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外国人排斥が中国、日本、インドの「経済的苦境」を引き起こす:米国大統領バイデン氏 - Times of India
インドは排外主義的ではなく、最も歓迎的な国の一つ:S・ジャイシャンカール外務大臣 - エコノミック・タイムズ
S・ジャイシャンカールは、ジョー・バイデンによるインド経済に関する「外国人嫌い」発言に反論し、市民権改正法を擁護し、偏向メディアを批判し、モディ首相のリーダーシップを称賛した。また、多様な社会に対するインドの開放性と、公正なグローバル・シナリオの重要性を強調した。
S・ジャイシャンカール外相は、ジョー・バイデン米大統領がインドを「外国人嫌い」と表現し、経済的に問題を抱えていると言われる国々とグループ化していることを否定した。
「まず第一に、我々の経済は停滞していない。「インドは常に......インドは非常にユニークな国だ......世界の歴史上、非常にオープンな社会だったと言える。
ジャイシャンカールはまた、ナレンドラ・モディ政権がこのような歓迎を促進する法律を制定したことを挙げた。「CAA(市民権改正法)があるのは、困っている人々に門戸を開くためだ。
大臣はさらに、CAAに批判的な人々を叱責した。「CAAのせいで、100万人のイスラム教徒がこの国の市民権を失うことになると公言した人たちがいます。「なぜ彼らは責任を問われないのか?誰も市民権を失っていないからだ。
彼は、"非常にイデオロギー的 "な西側メディアの一部が、グローバルな物語を形成することを望んでおり、それゆえにインドを標的にしていると述べた。
「それは、自分たちが世界の物語をコントロールすべきであると常に信じている層である。
「彼らは多くの場合、政治的情熱を公言している。「彼らはインドの他の政党を公然と支持している。彼らは具体的な問題に首を突っ込み、立場を取ってきた。もし彼らがコメントや判断を下すのであれば、それがどこから来たものなのかを認識して受け止めたい。つまり、客観的な判断ではないのです。彼らは、今起きていることに利害関係があると公然と宣言している人たちだ。何が起きているのかに自分たちの役割があると信じているのだ。
このような流れから、報道の自由に関するインドのランキングの低さは、政治的な打撃であると大臣は述べた。ガザでの戦争に対するアメリカの大学での抗議行動を "示唆に富んでいる "と称し、"インドで運動が起こるたびに、大衆にどう対処すべきかについて多くの講義を受けた "と述べた。「今日のテレビの映像を見てほしい。つまり、大げさに言えば、彼らが何を説き、何を実践し、何を意図し、何を客観視しているのか、あるいはしていないのか。それが現実だと思います。だから、これは公的機関やシンクタンクの報告書だと言うかもしれない。別の手段による政治だ。だから、私はそれを認識し、それを告発する」。
パキスタンでの標的殺害をインドのせいにする報道について、彼はこう述べた。統計的に、テロリストが大勢いるところでは、何かが起こる。今、彼らはテロリストの産業というものを作り上げている。
大臣は、ナレンドラ・モディ首相を一生に一度の指導者だと評した。2015年から2018年まで外務次官を務め、2019年に外務大臣に就任したジャイシャンカール氏は、その信念から外交官を経て政界に転身したのだと語った。
近年、トヨタ自動車グループでは品質管理に関するいくつかの問題が発覚しています。特に注目されているのは、グループ企業である豊田自動織機におけるディーゼルエンジンの認証取得不正事件です。この記事では、この不正事件の概要と、それが示唆するトヨタグループ全体の組織運営および管理体制について考察します。
豊田自動織機は、ディーゼルエンジンの出力試験において、量産用と異なるソフトウェアを使用したECUを用いることで、不正な報告を行っていました。これにより、トヨタ自動車は該当エンジンが搭載された車両の出荷を一時停止し、再検証と対応策を進めています。 https://global.toyota/jp/newsroom/corporate/40376176.html
このような不正行為の背景には、トヨタ自動車グループ全体で見られる組織運営および管理体制の問題があると考えられます。ダイハツ工業での不正事件を例に取ると、過度にタイトで硬直的な開発スケジュール、コンプライアンス意識の希薄化、管理職と現場のコミュニケーション不足などが原因として指摘されています https://www3.nhk.or.jp/news/html/20231220/k10014293451000.html
