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はてなキーワード: 相互作用とは

2015-12-26

http://anond.hatelabo.jp/20151226163029

理論的には、宇宙線に含まれ陽子などがメモリ内の電子相互作用したり、量子力学的なトンネル効果によって0/1が切り替わってしまうことは有り得るね。

2015-08-14

http://anond.hatelabo.jp/20150813032839

現代コンピュータ電気信号で動いているけど、電気信号であることが本質ではないよね。化学機構だろうが機械機構だろうが、状態の表現と基本演算さえできれば、そこから論理回路が作れてその上にプログラムを走らせることができる(物理的な大きさや速度は全然変わってくるだろうけど)。プログラムやそれが実現するアルゴリズムを「単なる電気信号」というのは異なる層をごっちゃにしている。

この世に起きる全てはある意味物理世界演算回路として並列計算をやっているとみなせるけれど、だからといって全ては単なる素粒子相互作用だと言ってみたところで、そりゃ間違ってないけどその言明だけから何か意味のある結論が導けるわけじゃない。

意識実装レベルでは脳内電気信号時間的パターンかもしれないが、高次の役割は「単なる電気信号」だけを見ててもわからんよ。CPUOSアプリケーションの知識が無い状態でバスに流れる信号を見たって何もわからないのと同じにね。

2015-08-08

へんな物理用語

毛がない

ブラックホールのこと。



毛が三本

質量電荷角運動量

足がない

添字がない。スカラー

スパゲッティマカロニラザニア

中性子星構造パスタ構造

左巻き

カイラリティの分類。 【左巻きの-】【右巻きの-】

『左巻きのフェルミオン』『この理論ニュートリノは左巻きしかいない』

弱虫マッチョ

ダークマター候補



強い力、弱い力

4種ある基本相互作用のうちの2つ。

『この領域において強い力は弱いです』

奇妙

6つあるクォークのうちの一つ。

『奇妙さ-1の粒子』

くり込み群

群ではない

2015-07-25

真善美の探究というコピペについて

今回は貼るだけにしておく。

真善美の探究【真善美育維】

【真理と自然観】

《真理》

結論から言って, 真偽は人様々ではない。これは誰一人抗うことの出来ない真理によって保たれる。

“ある時, 何の脈絡もなく私は次のように友人に尋ねた。歪みなき真理は何処にあるのか, と。すると友人は, 何の躊躇もなく私の背後を指差したのである。”

私の背後には『空』があった。空とは雲が浮かぶ空ではないし, 単純にからっぽという意味でもない。私という意識, 世界という感覚のものの原因のことである。この時, 我々は『空・から』という言葉によって人様々な真偽を超えた歪みなき真実を把握したのである

我々の世界は質感。

また質感の変化からその裏側に真の形があることを理解した。そして我々はこの世界の何処にも居ない。この世界感覚・魂(志向性作用した然としてある意識)の納められた躰, この意識の裏側の機構こそが我々の真の姿であると気付いたのである

志向性

目的は何らかの経験により得た感覚を何らかの手段をもって再び具現すること。感覚目的地と経路, それを具現する手段を合わせた感覚の再具現という方向。志向性とは或感覚を具現する場合の方向付けとなる原因・因子が具現する能力と可能性を与える機構, 手段によって, 再具現可能性という方向性を得たものである

意識中の対象の変化によって複数志向性観測されるということは, 表象下に複数の因子が存在するということである。』

『因子は経験により蓄積され, 記憶の記録機構確立された時点を起源として意識に影響を及ぼして来た。(志向性作用)』

我々の志向は再具現の機構としての躰に対応し, 再具現可能性を持つことが可能な場合にのみこれを因子と呼ぶ。躰に対応しなくなった志向機構の変化とともに廃れた因子である志向が躰に対応している場合でもその具現の条件となる感覚対象がない場合これを生じない。但し意識を介さず機構思考の「考, 判断」に関する部分)に直接作用する物が存在する可能性がある。

思考

思考表象である思と判断機構の象である考(理性)の部分により象造られている。』

思考〔分解〕→思(表象), 考(判断機能

『考えていても表面にそれが現れるとは限らない。→思考領域は考の領域に含まれている。思考<考』

言葉思考領域対応しなければ意味がない。→言葉で表すことが出来るのは思考可能な領域のみである。』

考, 判断(理性)の機能によって複数の中から具現可能な志向が選択される。

生命観》

感覚器官があり連続して意識があるだけでは生命であるとは言えない。』

『再具現性を与える機構としての己と具現を方向付ける志向としての自。この双方の発展こそ生命本質である。』

生命過去意識の有り様を何らかの形(物)として保存する記録機構を持ち, これにより生じた創造因を具現する手段としての肉体・機構を同時に持つ。

生命志向性・再具現可能性を持つ存在である意識の有り様が記録され具現する繰り返しの中で新しいもの志向が代わり, その志向作用して具現機構としての肉体に変化を生じる。この為, 廃れる志向が生じる。

*己と自の発展

己は具現機構としての躰。自は記録としてある因子・志向

己と自の発展とは, 躰(機構)と志向相互発展である志向性作用した然としてある意識から新しい志向が生み出され, その志向が具現機構である肉体に作用して意識に影響を及ぼす。生命は然の理に屈する存在ではなくそ志向により肉体を変化させ, 然としてある意識, 世界を変革する存在である

志向作用)→肉体・機構

然の理・然性

自己, 志向性を除く諸法則志向性を加えて自然法則になる。

然の理・然性(第1法則

然性→志向性(第2法則

世界創造真実

世界存在するという認識があるとき, 認識している主体として自分存在認識する。だから自我は客体認識の反射作用としてある。これは逆ではない。しかし人々はしばしばこれを逆に錯覚する。すなわち自分がまずあってそれが世界認識しているのだと。なおかつ自身存在しているという認識についてそれを懐疑することはなく無条件に肯定する。これは神と人に共通する倒錯でもある。それゆえ彼らは永遠に惑う存在, 決して全知足りえぬ存在と呼ばれる。

しかし実際には自分世界の切り離し難い一部分としてある。だから本来これを別々のものとみなすことはありえない。いや, そもそも認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界区分されていないのに, 何者がいかなる世界認識しうるだろう?

言葉名前をつけることで世界を便宜的に区分し, 分節することができる。あれは空, それは山, これは自分しかして空というものはない。空と名付けられた特徴の類似した集合がある。山というものはない。山と名付けられた類似した特徴の集合がある。自分というものはない。自分と名付けられ, 名付けられたそれに自身存在するという錯覚が生じるだけのことである

これらはすべて同じもの言葉によって切り離され分節されることで互いを別別のものとみなしうる認識の状態に置かれているだけのことである

例えて言えば, それは鏡に自らの姿を写した者が鏡に写った鏡像世界という存在だと信じこむに等しい。それゆえ言葉は, 自我世界境界を仮初に立て分ける鏡に例えられる。そして鏡を通じて世界認識している我々が, その世界私たち生命のものの象であるという理解に至ることは難い。鏡を見つめる自身と鏡の中の象が別々のものではなく, 同じものなのだという認識に至ることはほとんど起きない。なぜなら私たちは鏡の存在自覚なくただ目の前にある象を見つめる者だからである

そのように私たちは, 言葉存在無自覚なのである言葉によって名付けられた何かに自身とは別の存在性を錯覚し続け, その錯覚に基づいて自我を盲信し続ける。だから言葉によって名前を付けられるものは全て存在しているはずだと考える。

愛, 善, 白, 憎しみ, 悪, 黒。そんなものはどこにも存在していない。神, 霊, 悪魔, 人。そのような名称対応する実在はない。それらはただ言葉としてだけあるもの, 言葉によって仮初に存在錯覚しうるだけのもの私たち認識表象作用の上でのみ存在を語りうるものしかない。

私たち認識は, 本来唯一不二の存在である世界に対しこうした言葉の上で無限区別分割を行い, 逆に存在しないもの名称を与えることで存在しているとされるものとの境界を打ち壊し, よって完全に倒錯した世界観を創り上げる。これこそが神の世界創造真実である

しか真実は, 根源的無知に伴う妄想ゆえに生じている, 完全に誤てる認識であるに過ぎない。だから万物創造者に対してはこう言ってやるだけで十分である

「お前が世界創造したのなら, 何者がお前を創造した?」

同様に同じ根源的無知を抱える人間, すなわち自分自身に向かってこのように問わねばならない。

「お前が世界認識出来るというなら, 何者がお前を認識しているのか?」

神が誰によっても創られていないのなら, 世界もまた神に拠って創られたものではなく, 互いに創られたものでないなら, これは別のものではなく同じものであり, 各々の存在性は虚妄であるに違いない。

あなた認識している何者かの実在証明できないなら, あなた世界認識しているという証明も出来ず, 互いに認識が正しいということを証明できないなら, 互いの区分不毛であり虚妄であり, つまりのものではなく同じものなのであり, であるならいかなる認識にも根源的真実はなく, ただ世界の一切が分かちがたく不二なのであろうという推論のみをなしうる。

【真善美】

真は空(真の形・物)と質(不可分の質, 側面・性質), 然性(第1法則)と志向性(第2法則)の理解により齎される。真理と自然理解することにより言葉を通じて様々なもの存在可能性を理解し, その様々な原因との関わりの中で積極的に新たな志向性を獲得してゆく生命の在り方。真の在り方であり, 自己の発展とその理解

善は社会である。直生命個別性), 対生命(人間性), 従生命組織性)により構成される。三命其々には欠点がある。直にはぶつかり合う対立。対には干渉のし難さから来る閉塞。従には自分の世を存続しようとする為の硬直化。これら三命が同時に認識上に有ることにより互いが欠点を補う。

△→対・人間性→(尊重)→直・個別性→(牽引)→従・組織性→(進展)→△(前に戻る)

千差万別。命あるゆえの傷みを理解し各々の在り方を尊重して独悪を克服し, 尊重から来る自己の閉塞を理解して組織(なすべき方向)に従いこれを克服する。個は組織の頂点に驕り執着することなく状況によっては退き, 適した人間に委せて硬直化を克服する。生命理想を貫徹する生命の在り方。

美は活活とした生命の在り方。

認識するべき主体としての自分と, 認識されるべき客体としての世界区分されていないのに, 何者がいかなる世界認識しうるだろう? 』

予知の悪魔(完全な認識をもった生命)を否定して認識曖昧さを認め, それを物事が決定する一要素と捉えることで志向自由の幅を広げる。予知の悪魔に囚われて自分の願望を諦めることな認識相互作用してこれを成し遂げようとする生命の在り方。

抑止力, 育維》

【育】とは或技能に於て仲間を自分たちと同じ程度にまで育成する, またはその技能的な程度の差を縮める為の決まり等を作り集団に於て一体感を持たせること。育はたんなる技能的な生育ではなく万人が優秀劣等という概念, 価値を乗り越え, また技能の差を克服し, 個人の社会参加による多面的共感を通じて人間的対等を認め合うこと。すなわち愛育である

【維】とは生存維持。優れた個の犠牲組織の発展に必要からといっても, その人が生を繋いで行かなければ社会体制自体が維持できない。移籍移民ではその集団のもつ固有の理念が守られないからである組織に於て使用価値のある個を酷使し生を磨り減らすのではなく人の生存という価値尊重しまたその機会を与えなければならない。

真善美は生命哲学を基盤とした個人の進化生産性の向上を目的としたが, 育と維はその最大の矛盾たる弱者を救済することを最高の目的とする。

2015-06-01

巷の4コマ漫画に対して一言申したい

4コマ漫画」は「コマが4個並んでいる漫画」とは違うんです!

