はてなキーワード: 不愉快とは
なんか勝手に俺のスマホを開いて、元カノとのラインを見て向こうが不機嫌になるという、本当に1000%俺が悪くない喧嘩だったと思う。
そもそも人のスマホを見る意味がわからないし、勝手にLINEを漁った挙句こちらに対して敵意剥き出しで「元カノのことまだ好きなんじゃないの?」とか当てつけのように言ってくる彼女が悪いと思ってそれに苦言を呈したところ、お互いにヒートアップして結構な喧嘩になった。
2時間くらいしてクールダウンしてきて、向こうから謝ってきた。
「俺の方こそ言い過ぎてごめんね」と、本心ではあまり反省していなかったが、形式的に謝った。
俺の謝罪に対する向こうの返答は「そうだね、でも大丈夫だよ」だった。かなりイラっときた。
「そうだね」な訳ないだろ。「全然!私が悪いよ…」以外の返答ってあるのかよ。
え、これってマジで過失割合5:5みたいな感じで終わるのか?とかなり困惑したし、上述の流れだったのに謝罪の感じで「お互い様」みたいな感じでクローズされるのがかなり不愉快だった。
とはいえ、ここからもう一度それを言うだけの元気も残っていないし、言わないだけの分別はあると思っていて飲み込んだ。言葉は飲み込んだけど、やっぱりかなり不快には感じていて、なんか今後もこんな感じで全然俺が悪くないのに割を食い続けるのかなと思うと正直やってやれないなと思えて仕方ない。
いやほんとにどうでも良すぎて笑うんだけど、なんかマジでモヤモヤする。
みんなはこういう時どう折り合いをつけているのか教えて欲しい。
水都くらわんか花火大会ってなに?っていう人いそうなので説明しておくと、大阪の枚方・高槻方面で開催されてる地方の花火大会。今年は9月15日(日)開催。
前身のなんとか花火大会も含めれば十数年の歴史があるらしい……けど、それはどうでもよくて。一昨年初めて行ったら音楽含めてとてもいい感じだったので、妻と二人で夏の思い出にということで有料席 * 2を買って見に行ってきたんだ。無料席もあるんだけど、場所とりとか一昨年色々大変だったから今年は多少お金出して楽しようと。
ロケーションとか音楽は凄く良かった。晴れた河川敷で、どこか郷愁を感じさせる音楽が流れてて、夏ももう終わりだな……って感じさせられるものだった。花火も思わずスマホで動画撮ってしまうくらいには綺麗だった。でも、席に座って花火を待つ3時間くらいの間、主催者の男性(40半ばくらい?)が30分おきに金せびってくるのが本当に嫌だった。花火大会運営するのも大変だろうから、募金のお願いするのは構わないと思う。問題はその言い方で。
具体的に言うと「皆さんが募金してくれないと来年は花火大会がなくなるかもしれません。それでいいんですか?子供たちに恥ずかしくないんですか?」て感じの脅迫めいた言い方。既に募金を済ませていた自分たちみたいな人たちに一言「すでに募金を済ませた方はありがとうございます」の一言もなし。よほどお金が足りないらしく「無料席の人。このままでいいんですか?来年お祭りなくなりますよ?今からでも有料席を買いましょう」とか、すごい高圧的な言い方をしてくる。それなら最初から無料席を限定しておけばいいのにと思うし、だいたい有料席にいる自分たちにも延々とそれをいうのはどうなんだって感じ。これが30分おきに続くものだから、夫婦揃ってげんなりで、付近の人も「なんで俺たちお金払って、説教されなあかんの?」ってぼやいてた。
地元愛と子どもへの愛が強いのは伝わってくるんだけど、地域の未来・子どもの未来のためにお金出して当然ってのをすごく全面に出してくる。さらには「もし来年花火大会が開催されなかったら、引っ越さなければいけないかもしれません。子どもたちのためにもそれは避けたいです」とか、何故か自分の子どもを盾にした金せびりまでやってくる始末。
