はてなキーワード: フリルとは
ある日の暮方の事である。一人の少年が、原宿駅の跡地で雨やみを待っていた。朽ちた柱に蔦の絡みついた、いまにも崩れ落ちそうな原宿駅跡地は、その昔、若人が大勢集う、たいそう賑やかな駅であったという。かつてこの地は「原宿」と呼ばれており、商いで栄えていたそうな。今は広大な荒れ地が広がり、かつての栄華は見る影もない。少年は荒野の真ん中でただ一人きりであった。ただ、所々地面から、かつてのビル群の瓦礫が顔を出している。少年は雨が止むまで、その瓦礫を見詰めて暇を潰すことにした。あれは、セシルマクビー、ピンクラテ、そして…Q-pot CAFE。少年は歴史がたいそう得意であった。
何故原宿がここまで荒れ果てたかと云うと、七十年ほど前、東京には、疫病とか五輪とか不況とか云う災がつづいて起った。そこで人々は住まいをこぞって京都に移し、それに続いて都も移された。およそ二百五十年ぶりの遷都であった。人の消えた東京のさびれ方は一通りではない。荒れ果てたのをよい事にして、狐狸が棲む。盗人が棲む。半グレがでかい顔をする。バニラの業者が日夜騒ぎ立てる。とうとうしまいには、行く当てのないジャニオタたちが夜ごとに集って、オフ会をしているという噂さえ立った。そこで、日の目が見えなくなると、誰でも気味を悪るがって、この近所へは足ぶみをしない事になってしまったのである。そうして七十年の時が経ち、いつしか「原宿」というと、平成・令和時代の亡霊が往来する呪われた場所としてひろく知られるようになったのだ。
少年も、ほかの大ぜいの若人と同じように、危ないので原宿には決して近づかぬよう、両親に硬く命じられていた。しかし、少年には原宿に来なければならぬ断固とした理由があった。病床に付している、かつて量産型女子であった少年の祖母が、「冥途の土産にAnk Rougeが着たい」と所望したのである。少年は、祖母が好きであった。特に、祖母のつけるジルスチュアートの香水の香りにつつまれて眠ることが大好きであった。その祖母が、いまはシンプルなアースカラーの入院着に身を包み、力なく微笑んでいる。入院着は、無印良品であった。少年は大好きな祖母のため、アンクルージュの服を見つけてくることを決意し、家をそっと抜け出してきたのだ。しかし、七十年も前の服を探し出すことは、とてつもなく困難であった。旧東京二十三区内を隅々まで探しても見当たらない。それもそのはず、量産型女子はとうの昔に、国の絶滅危惧種に指定されていたのだ。少年の祖母は、その数少ない生き残りであった。
歩き疲れた少年は、とうとう、禁じられていた原宿に足を踏み入れた。暗く、恐ろしい場所であった。荒野の真ん中にぽつねんと佇む原宿駅跡地には、多くの人の怨念が染みついているかのように思えた。少年は時計のある屋根の下に腰掛け、雨が止むのをぼんやりと待っていた。頭上には、どこからか集まってきた鴉が輪を描いて飛んでいた。
どうにもならない事を、どうにかするためには、手段を選んでいる暇はない。選んでいれば、大好きな祖母は悲しみのうちに死んでしまうばかりである。尤も、痴呆の入っている祖母は、たとい思い通りの恰好ができたとしても、何もわからず粗相をして汚すだけかもしれない。しかし、心持の優しい少年は、祖母のエンディングノートに書かれていたことはなるべく叶えてあげたいと思っていた。手段を選ばないとすれば―少年は、そのあとに来るべき言葉の余りの恐ろしさに小さく震えた。「盗人になるよりほかに仕方がない」などというおぞましい考えが一瞬でも頭をよぎったことが、信じられなかった。しかし、一度心に生まれたその思想は、少年の心にずっしりと居座り、どうにも振り払うことが出来ずにいた。
それから、何分かの後である。マツモトキヨシ原宿駅表参道口店跡の辺りをうろつく人影が見えた。少年は、こんな場所にも人がいたのかと大そう驚いた。夕闇によく目を凝らしてみると、どうやらひとりの老婆が何かを探しているようなのである。この雨の夕方に原宿をうろついている人間は、ただ者ではない。少年は両親の忠告を思い出し、身震いをした。しかし、老婆が何かてがかりを知っているかもしれぬ。少年は立ち上がると、小雨の降りしきる中、恐る恐る、老婆に声をかけに行った。
「おばあさん、すみません」
老婆はゆっくりと振り向いた。少年は、振り返った老婆の姿を見て、その余りの恐ろしさに、顔をしかめた。桑色のシャツを着た、背の低い、痩せた、白髪頭の老婆である。右の手に黄色のビニール袋を持ち、左の手に、大きな紙袋を持っていた。紙袋には、けばけばしい装飾が施されている。見るとそれは、山田涼介のイッピ袋であった。
ジャニオタだ。少年は歴史の資料集で良く学んでおり、ジャニオタを知っていた。日本史の安藤先生がいうところによると、ジャニオタは四十年ほど前に最後の一人が観測されて以来、日本から姿を消したという。まさかジャニオタに、生き残りがいたとは。少年は、大そう驚いた。
「なんだい…」
老婆は唸るように呟いた。地の底から響くような、恐ろしい声であった。少年は勇気を振り絞り、老婆に尋ねた。
「お忙しいところすみません、すこしお聞きしたいことがあるのですが。」
「他を当たっとくれ。私は急いでいるんだ。」
「違います。探し物をしておりまして。
ところでお婆さん、そんなに急いでどこに行かれるのです。」
「ライブ参戦前にジャニショに行くのさ…ケンティーのオフショを買いにね…」
そういうと老婆は、うつろな瞳で前方をじっと見た。そこには荒野が広がるばかりであった。それを見た少年は、腹の底から寒気が上がってくるのを感じた。ジャニショ。それはかつてこの地にあった多神教の神殿であったと聞く。かつては多くの信者が通い詰めたその神殿は、しかし、原宿から渋谷へと拠点を移し、遷都とともに東京からもなくなってしまったと聞いている。全て七十年前の出来事だ。今となっては跡形もない。この老婆は、いまでもジャニショの存在を信じ、この場所をうろついている。うわさに聞くジャニオタの亡霊だろうか。少年の身体は恐怖に震えた。
「おや…お前は」
何かに気が付いた老婆は、少年の顔をじつと見詰めた。その濁ったうつろな瞳には、真っ黒なカラコンが不自然に張り付いていた。少年は後ずさりをした。
ええ、もっとよく顔をみせておくれ」
そう叫び声をあげると老婆は、少年の顔をつかもうとした。少年はきゃあと叫び、踵を返して逃げようとした。しかし恐怖からか足がもつれ、少年の体は地面に叩きつけられた。何とかもんどりうって逃げようとする少年に、老婆が覆いかぶさる。
老婆はうわ言のように呟きながら、少年の腕や顔をベタベタと触った。少年の恐怖心は、次第に、老婆に対するはげしい憎悪に変わっていった。二人は荒野の中で、しばらく、つかみ合った。しかし勝敗は、はじめからわかっている。少年はとうとう、老婆の腕をつかんで、無理にそこへねじ倒した。老婆は細い体を大きく震わせ、肩で息を切りながら、ぴえんと泣き叫んだ。
「ファンに、ファンにそんなことをしていいと思っているのか。」
少年は老婆を見下ろし、吐き捨てるように言った。心のうちで、老婆に対する憎悪と侮蔑が、大きく燃え上がっていた。そうして、あることに気が付いた。老婆の纏っている布切れである。すっかり薄汚れていて気が付かなかったが、これはいつか歴史の資料集で見た、アンクルージュのフリルカラーチェックワンピースではないか。チェックの模様に、けばけばしいフリル。そうに違いない。それを見ると、少年の心にあるひとつの勇気が生まれた。それは、老婆に出会う前は決して存在しえなかった勇気であった。
「ファンにこんなことをして、貴様、アイドルとしての自覚が足りぬわ。」
「言いたいことは、それだけか」
老婆の話が終わると、少年は嘲るような声で念を押した。そうして、老婆の襟上をつかみながら、噛みつくようにこう云った。
「こんなことをする者は、ファンではない」
老婆はそれを聞くと、目をかっと見開き、呻き始めた。少年は、すばやく、老婆の着物を剥ぎとった。それから、足にしがみつこうとする老婆を、手荒く瓦礫の上へ蹴倒した。かわいそうな老婆の周りには、胸元に大事に仕舞われていたしわくちゃの青い振込用紙がはらはらと散らばった。少年はそれを一瞥すると、薄汚れたワンピースをわきにかかえ、またたく間に原宿の闇に駆けていった。
しかし、嗚呼、何と残酷なことだろう。老婆からはぎ取ったワンピがアンクルージュではなくミオレミューだということを、少年は知る由もない。
その後、原宿にうろつく亡霊の噂は、はたと途絶えたという。
ところで先日プチ炎上していたのがねとらぼ主催の独自総選挙だ。
https://nlab.itmedia.co.jp/research/articles/132923/
途中までの結果はこっちの増田に詳しい
https://anond.hatelabo.jp/20210317202120
経緯というには簡単すぎるが、「ねとらぼが独自にシンデレラガールズ登場アイドルの人気投票企画を実施」→「公式もやっていない『51位以下の結果も全て見える』という仕様にPから『人気のないアイドルが判明すると界隈が荒れる』と批判が集まる」→「ねとらぼは速攻で企画記事取り下げ」という流れ。先の増田にもあるようにこの批判に対する批判もかなりあり、界隈は賛否双方の言い合いというか揶揄合戦となり軽く炎上した……という具合。