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2312/20/news129.html
これらの問題は、トヨタ生産方式(TPS)そのものが原因というよりは、TPSを運用する過程での経営方針や組織文化に根ざしていると考えられます。
トヨタ自動車グループとしては、今回のような不正行為を未然に防ぐために、管理体制や組織文化の改善が必要です。これには、開発スケジュールの見直し、従業員教育の強化、組織の再構築などが含まれるでしょう。また、組織全体としてのリスク感度を高めるために、経営幹部による現場の状況把握とコミュニケーションの強化も重要です。
トヨタ自動車グループは、品質管理の問題を克服し、再び信頼される製造業としての地位を確固たるものにするために、組織運営と管理体制の根本的な見直しを行う必要があります。これは、単に一企業の問題ではなく、グローバルな製造業における品質保証の在り方に関わる重要な課題と言えるでしょう。
約10年前、中学生の時に生まれて初めての海外旅行でカンボジアに行った。初めての海外だったので、たくさん写真も撮ったしメモもした。だというのにそれ全部失くした。当時のパスポートも失くしたので、私の初めての海外旅行の記録がこの世に何も残ってない。それはなんだか寂しいなと思ったので、今のうちに覚えてる限りを記しておこうと思った次第である。
最初に断っておくが、10年前の記憶を頼りに書いているので、曖昧な部分、記憶違い、今とは違うなど、事実と異なる部分があるかもしれないが許して欲しい。
●経緯
なぜカンボジアに行くことになったのか。
当時、従兄弟がカンボジアでビジネスをしていて、その従兄弟に夏休みの間に遊びにおいでよと誘われたから、それだけである。
しかし私の過保護な母が「娘(私のこと)を1人で海外に行かせるなんて無理」と言い張るので、当時既に70代後半に差し掛かっていた祖母と2人で行くことになった。当時の私は、「ばあちゃんも一緒かー!やったー!」ぐらいにしか思ってなかったが、70代の婆さんを連れてあの広大なアンコールワット遺跡群を歩き回ったの尋常ではないよな。
●入国
カンボジアに着いたのは夜。しかも天気が悪かったので周りは真っ暗で何も見えなかった。従兄弟のビジネスパートナー兼飲み仲間で、現地でガイドをしている日本人(タナカさん?ノナカさん?よく覚えてないけど今回はノナカさんと表記することにする)に迎えに来てもらって、トゥクトゥクでホテルまで向かった。トゥクトゥクとは東南アジアでよく見かける3輪タクシー🛺のこと。見た目の割に乗り心地は結構いい。ホテルまでの道はガタガタで、中学生ながらに「あぁ、インフラが行き届いていない貧しい国なんだなぁ……」と思ったことを覚えているが、後でノナカさんに聞いたら「外国人がスピード出しすぎないようにわざとガタガタにしてるだけ」とのことらしい。本当かどうかは知らん。
次の日、早速アンコールワットに向かった。アンコールワットまでの道筋はやはりトゥクトゥク🛺
この時初めてカンボジアの様子をしっかり見た。第一印象としては「思ってたより綺麗だし、のどかな雰囲気でいいな」だった。道端にハンモック引いて寝てる奴がいたり、トゥクトゥクの中で寝てる奴がいたり、なーんかのんびりしてる印象だった。これも後にノナカさんに聞いたことだが、「カンボジア人は1年の半分は農業をして、もう半分は暇してるから大抵その辺で寝てる。」とのことらしい。本当なんかな?
で、アンコールワットだが、これはもう本当にすごい。想像してるよりずっと広かった。よく知らないけどアンコールワットって規模がデカすぎて1部は未完らしいね。
一応仏教寺院らしいが、時代によって仏教の統治者になったり、ヒンドゥー教の統治者になったりとコロコロ変わったらしい。あと、ポル・ポトっていう本当にやばい共産主義者(ポル・ポトがどれだけやばいかは私じゃ説明しきれないので調べてくれな。)によって壊されたりもしたみたい。
今はどうか知らないけど、私が訪れた時は明らかに現代的なコンクリートむき出しの部分がちょいちょいあった。これは各国が手分けしてアンコールワットの修復を行った時、フランス?だかどっかの修復が強度を重視した結果コンクリートむき出しになったとのことだった。よく知らんけど。
あと印象的なのは江戸時代にはるばるやって来た日本人の落書きが残されてたこと。割としっかり残ってて笑った。どうやらその日本人はアンコールワットをインドと勘違いしてて、はるばるインドまで来たぜ的なことを書いてるらしい。
