はてなキーワード: 動物園とは
お前らの正義感というオナニーによってあのヘイト作家はぐんぐん力をつけていったわけだよ
ちょっと前の猿の赤ちゃんの名前がイギリス王妃の名前と同じシャーロットだとかで炎上したときにも思ったけど
正義ポルノでしかないから具体的な解決なんてできてないなと思う
いやまぁシャーロットちゃんの場合は、イギリス王室の冷静な対応と結果的に動物園への客の増加で、めでたしめでたしだったがね
正義ポルノの奴らの何が問題かって、今回の場合で言うなら難民に対しては興味がない連中ってことだよ
難民に興味がないけど、難民(弱者)つかった正義ポルノには興味がある
難民救済活動の一つもせずにツイッターやはてなでポスター作家をたたくだけの連中が
安倍政権に関する多くの問題もそうだけど叩くことでマウント取れて気持ち良くなってるだけだから
気にしなきゃ問題ないわけだよね
まぁそれでお前ら正義ポルノイナゴ連中はまた叩けるんだからwin-winでいいのかもしれないけどな
後追い自殺が増えるから自殺報道を控えるべきみたいなのと同様に
いい加減この手の正義ポルノイナゴをどうするかも考えるべきだなと思う
ポスター自体を宣伝したのも、本を出版させたのも、あの店に売ってますって宣伝してるのも
そんなたかがな問題を大きく膨らませてビジネスができるくらいまで成長させたのはお前らなんだよ
そのくせ難民には興味ないんだよな
金のひとつでも寄付したのか?難民問題への関心が高いみたいですけどちょっとは寄付したんですか?
ワイドショー見てるみたいだよ
わざわざ首突っ込んで問題大きくして
売国売国いいながら南京虐殺やオリンピックの問題を拡散させたりした右翼がむしろ売国じゃないのか的なものと同様に
まぁ右翼の正義ポルノは国だからまだいいけど、今回の正義ポルノの場合は一番の被害者はあの子供だからな
かわいそうだかわいそうだいいながら傷に塩擦り付ける
言動と行動が一致してないんだよね
BBCもけしからん報道で拡散しててBBCってくそだなって思ったけど
まぁBBCだけじゃなくNHKも朝日なんかもも正義ポルノが得意なところだよなとは思うから今更だろうけど、文化人界隈そしてはてなついったー連中は本当にこの手の潔癖正義が多い
潔癖なやつらのためのビジネスとしてBBCやNHK朝日なんかがあるんだろうな
シミを消そう消そうって
それでにじんでシミがむしろ大きくなる
いい加減学習したら?
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ブコメに返信
hobbling
イジメはいじめられる奴が悪い、反撃したらイジメが酷くなるから黙っていじめられてろ。ということですね
いじめを解決できる能力がない者がしゃしゃって結果いじめを助長させてるって話ですけど?
実際あれで何か解決したの?問題が拡大するだけでしたよね。公共の機関なりWEBサービス会社が対応すればいいことを私刑でしゃしゃるから拡大するんだよ
つかさ君の言い分右翼のそれw
イラク戦争を正義だなんだいって参加して虐殺したのと何が違うのかね。
けっか虐殺したんだから謝罪しなさいよって話じゃん。正義だなんだの気の持ちようって重要なんですかねぇ
(アメリカの戦争参加は結果どうなったかは詳しくないけどね。実際一時的に平和になったとも聞くけど、まぁどっちにしろアメリカですら問題でるんだから、アメリカみたいな能力もない奴がしゃしゃるなよって話)
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ブクマがたまったからさらに返信と言いたいがあきれるくらいに幼稚だね
起こったことに対してどうするの?なにもできてないよねということに対するレスがまるでされてない
しかたがなかったでかたずけようという、あきれるくらいに無責任なクズたちだよなお前らって
自分たちに甘すぎなんだよ
あとな、見逃すと大きくなるじゃねーよ
お前らが大きくしたんだけど?って話
その現実とどう向き合ってるんですか?って話
相手のほうが悪いんだから俺らは悪くないという米国型無能丸出しの言い訳ばっか
原爆投下も正しいってことになるだろうね
ベトナム戦争もただしいよね
イラク戦争もただしいよね
結局自分たちのポルノみつけて気持ち良くなってるだけってことが否定できてないしな
あるいみ反論できてない時点で図星だったんだろうな
90年代後半からオタク論が学術的、サブカル論的に語られ始め、2000年過ぎあたりを境に徐々に下火になっていった。ネットの個人サイトにおいてもオタク史やオタク論をまとめたものはいくつも見つかるが、その多くも2005年前後で語ることをやめている(その意味では『オタク論の死について』(エフヤマダ, 2014)はオタク論の現状に対する貴重な指摘である)。
本稿は真のオタクとは何であるかとか、データベース消費や心理学がどうこうといった話には一切言及しない。本稿の目的は誰がオタクと呼ばれ、誰がオタクを自称したのか、その変遷を整理することである。
第一回コミケは1975年12月に開催されたが、この時点で彼らはアニメファンやマニアと自称しており、オタクではなかった。もっとも二人称としての「おたく」はそれ以前のSF大会から広く使われており、そうした状況から一部で彼らを「おたく」と揶揄していたという指摘は存在する(岡田斗司夫, "オタク学入門", 1996)。とはいえ、彼らを「おたく」と明文化したのは1983年、中森明夫によるものという点で見解は一致していると言っていいだろう。
「運動が全くだめで、休み時間なんかも教室の中に閉じ込もって、日陰でウジウジと将棋なんかに打ち興じてたりする奴ら」「栄養のいき届いてないようなガリガリか、銀ブチメガネのつるを額に喰い込ませて笑う白ブタ」「女なんかはオカッパでたいがいは太ってて、丸太ん棒みたいな太い足」「クラスの片隅でさぁ、目立たなく暗い目をして、友達の一人もいない、そんな奴ら」(中森明夫, "『おたく』の研究(1)", 漫画ブリッコ(1983))
中森はこのように「おたく」を形容する。この時「おたく」に知識量や購買力などは一切要求されておらず、現代で言えば非モテのコミュ障ブサイクへの侮蔑の言葉であった。この連載は批判意見の殺到により早々に打ち切られるが、一方、オタク達は自虐を込めて「おたく」を自認するようになっていく。
ほぼオタク界隈の内部でのみ使われてきた「おたく」は、1989年、宮崎勤の連続幼女殺人事件で一気に世間に知られることとなる。宮崎は6000本のSF、ホラー、アニメを録画したビデオテープを所有しており、この点からマスコミは「宮崎のような非コミュでインドアなブサイク」の代名詞として「おたく」を用い、バッシングを展開した。
「オタク、かっこ悪い?」
そういう問い自体出なかった
「オタクは格好の悪い生き物だ」
侮蔑され諦観し
故に侮蔑され故に諦観し
数珠つなぎの輪がぐるぐると回っていた気がする
(中略)
おい あれ
プッ
ぎゃはははは
オイロリコン部ーッ
ぎゃははははははは
世間は宮崎のような人物をオタクと呼んだ。宮崎のような気持ちの悪い見た目をしているならそれは宮崎であり、あるいはアニメが好きならロリコンであり性犯罪者である。全て一括りに扱われた。
当時の高校生オタクにこうした罵声に反論する公の場など当然無く、家族からも白い目で見られ、彼らはひたすら耐えるしか無かった。その意味で、当時彼らにとってオタクであるという自称は「同じ迫害に耐える同志」という意味だったと言ってもいいだろう。
岡田は現代でいうところの作画厨と考察厨を兼ね備え、またアニメに留まらない広範な知識、教養と分析力を有する者を「おたく」と呼んだ。世間からの白眼視に耐えてなお「おたく」であった連中であり、加えて当時は今よりはるかに娯楽の少ない時代であり、情報収集と理論武装に傾倒した者が少なくなかったことに不思議はない。
80年代後半からパソコン通信が、そして95年以降でインターネットが徐々に一般家庭へと普及を始める。同人誌即売会と異なり時間的空間的制限無しに、そして同人誌制作に比べてはるかに手軽かつ安価に意見交換できる場は、不特定多数のオタク間の相互交流を可能にし、各自の知識差が広範に意識され始める。
