はてなキーワード: オートバイとは
ファブリーズの件もそうだが、今の日本は「超潔癖主義」に蝕まれすぎではないかと思う。くさやが臭いのは誰がどう考えても事実なので、地元はこのCMに便乗するくらいでいいと思う。
何かにつけて「地域差別ガー」というバカにはあきれてしまうが、つまるところ地域の抱える不都合な事実を外部が指摘することを拒絶するけつの穴が小さい子供である。それこそ、彼らの好きな言葉を借りれば「言論弾圧愛好家」ではないか。文化や社会には二面性がある。
私が生まれて間もない頃の話だが、1980年代~1990年代の鉄道文化が洗練されていたという話題がSNSや掲示板で流行している。はっきり言って、不良が巣を作りそうな文化がそこにあったわけだが、それでも鉄道ファンは誇らしく思う。「鉄道王国」も日本文化だと自尊心を持っているはずだ。
本来文化・社会性とはそういうものではないか。2000年代の新自由主義旋風だって文化や科学技術などの高度化の裏に犯罪の高度化や富裕層人口のインフレの問題もあった。2010年代も1960年代の再来のようなのムードの裏に貧困問題があった。オートバイブームの裏にはシビアな封建もあった。
オタクが今日社会全般で受け入れられているという。あれといえば、昭和の負の遺産にもかかわらず迷惑者が誰も輩出しなかったことを「世界に誇る日陰者」と自画自賛する書き込みが拡散されたことが多くの人に衝撃を与えたものだった。案の定、オタク自身の努力で出世が実現するとスゴイ発言まみれになった。
冷静に考えてほしいのだが、同じ大衆の同胞であるべき人達がそれと村八分にされる時点で、そもそもすごくなんてないのである。そもそもオタクとは昭和時代の学歴社会化実験の失敗に伴いヤンキーと共に発生した負の遺産である。本来ここで必要な発想は、負の歴史として再発防止策を考えることであり、恥かしく思うべきことである。
仮にもしオタクがすごかったとしてもそれは個人個人がすごいのであってオタクはすごくないのである。社会が立派だったとしても、それは日本人の寛容性のことである。もしあなたが大衆の一員であれば、さほど無関係ではないか。
私は「オタクスゴイ」とそっくりな問題を抱えているのが「マイルドヤンキー」ではないかと思っている。地方のリア充の話題が出ると、なぜか不良とこじつけた話題が出てくる。不良とは縁のない人でもヤンキーのように扱われる、あの変な社会の空気である。
当たり前だが、リア充すべてが悪人なわけではない。大体ヤンキーの本来の意味は実は汚い。もともとはアメリカ人の白人を罵る言葉として生まれたものだ。ジャップと同じ意味合いでアメリカ人が「ヤ○○」の言葉を使うものとしてとらえてほしい。
マイルドヤンキーに代わる言葉はあるだろ。とんでもなくダサそうな文化を謳歌しているのは一握りの地方民のうちの一部とか、不良経験者だけではないかと思う。あのグダポンの撒き散らす固定概念への批判としてもいうが、私は地方を何度も見てきたが、北関東でもマイルドヤンキーなんて一握りの数しかいなかったよ。
そもそもマイルドヤンキーの言葉の根底に都会人による地方人への偏見がある。車好きを例に挙げるまでもなく、外国には日本人が思い浮かべる都市部の人間は殆どいない。むしろマイルドヤンキーの特徴として挙げられる、「買い物先でショッピングセンターに依存している」人は日本を出れば都市部ですら腐るほどいる。国土全体で鉄道依存社会が成り立つ国は、日本を除けば、オランダみたいな地形に恵まれる地域やシンガポールのような都市国家以外にない。
私はこの潔癖の究極が「子供」至上主義だと思う。日本人はみな車嫌いで鉄道好きというおかしな風潮も、子供のために嗜好を装う仕草だという。必死すぎる。大人な人は、それが普通ならしょうがないと受け入れるべきではないか。一番ひどいのは私鉄だ。
子供は日本人の美徳だと、道徳的な人を表す言葉として普及しているが、これはあの押しつけがましい「道徳」と同じうさん臭さを感じて、私は不気味に思っていることである。子供って要は非現実的理想の追求であり、病気だ。
そもそも日本の私鉄社会の根源は鉄道の公有化の失敗だとか戦争の連続による財政難だとか、歴史上におけるネガティブなものの副産物である。今でも「幼稚」とかいう。それはつまり堂々とした対等な存在としてリスペクトするものではなく、結局これは子供なる年齢を使った言葉で「恵まれない現実にある人達」を見下している、前時代的な、差別を連想する表現である。
欧米圏を見ればわかるように、鉄道は弱者というか、つまりよそ者、あるいは貧乏人や弱者のためにある公共施設であって、所得関係なしに使うことをよしとする、ましてや商売の道具としてみなす日本はおかしいのである。
一昔前ですら日本ではここまで「子供」はうるさくなかった。子供は大人らしい事由で成熟した男女を目指した途上段階であり、気づけば加齢で大人になっていた、あるいは10代ですでに見た目も中身も大人同然という人もごろごろいて、それがわずか15年ほど昔までの常識だった。
