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はてなキーワード: 海難事故とは

2019-06-21

anond:20190621122037

なんか海難事故で導入されたとかなんとかあっただろ

たぶんググればすぐ出てくるよ

2018-08-06

韓国ウォッチャーが見るラオスダム事故韓国の反応

ラオスダムの件はマジで日本のせいにしてないよ。

韓国人としてはっていうレベルで、あるにはあるけどねもちろん。


なんでラオスダム日本のせいになって無いんだろうか。

韓国人なのに日本のせいにしてないなんて変だよね。

なんでだと思う?


自国大統領叩きになってるから、が答え。

ダム事故が起きた時にどこに居たか明らかにしろムン災害!」

「ムンのせいでみるみる国格が落ちる大韓民国!」

っていう声が大きい。

ムン災害ってのは大統領名前の「ジェイン」と韓国語の「災害」の音のゴロ合わせね。

ベゲリゾーみたいな感じ。もちろんアンチムンの野党勢力が言ってる。


意味わからんだろうから説明すると、韓国では「大災害天罰」って感覚が未だにナチュラルにある。

大学ほぼ全入の国だし科学リテラシーが低いわけじゃないと思うけど

迷信的な肌感覚っていうのはリテラシー学力関係いからね。

日本でも高学歴なのに霊とか血液型占いかに影響される人いるでしょ?)


から彼等が災害の多い日本を見てどんな反応してるかというと

道徳性の低い国だから地震が続く」

反省しない戦犯国だから大雨が降る」

って感じ。

日本災害起きるたびに韓国メディアでは大きく報道されて(関心が高い)

ネットメディアでは「戦犯国」「反省しないから」の大合唱


話が逸れたけど、

韓国人があのラオスダム事故の規模や大水の情景を見ると

ごく自然に「ムン大統領は何をしていたのか!」って思考になるの。

これは文化からそういうもん。

災害が起きる→大統領に弾劾フラグが立つっていうルール

(嘘だと思ったら身近な韓国ウォッチャーに聞いてみてね。)


そしてこれは弾劾されたパク前大統領からも続く文脈があって、

パク前大統領の命取りになったのもセウォル号事故なのね。

海難事故大統領が直接指揮執ったり死者数の責任取ったりすべきなのか謎だけど

パク大統領非難する側(当時野党側で現与党側)の勢力にとってセウォル号は旗印になった。


韓国ではそういうルールから

ラオスダム事故見て韓国人がまず思ったのは「これはムン大統領を叩く材料」ってこと。

パク大統領派の現野党勢力にとっては仕返しのチャンスだし。


大統領叩きの次に大企業財閥叩き。

韓国では少数の大企業財閥ものすごく強くて

中小企業自営業者はかなり辛い立場

韓国言葉では甲乙っていうんだけど、要は上下格差

甲は乙に横暴をするのが日常であって乙は不満と復讐心を溜め込んでる(韓国風に言うと「甲の横暴」)。


ラオスダム建設したのはSK建設っていう大企業で、大きなグループの一員。

韓国が絶好調半導体業界にSKハイニックスっていう会社があって、そこが凄い利益だしてる。

から庶民からするとSK建設っていうのは圧倒的な甲。

甲が国外で大失敗したのは叩きに値する。


そして韓国庶民がいま一番恐れてイライラしてるのは

この失敗の収拾に韓国の国費を使われないかと言うこと。

普段から庶民搾取してる大企業様の為に俺達の税金使ったら許さないぞ」っていうこと。



結論をまとめると、

ラオスダム韓国人としては珍しいほど日本のせいにしてない話題

なんでかというとこの件は優先して叩かないといけない対象国内に2つあるから


そういう対象が無い時はほんとなんでもかんでも日本のせいにして叩いてるよ。

メディアでもデマがめちゃんこ多い。

桜とか犬とかに関する庶民生活レベルコラムでも何か悪いことを日本のせいにする嘘が大新聞にも載る。

北朝鮮話題ホットな時はうまくいかないのは常に日本の暗躍のせいになってたし。

日本叩きが弱まるのは大統領の人気が落ち目になった時。

無能大統領のせい」がメイン叩き対象になるので日本叩きが減るっていうこと。

これが韓国システム

anond:20180805152613

2018-05-18

anond:20180518225032

増田は「ダーウィン・フィンチ」を知らないのかな?

