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2024-01-19

anond:20240118234905

仏教の話が皆無だなぁ。学会員さんが信じてるのは学会池田大作なのが伝わるというか。

真面目に教学すると、僧侶を捨てたって事実を前にどうしようも無くなるもの

そして僧侶が居ないから、経文読む意味も、題目あげる意味も伝わらない。

御書を読める人は居なくなり、法は失われる。悲しい事だよ。

2023-05-06

anond:20230506222602

学生部に関して言うと、男子学生部恋愛に緩く、女子学生部は暗黙の了解恋愛禁止みたいな空気がある。

俺は生まれた時から会員の福子なんだけど、付き合うなら絶対内部と決めてた。大学時代に好きになった人が外部だったか折伏して入会してもらったけど、御書御書講義、唱題への姿勢が低く、どれだけ女子部の幹部を読んで指導してもらっても響かないから冷めて別れた。

そのせいで周りから折伏のために付き合ったと思われてる。

2022-07-15

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい・2

https://anond.hatelabo.jp/20220715032108 これの続き

偏見を感じる

とあるサークルに入ってみたら、カルトタブーギャグにする俺イケてる! みたいな感じで、部誌に全然似てない池ちゃん似顔絵原稿に描いてきた先輩がいて、部誌の編集に携わっていた私は、「これは良識的に考えて載せらせません」と断った。

私は誰にも私が学会員であることを明かしていないながらも、池ちゃんはそんな似顔絵で茶化される存在なのか…と思うとなんだか、ごく普通ことみたいに、胸が痛かった。

その様を隣で見ていた別の先輩(現在の夫)はいまだにその掲載謝絶エピソードを覚えていて、私にたまに話してくる。

社会人現在。そして雑感。

現在

非会員とほぼ同じ生活を送っている。

ほぼ、と書くのは、コロナ前まで、年イチ、元旦にある「新年勤行会」だけは親につきあって顔を出していたから。今学会どうなってんのかな? と見に行く感じ。

未だに新入会員とかいて(その場で発表される)「へー」って思ったり。私より若い人たちも意外と頑張ってたり。

私自身が活動しない理由はまあ、面倒くさいから、これにつきる。

背筋を伸ばして顎を上げ、腹から声を出し唱題することで感じる唱題ハイを感じたこともあるけど、毎日決まった時間仏壇の前に座るのは面倒くさい。仏壇という存在も面倒くさい。

ごろごろしたいか仕事の後会合なんて絶対無理だし、友達家族もいなくなりそうだから選挙折伏新聞啓蒙なんてもってのほか

周囲から偏見だってもちろん面倒くさい。

多額献金なんて私のまわりではきいたことないが(そういう会員がいてこそ、ヤフドも借り切れ立派な会館も建つってもんだろうから否定してるわけではない)まあそれでも年1くらいは、いくばくかお金もつつまないといけないだろうし。

新興宗教はとにかくマジであらゆることが面倒くさいし、見合うリターンがあるのかっていったら多分ない。

それでも、なんの活動もしてなくて、上のようなことを書くようになった今にいたっても、現金もので、どこか「ご本尊様」というのは心の支えになってるところは確かにある。

何かピンチの時に心の中で「南無妙法蓮華経」と念じると心が落ち着くところがある。

それは、人によっては別の宗教なのかもしれないし、おいしいパンなのかもしれないし、大事な人なのかもしれないし、野の草花なのかもしれない。

いずれにせよ、あなたの心の中にあるそれと、実際大差ないのではないかと私は思うし、心の中に支柱があるということは、精神の安定に他ならない。

とっさに念じられるものがある心は強いなあと、それだけは思う。

義姉はプロテスタントなのだけど、何か困難があってを祈る時は「主よこの困難を取り除いてください」ではなくて「私にこの困難を乗り越える力をお与えください」と祈るのだという。

どこか通じるところがある考え方なだなと個人的には思っている。

現在の母の信仰

熱心だったうちの母も、往時ほどには活発に活動していないし、「最近学会池田教にみたいになっていて嫌だ」とこぼすこともある。

私にこぼすどころか、同じ地区の会員らにはっきり「先生先生といって、池田教みたいになってることには抵抗を覚える。牧口先生戸田先生尊敬しているが、池田先生私たち信仰を導く同士であって、信仰対象ではない。私の信仰対象日蓮大聖人であり、南無妙法蓮華経であって、池田先生ではない」ということを伝えて活動している。

からっつって別にそれでハブられたりすることもなく、仲良くやってるようだ。

今は離れて暮らしてるので、母体のしっかりした、善人の多いコミュニティにいてくれて安心だなーと思ってるところすらある。昔に比べて会自体マイルドになりつつあることもあるだろう。

多様性真逆からな、折伏なんやって。

母は亡くなったら友人葬学会員葬儀スタイル。特段にお金はいらないと記憶している)で送ってほしいということだから、この前帰省した時、地域の取りまとめしてる方にご挨拶をして、実際にことがおこったとき誰に連絡して、どうすればいいのかという話をきいておいた。

葬儀屋の方も心得てるし、我々にも「しょうてんぎ長」(だったかな? 漢字わかんない)っていう係の人がちゃんといて、ネットワークがあるのでまったく心配ないとのことだった。

事前にどうすればいいのかわかんないとアワアワしそうだし、その話はきけてよかった。

公明党

公明党については…そもそも新進党がどうのみたいな紆余曲折も幼心に疑問ではあったのだけれど、大学のころくらいは、政党として悪くはないんじゃない、まっとうなんじゃないくらいには思っていた。

でも連立が長引くにつれてそういう気持ちは消えた。

チラッと書いたけど投票もしてない。

親はしてると思ってるけど、私は入れませんとか言って老い彼女を悲しませるのは本意ではないので、口では「入れてるよ」と言っています

ちゃんについて

スピーチ演説はめちゃくちゃうまいなという印象。

創価中・高増田はその内容の中身のなさを看破していたが、なんか普通に「キング牧師は言った! ○○と!」みたいな引用でも抑揚のつけ方、話し方がすごくうまくて、声にも不思議な魅力・よさがあると思う。

教えより何より池ちゃんスピーチ(中身がないのに説得力があり魅力的)が一番カルトっぽい。

こういってる私も昔の池ちゃんスピーチ新年勤行会でプレイバックしてるのきくとなんか感動してしまう。

ただし会館を出るころにはさっぱり忘れてしまうのだが。

やっぱここまででかい宗教になったのはひとえにこの人の力であり、この人を先生先生と言ってる限りはカルトのそしり免れ得ないのだろうな~と感じる。

そこがうちの母なんかが納得いってないとこなんだよな。

学会員メンタルについて

一般社会と同じでいろんな人がいるとしか言いようがない気がする。

ヤフコメで、「自分二世だけど、自分努力して成し遂げたことも、家族にはすべて「ご本尊様のおかげ」で済まされてしまい、自己肯定感が著しく下がった。今はそんな実家距離を置いてる。大嫌い」、みたいなことを書いてる人がいて、あーなんかこれ学会の人超言いそう、コメ主の気持ちはなんとなくわかるなと思った。