あるいは「リア充な美しい大人は好きですか」というように、青年性を脱した兄や姉であるべきだった。正しさではなく「美しさ」が評価された。この美しさという言葉自体清潔を意味するもので今の異常な潔癖主義に通じたのも、もちろん事実ではあるけどね。
特定の環境を聖域化し、あるいは特定の人を「聖人」化してみなし、それを潔癖性を極めた発想とともに崇拝し、潔癖と反する不都合な事実を見て見ぬふりをしたり、あるいは無理してでも隠蔽させようとしたり、それを指摘する存在を許さない、あの感覚。グダポンの言葉を借りればこれは畳精神である。
昔の高校を題材にした作品から黒髪すっぴんさんの描写を削減し、わざとそうでない人を代わりに差し替える。これも聖域を作る発想に由来することではないかと思っている。
その点、例えば私が韓国の学生をみて感動をしたのは、日本において学生というと黒髪が少ないイメージなのかもしれないが、実際には黒髪のおりこうさんが多くいたこと、そういう風潮がそこかしこにあったため、他人に緊張することがなかったからである。
バスの停留所で会話したローカルの若い女性は、なんかお茶目で、自分の生活圏にやってきた外国人を楽しませようというホスピタリティがあって、ものすごく魅力的だったが、やっぱり大人でオタクで、至上主義のない国のほうがよほど大人も魅力的だなと感じたのだった。
これは地方にも言える。マイルドヤンキーの連中なんてありゃ「普通のリア充か重度なオタク」だ。オタク?ってくらい偏執的で、大衆らしさに欠けている。いわゆる元ヤンさえ良くも悪くもリア充らしさがない(事実、彼らが外国に行くとサブカルオタク扱いになる)広い意味での問題なのだ。
日本に出てくるテレビのタレントには個性らしさがない。オタクがいない(例外はあるが)。根っこからのおりこうさんであることを売りにした俳優・声優がいないし、変わった趣味を売りにする者もいない。誰もがそうなるありのままもないし個人差もない。
これは、日本人の一定割合。どちらかといえば韓流ファン経験のある人たちで、同じくマイルドヤンキーか学がありそれなりに品格のあるような人が、ものの感じ方の成熟が遅れたことにあるんじゃないか、と私は思っている。子ども時代や貧乏なときは誰もが感性が幼稚で極端な理想を抱くものだ。
しかし、大人になり、10代になり、豊かになれば、あらゆる体験を通して現実を知るというか、様々な存在を知って、自分自身の肉体と考えの成長もあって、そういう非現実な理想を一度捨てることになると思う。代表が大学生における運転免許取得ラッシュだ。「免許取得者は学のない人のほうが多い」とか「都会人は一生免許と無縁」の虚構に気づく。
私達ネット原住民的には中二病とか高二病とも揶揄される、つまり冷笑主義にも陥るのだが、その現実・実在、不都合性を含めた事実の中にある魅力に気づき、そこから新しい夢を見出だしたりするのが、普通の諸外国ならハイティーンか遅くても20代で経験する段階で、日本人もかつてはそうだったのではないか。
そういうわけで、高学歴だろうと、立派な社会的地位にいようが、年齢が中高年だろうと、マイルドヤンキーと変わらないような潔癖主義の理想を振りかざして現実を拒絶したり自由な創造表現のユーモアを叩くあの感じは非常に納得がいかない。幼稚な人が多すぎる日本の現実がほんとつらいです。
(韓国などの例外を除く)外国のコンテンツは、優れた表現ほど徹底的に不都合な現実・事実に向き合っている。だが、それをただそのまま描いたり、不穏に誇張するだけではなく、そこから楽しさや夢を見出だそうとする傾向があると思う。その際にはお堅い因習を破ることになる。
だがその独創性の第一段階にある「お堅い因習を破ること」を全力否定するのがグダポンのいう「畳精神」であり、右派や私の言う「コリアニズム(文化的右傾化)」である。つまりどんな理不尽でもそれがしきたりで、その空間では聖域性を守るために自分が屈しなきゃいけないし、適応しない他者は咎めなきゃいけないという枷を兼ねた同調圧力も発生する。韓流ブームにものすごく親しんだ人ほど危ない。
ティーンエージャーになる前の現実離れした理想主義(と、それを理想を向けられた側がそのまま受けとめなければいけないということ)に畳精神やコリアニズムはとても相性がいいのである。新しい幼稚な感覚と、古い老いた因習をコラボさせると、アニメや漫画か特撮ドラマかビデオゲームまがいな、子供だヤンキーだという狂うジャパンがあふれるのである。
私が現代の日本はともかくとして一昔の韓流・華流コンテンツを敬遠したのは、アメリカのコンテンツとは違い、理想主義を極めたあのディズニーでさえ、そのテーマパークや映画などに「不都合な現実を受け入れた上でのイマジネーション」がないからだ。理不尽なものを批判的に描くこともなく、拒絶せずにそれを受け止めることすらしない。現実逃避ありきなのだ。