かつて世界一周の船旅に出た画家であるダーウィンが、その船旅の途中に海難事故に遭遇し、ピンチに陥った。その時ダーウィンが命からがら辿り着いた島がガラパコス島

そこでダーウィン本国からの助けを待ってる間に食料として主に食べられたのがこのダーウィン・フィンチだとされている。

山程のダーウィン・フィンチを焼いて食し、その骨だけの姿を見てダーウィンはある事に気付いた。

おそらく沢山の種類の鳥を食した筈であるのに、鳥によってある特定の部分だけは違う種類のフィンチであっても同じだったのである

ダーウィンはそこで画材道具である筆を見てこう思った。「男の筆に相当する部分も、人間によりかなりサイズが異なる。これら異なる種だと思われてきたフィンチも、実は男の筆と同様に個体差によるものなのだろう」と。

そして、その個体差というものダーウィンフィンチそれぞれの集団における生活様式と密接に関わっている事が分かった。

寒い所にいるフィンチは耳が小さくなり、毛も白く、体格が大きくなる傾向にあった。

逆に、赤道近くにいるフィンチは体が小さくなる傾向にあった。

これらは遺伝子的にほぼ同じフィンチであっても個体としてはそう表出するというところに驚きがあった。

もちろん北極のフィンチと赤道直下のフィンチは互いに交雑をする事も出来る。

同じ生物ですらそのような個体差を持つことが出来るのである。そして、その個体差環境によって変化をさせることが出来る。

この事に気付いたときダーウィンは「エウレカ!」と叫んでドラム缶風呂から飛び出したという。

まり、だ。増田の親指がスマートフォン操作には短いというのならば、安心してほしい。

環境が人を育てる。増田が大きいスマートフォンを持ち生活に用い続ける事により、いずれ増田の親指もスマートフォン適応して伸びていくことだろう。

遺伝子はそう設計されているのだ。角度とかが。

2017-11-21

anond:20171121191223

君は同じ学歴で同じ仕事をしてても、黄色人種からと安い給料でこき使われ馬鹿にされ、同僚は自分より仕事が出来ないけど白人から元々の給料も高く出世も早い

犯罪が起こっても黄色人種から真っ先に疑われる

海難事故の際に黄色人種だけ救命ボートにのせてもらえず死ぬ

休日に家から出られる時間を厳密に決められている

みたいな世界に住みたいのか

2017-10-05

https://anond.hatelabo.jp/20171005195630

しか水泳は前の韓国学生が山ほど死んだ海難事故あったやん

あいうのがあって、泳げたら被害は軽減できたとの反省から取り入れたと何かで見た

あと体力作りにも最適なんよね

美術音楽一般教養くらいは知ってないと日本人教養過ぎと海外から軽んじられて恥をかく

2017-08-28

https://anond.hatelabo.jp/20170828151900

3年間ずっと好きだった同級生夏休み前に告白したら、まさかのOK。

18年という人生で初めてできた恋人に、大喜びするのもつかの間、

ひと夏の思い出づくりに出かけた海で海難事故に遭い、

恋人意識不明となって入院するも、治療甲斐なく亡くなったとの電話を受けて号泣

たぶんこんなの。

2015-05-22

詐欺捏造・偽作

台湾誌(1704年

ジョルジュ・サルマナザールはフランスまれ白人だったが、ウィリアムイネスという牧師の協力を得て「キリスト教改宗した台湾人」になりすました。「台湾人の先祖日本人である」「香草をまぶした生肉を食べている」などデタラメ風習を広め、独自の「台湾語」まで作りだした。当時のヨーロッパでは台湾ことなど全く知られていなかったので、サルマナザールは25年ものあい台湾専門家と見なされ、彼が執筆した『台湾誌』は知識人からも信頼されていた。しかし、ハレー彗星で知られるエドモンド・ハレーが、『台湾誌』に掲載された星図などから矛盾を見つけ出して突きつけたため、彼はついに自らの虚偽を告白した。

