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2024-10-21

あの場面、ノリスとフェルスタッペン立場が逆だったら、

フェルスタッペンレッドブルならポジションをすぐに返していたはずだ。

それも自分たちに一番都合の良い場所で一瞬ポジションを返してすぐさま再オーバーテイクしかけていたはずだ。

マクラーレンが甘いのはエイペックスがどうのこうのと主張して、これまでの過去の判定やこの日のスチュワート判断を全く無視していることだ。

この日は同じシチュエーションでガスリーに5秒ペナルティラッセルも5秒ペナルティ角田にも5秒ペナルティとかなりわかりやす判例がすでに示されていた。

にも関わらずポジションをフェルスタッペンに一度返すようにノリスに指示しないのはボーンヘッドと言われてもおかしくはない判断といえる。

フェルスタッペンなら絶対にそんな甘いことはしない。

そもそもフェルスタッペンがあれだけラフプレーが多いのになぜペナルティを受けないのか?

そこを真面目に考えたことがあるのだろうか?

ワールドチャンピオンに対してスチュワートペナルティを与えるのに及び腰になっているとても考えているのか?

そうではない。

フェルスタッペンルールで何が許されていて何が許されていないか、その部分を熟知している。

たぶん強烈に勉強したのだと思う。

じぶんでルールブックを読んだのか、頭のいい人に読ませて教えさせたのかはわからないが。

とにかく彼はルールを熟知してる。

それはデレク・ワーウィックもそのようなコメントをしていたように記憶してる。

「彼がどれだけ高度なテクニックを使っていると思っているんだ?」

(彼は巧妙にペナルティを受けないようにドライビングしているんだ。というような意味。F-1ではドライビングログが残るのでスチュワート判断に迷うときにはそのログを見てルール違反した動きだったかどうか判断する場合がある。)

そんなことを言っていたはずだ。

フェルスタッペンがよくやる行動のひとつとして、直線からのブーレキング時に進路変更を何度もしているように見えるという行動がある。

マグネッセンあたりがやったら一発でペナルティをもらうような走らせ方だ。

でもフェルスタッペン場合ノートすらされない。

なぜか?贔屓されているのか?

もちろん違う。

彼はどのような手順で車を動かせばルール抵触しない形でえげつないブロックを出来るかを熟知し、そして驚異的なマシンコントロール技術でそれを実行しているのだ。

彼はおそらく2021年の熾烈なルイス・ハミルトンとのチャンピオン争いのときに痛感したのだと思う。

自分が、いかルールに対して無知であるか?ということについて。

この行動がペナルティを受けるのかそうでないのか?明確に理解していないままハミルトンと強烈なバトルをしていたことを反省したのだと思う。

あのときスチュワートワールドチャンピオン争いに水を指すのをためらって二人のバトルに関しては極力ペナルティを与えないようにしていた。

あのときは本当に忖度があった。

それによってフェルスタッペンは救われた場面が一度や二度ではなかった。

とくにブラジルグランプリであのときペナルティを受けなかったのは本当にラッキーだった、と後にヘルムートマルコが語るような無茶なことをやってしまっていた。

でもいまのフェルスタッペンは違う。

彼はしっかりと何が許されて何が許されないか正確に理解している。

もちろんだけれど他のドライバールールは知っている。

しかしフェルスタッペンと他とではオタク非オタクくらいに知識量の範囲と深さが違うはずだ。

それほどフェルスタッペンドライビングは巧妙である

2024-09-03

anond:20240903112402

おっ!

今井達也ソフトバンク来るか!?

有原

イネ

スチュワート

今井達也で60勝や!

マルティネスで30Sも固いな!

高橋はともかく今井西武で7勝もしてるんだから凄いだろ

ソフトバンクだったら21勝だぞ

2024-08-22

anond:20240822100758

今いるメンバー全然ダメな時って、今なのでは??4試合で5点しか取れてなく、遂に昨日は若手石塚プロ入り初ホームランの1点だけという。。

それで明日からの敵地での直接対決3連戦に挑むのか。。ハムに弱い有原コントロールに難あるスチュワートプロ入り2年目の松本晴。。

打線カバーしないと今のハム打線好調ぶり考えたら多分3タテ喰らいますよ。。

2024-08-19

[]先発陣の若返りが進んだ2024

2023 有原 和田(43) 東浜(34) 石川柊太(31) 大関(25)

2024 有原(31) モイネロ(28) 大関(26) 大津(25)スチュワート(24) 松本晴(23)new! 大山 凌(22)new!

2024-07-11

東浜2軍無期限調整で、ルーキー大山が先発へ昇格かanond:20240711094821

東浜の後を受けた大山は次回先発をたぐり寄せる快投を披露し、一軍生き残りと地位確保を狙う正木宮城から快打を連発した。




1軍先発ローテ

有原

イネ

大津

大関

スチュワート

大山


ロングリリーフ

杉山

又吉


2軍

東浜

石川

和田

坂東

前田大阪桐蔭高卒ドラ1)


育成

前田

三浦瑞樹

2024-05-01

anond:20240501092356

去年の勝ち星2番目(8勝)の和田さん抜きでこれよ。

魔改造」こと倉野投コーチの手腕だね!

しろ鉄板リリーフ陣が酷使気味・・・オスナと藤井が不調



有原→期待通りのエース

イネロ→リリーフからの先発転向大成功

東浜→隔年で活躍する投手の当たり年

大関→昨年の開幕投手。若手有望株

大津リリーフから転向まさか覚醒

スチュアート→去年の3勝投手クオリティスタートを守れるようになった




石川柊太→かつての最多勝投手も中継ぎで待機

和田坂東→2軍で調整



ソフトバンク先発投手陣の柱は有原航平だ。加入初年度の昨シーズンは6規定投球回には届かなかったものの、チーム唯一の10勝をマーク防御率2.31と安定した投球を見せた。今年は開幕投手を任されており、シーズンフル回転が求められる。

有原大関友久、東浜巨の2人が続く。東浜2017年規定投球回に到達し最多勝を獲得後、1度も規定投球回に到達していない。今年はオープン戦3試合登板で15回1/3を投げ無失点と順調。7年ぶりの復権に期待がかかる。

昨年まで勝ちパターンを担っていたモイネロが先発に転向した。通算306試合登板防御率1.95、奪三振12.65の成績を残しており、先発としても輝けるか。

その他ではスチュワート石川柊太、板東湧梧、大津亮介、そしてベテラン和田毅等が控えている。和田は開幕直前にアクシデント離脱内定していた2カード目の初戦の先発を回避することになった。

2024-03-15

[]2年目大津巨人相手に6回無失点

好調東浜坂東大津

そこそこ順調で次の登板次第:有原石川大関、モイネロ、スチュワート

遅れ気味:和田

 結局、チームはこの2本塁打で5点を奪い、巨人との3連戦に〝勝ち越し〟た。この勝ち方には、

試合を見守った王球団会長もさぞかしお喜びだろうと球場から引き上げるところを待ったが、

開口一番「きょうは大津がよかったね」と

巨人打線を6回3安打無失点に抑えた2年目右腕の投球を絶賛したのは意外だった。


 もちろん、誰がどう見ても最高の投球だった。8奪三振に無四球得点圏に走者を進められたのは1死から連打を食らった6回の一度だけで、

初回には1死一塁から仕掛けられた投前犠打を自らの好フィールディングで二塁封殺とするなど、目標とする開幕ローテ入りへこれ以上無いアピール投となったように思う。

anond:20240314140949

2024-03-14

[]東浜巨人戦5イニング無失点。前の試合から続けて9イニング0失点 anond:20240313084332

かなり順調:東浜板東

そこそこ順調で次の登板次第:有原石川大関、モイネロ、スチュワート

遅れ気味:和田大津

2024-03-12

[]anond:20240311142806

ここまでローテ争いは、




 打線山川らの加入でさらに厚みを増した。

救援陣も藤井松本又吉岩井ルナンデスオスナを軸に盤石。

だが、先発陣は昨季のチーム最多勝有原の10勝と心もとない。

ロングリリーフ武田・又吉

2024-02-02

[]年俸10億円超えもOK「バウアー獲得」に本腰を入れたいソフトバンク

とうとう来たね。。。

遊軍記者ってなんだよ?

