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はてなキーワード: 近親相姦とは

2022-07-01

エロマンガを描いて生きている 1/3 


pixivに初めて投稿したのは約八年前になる。

それから長い時間が経って、今は野良プロとして漫画を描いている。特定組織には所属していない。ごく稀にR18雑誌寄稿したりもするが、基本はずっと一人だ。

今回、こうしてエッセイみたいなのを増田投稿しようと思ったのは、感謝の念が芽生えたからだ。

ずっと、社会に恨みを抱いて生きてきた。子どもの頃からストレスが多い環境にいたせいだろう。最近、ようやく周りに感謝ができるようになった。以前は、作品を認めてくれるファンの人だったり、SNS意見コメントをくれる人だったり、本気で叱ってくれる人にしか感謝できなかった。

最近になって、子どもの頃から散々な目に遭わされた家族とか、昔々の、辛い状況でも諦めなかった自分感謝ができるようになりつつある。ちょっと長くなるけど、自分語りをさせてほしい。



見た目があまりよくない。いじめに遭うことが多かった。

虫取り網を叩き折られたり、廊下を歩いていると後ろから蹴られたり、みんなで遊んでいる時も置いてけぼりにされたり、自分の家で遊んでいる時は貯金箱からお金を盗まれたりした。

イジメから助けてくれる先生はいたが、見て見ぬ振りをする先生も多かった。中学に上がってからは、暴力ますます激しくなって、週に1,2回くらいしか学校に行かなくなった。保健室通いというやつだ。

学校だけじゃない。家族もそうだった。自営業工場主兼農場主)をしている父はただ黙々と働いているだけだったが、母(介護福祉士)がとにかく理不尽だった。小四くらいで整体マッサージを覚えさせられ、母が夜ドラマを観ている最中、足や背中をひたすら揉まされた。

数学テスト20点を取ったり、ワイシャツ洗濯に出さなくて洗濯機で汚れが落ちなかったりすると、決まって布団叩きで頭をぶん殴る。その後は決まって反省文の提出と朗読がセットで付いてくる。

一番ムカついたのは妹(現在イラストレーター女性誌挿絵とかリクルート雑誌4コマ作ってる)だ。3つ下だったが、自分中学一年生の秋に不登校になり始めてからは、ひたすらバカにしてきた。

母と一緒になって、「役立たず」「頭が悪い」「人間性問題がある」「兄ちゃんのせいで学校で嫌な思いをする」「早く家から出て行って」など言いたい放題だった。

中学卒業して偏差値52の公立高校に通った。イジメに遭いそうにない環境生き方必死で探したおかげか、陰キャラとして3年間を過ごすことで平穏無事に高卒肩書を得た。

人間としては全然ダメだった。今でもそうだ。青春期に、部活とかボランティアとか、人と関わる活動をしてこなかったせいか社会性に問題がある。クリエイターを目指す専門学校に入っても変わらなかった。マックアルバイトを始めたけど、根本的なところはいっしょだった。

自信がなかったのだと思う。自分自身の生き方に対する信仰、というか。それが社会性のなさに繋がって、いつまで経っても結果が出せなくて、それで自信を失っての悪循環だった。

普通20代前半くらいの人間だったら、「お前はすごい」と言われたことがあるはずだ。自分にはそれがない。もどかしい気分になったけど、当時は鬱蒼鬱屈(教えてくれた人サンキューです笑)とした気分で街を歩くしか手段がなかった。

ちょっと前に、マクドナルド面接に出かけて、遅刻して店長に怒られて逆切れをした人のはてなブログがバズったことがあったはずだ。まさにそんな気分だった。あれは自分だった。もう一人の自分。今思えば愛おしい。



専門学校入学してすぐだったか。あるまとめサイトを見たのは。

絵師の上達みたいなタイトル2ちゃんねるスレッドだった。いろんな神絵師の上達していく過程が何枚かの絵を抜き出すことで説明されていた。ところで、自分シナリオ学科だった。イラストとは縁がない。けど感動したのは覚えている。

ある神絵師最初イラストは、東方チルノだった。最初小学生が描いたみたいなシンプル鉛筆書きみたいなノリだったのだが、年を経る毎にどんどんうまくなっていって、最後イラスト神輿と一緒に映っているチルノはまさに圧巻だった。

この時になって思い出した。小学生の頃は、授業中のノートに絵を描くのが好きだった。当然、大したことはない。まさに子ども落書きだ。中学生になる頃には一切書かなくなっていた。

自分イラストをやってみたいと思った。確かな感情だった。自分が好きなアニメイラストを描いてみたい。あの時、確かにそう感じた。

まずは自由に描いてみた。

一番最初に描いたのは実家で飼っていた猫だった。灰色のやつで、自分と妹が小学生の時に拾ってきた。自分達が近付くと、「ヌアァン」と鳴いて田んぼ稲穂の中に入って行った。

出てくるまでに20分はかかったろうか。「いつまでも一緒に待つんだぞ」と妹に提案して、出てきた猫を妹が抱えて家に持って帰ったんだっけ。父には反対されたけど、母を味方に付けることに成功した。

そんなこんなで初めて描いた猫は、猫ではなかった。よくわからない物体だった。耳がへなっと折れていて、ほわほわとした毛並みを表したはずの鉛筆でのなぞり書きは、角が折れたトーストの上に浮かんだような暗黒物質を生み出していた。小倉トーストだった。

二番目に描いたのは、好きなアニメキャラだった。アイカツ!星宮いちごを描いてみた。二次元だったら何とかなるかと思ったが、ぜんぜんそんなことはなかった。一応人間にはなっていたが、こっちの方がまだ猫に似ていた。

三番目は、風景に挑戦した。上で田んぼと書いたが、当時は関東圏でもそれなりの田舎に住んでいた。実家の近くに小高い山があるのだが、そこに昇って、自分が住んでいる町を見下ろしてスケッチをしてみた――結果は燦々ではなく、散々とした出来だった。透き通った空気の中に浮かぶ田畑が並んだ一帯を描くはずが、自室の襖に飛び散ったとある黄ばんだ一角のような、痴態のようなものしか描くことができなかった。

独学で学んでいるかダメなんだと思い、ネットで上達方法を学んでみた。といってもツイッター検索だが。「とにかく量をこなせ」というメッセージが心を掴んだ。

次は書店で本を買い、何周も読み返して基礎的な人体の描き方を頭に叩き込んだ。新しい何かが開けた気がした。

そんなこんなで、何を描いたのか判然としないようなモノを1週間につき1枚のペースで仕上げていった。努力しただけあって「ヘタクソ」の領域に到達することができた。

これでいい。あとはpixiv投稿しさえすれば、絵描きへの第一歩を踏み出せる。ここまでに約二ヶ月かかっている。今までのpixivの使い方はといえば、好きな漫画アニメイラストを見たり、さあ寝るかと思った時に、より深く就寝に至るための聖なる行為(SeaCallと呼んでいた)をするためだった。

それが今、人生で初めて本気で描いたアイカツ!キャラ絵を投稿しようとしている。色々と入力していって、最後に「投稿する」ボタンを押すと、ブラウザ画面がぐるぐると回って投稿が終わった。

最初ブクマ数は、3時間で「5」だった。閲覧数は70くらい。コメントも付いた。テンプレだったけど。

しかった。自分イラストを気に入ってくれる人がいたのが嬉しかった。この時が絵描きとして人生で一番最高の瞬間だった。この時以上に嬉しかたことはない。

ところで、検索で一番上に出てくる上位勢とは月とすっぽんだった。それくらい画力に差があった。子どもの頃に観ていた夜ドラマで喩えると、彼らがお空に浮かぶお月様だとしたら、自分味噌汁出汁に使われる煮干し様だった。彼ら彼女らを引き立てるための数多のヘタクソの1人。それが当時の自分だった。

今の自分は、漫画的な儲けであれば、彼ら上位勢のほとんど全員に勝っているだろう。もしかすると、pixiv出身の若手作家という括りでは自分歴代一位かもしれない。いや、多分そうだ。

しかしbut。あいつらの画力には到底及ばない。あれは常人が至れる領域じゃない。努力できる天才けがあそこまでいける。

当時は、気が狂ったようにイラストを描いた。専門学校の授業が終わると、真っ先に家に帰ってイラストを描いた。アルバイトは当初週4でシフトに入っていたけど、週2に減らした。

ここでいったん筆を止めて、pixivマイアカウントを眺めてみる。過去に描いた作品時系列に巡ってみたのだ。すると、端的なある特徴が出てきた。割とすぐに一般からエロ主体に移行しているのだ。もっと遅いと思っていた。

今の自分は、一応プロだ。エロ絵で生きている。絵の初心者だった当時は、そんな未来は全く想定していなかった。自分が描いていて楽しいものを作っていただけだ。自分はおそらく、エロに興味がある人間だったのだろう。

とにかく、たくさん投稿していた。週に2~3つ上げていたこともある。今だと月に1枚が限度だ。暇な時間がなくなってしまって、好きなキャラ絵を描く時間も体力も気力もない。専門学校卒業する頃には、200本以上のイラスト漫画をアップしていた。子ども向け~若者向けのアニメが多い。アイカツ!とか、プリパラとか、ポケモンとか、ラノベ作品とかそんな感じだ。

