はてなキーワード: アルプス一万尺とは
わかる
小学校でもいろんな手遊びが流行ってたけどアルプス一万尺の1番以外理解できんかったわ
まず口頭や手振りでの説明を聞くのが苦手。ルール説明してもらう時点で「AになったらBの動作をしてね。あ、でもCとDの条件の場合には別の動作が必要で~」とか言われてもこっちは「AになったらB」をようやく飲み込んだところだから待って待ってってなる
ゲームのルールって日常にまったく関係ないものだし、大体そのルールになってる根拠がないんだよな。だってゲームだから
脳みそに留め置いておけるスロットみたいなものが人より少ないんだと思う。ワーキングメモリが足りないってやつ
ちなみに先日軽度のADHDの診断がついた
最近、赤松健候補をレドマツ呼ばわりするのがニガーと同種の深刻な差別問題だという主張が頻繁にされていて、酷暑の残酷さに心を痛め後遺症を心配するところなのだが、「ニガーを当事者が言うのはOKだが外部が言うのはダメ」という言説はちょっと違うので一言言わせてくれ。
この「罵倒文句を己らの呼称として使うようになる」っていうのはアメリカの伝統なんよ。
Yankeeは元々北部のアメリカ人の事で、主に南部人(デキシー)が使う罵倒語だった。
ところがこれを北部の連中は気に入ってしまい、自分らの事をヤンキーと自称するようになった。NY州の大リーグチームはNYヤンキースだ。今ではアメリカ人=ヤンキーという使い方も一般的だ。
一方外国がヤンキーという場合は大抵が罵倒語だ。でも当のヤンキー達は気にせず使い続けた。
日本の『アルプス一万尺』はアメリカの愛国歌、ヤンキードゥードゥル Yankee Doodleの歌詞を勝手に改変したものだ。
元は独立戦争に先立つフレンチインディアン戦争時に参戦したアメリカ植民地軍を揶揄した歌だった。
軍服も揃えておらず統率も取れていない、キビキビも出来ないアメリカ人達を正規軍人の英国人達が嗤った歌詞だ。
doodleとはダラダラテレテレしてる、ボケっとしてる、暇なのでイタズラ描きするってな意味だ。特別な日にGoogleロゴが特別なモノに変わるアレもdoodleだがこれは最後の意味のイタズラ描きって意味だな。
そんなアホアメリカ人が手入れもちゃんとしてるか判らん鉄砲持ってテレテレタラタラやってきたよ、あーあ。ってな感じの歌なんだな。
「いなかっぺのキョロ充が街に行った。羽付き帽被っただけでダンディのつもりだ。イカしてるねぇ神聖モテモテ王国だねぇ」
ところがアメリカ人たちはこの侮蔑的な歌を気に入ってしまった。それで自分らの歌としてしまったのである。
独立戦争で歌われ演奏され、独立後の米国軍の行進曲にしてしまった。
ペリーが日本にやってきた時に上陸後は鼓笛隊の演奏で行進したのだが、その時の曲はヤンキードゥードゥルだったのだ。
こんな風に建国の初めからしてこうなので、「罵倒語を気に入って使い始める」というのは後にアチコチで見られるようになった。
思いつく限り列挙してみたい。
The blackとかblack manとか使われていたが、肌の色を直接に示すので差別的だった。特にトイレやバスの座席、施設の入り口の区分けなどで「black」「colored」と書かれていたので猶更である。
だが公民権運動で「ブラック イズ ビューティフル」のスローガンが使われると当事者のプライドと結びつき、やがてblack musicなど一般化された。
南部の白人の事で、農作業で首が赤く灼けた様をからかった語で、保守退嬰的、閉鎖的、進取の気性が無い、低学歴、民度が低い、反国家的など酷い意味が凝縮された罵倒語。
それは「なんでも自分らでやる」というライフスタイルへの愛着と自負で、南部の農家は食料の入手から機械の手入れ、家の修繕、家具の作成、車の修理や改造など、何でも自分でやる。これは日本の農家なども変わらない事で、全体的に器用貧乏だったり詰めが甘かったりするが都会の人間からすると広く何でも出来るスーパーマンみたいに見えるものだ。
以前、トラクター会社が機械部分をブラックボックス化して信頼性を上げる代わりにメーカーじゃなきゃ修理できないようにしたら大炎上した事があった。https://jfaco.jp/column/2435
「レッドネックスタイル」を理解していなかったのが原因だ。これは米国では結構大きな問題になり、欧州の「修理する権利」と結びつける形で法制化が進んでいる。
日本メーカーやアップルが欧州の「修理する権利」で叩かれて電池交換や社外インク可能にさせられているが、この背景にもこの「何でも自分でやりたい」というマインドがあるのを忘れてはいけない。金と財産権の問題にしか見えないのは飼い慣らされている為だ。
だから今では米国外で何でも自分で作ってみる、直してみるのを動画にしているDIY youtuberなどもレッドネックを自称している。