うちの母も「あんたがこんなにいい子に育ったのは私がご本尊様に祈ったからよっ! 子どもがほしくてほしくて祈ってできた。信心のおかげでさずかった」とよく言っていたから。ていうか今もいってる。

しかし私は、自分のあげた成果(たいしたことはいっこもない)を母に「ご本尊様のおかげ」と横取りされたと感じたことはない。

いつだって私自身をすごく肯定して育ててもらったなーと思っているし、今もほぼ全肯定でいてくれるありがたい存在から、私も母のことについて、できる限り肯定的でいたいなと思っている。

母が子を授かりたいと思って祈り、さずかり、育てながらやはり絶えず祈ってきたというのはただの事実であって、そこを否定する気持ちはない。

そういう経緯で生まれて育てられてきたこ自体も含めて私なんだろうなと思うし、それが嫌だなと思う気持ちはない。

全然関係ないけど、7年くらい前、長崎旅行友達に買ってきたお土産ミニよりよりを母が勝手に食べてしまい、わるびれもせずに「あんまりおいしくなかたった」と言い放ったことに対して、めっちゃ怒ってしまたことがあったんだけど、最近それをよく思い出しては胸が痛くなる。

なんであんなに怒っちゃったんだろう…別にいいじゃん、それくらい。

鎌倉より京へは

地元の会員さんが絵手紙に凝っていた時期があり、4年くらい前の誕生日に、色紙にあじさいの絵と『御書』の一節を書いてくださったことがあった。

うすあおく、うすむらさきでもあるあじさいの花にかこまれ、こう書いてある。

鎌倉より京へは十二日の道なり、それを十一日あまり歩みを運びて、今一日になリて歩みを差し置きては、何として都の月をば詠め候うべき」

日蓮が書いた、新池左衛門尉への消息文より)

信仰思想信条にかぎらず、「途中で投げ出すなっつーに」というのは、いつだってどんな局面だってシンプルに心にしみる言葉だなと私は思っていて、いただいてとてもうれしかった。

色紙は実家に大切に飾ってある。(結局自分ちには飾れないっていうオチ

創価学会二世としての記憶感想を私も書いておきたい(クソ長文)

創価中高ですごした増田https://anond.hatelabo.jp/20220714094742)に触発されて。

今のわたしのように、たとえ大人になってから学会活動をやらなかったとしても、親の庇護下・監督下にあり、人間として成長段階でもある、幼少期・思春期青年期前半くらいまでを「二世」として過ごすって、人生経験の中で結構インパクトがある出来事のような気がする。

たまに誰かに話したいな~とか思うけど、世間的な見られ方から、「私親が学会で~」っていうのはいまだに言いづらく、そこでどんな活動をしていたかというのは周囲の非学会員には一切話したことがない。

増田になら…と改めて思ったので、書いておこうと思う。

生誕とほぼ同時に入会

うちは最初に母が入って、父が母につられて入ったという感じで、活動に熱心なのは母だった。

父は言われて新聞配達してたくらいで、仏壇の前に座るとかそういうことは一切しないライト会員。

私は生まれた翌年の桃の節句の日に入会した。0歳なのでもちろん自発的悟りとか目覚めとか釈迦みたいなことではなく、親に勝手に入れられた。

このシステムがまずすごいよなと思う。自発的意思が芽生えないうちから新興宗教に入会って人権蹂躙っちゃそうだろという気がする。

入会日を桃の節句にあわせたのは女の子だったからだそうです(シンプル理由

幼稚園(『お寺』との断絶)

私自身に学会員の自覚はなかったが、母はバリバリ活動していた。会合なんかにも連れられて行っていた。

地域役員地区部長とか? 的な人の家でやるやつと、文化会館といわれる宗教施設でやるやつ、どっちにも連れていかれていたが何の集まりかは全然わかってなかった。

人がたくさん集まってて、同年代の子ももいる集いにつれていかれ、後ろのほうで遊んだ絵本よんだりしてるくらいの感じ。

ちなみにこのころは、まだ学会日蓮正宗破門されていなかったので、普通に七五三等で日蓮正宗のお寺にも行っていた。

が、破門されたとたん日蓮正宗邪宗筆頭みたいな扱いになる。

戦前戦後の墨塗教科書感があり、当時ですらちょっと「え? もうお寺にいかないの…なんで…?」ってなってた。

小学校(自宅で会合が始まる・合唱団入団選挙活動

自宅で会合が始まる

母が地区役職についたようで、低学年のころから自宅が週2くらいある会合の会場になった。

家が創価学会会合の会場になるとか、もしかしたらかなりヘビーな悲劇二世体験のように思われるかもしれないが、実際にはに集まった大人の人らにかわいがってもらったりおしゃべりしてもらったり、同世代の子どもと楽しく遊んだりという記憶しかない。

家に人がたくさん来るのがシンプル楽しいので、自分から会合の場にいることが多かった。

嫌だな~と思ったことはなかった。日常風景みたいな。でもそれは小さかったからで、多感な時期からそうなってたら絶対嫌だったと思う。

会合最初にみんなで法華経方便自我偈をとなえたあと、唱題する。

低学年のころ、その方便品の教本(勤行要典という)をみて、会合に来た大人たちに「これは外国言葉なのか? 何が書いてあるのか?」ときいて困らせた記憶がある。ひらがながふってあるので音だけは読めたが意味不明すぎて…。

あと、会合してる裏で、当時家で飼ってた猫が産気づき、私が猫にかぶりつきで「がんばれー! もう少し!」とかでっかい声ではげましていたので、隣の部屋で会合中の大人らはこっちが気になってしかたなかったらしいということがあった。

会合座談会の内容は、『大百蓮華』(日蓮の残した著作(まとめて御書とよばれる)の抜粋がのってる会合用のテキスト月刊)の勉強とか体験発表とか、今思っても穏当な感じだったなと思う。

学会歌を歌う時間とかはもちろんあった。

家で歌われまくってたのと、中学くらいまで学会歌のオルゴール目覚まし時計(なんかの記念品)で起床していたので、今だにメロディーの一部をおぼえている。

https://www.youtube.com/watch?v=Z5ydB2Onbo8

朝この曲で起きてました。奇特すぎ。

役職についてる人がいるとはいえ子どもの目には会員同士の関係あくまフラットな感じに見えていた。

合唱団入団

今もあるのかしらないが、当時、学会二世キッズは、学会がやってる合唱団にさそわれることがあった。

しかしこれは入会時とちがい、親に強制的に入れられたのではない。

母に「やってみる?」ときかれたので、そのころウィーン少年合唱団にあこがれていたというただそれだけの理由で「やってみるわ」と答えた次第。

ウィーン少年合唱団にあこがれてなかったらたぶんやんなかったし、やんないならやんないで母は何も言わなかったと思う。

一応入団に際してオーディション的な歌唱テストもあったが、そこで音痴だったら落ちるのかっていうのはわからないし、多分そんなことないんじゃないだろうか。

入ってみたら、多分毎週ではなかったと思う駆れども、日曜日文化会館指導があった。

指導学校音楽教師してる等、歌舞音曲の心得のある会員が、おそらく無報酬でやっていて、学会歌ではなく一般的合唱曲練習をしていた。

たんぽぽ」(どんな花よりたんぽぽの花をあなたに贈りましょう♪)にここで初めて出会って、なんて素敵な曲なんだろう、情景が目に浮かぶぜ…とめっちゃ感動したのはいい思い出の一つで、いまだにとても好きな歌。でもタンポポ別にいらない…。

