はてなキーワード: 発心とは
思い出したのは、Skebサービス開始前後に起こった「ダンピング」レッテル貼り。
簡単に言えば、「極低価格でリクエストを受けるのはイラストの相場に対するダンピング行為になるので止めよ。依頼者は十分な額を出せ。」というやつ。
当時のSkebは提示最低価格が今より安くできた(うろ覚え500円とか?)から、落書き程度のまさしくイベントのスケブレベルな受け付けができたのだけど、そのような価格提示はダンピング行為の犯罪者であるとして、クリエイター側クライアント側双方が攻撃された。
この段階には、作品のクオリティは判断の外になっていた。猫も杓子も低価格取引はダンピング犯罪者。
これは稚拙な作品に合わない額の高価格取引を許した。Skebを知ってる人ならわかるだろうが、商業では到底やっていけないレベルの絵描きがアホみたいな価格で受けている。
それで割を喰うのはまともなクライアントだ。それまで個人依頼を受けていた人達全員から、納品物に釣り合わない額の提示がきた。skebじゃないのに。曰くこれぐらい払わないとダンピングかもしれないと「犯罪」という脅しに流されたようだった。
skebも続けてるが、反発心でわざと低価格で受けている。たまに安いと怒られるが知ったことじゃない。仕事依頼プラットフォームではないのでね。
書くの疲れたから止めるが、同人誌の頒布価格しかり、依頼の礼儀作法しかり、タグ付けの決まりしかり、フォトバッシュは描いてないしかり、絵師村は圧力だらけだ。ただのSNSだぞ。勝手にさせろや。
ちなみに最近はAI使用疑いの絵描きフォロー罪がひどい。何が「◯◯さんもアレをフォローしてる、、、騙されてるよ」だ。知っててフォローしてんだよ。
仕事にしてぇならそれがアウトなやつかどうかは自分の目で見て鍛えるんだよ。
昔から全方位的な人付き合いは悪いのだけど、特定の相手への人付き合いだけは上手い自信がある。自分が好ましいと思う人へストレートに好意を示して良好な関係を気づくことができるし、気に食わない人に対しても反発心を見せながら相手から好ましい反応を得ることも出来る。多分必要な強弱を見極める能力が高いのだと思う。相手が褒めて欲しいところを止めて、相手が自分にないと思っているところで逆らう。そういう能力に長けているし、この能力に頼って生きてきた。でもこれって自分がないんだよな。俺って一体なんなんだろう。いい歳になって考えることじゃないんだけど、相手に合わせて生きていたから、今になって自分が何なのかわからない。
https://anond.hatelabo.jp/20240103144945
この増田やそれへの反応を読む中で、「炎上したら謝罪した方が良い」「すべきだ」と思っている、というよりは、そう思いたがっている自分に気付いた。
謝罪しなかった事で悪化したケースを探し、そのようなブコメが有ると暗い悦びに満たされる、そういう後ろ暗い欲望が自分の中に有る事に気付いた。
そういう自分を更に分析してみると、結局の所、自分は炎上という力を振るい、それで誰かを謝罪させたいだけなのではないか?と思うようになってきた。
そのような自分にとって「炎上しても謝罪しない方がいい」という増田の主張は非常に都合が悪い、だから反射的に反発心が湧いたのではないか、と。
そういう汚い自分を自覚しないまま、他人だけは非難し続け、自分自身の倫理性を透明化する態度は非常に醜悪だったのではないか、と気に成り始めた。
炎上は楽で楽しい、炎上させたり、炎上に加担する側からすれば。
自分は責任も倫理も問われず、考える必要もないまま、他人を好きなだけ非難でき、一方的に謝罪させたり損害を与えられる。
一度炎上すればそれが本当に正しかったかなど問われる事もなければ、その反省を迫られる事もない、その後の行動も改める事無く、同じ事をまた繰り返せる。
本来は、炎上がある程度落ち着く度、その炎上は適切だったか、炎上させた側や加担した側に落ち度ややり過ぎ、判断の誤りは無かったか、等反省し、
炎上が適切にのみ機能するようにしていけば胸を張って「炎上したら謝罪すべきだ」と言えるのだろうが、それをしない、怠惰と自己正当化、保身の為に。
