責任もてないからあまりなんともいえないけど、人生浮き沈みするもんだからね。数年したら、その子はまた別の活気をもつようになっているかもしれない。
風説の流布はよくないよ
http://believemeimaliar.hatenablog.com/entry/2014/08/18/212944#comment-12921228815731583097
そうなんだよな。子供は真っ白なキャンバスみたいなものだといわれるけど、自分の環境が普通・普遍のことだと思うしかないんだよね。比較対象がないから。
何のために話をしているのか、肝心なところが欠けてるわね。
つきつめれば、耳の遠くなっている人にパーリーもパーティーも関係ないわ。筆談するがよろしい。partyと書くか、パーティーと書くかは相手によるね。
叔母夫婦の子供は一人っ子。大人しくて色白で、真面目そうな少年だった。小さい頃から本を読むのが好きっていう、一人遊びができる子で、叔母夫婦も手が掛からない子だっていってかわいがってた。
その子は前に会ったころ、いわゆる鉄道マニアだった。遊ぶ玩具もプラレールとかで、読んでる本も電車が出てくるものばかりだった。
一回だけ、一緒に外に遊びに行ったことがあるんだけど、その子は電車が通る度に「あ、今のは○○線の○○系の電車だよ」と一々解説してくれた。知識をひけらかすようなことをしてても、五歳の子供だからちっとも煩わしさなんて感じなかったし、むしろほほえましくてたまらなかった。その子が電車を見る目はほんとうに輝いてみえたし、好きなことに夢中になって色んな知識を吸収してる様子は、いったい将来どんな人間に育つのかと期待させて、叔母夫婦が羨ましくてしょうがなかった。
電車の知識なんて全く持ってない俺は、その子の知識欲と好奇心の旺盛さに素直に感心してしまったし、こんな小さな子供が、おっさんのおれよりも、特殊な分野ではあるけれど、深い知識を持っているのをみると、これから年老いて萎びていくしかない自分よりもはるかに優秀な人間に思えたし、実際そうだったと思う。
そしてついこの間、五年ぶりにその子に会った。おれはすごくがっかりした。
その子は少し太って、むっちりとしていて、今は電車じゃなくてゲームに夢中らしい。話をしても、なんとなく愚鈍で、間の抜けた感じの返答しかしてくれなくなっていて、すっかり暗い少年になっていた。
おれはその子が五歳のころの、電車を見ながら自信満々に解説してくれた時の明敏な印象しかなかったので、それがたった五年でこんなに変わるものかと思って悲しかった。叔母夫婦の教育がわるかったのかも知れないし、学校でなにかよくない影響があったのかも知れない。そんなことはわからないけど、きっと五歳のころのその子はもっと色んな可能性があって、こんな風に暗い少年には育たない道筋だってあったはずだと思うとやりきれない。
とりあえず、何がいけなかったんでしょうか?って心底反省した様子でお伺いをたてて、
心を入れ替えて頑張りますといった体を保って何もせず、
世間一般の人は僕よりサッカーがうまくなく頭もそんなに良くないらしい。
僕が勉強やサッカーに費やした時間(+アニメやゲームに費やした時間)彼らは彼女を作る、彼女とデートやらなんやらするのに費やしてたらしい。
勉強ができて運動もできて、あとはそれなり以上だと彼女は自然とできるのだと思ってたけどやっぱり違うらしい。
頭痛い。
そら確かにな、実際の英語のpartyの発音は、パーティよりもパーリーの方が近いよ。
明らかにそうや。それは認めるよ。むしろパーティなんか外れすぎやろって。
本場の発音がどうであれ、日本語として定着したカタカナ英語があれば、
それをどうどうと使うのが日本人やん。
パーリーとか逆に恥ずかしいし、パッと聞いてpartyが浮かんでこおへんから
不便やし、何もええことないわ。
そうか。こういっちゃなんだけど、本当にうまくいっているなら日本人の俺としては朗報。慰安婦像とかどうなるんだろ?欧州なんかでは韓国人自体を嫌がっていても、ヤるために旧日本軍が組織立ってむりやりしょっ引いたという話はすっかり信じ込んでいるらしいよ。
ああいう偶像みたいなのができると、当時のことをまったく伺い知らぬ世代(俺も戦中を知らないけど)が主流になるあとあとが心配になるね。
「写真はイメージです」といえば、どんな写真を載せても問題ないと、載せる側は思っているようだ。
しかし、「写真はイメージです」という言明は「1=2/2」と同程度にトリビアルだ。
さみしいの??祭りにしてちやほやしてくれる相手がほしいのかな?