はてなキーワード: 東奔西走とは
タイトル通りです。以下は惚気です。
ッッッッハア〜〜〜〜〜最高の15日間だった!!!!!!!!!!!!!!!!
みなさんは好きな人、いますか?シャープペンシルを握る右手の人差し指に触れてみたいとか、ふとした拍子にチラリと見えた控えめなピアスに目が釘付けになったとか、委員会も部活もゼミもサークルも部署も会社も違うけれど、これまでの人生で一度だけ交差したことがあって、ただその交差はわたしにとっては交差だけれども向こうにとってはただのすれ違いで、それでもいい、それでもいいから好きなんだ…………。と片思いし続けて早7年の爆美女と、ついに、お泊まりしました(??????????????)
いや急転直下すぎるな、ソシャゲの公式がおかしくなって投下した期間限定イベントじゃねえんだから。もうちょい流れ、しっかりしてんだろ。
えー、筆者は25歳北の限界労働系女子。朝から晩まで働けません。普通に無理です。限界です。気が狂ってたまに業務用コンドームとかむちむちバキバキ本格ディルドとか買ってます。最近は居住地区のラブホテル全館全室制覇を目指して深夜残業に勤しんでます!
そんな限界労働者ことわたくしにも心優しい友がおり。大学で出会った友人のうち数人とはいまだにやり取りをする仲なのですが、その中に、筆者が7年間恋焦がれた美女が、おるの、で、ございます。あ、あーーーーーーーーーーー、好き。
ほいでね、ある日美女とLINEをしていたところ、彼女は資格取得のために勉学に励んでおり、アルバイトやらなんやらに追われないところでじっくり勉強したいと。そいで、わたしはなんの気無しに「そしたらうちおいでよ!」と送ってしまったわけですよ。来るはずねえよ、だれが津軽海峡渡ってまで勉強しにくんだっつー話よ。したらば返信これ。
「お邪魔じゃなければ25歳労働者ちゃんのお家で、作業してもいいかな?2週間くらい……迷惑だよね……?」
はよ来い!いま来い!すぐに来い!!!
と叫びたくなる衝動を抑えて、いいよ^^と返信し、日程などを調整し、お客様用布団を揃え、お部屋を掃除し、車も洗い、いざ迎えにゆかん空港へ!
危うくひれ伏して神に祈りを捧げるところだった。危なかった。アッラーだかヤハウェだか天照大神だかカムイだかわかりゃせんがとりあえず半径1000キロ以内に存在するそこかしこの神と名の付くものすべて引っ張り出してきて松明に火を灯し三日三晩寝ずに踊り狂うところだった。
空港から帰宅後に始まった彼女との半・擬似同棲生活はもう、幸せでした。と言いたいところだがここで一つ。
わたしは、彼女への想いを伝えたことがなく、彼女もまた、わたしについてどのような感情を抱いているのか、確認すらしたことがなかった。
ジーザス。神は試練をお与えになる。
でも乗り越えられない壁はないってイチローも言ってたし!いざゆかん!斬り込み隊長!
社畜女「えーと、彼女ちゃんって、あれだよね大学のとき彼氏がいたとかなんとか。恋愛しなさそうだったから、なんか意外だったんだけど」
美彼女「ああ、懐かしい話だ。別れたよ、うん。なんか恋愛っていうか枠組みっていうか、微妙かもしれないなって気付いたんだよね」
社畜女「そうかー。ちなみにだけど、その枠組みには男子も女子も入る感じ?」
美彼女「入るね。入るけど、入ったらもう、しんどくなる気がする。だから入らなくてもいいなって思ってる、今は」
おかわりいただけただろうか………🍚
ごはんいただけただろうか………🍚
ンマア、そんなこんなで幕を開けてさっさと閉じかけた半擬似同棲生活。こちらとしてはかなりかなりめちゃくちゃ本当にどタイプで顔も見た目も内面も知性も趣味も彼女を構成するものすべてを吸収して逞しく生きているさまを見るだけでわたしはもう、なにか触れてはいけない神々しさの間近にいるような感覚になってしまうのですが。
神は恋愛については下界へ降りてこられることはなさそうで、25歳北の労働者はあっけなく振られました。結構ストレートに告白したつもりだったんだけどね?!だめでした。
でも告白した次の日も普通に2人でスーパー行って洋梨買って肉買って塩買ってラップ買ってトイレットペーパー買ってアイス買って帰ったよ。たまにドライブもしたよ。わたしの運転で神が酔ってしまわないか若干の心配をしつつ、ハンドルを初心者ばりに握りしめながら北の大地を東奔西走したわよ。楽しかったな。本当に。
夜眠るとき、彼女はお客様用のお布団で寝るのよ。わたしはベッドで。ただの友達だったら女の子同士だし小柄だしってことでベッドで一緒に寝ますけれども今回は事情が事情っていうかわたしがガチすぎたので布団は分けました。正しい判断だったと思います。
彼女がいる間、隙を奪えば手や唇のひとつやふたつ、なんならそれ以上だって踏み込めたはず。優しさのふりをして抱きしめることだって。でもそれをしなかったのは、彼女と構築していきたいのは刹那的かもしれない恋愛としてではなく限りなく永続的な人間関係を続けていきたかったから。
過去の話をする中で、お互い同性同士の恋愛に躊躇いがないことは確認できた。にゃるほどね。そしたらもう、あとは、わたしのことを好きになってもらうしかなくて、でも好きになってもらうために何かするとかは愚かな行為で、きっとわたしがわたし然としていればいつか彼女の目に留まるはずなのだ。そしてそれは彼女の目でなくとも、わたしとのすれ違いを交差だと感じてくれた誰かの目にも、映るはずなのだ。だからわたしは今日も明日も明後日も、美しく軽やかに、確固たる意志を持って、あるべき場所へと戻る人々を空港から見送る。
日本社会党中央執行委員長、議員淺沼稻次郞君は、去る十二日、日比谷公会堂での演説のさなか、暴漢の凶刃に倒れられました。
私は、皆様の御賛同を得て、議員一同を代表し、全国民の前に、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。
ただいま、この壇上に立ちまして、皆様と相対するとき、私は、この議場に一つの空席をはっきりと認めるのであります。私が、心ひそかに、本会議のこの壇上で、その人を相手に政策の論争を行ない、また、来たるべき総選挙には、全国各地の街頭で、その人を相手に政策の論議を行なおうと誓った好敵手の席であります。
