はてなキーワード: 入社式とは
○現場配属
入社前に配属や勤務地は通知されるが、現場に初めて行くのは入社式、入社時研修の後の2週間後くらい。
研修所では3食タダで出てくるが現場ではそんなことはなく、朝一番に出社して机拭きや上司のお茶汲みを新人にやらせるところもあるようだ。
研修所では作業前後の用具の点数確認や作業のダブルチェックを徹底されるが、実際の現場ではそんなことはなく阿吽の呼吸を求められる。
全てではないが小さな作業ほどそんな傾向があり、指示がないのに準備が悪い、作業が遅いと言われながら、成長し染まっていくのだろう。自分は染まらなかったが。
○飲み会
古き良き(?)日本の伝統が残っている。
とりあえずビールから始まり、上司のグラスを空にしてはならず、継ぎ足していかねばならない。正直ビールがぬるくなり好きではない。
だんだんと酎ハイやハイボールを頼みだすと、やはり量が減ってきたらおかわりを確認しなければならない。このタイミングが難しい。
飲み干すときだと遅く、残り1/3くらいの絶妙なタイミングがあるようだ。
彼はその分野において権威だった。著書は何作もあり、そのほとんどにおいて高い評価を得ていた。にもかかわらず、彼は教育熱心でもあり、教授然とした態度ではなく、気さくに、いち個人として学生たちと接してくれていた。
教授の教育は、人を信じることから始まった。難しい問いをかければ、安易に答えを出さず、まず質問者がどのように考えているかを聞いた。それを傾聴したあとに慎重に自分の意見を言った。決して押し付けたりすることはなかった。ゼミの内容についていけない生徒がいれば(わたしの友達はまさにそうだった)、さりげなくフォローし、適切な課題を与える。相談したいことがあれば、当たり前のように、自身のプライベートな時間でも面談をしてくれる。友達が個人的な悩みについて相談をしたいとメールをすると、家庭もあるのに22時から面談をしてくれた。にもかかわらず開口一番、遅い時間に申し訳ないと言われたそうだ。どうしてもしなくてはいけないことが立て込んでいて、といった教授の後ろでは、教授の子供の声がしていた。
友達は彼のような教育者にはあったことがないと言っていた。話を聞くかぎり、それはひいき目はあるものの、おおむね正当な評価のように思えた。世の中には先生と呼ばれるだけで、自分が偉くなったと勘違いしている大人が多く存在し、そういった人々にわたしたちは子供の頃から辟易させられていたからだ。
友達は彼のゼミに所属したことで、専門知識はもちろん、人間的にも大きく成長できたと言ってはばからなかった。彼はもともといい奴であったが、適切な時期にメンターに出会い、成長し一皮剥けた。青年期によくある、しかし人生に大きな影響を与える出会いだった。彼はその出会いに感謝していた。
皆に愛されていたそのゼミを卒業するときに、ゼミ生たちみんなでお金を出し合って、ブランドのネクタイをプレゼントした。教授からもゼミ生たち個人個人にプレゼントをくれた。友達はタイピンをもらって嬉しそうにしていた。友達は進学するか、就職するかにおいてもかなり悩んでいた。いっときは本気でその教授のようになりたいと考えていたようだ。友達以外にもそういう生徒は多かったし、大学院への進学率は教授のゼミだけ突出して高かった。結局、友達は就職したが、Facebookにアップされた入社式の写真の胸元には、教授にもらったタイピンがあった。友達は卒業後も教授と交流があったらしく、教授が新刊を発売すれば、自分の恩師だと宣伝に協力していた。彼のSNSのプロフィール欄には、教授の名前を冠された研究室所属であったことが、誇らしげに記載されていた。
ニュースはその大学教授が、未成年に対する性加害者だったことを伝えていた。
信じられない思いでいたが、日を追うごとにおぞましい行為の数々が暴露され、それが事実であることを告げていた。
友達は、なにを思っただろう。わたしはその一連の事件に対し、彼がなにかしらの態度を示すものだと思っていた。
しかし、彼はなにも言わなかった。
過去の教授との写真を消すこともなかったし、教授の研究室所属であったプロフィールを消すこともしなかった。
教授が犯した罪を擁護することもしなかったし、糾弾することもしなかった。
しばらくの間、沈黙をした後、何事もなかったかのように日常の発信に戻った。
そして見知らぬ子供を、取り返しのつかないほど傷つけている教授。
二つの人物像はわたしのなかで別々の人間がなした別々の行為のように感じさせられた。
ひとりの人物について、語ることはとても難しいことだと思う。
生まれた年代はほぼ同じだけど、私は完全にバブルの恩恵を受けたほうの人間。(男)
私はたまたま小さい頃にコンピュータに興味を持って情報処理課のある商業高校に行って、
高卒の年はガチのバブル絶頂期だったから就職活動はほんとにほんとに楽だった。
どこも人が足りないって言って、地場の上場企業やF士通みたいな会社からでも高校に引き合いが来てたし
情報処理二種(今で言う基本情報)を取ってた数少ない生徒だったから
結局は社員1000名くらい?の中堅なりかけレベルのSIerに入って、10年くらいで転職しちゃったけど。
歓迎会やら周年のイベントなんか当然のようにクラブ(当時クラブって言ってたっけか?)借り切って
ウェイウェイだったし、同期のやつらは入社してすぐクルマ買ってた。
先輩のクルマでスキーつれてってもらったりしたな。シルビアとカリーナEDが最強みたいな時代。
そんな浮かれムードも3年くらいで一気に冷めて、あとはこの増田の書いてるとおり。
四大なんか意味ないから短大か高卒でいいって言われてたのは本当。
入社式ってほぼ男じゃなかった?