色々イベントには参加してきたけど、主催者がここまでひどいのは初めてだったのでほんと堪えた。言い添えておくと、主催者の金せびりとスピーチ「以外」は総じて良かった。スタッフも親切だったし、女性の方が募金のアナウンスするときはちゃんとした言い方で好感もてた。でも、なんで主催者はあんなに客に不愉快な言い方をできるんだろうかとほんとに不思議になった。他のスタッフはまともな言い方できてること考えると、あんまり当日スピーチについて連携取れてなかったんだろうか。ともかく、来年もこんなんだったらかなわないので、フィードバックにはややきつめのことを書いて送ったけどどうなることか。来年はせめてあの人が表に出てこないといいなあ。
マジで興味がない
みんなも俺みたいに興味持たないでいてくれないかな
好きの反対は無関心とかうぜぇこというやついるけど向こうが押し付けてくるんだからしゃーねえだろウゼェんだよ
ってか一回見たけどガナリ声でむしろ不愉快だし別にゲームがうまいわけでも面白いこと言うわけでもないしなにがええねん
こいつに多少でも興味持ってる素振り見せるやつ全員見下してるわ
なんか浮気したらしいけどそれでお気持ち表明してる配信者とかもいてせっかく今まで見てた配信者が俺の見下しリスト入りしてしまって見る気もなくなった
あーうぜぇ
今年から異動になった部署だけど、ひとつ隣の部署にがうるさいことがある。
いわゆるパワハラとかモラハラといえばいいのか、上司の人が部下を怒る声とか、いびる声や、外からの電話に対してよくない言葉を返したり、窓口に来た区民が職員に苦情を言ってる場面がよくある。
「あれ障○者やろ」とか、「いいか、あの○○(区民)はな……バカなんだよ」とか、「あんたが税金払わんのやろうがっ!!」みたいな声が週に一度は聞こえてくる。
うちの役所は、最近流行りの壁が一切ないタイプのオフィスを採用している。
それで、問題部署の隣にあるうちの部署に来た方々にも、「あれはなんなの?」と笑われたり、残念な表情をされることがある。
私が若輩であるためか、問題を解決するためにできることが思いつかない。
書こうか書くまいか悩んだのだが…。
私は或る有名人のファンの一人なのだが、ここ最近、一部の新規ファンの中に、その有名人のことをホストやキャバ嬢に喩えて褒め称える人が居て、非常に不快感を覚えている。
キャバクラやホストクラブのシャンパンタワーなどの画像と有名人をコラージュした画像まで作ったりとか。
勘弁してくれ…。
もしもこの文章を読んで心当たりが有った人は、旧来のファンが不愉快に感じていることに一日でも早く気づいて、そういった行いを直ちに止めて欲しい。
私たちは、ずっと平和にまったり過ごして来たんだよ。幼い子供も含めた家族ぐるみでファンをしているような人たちもいるんだよ。私たち、旧来のファンのコミュニティの中には。
此処には「褒め言葉として他人をホストやキャバ嬢に喩えるような感性」は相応しくないんだよ。そんな人たちに喩えられても、嬉しくないんだよ。不愉快で、悲しくなるんだよ。
そういうノリを愉しみたいのならば、何処か他所に行ってくれ。
でも本当に頭の悪いやつは歩き方ですら頭が悪くてイライラするよな。
自業自得で頭悪い奴が損するならいいんだけど割を食うのは周りを見て考えて気を遣っている人間の側っていうのが理不尽で
配慮によって成り立っている安全性や快適性の歩道環境の精神的インフラを相手にコスト押し付けてただ乗りされた上に悪びれもないあの感じが不愉快でたまらない。
正確に言えば、私の関心を俗世に繋ぎとめておく軛として配偶者より適当な仕組みがこの社会に存在しないんだ。
心底では他人に関心がなくて、素面では他人と対等の付き合いしか信じることができないからしがらみとしての結婚が必要なんだ。
結婚でなくてもいいが、しがらみが。
