はてなキーワード: ファンサービスとは
※ ネタバレはしていないつもりです。
※ BL要素はありません。
知り合いの女性(刀ミュオタク)から、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。
彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優のリリースイベントやバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋のオタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケットの争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元・愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通の女友達B、Cにも声をかけていた。)
最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったからなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。
私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優のラジオ(DGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメはほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近はヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞もサービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較的少年系の刀が好きだったので、蛍丸や獅子王を最後までメインの編成に入れていた。
しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作のミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスのプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。
今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死で背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老の紳士を発見した。心から安堵した。私には彼が救世主(メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険の時間であった。ワンピースの正体が初老の紳士だったらウケるだろうな。
多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。
私は音楽が好きでライブやフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸のラバーストラップをカバンにつけながら、そんなことを思った。
到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子の缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。
B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツの覇権っぷりを身に染みて感じた。
席は通路側から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトやうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作の指南を受けながら、スタンダードな青色を初期配置として記憶させた。
またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像や動画の視聴を勧められていた。男性が男性を推すというのは恐らくややイレギュラーなことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。
1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことなく女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態の鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。
これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケは簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交のボケに対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミはサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトークで判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物と積極的にコミュニケーションを取り、相手を尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレの動画がシンプルに参考になった。)
もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的・少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。
ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿や仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的なバンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)
そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。
私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性の存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。
照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)
ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケも普通に笑える。
そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレの動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。
逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家のゲームで出てきた今剣のイメージとほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋に大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。
しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央のステージでもダンスが始まった。
先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナスの資質をいっきにプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。
踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。
ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービス(ファンサ)というらしい。私は自分の推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)
通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのときの感情に最も近いものは、恋だ。
理由は説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分の推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。
終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスをもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。
終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔なオタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。
帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。
Fear, and Loathing in Las VegasというバンドのMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器はちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。
Soil&”PIMP”Sessionsというバンドの社長というメンバーがいる。紅白のとき、椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター(煽動者)”。悪趣味なマフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバーの演奏をのぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割を必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。
私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。
私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから、役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンのライブへ足を運んでいる。
大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。
鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。
私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。
正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。
だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。
さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。
スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。
そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。
エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリーや世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。
エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。
そして今回の最新三部作。
これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。
エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。
というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。
勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。
しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。
そしてエピソード8。
開始時点では私も戸惑った。
しかしアナキンの三部作をスターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。
確かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本のアニメーションのような描写も見受けられた。
しかしアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術の進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズそのもののように感じられたのだ。
英雄には相応しくない孤独な人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。
多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。
しかし、なんと言えばいいのだろうか。
私にはまるで人間がフォースの奴隷になってしまったかのように感じられた。
主人公はいるものの、群像劇の様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。
しかしファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。
実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。
しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。
私はあの映画のレトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。
