はてなキーワード: 相互作用とは
横からの補足:セイヨウオトギリソウは他の薬と相互作用があることもあるので
こういう馬鹿が山本太郎みたいなののもと、もしくはその信者になるんだろう。
キモイな。
暗黒物質ってのは宇宙の現象考えると明らかに質量的に足りないから何かあるんだろうな、って話で、
防ぐ、防がない、じゃなくて、すでにそこら辺にいくらでもあるわけ。体をいくらでも通過してるわけ。
結局あっても分からない。
ヒッグスのように、実は根本的な影響を与えてる物もあるが、重力を担ってる重力子だって見つかってないし、
それらが見つかったところで日常がどうこう変わるわけじゃない。それらを操作できるようになれば別だが、それは今のところどう考えても無理。
元素がその昔使われてた意味の「元素」ならいいが、放射線も暗黒物質も水素とかの元素も全部混同してるだろ?
何でも貫きまくる新型の放射線
だから、何でも貫きまくるんなら何の影響もないんだから別に脅威でもなんでもないだろ。
「指摘し合って」?「相互作用で向上」?
こちらは確かに持っている?のかな?ぐらいだった場合だよ。
・
あえて似たような形でやって相手怒らせたら、そりゃやった方が100%悪い。
討議デモクラシーの挑戦 ―― ミニ・パブリックスが拓く新しい政治 ――
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
みんなの心は絶対に一つにできない(アローの不可能性定理) - YouTube
政府の規制や補助金はなぜ醜悪なのか? ―レントシーキングの罠―
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
現代社会に生きる私たちは,政治・経済分野に多くの知識と理解を求められます.
ところが,自発的にわざわざ時間を割いて,これらの事柄を勉強しても,選挙で行使出来るのは一票にしかならず,中身よりも知名度の高い候補が当選します.
これでは,せっかく休みの時間を政治経済の勉強に使う意味がない,ミシュランのガイドブックでおいしいレストランを探すことに時間を使う方が合理的だと考えて,難しい勉強はやめて無知であることを選択します.
古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星と惑星が、万有引力で相互作用し合う場合の惑星運行の問題が挙げられる。太陽と地球のような二体問題は厳密に解けるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解析的に解くことはできないとされる(限定された条件(制限三体問題など)では解が存在する)。
弘前大、一般相対論における三体問題の直線解の解析解を導出 | スラド サイエンス
連想ゲーム〜選挙〜不可能性定理〜三体問題 - 愛唱会きらくジャーナル - Yahoo!ブログ
周囲の影響は当然あるでしょ。当たり前。
「理想の人生」としてパッケージ化されて入力されるものではなく、
外界とニューラルネットと不確実性の相互作用によって出来上がるものだ、ということ。
「育てる」ことにあまり興味がないのは確か。教えるのは割と得意だけど。
さっきのサイトにも書いてある通り、相互作用や不確実性のきっかけを与え、成長そのものは自己組織化に任せるべきだと思っている。
育成ゲームのような不確実性やループ・フィードバックの無いシステムには全くリアリティを感じない。
非線形を理解していれば、「育てたように育つ」または「育てたいように育てる方法が存在する」という発想には普通ならんと思う。
4000*3000くらいの画像を50fpsくらいで記録しようとすると36MB*50fps = 1.8GB/sでストレージ容量もバスの転送速度もCPU/GPU速度もメモリも全然たりねー
その画像をステレオペアにしてリアルタイムでステレオマッチングしてデプス推定とかしたいけど全然できない。
分子構造とか結晶構造とかのシミュレーションしようとしても現状じゃ数十程度の原子数が限界でしょ。数桁足りない。
計算センター1個分くらいの処理は本当は手元で手軽にやりたい。地震発生確率をシミュレートして保険料を算出することすら現状ではまともにできない。
