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はてなキーワード: 柄杓とは

2022-09-28

北斗七星人間寿命運命の話

北斗の拳』が大ヒットした当時、学校見学旅行プラネタリウムを訪れたことがある。その際に、解説役の女性ナレーターが、おおぐま座北斗七星について語る場面で「誰ですか?『死兆星が見える』なんて言っている人は」とジョークを挿入してきたことを、場内が爆笑の渦に包まれたことと共に、今でも記憶している。

北斗の拳』がヒットして以降「北斗七星は死を司る星辰(星座)」という認知も、神話伝承にそれほど明るくない人々にまで普及した。特にプラネタリウムでもジョークに用いられた「死兆星」は、たとえ天文学的正式名称(ミザールとアルコル)を知らなくても、当時の少年ジャンプ読者で知らぬ者はいないと言っても過言ではない。

この北斗七星柄杓の柄の端から2番目の星が、二つの恒星から成ることを見分けられるか否か、それを尋ねることで兵士視力検査するという手法が、古代エジプトでは採用されていたという。しかし、古代エジプト人が寿命の長短を判定するのにこの二重の星を利用していたか否かは、寡聞にして知らない。西欧星座伝承の大部分は、古代エジプト以外で言えば、古代バビロニア古代ギリシア・ローマ等に起源を持つと思ってさほど間違い無いと思うのだが、これらの方面でも寿命の長短を見分けるのに使われたという形跡は、今のところ見かけた記憶が無い。単に私が不勉強で知らないだけかもしれないので、有識者意見を知りたいものである

死兆星元ネタとして、とりあえず直ぐに思いつくのは、この二重の星が日本では民俗名称として「ジュミョウボシ」と呼ばれていたことであろう。この名称個人的に初めて知ったのは、星空に関する多数の優れた本を著し、我が国における少年少女天文ファンの数を増やすことに貢献した、作家野尻抱影(SF作家野尻抱介ペンネーム元ネタである)の本で読んだ時であった。野尻抱影の本には、次のようなことが記されている。

この名の由来は、二重の星を見分けられなくなった者は、それからから一年かそこらで、御迎えが来ることから付けられたものらしい。主に、漁業従事生活者たちの間で用いられていた名称のようである海上での航海が主要な部分を占める漁業において、視力の良さは要であった。そのため、視力の衰えは即ち食い扶持を稼げなくなることを意味し、そこから、星が見えなくなることで寿命が来たのを悟るという話になったのであろう、と。

まり、ジュミョウボシは、死兆星とは正反対に、見えなくなることが死の予兆というわけである。おそらく『北斗の拳』の作者たちは、星が見えなくなるよりも、見えるように変化するという現象にした方が、視覚的に表現することが容易である(見えない星では絵に描けない)という漫画表現上の要請から、これを改変したものであろう。

これ以外に、北斗七星人間の生死に関わる星辰として語られる起源を遡れば、中国東晋時代の人・干宝が著したとされる志怪小説『捜神記』に収められた物語に行き着くことになる。

原典漢文を読んだわけではないし、若い頃に読んだ日本語訳(私は平凡社東洋文庫で読んだ)の記憶を掘り起こすだけだが、おおよそ次のような物語である

「或る農夫が、息子と共に畑仕事をしていたところ、その傍らを方士が通りかかった。方士が、農夫の息子の相を見て『この子は、このままでは十六の歳で死んでしまう』と彼らに伝えた。驚いた農夫が、方士に『それを避けるためにはどうすればいいのか』と尋ねると、或る策を授けてくれた。方士言葉に従って、農夫は、用意できるだけの酒と干し肉を携えると、南の畑の桑の木が植えられた場所へと赴いた。

方士が教えてくれたとおり、南の畑の桑の木陰では、二人の老人が囲碁に打ち興じていた。囲碁に夢中になっている老人たちは、農夫が傍に来たのにも気づかない様子であった。方士に言われたとおり、農夫は無言のままで、酒と干し肉を老人たちの手元にそっと差し出した。碁を打ちながら老人たちは、差し出されるままに干し肉を食べ、酒を飲み続け、農夫はお代わりを差し出し続けた。さんざん飲み食いし終えた後で、ようやく二人の老人は、農夫の存在に気がついた。