ベリンガー事件(1726年)

数学教授デリック図書館司書エックハルトは、横柄な態度のヨハン・ベリンガーに腹を立て、悪質ないたずらを仕掛けることにした。二人は石灰岩に細工をして、カエルミミズ化石彗星太陽の形をした化石、「ヤハウェ」という文字が刻まれ化石などを作り出し、ベリンガー化石採集していた山に埋めておいた。当時は化石が生まれる原因が分かっておらず、神秘的な力によって形成されると考えられていたので、いま見ると明らかにおかし化石でも、ベリンガーは本物だと信じこみ、図版を収録した書籍まで出版してしまった。話が大きくなって慌てた犯人の二人は偽造であることを明かしたが、ベリンガーはそれを中傷だと考えてまったく取り合わなかったという。

コック・レーンの幽霊(1762年)

コック・レーンにあるリチャード・パーソンズの家に、ウィリアムケントとファニーという夫妻が下宿していた。しばらくしてファニーは天然痘で亡くなったが、それ以来、パーソンズの家では何かを叩くような音や引っかくような音がたびたび聞こえるようになり、パーソンズは「ファニーの幽霊に取り憑かれた」と主張した。ファニーの幽霊は、自分ケントに毒殺されたことを訴えているのだとされた。幽霊のことはロンドン中の話題になり、見物客が連日のように集まってコック・レーンを歩けないほどだった。しか調査の結果、パーソンズ自分の娘を使って、木の板を叩いたり引っかいたりさせていたのだということが分かり、彼は共謀罪有罪となった。

トルコ人(1770年

ヴォルフガング・フォン・ケンペレンは「トルコ人」という名の人形を完成させた。それは完全な機械仕掛けチェスを指し、しかほとんどの人間より強いというものだった。「トルコ人」はヨーロッパ中を旅してチェスを指し、その中にはベンジャミン・フランクリンナポレオン・ボナパルトなどの名だたる人物がいた。多くの人間がその秘密を暴こうとしたが果たせなかった。ケンペレンの死後、「トルコ人」はヨハン・メルツェルのもとに渡りアメリカなどで大金を稼いだが、1854年火事によって焼失した。その後、最後の持ち主の息子が明らかにしたところでは、やはりチェス盤のあるキャビネットの中に人が入っていたのであった。

首飾り事件(1785年

宝石商シャルル・ベーマーは、自身が持つ高額な首飾りを王妃マリー・アントワネットに売りたいと思い、王妃の友人だと吹聴していたラ・モット伯爵夫人仲介を依頼した。伯爵夫人は、ルイ・ド・ロアン枢機卿を巧みに騙して首飾りの代理購入をさせ、王妃に渡すと言って受け取った首飾りをばらばらにして売りさばいてしまった。その後、事件が発覚して伯爵夫人逮捕された。かの有名なカリオストロ伯爵も巻き添えで逮捕され、のちに無罪となっている。また「王妃はラ・モット伯爵夫人同性愛関係にあった」「この事件王妃陰謀だった」といった事実無根の噂が流れ、マリー・アントワネットの評判は貶められた。

ヴォーティガンとロウィーナ(1796年

19歳のウィリアムヘンリー・アイアランドは、父親を喜ばせるためにシェイクスピア手紙文書を偽造するようになった。多くの専門家がそれを本物だと鑑定し、ジェイムズ・ボズウェルなどは「我らが詩人聖遺物を生きて見られたことに感謝する」と祝杯を上げたほどだった。ついにウィリアム戯曲の偽作まで行うようになったが、その戯曲「ヴォーティガンとロウィーナ」はあまりにも悲惨出来栄えだった。また、その頃にはエドモンド・マローンによる批判も広まっていた。ウィリアムは罪を自白したが、世間はそれをウィリアム父親が息子に言わせているものだと受け取った。当の父親も、無能な息子がそんなものを書けるわけがないと、死ぬまで贋作であることを信じなかった。

