はてなキーワード: ティガとは
『ルディ/涙のウイニング・ラン』(Rudy)は、1993年に製作されたアメリカ映画。実在のフットボール選手ルディ・ルティガー(英語版)の経験を元に制作されている。
ルディはフットボールチームでのトライアウトを受ける。猛烈なガッツが買われなんとか合格するが、常に優勝を狙うチームにあって、小柄なルディに出番はまったくない。練習相手を務めるだけの日々であったが、チームのためと熱心に役目をこなすルディはやがて選手たちに仲間として認められる。しかし、ベンチ入り60人のメンバーには一度も選ばれることなく、ついに大学最後となる試合を迎える。最終戦のベンチ入りメンバー発表で、ここにもルディの名前はなかった。ところが、この最終戦を前にレギュラー陣が監督室を訪れ、「自分の代わりにルディを出してほしい」と直訴が行われた。そのおかげもあって出場ユニフォームを与えられベンチ入り選手の一人となる。ノートルダムの勝利が確実な状況となり、出番のなかった四年生が次々とフィールドに送り込まれるが、それでもルディにだけは声がかからない。残り時間が1分を切り、コーチから時間稼ぎの攻撃をしろとの指示が出るも、選手たちはあえてディフェンスに出番を作るため、一発でタッチタウンを狙うプレーを選択し、成功させる。ディフェンス選手であるルディの出場機会を捻出するためのチームワークであった。ついにルディはフィールド出場を果たし、公式戦の試合記録にその名を残す資格を得た。そして試合終了間際に、ディフェンスライン最高の手柄とされる、相手QBを潰すQBサックを決め、チームはそのまま勝利。大歓声の中、仲間たちに担ぎ上げられてフィールドを去るのだった。
システムを「フュージョンカード」として多数の歴代のウルトラマンの力を生かすアイテムを作り出したのがオーブ。
その後のウルトラマンも様々なウルトラマンの力を宿したクリスタル、キーホルダー型のアクセサリー、メダルなど沢山のグッズが出ています。
つまり、ゼロを先頭としたニュージェネレーションのウルトラマン達がとにかく様々なグッズを展開し、我々を飽きさせないアイテムを開発し続け、苦境から何とか走り続けて来たことで今の圧倒的な人気を盛り返し、各地でライブイベントなども行われるようなコンテンツへと引き上げてくれたと言っても過言ではありません。
もちろんニュージェネレーション達の土台には昭和、平成から活躍してきたウルトラマン達の地盤にあった人気があったというのも忘れてはいけないことでしょう。
ここで考えて欲しいのです。
サブスクリプションサービスも公開され、ライブイベントや様々なグッズ展開。
そして新しいウルトラマンのテレビシリーズの他に展開される様々な動画作品やボイスドラマなどのコンテンツ。
その中でも、確かにギャラファイは今までウルトラマンがテーマとしてきたものや、長所としてきたものをかなり削ぎ落としているかもしれません。
平成三部作と呼ばれるティガ、ダイナ、ガイアアグルなどがまだ登場していないのも不満かもしれません。
しかし、考えて欲しいのです。
ウルトラマンシリーズのなかでも、他作品、映画に客演の回数が多いのは「光の国」に所属するウルトラマン達。
ウルトラ兄弟と呼ばれる存在や、ウルトラマンマックスからメビウスなど。
ティガ、ダイナ、コスモスなどは比較的客演の数が多いですが、常に彼らが自由に光の国の世界へ来れる描写を描かれたことはありません。
さらに、海外で活躍していたウルトラマンや、ミニアニメ、OVAなどで活躍していたウルトラマン達は映画以外ではほぼ客演の機会がありませんでした。
それがニュージェネレーションで盛り返した人気と共にリリースされた作品で、再び活躍することが出来ているのです。
グッズの種類は少なくなり、サイズは小さくなり、一時期はウルトラマンというコンテンツそのものが終わってしまうのではないか、とまで考えたことがある身として、だから考えを改めてくれとは言いません。
ギャラファイがないと再び活躍することや、その後を知ることが出来なかったウルトラマンもいるという事です。
CGの多用や壊れるものがほとんど無い場面を手抜きだと評価する人もいます。
しかしギャラファイはゼット、トリガー、デッカーと重なる時期に放送、制作されているのです。
当時放送している新シリーズのクオリティを維持しながら歴代ウルトラマンが登場する作品を作っているという事実を考えた時、妥当な舞台設定であると言えるのではないでしょうか?