俳句が、ただ五七五のフォーマットに従っているだけでは駄目で、季語を伴っていないと俳句と呼べないように、4コマ漫画も「起承転結」を土台に組み上げられることではじめて「4コマ漫画」と呼べるというのが私の考えです!

じゃあそもそも「起承転結」って何なのよ、と言われそうなので、私の考える「起承転結」を説明したいと思います

「転」とは

まず一番分かりやすい「転」から

例えば

{1, 2, 3, 4, 5}

という数列があったとします。皆さんはこの後に 6 が続くだろうと予想しますよね?

そこで

{1, 2, 3, 4, 5, 8, 9, 15 ...}

と続きを見せることで、読者に「あれ?予想と違うぞ?」と思わせます。これが「転」です。

事前のストーリーの流れで何らかのパターンを作っておいて、そのパターンをがらっと変えるのが「転」の役割です。

「結」とは

「承」で「{1, 2, 3, 4, 5} と来れば次は 6 だろう」と思わせておき、「転」で 8, 9, 15 と流れを変えて「あれ、おかしいな?」と思わせて、最後

「実はこの数列は、A(n) = n ではありません。正解は

『n および n + 1 の約数がすべて 5 以下となるような自然数 n を小さいものから順に並べたもの

でした!」

という種明かしをして「なるほど!(スッキリ)」とさせる、これが「結」の役割です。

和音進行で例えると、ドミナントコード不安定な状態からトニックに推移して解決するという構造に似ています

もしも「転」で「あれ、おかしいな?」と思わせなければ「結」の種明かしのオチが活きてきませんよね。

「転」が充分に機能することで、はじめて「結」の面白さが出てくるのです。

「承」とは

もしも初めに見せられた部分数列が {4, 5} の二つだけだったら、

{4, 5, 8, 9} ... と続きの数列を見せても、あまり「あれ?」という感じにはならないですよね。頭の中でパターンが出来ていないためです。

はじめに {1, 2, 3, 4, 5 ...} というまとまった長さの数列を見せることで、はじめて読者に「次は 6 が来そうだな」と思わせることが出来て、「転」に繋げることが出来るのです。

このように、読者の頭の中に何らかのパターンを想起させるのが「承」の役割となります

「承」が充分な力を持っていないと「転」が死んでしまます。当然、それにつられて「結」も死ぬことになります

なお、一番シンプルで分かりやすい「承」の作り方は、「似たような場面のコマを2つ連続させる」などが挙げられます。(サザエさんによくある)

「起」とは

既に「承」「転」「結」で言いたいことをほとんど言ってしまったので、「起」について特筆すべきことはないのですが、敢えて役割定義すると

「『承』への橋渡しとなる情報提供すること」

と言えます。さきほど、与えられた部分数列が {4, 5} だけだと「承」が活きてこないということを説明しましたが、「承」を活かすための情報({1, 2, 3})を渡してやるという重要役割を担っています

以上で起承転結それぞれの役割について解説しましたが、これらの要素がそれぞれ独立して生きているわけではなく、相互作用をすることではじめて全体として意味をなすこと、どれか一つでも欠けるとその他の要素がすべて死んでしまうことがお分かりになるでしょうか。

この考え方を意識しながら、あらためてサザエさんコボちゃん等を読んでみてください。話そのもの面白いかどうかは別として、構成がきちんと「起承転結」を意識して練られていることが分かるのではないかと思います

補足

このエントリで言いたいのは「もっと起承転結意識して4コマ漫画構成してほしい」ということであって

起承転結」に則っていない4コマ漫画面白くない

ということでは決してありません。

また、起承転結いろはを充分に理解した上で、敢えてそれを崩す(守破離)という手法全然ありです。

例えば1コマだけでストーリーコンテキストを読者に存分に伝えられる能力を持つ漫画家であれば、「起・承」を一つにまとめた3コマ漫画というフォーマット確立することも出来るでしょう。

最終的には面白ければ何でもありなのですが、少なくとも基本的な型はマスターしていて欲しいです!

クラシックでは、ハイドンモーツァルト交響曲の型(ソナタ形式・緩徐楽章メヌエットソナタ形式からなる四楽章構成)を作り、ベートーヴェンなどがその形式追従しつつ声楽など新しい要素を取り入れ、マーラー交響曲の体裁を保ちつつフォーマットを大胆に崩す、といった歴史がありますが、それは交響曲というフォーマットが充分に確立されていたからこそ出来たことなのです。

参考文献

オンライン整数列大辞典

2015-03-12

こんな電子お薬手帳が欲しい

薬の具体的な情報

調剤薬局でもらえる簡素な薬剤情報提供書は、あまり情報が無さすぎる。

くすりのしおり」などに簡単にアクセスできると良い。

添付文書にもアクセスできると尚良いが、一般人向けではないので、上級者向けモードなどとするべきか。

# しかし、とある薬について「くすりのしおり」を見てみたが、薬の中止や減量で副作用が出たとき患者がとるべき行動の指図が不適切で、質が低い仕事だなと感じた。

薬の相互作用確認

代謝酵素の阻害・誘導などの情報

どのような副作用が出やすいかの情報

食べ合わせに気を付けるべき飲食物情報

一切ダメなのか、時間をずらしたり少量ならば大丈夫なのか等も。

急に服用停止をしてはいけない薬の情報

どんなペースで減薬するかの参考値も。

# 患者自身の服用管理意識向上の為でもあるが、めちゃくちゃな断薬する医師も世の中にはいるので、その被害防止に。


現在調剤薬局薬剤師による飲み合わせの確認が行われているが、短時間でこなす必要もあり、また個々の薬剤師の知識量の差異もあるため、見落としがあったり、低頻度のリスクについては説明を省いたりという事が多いと思われる。

また、院内処方ではお薬手帳確認がないところもあったりするので、その場合にはノーチェックとなってしまう。

患者の側でも確認し、安心して服用できる環境が実現してほしいものだ。


ちなみに、日本調剤お薬手帳プラスログインID必要であり、他の薬局利用者は残念ながら使う事ができません。

まぁ、上記の要望は満たしていないだろうけれど。

KEGG お薬手帳

こちらは併用注意/禁忌確認はできます

2015-02-18

AKBというか秋元康さんが「恋愛禁止」をほのめかすわけ

フジテレビノンストップ城之内早苗が出演しおニャン子クラブの昔話をしているのを見た。

おニャン子クラブ恋愛禁止であったという。

そこで思ったこと。

おそらく秋元さんにとって「恋愛禁止」とは逆説的な「恋愛擁護なのだろう。

恋愛禁止として語られることの多い彼のプロジェクトで禁じられているのは

承認欲求を肉欲で満たす事であって恋愛のものではない。

例の指原の「処分」が曖昧に感じられたのは、彼女がしたことが「恋愛」ではなく

ただひとえに「肉欲を満たす行為であると本人と秋元了解たからではないか?

恋愛が満たそうとするのは承認欲と肉欲の相互作用をも含むもっと広く大きく深い総体的ものである

その「総体的もの」を秋元絶対的擁護している。

そしてその「総体的もの」がほとんど全ての人間にとって絶対に満たされぬものである秋元は知っている。

たとえどんな大きな存在に禁じられたとしても破り犯す罪こそが「恋愛」であり

それゆえ恋愛を禁止することは原理的に不可能である

それをおそらく秋元は知っているのだろう。

そして「総体的もの」を絶対的擁護することが彼の活動目的なのだろう。

その活動成果物は僕はものすごく嫌いだけど。彼の志は尊敬する。

童貞とは肉欲を満たす行為を禁じられた(られていると思い込んでいる)若者であり

処女とは肉欲を満たす行為意味を未だ知らぬ若者である

僕が秋元康表象童貞臭さを感じるのは、

秋元の使命が童貞処女を救済することだからなのだろうか?

キリスト人間に似ているように秋元童貞に似ている。そういうことか?

やはり秋元成果物をオレは絶対に認めない。

言い訳

洗濯さなきゃ。

もっちょとちゃんと考えてちゃんと書かなきゃだめだあね。ぐずぐず。

覚え書きスケッチとして。

2015-02-14

( ・3・) クラシック好きの上司ジャズを聴きたいと言いだして

はじめに

わたしの職場に、自他ともに認めるクラシックマニアがいる。近・現代の作曲家は一通り聴いているというが、中でもお気に入りスクリャービンで、携帯の着信音とアラームには「神秘和音」が設定してあるくらいだ。

その彼が、最近、急にジャズに興味を持つようになった。なんでも娘さんが部活でサックスを始めたのがきっかけらしい。彼の机には娘さんの小さいころの写真が立てかけてあるが、父親と血がつながっているとは思えないかわいらしさだ。パパだってジャズくらい分かるんだぞ、ということにしたいのかもしれない。

彼はわたしジャズ・ギターを弾くことを知っている。音楽に関して(だけ)は寛容なので、各種イヴェントの際には有給を消化しても嫌な顔ひとつしない。

ある昼休みの会話

ちょっと私用なんだが」と彼は言った。「こんどの休みは空いてるか? お前の好きなジャズのCDを10枚くらい持ってきてくれ。うちのオーディオで聴こう」

「CDならお貸ししますよ」とわたしは答えた。特に予定はないが、できれば休日はゆっくり寝ていたい。

「まあそう言うなよ」と彼はつづけた。「プレゼンの訓練だと思えばいい。ジャズの聴きどころを存分に語ってくれ。昼はうなぎを食わせてやるぞ。それとも――」

「それとも?」

「もう有給は当分いらないということか?」

事の次第

こうして、わたしは休日をつぶして彼の家を訪ねることになった。どのCDを持っていくかはなかなか決められなかったが、一日でジャズの百年の歴史を追いかけるのは無理だと割り切って、わたし自身がジャズを聴き始めた高校生のころ――もう15年も前の話だ――に感銘を受けたものを選ぶことにした。マイルス・デイヴィスカインド・オブ・ブルー』、ビル・エヴァンスワルツフォー・デビー』、ジョン・コルトレーンジャイアントステップス』はもうコレクション済みだということだったので、それら以外で。

駅に到着

手土産の菓子と20枚ほどのCDを抱えて最寄駅に着くと――結局10枚には絞り込めなかった――彼の車が目に留まった。

「きょうは夕方まで家に誰もいないからな。気兼ねしなくていい」

「そうでしたか」

「いるのは猫だけだ」

「猫? 以前お邪魔したときには見かけませんでしたが」

「公園で拾ってきたんだ」

「娘さんが?」

「いや俺が。子供のころに飼っていた猫とよく似ていたものだから」

ノラ猫を拾う人間と、ショスタコーヴィチ交響曲全集を部下に聴かせて感想を求める人間が、ひとりの男の中に同居している。この世界は分からないことだらけだ。

家に到着

ちーちゃんお客様にご挨拶だ」と彼は居間の扉を開けながら言った。ちーちゃんと呼ばれた白い猫は、こちらを一瞬だけ見るとソファのかげに隠れてしまった。そそくさと。

「ご機嫌ななめだな。まあいい。そっちに掛けてくれ。座ったままでディスクを交換できるから。いまコーヒーを淹れてくる」

ようやく本題へ

――これ以降は対話形式で進めていきます。

( ・3・) さっそく始めよう。

1. マイルス・デイヴィストランペットバンドリーダー

Miles Davis (1926-91)

――マイルスについてはご存じだと思いますが、次々に作風を変化させながらジャズを牽引していった、アメリカ文化的ヒーローです。デューク・エリントンマイルスについて「ジャズピカソだ」と述べました。

( ・3・) 『カインド・オブ・ブルー』の人だな。

――はい。その作品の後に注目したいんですが、60年代の半ばに、ウェイン・ショーターというサックス奏者がマイルスバンドに加わります。この時期の録音はひときわ優れた内容で、ジャズリスナープレイヤーからはヒマラヤ山脈のように見なされています。

Prince of Darkness (1967) http://youtu.be/-wckZlb-KYY

( ・3・) ヒマラヤ山脈か。空気が薄いというか、調性の感覚が希薄だな。テーマの部分だけでも不思議なところに臨時記号フラットがついている。

――主音を軸にして、ひとつフレーズごとに旋法を変えています。コードが「進行」するというよりは、コードが「変化」するといったほうが近いかもしれません。

( ・3・) ピアノコードを弾かないから、なおさら調性が見えにくいのかもしれないな。

――はい。余計な音をそぎ落とした、ストイックな演奏です。

( ・3・) 体脂肪率ゼロ。

――マイルスバンドには一流のプレイヤーでなければ居られませんから、各々が緊張の張りつめた演奏をしています。

Nefertiti (1967) http://youtu.be/JtQLolwNByw

――これはとても有名な曲。ウェイン・ショーターの作曲です。

( ・3・) テーマで12音をぜんぶ使ってるな。

――覚めそうで覚めない夢のような旋律です。このテーマがずっと反復される。

( ・3・) それってラヴェルボレロじゃないのか?

