くて、つい逃げの言葉を使いがちなのもよくないと思っています。うっかり、とりあえず、などの副詞をよく使いますが、責任を逃れたい意識がにじみ出る言葉だな、と思って本当はあまり使いたくありません。

それから、私は自罰的で自己批判的である、との評価は人からよく貰います。そのこと自体はそんなに悪いことだと思わないで生きてきましたが、自己PRがかけらも書けないのが本気で困っています

それからもしかして謙遜と私の自己批判は違うのでは…?」みたいな思いが少しあります

・私はこれまで相談室のようなサービスを使うのにものすごく罪悪感があって、いや、今でもあるのですが、まあこんな状態なら使う権利があるだろう、と思って使うことにします。コロナ渦で登校する学生が激減して空きは多いそうです。

・いや、罪悪感と言うより、敢えて露悪的に書けば、「手のかからないいい子でいたかった」という話だと思う。これはB4になったばかりの時にめちゃくちゃ思って病んだが、もう教授迷惑をかけることは気にしないことにした。

本気でだらだら書いてしまいました。これだから女の話はつまらないと言われるのです。

と言うことで就職課に相談に行こうと思います

たすけて、いけるんじゃない?と思うときと「もうだめだおしまいだ」と思うときが交互に訪れている。

anond:20200928195006

神童も二十歳過ぎればただの人と言うし、自分幼稚園小学校低学年の頃は色々と興味があって先取りして勉強したがっていたのに親の「中学までは学校の進む通りに勉強を進めないとダメ(ただし高校から大学受験があるので先取りして勉強しろ)」という謎の方針により知的好奇心をへし折られて結局Fランよりちょい上程度の大学に滑り込んで今留年しまくってるので、お子さんのしたいようにさせたほうがいいと思います

2020-09-28

我が子をアホの子にするために

6歳の我が子の事だが、成長が早すぎる気がして心配してる。

6歳なのだが、何かと私のまねをしたがるものから、私の書架を漁って司馬遼太郎を読んでるし、私が勉強するときに一緒に勉強したがって既に連立方程式を解くことが出来る。

余りに理解が早いものから、悪いことでもないと面白がって教えてしまうのが良くないのだろうが、知的好奇心を飢えたまましておくのも・・・と思い暫くは知りたいことを知りたいまま教えていた。