もし本当にあなた達が沢山セットを壊す戦闘をして欲しい、新しい怪獣を作って欲しい、そう思うならば。
公式が出すアイテムや作品をきちんと応援するべきではないでしょうか?
沢山お金を使ってくださいということではありません。
公式から出される作品に文句を言うなということではありません。
ただ、あなたが今見て評価を言えるようなコンテンツが今作られているのは、この作品を作っている人々が本当に苦しい時代を乗り越えてようやくこんなに沢山の作品を一年に展開できるくらい盛り返してくれたからなのだ、と覚えていて欲しいのです。
本当に一時期は消えてしまうのではないか、二度と新しいウルトラマンは来ないのではないか、と思われていた時代を乗り越えて、スーツも新しくした沢山のウルトラマン達が活躍できるほど力を取り戻したのが今なのだと。
そう覚えていて欲しいのです。
批評できるほどのクオリティとコンテンツの豊富さをあなたたちに与えてくれているのは、その作品を作っている人達が、そしてそのコンテンツを購入するなどして支えた人達が苦境を共に乗り越えてくれたからなのだと。
ただ、覚えていて欲しいのです。
上記に長々と書いた文は、当時の記憶と漏れ聞いた情報を元に書き綴ったものなので誤りは沢山あると思いますが、私が言いたいのはこれだけです。
お目汚し失礼致しました。
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
2023年1月1日(日)に改訂されるリミットレギュレーションの変更点
「エンシェント・フェアリー・ドラゴン」はルール改訂に伴い2023年1月1日から下記の新しいテキストになるぞ!
このカード名の①②の効果はそれぞれ1ターンに1度しか使用できない。
①:自分メインフェイズに発動できる。手札からレベル4以下のモンスター1体を特殊召喚する。この効果を発動するターン、自分はバトルフェイズを行えない。
②:自分メインフェイズに発動できる。フィールドゾーンのカードを全て破壊し、自分は1000LP回復する。その後、破壊したカードとはカード名が異なるフィールド魔法カード1枚をデッキから手札に加える事ができる。
※新しいテキストが記載されたカードは2月18日発売の『RARITY COLLECTION -QUARTER CENTURY EDITION-』に収録されます。
※過去に発売されたカードも全て新しいテキストに読み替えて使用します。
※「心変わり」は2月18日発売の『RARITY COLLECTION -QUARTER CENTURY EDITION-』に収録されます。
『ウルトラマントリガー』からニュージェネレーションシリーズを眺めるからの続き
トリガー終わりました。
ブルーレイパッケージに、新型コロナ感染対策のために脚本を8割書き直したという情報があるらしく(未確認)、スタッフ・キャストの皆様大変お疲れ様でした。
なので、内容云々というより、何故こんな企画になったんだ、という憶測を連ねて、トリガーに関しては閉じることにします。
ティガは年数を経ているにも関わらずトップクラスの高い人気を誇っており、物語構成上は再登場し辛い終わり方をしているものの、何かしら再利用したいという思惑が円谷・バンダイ双方にあった筈で、落とし所として、ティガと繋がりのある別世界とされた様子。実際、トリガーの1エピソードで、ティガの登場を望む人がいればティガを召喚できるというご都合設定が作られたので、トリガーの使命は果たされたような(酷い)。
・これからどうするんですかね
そもそも自分のような運転手側は常に歩行者や周囲の状況を見ながら運転しています。人を殺す道具かどうかについてはそのとおりでしょうが、それってたとえば「印刷機は人を巻き込めば殺してしまう機械だ」という話とあまり変わりません。確かに印刷機に巻き込まれれば重傷を負いますし最悪死亡します。エレベーターも工事車両も同様です。
ただしそういうものは必ず免許と安全確認と何重もの安全装置によって回避されることです。ネイキッドな状態で存在するものは現在社会ではあまりありません。
身近で言うなら石油ストーブの事故だって安全装置がありますね。
ようは車に限らず多くの身の回りのものは何らかの危険性を孕んでおり、それらを操作する側は教育を受けて最新の注意をして様々なセーフティガードで守られています。そのうえで人を殺すかどうかを主題に上げているなら、そういった操作する人々の意識や安全装置を無視するのはいかがなものでしょうか?
