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はてなキーワード: 予兆とは

2022-09-29

文学的インフラ

「その文書地域で何が起こっているのか?文書は人々からどのように受け止められているのか?文書の何が神経を逆なでするのか」について分析するという話を聞いたことがある。「文学的インフラ」とは、文学資源として活用し、たとえば何らかの現象予測するといった発想だ。物理現象予測できないかもしれなが、社会現象ならどうか。

こういうもの評価してテキストリスク判別するというプロジェクトに聞き覚えがある。ユルゲン・ヴェルトハイマーという人は「作家は、読者が即座に世界想像し、その中に自分自身認識できるような方法現実表現する」と述べている。

例えば、以下のアルジェリアの例がある。

何が言いたいかというと、増田コーパスを使えば何かしらの社会現象予兆を見つけることができるのではないか、ということ。

かに時間場所事象を非常に具体的なレベル予測」となると不可能かもしれないが、「特定政党支持率」「どのような哲学主義が好まれいるか」「どの国との関係性が良かったり悪かったりするのか」「自殺率が増加するのか減少するのか、凶悪犯罪はどうか」「博士課程に対する社会の許容度はどうか」といった大雑把なレベルなら予測できることがあるのではないか

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-09-24

彼女が編み込みを解いたら

 どうやって編んでるんだろう。ずっとそう思っていた。

 月ノ美兎トレードマークといえば、長い黒髪紅白ヘアピン、そしてあの編み込みだろう。両耳のあたりからするすると伸び、後頭部にてリボンで結ばれ、馬の尻尾みたいな毛先がぷらんと垂れ下がっている。なんと面倒くさそうな髪型だろう。あれって家族に結ってもらってんのかな。いやでも普通に手の届く範囲だし、毎朝毎朝少し早起きして自分で結ってんのかな。二次三次区別もつかぬ俺は、前々からずっとそう思っていた。

 彼女は俺達の前に現れる時、いつもそんな手の込んだ髪型をしていた。ほぼほぼどの衣装であっても、その髪にはあの編み込みがあった。地雷衣装には編み込みはないけど、代わりにぐりゅんぐりゅんにカールされてたし、アーティスト衣装場合には、近未来的なアイテム彼女の髪を彩っていた。

 そう、彼女は大体どんなときも、あの編み込みを解かなかった。着衣で入浴して小松菜チョコレートバリボリ食ったときも、パチンコ配信でぐーすか寝てるときも、決して編み込みを解かなかった。別に何も不思議ではない。単に解いた髪がアプリ実装されていないという、ただそれだけのこと。でも、俺は勝手に、その編み込みに、別のものを読み込んでいた。

 月ノ美兎自分プライベート容赦なくコンテンツに組み込んでいる。これは動かし難い事実であろう。配信では自分実体験をガンガン話していくし、時には生活音を垂れ流して質感で視聴者虐殺したりした。あくま主観だが、2018年初頭のV界において、そんな彼女のあり方は一種異様であった。この女には公私の区別がついてないんじゃないか最初はそう思ったりもした。でも、今は違う印象を抱いている。彼女は明かすべきものとそうでないものを、科学者のように客観的な目で峻別している。そして、題材として選ばれた裏側は、丹念に彫琢され、一個の作品として完成して初めて表になるのだ。でも、俺たちはそうとは気づかず、本来秘されるべき彼女の素顔に触れているような気になってしまう。これこそが彼女演出手法なのである。画面に映る彼女はいかにも親しみやすく、何も飾っていないように思える。でも、彼女は公に現れる前に、丹念に時間をかけてその長い髪を編み込んでいるのだ。それは彼女にとって一種戦闘服なのではないか――なんて妄想を、俺はよくしていた。

 だからこそ「1000年生きてる」のPVを観た時は鳥肌が立った。映像の中盤、モニターに凭れて座る彼女は、ふと自らの後頭部に手を伸ばし、あのリボンを解いて見せる。俺の記憶が正しければ、2018年1月デビュー以来、それは初めての事態だった。編み込みを解き、ヘアピンも外して、人の想いの永遠なることを高らかに祈る彼女を観たとき、ふと思ったのだ。「終わってしまう」と。歌ってみた自体には大いに感動したけれども、またあの思いが浮かぶことを恐れ、聴き返すことは出来ないでいた。

 件の歌ってみたが発表されてから二三日後、彼女ツイッターにて休止を宣言した。最初疲れたのかなくらいに思っていたが、事態もっと深刻だったようだ。断続的に発表される案件等で食いつなぎながら、俺の脳裏には時折、不吉な二文字が浮かんでは消えた。そしてその不安が、あの一瞬の予感を無限に増幅していった。そう、彼女にとってあの編み込みは戦闘服なのだ配信という、何万という人間の目にさらされる場へと向かうための正装なのだ時間と労力をかけて自分自身を吟味し、何を表にして何を裏に留めるべきか腑分けするための手術着なのだ。それを放棄したということはつまり、終わりを意味するのではないか。そんなことをふと考えては、打ち消すために「なんでもかんでも戦わせられるあほあほAI見つけた」配信を見返したりしていた。

 結局、すべては杞憂妄想であった。9月20日彼女ツイッターで復帰する旨を報告した。22日か23から配信を再開させるらしい。休止も既に三ヶ月強を数え、そろそろ彼女のいない日常に慣れ始めた頃のことだった。まったく現実感のないまま数日間をやり過ごし、そして昨日、彼女の復帰配信を観た。久しぶりに顔を見せた彼女の髪には、あの編み込みも、ヘアピンもなかった。まるで別人のような姿を纏いつつ、彼女はそれまでと同じように、面白おかしい話をしては俺たちを笑わせてくれた。ニタニタと気色悪い笑みを浮かべながら、俺は、この瞬間に自分がとても貴重な経験をしていると実感していた。編み込みを解いた彼女の姿。つい最近まで、終末の予兆のように捉えていたその姿が、今や復活の象徴へと変貌を遂げたのだ。ある対象に抱いている感情が、一瞬にしてこれほど見事に反転した例を俺は知らない。そこで生まれた膨大な感情を持て余した挙げ句、ついには増田にこんな怪文書をしたためる羽目になっている。オタクってのは救い難いねえ。でも俺は、とても救われた心持ちだよ。

 不穏な先入観抜きで見てみると、新しい髪型はどストライクです。あの髪型地雷衣装着て黒マスクつけてくんねえかな。

2022-09-19

anond:20220919155057

関係ないけど、時々風俗嬢への褒め言葉としてコスパ最高でした!って書く人がいるから(ひとりじゃない)、コスパって言葉意味が変質していく予兆のようなものも感じている

2022-09-16

anond:20220912150520

商船三井、昨日は出来高が涸れて値動きが弱かった。こういう日は下落の予兆である。やや見切り発車だったが、昨日のうちに空売り。「もし明日以降に出来高を伴って落ちれば、その時はさらに売りポジションを増やそう。」そう考え、昨晩は眠りについた。