ソフトバンクは背に腹は代えられない状況にあります

 今季先発投手陣は昨シーズン10勝5敗、防御率2.31有原航平を筆頭に、

大関友久、スチュワートジュニア、モイネロ、そして和田の5本柱が有力だが、いかにも心もとない。

エース山本由伸がポスティングメジャー移籍しながら盤石の先発陣を誇る、

リーグ王者オリックスと比べると、やはり見劣りしてしまう。

フル回転可能先発投手の補強は、現段階になっても最優先事項だ。前出の遊軍記者も、

12球団一の金満球団ですからね。年俸10億円超えの複数契約問題ないでしょう」

 サイ・ヤング賞に輝くなど実力は折り紙つきながら、数多くのトラブル引き起こしてきたバウアーだけに、加入すれば再び騒動が勃発する可能性は十分にある。

ソフトバンクには力のある若手選手が多いですからね。ファンオリックス阪神のように、

変な補強に頼らず若手を育てて強いチームになってほしいと思っています

山川に続いてバウアーまで獲得しては、そんなファンの思いに逆行する。

バウアーの言動次第では、批判の矛先がまた王貞治会長に向けられることにもなりますよ」(福岡放送関係者

https://www.asagei.com/excerpt/298660

2023-03-23

anond:20230323032123

ほとんどの有名な作品は、疫病か核戦争で「ほぼ人類が滅亡した後で、わずかな生き残りがいる」みたいに望みを繋げている。

本当に全滅する救いもない話は言われたらあまりいかもなぁ。

2022-07-15

マッカーサーゴシップひどすぎワロタ

マッカーサーは、中学生ぐらいの年齢で入学した西テキサス士官学校のころから性的なことしか頭にありませんでした。近くにある聖メアリー女学校まで遠征すると(笑)誰彼なく声をかけまくってます。一応マッカーサーの通っている士官学校女学校ミッション系の学校でしたが、エロマッカーサーの頭にはそんなことは関係ありませんでした(笑)

その後も、マッカーサーは49歳の時に16歳の少女に手を出してるほどの、重度のロリコンで、人生で常に性欲に忠実(笑)に生きてきた男ですから(笑)

英雄(笑)は昔から色を好むと言いますし、女と金名誉尋常ならざる拘りを見せたマッカーサーの行動原理は正に英雄のそれでしょう(笑)

マッカーサーは初婚が四十路と典型的モテない男でしたが、ウェストポイント士官学校在学中には、モテないダサい高校生がやりがちな『俺は何人の女とヤッた』自慢をやっている(笑)

ちなみにマッカーサー入学するまでのウェストポイントの記録(笑)は7人の女性関係したのが最高だったそうですが、マッカーサーが8名と関係して記録を塗り替えた(笑)と吹聴していたそうです。

マッカーサーは近くのホテルに常駐していた母親ピンキー監視されており(笑)そんなマネはとても無理だったので、これまたマッカーサー武勇伝(笑)でしょう。下らないですね。

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.81

それでモテない暗黒の学生生活を送った反動で、マッカーサー士官学校卒業すると女狂いとなりました(笑)

と言ってもモテないのは相変わらずだったので、マッカーサーがやったことは現在でいうストーカーでした(笑)

1907年マッカーサーミルウォーキーのファニーベルヴァンダイク・スチュアート嬢という金持ちの娘に惚れて、仕事すら手に付かない状態まで入れ込んでしまます(笑)

しかしスチュアート嬢はキモくて野蛮なマッカーサーには全く興味がなく、まったく相手にされなかっため、どん詰まったマッカーサーラブレターを出しまくります

スチュアート嬢が身の危険を感じたのか、ミルウォーキーから故郷ニューヨークに帰った後も追撃(笑)しているぐらいなので、かなりの執拗さです(笑)

そのラブレターの中の一つを紹介すると

ニューヨーク少女

私が愛するのはあなた

何にもまして

なぜにあなたは私を愛してはくれないのか

という、「自分がこんなに好きなのになぜ相手自分の事を好きにならないのか?おかしいじゃないか(憤怒)」みたいな典型的ストーカー思想手紙であり、こんな手紙を何十通も送られてきたスチュワートさんはさぞかし恐ろしかたことでしょう、そりゃ逃げたくもなるよ(笑)

これでも十分やばいんですが、マッカーサートドメとばかりに(笑)27頁にも及ぶマッカーサースチュワートが主役の韻文劇を創作(笑)し、その脚本スチュワート嬢に送りつけるという暴挙に出ます爆笑

その内容は

軍人であるマッカーサースチュワート嬢と結婚し、散々二人でセックスした後に馬に乗って二人で戦場に赴く。

そこで、マッカーサーが重傷を負い、スチュワート献身的看護で一旦は回復するが、その後さらなる激戦でマッカーサー戦死し、スチュワート自分の夫マッカーサーを誇りにして余生を過ごす。

という中二病どころではない、もし普通の人なら、こんな妄想を考えている事がバレた時点で確実に自殺するような凄まじい(笑)内容でありましたが、マッカーサーは躊躇することなくこれをスチュワート嬢に送ってます困惑

こんな不幸の手紙以下の汚物をもらったスチュワート嬢の気持ち想像すらできませんが、マッカーサーの期待も空しく、スチュワート嬢は最後までマッカーサーになびくことはありませんでした(当たり前ですが)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.109

若いモテない暗黒人生を送ったマッカーサーは四十代になって、元上官の愛人バツイチ子持ちという見えている地雷、ルイーズ・クロムウェルブルックスとようやく結婚しますが、彼女離婚歴もあり、また参謀総長のパーシングやその副官キュークマイヤーなど片手では収まらない男性交際するなど、非常に性経験豊富女性でした。

そこで、女性経験に乏しい(というか殆どない)マッカーサー旦那になったものですから彼女の不満は相当なもの

ダグラス将軍だけどベッドの上ではただの兵隊よ」

とか

ダグラスはペ○スをオシッコをするためのものしか考えてないのよ」

とか

パーティで出席者に向けて、自分の指を曲げて見せて、マッカーサーの○ニスが萎れた形にしてマッカーサー性的能力の乏しさを表現した

とかの言動を知人やマスコミにしています

※参考:マイケル・シャラ―『マッカーサー時代』P.28

結局、マッカーサー生来のセコさとマザコン男性機能の乏しさを理由離婚されます

その後、傷心のマッカーサーは新任地のフィリピンで、マニラオリンピックスタジアムボクシング試合を観戦中に16歳のイザベルロザリオクーパーという混血のモデル一目惚れ(笑)副官のトマスジェファソン・ディヴィスに命じて、イザベル愛人とする交渉をさせてます。部下に愛人交渉をさせる上官(それも少将)とか嫌すぎますよね、さらにその時のマッカーサーの年齢が49歳ですから・・・ガチ性犯罪でしょ(呆れ)

※参考:ジェフリーペレット著『ダグラス・マッカーサーの生涯 老兵は死なず』P.285

この副官のディヴィスという副官は気の利いた(笑)男で、結局マッカーサー帰国後にこのイザベルにもフラれるんですが、そのあと傷心のマッカーサーを慰めるためにワシントン郊外コールガールを呼ぶための専用のアパートを借りていますマッカーサーはそこに頻繁に来ており、好きなプレイは、コールガールをルイーズやイザベル見立てて激しく罵倒するプレイだったと後日スッパ抜かれてます(笑)

また、マッカーサーとデイヴィスは仲良く(笑)一人のコールガール3Pすることもあったそうで(笑)部下と3Pする上官(それもこの時は大将)とか嫌すぎますよね(呆れ)

※参考:ジョセフC・グールデン著『Korea:The Untold Story of the War

話はかなりそれましたが、日本では、毎日GHQ司令部のあった第一生命館と嫁・とクソガキが待っているアメリカ大使公邸の往復であったので、日本女性を食いまくっているヒマはなかったようです。