厳密な流体計算による航空機翼形状の多目的最適化だって全然解けない。
リアルタイムでハリウッド映画レベルのレンダリングは全然できないし、AIで相互作用と意思決定アルゴリズムを入れたキャラクターとの両立もできない。
Googleは考えてると思うけど、そのうち世界中に自動運転ビークルをばら撒いてリアルタイム3次元テクスチャつきグーグルアースとかやりたいわけ。全然できないけど。
GWに仕事の話もなんだが今俺の周りで最もホットな話題なので。
仕事が苦手な人は大抵周りを意識していない、全体が見えていない、先見性がない、とはよく言われることだ。
つまり、目先の仕事内容にばかり意識が行き過ぎて、プロジェクト全体のこと、社内の現在の状況のことがまるで見えていない。
しかし、それは慣れの問題も大きく、社会人何年目になると随分全体のことを見渡せるようになるものだ。
そうすると、今度は自分が見えていないという問題がはっきりと見えてくる。
つまり、目先の仕事は意識できていて全体への意識もできているが、自分自身のことが実は意識できていないことに気付く。
具体的には、仕事をしている自分の疲労度、モチベーション、アイデアについて自覚的ではないことに気付く。
ここに気付かない人も多いが、優秀な人はたいてい気付く。
この自分への意識は、全体への意識とも繋がっていて、自分をより意識できるほど全体も意識しやすくなり、全体を意識できるほど自分も意識できるという相互作用がある。
よって、最初にある程度全体への意識ができるようになったら、自分への意識と全体への意識は並行して育てていくものと考えたほうがよい。
ここまでまとめると、次の3つの意識が仕事をする上で課題となるのだ。
2.全体への意識:プロジェクト全体、1年全体、会社全体、社会全体といった広い状況への意識
3.自分への意識:自分のコンディション、気持ち、考えについての意識
このうち全体への意識は、ゆっくりした時間に全体を見渡すこと、仕事に慣れることでしか成長しなくて、
仕事中に全体を意識しようと思ってそう簡単に育つものではない。
となると、仕事中に意識すべきなのは、1と3。つまり、仕事の対象と自分を意識することである。
よくシングルタスクのススメという文脈で、目の前の仕事にだけ集中しなさいと言われるが、その方法は全体に余計な意識を割かない意味では正しい。
しかし、目の前の仕事にだけ集中していては自分自身のことが見えない。
その結果、悪化しているコンディション、低下しているモチベーションに気付かずに深刻化したり、
せっかく浮かんできた面白いアイデアを手放してしまったりするハメになる。
そこでお勧めしたいのは、目の前の仕事と自分自身を意識する仕事を融合させて1つの仕事と捉えることである。
コミュニケーションというのは大海原でひとり鳴く鯨の音波のようなものだ。
鯨の発する音波は水中に伝達していき、ときとして他の鯨もそれを聞くことはできるかもしれない。しかしかれらの声は意思疎通の道具ではなく、その反響によって深度や障害物を見きわめるための、いわば引き伸ばされた感覚器官としてはたらいている。固有の世界が先立って発音しているのではなく、世界をつくり上げ、認識し、遊泳する環境と相互作用することの条件として発音される。
人間も同じだ。発話や身振り、応答可能性へのとりくみはつねに独我論的になされる。自分の応答がそれとして受け取られることを確信することはできないし、相手の応答をそれとして受け止めることもまたできないかもしれない。この意味で、応答とは単なる他者への返事や返書ではありえない。応答とは声を聞くことだ。それも声をひとつの感覚として、身振りそれ自体を神経の張りめぐらされた器官に仕立て上げることだ。そして、ただの残響ではなく、強度のあるはね返り、歪められ変形させられた反射音を予期しながら声を発するとき、人は楔を打ちこむかのように初めて外部との関係に独自の世界を打ちたてる。ただひとりの海をかき分けるようにして応答はなされる。
残念なソフトウェア開発の現場は、沈みかけの巨大な船に乗った航海に似ている。
船底の穴からの浸水を必死でかき出しながら、どうにか進んで行く。そういう航海だ。
ある穴を塞ごうと船底に板を打ち付けたら、