4月といえば、出会いのシーズンなんていうだけあって、入社式だとか入学式に向かうフレッシャーたちと街中ですれ違う機会というのも多いものですよね。
スーツでピシッと決まってる立派な姿を見ると、他人ではありますが、思わず親の気持ちにもなってしまいます。「あんた、こんな大きくなって……」
嬉しい反面、親元を離れていくことに少し哀しさも覚えます。思わず涙がこぼれてしまうことも。
けど、振り返って、すれ違った立派な彼女たちの後ろ姿、ジャケットのベントの部分をみると少し安心しちゃうんですよ。スーツには不格好な白いしつけ糸。「ああ、まだまだ子どもだなあ。」
10年前、長男の大学の入学式の朝、しつけ糸が付けっぱなしになってるのを教えてあげなかったことを思い出した。いじわるなお母さんでごめんね。「しつけ糸」は親離れしてほしい思いと親離れしてほしくない思いの混ざった複雑な親心が課す最後の試練なのかもしれません。
慣れない革靴で歩きづらそうにしていた長男も上京してもう5年、来月には結婚が決まりました。何歳になっても、家庭を持ってもいつまでも母親でいさせてください。
「金のために働いているのに仕事で金がかかるってなに?」の最悪な形を食らってしまった。
ゆーて「会社が初手リモートワーク可能ならそもそも実家から繋ぐんだが?」「スーツって実質作業服なんだから貸与するべきじゃね?」という気持ちはありますけどね。
でもまあ世間一般の慣習的には自腹が普通らしいし、会社指定のスーツとか言ってF1レーサーみたいに全身がロゴマークで覆われている服来てランチ食いに行くのはツラすぎるからまあしゃーなしですね。
あっ……よく考えたら建設会社の作業服風スーツはまさにこの「ロゴマークがデカデカついてるどこの飼い犬か証明済みの鎖スーツ」ですわな。
うーんやっぱり辛そ~~~軍隊の迷彩服ぐらいだよねそれやられて諦められるの正直。
まあそれは置いといてですよ。
大学時代に持ってた家具全部をこんな日本一引っ越しが盛んな時期に送りつけたんだからそりゃまあ凄い金になりますね。
でも「引越し費用は会社が出すからね。常識的な額までだけどw」と言われたから油断してた。
「常識的」の範囲がまさかの「シーズンガン無視で決定された金額」だとは思わんかった。
たとえば「最初の半月はリモートマナー講座で、その次の半月が合宿研修。実際の引っ越しは5月なのでもう繁忙期も終わってるよね?じゃあ引越し代は10万で」ならさ、こっちも「まあ常識って範囲ですわな」となるよ。
でも「4月頭に入社式です!一足先の顔合わせ会もあるから絶対4月に来てくださいね☆でも大学の卒業式はちゃんと出席したほうがいいと思うな。学生時代のコネは大切に☆」とか抜かしてる奴らが「は?なんで繁忙期に引っ越し?つーか単身パックに収めりゃいいだけじゃん。はい10万までね」は非常識すぎるだろ。
は~~~~~先が思いやられる。
人はいつ気付くのだろう。自分は何者にもなれないし、特別なことを成し遂げるなんてできないことに。俺は高校生くらいで何者にもなれないんだろうなと気づいたけど、大学に入るまでは多少は成功した人生を送れるんだろうと思ってた。特殊な家庭に生まれ、東大に現役合格した俺は少しは特別な存在なんだろうと。高校には俺よりも裕福な家庭で生まれ、俺よりも課金され、俺より長い時間勉強しているような奴らがいっぱいいて、でもそいつらは聞いたことのないような大学に進学して、そんな中で東大に進学した自分は特別だと思っていた。家庭環境や自分自身に対するコンプレックスを乗り越えるためには、自分が特別だと信じるしかなかったし、これからの未来の成功を夢想するしかなかった。
でも4年間過ごしてわかったのは、俺は一切特別な人間ではないってこと。元々何かを学ぶことは嫌いではなかったけど、授業を聞くとか机に向かって勉強するとかが苦手で嫌いだった。そんな俺が落ちこぼれるのなんて一瞬だった。進振りはもちろん希望の学科には行けなくて、定員割れするようなところに進学することになった。机に向かうのが苦手だけど行動力があるとか求心力があるとかそういったタイプでもないから、凡庸な大学生活を送った。なんとなーく就活を始めて、この先未来が見えないようなところに就職して、4日後に入社式を迎える。