しかし、日本に進駐当初に、日本女性セクハラを試みたことは明らかになっています

1945年8月30日厚木飛行場に到着したマッカーサー横浜直行ホテル・ニューグランド日本最初宿泊の場としました。

当時、ニュー・グランドには唯一辞めずに残っていた26歳の(山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史」では24歳)女性社員霧生正子氏がいました。

マッカーサーと護衛の空挺隊員は、ニュー・グランドに到着すると、男性社員を集め後ろ手を組ませて身体検査しましたが、霧生正子氏にもそれを要求し、身体検査をすると通告しました。

護衛の空挺隊員には女性兵士はいなかったので、男性兵士身体検査にされるのを嫌がった霧生正子氏は、「こんの野郎」と憤慨し、その命令に従わずホテルウーマンらしく前で手を組みました。

霧生氏の強い意思に押された、マッカーサーはそれを許可し、霧生氏には空挺隊の中尉おっかなびっくり身体検査をしています

霧生氏が気丈な女性でなければ、マッカーサー自らが身体検査と称しセクハラをするつもりだったのかも知れません。

また、霧生氏は自宅を空襲で失っていた為、マッカーサーらのことをイヤでこの野郎と思っており「家をかえせ」と言った事もあるほど、強い敵愾心を抱いたまま硬い表情で米軍兵士と接していました。

米軍兵士らは困ったのか「笑え」と霧生氏に命令し、それでも霧生氏は媚びないので「おれ等は悪くない、東条英機文句言え」と責任転嫁したあげく、霧生氏に毎日コーヒーやらチョコやらを献上しにきたそうです。霧生氏は美人だったので、マッカーサーらには下心があったんでしょう(笑)

まぁ、マッカーサーも周りに連合国の高官らの目があるなかであまり無理もできなかったようで霧生氏がマッカーサー毒牙にかかることはありませんでした。

よかったですね。

※出典 USArmyInJapan A Japanese lady who worked for GEN MacArthur

https://www.youtube.com/watch?v=0RqsjRRkUpQ

https://www.youtube.com/watch?v=Cvh6uW0Yxek

山口由美著「クラッシックホテルが語る昭和史新潮文庫

鼻の下を伸ばしただらしないいやらしい顔で、女性従軍記者マーガレット・ヒギンズ女史に不必要なほど接近し、その右手でヒギンズ女史の腰を弄るマッカーサー

現在で例えれば、自衛隊司令官女子アナにこんなことしてればどうなるか火を見るより明らかなように、典型的セクハラですね(笑)