プリンセス・カラブー(1817年)

イギリスで異国の言葉を話す身元不明女性保護された。ある船乗りが「言葉が分かる」というので通訳となった。船乗りによれば、彼女インド洋島国王女ラブーであり、海賊に囚われていたが逃げ出してきたのだということだった。彼女地元の有力者たちのあいだで人気となり、またその肖像画新聞掲載されて広まった。しかし、その新聞を見た人から通報があり、彼女メアリー・ベイカーという家政婦で、架空言語を作り出して、カラブー王女のふりをしていただけだということが判明した。

ポヤイス国(1822年)

イギリス軍人グレガー・マクレガーは、中南米で実際に功績を上げたのち、イギリスに戻って「ポヤイス国」への移住者募集した。ポヤイス国は南米の美しい楽園で、土地は肥沃であり、砂金が採れると喧伝された。ポヤイス国の土地役職通貨などが高額で売りに出された。それを購入した二百七十人の移住者グループが船で現地へ向かったが、そこにポヤイス国など存在しなかった。荒れ地に放り出された移住者たちは次々に死んでいった。マクレガーフランス高飛びし、そこで同じ詐欺を働こうとして失敗した。さらベネズエラへと逃げて、そこで英雄的な軍人として死んだ。

ピトケアン島の独裁者1831年

アメリカ冒険家だったジョシュアヒルは、ハワイ移住しようとして失敗した後、タヒチ島からピトケアン島へと渡った。ピトケアン島は、イギリスからタヒチまで航海したのちに水兵たちが反乱を起こしたという「バウンティ号」の生き残りと、その子孫たちが暮らす絶海の孤島だった。ヒルは、自分イギリス政府から派遣された要人だと嘘をつき、独裁者として君臨した。逆らう者には容赦なく鞭を振るい、恐怖で島を支配した。それから6年後、通りすがりイギリス海軍の船に島民たちが助けを求めたことで、ついにヒルは島から追放された。

ティッチボーン事件1865年

イギリスの名門ティッチボーン家の長男ロジャーは、1854年南アメリカ沖で海難事故に遭って亡くなっていたが、その10年後にオーストラリア肉屋を営む男が「自分ロジャーである」と名乗り出た。翌年、ロジャーの母である未亡人と「ロジャー」はパリで面会した。華奢だったロジャーとは違い、「ロジャー」は体重100kgを超える粗野な男だったが、未亡人は彼こそがロジャーだと認めた。貴族を名乗りつつも労働者であった彼は、イギリス庶民からも大いに人気を集めた。しか未亡人が亡くなった後、裁判において彼は偽者であるとの裁決が下され、14年の懲役刑を課されることになった。

カーディフ巨人1869年

ジョージハル進化論を支持する無神論者だったが、聖書に登場する巨人実在について口論となり、それがきっかけで巨人化石捏造することを思いついた。石膏を巧みに加工し、毛穴まで彫り込んで、いかにも偶然発見たかのように装って大々的に発表した。専門家たちはすぐに偽物であることを見抜いたが、キリスト教原理主義者の一部は進化論への反証としてこれを支持し、また全米から多くの見物客がやってきた。フィニアス・テイラーバーナムが同様に巨人化石見世物にしはじめたことで、ハルバーナムを訴えるが、その裁判取材していた新聞記者がハルの雇った石工を突き止めて自白させたため、ハル観念して偽造を認めてしまった。

ケーペニックの大尉事件1906年

ドイツの靴職人ヴィルヘルム・フォークトは、古着屋で軍服軍刀などを購入し、「プロイセン陸軍大尉」に変装した。彼は大通りで立哨勤務をしていた近衛兵に声をかけ、十数名の兵士を集めさせると、ケーペニック市庁舎に踏み込んだ。フォークトは、市長秘書らを逮捕し、また市の予算から4000マルクほどを押収すると、兵士たちにこのまま市庁舎占拠するよう言いつけ、自分は悠々と駅に向かい新聞記者から取材に応じた後、列車に乗り込んで姿を消した。彼はすぐに逮捕されたが、ドイツ全土で人気者となり、時の皇帝によって特赦を受けた。