――ボレロではスネアドラムが単一のリズムを繰り返しますが、こちらはもっと自由奔放ですよ。ドラムが主役に躍り出ます。

( ・3・) おお、加速していく。

――テンポ自体は速くなるわけではありません。ドラムは元のテンポを体で保ったまま、「そこだけ時間の流れ方がちがう」ような叩き方をしています。

( ・3・) ドラムが暴れている間も管楽器は淡々としたものだな。

――はい。超然とした態度で、高度なことを難なくやってみせるのが、このクインテットの魅力ではないかと思います。

2. ジミー・ジューフリークラリネット

Jimmy Giuffre (1921-2008)

Emphasis (1961) http://youtu.be/QRyNUxMJ18s

( ・3・) また調性があるような無いような曲を持って来よって。

――はい。この曲は基本的にはブルースだと思うのですが、テーマでは12音が使われています。ジミー・ジューフリーというクラリネット奏者のバンドです。アメリカルーツ音楽と、クラシックとの両方が背景にあって、実際に演奏するのはジャズという一風変わった人です。

( ・3・) ドラムがいないと室内楽みたいだな。

――ドラム抜きの三人のアンサンブルというアイディアは、ドビュッシーの「フルートヴィオラとハープのためのソナタ」に由来するそうです。

( ・3・) いいのかそれで。ジャズといえば「スウィングしなけりゃ意味がない」んじゃなかったのか?

――スウィングしたくない人だっているんですよ。といっても、ベースフォービートで弾いていますが。

( ・3・) これが録音されたのは……ええと、1961年か。ジャズもずいぶん進んでいたんだな。

――いえ、この人たちが異常なだけで、当時の主流というわけではありません。さっぱり売れませんでした。表現自体は抑制・洗練されていて、いかにも前衛というわけではないのに。同じ年のライヴ録音も聴いてみましょうか。

Stretching Out (1961) http://youtu.be/2bZy3amAZkE

( ・3・) おい、ピアノの中に手を突っ込んでるぞ。(3分16秒にて)

――まあ、それくらいはするでしょう。

( ・3・) おい、トーン・クラスターが出てきたぞ。(4分16秒にて)

――それでも全体としては熱くならない、ひんやりした演奏です。

3. エリック・ドルフィーアルトサックスフルート、バス・クラリネット

Eric Dolphy (1928-64)

――さて、次はエリック・ドルフィー。作曲の才能だったり、バンドを統率する才能だったり、音楽の才能にもいろいろありますが、この人はひとりの即興プレイヤーとして群を抜いていました。同じコード進行を与えられても、ほかのプレイヤーとは出てくる音の幅がちがう。さらに楽器の持ち替えもできるという万能ぶり。順番に聴いていきましょう。まずアルトサックスから。

( ・3・) おお、うちの子もアルトサックスだ。

Miss Ann (1960) http://youtu.be/7adgnSKgZ7Q

( ・3・) なんだか迷子になりそうな曲だな。

――14小節で1コーラスだと思います。きちんとしたフォームはあるのですが、ドルフィーフォームに収まらないようなフレーズの区切り方でソロをとっています。1小節ずつ意識して数えながらソロを追ってみてください。ああ、いま一巡してコーラスの最初に戻ったな、とついていけたら、耳の良さを誇ってもいいと思いますよ。

Left Alone (1960) http://youtu.be/S1JIcn5W_9o

――次はフルート

( ・3・) ソロに入ると、コード進行に対して付かず離れず、絶妙なラインを狙っていくな。鳥の鳴き声というか、メシアンの「クロウタドリ」に似ている。

――鳥の歌に合わせて練習していたといいますから、まさにメシアンです。あるいはアッシジのフランチェスコか。ほかにもヴァレーズの「密度21.5」を演奏したり、イタリアフルートの名手であるガッゼローニの名前を自作曲のタイトルにしたり、意外なところで現代音楽とのつながりがあります。

参考 Le Merle Noir (Messiaen, 1952) https://youtu.be/IhEHsGrRfyY



It’s Magic (1960) http://youtu.be/QxKVa8kTYPI

――最後にバスクラ吹奏楽バスクラ担当だったけど、主旋律で活躍する場面がなくて泣いてばかりいた方々に朗報です。

( ・3・) バスクラってジャズではよく使われるのか?

――いえ、当時、長いソロを吹いた人はあまりいませんでした。

( ・3・) バスクラ自体がめずらしいという点を措いても、独特な音色だな。

――村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』にこんなくだりがあります。「死の床にあるダライ・ラマに向かって、エリック・ドルフィーがバス・クラリネットの音色の変化によって、自動車エンジン・オイルの選択の重要性を説いている……」

( ・3・) どういう意味?

――楽器の音が肉声のようにきこえる。でも何をしゃべっているのかはよく分からないという意味だと思います。あと、ミニマリズム作曲家スティーヴ・ライヒバスクラを効果的に使いますが……

( ・3・) 「18人の音楽家のための音楽」とか、「ニューヨークカウンターポイント」とか。

――はい。彼はドルフィーの演奏を聴いてバスクラに開眼したと語っています。 [1]

( ・3・) ジャズ現代音楽との相互作用だな。

4. オーネット・コールマンアルトサックス

Ornette Coleman (1930-)

――真打登場です。サックス奏者のオーネット・コールマン50年代の末に現れて、前衛ジャズの象徴的な存在になった人です。といっても、難しい音楽ではありません。子供が笑いだすような音楽です。ちょっと変化球で、70年代の録音から聴いてみましょう。

Theme from Captain Black (1978) http://youtu.be/0P39dklV76o

――ギターのリフで始まります。

( ・3・) あれ、ベースおかしなことやってるな。キーがずれていくぞ。

――はい、各パートが同時に異なるキーで演奏してもいいというアイディアです。イントロのギターが床に立っている状態だとすると、ベースは重力を無視して、ふらふらと壁や天井を歩きだす。

( ・3・) 複調を即興でやるのか?

――どのていど即興なのかはわかりません。コンサートに行ったことがあるのですが、譜面を立てて演奏していましたよ。でも、別にダリウス・ミヨーに作曲を教わったというわけではなくて、アイディアを得たきっかけは些細なことだったんじゃないでしょうか。たとえばサックスが移調楽器であることを知らなかったとか。「なんかずれてるな、でもまあいいか」みたいな。

( ・3・) それはいくらなんでも。もし本当だったら天才だな。

Peace (1959) http://youtu.be/bJULMOw69EI

――これは初期の歴史的名盤から。当時、レナード・バーンスタインオーネットを絶賛して、自分がいちばんでなければ気のすまないマイルス・デイヴィスがたいそう機嫌を損ねました。

( ・3・) さっきのに比べると普通にきこえるが……

――1分40秒あたりからサックスのソロが始まります。集中してください。

( ・3・) (4分12秒にて)ん? いま、俺の辞書には載っていないことが起きた気がするな。

――ここはいつ聴いても笑ってしまいます。そのタイミングで転調するのか、脈絡なさすぎだろうって。ソロをとりながら、いつでも自分の好きな調に転調していいというアイディアです。

( ・3・) 言うは易しだが、真似できそうにはないな。

――どの調に跳んだら気持ちよく響くか、という個人的な経験則はあるはずです。突飛な転調でも、「これでいいのだ」といわれれば、たしかにその通り、すばらしい歌ですと認めざるを得ません。

昼食のため小休止

――お昼はうなぎだと聞いておりましたが。

( ・3・) そのつもりだったんだが、いつの間にか値段が高騰していてな。「梅」のうなぎよりも、うまい天ぷら蕎麦のほうがいいじゃないか。

5. セシル・テイラーピアノ

Cecil Taylor (1929-)

――この人も、オーネット・コールマンと同じくらい重要なミュージシャンです。テキサス出身のオーネットに対して、セシル・テイラーニューヨーク出身。都市と芸術の世界の住人です。ピアノを弾くだけではなくて、舞踊や詩の朗読もします。これは1973年に来日したときの録音。

Cecil Taylor Solo (1973) http://youtu.be/X7evuMwqjQQ

( ・3・) バルトークシュトックハウゼンの楽譜を細かく切って、よくかき混ぜて、コンタスキーが弾きましたという感じだな。70年代にはずいぶん手ごわいジャズも出てきたんだ。

――いえ、テイラー50年代から活動しています。チャック・ベリーやリトル・リチャードと同じ世代。この人が異常なだけで、当時の主流ではありませんが。さっきも似たようなことを言いましたね。

( ・3・) このスタイルでよく続けてこられたな。

――継続は力なり。2013年には京都賞を受賞して、東京でもコンサートがありました。

( ・3・) どうだった?

――会場で野菜を売っていたので、買って切って食った。

( ・3・) ちょっと意味が分からんな。

――文字通りの意味なのですが、それについては別の機会にしましょう。演奏の話に戻ると、混沌と一定の秩序とがせめぎあって、台風のさなかに家を建てている大工のような趣があります。「壊す人」というよりは「組み立てる人」です。また、あるフレーズを弾いて、復唱するようにもういちど同じフレーズを弾く箇所が多いのも特徴です。

( ・3・) いちどしか起こらないことは偶然に過ぎないが、もういちど起こるなら、そこには何らかの構造が見えてくるということか。

参考 Klavierstücke (Stockhausen, rec. 1965) http://youtu.be/mmimSOOry7s



6. デレク・ベイリー(ギター)

Derek Bailey (1930-2005)

――きょう紹介するのは北米の人ばかりなのですが、デレク・ベイリーは唯一の例外で、イギリス人です。さっそく聴いてみましょう。これも日本に来たときの録音。

New Sights, Old Sounds (1978) http://youtu.be/nQEGQT5VPFE

( ・3・) とりつくしまがない……。

――そうですか? クラシック好きな方には思い当たる文脈があるはずですが。

( ・3・) 無調で点描的なところはヴェーベルン。でも対位法的に作曲されたものではないみたいだ。あと、初期の電子音楽ミルトン・バビットとか……。

――模範解答です。

( ・3・) でも即興でヴェーベルンをやるというのは正気の沙汰とは思えんな

――即興の12音技法ではありません。それは千年後の人類に任せましょう。ベイリーがやっているのは、調性的な旋律や和音を避けながら演奏することです。最初に聴いたマイルス・デイヴィスも緊張の張りつめた音楽でしたが、こちらも負けず劣らずです。文法に則った言葉を発してはいけないわけですから。

( ・3・) 「どてどてとてたてててたてた/たてとて/てれてれたとことこと/ららんぴぴぴぴ ぴ/とつてんととのぷ/ん/んんんん ん」

――ちょっと意味が分かりませんが。

( ・3・) 尾形亀之助の詩だ。お前も少しは本を読んだらどうだ。それはともかく、こういう人が観念的な作曲に向かわずに、即興の道に進んだのは不思議な気がするな。

――いちプレイヤーとして生涯を全うしたというのは重要で、ベイリーの音楽はベイリーの体から切り離せないと思います。彼の遺作は、病気で手が動かなくなってからのリハビリを記録したものでした。

( ・3・) プレイヤーとしての凄みが音楽の凄みに直結しているということか?

