はてなキーワード: 不愉快とは
例えば、「境界知能」がそのいい例で、ネットだと非難する意図でこの言葉を使うので、怒りのポイントが自然と+1される
あと、「ガ〇ジ」や「〇ね」、「馬と鹿」もいい例だったりする
こうなる場合、相手は怒ってることが多く、怒りだすと殴られたり、タイムアウトと称して閉じ込められたりいやな目にあうことが予想されるので、怒りのポイントが+1される
また、金切り声事態が不愉快なので、それでも、怒りのポイントが+1される
集団から追い出すこと自体がストレスなので、怒りのポイントが+1される
高度行動障害といってもいきなりブチ切れるわけではなく、怒りのポイントが一定数たまったら、ブチ切れるだけなので、そうならないようにすればいい。
ただ、それだけの話だ。
もっとも怒りのポイントがたまるのは工事の音や電車の音、3点ユニットバス、喧嘩の怒鳴り声などいくらでもあって、完全に回避するのは難しいけどな…。
なので、その場しのぎ的に、より強い力で立ち向かうのが実は正解だったりするんだが…
でも、それをすると、怒りのポイントがたまるようなことをした立場の弱い者に向かうだけなんで、あまり意味はないし、寝込みを襲うことを考えたりもするのでほどほどにしておいたほうがいいかな。
ちなみに怒りのポイントがたまるのを抑える方法はいくつかあって、強度行動障害の怒りは俗にいう赤い怒りなので、赤い怒り 漢方とググると出てくるものが一番か効くことが多い。
☆赤い怒り(憤)
怒りの理由は正当であり、「憤慨している」。
なんでこんな些細なことに怒るの!
介護者のちょっとしたミスを容認できずに介護抵抗をきたすタイプ。
時には、介護側等が謝らなければいけないことも。
☆蒼い怒り(怒)
怒りの理由が誤解であり「怯えの裏返し」
なぜ怒るの?
「怒」の理由が他者には理解しにくいが、何となく共感はできる。
誤解を解くことが必要。
☆白い怒り(忿)
理解できない!
状態がいい時もあるため、
☆玄い怒り(怨)
怒りの理由が封印されていた過去の嫌悪体験「いま・ここへの甦り」
「何をいまさら!」と当惑する。
・憤(赤い怒り)⇒黄連解毒湯
・忿(白い怒り)⇒人参養栄湯
・怨(玄い怒り)⇒桂枝加芍薬湯合四物湯
以前これ( https://anond.hatelabo.jp/20240926223848 )を書いてから、また思うことというか……完全にグループとしては推せなくなったなと感じたのでまた愚痴をこぼさせて欲しい。
上記のものは別に読まなくていい、今回の愚痴は転生前のアカウントを今も積極的に動かしている子へのものではないので。(個人活動の方は今もファンに言ってないんじゃないかな。配信見てないから知らんけど。今度の個人ライブ成功するといいですね)
どこにも吐き出せない呪詛のようなものなので長いのは容赦してください。
デビューしてからまだ半年弱、グループ内では初めての誕生日を迎えた子で「いつも歌を届けてくれてありがとう!デビューしてくれてありがとう!」と素直に嬉しかった。だって推しだもん。
カウントダウン配信だとか、誕生日当日にその子の個人配信が予定されていたりだとか、盛りだくさんで本当に嬉しかった!
カウントダウンの時にみんなにプレゼントがあるよー、と言われて何かと思えば個人配信枠にメンバー全員がお祝いに来るという内容で、つまり公式配信と同じってこと?と思わなくもなかったが推しがメンバーから祝われる瞬間を見れるのはファンとして嬉しいので喜んでいた。
問題はその当日配信。メンバーそれぞれから誕生日プレゼントを持ち寄って、本人のリアクションを見ていくようなもの。
誕生日の子に寄り添ったプレゼントを渡す子も居れば得意分野のプレゼントを贈る子も居て、らしいなーと途中までニコニコしながら観ていたけれど。
全部で3つあると言った彼が用意していたのは、ひとつは普通に物のプレゼント。もうふたつは彼が最近カバーした曲と同じものを歌った動画と、手描きのサムネイル。
グループ内には絵が上手い子と作詞作曲が出来る子が居るのに、被るとか考えなかったのかな……とか考えもしたけど、その辺は気にしないこともあるか?ととりあえず配信を観ていた。
せっかくプレゼントだからと動画を配信で流してくれたけど、ネタ要素のひとつも無い、普通の歌ってみた動画。
大困惑。
え、これあなたの個人枠でもなければ誕生日の子を祝うための枠なんですが?
流れ終わったあと、「この間の歌みたがすごく良かったからそれを聴きながら撮りました」「本当は最後のところにずっと一緒だよーってセリフ入れるつもりだったのに、MIX師さんにそのデータ送るの忘れてて普通の歌みたになっちゃった」と弁明はしていたけど……正直何言ってるのかさっぱりわからん。
私が穿った見方をしているからだとは思うが、誕生日の子だって反応に困ってた気がする……。
極めつけは配信終盤。
プレゼントを全部受け取り終わったあとの軽い雑談のときの、「◯◯の歌をずっと聴きながら撮ってたからだんだん苦しかった、そろそろもう……いいやみたいな気持ちになった」って発言。
それ、要らなくない?なんでメンバーの誕生日にそんな下げるような事を言うの?