かつて、ここから発せられる一つの声を、私は、社会党の党大会に、また、あるときは大衆の先頭に聞いたのであります。今その人はなく、その声もやみました。私は、だれに向かって論争をいどめばよいのでありましょうか。しかし、心を澄まして耳を傾ければ、私には、そこから一つの叫び声があるように思われてなりません。「わが身に起こったことを他の人に起こさせてはならない」、「暴力は民主政治家にとって共通の敵である」と、この声は叫んでいるのであります。
私は、目的のために手段を選ばぬ風潮を今後絶対に許さぬことを、皆さんとともに、はっきり誓いたいと存じます。これこそ、故淺沼稻次郞君のみたまに供うる唯一の玉ぐしであることを信ずるからであります。
淺沼君は、明治三十一年十二月東京都下三宅島に生まれ、東京府立第三中学を経て早稲田大学政経学部に学ばれました。早くから早稲田の北沢新次郞教授や高校時代の河合栄治郞氏らの風貌に接し、思想的には社会主義の洗礼を受けられたようであります。
当時、第一次大戦が終わり、ソビエトの「十月の嵐」が吹いたあとだけに、「人民の中に」の運動が思想界を風靡していました。君は、民人同盟会から建設者同盟と、思想運動の中に身をゆだね、検束と投獄の過程を経て、ごく自然に社会主義運動の戦列に加わったのであります。
大正十二年母校を卒業するや、日本労働総同盟鉱山部、日本農民組合等に関係して、社会運動の実践に情熱を注ぎ、大正十四年の普選を機会に、政治運動に身を挺したのであります。
すなわち、同十四年農民労働党の書記長となり、翌十五年日本労働党の中央執行委員となった後は、日労系主流のおもむくところに従い、戦時中のあの政党解消が行なわれるまで、数々の革新政党を巡礼されたのであります。
君が初めて本院に議席を占められたのは、昭和十一年の第十九回総選挙に東京第四区から立候補してみごと当選されたときであります。以来、昭和十七年のいわゆる翼賛選挙を除いて、今日まで当選すること前後九回、在職二十年九カ月の長きに及んでおります。
戦後、同志とともに、いち早く日本社会党の結成に努力されました。昭和二十二年四月の総選挙において同党が第一党となり、新憲法下の第一回国会が召集されますと、君は衆望をになって初代の本院議運委員長に選ばれました。書記長代理の重責にあって党務に尽瘁するかたわら、君はよく松岡議長を助けて国会の運営に努力されたのであります。幾多の国会関係法規の制定、数々の慣行の確立、あるいは総司令部との交渉等、その活躍ぶりは、与・野党を問わず、ひとしく賛嘆の的となったものであります。
翌二十三年三月、君は、日本社会党の書記長に当選、自来、十一年間にわたってその職にあり、本年三月には選ばれて中央執行委員長となり、野党第一党の党首として、今後の活躍が期待されていたのであります。
かくて、君は、戦前戦後の四十年間を通じ、一貫して社会主義政党の発展のために尽力され、君自身が社会党のシンボルとなるまでに成長されたのであります。淺沼君の名はわが国政治史上永久に特筆さるべきものと信じて疑いません。
君がかかる栄誉をになわれるのも、ひっきょう、その人となりに負うものと考えるのであります。
淺沼君は、性明朗にして開放的であり、上長に仕えて謙虚、下僚に接して細心でありました。かくてこそ、複雑な社会主義運動の渦中、よく書記長の重職を果たして委員長の地位につかれ得たものと思うのであります。
君は、また、大衆のために奉仕することをその政治的信条としておられました。文字通り東奔西走、比類なき雄弁と情熱をもって直接国民大衆に訴え続けられたのであります。
よごれた服にボロカバン
きょうは本所の公会堂
あすは京都の辻の寺
これは、大正末年、日労党結成当時、淺沼君の友人がうたったものであります。委員長となってからも、この演説百姓の精神はいささかも衰えを見せませんでした。全国各地で演説を行なう君の姿は、今なお、われわれの眼底に、ほうふつたるものがあります。
「演説こそは大衆運動三十年の私の唯一の武器だ。これが私の党に尽くす道である」と生前君が語られたのを思い、七日前の日比谷のできごとを思うとき、君が素志のなみなみならぬを覚えて暗たんたる気持にならざるを得ません。
君は、日ごろ清貧に甘んじ、三十年来、東京下町のアパートに質素な生活を続けられました。愛犬を連れて近所を散歩され、これを日常の楽しみとされたのであります。国民は、君が雄弁に耳を傾けると同時に、かかる君の庶民的な姿に限りない親しみを感じたのであります。君が凶手に倒れたとの報が伝わるや、全国の人々がひとしく驚きと悲しみの声を上げたのは、君に対する国民の信頼と親近感がいかに深かったかを物語るものと考えます。
私どもは、この国会において、各党が互いにその政策を披瀝し、国民の批判を仰ぐ覚悟でありました。君もまたその決意であったと存じます。しかるに、暴力による君が不慮の死は、この機会を永久に奪ったのであります。ひとり社会党にとどまらず、国家国民にとって最大の不幸であり、惜しみてもなお余りあるものといわなければなりません。
ここに、淺沼君の生前の功績をたたえ、その風格をしのび、かかる不祥事の再び起ることなきを相戒め、相誓い、もって哀悼の言葉にかえたいと存じます。
江戸時代には多くがツケで、毎月の晦日(月末)にまとめて支払うのが一般的でした。
月毎の支払いを待って貰っても、年の暮れの「大晦日」前には一年の支払いを終えなければなりません。
12月を師走と呼ぶのは、「何故、師が走るのか」と思いませんか。
「し」には「士」と「師」はありますが、「師」は現在でも特殊技能や指導的立場の人(俗にいえば偉い人)に多く使われます。
これは、日頃偉そうにしている「師」であっても借金の取立てだけでなく、支払いや支払い延期のお願いに奔走する事から名づけられました。
ツケは信用第一で、大晦日の決算ができなければ、生活もですが、信用もなくしてしまいます。日頃偉そうにしていても、支払いが滞れば偉そうにできません。だから東奔西走するのです。