好きなはずの両シリーズ。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
みんな思ったでしょ。
いや別にだから悪いってことではないんだけど、安易に気持ちの問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)
ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写が曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。
少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。
まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。
しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本、アニメ、映画を欠かさず見ているのだろう。
キャラを大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときはちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。
たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像はテンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?
とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本に文句はない。
個性譲渡、別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)
めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ。
特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオールの奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?
余談だが、私は海外のグロやバトルものの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。
馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。
なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響を意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。
それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。
私は、そこで完全に映画からリアルの世界に戻ってきてしまった。
(ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムやAKIRAや攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)
少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?
起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。
見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンなキャラパワーアップに違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。
映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。
本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画の世界と融合できなかった。非常に残念だ。
私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。
とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。
もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。
ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去の描写や共闘も原作の延長として受け止めることができた)
大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか
パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生が原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオールの譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)
やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これからも応援を続けたい。
(なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。
その作品の感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか。
もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファンは大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメも体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者は調教済みだった。
何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘の表現のパターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。
ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズを意識して見た初めての作品だ。デビューはハガレンだ)
本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixでひそねとまそたんを見たい
最高だ。原作やアニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことなく活躍する。各々の連携や委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。
キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。
尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)
青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン大歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。
(この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)
(無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人を排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。
「君はヒーローになれる」
私は、今まで「良いファン」になれたことが一度もありません。今後もなれそうにありません。
何を好きになっても良いファンになれなくて、対象に申し訳ない。
ずっとそう思ってきたけれど、そう思いながら応援するのに疲れてきていて、今の気持ちをどこかに吐き出したくて、ここを使います。
私は、ヴィジュアル系バンド、男性アイドル、女性アイドル、舞台俳優、ニコニコ動画の投稿者、YouTuber、二次元のキャラクターを好きでいますが、全く良いファンになれません。
まず大してお金を使いません。よく見かけるような痛バ等を作ることに関心が無く、チェキやブロマイドや写真集の類しか買わないのです。
イベントやライブも不定休の昼職では日程が上手く合っても半通程度しか行けません。
更に、行ったイベントやライブもあまり楽しそうに振る舞えません。
そもそもノリが悪いのです。私の行くヴィジュアル系バンドでは前に体当たりをしに行くノリがありますが、絶対に行けないので、邪魔にならない後ろでしか参戦できません。
また、ファンサ、レス、営業というものが嫌なのです。当然接触イベントは参加できませんので、握手会では握手する前に帰り、チェキ撮影は撮影する前に帰り、お渡し会では渡される前に帰ります。
キャストの方々のお見送りがある舞台では、上演後、退場アナウンス前にお手洗いに行って、そのままお見送りをされずに帰ったこともありました。あの時のスタッフさんには大変申し訳なかったと思っています。
ファンサービスが、こちらの喜ぶ顔が見たくてやっていたとしても、金になるファンを釣りたくてやっていたとしても、最高に興醒めな反応しか返すことができません。
布教もしません。良さを分かってもらい同士が増える楽しみよりも、相手の地雷を踏む恐ろしさが勝ります。同時に、対象がメジャーでも、自分の好きになるポイントがマイナーなので、好きなポイントを分かってもらえると思っていないのかもしれません。
私は、大して金も使わず現場にも行かず、ノリは悪く布教もしないのに、文句ばかりは一丁前です。
今回の衣装はダサいし安っぽい、歌割りやMVで抜かれる回数に偏りがある、会場のキャパが合っていない、事務所の後輩や他のチームの方がお金をつぎ込んでもらっている。SNSやアンケートで言うことはありませんが、新しい発表される度、頭をよぎるのは文句ばかりです。
最近太った、ライブでこの曲をやると毎回リズムが走りすぎている、この曲の間奏のダンスで手を抜きがちなのをやめて欲しい、似合わない役をやらないで欲しい。
ファンレターやリプライでは大絶賛しながら、心中穏やかではありません。
もっと極端に、ある化粧品やアパレルブランドのプロデュースやコラボが発表されたときは、本業は音楽であって、あれだけライブでミスをするのになんでそんなものにかまけていられるのだろうと思ってしまったこともありました。それでも評判が悪ければ悲しむだろうと思い買いましたが。
全肯定するファンが偉い訳でも、良いファンな訳でもないのかもしれません。
でも、対象を全肯定できるファンの方が、ファン本人の精神衛生だって良好なのではないかと思うのです。
本当は、良いファンになれなくて申し訳ないなんて思いながらファンを続ける必要などないのです。
しかし、「あの時の誰々がとても格好よかった」「あのコンサートが信じられない位楽しかった」と思い出すと、やめることが出来ません。
お金も使わず参戦数も少ないけれど一回一回の発表に一喜一憂していた時は本当に楽しかった。
次の新曲や現場が、あの時の楽しさを甦らせてくれるかもしれないません。
惰性で通ってた時期があった、という話は耳にしますが、これは惰性ではなく未練だと思います。
そもそも並行していくつもの沼に浸かっているから、手が回らなくてこんな思いになるのかもしれませんが、もう何のファンにもなりたくないとずっと思っています。
でもお前が「嵐の曲わかる?」っていわれるとA・RA・SHI(You are my soul soulっていう曲)しかでてこないだろ。「感謝カンゲキ雨嵐」っていわれてフレーズ頭に浮かぶか?嵐ファン以外は多分それしかしらないわけ。
SMAPの曲は?っていわれたら、「世界に一つだけの花」が多数だろうけど、「らいおんハート」「夜空ノムコウ」ぐらいはくる。
単純に人の良さだとか、ファンサービスだとか、そういうのが受けたんだとおもうよ。
多分、上7組は音楽がやっぱメインだった。でもアイドルに必要なのは音楽じゃなかったんだろうな。AKBだって音楽の良し悪しよりも会いに行けるとかファン投票で盛り上がってんだから。
この番組で少しでも 新たな町の魅力を感じ入ることができたら幸いです
ガイドブックだけでは分からない景色が そこにはメイビーあるかも
この番組は
綴ろう、モノの思い出「Huyo」
「なんだこりゃ」
番組が終わったあと、俺は開口一番そう漏らした。
いつも観ているアニメが放送していなかったので、仕方なく消去法でこの番組を観ていた。
すると自分たちがシケた映像と共に映っていたんだから「なんだこりゃ」と言うしかない。
「お前、もう少しマトモなとこ紹介してやれよ。撮れ高のないものを何とか面白くしようという、努力の跡しか見えないぞ」
一緒に観ていた兄貴が、内容がビミョーなのを俺のせいにしてくる。
そんなこと言われても、あれが番組だったなんて知らなかったし、俺たちはあっちの要望に出来る限り答えただけだ。
それに放送してはいないけど、他にも面白い場所はたくさん紹介した。
「布教活動する名物キャラの教祖とか、イケイケのお立ち台でファンサービスをする魔法少女とか、シロクロの家で未来のアイテムを使ってドデカい花火を打ち上げたり色々あったのに」
「まあ番組の趣旨と違うからだろうな。新興宗教を民放で気軽に流すのはアレだし、魔法少女はスポンサー契約してない」
「花火は?」
「何かコンプライアンス的な感じじゃねーの? 或いはSF的な都合」
「というかお前ら、いつも以上に好き勝手やってたな。いちいちディレクターのオッサンにケチつけるし、傍から見るとクソガキっぷりが五割増し」
「だって、あのオッサンがアレコレ注文つけてくるんだもん。あーでもない、こーでもないって」
「そうかあ? そこまでクドいようには見えないが」
「放送だとそこまでじゃないけど、実際はもっとウザかったんだよ!」
「さすがに自意識過剰だろ」
この番組に出たのは二度目で、最初の内はテレビに出ることを喜んでいた。
だけど、これじゃあ素直に喜べないというか、むしろ嫌だ。
兄貴がこういうのに映りたがらない理由が、今は少しだけ分かる。
「あ~あ、最近できた信号機なんて、ドラマティックな話までしたのにバッサリいかれてたなあ」
「それは単に見所がなかっただけだろ」
初報、京アニの第一スタジオで爆発があったというところで被害状況がどんなものかもわからないうちに炎上大喜利開始。
ここでヤマカンこと山本寛氏の名前がトレンドに上がってきた。ヤマカンが犯人じゃないかという不謹慎な憶測。言っていい冗談とそうじゃないのがあるのかもわからないことに呆れた。
その後、被害の深刻さがわかってくると、京アニはこんな素晴らしい制作会社だとバズ狙いの無断転載。
報道がこの件だらけになってくると「またアニメオタクが差別される」という自意識過剰。そんなこと言ってる場合か?