アンコールワットは欧米人観光客がめっちゃ多かったんだけど、チラホラとカンボジア人もいた。そのカンボジア人たちが何故かうちの祖母とすれ違う度に祖母をガン見したり、中には祖母を拝むやつもいた。これはノナカさん曰く「カンボジア人の平均寿命は50~60代くらいだから、70代後半のおばあちゃんはもはや生き仏なんだと思う」って言ってた。そんな生き仏扱いされてる祖母とずっと一緒だったからか、行く先々でカンボジア人に優しくされた。
で、そんな祖母のことで忘れられないエピソードがある。アンコールワット観光中に祖母が急に立ち止まってガサゴソしだした。どうしたのか聞いたら「持ってきた20万円が無い」とか言い出す。私は知らなかったのだが、何かあった時のために祖母は日本円で数十万持ってきていたらしい(何も無くて特に使いどころがなかったら異国で頑張ってる孫(私の従兄弟のこと)にお小遣いとしてあげるつもりだったらしい)。それをホテルに置いとくのが不安だったからアンコールワットに持ってきたけど、どこにも無いと言い出したのだ。従兄弟とノナカさんと私と祖母で探したけどどうしても見つからず、多分スられたんだろうということでその場では諦めた。その一時間後ぐらいだったか、なんかすごく徳の高そうなお坊さんの前で祖母が再びゴソゴソしだしたので、今度は何事かと聞いたら「ブラジャーが後ろに回ってしまって気持ち悪いから直してくれ」とのこと。どうやったらブラが後ろに回るんだよと思いつつ、祖母を手伝ってあげていたら、ブラの後ろから祖母の汗まみれの20万出てきた。心配性の祖母は、スリ対策でブラジャーの内側にポケットを縫い付けて、そこに現金を仕込んでたらしい。で、そこに仕込んでたことをすっかり忘れて20万円無くなったと騒いでいたってのが事の真相だった。うちの婆さんは、20万円出てきたのは徳の高そうなお坊さんのおかげだって言ってそのお坊さんを拝んでたけど私も従兄弟もノナカさんも大爆笑だった。ちなみにお坊さんはお坊さんで、高齢の祖母のことを拝んでいた。生き仏。
まあそんなこんなでアンコールワット観光は終えて市街に戻ることになったのだが、帰路は再びトゥクトゥクを使う。びっくりしたんだけど、朝に私たちをホテルからアンコールワットまで送ってくれたトゥクトゥクのお兄ちゃんが待っててくれて、帰りも送ってくれた。我々が観光してた間ずっとアンコールワット付近で寝てたらしい。
あと、アンコールワット周辺にはよく分からない物を売りつけてくる人がいた気がするけど、そんなにしつこくないので怖くなかった。現地の言葉が分かるノナカさんが一緒だったからかもしれない。
別日にアンコールワット以外の遺跡も行った。カンボジアの国旗にもなってる🇰🇭有名な遺跡以外にも大小様々な遺跡があって、それらをまとめてアンコール遺跡群として世界遺産に登録されてるんだったはず。確か。
タプロームとかバンテアスレイ?とかいう遺跡に行った。名前がかっこいい。正直どれがどれか覚えてないんだけど、赤い壁が印象的な遺跡とか、イッテQのセットの左後ろにあるデカい顔の実物を見たことを覚えてる。
いちばん面白かったのは、日本人観光客の間でオーパーツじゃないかって話題になってたらしいどう見てもステゴザウルスにしか見えない彫刻。これは本当に見れば見るほどステゴサウルスなのでぜひ「アンコールワット ステゴサウルス」で画像検索して。
アンコールワットの他にはトンレサップ湖にも行った。クソデカ湖なんだけど、ここで水上生活してる人たちがいて、従兄弟いわく非常に勉強になるからぜひ行こうとのことだった。
水上生活の様子を眺めつつ、船でワニ園に向かった。このワニ園での記憶は正直ほとんど無い……大分の別府にワニ地獄ってあるんだけど、それと雰囲気一緒だったと思う……
あとワニ園で急に写真を撮られたんだけど、これは別に悪用されるとかではなく、遊園地のジェットコースターでいきなり写真撮られるみたいなもんで、旅行の記念に写真を買いませんか〜って商売。気に入らなければ買わなければいいだけ。私の顔写真とトンレサップ湖と日付入りの皿を作ってくれた。なんで皿なのかは分からん。正直いらないんだけど、祖母が無断で購入していた。ノナカさんは「日本人で買う人初めて見た……韓国人は自分のこと好きだからよく買ってる」って言ってた。
日本に普通に住んでると物乞いなんて見ないからすごくビックリした。我々を見て日本人だって判断して、船で近づいてきて日本語で「1ドルください」って言ってくる。誰が日本語教えてるんだろう?欧米人に対しては英語で迫るのかな?