今日さっそく出来高を伴って下落した。しかも寄り付きで窓を開けての下落。3330で売り増し。切りのいい数字やぞろ目など、特徴的な数字心理的節目になりやすく、今日はこの近辺で株価はもみ合った。3330の場合は、3分割前に1万円で買った人たちが意識やす数字でもあるのかもしれない。

大引け前、売りと買いの激しい攻防があり、見ていて楽しかった。終値は3315。昨日空売りした分と合わせて今日のところは含み益となった。

川崎汽船は200DMAを大きく割り込んだ。9/7に200DMA割れを試した際はダマシとなったが、今回はたぶん本物。川崎汽船はもう200DMAを上抜けないだろう。上方向へ戻ってもこの200DMAが抵抗線となって、ふたたび下へとはじき返される可能性が高い。

日本郵船は200DMA上で下げ止まった。日本郵船も200DMA下抜けチャレンジは2度目なので、今回でたぶん割れるだろう。

商船三井はというと、3社の中で最も高い配当を目当てに買い持ちしているホルダーが多い。そのため商船三井が一番持ち堪えていて、200DMA(3200付近)をまだ割り込んでいない。

川崎汽船配当もっとも低いので、その意味では川崎汽船もっとも下げやすい。実際、株価もすでにきれいな右肩下がりだ。それなら川崎汽船空売りすれば良かったのではないかと疑問に思われそうだが、川崎汽船の1単元はお高め(最近まで株価は1万円台。1単元で100万円台ということ。)なので、私が扱うにはリスクが高くて手が出せなかったのだった。

もともと、ショートはロングよりもリスクが高い。であれば、ショートする際は1単元ではなく複数単元を持ち、値動きに応じて合計保有数(あるいは保有予定数)の何分の一かずつ、売ったり買ったりするリスク管理が一層求められる。その点で商船三井の1単元の株価は3000台であり、複数単元持つには都合が良かった。まあ、その代わり、(私の想像以上に)なかなか下落してくれないのでじれったいが。

2022-09-01

[] そのよんひゃくなな

セントバーナードーッス

 

本日防災の日、1923年のこの日に発生した関東大震災を忘れることな災害に備えよう、とのことで1960年に閣議決定されました。

地震に何日か前から予兆があればいいのですが、オカルトじみた予兆とされるのも地震雲だったり、動物が逃げたり本当に当たってんのかあんのかわからなかったりします。

まぁ最近ではスマホテレビ地震が発生する、発生したことを知らせてくれたりして、より身近になったような気もしないでもないですが。

ともあれ、相変わらず何が起こるかわからないのが昨今なのでもしもの時の防災グッズ等は備えておきましょう。

 

ということで本日は【防災グッズいか】でいきたいと思います

防災グッズいか防災グッズヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-08-29

ケツアナ違和感

もはや私は痔のベテランでありこれが痔の予兆だということを良く知っている

早めの対処が肝心

2022-08-24

anond:20220823195652

ワイはうつでぶっこわれたけど、コップ理論だったかダム理論だったかわからんけど、

我慢できるキャパティが減ってしまった(凄く些細なことで崩壊する予兆を感じるようになった

週に10時間ぐらいしか働かないでいい状態なんだけど、お薬は手放せなくなった

誰に頼んだら解決してくれるんじゃのう

2022-08-21

anond:20220821131558

SSDHDと違って不調の予兆がなくていきなり壊れるって話があるから適当な間隔で買い替えたほうがいいかもね。

SSDの診断ツールとかあるのかな?

2022-08-08

人生観は変わらなかった

40歳になった。ここまでの人生を振り返って思うのは、「人生観が変わるほどの衝撃」とか「人生を決定づける出会い」って俺には結局なかったし、これからも無いだろうな、ってこと。キルケゴールの「大地震」とか、安藤忠雄ガンジス川とか、ああいうの全部20代だしね。もちろん俺は彼等ほどの逸材傑物ではないけれども、俺の人生だってあいう転換点があってもおかしくなかったはずだ。ということで年表見ながら振り返ってみるわけだが、

リクルート事件(1989)

自民党って悪い奴らなんだな、という理解だったが、今じゃ贈収賄程度で総辞職なんてしないわけで、いま振り返るとよくわからない。

天安門事件(1989)

社会主義って怖いんだな、という理解戦車の前に立ってる写真は後から知った。

ソ連崩壊(1991)

社会主義は終わったんだな、という理解世界史とか地理とか結局マトモに勉強しなかったので、今でも当時の解像度のまま、なんで露宇が戦争してるのかよくわからない。

湾岸戦争(1991)

油田放火もったいねー、海鳥かわいそう、くらいの印象しかない。当時からハイテク戦争と言われてて、ベトナム戦争アフガニスタン紛争みたいな人道危機報道は少なかったんじゃないかと思う。普通に人も死んでたはずだが・・・

阪神淡路大震災(1995)

高速道路が倒壊してる絵面はショッキングだったが、いま振り返れば単に大都市で起きた大地震という以上の意味はなかったと思う。手抜き工事疑惑はあったけど、復興利権みたいな報道記憶にない。

地下鉄サリン事件(1995)

犯罪どうこう以前に、ホーリーネームとかヘッドギアとか純粋気持ち悪くて理解できなかった。カルトやべーな、という理解

同時多発テロ(2001)

⇒その後、アメリカ大量破壊兵器証拠とかナイラ証言とか捏造してイラクに侵攻してフセイン処刑してた。ブッシュやべーな、という理解

北朝鮮拉致を認める(2002)

⇒ひどすぎる、と思いはしたが、少なくとも今はもう拉致してないんだな、と安心もした。

ライブドア事件(2004)

⇒こんな若造でも金さえあればフジテレビ買えちゃうんだ、という発見と、出る杭は打たれるってマジなんだ、という理解

オバマ大統領(2009)

ブッシュから黒人大統領まで揺り戻した点にアメリカの強さを感じたが、当選後の印象は薄い。オバマケア? あとビンラディン殺害

サブプライム問題(2009)

⇒当時勤めてた会社が潰れかけてて、リーマンショックの影響で業績悪いっすってみんな深刻そうに言ってた。もちろん全然関係ない。

福島第一原発事故(2011)

日本危機に弱い、という理解。その後のゴタゴタで、究極的には倫理/信念/信仰の欠如(保身と利益誘導以外の行動原理がない)、という理解信仰とは必ずしも特定宗教帰依することを意味しないのだが、しか日本社会には資本主義科学技術信仰への対立軸がなく漠然とした宗教への忌避感もあり・・・と、俺なりの総括を語ろうと思えば語れるんだが、このあたりはもう30がらみ、既に自己確立してしまった後なので、あとはもう何を見ても偏見を補強していくばかりだし、ここから現在までの10年間のニュースほとんど印象にない。あったねー、くらいの感じ。

統一教会事件(2022)