すっかり絵描きになっていた。マックアルバイトで貯めたお金ペンタブを買ったりした。今でも使っているお気に入りのやつだ。

絵を好きになれたのはよかったが、専門学校卒業しても就職しなかった。シナリオ勉強は存分にさせてもらったけど、別に脚本家になりたいわけでもなし、ゲーム制作の実績があるわけでもなし、就職活動コネ作りなど当然しているはずもなく。文章を書くのは好きだったが、小説書きには興味がない。そんなことより絵が描きたかった。

いや、違う。専門学校に居た時、違う学科同士でグループを作ってゲーム制作したことがある。途中で抜けることになったが。コテコテRPGだった。

ツクール制作を進めていて、魔法名前を考えている時、自分が水属性魔法として「シーコール」を提案したのだ。それで、3人居た仲間の1人が噴き出した。また別の子が、「海をイメージしてるんだね。きれいな名前だね」と言ってくれた。それで、「発展形はどういう名前になるの?」と聞いてきた。

「ゼンイン・シーコールというのはどう?」と自分がいうと、さっき噴き出した奴が机に突っ伏していた。「それは、どういう描写イメージしてるん?」とさっきの女の子が聞いてきた。

「みんなで力を放出して集めたやつを、その聖なるやつをさ、敵に流し込んでやるんだ。思い浮かべてみて」と言ったところで、また別の人が「お前はふざけているのか。帰ってくれ!!」と憤った。

以後は、それなりのペースで開発は進んだ。順調だったように思う。上の女の子が、みんなをうまくリードしてくれた。自分にキレた人も、開発の途中から冗談を言うようになっていた。

増田君、いいシナリオが思い浮かばない? じゃあ、この主人公がトツゼン・シーコールをするのはどう?」

冗談を言ってくれるようになった。

懐かしい記憶だ。ちなみに、シーコールきれいな名前だと言ってくれた子は、卒業後にガンホー入社した。当専門学校では一番の出世株だ。同窓会ではスマホゲームを開発してると言っていた。参考までに、マジメに考えた技や魔法も一応提出した。

グランドアクセラレーション攻撃ではなくて地属性のバフ)

イモータルブル-(水属性のバフ的なやつだったと思う)

・赤薔薇の檻(どくどくみたいな感じ。味方にかけると回復

・無窮動(ペルペトゥーム・モビーレと読む。それ以外は亡失)

規律ある発狂状態(ディシプリナ・インサイアと読む。それ以外は亡失)

・全領域侵食(この名前以外は記憶にない)

夜明けの羽ばたき(〃。たぶんミネルヴァの梟から取ったのだろう)

こうして自分は、絵を描いていたいがあまりフリーターとしての道を選んだ。父や母から馬鹿にされ、軽んじられた。当然、妹からも。

当時の妹は、実家台所自分存在を認める度に、ごみを眺めるような感じで素通りした。なんというか、存在認識していないのだ。あいつも高校を出てすぐに入った会社で嫌なことがあって、1年ちょっとで辞めてしまって辛かったのかもしれないが、とにかく目線が冷たかった。

自分フリーター身分なので、家族内で大したことは言えなかった。母にはよく「役立たず」「プーの分際で」「一生トイレ掃除でもしてなさい」など冷たい言葉を吐かれた。

フリーターだった頃の自分は、何を思っていたのだろう。「見返してやる。世の中で絶対成功してやる」などと思っていたのだろうか……いや、そんなことは思っていない。自分がやりたいように、やりたいことをして生きていきたい。そう思っていた。それだけだった。



マックで週2~3回のアルバイトをして、家に帰ったら小学校に上がる時に買ってもらった児童机に座り、ペンタブを握って作業に没頭した。傍らの床には、スケッチ帳を破って放り投げた下書きが何十枚も落っこちている。そんな毎日だった。

できた、できた、できた!! 作品を完成させた時のあの感覚自分がまるで神にでもなったかのような、いま過去最高を更新し続けている、今この瞬間の自分過去のどの自分よりも優れている――という、あの頃の高揚感にはもう戻れない。あの日々、俺は俺で満たされていた。我を忘れるほど。自分が決めて進んでいた道のなかで。

成長しすぎてしまった。10ヵ月以上かけて長編作品を完成させたとしても、喜びはあまりない。それよりも、ホッとした、安心したという感情の方が強くて。ある時期を境に、自分は作者として堕ちているのか、このままで大丈夫なのかという疑問が湧いてきた。一方で、FANZADLsiteで多くの人達が楽しんでくれているのを観ると、やはり絵描きをしていてよかったと感じる。

DLsite長編作品投稿しようと思ったのは、ある夏の日のことだ。アルバイトが終わり、家に帰って夕食を食べていた。すると、台所の四角い卓の斜めに座っていた妹が、「ん」と親指を床に向かって指した。そこには、おそらく何日か前のご飯の残りカスみたいなものが落ちていた。妹は、ウザそうな顔で「拾え」というジェスチャーを繰り返した。

しぶしぶ右手を屈めて拾ったのだけど、それから時間か経って、自分が相当馬鹿にされていることに気が付いた。あれはそもそも自分が落とした残りカスだったのだろうか? 違うんじゃないのか。とにかく馬鹿にされていたのは間違いない。怒りが込み上げてきた。許せないという気持ちが何日も続いた。

ある日、ようやく思い立った。自分の思いに決着をつける方法を。解決になるかはわからなかったが、とにかくやってみようと思った。

R18作品を扱っている販売サイトを見て廻った。それで、処女作DLsiteに捧げようと思った。これまで同人作品同人ゲームを購入したことがあるというシンプル理由だ。「此処で作品を売ろう」と思ったら判断は早かった。すぐにpixivマイページを開いて、これまでに投稿した約250作品ひとつひとつクリックしていった。読者の反応を観るためだ。

長編作品と向き合うにあたっては、自分の強みでとにかく突き抜けようと思った。専門学生の頃に、ヒルティという人の『眠られぬ夜のために』を読んだことがある。あまりに感動してしまって、つい何篇かの言葉メモ帳に書きつけていた。

突き抜けよ。この短い言葉は、内的生活の多くの危機に、ほとんど魔術的な効果もつものである

195ページ

あなた義務を行いなさい、できるならば楽しい気分で。できなければ、そうした気分なしでもよい。この方が一層ほむべきことであり、一層大きな実りがある。

211ページ

まこと人生の楽しみを得ようと思うならば、なによりもまず、その楽しみがいったい何にあるかをはっきりさせ、それを妨げるすべてのものを、断然さけなければならない。

237ページ



今でも好きな本のひとつだ。

とにかく、突き抜けてみようと思った。頭に閃いた何かを形にするために、これまで作品お気に入り登録してくれた人達意見を集め、この試練に立ち向かうのだ!

スケッチ帳への下書き(追記 専門用語でいうネームから始めて、セリフを付けて、大まかに色を塗って(追記 色鉛筆でザザッと塗るだけ。難しい場合は✓で表す。自分場合は一度紙で表現しないとデジタル作業に移ることが難しい)、効果音のイメージを書いて……いや、大事なことを忘れていた。基礎設定はできていたのだが、キャラクター同士の人間関係をまるで作っていなかった。これでは駄目だ。というわけで、もう一度スケッチ帳への下書きからやり直した。「うん、これでいい。やっぱりやり直してよかった」と、当時の日記に書いてあった。

今でもそう思う。キャラクター間の繋がりが何よりも大事だ。特にR18コンテンツにおいては。「男性カタログシチュエーション萌え女性物語関係性に萌える」のだから

粉骨砕身の末、三ヶ月以上かけて初めての長編作品ができた。50ページ近くはある。誰に対しても胸を張ることができる妹凌辱ものだった。

精一杯、想いを込めて突き抜けた作品だった。2022年6月現在インターネット掲示板での自分は、近親相姦ジャンル大家として知られている。恋人たちの予感がするほど、そんなラブラブ作品は作らない。ガチ凌辱とかではなくて、『ライト強姦』とか『ソフト凌辱』とか言われるコンテンツになる。



自分場合は七千字ちょっと文字数制限のようです。

以下に続きます

https://anond.hatelabo.jp/20220701210745

2022-06-12

anond:20220608222829

Kendall(2007)ものっけから不穏だ・・・

概要で「これらの結果は、ポルノグラフィレイプ代替であることを示唆している」とか言ってるし、本当かよ。

ちなみにKendall(2007)の前にも先行研究があり、Court(1976)、Baron and Straus (1984) Jaffee and Straus (1987)がある。これらはポルノの利用とレイプ被害に正の相関(すなわちポルノをよく利用する地域レイプ被害が大きい)が見出されていたんだが、地域固有の効果コントロールできていない(cannot control for unmeasured location-stpecific effects)と書かれていて、これらを改良したのがこのKendall(2007)らしい

 

簡易的な「differences-in-differences」法で調査したところ、インターネットが急速に普及した25州と普及が遅かった26州を比べ、レイプ発生件数人口10万人あたり-2.2件の差があったそうな。つまりインターネットの急速な普及に伴ってレイプ発生率が減った

このような差は1995-2003、すなわちwindows95発売以降インターネットが普及した時のみ現れ、1990-1995年の間では特に差が出なかったらしい。そうなんだー

これはどういう効果なのかな?中身までには触れてないはず。ポルノの影響かもしれないし、個人情報発信によってそれこそ認知の歪みが是正されたのかもしれない

 

なお、Kendall(2007)でもレイプ固有の影響なのか犯罪全体が減っているのかは調べてて、殺人件数も調べてる

殺人件数継続して減っているらしいけど、急速に普及した州は普及が遅かった州より減りが遅かったそうな

インターネット殺人起こりやすくしてる?