みんなそれぞれ生きづらさを抱えたまま何とかやりくりして苦しみながら生きてるわけですよ
そこへマイノリティ大切にしましょうって言われると今まさに苦しんでる私のことは大切じゃないんだなってなるわけですよ
じゃああなたも大切です、あなたを支援します、あなたもマイノリティですって言われると
いや私は支援対象とかじゃないんで、ってやせ我慢の反発心が生まれてしまうわけですよ
要するにこのやり方は詰んでいて、人々をマジョリティとマイノリティに分断することで、いさかいを誘発する害悪手法なんですよ
ベルギーがルワンダでやった分断統治(それまで曖昧だったフツ族とツチ族の分類を明確にしてお互いにギスギスさせた)とやってることほぼ同じでしょ
○ご飯
朝:なし。昼:なし。夜:回転寿司で軍艦祭り(納豆軍艦三つ。ツナマヨ軍艦二つ。オクラ軍艦二つ。温泉たまご軍艦一つ。カニカマ軍艦一つ。マヨコーン軍艦一つ)間食:アイス。
○調子
むきゅーはややー。お仕事は、さんれんきゅーの最終日。
○ NG
・はじめに
DRPGの老舗エクスペリエンスが開発した心霊ホラーシリーズの第二弾。
前作の死印とは世界観が同じで仄めかすシーンはあるものの、別の街の事件を扱っているため、必ず順番通りに遊ばないといけない類のシリーズではなかった。
無頼漢で無愛想な喧嘩が超強い男子高校生の鬼島空良が主人公で、彼とその仲間と共に怪異が蔓延る夜の街を調査するアドベンチャーゲーム。
選択肢、ポイントアンドクリックなどの基本的な要素に加えて開発会社のエクスペリエンスらしいDRPGめいたフィールド移動のシステムなどは前作の死印と共有している。
とはいえ、かなり冗長だった前作と比較するとマップデザインは簡略化されているし、特定の仲間を連れていかないと詰む場面もシステムで補助が入るなど、かなり遊びやすくブラッシュアップされている。
特にマップの簡略化は、正直ここまで簡略化するならもう移動システム自体がいらないんじゃ? と思わなくもないが、さくさく遊べたのでそこまで嫌うシステムでもなかった。
マップを探索して怪異に立ち向かうためのアイテムや情報を揃えてから、怪異と対峙してそれらの情報とアイテムを駆使して知恵と勇気で戦う構成も、前作のフレーバー的なHPや攻撃力の表現は削ぎ落とされていて、文章でちゃんと楽しめるようになってて良かった。
浦島太郎をモチーフにした「うらしま女」や、桃太郎をモチーフにした「殺人桃」などの怪異が登場する。
怪異はどれもまず都市伝説としてのエピソードが紹介されてから、その現場に赴くと姿を現す。
日常的な描写から一気のアクセル全開で恐怖描写が始まるので心の準備ができず毎回ビビりながら読んでいた。
一目で人外であることがわかり、ディフォルメされていないリアルな気持ち悪さが満載の恐ろしいデザイン。
公称ジャンルの心霊ホラーADVの通り、ホラーな恐ろしい表現が徹底されている。
特に今作のらしさを感じたのは、主人公の鬼島の自宅にまで怪異が付いてくるせいで、現場より自宅の方が危ない部分だ。
怪異を退治するために都市伝説の情報を元に街を歩き回るのだけど、時間や諸々の都合でその日は切り上げお家に帰る展開が何度もある。
最初の一回はまだしも、流石に繰り返されると、家に帰るなら怪異を倒してから、倒せないなら家に帰らず朝まで探索した方が良いのではと心配になるぐらい無警戒に怪異を家に持ち帰る。
そのため、本来なら一息付く自分の城である自宅こそが最も危険な場所になっていく。
細かいことを気にしない鬼島の“脳筋”な知恵より腕力な性格故なので、テキストを読んでいてそこまで違和感はないものの、流石に毎回繰り返されると不憫で可哀想になってくる。
お風呂、冷蔵庫、ベット、ベランダ、キッチンといった日常を過ごす自宅に恐ろしい化け物が侵略してくる描写はかなり恐ろしいのに加えて、汚く嫌になる展開も多く心が削られる展開が多かった。
そのせいで、怪異が登場する事件現場に赴くのよりも、自宅に帰る方が恐ろしいという奇妙な逆転現象が起きていた。
鬼島はそんなことあまり気にせずに家に帰って、怪異を持ち帰ったことに気付いて毎回律儀に戦ってるので、良い意味で感情移入できない独特な主人公だった。