小学校が違う気の合う友達もできたし、先生の一人が若めのイケメンだったので合唱団は楽しみだった。

創価中高の増田も似たニュアンスのことを言ってたが、池ちゃん外国歴史上の偉人リスペクトしがちで、それが関係してるのかしらないけど、ある日突然第九…大晦日に歌うあれを練習しますーってなった。

小学生ながらに「フロイデーシェーネルゲッテルフルケン」とかって一生懸命練習したよね…。

なんのためにやってたかというと、当時、学会がヤフド(当時は福岡ドーム)を貸し切って、そこで池ちゃんがやってくる大規模な記念式典をやることになってて、そこに九州ブロック? のみんながあつまって第九合唱する…みたいな話になってたので、そのため。

このとき練習普段練習の20倍くらい気合が入っていて、池ちゃんが来ることの重み・貴重さ、池ちゃんの前で歌を披露できることがどんなに名誉かをめっちゃ説かれた記憶がある。

あと、合唱のほかにも「夢や目標をもったら、それがかなうように唱題(お題目を唱える)を一生懸命やりましょう」的な指導があったのだが「でもお題目を唱えるだけではだめ。目標をかなえるためには、そのための努力もかかせない。努力に加えてお題目も唱える。どっちかだけでは意味がない」ということを先生が言っていたのを今でも覚えている。

今の私は別に努力だけでいいだろと思うが、現世利益志向宗教として、特段変な教えじゃないよなってのは思う。

なんの催しか忘れちゃったんだけど、発表会のために合唱団員の何人かからダンスするメンバーを選ぶってことがあって、私は踊りとかドへたくそなのになぜか立候補

練習時点でグダグダの踊りを披露してたんだけど、そのとき自分でやるっていったんだから責任もってしっかりやろう」という、もはや信仰とかなんも関係ない普通ダメだし(指導)受けたのも印象に残っている。

選挙活動

学会二世には「選挙祭り」って感覚持ってる人がいるんじゃないかと思う。

実際祭りだし、会員はその時期になると手弁当で友人知人宅を突撃し、候補者のビラをわたし投票のお願いをしていた。電凸とかじゃなくて、家凸。やば。電凸もしてました。

でも不思議なことに、母って、当時凸ってた相手と絶縁どころかいまだに仲いいし、最近できた非会員の友達(母はめちゃくちゃ社交的で友達が多い)に対しても、投票日に投票所に連行する「連れ出し」とか平気でやってるのに、不思議と嫌われてる様子もない。こないだ連れ出し被害食らった人と母と私の3人で飲んだくらい。

私は自分友達に同じことやったら絶対ドン引きされて絶縁されるだろうなと思うんだけど。このへんは世代感覚なのか、母のキャラゆえなのか、いまだによくわからないところ。

とにかく私は同じことはできないし、したくもないし、そもそも公明党には投票してない。

話がそれたが、当時の家凸は、同じ地区の会員同士で車とかに乗り合わせて回ることがおおくて、子どもの私も車に同乗していた。

完全にお出かけドライブ気分だし、乗り合わせする家の同世代の子とかも来るので、普通に楽しんでついてってた。

あと、当時は親のやってることや信じてることを当然に受け入れていたので、乗り合わせた子といっしょに、信号停止中、後部座席からリアガラス候補者のチラシを掲げて、後続車にアピったりしていた。

若いカップルがにこにこ笑って、オッケーマーク出してくれたの未だに覚えてる。向こうは覚えてるかなあ。

今おもえばひたすらめちゃくちゃ寛容な人たちだ…それか会員だったのか?

中学校(活動に疑問を持つようになる・教学試験

活動に疑問を持つようになる

小学生のころから国語社会歴史)が好きだったんだけども、中学生になると古文の授業がはじまり日本史の分量も増えたこともあり、その分野への興味関心は増していった。

母の蔵書である古典文学全集解説書、文学文化財の図録本などを開くのが大好きで、たのしみな時間だった。

円地文子清少納言枕草子解説している文章リリカルかつキリリとした美しさに感銘を受けた。

腐女子としての目覚めとこじらせも発生していて、その脳のままに平家物語現代語訳を読んで、平経正守覚法親王関係都落ちに際して琵琶返しにいくあれ)に爆萌え

絶対修学旅行では仁和寺に行きたい!! って心に決めて実際行ったり、数多のいにしえの物語随筆舞台になった京都、その登場人物である彼女ら彼らが参詣し今も残っている古寺への興味がすごく高まった時期だった。

しか学会員は寺とか神社とかを蛇蝎のごとく嫌っており、母もそういうメンタルだったので、京都や、京都に限らず、寺や神社積極的に行きたがる私との間でちょっと揉めた。

寺や神社を頭ごなしに否定する学会員の在り方に疑問が芽生えてきたのもこのころだった。

教本には、勤行の最後には「諸天善神のおんために」祈ると書いてあり、ご本尊にも「南無妙法蓮華経」の字のまわりに、いろんな神様名前が書いてあるのに謎すぎる。

(ちなみに改定が入った現在の教本では諸天善神のおんために、部分は割愛されてるらしい。祈れよ)

私は母に、はるかから善男善女が祈ってきた場がそんなに悪い場所であるとはどうしても思えない。貴重な文化遺産歴史の息吹を感じさせるすてきな場所だとしか思えない。そんなに嫌うなんておかしい、というような趣旨のことを懸命に訴えた。

訴えられない、訴えても聞き入れてもらえない学会の家の子もいたのかもしれないけど、私の母はそういうタイプでもなく、私の考え方や言動によって、寺や神社への抵抗感は薄れたといっていた。

そんなわけで、母とはのちに一緒に京都旅行を何度もすることになったし、そんなときには寺や神社にも普通に詣でた。

世間一般学会偏見をもっているんだなあ…ということを知ったのもこのころだった。

中学友達立正佼成会で、呼び出されて逆折伏されそうになるっていう出来事もあってしんどかった。そして世間からしたらどっちもどっち

政教分離的なところでも疑問が生じてきて、もやもやすることが増えてきた。

でも学会は小さなころから当たり前に傍らにあるもので、うちは別に多額の献金とかで破産してるわけでもなければ、活動生活破綻してるわけでもない。どころかその時点で、楽しい思い出がいっぱいあった。

(今もって)学会の一側面しか知らないにもかかわらず「世間で決めつけられてるような団体じゃないのに…」というジレンマを感じていた。世間で決めつけられてるからには理由があるだろうに…。

ちなみに、法華経方便品は一体何を言ってるのか? という低学年のころ解消されなかった謎は中学生の時まで続き、ミネルヴァ書房から出てた法華経日本語訳を読んで解消した。(文化会館の、数珠とかうってるグッズ売り場で普通に買えた)

読んで「シャリホツ!(なるほど!)」みたいな感じあった。(?)