まあ銃乱射の憎悪犯罪とか、アメリカ特有の何かはあるのかもしれん

 

また、暴力犯罪(violent crime)および財産犯罪(property crime)はインターネットアクセスに対して優位な差がないって言ってる

これはBhuller et. al. (2013)と同じことを言っていて、なにか性犯罪だけインターネット普及率と関係性が高いようだ。不思議だ…

 

インターネット売春には負の相関が、インターネット家出には正の相関があるとされている

その他の性犯罪(強姦近親相姦ソドミー(アメリカでは犯罪なの?)、わいせつポーズ)なんかは相関が見られないらしい

Bhuller et. al. (2013)の「出会い系ポルノ利用との区別がつかない」結果と総合して、

家出した青少年出会い系の利用増加で被害に合ってる」という構図が見えるが?

 

また、年齢ごとの性犯罪インターネット利用の関連を見て、15-19歳男性が一番犯罪の減少率が高かったので、

そこからポルノの利用との相関を見ている。これは正しいの(?)

 

結論として、この研究結果は「他の国、他の時代、あるいは他の方法論やデータセットを用いたさらなる研究必要である」と注意はされているが、

ポルノグラフィーのアクセス自由化は、女性性的被害を増加させない可能性があることを示唆している。」

と結ばれている

2022-06-05

anond:20180714203618

近親相姦禁止規定は、子どもを扱う職業倫理規定に似た意味のあるものだと思っている。つまり、まさに増田が書いているように、

大体そのリスクを考えるなら、「家族が一緒に暮らすということがリスクである」、という考えになる。つまり、年頃の未成年はすべて隔離する、ないしは家庭に監視をつけるといったことをしなければいけなくなる。もっと突き詰めれば、誰かが他の誰かと暮らすのは危険、という考えになるのではないだろうか。本当にそれが皆が望む世界なのだろうか。

という話に等しい。考えてみてほしい。よその子を預かるとき、同性の子供ならともかく年頃の異性の子である場合、親はかなり気を使い、場合によっては断るだろう。なぜか。それは潜在的にそこに恋愛性的交渉相手となり得るという前提が潜んでいるからであり、そのことへの配慮社会的要請されるからである。何も考えずに預かって「何かあった」場合保護者としてあまりにも無責任だとの社会的批判を避けられないから「配慮」する。それは、おおむね弱者となりうる側の性の子供(つまり女子自身においても同様で、自分の身を守る観点から、同年代の「家族以外の」異性との接触には一定制限社会的要請され、それを逸脱すると社会的批判さらされることになる。


分かりやすく言おう。要するにな、「お兄ちゃん」が「恋愛セックス相手になる」ことが前提となっている社会では、女の子は家の中でも外と一緒で「安心」できないんだよ。その心理的安全性を確保するために、インセストタブー有効機能していると考えるのは、現状においてはじゅうぶん妥当だ。よく言われる遺伝問題、あるいは、前近代的な族間の贈与と交換の論理といった問題とは別次元の話として、今日においてもなお近親婚に忌避があるのは、それが理由だと言えるだろう。男性からはあまり見えてない問題なので、増田のような疑問をもつ心理は分からなくはないが、増田以外の場でこんな話を持ち出せば明らかにヤバい男性認定されるので(いちいち理由を言いはしないだろうが)気を付けた方がいい。

2022-05-28

anond:20220528090627

相姦(そうかん)とは。社会通念上は考えられない男女間で行われる性交


相姦という単語があって、そのうちの近親者によって行われる相姦が、近親相姦なのよ。

近親相姦って「相」要る?

近親姦じゃダメなのか。

2022-05-27

近親相姦の中でも許され度あるよな

父と娘→絶対に許されない

母と息子→引くわ

兄と妹→許されない

姉と弟→許す

双子の男女→許す

2022-05-08

性的コンテンツから性犯罪を誘発することは、警察庁の発表でも明らかになっています

https://childrenrightsnews.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

犯罪フィクションコンテンツ禁止する

性的コンテンツから性犯罪を誘発することは、警察庁の発表でも明らかになっています

痴漢

レイプドラッグ

スワッピング

・3P、4Pなどの乱交

権力勾配によるグルーミング

・口淫

肛門挿入

・異物挿入

凌辱(顔射、ぶっかけ)

ハードSM

・輪姦

レイプ

女子高生

ナンパ

近親相姦

マッサージ店でのレイプ

などを禁止して下さい。

根拠はさておき、これこそ女性の権利を守り、救う、本来フェミニスト的な活動だと思う。

たわわなんてはっきり言ってどうでもいい。

2022-05-06

中絶禁止の流れへの反論への反論の何がおかしいのか

おい増田、要所要所に嘘を混ぜるのはやめろ。地金が出るぞ。

プロライフ派は強姦中絶禁止を本意としていない」という嘘



とはいえ強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない

ローvsウェイドの司法判断が覆された場合保守的な22州で、速やかに中絶禁止州法法律化される見込みだ。そして、そのうち半数の11州ではレイプ近親相姦例外的許可する緊急避難条項が含まれていない。レイプだろうと近親相姦だろうと、6週目以後の中絶犯罪になるだろう。「強姦の結果としての妊娠出産まで強制すること」がプロライフ派の大多数にとって「本意でない」なら、そんなことになるわけがない。

そもそも増田の主張からすれば、「レイプによって生まれる子だったら中絶してもよいのだ」という結論は到底導けないはずだ。

①男女双方が妊娠出産に到る可能性についても含め合意のもとでなされた性交による妊娠

妊娠を望んではいなかったが合意のもとでなされた性交による妊娠

レイプ(forcible rape)による妊娠

この3つのパターンで、妊娠した胎児人権にどう差が付くというのか? 親が誰だろうと、妊娠に到る経緯がどうであろうと、子の人権多寡軽重には何ら関係がない。とにかく生んでもらって社会的ケアすべきだ、ということに当然なるはずだ。だが、この件についてだけは「性的被害記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性生存レベル危険に追い込むことに他ならない」という、母親の心身の危機への配慮みたいな話が持ち出され、しかも母の「心身の生存レベルでの危険」なる抽象概念保護が、子の生存権を上回るかのように設定される。場当たり的で卑怯な取り繕いだ。

米国キリスト教右派福音派右派南部バプテスト派など)はそんな姑息な誤魔化しは使わず、堂々と「強姦でも中絶禁止だ」と主張している。だから22州のうち半数が、強姦に関する緊急避難条項を盛り込んでいない。

ちなみに米国プロライフ推進派の内輪で、中絶禁止倫理的指針をめぐって議論になることが多いのは、レイプよりもむしろ近親相姦のほうだ。(彼らの聖書理解においては)レイプ聖書に反しないが、近親相姦は(中絶と同じく)聖書に反するからだ。つまり堕胎近親相姦聖書教義同士の衝突だから議論が紛糾するのだ。このことひとつ取っても、プロライフが「人権原理」を重視する人々ではなく宗教右派によって駆動されている運動だということがわかる。

「より人権原理的な立法措置が、アメリカヨーロッパでも徐々に取られつつある」という嘘



>私は、強姦案件での中絶合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である

ここまで一回も出てきていない「ヨーロッパ」という言葉が(あたか中絶禁止先進国の潮流であることを印象づけるかのように)唐突に顔を出すが、EU27ヵ国のうち中絶を法的に禁止しているのはマルタポーランドだけだ。

https://ifura.net/abortion-in-europe/

マルタでは国民の98%近くがカトリックと言われ、2011年まで離婚する事は違法でした。ヨーロッパ人口妊娠中絶に最も厳格であるマルタでは、例え母親生命健康状態危険が及ぶ可能性があったり、胎児異常の可能性が高い場合近親相姦、望まない妊娠強姦など)他であっても一切の例外は無く、中絶をした本人や補助をした人(医師など)は、最長3年の懲役が科される(マルタ共和国刑法第241条他)があります

ポーランドでは2020年10月22日憲法裁判所が下した、「胎児異常でも、中絶する事は違憲」との判決により、実質的にほぼ全ての人工妊娠中絶禁止されていますポーランドでは強姦近親相姦母親生命及び健康リスクがある場合のみ、人口妊娠中絶が認められます



まり宗教保守が圧倒的に強い国での旧弊法制と、近年になって右傾化保守回帰が進んだ国での反動的法制化だ。米国もまた〈点〉としてのリベラルな都会を、広大な〈面〉としてのコンサバティブ田舎が取り巻く二重国家だ。そして、後者田舎保守回帰と反リベラルが進んだ結果としての、プロライフの再炎上なのだ

こういう事実をわかっていて(増田はわかっているはずだ)、どうして「より人権原理的な立法措置が、アメリカヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識」に到るのか。本気で書いてるなら増田は相当頭がおかしいが、本心ではないのだろう。とりあえず読み手を騙せればいいと思って、適当書き飛ばしている。