意識の高い人々がブログ等で書く「生存戦略」はだいたい、いかにして金を稼ぐかの話をしている。俺のような意識の低いフリーランスにとっての「生存戦略」は文字通り、下手をすると死んでしまうかもしれない罠だらけの生活において、なんとか死なずに生き延びようという話である。厳密にいえば俺は個人事業主でなく一人会社だが、どちらにしても一人きりなのは同じだ。マイクロ法人とか色々と呼び方はあるらしいが何でも良い。意識の低い孤独な人間がどうやって仕事を得て、どうやって心をすり減らさずに仕事と向き合うか。そんな話を書きたいと思っている。
俺は一人きりの株式会社でWebエンジニアをやっている。他の業種にも当てはまるのか、あるいは全く普遍性が無いのかは分からない。
電話には出なくていい。気付かなかったことにして、あとでチャットワークかSlackで「先ほどはすみません」と言えばいい。そのまま文字でコミュニケーションが取れるなら取ればいい。相手がどうしても電話にこだわるクライアントであれば、そのときは仕方ない、徐々に距離をとっていき、最終的にはフェードアウトする。電話好きな人に構っている心の余裕はない。
だけど、たまに人の声が聞きたくなるときはある。この人と話をすると楽しい、と思えるクライアントであれば、その人からの電話には出る。孤独が紛れて、ふっと心が軽くなる。そんなときがあってもいい。ついうっかり「クライアント」などと意識の高い用語を使ったが、普段クライアントなんて言わない。お客さんと言っている。
メールよりチャットのほうが効率が良いというのは、同業者どうしの会話に限るのではないか。お客さんからの細切れのチャットは、電話以上に精神を摩耗させる。LINEやチャットワークの未読が10件や20件になっていると、見なかったことにして帰りたくなる。自宅作業だと帰りたくても帰れない。仕方ないので開いてみると、やはり見なかったことにして帰りたくなる。
頻繁に通知が来るのも辛い。スマホとPCどちらもチャットの通知はOFFにして、日に2~3回チェックすれば十分だ。間違ってもスマートウォッチなどに通知を飛ばしてはいけない。タスクの優先順位が狂って混乱する。
チャットで細切れの言葉を送りつけてくるお客さんより、メールで丁寧な長文を書いてくるお客さんのほうが、自分にとっては有難い。ちゃんとした文章を書ける人は、発注者としての能力も高いし、仕事に手戻りが少ない。メールを書ける人を大事にしよう。
100万円の案件を1つより、10万円の案件を10個のほうが遥かに楽だ。前者が10日間で片付くことはないが、後者が1日で片付くことは度々ある。見積もりを誤って工数が3倍に膨れたとき、プラス2日で済むか、プラス20日になってしまうか、というリスクも考えると、小さな案件をたくさん回していくほうが絶対にいい。
絶対にいいと分かっていても、金に目がくらんで100万超の案件をいくつも請けた。幸いにも見積もり通りの工数で収まった案件と、不幸にも3倍に膨れ上がった案件があった。他の案件のスケジュールが圧迫されて精神的に追い詰められた。今後はもう小さな案件しか請けたくない。
なぜ大きな案件を請けてしまうかといえば、営業の手間が省けるからだ。小さな案件を求めて東奔西走するよりも、一つの大きな案件を取ってきて、じっくりと腰を据えて作業できたほうがいい、と思ってしまったからだ。
これは必ずしも間違っていたわけではない。たしかに営業には行きたくないし、作業に費やせる時間を増やしたほうが売上は増える。どうやってバランスを取ればいいのか、まだ答えは出ていない。営業に行くたびに当初は自己嫌悪で死にたくなったりしたが、何年もやっていると徐々に慣れてきた感じもある。もうしばらく様子を見てみようか。
小さな案件なら納品翌月にはお金がもらえる。これはとても精神衛生に良い。それでも度々、預金残高が厳しくなるときはある。生活費を差し引くと、税金や健康保険料を払うお金が残っていない、あるいは生活費すら確保できないときもある。この段階で早くも死んでしまう人がいるかもしれない。俺もメンタルは豆腐だけど、ここで死ぬのはあまりに早い。
意識の低さには自信があるのだが、ここだけの話、俺が起業の元手にしたお金はキャッシングである。会社勤めをしていたある日の昼休み、当分の生活費として50万円を引き出し、そのまま自宅に帰って二度と出社しなかった。このときの経験を活かして、いざとなれば借金があるじゃないか、大丈夫大丈夫と自分に言い聞かせている。借金くらいで人は死なない。
もちろん借金が積み上がれば経営は破綻するから、一時的な「つなぎ」として利用する。借金の総額は、生活費1~2ヶ月分が上限だった。小さな仕事をたくさん請けて、入ってきたお金はちゃんと返済に回す。少しづつでも返済できていれば、精神的な負荷はだいたい許容範囲に収まる。
親族に貧乏人が多いおかげで滞納についての知識を持っていたこと、これが幸か不幸かは分からない。親が裕福であれば金を借りれたかもしれないが、親は俺以上に意識が低く、公共料金や税金や保険料を滞納している。しかしそんな親でも還暦を過ぎてまだ元気に働いている。つまり公共料金や税金や保険料は「滞納しても大丈夫」ということだ。
具体的にどうすればいいか。窓口へ相談に行けばいい。今は支払えないが〇月頃にまとまった入金予定があるから、その頃までに〇分割で払う、などの具体的な返済計画を、役所の人も一緒になって考えてくれる。役所の窓口の人から個人的にお金を借りている訳ではなく、この人はあくまで仕事で窓口に立っているだけなのだから、こちらもまったく萎縮する必要はない。
社会保険料、本当は口座振替にすべきだけど、収入ないときに生活費を引き落とされたくないから、未だに振込用紙をもらっている。早く振替できるくらいに収入を安定させたい。
意識の低い人間にとって最大の難関である。タスクが山積みなのに朝は起きれない、夜は寝てしまう、昼はネットばかり見ている。いつ仕事をするのかといえば、〆切ギリギリに徹夜をする。そんな生活をずっと続けてきて幸いにも問題なく乗り切れてしまい、さらに仕事を増やしたところ、あっけなく破綻した。やはり仕事はスケジュール通りに規則正しく進める必要がある。夜は眠らなければ心身が壊れる。