誕生日の子はムードメーカー的存在で、弄られやすいキャラっていうのは理解してる。でもさっきの発言をした子からの当たりが特に最近強いなと感じていて、正直なところ不愉快寄りではあった。そこに燃料を投下された気分だ。
いじり方がコイツならどんな弄りをしてもいいってイキってる学生みたいで、見ててもキツいしされている方はすり減ってくばっかりだろって怒りも湧いてくる。
他の配信でも失言が多いし、コラボ配信では失言のせいでアーカイブが非公開になってるものもあるし。自覚も意識もないんだろうなと言うのがひしひしと伝わる振る舞い、メンバーのお祝い配信ですらやらかすのかコイツ、と思ってしまった。
デビューしたての頃はかわいいな、この子が推しになるかもな、と思っていたのにどんどんヘイトが溜まっている。
配信者としての設定された誕生日かもしれないけど、それでもファンからしたらその日が推しの誕生日で、それも初めての日で。もっと大事にして欲しかった。
推しの誕生日くらい、ずっと嬉しい気持ちで終わりたかったなー。
ひとりはタレントとして有り得ない人間性とプロ意識の無さが透けて見える言動が多くて、ひとりはファンに対して誠実でなくて、こんなんじゃ箱推しはもうできないので。
https://anond.hatelabo.jp/20241002005552
一一
このごろ与次郎が学校で文芸協会の切符を売って回っている。二、三日かかって、知った者へはほぼ売りつけた様子である。与次郎はそれから知らない者をつかまえることにした。たいていは廊下でつかまえる。するとなかなか放さない。どうかこうか、買わせてしまう。時には談判中にベルが鳴って取り逃すこともある。与次郎はこれを時利あらずと号している。時には相手が笑っていて、いつまでも要領を得ないことがある。与次郎はこれを人利あらずと号している。ある時便所から出て来た教授をつかまえた。その教授はハンケチで手をふきながら、今ちょっとと言ったまま急いで図書館へはいってしまった。それぎりけっして出て来ない。与次郎はこれを――なんとも号しなかった。後影を見送って、あれは腸カタルに違いないと三四郎に教えてくれた。
与次郎に切符の販売方を何枚頼まれたのかと聞くと、何枚でも売れるだけ頼まれたのだと言う。あまり売れすぎて演芸場にはいりきれない恐れはないかと聞くと、少しはあると言う。それでは売ったあとで困るだろうと念をおすと、なに大丈夫だ、なかには義理で買う者もあるし、事故で来ないのもあるし、それから腸カタルも少しはできるだろうと言って、すましている。
与次郎が切符を売るところを見ていると、引きかえに金を渡す者からはむろん即座に受け取るが、そうでない学生にはただ切符だけ渡している。気の小さい三四郎が見ると、心配になるくらい渡して歩く。あとから思うとおりお金が寄るかと聞いてみると、むろん寄らないという答だ。几帳面にわずか売るよりも、だらしなくたくさん売るほうが、大体のうえにおいて利益だからこうすると言っている。与次郎はこれをタイムス社が日本で百科全書を売った方法に比較している。比較だけはりっぱに聞こえたが、三四郎はなんだか心もとなく思った。そこで一応与次郎に注意した時に、与次郎の返事はおもしろかった。
「いくら学生だって、君のように金にかけるとのん気なのが多いだろう」
「なに善意に払わないのは、文芸協会のほうでもやかましくは言わないはずだ。どうせいくら切符が売れたって、とどのつまりは協会の借金になることは明らかだから」
三四郎は念のため、それは君の意見か、協会の意見かとただしてみた。与次郎は、むろんぼくの意見であって、協会の意見であるとつごうのいいことを答えた。
与次郎の説を聞くと、今度は演芸会を見ない者は、まるでばかのような気がする。ばかのような気がするまで与次郎は講釈をする。それが切符を売るためだか、じっさい演芸会を信仰しているためだか、あるいはただ自分の景気をつけて、かねて相手の景気をつけ、次いでは演芸会の景気をつけて、世上一般の空気をできるだけにぎやかにするためだか、そこのところがちょっと明晰に区別が立たないものだから、相手はばかのような気がするにもかかわらず、あまり与次郎の感化をこうむらない。
与次郎は第一に会員の練習に骨を折っている話をする。話どおりに聞いていると、会員の多数は、練習の結果として、当日前に役に立たなくなりそうだ。それから背景の話をする。その背景が大したもので、東京にいる有為の青年画家をことごとく引き上げて、ことごとく応分の技倆を振るわしたようなことになる。次に服装の話をする。その服装が頭から足の先まで故実ずくめにでき上がっている。次に脚本の話をする。それが、みんな新作で、みんなおもしろい。そのほかいくらでもある。
与次郎は広田先生と原口さんに招待券を送ったと言っている。野々宮兄妹と里見兄妹には上等の切符を買わせたと言っている。万事が好都合だと言っている。三四郎は与次郎のために演芸会万歳を唱えた。
万歳を唱える晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とはうって変っている。堅くなって火鉢のそばへすわって寒い寒いと言う。その顔がただ寒いのではないらしい。はじめは火鉢へ乗りかかるように手をかざしていたが、やがて懐手になった。三四郎は与次郎の顔を陽気にするために、机の上のランプを端から端へ移した。ところが与次郎は顎をがっくり落して、大きな坊主頭だけを黒く灯に照らしている。いっこうさえない。どうかしたかと聞いた時に、首をあげてランプを見た。
「この家ではまだ電気を引かないのか」と顔つきにはまったく縁のないことを聞いた。
「まだ引かない。そのうち電気にするつもりだそうだ。ランプは暗くていかんね」と答えていると、急に、ランプのことは忘れたとみえて、
一応理由を聞いてみる。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なっている。その一枚をはがして、新しく畳み直して、ここを読んでみろと差しつけた。読むところを指の頭で押えている。三四郎は目をランプのそばへ寄せた。見出しに大学の純文科とある。
大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者はいっさいの授業を外国教師に依頼していたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促されて、今度いよいよ本邦人の講義も必須課目として認めるに至った。そこでこのあいだじゅうから適当の人物を人選中であったが、ようやく某氏に決定して、近々発表になるそうだ。某氏は近き過去において、海外留学の命を受けたことのある秀才だから至極適任だろうという内容である。
「広田先生じゃなかったんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎はやっぱり新聞の上を見ている。
「どうも」と首を曲げたが、「たいてい大丈夫だろうと思っていたんだがな。やりそくなった。もっともこの男がだいぶ運動をしているという話は聞いたこともあるが」と言う。
「しかしこれだけじゃ、まだ風説じゃないか。いよいよ発表になってみなければわからないのだから」
「いや、それだけならむろんかまわない。先生の関係したことじゃないから、しかし」と言って、また残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で押えて、三四郎の目の下へ出した。