そして『新世紀エヴァンゲリオン』(庵野秀明, 1995)が大ヒットを記録する。これにより宮崎勤を知らない世代である中高校生を中心にオタク人口は大きく増加し、終盤の難解な展開の考察や解釈を求めてネットが活用された。ネット黎明期、オタクの集う場所はごく限られたこともあり、高度な知識と分析力を備えたオタクの存在はより多くのオタクの目に触れることとなり、各オタクの「濃さ」が相互に自覚されていった。翻って「自分はあれほどの知識を有しないからオタクではない」といった謙遜も生まれ、こうしてネットとオタク人口の拡大によってオタクと呼ばれる者とオタクを自称する者のズレは拡大していくことになる。
エヴァ以降、『カードキャプターさくら』(浅香守生, 1999)のようなロリコンアニメから『serial experiments lain』(中村隆太郎, 1998)のようなカルトアニメ、あるいは『カウボーイビバップ』(渡辺信一郎, 1998)など幅広いジャンルで今なお名作とされるアニメが相次いでTV放送され、無垢な若者のオタク化を助長し続けた。
他方、オタクをPCに向かわせた要素として95年以降のエロゲにおけるカンブリア爆発的な状況の影響は否定できないだろう。『雫』(Leaf, 1994)に始まるビジュアルノベルの勃興と「泣きゲー」の流行など、現代エロゲのベースはこの時代まででほぼすべて確立したと言っていい。
コミュニケーションツールとして、コンテンツ再生機としてPCはオタクの必需品と化していった。これと同期して、それまで家電製品の街であった秋葉原は90年頃からPCパーツの街へと変化し、来店するオタク率の高さからトレーディングカードやフィギュア専門店が相次いで秋葉原に出店、秋葉原はアキバと化していく(森川嘉一郎, "趣都の誕生 萌える都市アキハバラ", 2008)。
そして2005年、TVドラマ『電車男』が視聴率20%を超えるヒットを記録する。オタクには「アキバ系」という新たな名前が与えられ、アキバは一般観光客がオタクと呼ばれる気持ちの悪い珍獣を生で見ることの出来る動物園として扱われた。
珍獣としての要素については、モーニング娘。に端を発するアイドルオタクによって発展したオタ芸にも言及してしかるべきだろう。視覚的にわかりやすい「気持ち悪さ」を有したそれらの振る舞いは、オタ芸という名前を含め、何をオタクと呼ぶかにおいて一定の影響力を有したと考えられる。
2006年に登場したニコニコ動画は、2007年発売のVOCALOIDの登場などを通じて非アングラユーザ、中高校生といった若年層のユーザを多く取り込み、違法合法問わず大量のアニメやゲームといったオタク系コンテンツを抱え込んでいく。
アニメは放送時間が限られ、視聴時間をあわせて見るか、わざわざ録画予約しなければならない。ゲームも安くない金額を支払ってプレイする必要があり、多くの場合プレイ時間は数十時間以上を必要とする。これに対し、動画サイトに投稿された動画に必要な手間はクリックするのみである。オタク系コンテンツの視聴にかかるコストはかつてと比べ著しく低下した。
またアフィブログの影響も否定できまい。2chのログをまとめて整形し、見やすく要約する形で作られたゲーム系、アニメ系アフィブログは人気を博し、その読者は当のアニメを実際に見たことがなくともその内容を大雑把に把握し、売上情報やスキャンダルを把握する。その情報はあくまでアフィブログに書かれている内容に留まるが、彼らが一定のオタク的知識を有していることはまぎれもない事実である。
こうした層はアニメやマンガを多少知ってはいるが、深く傾倒しているわけではない。オタク系コンテンツの情報収集に必要なコストが高かった時代、身だしなみ等、オタク趣味以外にコストをかける余裕は無くて当然と言えたが、しかしコストが下がるにつれてオタク趣味以外へ投資をすることは普通になり、まともな容姿で一般的話題も把握した「オタク的な知識を有する何か」が徐々に増え始めることになる。
「非モテ」という単語が使われ始めるのは2006年以降であるとのことだが(松谷創一郎, "〈オタク問題〉の四半世紀", どこか〈問題化〉される若者たち(2008))、中森がかつてオタクと呼んだ人々は、こうして「おたく」という乱暴な括りから非モテ、コミュ障等と細分化し始める。
誰をオタクと呼び、あるいは誰がオタクと自称するかは、各々が自分の周囲にいる自分がオタクだと思った人を参考に決定するのだとすれば、ヤバい容姿のいかにも濃いオタクがかつてはどのサークルや同好会にもいた(黎明期は全員そうだったと言ってもいいだろう)時代と比べ、2010年に近づくにつれてそうした人物は減少し、あるいは絶滅していったと言え、こうして当人の周辺環境によって誰をオタクと呼び、誰がオタクと自称するかの個人差が拡大していったと考えられる(SNSの発達により、小さく仲の良いコミュニティが大量に分散して存在するようになった、という点もあるだろう)。
一方で2007年以降、AKB48が握手券商法を本格化させたことにも言及しておきたい。ファンにとって投資金額は熱意と情熱を表すバロメータとして機能した。彼らは自分がどれだけ投資したのかを示し、それによって同じファンから一目置かれるようになる。かつてネットによってオタクの濃度差が知識差として可視化されたと述べたが、投資金額の多寡としてもそれは可視化されるようになっていった、と言ってもいいだろう。
細田守監督の映画作品は『時をかける少女』(2006)を筆頭に非ジブリアニメながら広く世間に受け入れられ、『魔法少女まどか☆マギカ』(新房昭之, 2011)、あるいは『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない』(長井龍雪, 2011)のヒットはアニメを見るというオタク的行為に手を出す敷居を下げ、アニメを見ることは異常ではないという空気を作っていく。
2011年、アエルラ、アイムシングルの2つのオタク向け婚活サービスが開始される。このオタクの定義を見てみると、アエルラは「一つの趣味を愛し、共有したいという気持ちがあれば、それはオタクである」と定義し、アイムシングルでは明確な定義こそないが、「マンガ・アニメ・ゲーム好き」をパーティ参加の必須条件としている。
筆者が数回体験した範囲に限られるが、実際にこうしたパーティに行ってみるとかつて中森が嘲笑したような「おたく」を見ることはない。いささか一方的な会話を展開する男性は多少いるが、慣れない場に緊張したことの影響も少なからずあるだろう。一方、岡田がオタクと呼んだような広範な知識教養を有するオタクを見ることもまたほとんど無かった。面白いことに30代の参加者でも90年代後半のアニメの話題に反応する例は少なく、良好な反応の得られるアニメは概ね2010年以降であった。こうした点から彼らのオタク的趣味の範囲はここ数年に限定されており、もともとオタク的であったのかもしれないが、オタク的趣味を実際に楽しむようになったのは最近であると考えられ、10代の若者に限らず、幅広い年代でオタクと自称、あるいはそうと意識する人口が増えているという認識を抱いた次第である。
他方、携帯ゲームの課金要素の充実や2010年以降のアイドルアニメの興隆などから、グッズその他のオタク的趣味への投資金額の多寡がオタクとしての熱意の度合いを示すバロメータとして意識されるようになっていく。2015年、TVニュースにて「リア充オタク」が特集され、その「リア充オタク」のオタク趣味への投資は年間2万5千円であると報じられた際、その金額の少なさへの揶揄が主にTwitterで取り沙汰された点は、その意味で興味深いものがある。
アイドルオタクとアニメオタクを絡めるなら声優のアイドル化への言及は本来必要不可欠だし、女性オタクへの言及が明らかに足りていない、ゲームオタクについてなど全体的に漏れが多い点は自覚している。申し訳ない。
また整理の都合上、いささか恣意的に流れを作った部分があることも否定できない。例えばネットの普及+エヴァによるオタク人口の増加→知識格差の可視化、という流れは自分でも「本当にそんな単純な話か?」という疑問を抱いているが、ざっくりした傾向というレベルではまぁ嘘ではないだろうと考え記載した次第である。
ただ、ある人が誰かをオタクと呼ぶ時、あるいはある人が自らをオタクと称する時、その内容から当人がどういう時代背景を前提としてきたのか、あるいはどういうコミュニティに所属してきたかを推測できることは、会話の食い違いやすれ違いを修正する手助けになると筆者は考えている。
非アクティブ主義ならそれ貫けや。
またミニマリスト界隈の人ですか。
なんで君らは何やるにしてもみんなで同じ方向を向くんだ?