あなたがたの言いたいことはこうだ。他人に興味がない社会的欠陥動物が無理して結婚など目指すな。一理ある。
結婚に向かない人というか、一人でいることが最も心地よく、もしかすると周りにとっても善であるような性質の人間がいることは承知しているし、私もそのようであるという自覚がある。
だが同時に、いみじくも『最強伝説黒沢』でゲストキャラのおっさんが独白するように、人間は強制されてかろうじてまともだ。私もそのようであるという自覚がある。
人間に目指すことができるのはせいぜい短期的な報酬だけだ。長期的な野心を抱く人間も短期目標の積み重ねそれ自体を報酬として野心を維持しながら長期目標を目指すのであって、我々はそういう作業ができる人間のことを解決力とか実行力があるとか呼んでいる。
私はまとまったカネを要する種類の欲をまったく持たないので、短期的に私が心地よいようにするとあまりにも失う社会性の量が過大になってしまう。後に社会に復帰するのに必要な弾性ごと失うほどに。
もし社会性を完全に捨て去った私が幸福の最大値を目指すなら、私のすべき行動は今すぐ退職して生活保護費を申請し、読書と惰眠、自慰、あるいはPCで完結する創作趣味に明け暮れながら自殺までの時間を気ままに遅延することになる。
今現在の私が不本意にもそのような理想的生活状況にないのは、既にして私は本当には一人ではないからだ。
カネを必要としていない私が曲りなりにも職に就いているのは、あえて両親を泣かせたくはないというのと、学生時代に得た数少ない友人との付き合いに負い目を作りたくないという気分が理由のおおよそになる。
資産を持たず、浮世を捨てたほうが心地よいと信じているのにそうしないのは、数少ない私が気にかける人がもし困窮したときに私が伸ばせる手がなくなるからという、いうなれば不安のためだ。
これは災害的、ポアソン的なイベントに対する備えのようなもので、「その時」に至るまでの報酬は何もない。
マメな友達付き合いというのも好まないから、本当にない。ただ生活の荒野があるだけだ。この空白地帯を超える術をしがらみの慣性力のほかに私は知らない。
ところで、ここまでの話に配偶者は登場しなかった。既にいる私の気にかける人たちが目的であり、同時にしがらみであったからだ。
次に私が恐れているのは?いずれ私が生活に摩耗する間に彼らの存在が後者として機能しなくなったのに、前者としてのみ残ってしまうような事態を恐れている。
私は多分、両親や友人を無視することを容易に合理化できる。自己都合で私を生み落とした両親がどうなっても究極的には自業自得だし、対等な立場であるべき友人の人生にお節介であまり立ち入るべきでもない。
とはいえ自分の内心についての予断はロクなものではなく、いざその時を迎えて、実際に私が不幸ではないかどうかは、したい賭けではない。今はそういう判断をしている。
いや、あなたがたの言いたいことは分かる。互いに迷惑をかけるのが健全な人間関係だと。
しかしながら、互酬的なフェアネスを想像することは難しい。私が物理的に距離の遠い彼らに対して望むことなどほとんど何もないから。
書いてるうちに気づいたがつまり、どこかで生きている友人に対して、勝手に幸せになってほしいと勝手に思っているという事態が私の友人関係の内実なのではないか。それはどうなんだろうか。
ともかく私は両親には義理と友情を感じているが、おそらく愛してはいない。友人に抱く情はいくぶん愛かもしれないが、強いしがらみを望んではいない。
必然的に私は物質的にはフェアでありつつ、同時にその枠の外に置くことのできる一方的で独善的な、強い愛の対象を求めざるを得ない。私の言語では独善的なものだけを愛と呼んでいるといったほうが近いかもしれない。
思うに、それは観念的なものではどうしても強度が不足していて、臭気芬々たる、不愉快極まる肉の質量でなければ私のような凡人を長く捕らえておくことは難しいんだろう。