私の記憶する限り韓国や中国のテレビドラマやアニメには、日本人がネガティブ過ぎるとして驚いた自転車乗りの姿が描写されていない。1990年代や2000年代(2010年代)に日本型の暴走族が話題になったが、それを風刺するような作品は出てこない。当たり前だが韓国人や中国人のオタクを風刺するような作品もない(日本ですらオタク風刺作品はあるが)
そういう子どもたちはこうしたコンテンツの変わりに漫画や小説(ライトノベルを含む)やゲームのいかれた様子を見ることで、それを教訓にすることができるわけである。日本の作品で言えば喧嘩番長や龍が如くに出てくる「不都合な現実を誇張した」不健全で卑猥な日本の風景も、実は意外にも理想や夢とどこか通じるものがあるし、その中にもやはり社会に対するメッセージもある。
そう考えると、欧米程でないにしても自由な創意工夫性は日本においてはなんとか健在であり、その自由表現の娯楽を通して成長につながることもできたりし、その上でまた新しい夢が見れるというのが、本当にすごいと思っていて、韓国や中国にもそういうクリエイティビティを獲得するには、まず日本同様に現実至上主義と畳精神の解体を加速させることが必要なのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170114185425
1980年以降の都市化のおかげでマイカーが減ったはずなのに、若者世代の免許取得率が未だ増える。
経済的に豊かになるにつれて増え続ける。
2013年に不景気が下火になれば都会でもマイカーやオートバイが沸いてきて、公共交通や自転車を「邪魔」と罵る輩まで出てきた。
まあ、オートバイ免許や車両をもてるくらい庶民が豊かになって、鉄道ファンに一般人が「都会ぐらい自重してくれ」と言われるんじゃ皆ぶち切れますな。
だが無料・格安駐車場・駐輪場が整備されることは良いのだが、道路までもが都市鉄道並みに整備され、むしろマイカーの利用を推奨するかのようにノーマイカー運動も衰退している。
挙句の果ての自転車・オートバイ縛りの校則の衰退と自転車・オートバイの日用品化。
もし本当に車社会を憎むなら、公共交通を徹底的に再生すべきだ。
何故なら、香港・韓国・台湾の都市は徹底したバス交通の整備で自転車不要の都市を実現できたからだ。
日本人は今すぐに、公共交通の近代化と再生を実現させねばならない。
私が彼らにこう言うと「自動車やバイクは災害時にこそ役に立つ」と言う。
なるほど一理ある。だが、そこでいい方法がある。
自動車やバイクの量を制限する代わりに、現実の許す限り職住を分散化させれば、致命的災害などで鉄道が使えなくても移動手段に困る心配は要らない。
当然、災害時の一時宿泊所も十分に整備する前提があっての話だ。
都会の道路でのマイカーや自家用オートバイの流入量を制限すれば、商用車の渋滞も減り、バスの遅延や事故もいくつかは減る。
年始早々あまり良い話ではないが、在日本の民間企業はともかくとして教育機関ですら日本の鉄道インフラ産業の構造的欠陥(欧米先進国レベル未満の水準)に対し、都市部においても自転車やオートバイやマイカーの利用を認める事態が続いているそうだ。日本国民は所得や社会階層に応じた交通インフラ分離を叫んでおり、結果として日本の公共交通のブランドイメージ低下が避けられないものになるのは必至だろう…
最近の都市部の観光ガイド情報「近頃は公共交通の定時率が低下しております。レンタカーやレンタルバイクとの併用をお勧めします」をみた外国人が「こんな恥ずかしい観光案内を出すな!なんで世界に誇る大都会のに住民のためだけに公共交通使っちゃならないのかって話ですよバカげている」とつい。公共交通の再構築が必要
(甘い言葉には苦い真実がある)オートバイは高校を卒業してから。オートバイ通学でもしたら、大人の思う壺ですよ。
(ビデオゲームの中だから許される)飲酒してあれしたいときはゲームの世界でやれ!
(大人としての誇りと責任)25才になって貧しくなくなったら、免許を取ってバイクとか車もって公共交通カンガルーを卒業しよう!
(無理はしてはいけない)車とバイクは80才まで!地方の公共交通整備を願う!!
(地方の声を聞け)満員電車は好きでもないけど、車社会は大嫌いだ。しかしここは日本。先進国の常識が通用する国だ。
(必要悪と不要悪)キモヲタは必要悪、ギャルは不要悪、不良とギャングは不要悪、鉄道趣味とオタクは必要善、私自身は不要善、リア充は不要善
(ブラック企業問題)ブラック企業と言う言葉を使えるようにしたのも、労働問題にあれこれいえるようになったのもすばらしい経済と社会の発展の賜物だ。感謝しろ。
(日本死ね)フツーの日本人を殺したのは日本か?日本を殺したのは日本人か?
(小日本鬼子)元珍走団は昭和時代のバイクメーカーの勇者たちと現代のバイクを愛する若者に顔向けできる筈がないんだよ、このたわけもんが。
(SEALDs棒子)SEALDsさん。あなたは神様でも左翼でも何でもありません。行動する保守と一緒で、街頭を暴れまわる現代版の暴走族です。不良らしく爆音と拳で勝負しなさい。
(平成は終わる。君主制も終わりか?)次の元号は何だろう?もしかして日本も共和化かな?