船の構造はあまりに複雑で、膨大な部品の間にどんな依存関係や相互作用があるのか、
誰も完全には把握していない。
それは、はるか昔に組み立てられた太古の船で、
構造把握の手掛かりは、代々伝わる不十分で不正確な古文書だけなのだ。
新任の船員は、出た水に対してとにかく手当たり次第に対処した。
どんな物でも使い、徹夜で穴を塞いで回った。
ひたすら大きな声で号令を出し、
いかに早く穴を塞ぐかが、船員の間で競われた。
何人もの船員が過労と心労で倒れ、
船員たちが経験を積むうちに、浸水するのは船室の新しく手を加えた部分だと分かり始めた。
そこで彼らは、改装作業を終えた時のチェックリストを用意する事にした。
穴を空けたままにしてしまう事は無くなるだろう。
それが船底だったら・機関室だったら・客室だったら・甲板だったら・竜骨沿いだったら・板だったら・柱だったら・ドアだったら・蝶番だったら・ドアノブだったら……。
(不思議な事だが、ドアノブを直しても浸水する事がこの船にはあった。事例が少なくて原因は良く分かっていない)
チェックリストの長さは、すぐに人が把握できる数を超えた。
複雑な船に対するチェックリストはそれ自体複雑になってしまったのだ。
船員達はやがて、修正する部品を仮組みして水槽でテストするようになった。
事前に水漏れが無いかをテストしてから実際に船に取り付ければ、
それでも、浸水はなかなか減らなかった。
水圧や比重やその他もろもろの条件が大きく違った。
また、既存の部品と新しい部品とを取り付ける境界部分そのものについては、
やはり実際に取り付けてみないと分からない部分も多かった。
それに対する事前のテストも、天候や波の高さ・潮の流れなど、
誰にも分からなかった。
ある時、水平線上に別の真新しい船が見えた。
それは黒い小ぶりの船で、いかにも俊敏で頑丈そうな船だった。
その黒船は悠々と航海を続けているように見えた。
しかし、他の船員の一団は、
あの船は小さくて目新しいから、華やかで順調そうに見えるだけで、
俺たちのような信頼と伝統のある大型船舶とは違う、ヨット遊びみたいなものだ。
と、その船の小ささを馬鹿にしてみせた。
ある船員はその船の特徴的なマストの形状を真似て、
しかし、船は俊敏にも堅牢にもならず、新たな浸水しか生まなかった。
それで結局、この船には今のやり方しか無いのだ、
その船員は、船に乗る前の学生時代から、小さなヨット作りに熱中していた。
最新の材料と設計技法を駆使した小さなヨットを自分で組み立て、海に浮かべて楽しんでいた。
自分のヨットが有名なヨット雑誌に掲載されたこともあり、それが今でも誇りだった。
そんな彼が、今では大型船舶の穴埋めに奔走していた。
ああなっていれば……こうなっていれば……そんな仮定が頭の中を何度もよぎった。
それでも彼は忠実に、言われるがまま、浸水を塞いで回った。
ある時彼は、比較的大きな船室の改修を任された。
久しぶりの新しい仕事に彼は熱中し、
「このアタッチメントはなんだ?」
それに、今後また改修があった場合、
「こんなアタッチメントなんて見たこと無い。
他と同じように作り直せ。
それにこの部分の文言はなんだ?」
「そんなの他の誰が読んでも分からないだろう。
これを見た客にも、何で今までと違うのか説明できない。
何でちゃんと今までと同じように作らないんだ?」
謙虚な彼は、ただうな垂れて、言われるがまま指示に従った。
彼は善良な人間だったので、自分のこだわりのために無闇に人と衝突するよりも、
彼はそうやって、日々の仕事とどうにか折り合いを付けて、
船員稼業を続けていった。
大きな衝突も無く、仕事も手早かったため、
他の船員達からは頼りにされた。
ただ、週に一度の飲み会や船を挙げてのパーティーでは気後れを感じ、
船の模型を作っていたくなった。
「皆さんの頑張りで今この船が航海できています。今日はこの場の皆さんに感謝を込めて、乾杯!」
船底では、今も浸水を塞いでいる船員がいるのだ。
善良な彼も、つい冷笑を浮かべてしまった。
ある時、黒船が大きく進路を変えた。
目を見張るような素早い転換だった。
「今すぐ黒船を追って進路を変えろ」
何でも、新しい大陸が見つかって、そこにたどり着ければ一攫千金だと言う。
