はてなキーワード: 最高峰とは
話題の記事を見たんですけどね、見事に「僕には当てはまらないのも多いなあ……」って感じなんですよね。
でも一般的には当てはまる確率が高そうなことが描いてあるんですよ。
すごくよく出来たバーナム効果って言うんですかね。
「あなたは一見するとクールですが実はホットで、クレバーかつクレイジー、まろやかな口当たりに反して後味はスパイシー、まったりとしたハーモニーの虐殺器官」みたいな?
こういうのって5割が当てはまっている感じで3割が微妙で2割は全然違うやろって感じやないっすか?
結局グーグルの人であっても、平均を取って雑に世界を総括しようとした途端にこんな漢字になるんすよ。
これを専門用語で「金玉が1.0個ある」って言うんですけどね。
まさにグーグルの人も大声で「大部分の人間は金玉が1.0個±1.0個の範囲でついてるんです。あなたの金玉は?0個?誤差範囲に収まってますね。2個。なるほど予想通りだ」って話をしちゃうんです。
恐ろしくないですか?
どれくらい遅いのか?
わかりやすくピッチングの数値で言えば女子プロ野球の平均球速は約110km/hでした。これは中学男子野球の平均球速とほぼ同じです。
つまり女子野球はその最高峰である女子プロ野球リーグでも単純な出力パフォーマンスは中学男子レベルなのです。
女子スポーツのパフォーマンスが低いなら高校男子野球が観戦され続けるのはおかしいという主張をしている人が居ましたが、女子野球に限っていえば高校男子野球のパフォーマンスにすら届きません。
おそらく前述の主張をした人は女子野球は女子プロ野球であれば少なくとも高校男子野球並みのパフォーマンスはあるだろうと期待を寄せての主張だと思うのですが現実を見れば高校男子野球未満です。
女子プロ野球リーグは2度失敗しています。
1度目は日本女子野球連盟(日本女子野球協会)、2度目は日本女子プロ野球機構です。
せっかくプロリーグができても失敗するという実績を作ってしまったのは女子野球の存続へ尾を引いていると言わざる得ません。
ちなみに女子アマ野球はNPBの支援を受けて何とか存続している状況です。
これは男子プロ野球に憧れる少年少女から世界大会野球程度は観るよという大人へ至るまで日本人の持つ野球観戦眼は相当に肥えています。
前段のあらゆるパフォーマンスが遅い女子野球も肥えた野球観戦眼で観るからそう見えるのです。
女子野球をほとんど観戦したことのない方は「女子プロ野球なら言うて高校男子野球レベルのパフォーマンスがあるやろプロなんやし」と思ったかも知れません。
そのように期待して観に行った女子プロ野球の蓋を開けてみれば中学男子野球レベル、言ってしまえば子供の野球を見せつけられるわけです。
攻撃側でセーフになるはずがアウトになる、守備側でアウトになるはずがセーフになる、打てるはずの球が打てず、捕れるはずのボールが捕れない、野球観戦眼が肥えた人たちの目にはそう映り、期待値が高校男子野球な分あまりのパフォーマンスの低さに愕然とするわけです。
この様な野球を男子プロ野球に憧れる少年が観ますか?甲子園に憧れる少女が観るでしょうか?
観ないんですよ、高校男子野球にすら届かない野球を大多数の野球ファンは観ないんです。
これが女子野球の現状です!女子野球を観戦したこと無い人は実際に女子野球を観戦して現実を直視して下さい!
あなたたちの思い込みが女子野球は高校男子野球並みだという誤った偏見を生んでいる!
誤った偏見を持っているからこそ女子野球が解決すべき問題点をピックアップすることに誤りが出るんです!
女子野球は健全野球派で居たいのであれば少なくとも最高峰だけは高校男子野球へ常勝するレベルへ到達する必要があります。
それでは女子野球人口を増やせないと言うのであればロマンス・ブルーバードのように興行野球の容認も辞さないという姿勢が必要でしょう。
私は女子野球観戦者として、元女子野球選手として、女子野球指導者として女子野球への現実を伝え偏見を無くし更なるパフォーマンスレベルの向上が女子野球普及へのカギだと皆様へお伝えしたいのです!
これが女子野球だと、これが女子スポーツだとお伝えしなければならないのです!
創価中高ですごした増田(https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。
今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期・青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構なインパクトがある出来事のような気がする。
たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。
増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。
うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。
父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。
私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的な悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。
このシステムがまずすごいよなと思う。自発的な意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権的蹂躙っちゃそうだろという気がする。
入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプルな理由)
私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリに活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。
地域の役員…地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。
人がたくさん集まってて、同年代の子どももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだり絵本よんだりしてるくらいの感じ。
ちなみにこのころは、まだ学会は日蓮正宗に破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。
戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。
母が地区の役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。
家が創価学会の会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇の二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶でしかない。
家に人がたくさん来るのがシンプルに楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。
嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。
会合の最初にみんなで法華経方便品自我偈をとなえたあと、唱題する。
低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国の言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。
あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。
会合・座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト。月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。
家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。
https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8
朝この曲で起きてました。奇特すぎ。
役職についてる人がいるとはいえ、子どもの目には会員同士の関係はあくまでフラットな感じに見えていた。
今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。
しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。
母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。
ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。
一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。
入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日に文化会館で指導があった。
指導は学校で音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的な合唱曲の練習をしていた。
「たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポは別にいらない…。
小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。
創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃんは外国の歴史上の偉人をリスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。
小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。
なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。
このときの練習は普段の練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。
あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。
今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向の宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。
なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補。
練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき「自分でやるっていったんだから、責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通のダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。
学会二世には「選挙は祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。
実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたして投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。
でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。
私は自分の友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。
とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。
話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。
完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。
あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラスに候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。
若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。
今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?
小学生のころから国語と社会(歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり、日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。
母の蔵書である古典文学全集や解説書、文学系文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。
円地文子が清少納言と枕草子を解説している文章のリリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。
腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語の現代語訳を読んで、平経正と守覚法親王の関係(都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え。
絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語や随筆の舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。
しかし学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社に積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。
寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。
教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様の名前が書いてあるのに謎すぎる。
(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)
私は母に、はるか昔から善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産、歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。
訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。
そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。
世間一般は学会に偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。
中学の友達が立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち。
政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。
でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動で生活が破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。
(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。
ちなみに、法華経の方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経の日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)
読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)
日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。
教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。
一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験程合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるといかそういうもんでもないらしいがよくわからない。
上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。
ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。
さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強はシンプルにおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるから楽しかったし、普通に合格した。
でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。
高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。
信教の自由であるとか、折伏や新聞啓蒙、選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。
やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分はあんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。
親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。
高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生の二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。
けっこういるのにおどろいた。
多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。
学会員の間では、創価大学は超絶いい大学、東大にも負けない日本最高峰の大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。
めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。
活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期からの刷り込みとしか言えないと思う。
偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。
当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。
同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。
親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。
そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。
ちなみに大学には創価学会のサークルがあって普通に活動していた。
極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会のサークルは普通に野放しになっていた。
どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。
この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。
大乱闘スマッシュブラザーズというゲームを知っているか?