こうして書くとあまりに馬鹿らしいが、アイマスPが馬鹿なのはいつものことであり今回はそれが主題ではないので、まあそういうことがあったというだけで流してくれ。
では今回の主題、テーマはというと正にタイトル通り。「じゃあ実際シンデレラガールズで人気がドベのアイドルは誰なのよ」って話。なぜそんな話をするのかというと、単に俺がそれを知りたいから。じゃあなんでそれを知りたいかというと、
なのでドベ又はドベに近い位置にいるアイドルにボイスオーディションの票を集中させたいのだ。
実際問題自分は基本的にアイマスは全員担当のつもりで(如月千早だけ例外)、デレマスにおいてもデレアニ6-7話で担当になった本田未央を除いて一番”推している“アイドルであるところの海老原菜帆を選んだきっかけも判官贔屓に近いものがあった。まあ、あの中で「ちょっと太ましい」という個性が気に入ったのも多分にしてあるし、もっというとあのフトモモとお腹の描き方がすごく良かったとか、あの間延びしたセリフが良かったというのもあるけれども。
じゃあ、菜帆も含めてシンデレラガールズの中で“推しも推されも”しない不人気アイドルは、今後票を投じることで開発に「誰一人として見捨てさせねえぞコラ」って言えるアイドルは、本当のシンデレラガールズ達にぶつけることで今後のデレマスをカオスにさせられるようなアイドルは、いったい190人のうちの誰なんだ? っていう話。
CV待ちアイドルの中でも絵師に愛されてる池袋晶葉や浅利七海は放っておいてもトップに行きそうな気はする。先日のキッコーマンコラボで話題になった大沼くるみや、同じくコラボもした上チームメイトが全員ボイス持ちでさらに「セクシーデリバリー松本」がバズった松本紗理奈も強いだろう。チームという意味ではフリルドスクエアの残り3人や、GBNSの残り2人も結構硬いはず。
じゃあ「出番が少なすぎて担当ですら個性がわからん」で有名な斎藤洋子はどうだ?……と思ったが超名作イベント「蒸機公演」で準主演を務めたし人気は高いか? 「マルメターノおじさんの方が有名な」で有名な北川まひろは? あるいは「声がデカくてイケイケな銀髪ベリショ」が刺さる人をあまり見ない仙崎恵磨はどうだ?……パッションに固まりすぎているな……。最年長タイの高橋礼子は?……漫画版で結構良い役回りだし不人気とは言えんか? 実際礼子さんにボイス付けるとしたらどうなるんだろうな。あからさまに声優モデルにしたキャラクターに声優を就けるってかなり難しそうだが。
とまあそんな感じ。
「誰の人気が無いのか」を可視化するというねとらぼの企画が、デレマスが持つ残酷さや無常さなんかのセンシティブな部分に無遠慮に切り込んでいたのは確かだけれども、俺はそこをこそ知りたかった。シンデレラガールズ総選挙という190人のレースの中で今一番最後尾グループにいるのは実際誰なんだ? 俺はその子達にこそ声援を送りたい。その子達をこそ推したい。弱い子が好きなわけじゃないし、トップの子達が頑張っていないからでもない。レースがカオスになる方が将来的に面白くなりそうだからだ。
みんなはどう思う?
どこにでもいるようなデザイナー。
一番の悩みは、制服着用。
制服というものがこんなに苦になるとは自分でも思ってなかった。
社会人十数年目にして初めて制服を着る事になって思う事を書く。
細身の黒ベスト。
服選びは1分くらいになった。冬場はコートを羽織るので特に早い。
昼食を食べた後、ウエストが苦しい。
夕方以降、むくんで苦しい。
それでも身体の変化はあるので、びっくりするくらい苦しい。
新しく買う事になったら、きっと社長にも知られるだろう。
カーデガンを羽織ったり暖かいインナーを着込んだりしてしのいでいる。
裏起毛のパンツを選んだりするのだが、
1年中同じ服装をしてるって無理がある。
気を抜くと足が開いてしまったりするので、
足をピシッと閉じているのは大変。
鏡を見た自分の疲れた顏とピンクのブラウスがミスマッチ過ぎる。
これからどんどん老け込むのに
後何年も着られるのかと不安になる。
同じ格好をしていると、嫌でも比べてしまう。
同じ格好で並ぶと乳の大きさも足の細さも制服は顕著に出るな。
フリル満載であったりAKBのようなチェックのミニスカートだったりと
(ゴージャスなピアスやシュシュやマスクが唯一のアイデンティティ)
当たり前にあった「その服かわいい!」「似合ってる!」と言う会話もなく、
服で気合いを入れる事もなく、元気になることもなく。
気持ちが落ち込んだままになる。
色彩が飛び込まない。
目が淀む。
オシャレって大切。ファッションってすごい!
人を元気にする!気合いが入る。
華やかな服装ってとても刺激になっていたな!とつくづく思うけど、
現在、リングフィットアドベンチャーや肉体労働でのダイエットに励んでいるが、デブでも可愛い服が着たい。
ある日、SNSで見かけた洋服がすごく可愛かった。世間では量産型と呼ばれる類のものであったが、それはとても魅力的だった。それも、ファッションセンターしまむらで購入ができるということだ。
欲張りデブは、「私でも着れるかもしれない」というかすかな希望を抱いてしまむらへと向かった。
入店してすぐに目が留まった。フリルのついた大きな襟のブラウスだ。私は、瞬間それを手に取り、試着室に入った。
これを着た私がどう思われるか、なんて考えなかった。私が着たいものを着てやる。そう思い、ブラウスのボタンに手をかけた。
「これはいける」
そう思った私が馬鹿だった。
絶望に打ちひしがれた私は、第三ボタンが閉まらないデブが映った姿見を前に、ただ己が乳袋に憎悪することしかできなかった。
そう心に誓った。
数年前、某女児アニメのオンリーイベントにサークル参加した。アーケードゲームも人気で、毎年開催されているイベントだった。
設営準備をしていると、隣のサークルにサークル主と思われる人と、売り子さんと思われる主人公枠のうちの1人のコスプレをしたレイヤーさんが来た。
おはようございます、と声をかけたが返事がなかった。あれ、聞こえなかったのかな…と思ってそのまま設営準備をすすめた。
そして会場。
隣のサークルにはレイヤーさんの友人と思われる人が入れ替わり立ち代わりやってきた。数分の談笑をして、いなくなるという感じだ。
そしてその間中、その人達は私のサークルの前まではみ出していた。
サークルの前に人がいるので、ほとんどの人はうちのサークルを避け通り過ぎていった。
はみ出さないで下さいと注意をしたほうがいいのか。でも話している最中だし、挨拶も返って来なかったので、(前述の通り聞こえなかっただけかもしれないが…)無視でもされたらどうしようと思って言い出せなかった。結局何も言えず、そのままの状態がかなり長く続いた。
売り子さんの隣に座っていたが、ドレスのコス衣装だったので私の左半身にドレスがゴリゴリに当たっていた。スパンコール?フリル?が縫い付けられておりチクチクしたが我慢した。
しばらくすると、隣のサークルは片付けをはじめた。モヤモヤした気持ちで、正直やっと帰ってくれるんだと思った。
片付けが済んだあと、売り子さんと目があった。
すぐにくるりと後を向き、サークル主さんに帰りましょうか!と話しかけそのまま帰って行った。
売り子のレイヤーさんに、参加者さんが言った言葉が脳みそにこびりついていた。
スミレちゃんは挨拶を無視し、隣にいる人に配慮をせず、去り際に挨拶をしない子だろうか。
そんなわけあるか。
レイヤーさんの衣装はとても綺麗だった。作中でも印象的な林檎モチーフの可愛いドレス。
それだけに、とても悲しかった。
私はパンティーが大好きだ。
日替わり弁当が毎日パンティーの煮付けならいいのに…パンティー弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるパンティー料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「パンティーのあら煮」であるとパンティー論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
衣服というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えばフリルなんて食える衣服あるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、フリル・ジッパー・タグ(をすいた身)、衣服によっては腰周りなどゴムが多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれパンティーの場合はあら煮になる。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めでタイツ」のタイツもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんパンティーの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならパンティーはおいしいからだ。
しかしあら煮とパンティーの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。ガードルは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにパンティーのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでパンティーの切り身を煮付けたいね。
パンティー大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとパンティーの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにパンティーの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
こんなものはフェミニストを名乗る雑なセクシストどもの擁護でしかない。
性はクラデーションで厳密な男性向けも女性向けも存在しないんだ、美少女のセクシーな絵が好きな女子も腐男子もみんないてみんな良かったんだ。
BLの男性への販売拒否とかやめようよっていうBL同人界隈の動きとかもあって10年ぐらい前まではわりと真面目にジェンダーフリーを目指していたんだ。
美少女系の女性イラストレーターがフリルとレース山盛りの可愛いとえっちなもを共存させる絵を描いてそれを男性も女性も支持していた。
だけどそれらを全部ぶち壊しにしたんだよ、老人世代の分断が若い世代に存在すると思っている50代60代のジジババや
インターネットの意識の高い面した海外の流行でしかないキャンセルカルチャーの猿真似をやっている名誉白人どもや
一部の腐女子による美少女系女オタクへのただのヘイトとそういうのが合流して腐女子のセクシズムをフェミニズムが支持してしまったんだ。
担当は喜多見柚。喜多見柚に変なイメージがつかないように喋ることを心掛けますが、もしこの記事に不快な思いを抱かれても、それは私への不快感であり喜多見柚や今の喜多見柚Pへの気持ちではないと思って頂きたいと思います。一部記憶が薄れてますので間違いがあればご指摘ください。すぐに訂正します。
初めて行ったデレマスの現場が名古屋ドームで、柚の誕生日の日でした(柚の声を担当されてる武田さんの出身地でもあった)。なんとなく特別感があって楽しみだった。もちろん柚の誕生日を会場が祝ってくれた。
その時には柚のシングルは発表されていない(それは仕方がない)。
新アイドル投入決定の発表もここだった。
私は柚の声がない頃から応援していて、モバマスもやっていて、当時高校生だったので課金はそこそこだったので票に関しては「頑張った」とかそういうことは言えない。けど選挙で声が付いて嬉しかったです。柚は人に譲るために一歩下がることも出来るような損な性格だったので(でもその場所でも一生懸命に全力で楽しむ子だったので大好きだった)。いろんな人が柚を押し上げたのに感動しました。
時系列は多分合ってないですけどたくさん連ねます。まずは柚がたしか初めて声付いて総選挙ユニット外でのCDで、そしてたしか声付いて初めてのイベントで上位報酬。そしてたしかイベSRは2枚目だったような気がする。柚の設定が改変されました。
たしか未央が高校生で、薫が小学生で、間に中学生を持たせたいというようなシナリオの感じで女子高生設定の柚が中学生扱いに。歳は15歳なのでどっちとも取れる年齢。もうこの時点で吐きそう。公式がそんなことする?
次に新アイドル。もうここが全てです。
新アイドル本人へのdisじゃないけど、新アイドルの環境が最悪すぎました。公式もファンも。新アイドルもある意味被害者です。そして新アイドルの本当のPも悪くない。
まず吸血鬼と従者の新アイドル登場が声付きで、新曲とイベントを引っ提げて登場。その時点で、選挙でそこそこ好成績を残しているけど声がない子のPや、(特に選挙で)声付いてるのにCDがないP筆頭に疑問、悔しさ、悲しみなど上がります。先駆けたモバ登場の3人もいたので。しかもMVはめっちゃ手が込んでるし(当時の最近の手抜きはすごかった)。そして一番酷かったのは、吸血鬼の方の新アイドルに「私たちはこのステージに立てる特別な存在」みたいな発言をさせたことです。嫌味にしか聞こえない。
もっと最悪なのはこれでアイドルそのものの評判が下がることで、運営何も考えてないなと思った。例えばこの発言をフレデリカとかがしたとしたら、あれおかしいな、フレちゃんこんなこと言う子じゃないなと思う。今までのフレちゃんとの蓄積でフレちゃんがどんな子が分かってるし、それから逸れたなと感じられるので。
でも新アイドルは初見。積み重ねがないから、この子こういう子なの?にもなりかねないし、じゃあこれを運営が言わせてるなら本当はどういう子なの?
ちなみに双子の登場イベントのときもしっかりしてる方の子がこんなようなこと言ってて、もう運営隠す気ないなと思いました。あと新アイドルの参入を人気アイドル(選挙の上位常連)にフォローさせてて、もう荒れるの分かってやってるじゃんと思った。
次の最悪はそれを擁護するあまり声なしPを蹴る害悪ファン。これが後々繋がってきます。
まず、新アイドルを擁護(新アイドルそのものを叩いてる層もいたのでこれは分かります)、次に声なしdis。このアイドルに声が付かないのはブスだから、お前らの努力が足りなかったからと言ってくる。この発言を覚えておいてください。
間にも色々あった気がしますけど繋げるために少し飛び、次の選挙期間。
たしか選挙チケットみたいなの(アイドルに投票する券)が販売されるのと同時に、シンデレラフェス(SSR率2倍だった記憶)が始まります。シンデレラフェスでしか入手できない強いカードもあります。たしかこのシンデレラフェスの新カードのスキルも新スキル(でもぶっ壊れではなかったような記憶)、あとシンデレラフェスは2~3人登場が常なんですけど、誰かをピックアップできる初めてのシステム。抜擢されたのは吸血鬼と従者の新アイドル。忖度すぎる。
選挙期間のシンデレラフェスの新カードはガチャブといって順位が上がりやすいんですよ。つまり順位をある程度運営が操作できるんです。当時シンデレラフェスでは声なしアイドルは新カードにならないので声有りの子から選ばれるんですけど、まあそこか。露骨すぎて辛い。
その選挙期間にも色々あったような気がしますけど、選挙結果へ。吸血鬼と従者の新アイドルは圏外。今まで色々言われてきました、お前らの努力が足りなかったから声付かないとか。
おい、あんだけガチャブ貰って、曲貰って、豪華なMV貰って、限定SSR貰った新アイドル圏外だって!!!!!声実装戦争には参加してないことを抜きにして、せめて圏内だろと。お前らの努力はどうなってんの?って。
ここで誤解しないでほしいのは、これは票を入れなかった新アイドルPに言ってるんじゃないよ。票を出さないことを責めれないよ。声なしアイドルをdisってたのはきっと新アイドルPだけじゃないんだよね。そいつらが新アイドルはテコ入れって言ってきたの。そいつらはだれに投票したの?ここでも新アイドル巻き込まれてるやん(新アイドル発端だから仕方ないけど…)。
圏外圏外言われる罪もないアイドル可哀想すぎる。でもお前らが新アイドルをかさに着て言ってきた、「見込みもない既存キャラに声つけるくらいなら有望な新キャラ実装する、運営も商売でやってるんだよ」って言ってきた。商売なってるか?結果出てないけど。って言いますよ、今まで散々言ってきた誰担当してるか分からないPへ。
ここから泥沼です。ここまでを知らない新アイドルP(特に新規参入で流れが分からないP)は、自分の担当アイドルがけなされてるから当然参戦。こっちはアイドルが悪いと言ってるわけではないと言い(でも新アイドルのことを圏外だとは言いふらす)、最初からいましたけど新アイドル自体をdisる人もいる。みんな戦う相手違うのに混戦状態で埒が明かない。
あとここらへんの時期は新アイドル発表のライブから結構経ってて、柚が所属するフリルドスクエアもユニット人気で結果残してるのもあって、サプボ(言い方悪いけど、選挙じゃなくて運営が判断して声つけたアイドル)の子もソロ出してたりしてるのに、柚はまだ?となっていた。もちろん柚の前から順番待ちしてる子もいたからその子から出してもらって全然良かった。
【※これは完全に言いがかりですが積もり積もった結果思ってしまったことでもあるので一応書きます。】
それから歌手のゆずコラボもあり、名前が柚なため当然期待するがハモリパートで起用されたこと。その後ゆずさん作詞作曲で出された新曲が「無重力シャトル」だったこと。柚はバトミントンをしていてそれが個性の1つでもあり、バトミントンの球もシャトルという。柚はもともとこの曲メンバーに内定してたのに外されたんじゃないの?とか当時思ってましたけど今考えるとこれは言いがかりでした。