まあ気になることは色々あるんだけども、私は生まれて初めての物乞いにどうすることも出来ず、ただただ慌てるだけであった。そんな中、私の祖母は慌てず何も言わず、行きの飛行機でもらった豆菓子を物乞いにあげていた。豆菓子で物乞いは普通に去っていった。ノナカさんはこれにもまた「豆菓子で対応する人初めて見た」と言っていた。
当時の私は、ばあちゃんすげーと思ったけど、今思うと最適解でない気がする。カンボジアに限った話ではないんだけど、物乞いにはどう対応するのが正解なんですか?
繁華街にアンジェリーナ・ジョリーも来たことがあるというレッドピアノというパブがあって、そこで食べたピザがめっちゃ美味しかった。レッドピアノは雰囲気もイケてて大変良かった。レッドピアノのある界隈は、観光客も現地の人もいてすごく活気があったような気がする。
私が美味しいピザに大満足していたところ、ノナカさんが急に「昨日そこの通りで銃撃事件があったんだよ〜ハハハ」等と言い出した。普通に怖いんだけど。
あまり詳しくないが、先述したポル・ポトの残党?ポル・ポトの思想に感化された奴?ってのが存在するらしく、度々危ない事件が起こってるとのことだった。
正直食べ物に関してはこのレッドピアノとココナッツジュース飲んでお腹壊したこと以外に記憶が無いので多分可もなく不可もなくだったんだと思う。(この数年後に高校の修学旅行で再びカンボジアを訪れることになるのだが、その時に食べた現地の料理はあんまり好きじゃなかった。なんか、当たり外れの落差がすごかった。同級生も概ね同じような評価であった。)
あとホテルの朝食ビュッフェに関する思い出がひとつある。欧米人観光客がこんな会話をしていた。
「What's this?」「Ah……I think so…… it's TOFU」
私は本当に英語が苦手なんだけど、さすがにこれくらいの簡単な英語は聞き取れた。豆腐があるんなら私も食べたいと思って欧米人観光客の視線の先を見ると、サイコロカットされた牛脂がピラミッドのごとく積まれていた。欧米には牛脂無いの?てかIt's TOFUって言ってた奴は2~3個取ってたけど食べたんだろうか……もしこれで豆腐のことを嫌いになっていたら悲しい。
私のリクエストで、ノナカさんと現地のショッピングセンターに行った。日本のちょっと田舎の寂れたショッピングセンターとほぼ同じ感じで、ショボイゲームコーナーがあった。クレーンゲームでクマのぬいぐるみが割と簡単に撮れたので、アームの設定は日本より良心的なのかもしれん。あと、プリクラがあった。せっかくなので撮ってみることにしたんだけど、これはとてつもないカルチャーショックであった。
まず、プリクラの入口におばちゃんがいる。お金はこのおばちゃんに支払う。お金を払うとおばちゃんがパンフレットみたいなのを渡してくるんだけど、そこに背景やらフレームやらがたくさん載ってて、どうやらここから選べとのことだった。背景はやたら豊富で、普通に日本にもありそうなやつから明らかに違法であろう踊る大捜査線の映画のポスターやらがあった。確か10くらい選んでよかったはず。踊る大捜査線のポスターはもちろん選んだ。
で、背景を決めたらいよいよ撮影なんだが、日本のプリクラみたいに自動で撮影してくれる訳では無い。撮影ブースにおばちゃんも一緒に入ってきて、おばちゃんが手動で「3.2.1」のカウントして、おばちゃんがシャッターを切る。撮影した写真は即座におばちゃんが確認しておばちゃんが気に入らなかったらもう1テイク撮らされる。もうとにかく何もかもがおばちゃん主体である。最終的にはおばちゃんがポーズから表情まで何もかも指示してきて、10分くらいかけてやっと撮影が終わる。長すぎ。
ちなみに落書きの制度はなく、撮影が終わったら出来上がった写真を渡されて終わり。写真は日本のプリクラみたいにシールになってるわけではなく、名刺より一回り小さいくらいのカードであった。無駄に表面にキラキラのホログラム加工がしてあって笑った。
カンボジア生活が長いノナカさんも、「普段プリクラなんか撮ることないから知らなかった、マジ衝撃」と言っていた。このプリクラも無くしたんだよな…これが一番ショック。
●祖母
私はこのカンボジア旅行中、祖母に何度も助けられた。特に、ココナッツジュースでお腹を壊した時は祖母が神様のように見えた。祖母はお腹が痛くてホテルのベッドで寝込むしか無かった私に無言でお手製の梅干しを差し出してきた。この梅干しは祖母が毎年漬けてるやつなんだけど、本当に有り得ないくらいすっぱい。なんで梅干しなんか持ってきてるのか意味が分からなかったけど、祖母の梅干しを食べたら嘘みたいに体調がよくなった。日本の懐かしい味を食べてお腹が安心したんだろうか。とにかくこの経験以降、祖母の梅干しは私にとって必須アイテムです。体調不良がすぐ良くなる。逆に怖いまである。
ちなみに祖母はまだまだ元気だしボケてもないので、久しぶりにカンボジアのことを聞いてみたら
「暑いし階段が多かったから疲れた。やっぱり日本が1番。もう行きたくない」だそうです。
●その他
思い出はまだまだまだあるけど疲れたのでこれで終わりにする。特に何も考えずに思い出を羅列しているだけなので非常に読みにくかったと思う。まじすまん。
私自身、このカンボジア旅行は本当に楽しかったし、初めての経験が沢山で、行って良かったと思ってる。でもこれを機に海外旅行にハマるわけでもなかった。高校入試の面接の際にはこの旅行中のエピソードを引用しまくって、最終的には「勉強を頑張って国際理解に努めたい、グローバルな会社に入りたい」みたいなことを言って無事合格したけど、英語が本当にカスで、結局地元企業でしがないOLやってる。今のところ海外旅行に行けるほどの金は無い。まあでもそんなもんだよね皆。
最後に。
読んでくれる人がいて本当に嬉しかった。
ありがとうございました。
個人が特定されないようにある程度ぼかす。A社とB社から運良く内定をもらえたのだが、どちらも行きたくて迷っている。以下は両者の情報。
どっちも同じくらい行きたいから迷う
頂いたコメントには増田にない視点がたくさんあり非常に助かる。一方、議論に関係ないところで人格否定をされると悲しくもなった
「扱う金額がデカい仕事」というのは割とすぐに慣れてしまう(結局数字の大小でしかなく、デカいことをやってると感じにくくなってくる)ので、扱う金額の大きさでは決めないほうがいいと思う。だからA社かなあ
ギャンブルで金銭感覚が麻痺している人の話を聞くとあり得るのかもしれない。もっと仕事内容を精査してみる
最近は短期インターンが一般化して上司や同僚とは面識あるだろうひ、内定もらってるなら内定者のLINEグループとかあるのでは。ブコメが時代についていけてないっぽい
わかる。でもブコメの内容にはむしろ少し年季の入ったものを求めているので感謝している
入る前の会社なのに「上司も同期もいい人」だなんてなぜ言えるのか。悪い人はわかるとしても。本当にいい人かどうかがわかるのは一緒に働いてからだし、いい人がいい人でいられるかは会社によると思う。
完全に増田の直感。パワハラはないんじゃないのかな。少なくともラボと比べるとどっちも気持ちの良いコミュニケーションをする人しか会わなかったし、話が通じないと思ったことはない
これは本当にそう。メールで聞いてみる