アメリカでも欧州一部国家でも、プロライフを推進しているのは主に宗教保守派(福音派南部バプテスト派保守的カトリックなど)と、必ずしも宗教的背景を持たないが宗教保守連携する保守的政治勢力(トランピスト・銃規制反対派・反連邦主義者白人優越主義者・ネオナチなど)だ。彼らの大多数は「リベラルによる社会破壊陰謀」を食い止めるための象徴問題として中絶マターを扱っている。

米国プロライフ派の中にはConsistent life ethic派という比較中道的な宗教運動もあり、ここはとにかく人命尊重という倫理を徹底し、死刑反対・暴力反対・安楽死反対・薬物濫用反対・戦争反対難民救済・人種差別反対・マスク着用推奨など、「人が死なない」ことを基本原理とした運動を展開する中で中絶反対という立場を取っているが、上記に列挙した方針を見ての通り、「人命尊重」を追求した結果リベラル的な色合いも強くなってくるため、プロライフの主軸である宗教右派とは折り合いが悪く、プロライフ運動の中ではほとんど力を持っていない。

もし本当に「人権原理」を重視する層がプロライフを推進しているなら、彼らは同時にLGBT人権なども容認擁護していてもおかしくないはずだが、実際にはプロライフ推進派の大多数は、苛烈LGBT批判し、セラピーで「回心」(reparative therapy)させ、時には法的に禁止しようとすらしている。BLM運動についても、当然批判側に立っている。だからこういう皮肉めいたコラム(「あれれ〜? プロライフ人達黒人人権について無関心だったりBLMを陰謀論扱いするのって何かおかしいよね?」)↓が成り立つ。

https://loyolamaroon.com/10029377/oped/pro-life-means-supporting-the-black-lives-matter-movement/

ちなみに米国には、中絶実施する医療機関医師に対して暴力テロ行為を行うArmy of God(神の軍隊)というクリスチャン団体があり、中絶実施するクリニックを爆破したり、炭疽菌だと言って粉末を送り付けたり、医師誘拐殺害したりしている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Army_of_God_(United_States)

こんなことは、望まない妊娠中絶に対して賛否どの立場を取るかに関わらず、プロライフプロチョイス議論の初歩であって、米国での中絶禁止について解説しようとする増田が知らないはずがないのだ。知ってることをあえて書かず、嘘も交えて、事実とは違う印象を与えようとするのは本当に良くない。中絶禁止擁護するのはいいが、真正からやれ。

https://anond.hatelabo.jp/20220503215621

2022-04-22

表現の自由戦士中韓ヘイト本が一面広告されても別に良い」

anond:20220421185317

はてブで本論に対する反論をしない表現の自由戦士が多数いるの見て、やっぱ図星かと思った

jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。

本性あらわしたね

表現の自由戦士にとったら、「中韓ヘイト本日経の一面広告に載ってても別にいい」らしい

まあ、表現の自由戦士論理を突き詰めればこうなるのは当然ではある

jzhphyは問いから逃げた他の自由戦士に比べればまだマシな部類だろう

そう、

「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」

と主張するなら、

中国人韓国人への嫌がらせを娯楽化した中韓ヘイト本の一面広告も許容するべき(批判するべきではない)」

と主張しなきゃいけなくなるんだよ

から表現の自由戦士とは対話が出来ないんだ

彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張は、差別発言表現)を「人を身体的に傷つけない」という理由肯定してしまうから

「『一部の人不快になるだけで、身体的な被害は出ない表現』を批判するな」と言うなら、「土人は知能が低い」「チョンは近親相姦ばかりしてる」「チビには人権がない」といった表現も「一部の人お気持ちが傷付くだけ」だから批判してはならない」となる

jzhphyのコメントや、本論には全く反論せず重箱の隅をつつくことしかしない表現の自由戦士が多いのを見て、表現の自由戦士は結局、「場所を選ばず差別をする自由」が欲しいだけなんだと言うことがよくわかった

以下、問いから逃げた表現の自由戦士一覧

yujimi-daifuku-2222 ちなみに現実とは異なるセックスファンタジー実在人間への嫌がらせという基準採用した場合、ほぼ全てのBL理想化された男性が登場する女性向け恋愛ドラマ映画もまた、嫌がらせとして規制対象ですね。

女子高生に「頑張ったねクーパー靭帯」というLINEを送る性的嫌がらせ描写をなかったことにして、「セックスファンタジー=実在嫌がらせ」という一切主張していない前提からお気持ち批判する国語力のない自由戦士

tnishimu 嫌味を言いたいならまず先に国語勉強しましょう

反論できないとこうやって嫌味を言うことしか出来なくなるのが表現の自由戦士

国語勉強については読解力のないyujimi-daifuku-2222に言ってくれ

Shiori115 はいお薬出しときますね。次の方どうぞ〜

反論できなければ人格攻撃に移るのも表現の自由戦士常套手段

senbuu ヘイトスピーチ違法だ。比較するなら喫煙広告などにしろ少年漫画雑誌タバコCMはありかなしか? 追記で2000字以内で答えなさい

君の言う「違法もの違法ものしか比較してはいけない」というメチャクチャな前提に乗ってあげると、

まずヘイトスピーチを取り締まる法律はない

「本邦外出身者に対する不当な差別言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」がヘイトスピーチ対策法だと言いたいなら、

「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず国籍人種民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別ヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。したがって女性への嫌がらせを娯楽化した漫画中韓ヘイト本比較するのは君のメチャクチャな前提に従っても問題はない

あとそもそも違法もの違法ものしか比較してはいけない」は論理性が皆無なので君は反論できていない

jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。

月刊ムーって「特定属性の人への嫌がらせを娯楽化」した雑誌なの?知らんかった

こうやって書いてあることをわざと無視して違う前提で話を進めるのも表現の自由戦士ならでは

2022-04-17

anond:20220417171408

インフラがある程度整って娯楽としてのセックスがある時代にも

宗教画以外では裸婦は描けないなんてことがあったのだから

仮にそうだったとしても別に驚かない

ただ、化石時代なんて下着無くて殆ど裸みたいな格好で過ごしてるのに

わざわざ埴輪見て性処理しようとした人がいるとは個人的には思えないけどね

そもそも地母神崇拝の偶像儀式の道具なのでそういう意図で作られたものじゃないし

もっと言えば村の仕事をしていた女性が作った可能性も高いんだけどな

 

で、なんでセックスを公に持ち出すヤツがNGだったかというと

インフラ整備されてないか子育て出来るタイミング野生動物並みに厳しいもあるけど

単純に近親相姦なっちゃうからです

 

船を使って旅をしたり、祭りで他集落若者出会うとかやってたそうです

 

2022-04-15

anond:20220415133035

Fate/staynight(H/N)2章の終わったとのエレベーター彼女?が彼氏に向けて

「あの女ねぇ!絶対優しくされると確信してたよ!自分美人だって自覚絶対ある」と言っていたのは

オタクきっしょ

これ感想云う側もオタクだろ オタクカップルで救いがねぇな くさそう

たぶんこの女って桜のことなんだろうけど言うて境遇からして誰にも優しくしてもらえてないんだからそんなの思わないだろ

ましてや近親相姦とか蟲入れられてるのカミングアウトした後なのに

最近読んだBLではない本と、関連BL本・関連するがBLではない本。(ネタバレあり)

 けっこういい感じに分厚かったけど、半日没頭して読んでしまった。

流浪の月』(凪良ゆう)

 来月辺りに広瀬すず松坂桃李の主演の映画が公開されるし、TSUTAYAに行けば売れ筋ナンバーワンとしていっぱい平積みされているので、わざわざ私が紹介しなくてもいい気がするが……。

 著者の凪良ゆう先生BL小説家としてデビューした人気作家。数年前からBLレーベル外の小説も書くようになった。『美しい彼』『わたしの美しい庭』『滅びの前のシャングリラ』など著書多数。

あらすじ

 主人公の更紗(さらさ)は、風変わりな両親に愛され、自由奔放で健やかに育っていた。だが、平和な日々は突然瓦解してしまう。天涯孤独となった更紗は伯母の家に預けられたものの、普通の家庭に馴染むことが出来ない。居場所のない彼女放課後、独りきりで公園に行き、ベンチに腰掛け読書をして時間を潰すようになる。

 公園には更紗以外にもう一人、ベンチの常連がいた。更紗の学校の友人達からは「ロリコン」と呼ばれる、痩身の若い男。彼は毎日、暗い目で女児達の姿を追っていた。

 更紗が伯母の家での暮らし限界を感じた夕方、これまで更紗に対して無関心を貫いていた「ロリコン」が彼女に近づいてきて……。


増田感想ネタバレあり)

 ざっくりと言えば、かつてTwitterとかでフルボッコにされた伝説の『幸色のワンルーム』(はくり)みたいなストーリー。傍目には、猥褻目的誘拐犯に性犯罪被害者が懐いてしまストックホルム症候群しか見えないけれど、実は訳ありのお兄さんが虐待を受けている女の子を救い、それをきっかけに強い絆で結ばれ、唯一無二の関係性を築いた二人の物語

 なんか物議を醸しそうな筋書きだけど、今のところ『幸色のワンルーム』のようなボコられ方はされていなさそうだし、これからもそうはならないかもしれない。

 ただ、レビューを見てみると、猫も杓子も作者が読んで欲しいように読んでいるというか、「事実真実とは違うということがわかりました。わたし無理解から他人を傷つけないように気をつけてようと思いました」と多くの人々が判を押したように書いていて、道徳時間小学生じみていて、うすら怖い。一体どうした、みんな真面目か。