単に人を殺す意識を言われるのなら、普段から運転手は意識していますし、それ以前に交通違反などをしないようにしています。速度超過はその典型でしょう。スピードの出し過ぎを防止することは人を殺さないようにする単純な安全策です。多くの運転手が速度超過を気にしているのは別に人を殺さないためではありませんが、速度を気にすることで守られる命があるのは事実です。
※この日記は『ウルトラマントリガー』という作品を批評するものではありません。
既に5話まで放送されている、ウルトラシリーズ最新作の『ウルトラマントリガー』。
番組開始直後に興味深い感想を見掛けたことを思い出したので、チラシ裏のメモ程度に綴っておく。
前提として、増田は根っからの『特撮作品ファン』で、世代こそウルトラマンでいえば『ウルトラマンメビウス』以降のまだ若い世代ではあるが、例にも漏れず本作もリアルタイムで視聴している。
「ウルトラマンが喋ってなくて物足りなかった」
というもの。
残念ながらもうかなり前に見た感想なので、どこで見たのかは全く覚えていない。
しかしこれは、昔から円谷作品、ひいてはウルトラマンという作品群をずっと追いかけてきた増田自身にとっては新鮮極まりないものだった。
というのも、それまでは「ウルトラマンは喋るべきではない」という感想をよく見ることが多かったので、なおのこと衝撃的な感想だった。
ウルトラマンといい作品シリーズに詳しくない人のために、少し解説する。
「ウルトラマン」とは、1966年に放送された『ウルトラQ』に次ぐ、空想科学特撮シリーズ第2作『ウルトラマン』より登場した、M78星雲の宇宙人だ。
劇中ウルトラマン自身が、自らの意思で喋ることは《あまり》なく、基本的に戦闘中でも掛け声のみとなっている。
まあ言ってしまえば初代ウルトラマンは第1話から喋っているし、『ウルトラマンレオ』のとある回では初代が「俺たちはアストラを殺す!」と言った台詞は、今もファンの間ネタになる迷台詞だ。
とはいいつつも、実際そんなに毎回喋ってる訳ではなかったので、ウルトラマンは無口、という感覚が刷り込まれていったのは間違いない。
しかしそれも、平成前期までのこと。『ウルトラマンマックス』までかな。『ウルトラマンメビウス』の時点ではもう結構台詞あったと思う。
平成後期からのウルトラマンは、まあ当時の円谷プロの事情なども相まってはいたが、色々挑戦してた。
その中で、火付け役となった『ウルトラマンギンガ』という作品を筆頭に、ウルトラマンが普通に喋る=アフレコなどで主人公役の俳優が戦闘中にも台詞を話すことが増えた。
当時としては、「ウルトラマンが喋るなんて!」という批判も多かったし、以降もその傾向が続いたので、一部の往年ファン層からはかなりの反感を買っていたと思う。
私個人の意見を述べさせてもらうと、ウルトラマンが基本喋らないため、「ウルトラマン側が思い付いた作戦をナレーションで説明する」というのが、昭和作品から平成最初期にかけてはお決まりだった。
なんなら、昭和作品の、さらに最初の頃の作品に至っては、ナレーションもなしによくわからん技使って、怪獣や宇宙人に勝ってたことはざらであった。
「よく分からん技使って倒した」
を経て、
「分かりやすくウルトラマンが技名言ったり、作戦を喋ってくれて、そして倒した」
という変化が起きている。
閑話休題。そう言うこともあって、現在のウルトラマンは喋るのがデフォルトになってた訳なのだけど、ウルトラマントリガーは最近の作品としては珍しく「あまり喋らない」タイプ。
これは、前作の『ウルトラマンZ』とは完全に対照的で、むしろこの『Z』の存在が、前述した「あまり喋ってなくて物足りなかった」という感想に繋がってるのだと思う。