⇒分断やべえな(ここまでやられても団結できないのか)、という理解。ちなみに俺は共産党贔屓です。

参考:キーワードでみる年表 平成 30年の歩み|平成 -次代への道標|NHK NEWS WEB

振り返って思うに、転換点は1999年東海村JCO臨界事故だったと思う。裏マニュアル作って核燃料をバケツで扱って臨界しちゃったアレ。日本先進国技術なら世界一とか、日本人は真面目で几帳面とか、そういう幻想崩壊していく予兆を感じ取るべきポイントだったが、当時高校3年の俺にはそういった視点はなかった。作業員チェレンコフ光を見て放射線障害で苦しみぬいて死んだことは印象に残ってるけれども、日本もうダメなのでは? みたいのは無かったし、世間空気もそうではなかった。一部の不心得者による怠業、むしろ日本人の生真面目さが悪い方向に働いてしまった結果、みたいなことをみんな言ってた気がするけど、今振り返れば完全にズレてたな。80歳で死ぬとして残り40年、これからも重大事件は毎年起こるんだろうけど、俺はもう死ぬまで「人生観が変わるほどの衝撃」を受けることは無いんだろうと思うと、ちょっとさびしい。

2022-08-05

コロナ流行起源は「武漢海鮮市場

生きたまま販売動物から人に感染…米研究チーム

8/5(金) 11:48配信

読売新聞オンライン

「オミクロン株」の電子顕微鏡写真国立感染症研究所提供

 新型コロナウイルス流行は、中国武漢市の「華南海鮮卸売市場」が起源だとする研究結果を、米国の二つの研究チームがまとめた。ウイルス遺伝情報の解析などから市場販売されていた動物から人への感染が2019年11月中旬頃に発生したと推定されたという。論文科学誌サイエンス掲載された。

【図表】一目でわかる…BA・5はこれまでの株の主な変異をすべて備えている

 新型コロナ起源を巡っては、武漢市にあるウイルス研究から流出したとの説もある。中国政府は、同年12月8日に発症した男性最初感染者だと発表しているが、感染経路や起源については不明としている。

 研究チームは、同市場動物ケージの付着物市場関係者患者から検出されたウイルス遺伝情報を解析した。その結果、生きた状態で売られていた動物から、2系統ウイルス変異を経て、人に感染した可能性が高いとした。そのうち1系統世界に拡大したという。動物の種類は特定していない。

 また、患者SNS位置情報から感染の広がり方を推定市場関係者市場外の患者生活圏を共有しており、「市場内で最初動物から感染した後、市場外に広がった」とみている。

 東京農工大水谷哲也教授ウイルス学)の話「推定の一つだが、起源特定に向けた一歩になる。どのような変異動物から人に感染するようになったのかなどを調べることも、起源を探る手がかりとなる」

eva*****1時間

自然界には存在しない、コロナRNAのCCCCの塩基配列はどう説明する?

その配列のせいで不安定になり無限変異しているのだが・・・

そのCCCCこそが、遺伝子操作証拠だったはずだが・・・

THE 1時間

そう言うのであれば。

同時にウイルス研究から消息不明になってしまった研究医たちの安否や失踪の件もキチンと説明してもらわないと

海鮮市場からとは信じ難い。

なぜ、研究医達が通告したら消えたのか。

正論派1時間

研究所の実験した動物が、処分されず市場に出てきた可能性があると、テレビで見た記憶がある。

そんなものだろう。

mot*****1時間

動物から感染というところ以外、発生時期や場所などの推論には100%賛同する。

自然界に生きる動物から感染であったなら、その前にその動物や他の餌となる動物や鳥や昆虫ウイルス感染による大量死観測される筈なのに、そういった予兆が全く報告されていない点が説明出来ないからだ。そういった大量死があれば必ず学者サンプル調査するので、通常なら人間感染したとされる2019年11武漢より前に死骸からウイルスが検出された結果が発表されていないとおかしいのだ。当然大量死した死骸も大量にサンプルとして厳重に保管され起源が何処かなどという疑問を世界が抱く事もなかったということ。

可能性はウイルスを持っている誰かが、動物に付着させ市場に持込みパンデミック演出しようとしたということ。香港人法案、ウィグル人権法案が通った時期と発生時期が符合することから見ても、香港の大規模デモ対策安易に撒いたが真相

pan*****

pan*****1時間

最初から言われていたので、まぁそうでしょうね…

中国春節利用して他国にばらまき、テドロス氏がチャイナマネーに目がくらみ適当発言感染拡大させなければこんな事にならなかったのに

spi*****17分前

ウイルス研究所で使用済みになった実験動物職員市場横流ししてるって話がコロナ流行初期のころ出回ってたと思う。

smk*****39分前

発生源はコロナ漏出後に即座に爆破解体された武漢のP4研究所。

lvp*****1分前

これ1番最初から言われてる説やん。

武漢市場の生きたコウモリから男性が噛まれ感染したんやろ?

https://news.yahoo.co.jp/articles/7c6b5043b5e9014aa33941aab322b5ff8fc2b67b

2022-08-01

TOからヲタク失格まで落第した大馬鹿者の末路

あなたには"推し"って存在しますか?

アイドルキャラクター声優俳優スポーツ選手最近であればVtuber。なんでもいいです。推し推しのいる生活って豊かですよね。しかし今の私の生活は全く豊かではありません。完全に自分で招いた最悪の結果ですが、人生どん底にいます

「TO(トップヲタ)」

ヲタクの頂点に君臨する人間のことです。私は本人公認のTOでした。たしかにそりゃもう全力で推していました。まだまだ駆け出しで無名だったこともあり、とにかく推しのためにできることはなんでもしていました。自分で言うのもなんですが当時は超優良ヲタクだったと思います。当時は。

大きな過ち

結果どうなってしまたか。そう、繋がりです。私はこれを断れませんでした。「そういうのはよくない」と一蹴するのが本当の「優良なヲタク」です。全ての間違いはここに起因していたな、と冷静になった今思います。繋がってしまった結果、自分の中での軸が完全にぶれ、ヲタクをしている本来目的が入れ替わってしまいました。

本来手が届かないはずの「推し」だったからこそ純粋な、ピュア気持ちヲタクをできていたのに、手が届いてしまったが最後自分だけのモノにしたくなってしまいました。

「推す」という感情崩壊

それからの私は推しを「推している」のではなく、推しに「依存している」だけでした。推しの放つ言葉が好き、表現が好き、考えが好き、そんなものどこかへ行ってしまっていました。残ったのは「この人に嫌われたくないからついていく」「この人を私だけのモノにしたい」、そんな歪みに歪みまくった考えだけでした。

モンスターペアレント

文字通りです。モンペになりました。私の推しは駆け出しのひよっこでした。まだまだいろいろな活動模索している段階で、無限可能性を秘めていました。しかし、その推しをいつの間にか自分だけのおもちゃにしようと行動していました。完全なる毒ですね。時には厳しい意見も出す、それも愛だと思っていました。この考えは今も変わりません。全肯定するだけが愛ではありません。それは現実人間関係においてもそうで、間違っていることには間違っていると臆せず指摘できることが本当の愛だと私は考えています