――はい。技術的にも高い水準のギタリストでした。無駄な動きのない、きれいなフォームで弾いています。気が向いたら動画を探してみてください。

( ・3・) まあ、ギター弾きのお前がそう言うなら上手いんだろうな。

――楽器の経験の有無で受け止め方は変わってくるかもしれません。ジャズ一般について言えることですが、鑑賞者としてではなく、その演奏に参加するような気持ちで聴くと楽しみも増すと思いますよ。

ベイリー即興演奏(動画) http://youtu.be/H5EMuO5P174

参考 Ensembles for Synthesizer (Babbitt, 1964) http://youtu.be/W5n1pZn4izI



7. セロニアス・モンクピアノ

Thelonious Monk (1917-82)

――セロニアス・モンクは、存在自体が貴重なピアニストです。生まれてきてくれてありがとう、とお母さんみたいなことを言いたくなる。

( ・3・) 初めて聴く者にとっては何のこっちゃの説明だな。

――とてもユニークスタイルで、代わりになる人が思いつかない、くらいの意味です。まあ聴いてみましょう。

Everything Happens to Me (Monk, 1959) http://youtu.be/YW4gTg3MrrQ

( ・3・) これは彼の代表曲

――いえ、そういうわけではありません。モンクの場合、どの演奏にも見逃しようのない「モンクの署名」が刻まれているようなものなので、わたしの好きな曲を選びました。有名なスタンダードです。最初に歌ったのは若いころのフランク・シナトラ

Everything Happens to Me (Sinatra, 1941) http://youtu.be/ZWw-b6peFAU

――1941年の録音ですが、信じがたい音質の良さ。さすがスター。さすが大資本。これがヒットして、多くのジャズミュージシャンレパートリーになりました。ちなみに曲名は「僕には悪いことばかり降りかかる」というニュアンスです。恋人に手紙を送ったらさよならの返事が返ってきた。しかも郵便料金はこちらもちで、みたいな。もうひとつだけ聴いてみましょう。

Everything Happens to Me (Baker, 1955) http://youtu.be/UI61fb4C9Sw

( ・3・) このいけすかないイケメンは?

――チェット・ベイカー50年代西海岸を代表するジャンキーです。シナトラに比べると、ショウビズっぽさがなくなって、一気に退廃の世界に引きずりこまれる。で、モンクの話に戻りますが――

( ・3・) ショウビズではないし、退廃でもない。

――もっと抽象的な次元で音楽を考えている人だと思います。

( ・3・) 素材はポピュラー・チューンなのに、ずいぶん鋭い和音が出てくるな。

――調性の枠内で本来なら聴こえないはずの音が聴こえてくると、デレク・ベイリーのような無重力の音楽とはまた別種の怖さがあります。幻聴の怖さとでもいうべきか。さいごにぽつんと置かれる減5度の音には、「聴いてはいけないものを聴いてしまった」という感じがよく出ています。

( ・3・) 減5度はジャズでは珍しくないんじゃないのか?

――はい。でも、その音をどう響かせるか、その音にどういう意味を持たせるかというのは全く別の問題です。そういう音の配置に関してモンクは天才的でした。

( ・3・) カキーン、コキーンと石に楔を打ちこむようなタッチで、ピアノの先生が卒倒しそうだが。

――意図的に選択されたスタイルだと思います。プライヴェートではショパンを弾いたりもしていたそうですよ。 [2]

( ・3・) 見かけによらないものだな。

――小さいころから必死に練習すれば、いつかはマウリツィオ・ポリーニの水準に達するかもしれません。しかし、ピアニストとしてモンクを超えるというのは、端的に不可能です。それがどういう事態を意味するのか想像できませんから。

( ・3・) 四角い三角形を想像できないように、か。

ちーちゃんトイレ掃除のため小休止


8. アンドリュー・ヒル(ピアノ

Andrew Hill (1931-2007)

――アンドリュー・ヒルは作曲・編曲に秀でたピアニストです。『ポイント・オブ・ディパーチャー』というアルバムが有名ですが、録音から半世紀を経たいまでも新鮮にきこえます。ペンギンブックスのジャズガイド(なぜか翻訳されない)では、初版からずっと王冠の印が与えられていました。

( ・3・) 英語圏では別格扱いということか。

――ヒルは若いころ、ヒンデミットの下で学んだという話もあるのですが……

( ・3・) ヒンデミットアメリカに亡命していたからな。

――誇張も混ざっているかもしれません。ヒルの経歴は、生年や出身地も事実とは異なる情報が流れていたので。

Refuge (1964) http://youtu.be/zquk2Tb-D6I

( ・3・) 何かひっかかるような弾き方のピアノだな。

――ヒルには吃音がありました。 [3] 言いたいことの手前でつっかえて、解決を先延ばしにするような演奏は、しばしばそのことに結びつけられます。

( ・3・) 否定神学ジャズだな。

――ヒテーシンガク?

( ・3・) ほら、メルヴィルの『モービー・ディック』で、神秘的な白鯨の本質については語れないから、迂回してクジラにまつわる雑学的な記述が延々とつづくだろ?

――どうでしょうアナロジーとしては分からなくもないですが。

( ・3・) 形而下の世界に戻るか。あれ、このサックス奏者、さっきも出てきたんじゃないか? (2分58秒にて)

――エリック・ドルフィー共演者共演者を辿っていくと、きょう紹介する人たちはみんなつながっています。

( ・3・) デレク・ベイリーも?

――はい。セシル・テイラーと共演していますし、この次に紹介する人ともアルバムを出しています。

( ・3・) なんだかドルフィーに耳を持っていかれてしまうな。

――圧倒的です。ねずみ花火のような軌道と瞬発力。数か月後に死ぬ人間の演奏とは思えません。

( ・3・) すぐ死んでしまうん?

――はい。ドラッグでもアルコールでもなく、ハチミツオーバードーズで。正式な診断ではありませんが、糖尿病だったといいます。 [4][5]

( ・3・) ハチミツって、くまのプーさんみたいなやつだな。――ん? いまミスしなかったか? (6分36秒にて)

――ドルフィーアンサンブルの入るところを間違えています。

( ・3・) やり直しになるんじゃないの?

――ジャズは減点方式ではなく加点方式ですから。ミスがあっても、総合的にはこのテイクが最良という判断だと思います。

続く

http://anond.hatelabo.jp/20150214224440

2015-01-02

Natural Color Phantasm Vol.06 『墓場まで45分~1999年上半期総括』

■本文。

 今年上半期の美少女ゲーム業界を見渡すと、市場の拡大に伴う、保守化の流れに向かいつつある感がある。これは、おたく業界全体が内包している問題ではあるのだが、正直な所、拡大する市場を追いかけるのは既に辛くなっている。個人的にも、久々に行った秋葉原で、ギャル絵の洪水に立ち眩みがしたのも確かだ。

 さて、コンシューマ市場肥大したが故に、一般性の高さが必然となっていった。例えば、ドリームキャストの失敗は、古くからセガファンが放つ、マニアック重力から作り手の側が脱する事ができなかったが故の悲劇とも言えるのだが、一般性ばかりを追い求める状況は、作り手の側にも不満が蓄積されていく。

 その、取り残された創作性を実現させる場所として、美少女ゲーム業界が成立したという背景がある。実際、筆者が一番面白かったのはDOSからWINDOWSへ移行する過渡期で、けったいな野心作が多く出た時期だったのだが、その後、市場として、成長・拡大すると、やはり、メディアミックスなど、資本主義的な視線が入り込んできた。

 そして、今の美少女ゲーム業界は、昨年来からレーベル数の増加と、タイトル数の増加と反比例するように、ゲームジャンル多様性が失われる傾向が生まれている。タイトル数の増加の背景に、発売サイクルの短期化があり、制作期間の短縮に伴い、システムシナリオ練り込みが薄れている作品も多い。バグなどの不具合の発生が日常茶飯事になっていて、インターネット上での差分ファイルの配布が流行している現状に至っては、もはや何をいわんかや、という感じでもある。

 不幸中の幸い、筆者はそういうゲームにあまり遭遇したことはないのだが、シナリオ練り込みが足りない上に、一時間程度で終わるゲームの為に一万近い金を出すのは、効率が悪いよなあ、という心境は間違いなくあるだろうと思われる。また、メイドもの恋愛ゲームタイトル数の半分以上を占めるという状況では、やる気そのものが起きなくなってくるのは事実だ。

 まあ、メディアミックスを基盤とした企業複合体のシステムに組み込まれ大手では、実験的な企画はほとんど通らないという話もあるし、一獲千金を狙う中小メーカーも、安全パイの企画しかさない所が増えた。市場が拡大すればするほど、ジャンルが逆に淘汰されていくというのは、当然と見るか、皮肉と思うべきなのだろうか……。

 このような、メーカー側の風潮と相互作用しているであろう、ユーザー側の意識についても、前回、「オブジェクト嗜好」と指摘したように、非常に即物的な傾向を示している。キャラクターの消費サイクルが非常に早くなっているため、自己内面においての批評的な掘り下げが生まれなくなったのだ。

 既に、ゲーム誌の編集者すら、全体を把握しきれない程、美少女キャラクターが氾濫している現在市場状況では、その心性に惚れ込むのではなく、快楽的な記号の組み合わせだけで、売れ線のキャラクターが成り立ってしまう。あまりにも多い選択肢対峙した時、人間というのは表層的で直接的な視覚イメージを優先してしまうからだ。

 ところが、快楽的な記号を積み重ねれば積み重ねるほど、どんどんキャラクターフリークス化していくし、リアル少女から離れれば離れるほど、逆説的にキャラクターイノセンスを獲得して、ユーザーヒーリングされる……といった構図になっているのだろう。多分。

 何故、おたくセックス観がリアルな肉体から遠く離れなければならないのかを考えると、それだけでこのコラムの3回分になってしまう位に深くて浅い問題なのだが、やはり、日本特殊フェミニズム環境が背景に存在しているような気がしてならない。これほどまでに、二次元美少女を消費しなければならない、内的な問題はいったい何なのかについては、また改めて書くとしても、これらの背景に、戦後日本の構築した、過剰な消費社会ターゲット若者のみに向けられ、若さの素晴らしさや、青春幻想メディアが強調しつづけた蓄積の結果であると思われる。その副作用として、「オブジェクト嗜好」も含めた、おたくの奇妙な性嗜好が構成されているようにも思う。

 これは、日本独自フェミニズム的なものに対する、無意識下での抵抗と位置づける事もできるし、その中で形成された美少女概念現実のズレが生み出した現象ともいえる。現に、美少女ゲームにおけるヒロイン像の大半が、十代中盤の保守的少女に設定されているのは、当たり前と言えば当たり前だが、不自然といえば不自然でもある。だが、少なくとも、筆者はこの状況を全面肯定できるほど、気楽にはっちゃけられないのだ。

 しかし、同じおたくの枠に括られているとはいえ、メタ的なものフェミニズム的な表現を賛美するサブカル好きなおたくと、ひたすら癒しを求めて空想世界依存し続ける昔気質おたくは、明らかに正反対の方向を向いているし、それ故に、前号の本誌「オタク定点観測」にもあったが、双方の感情的な対立も表面化している。だが、前者には普遍化させようという意志が欠けているし、後者には相対化する視点が欠けているので、おそらく、どこまで行っても歩み寄ることはないだろう。

 まあ、自分のことは棚に上げるが、本誌のコラム陣もまた、サブカル否定おたく保守の傾向が強すぎるようにも思うし、最近はあらゆる所で極端な対立が起きるので、さすがにどちらかに与して云々という気持ちも無くなってしまったのだが、おたくという言葉が生まれて、15年の歳月が経ち、その括りだけでは収まりきれない時代になっているのだろう。美少女まんがはそれぞれのニーズに応えようとして、遂に80誌を超えようかという所まで肥大してしまったが、ならば、美少女ゲームはどうなっていくのだろうか?