Queerは元々罵倒語で変なやつ、男性同性愛者(婉曲)とかの意味だったのだが、意味が逆転されてポジティブな意味になった。
1985年のバロウズ著『Queer』の日本語は『おかま』だ。この題は訳者の山形浩生が付けたのか?ちょっと意味が違うと思うのだが。つーか、1985年でも男性同性愛を一緒くたにおかま呼ばわりはしてなかったんじゃないか?どうも腑に落ちない邦題だ。
Wikipediaには頭でっかちな事ばかり書いてあるが、実際はドラッグクイーンとかのワザとらしい性的倒錯仕草をクィアとよんでたのが、マジのトランス女性などが世間に認められるようになると(イスラエルのDana Internationalなど)弾き出されて「LBGTに収まらない性的違和」を是認する意味になったとう感じだ。
この辺の変化、日本だと90sドラッグクイーンの代表格井原秀和円奴S(まるやっこスーパー)が女性目指すようになったのが象徴的。90sのクィアポジティブ化は米国のハウスシーンと共にあった。
ロバには馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の含意がある。
勘違いしてはいけないのは、当初の民主党は南部の農民が支持層の保守政党で黒人奴隷解放に大反対していた。民主党、共和党共に今と支持層、支持地域が逆転しているのである。
大統領選で、そんな南部の民主党出身の大統領候補、アンドリュー・ジャクソン(Andrew Jackson)をスマートで都会的な北部の共和党の議員たちがjackassと詰って呼んでいた。jackassは雄ロバの事だが、馬鹿、間抜け、グズ、ウスノロ、ノロマ、うすらバカ等の意味もある。
これをレドマツさんじゃなかった、アンドリュー・ジャクソンは気に入ってしまい、「アンドリュー・ジャッカスです(観客ワハハ)」とか自陣の象徴として使ったのである。
それでその後もそのうすらバカでグズで間抜けの象徴であるロバを大統領選で使うようになって今に至るというわけだ。
ビデオチャットで「いい女やな~」「ぎゃ!ちんこある罠や!」っていうイタズラが元々なんだけど、すぐに生えてないなら興味ないっていう増田みたいなのが増えてtrapは売りに。
これはアメリカの伝統関係あるだろうか?3%ぐらいは関係ある気がする。付いててお得だし。
1987年のブライアン・デ・パルマ『アンタッチャブル 』では主任捜査官エリオット・ネスがガサ入れでヘマした所を記者に写真に撮られ新聞のトップ記事にされ、その記事をオフィスに貼るシーンがある。
これもアメリカの伝統があっての事なんだろう。屈辱に耐えるのではなく、「侮辱を気に入る」のだ。それが先人がしてきた事だから。
という訳で単にいつの間にか意味が逆転してしてしまうのではなくて、アメリカの場合「侮辱を気に入る」「恒久的に自分の表象にする」というコードがあるのだ。単に悪口を逆手にとって「○○ですが何か?」というのと違うのはその語をずっと使うって事だ。逆手に取るのとは違うマインドなんである。
だからニガーを当事者だけが言ってもいいというのはこのアメリカ的伝統の過渡期にある可能性があって、そのうち普通に使われるようになるかも知れないって事である。
だったら差別語は何言ってもいいんだな、とか言って差別発言で炎上して失職したり家が突き止められたりというバカが出るのもネットの常である。
以下替え歌
田舎の爺ちゃん婆ちゃん 電車に乗って 風がびゅうびゅう吹いてきた
ババアのパンツがチラリと見えて ジジイはそれ見て目がキラリン
替え歌終わり
成長していくにつれ、「爺ちゃん」が同世代の「婆ちゃん」のパンツが見えて嬉しいなんてのは小学生ならではの世間知らずな勘違いなのだと気づいたとき、なんともいえない気持ちになったものだ。若い女にしかそういう価値はない人が大多数だというなんだかネッチョリした現実がキモかった。
俺は今「爺ちゃん」ではなく「オッサン」になったが、同世代のパンツにはやはり興奮できない。それどころか、JKモノのAVを見ている始末である。なんだか悲しい。同世代のパンツを追いかけているような、立派な大人になりたかった。
私のフォロワーに、世界史が本当に好きという人がいた。(仮にその人をAさんとする。)Aさんは、模試で早稲田A判定をとる実力がありながら、地元九州の私大に進んだという異色の人だった。
彼に「世界史の授業でアルプス一万尺のメロディで中国の歴代王朝を覚えるっていうのを教わったよね」と聞いたら、Aさんは
「いや、そんなもん知らないな」と答えてきた。じゃあどうやって中国の歴代王朝を覚えたのと聞くと、
「自然に覚えた。年号とかもゴロで覚えたことなんてない。」という答え。頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。