初めのほうに書いた「案件」と被るが、大きなタスクを小さなタスクに分割するのは、意識の低い人間にはハードルが高い。そういうのが得意な人に任せてしまったほうがいい。小さなタスクだけを割り振ってもらい、それが終わったらまた次のタスクを与えてもらう。小さなタスクどうしが重ならないようにスケジュールを組む。それがいい、というより、それしかできない。
ノートPCとデスクトップPC、どちらも一長一短あるが、映像や画像処理などの重い作業でなければノートで十分だ。デスクトップにつないだ4Kの広大な画面は、自分にとってはあまりに広大すぎた。広い画面を活用するためにTwitterとかRSSリーダーとか開いてしまって仕事が進まない。ネットサーフィンが効率化されてしまい仕事の効率は落ちていた。それに気付くまで何年も無駄に費やしたが、今はノートPCに落ち着いている。人間が集中するには、ある程度は視野を狭める必要がある。
もうひとつの切実な問題として、広大なモニタを見続けていると眼精疲労が激しかった。そしてなぜか精神的な負荷も高く、ついにはデスクトップPCを立ち上げるだけで激しく憂鬱になった。おそらく情報量が多すぎるのだ。見るべきもの・処理すべきものが大量に迫ってくる。これはよくない。ノートPCの小さな画面であれば、適度に分割されて仕事が押し寄せてくる。意識の低い人間の脳には有り難い。
ツールは何でも良いのだが、考え方としてGTDには助けられた。気になっている物事をすべて書き出してしまう。優先順位をつけたあとは、いったん頭を空にする。これを習得してからは脳の負荷がとても減った。山積みのタスクに苛まれて頭を抱えることが少なくなった。とにかく人間の脳には限界がある。余計なことを考えずに、一つのことだけ考えればいい状況にしたい。
タスク管理ツールは ClickUp https://clickup.com/ が使いやすい。大きな会社の場合には分からないが、フリーランスなら他の選択肢はたぶん無い。
案件管理ツールは Board https://the-board.jp/ が良い。小さな案件をたくさん登録しても、上手いこと整理してくれる。請求書を郵送したり、メールを送ったり、自分ではやりたくないことを代行してもらえる。
チャット等をまとめるツールは Biscuit https://eatbiscuit.com/ja が良い。
いい加減もう眠いので書くのをやめたい。この記事で何を訴えたいわけでもなく、自分自身の思考の整理のために書いたような気がする。本当はもっと書きたいことがあった気もするが今日はもう眠たい。
ひとつ重要なことを書くと、フリーランスは気をつけないと簡単に病む。自覚したときにはすでに相当追い詰められてる場合があり、なるべく早めに自分自身の病に気付いて対処する必要がある。そして何より、病まないためには「無理をしない」ことが大切だ。
苦手なことからは逃げる。危ないと思った仕事は請けない。狂ったお客さんの電話には出ない。地雷を踏んだらサヨウナラ。地雷さえ踏まなければ、意識が低くともなんとか生きていける。生活は貧しくとも、たとえ税金を滞納しても、還暦過ぎまで働くことができる。
金を稼ぐことは意識の高い人々に任せることにして、意識の低い俺たち私たちは何よりも死なないことが大切なんじゃないですかね。まとまらないけど、もうちょっと仕事してから寝ようかな。
半年ほど前。大卒から一筋で貢献してきた会社においての待遇が悪くなりそうで悩んでいたところ、以前から懇意にしていたある会社の経営陣から熱心に口説かれ、運良く役員として入社した。
誘ってくれた彼らへの恩返しの気持ちもあるが、そもそも期待される仕事は未経験でありながらも、事前にあらゆる事例を見聞きし研究したことで自信はあったので、全力で遂行すると心に誓った。
入ってみるとその社内は、古株達が大した仕事もせずに胡座をかき若手の意見を封殺しいる始末で、様々な問題を抱えたままでいる事に気づく。まさにそのど真ん中で自分が解決に向け東奔西走する日々。経営陣などを説得してとにかく必死にあの手この手で解決策を講じていった。
事前学習の知識から意思決定をする自分に対して、保身のためであろう反対意見を呈すベテラン部下の意見ほど無価値な物は無くむしろ害でしかないので、根回しして自分の直下から排除するような汚れ仕事もした。
しかし、こんなに尽くしているのにこの半年で公式非公式含めると複数回コンプライアンス違反を告発された。セクハラだモラハラだパワハラだ、と。
ぬるま湯に浸かった連中にとって自分のやり方は強引にうつったようで、その反抗でハラスメントなどという誹謗中傷が噴出したわけだ。これ以上はさすがにまずいので、ほどほどにせねばならない。
そんなことがあっても経営陣から自分への信頼が厚い事は泣けるほどありがたいが、自分の戦いはまだ始まったばかりだ。あの感動を与えてくれたラグビー日本代表のワンチームのような優れた組織に作り直すのが自分の役目なのだから。
きっと仲間はいると信じれば孤軍奮闘、誹謗中傷の日々も辛くはない。そんな自分へのご褒美に、高い酒をたらふく飲む。いやほどほどに。
私がなぜ「女の価値は締りだけ」と主張するようになったのか。
それは、たった一度でしたが、素晴らしい締りの女と出会ったからなのです。
あれは、2006年頃の新宿のリンリンハウスに入り浸っていた頃の話。
まあ、援助という名の売○婦が数多くいました。
その中に、フィリピン人のハーフだという20代の女がいたのです。
メイクが上手なのか、めっちゃ日本人の美人、という感じでした。
す、するとです。
強すぎず、弱すぎず、絶妙な締り具合で、あっという間に昇天(w
うまく説明できないのですが、あれあれあれれ、ああああ、うううぅううううぅううううぅ~☆ てな感じ。
ちょっと見下された感があったので、「すごい名器だね!」と褒めちぎり。
すると彼女も「よく言われるよ」と誇らしげ。
で、身の上話を聞ききつつ回復を待ちました。
なんでも、お金持ちの男との間に子どもがひとり。だけど、認知もしてくれないし、連絡もとれなくなっている、という。
誰か良い弁護士を紹介してほしいと。テレクラで出会った男に相談する話かなと思いつつ、共感を表明。
こんな気持ちいいアソコなら、誰もが一発中だししたいよな、と独り合点。