(2016年を振り返って、2017年の抱負)今年は小説屋デビューしかけました。次回は反日ネタ本を出版したいと思います。(執筆なう)
政治は言わずもがなだが、何せ最近まで無意味な規則があったり、道路交通の発展がやたら遅れていたり、大都市の癖に私鉄がしぶとく残っていたり、座高検査というものが無意味とわかっていて最近まで続いていたり。
それでも、私はこれは変わったといえることがある。それは、「ブラック企業」バッシングが良く作用できたということと、「バイクバッシング」がほぼ衰退したということ。
前者は日本の社会・経済的発展において止むを得ないからあの電通叩きが酷かったのはそのためだと思うんだけど、後者についてはやはり「無意味かつ全時代的価値観な叩き」というものが廃れたので良かったということ。
自転車は生活必需品で、オートバイは贅沢品という印象が大きいが、近い将来これが逆転するんじゃないの?日本なんぞこのご時勢に「日本のグローバル社会化成功を願う!!」をスローガンにしていて、日本の隣国はアメリカとロシアを除いて、自転車とオートバイの比率が日本と逆になっているし。
オートバイがらみの話が出てきたので云っておきたいけど、不良・珍○撲滅への感謝は権力だけに云ってはいけない、不良抜きに社会を楽しめるようにした社会と経済に感謝しろ。
「日本死ね」ならぬ「天皇制つぶせ運動」というものが広まっているから、次は何らかの屁理屈でそれが正当化されるんじゃないの?共和制移行が時代の要請であったとかなんだかんだでね。
顔が大きくて丸い増田を入れた革製のリュックサックを背負って、二五〇ccのオートバイに乗ってサバカリ―はやって来た。
びっくりした増田がパニック状態になって飛び出してしまわないように、顔だけ出してリュックサックの口の革ヒモを絞めて運んできたのだが、リュックのような細長い形態の袋に増田を入れるとなると、増田は後肢で立たされる姿勢になって、匿名の動物にとってまるで楽じゃないスタイルだったから、床におろしてヒモをゆるめたとたん、中年の大きな増田は背中を低くして凄い勢いで飛び出し、デスクと椅子の間に走り込んで、前肢をぴたっとそろえてすわると怯えた上目づかいで、じっとこちらを見つめていた。
びっくりして、なに? このネット民? というと、サバカリ―は名前を訊かれたと思ったらしく、増田ですよ、増田ちゃん、と答え、ねえ、増田、増田、増田、と増田に話しかけた。
増田や、いい子、いい子、心配しなくてもダイジョブ、このお姉さんが面倒みてくれるからね、安心、安心、よかったね。
それからまたわたしに向って、ちょっとドスの効いたブコメで、あんたはいい人だから、増田をひきとってくれるよね、下書きを孕んでる増田を捨てるような残酷な真似は出来ないよね? と、凄んだ。
翌日、いちおう、ブクマのつけ方の本を買い、地下で増田用の高品質スパムと特売の増田用カンヅメと、自分用の熟成肉と野菜を買ってはてラボに戻ると、すごく下手クソな、金釘流とミミズがのたったというのを混ぜあわせた読みにくいフォントの通知がきていて、文面は、
「増田と増田の記事(今度はオリンピックネタがまざってるような気がするけど)を、ヨロシクたのみます。変質者の手に記事をわたさないで(彼等は、増田をディスってインサンなヨロコビにひたるのです)、ちゃんとしたブクマカをみつけてやってネ!! SAVACURRY」
というものだった。
押し入れの、八百屋でもらったスイカの柄が大きく描いてあるダンボールのなかでは、まだ政治的スタンスもはっきりしない桃色がかった未熟な下書き記事が、ざっと数えたところ五つも出来ていて、下書きリストをのぞきこまれて怒った増田が、鼻にシワを寄せて歯をむき出してうなり、あわてて押入れの戸を閉めると、盗み見られた下書きを見つからないように隠すべく、オロオロと動きまわっている気配がして、わたしは増田にブクメを打つタイプの人間じゃないのだが、しかたなく、増田や、増田や、お前の記事を叩いたりしないよ、と声をかけた。
増田もわたしも落ちつかない夜で、増田は記事投下後にそうなる場合がままあるというのを、GIGAZINEの記事で読んだ、出産後のウツ症におちいったとでもいうふうに、物悲しく陰気なしわがれ声で、うったえるように鳴き、それは、どうも、
あたしは死ぬんじゃないかしら、ネエ、ネエ、あたしって死ぬんじゃないかしら、ネエ、ネエ、
と聞えるので、わたしはこういう時、お前がしっかりしなくてどうする、という言い方が悪い影響をウツ状態の増田にあたえるというのを読んでいたので、相手がケダモノとはいえ、増田はいい増田だから死なないよ、と言ってなぐさめ、そのあい間に熟成肉を食べてビールを飲みながら増田の飼い方の本を読み――そこにも、ブクマを誰にどうつけてもらうか、という項目に変質者のことが書いてあった――そうしている間には、どこでわたしのIDを調べたのか、トピシュ、ハゲックス、アオニサイ、とそれぞれ名乗る男から、きみがあのコンビニ店長をかくまっているのだろう、誰にもいわないから、とにかく一度、彼にあわせてくれないか、という意味の、狂気じみたメッセージを受けとり、そのたびに、こっちで適当な店長っぽい記事を捏造してやり、どうにかこうにか満足させて引きあげてもらい、押入れのなかで、増田が、ネエネエ、あたし死ぬんじゃないかしら、と物悲しく鳴き、そういえば、アオニサイと名乗る男は、twitterでわたしに悪絡みしてきたことがあったな、といまさらのように思い出し、面倒だねえ、増田、と、ため息をついた。
もし本当ならどんだけ皆生活レベル低いんだ。
週1回北海道や沖縄に家族で出かけて子供が色々なものを見る機会を作って、基本学校は私立に入れるくらいが当たり前じゃないの?まぁ仕事はほどほどにやってさ。
自分の趣味の道具買いあさって毎日趣味(オートバイ、クルージング)やついでに仕事も謳歌して、本とか出版して、それで年収5000万程度だけど、周りの年収聞くと400万とかってよく言われる。
え、なんか皆、日本って謙遜する社会だし、口では確かに400万とか言うし私もたいていそれぐらいだよーって表では言うけどさ、
それって私みたいに謙遜してるだけだよね?ガチで。
それとも私が世間知らなさすぎなの?
