2020-08-13

この割れ切った世界谷底

「この割れ切った世界の片隅で」

https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a

この記事拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。

先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。

ただ、自分境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。

ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性邪推されることもないし、純粋ぼやきを書くのに最適だろう。

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筆者は田舎一般家庭という途轍もないギャップ必死努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。

が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。

たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。

私も北関東の片田舎公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴である東京大学に進学した。が、それは努力放棄の結果でしかない。

成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験彼女からすると慣れたものだろう。

だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。

中学校地元公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生暴行少年院に入り、卒業生がバイク学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。

そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)

受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。

(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)

高校に進学していきなり衝撃を受けた。

まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。

なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」

当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才天才の類にはなれない。

そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力放棄だ。

文系でもSEとしてIT世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系高学歴を目指した。

そして大学受験。ここで2つ目の努力放棄をした。

といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力放棄することに繋がる。

東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しか大学に入ってから受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。

(ここでも自分が勝てなかった奴は東大合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)

結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。

就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系秀才であり、文系エリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャ田舎成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャ成功しても育ちの良さをカバーするための努力尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。

https://anond.hatelabo.jp/20130809115823

そういえば高学歴世界低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎公立中を卒業して必死努力して都会の旧帝大早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。

地元公立中を出た人間が、初めて都会の人間高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力放棄した。

周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。

どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間ライバルとして花を添えることしかできなかった。

一方でたまたま周囲の人間には恵まれ人生のものコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったIT世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底人生を歩んで行こうと思う。

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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから応援しています

この割れ切った世界谷底より

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