するとムクムクと復活し、2回戦目に。
恥ずかしい話、すぐイッちゃいました(w
電話番号を交換したのですが、携帯を落としてしまって、それ1度きりになってしまったのです。
それからと言うもの、アソコの締りのよい女をもとめて、東奔西走。
一度だけ、60歳の美魔女(っぽいババア)が、乾き気味のアソコが妙に締まっていて、かなり良かったという体験があったものの、ほとんどは緩マン。
逆に、キツすぎて痛かった子は、2人いたけど、何度もする気にはならなかった。
はっきり言って、顔なんてどうだっていいわ。
いじめは絶対になくならないと思う。ニュースなんかでもいじめで自殺してしまった子どもの話題は定期的に見かけるし、SNSでもいじめの話題は目にすることが多い。そんなとき、いじめをなくすために云々を言う人がいるが、正直いじめをなくすために東奔西走するくらいならいじめが発覚した後の対策を増やす方がよっぽど生産的だと思う。だって考えてみてほしいんだけど、いじめってなくなると思う?道徳教育とかいじめの厳罰化とか、そんなんで子どもがいじめしません!って言うと思う?そういう対策でいじめをしなくなる子はそもそも積極的にいじめをやる子ではないのではなかろうか。どんなに対策したって大人の目の届かないところでいじめをする子どもは出てくるだろう。厳罰化なんてしたら尚更、発見されないより陰湿ないじめが増えるだけだろう。いつまで不毛な議論がされるんだろうか。
落合氏は高名なコンピューター技術者でメディア露出も多いことから、同様の状況の親たちへの励みになればと写真を公開することにしたらしい。
これについて、まあ当然というべきか、外野がいちゃもんをつけているというのが現状ですな。
曰く、子供の写真を当人に断りなく世界中に発信するのはいかがなものか、しかも先天性の奇形を晒すのはいかがなもんかと、まあそんなところでしょう。
この手のいちゃもんがつくのは自然現象に近くて、梅雨に雨の日が少ないと夏に水不足になる、みたいなもんで
あるいはおいしいブドウを皿に盛っておくといつの間にか小虫がたかる、みたいなもんで、まあ話題のあるところには当然生じるし、ある程度避けられないと思う。
かくいう私もその虫の1匹に過ぎないんですが、まあ聞いてくだされ。
今回のはよくなかったね。
何がよくなかったって、写真公開するのは息子が成人したあとでもよかったはずなのに、勇み足でわざわざ公表したことについて、よくなかったと思う次第。
だってこの後ご子息が真っ当に成長する保証はどこにもない。今時お医者さんに行けば口蓋裂なんてなかったみたいにきれいに治してくれるけど、まだ治療が完了してもいないうちから公開する必要はなかった。治療が終わって、きれいにしてもらって、健やかに大きくなって、それからご子息本人にこれこれこういう理由で赤ちゃんの頃の写真を公開したいいんだがいいかな?って確認を取ってからでも遅くなかったはずだ。
そうしなかったってのはやっぱり、自身のために公表したかったんだって思っちゃいますよ。なんだか知らんけど。
あるいは競合する第三者に手柄を取られる前に自分の権利を主張しておくという習慣なのかもしれないけれど、とりあえず現時点で公開して得する人はほとんどいないだろう。
しかもそのことを氏がわかってないはずがないんだよね。めちゃめちゃ優秀な方だからね。
かくいう私の姉も口蓋裂で生まれてきた。母は東奔西走してお医者を見つけてきて、姉を治してもらった。今から50年以上前のことだ。奇形に対する偏見も相当なものだったろうにすごいことだ。
甲斐あって姉は今も元気にしているし、完全に健常人だ。見た目にもほぼまともで、口蓋裂でしたと言われなければわからないだろう。
だが母は死ぬ間際に姉について「満足に産んでやれなかった」と悔いていた。そんな風に思ってるなんて、私はずっと知らなかった。
今時口蓋裂はきれいに治してもらえる。それでもなかったことにはならない。
私は結婚していないけれども、それは自分の意思で結婚しないことにしたのだけれども、母は私のこともきょうだいに奇形児がいるから結婚できなかったんじゃないかと責任感じていたと思う。
落合氏のご子息はどうだろうか。後から生まれてくる彼のきょうだいはどうだろうか。彼の母親はつらくないだろうか。今後死ぬまでつらくならないだろうか。公表しなければよかったって後から思ったりしないだろうか。
落合氏のやってることは美しいけれども、我々のような人間のためにやってくれているのだけれども、ありがたいと思うのだけれども、心の底から感謝はするのだけれども。
私は結婚式に参加したいと思わない。というより参加したくない。
その理由は様々だが、基本的には「会いたい人にだけ会いたいから」という言葉に集約される(ように思う)。
以下に、結婚式などに参加することの個人的なメリット・デメリットを列挙する。
〈メリット〉
・仲の良い人のお祝いができる
〈デメリット〉
・特別会いたい人と思わない人たち、知らない人たちとも会わないといけない
・近況報告の場にもなるのでその対応もしないといけないのが大変
・身なりの準備が必要になる
そう。メリットとデメリットの比を見ればわかるように、私は結婚式を「楽しい」と思わない。
勿論、「結婚式は楽しい」「盛大にお祝いしたい」という人たちをどうこう言うつもりも馬鹿にするつもりもない。
楽しみたい人たちには思う存分楽しんでもらいたいとすら思う。
ただ言いたいのは、「それを強要しないでほしい」ということだ。
例えば、結婚式に参加しないという理由が「仕事でどうしてもいけない」という類のものなら主催者側も納得できることが多い(と思う)。
しかし、その理由が「結婚式が好きではない」「結婚式というものを楽しいと思わないから」という類のものであった場合、おそらく多くの主催者は陰性感情を抱くだろう。
彼ら・彼女らは結婚式を成功させるべく東奔西走しているのだからある意味仕方のないことなのかもしれないが、それでも私は、前述のデメリットを理由に結婚式を楽しいと思わない。
ただそれは、私に「祝福の気持ち」が無いことを意味するわけではない。
私は、「結婚式に参加して共に楽しむ」という形ではなく、個人的に会って話をしたりご飯を食べたり、そんな形でお祝いしたいだけで、それ以上でも以下でも無い。