しか批判コントロールは全く違います人間なので意見が合わないことはあります。それはどうしようもありませんし、どちらが正解でどちらが間違いだということもありません。でもそれをどうにかこうにか自分の考えに丸め込もうとするのはおかしいですよね。「死んでも魚しか食べたくない!」と言っている人に「食事バランス大事だよ。肉も野菜バランスよく食べようね。」とアドバイスするのは愛でしょうが、私の場合単に「肉より魚が好き!」と言っている人に対して「私は肉の方が好きだから魚なんか食うな!!」って叫んでるようなもんです。バケモン。

人は変わっていくもの

感情方向性、やりたいこと、どれも時が経てば次第に変わっていくものです。生まれから死ぬまで同じ考えを貫く人なんてそうそ存在しないと思います。だったらどうすればいいか。離れてしまえばいいんですよ。自分ポリシースタンスと合わなくなったのなら、離れたらいい。執着する必要はありません。私の推しはそれができる強い人間でした。

その当時は精神的に不安定になっており、結果繋がりを求めてしまったのかもしれません。しかし今は立ち直り、どう考えてもご法度である繋がり行為を続ける必要がなくなった。だから次第に私から離れていった。しかし一方の私は、いつまで経ってもそれを受け入れられず、現実から目を背け、自分自身に嘘をつき続け、延々としがみついていた。なぜならそこにドス黒い恋愛感情が生まれしまっていたから。

狭いコミュニティゆえ去ることができない

数十人しかいないコミュニティからそれまでとてつもない熱量を持っていた人間がいきなり消えたら、さすがにどんな人でも「おや?」と異変を察知します。例えば大学の大きな講義であれば、たった1人学生が消えたところで誰も気づきませんが、小学校クラスで一番目立っていた人間が突然不登校になったら、さすがに誰でも気づきますよね。だったら徐々にフェードアウトしていくしかないのですが、その徐々にというのが難しい。

待っていたのは地獄

去ることができないので今でもヲタクを続けています。そこに純粋気持ちはもう残っていないのに。誰ひとり得しない地獄ですね。繋がりというある種のアドもも存在しません。ちなみに推しは私以外のヲタクと交際していました(過去形)し、こうして私的な繋がりを持っていたのも私1人とだけではありませんでした。自分けが特別扱いされていると勘違いして完全に舞い上がっていた私が本当に馬鹿でガキで情けない人間だったな、と痛感しました。

とはいえちゃんと(?)恋人を切り捨てた時点で「ヲタクはヲタク、それ以上でもそれ以下でもない」と決意していたんだと思います。私から離れていっている予兆もありました。それなのにそれを無視して勝手勘違いし続けていたのは私の方。いつまでもしがみついていた気持ち悪いバケモノが1匹。あー気持ち悪い。無理無理。

結論

推しと繋がってもいいことはお互いに何もない

・「推す」と「依存」を絶対に間違うな

自分の身が一番大事 傷ついてまでヲタクするな

・異性とのいざこざはガキのうちに済ませておけ

2022-07-23

コロナの各種症状から味覚嗅覚障害酸素飽和度異常だけを除いた謎の体調不良に年3回くらいの頻度で襲われる

体温は39℃くらいまで上がり、全身筋肉痛頭蓋骨と眼球が爆発しそうな頭痛、それと幻聴幻覚が丸1日~2日続き、

夜中あまりの辛さとそれによる怒りで絶叫するくらい苦しい(身動き取れるようになるまでの日数はインフルエンザより短いが、体調不良の真っ最中インフルエンザより全然キツい)。

コロナ渦以前は「インフルエンザに違いない」と確信病院検査を受けるも陰性。

コロナ禍以後は「コロナに違いない」と確信病院検査を受けるも陰性。

振り返ってみれば、この体調不良が発生する予兆のようなものがあって、

労働時間が220時間/月以上かつ睡眠時間210時間/月以下の月があったらその直後に体調を崩すという共通点がある。

一応、医者にこれらのことを伝えると過労による体調不良と言われたので

労働時間を削らず睡眠時間を増やさず」

という条件下での予防法や対処法を仰いだのが答えは

「うーん……」

医者は困るだけだった。


同種の体調不良に悩まされてる人、また医学的知見がある人いたらどのように予防や対処をすればいいか教えて欲しい。


なんでこんな標準的労働時間睡眠時間で年3回も内科的な地獄を見ないといけないのかと内心でブチ切れている。

だって1年で1リットルも飲まないのに。

2022-07-21

オタクは基本発達障害しかいない

字数制限で途中で切れてます

これから加齢によって生じるオタク趣味…娯楽の消費に関する食指の動かなさから感じた人生の正しいライフステージと、筆者自身が抱えている発達障害との関係性、そして現代の世の中について乱文をしたためていく。

ご覧の通り、主語が大きくやや誇張しているような表現を多く含むが、個人的にかなり深刻な問題なのでわざとオーバーに書いている。ご容赦願いたい。

また、とにかく書きたいことを書いたため本文中の出典に関しては省略している。必要があればタイミングを見て追加するかもしれない。

筆者について

●基本スペック

まずはじめに、私はそろそろアラサー差し掛かりそうな20代半ばの年代だ。

新卒時にちょうどコロナ禍が始まり業界に対する打撃で案件が来ずロクな仕事を与えられないまま転職人間関係不和でひと月経たずに退職し、しばらくして職業訓練で茶を濁しながら10ヶ月ほどの無職期間を経て、今年4月障害者枠で総務として勤務を始めた。一応今現在まで仕事はなんとか続いているが、障害者枠なので周りが残業していても基本定時で帰してもらえるし、電話応対もない。


そう、私自身が発達障害者だ。ASD自閉スペクトラム症)で診断され、精神障害者保健福祉手帳3級を取得している。

ひたすらコミュニケーションが苦手で、変化に適応できなくて、その時関心を持ったものしか興味が持てず、短期記憶が著しく弱く、どうでもいい長期記憶が異常に強く、反復脳死作業しかできることがなく、言葉文字そのままでしか解釈できず、自分世界で全てを判断するような性質がある。そして自分が慣れているもの以外の刺激に対して非常に弱い。

そしてプライベートではイラスト漫画アニメゲーム動画など、所謂オタク趣味謳歌している。毎クールごとに気になったアニメをチェックだけし、流行っているソシャゲ動画配信には手を出し、好きなジャンル二次創作を逐一チェックし、商業同人わず漫画を購読し、絵に描いたようなオタクライフ満喫ているわけではない。