『Z』は驚くほど面白かった。星雲賞を受賞したニュースが先月あったが、納得の出来だった。そんな『Z』の良かったところのひとつに、ウルトラマンと変身する主人公の掛け合いが面白かった点だ。
また少し話題が逸れるが付き合ってほしい。お願い。
これはいわゆるティガとかダイナのような戦況に応じて姿を変える《タイプ》でなければ、初代とセブンのようなシルバー族とレッド族等といった設定でもない。
作中における主人公とウルトラマン自身の立ち位置みたいなものを、便宜的に《タイプ》と呼ばせてもらう。
細かく分けると非常に多いので、ざっくり二つのタイプに分ける。
例えば初代や帰ってきたウルトラマン、平成ならマックスなどのような『人にウルトラマン自身が憑依するタイプ』
もうひとつが、セブンや80、平成ならメビウスやオーブのような『ウルトラマン自身が人の姿に化けているタイプ』
ウルトラマンZは前者の憑依タイプで、なおかつウルトラマンと変身する主人公は人格が明確に分かれていて、時には意思疏通して相談することもあった。
憑依タイプの補足をすると、昔はウルトラマンと変身者の意識が完全に混ざったり、むしろ乗っ取られてるに近いパターンが主流だった。帰りマンやエースなんかは完全にそのタイプだ。
平成に入ってからは、海外作品、オーストラリアの『ウルトラマンG(グレート)』が、人格が別々で互いに対話できるウルトラマンの先駆けであり、以降このタイプ(私はグレートタイプと呼んでる)のウルトラマンも増えた。
Zはまさにグレートタイプで、主人公のナツカワ・ハルキとウルトラマンZの、コミカルでテンポのいい掛け合いが絶妙だった。
この効果もあって、普段ウルトラマンを観てなかった人も、『Z』きっかけにシリーズのファンとなった人が増えて、かつ『トリガー』を初回から見たという人も多いはずなのだ。
だからこそ、『Z』の作風である「喋るウルトラマンと主人公の掛け合い」に慣れていた分、「喋らないし、要所でちょっと主人公が話すくらい」の『トリガー』に物足りなさを感じた《Zファン》が多いのでは……?
というのが考察。書いてたら楽しくなって、見返してたら長くなってた。ごめんね、このタイミングで謝っとく。
昔からのファンとしては、新規層が増えて嬉しいと思うに加え、今までは見ることが出来なかったタイプの感想まで現れて、興味深く感じた次第。
「喋る」「喋らない」が良いか悪いかについては増田は語るつもり無い(強いて言えば「良い側」とだけ言っとく)けど、『Z』を通じて新規ファンが増えたのは個人的にも嬉しい。
新規層には意外に思うかもしれないけれど、2013年の『ウルトラマンギンガ』が始まるまでは、新たなウルトラマンが登場する完全新作のドラマ作品は長い間無かった。
映画では度々やってたけど、地上波の連続ドラマとしては06年の『ウルトラマンメビウス』以来。もちろん翌年の07年に『ウルトラギャラクシー大怪獣バトル』が1クールやってたけど、新しいウルトラマンが出てたわけでは無かった(それっぽいキャラはいた)。
初代ライダーやV3、X、ウルトラマン、セブン、タロウなどは見た記憶があるし、友人との話題にも上がっていた。
この増田自身も雑な先入観が多くて、批判してる「特撮嫌い」と同じことをしてると思う。
庵野だってすべての「和製特撮」を手放しで褒めてるわけじゃないでしょ。むしろ偏ってると思う。
ただ、俺自身もそこまで詳しいわけではないので、あまり増田を批判できないが。
シリーズで言えばウルトラマンは海外での「USA」や「グレート」があったりして、見てはいなくとも話題には上がってブランドを延命していたし、辛うじて「ウルトラマンキッズ」とか「パワード」があって、「ティガ」に繋いでいた。
ソフビを集めてる子とかはそういうのすごい詳しくて、「USAみてー!」とか話してた記憶がある。
玩具とかアニメとか海外展開、あと「ヒーロー戦記」とかのゲームも結構キモだったと思う。