二人のうち、険しい顔つきの老人が『何者だ貴様は?いつから傍にいた?人間が儂らの傍で何をしておる?』と責め立てたが、方士に言われたとおり、農夫は平身低頭して無言を貫いていた。すると、柔和な顔つきの老人が『この者が振る舞ってくれた酒と干し肉を、儂らは楽しんだのだ。そう怒るな』と、怒る一人を宥めた。そして『この者に、酒と干し肉の返礼をせねばなるまい』と柔和な顔つきの老人が言うと、険しい顔つきの老人と共に何やら帳面を捲り、農夫の息子の寿命が『十六』と記されている箇所を彼らは見つけ出した。険しい顔つきの老人が、渋々それを『六十』と書き換えると『これでよかろう。もう去れ』と農夫に言い渡した。農夫は無言のまま、二人の老人に頭を下げて感謝の意を示すと、その場を去って家に帰った。

家で待っていた方士に農夫が一部始終を伝えると、方士は『これでお前さんの息子は、もう心配が無い』と言った。農夫が『あの人たちは何者なのですか?』と尋ねると、方士は次のように語った。

『あの者たちは、北斗と南斗である。柔和な顔つきの方が南斗六星、険しい顔つきの方が北斗七星である。人は南斗からまれ、その生涯は星々の間を辿り、北斗へと還る。それで、人が寿命を延ばすためには、北斗祈りを捧げねばならないのである』と」

現代人の目から見た感想を率直に言えば「これ、お人好しの農夫が、単に詐欺に遭っただけじゃねえか?」と思うところであるが、それは置いておく。

天空天体太陽や月や星や星座の動向が、地上世界で生きている人間に影響を及ぼす、或いは逆に、人間運命その他の動向が、星など天空現象に反映されるという考え方は、洋の東西を問わず広く見られる文化現象である。そういう意味では『捜神記』の物語も、ごくありふれたものだと多くの人は思うかもしれない。

しかし、私が『捜神記』の物語面白いと思うのは、最終的に北斗七星南斗六星のように夜空で目立つ星座重要な役目を果たすにせよ、社会的に見れば無名の人にすぎない農夫の息子のような人間にも、個別対応するような名も無き天空の星が存在しているという考え方を示している点である

古代ギリシアには、現代民主主義政治の源流があったけれども、無名市井の人であっても天空の星との結び付きを得ることが出来る、という古代中国のような発想には至らなかったようである。してみると、天空の星との結び付きに関しては、古代ギリシア・ローマは、神話登場人物レベルの選ばれた者にのみ許されるという選民思想だったわけである。そう考えてもらえれば『捜神記』の物語ユニークさを分かってもらえることと思う。

北斗七星おおぐま座のように、明るくて目立つ恒星とそれらが形作る星辰(星座)は、自然と人目を惹くものから古今東西人類の記録に残されている。金星火星木星などの惑星もそうである太陽や月は言うまでもない。しかし、観測技術が発達するまでは、星辰(星座)の構成員になるほどの明るさを持たない目立たない星々のことは、一々観測して天球上のどの位置存在するのか、動いているのかいないのかと確かめることは非常に困難であったことは想像に難くない。しかし、事実として夜空には、命名位置確認も追いつかないほどの無名且つ無数の星々が存在することを、昔の人は知っていたのである科学的な知識を持つ我々現代人よりも、むしろ昔の人々の方が、実感としてそれを知っていたはずである現代文明社会のように至る所に夜間照明がある条件下とは異なり、太陽が沈んで「本物の夜の闇」に包まれて空を見上げた昔の人々の肉眼には、文字通り無数の星々が見えたのだから現代人も、もし口径が大きい双眼鏡の力を借りて夜空を眺める機会を得たならば、その時は、名前も知らない星々の多さを実感して驚くことだろう。私は今でも時々、双眼鏡で星空を見て感嘆する。

こういった、存在することは分かっていても昔の技術では天球上の位置を確定することが困難であった無数の星々については、占術師たちが「実は、天球上の無数の星々は、消えたり現れたり移動したりしているのだ」と主張したとしても、民衆確認しようが無く、比較簡単に信じてもらえたことだろう。恒星の間を動き回る「惑星」、何処からともなく現れる「彗星」、明るさの変化する「新星」など、変化を示す天体現象現実に見られることも、占術師たちの主張を補強してくれたに違いない。