オタクだと思っていたのに、気づいたら全てがエアプに

実際のところはこんな感じだ。

とにかくTwitterのTLの行方が気になって仕方ない

・その割にツイ廃だと思われたくなくて反応は控えめ

・惰性で続けているソシャゲログボだけもらうのが日課

・据え置きゲームも中盤あたりで詰み、最後までクリアできたためしがない

・絵は月一で描くという自分ルールを設けたが、毎回月末になって慌てて描いている

・新しい漫画アニメソシャゲは刺激されて疲れるのが嫌でWikipedia公式サイトの文を読んで満足

・4つある自ジャンル(いずれも旬ではない)の情報だけはしっかり追っている。ただしコンテンツのものよりも運営民度のことばかり気にしてる

音楽に対するフットワークは軽いと思っていたが、最近TikTok文化には全くついていけない。ノリも苦手

そもそも新しいジャンルにハマる元気がない。ずっと広く追わなきゃならないVtuber全般的に苦手。

・頭の中では常に一次創作の設定のことを考えていて、そのための資料集めのために生きている。なお創作の本編には手を付けられてない

・他のオタクと全く交流をしなくなった

特に時間がないわけではないが、とにかく疲れてTL巡回以外何もできない

・盛り上がっているオタクを見ると羨ましい

・そのくせに現実仕事結婚育児介護など)としっかり向き合っている周囲の人を見ると不安になって焦る


まり、究極にめんどくさい状態の厄介なエアプになっている。

趣味を楽しみたい欲望だけ募らせて「疲れた」を理由に何もせず、同時に現実を見て生きている人たちにも劣等感を抱くという、オタクにも一般人にもなれないモンスターと化してしまった。

これは自分でもまずいと思うが、どうにも意識してコントロールできることでもないようだ。


●じゃあ何なら熱中できるのか

このように気力不足で何もできず劣等感だけ募らせている私が、普段何ならできているのかを列挙する。

TwitterのTLとリスト巡回ネットサーフィン

・盛り上がっているオタクの観察

・(主にTwitterで)ファンアートのチェック

・一応惰性で見ているアニメの実況

オタク推し絵師リアル知人の生存確認唐突にいろんな人物が頭に浮かび大抵更新が止まっててショックを受ける。発達障害あるあるだと思う)

・自ジャンルアフィブログ愚痴記事コメント欄や5ちゃんねるの愚痴スレをひたすら監視(界隈やコンテンツ問題点も踏まえて正しく把握するため)

Twitterトレンドから社会問題に関する考察(という名の悲観的な被害妄想

政治コロナに関して考えてひたすら未来に対して絶望する

・数年前の一番楽しかった頃に描いた絵や当時やり取りしていた旧友(今はほとんど疎遠)とのメッセージを見返して心を痛める

自分脳内にある情報だけで一次創作世界観の設定を練りまくる。どう頑張っても中学生黒歴史ノートレベルクオリティしかならない


一通り書いてみたが、本当に精神衛生上良くないものばかりなことに気付かされる。ただ、脳汁が出てやめられないのだ。

こんなことをしている暇があるのなら勉強するなり作品鑑賞をするなりすればいいのに、前述の通り興味関心が向かなかったり趣味にかまけることに罪悪感があったりで何もしない癖にTwitterや5ちゃんやアフィのコメ欄まとめブログばかり見て心を傷つけている。こうやっていつも言い訳しかしない。

周りで起こっていること

私がこうなったのも、世の中の流れや身の回り人間の変化も少なからず影響している。

社畜と化した周りの知人たち

これがかなり大きい。一応私も社会人3年生で、周りの友人もバリバリ働いている。

当時一緒にオタクして楽しんでた友人たちもだ。彼ら彼女らは私以上に見る影もなく、家を会社を往復するだけの虚無な人生(本人談)を歩んでいるそうだ。時間犠牲に金だけを生み出し、その半分ほどを税金必要経費で持ってかれているので貯金も満足にできないらしい。

問題なのは仕事に対して楽しんでいるわけでもなく、常に辞めたい辛いなど愚痴を吐きながらなんとか繋ぎ止めている状態なのである転職を勧めても、もう一度就職活動する方が苦痛から今のままでいいという派が圧倒的だった。

なんなら社会に出た途端SNSから手を引き、音信不通になった人もたくさんいる。久しぶりに話せたかと思えば、仕事以外は何もできてないとのことである

会社の手となり足となる人生以外の選択肢を潰したのだろう。きっとそれは正しいことだ。


正直、私から見れば友人らは圧倒的につまらない人間になった。いや、社会がそういう人間を望んでいるのかもしれない。

自分の好きなことのために生きているオタクこそ、社会にとっては癌なのだ。強い自我社会歯車を回すにあたっては邪魔なだけだ。

まり社会に出れば社畜化することの方が求められていて、あたかもそれが正しいことのように錯覚している。


そして、こういう人生の話と切り離せないのが結婚出産だが、私の身の回りに既婚者は2,3人ほどしか確認できていない。みんなとっとと結婚して親を安心させるのかなと思えば社畜街道まっしぐら方向性を選んだ人の方が多かったようだ。

その既婚者たちも、子どもができれば家庭優先になるのは当たり前である趣味謳歌する余裕などない。

ただ、それが正しいのだ。いつまでも好きなことをしてるクソガキであろうとする私が間違っている。そういう人たちを見ると、なおさらそう思う。

たまに話もするが、仲良く絡んでたときとは価値観が打って変わってしまった。いや、私が変わらなすぎるのかもしれない。


私はこのように、世の中に求められている使命をしっかり果たしている人たちの足元にも及ばないのが悔しくて仕方ない。人間不信も相まって生まれてこの方恋愛したことないのに、どこで挽回できようか。

からオタクみたいなことを続けるのに抵抗が生じてしまうのだ。


コロナ禍で死んだオタク界隈

身の回りオタク友人だけじゃない。ネットにいる二次創作絵師フォロワー例外ではない。

2020年あたりを境に、Twitter更新が止まったりアカウントを削除したり、動いてはいものの低浮上になったりしている作家フォロワーがたくさん増えてきた。

それは、コロナ前の同人誌即売会で購入した作者の現在を調べて初めて判明する事実だったりする。こういうことを慢性的にやってしまう。

何が何であれ、別れというものには耐えられない。いや、慣れてないだけなのかもしれない。

なんせ一方的に観察してるだけなので、少しでも顔を見せないと生存のもの心配になってしまう。


理由について推測する。

コロナ禍では巣ごもり奨励されており、創作流行るだろうと思っていたが現実真逆だった。本の印刷という明確な納期がなくなったことによりモチベーションが著しく減退したサークルが多く確認されている。今回控えているC100もサークル数は前回比で減っており、同人需要すら落ちているようだ。

オンライン推奨なんだからWebオンリーとかコミッションとかが主流になったのでは?」とツッコまれそうだが、私が言いたいのは”ネットに顔すら出さなくなったクリエイターが爆増している”ということである。これは正直巣ごもり関係なく、何らかのタイミングで起きていると思われる。何故コロナタイミングで、とは思うが人手不足の穴埋めをさせられたり、単純に業務量が上記を逸していたりするのだろう。基本的観測できる範囲には真面目な人ばかりだ。


私が新卒入社した会社コロナ仕事がなくなった業種だが、逆に多忙を極めている業種もある。オタク本業とは一体何なのか…もし医者SEといった仕事が主流なら、私はまた(人生スペックに対する)嫉妬に狂ってしまう。みんなちゃん仕事しているし、会社に殺されてこき使われてるのだ。

そもそも想像力が乏しいので、人間はみんな四六時中SNSを見ていて当たり前だと思っているフシがある。全員がそうとは限らないだろうが。

私みたいに、常にネットから得た知識でこれから起こることに対して悲観的な妄想をしたり、目の前のことをかなぐり捨てて現実逃避しているわけがないのだ。


ネットオタクからも「現実ちゃんと生きているのに」という劣等感は強く感じる。普通に中の人人間なのだから社会を回して当然だ

だが、ここまで仕事忙殺させてもなお終わらない無茶なタスク振りや、いくら働いてもまともに暮らせない賃金体系にも問題があるのではないのか?