”結婚式に参加しないこと”は決して「嫌い」とか「会いたくない」ということの表明ではないのだ。
もし、関係者各位にそのことを頭の片隅に僅かでも置いておいて頂けたのならこれ以上の喜びはない(いやあるけど)。
今回のこのタイトル、
『いち風の戦士が書く~~』ってカッコつけてやろうとしたんですけど、
あまりにも偏見とか私感なんちゃらが入りすぎてたのでやめました。
同僚への配慮です。
(そのため、この記事には読む人によっては気分を害する内容が含まれている可能性があります。
心が穏やかな状態の人だけ読んでいただければ幸いです)
さて、大丈夫でしょうか。
まあ、こんな記事を好んで読むような方は、TB投票とはなんちゃらをよく理解しているだろうし、
私は日々、ミリオンスターズの一人、七尾百合子をプロデュースしており、
その七尾百合子は、
そこで私は、
Nカードの姿はちゃっかり本を抱えている。
(TA投票ではその要素を活かして『勇者役』を勝ち取ったりもしました)
そんなこともありまして、
SNSやコンベンションセンターではさほど荒れることもないく、
百合子が探偵一本に絞っていく!というのは早い段階で決まりました。
もしかしたらテーマと役が発表された時点で大本は決まっていたかも。
多くの票を一気に集中させ、盛大なスタートダッシュに成功しました。
②、コンベンションセンター、discordを用いた一斉投票企画
まあ意味合いとしては、いずれ消え逝くコンベンションセンターの代理と言ったところでしょうか。
それはさておき。
百合子陣営、一斉投票企画がとても上手く行っていた印象があります。
2位以下を大きく引き離しました。
コンベンションセンターやdiscordでの意思疎通はとてもスムーズに行き、
(これも、役がピッタリハマっていたことが一要因ではあると思うが)
これは若干反則技のような気もしますが……。
多くの票数を獲得することができました。
初限定SSRカード、イベント上位報酬、Princess Starsのイベントにも参加……。
ミリシタの第二弾PVでは扉を開いて入ってきたプロデューサーを出迎えたのは百合子でしたし。
39人のミリオンスターズの中でも、百合子は特別な優遇をされていました。
あまり声を張って言うようなことでもない気がするけど……。
さて、これで四つです。
ぱっと見たところ、どうですか。
これ絶対に勝ってるやつやん。
……自分でも書いていながらそう思いました。
とてもスムーズに事が運んだ印象です。
それでなくても、風の戦士たちです。
ミリオンスターズの中でも最も大きな派閥と言っても過言ではない。
その勢力が、決まりきった役どころに、すべてをかけて、役を取りにきた。
でも、
負けたんですよ……。
この記事を書いている現在(1月27日)、まだ正式な結果は出ていませんが、
その差、6万票ほど……。
圧倒的な敗北でした。
流石に6万票差……。
幾ばくか票数は変わるとのことですが、
それでも6万票差……。
(それに不正投票の除外を期待するのはなんだかイヤですし)
百合子Pたちが……。
圧倒的な票差をつけられ、破れました。
はい。
本当にですよ。
本当に、勝つ要素しか無かったんですよ。
言い訳がましいですが、それでも本当に、
スタートダッシュを決め、
更には、百合子が2位に陥落した時、
百合子を勝たせようと、多くの他担当Pが助力をしてくれました……。
それでも、負けたんです。
勝ちに不思議な勝ちあれど、
負けに不思議な負け無し。
本当に、どうして負けたのか……。
抜いた抜かれたの大接戦を繰り広げた後に
僅差で破れでもしたのなら
天災……。
天災。
……。
それだけなのに、致命的すぎた。それが致命的だった。
巻き込まれたら最後、他のどのアイドルでも太刀打ちできなかっただろう。
……こんな感じでしょうか。
そうでもしないと、納得ができないというか。
反対に、『探偵白石紬』の敗因となりえた部分にも触れておきますか。
TB投票イベが始まってすぐ、白石紬は総投票数ではトップクラスに躍り出ました。
その反面、特定の役で1位になることは長らくありませんでした。
3テーマ15役全てのトップ5に入ったこともあるくらいでしたし。
TA投票時の北沢志保……。いや、それ以上の死票が出たのではないでしょうか。
普通、あれだけ死票を作ってしまえば、後々取り返すのが苦になるものです。
実際、そうでしたし。
②、ゲーム内コンベンションセンターが無いという事実。
グリマスゲーム内コンベンションセンターがありませんでした。
投票が始まった直後は意思疎通をする場も無く、担当Pは大変だったのではないでしょうか。
……こんな感じでしょうか。
多くの勝因を備えた七尾百合子。
そして、勝敗の結果は先のとおりです。
本当に、運。
運の悪さ。
……。
少し、前言修正。
そういうことは決して思いません。
決して、決して。
意見をまとめあげ、役を決定するまでには多くの苦労があったことでしょう。
ただ、それでも、
それらを乗り越えての6万票差という結果。
それらは説明がつくのかというと、
やはり、難しいのではと思うのです。
そして、もう一つ思ったのは、
その勢いは、既に全盛期のそれでは無いのでは……。
ミリシタでの『Growing Storm!』イベも、ボーダーが跳ね上がるということは無かった……。
たった、それだけの存在であった……。
ええっと、なんだっけ。
……にしても、書きたいことは書けたはず。
うん、多分。大丈夫。
ここまでこの拙文を読んでくれた方はいるのでしょうか。
もしいるとしたら……。ごめんなさい。変なものを読ませてしまって。
ただ、本心です。
運悪く、天災のような勢いに飲み込まれ、役を得られなかったこと。
それらを、なんとか文にしたかったんだと思うし、それができてよかったと思っています。
で、文を書いたなら締めないといけないんですけど、
どうやって締めたものでしょう……。
まあ、そうですね。
二度ある事は三度あると言いますし
また投票イベがあることを信じながら、
もし、次の投票イベがきた暁には、
いや、ゼッタイにあげてみせる!