ただし、庶民自分個人運命専用の星を天空の何処かに持つことができたとしても、自分意志でその星を動かせる訳では無い。天空の星の動きでも人生でも、同じことである王侯であろうと庶民であろうと、現代人であろうと昔の人であろうと、人生を己の自由にするというのが困難なことに関しては、立場は同じである自分人生がままならず、自由意志で動いているのではなく、自分以外の超越的な何者かによって動かされているのではないかと感じるという感覚は、古今東西の汎ゆる宗教的思索の出発点となる。

この何者かに動かされているという感覚を『捜神記』の筆者は、南斗・北斗の両老人が打つ囲碁の対局という形で表現している。つまり、ここでの囲碁の盤面に配置されている碁石とは、夜空の無数の星々の象徴ではあるまいか将棋チェスの駒とは異なり、碁石は没個性的である分だけ、名も無い星に擬えるのには都合が良い。囲碁という遊戯起源がどのようなものであるか、それを現代人の我々が確実に知ることは不可能であろうが、もしかしたら、星々の配置を操作することによって人間運命を変えようと働き掛けるような、呪術儀礼としての遊戯にその起源の一端を持っているのかもしれない。

もっとも、これはあくまでも個人勝手空想に過ぎないので、南斗六星から北斗七星へと星空を動くというのであれば、この場合には囲碁よりもむしろ双六の方が象徴的な遊戯には相応しいのではないか、といった具合に幾らでも異論を唱えることは可能と思う。

それに、南斗と北斗囲碁の対局結果は語られていないので、囲碁の対局によって星々が動かされ、運命が左右されるという仮説は、正直に言えば我ながら牽強付会であることは否めない。まあしかし、たとえ学問専門家ではなく、実生活に役立つわけではなくても、こういった空想をすることは非常に楽しいので、なかなか止められないのである

農夫が酒と干し肉提供した行為が、祈願の対象である神への御供え行為であることは無論言うまでもないが、この他にも、無言を貫くという後代の神事や魔除けにおける物忌と通底する行為が見られる点や、南斗・北斗の翁神に邂逅する場所が霊樹の一つである桑の木の傍である点など、興味を惹くところがまだまだある。いずれまた暇を見つけて『捜神記』を再読してみようかな。

2022-04-27

anond:20220427173736

杓子ってずっと柄杓のことだと思ってたけど、しゃもじなんだな

2021-12-16

anond:20211216174306

昔、中国上流階級趣味で「石を育てる」というのがあったらしい。

お盆の中に置いた石に、ミネラル成分を多く含む硬水を、毎日毎日繰り返し柄杓で上から掛ける。水に含まれミネラル成分を石に沈着させて、石を育てていく。

2021-06-07

みんな忘れてるかもしれないけど、7月東京はクソ暑いから柄杓打ち水して帰化熱によって体感温度を下げることで、オリンピック応援するんだぞ。

コロナーそと、福はーうち って言って

2021-02-06

亡夫が好物だった麻婆豆腐墓石に掛ける未亡人イラストを探しています

麻婆豆腐はお寺の墓地にある木の桶に入っていて地味なワンピースを着た未亡人柄杓でかけています

2020-08-11

おぼんぼんぼぼん

盆帰りの夢を見た。

知らない親戚と畳に座して手を合わせた。新品の線香とは別に燃えさしが乗った皿があった。質が悪くて途中で燃え残った線香をそこに取り分けたとのことなので、そこから一本取って煙草から火をつけて灰に差した。

掃除に出かけて、近くの水場から桶に水を汲んだ。柄杓墓石の上から水を掛けると片端から蒸発してシュウシュウ音を立てた。今年は暑いのだなとぼんやり思った。

仏花と煙の匂い、蝉の鳴き声、遠くで話す男女の声と読経が聞こえていたが、それだけだった。ふと足元を見ると、濡れた墓石から垂れた水の中に胎児のような小さい生き物が丸くなって横たわっていた。

桶に入れて水場まで持っていき体に纏った膜のような滑々したものをすべて取ってやった。人の形をしていた。家に持ち帰るまでにどんどんと大きくなって、いつの間にか普通女の子みたいな形になっていた。