「何が何でもすぐやれ。黒船に先を越されるぞ」
船員達は口々に、それは無理だと言った。
まず、ただでさえ浸水箇所が多くて、それを塞がないといけない。
進路を変えると負荷が掛かる部分が変わって、新しい浸水が無数に起こるだろう。
それを作って水槽でテストして長いチェックリストで確認して……とにかく無理がある。
無理な進路転換とその影響で、新しい無数の浸水が生じた。
浸水が生じるとその原因を追究してチェックリストやテストに反映する決まりになっていた。
するとチェックやテストは消化不良になり、
浸水も見落としや誤魔化しが増え、
それがまたチェックやテストを難しくするという、悪循環となった。
船員の誰もが「これは無理だ」と感じていた。
船長はただ大きな声で怒鳴っていた。
どこかで勘付いていた。
隣の船員が水葬に伏されるのを見送りながら、明日は我が身だと思った。
ある時、船室に大きな音が走った。
何かが裂ける音と、それに続く悲鳴のような音が船中に響いた。
船は船底から二つに裂けていた。
無理な進路転換のせいで、船体に大きな負荷が掛かったのだ。
もはや誰にも沈没を止められなかった。
あらかじめ確保してあった専用の救命ボートでいち早く脱出していた。
しかし、一般船員向けの救命艇は不十分で、何よりそこに行き着く道も複雑で、よく把握できなかった。
多くの船員は、船と運命を共にした。
静かな海で、上司の怒号が聞こえないのが、ひどく幸福に思えた。
海のはるか向こうでは、黒船が滑るように新大陸を目指して進んでいた。
僕はあの黒船を知っている、と彼は思った。
僕は知っている。あの船がどんな構造を持っていて、
僕はそれをずっと夢見ていたし、自分のヨット模型でも試してみたことがある。
僕はあの船のことをよく知っている。
ただ、この沈んだ船では、その知識が生かせなかった。
それは何故なんだろう。
自分と同じように海を漂っているのが見えた。
彼は、パーティーの時と同じように冷笑を浮かべた。
それは真っ当なことなんだ。
あのままボロ船が航海を続けてしまった方が、
そこで目覚しい成果を挙げるだろう。
船が好きで、船に憧れて、この職業に就いたのでは?
それは間違った事なのか? 船が好きなのに?
疑問は尽きなかったが、冷たい海水がゆっくりと彼を殺していった。
その優雅な姿をまぶたの裏に止めたまま、
船乗りの夢を見ながら、彼は死んでいった。
様式の違いとテーマ性の大雑把さだな。
古典になればなるほど、テーマがある作品じゃなくて、この世のありとあらゆることを詰め込もうとしてる作品を目指してる。
聖書やイリアスくらい、口伝が入り混じったような古い話だと、テーマもつかめなければ様式も無茶苦茶。
「起」、「承」、「転」、「結」でなはくて、つらつらと始まり、説明がなくなにかがはじまり、延々と詩歌が続き、盛り上がり続け、盛り下がり続け、突然おしまい。
記録と文学の境が曖昧。伝説と事実がまぜこぜだし、詩吟の要素まで含んでいてカオス。
紀元後になってくると、さすがに散文と詩が区別されて、科学の視点も含まれてきて書いてる人の頭の中で整理してから書き始めてるのがわかる。
っていっても、それは当時書かれた文章の中のごく一部で、大半はカオスで謎の文章だったんだと思う。
つい100年くらいまえの手紙とかでも、わけわかんない文章あるじゃん。
識字率が低くて、ほとんど代筆屋に書かせてたんだろうし、口語と文章の違いについて考えなかったんだろうな。
で、洋の東西ほぼ同時に、様式美の整理がAD200~800くらいか?
現代に生きる俺らからすると、「様式美うんぬんよりまずテーマだろ」って思うんだけど、ただ様式美をなぞるだけとか、逆にこの世の全てを一つの作品に落とし込もうとする無謀なことを20世紀初頭くらいまでやったりしてる。
でもあれか、恋愛小説もミステリーもラノベも、テーマなんかないな。
多少パラメータとスキームを変えて、同じ様式をなぞるだけだしな。
西洋はルネッサンス以降、中国は明代以降に書かれてれば、様式もよくしった形、テーマも設定されてるし、エンターテイメント性もバッチリ。
風刺目的だったりするわけで、権力者に楯突く手段としての文学ってことでなんか気合が違うわな。
19世紀、国家間の相互作用や社会変革が目まぐるしくなったせいかな?