違った意見について許容も寛容もないのか。
なにより君たちはなんでこう頭の悪いフリをして記事を書くんだ。
他人の記事みてイラつきました、っていう権利があると思ってる馬鹿のフリをするのはやめてくれ。
そんな認知リソースまでminimalismするとこんな馬鹿になるぞというギャグはいいから。
余計なことすんな。
これ以上あざなえるなわのごとしにエサやるな。
あざなえるがいまこんだけ調子乗ってるのはお前らが雑魚すぎるからだ。
あざなえるはプライド高いから安全に勝てる相手としか戦わないし自分が恥をかきそうなところには踏み込まないんだよ。
ちょっと難しそうな話題になったらすぐ飽きたとかなんとか言い訳して逃げるだろ。
ひとを馬鹿にするけど馬鹿にされる恐れがあることには近寄らないんだよこいつは。
他人の記事に便乗したり反応したりはするけど口実さえ与えなければ自分からなにか書き始めたりはしねえんだよ。自分が言いだしっぺになつてそれが滑ったりするのに耐えられないからなこいつ。トピシュからリア充感取り除いたようなやつなんだよこいつは。
それなのに最近毎日のように出動してギャーギャーわめいてんのはお前らが雑魚すぎるからなんだよ。
あざなえるの文章は読んでていらつくからこいつが毎日はてなネタで盛ってるの見るのしんどいのは俺も同じだ。
あざなえるが暴れてる時ってのは敵が雑魚な時だけだ。おまえらのような頭の悪い記事書くやつさえいなければこいつは何もできないプライドの高い坊ちゃんでしかねえんだからエサやんな。
立て続けに結婚式に何度か出席した。
人生最良の日、というワードが連呼されているのを見て、わたしにはそんな日は訪れないのではないかと思えてきて、拍手をしながらも胸がどきどきした。
わたしは26歳で身体的にも女性で性自認も女性で、ヘテロセクシャルで、そして誰かと交際するという経験がない。
それはわたし自身が偏屈で頑固で、狭量であることにも起因するし、父のせいにしたくなるところがある。
わたしの父はブラック企業に勤めていて、そこの方針にどっぷり頭まで浸かっているような人間なので、今まで有給休暇をとっているところを見たことがない。土曜日も毎週出勤していて、夏休みも取らないので休みはほぼ日曜日と祝日だけの生活を、わたしが物心つくころから続けている。
その割によく幼少期の子どもたちを遊びに連れ出してくれる人で、毎週のように動物園だのアスレチックだの、博物館だの、プールだのに行ってくれていた。
中学受験の時には、お迎えと寝る前の勉強、土日の勉強にも付き合ってくれていた。
わたしは仕事のことなどありながらも、父なりに愛情を注いでもらっていると思っていたし、その瞬間はそれは事実だったんだと思う(思いたい)。
そういった面倒見の良さがあった反面、それは普通なのかもしれないけれど、小さいころから夜中にアダルトビデオを見ていたり、パソコンでそういったサイトの履歴が残っていたりしている脇の甘さもあるひとだった。
高校生くらいのときには偶然、着信した画面から携帯電話で飲み屋の玄人さんと思われるひととメールをしている様子を見てしまった。
あれ?と思って考えてみると、バレンタインにやたら高級なチョコレートを持ち帰ってきたり、突然いらなくなったからとアーカーのハート形のネックレス(もらってもらえなかったのだろう)をくれたりして怪しいそぶりはあったんだった。その後もそうしたやり取りは同じひとだったのかはわからないけれどずっと続いていて、家族で旅行に行けば写真を撮りその人に送っていたし、携帯電話を眺めている頻度が多い父をその後もしばらくずっと放置していた。
平和で仲が良い家族、を続けていくことに私自身も固執していたし、母はもしかしたら気づいていなかったのかもしれない。
しかし、そうして降り積もった父への嫌悪が決定的になったのは、数年前の事件だった。父は相手の女性の自宅に押しかけ、玄関前まで侵入して中を覗いているところで、相手がたの家族に捕まったのだった。
父から電話で自宅に連絡があり、電話を代わった母が相手方の家に泣きながら、叫びながら通報をやめてもらえるように押し問答している様を見ていた。心臓がばくばくして死ぬんじゃないかと思ったし、こんな物語みたいな筋立てが起こるということに人生って不思議だと妙に覚めてもいた。
結局のところ、父は警察には通報されず、後日200万円というお金を相手方の家に、母が土下座して支払いにいって、ことは解決したのだった。
ふたりは離婚するのではないかと思っていたが、その事件があった後もそのままの家族ごっこが続いている。
わたしはどうしても、父のことが許せない。
そのことがあってから男性に対してもじわじわと嫌悪感が増していて、電車の中で肩を合わせているのも、疲れている時は気持ちが悪くなってしまう。
母みたいに裏切られるなら、あんな気持ちになるのならばそんな関係性は必要ない。
そう思いながらも、ひとりで生きていくということに不安になり、婚活パーティに行き、うまくいかないということを繰り返している。
不毛だ。
わたしは、どこに向かって泳いだらいいんだろう。
ネット社会でも発言力が大きい人間が目立つから強そうに見えるが、
檻の中で珍奇な行動をしているからもてはやされているだけ。
嘲笑されているだけだと言い換えてもいいだろう。
自らの姿を見せることなく、透明で超越的な神の視点に立ったROM こそ最強。
どうして皆、すでに公開が終了したブレンディのHPに掲載されていた動画で騒ぐのか謎だ。
とても可愛い女の子が動物園へ、可愛くておっぱいが大きい女の子が乳牛へ。
まぁ、努力しても無駄だということを自分に教えてくれる動画ではあっただろう。
例えば、僕の大学は偏差値が低くて、関西で大学受験をする人ならバカにする大学だ。
こんな大学のバカな文系キャンパスで一番早く就職先が決まるのは容姿の良い人間だ。
まぁ、可愛くておっぱいが大きい女の子から就職が決まっていくのだ。
僕が阪大に編入を志望しているモテない、1年前には風俗でクラミジアと淋病を両方同時にもらった男と大学の近くのファミレスで食事をしていた時のことである。
隣のテーブルには、美男美女が座っていた。男1人、女が2人だ。
いや、そんなふうでもなかったか。とりあえず3人とも内定が決まっていた感じだ。
女1人の内定先はわからなかったが、男はN○○デー○の子会社だそうだ。下請けを使うだのなんとか言っている。女は京○銀○だ。
僕が話を聞ける範囲で聞いて内定先がわかった2人はバカな北海道の付属校からの内部推薦組だそうだ。
北海道からわざわざ京都の私立大学に行くほどだから頭が悪くないわけがない。
バカで、セックスを楽しんで勉強はあまりやっていないであろう人間が妙に名前が通っているところに就職できるのは容姿が良かったからだろう。
特に京○○○に就職が決まった女はとてもとても容姿がよくてクラミジア阪大編入志願男は足が良いと褒めていた。
努力。。。
そんなの関係がないのだ。努力で容姿がよくなることなんてないのだ。努力で一生懸命、容姿の良い女に頭下げてキモがられて、なんだかんだ金を払ってセックスをしても惨めさしか残らないのだ。
牛はどっちにしろ食肉コースだ。
遅かれ早かれ食肉コースだ。
でも、僕たちは食肉にはならない。
牛よりも差が激しすぎるのかもしれない。それは良いことなのかもしれない。
でも、同じ運命ではないのだ。
同じ学部にいるとんでもないくらいの醜女は就職できないかもしれない。
食肉にすらなれないあの女は。。。牛なら未経産牛として褒められたかもしれない。
あぁ、こんな話をしていたら牛たちに怒られてしまうかもしれない。
チャンギ空港2タミでクレジットカード使えた。m1という業者。
30$。7時にいったらやっていた。
マスターとJCB使用可と表記。5セントのカード手数料が必要。
・観光地
・コンビニ
・ホーカース