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q12184777592

2021-03-19

ソフトバンク

内野手 1997/09/15 23歳 6年 175cm 69kg B型 右左 大分 1,500万円

0 髙田 知季 内野手 1990/05/06 30歳 9年 176cm 68kg O型 右左 兵庫 2,050万円

2 スチュワートジュニア 投手 1999/11/02 21歳 3年 198cm 101kg 不明 右右 アメリカ 11,000万円

4 バレンティン 外野手 1984/07/02 36歳 11年 185cm 100kg 不明 右右 オランダ領アンティル 50,000万円

5 松田 宣浩 内野手 1983/05/17 37歳 16年 180cm 86kg B型 右右 滋賀 45,000万円

6 今宮 健太 内野手 1991/07/15 29歳 12172cm 76kg O型 右右 大分 29,000万円

7 中村 晃 外野手 1989/11/05 31歳 14年 175cm 83kg O型 左左 埼玉 24,000万円

8 明石 健志 内野手 1986/01/09 35歳 18年 175cm 65kg B型 右左 北海道 6,500万円

9 柳田 悠岐 外野手 1988/10/09 32歳 11年 188cm 87kg AB型 右左 広島 61,000万円

10 大竹 耕太郎 投手 1995/06/29 25歳 4年 184cm 78kg A型 左左 熊本 2,400万円

11 津森 宥紀 投手 1998/01/21 23歳 2年 176cm 84kg O型 右右 和歌山 1,300万円

12 髙谷 裕亮 捕手 1981/11/13 39歳 15年 178cm 83kg O型 右左 栃木 3,200万円

13 二保 旭 投手 1990/05/18 30歳 13年 182cm 75kg B型 右右 福岡 2,800万円

16 東浜 巨 投手 1990/06/20 30歳 9年 182cm 80kg A型 右右 沖縄 9,000万円

17 岩嵜 翔 投手 1989/10/21 31歳 14年 189cm 85kg O型 右右 千葉 6,800万円

18 武田 翔太 投手 1993/04/03 27歳 10年 187cm 90kg B型 右右 宮崎 6,000万円

19 甲斐 拓也 捕手 1992/11/05 2811170cm 85kg O型 右右 大分 16,500万円

20 甲斐野 央 投手 1996/11/16 24歳 3年 187cm 90kg A型 右左 兵庫 3,800万円

21 和田 毅 投手 1981/02/21 40歳 15年 179cm 80kg O型 左左 島根 15,000万円

22 牧原 巧汰 捕手 2002/07/13 18歳 1年 176cm 81kg O型 右左 神奈川 550万円

23 周東 佑京 内野手 1996/02/10 25歳 4年 180cm 66kg A型 右左 群馬 4,000万円

24 長谷川 勇也 外野手 1984/12/22 36歳 15年 180cm 86kg AB型 右左 山形 7,000万円

25 田中 正義 投手 1994/07/19 26歳 5年 188cm 93kg 不明 右右 神奈川 1,200万円

26 レイ 投手 1990/07/01 30歳 1年 196cm 106kg 不明 右右 アメリカ 10,000万円

27 グラシア内野手 1985/10/14 35歳 4年 187cm 95kg 不明 右右 キューバ 35,000万円

28 高橋 礼 投手 1995/11/02 25歳 4年 188cm 87kg O型 右右 千葉 6,750万円

29 石川 柊太 投手 1991/12/27 29歳 8年 185cm 87kg O型 右右 東京 8,000万円

30 佐藤 直樹 外野手 1998/09/03 22歳 2年 177cm 87kg AB型 右右 兵庫 1,500万円

31 栗原 陵矢 捕手 1996/07/04 24歳 7年 178cm 78kg A型 右左 福井 4,400万円

32 柳町 達 外野手 1997/04/20 23歳 2年 180cm 78kg B型 右左 茨城 770万円

33 増田 珠 内野手 1999/05/21 21歳 4年 179cm 84kg O型 右右 長崎 660万円

34 椎野 新 投手 1995/10/10 25歳 4年 196cm 95kg A型 右右 新潟 2,400万円

35 モイネ投手 1995/12/08 25歳 5年 178cm 69kg 不明 左左 キューバ 15,000万円

36 牧原 大成 内野手 1992/10/15 2811172cm 72kg A型 右左 福岡 3,500万円

37 マルティネス 投手 1990/08/05 30歳 4年 185cm 90kg 不明 右左 アメリカ 10,000万円

38 森 唯斗 投手 1992/01/08 29歳 8年 176cm 96kg A型 右右 徳島 46,000万円

39 尾形 崇斗 投手 1999/05/15 21歳 4年 181cm 83kg O型 右左 宮城 600万円

40 杉山 一樹 投手 1997/12/07 23歳 3年 193cm 102kg A型 右右 静岡 1,100万円

41 千賀 滉大 投手 1993/01/30 2811年 187cm 89kg A型 右左 愛知 40,000万円

43 井上 朋也 内野手 2003/01/28 18歳 1年 181cm 87kg A型 右右 大阪 880万円

44 笹川 吉康 外野手 2002/05/31 18歳 1年 193cm 85kg A型 左左 神奈川 600万円

45 谷川原 健太 捕手 1997/04/16 23歳 6年 174cm 85kg B型 右左 愛知 630万円

46 川原田 純平 内野手 2002/05/21 18歳 1年 170cm 72kg O型 右右 岩手 550万円

47 髙橋 純平 投手 1997/05/08 23歳 6年 184cm 84kg A型 右右 岐阜 3,000万円

48 渡邉 雄大 投手 1991/09/19 29歳 4年 185cm 84kg B型 左左 新潟 600万円

49 古谷 優人 投手 1999/02/19 22歳 5年 176cm 79kg A型 左左 北海道 720万円

50 板東 湧梧 投手 1995/12/27 25歳 3年 182cm 80kg AB型 右右 徳島 1,500万円

51 上林 誠知 外野手 1995/08/01 25歳 8年 185cm 88kg O型 右左 埼玉 5,350万円

52 リチャード 内野手 1999/06/18 21歳 4年 189cm 119kg O型 右右 沖縄 660万円

53 泉 圭輔 投手 1997/03/02 24歳 3年 188cm 76kg A型 右右 石川 2,800万円

54 デスパイネ 外野手 1986/06/17 34歳 8年 175cm 95kg 不明 右右 キューバ 40,000万円

55 野村 大樹 内野手 2000/09/10 20歳 3年 171cm 83kg O型 右右 兵庫 640万円

56 田浦 文丸 投手 1999/09/21 21歳 4年 168cm 79kg O型 左左 福岡 560万円

57 嘉弥真 新也 投手 1989/11/23 3110172cm 71kg O型 左左 沖縄 14,000万円

58 サファテ 投手 1981/04/09 39歳 11年 193cm 102kg 不明 右右 アメリカ 50,000万円

59 水谷 瞬 外野手 2001/03/09 20歳 3年 193cm 95kg A型 右右 愛知 520万円

60 釜元 豪 外野手 1993/09/03 27歳 10年 180cm 81kg B型 右左 長崎 1,200万円

61 奥村 政稔 投手 1992/08/14 28歳 3年 176cm 72kg B型 右右 大分 1,000万円

62 海野 隆司 捕手 1997/07/15 23歳 2年 174cm 78kg O型 右右 岡山 1,200万円

63 川原 弘之 投手 1991/08/23 29歳 12年 187cm 99kg O型 左左 福岡 1,300万円

64 真砂 勇介 外野手 1994/05/04 26歳 9年 185cm 87kg B型 右右 京都 900万円

65 九鬼 隆平 捕手 1998/09/05 22歳 5年 180cm 83kg A型 右右 大阪 650万円

66 松本 裕樹 投手 1996/04/14 24歳 7年 182cm 85kg A型 右左 神奈川 2,000万円

67 笠谷 俊介 投手 1997/03/17 24歳 7年 173cm 72kg AB型 左左 大分 2,200万円

68 三森 大貴 内野手 1999/02/21 22歳 5年 186cm 73kg A型 右左 埼玉 700万円

69 小林 珠維 内野手 2001/05/07 19歳 2年 183cm 87kg A型 右右 北海道 470万円

70 田上 奏大 投手 2002/11/26 18歳 1年 185cm 87kg B型 右左 大阪 550万円

99 川島 慶三 内野手 1983/10/05 37歳 16年 171cm 74kg A型 右右 長崎 7,000万円

120 佐藤 宏樹 投手 1999/02/18 22歳 1年 180cm 80kg AB型 左左 秋田 400万円

121 石塚 綜一郎 捕手 2001/06/07 19歳 2年 181cm 84kg B型 右右 秋田 360万円

122 大関 友久 投手 1997/12/14 23歳 2年 185cm 96kg A型 左左 茨城 400万円

123 中道 佑哉 投手 1998/09/04 22歳 1年 182cm 73kg O型 左左 青森 400万円

124 桑原 秀侍 投手 2002/05/29 18歳 1年 175cm 80kg A型 右右 熊本 360万円

125 早 真之介 外野手 2002/09/11 18歳 1年 181cm 78kg O型 左左 滋賀 360万円

126 黒瀬 健太 内野手 1997/08/12 23歳 6年 181cm 97kg O型 右右 大阪 500万円

127 緒方 理貢 内野手 1998/09/22 22歳 1年 175cm 71kg A型 右左 宮崎 400万円

128 伊藤 大将 内野手 2001/07/27 19歳 2年 179cm 85kg A型 右右 大阪 360万円

129 居谷 匠真 捕手 2002/12/30 18歳 1年 178cm 81kg O型 右右 和歌山 360万円

130 勝連 大稀 内野手 2001/04/30 19歳 2年 175cm 67kg B型 右左 沖縄 360万円

131 舟越 秀虎 外野手 2001/08/23 19歳 2年 181cm 73kg O型 右右 福岡 360万円

132 渡邉 陸 捕手 2000/09/24 20歳 3年 187cm 84kg A型 右左 熊本 360万円

133 岡本 直也 投手 1996/10/30 24歳 3年 182cm 80kg B型 左左 千葉 400万円

134 大城 真乃 投手 2002/11/24 18歳 1年 170cm 70kg A型 左左 沖縄 360万円

136 荒木 翔太 内野手 2001/04/05 19歳 2年 184cm 84kg A型 右右 熊本 360万円

137 中村 亮太 投手 1998/05/18 22歳 1年 183cm 80kg O型 右右 千葉 400万円

138 重田 倫明 投手 1996/05/30 24歳 3年 185cm 87kg O型 右右 千葉 400万円

139 吉住 晴斗 投手 2000/03/12 21歳 4年 185cm 81kg AB型 右右 山形 790万円

140 ロドリゲス 投手 1998/12/08 22歳 1年 185cm 88kg 不明 右右 キューバ 1,000万円

142 中村 宜聖 外野手 2000/07/03 20歳 3年 184cm 86kg O型 右右 大分 360万円

143 村上 舜 投手 2001/11/01 19歳 2年 173cm 67kg AB型 左左 山形 360万円

2020-11-14

「見ればわかる」ってなんだよ、罪刑法定主義に反しているんだが。

1964年文書の「わいせつ性」の定義について争われた事件判決文に、当時の米連邦最高裁判所判事ポッタースチュワート氏は、こう書き記している。「ポルノ写真の類について、どういうもの規制すべきか、法で定義して決めるのは難しい。しかし、見ればわかる」

2020-07-14

田澤ルールについて

メジャーリーグベースボールボストン・レッドソックス等で活躍した田澤純一投手が13日、日本独立リーグ BCリーグ埼玉武蔵ヒートベアーズ入団した。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200713/k10012512801000.html


日本歴代3位のメジャーリーグ388試合登板というリリーフ投手としてメジャーリーグで積み上げた数字の割には、日本では知名度が低いだろう。

それは通常、日本スター選手になり満を持してアメリカに渡る選手が多い中、田澤選手日本プロ野球所属した経験が無いかである


田澤ルールというものをご存知だろうか。

日本プロ野球NPB)の選手契約に関するルールだ。

日本ドラフト拒否して直接海外挑戦した場合日本に戻っても高校出身選手は3年間、大学社会人出身選手は2年間、ドラフト指名できない」

というものだ。

プロ野球12球団の申し合わせ事項となっており、通称で田澤ルールと呼ばれる。

これはまさに田澤選手が引き金となって作られたルールであり、本人が希望したとしても、巨人阪神などのいわゆるプロ野球球団にはすぐに入団できないということである

田澤ルールができた経緯

田澤選手は、高校卒業後、社会人野球のJX-ENEOSに進んだ。

JX-ENEOS活躍して評価を高め、複数球団からドラフト1位候補として名を挙げられるようになった。

しかし、ドラフト指名が確実視されていた2008年メジャーリーグMLB)挑戦を打ち出した。アマチュア有望株のMLB挑戦について、当時の球界には一大騒動が巻き起こった。

田澤選手NPBの全球団ドラフト指名を見合わせるよう文書を送付し、バッシングを受けながらも最終的にMLB球団契約した。

これを受けて、NPB球団は事後的に上述のルールを定めたのである

日本人のMLB挑戦

日本人のMLB挑戦自体比較的新しい歴史である

1995年野茂英雄氏をパイオニアとして(ただし、日本人初のメジャーリーガー1960年代村上雅則氏)、その後数々のプロ野球選手アメリカに渡ったが、ルール問題が発生するたびにその都度整備されてきた。