こうなると社会のものへの愚痴になるのでこのあたりで留めておく。

オタクパッションを失うことについて

ここまでつらつらと書いてきたが、私自身も趣味に対して食指が動かなくなったわりにオタク気質だけは残ったままになっている。”キモオタから”オタ”を取った”キモ状態だ。

現にアニメマンガゲームかに触れずとも、Twitterの逐一巡回やアフィなどの監視を惰性でやって時間を浪費している奴をまともと呼ぶわけがないだろう。

何故楽しかったあの頃より熱が冷め、エアプマンになったのか分析していこうと思う。

1:シンプルに加齢で体力がなくなった

まぁこれに尽きる。正式に言うと「ネガポジわず刺激によって疲れる」のが嫌になった。フィジカルもあるが、メンタルの話だ。

人が一度に受けられる刺激には限度があると思う。これを超えると心身に悪影響を及ぼしかねない。そしてその容量は年齢に反比例している。

仕事は当然神経をすり減らして責任を持って取り組まなければならない。その時点で一日に受けられる刺激量はとっくに超えている。そんな状態じゃコンテンツ摂取することで何らかの感情をかき乱すなんて疲れるだけだというようになり、いつしか避けるようになる。

長い文章が読めなくなるのもこれだ。重く激しい展開を忌み嫌うのもこれだ。


私はアニメゲームを実況することが生きがいだ。初見感想を記録し、未来自分の役に立てたいという気持ちが強い。

ただ、半ばそれが義務や使命と化していて正直かなり疲れている。ASD自分タスクを輪に組み込んでしまえば永久的に続けられる性質があるが、それは「何も考えずにできること」限定であり、実況や考察など自分言葉を紡ぐ行為はかなり消耗する。この文章だって3時間かけて執筆している。

作品に触れているのだから、何らかの感想を残さねばという自分自身に課した強迫観念のようなものが私には存在する。

そんなことを思いながらも、基本的自分の頭のデータベース情報を一気に突っ込めなくなり、処理もできなくなっていってる。


コンテンツに触れないと置いていかれる観念もこれだ。名前を出してしまうと、「100日後に死ぬワニ」や「モルカー」や「タコピー原罪」などが一斉に流行りだすと、未履修の人間ツイッターランドにおける非国民であるような気持ちになる。

Twitterトレンド特定コンテンツで一色になっているのも、同調圧力を感じて疲れてしまう。追えてないことに残念な気持ちになるが、追う元気もない。

そんな感じで、うっすらとした気質だけ抜けられないまま、置いていかれないように上澄みだけ啜っているのが今である


2:趣味にかまけている罪悪感が強くなった

何度も述べている通りである大人になるとは、社会を回すために責任を持って使命を遂行することである

その使命を放棄し、自分の好きなことばかりに現を抜かすなど、人間としてあってはならない。そんなことが許されるのは大学生までだ。

人間には、生物として繁殖しなくてはいけない義務がある。日本国憲法においては、教育労働納税の義務がある。

まり仕事育児から逃げるのは罪なのだ。その逃げとは、趣味のことである

普通人間社会に出れば「個人」をやめ、「社員」なり「役職」なり、はたまた「親」なりの肩書を持つ。名前なんて呼ばれなくなるだろう。必要なくなるだろう。

オタクは「個人」のままできるが、それは大人になった瞬間捨てなければならない。肩書にふさわしい義務を果たさなくてはならない。


私は、20代も後半に差しかるというのにこれらの義務を果たせる予兆がまるでない。仕事も、同年代と比べると誰でもできるようなことしかしてないしはっきり言ってぬるい。

結婚だって恋愛を嫌がっているのだから当然できるわけがない。人間との共存に本気で虫酸が走る。

そんな奴が適齢期になっても責務から逃げ、いつまでもガキ臭いことをする道理が見当たらない。その結果、打開策が見えず将来を憂いているだけで何もできない生き物になってしまった。

何度も言うが、逃げとは責任放棄であり罪だ、そしてその逃避こそが趣味なのだ


3:コンテンツ俯瞰的に見るようになった

こんな経験はないだろうか。「作品よりもスタッフ運営に注目するようになった」と。

コンテンツゴリゴリに入り込んで感情移入するのは、幼い子のやり方だ。夢女子がそれとも言われるが、傍から見れば虚構現実区別がついてないように見える。

それをいい歳こいた大人がやれば、立派な精神異常者だ。作品世界に入り込むなど、これこそ先程から罪だと言っている現実逃避にほかならないだろう。

そして、ある程度読解力が育ってくれば作中のモチーフ描写、張られた伏線などから考察」というものをするようになる。この段階でやっと観客になれるのだ。その考察も、ガキの魂胆で行えばただの妄想に成り下がるが。


では、そのようなコンテンツ見方に慣れると作品をどのように見るようになるのか?

答えは「構造批判である作品評価ファン民度スタッフの質、運営対応などで行うようになる。特にお金の話と絡めたがる。

作品同士を「このジャンルファンがクソガキしかいない」「なろうテンプレだなこれは」「お涙頂戴ねはいはい」「運営おっさんはこれが儲かると思ってんだなぁ」と比較批判するようになる。Twitter民にも心当たりはあるだろう。

こういう考えはコンテンツ研究する立場においては大いにアリだが、普通に楽しむにあたってはノイズになりかねない。なんなら「構造批判」するために作品に触れる(たまに触れてすらいない)ようになり、叩くのが目的になる。