・親友の天生目聖司がいいヤツ
そんな“脳筋”な主人公を知恵の面で支えるのが、小学生からの親友天生目聖司だ。
今作最大の魅力であり“カップリング”的な妄想も広がってしまう相棒キャラ。
無愛想で無頼漢な鬼島とは対照的に、社交的で仲間が大勢いる天生目。
しかし、それは表向きのペルソナで、本性は反社会団体の偉い人の息子で、自身もその立場を利用して裏社会で暗躍している悪いヤツ。
鬼島も彼の裏社会の伝手を使って、喧嘩で金儲けしているため、二人してアウトローを自称している。
脅迫王子という異名すらあり、怪異よりもまず法で捌けるコイツらを対処した方が良いのでは感も少しある。
そんな悪いヤツながら、鬼島の親友であり、彼との関係値の揺るがなさは読んでいて気持ちがいいぐらい痛快なシーンが多かった。
反社会的な人間が身内には甘いというのは創作物のテンプレートだけど、王道さをしっかり押さえていて、この二人の関係はかなり引き込まれた。
体力担当の鬼島と知恵担当の天生目という役割分担もしっかり決まっていて、怪異という人間社会の立場が関係ないエピソード故の苦難もありつつも、彼のサポートのおかげでサクサク話が進むのも良かった。
・高校生にたかる最低な中年男性の番直政はやる時はやる格好良さ
ルポライターでオカルトにも裏社会にも詳しい番直政も格好良かった。
お金にだらしなく、高校生の主人公にお金をせびり、そのお金を麻雀や競馬などに注ぎ込むダメ人間。
しかし、本業に調査の仕事や、根回しの技術は素晴らしく、やるときはやる男だ。
特に作中で、300万円を急遽作る必要がある場面での立ち振る舞いは、短い文量でサラッと流されたがかなり格好いいことをしていて惚れた。
くどくど自慢しないところも大人な態度で素敵だった。
後半は彼の調査力と金銭調達能力が非常に頼りになる場面が多く、オカルト方面にも長けているため脅迫王子の天生目に負けず劣らずな有能なキャラだった。
・おわりに
恐怖と気持ち悪いの境目は難しいのだけれど、この綱渡りをしっかりこなしている良いゲームだった。
恐ろしいだけでなく、鬼島と天生目の熱い友情も燃え沸るものがあり、恐怖描写を反発心に変えて奮起する展開も良かった。
なお男性キャラに着目して感想を書いたが女性キャラにも、天生目と対をなす相棒キャラのオカルトとゴスロリ好きの葉月薫、手先の器用さでストーリーをスムーズに進めてくれるお姉さんなムーラン・ロゼ、主人公の保護者でホラー作家の那津美、愛すべき義妹の愛海、ガハハ系の大江さんと魅力的なキャラ揃いだった。
当方、一卵性双生児(男性)なのだが、兄弟でやって楽しかったことを書き連ねてみる。
・スマブラ
当時は現在と環境が異なり、対人環境がオフラインしかなかったため、対戦相手を用意するだけで一苦労だった。
私は双子であったため、家に帰ればすぐに対人練習ができる環境であり、双子揃ってどハマりした。
腕前が同程度の相手と何度も練習するのは効率が良かったのであろう、2人とも地区大会選出程度には上達できた。
・野球
親の影響で始めたのがきっかけ。
なお、負け試合は互いのボール/リードのせいにしてよく喧嘩していた。
高校からは互いに、多少の反発心もあり、違うチームでプレイしたが、帰宅後の自主練は2人でよくした。
おっさんになった今でも、たまにキャッチボールやバッセンに行く。楽しい。
自分が学生時代の時には、まだまだオタクに対し風当たりが強く、周りにもそのような趣向の友人がいなかったため、隠れオタクをしていた。
ある時、互いの部屋にオタク関係のアイテムがあり、互いがオタクだと認知したとき、兄弟のみで嗜好をオープンにした。
やはり1人より2人で作品を考察し、キャラを愛でるのは楽しく、どっぷりオタク趣味に浸かっていった。
2人でコミケにいき、たくさんはしゃいだのも良い思い出。
・友達交換
双子ならではだが、お互いの友達が確実に同年代かつ、趣味嗜好が合うため、互いの友人を呼んで交流をたくさんした。
上記のオタク趣味が顕在化してからは、そのようなグループも交えていろんなところに旅行へ行ったり、BBQをしたりした。
・キャンプ