野茂氏のMLB移籍も複雑な話だった訳であるが、長くなるためここでは割愛する。


NPBを経ずにMLBに行こうとする日本選手が現れるのはどんな背景があるのか。

一度NPBに入ってしまうと、原則9年は海外移籍できない。

海外移籍のためのフリーエージェント権利を得るのに9年の1軍登録必要からだ。2軍暮らしが長ければもっと時間がかかる。

原則と書いたのは、ポスティング制度を利用すればそれより短い期間で移籍できるからである

しか球団が認めなければポスティングでは移籍できないので、海外フリーエージェント権を得ない限り移籍自由保証されない。

MLBに挑戦するのが30歳近くなれば、選手によっては全盛期を過ぎていることもある。

数年間日本で実績を積んでMLBステップアップしよう等ということはできないのである

田澤ルール目的

目的は有望選手国外流出を阻止することにある。

日本選手自由海外球団契約できることは、NPBレベル低下につながる。

田澤ルール抑止力として働いていることは間違いない。

しかしながら、「NPBからオファーがあったにも関わらず、それを蹴って海外球団契約されてはNPB面子が立たない。面子を立てなかった選手の面倒は見ない」という裏の声が聞こえてしまうように思えてならない。

一方で日本球団は、チェン・ウェインリン・イーハウなどといった台湾の有望選手を獲得している。

また、昨年には異例中の異例で、2018年MLBドラフト1巡目指名を受けたが契約に至らず、2019年にも再度の1巡目指名確実と言われたカータースチュワートMLBを経ずにNPB入りしている。

田澤選手の今後

今季、田澤選手日本独立リーグプレーすることになる。

ここ数年の田澤選手アメリカでもマイナー暮らしで、力は落ちてきていると見られる。

したがって、田澤ルールが無かったとしても今の実力でNPBで投げれるかは未知数だ。まして2年後、3年後にNPB球団が獲得する保証はない。

とは言うものの、インタビュー記事からすると、田澤選手自身もこのルールには従っている。

しかし、将来の選手のためにも、このようなルールが少しでも変わっていくことを願っていることも事実のようだ。

https://full-count.jp/2020/07/14/post829635/

田澤ルールは田澤選手が渡米した事後にできたルールから、田澤選手には適用されないのではという説もある。

もっとも、NPB球団が田澤選手ドラフト指名する動きが無いため表面化していないが。

NPBルール検証

レベル報酬の面でNPBMLBに敵わない以上、アマチュアプロわず今後も多くの選手MLBを志望するだろう。

しかし、この田澤ルールについては、大物アマチュア選手MLB志望を口にすると、たびたび話題にはなったものの、深い議論には至らず置き去りになっているように思える。

この年数はアマチュア選手にとってどんな心理的影響を与えるのか。年数を変えたらどうなるのか。

同じ目的を達成するのに、他の手段ではダメなのか。どうしてもこのルールである必要があるのか。

議論を重ねた上で、最終的に結論は変わらないかもしれない。しかし今はまだその議論がなされていない。選手契約移籍に関する問題は発展途上だ。

NPBにおかれてはこの田澤ルールが本当に妥当なのか、今一度検証されたい。

2019-09-22

ラグビーW杯 22日第2試合 アイルランド vs スコットランド レビュー

昨日のオールブラックス×スプリングボクス試合レビューも好評で、なによりラグビー観戦が楽しくなったというブコメが嬉しくてたまらない。

増田としては、「わかりづらい」と言われたり、「興味ない」と言われたり、そうかと思えばどうも変な話題が注目されたりするラグビーの、その競技自体の楽しみを分かち合いたかった。

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今日22日は、日本と同じプールでやがて相まみえスコットランド×アイルランド試合が行われた。

もうすぐ戦う相手がどんなチームかを知れば、単純に「日本頑張れ、すげー、なにやってんだ」以外にもうちょっと違う楽しみ方を提供できるかも知れない。

この対戦のキーワードは「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」、そして「雨」だ。

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「ストラクチャー」と「アンストラクチャー」は、敵味方の状況に応じた陣形状態で、「ストラクチャー」とは攻守双方、準備万端ラインが整っている状態をさす。

対する「アンストラクチャー」は、ライン状態がグチャグチャで、攻めようにも綺麗にできないし、守ろうにも予測不能状態を指す。

「ストラクチャー」はスクラムラインアウトから、「アンストラクチャー」はハイパントの落下点の競り合いや、相手の攻めからボールを引っこ抜くなどターンオーバーから起こりやすい。

「ストラクチャー」は準備がモノを言い「アンストラクチャー」はしばしばアドリブ合戦になってしまう。

両国関係でいうと、アイルランドは「ストラクチャー」に強く、スコットランドは「アンストラクチャー」に強い。

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ただここに要素を加えるのが雨で、アンストラクチャーからスピーディーアドリブを仕掛けようと思うと、パスが速かったり複雑になりやすく、雨でボール滑ると厄介なことになる。

ストラクチャーでも複雑なことはできるが、短いパスや力押しで極限まで単純に、遅く、確実にもできる。

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両国の力関係でいうと、アイルランドが圧倒的に強く、スコットランドといえばUK陣の中では身体が小さく、常に相対的弱者、いつでも工夫と諦めない姿勢サバイブしてきた。

そんな彼らの近年の活路がアンストラクチャーラグビーなのだ

しか今日の天候いかんで自分たちの強みを出しづらくなる可能性がある。

さて台風が迫る横浜、雨がいつ降り出すか。

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キックオフ試合の入りはスコットランドキック執拗に蹴って自分たち好みのアンストラクチャーゲーム演出しかし5分、逆にその混乱から抜け出したアイルランドがパワーでねじ込んでトライを奪った。

アイルランド世界最強のフィジカル軍団などと言われて、確かにそうなんだが、反応速度個人スキルも、戦術眼も高い。

陣形がくずれても一瞬の反応で大男が切り返してくるのだ。

スコットランドはそれでもキックで不確実性からチャンスを探すプランを変えない。

スコットランド勝機はそれしかない。

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両チームもスプリントが爆発的に早いので何が起きるかわからないスリリングな展開の中、14分、アイルランドペナルティーを得て必殺のモールを繰り出し、2トライ目。

アイルランドの恐ろしいところは1人でも強いが、固まるともっと強いところ。

スクリングボクスはフィジカルこそ凄いが、どこかナイスガイみたいな素朴な感じがあるのに対し、アイルランド暴力的なほど圧倒的なフィジカルで迫る上に、顔がシリアスでなんか怖いのだ。

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12点差を追うスコットランド17分、自陣でモールをやり返す。

モール前進できるのはいいとこ7〜8mほどなので、こんなにトライから遠いところからちょっと前進しても一見合理性がなさそうなんだが、そういうのがしばしば冷静になるきっかけだったりする。

それに、集団での力押しは合戦ラグビーでは自信や意地という面で象徴的な意味を持つ。

膂力で勝てないのが明らかでも、それを簡単に認めてはいけないのだ。

ここで一瞬流れを取り戻しかけた。

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しか24分、ファンブルからアイルランドが大きく前に蹴り出したキックが、アイルランドゴールポストに当たって、結局不利なリスタート適応される状況になる。

5mスクラム、それをアイルランドねじ込んで3トライ目。

スコットランドは攻めは決して悪くないのに、運が悪く、猛スピード台風のように迫る怪力男だけでなく、運とまで戦わないといけない。

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その後、何度もスリリングな展開があったが、スコットランド必死抵抗ギリギリのところで踏みとどまる。

40分のアイルランドペナルティーゴールも外れ、前半終了。

16点差をつけられたスコットランドは2トライ以上とらないと逆転できない。

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後半、横浜競技場は雨が降りだした。

試合開始から双方蹴りまくるハイパントだが、その目指すものアイルランドスコットランドで違う。

アイルランドハイボ後にタックルを食らって停止しても、ゆっくり前進すればいいし、落球してスクラムで力勝負になっても崩していける。

しかスコットランドはできれば再獲得して、プレーを切らずに抜け出したい。

こうなるとアイルランドの方が選択肢が多い。

ボール滑る雨はスコットランドに不利なのだ

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55分、そんなハイパント合戦からアイルランドが4トライ目。