そうすれば、何を見ても昔のような楽しさは感じられないだろう。


4:そもそも娯楽の数が増えすぎて飽和しているし、流れるスピードが速い

現代情報社会だ。誰もがクリエイターになれるし、どんなものスマホひとつで手軽に大量消費できる。

そうなれば必然的コンテンツで溢れかえる。取捨選択が難しくなる。

これらの流れをくんで、最近ではAIが閲覧傾向を読んで勝手レコメンドしてくれる。口を開ければ合うものを放り込まれる。そしてなんとなく偏っている。


ただ、なるべく偏らせないで色々見たい人は、とりあえず全部手にとって味見する。その絶対数は一生に捌ききれないほど多い。

今の時代、「選ぶ」だけでえらく消耗して Permalink | 記事への反応(2) | 03:02

2022-07-18

キリスト教の「世界の終わり」の予兆

多くの偽キリストの出現

戦争戦争の噂

民族や国どうしの対立

飢饉

地震

迫害

背教・躓き

預言者宗教的混乱

不法がはびこる・愛が冷える

荒らす憎むべき者が、聖なる場所に立つ

世界宣教の拡大

2022-07-09

うつ病だと思ってたら躁うつだった。

これまで「うつ病」だった診断名が、「双極性感情障害」になった。

ちょっとした躁転エピソードを起こし、そういうことになった。

薬の処方を調整してもらい、今は落ち着いている。何かの参考になればと思い、増田に投下してみる。

一般論

双極性障害についての一般向けの本で読んだ話。

うつの人は、最初うつ病だと診断されることがほとんどらしい。うつしんどい人は医者に行くけど、躁で弾けてる人は特に困っておらず、メンタルクリニック受診しないからだ。

躁で何かよほどのトラブルがあった場合には医療に繋がり、実は躁うつだったとわかるケースが多いらしい。

そして、躁うつの人の体験談うつの人ほど出回らないのは、患者絶対数の違いもあるけど、

躁による「よほどのトラブル」というのが、本人にとっては辛く恥ずかしく忘れたいような、他人に語れないような体験であるから、らしい。

無茶な散財をして借金を作ったとか、不特定多数性的関係を持ったとか、暴言暴力で周囲の人と揉め、人間関係が断絶したとかだ。

自分場合

幸い、自分場合はそこまでではなかった。

早すぎる呼吸と強い動悸、目眩体調不良と思って一般病院に行き、窓口の不手際に興奮して大声を上げ、診療室でベッドに寝かされ、医師看護師の前で軽く泣き喚いたくらい。

いや、相当迷惑かけたな……と思うし恥ずかしいけど、思い出したくもない記憶にはなってない。はず。

だったけど、書き出してみるとかなりやばいな。

そんな半端な躁転エピソードの前には、今思えば、何となく予兆があった。いくつか列挙する。

  • 睡眠時間が短くなった。普段は最低7時間は寝てるが、3-4時間ほどで平気になった。
  • 食欲が減った。間食はまず食べなくなったし、夕食も普段の半分ほどになった。
  • 原因不明の腹痛、関節痛などがあった。
  • 血圧が急に高くなった。普段より+20くらい。脈拍も早く、動悸がすると感じていた。呼吸は浅く、早くなっていた。
  • 普段より饒舌になっていた。
  • 普段はしない買い物を決断した。それほど高額ではないけど。
  • 会社に元気に出勤してた。

うつ

うつだった時はこう。

  • 会社に行かねばと思うのに体が動かなくて準備できない。服を着替えても玄関から出られないことが頻繁にあった。
  • 会社に行けても燃料不足で動作がのろく、すぐ疲れる。夕方6時頃には疲れ果ててふらふらする
  • 平日の夜や休日はただだらだら寝るか、だらだら食べるか、頭を使わないゲームSNSをだらだらやってた。
  • 趣味活動をしたいのにできない。映画館イベントに行ったり、漫画や本を読んだりする機会も減っていた。

勘違い

そういう、何年も続いたダラダラ鬱々生活から、あまり眠らず食べず、シャキシャキ動けるようになり、身体の一部が少し痛むくらいで、他は元気に活動してた。痛みと血圧は若干不安だったけど、特に困ってはいなかった。

から、もう鬱が治ったのかもしれないと勘違いしてたんだよな。

違った。フェーズが躁に変わっただけだった。

まり典型的病態ではないかもしれないが。

ただ、病識、つまり自分病気であるという認識が持ちづらいのは、躁の時あるあるっぽい。

ちなみに、腹痛や関節痛は、躁転エピソード後、不安を抑える薬を処方してもらってからあっさり消えたので、おそらくメンタル由来だったんだろうと思う。

最初にも書いたけど、今は落ち着いており、躁でもうつでもない状態ということになっている。

会社には普通に行き、ぬるいテンション仕事してる。

最後

自分の躁うつはこんな感じでやってきた。

うつと躁うつは違う病気で、効く薬も違う。抗うつ剤の種類によっては、躁うつ悪化させる薬もあるそうだ。

なかなかうつが治らない人がいると思う。基本的には、焦らず、気長に治療してほしい。

けど、もしかしたら、うつじゃないから、うつ治療じゃ治らないのかもしれない。

そんな可能性も頭に入れておいて、やたら元気になってきたなと思ったときは少しだけ注意してもらえると、治療スムーズかもしれない。

双極性障害の人は、人口1%はいるようだから

2022-07-08

高校生の頃に、突然ゲームに飽きてやめた。1つのゲームタイトルに飽きたんではなく、何か作られたゲーム世界のなか、その箱庭の中で頑張るのがよく分からなくなって、プレステを棚の中にしまった。ゲームをやめた後、暇だったのでバイトを始めた。服を買ったりバイト先の知り合いができた。交友関係が広まった。

その後も、なんか突然、飽きることがある。それには従うことにしている。飽きるのは変化の予兆だ。自分が変わろうとしている、変わる必要があるから飽きる。飽きた後には、空いた時間や心の隙間に、何かが入り込んでくる。歓迎するべき侵入者だ。

内発的な変化と、外部から侵入、この2つが合わさって、自分人生が変化する。たぶん、おそらく。

2022-07-02

外出先でうんこを漏らしたら、予定全部キャンセル

以下タイトルでわかると思うが汚い話です。

嫌いな方ご注意を。

買い物中にうんこを漏らした。

もう漏らしたらその後の予定全部キャンセル以外選択肢ないのだろうか。ないよな。

予兆などなかった。

腹痛っ、、、、→あ、、、

まで、わずか1分掛からなかったと思う。

下痢っぽいあれであった。

当方普段便秘がちのため、青天の霹靂、5年ぶり2度目くらいのレアケースである

店員さんに試着を勧められていた最中だったが、たった今試着という選択肢は消えた。なにしろこちら、出ている。

「すいません、検討します•••ところでお手洗いどこですか!?

鬼気迫る形相で、確認し、トイレへ向かう。その間も引き続き猛襲は止まらない。出ている。

個室に入って下着を下ろすと、そこには爆発後の惨状が。不慣れのためどうしたらいいのかわからない。

パンツはそのまま捨て、ワンピース汚染確認する。臀部にあたる部分は無事であったが、裾がやられていた。

絶望しながら、裾に茶色いシミがところどころついたワンピースノーパンで近場のGUで着替えを買い、平静を保ちながらトイレで着替え、平静を保ちながら歯医者と習いごとの予約をキャンセルした。

暑い中、決死で外に出て何も成し遂げずにうんこだけ漏らして帰ってきた。

うんこを漏らしたら全部キャンセル

もしこれが、大事取引でも、結婚式でも、武道館ライブ出演前でも、うんこ漏らしたら全部台無し

改めて思い知った、人類はまだうんこに勝てていない。

2022-06-24

コラム破壊的なドル高の予兆、円売り加速のシナリオ内田稔

https://jp.reuters.com/article/-idJPKBN2O306O

金融緩和問題はそれ自体需要を増やすものではない上、高齢化人口減少により需要の下押し圧力が今後70年は続くという点が挙げられる。とすると、財政支出を増やしたり減税などで消費意欲を高め、人口増加につなげていくというのが必要シナリオだったと思われるが、残念ながら十分に作用しなかった。

