はてなキーワード: オートバイとは
グダポンことボンにい(bonchacchanga)28才:2013年以降地方ヘイトをしている。ユーチューバーやアフィカスよろしくの生活。
greatchina2(高山○人) 32才:親と別居中。小中学生時代に非行行為で、2回も保護観察のお世話になる。それなのに最終学歴は大卒で、その高校・大学は普通だった。宝くじ当選経歴あり。
高山○人の妹 31才:兄、親とともに別居中。2ちゃんねるやKJclubなどの掲示板で活動中。小6のときに不良や珍走と共謀し中学生をいじめ保護観察を受ける。同じく学歴はなぜか大卒。普通の社会人だが宝くじ当選の経歴あり。
高山○人の母:潰れた地下社会の家庭に育つ。ニダーの血を引いているらしい。バイク好きは子供にも受け継がれている。結構いい仕事をしていたらしい。
高山○人の父:昭和初期に日本に帰化した中国人の家庭に育つ。いい仕事をしていた。熱心な秋葉系、機械オタク。
輝かしい高山○人の黒色経歴
・1995年9月に自転車で珍走に便乗。後に学校で騒動。当時、小学校5年生の高山○人を保護観察処分。
・1999年4月に同人作品を販売し百数十万円を稼いだことがばれる。後にお金の流れをめぐり学校で騒動。当時、中学2年生の高山○人を保護観察処分。
・1999年、高山○人の妹がなぜか不良(暴走族)と共謀しいじめ事件を起こし保護観察処分。近所の高校で不良の解散式。
・兄妹ともに不良と関わらない、反省をすることを条件に中学教頭から高校進学を許可される。更生を誓い進学高校に入学。このころからオタク趣味にはまる。
・兄が2009年~2012年までネット右翼活動。ネットで中国の脅威を煽り立てる。
・2016年からはまとめ記事を乱発し大暴れ。おまけに車やオートバイをひどく嫌ってる(引き合いに鉄道と自転車を出す)ので高校生や大人の冷笑の的に…
・鉄道ファンを自称しているが、JR東日本とJR九州を観光列車がらみで冷笑している。
・畳フェチならぬDQNフェチ。高校生や大学生の免許取得ラッシュを畳精神に例えて冷笑している。
・匿名サイトで、ヤンキー漫画の愛読者であることをカミングアウト。GTAや龍が如くの積まれた自室の画像も流出。
・チカン犯罪は「男性のストレス」が原因、貧困層の削減のために中間層を増やし、富裕層も減らすべきだと主張。進学高校出身なのだが、はっきりいって彼の知性を疑わざるを得ないレベル。
・現在保有している二輪車はすべて「DQN」から譲り受けたもの。あのな、DQNと仲良くするのは大卒のやることじゃないんだよ。(彼の払った費用の大半が改造の現状復帰費用)家族全員の顔が見たい。
・子供は夜間に外出するべきではないという1995年に両親は小学生2人を連れて夜行バスで関東入りした。
・最近では筆名や通名や偽名を駆使した投書を繰り返し、左翼を煽ってるとか。ゼニがヘイトで帰ってくるとは知らずに。
・ユダヤ陰謀論や左翼系掲示板で大暴れし、間接的に例の社会問題に加担している。
・ボンにいを2ちゃんねるのBEとするならば、高山○人は2ちゃんねるのK5(両者ともタチの悪いことに国内サイトに活動範囲が止まらない)。
高山○人=鉄道オタク+パヨク+K5+偽装ニート+貧民根性+市川た○ま
(追記)
・高校時代には夏休みに一人で夜行バスに乗ったり、友人とともにヒッチハイクしたりしていたらしい。(夜間徘徊の危険性すら理解していなかったのだろうか?)