雨という状況もあるが、キックの精度自体も全体的にアイルランドの方が高く、スコットランド自分たちにうまくボールが入るキックを蹴れない。

スコットランドは、主にキックを蹴っていたSHレイドローを下げ、キープする戦術に変更した。

しかし、そもそもが展開でアイルランドディフェンス突破できないからのキック戦術であり、キープして走ってもやはり突破できない。

スコットランドには手詰まり感が漂う。

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それでも諦めないスコットランドは70分ごろ、FBスチュワート・ホッグがぬけだし、それを止めようとしたアイルランドが悪質な反則でイエローカード

10分間退出で数的優位を得る。

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しかしそこでもアイルランド集中力がすごく、攻めきれない。

その後点は動かず、27-3でノーサイドとなった。

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パワーで勝り、技術も高く、ストラクチャー状況でも勝てるアイルランドだが、結局ほとんどの得点スコットランドが仕掛けるアンストラクチャーから切り返しであげた。

スコットランドとしては自分たちが賭けた不確実性をモノにできなかったのと、雨、そして爆発的なスプリント能力を誇る飛び道具のスチュワート・ホッグが完全に封じられたのが痛かった。

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この試合を通して、両軍が蹴りまくったハイパントブコメで「古典的戦術だ」という意見があった。

慧眼のファンがいて嬉しい。その通りだと思う。

ただ、あの瞬間に何が起きているのか、みんながもっと楽しむために、増田さら解説を付け加させてほしい。

かにハイパントは昔からあるプレーで、「弱者戦術」と言われていた。

20年ほど前の大学選手権では明治早稲田に挑む慶應大学がよく使っていた記憶がある。

それは地上戦で勝てないか一か八かを狙う感じだ。

ただ、近年活用方法が変わってきて、増田記憶に残っている観測では前回のW杯直後にオールブラックス採用し出した。

不確実性では同じだが、ハイパン相手がとって着地した瞬間にタックルを見舞って止める、あわよくば誰かが落下点に走り込み競って直接再獲得、相手ファンブルした場合プレーが止まれノックオンという反則で自軍スクラムだが、笛を待たずに自分たちで拾って継続すれば、自軍有利なのでプレー継続される、その瞬間はディフェンスが崩れきっていて最大のチャンス!という確立された戦術に変化した。

これは、選手アスリート能力の向上と、戦術分析を背景に、地上戦だけのディフェンス突破が難しくなった事に対する対応だった。

今日スコットランドがしたいことは多分これだった。

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さて、日本はこの両国と戦うことになる。

今日の結果を見れば、アイルランドには隙がなく、スコットランドの方が相対的に与し易くも見える。

しかし、じゃあ、スコットランドターゲットにして、アイルランドは負けても仕方ないよね、という損得勘定スコットランドに臨んで勝てるだろうか。

理屈で言えばそうかもしれないが、増田はこの絶望的な状況でも諦めないクソ意地を見せつけたスコットランドに、そんな半端な精神性で挑んで勝てるとは思えない。

そもそもスコットランドは「相対的弱者」であって、日本にとっては「強者」だ、「弱者戦術を知り尽くした強者」ほど困った敵もいない。

アイルランドを抜いて戦う分、スコットランドで必勝」などというヌル精神状態を利用されない訳がない。

今日わかったのは「アイルランドは引くほど強い」「スコットランドはどんな状況でも諦めない」という事だ。

さて、日本はこの2国にどう挑むだろうか。

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最後に、レフェリングへの絡みについて質問があったので少ない知識でも答えられることを答えたいと思う。

ラグビーにおいて、レフェリーに対して長く会話ができるプレーヤーは双方のキャプテンのみ。

それも、レフェリングに対して「抗議をする」というより、レフェリングへの「解釈を聞く」というもの

なぜそうなるかというと、そもそもラグビーレフェリー不在で始まったスポーツであり、「ラガーマンとして恥ずかしくなく振る舞おうぜ」って具合に選手同士の話し合いで反則の適応を決めていたのだが、あまりに速く激しく複雑になりすぎて、「これちょっと選手同士じゃ無理だね、誰かに頼むか」と「判断をお願いする」形でレフェリーが登場した。

自分らの都合で呼んでおいて、抗議とかねぇ・・・変でしょ。

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そして「解釈」なんだが、ラグビーではあまりにもカオスなことが起こりすぎて、反則などについてきっちりしたルール文字通りに適応すると、しばしば「あれ、反則もらったけど逆に損じゃん」という矛盾した状況が起きてしまう。

前後文脈適応判断をするケースが結構ある。

また、外から見るとわかりづらい状況でレフェリーによって、反則のラインが異なったりする。

典型的なのがスクラムで、あれは「故意に崩すと反則」なのだが、何をもって「故意」とするか、それにどっちが「崩したか」が非常にわかりづらい。

その判断レフェリーに委ねられ、プレーヤーが「そりゃねーよ」と感じても「抗議」はできない。

せめて「あれアリですか?」「アリ」「どこでアリです?」「さっきのアレ」という感じで「解釈を聞いて活かす」ことしかできない。

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レフェリーフィールドでは絶対権威なので、じゃあレフェリーは好き勝手に笛を吹いて選手は従うしかないのかとなるが、そこで問題になるのが「解釈一貫性」で、解釈の線がブレると選手レフェリーに振り回されることになる。

そうなると、「あのレフェリーって笛に一貫性がないよね」となり、あんまいい評価をされない。

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でも、多分、問題は「評価が下がる」ことじゃなくて、「そんな笛を吹いて自分に恥ずかしくないのか」という事だと思う。

他者が律するとこができない権威なら、自分自分を律するしかないのだ。

選手レフェリーのせいにしないように振る舞うなら、レフェリーもまた自分の笛に責任を持たないといけない。

ラグビーに関わるなら、選手レフェリーも、すべての人が「あいつがああいった」とか「自分が偉い偉くない」とかそういうことではなく、それに「ほかの奴はああじゃん」とかそういうことでもなくて、「自分がどうなのか」ということなのだ。

あんなにクソ走るスポーツについていきながら、不可解な状況を判定し、その上一貫性についても責任を持たないといけない、ラグビーレフェリーというのはスゲーと思う。

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ちなみに地上波放送されなかったイタリア×ナミビア戦では、スクラムを真横で見ていた豪出身レフェリー、ニック・ベリーさんが、持ち出したボールスクラムの真横を急襲しようとしたイタリアの8番に激突されるという一幕があった。

まあベリーさんは元ラガーマンで、レフェリーに転身してから現在も「その筋肉、いる?」って位にムキムキなので事なきを得たが。

もう一回いうけど、ラグビーレフェリーというのはスゲーと思う。

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日本からは今回、アシスタントレフェリーとして、久保修平さんが参加している。

中継で名前を見つけたら探してみてほしい。

anond:20190921214539

2019-08-24

禁煙はたやすいことだ。私はすでに何千回もやった」は誰がいい出したか

作家マーク・トゥエインは、禁煙について書いてはいるが、このジョークを言ったというたしか証拠はない。

コメディアンのW. C.フィールズは、1938年に「禁酒講義」というラジオ番組で、「禁煙」ではなく、「禁酒バージョンギャグを言っている。だが、禁酒バージョンギャグは、これよりも前にすでに広まっていた。

最も早い事例は、1907年に、ハリス・ディクソンによって書かれた“Duke of Devil-May-Care”というタイトル小説である。その小説には「ポーカーをやめるなんて簡単なことさ。俺はゲームが終わるたびに、1000回以上もやめているぜ」みたいなセリフがあるという。

マーク・トウェイン禁煙ジョークの関連を調べてみると、1914年に、友人のエリザベス・ウォレスという人に、禁煙をしたいという手紙を書いたらしく、そのとき手紙が「マーク・トウェイン幸せの島」というタイトルの短い伝記に書かれているが、ここで書かれているユーモアは、例の「名言」とは異なるものである