今いる友人たちをそのようなものに貶めるよりは、いずれそのようになるものと思って新たな人との付き合いを求める方が、かろうじて私は我慢ができるはずだと今は考えている。現実的な相手とのすり合わせ可能性を踏まえても。
ハタチあたりの頃に私は人に対して愛しているといった言葉遣いをしたことが一度だけあるが、それさえもやっとネットの友人で顔も知らぬ半回り上の男を相手にしてのことでだ。
彼はこの世に数少ない愛すべき人たちが肉のある人間であることが残念でならないといつも考えていて、私もまったく同意見だった。
現在の彼は私が単に気にかける友人のひとりで、ここ数年私はアプリで知り合った女性の一人と習慣として会話を続けている。アプリ自体は疲れたのでやめた。
お互い遠くに住んでいるわけではないと知りながら、半年に一度のペースを超えては会う気にもならず、焦点のぼけた会話の中から彼女の趣味のよさを探そうとしている。そんなのをずっとやっているだけで精一杯なんだ。
しがらみを追い求めるふりをしながら、回避的にしがらみから逃げ続けているわけで、傍目には奇行としか言いようがない。
私が同じところで回って何も進んでいかずとも爪は伸びるし身体が衰えるのを感じる。今夏には低い視力がまた落ちていたが、道行く他人の顔をよく見ずに済むように矯正視力は0.6で止めた。
分裂した私の間でいたちごっこを続けつつ、結局は騙しだまし、私が死ぬまで私の延命を続けるようなおもしろくもない羽目になるような予感がしている。現実はひどい。
ひろゆきが「壁にポスターを貼っている人は勉強ができない」と断言しているのですが、
言いたいことは、まあその通りだと思います
特に人間の描かれているポスター、アイドルとかの写真の視線が自分側を向いてる、カメラ目線である、というのは常に監視されている、という圧迫感があります
俺は圧迫感なんか感じていない、という人も自然と気が付かないだけで感じているはずなんです
1984のbig brother watching youです
誰かに見られている、という状態は緊張感を生み出し、自分の実力を発揮できない状態になります
実は、私は人前に立つと手が異常に震えてしまうことがあり、ギターとか楽器が弾けなくなりますし、そのことで職場で上司にバカにされたトラウマもあります
しかし、人前でなければ、例えば自室での練習であれば、なんの緊張感もなく、ちょっと難しいフレーズも弾けるようになります
で、ですね、自分はパニック障害気味なところもあるので、バスや電車自体が苦手で、且つ今は人生で最も酷い状態で、まったくバス、電車に乗れない状態なのですが、
それでも、バスとか電車とか、ちょっとでも落ち着きたい状況の場所では、周囲の壁のテクスチャーとかはニュートラルであってほしいと思ってます
まったくの白、マットな白の床や壁の空間が合ったら、多分ですが、距離感がおかしくなるはずです
でも、ロシデレの絵もそうですし、他のラッピングとかもどうかと思っています
単純に、オタ絵のラッピング、痛車みたいなのが嫌いというのもありますけど、痛車は個人の自由の範疇じゃないですか
でも、公共のバスとか電車はそれが不愉快な人、困る人も強制されてしまうわけで、そうなると公共のものというのは、多少無味乾燥になっても仕方がないのではないでしょうか?
そんなことよりも、アニメーターの労働環境なり、もっと社会を良くするべきことはいっぱいあるはずなのです
あと、ネットでウザイ広告が出てくることが不愉快で、広告をブロックしたり、ブロックできない広告に泣かされたり、普通にあると思うのですが、
ロシデレラッピング電車みたいなのも広告ですし、ウザいネット広告と同じだと思う人がいたっておかしくないですよね?