はてなーの人間が最近触れる機会があったのは、①格ゲーにも関わらず大会でキャラ被りがしない ②カズヤ参戦 by逆噴射総一郎 くらいだろう。
スマブラ界の王 MKLeo
ポケモンユナイトの世界大会を目指すも身内の寝坊によりスマブラに帰ってきた漢 ザクレイ
15年間の競技生活に今年で区切りをつける京大卒スマブラYoutuber しょーぐん
プロゲーミングチーム「CR」に加入し海外大型大会を制した プロトバナム
タレントが揃うスマブラ界隈も長らく日本人が勝てない時代が続いてきた。
日本で作られたゲームだから日本が一番強いと思うことも至極当然だろう。
実際、マリオカートやスプラトゥーンでは日本が最高峰であり、世界大会は殆どの大会で日本勢が優勝を飾っている。
だがスマッシュブラザーズはそうではなかった。
現在も競技シーンが盛んであるスマブラDX、スマブラSP(海外ではMelee,Ultimate)は海外コミュニティーが作成し、スマブラ界隈で最も信頼される世界ランキング、通称PGRにおいて日本人が年間一位を飾ったことがないのである。
海外コミュニティーがランキングを作成したのだから海外選手の方が有利なのでは?と思う方もいるだろう。
その推理は半分が正解で半分が間違っている。
PGRにおいて、最も重要視されるのは高tire大会で高順位を獲得することだ。わかりづらい場合、テニスにおける四大大会がスマブラにもあると思ってもらいたい。
世界各地で大会は開催されるが規模が大きい大会はおおよそが決まっていて、アメリカで開催されることが多い。だからこそ、PGRには日本選手よりもアメリカ選手の方がランクインしていることが目立つ。その分、PGRが上位の海外選手に日本人選手がアップセットを起こすことはざらにある。しかし、PGR上位にランクインした日本人選手が海外大型大会を優勝しているかと問われた場合、残念ながら優勝できないのが現実である。
スマブラには世界最強の地位を長期間保った人間が二人いる。「Zero」「MKleo」彼らの共通点はグランドスラムを達成するに等しいレベルで海外大型大会を優勝していったことだ。
「MKleo」は3年間の間、出場した全ての大会で3位以上。1年間に開催された最高tire、Stire大会11つのうち6つで優勝。
日本から彼らのような傑物は今まで存在していない。そして多くの日本人は彼ら二人に打ち負かされてきた。
ここ数年、日本最強の呼び声が高いザクレイでさえもMKleoに何度も敗北している。
海外Stire大会が開かれるたびに日本人選手は遠征を行い、1~10名程度の著名プレイヤーが参戦しているものの、スマブラSP期、日本人が優勝した回数はたったの2回である。
The Big house9のザクレイ。 Double Down 2022のプロトバナム。
そしてDouble Down 2022優勝の結果が出たのが今日。
プロトバナムが世界最強のMKLeoに勝利を収めての優勝だった。
先ほどMKLeoで触れた、3年間出場した全ての大会で3位以上の記録を半年前に止めたのもプロトバナム。
まぁとにかく。お前は黙ってスマブラの競技シーンをtwitchでみろ
お前の大好きなカズヤも競技シーンで暴れ回っている。てぃーパックマンはカズヤを組み合わせることで真の男になった。今の時代はKAZUYAMISIMAだけで会話できるし、KAZUYAMISIMAを何このキャラとかおもってるやつは全員アホだ。MKleoはメキシコの男だ。だからこそ最強から世界最強になるべくして真の男だった。だが、ようやく・・・・日本人にも真の男になるチャンスが回ってきている・・・・。私に言わせて貰えば、今スマブラを見ないやつは全員アホだ。E-SPortにうつつをぬかすキッズたちはAPEXに夢中だが、APEXはもともとスマブラの大会の名前。APEXの大会見たいとかほざく暇があったらスマブラの大会みろ。
LOL以降、PCゲームは企業主導や企業協賛で開催されることがもっぱらだが、スマブラの大会は任天堂が関わることが殆どない。
だからこそ、おもしろいのかもしれない。大会の一つひとつが参加者の熱意によって成立している。
その熱意の最高峰、海外大会の決勝戦に、日本人はしばらく登壇することすら叶わなかった。
それがこの1ヶ月で変わった。
あcola 招待制ではあったが、彼は世界最高峰の選手が集まる舞台で優勝した。
世界最高峰のゲームコミュニティー。スマッシュブラザーズSPのコミュニティー。
アニメ映画『犬王』を観たらなんだこれは宇宙猫が止まらない!! 訳がわからないよ!! これはいっそ原作を読んでみたい、と思って読んだ。
ネタバレはする。
平家が壇之浦で滅んでから百数十年あまり。海士(あま)の一族であるイオの友魚(ともな)は、京の都から来た貴人の依頼で、探し物のために父親とともに海に潜った。そして発見したのは一振りの剣。それは平家滅亡時に喪われた草薙の剣だった。剣の呪いに父親を殺され、自らの視力も奪われた友魚は、どうして自分がこのような目に遭わねばならなかったのかを突き止めるために旅に出た。
一方、京の都では一人の男の子が生まれた。彼は当世で一番人気の猿楽座である比叡座の棟梁の末息子だが、尋常ならざる醜形であったために両親から疎まれ、家畜同然に育った。名もない彼は自ら「犬王」と名乗る。そんな犬王は、稽古場の様子を覗き見ているうちに、比叡座伝来の歩行術を習得。すると彼の身に不思議なことが起こる。これが後に一世を風靡し足利義満の寵愛を受けることになる伝説の猿楽師・道阿弥の第一歩であった。
この物語は、イオの友魚と犬王が出会い、喪われた平家の物語を拾い上げた犬王の物語 、そして犬王の活躍を語り広めた琵琶法師・友魚の物語である。
ちょいとググれば出てくる評判通り、独特の疾走感溢れる文体の勢いが半端ないが、かといって面白いのかというと、うーん、微妙? そして、意外とアニメ版、さして印象が違わないことに驚いた。ある意味監督をはじめとするアニメスタッフ、超優秀だった。
文体の疾走感にあれよと巻き込まれて突っ走るように読んだけれど、疾走感のあるわりにダルい場面が長々とあった。それは、友一(友魚)が琵琶で弾き語る犬王の半生の物語の部分だ。そう、アニメ版でいうとあのロックフェスの部分である!