今度の新聞にもほぼ同様の事が載っている。そこだけはべつだんに新しい印象を起こしようもないが、そのあとへ来て、三四郎は驚かされた。広田先生がたいへんな不徳義漢のように書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞こえない凡材のくせに、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くやいなや、急にこそこそ運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならずその門下生をして「偉大なる暗闇」などという論文を小雑誌に草せしめた。この論文は零余子なる匿名のもとにあらわれたが、じつは広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものの筆であることまでわかっている。と、とうとう三四郎の名前が出て来た。
三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎はまえから三四郎の顔を見ている。二人ともしばらく黙っていた。やがて、三四郎が、
「困るなあ」と言った。少し与次郎を恨んでいる。与次郎は、そこはあまりかまっていない。
「君、これをどう思う」と言う。
「どう思うとは」
「投書をそのまま出したに違いない。けっして社のほうで調べたものじゃない。文芸時評の六号活字の投書にこんなのが、いくらでも来る。六号活字はほとんど罪悪のかたまりだ。よくよく探ってみると嘘が多い。目に見えた嘘をついているのもある。なぜそんな愚な事をやるかというとね、君。みんな利害問題が動機になっているらしい。それでぼくが六号活字を受持っている時には、性質のよくないのは、たいてい屑籠へ放り込んだ。この記事もまったくそれだね。反対運動の結果だ」
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。
「ぜんたいぼくが零余子なんてけちな号を使わずに、堂々と佐々木与次郎と署名しておけばよかった。じっさいあの論文は佐々木与次郎以外に書ける者は一人もないんだからなあ」
与次郎はまじめである。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪われて、かえって迷惑しているのかもしれない。三四郎はばかばかしくなった。
「さあ、そこだ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だって、ぼくだって、どちらだってかまわないが、こと先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはいられない。ああいう先生だから、いっこう知りません、何か間違いでしょう、偉大なる暗闇という論文は雑誌に出ましたが、匿名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさいくらいに言っておけば、そうかで、すぐ済んでしまうわけだが、このさいそうはいかん。どうしたってぼくが責任を明らかにしなくっちゃ。事がうまくいって、知らん顔をしているのは、心持ちがいいが、やりそくなって黙っているのは不愉快でたまらない。第一自分が事を起こしておいて、ああいう善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がしておられるものじゃない。正邪曲直なんてむずかしい問題は別として、ただ気の毒で、いたわしくっていけない」
「家へ来る新聞にゃない。だからぼくも知らなかった。しかし先生は学校へ行っていろいろな新聞を見るからね。よし先生が見なくってもだれか話すだろう」
「すると、もう知ってるな」
「むろん知ってるだろう」
「君にはなんとも言わないか」
「言わない。もっともろくに話をする暇もないんだから、言わないはずだが。このあいだから演芸会の事でしじゅう奔走しているものだから――ああ演芸会も、もういやになった。やめてしまおうかしらん。おしろいをつけて、芝居なんかやったって、何がおもしろいものか」
「しかられるだろう。しかられるのはしかたがないが、いかにも気の毒でね。よけいな事をして迷惑をかけてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、煙草は」と言いかけたが途中でやめてしまった。先生の哲学を鼻から煙にして吹き出す量は月に積もると、莫大なものである。
「煙草だけはかなりのむが、そのほかになんにもないぜ。釣りをするじゃなし、碁を打つじゃなし、家庭の楽しみがあるじゃなし。あれがいちばんいけない。子供でもあるといいんだけれども。じつに枯淡だからなあ」
与次郎はそれで腕組をした。
「たまに、慰めようと思って、少し奔走すると、こんなことになるし。君も先生の所へ行ってやれ」
「行ってやるどころじゃない。ぼくにも多少責任があるから、あやまってくる」
「君はあやまる必要はない」
「じゃ弁解してくる」
与次郎はそれで帰った。三四郎は床にはいってからたびたび寝返りを打った。国にいるほうが寝やすい心持ちがする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎えに来て連れていったりっぱな男――いろいろの刺激がある。
夜中からぐっすり寝た。いつものように起きるのが、ひどくつらかった。顔を洗う所で、同じ文科の学生に会った。顔だけは互いに見知り合いである。失敬という挨拶のうちに、この男は例の記事を読んでいるらしく推した。しかし先方ではむろん話頭を避けた。三四郎も弁解を試みなかった。
暖かい汁の香をかいでいる時に、また故里の母からの書信に接した。また例のごとく、長かりそうだ。洋服を着換えるのがめんどうだから、着たままの上へ袴をはいて、懐へ手紙を入れて、出る。戸外は薄い霜で光った。
通りへ出ると、ほとんど学生ばかり歩いている。それが、みな同じ方向へ行く。ことごとく急いで行く。寒い往来は若い男の活気でいっぱいになる。そのなかに霜降りの外套を着た広田先生の長い影が見えた。この青年の隊伍に紛れ込んだ先生は、歩調においてすでに時代錯誤である。左右前後に比較するとすこぶる緩漫に見える。先生の影は校門のうちに隠れた。門内に大きな松がある。巨大の傘のように枝を広げて玄関をふさいでいる。三四郎の足が門前まで来た時は、先生の影がすでに消えて、正面に見えるものは、松と、松の上にある時計台ばかりであった。この時計台の時計は常に狂っている。もしくは留まっている。
門内をちょっとのぞきこんだ三四郎は、口の中で「ハイドリオタフヒア」という字を二度繰り返した。この字は三四郎の覚えた外国語のうちで、もっとも長い、またもっともむずかしい言葉の一つであった。意味はまだわからない。広田先生に聞いてみるつもりでいる。かつて与次郎に尋ねたら、おそらくダーターファブラのたぐいだろうと言っていた。けれども三四郎からみると二つのあいだにはたいへんな違いがある。ダーターファブラはおどるべき性質のものと思える。ハイドリオタフヒアは覚えるのにさえ暇がいる。二へん繰り返すと歩調がおのずから緩漫になる。広田先生の使うために古人が作っておいたような音がする。
学校へ行ったら、「偉大なる暗闇」の作者として、衆人の注意を一身に集めている気色がした。戸外へ出ようとしたが、戸外は存外寒いから廊下にいた。そうして講義のあいだに懐から母の手紙を出して読んだ。