 まあそれは置いといて。『幸色―』よりは好意的に受け入れられているっぽいのはたぶん、そもそも挿し絵無しの小説なので、女児可愛い言動性犯罪被害を描いてもそれを「性的消費」目的で書かれたとは思われ難いというのがあるのかなと思う。それに、物語全体のうち、被害者女児誘拐犯の暮らしが書かれた部分はそんなに多くない。それより、更紗が事件以来、15年の歳月をどのように生きてきて、現在はどんな風に暮らしているのかに多くのページが割かれている。そして、更紗が性的虐待を受けている場面や、彼女にとってはしんどいだけの性行為の場面は、心情はリアルに書かれても行為のものは生々しく描写されはしないので、虐待描写オカズ化は防がれている。そういう意味では安心

 未成年略取という犯罪に夢見すぎという批判はあると思う。だがそれも罪を犯した文(ふみ)の内心が吐露される章で緩和されるのかな、たぶん。

 現実にも起こりうる、子供被害に遭う犯罪とその冤罪当事者しか真実は知らないはずなのに憶測が飛び交い、被害者加害者ともにオーバーキルとなるほど晒し者にされ平穏日常生活を奪われ追い詰められること。そういうことを物語ネタとして取り上げることの良し悪し。それについて私自身がどう思うのかといえば、良しとも悪しとも言えないなぁという歯切れの悪いことを言うしかない。

 個人的好き嫌いのことをいえば、センシティブネタほど「逃げの一手」を打たない方が好き。例えば近親相姦もので実は血が繋がっていなかったのでセーフでしたとか、小児性愛者が未成年略取の罪を犯したと思ったら実はそいつ小児性愛者ではなかったのでセーフでしたとかいうのは、何がセーフじゃ甘えんな! もっと業に正面から向き合えと思う。

 『流浪の月』はどうだったかといえば、文は実は小児性愛者ではなかったので、そういうとこは私のあまりきじゃないものの類なんだけれど。だってたぶん多くの読者が「更紗と文にはこれからは静かなところで幸せ暮らして欲しい」とレビューに書いているのって、文が「安全な人」だとわかったからで、もしもまじもんの小児性愛者だったら同じ感想が出るか? っていう。なんていうのか、結局は罪を軽減して世間並に受け入れられるレベルまで物語引き下ろした感が出てしまうというか。それで事実真実は違うよねーと言われてもなって感じがする。

 だが、文がなぜ自らを偽ってまで小児性愛者のふりをしてきたのか、その事情と心情があまりにも切々と書かれていて胸を打たれたので、私の個人的好き嫌いとかどうでもいいかもう、と思い直した。

 事実真実は違う。人それぞれに抱えているものがあって、それを他人が何も知らない癖に常識だのなんだのを笠に着て叩くことが許されようか? 本作のテーマはそんな感じだが、幼い頃の更紗を育んだ家庭や、大人になった更紗に関わる人々などを、更紗が許容するもの・拒絶するものに、そうは言ってもな……とちょっと疑問が残るようになっているところが良いと思った。

 たとえば、母親が無理をせずに幸せであることは大切だとして、更紗は彼女自身母親や、同僚の子持ち女性自由奔放ぶりを許容する。ところが更紗の母親と同僚女性は娘の物分りのよさに甘え、自分恋愛にかまけて娘を放置するという全く同じ行動をする。だが、その結果は大きく異なる。更紗は母親に遺棄されたせいで理不尽辛酸なめることになったが、同僚女性の娘は放置されたものの完全には棄てられず、それが切っ掛けで更紗と文という年の離れた友人に出会い精神的に救われることとなる。同僚女性は更紗と文という協力者を得たお陰で、娘を遺棄せずに自分人生も大切にできたとも言えるかもしれない。同じ事が起きても結果は違う。これを人それぞれと言うか、そんなんただの運だから最初からちゃんとしているに越した事はないと思うか。現実としては、周囲から親にかけられるプレッシャーのお陰で子供が守られているという事も、往々にしてあるが……? などと、ちょっと考え込んでしま余地が読者には与えられている。

 一方で、更紗はDV気質のある恋人の亮のことは、交り合うところが一つもないと拒絶し切り捨ててしまう。亮がなぜDVを止められなくなってしまったのか、その理由を知っていながら、理解共感彼女拒否するのだ。母親が我が子を遺棄することには同情すら示すというのに、DV男はどんな事情があれどもダメであるというアンバランスDV男は許してはならない、そんな奴からは早急に逃げるべきだというのは正しい。ここを違えたら今時の読者には受入れられないのは想像に難くないが、世間へのご機嫌取りとも思えない、あえての偏った描写なのだろうか。と、ここにも悶々と考えさせられる余地がある。

 また、他人無理解によって苦しめられてきた更紗もまた無謬の人という訳でもなく、無邪気な思い込みで発した一言で文を深く傷つけたのに長い間気づかず、文の真実を知らないままであった。それは、読者が安易に更紗と自己を同一視して気分を良くするだけにとどまるのを阻んでいる。更紗が文の真実を知った時、それまで更紗と一緒に被害者意識を持って、解っていない人々を糾弾出来る立場にいたはずの我々は、自分達が解っていない人々と同じ穴の狢であることに気付かされ、ショックを受けるのだ。

 後半、読者目線では余裕で予想できる破滅的な結末に向けて、更紗と文が善意ちょっとした人としての良識を発揮したせいで転がり落ちてゆくところは、はらはらしてつい目が離せなかった。それはダメだ、善意でもやったらいけないやつだと、更紗達を批判することを、圧巻の心理描写妨害してくる。簡単に教訓を得ていい気分になって読み終えることを許してはくれない。それがこの小説のすごい所なのかなと思う。

 にも関わらず、レビュー者が判を押したように教訓を得た事ばかりを書くのは、この小説安易共感を読者に許さない、熟考を強いてくるからなのかもと私は思った。そう易々とは自分意見を書くことが出来ないから、かえってテンプレみたいな感想を書いてお茶を濁すことになるのだ。


さて、以下は凪良ゆう先生BL作品の紹介と、『流浪の月』とテーマが似ていると思う作品とかの紹介。

『美しい彼』(凪良ゆう)※BL小説

 主人公平良吃音を持っているせいで上手く喋ることができず、学校生活の中ではスクールカースト底辺に追いやられていた。両親に心配をかけることを畏れた平良は、イジメターゲットにならないように極力目立たぬよう、息をひそめて暮らしている。

 そんな平良は、高校二年の新学期、同じクラスになった清居(きよい)に一目惚れをしてしまう。清居はスクールカーストの頂点に君臨し、陽キャの面々に一目置かれながらも孤高にマイペースを貫く、まさに王者である。そんな清居とそのしもべ達から奴隷のようにこき遣われる平良だったが、清居が気まぐれに差し伸べる暴力的な救いの手や、逆境ものともしない凛とした姿勢に心酔する。やがて平良は、清居の一兵卒から立派なストーカーへと進化していくのだった……。

 凪良ゆう先生BL小説のなかでたぶん最も人気のあるシリーズであるイジメ被害者加害者カップリング主人公平良と、平良に惚れられた清居、それぞれの視点によって相手人間性共通体験についての見方ががらりと変わる。事実真実は違うとはまさにこのこと。

『にいちゃん』(はらだ)※BL漫画

 幼い頃、近所に住む「にいちゃん」に遊んでもらっていた、ゆい。彼はにいちゃんのことが大好きだった。ところがある日、にいちゃんが奇妙な遊びに誘ってきた。怖くなったゆいは、にいちゃんの部屋から逃げ出した。そこへゆいの母親鉢合わせたことにより、にいちゃん逮捕されてしまう。

 数年後。高校生になっても、ゆいはにいちゃんのことが忘れられず、親には内緒でにいちゃん行方を探していた。そして遂ににいちゃんと再会を果たしたゆいだったが、にいちゃんはゆいを怨んでいた。にいちゃんはゆいを拘束して動画を取り、それを脅迫材料として、ゆいを呼び出し、苛烈性的虐待を加えるのだった。


 ほんもの小児性愛者でしか性犯罪者の大人と、ストックホルム症候群高校生のカップリング虐待描写があまりにも凄惨で心を折ってくるので、性描写ゴリゴリにあるが抜けないエロ本みたいなことになっている。ヤバい奴に雁字搦めにされてしまった状況での愛は偽りなのかもしれないが、渦中にある本人にとっては本物に見える。その様を綺麗事なしに描写した怪作である


『私の男』桜庭一樹

 腐野花(くさりの はな)は、恋人との結婚をもって養父の腐野淳吾の手を離れることになった。花は幼いうちからまだ年若い養父性的関係を持ち、そしてもう一つ、誰にも言えない秘密を淳吾と共有していた。

 そんな花と淳吾の暮らしを、時の流れとは逆順に、章ごとに語り手を変えつつ描いた物語最後には花と淳吾の真の関係性が明かされる。

 はたからみれば養父から性的虐待を受ける女児物語だが、やはりこれも事実真実は違う系。ところが真実事実よりもどろどろとしていて、なのに純心であり耽美でもあるが、物凄い業の深さでもある。