http://anond.hatelabo.jp/20170528064815
通勤に私鉄を使わなきゃならない理由が果たしてこの世にあるのか。
公営よりサービスがいいって、誰の為にサービス競争しなきゃならんのだ。
それの何が問題だ。
でも財源の豊かな大都会の公共交通が民営である理由って何だよ。
笑顔で電車に乗り込む風景の裏で外国人が、会社別運賃制度へ殺意の波動を送っている。
満員電車に乗り込むサラリーマンが、駅員や駅の職員を後ろから刺す妄想をしている。
都市交通の運賃が一本化され、通勤鉄道が公営企業一社に統一されたアメリカのNYのように本当の意味での公共交通が実現できたらいいのに。
それができない理由って何だよ。
常識って何なんだよ。
ふざけんな違うだろ。
本当の意味での大都会を名乗れるだけの常識があるかって話だろ。
痛みを伴う社会常識は守るに値するのか。
互いを敬う常識を推奨するなら、搾取の恐怖から利用者を解放する事が筋じゃないのか。
これは我儘なのか。
運転免許の迷惑は子供は関係ないが、都会の私鉄の面倒は子供をも巻き込む。
外国人観光客が短い距離の割には乗り継ぎで高い運賃を払わせることに不満を感じている。
都会の通勤電車ラッシュだって、会社が交通費を負担しているから成り立つのだ。
「どうすべきか」の答えはもう少し先だ。
現状は囚人のジレンマ。
AさんとBさんがそれぞれ私鉄を[使う、使わない]。
使わないBさんの評価が相対的に下がって、社会的に不利になる。
ゆえに[使う、使う]という構図が不利益を防ぐ均衡なわけだが、
実際のところは[使わない、使わない]で公益は最大だ。
我慢するぐらいなら使わない方が良いに決まっている。
でも道路交通のストレスが嫌だから[使う、使う]になってしまう。
じゃあ囚人を解き放つにはどうすればいい。
使わなくても不利にならない状況を作るしかない。
そうでなければ、JRに編入しよう。
東京の私鉄線が全部JR東日本になれば、郊外の学生が運賃の高さに嘆く事もなくなる。
「私鉄は好きだ」と別の人は言う。
そりゃそうだ。
好きならそれでいい。
だが使わなきゃならない理由にはならない。
宝くじはいくらか投資すれば当たるが、誰もが当たらなきゃならない道理はこの世にない。
全員がオートバイに乗れなきゃならないわけでも、アニメを見なきゃいけないわけでもない。
私鉄社会が電車に対する一番の苦痛だという人間の権利も守れたらwin-winだという話だ。
ここは日本だからとか、負担が億劫だとか。国民が怖くて公金が出せないとか。
だが、これらの意地や怒りは良いものか。
これらに膝を折る事は、少しでも何かを良くするか。
偏見や思い込みを捨て、思い切って行動する方が良かったものじゃないのか。
他人の足を引っ張るより、辛い経験を皆で過去に葬った方がいいんじゃないのか。
都市鉄道会社が独占・寡占で、運賃が一本化されている事の何がそんなに問題だ。
「初乗り運賃が何回も取られるのは嫌だ」「財務に追われるお役所の身にでもなってもみろ」
「なら車・オートバイ通勤を許可しよう」「慣習を逸脱するのは良くない」
堂々巡りの議論はもう沢山だ。慣習が変わればすべて片付く話だろ。
http://anond.hatelabo.jp/20170528071247
鉄道おじのSNS活動初期はおもに娯楽色が払拭されていた社会ネタが投稿されていた。書き込みのほとんどが、ニュース情報や社会問題関連であった。
団塊ジュニア・ネトウヨ世代の賢者なイメージや社会ネタによる影響はあまりにも大きかった。だが、娯楽色が装飾し、「社会ありき」ではなくなったのが2014年の独身化以降だ。その時あったのが、アフィカス・出版ブームだった。リーマンショックや東日本大震災で職がなくなった人間が夢を求めて出版社に売り込みをかけるようになり、ライトノベルが往年の携帯小説のように金太郎飴化した。最終的にええじゃないか状態になってしまった。
原因は出版ブームに乗った人間の台頭である。政治に怒らずに人間性が没落した腹いせで、もっともサブカルの街である東京副都心や秋葉原で、成り上がり作家の広告があちこちに掲載された。中には億単位のロイヤルティを稼いだ人もいた。結果的に、今の鉄道おじはどうなったか?
社会ネタを取り上げることをやめ娯楽ネタだらけになった。露悪趣味を巡ってはあ度々炎上した。新聞で話題の記事にすら影響せず、観光列車だの宝くじだのギャンブルだの不良趣味のダシになるようなネタばかりになった。ネガティブな内容の記事はみな「自身の小中学生時代の不良経験」ばかりだ。
ところで最大の課題は、鉄道おじはこれまで娯楽論に対し偏った書き込みしかなかったことではないか。ずっとサブカルありきで、今は鉄道ありきだが、それだけが社会ではない。学問も、選挙も戦争も社会だが、それらの要素は、昔も今もほとんど皆無だ。
社会性は大人の象徴である。そのことは普通は「誰にでもあること」だ。しかし、鉄道おじだけ、社会の記事は1ミリもSNSにはみ出さず、外の当たり前を受け入れない。俺様仕様に変換したオートバイフェチや鉄道ネタが僅かにあるだけ。これは時代に合わない、負のモンロー主義である。
近いうち鉄道おじはサブカルマンセーや低質漫画・粗悪小説、迷惑競争のまとめ関連で炎上するだろう。