もともとソロ気質が高い人間であり、ソロキャンプをしていたが、せっかくなら一緒に行こうと兄を誘ったところ、刺さったもよう。
気を使わなくていい相手と、取り留めのない話をしながら酒を飲み、火に薪をくべる時間が、どうしようもなく好きだった。
・子育て
先に私が結婚し子どもができたが、甥っ子に当たる私の息子を兄はよく可愛がった。
これからは、このコンテンツがメインとなり、兄と楽しんでいくんだろうな。
同世代の1番の友人であり、ライバルであり、家族である双子の兄、書き連ねてみると、一つ一つは大した思い出でもないが、やはり居てくれてありがたい存在だ。
大谷アンチっているけど基本的に大谷が気に入らないわけじゃないのよね
ただ野球が異常にうまいだけで周囲がチヤホヤして神かの如く崇め奉ってる状況が気に入らないだけで
ぶっちゃけ大谷本人に対して何らかの強い気持ちがあるわけじゃない
そういう状況を作ってるのがムカつく、くらいの気持ち
別に阪神や巨人、野球に対してなんか強烈な反発心持ってる奴なんかそんないない
単に阪神ファンや巨人ファンや野球ファンにムカつく目にあわされたから
例えば藤井総太が平本蓮くらいSNSでイキり散らかしてたら藤井総太本人のアンチも湧くだろうけど
藤井総太がどんな「人間」なのか知ってる奴、ほとんどおらんだろ
https://www.youtube.com/watch?v=JOYUNvpPPoE&t=340
職場で同僚が強いこと言われて泣いてるのとか理解出来ない。「『大人なのに』泣くのかよ。しかも理不尽なこと言われてるんだから怒れよな」と思ってしまうが、自分は「大人だから毅然としてる」というより小さい頃からそんな感じの人間だった。怒られたりしても反発心の方が大きかったし(基本的に真面目な子供なので怒られることはほぼ無かったが)
現在も勿論そうで、不安や悲しみよりも怒りの方が強い。そして「そうでなければ生き残れなかった」と思っている。「怒りで自分をガードしたり、踏ん張る力に替えないと生きてこれなかった」と
又、親にも「やられたらやり返せ」と躾けられた(上記の「小さい頃から反発心が強かった」と矛盾する様ではあるが、稚い頃は「攻撃性」よりも「被虐性」の方が勝っていたのでイジメの様なものに遭うことが多かった。心配した親がその様な躾けをするのも頷けるし)
↑の思考が極端になりすぎたことに加え父親も同じ傾向があり攻撃的な態度を見て育った為もあり「不安・悲しみを押しのけて攻撃性が前面に出る」タイプに成長した
若い頃はこの様な自分の態度に反省が止まらなかったが、老いて鈍くなってくるとそれも減った
もうどうにもならないよなと思いつつ、こうして「治療法」なんかを見かけると改善出来るもんならした方がいいなとも思うし
攻撃性に関しては老いるとますます手に負えなくなってくるだろうし。認知症までいかなくても認知能力は低下するし前頭葉の抑制も更に衰えるだろうから
それにしても、つくづく生まれる時代を間違ったと感じる(そもそもこんな風に生まれたこと自体間違いなんだが、それは措くとして)
神経発達症への理解や治療が確立されつつあるこの時代に生まれていたら、もっと生き易かったと思う
せめて今の自分の年齢の半分くらいの時に現在くらいの理解・治療・ネット環境があれば良かったなと思う
神経発達症に対する理解や治療はこれからもどんどん変容していくと思われるので、年若い人達はちゃんと向き合って楽に生きる道を模索して欲しい
自分も「セッション」は最悪に胸糞悪い映画だと思う。最後まで見たけど自分もご多分に漏れず、ブラック企業で働いてた頃の感情を思い出してしばらくぐったりしてしまった。ちょっともう記憶があやふやだが先生のハラスメントに反発心を燃やしてがむしゃらに練習してきた主人公が終盤、演奏会に乱入して、指揮者として立っている先生に演奏技能を見せつけるようにドラムをたたきまくり、最初はお互い敵愾心を示しているのに一瞬だけ相手を認めるような視線を交わすシーンがあって、これがもう最高最悪に気持ち悪かった。あの映画を評価する人はどこをほめているのかわからない。パワハラコミュニケーションのリアルさをほめているのか?