俺が特別でないって分かったって書いたけど、それと一緒で他の人も特別じゃないってことにも気づけた4年間だった。そいつらは特別だから優秀なわけじゃなくて、特別だから成功する未来が約束されているわけではなくて、日々の積み重ねがあるからそういった存在になれるんだって。確かに才能とか遺伝子レベルでの強さとかそういったものの違いはあると思う。だけどそれだけで戦えるような世の中でもない。あいつらは普段から未来を見据えて、自分の信じる道のために努力を続けている。頑張っている。よく「頑張る」ことができるのも才能だっていうし、実際その通りなのかもしれないけど、それで片付けることは僕にはできない。俺の部活にもめちゃ大企業に行くやつとか官僚になるやつとか外資初任給で一本もらうやつとか卒論の段階で成果を残しているやつとかいっぱいいるけど、そいつらの頑張りを常に側で見ていたからこそ、才能があるからとか特別だからなんて言葉で終わらせてしまうのは彼らに失礼だと思う。結局は自分の目指すべきものを信じ続けることでしか道は開けないんだろう。道が開いた上でちゃんと行動することで前に進むことができるんだろう。
俺は俺の道を信じる。そしてこれからの人生後悔がないように動き続ける。この気持ちを忘れないように、誰にも見られないようなこのインターネットの海に残しておく。
今から30年近く前の話。幼稚園児だったおれは近所の回転すし店でいたずらをしてしまった。アンパンマンの絵がついたジュースの空のパックを、親の目を盗んで、レーンに戻した。幼かったとはいえ、回転すしのシステムは理解していたはずだし、初めてジュースを頼んだわけでもなかった。だから、当時の動機は、いたずらや好奇心に近いものだったはずだ。正直に言って、どんな気持ちでやったのかは、覚えていない。覚えていないほど軽い気持ちだったんだと思う。しかし、その行為が引き起こした結果は忘れがたいものとなった。
翌朝、7時前に呼び鈴が鳴った。家の前にはスーツの男、警察官、それに板前が合わせて20人か、いや、実際にはそんなにいなかったのかもしれないが、とにかく大勢集まっていた。水産庁特別海洋資源監察官、通称寿司ポリスだった。おれはその場で尋問を受けて、昨晩ジュースの空のパックをレーンに戻したことを白状しなければならなかった。親が泣くところを見たのは初めてだった。両親が涙を流して、土下座して、寿司ポリスに謝っていた。おれはその時になって大変なことをしてしまったのだと理解し始めた。近所の人たちの目がうちに注がれていた。とてつもなく長い一日だった。
その後すぐ我が家は引っ越した。父は会社を辞めなければならなかった。引っ越し先にも悪口を書いた紙が届いた。何度か転居して、それでも年に何通かは届いた。
うちではそれっきり回転すし店の敷居は一度も跨いでいない。しかし、時々寿司を食べる機会はあった。小学1年生の時、学校給食で寿司が出て、怖くて泣いてしまったことを覚えている。高学年になってからは食べるようになった。寿司を食べると、今でも必ず体がかゆくなる。多分心理的な影響だろう。それを周りに悟られないよう、黙って飲み込んだ。出された寿司を食べない変なヤツだと思われたくなかったからだ。誰かが、あのことを知っているのではないかという恐怖感は常にあった。大学のサークルの新歓で先輩がテイクアウトしてくれた寿司も、入社式のあと、工場長がとってくれた出前も、吐き出しそうになりながら飲み込んだ。
最近、回転すし店で若い男の子がいたずらをしたという話題で持ちきりだ。彼はネットのおもちゃだ。それ相応のことをしたのだから、仕方がない。永久不滅の寿司屋荒らしの烙印を背負って生きていくことになる。しかし、世が世なら、おれも彼と同じだった。おれの場合、あのことを知っている人はもう周りにはいない。しかし彼の周りの人は、彼がどこに行ったとしても、きっといつか気づいてしまう。もう日本中逃げ場がない。彼のこの後の人生を思うと、不謹慎だが、どうしても同情せずにはいられない。
ずいぶん昔には、女性の脳は、男性と比べて左脳と右脳を結ぶ脳梁が発達しているのでおしゃべりで感情的だとか、男性は空間把握能力が優れているとか、論理的思考が得意だとか言われていた。