※「パワード」に関しては、庵野と仲いい樋口真嗣(ガメラの特撮)が関わってたんだけど、まあ本人たちがネタにするような出来だったりする。
映画で言えば平成ゴジラなんかはあれでもみんな割と楽しんでてメカキングギドラとかデストロイヤかっこええーってなってたし、忘れてはならない「平成ガメラ」も登場してる。
ただまあ石森系は「真 仮面ライダー」とか「ZO」とかあとなんか「ハカイダー」とか、ビジュアルグロめだったり「大人に向けた内輪向け」感が強い作品だったのが、なんだかなあ感はあった。
でも子供向け漫画雑誌で仮面ライダーのシリーズがあったり、やはり漫画・アニメの役割は大きい。
「ポワトリン」とかもあったな。
そんな中でも一番偉かったのは東映スーパー戦隊とメタルヒーローか。
「女リーダー」「全編ギャグ」といったエポックな「カクレンジャー」や「カーレンジャー」は94年、96年に登場してる。
「特撮」の本道とは少し違うかもしれないが、でもまあ本当に東映はよくやってたよ。
ここからはさらに個人的な偏見だが、昭和50年代かそれ以前の人の方が「本物の特撮」をリアルタイムで体験してる分、その後の特撮(平成ガメラ以外)にケチをつけてる印象がある。
ただこれも仕方ないというか、少年時代に「本物」を見た後には「劣化コピー」が続き、さらには「海外の本物」を同時に見てるんだもんな。
映像的にも「アビス」86年、「ターミネーター2」91年、「ジュラシックパーク」が93年。
「ジュラシックパーク」を見た前後に、じゃあ日本はどうなのかっていえば「REX 恐竜物語」とか「水の旅人 侍KIDS」とか「北京原人 Who are you?」なんだぜ・・・そりゃキツイよ。
で、まあ80~90年代と世の中全体の物差しが「世界基準」になってる中、その世界の映画監督が影響を受けたと公言してて、世界で戦えてたのが「漫画・アニメ」なわけで。
「青少年時代」にそんな体験をすりゃあ「漫画・アニメすごい」ってなるのも当然の成り行きよ。
繰り返すが、「ジュラシックパーク」のあとに「REX 恐竜物語」を見せられる気持ち、想像してみてくれよ・・・
https://note.com/arisan_designer/n/n77e068511f5c
こちら、フォントの歴史の話が珍しくホッテントリまで上がってたんで、まあちょっと嬉しくなったんで。
まあフォントはみんな好きなんで、いろいろブコメつくんだけど、まあ「知ってても何の役に立つんだ」「海外仕事するとき以外無用知識」的な「半端にイキってんじゃねーよ」的コメとか「読みづらい文字死すべし」的「デザインは理論原理主義」、「小林章さんが全て言い尽くしてる」っていう「有識者権威主義」はたまた「〇〇が好きなフォントです!」的「無邪気なフォントLOVER」がそれぞれワイワイいって、「で、どうすりゃいいんだ」ってなかなか意見が出んよね。
まあわっしもそんなに決定版的回答出せるほどの絶対的知識ないんだけど、現場で選んでるときの一例だせれば「ほーん」てなるかなって。
元記事の歴史的な背景知ってるときに、有効な例っていくつかあって
なんかは役に立つよなと。
時代性的なことで、有名な例としてスターウォーズのポスターのフォントとしてTrajanが採用されてたりするんだけど、あれは見た目がトラッドでかっこいい以上に、スターウォーズが年代記的英雄譚、言ったら「サーガ」だから背景的にもバチっとハマってるってのがある。
Trajanは碑文から発見された文字にインスパイアされて作られた文字なんで、言ったら最古のグループのフォント(まあそこをイメージして作られたんだけど)で、伝説にはピッタリよねと。