勉強をあまり進めてもまずいと思いなおし、将棋を教えたところメキメキと力をつけて、私も既に二枚落ちでは手こずる様になってきた。

子供らしく動物博士かにでもなってほしいと思って、犬を飼い始めたが効果は乏しく、私のジョギングパートナーが出来ただけに終わっている。


困ってしまうのは同級生との関係だ。

そもそも河井継之助が学んでいたという陽明学和訳を読んでみたいから、図書館へ連れて行って欲しい」などと休日にねだるし、

バラエティーよりはドキュメンタリーを好んで見るような子供公立小学校同級生と会話なんぞ成立する訳がないし、

大人ですら手に余るほど将棋が出来る子が同級生将棋をやっていても楽しい筈もない。

なので、必然孤立しがちになるし、本人も同級生よりも大人相手に問答してる方が楽しいと感じていて、それを気にもしてない。

正直なところ、この子未来不安を感じてしまう。早熟はいいとばかりは言えない。

小学校に上がる頃には自分は人と違うと自覚していた私よりも余程に成長がはやいのは問題がある。



親としては、子供らしくサッカー野球でもやって、泥まみれになって帰ってきてほしいんだが、

バットサッカーシューズよりも、中学数学参考書が欲しいという子なので困るのだ。

将来の事を思って子供の間は外に連れて行かねばと思って、サッカーに誘ったり、山登りキャンプなどに連れ出したりしてるんだが

私自身がインドア派で家で勉強でもしてる方が楽しい人間から、親が好きでもないものは、なかなか子供には浸透しないものだ。

近頃はTVゲームなんかをかなり用意して、友達を家に連れてこいと言って同年代友達でも出来ないものかと期待してる。

私も9歳くらいになると友達サッカーをすることが他の何よりも楽しくなっていたので、我が子にもそうなってほしいのだ。

スポーツをすれば自分には出来ない事、上手くいかない事、自分けが凄くても勝てない事の連続で、多くの事を学んでくれる。

大学受験の時期が来れば、この子も、どの大学だろうが志望校に入る位は苦も無く出来るとは思うし、今は勉強は全く大事ではない。

あと7,8年くらいは勉強なんかしないで、TVゲームで遊んでばかりで、悪戯でもしては大人に怒られまくる位でいいし、

中学生になれば彼女でも作って、どうすれば彼女キスできるか知恵を絞る位でいいのだが、

子供というものは、なかなか親が思うようには育ってくれないものだ。

妻は、アホの子なんてとんでもない、今のままでいいなんて呑気な事をいっているが、私は非常に心配だ。

私の父も同じような心配をしていたのだろうか・・・と考えると、なんとも楽しい気分にはなるんだが、笑ってばかりもいられない。


追記

ブクマが大量についてて驚きました。

ギフテッド教育お受験は当然のこと選択肢にはあったけど、夫婦で話し合い特別なことをあえてしない事にしました。

そこには当然、良し悪しはあれども親である私の経験からくるものもあります

私自身、大学に行くと決めるまでは1分も学校勉強にいそしんだ事はないけれど

「色はなぜ見える?」「鳥や飛行機はなぜ飛べる?」

といった好奇心を満たすための書籍漁りや、それを読むために必要勉強は幼少期から嫌わなかったというのもあります

一方で水泳教室やら書道に通わされて、自分が上手く出来ない事が悔しいという思いをしたことも今となれば有難かった。

大学受験程度であれば、苦労なんてする必要もないし、また彼は苦労はしないでしょう。

それよりは普通学校で色んなタイプ友達出会い海外旅行へ行って見聞を広めたり、友達キャンプへ行ったり、サッカーやったり

恋愛したりで人としての裾野を広げて欲しいのが我が家教育方針です。

英語をやりたいと言えば教えてやりますし、読みたい本があるなら何でも手に入れます

好奇心が赴くままに頭を使う事を止める子ではないし、親も興味や好奇心に蓋をするつもりはないのでご安心を。

40代やばい… 寂しすぎる… 結婚相談所助けて!!」

ってのは

10代は大学受験のため

学校予備校家のトライアングル

20前半は

レポート試験実験だ実習だで

実はそれほど遊ぶ時間もなく

就職したら

不景気人員削減下で1人あたりの仕事量多くて

仕事覚えて、慣れでこなせるようになるまでは

忙しいだけの毎日

30代くらいになってようやく

ちょっとした時間自由に使えるある程度の金ができて

ちょっと遊びながら人生エンジョイすると

気づくと40

で実際大量に未婚者がいるわけで

これってもう個人問題だけじゃなくて

社会システム問題だよね

anond:20200928003432

せめて好きな学部に行くべきだったのでは この分野を学びたいというエネルギーなしに大学受験が出来る人の気持ちはよく分からない 頭がいいか医学部に行く人とか

2020-09-27

希死念慮の発露条件

周りを見渡すと死にたい人で溢れている。

理由死にたい理由簡単に見つけられてしまうからだろう。わざわざ探さなくてもいくらでも見つかる。

世界で一番ではないかもしれないけれども、この国は病んでいて腐っている。世界中の多くの人が、自国を眺めたときに同じように感じるのかもしれないが。

これまでに身近な人間(姉、祖母同級生)が自殺未遂をし、大学の後輩が自死した。大学では在学中に二人の自死者が出た。皆さんの周りにもそういうことは多く起こっていると思う。