ニュースで「アニメ」の単語が扱われるだけでいつもバカにされる、差別されると心配して先回りでマスコミ叩く奴ら。そういうとこだよ。
時間が経って被害状況がはっきりしてくると、公式発表されたわけでもない京アニ所属のスタッフの方へお悔やみツイート。見ず知らずの人間達から死んだことにされて、祈るような気持ちで安否がわかるのを待っている家族や関わりある人たちがどんな気持ちになるか想像できないのか?
ブログやツイッターが途絶えた声優たちへの「心配だから何かツイートして」の声。それくらい慮れよ。ブログやツイッターなんてファンサービスの一環なんだからこんな時にまで要求するなよ。
はじめに、この感想はBTSをほとんど知らない人間が、印象だけで書いた感想であるので、事実とは異なる部分も多くあると思うし、
アーミーのみなさまには不愉快な部分もあるかもしれないことをはじめに謝罪しておきます。
しかし、私自身はとってもたのしい時間を過ごせたので、せっかくだから書き残したいなと思う。
ひょんなことからBTSのコンサートチケットを手に入れた。私はほとんどテレビも見ないので、BTSの曲もメンバーも知らない。
もともと、ロックバンドのライブやフェスには足を運ぶ方であり、知らないバンドの演奏を聴いたりするのが好き(それをきっかけに新しい出会いがあるため)なので、軽率に行くことを決めてしまったが、そんな、メンバーすらあやふやな私よりも、コンサートに行きたくて涙を飲んだ人の方が、チケットの行く先はふさわしかったに違いない。ファンの人には一抹の申し訳なさを感じたが、個人的にはそんな遠慮よりも好奇心が勝ってしまった。アーミーのみなさま、許してほしい。
いちおう予習はした。曲はけっこう好みだったので、ハマったし、いちおうコールも少し覚えた。
ただ、バタバタしてて、メンバーの顔と名前を一致させるのは間に合わなかった……。
・音楽番組と違って、長丁場となるコンサート。ずいぶんといろいろな発見があった。
メンバーの体力や集中力の差は如実に現れる。しかし、それがマイナスなのかというと、そうではないことを知った。
少し集中力が切れてきたメンバーに、余裕のあるメンバーが絡みに行って見せ場を作ってあげたような場面もあった。
なにより、そういう現場の苦悩を知ったことによって、ぐっと彼らの人間的魅力が増したように私は感じた。
・ずば抜けてパフォーマンスが目を引いたのは、ナムジュンとジミン。
この二人は、自分のやりたい表現と方向性と、周囲の求めるものがほぼ一致に近いのではないだろうか。両者ともに、パフォーマンスに隙がない。
コンサートの後半までパフォーマンスが決まり続けていたのはこの二人だったな。
・ナムジュンは、ラップもダンスも、どこを切り取ってもキメてくる感じだ。精神的にも、体力的にも余裕がある。
かといって、前に前に出てくるというよりかは、きちんと周囲を見ているように見えた。ファンサービスも旺盛。
予習の段階ではそこまで注目していなかったが、今回一番好印象だった。能力が高いことで他のメンバーを気後れさせてしまう可能性さえも、考慮しているかのような賢さを感じた。
MCでも、日本語と英語、韓国語を堪能に混ぜていたのがすごい。"雨 EDITION"という表現に、彼の語学センスの高さを感じた。英語表現に引っ張られていたら、形容詞的に「雨の」 EDITIONといってもおかしくないところを、日本語センスでうまく名詞を形容詞化してとっさに喋れるのがすごいと思った。後から調べたら、この人はIQが高いそうですね。
とにかくシンプルにかっこよかったし、ずっと目で追ってしまう力強さがあった。
・ジミンは、ソロの曲の時に「えぐいダンスうまいやつがおるぞ」と思って注目していた。
バラードの曲の時、ずっとその曲の世界観の顔になってたもん。美意識とプロ意識の高さを感じた。とにかくダンスが上手い、いいものを見せてもらったという感じ。
・その他のメンバーで印象に残ったのはJ HOPEことホソク。
彼はずっとにこにことしていて柔らかい雰囲気。門外漢から見てもわかる、絶対に必要なメンバー。
あの余裕のあって安心感のある顔を、しっかり自分の役割として自覚し、振舞うことができるのは強い。
見ている側も、安心するし、きっとメンバーにとってもそういう人なのかな、と想像した。
・世界一かっこいい顔に選ばれたらしいVことテテ。この子に関して私はどう評価したらいいのか、とても慎重に言葉を選ばねばならない。語弊を生みかねないのを承知で、素直な感想を書けば、
体力や集中力のあるメンバーと対比的に、ムラがあった。バラードの曲の表情の作り込みも、ジミンと比べたらあまりに素直すぎる。しかし先にも書いた通り、それが彼の魅力にもなりうるポイントである。彼の天然っぽいMCで私は、彼はこういう不思議なバランスで、自然でいることを隠さないことで、スターになっているのだとわかった。
隙のなさすぎる人に、果たして魅力を感じるだろうか。うっかりすれば高嶺の花のような偶像になりかねないほどの美しすぎる顔を持つ彼が、一人の人間として受け入れられることは相当にすごいことだ。テテはもっとも刹那的なバランス感を持っており、ほんとうに、「今しか見れない魅力」に溢れたメンバーだと思った。
・もっとも苦悩して見えたのはユンギちゃん。。。この人は、自分のやりたい表現と、自分のできる表現の間にギャップを感じているように見えた(妄想です)。しかしそう思ったのは、彼のパフォーマンスから努力の跡がにじんでにじんでしょうがなかったからだ。表情の真意は、ファンですらない私には読み取れなかったが、ジミンが自身の美意識をある程度形にできる段階にいるのに対し、ユンギはその過渡期にあり、苦悩しているような印象をもった。そして彼のパフォーマンスは、もちろん申し分のない素晴らしいものだったので、すごく応援したい。
・ごめんなさい!後のメンバーはよくわかりませんでした!!でもみんなかっこよかったです。
帰宅してさっそくBTSを復習している自分がいる。今回きちんと追えなかった残りのメンバー(ジン、グク)のこともきちんと知りたいと思った。
基本的に完成度が高く、いいものを見れた素敵な時間を過ごせたので、行ってよかったと思った。
そして、彼らの関係性やひとりひとりの性格が、長丁場の中で見えてくるのがほんとうに面白かったし、