家に帰ると祖母叔父台所に立っていたので料理を手伝うことにした。素麺を茹でて、粗熱を取って、氷と一緒に皿に並べた。

胡瓜を薄く刻んで、胡麻を挽いて、赤味噌と和えたのに出汁醤油を加えて溶いた。

気づくと墓石のところで拾ってきた女の子が、皿の用意、揚げ物の用意であるとかを、まるで自分の家のことのようにやっていた。

祖母叔父も特段その子には構わず、各々の調理を進めていた。なにせ客が多い。

居間の横の縁側に面した応接間は2つの横長のテーブルに親戚が既に15名ほど集まっている。襖からは酒や煙草匂いやガヤガヤと騒ぐ声が漏れていた。

一頻り作り終えて給仕を終えたらどっと疲れてしまって、洋室に引っ込んだ。

ライトアップピアノがあったが、鍵盤が幾つかない。後ろの書架には医学関連の洋書がたくさん並んでいた。一つを手にとって読んでみたが、何にも分からなかった。

冷蔵庫にあったカナディアンクラブを飲んでいると、洋室にあの子が訪ねてきた。ピアノが弾けるとのことで、何か弾いてくれないかと頼むと、知らない曲を幾つか披露してくれた。

器用に軽やかに動く指を見ていると、段々と指の皮が萎びてきた。先程まで20いかない女の子だったが、いつの間にやらすっかりお婆さんになっていた。

その後は一緒にウイスキーを飲んだ。その人は洋室の机の抽斗に煙管を見つけ、吸い始めた。色々と話したがよく覚えていない。気がつくと目の前で燃えていた。

燃え残った白い骨をピアノ差し込むと、ポンと気持ちよく音がなった。

2020-02-29

anond:20200229173308

民芸品って言うほど価値ないよ

火のしアイロンとかお前らに見せても柄杓?って聞くやろ絶対

2020-02-14

海外レシピ動画で見かける憧れの食材😋

やたら細長い葉付きのにんじん

baby spinachという名のほうれん草若葉(めちゃめちゃ使いやすそう!)

卒業証書の筒みたいなのに入ってるピザ生地自分で伸ばして焼く)

バニラエクストラクトとかいう、バニラエッセンスの30倍ぐらい分量がいる液体

10kgはありそうな肉の塊が入るオーブン

柄杓みたいな形の計量カップ

最後食材じゃなくなっちゃった

みんなもなんかある?

2019-12-21

[] ユニバーサルデザイン墓地

はてブユニバーサルデザインと言えば、トヨタタクシーが度々批難されているが。

それよりもユニバーサルデザイン化が急務なもの

それが墓地ではなかろうか。

車椅子墓石の前までつけられるUD墓地が何時だったかはてブホテントリしてた。

それが理想だが、そこまでは無理としても。

駐車場墓地が同一平面にあるのが望ましい。

昔ながらの墓地、急な坂道階段を上ったところにあるものが少なくなく。

足腰衰えてきた高齢者には厳しい。

で、水汲み場が坂道階段の下にあったりして。

水汲んだ重いバケツ持って急な坂道階段、益々厳しい。

じゃあ足腰元気な若い世代が代わりに?

若い人達、お年寄りほどの頻度で墓参りしないし。

結果どうなるか。

生花の代わりに造花を供える墓が増えてきた。

これなら水を運ばなくて済むし。

夏場でもすぐ枯れたりしないし。

いや、安価ドローンの普及が進めばなんとかなるか。

水汲み場に自由に使えるバケツ柄杓が置いてあるみたくドローンも置いてあって。

水汲んだバケツと、ついでに持ってきた生花お供えドローンで運んでもらう、みたいな。

でも200gドローンじゃ無理か。

いや、積載量多いドローン運行できる特区にして運行径路もプリセットした区間のみタブレット画面上のボタンポチッと押すだけ、みたいな。

無理?