私のいた環境は、よくなかった。

・北国の閉鎖的な田舎町で育った。

・両親は心の優しい人たちではあるが、客観的に見れば多忙のために育児にあまり関われない父親過保護ヒステリック母親であった。

・前述の姉には物心ついたときからいじめられていた。私が家を出るまで続いた。高校受験勉強をほぼ毎日妨害された(精神科の薬をわざと多く飲んでおかしくなっている状態で)。

中学校高校ではクラス同級生集団からいじめにあった。ある日中学生自殺したニュース報道されたことがあり、翌日私をいじめている人々に「○○(私)かと思った(笑)」「○○は自殺しないでよね、困るから(笑)」と言われた。先生は見て見ぬ振りをして助けてくれなかった。

・道端で見知らぬ人にブスと罵倒された。下半身露出狂に遭遇して半狂乱で飛び込んだ交番には誰もいなかった。

・手術の後処理がよくなかったらしく体に傷が残った。

・初めてできた恋人が、私と付き合いながら他の人間セックスしていることを共通の知人がニヤニヤしながら教えてくれた。

・働きながら大学受験をして3回落ちた(結局は滑り止めで1つだけ受かった夜間大学に行くことになったが)。

ストーカーおよびセクハラにあっても周りの人は加害者擁護して私を助けてくれなかった。それが何度も起こった。

等々。

もちろんもっとひどい目にあった人はたくさんいて、お前のなんか大したことないと言われるかもしれない。でもやっぱり私はひどい目にあったと自分では思っている。

ここからが本題なのだが、私はこのような半生を送ってきて一度も死のう、死にたいという気持ちになったことがない。いぎたいっ!とも思わないし、自分自身が類稀なる人材であり存在しているだけで素晴らしいとも全く思わないが、辛い→自死 という回路が自分の中に存在していない。

上記のような環境で育ったので自尊心は徹底的に損なわれている。だけど死にたいとは思わない。風呂に入らずものを食べず、不潔で栄養失調の状況を作り出すことを自分でも止められないことがある。しか自分自分の体を傷つけたりしたことはない。心療内科にも行ったことがない。

ニュースで有名な人が自死したという報道がされていた。私は生きている。何故だろう?死にたくなるようなことがまだ私には不足しているのだろうか。死にたくならない自分が異常であるかのように思える。

2020-09-25

大学受験一発勝負ペーパーテスト階層逆転のチャンスだと言う人は

大学受験くじ引きを導入しようってなったら猛烈に反対しそう。

2020-09-24

社会学には計量社会学・数理社会学という分野がきちんとあるのは大前

https://twitter.com/tadoku_No1/status/1306098627698278400

社会学には計量社会学・数理社会学という分野がきちんとあるのは大前提として。「数字に弱い人々がはじき出された」という認識の仕方って、要は、大学受験時の文理選択世界観が染み付いたまま大人なっちゃったんだよね。いつまで高校時代の理数系コンプ(and/or 理系自慢)を引きずってるんだか。 https://twitter.com/Khovtoliv/status/1305420204311158790

2020-09-16

親父を殴ってあげれば良かった

親父が倒れたらしい

親父とは全くそりが合わず人生折々のタイミング妨害を入れてくるため大学入学とともに家には帰らなくなった。

父は他の兄妹にも家を出た時点で完全に腫れもの扱いだった。兄曰く倒れる一日前に皆巣立ったから俺はもう死んでもいいよねと言ったらしい。ヤバイ不調を放置したのだろう。本人どれほど本気だったかは知らないが事実上自殺と言えるだろう。

なお病院で寝たきりだ。死ぬのにも失敗している。

今思うと聞き分けを良くし過ぎたと思う。

父はなんというか聞き分けがない愚かな男だった。例えば受験に対してそうで、ワイが第一志望にしていた所はゴミなので〇〇高校に行けといった。

これがまず古い。○○高校が名門だったのは学区制の頃だし、学区制頃でさえ入試で名門に入れる成績出しても1/2で行かされるくじのはずれみたいな場所だったと本に書かれていた。実際ワイの志望した第一志望よりも偏差値で言えば4は程度低かった。