もしこれが炎上すれば、鉄道おじの趣味論SNSが壊滅するのではないかと思う。趣味ネタの投稿を辞めさせて子供から完全に身を引くには時間がかかるかもしれないが、炎上は迅速に可能だ。もし炎上しなくても彼が活動を休止すれば「社会が復活」することになる。
そして問題は、過去、鉄道やオートバイ以外の情報が全く鉄道おじに入ってきていないことではないか。社会復帰後のことを考えれば、鉄道おじから最も近い乗り物が自転車と自動車だった。鉄道とオートバイ、趣味や娯楽よりもはるかにずっと至近距離だ。なのに社会論が一発屋的に話題になったくらいしかなかった。
こればかりは娯楽論ではない。韓国や北朝鮮とか、経済と物質の富裕に対する精神の貧困とかも含めてのことだ。ありのままの社会が彼にあれば、一時的なネタとして以外に異なる社会が日常化する。しかしこの感覚が、鉄道おじの脳内に反映されないのである。
いまこそ、鉄道おじの「炎上」が必要ではないかと思う。鉄道おじとシンパとネットヤンキーとサブカルオタクの慣れ合い問題や、自公政権や迷惑施設を無視した鉄道ageとか、そういうみっともないことが続くたびに、いっそ「炎上して機能を停止されて」ほしいと強く願うものである。
閉ざされた露悪消費や娯楽ネタ中心の慣れ合いのムラをを壊せば、過剰に外の影響を受けた別の社会(娯楽色が払拭されたいまどきのテレビドラマやアニメや漫画やゲームや急進思想などなど)も一気に流入することができる。
それは、痛々しくて息苦しい密閉されたようなムラからネットユーザーが解放される幸せにもつながるし、もし鉄道おじと関係が悪化しても趣味レベルとは異なる社会のパイプを維持し続けることができるわけで、子供臭さや人間性の低さのもとの好奇心による露悪感情を抑制できるのだ。
鉄道マンセーやネトウヨヘイト、そして宝くじの当選金の食いつぶしで貧乏人ごっこする余裕があったら、次の選挙で民進党だの公明党だの自民党でも安倍アンチに投票すればいいんだよ。本当に鉄道おじは、速やかに人格性を隅から隅まで非難されるべきだと私は強く願う。露悪や鉄道趣味や右派冷笑、ノンポリマンセーなんていらない。
質問です。
私は鉄道が好きでそのニュースを見ていたけど、鉄道嫌いの人たちのコメントで埋め尽くされていた。
ぼくにはさっぱり分かりません。JR東日本は四季島について「おもてなしを提供する列車」って言っていたけど、問題は一体何?
確か大人の人達が「昔にまして車社会が酷くなっていて、搾取を工夫しないと生き残れないから」と言っていた。
けれども、今ではぼくの住む大都会も田舎も通勤通学ラッシュが深刻化しているほど公共交通は元気です。
今週か先週も、チカンという酷いことされたお客さんが「電車が怖い」と言っていました。
あとさ、バイク産業は停滞していると経済のニュースでバイク会社のホームページで嘆いていたけど、学生街の道路は昔に比べてバイクの混雑が酷くなっている。
パパもママもお姉ちゃんも交通事故が心配ばかりで、満員電車が云々とか言っていられない。
でも、世間は新車販売台数が減ったといえば、車社会は終わったとか言う。しかし現実は中古車とかあるから、車社会は終わってもいないんだね。(インターネット見て知ったんだけど)昔暴走族が流行っていたけど、その人たちが使っていた車やバイクは今も元気に走っているんだよね。バイク屋さんでも昭和時代や平成初期のバイクがいっぱい販売されている。車やオートバイって、50年以上長持ちしなければいけないというルールでもあるの?
ねぇねぇ誰か教えてよ。鉄道会社、オタクのお兄さんお姉さん。大人の皆さん。商売を出汁にいくら迷惑をかけても許されるの?先見が読める人は馬鹿呼ばわりされるの?
どうすんだよ私満員電車乗れねーじゃねーか。
日本の鉄道は事故が少なくて安くて皆に愛されているって言ってるのに日本は何が不満なんだ?
満員電車に耐えられることはいいけど痴漢を列車から排除するのほぼ無理だからwって言ってて好き好んで満員電車乗るやつなんかいねーよ。
鉄道会社に就職してもいいし株主になるのもどうでもいいから鉄道から痴漢を叩き出せよ。
四季島やななつ星や瑞風とかの観光列車で何人喧嘩を世間に売ってんだよ。
儲かる鉄道作りとかどうでもいいから痴漢に怯える叫び声を聞けよ。
高校生や大学生に自転車だのオートバイだの車だのを押し付けられている現実を見ろよ。
ふざけんなこの野郎。
痴漢が鉄道から出て行かないならバイク通学とバイク通勤OKにしろよ。
鉄道が民営だから鉄道にお金を投資したがらないし公権力から嫌われているけど乗客の民度が高いから良かったよねーってそんなムシのいい話あるかよボケ。
金と土地と道路の余裕があれば満員電車乗らないってやつがゴマンといるんだから、国も都道府県も市町村も地主も取り敢えず道路作るか駐車場や駐輪場を整備しろよ。
ジャムおじさんがオートバイに乗りたいと話してアンパンマン、バタ子さん、チーズがどうぞどうぞと送り出す(ジャムおじさんはパンを作れるだけじゃない、アンパンマン号やらチーズバゲット号やらを作る優秀なエンジニアなので。チーズバケット号は機体がバケットでできたチーズ専用の小型飛行機。ちなみにチーズにはレアチーズちゃんという彼女がいて2人でチーズバゲット号でデートに行ったりする。チーズはアンアン!しか台詞がないのに声優は山寺宏一)