世界的なベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」は男性と女性の典型的とされる考えの違いをわかりやすく解説した本だ。その初版が発行されてから24年が経った。
最新の研究によると、脳をMRIでスキャンした結果の統計では、男女の脳で構造の差は、しかし存在しないらしい。かつて言われていた男性脳、女性脳はほぼほぼ幻想だったようだ。
NTTの社長が入社式で「私たちは女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います」と述べて猛批判を受けた。でも寄せられた批判のコメントを注意深くみると、男女の能力は当然違う、と性差を前提にしてるものが散見される。はてなブックマークでは男女の脳の性差はたびたび話題になっていて、その都度、必ずと言っていいほど「性差はあってもおかしくはない」という意見があがってくる。
いつだったか増田で、“男性にも読める”少女マンガが話題になった。ジェンダー論の発展した今日でもマンガの読者が性別で分かれているのには合理的な理由はあるかもしれない。
思い出を振り返ってみると、友だちの女子はすぐ泣く傾向はあったかな、と思う。だけど小学校以降で、男が泣いているのは、まったく思い出せないんだよな… 🤔 男は、何故か泣かない。
男女の思考の差が人々に根強く信じられている一方で、科学的な調査を重ねるほどに脳には差がないことの証拠が積み上がる。そうして脳の性差のナゾは深まっていく。
女性のプロ棋士はいない。インターネットなどの技術発達によってあらゆる趣味で、学びの高速道路が整備されているにも関わらず、将棋の最高峰でしのぎを削る女性はいまだ現れていない。
この理由については色々言われている。女性のプレイ人口が少ないせいで才能の山の高さも低くなる、とする説。より男性の比率が高い囲碁での女性の活躍を持ち出して、それを否定する説。虚心坦懐に女性の生理の影響を論じたブログ。男性には圧があると語る女性。脳構造ではなくソフトウェア面——脳の機能に違いがあるとする仮説もあったが、これは証明が難しいだろう。
先日、女流棋士の顔写真が並べられてサムネイルになっているニュース記事をみた。未成年のふたりの女子。コメントは、一方だけを美人だ、とする評価が人気になってた。少なくとも将棋では脳の性差は持ち出すまでもないと思う。
法学部卒で就活をなめていて全滅し、小さな編プロに入ったものの、ボスもアスペで誰とも仕事が続かない方だったので、私もミッション途中で解雇。
業務委託契約で雇用保険も未加入だったので、日雇いで食いつなぎ、京都リサーチパークの小さなコンサルにアルバイトで入社。
Web制作が商売になり始めた頃でしたので、織物産業系の会社にホームページを売り歩いて実績を積んで正社員になったものの、社長が会社を解散。
その後ポリテクセンターを利用して雇用保険で食いつなぎながら、就活してリクルートの制作会社に入り上京。
でも遠距離恋愛でメンタル悪化して、早々に退職して数年実家で引きこもり。
このままではヤバいと思い、農業実習生に行ってみたけど、休憩時間に水も飲めず挫折。
その後はボランティア活動に参加するようになったら、ITスキルを買われて、研究員として再生可能エネルギーの実証実験に参加。
GISを使った資源量調査の学会発表や共同特許取得の経験を積んだものの、上司と研究データの抽出方法でもめて離職。
しばらく考えて、あえて障がい者枠で福祉施設の支援員になるも、ずさんな経営に憤りを感じて、離職。
文科省のモデル事業でとある学校の支援員をしながら、通信制の専修学校で社会福祉士の勉強をして、合格。
福祉の道を歩もうと思い、福祉施設を立ち上げたいという営利企業に雇われ、作業所を設立。
でも作ってから、運営方針でまた役員ともめてパワハラを受けて、離職。
それならいっそ営利企業ではなく社会福祉法人で働いてみようと、家から近い法人に就職。
相談員の資格を取得したものの、保守的な法人の運営方針と、社会福祉士の倫理綱領との乖離に会社に行くのが辛くなってしまいました。
だって入社式でマスクの色まで指定して、少しでも違った人はその場で交換させるなんて、多様性が重んじられる福祉業界であり得なくない?