 加えるならば、前回の原稿を書いている時にインターネット上でぶつかった、萌え派と泣き派の思想的対立というのも、拡大する市場と、それに伴う価値観拡散に伴う混乱、そして、批評軸の喪失といった状況が、結果、ユーザー思想脆弱にしてしまったという意味では、分かりやすい例だと思う。

 快楽記号が多くてキャラクター萌えられるから良いゲームだ、とか、心の琴線に触れて泣けるから、良いゲームだ、というのは、はっきり言って、どちらも同じ穴のムジナだし、良いゲームかどうかを決めるのを、一元的価値観のみに拠って決めること自体が、ゲーム本質を歪めているようにも思うのだ。そして、作り手の側も、「時代がそれを求めている」とかい言葉で、その表層的な状況をそのまま受け入れているようでは……なんだか、ヒヨコが先か、タマゴが先か、といった話になってきたのだが、もう、この世界は良い方向へ向かうことは絶対にない、と言わざるを得ない。これは、鬱のせいばかりじゃないと思うし、美少女ゲームに限った話でもないのだ。

 批評軸の無い世界自由に限りなく拡散していくのだろう。だけども、空洞化した世界には秩序は生まれないし、結局、内面の闇から逃げる為に、無意味祭りを繰り返すのだろう。そして、絶望祭りを行ったり来たりする筆者の心は、まるで墓場酒場を行ったり来たりする沢田研二のような気分なのだダバダバダバダ(意味不明)。

■暑くて憂鬱な夏の総括。

 なんか、またゲームの話をしなかったなあ、このコラム最初普通にゲーム評をやるつもりだったんだけど、すっかり別物になりつつあります。ごめん。しかし、ゲームのことを書くと、褒めても褒め方が気に食わないと文句付けられるらしいので、いっそ全く書かない方がいいのかも知れない。まあ、これは某メーカー広報誌と化した、とあるコンシューマゲーム雑誌で書いている友達台詞なので、美少女ゲーム誌では、そんな事はないと僕は信じているけどねっ☆

2014-12-21

Ingress エージェント各位へ -- エキゾチック粒子に関する小報告

世界には、人間の心身に対して“啓発的な”効果を及ぼす謎の物質存在していた。CERNでの実験で偶然この物質発見した研究者たちは、この物質を「エキゾチック・マター(XM)」と呼んだ。XMの研究のため、NIA(アメリカ国家情報局)はCERN付近研究者らを集め「ナイアンティック計画」を立ち上げた。その過程で、XMは秩序と知性を持つと考えられること、臨界量を超えるXMに被曝した者は「シェイパー」と呼ばれる存在の影響を受け彼らに侵略されるということが判明した。人類文化古代文明の発展も、その滅亡も、シェイパーの影響によるものではなかったかと考える者もいる。

XMは全世界分布していたが、とりわけ、文化的芸術的宗教的重要場所に密集しており、このような場所は「XMポータル」と呼ばれた。

(—Ingress ストーリーより)


エキゾチック粒子に関して僕の知る限りを話そう。

ただし注意してほしい事が2点ある。

一つは僕はこの分野の専門ではないという事。

もう一つは以下の文章GoogleゲームIngress」に関するネタであり、本気にしてテロとかデモとか起こさないで欲しいという事だ。


エキゾチックハドロン

僕らの世界は全て原子からできている。原子核子電子でできており、核子は3つのクォークからできている。

さて、量子色力学により僕らの見ている低エネルギー世界では、色の三原色における「白」に対応する組み合わせ (color singlet) しか現れない事はみなさん良くご存知だろう。赤・緑・青(クォーク3つ)や赤・反赤(クォーク+反クォーク)の組み合わせなどだ。

前者は陽子中性子などバリオンと呼ばれるもので、後者パイ中間子などのメソンと呼ばれる粒子である

それでは(赤・反赤・青・反青)のクォーク2つ+反クォークつの組み合わせはないのだろうか? これだって color singlet のはずだ。

実は候補となる粒子はいくつか見つかっており、研究が進められている。

これらの粒子は「エキゾチックハドロンエキゾチック粒子)」と呼ばれる。


テトラクォーク

前述のクォーク2つ+反クォークつの組み合わせである

KEK高エネルギー加速器研究機構)がいくつもの候補となる粒子を発見している。そのうちの一つ Z(4430) が最近LHCにて7年ぶりに再発見されたのは記憶に新しいだろう。まさに「CERNLHCエキゾチック粒子発見なのだがあまりブクマがつかなかったようだ。エンライテンドのエージェント妨害工作にあったと見るべきであろう。なお、KEKLHCと強い関連がある(・・というかヒッグス探索にATLASグループとして参加している)ことから

KEK (茨城県つくば市大穂1-1) がエンライテンドにとって最重要拠点ひとつであることは明らかであろう。

至急ポータルを建てエキゾチック粒子を回収、防衛に当たる事をお願いしたい。


ペンクォーク

(赤・青・緑・赤・反赤)の組み合わせである2003年Spring-8 における実験発見され大騒ぎになった。

再解析でどこかにいってしまったものの、当時研究を率いた RCNP (大阪大学 核物理研究センター)は現在でもエキゾチックハドロンの中心的な研究拠点ひとつになっている。世界中エキゾチックハドロン専門家が集まる重要地域であり、レジスタンスの襲撃が予想される。大阪方面のエンライテンドにはぜひとも防衛をお願いしたい。


ハイペロン/スーペロンハイパー核/スーパー核)

陽子中性子は u-クォークと d-クォークでできている。それらを s-クォークに置き換えたものハイペロン、c-クォークに置き換えたものがスーペロンである。ややこしいがこれらもエキゾチック粒子と呼ばれている。

重要事実を伝えよう。J-PARC (大強度陽子加速器施設)にてハイパー核・・そう、エキゾチック粒子を生成し、その相互作用を調べる研究がかねてより計画されている。

エージェント各位はポータルを建てこれを回収、防衛に当たってほしい。


エキゾチック・マター(Exotic Matter)

エキゾチック粒子とエキゾチック・マターの関係は言ってしまうと水分子1個とコップ一杯の水である

残念ながらエキゾチック粒子・・もとい、ハイペロンを「マター」と呼べる程大量に加速器で生成することは大変難しいのだが、

実はこの我々の世界においてエキゾチック・マターの存在する場所がある。中性子星の内部である

ハイペロン粒子の性質を調べ、ハイペロン物質 (matter) の状態方程式計算し、中性子星および超新星爆発シミュレーションを行う・・素粒子原子核宇宙の分野を超えた一大プロジェクトがここ日本に置いて進行中なのだが、それは表向きの姿。

懸命なエージェント諸君ならお気付きであろう。そう、真の目的エキゾチック・マター による人類進化なのである


本日着任したエンライテンドのLv.1 エージェントより報告。以上です。


その他

ノーマリー

ノーマリー(anomaly) って僕らの分野だと量子異常のことなんだけど・・Ingress 側の設定がよくわからないので何も書かなかった。(僕がダウンロードしたてなのでストーリーが読めないのかもしれない)

2014-11-27

かつての空き地花束を ― ニコニコ動画行方を想う


私にとってニコニコ動画空き地だった

http://anond.hatelabo.jp/20141118212618


上の文章を書いた後、

某氏が作り直す発言をしたので手向けを贈ります


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CGMは「他の誰かがお金を出して作った場所」を「俺たちの場所」と思い込ませて、規模を成長させるのが成功秘訣

http://artifact-jp.com/2014/11/20/cgm-success/


上のアーティファクト記事で上手く指摘されているように、

空き地プラットフォーム)を解放し、

蜜を塗り虫を誘き出すように酔狂なフリーク達を集め、

彼らの相互作用樹木共同体文脈から生成される文化果実)を

コンテンツとして刈り取り提供する事で利益を上げる…

これがまさにCGMと呼ばれるビジネスモデルである

YES、"ココ"(here)もそうですね。

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しかし、そのようなフリーク達の営みは決して強い物ではない。

運営組織原理として安易に規模の拡大を目指せば崩壊へと簡単に拍車がかかる。

規模の拡大は運営側フォーマルに改造を行う事で成される為に、

まずフリーク達が活動・参入しにくい環境変化をもたらす。

これは前の文章で「公園化」として述べた通りである

水清ければ魚棲まず。

そして、門戸を大きく開放した事により、

ステータスやそこに発生する金銭的利益を主眼とし、

それを得る為に評価される事を望み、

既存評価されている行為や物を真似し、

愚にもつかないクローンを量産するという、

属性主義的な人々の参入も加速していく。(例:HIKAKINクローン

結果、コンテンツの質は(相対的に)あっという間に下がり、

良いコンテンツを掘り出すのも一苦労。

フリーク達も嫌気がさして移り住み、

良くネット上で囁かれる"つまらない場所"に成り下がる。

もはやそこでは次世代を担うコンテンツが生み出されず、

運営過去遺産を使い回して食い潰すしかなくなる。(例:初音ミク


コミュニティの一生とは (コミュニティノイッショウとは) [単語記事] - ニコニコ大百科


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からこそ運営側は上手く距離を取った上で管理していく必要がある。

タダでさえ、フリーク達の木は枯れやすいのだ。

枝分かれ(分散化)し過ぎたり、大きくなり過ぎたりすると、

その構成組織構成員)がネタストーリー共同体文脈)を"追えなく"なり、

共同体意識コミュニケーション喪失組織崩壊を起こして倒壊する。

言うならば農業センスが求められているのである

フリーク達が根付き育ち易い土壌を作る為に土をいじり、

支え木、整枝、他の木を育てる為に光が届くような気配りも必要だ。

そうCGMにおける運営とは泥に塗れた地道な農作業なのだ

そこで初めて安定的に収穫が出来る。

から化学肥料(金)を振りまけば、木が生えるなどと甘く考えてはならない。

フリーク達はそんな物だけを目当てには簡単に集まらない

それは責任や拘束を伴うし、相互関係を阻害する物でもあるからだ。

嬉々として来るのはyoutuberの様な雑草だけだ。


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作り直さなければならないという状況に確かにニコニコは陥っている。