というか、私はそのひとりなわけですけど、現実世界の広告もブロックできるプラグインがあるならブロックしたいんですが、
そういう意味でも、ロシデレラッピング電車が不愉快だよね、と表明するのはそんなにおかしいことなのでしょうか?
まあ、言いたいことをまとめると、電車とかバスでは気分を落ち着けたい、というのが私の意見です
ラッピングバスやラッピング電車は、ウザいネット広告と同じで、今、見たくないものを目せつけられる、という強制感さえあります
ロシデレはつまんないので見てないですが、マケインは見てますし、逃げ上手も見てますし、エロ漫画も読んでるし、VRのAVも鑑賞しています
でも、外でマケインや逃げ上手やAV鑑賞はしませんし、エロ漫画も読みません
ロシデレはnot for meですが、ロシデレはまったく悪くありません
1984の詳細もうかなり忘れちゃってるんだけど、暴力的なぐらい男性視点でゲラゲラ笑える作品があるんだから、
暴力的なぐらい女性視点でゲラゲラ笑う、まあ、男性は不愉快になるかもしれんけど、そういう作品があってもいい気はするけどな…😟
小中学生時代から、BLとかやおい界隈も眺めてた自分としてはそう思うんだけど、
そういえば、ロリコンブームの火付け役でもあった吾妻ひでお先生とかは、コミケからやおいを撲滅しようとかやってたみたいなんだよね
ロリコンブームのとき、自分は幼稚園、小学生だったし、ド田舎だったから、コミケなんて行きようがないんだけど…
田舎だけど、駅前の本屋(家から駅まで30分から1時間かかる)まで行けば、普通の漫画の棚の隅の方に、エロとかやおいとか置いてあって、
そういう本屋の隅の方を漁るのが好きだったし、親がクルマを買ってからは、東京駅まで連れてってもらって、
今までいた部署は10人程度が収まる部屋で働いており、この時期のエアコンの設定温度は大体26度だったので何の問題も無かった
今年度から応援要員として別支社で勤務しているが、そこの職場は壁が一切無く、他の部署の人も皆入り乱れて40人くらいが働くような環境
で、そこが猛烈に暑い
何人か冷え性がいるらしく、またその部署のちょっと偉いお局様もその内の一人である事もあり、設定温度は常に28度だし
真夏の7月や8月でも平気で「今日ちょっと冷えるので~」とか言って平気で冷房を切って窓を開ける始末
男性が暑いと訴えても、上記の社則(いつ誰が決めたのかすら不明の古い代物だが)を持ち出され、却下される
内勤でぬくぬく定時帰りで働いている女性社員と、汗だくで出先から帰ってきてムワッとした社内で更に汗をかき女性社員から嫌そうな視線を向けられる男性社員(自分含む)、とは対照的だ
またその職場の服務規程が男性のみ厳しく、女性はオフィスカジュアルでは無くともOKだが、男性はネクタイ着用義務付け、客先に行く時はスーツ着用と決められている
仕事柄、出社する場合はまず間違いなく客先に用件がある時なので実質スーツでの勤務を強制されている
また窓を開けっ放しで帰る事もままあり、19時や20時頃にやっと帰社したと思ったら、窓が開いており、そのせいで虫が入っていた事もあった
今まではリモートワークも多く、出社日も社内にいる時は室温で不快になった事はほぼ無かったのに、今の職場になってからは殆ど毎日暑くて不愉快
男性社員が汗だくなのを、良い歳こいた女性社員達が(自分と大差無いか歳上)露骨に嫌そうな目で見てくるし、実際に注意された事もあるが、誰のせいでこんな事になっているんだ!?と文句を言いたくなるのを必死で堪えている
まさかこんな馬鹿な理由でQOLがダダ下がりするとは思わなかったし、家族もいるが本気で転職を考えざるを得ない……
さっさと元の所に戻してくれとは何度も言っているが、色々あって人手不足なのもあり尽く却下されている
もう本気で憂鬱