 第1章が花と淳吾の別れの話で、それから章ごとに時を遡っていき、最終章家族を亡くして孤児になった花が淳吾と出会い養子になるところで終わる。

 私は初読の時に、まるでハッピーエンドのように終わるなぁと思ったのだが、再読したら別にハッピーエンドには思えなかったのは何故なんだ。もう一度読めってことかな、ハハッ。

 映画にもなっているのだが、映画版はまるで小さな悪女・花に淳吾が狂わされ搾り滓にされたみたいなラストだったから、あまりきじゃないな。


『つみびと』(山田詠美

 酷暑真夏若い母親は幼い子供達を部屋に置き去りにし、餓死させた。懲役30年の実刑判決を受けた母親を、世間の人々は好き勝手糾弾する。一体、母親は何故、愛していたはずの子供達を死に追いやってしまったのか? 母親自身の生い立ち、彼女祖母の代から続く凄絶な負の連鎖とは……。

 小説しか描けない現実があるとして、実際に起こった事件モチーフに書かれたフィクション小説である

 児童虐待と、世間の人々が助けたいとは思わないタイプ社会的弱者物語。著者の山田詠美先生自由女性恋愛小説を書く一方で、昔から社会の最下層にひっそりと生きる人々の事も書いてきた。中でもこれはすごい作品

 山田先生作品にしては珍しく、リベラル無責任で冷酷な一面が批判的に描写されている。

2022-04-10

手塚先生パヤオもどっちも偉人

個人的には、大阪人ギャグセンスのあった、手塚作品ユーモアが好きかな

ケモナー近親相姦元祖でもあり、ものすごくドロドロしたところもあって二面性がいい

パヤオ倫理観とか自然観は壮大だし、文芸人としての発言や主張は学ぶものが多い

石原慎太郎文芸面白さに近い

手塚先生ももちろん文学者だったけど、エンターテイナーだったところがいいと思う

どっちも偉人

宮崎駿手塚治虫から多大な影響を受けた。

 宮崎駿少年時代に、手塚治虫のデビュー長編新宝島」に衝撃を受け多大な影響を受けたという。

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宮崎駿若い

新宝島」、当時4ページ程度だった漫画というジャンルを200ページを超えるボリューム制作され、40万部のベストセラーとなった。

新宝島 手塚治虫文庫全集

新宝島 手塚治虫文庫全集

作者:手塚治虫

講談社

Amazon

 漫画家を目指していた宮崎駿は、自身が受けた手塚治虫の影響について、こう語っている。

手塚治虫の持つ悲劇性が魅力的だった。

小中学生の頃のぼくは、まんがの中では彼の作品が一番すきでした。昭和20年代単行本時代最初アトムの頃ーの彼のまんがが持っていた悲劇性は、子ども心にもゾクゾクするほど怖くて魅力がありました。ロックも、アトムも、基本的悲劇性を下敷きにしていたでしょう。

漫画を描き始め、手塚の影響からいかに逃れるかが重荷だった

18才を過ぎて自分でまんがを描かなくてはいけないと思ったときに、自分にしみ込んでいる手塚さんの影響どどうやってこそぎ落とすが、ということが大変な重荷になりました。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

ぼくは全然真似した覚えはないし実際似ていないんだけど、描いたもの手塚さんに似てると言われました。それは非常に屈辱感があったんです。手塚さんに似ていると自分でも認めざるを得なかった時、箪笥の引き出しにいっぱいにためてあったらくがきを全部燃やしたりした。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

風の谷のナウシカ漫画版も手塚の影響下にある

庵野秀明宮崎駿最高傑作と呼ぶ「風の谷のナウシカ漫画版でも、手塚の影響があるのだという。

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン

風の谷のナウシカ 全7巻箱入りセット「トルメキア戦役バージョン

作者:宮崎 駿

徳間書店

Amazon

──だけどまあ、『ナウシカ』を観れば、そのスキルたるや、すさまじいですよね。

宮崎:いやいや、そんなことないです。やっぱり僕自身アニメーションをやる前に手塚さんの影響下にいてね。そこからどうやって抜け出すかっていうので、にっちもさっちもいかなかったっていう、その影がね、いまだに『ナウシカ』の中にありますよ。だから自分で見てて嫌になるんですよね。結局、そこらへんをほったらかしにしてアニメーションをやってたから。だからいざ漫画を描くとね、手塚さんとは全然違うように見えるかもしれないけども、やっぱり手塚さんの背負ってた時代的な制約みたいなものが、僕の世代の制約としてちゃんと影を落としてると思いますね、例えば、女の子の描き方とかね。今の連中のほうがずっと自由に描いてますよね。それはものすごく感じます。(風の帰る場所 ナウシカから千尋まで より)

手塚治虫は、宮崎駿の才能に嫉妬

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手塚治虫

 

宮崎駿嫉妬し、「ナウシカ」の手塚賞受賞に反対!?

 方や、手塚治虫は宮崎駿の才能に嫉妬していたのだという。手塚賞の大賞に漫画版「風の谷のナウシカ」が選考の中で、推されたているも、嫉妬した手塚治虫の一言選考がひっくり返った際のエピソードジブリプロデューサー鈴木敏夫が語っている。

 当時、選考委員より鈴木のもとに電話があり、「宮崎駿さんは、受賞を受けてくれるだろうか?」と言われたのだという。鈴木が、「多分、大丈夫でしょう」と返すと、選考委員は、「ありがとうございます。今、選考委員の中で決まっているんですが、手塚先生が遅れて参加するので、最後手塚先生確認だけとって、正式なご連絡をします」とのこと。

 その日の深夜、鈴木のもとに選考委員より気まずそうに電話があり、「手塚先生ナウシカの受賞に反対された」と言われたのだという。手塚の反対意見の内容を、鈴木ラジオでこう語っている。

手塚宮崎君が描かれたものから、大変素晴らしい。僕もちゃんと読んでますし、漫画賞にふさわしい。だけど、まだ完結してないですよね!?残念ですね!漫画賞には、完結しないと。(鈴木敏夫ジブリ汗まみれ より)

 だが、漫画賞は、完結しているもので賞をもらったものはこれまでもなかったのだという(笑)完全に、手塚治虫の嫉妬である

鈴木手塚さんは、当時から宮崎駿のことをよく知ってたんですよね。だから、宮さんのことをライバルと見なしたんでしょうね。あの人の負けず嫌い面白かったですね。

手塚自分総監督になり、宮崎駿アニメをつくろうとした!?

 また、鈴木は、手塚治虫が総監督となり、宮崎アニメをつくろうとしたというエピソードも明かしている。

 「カリオストロの城」公開前、才能があるのに、なかなか、世の中に受け入れられていない宮崎駿にどうしても映画を撮らせたいプロデューサー鈴木ではない)が、手塚治虫に相談に行ったのだという。すると、手塚

手塚:あぁ~宮崎君というのは、素晴らしい!僕もぜひ応援したい!(宮崎映画化する企画について)ああ!あれを映画にするのか!僕も良く知っているよ。じゃあ、君がプロデューサーで、宮崎君が監督だ。わかりました!では、私が総監督をやりましょう!(鈴木敏夫ジブリ汗まみれ より)

後に宮崎は、手塚アニメーション悲劇性を全否定

 そんな、「新宝島」にとんでもない影響を受けたと語る宮崎駿だが、手塚アニメーション仕事にはかなり否定的である

アニメーションに関して、手塚さんが主張したことは全て間違い

アニメーションに関してはーこれだけはぼくが言う権利と幾ばくかの義務があると思うので言いますががーこれまで手塚さんが喋ってきたこととか主張したことというのは、みんな間違いです。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

一時、彼が「これからリミテッドアニメーションだ。三コマがいい三コマがいい」とさかんに言っていましたが、リミテッドアニメーションは三コマという意味ではないですし、その後言を翻して「やっぱりフルアニメーションだ」とあちこちで喋るに至って、フルアニメーションの意味を知らずに言っているんだと思ってみていました。同じようにロートスコープをあわてて買い込んだ時にも、もう僕らは失笑しただけです。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

自分義太夫を習っているからと、店子を集めてムリやり聴かせる長屋大家落語がありますけど、手塚さんのアニメーションはそれと同じものでした(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

後期作品の安っぽい悲劇性にうんざりした。

さらに、宮崎駿は、手塚治虫作品が持つ魅力「悲劇性」が、後期の作品では、ただの安っぽいペシミズムに成り果ててしまったと痛烈に批判している。

彼の初期のアニメを何本かみた時です。漂流している男のところに滴が一本たれ落ちる「しずく」や「人魚」という作品では、それらが持っている安っぽいペシミズムうんざりした。かつて手塚さんがアトムの初期の頃持っていたペシミズムとは、質的に違うと思って(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

これは先輩から聞いた話ですが、「西遊記」の製作手塚さんが参加していた時に、挿入するエピソードとして、孫悟空恋人の猿が悟空が帰ってみると死んでいた、という話を主張したという。けれど何故その猿が死ななくてはならないかという理由は、ないんです。ひと言「そのほうが感動するからだ」と手塚さんが言ったことを伝聞で知った時に、もうこれで手塚治虫にはお別れができると、はっきり思いました。(COMIC BOX手塚治虫特集インタビューより)

2022-04-07

なぜ若くて豊満美人を欲してしまうのか

ここ数日「月曜日のたわわ」の広告炎上しているんだけど、

その炎上内容は「未成年の体に欲情しているオスはキモい」ってのが大多数。


登場キャラ未成年だし確かにキモいと思うのも頷けるんだけど、

なぜ俺を含め男の多数は、若くて美人豊満な女を良しとして求めてしまうのか。

未成年まではいかないけど、やっぱり20代くらいの美女をみると劣情を抱いてしまう。

なぜ美女美女であり、美女を良しとし美女を求めるのか。



少しネットで調べてみると、

近親相姦を避けるために自分とは違う容姿を望むとか、

美女は左右対称であるから遺伝的に強い子供を産むから無意識に選んでいるとか、

そのようなことが書いてあったけど本当にそうだろうか???