知れば知るほど、魅力が増していく、とてもいいグループだと思いました。またどこかで見たいです。
これまで20年余り、ゲームにもYoutuberにも興味なかったのに、突然一人のゲーマーYoutuberを好きになってしまった。リアルで他人に言えないけど感情を抑えられないので、その人の好きなところを書く。
とにかく賢くて、頭の回転が速い。逃げていたはずなのに、一瞬にして攻めに転じるシーンも多くて、どこからどこまでが計算なのかわからない。
集中力が持続するのもすごい。最近はアンカットをいっぱい出してくれてるけど、一つの戦いが終わっても次々とチームに襲われるのに、それぞれに対して適切な対処をしている。
まだ小さいのにトップ争いにガンガン首突っ込んでいって、実際トップを取ってしまうときとか、どの段階でどこまでの計画を立ててるのか理解できない。何回も見直してるのに、結局「かっこいい…」だけしか考えられなくなってしまう。
繊細なコントロールがめっちゃ上手い。攻撃の正確さ、敵の群れに突っ込んでいくときの角度やタイミングの的確さが最高。簡単そうにやってのけるけど、自分の体の末端のみを膨らませるのも相当難しい。
瞬発力も優れていて、相手の動きを察するのも、それを阻害するために動くのも、とにかく速くてかっこいい。
諦めないし、笑ってしまうくらいしつこい。相手よりだいぶ小さくなってしまっても、絶対相手にひっついていって、相手の集中が切れた瞬間を狙う。死にそうになっても、最後の最後まで障害物を投げつけ、リベンジの機会をうかがう。自分の体を取っていった相手に対しては、必ず奪い返すという心意気を見せる(そして大抵成功する)。
失敗シーンはほとんど見せてくれないけど、リベンジの前振りとしてたまに動画に入っている。4対1くらいの圧倒的不利な状況でも、為すすべもなく死んでいくところは見たことがなくて、反撃したけど微妙に角度やタイミングが悪くて死ぬ、みたいな失敗が多い。それも含めてかっこいい。リベンジ失敗してボツになったシーンもいっぱいあるだろうけど、全部見たい。
高度なトリック繰り出してるところもかっこいいけど、それよりも、追い詰められて応急処置をしつつも反撃の機会を狙っているシーンに興奮する。
FFAでは自分一人でプレイするし、不利な状況でも他のプレイヤーに助けを求めない。たまにふざけて協力してしまったら、相手に向かって自殺したりして、チーム状態を長引かせない。助けられたときは、相手に全部財産あげて自殺するか、貰った分だけ返してからソロに戻ることが多い。
二人のチームに一人が追い詰められているとき、私だったら一人の側に感情移入して助けてしまうけど、この人はそれをしない。常に自分自身にとってどの状況が最善かを見極めて、不利な方のプレイヤーを始末してから、チームも破滅させる。
3チームに別れて対戦するチームモードでも、のんびりしている味方を邪魔だと言わんばかりにあしらいつつ、自分一人で敵を仕留めてしまう。Cross teamerがいても、淡々と一人で立ち向かう。自分のチームに割とスキルがあって協力的な人がいると、めっちゃ生き生きと協力プレイするけど、そんな状況はまだ一度しか見たことがない。
そのときの気分によるだろうけど、ファンサービスが旺盛。ファンが自分の近くでくるくる回って構ってほしそうにしてたら、どんなに小さくてもちゃんと気づいて一緒になって回ってあげていて楽しそう。
バトルロワイヤルにおいては普通にファンも殺すけど、全ての敵を仕留めたと確信できてから、ファンに全部あげて勝たせてあげることもある。敵の相手をファンに丸投げなど絶対にしない。一度、ファン側もこの人が自分に向かって自殺しようとしているのを察して瞬時に自分を弱体化することで、二人が互角に追いかけ合いする状態に持ち込んだ、ということもあった。あれはファンの人もかっこよかったし、二人とも楽しそうだった。
ここで勝負に出て失敗したら今までの頑張りが台無しになる...って状況でも、リスクを負って行動を起こす。相手が失敗したトリックを自分から仕掛けにいくということもよくやる。あれ、失敗したら結構恥ずかしいと思うけど、それでもやりにいくところがすごい。
アンカット動画では、なるべく退屈な場面が続かないように、わざとリスクの高い行動を選んでいるように見える。無難に殺せそうな相手はさらっと無視していく。
最近の動画では、自分に好意的な大きいプレイヤーを攻撃しまくって怒らせて勝負に持ち込んでいて、おもしろかったし、その勇気に感動するしかなかった(そして勝ってた)。
他の人は結構動画内にミスの言い訳とか動きの意図を書いたりするんだけど、この人はそういうことをしない。「I should have ...」とか「I was gonna ...」みたいなことを言ってるの、たぶん見たことがないと思う。そういえば昔、助けてくれた人が傍にいたのに気づいてなかった時、「Sorry bro, didn’t see you there」的なことを書いてたことはあったかも。
自分が失敗しても他人が失敗しても、ふざけた効果音を当てて笑いに変えてしまう。Lagや突然のサーバーとの接続切断についても、文句を言う代わりにおもしろおかしく加工する。文字を使わず音とタイミングのみでおもしろさを表現するのがすごいなぁと思う。
たまに初心者のふりして、他の下手な人とチームを組んでプレーしたりするけど、初心者あるあるをおもしろく完璧に再現のも上手い。
チャット機能があるゲームだと、負かした相手に恨まれて悪口を書かれていることもある。「F*ck you」、「this nigga」、「f*cking noob」とか、オンラインゲームのノリを知らない私にとっては過激すぎる言葉で煽られてるけど、この人は全く言い返さず、向かってくる相手をただ黙々と潰し続けていた。
あと、動画のコメントに批判や悪口を書かれていても一律でlikeをつけている。読んでないのか、読んでても気にしてないのか、どういうテンションなのか知らないけど。
やろうと思えばチームもめちゃくちゃ上手い。チーム中でもいけると思ったら一人でサクサク敵を仕留めちゃうけど、必要とあらばチームメイトに花を持たせたりフォローしたりするし、自分だけ逃げることもないし、とにかくチーム全体にとって最善のプレーをする。これだけチームプレーに習熟しているからこそ、ソロのときチームの動きを読んで対峙できるんだなぁと実感する。