両方ゴミからその名門に行けと言われたらそれはそれでワイも理解を示しただろうが残念ながら全ての事実認識が間違っている。説得しようとしても夕食をひっくり返すだけだ。といっても学費を出すのは父なので(稼いでいるのは母だが)○○高校に行った。

受験先については妹も迷惑を被っているが2晩泣いたら許してもらえた。兄はそもそも受験に何も興味がなかったので父の指定した所に行った。ワイが行った○○高校よりさら偏差値は5-7くらい下である。一応父はワイの方に目をかけていたらしい。かけているなら邪魔しないでほしい。

兄は剣道着(2万)や野球道具を買ってもらえたがワイには何もないとか他にも不満は多々あった。言っても夕食が消えるか妹が泣くか寝る時間が消えるだけなので最終的に何もしなくなった。父は体育会系部活に入れと言ったがユニフォーム買う金もさないのにどうやってやるんだろう?本当に分からない。事実言っても買ってくれなかったのでこの言葉矛盾である

父の凄い所は全ての判断が間違っている所で、父の約束された失敗を実現しないと父は敵にまわるということだ(ワイは○○高校に行かなければそもそも高校に行かせてもらえなかった可能性すらある)

父への説得は結局全て無駄に終わった

他の親戚への相談も考えたが母はそれはやめてくれと言った。これに従ったのも失敗だ。母に考えがあるかも思っていたが、母も狂っていた。

当時は父自身一応高学歴だったし話を聞く価値があるだろうと思っていたが、父の本質男性ホルモン出すぎの猿だったようだ。家族の将来を考えるよりも自分の影響力を増すのに余念がない男だった。

大学受験でも同じようなことが繰り返され、ワイは家を出た。まぁその大学も父が行けといった場所で正直勉強なんてしなくても入れたし、第一志望のための1年の努力鶴の一声で無になった訳だが。

大学卒業精神科に行った。医者は君の父は狂人だねと言って切って捨てた。精神科医は患者否定はしないだろうから割り引くとしてもあの言葉は忘れられない。ワイが今考えても父は狂人であるし、それを許す母も狂っていた。

家族のことを考えると父の発言権は全て奪うべきだった。というか居ても居なくても家庭運営上なにも問題がないので(金を稼いでいるのは母だ。父はワイが中学に入った時点で腰痛かなんかで働いていなかった)親父への対処排除強制的隠居であっただろう。暴力は良くないと思っていたがどう考えても暴力ないし有無を言わせぬ何かが必要な状況だった。

父の影響で家族全員が不幸になり、その父当人自殺である。誰も得していない。

ワイは父をどうにかするべきだったのだ。ワイは失敗したようだ。ワイが何もしなかったのもまた、家族を不幸にした。

昔のことを考えると自分がなるべく優しくあろう、まず自分が耐えようとした故に失敗した事だらけだ。

まず自分が勝つ、次に人に影響を与える。父の例によればとりあえず勝てば嫁と家族全員不幸にすることすら可能だ。まず自分が勝つの大事。教訓は例によって当たり前の事だった。

2020-09-09

新卒就活をしてみていいたくなったこ

半年近く前に就活自体は終わってるが、少し就活について考える機会が発生したので、これから就活する人に届けばなと思い書いています

2020-09-08

anond:20200903174251

日本貧乏家庭のそこそこ逆転という点では、試験一発の大学受験国立の方がレベルが高いというのにかなり救われている。地方にも公立進学校がそれなりにある。

治安が良くていい学校がある地域に住むことすら貧乏人にはできない国が結構あるんだよな

2020-09-02

今年は商業BLばかり読んでいるので、読んだ作品のことを淡々と書く②

https://anond.hatelabo.jp/20200715133957

 最近商業BLの良さっていうのは手短に完結することなんじゃないかという気がしてきた。基本的に続刊は出ない前提なのか、単行本一冊で終わるように全力で話を畳みにかかる。

 私は漫画といえば終わりの一向に見えてこない連載漫画ばっかり読んできたので、ちゃんオチがついて終わる漫画というだけで尊いと思ってしまう。えっ、もしかして、私の意識低すぎ?

