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はてなキーワード: アルプス一万尺とは

2023-07-27

anond:20230727025752

わかる

小学校でもいろんな手遊び流行ってたけどアルプス一万尺の1番以外理解できんかったわ

まず口頭や手振りでの説明を聞くのが苦手。ルール説明してもらう時点で「AになったらBの動作をしてね。あ、でもCとDの条件の場合には別の動作必要で~」とか言われてもこっちは「AになったらB」をようやく飲み込んだところだから待って待ってってなる

ゲームルールって日常にまったく関係ないものだし、大体そのルールになってる根拠がないんだよな。だってゲームから

脳みそに留め置いておけるスロットみたいなものが人より少ないんだと思う。ワーキングメモリが足りないってやつ

ちなみに先日軽度のADHDの診断がついた

2022-07-04

侮蔑表現を気に入るというアメリカ伝統について

最近赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑残酷さに心を痛め後遺症心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。

 

この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカ伝統なんよ。

 

ヤンキーヤンキードゥードゥル

Yankeeは元々北部アメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。

ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキー自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。

一方外国ヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。

 

日本の『アルプス一万尺』はアメリカ愛国歌ヤンキードゥードゥル Yankee Doodle歌詞勝手に改変したものだ。

元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。

軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。

doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴ特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後意味のイタズラ描きって意味だな。

そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。

そもそもヤンキー自体軽蔑語なので酷い歌だ。

「いなかっぺキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」

ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである

独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍行進曲にしてしまった。

ペリー日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。

 

こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。

思いつく限り列挙してみたい。

・Black

The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレバス座席施設入り口区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である

だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者プライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。

ここでの意味の逆転はアメリカ伝統があっての事だ。

 

レッドネック

南部白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。

しかしこれを当人たちはポジティブ意味で使う事が多々ある。

それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。

以前、トラクター会社機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435

レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。

日本メーカーアップル欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権問題しか見えないのは飼い慣らされている為だ。

から今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネック自称している。

 

クィア

Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブ意味になった。

1985年バロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。

Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草クィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。

この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーン代表井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国ハウスシーンと共にあった。

 

・米民主党シンボルとしてのDonkey(ロバ)

ロバには馬鹿間抜け、グズ、ウスノロノロマ、うすらバカ等の含意がある。

勘違いしてはいけないのは、当初の民主党南部農民支持層保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである

大統領選で、そんな南部民主党出身大統領候補アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部共和党議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿間抜け、グズ、ウスノロノロマ、うすらバカ等の意味もある。

これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである

それでその後もそのうすらバカでグズで間抜け象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。

 

・Trap

ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。

これはアメリカ伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。

 

映画アンタッチャブルでの一コマ

1987年ブライアン・デ・パルマアンタッチャブル 』では主任捜査エリオットネスがガサ入れでヘマした所を記者写真に撮られ新聞トップ記事にされ、その記事オフィスに貼るシーンがある。

これもアメリカ伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。 

 

という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカ場合侮辱を気に入る」「恒久的に自分表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである

 

からニガーを当事者けが言ってもいいというのはこのアメリカ伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である

だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である

2021-12-25

子どもアルプス一万尺を歌っている時に

パパは脳内で「殷周東春秋戦国前漢後漢…」って歌っている。君もあと10数年したらこの歌を知るかもしれないし、知らない未来の方がいい気もするよ。

2021-07-13

アルプス一万尺 こやぎの上で アルプス音頭をさあ踊りましょう 

みたいな感じで間違って覚えてそのままのものってある?

2021-03-20

小学生の頃は、高齢男性高齢女性性的魅力を感じるのだと思っていた

小学校で「アルプス一万尺」のこういう替え歌流行っていた。

以下替え歌

田舎の爺ちゃんちゃん 電車に乗って 風がびゅうびゅう吹いてきた

ババアパンツがチラリと見えて ジジイはそれ見て目がキラリ

替え歌終わり

成長していくにつれ、「爺ちゃん」が同世代の「婆ちゃん」のパンツが見えて嬉しいなんてのは小学生ならではの世間知らずな勘違いなのだと気づいたとき、なんともいえない気持ちになったものだ。若い女しかそういう価値はない人が大多数だというなんだかネッチョリした現実キモかった。

俺は今「爺ちゃん」ではなく「オッサン」になったが、同世代パンツにはやはり興奮できない。それどころか、JKモノのAVを見ている始末である。なんだか悲しい。同世代パンツを追いかけているような、立派な大人になりたかった。