この時代はまた世界の全てを一つの作品に落とし込もうとする無謀なことばかりやってた気がする。
でも頭冷やしてストーリーを整理してみると、ただの不倫の話じゃね?っという。
"モノガタリ"としての完成度は19世紀末から20世紀初頭が一番だったんじゃないだろうか。
20世紀以降は、既に固まった様式美から脱皮しようとする動きで、後退したり前進したり、多方向に向かってるけど、一つのピークは19世紀末だと思う。
>医薬品の取り扱い(ハンドリング)とは、保存と運搬と秤量と混合と包装である。
間違い。
小さい病棟なら存在自体知らないかもしれないが、大学病院など大きい病棟では「院内製剤」と呼ばれる医薬品の合成、有機化学反応を行っている。その際、有機化学の知識、実験の手技が必要となる。勿論現場での研修は入るだろうが下地となる化学の知識が当然必要となる。この知識は当学部のカリキュラムでは座学のみで30単位以上必要であり、更に実験の手技となると上乗せしないといけない。
とあるが、医師の彼らはカラムクロマトグラフィー等の有機化学実験が出来るのであろうか。
>医師の薬理学関係の知識をいくぶん増やし、~、添付文書や業界雑誌や文献を読むだけなのだから、医師でもできる。
多忙な医師は「添付文書や業界雑誌や文献を読」んだり、「薬理学関係の知識をいくぶん増や」そうとしない。
もっともこれは、薬剤師の有無とは異なり心がけてほしいものであるが。
出来るだろうが、「病棟薬剤師を専従で配置すると、最低でも、毎年、500万円」以上のコストが必要となるだろう。単純なアルゴリズムで明らかに過剰量の投与は弾くことが出来るだろうが、薬の飲み合わせによる薬物相互作用等、処方に関して判断材料となる情報は多岐に渡る。
また、そのハードルをクリアしたとしても、医療情報の進歩性という問題もある。医療情報は日々進歩しており、一か月前に使えた薬が新しい見解により使えなくなった、同成分だが新しい剤形の薬剤が発売された、ということも頻繁にある。その際、勿論薬剤のデータベースのアップデートが必要であろうが、前半の多岐に渡る情報(最低、相互作用で繋がっている全薬剤)も同時に矛盾が生じなくなるよう判断・調節しなくてはいけない。恐らくコストは年間500万は軽く突破すると思われる。
私もヒューマンエラーが無くなるためコンピュータを用いた処方箋のチェックには大賛成だが、システムの構築・維持のために国の援助が必要になるだろう。
>薬剤師国家試験受験資格を全国民に開放し、国家試験合格者に、半年か1年程度の実務実習を公費で提供することを提案する。
開放はいいかもしれないが、現在でも薬剤師資格の取得には独学では少々厳しすぎる量の勉学が必要である。
薬科専門課程は残しておくのが妥当であろう。但し、従来の四年制で十分である。
そのことが
>教育費用が安くなれば、資格取得コストが低下するため、競争率は高まり、薬剤師の質は向上する。
に繋がるだろう。
規範意識を変容させる集団
これまで、「宗教的経験」、「恐怖心の喚起」について述べさせていただきました。次に、これらを基礎とする思想に沿うように個人の規範意識を変容させ、常識から逸脱した思考や行動をさせる集団の作用について補足致します。
オウムにおいては、集団の作用によって、教団の規範に客観的現実性が付与され、さらに、信徒の規範意識が変容したと思われます。
オウムの信徒の多くは、教義どおりの宗教的経験をしていました。そのため、次のように、宗教的経験そのものの「個人性現実性」に「社会的現実性」も加わり、信徒は個人的な非現実的宗教経験を客観的現実であるかのように認識していました。
現実性とは、当該の所信の内容が客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度であり、個人的現実性とは社会的現実性の二つを仮定する。個人的現実性とは、当該の所信の内容が直接知覚や論理的推論といった個人的経験を通して客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度である。社会的現実性とは、当該の所信の内容が他者の経験や他者によって合意されているといった間接的経験を通して客観的現実としてあたかも存在しているような感覚の程度である。
そして、オウムにおいては、信徒たちが客観的現実として認識していた宗教的経験を根拠とする行動規範が定められていました。ですから、信徒にとっては、その規範も現実的だったのです。
たとえば、殺人を救済、すなわち「善」とする規範は、前述(本文三十一頁)のように、輪廻転生、麻原の救済能力、および現代人の苦界への転生などに係わる宗教的経験に基づいていました。一般的な社会通念は「命は地球より重い」ということですが、それが「この世の一生限りの命」などの日常的経験に基づいているのと同様です。