やはりここは無理。安いからいいかな。
学生生活を終えた後に異性と出会うとすんなりお付き合いする場合が増えた。学生時代から何年も関係を続けてきたカップルがバタバタとドミノ倒しのように破局を迎え同級生を驚かせる。一方で社会人から付き合った場合はそのまま別れずに結婚する人も少なくなかった。学生時代に全くモテなかった。僕の恋人も学生時代はモテなかった。冷静に自分を観察してしまえば傷を舐め合う関係なのかもしれない。お互いの貧相な身体で愛し合う関係。僕たちと同じように寂しさを埋めるように付き合う人たちで溢れ始めた。
いろいろな理由があると思う。出産適齢期が過ぎることの恐怖、いままで遊んでいた友人達は同じように忙しく遊べなくなり、学生時代の先輩や職場の上司で婚期を逃して寂しそうにしている人たちが見えてしまったり、友人達の結婚式ラッシュ、反対側に親類のお葬式、ちらほらと影を見せつつある友人や両親の死。(1)突然溢れ始めた寂しさの嵐。それに耐えきれずに寂しさを埋めるように付き合いはじめる。そして婚期を逃した人たちが犬や猫を飼い始める。「ペットを飼い始めると婚期を逃す」はよく言われることだ。でも、それは世界に溢れる恐怖から逃れるための防衛本能なのかもしれない。何かを愛することで恐怖から逃れられるのだ。
僕の恋人は「本当はあなたのことが好きではないかもしれない」と伝えてきた。きっとそうなのかもしれない。寂しさを紛らわすために誰でもいいのかもしれない。「そんなことはないよ」と嘘をつく勇気は無かった。動物園に行ったり、一緒に料理をしたり、チグハグなセックスをしてみたり、関係性を少しずつ積み重ねている。積み重ねるうちに恋人の好きな部分が増えて行く。脳内に発生しているホルモンの効果に過ぎないと穿って見てもいいけど、最初は寂しくて付き合っているかもしれなかったのに不思議なことだ。僕は恋人に答えてあげた。付き合っていた間に気づいてきた好きな部分や思い出を伝えたら彼女は泣き出してしまった。彼女は答えた。「あなたのことが好きよ」と。
学生時代によく聞いた「誰でもいいから付き合いたい」を非難する意見。そんな意見に耳を傾けていた自分がバカバカしかった。重要なのはそこではない。君と何かを作ったり、気づいたりしたい。愛はそこにあるんだ。
(1)あんなに仲が良かったのに、と口を揃える。殺人事件の犯人の印象を隣人に尋ねるように軽薄な答えが飛び交う。学生時代から付き合っているカップル達も学生時代が終わると同じように不安を抱えはじめる。だからこそ本当にこの人で良いのかどうか悩み、別れてしまうのかもしれない。
あれ俺行けんじゃね? と一瞬思いかけたが一番の問題として自分は37になったばかりのキモメンのゲーヲタおっさんという部分を思い出して冷静になる。
やってくれるヒトいないかなー。本当はぶっちゃけ兼業主夫が希望だけど。パートとかバイトでいいから。「夫」ね。
生活費はガチ折半じゃなくていいです。今私が借りてるとこに住んでくれるなら家賃を全額持ちます。都内で8万円くらいの1DK、駅近日当たり最悪。ごめん食費と光熱費と日用雑貨費(トイペとか)は出してください。日当たりがアレすぎて換気扇とか除湿かけっぱで電気代は割とかかってます。被服費とシャンプーとかの身だしなみ費は個別会計で。あっごめんなさいやっぱ専業無理だこれ。兼業主夫でお願いします。
料理とか掃除とか洗濯とか本当向いてないんですよね。特に掃除。救急車が必要になっても呼べないレベル。泥棒に入られてもわからないし、この部屋を捜査しなきゃならないおまわりさん本当ごめんなさいってレベル。
ただ子どもが欲しいんだよなー。それがネックすぎる。今の職場産休制度とかあるけど事務員(しかも原則定時の部署で仕事内容超簡単、いつクビ切られても全然おかしくない)だから無給の可能性高い。確認しないとわかんないけど。専門職なら7割出るらしい。いいなー。
あと欲を言えば正直都内で子どもは育てたくない。環境がデンジャラスすぎっだろ。ワタシが田舎育ちなせいかしらん。ゆくゆくは越したい。職場が東京だからすごく遠くには無理だけど。
さらにさらにわがままを言えば、犬飼いたい。のです。でかいやつ。実家で飼ってるラブラドールかわいすぎるんじゃ。
正直わがまま言ってる場合じゃないけどな。もう来年30やで。大卒30で年収380って婚活こいても相手おらんレベルやろ。しかもコミュ障。人間こわい。今計算したらいない歴10年超えてるし。おまけにちょっとヘンテコな病気持ってて薬と診察で月にいちまんごせんえんくらい出費してる。妊娠出産に支障が全くないとは言えない。
趣味は読書、だったんですが最近全然時間取れてない。今読んでんのアレです、京極夏彦リミックスの遠野物語の文庫本。あと菊地成孔という人の『スペインの宇宙食』をちびちび。この人の文章やばいすごい。内容は「他人が話してる内容だから笑って聞けるけど身近にあったらブッ飛ぶ」系。でも文章がやばいすごい。美しい。表現がなんかこう煌めいているのです。一発でファンになった。
ディズニーランドより動物園派です。憧れは掛川花鳥園。正直イモい人間です。イモいのに色鮮やかなものや美しいものに弱いという一番タチ悪い感じです。
好みのタイプは特にないです。タイプとか言えるほど人付き合いの経験がないです。最近一番キた有名人は若い頃のダニー・エルフマン。あんな笑顔がデモーニッシュで声の綺麗な男がそこそこ正装して"Won't you stay with me one more day? If we get through one more night, if we get through one more night..."なんて歌いかけてきたら大抵の女は落ちるんとちゃうか。すみませんタンクトップは無理ですきっと笑っちゃう。
タバコは吸わない、お酒は嗜む程度、という方最高です。当方タバコダメでお酒もダメ(元々両方ダメだったけど薬とも相性悪い)なので、お酒付き合えないんですがそれでも可の方素敵です。
怒鳴る方、叩く殴る方無理です。両親は命に関わるルール違反をたしなめる場合以外ではあまり感情的にならないタイプで、この年になるまで一度も手をあげられたことがないという育ちなので、それがデフォルトで来ております。
羅列してわかったけどこれ無理ゲーな感じがする。人間こわいならおとなしくペット可物件住んで犬飼っとけやって感じする。
でも子どもほしいんだよなあ。
20代デザイナーです。普段は業界の末端にてWEB以外の商業デザインなどしています。
今回の件、誰もちゃんと内容が分からないまま話が進んでいるのがモヤモヤするので、簡単にまとめようと思います。
個人的に今回のエンブレムの感想を書いておくと、震災があった中で、それでも前に進もうとする強い意志、円を基調とした設計に前回の東京五輪への深い尊敬が見える、力強くいいエンブレムだと思いました。まあ、原案は円関係ないんかい!とも思いましたが。
一応僕もデザイナーなので少し偏った見方があるかもしれませんが、どうか生暖かい目で読んでいただけたらと思います…。
◼︎そもそもアートディレクターとは
まず、アーティストとアートディレクターについて誰も区別がつかないまま話が進んでいるのが怖かったので簡単に説明しておきます。アートとデザインの違い、となるとそれは永遠に答えが出ないと思いますが、「アートディレクター」はあくまでも「アート」部分に関する「ディレクター」であって、別に絵を描いたりする人ではありません。
さらに上の「クリエイティブディレクター」という役職の人が映画のプロデューサー的な立ち位置でしょうか。どんな作品にするかの意思決定をします。
そしてそれをもとに、「アートディレクター」という役職の人が、どのような形でそれを表現するか決めます。これは映画でいうと監督でしょうか。監督がセットを作ったり、メイクをしたりはしませんよね?