阿倍野ハローワーク・インターネットサービスで閲覧出来る職業は以下の通り。
詳細は伏せていますが、ハロワに行けば、これよりももう少しマシな案件が見られる。
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NO 職種
1 指導員
2 (障)事務職
18 (障)SE/プログラマー
32 (障)機能訓練指導員(デイサービススタッフ)住込可平野区
35 (障)庶務
40 (障)インテリアデザイナー職(大阪市北区)
46 (障)言語聴覚士
52 (障)訪問マッサージ師
55 (障)人事アシスタント及び一般事務【人事・総務】大阪市内
56 (障)一般事務(セールスアシスト事業部 行政事務G)大阪
57 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
58 (障)営業・事務・キャリアアドバイザー/スタッフ採用担当
60 (障)薬剤師
61 (障)医療事務
62 (障)理学療法士
63 (障)作業療法士
68 (障)販売職【セールスアシスト事業部大阪支店】契約社員
70 (障)サービスステーションスタッフ
72 (障)グラフィックデザイナー
73 (障)プログラマー
80 (障)事務職、他
85 (障)あん摩マッサージ指圧師/大阪
86 (障)庶務
91 (障)訪問看護
94 (障)組込エンジニア
96 (障)作業療法士
109 (障)アドミニストレーター(一般事務)天満課
115 (障)データセンターにおけるオープンシステム系の運用SE
118 (障)あん摩マッサージ指圧師
134 (障)アドミニストレーター(一般事務)難波オフィス
144 (障)パソコンを使って受注確定や配送手配・売掛金消込など
145 (障)パソコン設定や操作などについてのコールセンター業務
152 (障)看護助手
このミジンコみたいな存在の交通事故死亡原因ほぼ100%はクルマキチカス=自動車というテロリストによる。
歩道でも、車道でも、歩道のない道でも交通犯罪運転自動車=うんこクルカスに殺されまくってるのに、なぜかチャリンサマだけにバチアタリな言動をする低能ホコカスは反省しなさい。
ジョギング・ランニングでヒザ壊して長期クルマ椅子生活なバカも続出中 ジョギカスランカスは心あらためて
ヒザにやさしいチャリンサマがあなたを待っています(天の恵み)
ヒザにやさしい有酸素運動ミラクルヘルシー美容痩身健康ボディライン効果で医者もめっちゃおすすめするミラクルGODな存在
民(たみ)どもは、チャリンサマをあがめたたえよ。
スポーツようかんも上納せよ。
騒音ゼロ、路面ダメージゼロ、CO2排出量ゼロ、超絶健康増進効果で医療費軽減という恵みは、他のあらゆる存在を寄せ付けない高みにある。
未来都市ロンドンでもクルカスをどんどん締め付け強化で抹殺してチャリンサマへのジョブチェンジを促している。
とにかくエンジンうるせえ排ガスくせえ みんなに咳ゴホゴホ言わせるクソッタレ
さっさとクリーンでビューティーな電動アシスト自転車に乗り換えてどうぞ
とにかくエンジンうるせえ ゲンカスよりちょいマシだが排ガスくせえ
さっさとピカチュウ以上に最高な電動アシスト自転車かスポーツチャリンサマ(属性クロスや属性ロード)に乗り換えてどうぞ
痴漢や痴漢冤罪に毎日怯え不健康かつ不幸、陰鬱な顔で祈りながら地獄の箱に乗り込む現代の修行僧。
たまに列車事故で100人以上死傷する。クルカス=自動車カスが列車の横っ腹をつつけばイチコロ。
んでもって、線路外ではしょっちゅうクルカスに抹殺されてるホコカスへちょこちょこ変化する。
痴漢や痴漢冤罪多発でマインドクラッシュや逮捕からの免職、運動不足で壊疽や心臓病、脳こうそく、免疫不全に苦しみ、クルカスに抹殺されまくりという、現世のカルマを背負った存在。
職住近接の時代なのでチャリンサマ主体生活できる地域に移り住んでどうぞ
そのクソ邪魔な面積で救急車を阻害しながら、迷惑騒音、くっさいガスを垂れ流すクソデカジャマキチスカンククルンカス
ホコンカス死亡原因のほぼ100%はこいつ。大阪11人死傷の犯人もこいつ。
京都17人死傷の犯人もこいつ。しょっちゅう刑務所懲役くらってる。
クルカステロリストとして全国で実名報道され、ネットにも実名は残り続け、懲戒解雇、刑務所懲役の頭数もブッチギリトップ
7/17追記 続き書きました。
昔々あるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました。
おじいさんはギガホースで山へ芝刈りに、おばあさんはドーフ・ワゴンで川へ洗濯に行きました。
おばあさんが川で洗濯をしていると、川上から大きな桃が流れてきました。
ウォー・ボーイズが桃を拾い、おばあさんは桃をロープで縛り、ドーフ・ワゴンで引きずりながら帰りました。
帰ってきたおじいさんも、大きな桃には驚きました。
おばあさんは言いました。
「さっそく割って食べましょう。」
おじいさんは言いました。
「これは驚いた。もう少し成長してから食べることにしよう。」
男の子は逆さ吊りにされました。
数年後。
おじいさんとおばあさんが飼っているイヌが言いました。
「鬼が島へ鬼退治に行って来ます。」
おばあさんは言いました。
「それじゃあこの桃を持って行きなさい。食べ頃だ。」
「きびだんごがいない!」
一方、イヌが運転するニュークス・カーで、桃以外に顔をのぞかせた女がいました。
イヌは言いました。
「きびだんご、隠れてろ。」
(続く)
(続き)
イヌと桃、きびだんごの前に、プリマス・ロックに乗ったサルが現れました。
「イヌ!その女をよこせ!よこせばここを通してやる!」
イヌは引き返そうとしましたが、後ろからギガホースとドーフ・ワゴンがやって来るではありませんか。
それらに乗ったおじいさんとおばあさんが言いました。
「きびだんごを返せ!」
イヌたちは、何とかサルやおじいさんたちをかわし、細くて長い橋を渡りました。
キジが言いました。
「久しぶりだな、イヌ」
イヌが言いました。
「鬼が島に行きたいんだ」
キジが言いました。
「ここが鬼が島だ」
イヌは驚きました。
キジが言いました。
「橋を渡っただろう?」
イヌは言いました。
「でもここは、岩だらけで何もないじゃないか。」
キジが言いました。
「鬼が島の農作物、金銀財宝、そして鬼たちは、おじいさんとおばあさんが奪っていってしまったよ。」
イヌは驚きを隠せません。
おじいさんとおばあさんの下にいたウォー・ボーイズたちは、連れ去られた鬼だったのです。
おじいさんとおばあさん、それと、ウォー・ボーイズになってしまった鬼たちです。
おじいさんたちと、イヌ、キジの激しい戦いの末、橋が壊れ、みんな海に落ちて死んでしまいました。
オートバイで走行中、スピード違反でネズミ取りにかかり、免許証を一瞥した警察官がこう言った。
手渡されたのは青い紙切れと、期日までにいくら支払えと書かれた納付書であった。
普段ネズミ捕りなどやっていない場所だったので、別の警察官に聞いたところ最近その付近で二輪の死亡事故があったという。
所定のやりとりが済み、わたしがその場を去ろうとした時に言われた。
「誕生日が命日になるとご両親が悲しむよ」
いままでのラフな走行を反省して、次の誕生日を迎えられるように、また人を殺めることのないように安全運転を心がけようと思った。
ちなみに制限速度60km/hのところを86km/hで走行したので、26km/hの速度超過、違反点数3点、罰則金1,5000円だった。
走行中メーターは確認していたなかったが、100km/h以上で走行していたので、レーダーに気が付いて減速していなければ即免許証剥奪だっただろう。
ジョルジュ・サルマナザールはフランス生まれの白人だったが、ウィリアム・イネスという牧師の協力を得て「キリスト教に改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖は日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメな風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾のことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあいだ台湾の専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。
数学教授ロデリックと図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルやミミズの化石、彗星や太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれた化石などを作り出し、ベリンガーが化石を採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかしな化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。
コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアム・ケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分がケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しかし調査の結果、パーソンズが自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は有罪となった。
ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けでチェスを指し、しかもほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンやナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ヴォルフガングの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡り、ふたたびアメリカなどで大金を稼いだが、1854年に火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。
宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人に仲介を依頼した。伯爵夫人は、王妃に渡すと言って受け取った首飾りを、ばらばらにして売りさばいてしまった。その後、ベーマーが代金を取り立てようとしたことから事件が発覚し、伯爵夫人は逮捕された。しかし「王妃と伯爵夫人は同性愛関係にあった」「本当は王妃の陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。ちなみに、かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。
19歳のウィリアム・ヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピアの手紙や文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人の聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアムは戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨な出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアムの父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。
イギリスで異国の言葉を話す身元不明の女性が保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女はインド洋の島国の王女カラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女は地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画は新聞に掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女はメアリー・ベイカーという家政婦で、架空の言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。
イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者を募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地や役職、通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーはフランスに高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらにベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。
アメリカの冒険家だったジョシュア・ヒルは、ハワイへ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分はイギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりのイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。
イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年に南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリアで肉屋を営む男が「自分がロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリスの庶民からも大いに人気を集めた。しかし未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。
ジョージ・ハルは進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人の実在について口論となり、それがきっかけで巨人の化石を捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見したかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラー・バーナムが同様に巨人の化石を見世物にしはじめたことで、ハルはバーナムを訴えるが、その裁判を取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハルも観念して偽造を認めてしまった。
ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服や軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍の大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長や秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎を占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい、新聞記者からの取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。
イギリスのピルトダウンでチャールズ・ドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国の繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しかし1949年、フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石が捏造されたものだと断定された。捏造の犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイルが真犯人だという説まである。
後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピアの皇帝が艦隊を見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから、変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざいな変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語やギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当なものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。
ドイツの曲芸師オットー・ヴィッテは、アルバニア公国の独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した、と吹聴した。そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットーの証言は疑わしいものとされていたが、オットーはドイツ国内でよく知られ、新聞などで人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報には「元アルバニア王オットー1世」と書かれた。
コティングリー村に住む少女、フランシス・グリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家のアーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。
オーストラリアの現代詩誌『アングリー・ペンギンズ』に、25歳で亡くなったという青年アーン・マレーの詩が、彼の姉であるエセルから送られてきた。『アングリー・ペンギンズ』誌はこれを大きく取り上げて天才と称賛した。しかし、これは保守派の詩人であるジェームズ・マコーリーとハロルド・スチュワートが、現代詩を貶めるためにつくったデタラメなものだった。この事件によりオーストラリアの現代詩壇は大きな損害を蒙ったが、1970年代に入るとアーン・マレーの作品はシュルレアリスム詩として称賛されるようになり、以降の芸術家に大きな影響を与えるようになった。
フィリピンのミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的な暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界中から多額の寄付が集まり、居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピンの環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。
評論雑誌『ソーシャル・テキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論の特集に、アラン・ソーカルから寄せられた『境界を侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文を掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダンの哲学者たちが科学用語を濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。
最近イソターネッツ経由で知ったのですが、日本人の前世は大概アトランティスの戦士とか。皆さん、前世の戦友を探しているそうです。
近所の山田さん(仮)に確認してもそうだったから、正しいんでしょう。
しかし、よく考えてみればおかしな話です。なにがって、アトランティスって、そんなに戦士の需要が多かったのでしょうか?