やめたきっかけはたしか周年曲に新アイドルみんなが参加して、周年曲のメンバーはデレステのトップ画面になるのでデレステの起動時にその子たちの顔見てあーあと思う自分がPやめてたのでやめました。アイドルは悪くないです、そういう立ち回りをさせて運営が悪いです、もちろん。ただアイドルの裏に運営をもろに感じてしまったのはありました。だからと言って私があーあと思ってしまったのは私の器のせいでもありますが運営のせいでもあると勝手に思っています。でも柚Pとして柚のことをだけ考えてれば続けられてたのかなとも思うので、怒りに我を忘れた時点で柚のことより先に怒りが来てましたから、柚のことを好きだった気持ちを忘れてたかもしれないです。
最近の運営はなんか変わったみたいですね。当時やっぱりあれはおかしかったと思うし、柚関連のことしか言ってないけど他の被害にあったアイドルもいたはずです。あと、ここに書いてあること以外にも色んなマイナスなことが起こってましたし。アイドルは好きなままなので、環境良くなっててほしいなと思ってます。新アイドルにも、他のごり押しと言われるアイドルにも、露骨なのはやめてほしいと思います。結局そのアイドルがヘイト買うのは避けられないですよ。
最近柚のソロが出たらしいですね。柚と言えば冬、出会いも冬です。サンタの衣装じゃなくて雪だるまの衣装を着るような子です。聞けてませんが、冬の、柚らしい優しい人に寄り添う曲らしいですね、感想を見ていたら。当時柚のソロまだ?って思ってたけど、当時の運営に作ってもらわなくて全然結構でした。今、いい曲作ってくれてありがとうございました。柚はとても良い子なんです。
フレンチ・カンカン、というかラインダンスとの出会いは、おそらくは文明堂のCMだ。それから「ドレミファソネットどしたらできるの」で有名なso-netのCMだ。なぜかこのCMではおじさんの脚線美を見ることになるのだがそれはさておいて、Youtubeで検索すると今でも天国と地獄に合わせて踊る動画を確認できる。
本題に移ろう。Can-can dressについてはウィキペディアではおおよそこのように述べている。ドレスは基本的に何層にもなった大量のフリルがついていて、当時の下着の上に縫い付けられていた。脚は黒いストッキングや網タイツで覆われていた。つまり、レオタード姿のソネットのCMはフレンチ・カンカンではないのである。足の動きの速さからしてまるで違う。
衣装ではなく、カンカンダンスそのものについては、日本語版のウィキペディアと英語版のウィキペディアで書いてあることが若干違う。おそらく英語から訳したときの版が違うのだろう。
両者の記述を比べてみたが、フレンチ・カンカンにおける見せパンの起源はかなり曖昧らしい。足を思い切り上げてスカートの中が見えてしまう動きは、ショーの場では1820年代にアクロバット的な動きで知られるCharles Mazurierがバレエの大開脚を取り入れたことにさかのぼるようである。初期のダンサーは娼婦やセミプロの役者だけであったのだが、1890年代になるとムーラン・ルージュではトゥールーズ・ロートレックの絵で知られるLa Goulue(食いしん坊さん、的な意味)やJane Avrilなどの高給を取るスターが生まれた。La Goulueのページでは当時の衣装とセットの見せパンが確認できる。これらのスターの生活は華やかだが晩年は不遇であることもあった。この二人もビジネスの失敗や大恐慌で財産を失い、寂しく亡くなっている。
さて、カンカンは足を高く蹴り上げるので、当然スカートの中身が丸見えになる。しかも、それや当時としてはよりスキャンダラスであった。というのも、当時の下着であるpantalettesは衛生上の理由からクロッチ部分が開いていたからである。要するに性器が丸出しになるわけである。もっとも。そのあとにこんな記述がある。カンカンのための特別な下着を用いていたという記録はないが、ムーラン・ルージュでは下着の露出は禁じられていたことになっていた、と。どうもこのあたりの記録は曖昧というか[要出典]をつけたくなる箇所が多い。ウィキペディアは普段は自然科学の記事を読むことが多いが、そこよりも曖昧な記述が多い印象だ。文体もなんだか違う。
ところで、今のフレンチ・カンカンとして知られる、大人数の女性が10分以上高度な振り付けを続けるスタイルは、1920年代にアメリカで人気が出たスタイルを逆輸入したものでそうである。
実際、19世紀末からに20世紀初頭にかけては女性の脚部を見せるということでかなりスキャンダラスなものとしてみられていた。また、陰部を覆う白い生理用(?)下着と黒いストッキングの対照もエロティックだとして見られていた。さらに、体を折り曲げてスカートを後ろからまくり上げ尻を見せる動作もあったという。先述のLa Goulueはこの芸で知られていたとのこと。また、前の席の客の帽子を蹴り飛ばすほど近づいて、スカートの中身を見せることもあった。もっとも、顔を思い切り蹴られる危険もあったのだが。
結論から言うと、当時のフランスに見せパンそのものであったかどうかはわからないが、パンツが見えることは覚悟の上だった、ということになりそうだ。女性器が見えていたかどうかまでは根拠が怪しい。もっとも、今ほど表現が自由でなかった当時のこと、そんなことを文学や絵画で記録に残せたかどうかは怪しいものだ。ちなみに女性器を堂々と描いて当時の偽善的風潮に反発したクールベの「世界の起源」が1868年、ヌードでスキャンダルを生んだ「草上の昼食」が1863年である。
パリにはいくつも有名なキャバレーがあり、それは近現代の芸術や芸能に多大な影響を与えてきた。たとえば、ムーラン・ルージュで活躍した人物としてFrank SinatraやCharles Aznavourがいる。それらのすべてをここで述べるのは大変なので、地球の歩き方に広告が載っていたと記憶しているものをピックアップして簡単に述べる。子どもの頃、トップレスの女性が旅行ガイドに載っているのを見てドキドキしていたものだ。もっとも、その女性の姿はせいぜい五ミリくらいの大きさしかなかったのだけれども。
学生時代にパリを訪れたときには、そこには寄らなかった。一日中美術館で過ごしてぐったりしていたし、まだ女性経験がなくて図々しくなれなかったからだ。今となってはいい思い出である。
赤い風車で名高いキャバレーで、ここを舞台にした映画は数知れず。トゥールーズ・ロートレックの作品群でも有名。著名なダンサーも多く、全員を紹介するのはとても無理だし、別のキャバレーにも出演していて、キャバレー別に紹介するとややこしくなるので端折る。
ところで、ウィキペディアだけからはヌードがどの程度ショーに盛り込まれていたかはわからないが、1893年の舞踏会に裸の女性がいたことがスキャンダルになったそうである。なんでもヌードモデルが活人画として周囲を歩き回り、裸の女性が深夜にテーブルに立っていたとのこと。一方、英国の劇場のように活人画、すなわち生きた人間で絵画を再現する目的としてならヌードは猥褻ではない、という意識もあったようである。例えば英国では劇場にヌードが現れたとき、当局が1930年代に裸の女性が動くことを禁じた。この禁令をかいくぐるために、モデルたちは活人画のように止まったままとなった(ストリップの記事を参照)。また、戦後日本でも「額縁ショー」と呼ばれるストリップのさきがけのようなものがあった。動かなければ猥褻ではないという謎理論がまかり通っていたのである。当時のGHQが何を意図していたのかはよくわからない。
これまたよくわからないのがゾラの1880年の小説「ナナ」では、ヒロインがヴェリエテ劇場でほぼ全裸を披露して観客を魅了するという場面があるのだが、実際のところどうだったのだろう? 本記事はカンカンについてなので劇場のヌードについては語りつくせないので、今後の課題としておきたい。
1889年開業、1915年に一度焼失するも再興し、ドイツ占領時代にも営業を続けて今に至る。
モネの絵画、「フォリー・ベルジェールのバー」の舞台としても知られる。また、黒人系の女性Josephine Bakerが活躍したキャバレーとしても知られる。バナナ型のスカート以外はほとんど身に着けていないエキゾチックな姿がオリエンタリズムの流行した当時ヒットしたのだが、後にその恰好が人種差別的だとされるようになり、そこからネグリチュード、黒人意識の発展にも寄与した。また、彼女は黒人の人権活動家としても知られている。最近、グーグルが彼女の生涯を記念するドゥードゥルをトップにした。
1869年に開業、1872年に今の名前になる。けばけばしい衣装で知られ、時としてヌードも披露されることで知られる。
映画「ファイアbyルブタン」で有名。セミヌードを含む映画の公式予告がyoutubeに上がっている。身体をやわらかな特殊素材のように扱ったショーは性欲やエロスの向こう側に行ってしまっており、すごいものになっているとしか言えない。リンクを貼ったら怒られそうなので検索してください。もちろん、そこまで独特なものではなく、もっとわかりやすいショーもある。
ユニークなのはそのショーの一部をyoutubeの公式チャンネルで公開していることだろう。かなり古い白黒のものまである。それと、公式ホームページ見ていたら驚いたのだけれども、リド自体には12歳以下の子どもでも入場できるそうである。ヌードやトップレスがないショーならOKなのか、それとも芸術のヌードならOKなのか。フランス映画、年齢制限がないやつでも割と普通におっぱい出てくるし、表現規制の国ごとの温度差を示す実例であるのかもしれない。