過去の選択の結果は全部自分で正解にしてきた。マクロではxxxガチャみたいなのはあると思うけどミクロでは自分でどうにかできる方法を探すしかないと思っていて後悔はない(念のため。他人にこの考えは強要しない)
①自分が求めることに重要度をつける(全部で100%になるように割り振る) ②A社とB社に①の項目ごとに点数をつけていく ③①×②の総合値が大きい方を選ぶ
雑に重み付けした計算結果も載せておく
同期・同僚 30%
A = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 100 + 10 * 50 + 10 * 80) / 100 = 93
B = (30 * 100 + 30 * 100 + 20 * 60 + 10 * 100 + 10 * 100) / 100 = 92
フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題は権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級を無視している。これは彼らがアナーキストだからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級と権力を同時に重視することができる。
しかし、『万物の黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論を推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。
著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国、領主、爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。
インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等も国家もなく暮らしていた。
そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアのカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等は容認できるということである[11]。
彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王の権力と凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人のプランターに奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。
グレーバーとウェングローは、残酷な人身御供の祭りが世界中の初期の州で見られるという重要な事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜や若い女性、貧しい人々であった。
彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である、残酷な地方国家の臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。
実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家の正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である。国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。
集会そのものも重要な最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミアの王国や国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国で階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。
しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動の集会に似ていると指摘する。
古代メソポタミアでは、参加型民主主義のいかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的な議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主が支配していた。ローマの元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会の有権者は富裕層に限られていた。
この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たちは王国や国家を、不平等な社会における支配階級がルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物の黎明』では、そのプロセスは目に見えない。
グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等に絶望し、グローバル・エリートの政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。
多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級と環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解が必要である。
[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.
[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.
[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.
[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.
[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.
[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.
[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.
[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.
[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.
[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.
[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.
[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.