Botと一緒にプレイするときも、意思疎通ができているのではないかと思うくらい息の合った(というかこの人が合わせている)プレイをする。もしかしてbotの動作決定のアルゴリズムを知ってるんだろうか、と思うレベル。
BGMのdropを好プレーにぴったりなタイミングに合わせ、そのために曲をキリのいいところで繰り返したりする(たまに繋ぎが雑だけど)。曲の種類も組み合わせ方も無限にあるから難しそうだなぁと思うけど、毎回ちゃんと揃っていてすごい。以前、TROLLって名前でいいプレーができたところに「Let the darkness take conTROL」って歌詞を完璧なタイミングで合わせたことがあって、見ていてめっちゃ爽快だった。
オリジナルスキンを作るときに、全ての色を全てのペンの太さで4回ずつ点を描いてたんだけど、点の散らばらせ方が綺麗だったし、ちょっと間を詰め過ぎたなと思ったらCtrl-Zしていたのも、丁寧さが表れていて好きだった。
音楽の趣味が最高。だいたいNCSのHouseかDance系のやつなんだけど、YouTubeで再生回数2〜3桁台レベルでもいい曲を普通に発掘してくる。この人が使ってる曲は全部名曲に聞こえるので、私もプレイリストにぽいぽい放り込んでしまう。
スキンの趣味はよくわかんない。めっちゃnewbieっぽいスキンも普通に使うけど、レベル100のやつも使うし。思い返してみると、純粋にかっこよさを求めたようなデザイン(ドラゴンとか)はあんまり使ってなくて、ファンキーなものやかわいいもの(てんとうむしとか人面ラズベリーとか)を好んで使っている気がする。
あと、ゲーム内での名前のチョイスも全体的に好き。👀や🙄のような絵文字1個のときもかわいいし、よく使う顔文字もじわじわくるかわいさ。攻撃的なプレースタイルとのギャップがすごい。
プライベートを全く明かさないし、顔出しもない。性別も年齢も不明。毎回の動画は、ちょっと過激なタイトルと、「Thank you all for your support」という3年間変わらぬテンプレdescription、そしてプレー中の画面レコーディングのみ。😊って顔文字も使うけど、どう見ても文がコピペだし無表情で書いてそう。
これで3〜4日に1回の頻度で、近況報告も言い訳もなく、淡々と動画をアップロードし続けるので、あまり人間味を感じられない。この頻度で毎回10分程度の好プレー集動画を上げ続けるって相当大変だと思うんだけど、何か自分の中で義務化してしまっているんだろうか。楽しんでプレーしててほしい…。
他のYoutuberみたいに、同じゲームの動画を上げてるプレイヤーと交流しに行かないので、なんか孤高っぽいイメージがある。忙しいだけだろうけど。他のYoutuberからのコメントも普通の視聴者からのものと同じように扱うし、返事してるのもほとんど見ない。
効果音や加工で他人をおちょくってるとき、「よかった、この人にも感情あったんだな」と安心する。
前はSublime Textがタスクバーに入っていたし、今はVSCodeを使ってるみたい。
この前何かのツールのデモ動画上げてたけど、そこではGitHub上のリポジトリをダウンロードしてきて、READMEやIssueにも特にインストラクションなさそうなのにJSコード内の変数を書き換えたりして挙動を変えていた。ターミナルやChromeのdevtoolsの使い方もすごくスムーズに見えたので、そういう仕事の人なのかなって勝手に想像してる。
母国語はロシア語だし、初期はロシア語で動画投稿してたけど、英語も普通に書ける。自分のプレー動画投稿してね、とか、giveawayあるから応募してね、とか。「Can I play with you?」とか「1v1?」って誘われたときの肯定の返事が「ye」なんだけど、そのカジュアルな感じがめっちゃ好き。
好きすぎて、この人が操作するカーソルの一挙一動がかっこよく見える。0.25xで再生しながら、プレーの美しさにどうしようもなく笑顔になってしまう。幸せ。
増田に書くことによって渋谷ハジメというしょうもない男を周知できる気がする。
でも書くとなったら渋谷ハジメについて詳しく書かなきゃならなくなる。
でもすごく単純に言えば、配信もつまらない上に配信に協力してくれた他の配信者に対して蔑ろにしたり、更には配信で知り合いが演奏してくれたという体で勝手に他の動画サイトから引っ張った音源を使って歌い出したり。
やることがしょうもなさ過ぎて嫌いです。
。
企業所属を振りかざす癖にやることが個人配信者以下なのもそうです。
困ったらイケボ出せばいいと思ってるところとか嫌いです。
散々世話になった人に対して世話になったと思っていないと透けて見える部分が嫌いです。
ファンのことを大切に思ってる風に見せてやることなすこと自分本位なのが嫌いです。
そして、その自分本位な行動がファンの為にならない事も嫌いです。
YouTubeというプラットフォームで勝負しなきゃいけないからか、数字で一喜一憂してる様子が見えるのも嫌いです。
気にしてる癖にファンサービスを理解出来てないのが致命的で嫌いです。
ましてや、著作権違反を指摘されて活動自粛したにも関わらず、著作者の返答も待たずに復活したところとかクソです。
熟成されたクソです。
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)
所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。
それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。
もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。
吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間が必要かを知っているはずだ。
人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。
けものフレンズは吉崎先生がキャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。
鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。
彼に出会えたことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。
また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生はアニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。
たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。
しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続中なのだろう。
木村監督はアイカツで名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。
ただ、木村監督はたつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。
世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客の選択と作家同士の切磋琢磨が生じる。
監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。
ただ、第3回上映会にて、かばんちゃんとサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。
アニメ監督は演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから、監督が設定を知らないことは異常事態と言える。
理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からぬものが出来てしまう。
吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。
その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないかと想像してしまうのだ。
いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。
それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。
ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。
<結局何が言いたいかというと>
けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。
もちろん、動画もどこまで信じていいか分からないし真相は闇の中だ。
この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから、外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。
今回書けなかった脚本のますもとさんは、正直私はよく知らない。
ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。
やっぱり何か、監督や脚本が自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。
界隈ではおそらく何度も言われてることだろうけど、
所謂ガラケー向けのゲームとして開発されたのが始まりなので"声が無いのが通常"の状態。
声を付けてもらったことに感謝こそすれど、声が付いてないことに文句を言うのは筋違い。
そもそも最初期に"全員に声つけるのは無理"だと明言されている。
上位メンバーでCDを出すという結果があり、そこに声が未実装の子が入ったから、
じゃあ声を付けましょうという流れであり、初めから声を付けるために動いてるわけではない。
こんなもの選挙記念CD出すの辞めますと言われたらそれでなくなるシステムなんだから。
そもそも第1回総選挙では存在しなかったシステムであり、CDを出すことは決して"義務ではない"ことは忘れてはいけない。
あくまでも周年記念として2年目以降に出されたファンサービス企画の中の一つに過ぎず、当たり前のものではない。
もちろん今更辞めれば反発も生まれるだろうから企画が無くなることはまず無いだろうけど、
それは善意からくるものであって、実施しないという選択を選ぶ権利はあちらにも当然ある。
そうなれば新規に声が付く機会も当然無くなる。声が付くのは当たり前じゃない。
というか偶に見かけるけど、声があって当たり前!残りのメンバー全員に声をつけろ!とかいう考えがそもそも常軌を逸してて、
いくら声優飽和時代だからと言ってもいきなり百人以上追加しても面倒を見きれるわけがない。
声付きを増やすにしても現状のように選挙結果だったり、アニメ・漫画の記念のサプボで少しづつが一番最善で最速。
良かった点が無いわけでもないけど、ぜんっぜん面白くなかったんだけど。
まず敵がドローンってのが面白くないわ。機械相手はやっぱり面白くない。裏で人間が操縦しているから、操縦者の個性が出るとよかったかもしれない。でもそういうのも無し。途中で操縦者が交代したけど別に挙動に変化は無し。
それにドローンはドローンでも描写が適当すぎ。戦闘を通して学習してリョウが撃った弾を弾く描写があったけど、戦闘を通して学習しているならあの弾の当たらなさは何?人間の動きを学習して弾を当てるほうにリソース使えよ。なんで避けるほうにリソース使ってんの?負け犬根性染み付きすぎでしょ。人間が打つマシンガンが1発も当たらないのってアクション映画ではよくあるけど、学習して進化し続けるって設定なのにドローンの弾が当たらないのはさすがに無しでしょ。とりあえずドローンと人工知能を出してみましたみたいな感じ。あれは無いわ。ミサイル避けるのもダメ。リョウならやりかねないけど、あくまでもそれは神技なんだから、神技として描写しないとダメでしょ。なんでひょいひょい避けてんの?