さらにそれをもとに、イラストレーターが登場したりカメラマンが登場したりしてデザインの素材を作ります。(素材という言い方は彼らに失礼ですが…)
さらにさらにそれらをまとめて、部下のデザイナーが画面やアイテムに落とし込みます。アートディレクターはそれを見て「こうじゃない」「それいいね!」など意見します。自分で手を動かすこともあります。
という訳で、本来、アートディレクターという立場は一人で何か作品を作るものではなく、チームを引っ張って、その案件を商業的に成功させるための監督のような立ち位置です。
◼︎トートバッグについて
エンブレムは「佐野研二郎」名義のもの。トートバッグは「MR.DESIGN」名義のもの。エンブレムはおそらく、会社のスタッフは関わらず一人で作り上げたのでしょう。これは一旦置いておいて、トートバッグの無断転用はどう考えてもNGです。
先ほどの例えで言うと、本来はイラストレーターやカメラマンにお願いして新しく作ってもらうべきですが、他人のものを無断で使用してしまった。
これは、佐野研二郎さん個人というよりは、「MR.DESIGNのアートディレクター」としての責任です。部下のデザイナーのやったことを見落としてしまったのか、内情は分かりませんが、きちんとした対応が必要な部分です。
(同じ業界の人間としては、好きでパクったりはしないだろうと思うので、それくらい激務だったんだろうなあ…と同情してしまう部分もありますが…。アニメーター問題に近いかもしれませんね)
◼︎エンブレムについて
問題は、今回のエンブレムや、動物園のロゴなど、「形が似ているからパクリ」とされているものに関してです。実際佐野さんがパクッたのかどうかは分からないので置いておくとして、この流れを放置するのはまずいことです。
美術の学校ではロゴデザインについてある程度同じ教育を受けていますし、同じ時代に生きていれば同じセンスを共有しています。そしてデザインを志すような人間の視点は基本的に近いと思うので、たとえば、「アルファベットのAを簡略化しろ」と言われたら、多くの人が「△」を思い浮かべると思います。実際、アルファベットのAを三角で表現したフォントはたくさんあります。
つまり、パクリでなかったとしても、偶然同じ形になってしまうことはたびたび起こります。
チェックを入念にしたとしても、シンプルな形の組み合わせであれば、何かしら似ているものは見つかってしまうでしょう。
もちろんその中で独創性あるものを追求するのがデザイナーの仕事ではありますが、
「形が似てるものはパクリ」となると、僕たちはともかく、10年後、20年後のデザイナーは何も作れなくなってしまうのではないでしょうか?
また、今後パクリ疑惑をかけられるのを恐れて、いろいろな要素を組み合わせた野暮ったいデザインが世の中に広まっていくのだとしたら、そのはどこかで止めなければなりません。
そうなったとき、何がパクリ/オリジナルの判断基準になるのか?
出来上がったデザインをどう守ればいいのか?
これが今回出てきた一番の問題です。
◼︎コンセプト
「コンセプトが違うので盗用ではない」という言葉を何回も聞いて皆さんは死ぬほど不信感を持っていると思いますが、実際のところデザインにはコンセプトが存在します。
まあコンセプト全くなくていい!かわいい!おしゃれ!という世界もあります。
しかし、五輪エンブレムや企業エンブレムなど、これから何年も使われるものに関しては、流行りや気分に左右されない、柱となるコンセプトや設計が必要です。
ここがややこしいところです。
多くの人にとって、美術やデザインというのは「学校の副教科」でしかありません。副教科では、「カラフルで自由にのびのびと描いてね!」くらいしか言われないでしょうし、美術やデザインに対する認識がそこで止まったまま大人になってしまうでしょう。
(少し逸れますが、本来美術の授業は、美術が好きな子のためにあるというよりは、いつかクライアントになるかもしれない子たちが、「作品はそんなにすぐにはできないし、手間もかかる」と自らの手で実感するためにあるのかなと思います。)
「本当にコンセプトなんてあるの?適当にやってるんじゃないの?」
「数時間で適当に作ってくれればいいから!」「無印みたいな簡単なデザインでいいから!」
これらは、デザイナーや僕が舐められているというよりは、本当にデザインについて知らないから起こってしまうすれ違いなのかなと思っています。「好き勝手作ってお金もらえて、楽な職業だな」くらいに思われているのかもしれません。
デザインにも歴史があり、多くの人が様々な技法や設計を編み出してきました。
それを僕たちは何年もかけて迷い、悩みながら勉強しています。少なくとも、そういった先人たちやデザインそのものを小馬鹿にするのは止めてほしいです。
ただまあ、僕もいきなり「やっぱりオゴペ料理のハンヌスはフラッペンよりピテポが合うよね〜」とか言われたら何言ってんだコイツと思うでしょう。もっと分かるように説明しろよ、と。
デザイン業界の一部には「どうせクライアントには言っても分からないから押し通そう…」とか、カタカナ語を多用しすぎて主張が意味不明な人もいますが、そんなことやってないで、精一杯説明して伝えないと何も始まりません。これからはもっとわかりやすく、丁寧に伝えていく必要があるのでしょう。
エンブレムだけ作れる人ならたくさんいますし、「それっぽいもの」なら誰でもすぐに作れてしまうと思います。ただ、実際それに決定されたとして、会場のインフォグラフィックだったり、全体のポスターだったり、広告だったり、グッズだったりへ落とし込む際の監督をその人ができるか?という問題が出てきます。結局その監督を誰か雇うなら二度手間になってしまいます。だからこそ、国内外で活躍しているデザイナーに絞ってコンペを開催したのでしょう。そして、その案の中で佐野さんの案が最もイメージの湧きやすい提案だったのではないでしょうか。
たとえば「名刺を作るコンペ!」やランサーズなどの簡単なコンペなら繰り上げでいいと思いますが、仕事のコンペって「誰に任せるか」を決めるものでもあります。全ての提案を見た上で、「この提案をした人にどうしても任せたい!」と決まったのではないですかね。「エンブレムを決める」というよりは、「提案を見て、オリンピックデザインの監督を決める」コンペだったのでしょう。
◼︎写真盗用について
今回、会場での使用イメージに使った写真が無断転用だという話題が出ました。
あの写真は、おそらく審査員向けの内部資料(カンプ)であって、本来表に出るものではありません。
だから転用していいという事にはなりませんし、クレジットを意図的に消したのもいけなかったと思いますが、クライアント向けの内部資料まで1からオリジナルで撮影している代理店やデザイン事務所はほとんどないでしょう。
広告の雑誌で売れっ子アートディレクターを特集した記事などでは、カンプにモザイクがかかっているのをよく見かけます。予算は変わらず、でも資料に使う写真までオリジナルで作って、と言われたらほとんどの会社潰れると思います。
この内部資料に使う素材に関しては、業界全体が考え直さなければいけない問題です。外には出ない資料だとしても引用元は明記するなど、なにかアウトラインが欲しいですね。
まあ実際どうだかはわかりませんが、全体的に業界は人手不足だと思います。
で、やっぱり一緒に仕事をするチームはいつも同じになってきてしまいます。
それは、デザインが「ロゴ作って終わり!」というものではなく、人と人とのコミュニケーションの中で作っていくものだからです。全く知らない奴が急に飛び込んでくるより、お互いがよくわかっているチームで仕事をしたほうがやりやすいのは間違いないです。これにはいい面もあるし、悪い面もあります。
そういう信頼関係が何十年も続いていったのが今の業界なのかもしれません。そしてそれを利権と呼ぶのかもしれませんが、賞やコンペに関しては公正は保たれているように見えます。