ニコニコというプラットフォームで固有コンテンツが育たず、

公式アニメ転載物という外来コンテンツランキングを多数占める様を見れば分かる。

このままではyoutubeなどと差別化出来ず、顧客を奪われて行くだろう。

からコンテンツを作り出すプロを呼び込もうと運営側は焦っているのかもしれない。

しかし、本当にそうならその場しのぎにしかならない事に気が付かねばならない。

それは一方的な"供給"であり益々ニコニコを「ただ見る場」にしてゆく行為に過ぎないのだから

本当に必要なのは「集まって簡単に楽しくワイワイ何か出来る場」なのだ

ユーザーはそういう"経験"が出来る"場"こそを求めているのだ。

そしてその場を地道に作って行くしかない。

ニコニココンテンツとはそもそもそういう物であった筈だ。

自分にとって関わりも物語も何もない第三者コンテンツならテレビで見られる。


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ベンチャー企業が名実とともに大企業となった途端、

ステータスを狙って繕う事と口先だけ回す事が上手な人々が横入りして、

実際"物"を作って来た現場主義エゴイステック情熱馬鹿人間を「融通が利かない」と追い出し、

組織原理追従して先人の遺産を食いつぶし落ちぶれていく様は良くある事だ。

そして、落ちぶれて行くのに気づいて焦り、某ナルドの様に明後日の方向に疾走していく事も。

しかし、踏みとどまり初心を見直して欲しい。

かつての空き地は、もはや無い。

しかし、かつての空き地に立つソレもまた好ましい物であってほしい。

かつての空き地の住人は昔を思ってそれを眺める。


2014-11-21

http://anond.hatelabo.jp/20141121100002

レビューって「指導」じゃないだろ。本人が見落としてるところを他人の目でチェックするとか、本人があまり詳しくないコンポーネント相互作用する可能性があるからそのコンポーネントの方が分かってる人にチェックしてもらうとか、そういうのじゃないの? そういう目的がはっきりしてるなら手段は何だっていいんじゃね? レビュー普通にやってた職場ではgitコミットweb上でコメントつけられるようになってたけど、便宜上紙と赤ペンでやっても本質は変わらんでしょ (仕事でやるなら効率悪いけど、その時だけの代替手段というなら)。

コードを読む力の判定にはある程度使えると思うな。実務では他人コード読んで手を入れないとならないことは多いわけだし。それに面接で使うなら、それは「レビューの正解」を求めてるんじゃなくて、コラボレートしてコードを書いてゆくことにどう臨むかってのを見るわけだから、悪くない方法だと俺は思った。

2014-11-10

流体力学という学問分野がある。

この応用分野に、尿道流体力学というカテゴリーがあることをご存じだろうか?

膀胱からある圧力で押し出された粘性の小さい流体が、伸縮性のある管の中をどのように流れていくのか?

この管は、長い場合も短い場合もあり、長い場合には角度や管のねじれを考慮して流体の運動と管の相互作用評価する必要がある。

伸縮性のある管は、外部から想像もつかない複雑な三次元構造をしているため、その中を流れる流体には管の軸にそってスピンが発生する。

それにより、開口部から噴出する時に指向性を持つことになり、ターゲットへ標準を絞りやすいのである。最適なスピンを発生させる管の構造とは?

逆に、短い場合には、押し出されてされてから噴出するまでの距離が短いため、簡単にモデル化することができる。

一方で、開口部の形状によっては噴出時にぶれが発生し、指向性が減少したり、流体の噴出速度がそがれる場合もある。

さらに、この管の中を粘性の大きな流体が押し出されて運動する場合にはどのようなことが起こるのだろうか?

興味は尽きない。

2014-09-27

「気にする」と「注意する」の峻別

自己創発という言葉がある。一種の高度なシステムだ。wikipediaには「局所的な複数相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いから予測できないようなシステム構成される。 」とある

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA

うむ高度である。高度で重要だってんで専門の研究機関が数多くあったりする。しかし高度といっても場当たり的創発には明白な限界がある。長期視点創発を積み重ねること、つまり進化が求められるケースも多いのだ。そういったことを扱うのが「進化システム論」という学問領域である

翻って私たち個人の日常生活ひいては人生において根本的に重要な要素を1つあげるとすればそれは集中力である

人間として生まれたからにはまずその集中力がなんであるかを明確に会得せねばならない。分かりやすい例をあげよう。ハイスコアを叩き出したいテレビゲームがここにある。

画面に「注意する」ことは必要不可欠であるが、スコアを「気にする」ことは果たして必要なんだろうか?否!必要ない。

「気にする」とは余計な思考を含意し「何かを気にして別の大切な何かを気にできてない」ことをも含意する。かように様々なタイプの集中があるので集中力一口に言っても多種多様なことが分かるだろう。

電王戦タッグマッチにおける脳波測定マシーンの滑稽さもここにある。集中力を単純に脳波で量として捉えても殆ど実態は見えてこない。「何にどう」集中しているかに達人的集中のギミックがあるのであるから

ここまで言われると集中のための第一歩が「気にする」と「注意する」の峻別であることは容易に経験からイメージできるのではないだろうか?

テレビゲームの事例でも「画面には注意すべきだがスコアは注意しないほうが良い」と両方「注意」を使って捉えるからどうしようもない矛盾が生まれしまう。

ちゃんと2つの概念区別し「画面には注意するがスコアは気にしないほうが良い」と精密に捉えて初めて成長の道が切り開かれる。

これは人間特有のウェットな話ではなく純粋ロジカルな話なので当然色んなシステム適用できて進化システムもその例外ではない。

例えば会社本来目的を忘れて腐った企業体質のまま古い事業を続けている。これが「気にする」にあたる。一般にシステムをとにかくどんな形でもいいから進化させちゃえと安直に考えるならばその実現はたやすい。

しかし高度な進化まりシステムの根幹にある枠組み自体進化させるには「気にしない」ことの高度な実践がたいてい決定的に重要になってくる。簡単に言うと全体の情報をきちっと注意し続けるということだ。

このように私たち私たち個人と私たちを含む社会集団類比することで新たな側面を発見し打開策を見いだしていくわけだ。他人のフリして我が儘治せということわざもある。

人は自分が思っているほど自分のことを理解していない。それは高度情報社会の闇でもある。気になる情報が多すぎて自己への注意がおろそかになっている。

これが原因で世の中には無用無駄な争いが爆発的に増えているわけで、そこで提案されたのがジョージ・ハリスンの窓、略してジョハリの窓である

自分探しという言葉一部の人間の感情を逆なでするそうだが、注意の復権という意味では自分探しという言語表現こそまさに適切と言えよう。

ワンタイムマルチトピック制の新提案

空気の読める社会希求されてるが空気を読む力が重要なんじゃない。空気を読む必要が生じる社会の側に問題がある。

といっても協調性ゼロなやりたい放題な世界を作りたいのではない。マルチトピック制度政策として提案したいのだよ。よく聞いてくれ。

あるコミュニティで会話しているとき同時に複数話題を並行させることは難しい。2つの話題を並行させるニーズに即応するには

コミュニティの人員を分断させそれぞれのサブコミュニティで別の話題をする。このばやい、それぞれのサブコミュはやはり1つの話題強要する。

これがどんな恐ろしいことか分かるかね?1人の人間所詮ワンタイムにはシングルトピックしか扱えない。たとえ他のトピックで良い話題

思いついたとき発言が許されない。そこで頭の引き出しにメモしておいてしかるべきタイミング発言できるような記憶力の持ち主とか、

アイデアが出るたびにメモするマメ性格の持ち主とかが貴重な人材なんだよ。これが今の社会の仕組みと言っても過言じゃない。

そんな貴重な人間頼みにしてては人材不足になるのは当然である。これは個々人の無能さに問題があると考えるのは問題の設定ミスであるまいか?

社会の仕組みの側を変えねばならん。これが川上量生の言う「ルールを変える思考法」であることは言う迄も無い。具体的にはワンタイムマルチトピック制度だ。

まり好きなタイミングで好きな発言をしても「和」を乱さないように社会の側を作るべきなんだよ。いや話が大きすぎて俺には関係ねえって思ったそこのお前にはこう言おう。

君が所属し影響力が多少なりともあるコミュニティ複数あるだろう?そのコミュニティの仕組みを変えるべきなんだよと。

われわれもそろそろ古い考え方に飽きてきたのではないか?面倒面倒と思いつつも受け入れることが「オトナ」なのだと教わってきたからそうしているに過ぎない。

そんな幻想は俺がぶち壊してやる。朗報だ。そんな魔法の修辞技法があるぞ。悪い意味言葉に「よい」「わるい」をつけるんだ。

そこから始まる「みんなでキャベツを切ってる時にスイカの話が出来る社会」。そんな社会を作るためにもみんなで始めないといけない。

例えば、「ガキ」は幼稚さに対する侮蔑語であることは疑いの余地がない。しかし「よいガキ」と言えば途端に「ガキ」に対する良い面にスポットがあたる。

しかにガキという言葉は悪い面ばかりだけどもしかしたら良い意味もあるかもしれない。そんな気にさせてくれる所が言葉の柔軟性であるからして、

われわれ地球市民積極的にこのカラクリをみんなでどんどん使おうよ。

・・・繰り返すが個々人の無能さに問題があるというのは1つの見方にすぎない。発想を変えてみよう。全体は部分和を超えるというシステム論の格言がある。

当たり前だが組み合わせでどんどん効果が時々刻々と変わってるんだ。あるシステムを維持成長させるために必要な個々の要素のスキルとは何なのかではなく、

個々の要素の相互作用の部分に注目するのが新時代着眼点。つまり全体の情報の流れを考えないといけないということだ。

2014-08-29

http://anond.hatelabo.jp/20140829105923

「ぶあつい本」とかい表現を持ってくるところが馬鹿っぽいというか情緒派なんだろうなって感じ。横だけど。

宇宙真空でなかったら光があんな超長距離を伝搬できないだろうし、できるなら光とは相互作用しない何かが宇宙を満たしてるということになるけど、それは実際そうかもねって話はある。

あと通常の意味での空気とか原子宇宙を満たしてるんだとすると、重力で凝集しないのが説明できない。

2014-08-19

増田はてブを200くらい稼ぐ10方法

1. 流行の話題でかつ、誰もがなんか言えるような話題を選ぶ

都会と田舎とか、あちら側とこちら側とか、セックスとか失恋とか。誰もがなんか言えるというのがミソでブクマコメント付きのものが多くなる。

あと機能不全家族、毒親、病気家族の死、障害、精神疾患社会人愚痴、家庭の不和うんこあたりも鉄板だが、量も多いので良いエントリを書かないと埋もれる。強烈でかつ人に言いにくい実体験があればそれを素直に平易に淡々と書くのが良い。ただ、あまりにも文章が下手だと変なの呼び込んで自分が傷つくだけなのでやめたほうが良い


2. 初動に自信がない(つかみが弱いと感じる)なら、投稿時間帯は7時頃、12時頃、15時頃が狙い目

増田夕方以降、どうでもいいものもふくめて流量が多くなるので、良いエントリは流されてしまう。昼間は以外にPVはあるみたいだが流量は少ないので1ページ目に滞留しやすいようだ。しかも1~2ブクマつけばはてブトップページにも滞留する。ライバルエントリが少なくかつ、PVが多いというのははてブを稼ぐ基本であるしかしけっこう昼間にも会社員がみてんだなー俺もだけど