あと、Frutigerなんかはシャルル・ド・ゴール空港のサイン用書体として開発されたっていう経緯があったりして、デザイナーのアドリアン・フルティガーの作ったフォントはシステマチックなラインナップ展開を考えた作りで、近代性・工業性を表現できる書体かなって思う。
まあでも同じ人が作ったやつでデザイナーがより好きなのはAvenirかなー、円形とか直線とか、かなりジオメトリックなエレメントを持ちつつ、ちゃんと人間が描いた字として読みやすいから、意味と画面の平面構成的美しさがバーンと同時に目と頭にくるんだよね。
和文欧文混植の話は、厳密に000年だから、みたく同時代性に合わせるってより、それぞれのなかで相対的な「トラッド・モダン」のポジションを持ってるものを組み合わせた方がしっくり来るよと。
たとえばA1明朝で、A1についてる英文だともうちょっとニュアンスが足らんよなー、もっと優雅さをだして落ち着きと伝統性出したいよね、なんか欧文フォント組み合わせたいってなったとき、A1明朝ってのは、リュウミンなんかよりより伝統的ムードを強調して作られた書体なんで、時代性として相対的に古いと理解できる。
で、欧文はなにがマッチングするかと言うとローマンの中でも古いやつの決定版のGaramondなんかは合う。
ここら辺は頭で「時代性があう」からだけじゃなく、エレメントとして、和文の場合は漢字とかなの大きさの差や、「ふところ」なんていわれる「田」みたいなエレメントの狭さと、欧文のベースライン・ミーンライン間の幅と、アセンダー・ディセンダーラインの比率を見て、これが大きければ、要はクルっと丸まった部分とシュッと縦に伸びてる部分が差が大きい、「ふところ」の狭い和文フォントと似てるね、ってなって、「あいつら上手くいきそうじゃない?」ってなるわけ。
あと、和文の伝統的なものを意識したフォントは、縦組みに使いやすくなってるので、はらいの方向が斜めだったりして、こう言う斜めのながれは、欧文ではOの字の一番細い部分を縦に結んだ線が垂直か斜めかに対応している。
斜めになってるローマン体は相対的に古く、伝統的で、ここも合わせるときに見所かなー。
みんながモンハンライズをやっているので自分もやりたくなった。
でもそもそもSwitchをもっていない。でもモンハンがしたい。
押し入れを漁ったら出てきたのはPSVITA。
MHPシリーズのダウンロード版がまだ売っていれば遊べるかもしれない。
しばし充電の後…起動!時間が2015年あたりで止まっている。
その間にいろいろサポートが終わっている。時間の流れを感じる。
PSストアにはまだ入れるようだ。MHPは…あった。2ndGを購入(約1500円)。
プレイするのはほぼ小学生ぶりだ。モンハン自体2ndGが最後だ。
データがないのでニューゲーム。主人公は迷わず女。太ももけしからん。ちなみに俺は男。
早速村クエをやっていく。最初は雪山。攻略は見ずに、記憶を頼りにのんびりやっていく。
昔やり込んだだけあって、少し慣れたらまるで昨日までやっていたかのように操作できる。
ドスギアノス、イャンクック、フルフル、ドドブランゴ……止まらない。
夜中にやり始めて、気がついたら朝になっていた。さすがに疲れたので寝る。
結構満足したし、起きてからはもうやらないだろうと思っていた。
昼すぎに起床。PSVITAがそこに落ちている。おもむろに電源を入れる。
いや、今日は別のことをするんだ。モンハンは1日や2日でやるゲームじゃないんだ。
俺はモンハンに、それも既プレイの過去作にそこまで時間をかけるつもりはない。1クエストだけで終わるぞ。
昔は同じ武器ばかり使っていたが、今回はいろいろな武器を使ってみる。
相手に合わせて狩りやすい武器を選ぶのが楽しい。あえて難しそうな武器を選ぶのもいい。
特に昔なぜか敬遠していたガンナーがとても楽しい。剣士とは立ち回りが違って新鮮。
苦戦した覚えのあるグラビがあっさり狩れてびっくりした。