2020-11-22

anond:20201122210443

蛍の光とかそうだね。

アルプス一万尺とかもそうだし民謡が元の童謡持ち出したらキリがないな。

2020-01-21

アルプス一万尺替え歌

「隣のじっちゃんばっちゃん トイレに入って

パンツが破れて死んじゃった

ジジイは殺され ババア自殺

残ったパンツ博物館 ヘイ!」

↑実際に小学生の時に歌ってた歌詞

まりにも意味不明なんだけどかごめかごめが流産の歌(という説がある)、みたいになにかの隠喩だったんだろうか

風俗系かなと思ったけどその場合せめてトイレじゃなくて風呂だよな

2017-06-07

子ヤギの上で踊ろうよ

ずーーーーっと

アルプス一万尺 小ヤギの上で アルペン踊りを 踊りましょ

だと思っていた。

から子供の頃「アルプスの人は怖いな」と思っていた。

大人になると「アルプスの人は子ヤギの上で踊り、それで息絶えた子ヤギの肉を食べるのだろうか」と考えていた。

このことはずーーーーーっとそうだとなぜか勝手に思い込んでいたので人に聞いたこともなかった。


で、この間ふと歌詞を調べたらさ、

アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを 踊りましょ

ひっくり返ったよ。

私と同じ勘違いしている人結構いるんじゃない??

100人中10人はいると思う。

2017-06-04

アルプス一万尺 」って訳した人の天才っぷり

アルプス一万尺は「一万尺」が凄くキャッチー

外国の歌だから単位が「尺」のわけはない。

アルプス山は偉大な山~(適当)」とかいうのを一万尺って訳したんだから惚れる。

原訳知らんし、調べる気も無いけど、惚れたから惚れとく。

2017-03-30

本当に「好き」ということ

私のフォロワーに、世界史が本当に好きという人がいた。(仮にその人をAさんとする。)Aさんは、模試早稲田A判定をとる実力がありながら、地元九州私大に進んだという異色の人だった。

彼に「世界史の授業でアルプス一万尺メロディ中国歴代王朝を覚えるっていうのを教わったよね」と聞いたら、Aさんは

「いや、そんなもん知らないな」と答えてきた。じゃあどうやって中国歴代王朝を覚えたのと聞くと、

自然に覚えた。年号とかもゴロで覚えたことなんてない。」という答え。頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。

よく考えてみれば私自身も鉄道が好きであるが、歌とかゴロ合わせで、「なんとか系はどこを走っててどんな車両で~」みたいなことはやってなかった。

ゲームとかもそうだけど、本当に「好き」なものって、なんもしなくても自然に頭の中に定着しちゃうんだよね。

私も日本史が好きだと自覚していたが、年号とかはゴロ合わせで覚えたので、まだまだ日本史好きを名乗る資格はないなとそのとき思わされた

ちなみにAさんは現役のアイカツおじさんでもある。

2016-08-16

未就学児と身体障害者についての個人的な思い出【追記有】

せめてプリキュアコスプレゾーニングして欲しい、というお話

http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos

上記エントリブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。

fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。

oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル障害者ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ

それを見て、未就学児時代出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。

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そもそも私の故郷田舎だ。

3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、

近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。

本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。

まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。

特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。

朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子遊んだりして、お昼と夕方チャイムで家に帰った。

私が特別放置されていたわけではなく、地域性時代問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。

「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。


Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。

Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。

Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。

から子供私たちと目の高さが同じくらいだった。

家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。

家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。

一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。

私は彼女の足についてそれ以上の理由を知らない。

何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。

ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。

アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。

それだけだ。特に足にまつわる特別な思い出も感情もない。

今思えば彼女身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。

猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。

Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。

小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。

地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。

特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。

なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。

1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。

おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。

そんなもんだった。

特にこの話から結論はない。

ただ、自分がどうだったかな、というのを思い出したので書いた。

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【追記】

watto こだわりを持たなかった子どもが、やがて成長して、なにごとかを察して離れていく瞬間が、一番つらいだろうな。

上記ブコメがなぜかスターを集めているようだが、少なくとも私は「なにごとかを察した」記憶など全くない。

近場でしか遊べない幼児の頃はAおばちゃんを含め近場の大人によく遊んでもらったし、

次第に行動半径が広がる小学生になるとその機会が減っただけのことだ。

Aおばちゃんはふつうにいた。

あなた方の近所のおばちゃんと同じように。

2016-01-14

中国王朝名の覚え方(アルプス一万尺版)

殷周 東周 春秋戦国前漢 新 後〜漢

アル プス 一万尺 こ やり の うーえで

魏 蜀 呉 西晋 東晋 宋 斉 梁 陳 隋

ア ル ペン 踊り を さぁおど り ま しょ

五胡十六 北魏 東魏 西魏 北斉 北周

ラーラララ ララ ララ ラーラララ ラララ

隋 唐 五代十国 宋 金 南宋 元 明 清

ラーラララ ララララ ラ ラ ララ ラ ラ ラ

anond:20160113210058

 
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