禁酒法がまだ行われている間の1929年に、ネブラスカオマハワールドヘラルドという人が書いている。「ハリーは酒をやめると言うが、笑わせるぜ。酒をやめられないことなんてないぜ。なぜなら俺自身、もう100回以上も禁酒しているからな。酒をやめられるかやめられないか、これでわかるだろう」

1932年に、鉄道刊行している“Norfolk and Western Magazine”という雑誌には、禁煙についてのジョークがある。

車掌キャンベルは、たばこをやめたと言った。スチュワートは言った。「たばこをやめるのは簡単だよ。私は少なくとも100回はやめているからね」」

1935年の“The American Legion Monthly”の中に、酒でトラブルを起こす製材所の従業員を、主任解雇させようとしたという、やや長いジョークがある。

「何が問題なんです?私の仕事ぶりですか?」

「いや、仕事問題ない」

「じゃあ何で私が解雇されなきゃならないんです?」

仕事中に酒ばかり飲んでるじゃないか。そんなことでは、人も殺しかねないぞ」

「それならわかりました。なに、お酒をやめるなんて簡単なことです。実際私は、この10年で1000回以上もやめてきましたから」

1936年の“The Southwestern Sheep & Goat Raiser”という雑誌に、いま知られているジョークと非常に近いバージョンジョークがある。

先日、友人の一人が私たちに、禁酒なんて簡単なことだと言った。「私はもう1000回もしているからね」

1938年、W. C.フィールドは、「禁酒講義」というラジオの中で、こんなジョークを言っている。

禁酒できないなんて言わないで。簡単なことさ。俺はもう1000回もしている。

1938年10月に発行された“Scribner's Magazine”では、「私、たばこやめます」という記事を発表した。

ある若者が、医者から禁煙するよう命じられたが、それができないと不平を言ったところ、年をとったテキサス州民がパイプ一服しながら答えた。「禁煙なんて世界で最も簡単なことさ。俺はもう1000回もしている」

マーク・トゥエイン禁煙ジョークとの関係が最も早く表れるのが、1938年12月の“Journal of the American Medical Association”.である。彼が1910年になくなってからだいぶ後のものだが、この中に「マーク・トウェインは、これまでしてきた中で禁煙が最も簡単なことだ、なぜなら1000回もしてきたからだと言った」とある。つまりマーク・トゥエイン禁煙ジョークは、彼の死後になって結びつけられたのである

1941年に、カリフォルニア新聞コラムニストに、酒飲みが理由解雇された人のギャグがある。

あなた、酒飲んでるでしょう。仕事中に飲酒すれば、人を傷つけたり殺したりしかねません」

「わかりました。ではお酒をやめますお酒をやめるなんて簡単ですよ。実際私は、この2,3年で少なくとも1000回はやめましたから」

これは、先の1935年の製材所の従業員解雇されたときの話とまったく同じである

1945年リーダース・ダイジェストで、マーク・トゥエイン名言として、「禁煙は、私がこれまでしてきた中で最も簡単なことだ。なぜなら1000回もしてきたかである」が掲載されている。

2018-07-12

地球のレッスン

やっぱり地球人間には もうこりごり

スチュワートブランドのように船の上で晩年を迎えたい

2017-01-08

誰の為にコスメ買ってメイクしてんだろ

ここのところ洋服ブランドだのコスメブランドなどを巡って学級会が勃発しているが、ああいとき火種になるのが俗に言うマウンティング女子というやつだろうか。

そんなもんはマウンティング女子同士でやればいいものをと思うのだが、アクシーズしろシャネルリップバームにしろプチプラコスメしろオタク女子ターゲットにされるあの風潮はなんだ。

そもそもデパート行くよりイベント行ってコスメより同人誌に金かけて、モテメイクじゃなくてキャラ工作メイクに命燃やす人種マウンティングしたところで虚しくないんだろうか。そうまでして下を作りたいのかねえと邪推したくなる。

実際のところ何を着てもどんなコスメを使っても可愛いかブスかの二択でしか判断してもらえない世知辛い世の中なんだから自己満に浸って自分の好きなもの着たり使ったりするのがおそらく楽しい生き方だし、そこに投資するのかしないのかを選択してより自分が楽しめる方面へ金を落とすほうが健全でいいに決まっている。

美容関係好きな人青天井精神でどこまでも投資すればいいさ。だけどキャラグッズ買うためにアイシャドウの値段を半分落とすことの何がいけないのかまったくわからない。だってお金無限じゃないから、身の丈にあった使い方ってもんがあるし稼ぎも生活にかかる割合も人それぞれ。どこを抑えるべきか考えるのも生活力ひとつだと思うんだけどなあ。節約したすぎて食用油メイク落とすとかはさすがに引いちゃうけど。そりゃ悲しいかな老化などという防ぎようのない事実もあるから、年齢や肌の調子に合わせて基礎化粧品下地あたりは変えていくべきものではあると思う。でもやっぱりそこにも人ぞれぞれの事情があるんじゃないかと思ってしまうんだよ。先に書いた稼ぎや生活もそうだし、外資コスメは強いから荒れてしまって辿りついた肌に合う化粧品プチプラだったかもしれないし、そういう背景の想像を怠ってダサい、恥ずかしいと断罪してしまうのは如何なものなんだろう。

ただ、これは想像しかないけどああい意見が出るのがわからんでもない、と思う光景を目の当たりにすることがある。

そういうときに思い出すのはオタク界隈でよく言われる「新規は声がでかい」という話。好きになったばかりのころって情熱無限大かってくらいにあるし、語り尽くさなければ憤死するわってくらい頭の中でいろんなものが渦巻いているかツイッターなりブログなりにそれを吐き出すよね。想いの丈を。

そういうとき古参に「何を今更なことを……」って思われるようなことを得意げに話ちゃってるあのかんじに似ている。

コスメにはまって収集するのは楽しいことだし、特にこれまであまり触れてこなかった人がその楽しさを覚えると語りたくてしょうがないっていうのもわかるけど、詳しい人たちにとっては「今更」っていうような「ジルスチュワートってブランドおすすめだよ☆」ってウィンクつきで言っちゃうようなかんじっつーか。

今回、disられた方のツイートは決してそういうものではなかったことは強調しておきたいけど、上記のような光景はわりと点在しているからそういうものを含めて物申したくなったんではないのかね、真意は知らんけど。

いや、メイクポーチの中身でマウンティング負けるって話だったっけ?

まあそれは確実にあるよね。ないとは言わん。値段の差が歴然だもん。キャンメイクってアイシャドウ780円くらいで買えるけどシャネルは一桁違うからそりゃマウンティングされたら負けるに決まってる。でもそこに意味見出しているのはマウント取ろうとするほうだけじゃないの。

メイクポーチの中身でマウンティング合戦に勝ちたい人には勝たせておけばいいんじゃない。ただ、メイクポーチの中身が人間の中身だとは思うなよとは言いたい。

ハイブランドコスメパッケージも素敵だったり、やっぱり安いものと比べて色のつきとかもちとか違ったり、なによりそれを買ったってことやポーチに入っているってことでテンションがあがることはある。たとえばあれ気になるなーって思ってたブランドリップ買ったときって嬉しくて早くつけたくてしかたないしうきうきすると思う。ハイブランドには自分意識を持ち上げてくれる力が備わっていることに異論はない。だけどシャネルサンローラン持ったからって自分がすごい女になったっていうのは勘違いしかないんじゃない。ポーチにそれがたんまり入っていたところでいい女ってわけでもないんだよ悲しいけど。わたしはこれが好きだからって気に入っているからって使っているだけでいいのに、それを武器みたいに振りかざすのは頭悪くない?すごいのはシャネルであってお前じゃない、っていう。認めてほしいっていう気持ちもあるのかもなあ。自分だってそれがないとは言えないし。どこに何に価値を見出すかは人それぞれだから何でもいいけど、だからこそああいう学級会って不毛だよね。