2019-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20190831232042

親をまたぐと底が抜けた柄杓をもった兵隊さんに攫われると教えておいたほうがいいよ(´・ω・`)

2019-06-26

anond:20190626002712

文字:柄杓隠語で杓文字と呼ばれていたとは聞いた事あったが東北出身の友人が実際に杓文字と呼んでいて面食らった。

2018-09-26

育児ノイローゼってこんな感じなんだろうか

飼っている犬が最近ものを食べなくなった。大都会動物病院に行って様々な検査をしたが、一切異状なし。強いて言えば年齢による食の好みの変化。食べるように食事内容やタイミングなどを調整してあげてください、と言われた。

それから三ヶ月ほど経つ。私はノイローゼみたいになっている。食べないと病気になるから必死になってあの手この手でいろんなものを試しては食べさせようとするのだが、犬は気まぐれで、必要最小限も食べてくれない日もしばしばだ。あれこれ工夫して、ダメで、また努力して、ダメで、ダメで、ダメで、ゴミけが増えていく。たまに成功して、犬がなんとかカロリーを取るとやっと安堵できる。それが毎日、朝と夜に必ずやってくる。

やっと食べさせて敵を倒しても、また数時間後に、そのまた数時間後に、無限に敵はやってくる。その都度私は最新の注意を払って努力したもの無駄にして、このままでは死んでしまうと焦って、穴の空いた柄杓で水をすくうように手を変え品を変え、数時間かけて食べさせる。それでもだめなこともある。

時間が立つのが怖い。朝と夜が来るのが怖い。逃げ出したくて、もちろん逃げたりできないので、犬と心中するしかないとぼーっと考えていることもあった。完全にノイローゼだと思う。たぶん育児ノイローゼってこんな感じなんだろうね。イレギュラーワンオペで余裕が奪われていき、かつ、自分必要とする弱い生き物が相手から距離をおいて精神を静養するヒマもない。私が苦労しているのを見ているだけの家族を見るのも悲しい。私は反対したのに、飼うと決めたのはあなた達なのに、結局は私しか世話をしていない。辛い。今日もまだ犬は朝ごはんを食べていない。この子安全な人に預けて休みたい。泣きたい

2014-10-31

会いにいく

からのそれはひとまえに出るしごとなので、たとえ数時間ていどの遠出でも周囲はわりといやがったけれど、きこえないふりをして電車にのった。駅のホーム特急をまちながら、そういえばこのまえは真冬にいったのだとすこし思いだす。はく息が白かった。手桶と柄杓をもつかの女のゆびもまっかになっていた。

とちゅうの駅で特急をおり、私鉄のうらぶれた車窓をぼんやりとながめる。

どんよりと、いまにもなにか降りだしそうに紫暮れている。

このまえはあんなにはれていたのに。真冬の夕ぐれのすこしまえ、いまよりさらにうっそうと垂れこめた雲や梢のすき間から、ちりちり差しこむひかりが目にしみるほどだった。

あのときは人をつれていた。死んだ人もずっとかの女にあいたくて、あいにきてくれるのをよろこんでいたのかもしれない。

なるほどきょうはひとりだ。歓迎はされていない。

故人とは、とりたててなかがよかったというわけでもない。こちらが一方的にその才にあこがれていた。ほとんど異能といってもいいほどの才だった。

生きているうちにかわすことのできたことばは片手のゆびで足るほどのものだった。それからなん年かたちいろいろと世のなかもかわったけれど、かれが生前なにかにとり憑かれたように愛したものを、深夜思いつめた声色の電話ひとつで――なさけ深いため息とともに――呼びだすことのできる位置におさまったことを、うしろめたく思っていないといえばうそになる。

おそらくはだから、歓迎はされていない。

がたんと音がして当世風の愛らしいデザインの車体がゆれた。あわてて標識をみるとおりるべき駅だったので席をたつ。小さなかばんに持ってきた花をわすれないように。改札にそなえつけれた小箱にきっぷをおとすと、なんとも古式ゆかしい字体看板が目についた。

つくのえでら、と、うたうようにかの女はいった。じっさいには、その駅はもっと無骨でものものしいよみ方をするものだったけれど、かの女ははじめてこの駅におりたったとき、なき恋びとにいったのだそうだ。つきのえでら、つくのえでらか。うちとこのお寺さんやったらきっとそうよむわ。

さめたエメラルドグリーンの文字を背にしてぽつぽつと歩きだす。世界遺産になったばかりの霊峰が厭でも視界のなん割かを占める、すさまじい景観のひどくさびれたまちだ。〝かんたんには理解できないほどの大きさ〟と、これもかのオデットの言によるものである。死んだ男はそうやってものごとをやすやすのみこんだ気にならないかの女の気性をばかばかしいほど愛したものだった。