ピルトダウン人(1909年

イギリスピルトダウンでチャールズドーソンによって発見された化石は、脳は現代人のように大きいが、下顎は類人猿に似ている頭蓋骨だった。ドーソンはこれをアーサー・スミス・ウッドワードと共同で研究し、人類の最古の祖先として「ピルトダウン人」と名付けて発表した。当時は大英帝国繁栄期であり、人類発祥の地がイギリスであるという説は強く関心を持たれた。しか1949年フッ素年代測定により、ピルトダウン人の化石捏造されたものだと断定された。捏造犯人は未だに分かっておらず、『シャーロック・ホームズ』の作者であるアーサー・コナン・ドイル真犯人だという説まである

エチオピア皇帝事件1910年

後に作家となるヴァージニア・ウルフを含む6人の大学生たちは、外務次官の名義でイギリス艦隊司令長官に「エチオピア皇帝艦隊見学するので国賓として応対せよ」と電報を打ってから変装をして戦艦ドレッドノートが停泊するウェイマス港に向かった。ぞんざい変装だったにもかかわらず正体がバレることはなく、イギリス海軍から歓待を受けた。彼らはラテン語ギリシア語を交えたでたらめな言葉を話し、適当ものを指して「ブンガ!ブンガ!」と叫んだりした。ロンドンに帰った彼らは新聞社に手紙を送って種明かしをし、イギリス海軍の面目は丸潰れとなった。

コティングリー妖精事件1916年

コティングリー村に住む少女フランシスグリフィスとエルシー・ライトは、日頃から「森で妖精たちと遊んでいる」と話していた。ある日、二人が撮影してきた写真に小さな妖精が写っていたことに驚いた父親は、作家アーサー・コナン・ドイルに鑑定を依頼した。そしてドイルが「本物の妖精」とのお墨付きを与えて雑誌に発表したため、大騒動となった。50年後、老婆となったエルシーは、絵本から切り抜いた妖精を草むらにピンで止めて撮影したと告白した。しかし、フランシスもエルシーも「写真は偽物だが妖精を見たのは本当だ」と最後まで主張していた。

アルバニア王オットー1世1913年

ドイツ曲芸オットー・ヴィッテは、アルバニア公国独立の際に「スルタンの甥」のふりをしてアルバニアへ赴き、嘘がバレるまでの五日間だけ国王として即位した。ただし、そのような記録はアルバニアにもなく、当時からオットー証言は疑わしいものとされていたが、オットードイツ国内でよく知られており、新聞などでは人気を博していた。オットーが亡くなったとき、その訃報は「元アルバニア王オットー1世」に対するものだった。

タサダイ族(1971年

フィリピンミンダナオ島で、文明から孤立したまま原始的暮らしを続けてきたという「タサダイ族」が発見された。彼らの言語には「武器」「戦争」「敵」といった言葉がなかったため「愛の部族」として世界的な話題になった。彼らを保護するため、世界から多額の寄付が集まり居住区への立ち入りは禁止された。しかし15年後、保護地区に潜入したジャーナリストは、タサダイ族が家に住み、タバコを吸い、オートバイに乗っているのを目撃した。全ては当時のフィリピン環境大臣マヌエル・エリザルデJr.による募金目当てのでっちあげだったとされた。

ソーカル事件1994年

評論雑誌ソーシャルテキスト』は、「サイエンス・ウォーズ」と題したポストモダニズム批判への反論特集に、アランソーカルから寄せられた『境界侵犯すること 量子重力の変換解釈学に向けて』という論文掲載した。しかしそれは、ソーカルがのちに明かしたとおり、きちんと読めば明らかにおかしいと分かるような意味不明の疑似論文であり、ソーカルはそうしたでたらめをきちんと見抜けるかを試したのだった。それはポストモダン哲学者たちが科学用語濫用かつ誤用している状況に対する痛烈な批判だった。

 
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