みたいなことを決意しながら、この拙文を締めようと思います。
お疲れ様でした。
クワバタオハラのくわばたが医者に噛み付いた件は記憶に新しい。
http://news.livedoor.com/article/detail/13039302/
このタイプは、些細な病気や怪我すら自分で学習し判断する事を捨て去って、誰かが言った事を忠実に守り、信じる事で治ると思っている残念な人だ。
要はおもいっきりテレビ→あるある大図鑑→ガッテンという変遷を間違いなく通っており、家庭の医学、主治医が見つかる診療所、その原因Xを欠かさず見ている。
些細な病気でも医者に掛かり、言われたことを守れば非常に良いのだが、このタイプは一定時間経過すると、自分の中で結論を作って医者にかかるようになる。そして、前述の番組等の知識を元に医者と口論し、最後には医者の助言を信じず薬だけ貰うのだ。
だが、そもそも「誰かが言った事を盲信する」性質なため、医者以外の何かにすがらないといけない。その時に行くのが知恵袋(WELQ,ドクターズミー、ヘルスケア大学)だ。
医者でも何でもない人が書いている文章から、自分の意見と同じのを見つけたり、自分に同情的な回答にBAを付けて満足し、そもそもの病気は良くならないのだ。
例えば、この時期に多い「アレルギー性鼻炎」で検索すると、様々な人が相談している。
BAついているのは医者じゃない解決法(ハウスダストは無くそう、漢方薬飲もう)をやっている20年選手とかだ。ダイエットに変えてみると、「10kg増えたんだけどどうすれば?」って問いに、「20年肥満だけど、俺はリンゴダイエットでこれ以上増えてないよ」って回答している人にBAしているようなもんだ。
そもそもアレルギー性鼻炎は、アレルギー源を避けるのも重要だけど、発症したら諦めて、痰を出しやすくしたり鼻づまりを出やすくしたりして、1週間ほど生活してれば落ち着く。根本的治療は現時点でもほぼ無い。微熱出るのは抗体反応なんだから仕方ない。ぶっ倒れるほどじゃないので無理しなきゃ日常生活は余裕だ。
なのに、医者より知恵袋な人は絶対完治を合言葉に東奔西走し、「楽にする薬出すんで、様子見ましょう」という医者はヤブ扱いし、医者でも無い人の薦める漢方薬を医療費以上の金額で買って、症状が治まらずに「このまま一生こうなのか・・・」と勝手に落ち込んで、酷いとうつ症状が出る。
もちろん医者にも酷いのは居るが、どうせ信じるなら素人より医者を、もっと重要なのは自分自身で調べて納得する事だと思う。前述の番組の内容だけでなく、かかった医者の話も聞いて、総合的に自分で判断したのなら、イワシの頭でも治ると思うが、ほとんどの人は総合的判断をした時に、知恵袋等の意見を信じることは無いはずだ。
まぁ、民間療法とかからは困るんでこのまま馬鹿が多い方が良いんだろうな。メンタルと整形外科方面は医者信じられたらマッサージやカイロ潰れるしね。
悪いことは言わないから行った方がよい。つーか、行っとけバカ。理由は、「それが『親戚づきあい』だから」。
あなたが、その親戚の集まりを回避したい理由を、あなた自身が完全に理解しているかどうか、ざっと読んだだけでもいろいろ想像できるが、そこはあえて問わない。それよりも、切実にあなたが考えるべきことがあるのだから。それは、親戚づきあいというのは、儀礼化するほど簡単になり、儀礼を避けるほど煩雑になるという事実だ。年に一度五時間で済む、というのは、おそらく現時点で「最も儀礼化された簡単な親戚づきあい」なのだ。
あなたは、正月のその5時間以外の機会に、祖父母宅に行ってきなさいとか親戚づきあいを強要されたりしたことがあるだろうか? 多分ないのだろう。年に一度のそれが、黙って逃げ出すほど苦痛だというのは、多分そういうことなのだろう。逆に言えば、「年に一度の5時間を付き合う」ことによって、あなたは一年間分の親戚づきあいを免除されているわけだ。そこを考えたことがあるか?
あなたの家の正月のその5時間は、あなたの両親にとって、自分の親(あなたの祖父母)に対して「うちはこんな風にきちんと子育てしてますよ、干渉していただかなくても大丈夫ですよ(ニッコリ」というアピールをするための機会になっているだろうと想像する。あなたの両親も多分バカではないのだから、娘が自分の祖父母とあまり親しんでいないことは理解している、そして、あなたに祖父母周りの親戚づきあいを無理強いしようとしているわけでもないのだろう。これまでも、たぶんあなたの知らない所で
というようなやりとりが何度もあっただろうことは容易に想像される。言い換えれば、あなたの両親は、あなたのためにそうやって親戚づきあいの防波堤を務めてくれているのだろう。だから、年に一度だけ娘を祖父母宅に「見せに」連れて行くのだろう。それをバックレる?
言っておくが、あなたがその時間を「楽しくない」と感じるのは当たり前のことだ。その時間は「あなたを楽しませるための時間ではない」。あなたという存在が、親戚を安心させ、楽しませるための時間なのだ。そんな時間が、あなたにとって楽しければもちろん言うことはないのだが、仮に苦痛だとしてもそれは当然のことだ。だが、苦痛だからといってそれは避けることができる類のことなのか。あなたはその対価を「お年玉」だと思っているが、それは非常に浅はかな考え方だ。この一事だけで、あなたがご両親に大切にされて(言い換えれば充分に甘やかされて)育てられていることが分かる。
あなたが無断で逃走したらどうなるか? 菓子折をもって正直に「娘は来たくないようなので…」なんて言えるわけがない。そんなことを言ったが最後、「心配した親戚一同」が、あなたを探して東奔西走走り回る羽目に陥ること請け合いだ。いとこをはじめ、叔父さん叔母さん、祖父母がみんな、「ぬくぬくこたつで過ごす5時間」を捨てて、あちこち走り回ることになるぞ。場合によったら正月早々警察沙汰になってもおかしくない。高校生の娘が何も言わずどこかに行くというのは、「善良なご親戚一同」にとったら、それぐらいインパクトのあることなんだよ?
それを分かっているご両親は多分、「体調が悪くて寝込んでいて……いえいえ大したことではなくて…」みたいなごまかし方をするしかないだろう。場合によったら、父親が行って言い訳に、母親は「看病」という名目であなたを探し回る…そんな感じになるかもしれない。そして結局別の機会に、また「ご機嫌伺い」に訪問しなくてはいけないイベントが発生するだけだ。なんのかんのと理屈をつけて。だから、年に一度顔見せにいかなくてはいけないのは結局同じだ。むしろ、ご両親にしてみれば、祖父母に嘘は誤魔化さないといけないわ、娘は探し回らないといけないわ叱らないといけないわ、正月だけでなくまたあらためて訪問しなくてはいけないわ、と二重三重に手間である。仮に連絡されたら、警察だって大迷惑だ。それだけでなく、祖父母のお見舞い攻撃、様子伺いの電話攻撃、あるいは、「ひょっとして嘘付いてバックレてる?ような娘を育てた躾失敗疑惑への釈明」まで、とにかく面倒この上ないことになる。両親からあなたへの叱責も、そもそも誰にそんな考えを吹きこまれたんだ、とか、日頃の生活状況から思想状況までつっこまれ、場合によったらインターネット使用禁止とかスマホ取り上げとか、そういう騒ぎになってもおかしくない。お年玉なんてむしろ些末な問題だ(おそらく両親はあなた宛の「お年玉」を預かってくるだろう。そして、あなたは「病気が治り次第」、お礼の電話をかけ、次回の訪問を約束し、そして、両親に伴われてか一人でか、「正月の5時間」以上に苦痛な時間を過ごさなくてはならない羽目に陥ることは確実だ。)