ああいや、俺の言葉の使い方が怪しいのかもしれん。学際というのは複数の分野にまたがることを前提として作られた学問って意味合いで言ってる。
超ひも理論などはもっぱら数学を活用した物理のための学問だろう。別に他の学問に一切活用されてない学問を所望してるわけじゃないし(そんなこと言ったら代数学できないし)、それにしても物理学で数学に対抗するのはなんか力士に野球で決着をつけようとしてるようで違うかなーって。
数学の現段階での(数学という系譜上に)最終到達点としての学問領域って数論幾何以外になんかあるのかなとシンプルに疑問に感じただけ。たとえばルベーグ積分を学ぶのを最終目標にしようって全体じゃそんなのは数論幾何の踏み台としての解析学のしかも中間地点あたりの成果の技法でしかないわけだしねえ。
別に本気で学びたいとか言ってるんじゃなくて数論幾何がもてはやさてるなかでの、他になんかないのかっていう素朴な興味やら反発心混じりの疑問ってだけだよ。
「芸術とはコミュニケーションの一形態である」という大前提を伝えるのが音楽・美術という科目の教育要領の根っこだと思います。
なんとなく気持ちがいい、とにかく上手、といった要素は芸術において重要な評価点ではありますが、あくまで評価点であって主題ではない。
メインとなることは「何を伝えようとしているか」なのです。
宗教画であれば「神という偉大な存在の物語」を共有するための手段として存在しますし、オペラミュージックであれば「場面の持つ意味を強調する」ことを目的とします。
音楽はその歴史の中で技巧に偏る部分が多く、宮廷音楽についても「こんなにも素晴らしい音楽を聞いている自分たち貴族の精神的な豊かさ」に重きをおいた表現になりがちでした。
そこから大衆化を経る過程において「純粋に音楽の持つ楽しさを共有する」ということへとテーマが移っていきます。
やがて現代のポピュラーミュージックにおいては、「現代社会の中で感じる様々な感情」が表現のメインへとなるわけです。
世界の音楽チャート上位をラブソングが占めがちなのは恋愛というものが「共有したくなるような事柄が多い事象」であるからだと言えます。
つまり、音楽とは昔も今も音を通して何らかの「物語」や「感覚」を共有するものとなっているのです。
造り手の想定したイメージを、受け手が音楽を聞くことによって脳内に再度作り出す。
それは紛れもなく「コミュニケーション」なんですね。
結束バンドのアルバム「結束バンド」はそうそうたるメンバーを集めた上で「駆け出しの天才たちによる青春ロックバンドのファーストアルバム」というコンセプトでリリースされます。
バンドとは元来「世の中に何か表現したい者たち」が集まって産まれるもの、その「表現したい者たちが集まって産まれた」という状態そのものを表現するのがこの名盤「結束バンド」なのです。
大衆化とそれへの反発心が混ざり合う中で詰め込みすぎた結果の若干なチグハグさ、そういったものが確かに感じ取れます。
音楽という強力な武器を持ってしてでも何者かに伝えんとする強力な叫び、その最もプリミティブな部分がファーストアルバムの奥底には光るものですが、結束バンドにならぶ「後藤ひとりという孤独な人間による反抗」というコンセプトの歌詞はハッキリとそれが現れています。
ロックとは大本をたどれば反発のミュージックであるわけですが、今では最も平穏でありきたりな音楽の一つとさえなっています。
同時に、「社会への反抗」「本当は人付き合いなんて好きじゃないことの暴露」といった事柄も、今ではポピュラーな文化の一つとなり、SNS等では日常のように誰もが口にするようになりました。
ですがその中にはそれぞれが心に持つ確かな苦しみや叫びがあるわけです。