1946年開業。1920年代の人工的な砂浜をその前身とする。
「ストリップティーズ」の項目によれば1960年代に全裸のショーが行われた、とある。
現に、創業者であるアラン・ベルナルダンは芸術性を伴った女性のヌードショーを見せるという着想に至ったそうで、要するに最初から全裸である。
とはいえ、ただの全裸ではなく、巧みな照明技術により女性の裸体をキャンバスのようにとらえ、万華鏡のようなカラフルかつシャープな模様をダンサーの肌に映し出していることに特徴がある。ただ脱いだだけではないそうだ。1951年開業。
天国と地獄の曲を初めて聞いたのは文明堂のCMと、音楽ファンタジーゆめでだ。後者はCGの黎明期であったせいかサイケデリックな表現が多く、当時の感覚としても幾分薄気味悪いと同時に、今から振り返ってみると技術の未熟さ(失礼!)から来るアルカイック芸術のような独特の魅力があったように思われる。
ところで、この曲は地獄のオルフェとしても知られている。タイトルからすると、ギリシア神話のオルフェウスが死んだ妻を冥界から取り戻そうするとする話のはずだ。なのに、なんでこんな軽快な曲なのだろうと思って調べたら、ギリシア神話のパロディ的なオペレッタだからだそうだ。なるほど。
こうしたレオタード姿のラインダンスはカンカンではないと述べたが、それではこれはいつからあるのか調べたい。おそらく日本国内では宝塚歌劇団と関係している。また、バーレスク的なものとの関連について知りたく思う。そもそもバーレスクとは何か、僕はよくわかっていない。日本語版のウィキペディアのバーレスクの記事には、乳首と陰部に前貼りを貼っただけの姿でパフォーマンスをする女性の写真がある。リンクは張らないが、鍛えられたきれいな体だなあ、僕も筋トレ頑張らなきゃなあ、とは思う。しかし、欲望はそこまで感じなかった。隙がないのである。
本記事では、自分が今までまとめてきた服飾史についての記事のリンクをまとめる。また、それぞれの記事のブックマーク数を、各々の記事の内容や傾向、投稿時刻などと比較し、どのような記事が増田ではよりバズりやすいかについて考察する。
導入で述べたように、ブルマーに関する記事についての傾向を調べる。また、項目の一つとして、どの程度IMRAD形式に従っていたかについても調査する。
IMRADとは論文を書くときの基本的な文章の構成方法だ。Introduction, Methods, Results And Discussionの略称で、おおよそ次なような構成に従っている。
もちろん、これはまったくの趣味で書いた文章であるので、ところどころ自分語りが挿入されるなど、厳密にIMRADの形式には従っていないし、結果と考察も一つにまとめられている。そこで、どの程度厳密にIMRAD形式の通りに文章を書いたかを三ツ星でランク付けする。例えば、導入部が省略されているときには、星を一つ減らす。自分語りが長いと感じた場合も、星を一つ減らす。
また、ブルマーとは関係なく書いた随筆についても後ほどその結果を掲載する。
タイトル | 執筆時点のブクマ数 | 投稿日 | 投稿曜日 | 投稿時刻 | IMRAD度 |
---|---|---|---|---|---|
日本人のブルマーとイギリス人のブルマー | 382 | 2020/06/28 | 月 | 07:56 | ★★ |
ドイツ人のブルマーとソ連人のブルマー、となりのトトロのパンツ(1) | 37 | 2020/07/27 | 月 | 07:44 | ★★★ |
イタリアと南米と中国のブルマー(修正版)、その1 | 2 | 2020/08/25 | 火 | 07:45 | ★★★ |
チアリーダーのブルマー、テニスのアンダースコート | 51 | 2020/09/01 | 火 | 08:02 | ★★ |
フィギュアスケートの見せパン、新体操のレオタード、陸上のブルマー | 488 | 2020/09/07 | 月 | 07:52 | ★ |
競泳水着と全裸水泳、海女さんのふんどし | 27 | 2020/09/08 | 火 | 07:55 | ★ |
ビーチバレーのユニフォーム、極小ビキニ強制の歴史 | 272 | 2020/09/14 | 月 | 07:38 | ★★ |
バレエのチュチュ、スカートの中のフリルとパンツ | 40 | 2020/09/17 | 金 | 07:50 | ★★ |
気が済んだので、またブルマーについて書くとはあまり思わないが、書くとしたらほどほどに私事やユーモアを入れてくつろげる文章にしたい。ブルマーについてだけではなく、日常で感じる素朴な疑問についても調査し、読んだら疑問が解消されてすっきりするものを目指したい。
また、具体的にどんな文章がバズるかは、どんな文章が読みやすいことと表裏一体だと考えられるので、こうした知見も仕事やブログの記事に役に立てていきたい。また、自分語りをするときであっても、読者にどう配慮すれば読みやすくなるかも、考え続けたく思う。
イギリス人のブルマーの調査から、ずいぶん遠くまで来た。脱線に脱線を重ねてきた結果だ。しかし、昔から気になっていたので、バレエのチュチュ(ふわっとしたスカートみたいなあれ)についても調べておこうと思う。子どもの頃に、やっぱりこれがエッチだと思ったからだけではない。どんなことでも、疑問を持ったならば調べることは大切だからだ。それに、こういう素朴な疑問だけれども面と向かって聞きにくいことについて調査し、書き留めておくことは、誤った憶測に対抗する上での価値があると信じている。
これは、単純にお尻フェチだとかパンチラ萌えだとかだけの話ではない。僕たちの欲望がどのような仕組みになっているのか、そして欲望を喚起するシステムがどのように働いているのかを理解することは、逆説的に欲望の暴走をコントロールすることにつながるはずだ。言い換えるならば、社会が求めている女性像/男性像から自由になる手段であり、政治や広告から発せられる都合のいいメッセージから身を守るすべにもなる。
前置きが長く、堅苦しくなってしまった。どうか肩の力を抜いて読んでいただきたい。
https://tutusthatdance.com/blogs/faq/parts-of-a-tutu
これは、クラシック・バレエのチュチュの基本的な構造である。pantyと書かれている項目に、「ここにフリルが縫い付けられる」と書かれている。要するにお尻の曲線はそこまで丸見えにはならないのである。
しかし、このフリルにもいくつか種類がある。英語版wikipediaのtutuの項目には、現代のチュチュとして、次の4つが挙げられている。
短く硬い、釣り鐘状のスカートを持ったチュチュ。通例、パンケーキ・チュチュより長い。ドガの作品で多く見られる。
これだけを調べるのにも、意外と時間がかかった。当たり前だが、カタログの写真では普通、スカートの中まで写さない(というか、写すべきでもないだろう)。「inside pancake tutu」では、こういう資料は見つけたが。
https://www.pinterest.jp/pin/560487116124411506/
http://4.bp.blogspot.com/_Ozo7z2zkqWs/S-i2wVfcR1I/AAAAAAAACYQ/zDek9ewzWno/s1600/platter.jpg
世の中には私と同じような疑問を持つ御仁もいらっしゃるようである。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q11205496201
さて、ウィキペディアのチュチュの項目を見ると、「ツン」というパンツ部分を指す言葉が出ている。引用すると「ツン(Tune)はスカートと一体になったチュチュのパンツ部分。……(中略)……構造的にロマンティック・チュチュには存在せず、ロマンティック・チュチュではバレリーナは下着としてステージ・ショーツを別途着用する(広義では、これもツンと称する場合もある)」となっており、幾分ややこしい。
また、その下着の項には「チュチュを身に付ける際は下着として薄手のキャミソールレオタード状をしたバレエ・ファウンデーションを着用する……(中略)……色はほとんどの場合ベージュ系である」との記載がある。
要するに、レオタードみたいになっている場合は普通に下着を身に着けるし、パンツ部分がチュチュと分かれているものでも、オーバーパンツをはいているわけである。当たり前ではあるが。
ロマンティック・チュチュは1832年、「ラ・シルフィード」で初めて案出されたらしいので、先ほどのツンについての記述と比べれば、現代につながるフリル付きの見せパンの起源はそこにある、と判断できそうである。ただし、英語版wikipediaには「ツン」の項目はなかった。
また、興味深いのは注釈の「ただし、アンダースコートとは異なり、ツンのフリルは横方向よりも縦方向に付けられる場合が多い」という個所だ。確かにさっきの画像でもそうなっていた。フリルの趣味の時代的変遷だろうか?