今回の件、個人的には、「この人は、僕が作ったものが何かに似てしまっていたら、手の平返して袋叩きにしてくるんだろなあ…」という目線で交友関係を見直すことができました。
と同時に、「◯◯くんはパクリなんかしないだろうから信頼してるよw」というような声もいただきました。その言葉は、今回の擁護騒動そのものを表していませんか?他の大御所デザイナーも、きっとそれと同じ気持ちで彼にコメントしていました。
◼︎まとめ
精一杯努力して作ったものが誰かに気に入ってもらえると、何より嬉しいです。
しかし、ずっとここに居たせいで、おかしなことを常識だと思い込んでいたり、「こんなの説明しなくても分かるでしょ…」なんて思ってしまったこともあります。
片っ端からデザイナーを叩いたり足を引っ張り合うのも結構ですが、そうではなく、何がダメで何がダメじゃなくて、これからどうしていけばいいのかを真剣に話し合わないとどこへも進めません。デザイナーはデザイナーで、もっと色々なものを公開して、説明していく義務があると思います。
僕たちの世代は生まれた時にはもう不況で、経済がおかしくなったり震災があったり、ずっと踏んだり蹴ったりでした。そんな中で、生まれて初めて舞い込んだハッピーかもしれないニュース、東京オリンピック。これがこんなに荒れてしまったのでは本当に悲しいです。
「こんなの俺でもできるじゃんww」という方、どうかデザイナーになって業界を助けてください。これから先、今まで以上に大変な道が待っていると思います。
嫌になることばかりですが、それでも人を信じてコツコツ頑張っていこうと思います。
あれこれの話題にクビ突っ込んで、ちやほやされるブログウォッチャーですら、よく見りゃ適当なきめつけとその場のしのぎの理屈展開しかできない
誰もツッコまないのは、面倒事に巻き込まれたくないのと、ただ単に、自分との意見の一致が多くて好意的だからにすぎないよね~
思想の陣取り合戦みたいなもんでさ、自分が気に入らない人へ嫌がらせ、追い出したり視界に入んないようにしてすっきりするだけ
はてなっつー狭い世界で、これが正しいと決まった!と誇っても、現実世界では「わたしはそうじゃないのでさようなら」の一言でぶった切られて終わり
新しい知見を得られるとしても、ほとんどは自己満足でおわって、現実世界では大した評価もされない
人生になんにも寄与しないのに、そこでのコミュニケーションとセルフブランディングを維持するため、必死になって時間を割く頭のおかしい連中、それがはてなブロガー。
動物園に行った帰りにどこで食べようかと悩んだときに、動物園の半券の裏が居酒屋の割引券になっていたのでその店に決めた。
まず滑り台などがあるキッズスペースの隣の禁煙席に案内された。
ナポリタンなど子ども向きのメニューも完備、しかも普通の店より小さくて子供が残す心配もない。
子どもメニューを先に持ってきてくれて、食べ終わって隣のキッズスペースに行った頃に大人向けメニューがきた、スジ肉や磯辺揚げなど普段子連れで入る店では食べられないメニューが嬉しい。
ここまで子持ちに至れり尽くせりな店はない、ファミレスでも子どもが走り回ろうとするのを捕まえて、片方が外で子どもを見てる間にもう片方が美味しくもない食べ物をかっこんで食べ終わったら交代して、そんな味もわからない食事をしなくてもいいって本当に素晴らしい。
いい店だった。
ジュラシックワールドを見てきました。素晴らしい映画です。
まだ見ていない方は是非とも見てください。
前作が公開されたとき,僕はまだ子供でしたが,この14年で僕は工学系の大学院も出て就職し色々知恵がつきました。
その結果,この「ジュラシックワールド」という愛すべきテーマパークの設計に様々な問題を感じました。。
無粋なのは承知ではありますが,今回の事故を踏まえ,設計の問題点,改善点を列挙していきたいと思います。
「その設計がどの程度駄目であるか」を駄目度0~5の6段階で表します。☆3くらいから本番です。
改善案として「落下防止柵を高くする」とか「安全帯を付ける」等が考えられますが,
一般的な水族館や動物園でも本施設と同程度の対策なのも考慮すべきです。
豚には悪いですが今回事故の直接の原因となった豚救出用の棒(?)は廃止する必要があると思われます。
元海軍のオーウェンが「赤外線センサを欺くなんて」と驚くシーンがあるので、
しかし、まずは目視や他のセンサなどを使って安全確認してから檻の中には入りましょう。
これはひどい。警備隊のメンバーは腕にインドミナスのGPS情報の確認端末を付けているのですが、
なぜインドミナスの檻前に無かったのか。なぜ中央管理室まで問い合わせないとGPS情報が得られないのか。
各部署に恐竜のGPS情報やセンサ情報を閲覧できる端末の設置が求められます。
なぜインドミナスの檻の大扉(メインゲート?)が現場の内側から開けられるようになっているのか。
GPSではなく,こっちを中央管理室からしか操作できないようにすべきです。
その点T-Rexの檻を中央管理室からの操作で開閉するのは良い設計です。
もしかしたらインドミナスの檻は一時的なものでまだ中央管理室と繋がっていないのかもしれません。
が、その場合でも警備員室などセキュリティレベルの高い所に開閉装置は設置すべきです。
前項と関係しますが、大扉の脇に小さな勝手口を付けるべきです。
大体の建築物はそうなっています。そんなに壁の強度を下げるのが嫌だったのでしょうか。
大扉の脇に勝手口を作る,あるいは壕のような退避場所を作りましょう。
GPSがインドミナスに1個しか取り付けられてないのは故障も考慮すると良くないんじゃないか、
・貴重な生き物であり何個も埋め込むことで負担をかけたくない。
・故障については1つのカプセル中に複数の独立したGPSをいれることで対応する。
ラプトル系の賢い恐竜は埋め込まれたGPSを自力で外すことがあるという知見が
今回の事故で得られたため取り付け方の工夫(2つ付ける,深くつける等)が必要です。
作中語られていませんが、麻酔耐性や電撃耐性も獲得しているように思われます。
勝手な想像ですが、Dr.ウー達研究部隊はハモンド氏以来社長の直轄で自由が許されていたために、
それ以外のチームとの情報共有が行われていなかったのではないでしょうか。
ジュラシックワールドの良い設計ポイントですが、
お客さんの避難場所も兼ねた南の地区と恐竜がいる北地区は分断されています。
そのためラプトルが檻から脱走しても直接南地区に侵入してはこられません。
実際、今作では一般客にでた被害のほとんどは翼竜によるものです。
見た目は悪くなりますが、南地区上部に金網を張る、翼竜園の周囲に金網を張るといった対策が必要です。
緊急事態なのに子供2人がジャイロスフィアでどこかに行ってしまった
外側が高速回転しても目がまわらないなど機械周りは凄い設計です。
おそらく小型のアパトサウルスに耐えればOKという仕様だったのでしょう。
緊急事態でも管理室からジャイロのコントロールを奪えず,お客さんの意思任せというのは頂けない。
またGPSを利用して危険領域にはゲートが開いていても入れないようにするべきでしょう。
連れて行ってくれるといった機能も付加したいところです)
ちょっと判断がつきかねるのですが、モササウルスと観客の距離が近い気がしました。
ラストシーンでインドミナスをモササウルスが海に引きずり込めるのですから、人間も危ない感じです。
旧ジュラシックパークを設立されたハモンド氏の時代から安全管理について学習していない...。
ぜひですね,この反省を元に安全性を増したジュラシックワールドを構築していただきたい。
僕は一度しか映画を見てませんし,原作小説もまだ読んでおりませんので,
間違い,勘違いなどがありましたらご指摘ください。
無粋な工学系の思考に最後まで御付い合いいただきありがとうございました。
ジュラシックワールド最高です!!