あなたの「バックレ」の対価は、あなた自身よりもむしろ、あなたを守ってくれているだろうご両親はじめ周囲に多大な負担となってのしかかることになる。そうなって初めて、あなたは自分の「責任」が、自分の年玉ごときを対価にできないほど大きい物であることを知ることになる。「お年玉いらないからバックレてもいいでしょ?」ハッキリ言うが、それが甘やかされたバカ娘の戯言にしか聞こえない、というのは、こういう事情だ。「行かなくてもいいんじゃね」という理屈にもし一分の理があるとすれば、あなたが明日から独立して、親も親戚も全て捨てて、一人で生きていくから構わない、と言える場合だけだ。その覚悟がないなら、あなたにこの件についての決定権などない。(こういうことを、あなたの親は面と向かってあなたには言えないだろうから、代わりに言う。)
だから、悪いことはいわない。正月の親戚への挨拶づきあいなど、「儀礼」として淡々とやり過ごしておきなさい。親戚づきあいは「儀礼」で済ませられているウチが、一番平和でいいのだよ。用意した菓子折をもって、親に感謝しながら、殊勝なできた娘のような顔をして、「こないだ見つけたおいしいお菓子、みんなに食べて貰おうと思って買ってきたー」と、ニコニコ愛想を振りまいてきなさい。できれば、大しておいしくない菓子だったりすればするほど、ほほえましさが増していいよ。
秋の行楽シーズン。
旅行先に限らず運動会などでもカメラ片手に東奔西走するパパママ達がこれでもかというほど目に入ってくる。
一生懸命に子供の姿を写真に収めようと奮闘しているわけだが、大半の方に惜しいと感じることがある。
一生懸命に走り回るところまでは良いのだが、いざ追いついてみると直立の姿勢でパシャ。また走っては追いついて直立のままパシャ。
惜しい。非常に惜しい。
当然大人の方が子供より背が高いので、大人が立った姿勢からシャッターを切ると子供は頭ばかりが大きくて足が短く写ってしまうことになる。
しかも大人目線から子供の顔を通り抜けた先は地面。周りの景色も写らなければ奥行き感の乏しい写真の出来上がりだ。
そこまで頑張って走ったなら、もう一頑張りしてしゃがんでみよう。
子供と目線の高さを合わせてみることで、その子供が見ている世界が見えてくる。
その世界とともに子供を写真に収めてあげれば、あなたの写真は「子供の写真」から「子供のいる世界の写真」に変わることができる。
確かに上目遣いの子供もかわいいものだ。でもそれは、子供が親に視線を向けている時だからこそ。
親の目線からの写真を表現するときにこそ使うべきアイレベルといえる。
このように、アイレベルとはつまり誰の目線かを表現するためのものである。
さて、写真が上手になってくると人から写真を頼まれることも増えてくる。
今までは自己満足でよかった世界に、急に他人の評価が入り込んでくるのだ。
ではどの高さにアイレベルを合わせるのが最も無難といえるのだろうか。
レンズの画角にも左右されるが、レンズ選びのできない方が使う標準的なレンズでは足が長く頭の小さい写真になる。
一見誰もが喜びそうな変化といえる。
しかし、写真に撮り慣れない被写体は、顔をあなたのレンズに向けてくるだろう。
引きすぎた顎は二重にたるみ、見下ろすような目線は威圧感に満ちあふれ、実に高圧的で傲慢な写真の出来上がりだ。
余談だが、それらを避けるためにこうした角度からの写真は被写体にやや上方向の遠くを見てもらうような姿勢をとってもらうことが一般的だ。
広がる空に目を向けることで、未来や世界に対する広がりを感じられるからである。
それは、女性なら鼻下からおでこ。男性なら鼻下から鎖骨に合わせるというものだ。
一般的な話になるが、女性は瞳が魅力的に写る写真を好み、男性は謙虚ながら存在感のある写真を好む傾向にある。
細かい説明は割愛するが、その黄金率がそれぞれ鼻下を中心に5~10cmの範囲に収まっているといえるわけだ。
あくまで一般論であり最初に立ち返ればアイレベルは表現の入り口に過ぎない。
しかし、頼まれた記念撮影に撮影者の表現が強く現れてしまうことが好まいくないことも確かだ。
記憶の片隅にでも役に立つ知識としてとどめておくと良いであろう。
子供の素晴らしい瞬間を切り取るために恥じらいなんてものは些細な問題だ。
尻を突き出し、時には地面に這いつくばってでも収めた瞬間は、その経験も含めてかけがえの無いものなのだ。
こうして皆の理解がすすみ撮影者が自由になれる世界を心から待ち望んでいる。
とは言え、下の子を抱いたままだったり激しい腰痛をお持ちだったりと簡単に中腰になれない方もいるだろう。
そんな方にはチルト(バリアングル)液晶のついたタイプのカメラが激しくおすすめだ。
何だかんだで毎週楽しみにしていたアニメ、プラメモが終わってちょっと悲しい
振り返って見ると、脚本家が締切間際に「もうどうにでもなれえ~」と言いながら滅茶苦茶にして書いたような脚本だったな
プラメモのストーリーは「難病美少女の闘病と死(アンドロイド版)」というテンプレ以上でも以下でも無いというのが残念
脚本の構想10年なんて言うことも言われていたらしいが、これって丁度セカチューくらいの時代だったな
内容もどことなくその時代の雰囲気を醸し出しているし、もしかしたら、セカチュー辺りに触発されて書いた脚本なのかもしれないと思う
企画段階では、バトルものだったらしい。だったらそっちを見たかったよ。序盤の雰囲気から期待して、徐々に裏切られていく感じはここから来てたんだなと納得
話数が進むごとにゴリゴリと俺の中の期待値(と満足度)が下がって行ったわけだが、ここでその理由を振り返ってみる
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こんな条件を満たすSFって言うのはなかなか貴重なワケで、おまけに前評判として「シュタゲの林直孝が脚本」というのを全面に出して宣伝してたから期待していた
だった
シュタゲは面白かった。シュタゲに有ったもので、プラメモに無かったものは何だろう?
そう、
というワクワク感だろう
プラメモのなかでシュタゲの「改変した過去を戻せ」に匹敵するような問題解決の姿勢は見られない
つまり、シュタゲの名前を出して煽っていた割に、出てきたものは全然違うものだったわけだ
例えるなら、「銀座有名寿司屋の板前が作る創作料理」という謳い文句でトンカツやフレンチが出てくるような期待はずれだったのだ
なんか、いっそのこと、怒りに燃えるソウタ君vsアイラちゃんの方がよっぽど見たかった。プラメモガンとかプラメモソードを活用してガシガシバトルしてほしい
あるいは、アイラの寿命が近いことを知った主人公が東奔西走して、解決方法を探るというようなアクティブな話が見たかったんですけお!!!!