→ジャムおじさんがオートバイで1人ツーリングをしてると、森でお腹を空かせた集団に遭遇
→ジャム「こんなこともあるかと思って小麦粉を持ってきた」と言って石でかまどを作り、小麦粉をこねてパンを焼く
→みんなで食べる
全国の鉄道ファンに告ぐ。
同志の諸君にも伝えなさい。
利用者のみなさん、そう思いませんか。
本当に鉄道があってもなくてもどうでもいいところならいいんだ。
しかし、今のそれは、あれはもう、商売のための鉄道じゃないか。
公式には、鉄道嫌いは減っていると言っているようだが、鉄道離れが悪化していることはもうバレバレなんだよ。
こいつらは、自分らのエゴのために鉄道の商売の道具にして、公共交通の印象を悪くしているんだ。
そういう都会を売る奴はやめなさいよ。
諸君だってもともと、嫌われるためにそれになったわけじゃないだろう。
それならオートバイ使いで昔ほどラッシュ電車との縁もないこっちも納得するよ。
どうしてもやりたいなら、じゃあ東京地区については、とりあえず不動産開発ぐらいで我慢すべき。
D&S列車みたいなものは、都会にも行かない郊外路線かローカル線だけでやってくれ。
都会人のみなさん。
私は子供の頃からの鉄道好きですが、最近の鉄道の公共性二の次には、本当にいたたまれません。
私が支持されることはないでしょうが、万が一支持したら、皆さんのお力をお借りして鉄道を叱り飛ばします。
まだ誰の文章を拡散するかお決めでない方は、とりあえずダメ元でこの日記を拡散してください。
無分別な鉄道の公共性二の次に反対している鉄道原住民・高山直人です。
都会人…いや最低限日本人のみなさんに嫌われない、愛される、信頼される都会の鉄道に変えるために、まず運営者と鉄道ファンが努力を始めなさい。
愛される鉄道になれよ。
じゃあな。
私は、現在ネット上で文筆・出版・作家活動している、高山直人という者です。
私の仕事仲間の書籍が飛ぶように売れるのを横目で見ながら、昨日はひたすら2ちゃんねるに専念していました。
それでは、本題に入りたいと思います。
交通社会に囚われの身となっているみなさんが公共交通の現状に怒りを感じているのはよく知っています。
本当の意味での交通弱者は仕方ありませんが、そうでない方々の大人まで巻き込ませるというのは理屈に合いません。この国の公共交通はおかしなことばかりです。
実は私も、2014年まで鉄道定期を持っていた人間です。ここ日本の大都市圏の鉄道は、民営企業ばかりだと聞いています。私はJRや私鉄で、この国の公共交通のろくでもなさを、みなさんに比べるとわずか6年でしたが、身をもって体験しました。
満員の車内の中や駅や居酒屋でいろんな方々の話を聞いた上で、私は、公共交通に対するの不信率は、40パーセントくらいはあるなと感じています。つまりみなさんの中にも、5人に2人くらいは、公共交通についてよく思っていない方もいると思います。この国の公共交通制度は本当にろくでもない。
もちろん、自動車やオートバイ…、中には自転車すら嫌いな日本人の方々の方が多いでしょう。
しかし、そういう方々に対しても、現在の社会の処遇のあり方はやはりろくでもない。
何も知らないマスコミのバカ連中や、何の苦労もなく支配層の道を歩んできた連中どもは、日本人は車社会を侮辱しすぎているなどとデタラメを垂れ流しています。しかし私は、自らの身をもって車社会をだしにしたいじめを体験し、その実態を知っています。
日本の公共交通、特に鉄道は、たしかに諸外国と比べて、死亡事故などの問題は少ない。もちろん多少はある。
それは、日本的な商業精神、時代錯誤で、縄張り競争にやたらうるさく、拝金主義的な日本独特の商業精神に、一般国民は24時間、365日、えんえんと付き合わされるというつらさです。
近所の町に出かけるのに、1000円かかることもざらです。
外国は公共交通などが公によって保護されていたり、道路交通の整備で、大都市でも、オートバイなら通勤できるというのに、なんという非効率でしょうか。
似たような問題は、他にもたくさんあるはずです。それはみなさんの方がよくご存知でしょう。
私はわずか8年ですみましたが、こんなろくでもない社会に、10年も20年も、30年も40年も付き合わされるみなさんは、本当に大変だと思います。
私は今、ネット上で多数の電子書籍を発表していますが、成功するかしないかは二の次でやっています。
それよりも、私はこのように、言いたいことを自由に言うために発表した次第です。最近は、紙媒体での出版でこんなふうに社会問題を提起したりすると、すぐにクレーマーがやってきて、過激だなんだと屁理屈をこねて、表現の修正をさせられたり、下手すると絶版させられてしまいます。しかし、電子媒体ならこんなふうにやりたい放題、言いたい放題です。私はこれをやるために電子書籍をやっているんだ。
こら公共交通ども。日本人の民度が低いのにつけこんで、てめえらの遊牧民根性を温存させるんじゃない。運動の暁には立場逆転させてやるからな。