第一ドローンを使う意味がない。「市街地で突然戦闘が始まるかもしれないという恐怖感があれば武器がもっと売れるはずだ」って論理で悪の組織が新宿にドローンを放つわけだけど、別にドローンじゃなくてよくね?金払って傭兵さんにテロ起こしてもらえばいいじゃん。実際やってるし。ドローン使う意味がわからない。流行ってるものを出せばいいってもんでもないでしょ。
親玉のドローンがトドメを刺されて爆発するところなんて意味不明。岩が崩れてリョウは生き埋めになるけど、なんで生きてるの?普通死ぬでしょ。ギャグっぽいシーンならわかるんだけど、ガチ戦闘の結果岩が崩れて相打ち!とおもいきや・・・って流れで理由もなしに主人公だけなぜか生存してたら白ける。作戦とかなんもないんかい。
いやでも、そんなのはどうでもいいわ。ドローンの設定が雑とか、とりあえず流行り物出しただけだろとか、そんなのはどうでもいい。よく考えなくてもシティーハンターってそういう作品だし。でも肝心の女子大生さあ、なんだったの?何?まじで。最初は父親のこと恨んでたわけでしょ。それはわかる。かーちゃん置いてなにやってんだよって。わかるわ。でも最後父親のことだいぶ許してたよね。なんで?いや、もちろん、父親が家族のために頑張ってきたってのを知って心が変わったんだと思うよ。それが何?って思わん?よくある話すぎて映画のストーリーの柱にするにはさすがに弱すぎ。あまりにもよくある話。てか心が変わる瞬間を描写しないのはなんで?なんとなく察しはつくけど、そのシーンが無いと意味不明すぎでしょ。女子大生って元々そこまで深く悲しんでいたわけでも、苦悩していたわけでもないように描写されているし、考えが変わった理由もよくわからない。ゲストキャラクターとしての扱いが雑すぎるでしょ。シティーハンターは言うまでもなくシティーハンターが主人公だけど、シティーハンターは舞台装置でもある。ゴルゴ13と一緒。シティーハンターが舞台装置だとしたら、主人公は女子大生なんじゃないの?もっと感情にクローズアップすべきでしょ。家族に対する父親の思いとか女子大生の苦悩をもうちょっと情感たっぷりに描けなかったの?
いや、てか父親だよ。おめーだよおめー。意味不明。「家族を殺すぞと脅されてドローン兵器の開発に手を貸してしまったけど、最後の抵抗として、開発したドローンシステムにロックをかけました」これはわかる。最後に抵抗するくらいなら最初から作んなよって気持ちはあるけど、まあ人間ってそんなもんだよな。でも「ロックを解除する方法がたった一つあります、それは娘(女子大生)の眼球を使って虹彩認証をすることです!」は~?何いってんだこいつ。娘を殺したいの?俺が悪の組織だったら、娘を生け捕りにして虹彩認証に使って終わったら山に埋めるわ。俺じゃなくてもそうするはず。実際映画の悪の組織もそうやってた。なんなん?本当は娘を恨んでいたのか?国際秩序を揺るがしかねない激ヤバ兵器の起動パスワードに娘の虹彩を使うとかヤバすぎでしょ。サイコパスか?
あと虹彩。父親は娘とは長年会っていなかったって設定だけど、いつのまに娘の虹彩情報をゲットしたの?直接会って提供してもらわないと無理だと思うんだけど、いつのまに会ったの?そういう描写一切ないよな。
女子高生じゃなくてリョウと香に注目しろって?まあ確かにそうかも、って思いそうになったけど、それもダメだわ。リョウと香の心理描写も謎なんだもん。リョウは香が社長にチヤホヤされてるの見て知らんぷり。なんで?嫉妬しろとは言わんけど、超怪しい社長と飲みに行くのを黙って見てるのはさすがに無いでしょ。リョウは最後の最後で「香はドレス着ようが着まいが綺麗なんだよなあ」みたいなこと言っていい話っぽく終わるけど、それリョウの心の声だろ?香に言ってやれよ。それを言ってやらないのがリョウと香の関係性だ、ってのは確かにそうなのかもしれないけど、でも香は最後までずっとモヤモヤしてるわけでしょ。救いがなさすぎる。香目線だと「ドレス姿を褒めてもらえなかった上に、怪しい社長とデートしたときも心配一つしてくれなかった、悲しいなあ、つーかあの社長が怪しいってわかってたならデート止めてくれたらよかったのに」って気持ちを一生抱えて生きていくわけだぞ。救いが無すぎ。そこ解決しないで「お幸せに」みたいなことを女子大生に言わせても「どこが幸せなの?」としか思えん。
ファンサービスなのか知らんけど時々挿入されるお約束ネタみたいなのもいらねーわ。てかキャッツアイって誰?サイクルコンピュータのメーカーか?いや、正直に言おう最後のGet wildは良かった。確かに良い。そこばっかりはファンにサービスしないといけないわ。でも他はなんなの?挿入歌入れまくりで確かに懐かしいといえば懐かしいけど、懐かしさを味わいたいだけならdアニメストアでTVアニメのほうを見るわ。肝心のストーリーが2時間の映画に見合ってなさすぎ。シティーハンターって元々そういう作品でしょ、って言うやつ絶対いるとおもうけど、それシティーハンターって作品にすげえ失礼だと思うわ。こんなもんじゃないでしょ、さすがに。TVアニメのほうも確かに設定は雑というかあまり練られてなかったかもしれないけど雑さが目につかない構成にしてたでしょ。キャラクターの心情も30分アニメに見合うレベルではあるけどしっかり描写してたでしょ。別に懐古で言ってるわけじゃない。映画見る前にdアニメストアで20話くらいまで懐かしいなーって思いながら見たもん。正直TVアニメも大味ではあったけど、見どころも多かったでしょ。今回の映画はなんなの?良かったのGet wildだけじゃん。あれだって元々の曲がいいだけかもしれない。それ言っちゃだめか。2時間の映画にしてはちょっと物足りなすぎだわ。もうちょっとちゃんと作って欲しいし、絶賛してるやつってファンサービス以外でどこが良いと思ったの?謎。
よく若手俳優好きな人たちはファンではなく、オタクと名乗る。その一方で俳優は、自分を応援してくれる人のことをオタクではなくファンと呼ぶ。
両者に違いはあるのだろうか?