Wikipedia英語版のballetの記事でバレエの歴史を振り返ると、拾い読みだが、次のような流れになっている。
まず、バレエの起源はルネサンス期の宮廷でのダンスにさかのぼる(ルイ14世も踊ったほどだ)。それが徐々に劇場で公演されるようになった。
17世紀の頃は、女性の衣装は重たい生地と膝丈のスカートで構成されていて、動きやしぐさを出すのが難しかった。しかし、これでは動きやジェスチャーに制限ができてしまう。これが18世紀になると、スカートは地面から数インチの高さになる。色はパステルカラーが主流となり、さまざまな飾りが華やかでフェミニンなスタイルを強調するようになる。現在踊られているバレエでは一番古いものがこの時代で、「ラ・シルフィード」「ジゼル」が知られる。以下は18世紀の絵画だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/49/MarieSalle.jpg
19世紀初頭には、身体にぴったりとフィットした衣装が用いられるようになる。具体的にはコルセットが導入され、身体のラインが見えるようになった。また、花冠、コサージュ、宝石などの小道具も導入された。クラシック・バレエでは「眠れる森の美女」「くるみ割り人形」「白鳥の湖」がよく知られる。次の画像では、少しスカートが短くなっているのが確認できる。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/72/Giselle_-Carlotta_Grisi_-1841_-2.jpg
そして20世紀、バレリーナのスカートは膝丈のチュチュとなった。正確なポワント(足の技)を披露するためである。舞台衣装の色も鮮やかに変わった。20世紀の作品としては、「牧神の午後」「春の祭典」が名高い。1910年の写真を貼る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Agrippina_Vaganova_-Esmeralda_1910.jpg
https://en.wikipedia.org/wiki/Ballet#/media/File:Grace_in_winter,_contemporary_ballet.jpg
画像をご覧いただければ、スカート丈がどんどん短くなっていくのがよくわかる。
さて、結論を述べよう。Wikipediaによれば、衣装が重いと細やかな表現ができないのと、脚を使ったテクニックを見せるようになったため、スカートが短くなったようである。
ちなみに、海賊というバレエでは、へそ出しの衣装も存在しているらしい。確かにbunkamuraに食事に行ったとき、バレエの衣装を展示していたが、そこにへそ出しファッションの衣装があったことを思い出した。バレエにしては大胆だと思った覚えがある。
ブックマークのコメントはありがたく読ませていただいており、不快だというお叱りも真摯に受け止めたく思っている。確かにパンツじゃないのにパンチラに見えてしまって欲情する人がいるってのは幾分デリケートな話題であり、増田ではないとやりづらい。また、どの程度ユーモアを交えて描くか匙加減も難しい。それを受けて、少し考えておきたい。
僕は割と美術鑑賞が好きで、ドガの作品も好きなのだが、その背景を知っていると、手放しで褒めることはできない。再びウィキペディアから引用しよう。日本語版からだ。
エドガー・ドガがバレエダンサーを描いていた頃、バレエダンサーは現在と違い地位の低い人が身を立てるためにやっていたため、バレエダンサーは蔑まれていた。主役以外のダンサーは薄給で生活しており、パトロン無しでは生活するのが困難だったとされる。パトロン達は当然男性が多く、女性ダンサーを娼婦の如く扱っていたと言われる。かくして、フランスのバレエ界から男性ダンサーはいなくなり、フランスのバレエは低俗化することになる。
もちろん、どんな事情があったとしても、弱い存在を表現しようとしたドガの作品の価値は損なわれない。しかし、僕は問わねばなるまい。スカートが短くなったのは、果たして本当にダンサーの意志だったのか、と。そして、女性が身体を見せるようになった流れの誕生は、観客も共犯だったのではないか。こうして性的好奇心を持ってしまう僕も、同じではないか。
もちろん、過去のことだからわからないことが多いし、究極的には真相は明らかにならないかもしれない。女性が美しい肢体を見せたいと思ったとしても、それは男性が主流だった時代の文化の中で育ったからそう思っただけなのかもしれず、どこまで本当に主体的に判断したかの判断は難しい。とはいえ、過去の人間が何を考えていたのか、それはどの程度自分だけの決断によって決められたことか、証拠が不十分なままでこちらが断定するのは越権行為だろう。
しかしながら、現代に生きる僕らは、自分が主体的にしていると思っている行動の多くも、無意識のうちに同時代の文化に支配されていることには、自覚的であることが求められるだろう。欲望の仕組みを知るとは、そういうことだ。読者諸氏も、自分のフェチの起源を考えてみると、きっと得るものがあると思う。
身体を使った表現と性の問題は扱いが厄介だ。ただでさえスポーツは厳しい師弟関係でパワハラになる危険があるうえに、新体操などの身体表現のあるスポーツでは、性暴力にまつわる訴訟は絶えない。
スポーツではないが、芸術と性も深い関係にある。どちらも人間の根源に根差しており、安易に善悪を論じることが困難だ。バレエも例外ではない。師弟の間で身体が親密に触れあい過ぎて恋愛関係になってしまう例がある。美しさへの憧れが恋愛感情や欲望と混同されることだってある。現に、男女だけでなく、ディアギレフとニジンスキ―の同性愛関係もよく知られている。こうしたことが、後から振り返ってみれば不適切な関係だった、師弟の力関係を利用していた性暴力だった、と判断されることにもなるかもしれない。とはいえ、これらは個々の具体例によって判断すべきだ。正直なところ手に余るし、多くの人の人生について書くことになる。ここでは語りつくせない。
今までこうした社会的な側面から女性のファッションの歴史に触れてこなかったのは、元々は衣装そのものの歴史を書きたかったのであり、社会の反応まで行くと本題がその中に埋もれてしまうことを恐れてのことだった。しかしながら、ドガが好きな自分としては、いい機会なのでここで一言断っておく必要がある、と感じた次第である。
何を好きになっていいし、対象にはどんな感情を抱いてもいいと思うけれど、歴史や経緯は知っておきたい。それが、芸術やスポーツに励む女性に性的な魅力を感じてしまう僕なりの折り合いのつけ方だ。そして、盗撮などの犯罪には断固反対する。
今回の調査では、見せパンの起源と推測される年代までは確認できた。しかし、細部は依然として明らかではないため、何らかの形で補完したい。
そこから、メイド服、またはロリータ服における、見られても恥ずかしくない下着について調べるかもしれない(知識がほぼないのでとんでもない誤解かもしれない)。または、キャバレーでのラインダンスやバニーガールについて、になるかもしれない。あるいは、再びブルマーに回帰するかもしれない。それは明日の気分次第だ。
とはいえ、しばらくは休みたい。自分の欲望やその起源について考えることは有意義であったし、文章化することで過度のブルマーへの執着やフェティシズムは手放すことができたからだ。一段落した感じがある。この言語化は妖怪に名前を付けて対処法を見つけたようなものだろうか。どろどろ、もやもやした不可解なブルマーに対する欲望が、知的なものとして把握できるようになった。
つまり、増田に欲望を垂れ流すことで、落ち着くことができた。知識が増えて勉強になったという肯定的な意見、ねちっこく不快だという否定的な意見、どちらも自分の姿を客観的に見せてくれた。すべての意見に対して、ここに感謝の言葉を述べたい。
ttps://en.wikipedia.org/wiki/Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando#/media/File:Edgar_Degas,_Miss_La_La_at_the_Cirque_Fernando,_1879.jpg
ウィズコロナ時代は、外出時にはマスクをするのが自然な風景となりつつある。
衛生用品としては汚れの分かりやすい白、水色などの明るい色が好ましいのだが、
おしゃれな人は、他の色や柄のついたマスクをし始めている。
全身コーディネートで上手く揃えているのに、顔だけ白マスクというのは本当にダサい。
基本はトップスと同じ柄のマスクをするか、同系統の色にするのが簡単であるが、
さりげなく際立たせるためにレースやフリルを多用するのもよい。
実際にレース生地のマスクは既に売られているし、街中でもときどき見かける。
ところで、マスクの着用状況を注意深く観察すると、