この冬休みには帰って来いと、まるで熊本にいた当時と同様な命令がある。じつは熊本にいた時分にこんなことがあった。学校が休みになるか、ならないのに、帰れという電報が掛かった。母の病気に違いないと思い込んで、驚いて飛んで帰ると、母のほうではこっちに変がなくって、まあ結構だったといわぬばかりに喜んでいる。訳を聞くと、いつまで待っていても帰らないから、お稲荷様へ伺いを立てたら、こりゃ、もう熊本をたっているという御託宣であったので、途中でどうかしはせぬだろうかと非常に心配していたのだと言う。三四郎はその当時を思いだして、今度もまた伺いを立てられることかと思った。しかし手紙にはお稲荷様のことは書いてない。ただ三輪田のお光さんも待っていると割注みたようなものがついている。お光さんは豊津の女学校をやめて、家へ帰ったそうだ。またお光さんに縫ってもらった綿入れが小包で来るそうだ。大工の角三が山で賭博を打って九十八円取られたそうだ。――そのてんまつが詳しく書いてある。めんどうだからいいかげんに読んだ。なんでも山を買いたいという男が三人連で入り込んで来たのを、角三が案内をして、山を回って歩いているあいだに取られてしまったのだそうだ。角三は家へ帰って、女房にいつのまに取られたかわからないと弁解した。すると、女房がそれじゃお前さん眠り薬でもかがされたんだろうと言ったら、角三が、うんそういえばなんだかかいだようだと答えたそうだ。けれども村の者はみんな賭博をして巻き上げられたと評判している。いなかでもこうだから、東京にいるお前なぞは、本当によく気をつけなくてはいけないという訓誡がついている。
長い手紙を巻き収めていると、与次郎がそばへ来て、「やあ女の手紙だな」と言った。ゆうべよりは冗談をいうだけ元気がいい。三四郎は、
「なに母からだ」と、少しつまらなそうに答えて、封筒ごと懐へ入れた。
「いいや」
「何を」と問い返しているところへ、一人の学生が、与次郎に、演芸会の切符をほしいという人が階下に待っていると教えに来てくれた。与次郎はすぐ降りて行った。
与次郎はそれなり消えてなくなった。いくらつらまえようと思っても出て来ない。三四郎はやむをえず精出して講義を筆記していた。講義が済んでから、ゆうべの約束どおり広田先生の家へ寄る。相変らず静かである。先生は茶の間に長くなって寝ていた。ばあさんに、どうかなすったのかと聞くと、そうじゃないのでしょう、ゆうべあまりおそくなったので、眠いと言って、さっきお帰りになると、すぐに横におなりなすったのだと言う。長いからだの上に小夜着が掛けてある。三四郎は小さな声で、またばあさんに、どうして、そうおそくなったのかと聞いた。なにいつでもおそいのだが、ゆうべのは勉強じゃなくって、佐々木さんと久しくお話をしておいでだったという答である。勉強が佐々木に代ったから、昼寝をする説明にはならないが、与次郎が、ゆうべ先生に例の話をした事だけはこれで明瞭になった。ついでに与次郎が、どうしかられたかを聞いておきたいのだが、それはばあさんが知ろうはずがないし、肝心の与次郎は学校で取り逃してしまったからしかたがない。きょうの元気のいいところをみると、大した事件にはならずに済んだのだろう。もっとも与次郎の心理現象はとうてい三四郎にはわからないのだから、じっさいどんなことがあったか想像はできない。
三四郎は長火鉢の前へすわった。鉄瓶がちんちん鳴っている。ばあさんは遠慮をして下女部屋へ引き取った。三四郎はあぐらをかいて、鉄瓶に手をかざして、先生の起きるのを待っている。先生は熟睡している。三四郎は静かでいい心持ちになった。爪で鉄瓶をたたいてみた。熱い湯を茶碗についでふうふう吹いて飲んだ。先生は向こうをむいて寝ている。二、三日まえに頭を刈ったとみえて、髪がはなはだ短かい。髭のはじが濃く出ている。鼻も向こうを向いている。鼻の穴がすうすう言う。安眠だ。
三四郎は返そうと思って、持って来たハイドリオタフヒアを出して読みはじめた。ぽつぽつ拾い読みをする。なかなかわからない。墓の中に花を投げることが書いてある。ローマ人は薔薇を affect すると書いてある。なんの意味だかよく知らないが、おおかた好むとでも訳するんだろうと思った。ギリシア人は Amaranth を用いると書いてある。これも明瞭でない。しかし花の名には違いない。それから少しさきへ行くと、まるでわからなくなった。ページから目を離して先生を見た。まだ寝ている。なんでこんなむずかしい書物を自分に貸したものだろうと思った。それから、このむずかしい書物が、なぜわからないながらも、自分の興味をひくのだろうと思った。最後に広田先生は必竟ハイドリオタフヒアだと思った。
このくだりビターだ
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
三四郎はあきれ返ったような笑い方をして、四人のあとを追いかけた。四人は細い横町を三分の二ほど広い通りの方へ遠ざかったところである。この一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が熊本当時のそれよりも、ずっと意味の深いものになりつつあると感じた。かつて考えた三個の世界のうちで、第二第三の世界はまさにこの一団の影で代表されている。影の半分は薄黒い。半分は花野のごとく明らかである。そうして三四郎の頭のなかではこの両方が渾然として調和されている。のみならず、自分もいつのまにか、しぜんとこの経緯のなかに織りこまれている。ただそのうちのどこかにおちつかないところがある。それが不安である。歩きながら考えると、いまさき庭のうちで、野々宮と美禰子が話していた談柄が近因である。三四郎はこの不安の念を駆るために、二人の談柄をふたたびほじくり出してみたい気がした。
四人はすでに曲がり角へ来た。四人とも足をとめて、振り返った。美禰子は額に手をかざしている。
三四郎は一分かからぬうちに追いついた。追いついてもだれもなんとも言わない。ただ歩きだしただけである。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なおそんな事をおっしゃるんでしょう」と言いだした。話の続きらしい。
「なに理学をやらなくっても同じ事です。高く飛ぼうというには、飛べるだけの装置を考えたうえでなければできないにきまっている。頭のほうがさきに要るに違いないじゃありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかもしれません」
「そうすると安全で地面の上に立っているのがいちばんいい事になりますね。なんだかつまらないようだ」
「女には詩人が多いですね」と笑いながら言った。すると広田先生が、
「男子の弊はかえって純粋の詩人になりきれないところにあるだろう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙った。よし子と美禰子は何かお互いの話を始める。三四郎はようやく質問の機会を得た。
「今のは何のお話なんですか」
「なに空中飛行機の事です」と野々宮さんが無造作に言った。三四郎は落語のおちを聞くような気がした。