舞台に行くのは1つの公演につき数回で、SNSで同じ俳優や同じミュージカルのファンと繋がって楽しく過ごしていた。
初めてのファンイベントに胸をときめかせて、普段は舞台と客席という距離感でしか見られない好きな俳優が目の前にいることに、彼と話が出来て写真が撮れることに感動した。この時は彼を見られることが、彼の話を聞けることがただ楽しかった。
私は彼のオタクと名乗っていたものの、極めて善良なファンだった。
彼のことは結局5年くらい応援していたのだが、段々と熱が冷めて降りてしまった。
何かにハマっている時の何とも言えない充実感というのは一度経験すると忘れられない。
次に好きになった俳優は、彼が出ている舞台に出演していた俳優だった。彼のことをBとする。
Bとの出会いが私を変えた。
Bを好きになった舞台はかなり大きな舞台だったのだが、彼はデビューしてすぐの俳優で、その後の舞台は小劇場と言って良いのかもわからないくらい規模の小さなものだった。そこでは舞台の後にお金を払えば写真が撮れて、話せて、手紙やプレゼントが渡せた。
「イベントにもきてましたよね?いつもありがとうございます。○○さんって言うんですね」
この舞台の前に事務所イベントがあり、そこではお見送りハイタッチがあったが、流れ作業で覚えられてる訳がないと思っていたから驚いた。しかも手紙を確認して名前まで読んでくれた。
毎回写真を撮ってるファンはいても、毎回手紙を渡すファンはいなかったらしい。
Bは必ず前日に渡した手紙の内容に触れてくれた。出演者全員との写真撮影の時も「○○さんは僕の隣ですよね?」と言ってくれた。
好きな俳優が自分のことを個として認識してくれることの嬉しさ。これは経験したことのある人にしか分からない嬉しさだと思う。
あまり詳しく言うと誰を応援していたのかバレそうなので控えるが、ある事情でBのことは応援することができなくなってしまった。(炎上で降りたとかではなく)
格好良いなと思える俳優、凄いなと思える俳優はいても、応援したい、推したいと思える俳優には出会えなかった。
しかし、ある人気舞台を観に行った時Cという俳優に一目惚れした。
彼のパフォーマンスと笑顔に釘付けになり、気づけば次の舞台のチケットを集めていた。
Cはこの舞台をきっかけにかなり人気が出たため、接触に来るファンの数は凄まじく、積んだところで対応が変わりはしなかった。
それでもCのパフォーマンスと笑顔が大好きだから出る舞台には行けるだけ行った。全通とまでは言わないが8割は行っている。その度に手紙を書いた。
SNSで手紙やプレゼントに対してお礼を言う俳優ではなかったので、何の意味があるのだろう?と思うこともあったが、とにかく彼の演技が好きだからその想いを手紙に書いた。
しかし、物足りなさも感じていた。
Bの時に好きな俳優に個として認識される嬉しさ、見られることの嬉しさを体感してしまっていたから、ただ見るだけでは満足できなくなっていたのだ。
メジャースポーツではあるが2部リーグの観客は少なく、最前列でプレーを見ることができた。
その中で1人目を惹かれる選手Dがいた。プレーも勿論素晴らしいのだが、俳優顔負けのルックスだった。
どうしても忘れられなくて次の週Dのチームが出る試合を観に行った。
やっぱり彼のプレーは素晴らしく、そして格好良かった。
その日はファンサービスの日だったらしく、会場の中にはファン対応を待つファンが多くいた。(といってもチーム全体で数十人)
彼はびっくりするくらい良い人で、沢山話をしてくれて、写真を撮ってくれた。
家に帰っても熱が収まらず彼の過去の試合やファンがあげた写真などを片っ端から調べた。
Cの舞台に通いながらもDのことが忘れられなかった。
しばらくCの舞台がない期間があり、そこがちょうどDのリーグ戦の時期と重なっていたので、行ける限りDの試合に行った。
試合を見に行くほどチームや競技のことも分かるようになり、試合を見ることもどんどん楽しくなっていった。
そして試合終わりには毎回出待ちをして差し入れと手紙を渡しDと話をした。
Dのファンで遠征をするほどの熱心なファンはおらず、Dはあっという間に私のことを個として認識するようになった。
前に話したことも覚えていてくれてそれについて向こうから話題を振ってくれたり、髪型を変えれば気付いてくれたり。
私はDのことをこんなに知ってるし、Dも私のことをこんなに知ってくれてる。チームメンバーにもDのファンの子だと認識されている。会場内で会うと(選手は結構うろうろしてる)向こうから挨拶をしてくれる。
追っかけやオタクと無縁な人にとっては、くだらないと思うかもしれないが、これがすごく嬉しいのだ。
舞台の上でのCはやっぱり輝いていたし、好きだ、応援したいと思った。でも、Cにとって私は何万人といるファンのうちの1人でしかないのだとも思った。
ある日CのCD発売イベントが発表された。どうしてもスケジュールが確保できず、必要最低限の枚数だけ買って、イベントにはいかなかった。
その内容をざっくり言うならファンの力は凄く助かっているが、オタクになられると困るといったものだった。いくら積まれてもそれによって対応を変えるつもりはないと。
Cの接触でいくら積んでも個として認識される事はない、あっても向こうはそれで態度を変えたりしないのでは意味がないと思ってしまったのだ。
私は接触イベントで、一方的に俳優を見るだけでは、一方的に想いを伝えるだけでは満足できなくなっていた。
今でもCの舞台には行っている。
ただ自分が面白いと思う舞台だけ、自分の見たい回数だけ、見るようになり、接触イベントにはきっぱり行かなくなった。
結局のところ、自分の好きな存在を見るだけでは満足できない、見られたいと思ってしまう限り私はファンではなくオタクなのだろう。