「傾向がある」と言われていればそれで正しい
ただし主語が大きい罵倒は100%で捉えられるので、反例1つ挙げるだけで論破になる
「◯割」ならそう書くべき。だがそれだとクリックベイトとして弱いから大きな主語を使うのだろう。強調のレトリックとして逃げれるからな
しかもまとめて罵倒することでその属性全員に不愉快な思いをさせことになる
反論者が日本語が不自由なのではない
最初に言った人物が曖昧にどっちにもとれるように使っているから、どっちともとれるように反論しているわけだ
それに「日本語が不自由」という考え方は、自己中心性を内包している。なぜ内包しているといえるのか?これはお前が解くべき宿題としておこう
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