それからはべつだんの会話も出なかった。また長い会話ができかねるほど、人がぞろぞろ歩く所へ来た。大観音の前に乞食がいる。額を地にすりつけて、大きな声をのべつに出して、哀願をたくましゅうしている。時々顔を上げると、額のところだけが砂で白くなっている。だれも顧みるものがない。五人も平気で行き過ぎた。五、六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「いいえ」と三四郎があとを見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合わせて、相変らず大きな声を出している。
「やる気にならないわね」とよし子がすぐに言った。
「なぜ」とよし子の兄は妹を見た。たしなめるほどに強い言葉でもなかった。野々宮の顔つきはむしろ冷静である。
「ああしじゅうせっついていちゃ、せっつきばえがしないからだめですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が言った。「あまり人通りが多すぎるからいけない。山の上の寂しい所で、ああいう男に会ったら、だれでもやる気になるんだよ」
「その代り一日待っていても、だれも通らないかもしれない」と野々宮はくすくす笑い出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日まで養成した徳義上の観念を幾分か傷つけられるような気がした。けれども自分が乞食の前を通る時、一銭も投げてやる了見が起こらなかったのみならず、実をいえば、むしろ不愉快な感じが募った事実を反省してみると、自分よりもこれら四人のほうがかえって己に誠であると思いついた。また彼らは己に誠でありうるほどな広い天地の下に呼吸する都会人種であるということを悟った。
行くに従って人が多くなる。しばらくすると一人の迷子に出会った。七つばかりの女の子である。泣きながら、人の袖の下を右へ行ったり、左へ行ったりうろうろしている。おばあさん、おばあさんとむやみに言う。これには往来の人もみんな心を動かしているようにみえる。立ちどまる者もある。かあいそうだという者もある。しかしだれも手をつけない。子供はすべての人の注意と同情をひきつつ、しきりに泣きさけんでおばあさんを捜している。不可思議の現象である。
「これも場所が悪いせいじゃないか」と野々宮君が子供の影を見送りながら言った。
「いまに巡査が始末をつけるにきまっているから、みんな責任をのがれるんだね」と広田先生が説明した。
「わたしのそばまで来れば交番まで送ってやるわ」とよし子が言う。
「じゃ、追っかけて行って、連れて行くがいい」と兄が注意した。
「追っかけるのはいや」
「なぜ」
「なぜって――こんなにおおぜいの人がいるんですもの。私にかぎったことはないわ」
「やっぱり場所が悪いんだ」と野々宮が言う。男は二人で笑った。団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
「もう安心大丈夫です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。広田先生はこの坂の上に立って、
「これはたいへんだ」と、さも帰りたそうである。四人はあとから先生を押すようにして、谷へはいった。その谷が途中からだらだらと向こうへ回り込む所に、右にも左にも、大きな葭簀掛けの小屋を、狭い両側から高く構えたので、空さえ存外窮屈にみえる。往来は暗くなるまで込み合っている。そのなかで木戸番ができるだけ大きな声を出す。「人間から出る声じゃない。菊人形から出る声だ」と広田先生が評した。それほど彼らの声は尋常を離れている。
一行は左の小屋へはいった。曾我の討入がある。五郎も十郎も頼朝もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪を起こしている。これも人形の心に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間なく衣装の恰好となるように作ったものである。
よし子は余念なくながめている。広田先生と野々宮はしきりに話を始めた。菊の培養法が違うとかなんとかいうところで、三四郎は、ほかの見物に隔てられて、一間ばかり離れた。美禰子はもう三四郎より先にいる。見物は、がいして町家の者である。教育のありそうな者はきわめて少ない。美禰子はその間に立って振り返った。首を延ばして、野々宮のいる方を見た。野々宮は右の手を竹の手欄から出して、菊の根をさしながら、何か熱心に説明している。美禰子はまた向こうをむいた。見物に押されて、さっさと出口の方へ行く。三四郎は群集を押し分けながら、三人を棄てて、美禰子のあとを追って行った。
ようやくのことで、美禰子のそばまで来て、
「里見さん」と呼んだ時に、美禰子は青竹の手欄に手を突いて、心持ち首をもどして、三四郎を見た。なんとも言わない。手欄のなかは養老の滝である。丸い顔の、腰に斧をさした男が、瓢箪を持って、滝壺のそばにかがんでいる。三四郎が美禰子の顔を見た時には、青竹のなかに何があるかほとんど気がつかなかった。
「どうかしましたか」と思わず言った。美禰子はまだなんとも答えない。黒い目をさもものうそうに三四郎の額の上にすえた。その時三四郎は美禰子の二重瞼に不可思議なある意味を認めた。その意味のうちには、霊の疲れがある。肉のゆるみがある。苦痛に近き訴えがある。三四郎は、美禰子の答を予期しつつある今の場合を忘れて、この眸とこの瞼の間にすべてを遺却した。すると、美禰子は言った。
「もう出ましょう」
眸と瞼の距離が次第に近づくようにみえた。近づくに従って三四郎の心には女のために出なければすまない気がきざしてきた。それが頂点に達したころ、女は首を投げるように向こうをむいた。手を青竹の手欄から離して、出口の方へ歩いて行く。三四郎はすぐあとからついて出た。
二人が表で並んだ時、美禰子はうつむいて右の手を額に当てた。周囲は人が渦を巻いている。三四郎は女の耳へ口を寄せた。
女は人込みの中を谷中の方へ歩きだした。三四郎もむろんいっしょに歩きだした。半町ばかり来た時、女は人の中で留まった。
「ここはどこでしょう」
「こっちへ行くと谷中の天王寺の方へ出てしまいます。帰り道とはまるで反対です」
「そう。私心持ちが悪くって……」
三四郎は往来のまん中で助けなき苦痛を感じた。立って考えていた。
「どこか静かな所はないでしょうか」と女が聞いた。
谷中と千駄木が谷で出会うと、いちばん低い所に小川が流れている。この小川を沿うて、町を左へ切れるとすぐ野に出る。川はまっすぐに北へ通っている。三四郎は東京へ来てから何べんもこの小川の向こう側を歩いて、何べんこっち側を歩いたかよく覚えている。美禰子の立っている所は、この小川が、ちょうど谷中の町を横切って根津へ抜ける石橋のそばである。
「もう一町ばかり歩けますか」と美禰子に聞いてみた。
「歩きます」
二人はすぐ石橋を渡って、左へ折れた。人の家の路地のような所を十間ほど行き尽して、門の手前から板橋をこちら側へ渡り返して、しばらく川の縁を上ると、もう人は通らない。広い野である。
三四郎はこの静かな秋のなかへ出たら、急にしゃべり出した。
「どうです、ぐあいは。頭痛でもしますか。あんまり人がおおぜい、いたせいでしょう。あの人形を見ている連中のうちにはずいぶん下等なのがいたようだから――なにか失礼でもしましたか」
女は黙っている。やがて川の流れから目を上げて、三四郎を見た。二重瞼にはっきりと張りがあった。三四郎はその目つきでなかば安心した。
「ありがとう。だいぶよくなりました」と言う。
「休みましょうか」
「ええ」
「もう少し歩けますか」
「ええ」