ところがオウムでは、日常的経験のほうは、宗教的経験によって幻影とみなされ、無意味化されていました。そのために、宗教的経験に基づく行動規範が一般社会のものに取って代わっていたのです。
実際、信徒は教団独特の規範に従い、麻原の指示であれば殺人まで犯しました。信徒の見地からは、教義の世界が幻覚的経験によって現実として知覚され、加えて、周囲の人たちもその世界観に合致した思考や行動をしていたため、教団の規範も現実的に映っていたのです。つまり、教団内では教義そのものの世界が実現しており、信徒はその中に没入している状態でした。
以上のように、オウムにおいては、信徒の規範意識が教団で通用しているものに変容し、信徒は常識から逸脱した思考・行動をしました。集団のこのような作用について、次のことがいわれています。
そもそも人はいろんな信念を抱いている。その中には善悪の規範基準になる信念も含まれる。これらの信念は親、教師、友人、知人、などと相互作用を行いながら獲得され、社会的な共通性ができあがっている。しかし形成された信念がどうして「良い」とか「悪い」といえるかの判断基準は、所属する社会における暗黙の価値観に左右されるものであり、個人が所属意識をもって参照する社会集団によって左右される。
(西田公昭 静岡県立大学大学院准教授作成の広瀬健一に関する「意見書」)
カリスマグループでは、集団凝縮力(全員を集団に従事させ続ける影響力)、共有信念、変容意識、行為の基準、およびリーダーの魅力の影響は、公然の強制がなくても、行動の服従を強い、感情を変化させる作用をする。
バイオンやエズリエルのような集団心理の理論家は、個々の構成員の意志にかかわらず、避けられない問題が集団においては現れることを指摘してきた。不可解な個人の行動を彼らは説明するが、それは依存的傾向や闘争―逃避パターンのような、集団につきもののテーマの現われかもしれない。この点については、集団が構成員をあたかも一つの集合体に変えるようなものである。
そのほか、カリスマグループの規範が、全員の本能的要求の表出や行動を統制することが報告されています。(本文四十三から四十四頁の引用)。
以上のように、集団には個人の規範意識を規定する作用があるとされています。したがって、集団に係わる場合、それが全員の規範意識を一般社会のものと異なるように変容させないか確認すべきだと思います。
まず、集団の全員が共有する「ビリーフ」が適切に合理化されている必要があるでしょう。たとえば宗教では、教典自体には非現実的な表現が見られることがまれではありません。しかし通常は、そのような表現は、信仰と日常生活の間に摩擦が生じないように、合理的に解釈されています。集団の全員と会話をしたときに、なぜその人の「ビリーフ」が形成されたのか理解に苦しむ場面があるならば、その集団は「ビリーフ」の合理化がされておらず、全員の価値観や規範意識を不適切に変容させる可能性があります。
項目の選択に偏りがあるかもしれませんが、次の点の確認も必要でしょう。
○指導者や教えへの服従がないか
その服従が、たとえば宗教上の指導におけることのように、範囲が限定されているように見えても要注意です。実質的には、それが生活全般に及んでいることがあります。いかなる状況においても、全員個人の判断が尊重されている必要があります。また、教えに疑念を抱くことや脱会が制限される場合は問題です。
○過度に厳しい規制がないか
思考や行動に関する道徳的規則が、社会通念と比較して過度に厳しい場合は、一般社会における生活がしにくくなります。その結果、社会からの離脱が促進されることもあります。また、規制違反に対して、過度の恐怖が喚起される場合は問題です。
○自己を否定されないか
自己を否定されると、指導者に服従する結果になります。オウムにおいては、信徒は煩悩を有している。(本文二十頁)ために正しい判断ができず、それが可能なのは最終解脱者である麻原だけだとされていました。
そして、それは私にとって、体験的にも事実と思われました。私は自身が悪業(カルマ)で汚れていること、また、麻原だけがそれを浄化できることを感じていたからです。(本文二十八頁)。
結局私は、それまでの人生が煩悩や悪業を増大させるだけのものだったことを認めざるを得ず、自身の経験や知識を信頼できなくなりました。これは、私が愚かにも麻原に従った原因の一つです。
○会員が一般社会から離れ、集団生活に入る傾向がないか。
一般社会を非合理的に否定する教えを説き(本文二十七頁)、全員をそれから離し、集団生活に誘導する集団は問題です。全員の価値観や規範意識は相当程度変容していると考えられます。集団生活に入った後は、さらに規範意識の変容が深まり、違法行為に及ぶ可能性もあります。