かばかしい。本当にばかばかしい。男の気持ちは痛いほど理解できる。

人けのないみちをぼそぼそと歩きつづける。あのときはところどころ凍ってすべりやすくなっていた鋪道を、くつの底をひきずるようにして歩いていく。

菩提寺は坂のとちゅうにはりついた苔のようにしてあり、すり硝子の戸板をたたいてみるものの返事がない。あの日、たまたまはめていた手袋いいわけに、ひいていた手をまち針にして、かの女がたちどまった石段の中ほどにひとりたちどまってみる。

もういちど声をかける。あさ起きてからいちども声らしい声を発していなかったから、ろくに音にならなかった。

このまえはどうしたのだったか。やはり応えはなかったのか、さっぱり思いだせない。ただ手をひいていた人の――めずらしく――頑是ないような声色だけをおぼえている。お住さんにご挨拶せなね。ご住職意味だと、あとで人にきいた。

あきらめて手水のわきにたてかけた手桶を柄杓を手にとる。墓地はとし老いた高架のすぐそばにある。高架にのろわれたような人生だったのだなと今さらのように思う。

とてつもなく足が重い。こんなところまできて嘔きそうなほど後悔している。

ちゃんとあの人がしたように、新宿駅の小さな花屋で花も買ってきた。墓前にふさわしいとも思えない黄色いばらだ。

友情、愛の告白嫉妬意味するとかの女は笑った。わたしはあの人のともだちだった。いろんな関係であったけれどもさいしょはほんとうに気のいいともだちだった。それだけでよかったという思いばかりいまもあるけれど、あの人はそうじゃないのだろう。だからこの花がふさわしい。そんなようなことを、かの女のくにのきれいなことばでしとしとと話した。一字一句おぼえていたいのに、その文法はもちぬしに似てあまりに浮世ばなれして、一度きいただけでは言いまわしまで頭蓋のなかにとどめておけないのが、ひどく悲しい。

墓参にきたのだか人を恋いにきたのだか、わからぬままずるずると坂をのぼっている。

2014-03-25

心理学で「認知のゆがみ」という概念知ったけどこれはすごい問題なんでは…

認知ネガティブにゆがんでると、努力しても生産性もあがらないし社会性も低い

仕事はうまくまわらないし、友達もできず孤独のまま

努力カバーしようにも穴のあい柄杓で水をすくうようなもの

「何をやってもうまくいかない」とさら認知ネガティブに歪める

普通社会との関わりで中庸修正されんだけど

歪んだ認知のせいで友達もできず社会との関わりも薄い孤独患者はそれも期待できない

そして世間からは「甘えだ」とはやしたてられて追い詰められる……

これは最悪の場合だけど、怖いよな……黒子のバスケ犯人もこんなんだったのかな

2014-01-02

深夜の初詣

知らない人がたくさんいるところに、ぼっちで列に並ぶのは嫌なので

毎年自分はこの時間に近所の神社初詣に出かけてる。

そこそこ名の知れた神社から、昨日は新年を迎えた興奮と人熱れで

周囲はすごいことになっていたに違いないだろうけど、

それからちょうど一日経った今境内に立つ者は誰もいなかった。

古戦場で思いを馳せるのと今の心境はちょっと似ている。

ぷち松尾芭蕉気分。手水舎で手を洗う。龍の蛇口から水は流れていなかったけど、

柄杓が一本そのままになっていたので清め、先へ。

境内の外からもれる明かりでは狛犬の表情がわからないのが怖い。

賽銭を振り込んで、一礼して鳥居を抜けた。

2012-09-04

東京ねずみらんど

住宅街におけるネズミの増加が深刻だ。どこで深刻かというと我が家だ。

ネズミがかわぃーなどといふ心はすっかり失われてしまった。

昨晩日も暮れ雨戸を閉めようとしたところ戸袋に隠れていたねずみが驚いてそのまま家の中に入ってきた。

部屋を密閉して家族総出で1時間以上探したが見つけられない。もうどこかに行ってしまったものと諦めつつもねずみ取りシートを設置し、部屋を後にしたら小一時間して超巨大なねずみがかかっていた。コレほどの巨躯なものがいったいどの隙間に隠れていたというのだろうか。なんという罰ゲームなのか。ネズミシートをパタンと畳んで新聞紙でくるんでビニール袋へぶっこんで燃えるゴミへ。なんだこれは。命とはなんなのか。