現代に宿るそういった「一般化した反抗心とロック」を、「結束バンドの後藤ひとり」という触媒を用いることによって鮮烈に浮かび上がらせ「現代におけるロック」を一つの形に組み直したのがアルバム「結束バンド」なのです。
その表現に対して「もっと上がある」というのはナンセンスだと思います。
コミュニケーションには間違いなく良し悪しがありまして、それは「表現しようとしたものが表現できているか」で決まります。
結束バンドのアルバム「結束バンド」は、それによって表現しようとしたものが確かに表現できている。
これに対して「もっと良いものがある」と言ってしまうのはどうにも心が貧しいように思えますね。
https://www.mod.go.jp/j/press/kisha/2022/0906a.html
○ 次に、防衛省・自衛隊におけるハラスメントの根絶についてであります。
防衛省・自衛隊においては、長くハラスメント防止対策に取り組んできたところでありますが、相談件数の増加の一途をたどるなど、引き続き、重大な問題となっております。
ハラスメントは、基本的人権の侵害であり、また、自衛隊の精強性を揺るがす、決してあってはならないことであります。
このため、本日、関係幹部を集め、「ハラスメントの根絶に向けた措置に関する防衛大臣指示」を発出いたしました。
指示事項は4点であります。
全職員に対し、改めてハラスメントの相談窓口・相談員を周知徹底の上、相談・通報を指示すること、
2つ目、現在のハラスメント相談の対応状況を緊急点検し、全ての案件に適切に対応すること、
4番目に、ハラスメント対策の抜本的見直しのための有識者会議の設置であります。
また、現在行っている、元陸上自衛官のセクハラ被害事案の調査について、更なる公平性・第三者性の確保のために、本件調査を主導する者として、防衛監察本部所属の検事及び検察庁からの出向事務官の2名を、4日、東北方面隊に派遣しました。防衛省として、ハラスメント防止対策になお一層しっかり取り組んでまいります。
うんうん。
端的に要約すると「外に漏れちゃったセクハラの件は息のかかった連中によって封殺するよ。これから新たに文春砲が飛びそうな案件は漏れる前に頑張って封殺するよ」ってことだね。
丁寧に見ていくと
これはつまり「外の相談窓口に相談されないように、身内の窓口にだけ相談するように徹底させろ」ってことだね。
身内の窓口に最初に来てくれればさも親身になって聞いてるかのようにしてなあなあにしながら情報を集めて、後々のために先回りして相手側に不利な証拠を集めたり逆に証拠を潰したり出来るものね。
いきなり外側に通報された場合でも、ことある毎に「まずは身内に相談してほしかったのにな~~」って空気を醸成しておけば部隊の中で「外に通報するやつ≒裏切り者の悪」って空気が生まれるよね。そうすれば反発心からハラスメントを受けた側に不利な証言をすることが多くなるわけだ。自衛隊ってボイスレコーダーとか持ち込めないから上手くやれば「その場にいた全員が知らない。本人の被害妄想や狂言」ってことで片付けられるよね。
これは要するに「今回のニュースを受けて自分も外に通報しようって動く奴がいると思うから、急いで先回りをしておけ」になるね。
上で書いた内容をノンビリやらずにスピーディーにせよってことだね。ボイスレコーダーこそなくても日記や記録帳ぐらいはあるかも知れないし、営内者や艦艇乗員ならこっそりベットの下を同室の人間に調べさせるとかもしてるかもね。
これはちょっと難しいけど「全員に向かって嫌がらせをすることで、通報した人間に対してヘイトを向けさせて、これから通報しようとする奴の心にダメージを与えたり、不利な証言をする人が増えるようにしよう」ってことかな。
特別防衛観察ってのは「普段なあなあで仕事してる自衛隊とは思えないぐらいの超厳しいチェック」をするってこと。これは本当に厳しくてもしも不正が見つかったらドンドン取り締まられて出世や給料にガンガン響くから皆されたくないと思ってるよ。こんなのに付き合った分だけ仕事も遅れるしね。