あとなんでもかんでもオタクってだけで貶めるひといるけど、「ホモ尊いしか言わないアカウント中の人死ぬほど美人で症絶美意識高い人かもしれないじゃん。逆も然りでキラキラアカウント中の人が実は部屋ぐっちゃぐちゃ無駄毛もっさもさとかさ。なんか安直

なんにせよ自分場合ハイブランドが似合うようなファッションでもないしふさわしい人間でもないから身の丈大事だよなって自ら言い聞かせてるんだけど、真の意味でふさわしい女性になりたい、目指そうと思うことは捨てたくない面もあるにはある。一生かかっても辿りつけないかもしれないけどな。

ただドラッグストアめぐりはたのしーのよね。それもきっとずっとしちゃんだろうし、ブランドの名だけに左右されず自分に合ったものを値段云々ではなく徹底的に選ぶほうが重要だよなとああい事態を目の当たりにするたびに思う。

ただあまりTPOわきまえない系の人は自分も苦手だ。これはTGCの時にもなんやかんやあったけど。

あのシャネルリップバーム騒動とき、さすがに身なり整えず行った人がいるなんてネタだろと思うけど、いたとしたら紹介されていた「シャネルはすべての女性たちのためにデザインされた」という社長さんの素敵な言葉とともに「ルージュをまとって挑みなさい」というココ・シャネルエモーショナル言葉も並べたい次第。

2016-11-28

海外ミステリ入門者だけど、次の一冊を教えてほしい

最近海外ミステリーを読み始めたのだけれど、面白いね。なので、お詳しい方々、おすすめ教えてください。

国内だと宮部みゆきとか伊坂幸太郎とか好き。東野圭吾米沢穂信はダメでした。

最近読んだやつの個人的評価を一応下に載せておきます

◆めちゃくちゃ面白かった

R・D・ウィングフィールドクリスマスのフロスト』

ロバート・マキャモン少年時代

ロアルド・ダールあなたに似た人』

ドン・ウィンズロウ『犬の力』

ダシール・ハメット『赤い収穫』

ジェームズエルロイLAコンフィデンシャル

面白かった

トム・ロブ・スミスチャイルド44

スコット・トゥロー推定無罪

ドン・ウィンズロウストリートキッズ

ドナルド・D・ウェストレイクホットロック

ジェフリー・ディーヴァーボーンコレクター

タンリィ・エリン特別料理

ケン・グリムウッド『リプレイ

◆まあまあ

ウイリアム・デアンドリア『ホッグ連続殺人

アガサ・クリスティそして誰もいなくなった

デニス・ルヘインミスティック・リバー

ビットゴードン『二流小説家

ピエールルメートル『その女アレックス

キャロル・オコンネルクリスマス少女は還る』

ジャックカーリー『百番目の男』

コーネル・ウールリッチ『喪服のランデブー

自分には合わなかった

トマス・ハリス羊たちの沈黙

パトリシアコーンウエル『検死官』

スチュワートウッズ警察署長

ロバート・パーカー『初秋』

ウンベルト・エーコ薔薇の名前

サラ・ウォーターズ『半身』

ミネット・ウォルターズ『女彫刻家

P・D・ジェイムズ『女に向かない職業

2016-05-05

ホテルカリフォルニアと2人のギタリストについて僕が知っていること


ホテルカリフォルニア後半のツインギターを聞いていると、何か物悲しく、切なくなる。思いを馳せるのは、2人のギタリストのこと。


2月のある日から突然、毎晩のように、頭の中を「since nineteen sixty nine 」というフレーズが流れるようになった。原因はわからないが、たぶん病気じゃない。グレンフライ氏の霊が関係しているのかもしれない。それまでイーグルスのことは何も知らなかった。



そしてここ3ヶ月、ほぼ毎日ホテルカリフォルニアを聞いている。



リードを務めるならギターでもヴォーカルでも奔放さが特徴のジョーウォルシュ。イーグルスに加わる前から別のバンドソロでも活動していた典型的ロックギタリストで、いくつかのヒット曲や、独特のパフォーマンスあいまって、そこそこ知られていたらしい。しかし、


ことホテカリに関して言えば、ドンフェルダーというもう一人のギタリストと一緒に語られることが多い。その2人による、曲後半のツインリードの掛け合いがあまりに素晴らしかたからだ。ドンフェルダーはホテカリ作曲者の一人で、ジョーウォルシュが加入したことを受けて、ツインリードの曲を考えたそうな。彼の演奏はとても緻密、ジョーウォルシュとは対照的だ。



初めてホテルカリフォルニアをちゃんと聴いたのが ’77年Washington, D.C.ライブ映像で、一瞬で2人の演奏の虜になってしまった。



ドンフェルダーは ’75年ぐらいからジョーウォルシュのソロコンサートに参加するようになり、実は、あの素晴らしいデュエットは、その頃から2人で築いてきたものであることを、その後知った。


ジョーウォルシュ作「Turn to stone」というハードロックな曲がある。レコードにも3つバージョンが収録されていて、わずか4分のものから8分のものまで、ライブを合わせると無限アレンジがある。ドンフェルダーとジョイントしてほどなく、後半はほとんどツインリードのための曲となってしまう。ホテカリ同様、歌が終わった後半、ドンフェルダーのリードギターに始まり、徐々に2人の掛け合いに流れ、最後ジョーウォルシュのリードで終わる。


2人の掛け合い、その様子はまるで、タンチョウ鶴の求愛ダンスだ。高音でハモり、その同じリフを交互に鳴らしあう。いくつかのライブでどれとして同じ演奏はない。そのときの気分次第という感じだ。



楽器や歌でハモったり掛け合いをするとき感覚は、体験した人には分かると思うけど、恋をしたのに似たような高揚感や一体感があると思う。


からテカリのあのリードギターの掛け合いは、2人にとって、きっと忘れがたい記憶のはずだ。




その2人のデュエット確認できたのは ’95年のライブ映像最後だ。映像なしだと ’00年が最後。そこでも彼らのハモりは美しかった。わけあって、ドンフェルダーは ’01年にイーグルスを脱退(解雇された)し、その後はソロ活動している。ジョーウォルシュのほうは今もイーグルスに在籍しているが、相手役はドンフェルダーに代わってバックミュージシャンであるスチュワートスミスになった。



スチュワートイーグルスメンバーではないというスタンスを頑なに守るかのように、ひたすら目立たぬように演奏している。だけど、ドンフェルダーの代わりのリードから、多くの曲でジョーウォルシュより目立つ部分を弾くわけで。ホテカリでもイントロと同時に一番最初スポットライトを浴びるのはスチュワートだ。それでもいつもメンバーとは少し距離を置いて、ギター職人に徹している。



そういうこともあってか、ジョーウォルシュもスチュワートとどう連携していいか、いつも悩ましそうに見える。そしてドンフェルダーとの演奏のような一体感を感じているようにはあまり見えない。かたや、


ドンフェルダーは、ずっとソロ活動をしている。いい感じにロマンスグレー(って死語?)になり、ステージはいつも神父のような笑みを浮かべて演奏している。イーグルスライブでは1曲も彼のヴォーカルを見たことはないし、しゃべるのも見たことがない。のに、歌ってる。歌えるじゃん。彼は、


ライブTV番組でホテカリ演奏しているが、ある番組ではアコースティックギターフォークギター)で一人演奏していた。ジョーウォルシュのパートも一人2役で。あの最後ハモりも一人で弾けちゃうんだなぁ、彼は。エレキクラシックではなくフォークギターでは難しいはずの、色んな技を次々繰り出すのを見て、観衆もそのたびにヤンヤンヤとなるのだけれど、ジョーウォルシュと2人でハモっていたはずの最後の部分、悲しい響きに感じるのは僕だけか?



’75年から’77年にかけての2人のデュエットを見たことがあれば、、、



微笑みながら、ドンフェルダーはどんな気持ちで弾いているんだろう? 昔、相方と弾いていた日々を思い出しながら? それともイーグルスを脱退するに至ってしまったことへの後悔? 僕には知るべくもないけれど、あの物悲しい旋律がなんとも彼の心情を表しているようにしか思えない。


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