円安に振れ始めた今そういった財政政策を行えば未曾有の円安に繋がりかねず、不十分な少子化政策を続けながら人口減少に対応することが現実的かもしれない。その場合、なにより消費需要の減少に合わせた供給制限必要と思われる。生産量および売上高の低下が引き起こす資金効率の低下は国際競争力の低下にもつながるためソフトランディングさせるのは容易ではない。

対策として必要なのは効率化による人員圧縮海外輸出の振興策と考えるがいかがだろうか。

2022-06-23

思ったことが喋れなくなる病気

20代の頃、仕事中に目がかすむ症状がでました。その日の帰宅中のバスの中で視界が急激になくなり、バスから降りて「これはやばい、どこかに連絡しなきゃ、救急車、家、」と考えていたら、思考身体が一致しなくなりました。

声も「あー、うおー」としか出ず、立っていられずに道端のポールに倒れかかっていたところ、通行人の方が救急車を呼んでくれました。

運ばれた先では、医師の言っていることは分かるのに口からは「あああ、あああ」としか発することができず、視界は完全になくなり、こちらの意思を伝えることができません。

見た目ではパニック状態判断されたのか安定剤を飲ませてもらいましたが、水が飲み込めず錠剤ごと口から漏れしまます

時間ほどベッドに寝かされていたら視界が開けてきて、喋ることもできるようになりましたが、頭がチカチカする感じと目の焦点が合わない状態が数週間続きました。

後日精密検査を行ったところ、身体や脳に異常はみられないが「一過性虚血発作」の可能性があるということでした。この病気予後自体は悪くないのですが、脳梗塞予兆でもあるので注意が必要だそうです。

2022-06-12

マッチングアプリにいるブチ切り野郎

ここ2ヶ月ほどマッチングアプリを利用している。

話せた子は詐欺マルチ勧誘絵文字強要、会話マグロとロクでもない人ばかりで正直もうつらい。

そんな中で2人ほど会う約束を取り付けられたが、なんの前触れもなくフェードアウトされたから余計につらい。

他にいい人がいたかキープはもういいやと思う気持ちはわかる。

(休日が合わないだけで諦める人もいたがその気持ち理解できないが)

だけどこれだけは分かって欲しい、メッセージアプリの向こう側にいるのは、失礼のないように必死に文面を考えているただの人間という事を。

友達でもちょっとした知り合いでも連絡が取れなくなったら心配しないか

ブチ切りはそう言った事と同等の行為だ。

やられた方はたまったものじゃない。

この日記を読んでくれた人にはどうかお願いしたい。

ブチ切りはしないでください。

疲れるとは思うが、フェードアウトしそうな予兆をチラつかせてから連絡を絶ってください。

それだけで踏ん切りがつく人間が救われる。

マジで普通恋愛がしたい。

誰か助けてくれ……

2022-06-09

初めて心療内科に行った。うつだった

はじめは月一くらいの頻度ひどく気分が落ち込む時期があった。

心療内科精神科に行こうとも考えたけど調子の悪い日は病院に予約する元気も勇気もなかったし、調子のいい日はやっぱ気持ち問題かな…と過ごして一年余り。段々と調子の悪い日が良い日を上回るようになって、ついに慢性的抑うつ状態が続いた。

症状も頭痛めまいに加え、不眠や慢性的な眠気が激しくなった。部屋はどんどん汚くなり、独り言暴言が増えた。

それでもなかなか病院に行く気にはなれなかった。ストレスの原因は明らかに仕事だったけど、労働環境は控えめに言っても良い方だった。休みたいときに休めるし残業代もきちんと出る。残業時間常識範囲内。同僚の慣れ合いは正直苦手だったけど、パワハラも無茶ぶりもなくて、「うつの原因となる職場」とは言い難い環境だった。だから自分の不調もたまたま調子が悪いだけとか性格問題だと思っていた。

でも仕事にも影響が出始め、この状況がずっと続くのはさすがにまずいと思い、少し調子のいい日に心療内科を予約した。診断結果はうつだった。

そう言ってもらって少し救われた部分はあった。やっぱりそうだったんだと安心できたし、日々感じている絶望感が病気によるものならマシになる可能性もあると思えたから。一方で、ちょっとしたストレスで壊れてしまった自分にも少し絶望した。自分より長時間残業してる人、ストレスの高い環境で働いてる人たちもいるのに恥ずかしい気持ちになった。

とりあえず薬を処方してもらったけど近いうちに休職しようかなと思ってる。すごく言いづらくてイヤだな。

自分は症状がまだ軽かったか病院にいく選択ができたけど、もう少し重くなってたら行く気力も起きなくなってたかもしれない。重くなったら周りに引っ張っていってくれる人がいない限り治療にもたどりつけない恐ろしい病気だと感じた。

自分みたいに客観的に見て割と恵まれ環境にいても普通にうつだったってことあるから、まだ大丈夫かなって思ってる人も重くなる予兆があったら一度病院行くべきだと思う。手遅れになる前に。

2022-05-17

同棲していて違和感があったら見逃してはいけない

夫婦不仲や離婚の原因なので、お互いに話し合いましょう

見ないふりをしたり、「結婚したら」or「子供が産まれたら」、変わるだろうという楽観してはいけない

結婚前に同棲してPMSによるDV予兆みたいな違和感があったけど、見ないふりをしてしまって後悔してます

2022-05-10

ワクチン無しでオミクロン感染した

別にワクチンでもないが面倒だったのでワクチンは未接種だった。

予兆

ワクチン3回打った妻が38度超えの発熱

ただの風邪だろうと思っていたら、PCR陽性でコロナだった模様。

4歳の幼児と共に家族隔離生活スタート

幼児、サクッと発熱PCR陽性。

罹患

消毒やマスク努力はしていたもの幼児隔離するわけもいかず、入浴時にクシャミ等されていてもう半ば諦めていた。

からワクチン未接種であること、元喫煙者である事で非常に心配されていた。

じわりと喉に違和感があり、3日後にあっさり自身発熱

発熱

1日目最大38.6度

2日目最大39.2度

3日目最大38.1度

熱は少ししんどい程度だったが、喉は激痛だった。

我慢すれば食事飲み物は飲める。

通院時に貰ったカロナールを解熱鎮痛として頓服する。

回復

4日目最大36.4度

5日目最大36.6度

喉の痛みはある程度あったが、次第に気にならなくなっていった。

妻や幼児もあっさり回復していた。

たまたま運がよく軽症レベルにもならなかった模様。

認識している後遺症

無し。

脱毛味覚障害は恐れていたが、特に無かった。

キツかった事

何より幼児ストレス管理が厳しい。

保育園2週間行けない=自宅で見ながら仕事するのは本当に苦しかった。

終わりに

これを記述したのはコロナ自宅療養の証明書を出す際に必要だった情報を整理する為で、決してワクチン接種を軽んじているわけでは無い。

妻の方の方が症状は軽かったし、オミクロンでなければ自身は更に苦しんでいたであろう。

自身もこれからワクチン接種受けてくる。

コロナ禍が早く終わりますように。

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