「歩ければ、もう少しお歩きなさい。ここはきたない。あすこまで行くと、ちょうど休むにいい場所があるから」
「ええ」
一丁ばかり来た。また橋がある。一尺に足らない古板を造作なく渡した上を、三四郎は大またに歩いた。女もつづいて通った。待ち合わせた三四郎の目には、女の足が常の大地を踏むと同じように軽くみえた。この女はすなおな足をまっすぐに前へ運ぶ。わざと女らしく甘えた歩き方をしない。したがってむやみにこっちから手を貸すわけにはいかない。
向こうに藁屋根がある。屋根の下が一面に赤い。近寄って見ると、唐辛子を干したのであった。女はこの赤いものが、唐辛子であると見分けのつくところまで来て留まった。
「美しいこと」と言いながら、草の上に腰をおろした。草は小川の縁にわずかな幅をはえているのみである。それすら夏の半ばのように青くはない。美禰子は派手な着物のよごれるのをまるで苦にしていない。
「もう少し歩けませんか」と三四郎は立ちながら、促すように言ってみた。
「ありがとう。これでたくさん」
「やっぱり心持ちが悪いですか」
三四郎もとうとうきたない草の上にすわった。美禰子と三四郎の間は四尺ばかり離れている。二人の足の下には小さな川が流れている。秋になって水が落ちたから浅い。角の出た石の上に鶺鴒が一羽とまったくらいである。三四郎は水の中をながめていた。水が次第に濁ってくる。見ると川上で百姓が大根を洗っていた。美禰子の視線は遠くの向こうにある。向こうは広い畑で、畑の先が森で森の上が空になる。空の色がだんだん変ってくる。
ただ単調に澄んでいたもののうちに、色が幾通りもできてきた。透き通る藍の地が消えるように次第に薄くなる。その上に白い雲が鈍く重なりかかる。重なったものが溶けて流れ出す。どこで地が尽きて、どこで雲が始まるかわからないほどにものうい上を、心持ち黄な色がふうと一面にかかっている。
「空の色が濁りました」と美禰子が言った。
少なくともうちの職場はそう
古い職場なので男女比に偏りがあるからハラスメント加害者の絶対数は男のほうが多いんだけど人数あたりのハラスメント加害者の数は女性の方が多かった
女性によるハラスメント加害としてよくあるのは、職場の昼休みや休憩時間、飲み会の席なんかで同僚の悪口を言うケース
女性の中には直接本人に悪口を言うのではなく井戸端会議的にその場にいない人の悪口を言って共感されたがるムーブをする人がちらほらいる
クライアント等のチーム共通の敵や遠い遠い今後関わることもないような部署の人の悪口ならともかく、普通に今後関わり合う人の悪口を言う人が結構いるから始末に負えないなと思う
中にはチームメンバーの悪口を同じチームの別の人に言ったりするケースもあった
どうも一部女性の中には悪口を言うことで仲良くなれる的な誤った認識を持っている人が少なくないようだ
「人の悪口を聞かされるのは不愉快」「悪口を聞くと影で自分の悪口も言ってるのではないかと思い信頼感がなくなってくる」等の、ごく常識的な感覚が欠落している
この手のハラスメントについては、悪口を聞かされた人がハラスメント相談室に密告して事態が発覚するケースが多い
「実際に悪口を言われている人が冷遇されている場面を目撃した」
といった形で、相談が寄せられる
もろもろ事情聴取した後にハラスメント加害者に対して叱責すると、たいていは「そんなつもりじゃなかった」「相手も同調して喜んでいた」等の言い訳を重ねた挙句に後日「私は嵌められた」的な被害者ムーブをする場合が多い
このあたり、セクハラやパワハラ他どんなハラスメント加害者もこういう感じなんだよなーといつも思う
職場の同僚に愚痴とか悪口とか言ってる人はほんとやめた方がいいと思うよ
そういう幼稚な共感で信頼関係を構築できるのはマジで学生の間までだけだと思う
今、NHKでやってるの見てて思ったんだけど、どっちが生産性が上がるか?じゃねーんだよ…😟
人間はみんな同じじゃない
勝手に自分と同じタイプだと思った背の低い赤髪は一人では平気じゃない普通の女の子だって…
俺も主人公の温水とか、ぼっちざろっくのベースと同じで、一人がつらくないタイプ
まあ、寂しい気持ちにときどきなるのは否めないけど、楽器弾いたり、絵を描いたり、ボクササイズしたり、なんか色々やってればそういうのは忘れられる
そういう趣味とか娯楽とかさえあれば、宇宙船の閉鎖環境みたいなところでもかなり生きていける自信がある
話を戻すと、ぶっちゃけ、プログラミングの仕事だったら、俺は在宅が一番生産性が上がる
家には大量の技術書、数学や物理、機械関係、音楽関係、数万円するような絵画の資料もある
あと、自分は社交不安とか、外出した環境で過剰なストレスを感じてしまって、大量の汗が出たり、汚い話だけどウンコ漏らしたこともあったし、
家だったらすぐに着替えて、シャワーが浴びられる、好きな紅茶が飲めるし、数年前の自分はもうちょっと健康だったから散歩にも行ってた
良くないことだけど、フリーランスとかやってた頃は仕事が止まらなくて、深夜までやってたりした
客の時間外の連絡にも対応して、データを読み込むスクリプトを即興で書いて、客からデータを受け取り、DBに流し込んで、
流し込んだデータが地図データで間違えが多かったので、それを修正するためのツールも作成して、客に提供した
その客とは、ちょっと色々後にトラブルがあって、最近は連絡を取っていないのだけど、在宅の怖い所は、仕事が楽しいと止まらなくなるところ
あと、よく言われるように、客とか同僚の指示が曖昧、なんかチャットからでも伝わってくる空気が不穏、みたいなのは在宅だと確かに困る
だらだら机に向かってるだけで、仕事を進めようにも自分以外の理由でペンディングしてしまうわけだから、周りに人がいて、おい、ここからどうするよ?みたいに話せないのは凄い不安ではある
しかし、プログラミングをひたすらガリガリ書く作業になったら、在宅がいい
余計な電話対応をさせられたり、指示が明確になってないのに呼ばれて、ぐだぐださせられたり、ちゃんと話をまとめてから指示してくれ、と思うわけだけど、
在宅だとその辺がきっちりすることがあるし、それでもきっちりしない指示の人だったりしても、チャットならまあ聞き流し、というか読み流していられる
納期がカリカリに迫っていなければ、チャットに~の部分は~使っていいですか?とか、~の部分どうやったらいいのか分からない、論文とかありますか?みたいに書いておいて、
非同期で誰かが対応してくれるから、そういうのが楽、在宅というよりチャットの話だけど
これを出社で、リアルタイムでせっついてこられるようになると困る
もしくは、こっちからせっつくことを強要されるような仕事環境も凄く不愉快だ
でも、業種によっては、プログラミングなんかじゃなければ、明らかに出社じゃないと成り立たない仕事、職種、業種は存在するし、
在宅vs出社で生産性を比較する議論なんて、本当に馬鹿げている
で、それをちゃんと見極めたりするのが人事の本来の仕事なんだろうけど、ぶっちゃけ人事って実務を知らないアホが多かったりするから、役に立たないことが多いんだよな
そのくせ、文系出世コースでもあるから、人事は他人を選択したり切り捨てる人事権があるし、社長より自分は偉いと錯覚してるような輩までいる
人事が、この人は在宅が適任、この人は出社が適任というのを見極めるべきだし、
なんか違う。
安い給与に腹が立つってことは
本当は自分は金もっともらえるはずって思ってんじゃん。自分への評価と社会からの評価が違うからイラついてんじゃん?