よく考えてみれば私自身も鉄道が好きであるが、歌とかゴロ合わせで、「なんとか系はどこを走っててどんな車両で~」みたいなことはやってなかった。
ゲームとかもそうだけど、本当に「好き」なものって、なんもしなくても自然に頭の中に定着しちゃうんだよね。
私も日本史が好きだと自覚していたが、年号とかはゴロ合わせで覚えたので、まだまだ日本史好きを名乗る資格はないなとそのとき思わされた
ちなみにAさんは現役のアイカツおじさんでもある。
せめてプリキュアのコスプレはゾーニングして欲しい、というお話。
http://prehyou2015.hatenablog.com/entry/cos
上記エントリのブコメにいくつか障害者について言及したものがあった。
fujixe 「難しい話をするハメになった」と言うのは、機会が無ければそんな話をするつもりは無いということだろう。説明が大変なので幼児のうちは障害者を見せてはいけない、というのと何が違うのだろう。
oskimura 子供がショック受けるからゾーニングって理屈を許すと、同性愛者やトランスセクシャル、障害者、ホームレスなどをゾーニングして公共空間から追い出せって話にもなるぞ
それを見て、未就学児時代に出会った「マジョリティではない人」のことを思い出したので書いておく。
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3~5歳くらいのころは、近所に住んでいる子供の家に遊びに行くのと同じように、
近所のおじいさんおばあさんの家に遊びに行くことが珍しくなかった。
本人も把握しきれないほどたくさんの猫を飼っているおばあさんがいた。
まだ囲炉裏のある家のおばあさんは、怖い話の名手だった。囲炉裏のある部屋は広くて天井が高くて変な人形があった。
特に何にもなくたって、単に近所だという理由でよく遊んでもらった。
朝ご飯を食べてにこにこぷんが終わったら、一人で外に遊びに出て、おばあさんと遊んだり近所の子と遊んだりして、お昼と夕方のチャイムで家に帰った。
私が特別放置されていたわけではなく、地域性と時代の問題だと思う。近所の子供もみんなそんなもんだったから。
「ごめんください」という言葉はその頃にもう覚えていたと思う。
Aおばちゃんはそういう、「遊んでくれる近所の大人」のうちの一人だった。
Aおばちゃん、と呼んでいたが、おいくつだったのか今となっては定かではない。
Aおばちゃんは、足が深く曲がっていた。片足はしゃがんだ時のように曲がったままで、片足は真横にぴんと伸びたままだった。
家の中では、曲がったほうの足を踏みしめ、伸びたほうの足を引きずって移動していた。
家の外では車いすに乗っていた。なんかでかくてかっこいいやつだった。
一度、Aおばちゃんて足どうして曲がってんの、と聞いたら、河童につかまって曲げられたのだと言っていた。
何をして遊んでもらっていたのかは、今となってはよく覚えていない。
ただなんとなく遊びに行って、子供のおしゃべりに付き合ってもらったり、おばちゃんちで他の子と遊んでいたりした。
「アルプス一万尺」を友達のなかで私だけ知らなかったときに、教えてくれたのはAおばちゃんだったかもしれない。
今思えば彼女は身体障害者だったのだが、そもそもそういう概念さえなかった。
猫を山ほど飼っているおばあさんがいて、怖い話の名手のおばあさんがいた。
Aおばちゃんは、近所の、河童に足を曲げられてしまったおばちゃんであった。
小学生になるとさすがにほいほい遊びには行かなくなったが、冬休みはAおばちゃんちの雪かきをした。
地区子供会というのがあって、近所の子供でかわるがわる当番を決めて毎朝やっていた。
特にボランティアとか障害者の方のためにとかそういうお題目があった覚えがない。
なぜ自分達がやるのかという疑問もなかった。
1年生のころからそうしていたから、そういうもんだと思っていた。
おばちゃん来たよー、といって、家の前を雪かきして、じゃあねーと言って帰った。
そんなもんだった。
ただ、自分がどうだったかな、というのを思い出したので書いた。
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【追記】
watto こだわりを持たなかった子どもが、やがて成長して、なにごとかを察して離れていく瞬間が、一番つらいだろうな。
上記ブコメがなぜかスターを集めているようだが、少なくとも私は「なにごとかを察した」記憶など全くない。
近場でしか遊べない幼児の頃はAおばちゃんを含め近場の大人によく遊んでもらったし、
次第に行動半径が広がる小学生になるとその機会が減っただけのことだ。
Aおばちゃんはふつうにいた。
あなた方の近所のおばちゃんと同じように。