日本語として何を言っているのか? という謎は解消したが、内容は中学生には難しい部分も多く、あまり心に響くことはなかった。

教学試験

教学試験について説明すると長くなるので省く(説明はここ: https://www.sokanet.jp/kaiin/news/2022070101302/)けど、リンク先にもあるとおり、中学生になると、先述の「御書」やなんやから出題される試験を受けることになる。

一般的な検定試験と同じで、初級~上級みたいな段階的な区分けがあって、当然上の試験合格は難しいし、そもそも試験も年に1回きっちりあるいかそういうもんでもないらしいがよくわからない。

上級のほうになると、ある程度しっかりした活動してないと受験資格も得られないんじゃないだろうか。

ただ最初にうける、英検で言えば5級的な試験だけは、中学生になったらすぐ受けられるっぽくて、私も中学時代に受けた。

さっきも書いたけど、古文が好きで得意だったので、「御書」の勉強シンプルおもしろかった。夜にやってる勉強会も同世代が集まるからしかったし、普通に合格した。

でもそれ以降の試験は受けたことないし、受けろと言われたこともない。多分受験資格が発生してない。

母親は一番上まで持っていて、父親は未受験

高校同級生に会員がけっこういることに驚く・創価大学受験して進学しない)

同級生に会員がけっこういることに驚く

高校のころは学会活動への興味はほぼ0になっていたので、文化会館でやる大きい会合だけ顔を出していた。

信教の自由であるとか、折伏新聞啓蒙選挙活動についての疑問についてまじめに、ナーバスに考えていたのはむしろ中学生のころで、高校ではもはやあまりそういうことに囚われなくなっていた。

やりたい人がやればいいし、やりたくない人はやらなくていいい、自分あんまかかわりあいになりたくないかな、くらいの、ごくのシンプルなところに落ち着いてきた。

親は、そういう私の姿勢についてはじめのうちはいろいろと小言を言ってきていたけど、会話を重ねるうち「それも考え方だね」とむこうが折れた感じ。

高校生になると学区がかなり広くなり、生徒数も中学までとは比べ物にならないため、同級生二世について「あの子学会なんやな…」と会館である大きい会合の場に来て出くわして互いに知ることになる。

けっこういるのにおどろいた。

多分あなたのまわりにもいっぱいいると思いますよ、私がそうであるように口にしないだけで。

創価大学受験して進学しない

学会員の間では、創価大学は超絶いい大学東大にも負けない日本最高峰大学! みたいな扱いなので、高校に進学してから偏差値的に全く大したことないのを知って驚いたというか拍子抜けした。

めちゃくちゃいい大学なら目指すのもありかなと思っていたけど、そうでもなかったので、最終的に滑り止めの一環として受験した。

活動自体はどうでもいいかなと思いつつ受験しているの……もうこれは、幼少期から刷り込みしか言えないと思う。

偏差値的に大したことなくても、学会員の間ではめっちゃほめてもらえるのもわかってたし…。

当日の試験も易しかったし、学費免除の枠で合格したが、魅力を感じてるわけではないので進学はしなかった。

同じクラスの、割と熱心な二世からは「せっかく合格したんだから行かない?」と最後まで説得されたが「すまん、京都行きたいわ!」ってことで断った。

親でもそんなこといってこないのに…とおもってちょっと引いた。

大学学会ネットワーク驚愕偏見を感じる)

学会ネットワーク驚愕

そんなわけで京都に進学したら、すぐ現地の会員の人が面会に来て、京都の会館(堀川にある立派なやつ)に連れていかれたし、同じ大学の先輩ともつながらせられた。

ネットワークマジで驚いたしちょっと怖かったよな…。

ちなみに大学には創価学会サークルがあって普通に活動していた。

極左サークルとかはめっちゃ厳しく規制されてて、校内いたるところに掲示があったが、創価学会サークル普通に野放しになっていた。

別に実害ないってことなの? 今思ってもちょっと謎。

どっちにしろ私は入らなかったし、学会員としても一切活動しなかった。会館に行ったのも最初の一度くらいだったかな。

この時つながらせられた大学の先輩、1回生前期のかなり早い段階で連絡を取らなくなり、名前も覚えていないのだけど、この人に勧められて宮本輝の『錦繍』を読み、最終章で身も世もなく泣きまくったのを覚えている。

名前は忘れたけれど、今でも大好きで大切な一冊を勧めてくれた人がいたことはずっと覚えていたい。

続き(https://anond.hatelabo.jp/20220715032335

2022-07-10

anond:20220709235158

顕正会のように御書否定して、世襲カルト化しないと熱量は保てないよな。

個人崇拝対象認知症だし。御書では僧侶の大切さと役割宗祖説明してるしな。

2021-10-17

anond:20210621141321

この分野では素人なのですが…

1,大聖人(だいしょうにん)→ 日蓮正宗系 (他の日連系は「聖人」「上人」)

2,謗法(ほうぼう)→ 仏教

3,境涯(きょうがい)→ 一般

4,財務(ざいむ)→ 一般 (創価学会では若干違う使われ方している)

5,折伏(しゃくぶく)→ 仏教系 (議論正当性を示して教化すること。日蓮系で重視; ただし日蓮は「常不軽品の如し」、すなわち相手に敬意を払うことが必要としている)

6,破折(はしゃく)→ 不明 (少なくとも日蓮著作にはないはず)

7,御書(ごしょ)→ 日蓮

8,仏法(ぶっぽう)→ 仏教

9,広宣流布(こうせんるふ)→ 日蓮系 (日蓮著作に多数記述あり)

10,功徳(くどく)→ 仏教

2021-06-21

創価学会系の人しか使わない言葉10選

私は創価学会員ではありません。

趣味創価学会研究しているものです。

注・なお、創価学会系とは日蓮正宗顕正会もさします。

1,大聖人(だいしょうにん)

鎌倉時代僧侶日蓮」のこと。

創価学会は彼を実質的に「神」として崇めている。

所謂「お釈迦様」よりも上位の存在とみなされる。

(厳密にいうと「本仏」という。)

なお、一般的日蓮宗系の宗教では「大菩薩」ということが多い。

菩薩は仏に次ぐナンバー2という意味であるため、創価学会系の人とは

相容れないのである

2,謗法(ほうぼう)

「罰当たり」の最上級バージョンといえる。

最近日本でも放送している韓流ドラマタイトルにもなったので

知名度は上がったかもしれない。

創価学会系の人にとっては最大の侮辱ワードとなる。

3,境涯(きょうがい)