鼻の穴を覆わなかったり、口も鼻も覆わないであごだけを覆う人がときどき居る。
要はマスクらしきものをそれっぽく着用していれば、本来の機能が無くても構わないと考える人が現れてきたのだ。
この流れが加速すると、近い将来、被覆面積を最小化したマスクが登場するかもしれない。
ほとんど紐だけのTバッグや、乳首だけ隠すほとんど紐なブラがあるように、口と鼻だけを小さく隠すマスクがでてきてもおかしくない。
初めてスケートリンクに遊びに行ったとき、普通にスケート教室がリンクの中央で開催していた。そこで自分と同世代の女の子たちが、きれいに足を上げて滑っていたのだけれども、いつものようなパンチラとは違って普通にお尻の曲線をずっと眺めていることができてしまって、僕は滑るどころではなかった。
性に目覚めたころ、こんな目で女の子を見ちゃいけないと思ってはいたのに、自分ではどうしようもないほど強力な衝動に襲われていて、自分が自分でなくなってしまいそうで本当に怖かったし、初めての射精のときも呆然として、それから怖くなって涙が出てきた。男性だって、性の目覚めってのは怖いものだということは、広く知られていい。今となっては、とてつもなく図太くなってしまったが。
ところで、フィギュアスケートだ。その名の通り、元々は氷上に図形を描くスポーツであったのだが、その優美さと技を競うものになっている。氷の上を滑る技術そのものは非常に古く、スケート靴も先史時代にさかのぼるという。
で、そのスケートが競技になって以来、女性たちはどうやってパンツが見えることを防いできたのか。今のようなレオタード以前はどうであったのか。調べてみると驚きの結果が出た。なんと、戦前にさかのぼる見せパンが発見された。以下はその資料である。
1928年、ドイツのEllen Brockhöftによる滑走。
https://www.liveabout.com/illustrated-history-of-figure-skating-clothes-1283059
1948年、Barbara Ann Scottのクラシックなスケートスカート。ミニスカートになっているのは、戦時中の繊維不足のためだと書いてある。にわかには信じがたいが、これ以来スケートのスカートが極端に短くなったのだという。
また、同資料では、スカートがどのようなフリル付きレオタードに移っていったかの写真が掲載されている。
こちらの資料でも、繊維の不足がミニスカート化を加速させたと書いている。
同じくBarbara Ann Scott、1948年のオリンピックである。
同じく1948年、アメリカのGretchen Merrill。興味深いのがベルトを身に着けていることだ。当時ではフィギュアスケートのアクセサリーとして使用されていたが、60年代から70年代のワンピース型の衣装の普及とともに廃れたとのこと。しかし、ベルトを着けていると、なんだかますます見てはいけないもの(パンツ)を見ている気がする。
ちなみに、プロの選手が練習時に着用する、真っ黒な長袖長ズボンみたいなの実は好き。とはいえ、ジーンズにワイシャツのかわいい女性が好きというのと同じで、元々かわいくないと似合わないんだよ、とツッコミを入れられてしまいそうな話ではある。
スポーツジムで、体操の選手のレオタードを中継しているのをみたことがあるのだが、なんだかエッチな気持ちになるのが申し訳ないくらい、辛そうだった。手足は傷だらけだし、表情は真剣そのものだ。それでも、魅力的に感じてしまうことに、我ながら困惑する。おそらく、頭の中で「好き」「かっこいい」「エッチ」の感情を処理するユニットが近いので、混線しているのだと思う。
言い訳はさておき。以前にも書いたが、レオタードは元来レオタールという男性曲芸師が全身にフィットした衣装を身に着けていたことに由来する。もともと男性のものだったのだ。しかし、その機能性が注目され、女性のものとして利用されるようになった。
とはいえ、当時のことだからいきなり今のようなハイレグ水着みたいな形になったわけではない。当然、紆余曲折があった。
http://www.olympicleotards.com/leotard-history/
上記の資料によれば、1908年代に女性向けレオタードと称していたのはドレス状のものである。初期の女性の水着がドレスみたいで、体型を一切見せないものだったのにも似ている。
1948年に今のような形になっているが、ハイレグではない。せいぜい提灯ブルマー程度しか足を見せない。
今のようなハイレグとなったのは、60年代以降だ。1976年、ナディア・コマネチはビートたけしのギャグでも知られているが、ここまでくると広くハイレグが使われていたようだ。
おそらく女子バレーでブルマーが使われだしたのはこのころだし、これが日本でのショーツ型ブルマー導入の遠因になっている気がする。
https://www.elle.com/fashion/a37371/evolution-of-gymnastics-leotard/
それ以降、基本的にレオタードはハイレグだが、時代によって模様にもはやりすたりがある。概略を示すと、無地→愛国的デザイン→キラキラした素材、といった具合になるようだ、使用されている繊維の質も違う。
なんとなくブルマーの本場というか総本山のイメージが女子陸上や、女子マラソンにはある。とはいえ、選手によっては普通の短パンだし、中には宗教上の理由から全身を覆う例もある。普通にかわいいと思うし、よく似合うと思う。イスラーム世界はおしゃれとは無縁だと勝手に思っている人もいるらしいけれども、ヒジャブだとかチャドルだとかはいろんな色や巻き方があるし、僕らには見えないけどもその下はきれいにお化粧している。いろんなファッションでスポーツをやる人がいてしかるべきだし、それを決めるのは選手だろう。
で、話を女子陸上に戻すけれども、ここで特筆すべきなのはへそ出しというか、もうほとんどビキニみたいな恰好の選手。腹筋がめちゃくちゃかっこよくて、おかげで腹筋萌えにまで目覚めてしまったのだけれども、昔はそんな恰好をする選手はいなかった。
https://www.elle.com.au/news/summer-olympics-fashion-history-9896
こういう写真の資料をみていると、セパレート化の流れは90年代にはじまり、それがだんだん過激になって軽いへそ出しからただのスポブラになって行ったんじゃないかと思われる。
ちなみに、これはテニスだがスポブラと短パン姿だ。https://www.pinterest.jp/pin/494833077788864848/
また、ブルマーらしく裾が短くなっていくのは、やはり40年代から見られる。
ところで、以前リンクを貼ったバレーボールの記事について調べると、ブルマーの別名として「bun huggers」というのもあるらしい。英語のをウィキペディアの「shorts」の項目にも載っていた(数か月前はここまで細かく書いていなかったのに)。また、ほとんどショーツ型のbun huggersが2000年代中盤から、ショートパンツ型の「boy shorts」に置き換わった、とある。やはり、いろいろな揺り戻しがあるのだろう。現に、バレーボールでショーツ型ブルマーが導入されてからも、90年代以降に(?)使用が中断された。また時間があるときに、これらの用語からも陸上ブルマーの歴史について再検討したい。
しかし、英語で調べたのだが、残念ながら陸上ブルマーの単体の歴史変遷についてまとめている記事は見たらなかった。オリンピックの選手は大まかにこんな服装でした、という写真を並べただけで、細かい情報はあまり載っていない。上記の記事はいちおう公的なメディアなのでそういう扱いはよろしくないとされるのだろうが、調べている個人が見当たらないのは不思議である。探し方がまずいのかもしれないので、「bun huggers」などの用語で再検索するかもしれない。
いらすとやさんに「量産型オタク」のいらすとがとうとう上げられた。
https://www.irasutoya.com/2020/08/blog-post_978.html
はてなのおじさん達にはなじみのない言葉だろう。自分もつい最近聞いた。簡単に意味を説明する。初めに述べておくと増田自身はジャニオタでも何でもない二次元好きの女なので、まとめサイト並のざっくりな説明しかしないし、細かいところ見当違いの可能性もある点はご容赦ください。
(参考: https://www.lafary.net/culture/54148/
https://meaning-book.com/blog/20190503165535.html)
「量産型オタク」という言葉は、ジャニーズをはじめとするイケメンアイドルなどの「現場」へ行くオタク(便宜上、以下ジャニオタとする)界隈で生まれた用語であり、正確に言うとすれば「量産型ジャニーズオタク」である。彼女たちの間では単に「量産型」と言うことが多い。