実はアニメ版の脚本にはロックフェスは無かったのに、監督が勝手に作っていたというロックフェスのシーン。あの場面は、何で同じ事の繰り返しをダラダラダラダラやるのだろう? と疑問だったのだが、原作からして犬王の物語は繰り返し語られるのだ。
前の文章をコピペしてちょっと弄ったくらいに見える文章が数回。これは一つのエピソードを視点を変えて語り直したものなのだけれど、ほんのちょっとしか変更点のない同じような文章なので、またぁ? と飽きてしまった。一つのトピックを複数人の視点で表現する……その最高峰にして最も有名なのは芥川龍之介の『藪の中』なんじゃないかなと思うけど、あれみたいに視る人が違えば見える世界も違うっていうんならともかく、神の目線(誰々寄り)くらいの俯瞰したような視点で何度も同じ事を書かれるのは、読んでて辛い。ちょっとだけ、今まで隠されていた真相が回を重ねるごとに徐々に明らかになっていく。そういう狙いで書かれた文章なのだろうと、意図は理解できるんだが、理解はできても別に面白くないのだった。
アニメ版の方も、何がやりたかったのかは解るのだが、かといって別に面白いとは感じなかった。なんかそこだけダレている。退屈だ。しかし他の部分については素晴らしい技巧で表現されており……全体的に見てつまらないとか駄作とかいうのもまた違うような気がする。中弛みがひどい。そんな中弛みの酷い部分が、原作小説とアニメ、文章と映像という違う表現技法によって造られたにも関わらず、物凄くシンクロしていた。ある意味すごいのかもしれない。面白いかと問われれば、別にそんなには……と私は言うけれど、いい語種にはなると思う、たぶん。
ところで、アニメではロックフェスの辺りで友一も犬王も一体何をやっていて何を歌い表現していたのか、私はさっぱり解らなかったのだが、この原作小説を読んでやっと理解。
ぶっちゃけ、友一のバンドは犬王の広報活動と前座を担当していたのかと私は勘違いしていたのだけど、そうではなかったのだ。友一の弾き語りが犬王の宣伝になる事は確かなのだが、だからといって彼は犬王の前座ではない。友一はただ琵琶法師としての仕事をしていただけであり、弾き語りの題材に犬王の半生を使っていただけなのだ。オレの事を歌えよと言ったのは犬王だけど。
犬王はといえば、当世最高の猿楽座の棟梁でナンバーワンの猿楽師として、新しい曲を書いては自ら舞台に立っていた。
私はアニメ版のロックフェスの場面を見ながら、何でこの人たち、橋の上と河原でそれぞれ別々の活動をしているのかなー? と疑問に思っていたのだが、何の事はない。友一は琵琶法師で、犬王は猿楽師で、彼らはそれぞれ自分の仕事をしていただけなのだった。同じバンドのメンバーでもなく、タイバン相手でもなく、似た者友達のバンドマン(兼作詞作曲家)とミュージカル俳優(兼戯曲作家)みたいなものだった。当然職場は、特別なイベントでもない限り別である。なーんだ。二人とも演者であるだけでなくクリエイターでもあるので、互いに影響を与え合っている。
映像では訳のわからなかった部分が小説ではスッと頭に入る。やっぱそういうとこは小説って強いよなぁと思いつつ、アニメ版のわかりづらさが異常だっただけでは? とも思う。
ところで、最強のバディもの的な言われ方もする本作(原作小説もアニメも)だけど、これってバディものなの? と首を傾げてしまうのは、原作もアニメも同じだった。アニメ版は尺の関係で色々削らずを得なかったのかな? と思ったら、わりと原作忠実だったんだなと。友魚と犬王の友情、とてもあっさり風味。一緒に楽しく過ごす時間もあったのかもしれないが……かもしれないだけで……まあ、二人とも自分のやるべき事をやっているのであり、業種が違うんだから当然一緒行動はしない。どこら辺が仲が良いのかわからないくらい、別々の道を歩んでいた。ので、ラストシーンにあんまり感動しなかったなぁ……。え? 犬王さらりと友魚を裏切ったよね、今更なぜ? みたいな。ここら辺はアニメ版のが膨らませていたので(足利義満により友魚を人質に脅迫された犬王。そんな事があったのも知らず、イオ座のメンバーが次々捕らえられる中で、最後まで抵抗し続けた友魚)、アニメの方が良かったような気もする。
……まあ、アニメと小説を比較しても仕方ないけど、どっちも微妙だし。というか、原作の微妙な部分をすごい精度で再現したアニメともいえるし。
先にアニメ版を見てそれがいまいちだったから原作小説の見方まで辛くなってしまっただけかもしれない。でも読まなければ良かったと思わないし、アニメ版も映画も見る・読む価値なしとまでは思わない。話のネタにはなるだろうし。
ひとつ、アニメ版を観る前に原作小説を読みたかったなと後悔した場面があった。犬王が面を外し素顔を見せる場面だ。凡人が見れば目が潰れ鼻血が止まらなくなるほどの美形……を想像するのを、ジョーカーともデーモン閣下とも獲物を追っている最中の奇術師ヒソカとも言われる厚塗りのフツメンがめちゃめちゃ邪魔してきてつらい!
この日、ミラー大統領を始めとするアメリカ主要閣僚が緊急招集された。
会議室には緊迫した空気が流れ、室内にいる全員が深刻な表情を浮かべていた。
「みんな、わざわざ集まってもらってすまなかった。早速本題に入ろうと思う」
「まず最初に、我が国の脅威となり得る存在について説明したい」
画面には日本の快楽愛教育制度に関する資料が表示され、同時に日本の軍事バランスに関するグラフも表示された。
「ご覧の通り、日本は現在、軍事力のバランスが大きく崩れてしまっている。これは、快楽愛教育制度の影響が大きい」
義務教育科目に性行為が加わったこと。これにより、国民の性行為に対する抵抗感がゼロになった。
また、性愛を探求する場として、「快楽愛特別地域」が誕生した。この快楽愛特別地域は、快楽愛教育のエキスパートを育成するために造られた街である。
「大統領。日本が子供たちを盛らせ交じらわせる…変態国家になってしまったことはよく分かりました。ですが、それが我々とどう関係してくるのですか?」
ローズ国務長官が苛立った様子で質問すると、大統領の表情が険しくなった。
「ああ、すまない。つまりだね、日本は快楽愛教育制度を通じて、自国を強化することに成功しているんだ。今や、あの国は世界で最も危険な国と言ってもいいだろう」
シムズ副大統領が眉間にシワを寄せた。
「ジャップ猿達がそこら中でセックスするようになってからというもの、犯罪率が下がり、様々な面で変化があったことは確かです。しかし、 何故、そこまで警戒する必要があるんですか?」
ミラー大統領はニヤリと笑みを浮かべると、両手を広げて説明を再開した。
「日本は世界一の平和を手に入れた一方で、軍事力を手放した。もはや我々の脅威にはなり得ない存在になったのだと、我々は思いこんできた。だが、実際は違う。日本は、世界最強の軍事力を手に入れてしまったんだよ」
「世界最強!? それは、どういう意味でしょうか? まさか、奴らが中性子爆弾でも手に入れたというのですか!」