境遇」のこと。なぜか「高い」「低い」と表現する。

4,財務(ざいむ)

お布施」のこと。創価学会では毎年末に集められる。

強制ではないのだが、もし行う場合は最低1万円出さなければならない。

一般家庭でも100万円出すところもある。

5,折伏(しゃくぶく)

勧誘」のことだが、無理やり入信させるというイメージである

6,破折(はしゃく)

論破」のこと。「破(は)す」ともいう。(後者の方が文語的)

7,御書(ごしょ)

日蓮信徒に当てたとされる手紙のこと

創価学会系では「聖書」的な扱いである。

8,仏法(ぶっぽう)

仏教」のこと。

9,広宣流布(こうせんるふ)

創価学会の教えが世界に広まった状態を指す。

公明党もかつてはそれに必要な「国立戒壇」(創価学会(厳密には日蓮正宗)員になるための儀式会場)

を作ることを目指していたが共産党などから追及されたり学会側の不祥事により破棄せざるを得なかった。

現在では池田大作創価学会名誉会長創価学会インターナショナル(SGI)会長

世界各国で対話を行ったり、支部を作ったことで事実上達成したというのが公式見解である

10,功徳(くどく)

「ご利益」のこと。いわゆる「エア本動画からネットミーム化した感もある。

2021-02-03

anond:20210202230511

なんだか色々全部ひっくるめて因果応報って感じ、受け入れがたいだろうけれどね。

とりあえず親の信仰否定したいなら御書の中に四恩抄ってやつがあるから読めばいいよ。

僧侶敬わない創価学会仏教に仇を為す外道信仰で謗法だよねって感じのことを開祖が言ってる。

育ちの呪縛は強いか中年になって過去を恨まない為に、沢山の人と出会う事をお勧めするよ。

2019-11-27

anond:20191126155906

この増田彼氏会合休みってことは、きっと青年部で中心的な役割を担ってるひとなのかもしれない。

(会館での会合の司会とかすることになると、そう簡単には休めないんじゃないか

そのくらいの熱意でやってる人と結婚するのは、やっぱり月イチの会合とかじゃすまないし、増田おかあさまの言うとおり

勉強もしなきゃいけない。

教学試験というものがあって、日蓮の遺稿(御書)の本格的な試験を段階的に受けることになる。

増田彼氏も受けてるんじゃないか

同じ熱意がないと無理だと思うし、つらいと思うし、うまくいかなくなっちゃうと思う。

恋愛感情がさめてきたとき、(いつかは絶対さめるし)呆然としてしまうんじゃないか

LINEブロックは不誠実という意見もあるけど、そのくらい突き放してくれる人でよかったんじゃないか彼氏はわかってる人だなと私は思う。

こっから自分の話。

私は二世なんだけど、現在はまったく活動してないのでほんとうに、籍があることに困ってる。

選挙新聞ノータッチ、一度たりとも誰かを勧誘折伏したことないし、友人にも言ってない。

結婚もしているけど、相手には自分二世であることは言ってない。

結婚を転機に遠方に転居してきたが、地域学会員から接触はない。

(強固な組織なので、転居したらその地区学会員から接触があるのがふつうのはず。大学入学でひっこしたときは、接触があった)