ジャニオタ本人たちが、自分たちによくある格好を指して「量産型オタクファッション/メイク」と呼んでいるのである。特に強い侮蔑の意味はなく、若干の自虐も入った自称であることが多いように思う。
ジャニオタでない女性YouTuberが、それを真似したメイク動画などが最近よく上がっている。自分の知識の出典は主にそこである。(https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%87%8F%E7%94%A3%E5%9E%8B)
AKBなどの女子アイドルオタクの男の典型的ファッションとして、「チェックシャツ、バンダナ、ペンライト」といった格好が共有されていると思う。これと同様にジャニオタなどに見られる典型的ファッションとして、「フリルやリボンなどのガーリーな恰好、ピンクっぽい独特のメイク、巻き髪、ペンライトにうちわ」といった共通イメージが彼女たちの間で共有されている。
特に女性は周りと同じ格好であると安心する傾向にあるため、本当にびっくりするくらいそっくりな格好をしているらしい。
彼女たち御用達のブランドもいくつかあるらしく、自分はそんなに詳しくないのだが、 一般人にも知名度があるのは「axes femme」や「Ank Rouge」あたりだろうか。 (8/30追記 ブランドについては恐らく大きく誤りの可能性が高いため削除します。失礼しました。)
また、関連した言葉として「地雷女」がある。対のような言葉として扱われることが多い。「(オタク友達として付き合うには)地雷(な性格のことが多い)女(がよくしているファッション/メイク)」のことであり、これもイメージが彼女たちの中で共有されている。いらすとやさんのイラストも上がっている。
https://www.irasutoya.com/2020/06/blog-post_133.html
このイラストのようにメンヘラっぽい濃いメイクに黒っぽいフリフリファッションのことを指すらしい。
増田自身は両者のニュアンスの違いはあまりよく分かっていない。申し訳ない。マイメロが好きそうなのが「量産型」で、クロミちゃんが好きそうなのが「地雷」だとざっくり認識している。
最後に重ねて述べるが増田自身はジャニオタでも何でもない門外漢のため、細かいところ見当違いの可能性もあるためご容赦ください。ジャニオタ増田も若干名いると思うので、違ったら訂正してください。
「量産型オタク」のミームは、今はアイドルオタクを中心とした若い女子たちの間だけで流行っている概念だが、いらすとやで取り上げられたように今後もうちょっと広く広まり、めざましテレビで特集される日も近いかもしれない。
大学時代からの知人男性の中に、ここ数年恋人を欲し続けている人物がいる。彼は今まで女性とは凡そかけ離れた環境に身を置いており、ここ15年くらいは「男子校生活」と言って差し支えないだろう。そんな状態では仕方ないかもしれないが、所謂「彼女いない歴=年齢」の一人だ。
彼の学歴は世間一般から見ると申し分なく(歯切れが悪いのは彼と私は同じ大学出身だからだ)、収入も良く、職種的に将来性も高い。敢えて言うなら外見が垢抜けず、人間関係に奥手であるのが恋愛市場的には短所と言える。とはいえ性格に難があるわけでもなく、友人の立場から見るとそう悪い物件とは思えない。本人もアプリなどで恋活に励んでいるようだ。
しかしどうしてかな、彼には一向に彼女が出来る様子が見えなかった。お互いもうアラサー。出会いを求めても上手くいかず、次第に元気をなくしていく彼を見るのが心苦しくなり、異性からのアドバイスがせめてもの参考になればと話を聞いてみることにした。
そこでわかったのが、多少意地の悪い言い方になるが、彼が「周りに異性がいないあまり、自分の『身の程』をはかりかねている」ということだった。
彼の理想の相手。それは「可愛くて、優しくて、教養があって価値観が合う、努力を惜しまなない人」だという。この場合の「可愛さ」の定義について、てっきり私は「自分を好きになってくれる」とか「愛嬌がある」とかそういう話だと思っていた。しかし聞いてみると、「顔が自分の好きなコスプレイヤーと同じタイプで、肌や髪の手入れが行き届いていて、おしゃれ」というのが、彼の「可愛い」の詳細らしい。ここ数年ミュートしていた彼のTwitterアカウントを覗くと、女性アイドルやコスプレイヤーのポートレートや自撮りのRTで埋め尽くされていた。
さて、彼のスペックについて、先程「外見は垢抜けない」と書いた。清潔感が全くないという訳では無いが、簡単に言ってしまえば「量産型のオタク」といった風貌だ。身体は全く鍛えておらず、何より姿勢が悪い。服装についても、最後に服を買ったのは3年前だそうだ(品質が高いから物持ちがいい、という訳でもなさそうだ)。彼はいつ見ても白の長袖シャツに黒いパンツを履いている。どこに行くにも、仕事用のバックパックを背負っている。聞いてみると、アプリを使って出会う時も同じ格好だそうだ。
こんな言い方をしてしまうと身も蓋もないのだが、同じ社会階層の「彼の思う可愛い子」に、相手にされるような人物ではないのだ。可能性はゼロではないが、限りなくゼロに近いだろう。
しかし彼はそれに気がついていない。可愛い子には振られ、自分のお眼鏡にかなわなかった女性とは距離を置いてきたようだ。そこまで理想が高いなら確かに、彼女が出来る気配がないのにも頷ける。しかし彼は「自分の理想が高い」ということにすら自覚がなく、何故上手くいかないのかと心を病んでいた。
彼が今こうなっている理由の最たるものは、恐らく「ほぼ男子しかいない環境」にあったのではないかと私は分析している。周りに数組カップルが出来るほど男女が入り交じった生活を送っていれば、「こういう男子とこういう女子がくっつく」という肌感が身についてくる。勿論本音を言ってしまえば、美少女と交際したくない男子はいないし、イケメンと交際したくない女子もまず居ないだろう。しかしそんな「突き詰めて言えば」を実行する人間は少ない。現実が見えているからだ。とても嫌味な言い方だが、「自分が交際するならこれくらいのレベル」という「身の程」は、バリエーションがある複数の異性と交流のあるコミュニティに属さないと気が付かないものなのかもしれない。そこに「自分に近いレベルの学歴」というフィルターがかかるならなおさらだ。
一方彼は、そもそも「女子のバリエーション」を知らない。普段の彼の目に入る女子は、SNSを通じて目に入ってくる「可愛い子」とアニメキャラだけだ。だからその基準に達していない女子は、一般的には普通のレベルであっても、彼目線からすれば「普通未満」になってしまう。どんな男性が恋愛強者なのかもイメージがつかないから、「可愛い」が高望みであることにも気がつけない。異性に対する幻想は凝り固まっていき、アラサーになっても彼は「色白黒髪フリルの可愛い若い女性」が好きなのだ。
おそらく彼がその感覚を身につけるには、荒療治ではあるが、多様な女子がいる環境に放り込むのがてっとり早いのだろうが、忙しい社会人のオタク(主なジャンルは男性向けアニメ)に適したそんなコミュニティを私は知らない。上から目線だとは承知の上、他に方法はないかぼんやり考え込んでしまう。
【追記】
ブクマコメでは結婚相談所を勧める声が多いし、確かに私も「彼の需要が高い」のは恋活事情より婚活市場だと思う。
彼は彼で、年齢的にも真面目な性格的にも結婚を意識はしている。しかしあくまでしたいのは「恋愛」だそうだ。勉強や就活で失った(と本人が思っている)青春を取り戻したいのだと思う。
そうは言っても個人的には彼の言う「可愛くて若い子」ほど交際相手を総合評価(外見、女性経験なども含め)で見ていると思っており、やはり彼に勝算はないと思ってしまう。実際に「高収入非モテと低収入イケメン、どっちと付き合いたいか」が逆転するのは30代というアンケートも見かけた。彼を好きになる女性と彼が好きになる女性が、悲しくなるほど噛み合っていない。
現状に満足するように(彼女がいなくても満ち足りるように)促すのが吉なのかもしれない。もしその「諦め」がついた男性がいたら、そのコツなどもお聞きしたいところだ。
アイドルマスターシンデレラガールズ(モバマス、デレステ)の喜多見柚Pにレイプされたから喜多見のこと嫌いなんだよね
レイプされた当時はまだモバマスも始まっていない頃のことだけど今でも恨んでる
ふとした拍子にそいつのTwitterを見つけて、喜多見Pになっていて、それ以来喜多見が嫌い
モバマスもデレステも遊んだことがあるけど喜多見クズが出てくるときはやらないしカード引いたらレアリティがどうあれ捨てていた
名前以外どんな子かは知らん フリルドスクエアもユニット名は知ってるけど積極的に無視してた
なんちゃらいう名前の長い喜多見クズのCVの声優さんのことも遠ざけている
やってみたいゲームがあったけど調べたらその声優さんがキャストに入っていたからやっていない