「いや、そうじゃない。それ以上に恐ろしい武器がある。快楽愛教育…そして、快楽愛教育が生み出す快楽愛のエキスパート達さ」
危機管理室に集まった一同に緊張が走った。
「快楽愛教育を受けた子供たちが、世界を滅ぼす兵器だというのですか……」
「そうだ。快楽愛教育によって生み出された、いわば快楽愛戦士達は、快楽愛教育が生み出した怪物なんだ。そして、その力は我々の想像を遥かに超えたものだった」
「一体、何が起こったというのです?」
ミラー大統領は手元の端末を操作する。画面には、快楽愛特別地域と、その地下に隠蔽された「快楽愛研究所」が映し出される。
「日本政府は、快楽愛によって…世界全てを快楽愛に染めようとしているんだ」
その鍵となる重要人物こそが、国立青陵学園に通う「黒瀬 真」と「綾瀬 彩奈」である。
「我々は……この二人を確保しなければならない」
ーーー
真は8年生15歳、彩奈は10年生17歳になったばかりだが、二人はすでに快楽愛特別地域のエリートとして名を馳せていた。
この春、快楽愛教育において優秀な成績を収めた学生だけが選ばれる「快楽愛特別研究者」に選ばれたのが、この二人である。
快楽愛特別地域は、快楽愛教育の中心地にして最先端技術が集まる場所でもある。故に、快楽愛特別地域では毎年多くの優秀な生徒が卒業していくが、快楽愛特別研究者に選ばれる者は、ほんの一握りだ。
「真くん♡お待たせっ!」
授業を終えた後、いつものように真は、快楽愛研究所のエントランスにあるソファに腰掛けて待っていた。すると、しばらくしてから、彩奈がやってきた。
今日も可愛らしいピンク色のワンピースに身を包み、頭には猫耳付きのカチューシャを付けている。スカートの下からは、フサフサとした尻尾が伸びていて、歩くたびに左右に揺れる。
「あ……う、うん!全然待ってないよっ!」
そう言いながらも、真の視線は無意識のうちに、彩奈のお尻に向かってしまう。
今日の彼女はミニスカを履いており、健康的な太ももが露わになっている。その艶やかな脚線美に思わず見惚れてしまう。
「あっ、ごめん……」
慌てて目を逸らすが、どうしても気になってしまい、チラリと見てしまう。
二人は笑顔を交わし合った。
ーーー
二人は研究室に入ると、部屋の中央に置かれたテーブルの前に座った。そして、向かい合って立つと、お互いの手を取り合い、指を絡めた。
「ん……ちゅぷ♡」
キスをしながら、ゆっくりと身体を押しつけ合う。二人の胸元が触れ合う。
(あぁ……気持ちいい)
柔らかな膨らみに、ドキドキする。
しばらくすると、自然と舌先が絡み合う。
ぴちゃり、くちょりと唾液が混ざり合う音が響く。
そのまま夢中で互いの口内を犯し合っていると、次第に息遣いが激しくなってきた。
「ハァッ、ハアッ、彩奈さんっ!」
「真君っ!好き、大好きだよぉ!!」
二人は興奮を抑えきれず、激しく求め合う。
そして、ついに限界が訪れた。
「「イクゥウウッ!!!」」
ビクンっと大きく跳ね上がり、同時に果てる。
「はあっ、はあっ……」
「ふぅ……」
激しい絶頂を迎え、肩で呼吸をする。
二人の快楽愛技術はキスだけでイケてしまうほどの高みに達していた。
「うん……彩奈先輩。これだけのデータが集まれば、キスイキを学校で教えられる日も近いよ」
そう言って、笑い合う。
真と彩奈は快楽愛教育の天才として将来を有望視されており、その実力はすでに最高峰に達していると言われている。特に、今年から快楽愛教育法が改正されて、快楽愛教育の授業時間が大幅に増えたため、才能ある子供はより一層の成長を見せている。
「それじゃあ、次は……乳首責めだけで何回射精できるか試してみよう♡」
彩奈は真の制服を脱がせていく。
「もう……彩奈先輩ったら。それは昨日もやったばかりですよ。もしかして気に入ったんですか?」
しかし、真は抵抗する素振りを見せず、むしろ自分から脱ぎ始めた。
「ふふっ、だってさぁ。真くんのおちんちん、乳首イジメてあげると、カウパー垂らしてピクンピクン跳ねて……とっても可愛いんだもん♡」
彩奈は真の乳輪に指を当て、くるくる円を描くようになぞる。
「あっ……くぅううん!」
「ほぉ~ら、こうやって焦らすと、乳首がどんどん硬くなっていっちゃうよ? 切なそうな顔して……かわいいね、真くん♡」
彩奈が意地悪そうに微笑む。
「くーる、くぅーる。乳輪くるくるきもちいね?乳首触ってほしいの?ま~だ、だめ♡」
彩奈がわざとらしく真の耳元で囁き、真の興奮を高めていく。
「ああん……あ、あやなせんぱい……」
「どうしたの真くん、何か言いたいことがあるなら言ってごらん?」
彩奈は真の乳輪を焦らすようになぞり続ける。
「ほら、お口を使って言えるかな?言わないと、ずっと乳輪くるくるだよ?真くんなら、乳輪だけでもイケちゃうかもしれないけど♡」
彩奈はクスリと笑い、意地悪な笑みを浮かべる。
「ふふっ。よく言えました♡ それじゃあお望みどおり、乳首を可愛がってあげようねぇ」
「ひゃああぁんっ!!」
待ち望んでいた刺激を与えられ、真の口から悲鳴のような喘ぎ声が上がる。
「まるで女の子みたいな可愛い声でちゃったね。気持ちいいんだ?」
彩奈が真の乳首を優しく摘まんでコリッコリッと擦り合わせるように動かす。
「ふわあっ! きもちいいぃ……」
「そっか、よかった♪たっぷり可愛がってあげるから、たくさん感じてね」
そう言うと彩奈は真の乳首を引っ張ったり押し込んだりと、様々な方法で弄ぶ。
真の前立腺がビクビクと痙攣を始める。
「あぅっ……もうだめぇ、イっちゃいます!」
「うん、いいよ。いっぱい出しちゃお?乳首イジられただけで情けないお漏らししちゃうところ、私にみせて♡」
彩奈は真の耳元に口を寄せると、甘い囁きと共に吐息を吹きかけた。
びゅるるる〜どぴゅー! 勢いよく飛び出した精液が、真のお腹の上に飛び散った。
「わぁ……すごい量。ちゃんとお乳首でイケたね♡えらいよ、真くん」
彩奈は真の頭を優しく撫でると、頬っぺたにキスをした。
「はひ……ありがとうございます、彩奈先輩……」
彩奈に褒められて嬉しかったのか、真の顔がふやける。
「でも、終わりじゃないよ。今日は何回、乳首射精できるかな?真くん♡」
「待たない♡ほら、頑張れ♡がんばれ♡」
彩奈は指先を巧みに動かし、真の乳首を弄ぶ。真の股間は硬いままだ。
「んぅうっ、だめぇ……ちくび、またイッちゃうっ……!」
ビクンッ ドピュッドピュービュー 真は早くも二回目の絶頂を迎えた。
「あはは、またイッてる。ほんっと可愛いんだから♡ 次は爪先で乳首をカリカリ引っ掻いてあげるね?」
「ひっ、それダメです、おかしくなっちゃいます!お願いします、もう許してくださいぃ……」
「ダ〜メ♡もっと気持ちよくしてあげる♡ほぉら、カリカリ始めるよ♡」
「あぁぁ……!ひぐぅうっ!!」
「ふふ、まだまだ終わらないからね。ほら、おちんちんから透明なお汁がどんどん出てきてる♡」
彩奈は舌なめずりをして、真のペニスを熱っぽく見つめる。