てめえら公共交通は、公に全部くれてやる。とくに都市私鉄は全て公営化だ。私が万が一都会の長になったときは、今のと違って、公共性に配慮するが、その際に見て見ぬふりをした鉄道ファンどもに対して、非難活動をやる。てめえらがどんなにろくでもないことしてきたか、わが身でもって体験させてやるからな。
それがいやなら、今日からでも彼らの待遇改善と公共交通に奔走しろ。少しは利用者の身になって生きろこの野郎。
最後に、公共交通社会に囚われている都会人のみなさん。テロや通り魔や迷惑行為といったいじめだけはやめてください。私は2008年まで社会人ですらなかったので詳しくは知りませんが、とくに列車内での性犯罪は今でもすさまじいと聞いています。みなさん。敵は運営側です。利用者同士はお互いにいたわり合って、助け合って過ごしてください。
それから公共交通ども。公共交通にはそういう深刻な問題もあるんだよ。てめえらも気づいてるだろうが。
気づいてて放置してんのは大問題だぞ。ことなかれの根性を少しは改めろこの野郎。
今のままのろくでもない現実を続けるなら、ほんとに造反運動起こして都会の道路を自転車・バイク・自動車・バスの海にするぞ。
以上、元満員電車ユーザーの左翼ジャーナリスト・高山直人の第一声でした。
http://anond.hatelabo.jp/20170528064815
「オートバイと性的興奮のこじつけ」もダメな聖域ではないか。昔には鉄道フリークなんてなかった。それに比べれば「オートバイフェチ」はある。一見すると良いようになっている。しかし、鉄道おじが「オートバイガー」「自転車ガー」になるということは、とんでもない。カルトと一緒だ。
私が嫌悪しているネット民のひとりが鉄道おじのシンパのC君だが、Cが若い頃に描いたという漫画もやはりこんな感じで、オートバイガーと無縁なことに気づくことができる。
鉄道おじは基地周辺の飛行機の飛行音やかつての暴走族の車両やその車の走行音を「造型ポルノ」「音響ポルノ」などと呼ぶ、サイコパス・障害者予備軍である。しかし、実際には、あの迷惑的な物を美化する様子を見ると、彼らは同族嫌悪、近親憎悪のように見える。どちらもなんとかフェチではないかと。それを卒業しろよと。卒業する前に高校を出て大学を出た挙句の果てに職に就いたのなら、もう手遅れだ。
「造型やサウンド」で快楽を覚えるように、鉄道おじは自転車やオートバイの形や走行音で興奮を感じる。鉄道おじはサーキットを彼らのための娯楽施設と言っているが、鉄道おじは自転車やオートバイの走行風景や造型などで性的まがいな興奮を感じているの事実である、逆にそれにまたがる人自体には性的興奮を感じない。
鉄道おじは2003年の普通二輪免許取得と同時に行った250ccのオートバイの乗車は「オートバイで興奮を覚えた」一番最初の機会である。で、同じく好きなクラシック音楽感覚でヘッドホンで走行サウンドを聞きながらストレス発散をしていると思われる。つまり鉄道おじのアレなのである。そのようなオートバイフェチと常識を外れた性的嗜好を、鉄道おじのオートバイや自転車の造型で性的興奮していくことが、のちにあのように発展していくのだ。
私がこのような違和感を感じた最大の要因は、ロードバイクやオートバイの大群に興奮を覚えた鉄道おじを批判した人が、逆ギレした鉄道おじによって糾弾されたことにある。楽しさをわからない子供だと。しかし、その後に不正改造車のネタ消費を記事にした鉄道おじは、なぜか「竹箒に跨って飛び跳ねて遊ぶ女性」を批判していた。
もしオートバイや自転車の造型や騒音で性的興奮を覚えるのは良いというのが「竹箒を使った魔女や魔法使いや魔法少女の真似は下品」なら、鉄道おじの主張は明らかなダブルスタンダードになるが、実際はそんな問題ではないし、何より成り上がりである鉄道おじが下品な趣味を捨てていないのだから、鉄道おじこそ「下品」である。
鉄道おじは魔法少女ものの漫画を持っていないし、1990年代から今日に至るまでアニメオタク活動をしているとあるが、魔法もののアニメについて触れたこともない。その際、一度もを調べずに自分の無知や低知識をもとに娯楽論もどきのまとめを投稿したわけだが、オートバイからの興奮のリミッターが鉄道おじの人間性をダメにしていないか。
これが鉄道おじである。もちろん当然、鉄道おじの自宅部屋に行けば、本棚には古今東西の不良漫画やオートバイ漫画が、PCやその周辺にはオートバイや自転車に関する画像を集めたディレクトリやゲームソフトや機械があるから、その時点で問題である。本当にオートバイからの性的興奮は脳内から追放したほうがいい。そして、鉄道おじの異常な性的嗜好をどうにかしたほうがいい。
移動式オービス、可搬式オービスはこういうもの。レーダー探知機での完全対応も極めて難しく、制限速度以下での走行を守らせる効果が高い。
通学路や生活道路にも オービス=スピード違反自動取り締まり装置 を導入 事故抑制 速度取り締まり対象は主に自動車、オートバイ等重量のある車両。
http://www.asahi.com/articles/ASJ415223J41UTIL01Z.html
住宅街などにある道幅の狭い「生活道路」での事故を減らすため、警察庁は小型の速度違反自動取り締まり装置(オービス)の運用を埼玉、岐阜の両県で始めた(今後も設置地域は増え続ける見込み)。