だってその遺伝的論に乗っかったとしたら、

明らかに遺伝的に違う外国の人を選ぶんじゃないかと。

特に身長が高く筋肉がつきやすアフリカ系の遺伝子なんてかなり強いと思うけどな。。。

実際のところそうではないんだろうけど、遺伝論は曖昧すぎる。

多くの人が美人を良しとして崇めているから、美人美人ってことだろうか?

神を信じ崇拝する人がいるからこそ、「神」という概念存在する。

ということは美人は「神」ってこと??なんか訳がわからなくなってきた。。。

2022-04-03

いい人はなぜ女に選ばれないのか

・はじめに

 優しくていい奴はモテない、とことんモテない。これはいったい何故なのだろうか。いや、そもそも優しくていい奴こそがモテるに決まっているだろうと思う人もいるだろう。女の子に好みのタイプを聞けば当然のように「優しい男」がまず挙がる。実際、女の子からは「暴力を振るう男は絶対無理」、「チャラい男は苦手」、「浮気をする男なんてサイテー」という言葉もよく聞くだろう。やはり優しい男こそモテるのではないだろうか。これはとんだ誤謬である

 女は決まって優しい男が好きだと言い、優しくない男を侮辱した言葉を使う。だが現実彼女たちは普段どんな男を選んでいるだろうか。あえて直接的な表現を使うならば、彼女らはどんな男とヤってしまっているだろうか。そもそも暴力を振るう男が最低と言われるのは、男に暴力を振るわれたか、そういう男の存在が身近にいたからだろう。つまり、わざわざ最低であると言われる程度には女と深い関わりを持っているのである。これは浮気をする男やチャラい男についても同様で、女側が浮気をされたり、チャラい男に遊ばれたり、もしくはそれに準ずる体験をしたからこそ、そういった男たちが悪く言われるのだ。

 まるでそういった所謂悪い男」たちの肩を持っているように思われるかもしれないが、伝えたいことの本質はそこではない。女に暴力を振るってしまうような悪い男でも、女性から男性として認められ、身体関係交際関係を許されている時点で、男性としての魅力やモテ力という意味においては、優しくていい人だけど恋人とは違うかもなんて戯言を言われ続け、交際セックスへとたどり着くことのできない「いい奴」よりも数段格上であるという事実なのだ

 ここまで言ってもおそらく、ほとんどの人間はこの事実を認めようとはしないだろう。特に女性と、女性に媚びてしまっているタイプ去勢された非モテ男は絶対に認めることはない。もしくは仮に認めたとしても、「正しいかもしれないけどそんなことを言って何になるの?」と決まりの悪い顔をするだろう。実際は人間の幸不幸を決めかねない、とてつもなく重要問題であるのにも関わらずだ。しかしこれは本能に裏打ちされた感覚であるため、それは仕方のないことである理屈によって議論を進めることもできるが、ここではまず、あえて例を挙げつつ「優しくていい奴はモテない」という現実直視するところから始めていこうと思う。

・優しい男の悲惨

 男女の集まりでよく見かける光景の一つとして、男の彼女いないアピールとそれに対する女性側の慰めがある。「○○くんは優しいし、いい人だから絶対すぐ彼女できるよ」、こんな言葉を聞いたことがある人や、言われたことのある人もいるだろう。ここでまず疑問に思われるのが、じゃあそれを言っている女の子はなぜその男彼女に今すぐ立候補しないのだろうかということだ。そして、優しくていい人であるはずのその男には今現在なぜ彼女がいないのかということである

 この疑問に対する答えとして、「いい人だと思うかどうかと恋人にしたいかどうかは違う」だとか、「その女の子別に恋人を欲しいと思っていない」だとかが考えられるが、これらは建前でしかない。「単なる社交辞令」というのも正解のようで説明がしきれていない。この疑問に対する解答として的確なのは、「そもそもその男男性としての魅力や雄としての力が一ミリもない」だろう。男性としての魅力がないか女の子から彼氏にしたいとは思われないし、雄としての力がないか彼女を獲得するだけの行動をすることができないとすると、完全に説明がつく。

 そもそもの話をすると、女性の前で彼女ができないアピールをするのは恋愛的な面では百害あって一利なし言語道断な悪手である。「自分には男性としての魅力がない」ということをわざわざ表明しているようなものなのだ。だからこそモテない奴は、その言動によってよりモテなくなる。モテないスパイラルに陥ってしまうのである

 一度女性の言うことや、一般的常識から抜け出した視点現実を見てみよう。大学課題に困っている女の子課題を教えてあげている優しい男はその子と付き合えているだろうか。デート代を毎回払って三回目のデートで誠実な告白をした男が振られているのを見たことはないだろうか。「優しい人なんだけどね」と女に陰で言われている男を見たことはないだろうか。筆者は女の子死にたいライン一年間ほど精神をすり減らしながら優しく慰め続けた経験があるが、ついぞ男として見られることはなかった。

 一方で、一見不誠実な男たちを見てみよう。チャラついた男の経験人数が何桁もあったり、サイコパスな男でも彼女が出来ているのを見たことはないだろうか。女性に対して舐めた態度をとっているのに、なぜか自分よりモテる男を見たことはないだろうか。自分の方が真面目でいい奴なはずなのに、何人もの女性から選ばれ浮気をしている男を見たことはないだろうか。学生中にデキ婚する男を馬鹿だと見下しつつ、そんなことができる相手がいることを疑問に思ったことはないだろうか。仲のいい女の子が明らかなクズ男の沼にハマっているのを見たことはないだろうか。

 こういった、一般的常識女性意見現実との乖離はなぜ起こるのか。これを説明する答えは単純明快だ。女性本能的に優しくていい奴には男性としての魅力を感じないようにできているのであるしかしこういった疑問を持つ人もいるはずだ。「ではなぜ口では優しい人が好きだと言うのか」、「女性本能的に優しい人に魅力を感じないのであれば、その形質が現代まで保存されているのはおかしいのではないか」と。これについてはgood genesとgood dadの概念や、男と女での形質の非対称性によって説明できる。

・ヒトも遺伝子乗り物である

 まず第一に、人間だって動物なのである。どれだけ文明が発達しようが、理性を持っていようが、ヒトは動物であり種を保存しようという性質があることは事実だ。ずっと遡って、言葉ができ始めたぐらいのちょっと賢いサル時代のことを考えてみよう。ヒトは通年繁殖可能であり、今で言えばナンパのように見知らぬ個体に声をかけて性行為交渉していたのだろう。そんな環境では自分から声をかけられなかったり、雌に対してグイグイ押していけない優しい個体はきっと性行為にありつけなかったはずだ。逆にレイプまがいのことをするような個体の方が遺伝子を残せていたのではないだろうか。

 しかし、群れの繁栄という意味で見た場合は、優しい個体にも有用性がある。群れが存続するためには新しい世代を育てなければならない。産むだけであればなりふり構わず行為を行う形質のみが有利に働くだろうが、子育てとなると母性や優しさや、育て続ける誠実性も重要になる。セックスのことしか考えないような個体ばかりの群れは近親相姦によっても崩壊するだろう。

 なぜ雄が雌に求愛するという仕組みができたかはわからないが、そういった仕組みである以上、優しさや誠実性といった形質は、雄に受け継がれた場合遺伝子を残すのに不利に働き、雌に受け継がれた場合には子を育てやすいという意味遺伝子を残すのに有利に働く。この雄と雌での形質の非対称性によって、強い雄の性質であるオラオラ形質と、弱い雄や良い母の性質である優しさ・誠実性形質が絶妙バランスを保って保存され続けてきたのだとすると説明がつく。弱い雄が遺伝子を残せなくても、良い母が遺伝子を残すことによって優しさや誠実性といった形質も保存され続けるのだ。運が良いのか悪いのか、弱い雄に生まれてきた個体は、おそらく本人は子を残さずに群れの子もの世話役をしていたのではないだろうか。

 これが所謂、good genesとgood dadの関係である。良い遺伝子であることと良い親であることは異なるのだ。そして雌は雄の性質本能的に嗅ぎ分けており、遺伝子を残す(=性行為)に値する個体かどうかを見極めているのである

 この仕組みは現代でも変わらない。実際、托卵(遺伝的な子ではない子をそうだと知らずに育てている)の割合日本では20人に1人程度らしい。これを聞いてそんな酷い世界があるかと思う人もいるかもしれないが、むしろ現代社会は弱い雄に優しく、弱くても子を残せるようになっているぐらいなのだ。皆婚制度や一夫一妻制なんかは、強い雄が女性を独占できないようにする、まさに弱者男性を守るための制度である文明の発達によって誠実さのある人の方が仕事で成果を出して収入を得ることができ、結果として結婚などに結びつくようになっている。