「ああん……おいしそう。でも、今日は乳首責めだけで射精させる日だから我慢しないと……。あら、またおちんちんイッちゃいそうだね♡」
「あっ、またイクゥウウッ!! 」
ビュルルルルーーッ ビュッビュッ 真は三度目の射精を迎え、白濁液を撒き散らす。
「すごい勢い。こんなに出したら、普通はおちんちん元気なくなっちゃうよ?なのに、なんでまだ勃起してるのかしら♡」
真は腰をいやらしくくねらせ、ペニスを彩奈に見せつけるように突き出している。
「ぁ……彩奈先輩ぃ……彩奈先輩が大好きだから…です……」
真は息を荒げて答える。
彩奈はそういうと、真の乳首を力いっぱい摘み上げる。コリッコリに硬くなった二つの突起を強く刺激され、真の身体が激しく跳ね上がる。
「………っ!!ィクイク! だめぇえっ、また出ちゃいますぅう!!!」
彩奈は真の耳元で囁きながら、指の動きをさらに激しくする。
「んぁあああ……これ、だめ、だめです!……」
「ほ〜ら、イキなさい♡」
「あっ、イクゥウウッ!!!」
ビュルルルーーー ドピュッドピュー
度重なる射精によって、真のお腹には大量の精液が溜まっていた。しかし、それでもなお、ペニスは硬く返っている。
その後、真は彩奈の乳首責めで19回も射精し、乳首責め射精実験の最高記録を塗り替えた。
いまや、快楽愛研究において、真と彩奈に並び立つ者はいない。二人は、快楽愛教育界における革命そのものなのだ。
ーーー
続く
※最後に追記補足しました。コメント等ありがとうございます。
結論から言えば、まずあなたは休日に手持ちのママチャリで職場への往復をトライアルすべきだ。
当方、タイトルどおりの自転車通勤マンであったが、自分の経験則を述べる。参考になったら嬉しい。
ママチャリだろうがクロスだろうがロードだろうが同じ(自動車の流れに乗れるくらいの脚力持ちは除く)。
朝の出勤時、これからの季節にそんだけチャリこいでたら全身汗だくになるので、会社に着いてから、クールダウンと着替えの時間に少なくとも20分は見ておきたい。
自転車で筋力と体力使うのってゼロスタート……要は信号待ちからの走り出し時なんだよね。
電動アシストだとそこの負荷がめっちゃ軽くなるし、良いロードなら軽いので楽になる。
風邪とかの心配はそんなにしなくていいのだが、滑って危ないのと、雨天時の車ドライバーの視界の悪さは自転車にとって超危ない。
雨の日は絶対にやめておくほうがいい。
30㎞未満とか、クロスやロードなら、慣れたら大して疲れる距離でもないので、体力面の心配はそんなにしなくて良いと思う。
※夜はめっちゃぐっすり寝られると思う
ただ、退勤時に栄養補給しとかないと、帰り道にハンガーノックでぶっ倒れるかもしれない。
俺は6時前に家を出て7時40分頃に会社着、8時30分の始業までクールダウンとひと眠りって感じだった。
最初に書いたけど、休みの日にママチャリで会社まで往復してみなよ。
それで「これイケるじゃん」て思えるならいいし、無理なら無理で、無理するもんじゃない。
一応、クロスやロードにすると疲労感はママチャリの3分の1くらいかなーって感じ(個人の感想です)。
だから「ママチャリでこの程度の疲労感ならクロスならいけるかも」と思うかもしれない。
まあとにかく試してみようぜ。
なんか意外とブコメとかトラバいただいていたので追記いたします。
元増田さんは、「晴れの日はチャリ、悪天候時は公共交通機関」って通勤経路を申請可能か総務か人事に確認しておくこと。
通勤手当を距離分か公共交通機関利用分かで少ない方でいいって言ったら認めてくれることが多い。
※会社によっては、そういう事例でどう対応するかちゃんと決まってる場合もある
ちなみに通勤災害は「労基署が合理的な経路と認定するかどうか」なので、通勤経路届との相違があってもいいのだが、無届の経路で何か発生すると社内的に超問題になるのでやめておくこと。
特に夏は全着替え必須。汗を吸ったウェア(でもTシャツでもなんでも)は臭う。
更衣室あれば良いし、無くても交渉すれば会議室とか意外と使わせてくれたりする(完全に会社と上司次第)。
最悪でトイレ。まあ床が乾式のトイレならそう汚い感じも無いと思う。
何よりも自分の命のために絶対に守ること。信号を守れ。一時停止は止まれ。割り込みとすり抜けは可能な限りやるな。
自転車と車だと、死ぬのは100%こっちなんだから、ルール違反のコスト=自分の命なので、違反するのは割に合わない。
車側が悪い場合でも死ぬのはこっち。左右確認、車がこっちに気付いてるだろう運転ダメ絶対。
トラバで「トラック風除け走法」に言及してる人いたけど、そのレベルの脚力持ち・自転車経験持ちは好きにしてくれって感じ。
何にせよ賭けるのは自分の命。
id:straychef 晴れでも夏は無理じゃね もう5月ぐらいから厳しい日がある 冬は厚着でなんとかなるかもしれんが真冬はさすがに厳しいだろう
夏はそりゃ暑いけど、元増田さんの始業時間が仮に9時としたら、想定通勤時間的に気温は真夏でもせいぜい30℃ちょいなので、水分補給さえちゃんとやってれば平気。
冬は、ちゃんとウェア着てる前提で、個人の経験ではー3℃までは平気だった。
気温よりも風がしんどいので、強風時は自転車はやめておくほうがいい。
id:toria_ezu1 帰りに降ってたらどうしてたんだろう
チャリ通やり始めると、寝る前と起きた時の天気予報チェックが日課になるので、雨はだいたい回避できる。
id:Re-birth チャリは車より小回りが効く分、通勤みたいなシビアな時間制限に対しての急で無茶しがちで、大抵歩行者が譲ってるけど危険運転多いよね
まあまあ歩行量のある歩道を爆走するロードとか最低ですよね。歩道を走るなら徐行が原則。
なおそういう意味でロード以上に危ないのが電動アシストで爆走する主婦とJK、JD。あいつら本当に一時停止を止まらねえ。
id:mayumayu_nimolove 増田は競輪の選手になろうとは思わなかったの?まるでプロ選手のエピソードみたいな過去を持ってるけど。
そんだけの長距離ならヘルメットは被って当然と思ってたので言及することすら忘れていた。マジで絶対に被っておくべき。
グローブも必須。個人的には夏でもフルフィンガーのものをお勧めする。コケた時への対策として、肌の露出は少なければ少ない方が良い。
コケた時に指は切ったりしやすく、仕事・生活に支障をきたすので保護すべき。
てかライト等の保安用品は一式そろえて当然です。
クロス買う前提なら、対パンク性能最高峰の、シュワルベのマラソンってタイヤにすれば、空気圧さえ適正に保っておけばパンクの心配はほぼ無くなる。
ちなみに鉄鋼業とか産廃処理屋のトラックがよく走る道には謎の鉄片がよく落ちており、貫通パンク発生確率が爆増する。
本文に書いたとおり、クールダウン・休憩時間を30分以上確保していたので疲労感は別に(そりゃ最初は疲れますが慣れる)。
ほぼ全裸になって汗は拭いてました。