配偶者にいってないことを不誠実ととられてしまうとつらいところがある。

生後半年で、親に勝手に入会届を出されてしまったので、親に信仰自由侵害されたと感じていて、

私自身は、学会定義する信心というのもはしてない。

熱心な二世三世も多いとは思うが、私くらいの距離感の名ばかり会員(会員というのもいやなんだが)も相当数いるはず。

基本的には、やわらかくいうと「なりたい自分になる。困難を乗り越えて自己実現する現世利益」ってことで、

カルトな感じがする教義ではないと思うが、教祖日蓮じゃなく池田大作なのか? と見まがう感じでそこは気持ち悪い。

新聞選挙友達をなくすのでこまる。

他の信仰を「邪宗」とみなすの不寛容な感じでいや。

私の親はそこそこ熱心な会員だったので、(でも今は高齢なので、ほとんど活動してない。今後は組織もこんなふうに衰退していくんじゃないか

子供のころは合唱団に入っていたし(歌うのはふつう合唱曲

会合も連れていかれてたし、すべりどめで創価大学受験した。当然進学はしてないが。

それでも今はこういう、学会から距離をおく、というか無関係だというスタンスなわけで、結局人の内心なんてどうしようもないことだよなとも思う。

内心をどうしようもないからこそ、増田彼氏も別れることになったのだろうし、私は配偶者にいいたくない。

ちょっとでも嫌悪感を抱かれたとして、それをどうしようもないことがわかっているので。

たとえ活動してなかったとしても、モヤっとされるだろうしな。

2017-07-26

日蓮宗について

日蓮宗では、本迹一致を立てている。この本迹一致論は、

天台大師が『法華玄義』に説いた「本迹異なりと雖も不思議一なり」との解釈によるもので、

大聖人様の御教示ではないのです。

また、天台の「不思議一」との意味は、

迹門という小さな川も、本門の大海に収まれば同じ海水となるという、

法華経開会の法門を説き示したものであり、

決して身延のような本迹二門を対等に見た上での「一致」を説くものではないのです。

大聖人様は『治病大小権実違目』に、

「本迹の相違は水火・天地の違目なり」と、

また『妙一女御返事』には「迹門は理具の即身成仏

本門は事の即身成仏なり」と法華経の本迹の相違を明確に御教示されています

日蓮宗はその区別がついていない邪宗教です。

法華経本迹二門は、

久遠実成の本仏と始成正覚の迹仏という仏身においても、

その説かれる法体においても勝劣があり、

その相違は水火・天地のごとくであると言えます

しか日蓮宗では、「実相一体」や「本迹未分」という勝手解釈を加え、

「本迹一致」の邪義を主張していますが、

これらは宗祖の御教示にはないものであり、

宗祖の正意に背く謗法の論となることは明らかです。

仏像本尊は、宗祖の本意にあらず」

日蓮宗では、信仰の根幹である本尊について、

未だに宗祖の正意が何であるかが理解出来ず、

本尊に関する御書を集めて候補を選び、

その中から適当形式相談して決めるという、

極めて杜撰見解を発表しています

それを要約すれば、

御書に現れた本尊形式は、

一、首題本尊 

二、釈迦一体仏 

三、大曼荼羅 

四、一尊四士 

五、二尊四士があり、

このうち一、と三、を法本尊

二、四、五、を仏本尊とし、

その中心は三、の大曼荼羅と、

四、の一尊四士であるが、

祖書の教示等に照らし、

一尊四士を日蓮宗本尊と定めるのが至当である

(趣意・大崎学報)というものです。

日蓮宗では、本尊の依文として「観心本尊抄」の、

『此等の仏をば正像に造り画けども未だ寿量の仏有(ましま)さず。

末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか』との御文を挙げ、

仏像出現」の語句によって本尊仏像が正意であるとしています

しかし「仏像出現」の御文意味は、

文中の正像の本尊に対する「造り画けども」という語句と、

末法仏像に対する「出現」という表現を対比してみなければなりません。

「此の仏像出現せしむべきか」の意味は、

後の「此の時地涌千界出現して」の御文と同じく、

仏像の造立」という意味ではなく、

あくま現実に現れるということを示されたと拝すのが正しいでしょう。

すなわち、この御文真意は、

末法に地涌千界が出現して「本門の釈尊」を脇士とする

未曾有の本尊を顕わすことを明かされたものです。

また、日蓮宗では同じ『観心本尊抄』の、

「此の時地涌千界出現して、

本門の釈尊を脇士と為す閻浮提第一本尊

此の国に立つべし」との御文について、

「本門の釈尊を脇士と為す」を「本門の釈尊を脇士と為る」と誤読し、

一尊四士が正意であるとしている。

しかし、宗祖が御在世中に一尊四士の仏像を自ら造立された事実はなく、

観心本尊抄』の御文も一尊四士を本尊とせよ、

との御教示ではありません。

それは日蓮大聖人様が佐渡以後、

本尊について御教示された御書に照らして見ればいっそう明らかです。

「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり(草木成仏口決)」

妙法蓮華経の御本尊供養候ひぬ。此の曼荼羅文字は五字七字にて候へども、

三世諸仏の御師(中略)此の曼荼羅仏滅後二千二百二十余年の間、

一閻浮提の内には未だひろまらせ給わず(妙法曼陀羅供養事)」

法華経題目を以て本尊とすべし(乃至)釈迦大日総じて

十方の諸仏は法華経より出生し給えり。故に全く能生を以て本尊とするなり(本尊文答抄)」

これらの御文と『観心本尊抄』の文を合わせて拝する時、

日蓮大聖人様の御真意は一尊四士などの仏像本尊にあるのではなく、

まさしく大聖人様が顕された大曼荼羅こそ、

正像未曾有の観心の御本尊であることは明らかなのです。

【補足】

(一、)首題本尊題目のみを書いたもの

(二、)釈迦一体仏

(三、)大漫荼羅(宗祖日蓮大聖人様が紙幅に御図顕された御本尊様)

(四、)一尊四士(釈迦一体仏と上行菩薩等の四菩薩像)

(五、)二尊四士(釈迦・多宝の二仏像四菩薩像)

※この記事未完成です。続きはいつか。

2017-05-19

山本常朝

山本常朝

山本常朝の墓(佐賀市

山本 常朝(やまもと じょうちょう、万治2年6月11日(1659年7月30日) - 享保4年10月10日1719年11月21日)は、江戸時代武士佐賀藩士。『葉隠』の口述者。「じょうちょう」とは42歳での出家以後の訓で、それ以前は「つねとも」と訓じた。通称神右衛門、俳号は古丸。

目次 [非表示]

1 略歴

2 隠居晩年

3 史料

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

略歴[編集]

万治2年(1659年)に、佐賀城下片田江横小路現在佐賀市水ヶ江二丁目)で、佐賀藩山本神右衛門重澄の次男として生まれた。母は前田左衛門女。

常朝が自分の生い立ちのことを語っている項が『葉隠』・聞書第二にあり、それによると、自分は父70歳のときの子で、生来ひ弱くて20歳まで生きられまいと言われたので、塩売りでもやろうと父は思ったが、名付親の多久図書(茂富、重澄の大組頭)の「父の血を受け末々御用に立つ」という取りなしで、初名を松亀と名づけられ、9歳のとき鍋島光茂(佐賀藩2代藩主)の小僧として召し使われたという。

11歳で父に死別し、14歳とき、光茂の小々姓(いわゆる児小姓・稚児小姓)となり、名を市十郎と改める。延宝6年(1678年)20歳元服して権之丞と改名、御傍役として御書物役手伝に従事する。この年に、田代陣基が生まれている。

この間、私生活面では20歳年長の甥・山本常治に厳しい訓育を受けたが、権之丞が、若殿綱茂の歌の相手もすることが光茂の不興をかい、しばらくお役御免となった。失意のこの頃、佐賀郡松瀬の華蔵庵において湛然和尚仏道を学び、21歳のとき仏法血脈けちみゃく(師から弟子に法灯が受けつがれること)と下炬念誦あこねんじゅ(生前葬儀の式、旭山常朝の法号を受けた)を申し請けている。

葉隠』で慈悲心を非常に重んじている素地はこのとき涵養されたといえよう。さらにこの前後、神・儒・仏の学をきわめ藩随一の学者といわれながら下田現在佐賀県大和町)松梅村に閑居する石田一鼎を度々訪れて薫陶を受けた。このことも後の『葉隠』の内容に大きな影響を与えている。

天和2年(1682年)24歳のとき6月山村六太夫成次の娘と結婚、同年11月御書物役を拝命。28歳のとき江戸で書写物奉行、あと京都御用を命ぜられている。帰国後の33歳のとき、再び御書物役を命じられる、命により親の名“神右衛門”を襲名した。

5年後の元禄9年(1696年)、また京都役を命ぜられ、和歌のたしなみ深い光茂の宿望であった三条西実教よりの古今伝授古今和歌集解釈の秘伝を授かること)を得ることのために、この取り次ぎの仕事京都佐賀を奔走した。古今伝授のすべてを授かることは容易ではなかった、が元禄13年(1700年)ようやくこれを受けることができ、隠居後重病の床にある光茂の枕頭に届けて喜ばせ、面目をほどこした。

隠居晩年[編集]

同年5月16日藩主の光茂が69歳の生涯を閉じるや、42歳のこの年まで30年以上「お家を我一人で荷なう」の心意気で側近として仕えた常朝は、追腹禁止により殉死もならず、願い出て出家した。5月19日藩主菩提寺たる曹洞宗高伝寺の了意和尚より受戒、剃髮して名を旭山常朝と改めた。7月初旬に佐賀城下の北10キロ山地来迎寺村(現在佐賀市金立町)黒土原に朝陽軒という草庵を結び、「尋ね入る法のりの道芝つゆぬれてころも手すずし峰の松風」と詠じて隠棲した。

田代陣基が、常朝を慕い尋ねてきたのはそれから10年後、宝永7年(1710年3月5日のことである。『葉隠』の語りと筆記がはじまる。

のち、朝陽軒は宗寿庵となり、光茂の内室がここで追善供養し、自分墓所と定めたので、常朝は遠慮して、正徳3年(1713年)黒土原から西方11キロの大小隈(現在佐賀市大和町礫石)の庵に移り住む。正徳4年(1714年)5月、川久保領主神代主膳(光茂七男、のちの佐賀藩五代藩主鍋島宗茂)のために、藩主たる者の心得を説いた『書置』を書き、翌5年、上呈する。