毎日仕事のことを考えると歯を食いしばりすぎて、歯神経が痛みを発するようになっています。
抗不安剤を勧められるけど、ベンゾ系の薬は卒業したので今さら飲めず。。。
転職しようにも、地元は田舎なんでほぼ最低賃金に近い仕事しかなくて、福祉でやっていこうと思っていたけど、まともな法人はもう通える範囲で求人がないのが現状です。
お付き合いのある自治体で雇ってくれる話もあるけど、会計年度任用職員なので、これまた最低賃金レベル。
ITに疎い業界だと重宝がられるけど、今さらIT業界に戻ろうとしても、ブランクもあり、厳しいかな。
IT系の資格は取得してないけど、以下のようなしょぼいスペック。
サーバーたてたりはLinuxとかでFTPサーバーやWebサーバーをたてて遊んでいたレベル。古い時代でごめんなさい。
Webはhtmlは読める。デザインもできる。WordPressは分かる。ディレクション経験は大昔ならあり。
経理:売上1億円レベルの小さな企業の給与計算、法人の決算は経験あり。
助成金申請・報告書作成:1,000万ぐらいの案件までなら経験あり。採択実績も複数あり。
法務:名義変更登記とか不動産登記はできる(無資格・図面はイラレで書ける)。
コンサル:福祉事業所の設立や運営のコンサルは単年度で受注実績あり。
でももう福祉系を諦めて、他の士業の資格を取得するのも検討中。
今年の春、鬱で大学院を退学になった私は、夜逃げのように上京し、適当な中小企業に就職した。
死ぬ寸前みたいなメンタルのカスを、肩書だけで採用する企業の未来が明るいのか、果たして私には想像もつかないが、雇ってくれるというので働くことに決めた。
私を採用したどうしようもない企業は、従業員300人未満にも拘わらず、毎年50人以上を採用している離職率ゲロヤバのブラック企業で、転職サイトの口コミにも、数多の暴言が並んでいた。
まあ、口コミサイトなんてどこもそんなものだと言えばそうなのかもしれないが、何せ採用数が多く離職率が高いので、口コミも相応の数になる。
入社式では副社長を名乗る60がらみの女性が現れ、「コンプライアンス教育」と称して「怒鳴ったらパワハラだなんて言うが、怒鳴られる方が悪いに決まっている」と4時間ぐらい喋っていた。
パワハラはされる方が悪いと思っているのは全然構わないけれど、なぜ、初対面で、わざわざ信頼を損なうようなこと言うのだろう。
あるいは、どうせすぐやめる新卒50人からなんと思われようが、どうでもいいという意志表示なのかもしれない。
そう思いながら話を聴き流していると、「派遣労働者は雇わない。正社員を使い捨てる」という話が始まったので、いよいよこれはと思わざるを得なかった。
なぜ、今この場でそんな話をするのだろう。思っていても、黙っていれば、済む話だろうに。
もちろん、時給2000円ぐらい貰っているので、どんなカスみたいな演説でも全然聞く。黙って座っているだけで2000円くれるなら安いものだ。
研究室の飲み会で教授の政権批判のご機嫌を取ったって、お酌して回ったって、男子学生にサラダを取り分けたって、1円にもならないのに比べたら、なんて素晴らしい待遇だろう。
とは言え流石に、産業医がスピリチュアル医療に傾倒している話が始まったあたりから少し雲行きが怪しくなってきた。
西洋医学と東洋医学を融合させた新しい総合医療としてのストレスケア。
まあ、離職率の高さの理由が凝縮された入社式であったというのが、おおよその所感である。
去年の今頃は増田で「理系女子の就活は楽勝」というクソエントリを量産していた私も、ついにサラリーマンになるんだなあ、と思うと感慨深い。