ぶわーっと汗かくと、汗腺?にたまってた老廃物が出るのか、そのあとちゃんと汗を拭いて制汗剤とか使って、キレイな状態の仕事服に着替えれば、意外と本人は臭わない。
※「臭いとマジで申し訳ないから改善したいので正直に言って欲しい」と上司・同僚にお願いして、問題ないと回答を得た。
なお、汗を吸ったウェアはほっとくと臭うので、職場のどっかに干させてもらえるなら、トイレの手洗い場で軽く手洗いして干しておけば帰りには乾いている。
自転車レースの最高峰、ツール・ド・フランスで7度優勝したランス・アームストロングが栄光の影で行い続けたドーピング行為が描かれている。
3ヶ月位前の投稿でこれを探している人が居るのを見つけた。自分もほぼ同じ条件で探しに探しまくったので一応回答をおいておく
ちなむとアプライド&アラビア数字インデックスで1~12まで振ってある腕時計はマジで殆ど無く、あったとしてもコストがかかるからか高級時計が殆ど
○ デザインもシンプルで優れている。だってポルトギーゼの丸パクリだもの
○ スモールセコンド無しのやつとかクロノグラフ付きのやつとか自動巻き機械式のやつとか色々有る
✕ ベゼルが薄い
○ ベゼルが厚い
✕ ベゼルが薄い
○ ベゼルが極厚
✕ 悪趣味
✕ みやすさを求めてアラビア数字時計を探している人に勧めていい代物ではない
○ ベゼルが極厚
✕ 買えるもんなら買ってみろ
ずいぶん昔には、女性の脳は、男性と比べて左脳と右脳を結ぶ脳梁が発達しているのでおしゃべりで感情的だとか、男性は空間把握能力が優れているとか、論理的思考が得意だとか言われていた。
世界的なベストセラー「話を聞かない男、地図が読めない女」は男性と女性の典型的とされる考えの違いをわかりやすく解説した本だ。その初版が発行されてから24年が経った。
最新の研究によると、脳をMRIでスキャンした結果の統計では、男女の脳で構造の差は、しかし存在しないらしい。かつて言われていた男性脳、女性脳はほぼほぼ幻想だったようだ。
NTTの社長が入社式で「私たちは女性と男性は違うと考えています。人間という意味ではもちろん一緒ですけれども、能力や特性の得意な分野が違うと思います」と述べて猛批判を受けた。でも寄せられた批判のコメントを注意深くみると、男女の能力は当然違う、と性差を前提にしてるものが散見される。はてなブックマークでは男女の脳の性差はたびたび話題になっていて、その都度、必ずと言っていいほど「性差はあってもおかしくはない」という意見があがってくる。
いつだったか増田で、“男性にも読める”少女マンガが話題になった。ジェンダー論の発展した今日でもマンガの読者が性別で分かれているのには合理的な理由はあるかもしれない。
思い出を振り返ってみると、友だちの女子はすぐ泣く傾向はあったかな、と思う。だけど小学校以降で、男が泣いているのは、まったく思い出せないんだよな… 🤔 男は、何故か泣かない。
男女の思考の差が人々に根強く信じられている一方で、科学的な調査を重ねるほどに脳には差がないことの証拠が積み上がる。そうして脳の性差のナゾは深まっていく。
女性のプロ棋士はいない。インターネットなどの技術発達によってあらゆる趣味で、学びの高速道路が整備されているにも関わらず、将棋の最高峰でしのぎを削る女性はいまだ現れていない。
この理由については色々言われている。女性のプレイ人口が少ないせいで才能の山の高さも低くなる、とする説。より男性の比率が高い囲碁での女性の活躍を持ち出して、それを否定する説。虚心坦懐に女性の生理の影響を論じたブログ。男性には圧があると語る女性。脳構造ではなくソフトウェア面——脳の機能に違いがあるとする仮説もあったが、これは証明が難しいだろう。
先日、女流棋士の顔写真が並べられてサムネイルになっているニュース記事をみた。未成年のふたりの女子。コメントは、一方だけを美人だ、とする評価が人気になってた。少なくとも将棋では脳の性差は持ち出すまでもないと思う。
この記事はなんか「教養」を優先してばかりで「面白いから」見るべきアニメをめっちゃ見落としてる気がしてならんので補足したい。
その時点で厄介オタクだわ。
とりあえず先に一覧。次に解説
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/まどかマギカ/ゼーガペイン
ラピュタ/トトロ/もののけ姫/ナウシカ/千と千尋/カリオストロの城
日本人の半分ぐらいは全部見てるんじゃないかと思うが、たまたまタイミングが合わずに見てない作品が1つ2つある人もいると思うが絶対見て欲しい。
千と千尋だけはストーリーラインがちょっと退屈かもしれないけど映像は凄いので見る。
他のジブリ作品は気になったら見ていけばいいのでまずはこの5+1は確実に抑える。
パロディに使われることも多いし。
1stガンダム→Z→逆シャアまでの時系列で展開される物語は単に続編って言うだけじゃなくて、作中時間が大きく流れることで描ける世界観の広がりがあるのでやっぱ見て欲しい。
Wはガンダムシリーズが派生の果てに手に入れた多様性の一つとして抑えて欲しい。
イケメンがバンバン出てくるアニメながら、戦争の時代の中で新時代の感性を持った少年たちがその中でもがくというシリーズの基本骨子を踏襲している所を感じるにはコレが手っ取り早い。
∀は多様に膨らんだガンダムシリーズの集大成としての、いわばガンダムを四季になぞらえたときの冬、人間に例えたときの壮年期を描くような作品であり、シリーズの生前葬を看取るような気持ちで鑑賞すると流れが見えてくると思われる。
劇場版コナン時計じかけの摩天楼/ドラえもん のび太の魔界大冒険/ドラゴンボール超ブロリー/デジモンアドベンチャー/サマーウォーズ/時をかける少女/パーフェクトブルー/楽園追放/攻殻機動隊GHOST IN THE SHELL/雲のむこう、約束の場所/シンエヴァ序・破
ひとまずコナン、ドラえもん、ドラゴンボールは名作を一個ぐらいは見ておいてもいいと思う。
たまたま微妙なの引いてそれ以降見てない人とかもいるかもだし。
デジモンなんだけど、たしかにぼくらのウォーゲームは最高に面白いんだが、アニメ映画としての美しさは先に作った方の「ボレロのシーン」の方が上だと思うんだよな。
あとウォーゲームとサマーウォーズで展開を使いまわしつつもより大衆向けに作り直されている所も見比べて欲しい。
時かけ~エヴァ破までのは似たような作品があるから弾かれたんだろうけど、こっちも普通におもしろいので見ろって感じ。
特にパーフェクトブルーは突破力のヤバさにおいてパプリカや千年女優さえ大きく凌いでると思うので、アニメを楽しむにしろ「語る」にしろ抑えておくべき優先度は上な気がするんだよな。
エヴァは旧劇も見てほしいしシンも終わりまで見てほしいけど人を選ぶからひとまず外す。
トップをねらえ/R.O.D/CCさくら/カウボーイビパップ/コードギアス/宇宙よりも遠い場所/プラネテス/ガールズアンドパンツァー