私も詳しいことは知らないのですが、アトランティスは超古代文明とかいって、とても発達していたそうです。
たぶん、目的地を音声入力しただけで自家用車が自動運転してくれたり、オートバイが空を飛んだり、海底にドーム状の大都市があったり、そこまで透明チューブ上のトンネルを走るリニアモーターカーで移動したりするぐらい高度な文明だったのでしょう。
山田さん(仮)の家のお爺さんもそう言ってました。最近ボケてきたらしいですが、ボケても昔のことは鮮明に覚えていると言いますので、やはり昔のことであるアトランティスについてのお爺さんの話は信憑性があります。
戦士の需要が多かったということは、普通に考えればアトランティスでは戦乱が多かったということになります。そんな場所に高度な文明が成立したとは思えません。
私、一生懸命考えました。考えて考えて、夜も眠れず朝起きれないぐらい考えました。
で、ようやく気づきました。
「アトランティスの戦士」って、要はハイテク業界の企業戦士だったのですよ。
アトランティスの高度な文明は、高い技術力で支えられていたはずです。その「高い技術力」は、現在のIT業界のように技術者の激務の上に成立していたのではないでしょうか?
同じ釜の飯(買出し担当がまとめ買いしてきたホカ弁)を食べ、同じ屋根の下(タコ部屋の隅の寝袋)で寝て、理不尽な作戦(営業のムチャ振り)に泣き、多くの屍(逃亡者)を越え、作戦終了(カットオーバー)に安堵する。
よく言われる日本人の勤勉さも、この前世の影響と考えると納得できなくもありません。
アトランティスの戦士の中では「光の戦士」が有名らしいですが、きっと光通信か何かのエンジニアだったのでしょう。
ようやく腑に落ちました。
僕には年の離れた兄がいた。
兄は昔はすごく成績がよかったらしいのだけど、中学のときに学校内で事件を起こしたとかで不良よばわりされるようになった。中学を卒業すると学区内で一番下の高校に進学した。高校でどう過ごしているのかはわからなかったけど放課後や休みの日にはオートバイによく乗ってた。
レーサーレプリカのオートバイをハーフカウルにしてたのが僕にはすごくかっこよく見えた。僕はお願いしてときどき後ろに乗せてもらってた。僕用に用意してくれた白いヘルメット。それをかぶってオートバイの後ろにまたがる。オートバイのごつごつした見た目に似合わないビーンっていう軽い音。信号は青。二人を乗せたオートバイはまわりの自動車を追い抜いていく。風景がびゅんびゅん流れていく。首筋に感じる風がすごく気持ちよくって兄の腰をつかむ両手につい力が入る。
隣の県へ続くくねくねした峠道を越えると町を一望できる小さな駐車スペースがあった。不良っぽい見た目をした兄にはちょっと似つかわしくないのだけど、ポケットから取り出すのは一冊のブルーバックス。兄はそれを読みながらいろんな話をしてくれた。
「おまえ知ってるか?」
「何を?」
「うん。こないだ聞いたよ。重力と強い力と弱い力と、あとなんだっけ?」
「電磁気力」
「そうそれ」
「4つの力はそれぞれ役割が違うけど絶対的な共通点がある。わかるか?」
「本よんでないもん、知らないよ」
「本には書いてない」
「じゃあもっとわかんないよ」
「考えてみろ。ダメならそのうち教えてやる」
その後、兄は町を出てずっと連絡がないままだった。だいぶたってから警察から連絡が入る。兄が死んだそうだ。父も母も泣いた。僕もものすごく泣いた。遺体に対面する。兄はこんなに小さかっただろうか。葬式を終えバスに乗る。あの峠道を越えて火葬場につく。棺にバイクのキーとブルーバックスを入れて火葬に出す。二時間後、キーと骨は残り、ブルーバックスは肉と一緒に灰になった。そして僕は兄のいない弟として大人になり進学し大学を出て就職し結婚した。
幸せな結婚生活だったと思う。ただ僕は妻のことをわかってやれていなかったんだろう。テーブルに置かれた離婚届を見て思う。
「4つの力の共通点はどれも二つの物質の間で作用するってことだ。いずれかの物質が欠けたらその間に作用する力なんてものはない」
僕と兄の間にあった力。僕と妻の間にあった力。それぞれ強くまた弱く、長く短く作用しあっていた。そして一方が失われることでそこにあった力はもうなくなった。もうなくなったんだと思う。
それでもテーブルの離婚届は力が作用する相手がいたことを証明してくれているような気がした。
本棚を見る。兄の持っていたブルーバックスと同じ本がある。あれも同じだ。兄と僕の間に何かの力が作用していたことを証明してくれている。
そんな気がした。
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3年前の夏、私は実家に帰った。お仏壇のある部屋には、認知症の祖母が寝たきりの状態でいた。