▽1人で持ち運びできる可搬式(重量約8キロ)
▽道路標識のように支柱を地中に埋める固定式(同約50キロ)――の3種類。
価格はいずれも約1千万円で、警察庁が3月末に埼玉、岐阜両県警に各種類1台ずつ計6台を配備した。
生活道路は、道幅が狭いため違反車両を止める場所がなく、警察官による取り締まりが難しかった。
だが、小型オービスならその場で車を止める必要がない。取り締まる仕組みは、幹線道路や高速道路のオービスと同じだ。
速度を超過した車の運転席やナンバーを自動撮影し、後日、警察が運転者を呼び出して違反切符を切る。
可搬式と半可搬式は、事故の発生状況などに応じて設置場所を変えることができる。
生活道路での事故減少を目指して…小型の「自動速度計測装置」を導入へ 自動車のスピード違反(速度超過)徹底取締り
http://irorio.jp/nagasawamaki/20161024/359112/
定められた規制速度(制限速度、最高速度)を超過(時速1㎞超えも該当)している場合は、規制速度を守っている場合と比べ重傷事故率が3.5倍高くなるなどの結果。当然、車内の死亡率も跳ね上がる。
http://www.pref.tottori.lg.jp/item/862584.htm
>走行速度の抑制が交通事故抑止と被害の軽減に結びついていることから、交通指導取り締まりなどにより規制速度の遵守を図る総合的な速度管理が必要
自転車が道路を走る事により、まず車・オートバイが不幸になる。
こんな道路の汚物をエコだ何だかんだと屁理屈つけて走らせる方法は、当人達の幸せなんだろうか。
周りの大人が勝手に『健全』と勘違いしているだけなのに、こんな不幸な必要悪的なやり方、間違っている。
20世紀は公共交通一強の時代が長く続いた。交通手段は公共交通こそが超大国だった。世界からも評価される、エコ、経済的、バリアフリー…多くのヒト・モノ・カネが鉄道界隈に集まり、鉄道を中心に都会が動いていた。この流れからの大転換が日本人のポスト主義化だろう。
新自由主義を掛け声に、公共交通の破壊が蔓延する。貧民の末裔が権力を手にした公共交通はあまりにも汚物の象徴になってしまいそうだ。その一方で、自動車・バス・オートバイの躍進はそれを象徴としていて、過去には暴走族があったが日本人の努力によって脱却している。
都会の宝、交通の象徴という特性をより伸ばしていくことで発展を続け、世界中の人に優れた都市交通の手本を示し続けた日本だが、逆に言えば、その普遍的なテーゼを失ってしまえば価値は大きく低下することになる。鉄道だけとっても他の国の方が優秀そうで、利益と公益のバランスが取れているように見えるのが、事実だ。
今はまさに分岐点を通過した直後だが、今後はさらに鮮明になりそうな気がする。日本の私鉄がそのまままるごと公営化されたりとか、自転車であふれている都会の繁華街などが、いつの間にかバスやオートバイに変わったりとか。日本の古きよき光景も変わることになる。
2010年代以降のメインカルチャーがまるで低迷する一方、今日繁栄する文化には共通点がある。どれも経済成長期に台頭した文化だということだ。自動車やオートバイだけではない。たとえばオタク文化なんかまさにそうだろうし、特に、漫画やアニメが目覚ましい発展を遂げた。
最近息を吹き返した据え置き機ゲームも、ソシャゲと言われているオンラインゲーム台頭前は主流だったし、日本の大衆ゲーム文化も京都の花札屋が原点にある。素晴らしいゲームは一見の価値があるので、中古ショップやオンラインで買って一度遊ぶといいよ。
急激な経済発展を遂げている商業出版界隈だって高度経済成長で多様化した。太田出版と言えばサブカルチャーのイメージで、過去には完全自殺マニュアルの苦い歴史があり、元少年Aの出版を引き入れたと言われてはいる。しかし、それを除けば普通のサブカルチャー本ばかりだ。
すべては「高度経済成長のまいた種」である。日本の文化自体がそう。たまたま20世紀には、メインカルチャーが一強構造だったが、21世紀にはそれがサブに、下層に、未知の領域にすら分散しているということ。これをどう付き合うか、私たちも考える必要がある。
同人誌販売やオートバイを利用する若者は今では当たり前だという。いずれも昔は有り得なかったものだ。今でこそ中高生でもできるような商業本デビューやアプリ作成も昔なら不良文化(私の父が高校時代小説出版で当時のお金で何十万円数百万円かもらって停学になりかけたことがある。)で、そのイメージを払拭したのが1980年代~2000年代の若者たち。これが今の現実の礎を築いたんだろう。
近頃共謀罪が可決されるようです。いろいろと危ない法律だと言われていますが、一番困るのは、その法律によって指定される犯罪者の仲間入りをするということです。
しかし、この掟さえ守れば共謀罪で人生を棒に振らずに済みます。
昔の道路の写真や警察の資料を見ると、気付くことがある。免許を持つ若者が少ないということだ。徒歩が多くいたほか、自転車を使う人がかなりいたし、駐車場や駐輪場はコンパクトだ。今の日本のように、公共交通かマイカーかオートバイかの構造はない。寛容性があるから、選択肢も多かったのだ。