そう思ってるけど個人的にイライラするだけのことを無関係な他人を巻き込んで不愉快にさせてる。それを毎日繰り返してるわけじゃん。
客観的に言ってそんな日常送ってるやつは普通にダメな奴だろ 笑
これは手取りがいくらだろうが大富豪だろうが変わらないよね。そもそも気分で不愉快になるやつと一緒に過ごすのは無理がある。これはどんな関係でもそう。
でもそれが本人の限界なんだ、それ以上求めるのは虐待なんだっていうなら。
最初からそういう「努力する才能にすら恵まれなかったダメな奴」だと思ってるっていう最初の話に戻るんだけど。
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
2023.6.27 S1専属début → アタッカーズ専属 🔥ティーパワーズ所属@tpowersofficial @tpowers_2nd
樋口博之@hXWSTs3
猫好き、猫チャンを愛している飼い主さんと、猫チャンの末永い幸せを、祈っています。19年と3ヶ月一緒に暮らした猫を亡くして、3年、落ち込んでいましたが、皆様の可愛い猫チャンの画像や、綺麗な風景や花の画像等に癒やされて来ております…こんな私ですがフォローして頂ければ、嬉しく思います。
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
おはりあ~~☀️
https://pbs.twimg.com/media/GYW4UkjaMAIA1By.jpg
(抱き上げている猫が結月の頬を舐めている写真)
樋口博之@hXWSTs3
猫チャン可愛いですね、でもたぶん!お化粧してますよね、ファンデーションぬってますよね、ファンデーションぬったお顔をなめさせるのは、危険な場合も有ります、猫チャンの腎臓を悪くする成分が入っているかも知れません、スッピンならいいですけど、お化粧している顔をなめさせるのはやめた方がいい
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ひじょー――に不愉快!!!! !
塊食べてるわけでもないのに
わざわざそんなこと伝えてくるの
暇なのかな☺☺☺
めちゃくちゃ高い保険に入れて何かあった時に高額治療になろうがちゃんと手当てできるようにしてる事とか
ご飯色々なの食べさせてなにが体に合うか
2匹が美味しく食べてくれるかとか 知った上で送ってきてるのかな〜
うちの家族の何が分かるの?
樋口博之@hXWSTs3
不愉快を感じられたなら、あやまります申し訳ありませんでした、私ただの猫好きと、りあさんのファンなだけです、私は今、入院中です、寝られないのでスマホを見ていたら、大好きな、りあさんの可愛い猫ちゃんとの画像かあつて、投稿しただけです、悪口云うわけ無い、気に触ったら許して下さい、😭😭😭
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
本名載せてるけど
いつでも行動できる事は忘れないでね
前にも言ったけど何気ないSNS一言がこの世界から人を亡くしていることを忘れずに
以上
樋口博之@hXWSTs3
私の、つたない返信て、不愉快にさせた気持ちがまだ収まらない様ですので、再度あやまります、ごめんなさい、申し訳ありませんでした。私は、ただの猫好きと、りあさんのファンなだけの今は、咽頭ガンで入院している男です…それにしても、りあさんは、凄いです、返信、全部お読みになるのですね素敵で
結月 りあ アタッカーズ@yuzuki_ria
ご丁寧にありがとうございます🙂↕️
樋口博之@hXWSTs3
ありがとうございます、ブロックされても仕方ないのにご返事を頂き嬉しいです、私がただの猫好きと、りあさんのファンだとご理解ください、これからも応援させてください猫ちゃんと、ワンちゃんといつまでも、お元気で、ガンバってください☺️☺️☺️😻🐶❤️
顔が清純派でもさ、その格好やポージングからはヤリマンビッチ臭を感じる訳じゃん
ビキニアーマーに処女感はどう頑張っても無理なんだよな、口先で誰がどう言おうと無駄(※脱線するけど筋肉女は無理)
本屋で子供に見せたくない表紙とか言うけどさぁ、そんなの言い訳でさぁ、エロけりゃ何でも無差別に金払う脳みそチンコな安い野郎だと思われんのが嫌なワケよ
違うんだよ、欲しいのは「主人公にだけ油断して無防備な姿を晒す美少女」や「主人公にだけ見る許可を出してくれる美少女」の特別感ナイショ感であって、最初からどの男にも区別なく乳出ししてる処女風ビッチは違うんだよ
合わない物事とか概念とか意見とかがある。目に入れることも文字に書くこともしたくないあれやこれやが。
見てしまったらその度に脳と心臓と胃がどろどろによどんでこの世のすべてが嫌になるようなあれやこれや。
SNSとかネット上で見てしまった時にはひたすらそれを見るに至った己の浅はかさを悔やむ。あのアカウントを見なければ。あの時クリックしなければ。
ましてや金払って買った本のなかにそういうものを見たときのどうにもならない後悔と自己嫌悪をどうすればいい。これに金払ったのか。というとてつもない後悔。
事前に内容をよく調べなかった自分が悪い。と思っても身体の中のよどみは止められない。これに金払ったのか。数百円でも取り返したい。
また電書というのがたちが悪い。あんなもので収納スペースを埋めないで済んだのはメリットかもしれないが、紙本なら物理的に捨てて抹消することが出来る。でも電書は物体が無いかわりに購入履歴に残り続ける。非表示にはしたけど、見えてないだけで残っている。店で買ってたらレシートも捨てられるのに。紙本なら返品も可能か?電書は一度読んだら返品(返金)不可なのか。読んだと分かるのか。そんなシステムなのか。