歴史を語る上で重要じゃないからってことで外された感じなんだろうけど……巨人の星やガンバの冒険を令和になって見返すならその時間でこっちの中でまだ見てないの見たほうがいいでしょ……。
ギアスは中二病アニメの最高峰、宇宙よりも遠い場所は単純に名作、プラネテスは入ってない理由がわからないレベル、ガルパンはいいぞ。
serial experiments lain/マクロス7/電脳コイル/スクライド/GUNGRAVE/ギャラクシーエンジェル/ぱにぽにだっしゅ/無限のリヴァイアス/ゼーガペイン
下手に入れると本筋から迷子になるから外されたであろうアニメ達。
lainは不世出と言って良いほどのオカルトアニメで見ているだけで電波で頭がおかしくなる。
マクロス7もこれこそまさに不世出のオンリーワンとしか言いようがない狂った世界を展開しておりアニメという表現が秘めた可能性を感じ取れる。
電脳コイルはマイルドな攻殻機動隊と言った作品なのだが、この作品が出た直後ぐらいからデジタル技術やITが物珍しさを失い単品でテーマになりにくなっていった歴史的背景が面白い。
スクライド・GUNGRAVEは共に男の義務教育と言われるほどの意味不明な暑苦しさによりカルト的人気が今でもある。
ギャラクシーエンジェル・ぱにぽにだっしゅはどちらもパロディやコメディを扱った作品であり、内容にその当時に流行ったネタが込められていて年代を意識して見返すとリアルタイムとは違った趣がある。
リヴァイアスはロボットアニメと見せかけて宇宙空間で少年少女が蠅の王をやることで普通のロボットアニメを期待して見に来た視聴者に大きなトラウマを残す作品。
まどマギはそういった既存文脈をひっくり返して露悪趣味に転じる作品において最も成功した作品だと思われる。
ゼーガペインは「◯話まで見ろ」の最高峰の1つなのでぜひ主人公の妹が登場するところまで見て今後切り時を考えるときにより深く悩んでもらいたい。
お前が好きなアニメ並べてるだけだろって感じになっちゃった……。
でもさ、こういうのってまずは「自分が見て楽しいと思った作品」を紹介するのが大前提だと思うんだよね。
「白蛇伝や巨人の星見ようぜ!アニメの歴史学ぶために!」とか言われてもね……
あ、商用じゃないから書き忘れたけど「DAICONFILM」は見たほうがいいな。
アオイホノオのドラマの中で見るだけでもいいけどアレを見ておくと「どういう作画技法がオタクの間で人気が出るのか」がひと目で分かるから。
当時は、とにかく都会に行きたかった。
宮崎県北最大の都市である延岡は、とにかく憧れで、「まち」と呼んでた友達もいた。
さらに、宮崎市となれば、広島通りや山形屋、宮交シティ、フェニックス自然動物園がある、延岡×2であり、1年に1回行けるかどうかの超憧れ
(可能性は限りなく低いが)ネタバレになりうるので、見たくない人はみないでください。というか読む価値はほぼありません。
あんまり突飛な予想はできないし、割と”当たり前”な方向の予想しかしてないので。ほぼ確実に外れます……
1つ目は、酒とバラの日々(Days of Wine and Roses)について。S6Ep01の冒頭は、この映画の音楽をBGMに、恐らくブレイキングバッドで逃がし屋で逃げた後、ソウルの屋敷が差押えされるシーンがセリフ無しで描写される。映画「酒とバラの日々」では、アル中の夫婦の内、夫は立ち直るが、妻はアル中を認めずに夫の元から去ってゆく。この"アル中"は、BcSにおいてはハワードをはめる詐欺、悪事の事ではなかろうか。キムが悪事を止める事・認める事が出来ずに、ソウルの元を去っていく、もしくはソウルと何らかの理由により離ればなれにならざるを得ないという事で、これはBreaking Badにキムが出てこない事の説明になる。Breaking Badの時代にはキムは死んでいるという予想も世では根強いが、これは正直あり得ないと思う。理由は後述。
S6がスタートし、ジミー&キムは、ケトルマン夫妻との類似点が強く示唆されてる。ジミーはキムの言う事に強く影響される。
クレイグケトルマンはベッツィーの言いなりだ。役所から金をくすねたのも、ほぼ間違いなく彼女の入れ知恵で、その言い訳についても彼女の受け売りだ。彼らが横領した金をマイクが盗み、それをジミーがばらした時、金に執着を示した(金のありかに飛んで行った)のもベッツィーで、クレイグはあまり執着していなかった。「ピクニック」のテントでジミーとお金のバッグを引っ張り合ったのもベッツィーだ。S1Ep04で、くすねたお金の正当性をジミーに話しているときも、クレイグは事前にベッツィーに言い含められたことを喋っているに過ぎない。クレイグが執着したのはベッツィーだ。S1Ep01で初登場した際に、ベッツィーは赤いブレスレットと鞄を見につけているが、クレイグはライトブルーのシャツにネイビーのネクタイだ。赤は犯罪やその人の危険性を示している。いい人は青い。(cf. https://www.youtube.com/watch?v=1tN2K_Rq_K4 / https://twitter.com/petergould/status/570055433001369600)
他方、ジミーとキムについてみてみると、S1Ep05で、ネイルサロンでキムがジミーに高齢者法を勧めた直後、ジミーはチャックに高齢者法を専門にしようかと語っている。S6Ep01では、キムが「ソウルが乗る車はこういうの、ソウルの事務所はこういうの」とジミーに彼女の思うソウル像を語っている。S5Ep10から言及されだしたハワードを陥れる事についても、ジミーが乗り気でなかったのを、キムが促した。S6Ep03でも、ジミーはヒューエルに"A couple months from now, there are people whose lives are gonna be way better." と語っている。これはS5Ep10でキムに吹き込まれたことそのままだ。ジミーはキムの言う事をどんどん内面化している。そして、クレイグと同じく、ジミーも妻であるキムに執着している。
クレイグが詐欺などの言い訳をベッツィーに吹き込まれた通り喋ってるのは、ジミーのこれらの出来事と恐ろしいほど似通ってる。この2つのカップルの違いは、金に執着するベッツィーと、正義に執着するキムなんだと自分は予想する。勿論この正義はキムの考える正義で、それを実現するのはハワードを陥れる事によってすぐ手に入るサンドパイパー和解金で、結局金だ。キムはハワードに散々嫌がらせをされ、ジミーを貶されて気分を害してきたが、彼の社会的生命を終わらせるのは完全に一線を超えている。
ここまで2組のカップルの共通点を描いてきた制作チームが、このことをこれから起こる事の暗示として使っていないとは思えない。
実際、ジミーはここまでキムの言いなりで来たわけではない。キムが嫌がる事もやってきた。だからこそ、S6でそれが変わることの暗示としてケトルマン夫妻を再登場させたのでは?