また、今では考えられない程に車やバイクを持つ若者も多かったが、たとえばそれで通学する者はいなかった。もし今のような非寛容主義の論理を昭和に当てはめれば、都市部の一部を除いて学校の駐輪場が学生の乗り物ばかりになっていなければおかしい。しかし当時の若者は空気を読むことの前に普遍的な価値があることをわかっていた。
今の自転車乗りが四六時中ずっと子供か貧乏人だらけで、理由が「持つものにふさわしくないから」というのは、そもそも気がくるっている。若者向け二輪車の数が減ってるにもかかわらずユーザー数が2012年以降突然増えたのも、今時の風潮の影響だからだろうが、そもそもその前に普遍的な倫理や常識や文化の価値に立ち返るべきだ。
たとえば1990年代~2000年代がそうであったように、バイク所持そのものを止めさせるのもいい。道路交通の数を減らし、当然公共交通への負担は増えるわけだが、今はバスがあるので誰も困らない。
そして、大人の交通も、例えば自転車は制限されても誰も困らない。どうせ今の大人は貧しい人や自転車すきでもない限り自転車やロードバイクなんてみっともないから乗らないんだし。自転車は全部若者に渡したほうがいいし、実際アジアの自転車乗りの大人は一部地域を除いて少ない。欧米は危ういけど。
平民ないし持つ層も、公共交通の混雑や車内での外国語の多さに辟易する暇があったら、そんな風習を改め、自転車やオートバイやマイカーで移動した方がいい。
鉄道交通業界も商売根性の件のようなことがあるくらいなら、鉄道の既得権を守ることは無謀で限界なので諦めるべきで、公共性ありきに回帰することでゆるやかに最適化していくほうがいい。そうして他の公共交通などでカバーしつつインフラへの負荷を緩やかに減らそうよ。
2011年に原発業界と同時に鉄道公共交通ビジネスは突然死した。福島の原発が地震や津波や爆発で死んだら、日本各地の原発が止まり、原発だけでなく、鉄道みたいな電気に依存する交通インフラのバブルも一端全て終わった。2012年に「所謂暴走族がほぼ撲滅状態になった」という建前の元にバイク3ない運動が事実上死んだ。いまはJR九州のあの列車の成功でバブルが復活し、一部の原発も運転再開したが、多分この状況も決して安泰ではないだろうと思う。
今度、突然死が起きるとしたら、それだけの話ではなく、社会が、文化が、そしてそれらすべてを束ねる現代の文明が倒れるリスクがある。というか、日本の右派と立憲君主制度が倒れれば連鎖的にその庇護にある日本の伝統的社会が一気に終わる。これは本当に怖いことなので、「終活」と「進化」を始めてほしい。
私自身の転機になった日はいくつもあるが、2010年代に絞って言えば6つある。
今よりずっと景気の悪い時代に何千万もの印税(両親の書いたもの)を家族が手にするようになる。
この両親に嫉妬するようになり、ギャンブルに足を運ぶようになった。
私はもともと車はおろかバイクに対しても抵抗感を抱いていた。嫌々取得したと言う言葉が似合うので、免許取得後も当分はほとんど使い道がなかった。
しかし、この日に起きた大震災で交通機関が使い物にならないために何をするにも困っていたときに、高校時代の知人が買い替えでいらなくなった二輪車を譲り受けたが、乗ったところ使い勝手の良さを気に入ったので、以降それを使い続けている。
公共交通の信頼性を疑うきっかけになった最初の事件がこの大災害ではないだろうか?
私は幼少期から鉄道が好き(正確に言えば小学生時代から)だが、耳と目を疑うような事件があった。言うまでもなく観光列車の蔓延である。
同時期に北海道では公共交通のトラブルが社会問題になったこともあり、この年から鉄道とは距離を置くようにしている。
2009年からギャンブルを続けていてそれまで平均で何百万も勝利してきたが、たまたま2億~4億ぐらい当たったのが両親にばれてしまい、お金と代わりに家を追い出される。
現在は1LDKか3LDKの格安マンションに一人で暮らしているが、なんだかんだで満足している。
totoやlotoの当選金トンズラで家を追われて2年たって憂鬱になった私に追い討ちをかける事件があった。熊本の大地震で列車が脱線した。
この時ニュースで知ったことは、公共交通が公共の資産でなく企業運営の遊園地と化していたという実態だった。
この日以降私はオートバイやバスやJRや公営鉄道や飛行機での移動が多くなったほか、私鉄を極端に利用しなくなった。また、鉄道好きを隠し通すようになった。
1980年代と2010年代の鉄道トラブルの比較で運行業者責任の事故が減少しているが利用者責任の事故やトラブルが急増している。これでは鉄道はまったく便利にならない。
それどころか、1980年代から2010年代にかけてずっと道路交通の進歩が進んでいる。駐車場や駐輪場も車両自体の値段も安くなっている。レンタカーやオートバイの普及で気軽に車社会に参加できるようになった。車を持たない人が増えても免許取得率が減ってない。鉄道会社と鉄道ファンへの視線がどんどん白くなってる。だったら鉄道社会の発展を目指すための国鉄民営化など意味がない。とっとと失敗を認めろ。
鉄道社会の民度が低くなり、鉄道の敵とされる交通手段の敷居が低くなれば、誰もが「公共交通ふざけるな、公共交通利用促進ポスターを剥がせ」になってしまうよな。