日頃は電書を便利に読んでいるが、まさかこんなことでデメリットを感じるとは。
まあSNSで見ても本で見ても解決法は基本的に変わらない。時薬。ときぐすり。
気分が落ちたとき好きなもの見たり聴いたり食べたりして気持ち紛らわすのも場合によってはアリだが、往々にしてこういう時は好きな物事を100%楽しむのは難しい。
最終的にこういう気持ちをなんとかするのは時が経つことなのはもうずっと前から分かってる。だから時が経つのを待つしかない。これまでの何十回と同じように。それは分かってる。
応援上映盛んな某作品のこと大好きで、応援上映も大好きなんだけどたまに応援上映のこと嫌いになってしまう。
応援上映って言ってるのになんでライブパート以外で大喜利すんの?面白いと思ってるの?なんで映画館で承認欲求満たそうとする?Xじゃだめなんか?まぁXじゃそもそも見てもらえる可能性低いし反応ないかもだもんね。映画館だったら強制的に聞かせられるからね。クッッッソつまんなくても誰かしら笑ってくれるもんね。私は笑わないし笑えないけど。
あと踊るやつなに?応援なのか?いやこれはギリ応援かもしれんから私のお気持ちだけど。でも踊るなよ。
そもそも応援上映四つの約束に「顔より上にペンライトを上げない」ってあるのに読めてないやつ多すぎん?なんで?もうその時点でペンライト顔より上にあげちゃってるからスクリーン見えてないの??音声ついてない画面上の文字だから読めない???読め!!!!!!!
マジで顔上ペンライト野郎は大抵最前列に固まるのもクソすぎる。掲げたいならせめて最後列に行けよ。それなら周りの迷惑にはならないじゃん。なんで最前がいいの??スクリーンの中のキャラたちに応援届けたいなら最後列からでもいいよね??まさか「わたしのペンラ芸見て~~♡♡♡♡♡」て承認欲求から顔上にペンライト掲げて最前取ってるわけじゃないもんね???最後列に行ってくれマジで。せめて。それならまだ許せる。キャラへの応援する気持ちは同じはずだから、そのキャラが提示してくれるお約束は守ってくれ。頼む。これは本当にお願い。
絶叫人間たちは応援してる人たちじゃないから出禁になれ。四つの約束どころか普通に各劇場の注意事項に書いてるとこ多いだろ。読め。読めないの??
あと放送事故中(そういうシーンがある)に「チャンネル変えよっかな~」て言ってる奴ら。大喜利に含まれるけどマジでそれクッッッソつまんないし不愉快。チャンネル変えて二度と戻ってくるな。去れ。
これ自分の最寄り劇場だけにいるかと思ったら遠征先でも遭遇してビックリした。各地に生息してるの?なんで??ちなみにそれどういう気持ちで言ってる??なんか応援の気持ちある??どこにある???一音ずつ教えて???私にはミリも応援の気持ち届いとらんからさ。分かんなくて。応援の気持ちあるから言ってんだろ???あるとは思えないけど。
物を配るのも分からん。なんなの?キャラの誕生日当日になんで自作のなにかとか応援グッズとか配るの??なんで公式以外からそんなもの受け取らなきゃ行けないの??なんで二次創作を映画館で配る????
いや応援の気持ちは分かるけど私はいらないからさ。一回断ったら諦めてくれん?なんで諦めてくれないの??結局受け取っちゃって自分にも萎えた。公式じゃない人が公式の場所で物を配らないでくれ。
応援上映は好きなんだよ。ライブパートでペンライト触れるし、各キャラに惜しみ無い拍手を送ったり「がんばって!」「だいすき!」て言えるし。コールも自分は言う言わないあるけど好き。応援としてあるしね。
でもつい最近Xでちょっとバズってた曲始まる前にあえてざわつくやつは、前奏にかかってると萎える。それは応援ではなくない??戸惑う気持ちあっても実際のライブでそれする??作品的に競技的な側面もあるものだし。
戸惑うシーンなのはわかるけどそれは家でやろうよ。コールでも応援でもないからさ。せめてライブパートだけはちゃんと応援だけにしてほしい。
愚痴愚痴言ってるけど監督や公式側がライブパート以外での声出しも許容してる感じはある。でもあくまで応援上映なんだからそこは変えないでほしい。日常パートでの声出しも、あくまでも応援やだいすき!の気持ちからやっててほしい。自我を出すな。
50も過ぎると本当に老眼がつらくて本当につらい
子供の頃から近眼の乱視だったけどメガネがあるとピントが合う距離を少し遠くにできてそこから手元までは確実にちゃんと見れた
でも老顔になるとなんというか全体的にピントが合いにくくなって裸眼の15センチくらいまでの距離が一番心地よくピントがあってメガネしててもピントが合いにくい、なんとなく目が疲れる、文字を読みたくなくなる、小さい文字が見えにくい、頻繁にメガネをとったりつけたりして読むのがつらい、近眼なのでパソコンモニターまでの距離が遠いのにピントの合う範囲がちょっと違う(これは今のメガネが悪いのかも…)(モニターまでの周りの景色はちゃんとピント合うのに文字のような細かいものだけちゃんとピントが合わない)
とにかく毎日の起きて目を使ってる全ての時間がいつも常にゆるく不愉快に感じる
体力の低下とかどこか体のあちこちに不調を感じる、みたいなのは幸いに無いんだけど視力の老化がほんまにつらい
もっと歳とってこんなふうに少しづつのどうにも言い表しにくい不快感が体に続くならやはり俺も早く死にたいと感じるのかもしれない