ただ、ケトルマン夫妻は、少なくとも今の所、お互いを裏切るような事はしていない。これがジミーとキムの今後にも当てはまってくれることを願ってやまない。例え"Days of Wine and Roses"のように、キムがジミーの元を去る、もしくはなんらかの理由で離ればなれになるとしても。
滑りのジミー(Slippin' Jimmy)という二つ名を持ち、シカゴサンルーフを(運悪く)子供にみられて性犯罪者になりかけたジミー。彼ははS1では兄思いの善良な人間だった。更生していたのだ。そして独立開業の弁護士として悪戦苦闘してもいた。金に困って当たり屋をたくらんだり、横領犯のケトルマン夫妻から弁護士報酬として口止め料を受け取ったりはしたが、そもそも金に困った原因はチャック(兄)にもある事が描写されている。チャックの負担が無ければ困っていなかったのかどうかは判断がつかないが。
S1終盤に兄の2度にわたる裏切りが発覚し、Marcoの形見のピンキーリング(Slippin' Jimmyの象徴)を身につけ、少し"カラフル"にはなったものの、ジミーはS6になっても、未だに暴力的な事に拒否感を示し、ケトルマン夫妻のような非暴力犯罪者へのシンパシーをも持っている。これはBreaking Badで描かれていたソウル・グッドマンとは明らかに一線を画している。
BrBaS2Ep08で、「ヤツ(バッジャー)を殺せばいい」と言ったり、S5Ep10でハンクを"ベリーズ送り(殺すの暗喩)"にする事を提案するような、一線を越えたソウル・グッドマンにはまだなっていない。フランチェスカに白眼視されるようになった理由もまだ不明だ(ベターコールソウルではまだ非常に愛想が良い)。あと10エピソードでこのラインを超えるにはどういう流れがあるか、と考えると、これはもう「そうある事をキムが望んだから」以外に無いんじゃないかと現時点では思ってる。多分99%外れるんだろうが。実際、ジミーはBreaking Badでキムが「El Camino」で話したような車と事務所を実現している。これが、ケトルマン夫妻との類似点を描いてきた元になっていると考える。
一方でキムはどうか。貧しい家庭に生まれ、HHMの郵便室で働きながらロースクールに通い、弁護士になった。S1では上昇志向で、ハワードみたいなまっとうな弁護士に憧れて、そうなろうとしている彼女がいる。S1では法に触れる事も倫理的な問題もない。
S2Ep01で、キムはBreaking Badの最初の一歩を踏み出す。被害者はケンだ。ホテルのバーでGiselleとなり、ジミー扮するViktorと一緒に株屋をハメて、高級テキーラを奢らせた。しかし、せっかくD&M(有力弁護士事務所)に入れたジミーが、スクワットコブラーの証拠ビデオを捏造するという「危ない橋」を渡った事を非難し、二度としないで、という位には理性的だった。しかし、S2も後半になると、独立と同時にHHMから引き抜いた大規模クライアントメサ・ヴェルデを、チャックの口先で取り戻されてしまう。ジミーは書類を書き換え、兄に恥をかかせる事で、メサ・ヴェルデをキムの手に戻すことに成功する。キムはこのことを知るもジミーを責められず、逆に証拠隠滅を促すまでになっている。
S4ではヒューエルの投獄を避けるために、自ら大掛かりなお芝居を発案し、ジミーと一緒に検察・法廷を欺く。S5では暴走気味のジミーの足手纏いにならないように(という言い訳で)ついに結婚。ジミーがカルテルと仕事をするのも止められず、ジミーの危機には自らカルテルのボスに接触したり、言い負かしたりし、ついにはハワードを陥れる計画を立てるまでに。理由は社会的弱者への弁護に必要な金を調達するため、ではあるが。
S6Ep02の最後には、赤黒だんだら模様のブラウスを着て腕組みしており、最早悪人として描かれている。Ep03ではさらに「I guess it's basically... Do you wanna be a friend of the cartel, or do you wanna be a rat?」なんてセリフを吐くまでになっている。
こうしてみると、この物語が始まった時からの変化は、キムの方がジミーよりも何倍も大きいように思える。もはやS1の頃の、「あと2年頑張れば大手事務所のパートナーになれる」まっとうなキムは居ない。この先、さらにエスカレートしたキムが理想とするソウル・グッドマン。Better Call SaulのジミーとBreaking Badのソウルを超える壁は、このキムの理想・想像ではなかろうか、という予想は的外れだろうか。
Season5までの第一話は、Breaking Badで逃亡した後、ジーン・タカヴィクという人になり切ったジミーのモノクロ・フラッシュフォワード・コールドオープンで始まる。Season6のポスターは、そのジーン(白黒)が色鮮やかな赤い上着を羽織ろうとする瞬間が使われている。ソウル・グッドマンの復活の暗示(ほとんど明示)だ。
これは、Better Call Saul S4Ep05のコールドオープンで、フランチェスカに頼んだ11月12日の午後3時の件でもあるだろう。
さて、ジミー・モーガン・マッギルは、逃亡直前ソウル・グッドマン事務所に置いておいた金とわずかな思い出の品だけを持って姿を消し、ジーン・タカヴィクとなった。そのジーン・タカヴィクがソウル・グッドマンに戻る動機はどれくらいあるのか?想像力に乏しい自分には、キム・ウェクスラーの為としか思えない。どういう窮地のキムをどうやって助けるのか?これも想像力無さすぎて分からない……
一方で、キムを窮地に陥れるのか?という問題だが、こちらも現時点ではラロしか思い浮かばない。Better Call Saul最強ヴィラン笑うボス。彼は、Breaking Badでのガスのセリフ「あんたとホアキンだけだった。彼が最後の身内だ。サラマンカの名前は— あんたで終わりだ」と、Breaking Badでは一度も姿を見せない事で、Breaking Badタイムラインが始まる前に死亡しているというのが通説だった(名前だけはソウル・グッドマンが言及している)。
ここまで、Better Call SaulはBreaking Badの前日譚として、数々のEaster Eggを飾り立ててきた。それらはかなりストレートかつ不自然さのないものだった。視聴者的にも予想を裏切られるようなEaster Eggは無かったように思う。1点だけ、予想外のEaster Eggを埋め込んでくるとしたらここではないか、ここでそれを使うのが一番効果的ではないか?というメタ視点で、ラロの生存を予想している。生存とはいっても、ソウルはラロの死を知らず、ガスやヘクター(こちらだけは万一がありうるか?)はラロの生存もしらない。そういう形の計画的失踪をたくらめる知性も持っている。お膳立ては十分では?
以上、まぁ大した事も書いてないが、この中の少しでも当たってたら後からドヤ顔したいので、アリバイ的に投稿しておく。
いやぁ、しかしまぁ、本当に面白いドラマだよ。世界最高峰だよ。脚本だけじゃない、演技も映像も音楽も、すべてが最高峰。今のご時世、一挙配信ビンジウォッチ(一気見)が流行りだけど、1話ずつ(S6最初は2話公開だったが)公開されて、1週間その話題と次の予想でここまで盛り上がれる作品が今あるんだろうか?これからこれを超える作品が出てくるんだろうか?それが疑問に思えてしょうがないレベルでベターコールソウルにぞっこんだ。