イギリスのプリンセス、ダイアナ妃、自動車の後部座席に乗っていたなかで事故により無残に死亡した。
http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bakenshikabuya/20121009/20121009101020.jpg
・スポーツ選手の中川大祐も自動車の後部座席に乗っていて事故で死亡した。
・オートバイレーサーの高橋江紀 も、自動車を運転していて事故で死亡した。
・音楽家の森村亮介もワゴン車を運転中に事故を起こして死亡した
他多数。有名人が自動車乗車中に死亡したケースはゴマンとある。未だ年間約1300人が自動車の車内で死亡している。
『自動車免許なんて取るな!自動車など運転しないにこしたことはない。』
『自動車なんか危ない、乗らないほうがいい、乗らないことにこしたことはない。自動車はステアリングをちょっと間違っただけで(たくさんの)人様の人生を壊してしまう』
http://blog.livedoor.jp/show10a/archives/51777782.html
青山氏による心からの良心良識のある聡明な言葉に従い、息子たちは30歳を過ぎても自動車の免許を取る予定はない。
http://mainichi.jp/articles/20160726/ddl/k02/040/014000c
http://www.sankei.com/life/news/160528/lif1605280018-n1.html
gudachanことbonchacchangaです。2013年から2016年まではてなブログをやっていた者です。
私は本当の意味での田舎者なんですけど、今回声を大にして訴えたいことがあります。
私は神奈川県の湘南地方に住んでいるいわゆる田舎者です。買い物で川崎や横浜や東京に行きます。
鉄道は日本人からすれば大きな商売かつ貴重な交通インフラです。でも良く考えてください。
今は昔と違って本当の意味での貧しい人は多くいません。増えたのは富裕層でないという意味での貧しい人です(中間層の存在を思いつかない頭の貧しさにもうんざりします)。本当の意味での貧困者は減っているんですよ。車は駄目でもオートバイとか自転車持てる人がいくらでもいます。20年~30年前より減っているはずです。人口減少ほど豊かになると言うことを考えれば、人口増加説が当たらない限り日本はさらに豊かになるはずです。
あたかも都会の人々を社会ぐるみで障がい者みたいに特別扱いしているのと同じです。都会人だって障がい者よりかは健常者のほうが多いですし、貧しくない人のほうが貧しい人より圧倒的に多いです。まさに「日本くたばれ!!!」ですよ。都会人が田舎者以上に見下されているんですよ。
しかも、都会の財政は地方に比べて豊かです。地方に私鉄が多いのは、法人税を回収するためなんです。地方はとにかく貧しいんです。そうでなければ今時公営鉄道か本物の車社会になっている筈です。もちろん私は公共交通が駄目になりますます車社会に苦しむ地方にも同情します。
また、欧米では少なくとも都会の旅客鉄道は「原則公営」です。あくまでも公共インフラに過ぎないからです。
最近鉄道会社は商売に煩くなってますが、公共インフラとして利用している人にはいい迷惑でしかありません。
さらにいえば、外国のどの都市も道路は日本で言う地方の道路並に広くなっていて使いやすくなっているのですが、日本の都市はどうでしょうか?
財政の豊かなはずの都会が道路整備や公共交通整備を怠り、民間の鉄道インフラを使わせているという状況に外国人や日本の田舎者すらあきれています。都会人はどう思っていますか?
田園都市線問題を期に今こそ、都会人が立ち上がるときなんですよ。都市部でのインフラを欧米水準少なくとも韓国や台湾や中国水準に引き上げるべきです。
大都市の私鉄がレガシーになり、都会の鉄道が公共のためのものにすべきなんですよ。道路を便利にしよう、「狭い道路は時代遅れ」に田舎も都会もないんですよ。
札幌・仙台・名古屋・大阪・福岡みたいなところや地方都市には私鉄は必要ですが、首都圏からみればダサいもいいところですよ。
皆さんが鉄道通勤ラッシュや鉄道の副業第一のことを外国人や田舎者に叩かれても都会人は何も疑問に思わない。東京の私鉄社会は終わりです。JRか都営鉄道にしましょう。そして道路拡張などの整備を促しましょう。
車は公害の元は昔のものです。ハイブリッド車やエコカーや電気自動車。オートバイなら電動バイクがかなり普及しています。バスをみて下さいよ。排ガスの黒い車はほとんど走っていません。
皆さん声を上げましょう。都会のインフラの近代化です。私も闘います。都会のために。
私は東京で道路の使いづらさに苦しむ人達の悲鳴を何度も聞きました。時代遅れの偏見のせいで道路整備が進まない。だからこそ訴えているんですよ。
暴走族が怖いだ?暴走族はとっくの昔に絶滅してます。(※完全には絶滅していないという声もありますが、個人の悪ふざけ以外殆ど見かけません。集団でのそれなんて私の知る限りここ5年間見ていません。そもそも私の住む街には2014年を最後にそれら含めて1度も見ていません。)