享保元年(1716年)9月10日田代陣基が『葉隠』全11巻の編集を了える。山居すること20年、享保4年(1719年10月10日、61歳で没した。翌日、庵前において野焼、墓所八戸龍雲寺。

辞世の歌:

重く煩ひて今はと思ふころ尋入る深山の奥の奥よりも静なるへき苔の下庵

虫の音の弱りはてぬるとはかりを兼てはよそに聞にしもの

2017-02-21

板挟みのまま生きていくことにした

創価学会二世です。

先に言っておくと、擁護でも批判でもありません。ずっと昔から考えてきたことが、まとまりそうな気がしたので書いています

両親は創価大学出会って結婚した。二人とも朝晩の勤行を欠かさず、会合にも積極的に参加している。聖教新聞大白蓮華を取っていて、隅から隅まで読む。

私は正式に抜けたわけではないが、勤行はしない。会合の案内のラインが来ればそれなりに対応するが、行くことはない。公明党には入れるときもあれば入れないときもある。仏壇に手をあわせることが年に2、3回はあるが、自分からすることはない。しかし、御本尊を破れと言われたらかなりためらうだろう。お地蔵様を壊せないのと同じだ。

勤行をしない私、会合に行かない私に、両親はとくになにも言わない。選挙の時だけお願いねと言われる。ありがたい、と思っている。

小学生くらいまでは会合にもそれなりに出ていたし、朝晩に三唱くらいはしていた。中学生のころ、御書説教臭さがいやになったり、ネット書き込みを見たりして、だんだん会合に足を向けなくなった。反抗期を利用して三便もしなくなった。今では、抜けた理由を聞かれたら、「方針が合わないので」「公明党意見が違うので」と言うだろう。

そういう私だ。

頭がパーンとか、そういうたぐいの書き込みを見ると腹がたつ。強引で失礼な勧誘に合ったと聞いたら、申し訳なくて胸がふさぐ。友人が何気なく言い放った「私宗教ぜんぶ嫌いだから!」という言葉に傷つく。両親のことを愛している。学会がなければ私は生まれなかったと思う。新年勤行会のばんざい三唱はクソ食らえだ。「知ってる?誰それさん創価だって」と言われて苦笑いする。同じ創価二世友達とため息をつく。池田先生がなにをしてくれたって言うんだよ。会合に参加しているのはいい人たちばっかりだ。いったいいつまで、こういう板挟みに苦しまなければならないのだろう。

東日本大震災とき、その夜、「宮城沖で数百と推定される遺体発見」というニュースを見て、怖くて眠れなくなった。どうしたらいいのかわからなかった。津波映像がなんども頭をよぎった。数百人、数え切れない量の人が海で死んだ。その一人一人に人生があった、その恐ろしさに震えた。その人たちを悼みたい、その人たちが死んだことを悲しみたいと思った時、布団の中で丸まって「南無妙法蓮華経」と何度も唱えた。それしか悼む方法がなかった。そしてそういう自分にショックを受けた。私は死者を悼む方法をこれしか知らないのだ。信仰心はなくても、方法けが自分の中に残っている。

いいとこどりをするんだ、と決めた。信仰心はなくてもいい。都合のいいところだけ使えばいい。オリジナルの祈りの言葉オリジナルの生きることへの姿勢が見つかるまで、意味なんてなくても唱えていい。熱心な信者だった祖母を、これ以外の方法で弔うことができただろうか。両親が死ぬ時、友人葬以外でやりたくない。でも、公明党投票しなくったっていい。義理なんて感じなくていい。両親を愛していい。でも信仰拒否していい。勤行はしない。

わたしはもうすぐ大学卒業して、親元を出る。大丈夫だと思う。

同じようにしている人に大丈夫だよって言ってもらいたくて書いた。早く大丈夫になって、同じようにしたいと思ってる人たちに、大丈夫だよって言いたい。

でも大丈夫じゃないかもしれない。10年後くらいに信者に戻ってるかもしれない。いやだな。大丈夫だって言ってください。

あとこれだけ言いたかったんですけど、池田大作短歌下手すぎじゃないですか?誰も何も言わないの?

それだけです。

2009-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20091109015933

折伏用の知識を我が身に向かって使い、なぜああした、なぜこうしたと、日々明け暮れるまで勤行と唱題を続ける。

日々の暮らしで分かったことは、逃げ帰っても、呵責に責められ、魔に食われ滅ぼされそうになり、なぜああした、なぜこうした――そんな風に我が身ばかりを呪い、右にリア充いれば呪い殺したくなり、左にかつての見知った人がいれば凶器を握りたくもなる。御書開けば、それは畜生だの地獄だのと説き、ああもなぜにこう落ちぶれたのかと悔い改め、爆薬抱えて秋葉原だの、毒薬抱えて池袋だの、そんな風に自爆を行って数多の人を葬らないように務めようとし、なぜああした、なぜこうした、どうしてこなった……そんな風に自分は嘆いている。

されど悔い改めたところで現実は変わらぬ。

されど謝りわびたところで現実は変わらぬ。

今のこの手で過去自分を引っ張り出せれば、木刀もって殴りたいところであるが、まあ、それも無理な話。やってしまったものはもう戻らない。やってしまったものは直らない。やられる前、しでかされる前にも巻き戻らない。一年、二年、三年、振り返り、あのときこのときに戻りたくても戻ることも叶わない。ここまで来た以上、どうせみすぼらしく生き恥をさらし、のうのうと日々を明け暮らし、ああ、己は愚かだと嘆き、それを繰り返して、こんこんころりと死ぬしかない。かつて好きだった人が去った後、二度も三度もただただ狂っていった。裏切ったのはどちらだったか。きっと信じれなかった自分の方じゃないか。もしも出来た人間であれば仲違うこともなかったのではないか。そう考え、そう引きずられ、ただただ、狂っていくのが分かっていた。すがりつき、蹴飛ばされ、不安になり、殴られ、傷口だけを広げていた。


とまあ、こんな感じで失意のどんぞこのあとメチャクチャに破壊していったんだ。

自暴自棄になって荒むに荒んだんだ。そんなもんだから、ろくでなしだのなんだのいって自己憐憫に耽ってはどこかに向かって「ごめんなさい」と頭を下げている。一回転んでどうしようもなく連鎖式にぶっ壊しても仕方ないんだ。そういう増田もいるのだよ。たった振られただけでこの様。その後、何も信じていなくて別のものまで傷つけ壊して、この有様。

でも色々勉強はしたように思うよ。俺も。痛みを覚えるのなら何も考えない方がいいとかさ。アイビリーブインフューチャー? 別にそうでもそうじゃなくてもいいよ。自分が不幸だと周りも不幸にしたくなるし、自分が余裕あるといけしゃあしゃあと誰かに向かって「あんたも幸せになるよ」とかほざくのが人間だと思ってる。バカだと思うよ。けど、たまたま増田もそんな風になっているんだろう。たまたまだって割切っておけ。今だけだ。いつまでもそんな風であると「しにたいでござる! しにたいでござる!」ってなってちっとも良くはならないよ。

苦しいなら寝ておけ。寝られないなら天井の木目でも節目でも数えていろ。それで少しはマシになる。

立ち直るの失敗すると、こんな風になるんだ。失敗を失敗の上塗りにして、どんどん落ちていく。何も信じられなくなって、別のものまで連鎖式に壊す。

壊した物に対して謝って、裏切られるようにした自分のことも謝って、最後に裏切っていた自分のことも謝りたい。そうなってからでは遅いよ。

2009-11-08

http://anond.hatelabo.jp/20091108112611

あちゃー……いいけど、抜け出しにくいよ?

