はてなキーワード: あら煮とは
酒と飯が人生の喜びで全然いいと思う。財布にやさしい料理のうまい良い店が行動範囲にあるかないかで幸せ感が全然違う。
今時だと日本酒とか焼酎の新酒がいっぱい出てくるころだし、昔は買えなかった珍しいお酒も通販で買える。
良い魚はいったよ!って大将に声かけてもらえるような角打ちが通勤経路にあれば最高だ。キトキトの魚がなくても普通に出汁巻でもいいし、浅漬けでもいい。
純米のぬる燗でもつ煮とか最高だ。魚のあら煮つけとかで鯛の子とかイサキの子とかああいうのも最高だ。
そろそろちりめんじゃこの季節だし、めかぶの季節だし、いかなごの季節もすぐに来る。熊本産じゃないかもしれないけどあさりの酒蒸しなんかも良い。
プリン体はやばいかもしれないけど、大体記憶なくすほど酔わないし、純米のぬる燗をいい肴でちびちびやってたら酔い覚めも良い。
私はパンティーが大好きだ。
日替わり弁当が毎日パンティーの煮付けならいいのに…パンティー弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
数あるパンティー料理の中で一番おいしいものがなにかわかるか。
それは「パンティーのあら煮」であるとパンティー論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
衣服というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えばフリルなんて食える衣服あるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、フリル・ジッパー・タグ(をすいた身)、衣服によっては腰周りなどゴムが多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれパンティーの場合はあら煮になる。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めでタイツ」のタイツもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんパンティーの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならパンティーはおいしいからだ。
しかしあら煮とパンティーの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。ガードルは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにパンティーのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでパンティーの切り身を煮付けたいね。
パンティー大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとパンティーの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにパンティーの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。
私はブリが大好きだ。
日替わり弁当が毎日ブリの煮付けならいいのに…ブリ弁当がないのは近くの弁当屋の早く修正すべきバグである。
それは「ブリのあら煮」であるとブリ論者(私)から結論が出されている。
まずあら煮とはなにか。
魚というのは捌く課程で「食すのに向いてねぇなゴミが!」っていう部分がでてくる。
例えば頭なんて食える魚もあるけど大体は「ゴミが!」と捨てられる部分である。可食部が少ないのだ。
大体、頭・血合い・腹骨(をすいた身)、魚によってはヒレ周りなど骨が多かったり、エグミがあったら、とにかく「刺し身ではまず食わねぇ」ってところはあらと呼ばれブリの場合はあら煮になる。
ぶりの場合はなぜそうなるか。
骨が大きく、小骨が少なく、味も良い。
おまえらが好きな「めで鯛」のタイもあら煮になることもあるがそんなものとは大違いの可食部の多さだ。
なぜあら煮がおいしいのか。
もちろんブリの切り身でつくる煮付けもおいしい。なぜならブリはおいしいからだ。
しかしあら煮とブリの切り身の煮付けの違いは骨が入っているということである。
だし(うまあじせいぶん)というのは鶏ガラだとかとんこつや煮干しを想像してもらえば分かる通り骨から出る。カツオは別だ。あいつはすげーよ。あの時は死にかけていた俺も…いやこの話はまた今度だ。
つまり煮付けたタレにブリのうまテイスト成分がガッチリと凝縮される。
神様にゆるされるなら俺はあら煮でつくったタレでブリの切り身を煮付けたいね。
ぶり大根なんて料理あるだろ。あれも切り身だけで作るのとあらを入れたものでつくるので天と地ほどの…いやそれだとブリの切り身に実力がないみたいな話になっちゃうから天と高層ビル最上階ほどの違いがある。
しかしこんなあら煮なんて可食部が少なかったらされなかった料理なのだ。
神様はあら煮を皆に振る舞うためにブリの体構造を作ったんだね。
毎日祈ろう。