次の内容は、麻原が信徒に出家を訴えていた昭和六十三年十一月(本文二十七から二十九頁)の彼の指示です。「人材をぬきとる」など、人材を集める強い意志が感じられます。これは教団の大師(解説・悟りを認められた高弟)のメモで、一般信徒には明らかにされていませんでした。
六十三年一一月五日は黙示録の予言を麻原が七つの予言その後世界戦争、二〇〇〇年まであろ一二年しかない
滅亡の日の出版しろと
一五日、オウムの方向性…旧約聖書によるとオウムの時間はあと七年、石油になってハルマゲドン、ソ、米、日本、世界大戦
デザイン編集がプロパガンダマシンに完璧に成りきること(人材を経済力のためでもある)
一、新信徒の獲得
八、大師(一人で二~三億)が五〇〇〇人
九、建築班一〇〇〇人
一〇、七年後大師だけで一四五〇〇億
なお、右のように、麻原は理系の人材の獲得を重視していますが、それは当時既に、科学技術を用いた大量殺人である「ヴァジラヤーナの救済」を意図していたためと思われます。実際、昭和六三年十月二十八日、麻原は出家者に対して次の説法をしていますが―在家信徒がこの説法を聞くことは禁じられていました―、「ヴァジラヤーナの救済」を宣言した説法(本文三十二から三十三頁)においても、「残すべき者以外はポアする」旨説いていました。
近ごろ私は心が少しずつ変わってきている。動物化した、あるいは餓鬼化した、あるいは地獄化したこの人間社会というものの救済は不可能なのかもしれないなと。新しい種、つまり、今の人間よりも霊性のずっと高い種、これを残すことが私の役割かもしれないなと。
【vol.6「まとめ」】へ続く。
小選挙区の死票半端ない 自民2500万票222議席 民主1100万票38議席 共産700万票1議席©2ch.net
小選挙区制の魅力 有権者2割の投票で8割が自民党議席に©2ch.net
今回総選挙の自民党の絶対得票率は、比例代表選挙で16・99%、 小選挙区で24・49%に過ぎない!
一選挙区から一人しか当選しない小選挙区制を採用している場合には、特定の政党に投票する傾向の強い地区を分割し、相対的に多数が別の政党に投票する傾向のある選挙区に吸収させることで、特定の投票を無効化することができる。
共和党のジョージ・W・ブッシュが、民主党の現職副大統領アル・ゴアを破って当選した。
獲得選挙人 271
得票数 5045万人
得票率 47.9%
獲得選挙人 266
得票数 5099万人
得票率 48.4%
Amazon.co.jp: 選挙のパラドクス―なぜあの人が選ばれるのか?: ウィリアム パウンドストーン, 篠儀直子: 本
「合理的無知=コストパフォーマンス的に、政治の勉強に膨大な時間を費やすより、適当に暮らしてた方が合理的。」
151 :名無しさん@12周年 : 2012/03/18(日) 21:15:38.52 ID:q4JH9ZwT0
>>127
どちらも同じ芸能人になったりするように
全く合理的ではない
多数論証
88% の人々が UFO を信じているのだから、UFO は実在する。
古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星と惑星が、万有引力で相互作用し合う場合の惑星運行の問題が挙げられる。太陽と地球のような二体問題は厳密に解けるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解析的に解くことはできないとされる(限定された条件(制限三体問題など)では解が存在する)。
弘前大、一般相対論における三体問題の直線解の解析解を導出 | スラド サイエンス
連想ゲーム〜選挙〜不可能性定理〜三体問題 - 愛唱会きらくジャーナル - Yahoo!ブログ
コンピュータにおいて、制御を行う要素の数が1個の場合、2個の場合に比べて3個以上の場合で複雑さは段違いに異なる。
三人いる所で言ったり、したりしたことは、秘密にはできない
私たちは「一日に平均二回」の嘘をつく(ヴァージニア大学調べ)
古典的な多体問題としては、太陽系のような恒星と惑星が、万有引力で相互作用し合う場合の惑星運行の問題が挙げられる。太陽と地球のような二体問題は厳密に解けるが、例えば月の運動も考える一般の三体問題以上になると解析的に解くことはできないとされる(限定された条件(制限三体問題など)では解が存在する)。
弘前大、一般相対論における三体問題の直線解の解析解を導出 | スラッシュドット・ジャパン サイエンス
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