コミケが終わった。エロマンガをいっぱい見た。ラブライブのエロマンガ、どうしようもないことなんだけど、男役がいないのにエロマンガにしようとしてキャラクターをAV女優にするしかなかったんだろう。デレマスなら武内Pが大暴れしてたので、まだなんとなく作品世界との地続きを感じられたし、ちゃんと「やおい」なのだが、ラブライブはもう世界線の違いしか見えなくて、結局のところキャラクターセカイにむりくり妄想をいれこむ「やおい力」を感じられなかった。そういう意味では彼女たちは守られたんだろう。ラブライバーはああいうエロマンガ、読むんかな? とは疑問だけど。
美少女動物園系だと男優がいないし、ゆるゆり、きんモザだともう百合展開しかない。でも男を入れたい。となるともうAV女優化するしかない。それは仕方ないとして、男優をきたないおっさんにするのはなぜなんだろう。だらしない体つきのおっさんが汚い顔で致してるのをみて、なにか納得できるんだろうか。AV女優にするならせめてちゃんときれいな男優と絡ませればいいのに、ほとんどが汚いおっさんなのは、なんとかして女優を汚したいのだろうか。汚れるところをみたいということか。俺はみたくないなぁ。「あー、それそれ、本編じゃぜったい見られないけど、絡んでるよね絶対」ってのがみたいんだけど、AV女優になった穂乃果やらがみたいわけじゃないんだよなー。
感想なら、クソを素晴らしい香りと言おうが白地図に対して白い!と文句をつけようが自由だ。
だが、「進撃の巨人」と「Mad Max: Fury Road」を並べて批評するのは、適切だろうか?
クソリプ、という言葉がある。便利かつ端的だ。
例えば、最近の映画だと『ドラゴンボールZ 復活の「F」』がある。
「フリーザの進化形でゴールデンフリーザってダセえ!子供か!」と言うのはクソリプだろう。
作品の質を「進撃の巨人」と比較するなら、「スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!」とかのハズだ。
「フィニアスとファーブ ザ・ムービー」と「映画けいおん!」を比較してはいけないのだ。
どちらが偉いとか、どちらの方が優れていると言う意味では無く、分類が違うのだ。
同じ図鑑に載っていない。動物園なら違うコーナーに展示されているのだ。
似ていても「パシフィック・リム」と「巨神兵東京に現わる」を比較するのは違うというのは判るだろう。
同じように「Mad Max: Fury Road」と「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の比較もナンセンスだ。
羽生善治と町内一将棋に強い八百屋の親父の打ち筋を比べるような、傲慢でかつ無意味な比較だ。
なぜ、「ローレライ」や「日本沈没」での実績がある樋口真嗣監督を、
音痴だがタップダンスの上手いペンギンがタップでペンギンの世界を救うという
愛らしくもマッドさとは無縁な「ハッピー フィート」でアカデミーまで取ったジョージ・ミラーと比べるのだ。
(ペンギンで稼いで世紀末映画撮れるって小躍りするジョージもジョージだが)
「パシフィック・リム」は、全世界でこそ400億だが、日本に限ればわずかに15億の興行収入だった。
つまり、広報宣伝にテレビが大きく絡むキャスティングや出資者の納得するシナリオ必須など、
魑魅魍魎の跋扈する邦画界において稼げる稀有な監督が、樋口真嗣なのだ。
その意味で、「みんなの感想は面白いけど批評としてはなんか違う」というのを言語化するきっかけになった
壁から出ることを拒んだ制作者たち 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 小覇王の徒然はてな別館が「ハンガー・ゲーム」や「メイズ・ランナー」をあげているのは、実に慧眼だと思う。
内気な女子高生とイケメン・バンパイヤが恋をする少女漫画のような「トワイライト」とか
高校生になると性格診断で中二病な名前のグループに振り分けられて争う「ダイバージェント」とか
様々な欲望をストレートに発散できなかった鬱屈を青臭さでコーティングしたようなヤングアダルト映画と比較すべきなのだ。
これを外すと、クソリプになってしまう。
大金庫の奥に女性たちを大事に保護し、同時にモノとして扱っていると端的に示すシーンや、
急な方向転換にもボスの意向を確認してから迅速に隊列を組み直すウォーボーイズや
轢くまいと同乗者を無視して咄嗟にハンドルを切るイモータン・ジョーの姿など、
アレだけ判りやすく演出しながら終始ハイテンションなマッドマックスとは違うジャンルの映画なのだ。
主要なキャスティングで、手堅くまとめている。
所属事務所の調整がエクストリームなのに、比較的演技派で固められている。
演技や配役に関しては、さほど文句は出ない(観た人が納得する)キャスティングと言える。
かつ、きちんとバラエティー出演やワイドショーで取り上げられやすい人を入れていて、広報的にも万全。
日本の映画は(洋画も邦画も)「テレビで宣伝→一斉に人が来て儲かる」という流れなので、
たまに演技の素人さんが入るのもご愛嬌なんだけど、そんなことはない手堅い布陣。
はてブは、ワリと「要旨全無視で1行だけにツッコム」という日本人(主語)の減点指向を振り返る場所だが、
「面白かったね!じゃ、ご飯食べてラブホ行こっか」みたいなカップルとか、
「カッコ良かったな!キモかったし!カラオケ行こうぜ!」みたいな高校生とか
「あのシーン泣ける~とツイートしたしファミレスにお茶行こ」みたいなグループとか、
ターゲットとなる観客たちにとって、本作は微妙なラインではある。
要らないエロがある。エロならエロ、重いシーンなら重いシーンと、きちんと分けないと観客が戸惑う。
また、主役級のキャラクターの動機がフラフラすると理解できずに置いてけぼりになる観客が多くなるので、
その意味で単純に「必要のないシーンが有る」「描きたいシーンを繋ぐシナリオが甘い」という残念な出来ではある。
矛盾するようだが、シーン優先、つまり場面やある瞬間の一連のお芝居だけを覚えて帰る観客は意外に多い。
機関銃ぶっ放して快感言っとけば客が喜ぶ時代から、人間さほど進歩してないとも言える。
特撮は流石に良い出来で、その点を見に行くのであれば問題はない。
ただし、ドラマパートは監督と脚本の思想によるものか、全体を通して複数人のレビューを受けてないお芝居に見える。
動機付け、感情の流れ、イベントと対応、演出、全てがパッチワークというよりは、ツギハギになっている。
クソリプ良くない。
例えばオーストラリアのゴア映画と、ハリウッドのマイケル・ベイ映画を比較しても意味は無い。
同じように「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」と「Mad Max: Fury Road」との比較もナンセンスだ。
キチンと適切な比較対象を持ってきた上で、クソな部分をクソだと言うのが、批評だ。
儲かる、だがしかし面白くはない。ハリウッド映画とは方向性が違う。