3.一フレーズくらい引用したくなる文を入れる

できなかったら、どっかから借りてきたのとか、流行ってる文句を改編するのとかでもいい。

この人は1と3の合わせ技であるが、うまい

4. 3が思いつかなかったら突っ込みたくなる間違いやあげつらいたくなる文言を追加する

釣り師がよくやるやつ。

1と4の合わせ技+タイトルが3にあてはまる

5.4もできなかったら、誰かをdisる

もうみんなdisってるようなのをdisるならよっぽど一言でうまくdisらないと駄目。え?それ?みたいなのを狙うのがたぶんよい。

6.TBが来たら内容によって応答する時間かえる

何いってんのかわかんない煽りが来たら即座に「黙れやハゲ」くらいやるといいかもしれない。

穏やかでもっともな内容のTBが来たら、流量が多くなる夜に返事をすると、TBツリーが伸びて多くの人の目に元エントリが触れやすくなる

7.当事者や詳しい人が言語化できないことを言語化する

わかってないひとは「なるほど」となるし、当事者は「そうそう」となるので比較的穏やかに無言はてブが成長する

言語化するときは出来る限り、カテゴリに分ける、時系列を箇条書きにする、などのライフハックエントリメソッド活用するとよい。


8.みんながよく知らない世間をにぎわすニュースエビデンス付きで客観的に書く

韓国の話が混じっているとなおよいが、はてな場合嫌韓はあまり人気がないのであくまでも客観的事実を書くことが大事。一番大事なのはエビデンス


語学力があると強い。なお上の二つは相互作用ブクマ数が増えた模様。ココらへんは完全に運。

9. もうなんでもいい。とにかく熱い

増田文学といえば文学なのだが、とにかく熱量があるエントリは好まれる。

日本人アメリカンドリーム的なあれがすきですよねという。

またファンが書いた熱量のすごいエントリ結構割合はてブを稼ぐ。

もうすこしタイトルを工夫すれば200くらいいけたかもしれないが、この人の場合、これでいいんだろうな。

10.とにかく文章うまい

増田文学ブクマが付かないなどとも言われますが…

2014-07-30

http://anond.hatelabo.jp/20140729181717

コメント欄にもあるけど劣化ではなく成熟だね。

ある一定以上の品質のものが出るけど

突き抜けたものがでにくいということなんだろうね。

ただ、90年代のほうがボリュームがあって

様々なチャレンジがあったのは間違いないと思う。


その理由は以下の通り。


1.団塊ジュニア生産年齢にたくさんいた。


団塊ジュニアは1970代生まれの人達だけど

90年代20-30代であり、どの時代においても同程度割合クリエーターになると

考えれば、今の倍程度のクリエーターがいたと思われる。

このため、純粋に良い作品が出てくる可能性は高い。


2.IT革命


文化の発展にはテクノロジーの発展が不可欠だと思う。

1990年代は劇的にPCの性能が向上して様々なことができるようになった。

特に庶民でも手に届く範囲PCを購入できるのはwindows95が大きいと思う。

それまではCUI一般人には敷居が高った。

(一応、GUIMacではあったが市民権を得られなかった。)


そして、PCの発達はインターネットの普及を促した。

サーバー性能の向上やストレージの劇的な改善など)

この年代を目の当たりにした人にとっては

2014年でここまで光ファイバーが普及することを

予想した人はいないと思う。


1、2の相互作用で様々なチャレンジが行われた結果が

1990年代の輝きだと思う。


なお1970年代懐古厨云々のコメントもあるけども

当然、団塊ジュニアよりも団塊の世代のほうが

人口ボリュームがあるため、1965-1975年あたりは

同様に文化的作品ボリュームは厚い。

さらに、ここは日本高度経済成長期だから

様々な文化欧米から流入したわけで

いろんな刺激があったのだと思う。

その結果、魅力的なものが作られたのだと思う。

(現代日本では、GDP10%も毎年増加するなんてとても想像できない!(笑)


2000年代を振り返ってみると

大きなイベントといえば、iphoneだと思う。

これによってインターネットがほぼすべての年齢まで広まった。

それこそ、おとなもこどもも、おねーさんもまでである


ただ生産人口の減少と上記の二つの爆発的な発展を

比較するとどうしても見劣りしてしまう。

仕方のないことなのだが…。


おそらく1970年代1990年代ほどの爆発は今後は難しいのだと思う。

それこそ新たな技術革新がないと厳しい。

ここまで高度化されてしまうとそんなものがあるのかと

思ってしまうのだが。


個人的には量子コンピューター電脳化と擬似世界くらいまで

はなんとか生きているうちに達成できるのではないかと期待してるのだがw

2014-04-23

http://anond.hatelabo.jp/20140423085359

おお、同意してくれるヒトがいてうれしい

想像もできないようなブレイクスルーがあれば話は別だが、そういうものに期待しないで中期的なプランを立てるなら。

あんまりオミクス的な方向に向かっても無駄だとおもう。情報の扱い方がさっぱり分かってないうちから情報集めをしようとしても神経構造のどういう側面に着目して情報を蓄積すればいいのかわからないし。allenのデータベースとか便利ではあるが。

もっと情報処理のprinciple的なモノを構造レベル神経活動レベルで探した方がいい。皮質内のつながり、皮質間のつながり、皮質内の神経同期や相互作用、皮質間の神経同期や情報リレー。皮質内や皮質間での情報のやり取りを丁寧に見ていく方がいい。interrogateするならoptogeneticsとかあるし、皮質間の投射関係みるならトレーサーもある。

今ある道具でできそうなことはまだある。っていうか誰かやってるだろうけど。

2014-04-09

オブジェクト指向 v.s. 関数型プログラミング

近年、関数型プログラミング重要はいろんなところで叫ばれています

Javaの最新バージョン関数型プログラミングに関する新機能が加わりました。

Rubyも昨今、関数型プログラミングへのサポートが手厚くなってきています

プログラミング教科書大手オライリーからJavascript関数型プログラミングを行うための解説書が発行されました。

関数型プログラミングへの注目度は高まってきています

おそらく、みなさんは既にオブジェクト指向が何か、を知っています

でも関数型プログラミングとは何か、胸を張って語れる人は、周りに見当たらないかと思います

実際、オブジェクト指向によってプログラミングする方法は、わかりやすい解説があちこちにある一方で、

関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、ということについての、よいまとめは見つけることはできませんでした。

この記事を読む方の中で、「関数型プログラミングを取り入れるか・取り入れないか」で切実に悩んでいる人は、おそらくいないでしょう。

この記事はあまりかいところに立ち入りません。関数型プログラミングを使う側の立場に立って、利点や向き・不向き、それが導くスタイルを書きました。

みなさんは鳥のように飛んで、高い空から関数型プログラミングとは何か、何が良いのか、を見渡してください。

ふたつのアプローチ比較

オブジェクト指向アプローチは、名前をつけてプログラムを整理する

関数型プログラミングアプローチは、汎用部品でなんとかする

オブジェクト指向アプローチ

Googleが近年リリースした言語、Goには、”継承”を直接サポートする仕組みが無いことが話題になりました。

また、Mac OSXの基幹ライブラリCore Foundationは、ライブラリ自体C言語で書かれているにもかかわらず、その設計方針は明確にオブジェクト指向です。

継承クラスは、オブジェクト指向必須条件ではありません。

オブジェクト指向本質とは、何でしょうか。

その本質とは"名前をつけて対象を識別し、それを扱うこと"、にあります

最もプリミティブなオブジェクト指向対象は、ファイルハンドラです。あるファイルを開いて、読み込んで、あるいは書き込んで、ファイルを閉じる。

これらの処理をまとめたら、わかりやすいですよね?

対象に関する処理を、対象の周りにまとめる。これがオブジェクト指向の基礎的な理念です。

識別することとイコール比較できることは、とても良く似ています

イコールによる比較は、オブジェクト指向では鬼門であることが知られています

PointクラスインスタンスとColoredPointクラスイコール演算をどう決めればいいかに、正解はありません(詳しくは"effective java"をご参照ください)。

また名前をつけて識別する対象は、フワフワしていてはいけません。

たとえば、"軍人階級"をオブジェクトにしたとしましょう。"大佐"クラスのある兵士名前フィールドや、性別フィールドを持っているでしょう。

ところで彼が昇格したときに何が起こるでしょうか。

新たに"少将"クラスインスタンスが作られます。"大佐"クラスを破棄する前に、名前性別、その他沢山のデータを引き継がなくてはいけません。フィールドを増やしたい場合はその都度コード修正を加える必要があります(*)。

なるべくイコール比較を避けたい。対象不安定なものはいけない。では何に名前をつけて、識別するか。そこにオブジェクト指向技術者の熟練度が現れるのです。

関数型プログラミングアプローチ

一方、関数型プログラミングでは、特定の何かに名前をつけるより、極力、汎用部品でなんとかしようとしま

さな関数を、集めて撚り合わせて、新しい関数を作る。

関数自体リストなどのデータ構造に詰めることもよく行われます

実は、関数型プログラミングというのは本質を表していません。

その真の名は、"値指向プログラミング"です。

関数をはじめとして、リスト・ツリーのようなコンテナ手続きを抽象化したもの、回路を抽象化したもの

あらゆる対象を値として、合成し、ときに分解し、新しい値を作ります

変数という概念必要ありません。

変数適用する処理を作りあげることが、とても簡単だからです。

四則演算定義されたデータを詰めたデータ構造もまた、四則演算可能だったり。

値をイコール比較することも、なんのそのです。

誤解を恐れずに言うと、オブジェクト指向トップダウンなのに対し、関数型プログラミングボトムアップです。

関数型プログラミングの利点

読みやすい・理解やす

関数型プログラミングサポートする言語には、沢山の汎用部品定義されています

このような構造インターフェイスとして、様々なライブラリが組まれているので、

たとえばモナドを知っていれば、30分程度でパーサー(解析機)を理解することができて、

パーサーを理解できれば、JSONパーサー・ XMLパーサー・markdownパーサー・C++パーサー ... などを理解するのはとても容易です。

理解やすいこと。これが関数型プログラミングの大きな利点です。

追記:

また、汎用部品と型のお陰で、ライブラリドキュメントが圧倒的にひきやすい、というメリットも有ります

Haskellな人がPythonにトライした結果 - Togetterまとめ

書きやす

関数型プログラミングは「厳密な事前設計必要とするため、簡単なことをやるのにも時間が掛かる」。

よく誤解されていますが、これはウソです。

スクラッチプログラムするのは、非常に手軽です。

>> map (*2) [1,2,3]
[2,4,6]

邪魔な”儀式”や、"おまじない"のコードが徹底的に撤廃されているためです。

関数型プログラミングコードは、潔癖かつ濃密です。

たとえばC言語でint hoge(int x,int y)が定義されているときhoge(3)はなんの意味も持ちませんが(コンパイルコケますが)、関数型プログラミングでは意味があり、実際に有用です。

上の例では、「掛け算をする」(*)関数は、二引数関数ですが、それに引数を渡して作られた「2を掛ける」関数(*2)は、一引数関数になります

関数型プログラミングでは、「簡単なことは簡単にでき、複雑なことは複雑にできる。ただし、間違ったことは殆どできないか、全くできない」。

多くのバグは、コンパイルエラーとして検出されます

また、静的型付けの力によって、コード補完は非常に強力になっていますインテリセンスの比ではないです。

たとえば、関数中のある表記の型を任意に表示できます(GHC/TypedHoles - HaskellWiki)。

やがてやってくる未来には、プログラムテキストエディタで書くことは時代遅れになっているでしょう。

統合環境サポートで、バグミスの少ない、スムーズプログラミングができます

そしてその環境で動くプログラミング言語は、関数型プログラミングサポートした言語なのです。

いつ関数型プログラミング

以下の様な兆候を感じたら、あなたはそのプログラム関数型プログラミングで書くべきです。

一般に、オブジェクト同士の相互作用が複雑になるほど、オブジェクト指向では手に負えなくなっていきます

そういうときは、オブジェクトを直接扱わず、替わりにその"相互作用"を扱うことで、複雑さを軽減するアプローチ有効です。

それこそが関数型プログラミングアプローチです。

オブジェクト指向の利点

初心者にとっては読みやすい・理解やす

特にオブジェクト指向有効なのはプログラミング初心者がそのコードをいじるかもしれないときです。

関数型プログラミングは、強固さと柔軟さの代償として、高い学習コストを伴います

そのため、初学者にとってはハードルが高いのです。

扱う対象があまり複雑でない時は、書きやす

オブジェクト間の相互作用が複雑でなく、着目している(名前をつけている)概念が安定しているとき

そして、プログラムをいじる人たちの間で共通理解が図れているならば、オブジェクト指向が有利です。

関数型プログラミングの得意分野はなにか

数値計算

遅延評価という機能によって、レガシー言語で扱えなかった、巨大な数を扱うことができます

分数を扱うことができます虚数もです。

関数型プログラミングで書かれたプログラムは、正確さが要求される、金融関連の業界で使われています

テキスト処理

手続きとしてパーサーを記述できるので、テキスト処理プログラムはより理解やすく、メンテナンスやすものになります

関数型プログラミングを知らない人は、「正規表現おk」と言いますが、

彼の書いた複雑な正規表現は、半年後には(書いた本人でさえ)理解できなくなっていることでしょう。

並行処理

手続き一般を扱うことができるので、途中で割り込みのある手続きの表現も容易です。

関数型プログラミングサポートしていない言語ではコルーチン(ファイバー)などをつかってなんとかするしかありません。

さもなくば、非並行処理では普通に関数として記述できるところを、並行処理のために、Builder,Strategy,Command,Interpreterパターンを駆使して書き直すことになります