 だがしかし収入肩書き、優しさや誠実性が評価されるのは女性結婚を焦るようになる30代前後での話であり、しかもそれは肩書きを抜きにした男性的な魅力を評価しているわけではないのである。少なくとも大学生や社会人になりたてぐらいの時期では強い男の方がモテるし、優しくていい奴がモテることはないのだ。そして雄としての力が弱い状態結婚をしても、十分に女性を魅了することができずに不倫や托卵をされるという事態につながることもある。現実残酷だ。

 そして現実は優しい男なんて選ばないのにも関わらず、優しくていい人を褒め称えるような行動を女性はとってしまう。これも群れの繁殖に都合がよいかなのだ。強い雄はその強さ故に群れの和や秩序を乱してしまうし、そんな暴力が完全にまかり通ってしまっては群れが崩壊してしまう。一部の強い雄の遺伝子を残して弱い雄に育ててもらうという戦略女性本能で取り続けているのだ。実際に言葉説明できる女性ほとんどいないだろうが、それを感覚理解しているからこそ、男を優しい非モテに仕立て上げようとしつつも、それを破ってくる男の遺伝子を残そうとするのである

・おわりに

 優しくていい奴、つまり結婚するにはいいけど彼氏にはしたくない(=遺伝子を残したくない)と思われる人は基本的男性としてモテることはない。これはヒトという動物が採択した生存戦略に基づくものであり、社会制度女性側に期待をしてどうにかなるものではないのである

 男が恋愛結婚といった男女の関係において充実し、人生幸せにするためには、まずこのことを理解しなければならない。そして強い雄へと成長するしか道はないのである。このことを理解するためにも、男として成長するためにも、行動や実践に挑むことは必要不可欠だ。

 最後に、何もクズ男になれとか、ただグイグイいけるようになればいいとか、そんな次元の話をしているわけではない。優しくていい奴に甘んじて、若いうちに沢山遊んできたけどそろそろ結婚を考えてドキドキを妥協してでもいい人を選ぼうなんて女性の魂胆に乗せられるしか救済のない人生を送るか、good genes性とgood dad性を使いわけて真に好きな女性幸福を分かち合う人生を送るか、その選択の話なのである

2022-03-28

男系とか女系とかは文化的概念だろうな。

ヒトがもともと血縁に関して持ってた概念において男系女系区別はなかっただろう。

血をわけた男ならとりあえず群れのボスたる資格を持つ。

同じ血をわけたものかどうかは顔の類似性によって教育を受けてない幼児でもわかるかもしれない。

だけど血をわけているというところから男系かどうかを区別するのは俺でも難しい。少なくとも俺にして見れば下手な脳トレより論理パズルしてる難問だ。

たとえば王朝の始祖が女だったとしよう。これが同じ王朝を維持するには近親相姦によって子を儲けるしかない。

番手っ取り早い(理解やすい)のは父親と相姦して男児をもうけるよう励むことだ。

でもできれば同年代がいいだろう。兄弟がいなきゃいとこが次善だが、単に父方のいとこというのでは条件を満たしているとは限らないっぽいのだ。はとこも同様。

炭素トレースと同じような感覚で、同じ精子を共有する男を見極めなければならない。

なんかもう自分で言ってることすらよくわからなくなってきたので。

血とかにもこだわらず意志を継ぐものなら誰でも天皇になる権利を有することにしちゃえばいいんじゃないっすか。

鬼殺隊の当主だって単なる役割にすぎないそうだから血が途絶えたら躊躇なく別の人から当主を選ぶだろうね。

まあそうするとやっぱ天皇暮らしを羨ましがる勢から候補者が乱立するってところで現実的じゃないんだろうなあ。

かといって男系女系区別は逆にわかりづらすぎるわ。

え、そんなことすらわからない人間に語る資格はない?それもごもっとも…

2022-03-18

anond:20220317083431

世のなかが難しくならないように近親相姦罪ができたんだろ

2022-02-28

エロ小説って名作とかねえの?

なんか全く名前聞かねえんだよな。

エロゲオタク共が名前をあちこちに残してるじゃん。

でも官能小説世界における名作の話って聞かねえんだわ。

なんでだろうなあ。

昭和小説読んでると明らかに近親相姦かに興味津々な日本人像が浮かぶんだが、肝心要それそのものが描かれた作品名前を聞かねえんだわ。

あーでもエロ漫画も名作とかあんま聞かねえんだよな。

雑誌名は歴史に残っても個々の作品として知名度が高いのがない気がする。

まあそれはエロビデオもか。

有名な女優はいても名作とされて歴史に残っているエロビデオってないもんな。

やっぱ純粋エロってのはそういう語られ方しねえんだな。

つうかエロを平然と名作扱いして20年も30年も持ち上げ続けているオタク気持ち悪すぎるだけか。

どんなインプリンティング受けたんだがアイツら。

anond:20220227180737

近親相姦は、かっこよく言うとインブリードっていうんだよ

インブリードすると、その先祖の特徴が出やすいと言われている

人間でいうと、例えば従妹同士で結婚すると、当事者の二代前の先祖4人のうち2人が一致するよね(祖父母2組のうち1組が共通から

とすると、その2人の特徴が出やすい、ということ

A---B C---D E---F G---H

 I --- J   K --- L

  M      N

例えば上みたいな系図の時、(AとBからまれたのがI、CとDからまれたのがJ、みたいな感じ)従妹同士の結婚だと、A=E、B=Fってなるよね

これを競走馬でいうと、3x3クロスが2本、ということになる

3x3とかっていうのは、共通祖先が何代前にいるか?ってのを表すので、結婚する当事者が1、その親が2、祖父母が3ということ

なので祖父母世代、AからHまでは3で、3の世代に同一人物いるか3x3となる

そして、じいちゃんAで1本、ばあちゃんBもいるから2本ってこと

(実際は、AとBの子は全て血統上同じ、と見なせるので、IとKは兄弟だけど血統上の位置けが同じとして、2x2が1本とも言える)

で、実際競走馬3x3クロス2本、とか、2x2が1本とかいうと、いるのはいるけど、ちょっと難しい顔になると思う

これは、近親相姦が過ぎるためで、血が濃すぎる、と言われて、奇形とか虚弱体質とかが出やすい、という話もある

まりに濃いと、怖くて配合できないそうだ

競走馬で一番いい、奇跡の血量といわれているのが4x3だ

まり繁殖する当事者のじいちゃんと、もう片方の当事者のひいじいちゃんが同じ、ということ

じいちゃん側の目線で言えば、先妻との子系列の孫と、後妻との系列のひ孫が結婚する感じ

これが4x3が1本

で、この共通する祖先がすごい馬だった場合、その祖先性質を受け継ぎやすいので、つまりどんな馬になりやすいか、が狙えるそうだ

血統表見ると近親相姦ばっかりやん!と思ってしまうけど実際は人間でいう従妹同士の結婚より遠いものほとんどだよ

遠縁との親戚を繰り返している、という感じ

かつての天皇家とか藤原家とかはそんな感じだったのかもしれないね

2022-02-27

ウマ娘競走馬)の肉体関係凄いことになってねーか?

近親相姦が推奨されていた時代王族かなんかかってぐらいグチャグチャじゃねーか

2022-02-21

LGBT の次は近親相姦でしょ!

エジプトもオッケーだったし、ソド厶もあったし、菅直人も親戚と結婚したし、ホモセだけずるい。

今日読んだ本。

はてなーには耳が痛い話系。

ママがいい! 母子分離に拍車をかける保育政策のゆくえ』(松居和)

 こんなタイトルなのだが、けっこうなページ数を父親育児世界に引き込むことに割いていた。あと、お堅いタイトルだが論文の類いというよりは筆者の心の叫び的な内容で、主張の根拠となるようなデータとかは出てこないし、なんならたまに間違えたこと言ってる。日本は年々犯罪が増えてるとか(減ってるよ!)。

 国策によって日本の保育が雇用政策の為のサービスと化してしまった。それにより、保育園と親が協力して子育てをしていく伝統崩壊し、親が子育てをする機会が失われ親として育つことも子供と共に生きる喜びを感じることも出来なくなりつつある。そんな現状に著者は警鐘を鳴らす。欧米では既に半数の子供達が実の親に育てられておらず、親による虐待近親相姦少女妊娠学級崩壊いじめなどの問題が深刻化しているというのに、日本はその欧米惨状に目を背けつつ無批判追従しようとしているという。

 半分くらいは規制緩和改悪されて行く保育制度への嘆き。虐待同然の非人道的な保育が現場でなされていることの告発なのだが、後半は子供と共に生きることの喜びとか保育士という仕事から得られる幸福、親の幸福、そして最も大切な子供幸福について書かれていた。


 読み始めは眉に唾つけてこ、と思ったけど案外共感できる部分もあった。自分の子供達の小さい頃のことを思い出して涙した部分も。シンプルに、子供という存在は人に生きる喜びを感じさせる。決して子供邪魔お荷物でもない。子供と暮らすということは人を不自由にさせるが、その不自由さを補ってあまりあものをくれるのも子供であり、人を前を向いて生きようと立ち上がらせてくれるのだ。

 そんな、根源的な喜びや幸せについて問い直すというか、もはや消えつつある幸福への哀惜みたいな感じがしたかなー。

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