ネタバレには配慮してません。

『春と夏となっちゃんと秋と冬と僕』(佐岸左岸

 とある地方男子高校生カップル一年間を1話につき大体4コマで描いた漫画。前回紹介した『オールドファッションカップケーキ』の作者のデビュー作。

 4コマ漫画かぁ……萌えられるのかそれ? とちょっと不安だったんだが、読んでみたらとても良かった。シマもなつおも可愛い可愛い。何周も読めてしまう。なんなら一周目よりも二周目以降の方が萌えるかも。正月太りもっちもちになってしまうなつおがことのほか可愛い

 高校受験大学受験の間のちょうどいい時期をのびのびと過ごしながらも、将来のことを考えると辛くなってしまシマが切ない。

 シマとなつおがアラサーくらいになった話も読んでみたいなあ。

あなたを殺す旅』(浅井西)

 ヤクザBL。ヘマをしてほとぼりの冷めるまで逃避行生活をすることになった若頭片岡に、運転手として同行する小田島には片岡暗殺ミッションが課せられていた、という話。海沿いを町から町へと車で逃避行するロードムービーのような感じ。

 ヤクザものといってもそんなに殺伐とはしていない。ヘマをやらかして逃亡生活中なのもあって、ヤクザらしいことはあんまりしないのである。行く先々での人情エピソード中心。

 片岡が魅力的でいい男なのである。魅力的でいい男なのに、冒頭で唐突小田島レイプするのが物凄い謎行動だけど……。女には優しいのに何でだ。

『百と卍』(紗久楽さわ)

 江戸時代BL。確か時代江戸後期で陰間茶屋ブームがとっくに去ってしまったくらいの頃の話。陰間上がりの百樹と元火消で笛吹きの卍が下町長屋イチャイチャ日常を送るさまを描いた漫画主人公達が普通に月代・ちょんまげ果たして萌えられるのかと不安に思いつつ読んだら、とても良かった。

 絵がすごくいい。1ページ1ページがアート江戸時代風俗をかなりマニアックに描いている。

 お百と卍の仲睦まじさは見ていてほっこりする。あと卍のビジュアルがすごくいい……めちゃカッコいい……。

 本作は三巻まで出版されている。

『仇椿ゆがみて歯車』(吹屋フロ)

 これまた江戸時代BLこちらは寛永年間が舞台リアル指向の『百と卍』とは逆に、本作は時代劇! って感じの時代劇。なのでメインカプは都合よく月代を回避しているのである少年漫画青年漫画中間くらいやや少年漫画寄りの作風かな。

 かつて凄腕の暗殺者として恐れられていた、現・剣術指南役の間宮刀爾郎の元に訪れた青年一馬一馬間宮弟子入りを志願するが、間宮弟子を取らない主義だと拒絶する。散々食い下がって下郎として間宮の元に置いてもらうことになった一馬だが、実はかつて間宮に殺された男の息子だった。父の仇討ちと家の名誉挽回の為に挑む一馬間宮は受けて立つことに……。

 ストーリー重視でしかも絵がすごく良い。背景もよく描き込まれていて凄い。非常によく出来た少年漫画といった趣きなのだが、BLなので普通に18禁ガチムチぶつかり稽古シーンは入ってくる。

 こういうまとまりの良い少年漫画のようなものってそれ自体が希少だと思うので、腐女子でなくとも男同士の18禁ぶつかり稽古シーン平気な人は読んでみると良いかもしれない。

 第3話ラストキスシーンが情緒あってすごく好き。(ここまでお試しで読める)

 昭和チャンバラ時代好きな人おすすめ

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