そういう実に邦画らしい邦画で、ちゃんと儲けて実績も残ると思う。
平成ゴジラとハリウッド2回めGODZILLAの中間みたいな。
個人的には、町山智浩が文句つけながら諫山創とヘッドギアに脚本書いてもらえば良かったと思う。もう遅いけど。
総評としては、「良いキャスティング」「演技は良い」「特撮は良い」「シナリオは悪い」「演出は悪い」。
演技が良い分、邦画の特撮映画としてはマシな方だと言える。まあ夏休みの中高生~若者向けだろう。
映画には様々な見方が存在するので、ハリウッド映画やフランス映画が優れているというわけではない。
映画館内で飲み食いして踊る社交場になっているインド事情的には、フルコーラスで踊りが入っている映画が良い映画だ。
(インドも南の方は保守的なのでそこまで騒ぐわけではないみたいだけど)
話題性をテレビで宣伝して人に来てもらって稼ぐ邦画が悪いとは言わないし、そういう方向性もあると思う。
ドニー・イェン仕込みのアクションを和風に落としこんで撮り切った谷垣健治だって、ワーナーからカネ引っ張る理由に「るろうに剣心」を使ったわけで。
好きな映画は見に行く、嫌いな映画は積極的に見に行かないを徹底しないと、いつまでたっても方向性変わらないぞ。
世の中カネ稼いだものが偉い。勝てば官軍負ければ賊軍。
メダルもAPもそこそこ溜まり、ぬるく遊んでるつもりがいつのまにやらどっぷり遊んでいる。
中にはIngressのために旅に出たり各地のイベントに顔を出したりする奴もいるらしいが、自分はそこまでやる気はない。
せいぜい通勤と散歩と、あとプレイヤーな友人同士で話題になったときくらいのものだ。
どっぷりながらもそこまでハマっている感じもなく、ほどほどに楽しんでいる。
そこで、およそ1年ほど遊んで、自分がIngressに感じたことを幾つか書いていこうと思う。
Ingressを初めて劇的に変わったことは、外での空き時間を持て余すことが少なくなったことだ。
自分は、どこかに出かける時、ついかなり早めの時間に到着してしまう事がある。
例えば約束の時間30分前についてしまったとき、以前はカフェに入るか、お店を物色してだらだら過ごすか、それでも時間が微妙と思いぼーっと過ごす、なんて感じだった。
それが、今は意図的に30分、もしくは1時間早めに目的地に移動し、空き時間を使ってIngressで遊んで過ごしている。
短時間ならアイテム集め、長時間なら本格的な陣取りといったように、手持ち時間で自由に遊べる。
自分の場合、ほとんど一人で遊んでいるのだが、友人の中には、普通に出かけている時にIngressを初めてしまう奴がいる。
移動中に突如「ちょっと行ってくる」と言い残し、道路向こう側や少し離れたところにあるポータルまでいなくなってしまうこともある。
で、しばらくしてから「今どこ?」のメッセージが飛んでくる。ふざけんな。
本人たちは迷惑掛けない程度に遊んでるのかもしれないが、あまりにゲームにハマり過ぎて、周りのことが見えていない連中がいる。
今でこそ自分もプレイヤーなので、「少し行けばリンク張れる」みたいな欲が出る気持ちは理解できる。
のだが、自分が非プレイヤーだった頃にそれをやられた時、はっきり言ってストレス以外の何者でもなかった。
せめて、脱線してポータルまで移動するのは、Ingressプレイヤーだけで集まったときだけにして欲しい。
情報収集せずに遊んでいたので、最近ググタスや2chを見て分かったのだが、ヘヴィプレイヤーたちのコミュニティが、想像以上に面倒臭いというか、生臭い。
2chでは当たり前のようにランカーなどを晒し罵倒して喜ぶ連中がいる。
ググタスを開けば多少整然としていれども、更に根深い「コミュニティ」単位での議論が湧き上がっていたりする。
例えば以下。
https://plus.google.com/108603292293441800244/posts/FKVJqqUe5gM
わかりづらいかもしれないが、要約すると「動物園の外から中のポータル攻撃したら、外から攻撃するの止めろって言われた」というもの。
どこのコミュニティでもマイルール・ローカルルールを押し付ける者はいるが、こんな自陣・敵陣別れて遊ぶゲームで「暗黙のルールで攻撃するな」とか言うのがいるって思うとただただ萎える。
ゲームなんだよこれ。敵陣のポータルいただくのが目的なんだよ。
グーグル様が決めたルールがあるんだから、その上にお前らのオレオレルールを持ち込むなよ。
ほんっと面倒くさいゲームだな。
あくまで俺の意見だが、単純にスマホのゲームとして楽しみたいなら、コミュニティだなんだを気にしないほうがいい。
もちろんゲームがゲームなんで、リアルキャプチャされることもあるだろう。
イベントに参加して人とのつながりを広げるのも楽しみの一つ、というのは認める。
ゲームを超えたコミュニケーションの楽しみを作ってくれていることもわかる。
こう言うと二次元と三次元の区別が付いてない人間みたいだし俺も普段はこんなこと言わない。
二次元でしか抜かない人間がいるのも知ってるし、三次元に興味があるけど二次元で発散してちゃんと我慢してる奴らが沢山いるのも知ってる。
ロリがギリギリまで見せてる深夜アニメやモロに見せてるエロアニメなんていくらでもあるけどそれ買ってる連中までマークしろとは思わない。
だけどこのアニメは違う。
こいつは"ガチ"だ。
幼い体が好きなだけじゃなくて、幼い精神性まで好きな連中が本気で作ってる。
説明しよう。
このアニメの主人公は小中学生4人だ(突っ込みが入りそうだから先回りすると兄ちゃんはモブだ。ねーちんもモブだ)。
1 耳年増な小学1年生
4 普通の中1
この組み合わせが完全にキてる。
体が大人の小学生は普段はその身の丈にあった落ち着いた振る舞いをしているが中身は子供だ。
そして体が小学生の中学生がその外見のせいで舐められていて、その状態に長く留まっている内に中身まで子供のままというのもエロい。
そしてこういった集団に囲まれることで普通の中学生であるということが埋もれずに輝く。
中学生だらけの空間に普通の中学生がいても人間は何も思わない。
100万円の商品を詐欺師に売りつけられそうになって「じゃあ80万、いや50万、もういい30万でいいよ」と言われたら揺れ動くぐらいに人の判断基準はグラグラだ。
女の子動物園があふれた現代において、ただ女子中学生であるという事の価値を我々は忘れ始めている。
このアニメはそれを思い出させてくれる。
ロリだけど生理は終えているであろうがもしかしたらまだ終えていないかも知れないというそのアンバランス。
本当に素晴らしい。
だってそうだろう、羊水は初潮終えたての新品で子に恵みを与える乳房は豊満、母体として余りに完璧ではないか。
それなのに心はまだ穢れを知らず透明感の有る危うさを主成分としているんだぞ!
最高じゃねーか!
このアニメの魅力(ロリのロリとしての素晴らしさ)に惹かれている人間はガチのロリコンだ。
そいつが二次元にだけ興味があるならいいが、ただアニメの円盤を買ったかどうかで二次元にしか興味がないと言い切れる保証なんて無い。