彼女さん女子部の子で熱心だと地獄かも。何があっても勤行勤行になっちゃうから。

精神論過剰すぎて俺はついていけない。や、大事だと思うよ。精神論

一応、論理武装はやって置いた方がいい。御書勉強は内部に向けると役に立つよ。

勧誘するときに使うのが暗黙の了解だけど、要求を撤回させる言い訳には効果がある。

あとは、時折、会員並みの開き直り重要

外部と内部の圧迫で俺は死にそう。

2009-07-24

中国情勢 - イスラム地下組織中国への報復のための聖戦を宣言

中国のウィグル人の差別犯罪行為、アラーがかならず救いにこられる、と。

トルキスタン・イスラム党戦闘隊指揮官(サイフ・アッラー)は、中国内部(広東)並びに東トルキスタン新疆ウイグル自治区)のウルムチにおける我がムスリム共同体に対する共産主義者による虐殺に抗議し、次の声明をだした。

中国共産主義者達は、東トルキスタンを占領し、以来昼夜を問わず公然非公然に東トルキスタンの住民を集団的に虐殺してきた。

彼等の野蛮、残忍な犯罪行為は日に日に大きくなった。就職させるなどとさまざまな口実を設けて、青年男女を強制的に中国へ送り出す。これも犯罪行為のひとつである。中国へ移送すると、(中国人は)彼等を奴隷として使い、ロバのように扱うのである。

最近中国人が広東の電子ゲーム製作会社トルキスタン人(ウイグル人)労働者を虐殺した。これは、彼等の犯罪物語る有力な証拠である。事件はトルキスタン人(ウイグル人)と中国人喧嘩に端を発する。

本来であれば、間違ったことをされたと考える側が告訴し、問題が法廷で処置されるべきであった。

広東の企業で200名が殺され、400名が重傷を負った

しかるに中国人は、常習的にトルキスタン人(ウイグル人)を虐待しているが故に、そのような手続きをとらなかった。

その代りに彼等は中国人従業員6000名に応援を求め、警察に応援を求め、そこいらの中国人に手当り次第応援を求めたのである。この連中は、工場トルキスタン労働者800名に襲いかかった。そして、彼等はトルキスタン人200名を殺し、400名に重傷を負わせたのである。

ウイグルの被害は死傷者3000名を越える、2000名以上が投獄された

子供達を殺された東トルキスタンの住民(新疆のウイグル人)は、中国政府殺人者共を裁判にかけるように求めた。

しかし政府は一顧だにせず、住民の願いをまともに扱わなかった。住民は政府報復するためやむなく立ち上がったのである。彼等は中国人報復しょうとした。彼等と中国人の間に激しい戦いが生起した。中国警察加害者の側に立ち、しいたげられ追害されている人々を虐殺した。

1000人を越える人が殺され、2000人以上が傷つけられ、2000人を越える人が暗黒の刑務所へぶちこまれたのである。

我々は無神論中国人共産主義者に向かって宣言する。

ムスリムトルキスタン人に守護者もいなければ友人もいないなどとほざくではない。アッラーが彼等の守護者であり友人である。アッラーは生きておられる。

永遠である。(ウイグル人が)応援を求めれば、必ずこたえられる。彼等が助けを求めれば、必ず認めて下さる。アッラーは御意志により、中国人迫害者共を一瞬のうちに抹殺することも、おできになる。

このムスリム住民の背後には、彼等のため中国人報復する人々が待機していることを知れ。

アッラーの軍勢がすぐに汝らに襲いかかることを覚えておくがよい。

誇り高きトルキスタン人は立ち上がり、中国人を撃つ

中国人に告ぐ。

我等のムスリム同胞に汝等が如何に迫害を強め、残忍性を増し、殺しまくり拷問法を工夫し、同胞拷問を専らにしようとも、汝等は彼等を奴隷にすることはできない。誇り高きトルキスタン(新疆)の住民は遠からず立ち上り、汝等を撃ち、痛い目にあわせる。汝等を倒すためにセットされた遅延信管付き爆弾は間もなく時間がくる。

おお、勇敢なるムジャヒディンよ。おお、東トルキスタン(新疆)の若者達よ、立ち上れ。アッラーの御名を奉じムスリム同胞を守れ。そして、いずこにあろうとも共産中国人を見つけ次第殺せ。彼等をしっかりと捕まえ、包囲し、伏撃せよ。アッラーは言われた。アッラーは言われた。私を助ける者を助けると。

私は、トルキスタン人(ウイグル人)同胞全員に呼びかける。君達の信仰へ戻れ。アッラー御書コーラン)と預言者スンナをしっかりと胸に抱き、異端の教えを拒否し、間違った考えに染まったことを悔いあらため、我々の信仰とは矛盾する言葉と行動を棄てよ。

アッラーの御慈悲を信じ、アッラー以外からの助けを求めるな。

サタンが悪しき行いを如何に美しく飾ろうとも、悪しきものは放棄し、力の限り義務を果たして、アッラーの御前に近づくようにせよ。アッラーの教えの擁護に力を尽くせ。

アッラーは言われた。「人間共は、!)信じます!)と言いさえすれば、もうそれで試みられることはない、と考えているのか」(コーラン第29章2)と。アッラーのこの御言葉を心に留めよ。

アッラーのために聖戦を敢行し、アッラーの敵に報復

我々はアッラーにお願いする。我々のすべての敵そして特に中国人を懲らしめて下さい。御手により或いは我々の手で苦しめて下さい。アッラーのための聖戦を、アッラーの敵に対する報復を。アーメン

我々が全幅の信頼をおく預言者は、迫害される者の祈りとアッラーの間には何の乖離もないと言われた。我等全員、すべてを聴かれすべてを見られるアッラーに向かって、嘆願しようではないか。我々が、アッラーの地にアッラーの法をあまねく公布し、不信心者共の軛から残忍な迫害からアッラーのしもべを解き放つことができますように。

そのために、苦境から抜け出して我々の地で強い存在にして下さるように。日夜アッラーに祈り、お願いしようではないか。

最後に、この虐殺事件で殺された我等の男女同胞を許していただくようアッラーに祈り、彼等に天国の場所をお与えくださるようお願いしようではないか。これを授け、そのようにできるのは、アッラーなればなり…。

戦闘指揮官(IPT)サイフ・アッラー  

1430年ラジャブ月第15日(2009年7月8日

 
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