自衛隊(に限らず自民党政権下で働いてる公務員達)って守る気なんてまったくないくせに上辺のルールだけは凄い厳しいんだよね。「どんな些細な事でも個人情報の書かれた書類は凄く厳密に扱って、凄く一部の人しか見れないようにしましょうね」ってルールを作るだけ作るんだけど、それが現場と全く噛み合ってないから皆日常的に破ってるというか破らないとそもそも回らない仕事がどんどん降って来るわけ。
そんなことしてる時に突然「ガサイレだ!壁に手を付いて質問されたことにだけ答えろ!」って言われたら、いつもどおり仕事してただけの人がドンドン捕まっちゃうんだよね。もう最悪でしょ?それで生まれた恨み辛みをハラスメントを通報した人に向けさせて孤立させたいんだろうね。まさにカルトや詐欺師の洗脳プログラムみたいなもんだね。サイテーだサイテー。
自民党の口にする「有識者」がどういう人達なのかを考えたら、もう答えは見えてるよね。お友達を集めてもみ消しとトカゲの尻尾切りをするための会議を開くねってこと。もちろんマトモに再発防止なんて考えないよね。
うーん……実に最悪な話だねー。
さも耳触りが良さげなことは言ってるけど、いつも使ってる表現の裏が読めればそれが単なる偉い人達の保身のために下級国民を奴隷のようにぞんざいに扱う方法を丁寧に考察しつつ、都合の悪いことは隠そうとしてるだけ。
こーいう話だとつい「自衛隊って相変わらず帝国陸軍の頃から引きずったゴミモラルなんだね」って言いたくなるが、一番トップの防衛大臣が腐った自民党議員だってのを思うと、結局諸悪の根源はトップが自民党なことなんじゃねと思うわけ。
しっかし酷い職場だよね。
「我々は労働基準法を採用しておりません。基本的人権も採用しておりません。何故なら軍隊だからです。自衛隊法にそう書いてあります」だけでやっていけた昭和の価値観のままずーっとやってるんだから大したものだ。
そこから新しい世代が脱出を図ろうとしたり外圧がかかっても、最後は昭和脳の自民党議員が鶴の一声で全部元に戻しちゃうわけだ。
いや本当駄目な職場だよ。
わかる…。
寒々しいし、腹立たしいし、勝手な甲斐性やルールを押しつけてくるしで不愉快だった。それがネットで確信と加速した。
上の世代を見上げると「山一證券の倒産」「銀行の統廃合」「累積国債の増大」「少子化に歯止め掛からず」「増税に次ぐ増税」「いつまでも良くならない景気」「延々と続くデフレ」「リストラによる家族離散」「自殺者の増加」「有効な対策を打てずに一年で瓦解する政府」「不良債権問題」「半導体や家電分野で敗退」…などなど、キリがないくらいにうわぁ大人って地獄ぅと感じさせるものばかり。
とかく大人の顔色も暗くて、全体的に灰色な感じの中で、未だにメディアがバブル的なはしゃぎ方をしていた印象。まあ、日本全体が自信喪失で迷走、もとい現実逃避していたのかな??
そんな中で新興メディアになったネットは玉石混交だけれども、いろいろな考え方に触れられて興味深かったし何より面白かった。
元増田の言う通り「都合のいいだけ利用しやがって」と、メディアに若年男性を便利に消費されているような気がして反発心を覚えたよ。あのとき、ただイケとスイーツ(笑)は、非難と冷笑のモチーフだった。
確かに若気の至りな選民意識はあったことは未だに反省しているけれど「ソースは?」とその根拠を求める気質を受け継げたことは財産だな。自分で考えよう、そのために情報元を洗おうとすることは良いことだ。面倒だけれど。
給料は下がったようだけれど、私も今の方がまだましだと思う。
非モテコミュ障気味の私にとって、当時は息が詰まる。その時代、確かにいろいろな文化の勃興を身近で感じ取れたことはわくわくしたけれど、やっぱり今の方がまし。