あと訓練所でタイムアタックみたいなこともした。
ガチの人には足元にも及ばないけど、ティガを4分台で狩れて嬉しかった。
あと女の防具かわいい。時間が無限にあったら俺の考えた最カワ装備を作りたい。
そうこうしているうちにやりたいことが芋づる式に増えて、
ご飯やトイレの時間すら惜しくなって、翌朝まで続けて、最後はつらくなってやめた。
満足と後悔の比が3:7くらい。1日目でやめておくべきだった。
奥さんがコストコで大量のディナーロールを買ってきたのでパンを焼けずにいるおじさんです。コストコのディナーロールって安いしいつまでたってもそれなりに柔らかいし、あれはどうなっているんだろう。でも、そのままたべるのは悔しいので、フレンチトーストとピザパンにアレンジして食べてやった。やってやった。
メロンパンを焼いてやろうと思っていたのにパンが作れない週末、みなさんならどう過ごしたのかしら。
いつも牛乳・卵・砂糖・バニラエッセンスを混ぜた卵液を作って、そこにパンを漬して焼くのだけど、先に砂糖を溶かした牛乳に漬してから、そこによく溶いた卵を混ぜると良いと聞いたのでやってみた。
ぼくは違いが判らない男として生きていこうと思う。
土曜日、おくさんがドデデデデデデと音を立てながら階段をおりてきて、これを見ろ!とスマホの画面をぼくの顔に押し付け「台湾カステラ」の存在を強く主張した。
ぼくは台湾カステラを知らなかったので、YouTube(べんりな動画サイトだよ!みんな使おう!)でどんなたべものか調べてみると、ふわふわぷるぷるしている。なるほど。
作り方はシフォンケーキとほとんど同じ。スクエア型で焼く。150℃で1時間湯煎焼きしたらちょっと焦げた。型から出したできあがりはふわふわぷるっぷるで笑ってしまった。
でも、砂糖120gってちょっとすごい量ですよ。そして大量の砂糖のわりに甘くないのでスルスル食べられてしまう危険なたべものである。怖くてあまりたべられなかったけど、おくさんがモリモリ食べていた。フォアグラ農家の気分。あんまりカステラっぽい味がしないので、別のレシピを探してみたらサラダ油の代わりにバター使うものがあった。次はこれにしてみようと思います。
台湾カステラをちょっと焦がしてしまったのでなにかやってやりたい気分の日曜日。いぜんに「強力粉とイーストあるなら中華まん」というブクマをもらっていたので、ぼくは、あんまんを作った。蒸しあがったあんまんがものすごく黄色くて慄いたけど、こんなものなのかしら。ごま餡のかおりがすごくよかったので、蒸したてのをひとつたべて口の中をやけどした。8個蒸したけど、目を離したら奥さんと子供が全部食べてた。ずるい。
おまえはカレーパンマンなのか?とおもうくらい黄色かったので、何か間違えている気がする。
(追記)
>「Saint-Exupery サラダ油 65g ごま油 15g 薄力粉 100g 牛乳 100ml 卵 6個 砂糖 120g 一個で2500kcal超えとか怖いわぁ。」
焼き上げると、18cmスクエア型から4,5cmくらい縦にはみ出るくらい膨らむので、それなりに大きいです。そびえたつカステラの壁。プリンのような、甘く焼いた卵焼きのような、スフレのような……おいしいのだけど、出来上がりが完璧じゃないと「カロリー満足度」が下がるので難しい食べ物だと思う。プロが焼いたものを食べてみたい。
最近はやっているみたいなので、大都会に住んでいるシティボーイ、シティガールは是非食べてみてほしいなあと思います。
対カロリー満足度:摂取カロリーにたいしてどれほどおいしかったのか計る指標値。カロリー高いけどすんごい美味しかったからまあ良しとしよう、という言い訳に使う。かりんとうはおいしいのでスコアが高い。おじさんは勝手な造語を使う。でも、みんな同じような言葉をもっているよね?