Javascript使いの方は、Deferredなどの構造を使うでしょう(http://qiita.com/KDKTN/items/4c6986049d204f0645d8)。

C++使いの方はBoostで頑張りましょう。破滅的に解りにくいコンパイルエラーメッセージと格闘してください。

レシピ

もう少し簡単な例をあげます

あなたは、あるレシピにしたがって、自動的料理を行うマシン制御プログラムを書いているとしましょう。

料理レシピは、"手続き"ですよね?たとえば、カレー

1. まず玉ねぎを炒める。

2. 飴色になったら、肉を加えて炒める。

3. 野菜を加える。

4. 水を加えて煮る。

5. スパイスを加える。

しかあなたはこの手続きを関数として表現できるでしょうか。

…できませんよね?何故ならば、各ステップの"間に"、マシンのロボアームの位置や動きを調整する処理が必要からです。

これをオブジェクト指向でやろうとすると、各ステップ副作用として、それらの処理を行うことになります

そうすると、マシンが二機に増えた時などの変更量は、絶望的なものになります

あるいは関数として表現するのを諦め、手順全体をDSL記述できるようにします。

このアプローチ関数型プログラミング的です。しか関数型プログラミングサポートした言語の助けなしでは、そのDSL記述するために沢山のユーティリティコードを書かなくてはならないでしょう。

オブジェクト指向アプローチでこの問題をエレガントに解こうとすると、クラス化の粒度を上げる事になります

野菜クラスフライパンクラス、ボイルクラスフライクラス、焼き加減クラス、アームクラス野菜の大きさクラス、切り方クラス、焼き方クラス、"焦げたよ"クラスetc...

こうすると早晩レシピプログラムコードから消え去ることになります。上記のたった5行は、依存性注入のオブジェクトグラフを構築するコードに取って代わることになります。そこには沢山の挙動制御オプションとして付記されているのです。

カレーなど、ある種のレシピ限定することで、見た目の理解やすさを得ることができますが、一方それは表現力を損なうことを意味します。

C言語などではマクロを使うこともできますが、それは結局、関数型プログラミングアプローチ意味するところと同じになります。すなわち、補助のために沢山のコードを書くことになるでしょう。

GUI

iOSのAppstoreアプリは、"無料"と書かれたボタンを押すと、それが"インストール"ボタンに変わり、それをもう一度押すと、ダウンロードの進捗を表すインジケータに変わり、それを押すとダウンロードキャンセルできます

このように、位置は同じなのに、ステートに依って見た目と機能が変わるボタンは複雑です。

これをオブジェクト指向で実現しようとすると、

1. 三つの異なるボタンを同じ位置に置くか

2. 同じボタンが三つの異なる機能を持つか

という下らない問題にぶつかります

一方関数型では、"機能"、"見た目"、"状態"、を独立に扱って、それらを合成してボタンを作るので、迷うことはありません。

「同じ位置にあるUIオブジェクトは、コード上で(インスタンスとして)独立して、他から干渉を受けない」

この条件が満たされているうちは、オブジェクト指向GUIを実現することに無理はありません。

しかし、携帯端末のような小さい画面で、多くの機能を達成するためには、UI要素はコンテキスト依存的に複雑になりがちです。

近年、PCのディスプレイの大きさは、頭打ちになってきました。

画素数は増えているのですが、MacにおけるRetinaのように、複数ピクセルひとつドットを表すようになってきています

これは、ひとつの画面に置かれるボタンなどのUI要素の数は、これから先の未来で増えることはない、ということを意味します。

したがって、未来GUIプログラミングは、注意深く機能ピックアップして制限するというデザイナー努力を脇におけば、

関数型プログラミングの力を頼るしか無いでしょう。

はじめよう、関数型プログラミング

まり

Haskell さいこうなのおおおおおおおおおおおおおおおおおお!! おしっこ漏れちゃうのおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

1. google:すごいHaskellたのしく学ぼう を注文する。

2. Download Haskell自分のPCに導入する。

3. コンソールghciと入力して、対話コンソールを立ち上げる。

4. 次の関数コンソールに打ち込んで、結果を見る。即値で書かれているところとかをいろいろ変更してみて、感動する。

take 4 $ map (*2) [1..]

5. ステップ1で買った教科書を読んで、学ぶ。


追記:

いかがでしたか

ちまたには、関数型プログラミングの利点は変数が無いことだ、とか、より安全から、とか、より速いから、などという妄言が満ち溢れています

オブジェクト指向関数型プログラミングは、水と油ではありません。プログラマ自分プログラムに最適なアプローチを選ぶことができます

一般にはあまり知られていないことですが、Haskellにもオブジェクト指向へのサポートがあるんです(Lensライブラリ、これを使用したサードパーティライブラリ最近増えてきています)。

この記事を読んだオブジェクト指向プログラマあなたが、少しでも関数型プログラミングに(そしてHaskell)興味を持ってくださって、ホームセンター大人用オシメのコーナーが大賑わいになれば幸いです。。

2014-03-05

http://anond.hatelabo.jp/20140305222507

ロマンチストに考えたいところに、空気読まずにぶち込ませてもらうと

生物の死=細胞劣化相互作用じゃねえのか?機械だって劣化するだろ

死とか命とか、そんなもんに夢みすぎ

そんな暇あったら掃除洗濯でもしとけ

なぜ女は男に経済力を求めるのか

1. 膨大な労働力グローバル市場への参入(→海外低賃金労働への代替

2. 世界的な教育水準の上昇(→新興国への生産移転が容易に)

3. 女の労働市場への参入(主にサービス業

4. 製造業就業者を減少させる技術進歩(→経済サービス化)

5. 財政悪化有効経済雇用対策が打たれない

6. 中高年を守るバイアスの強い雇用制度社会保障制度

7. これらの要因が相互作用した結果、若者特に男)の"decent work"の減少・貧困化が進んでいます日本でも、失業率悪化は男の方が顕著です(上のグラフ参照)。

 

女に対する男の所得相対的減少は、結婚パートナーシップ形成)の阻害要因として働きます。女は結婚相手に「自分より上」を求める傾向があるためです(marrying up)。男女平等が進んだ北欧でも、女は男に大黒柱であることを期待します。

http://totb.hatenablog.com/entry/2014/03/05/070529

 

なぜ女は男に経済力を求めるのか。

答えはただ一つ、妊娠出産授乳時に収入が途絶えることが恐ろしいからである

まり妊娠出産授乳時の収入政府保証し、産前と待遇の変わらない復職が可能になれば、女が男に経済的上昇婚を求めることは無くなる。

 

ここでは"女は結婚相手に「自分より上」を求める傾向がある"と書かれているが、男は女に「自分より上」を何も求めないのだろうか。

それは違う。男は女に経済力を求められる代わりに、結婚相手に「自分より上の容姿」を求める傾向がある。

妊娠出産授乳が女にしか出来ないという生物学的不平等の結果、男と女はカネとカオの交換を行うようになったのだ。

妊娠出産授乳時の収入政府保証すれば、女は男に経済的上昇婚を求めなくなる代わりに、男の容姿への妥協を以前よりもしなくなるだろう。

美しい女は美しい男を選び、並の容姿の女は並の容姿の男を選ぶようになる。

2014-01-27

http://anond.hatelabo.jp/20140127175006

いやそんなもん俺だって理解してないけど。

でも「進化のために繁殖する」とか「強い遺伝子が生き残る」みたいな子供妄想みたいな単純な話ではないということは容易に想像できる。

統計力学では協同現象という物理が広く存在するけど、これは局所的な相互作用だけで全体的に協調的な動きをすることがあるということ。

鳥や魚の群れが一斉に同じ方向に動いたりするのを見ると、「単純な進化論」的な思考だと何か全体の意思があると思ったりするんだろうけど、

もちろんそんなものはなくて、単に各個体自分の近くの個体の動きに機械的に合わせてるだけ。

非線形力学系ではリミットサイクルというもんが存在して、あたかも何か意味ありげ構造的な運動が現れたりするけど、これも別にそれ自体

深淵意味があるというより、運動方程式非線形性がたまたまそういう形を成しただけで、違う形のリミットサイクルが(見えないだけで)

無数に存在したりする。

極端に単純化した物理モデルでもそれだけ複雑な構造が起こるわけで、不確実性が比べ物にならないほど大きくて複雑な生物システムでは何が起こるか

なんてどう考えても単純に言い表せるものではないだろうし、「進化」とか「強さ」とか分かったような顔して語れるものでは絶対に無いだろう。

非線形っつーもんはそのくらい致命的に複雑。人類非線形についてはまだほとんど何も知らないと言っていい。

2014-01-17

http://anond.hatelabo.jp/20140116013407

モデルで発生するイベントが多く、複雑になるほど、ビューとの関連は密になる。

ここの所は、今回の例ではいまいち見えづらい気がする。今回の例で複雑になっているのはモデルだけである。ビューがやる事は、「納刀する」「変色した血が飛び散る」イベントをlistenして画面に描画するだけのはず。MVCイベント機構は、モデル→ビューとコントロールモデルメッセージ通知を行うためのもので、モデル同士の通信についてはノータッチモデル内での相互作用に、単なるメソッド呼び出しを超えたあれこれが必要なら、DSLを作るなり自前でイベント機構を作るなり好きにして下さい、というスタンスかなあと思われ。

といってもQtsignal/slotなんかはモデル同士の通信にも使えるわけで、そういう意味最近GUIエンジンMVCの範囲を超えつつある。具体的に「Controllerから入力Modelの自発的な状態遷移も、同じイベント機構で扱いましょう」というのはMOVEの考え方に非常に近い。

http://blog.neo.jp/dnblog/index.php?module=Blog&action=Entry&blog=pg&entry=3442&rand=9193a

MOVEの考え方からいえば、モデルの責務が吸い出されて単なるデータになってしまうのは、むしろコンセプト通りであるとも言える。

なお、単純な例を超えてRPGの実装を自分が考えるなら、オブジェクト指向設計としては攻撃方法型や特殊作用型(毒とか呪いとか)同士の相互作用を主眼に置いた感じになって、モンスター勇者は単なるデータに近付いていくだろうなあ、と予想してみる。組んでみないと分からない事もあるだろうけれども。

2013-11-28

遺伝的アルゴリズム全然いい解を出さないところでも見せてやれば、「進化で強い個体が生き残る!」とか「究極の生物を目指して進化している!」とかい妄想を語るアホは黙るだろうか。

局所的な相互作用が全体のダイナミクスにそれなりに伝搬する、というところが非直感的で理解できないんだろうな。だから「初めから全体のダイナミクス意味存在する」とか言い出す。

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