我が家にはネズミ取りシートが常備されている。

2~3年ほど前からネズミ屋根裏を歩くようになり、まもなくして家への侵入を許した。ネズミダニは酷く噛まれるととてつもなく痒いうえ数ヶ月消えない跡になる。最初に異変に気がついたのはダニに噛まれたせいである。

天井に埋め込んでいる照明に通風口があり、そこから落ちてきたものと推測される。トタトタと歩く音に気が付き、これはもしやネズミなのではないかと気がついた。部屋に黒い紡錘状のちいさな糞をみかけたのと時期を違わず、まもなく食害にあった。ネズミにより齧られたビニール袋を見ればいか楽天家でも対応をせざるを得まい。

天井の埋め込みライトを数十万かけて工事してもらい侵入口を家の周りに探したが僅かな隙間もみつけられなかった。木造建築ではない家の隙間を探すことは人間には難しい。ネズミ一匹とはいうが、きっと下水あたりのトラップを食い破って経路をつくったのか、もしかしたら屋根側の通風口からはいってくるのかもしれない。木造ではない建築がかえって対応を困難にさせる。ビルにも出るというので個人宅の努力など柄杓で海を救うが如くなのやも。

祖父母の代からこの地域に住まっているが、ついぞねずみなどというものを見掛けたこともなかった。しかし近隣に10階以上のビルも増え住宅の密集度があがったことが原因か、我物顔で庭を歩くネズミを見かけるようにもなってしまった。日中に道路を横切るねずみを見かける。わずか数年でだ。どこぞで殺鼠剤でも食ったであろうネズミが庭先で死んでいることもあった。いったいなんだこれは。

都内の地下鉄線路の上をねずみが優雅に歩いているのを見かけるようになったのは10年ほど前だろうか、朝早くにはJR線路でも見るようになったと思ったら、いつの間にか我が家にまでご来場されてしまった。フリーパスなど発行した覚えはない。他人ごとと思っているかもしれないが、都市化が進む以上、時間の問題だ。ゴミの夜間集積などでカラスがいなくなったと思ったら今度はネズミがやってくる。

色々試したが、有効な対策方法駆除以外にない。粘着シートが一番だ。

殺鼠剤はダメだ、どこかで嗅いだこともないような匂いがすると思ったら徹底的に探せ。どっかの誰かが殺鼠剤を食わせた死骸があるはずだ。死骸からダニが広がる。早めに見つけて殺虫剤をまいておけ。天井裏や床下で死なれないよう万全を期して天に祈れ。

ネズミ忌避剤は人間にも香りが強い。しかも、すぐもどってくる。

超音波装置は2~3個買った。「クマネズミとドブネズミに対する超音波防鼠器の効力試験」を読んだのは最近だ。数万円を投じた身には寂しいことが書いてあった。なんという。

ネズミ家族引っ越してくるたびに捕獲をする。家に入られるまえに庭先のスノコの下などで捕獲する。滅ぼしても滅ぼしても半年ぐらいするといずれかの場所で増えてきてまたやってくる。全滅しても王様のもとに戻るだけだとか教会があって復活させてくれるのかもしれない。いったいトムの相手のねずみは何代目だというのだ。青いタヌキがネズミ相手に地球破壊爆弾を使いたくなる気持ちもわかろうってもんだよ。

この1ヶ月で3匹捕まえた。これを捕まえておかないと1ヶ月後に況や不逞の10匹を攻防戦を繰り広げ斃すことになる。我軍の被害も甚大だ。地域ぐるみで共同戦線を張らないといけないのだが都市部ではネズミの波状攻撃がヒトの連携を上回る。これではねずみごっこである

1970年以前はほとんどがドブネズミであったもの現代はクマネズミであるそうだ。

クマネズミ商業地域から住宅地域への分散が1990年半ばより急増し2000年ごろをピークに相談件数が減っている。

http://www.city.meguro.tokyo.jp/kurashi/hoken_eisei/eisei/nezumi_gaichu/nezumi/index.html

しかし、確実にその勢力範囲は広がっているのだ。

ねずみはいつかやってくる。

覚えて置いて欲しい。やられる前にやっつけろ。君の大事な耳を齧られる前に。

 
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