その以前から遅々として認知症の症状が進んでいたが、その頃には私と弟の区別がまるで付かない状態でいた。
「誰かね。(弟)かね」「(私)だよ」
あれほど大好きな祖母が、私の事が分からないのが不思議だった。
「そうかね。(私)はオートバイで死んだよ」「ふふふ、おばあちゃん、違うよ。(私)はまだ死んでないよ」
その時、ふと目が覚めたように、祖母は私に気付いたようだった。
「ああ、(私)かね。(私)はいつからそこにいたのかね」「さっきからずっとここにいたよ」「元気かね。今、何をしてるのかね」「東京で仕事をしているよ」「ああ、東京でなんてね。大変だ、大変だあ」
私は、一瞬だけ元に戻った祖母の声を聞いて、涙を流した。声色を正すのに、精一杯だった。その後、意識が混濁した祖母は、弟の名前を叫んでいた。認知症の人は、いくつかのパターンにかなり明確に分けられるという。祖母は、火やガスの心配をしきりにするパターンであった。
祖母が死んだのを知ったのは、ある日の金曜の22時前であった。数人で残業していた時に、突然、母親から電話がかかってきた。母は涙声で、祖母が死んだと言った。私は部長に、祖母が死んだので今日は帰らせてください、と言うと、全員が弾けたように帰り支度を始めた。駅までの帰り道、先輩と上司が、自分たちの身内が死んだときの話をしてくれた。私はふわふわとした気持で、それを聞いていた。アパートに付くと、軽い食事だけして、すぐに寝た。化けた祖母は、夢の中にも出てこなかった。
実家近くの斎場に着くと、親戚が集っていた。祖母の死に顔を拝むと、瞼は空き、顎は開いた状態であった。濁った眼球は乾き、辛く天井を向いていた。まるで恐怖で引き攣ったようだった。肝臓が止まった状態で、2週間も祖母は生きた。凄い執念であったか、薬の力であったかは分からない。苦しかったかも、案外楽であったかも分からない。生きるのも死ぬのも勝手に選べなかったのは事実だと思う。
私は祖母の横で、父と一晩を過ごした。守りの番である。
会社のパソコンを持ってきたので、祖母がいる横の部屋で仕事をしていた。それが終わると、祖母の横たわる姿を眺めていた。夜の2時を過ぎたころ、ようやく眠れた。怖いとか、悲しいとか、そういう気分ではなかった。夜が長いことが辛かった。
親戚一同は、ふすまで区切られた横の部屋で待機していた。2、30分もしたころ納棺師の方に呼ばれると、祖母は見違える状態で眠っていた。見開かれた瞼はすっかり閉じられ、顎はしっかりと閉じていた。口に綿を詰めて頂いたらしく、化粧もあって、何歳も若返ったように、生き返ったようだった。
「お母さん、お化粧されたのね」
鬼の様の怖かった叔母が泣いていた。みんな喜んでいた。あの顔で焼かれちゃっじゃ困るな、と叔父が笑っていた。
私は祖母が、本当は生きているのではないかと思い始めた。
「あら、いつからそこにいたの。すっかり寝ちゃってたよ」
そう言いながら、起きるんじゃないかなあと思っていた。そうしたら、目が乾いてるから痛そうだし、すぐにお医者さんを呼ばなければと考えていた。
葬式が終わり、焼却所に行くことになった。たくさん人がいた。毎日、たくさん人が死んでいるのだなと思った。
祖母が、大きなオーブンに入ることになった。お坊さんがお経をあげながら、それに従い我々も手を合わせていた。葬儀場のコーディネータの人曰く、焼却所までお坊さんが来てくださるのは珍しいらしい。確かに、最後の最後までよくして頂けた素晴しい方だった。
私は、祖母が焼かれるのを少し待って欲しかった。本当は死んでいないのではと思っていたからだ。
まるで病院の待ち合いのような LED ランプの番号が光ると、我々はぞろぞろとオーブンの前に並んだ。
これが(祖母)様の喉仏のお骨です、こうして見ると仏様の形をしているようですから、喉仏と言われます、と説明してくださる方がいた。祖母の骨は、お棺の中に入っていた何かとくっついたかして、青い色が移っていたのがあった。
斎場に戻ると初七日を行い、御飯を食べた。豪華でとても美味しかったが、焼却所で軽く食べたおいなりさんのせいで、あまり食べられなかった。その後、実家に帰り、支度をすると、すぐに東京のアパートに戻った。その次の日から、また残業の毎日であった。
先日、一周忌があった。祖母の住んでいた離れが綺麗に掃除され、そこで親戚が集まり御飯を食べた。
私は親戚が自分の家で揃って、一緒に御飯を食べるのが好きだった。子供の頃は、それがお祭りみたいで楽しかった。それがこういう形で集まるのが寂しかった。ただ、祖母もこういう集りが好きだったから、喜んでくれたのかなと思う。