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この番組で少しでも 新たな町の魅力を感じ入ることができたら幸いです
ガイドブックだけでは分からない景色が そこにはメイビーあるかも
この番組は
綴ろう、モノの思い出「Huyo」
「なんだこりゃ」
番組が終わったあと、俺は開口一番そう漏らした。
いつも観ているアニメが放送していなかったので、仕方なく消去法でこの番組を観ていた。
すると自分たちがシケた映像と共に映っていたんだから「なんだこりゃ」と言うしかない。
「お前、もう少しマトモなとこ紹介してやれよ。撮れ高のないものを何とか面白くしようという、努力の跡しか見えないぞ」
一緒に観ていた兄貴が、内容がビミョーなのを俺のせいにしてくる。
そんなこと言われても、あれが番組だったなんて知らなかったし、俺たちはあっちの要望に出来る限り答えただけだ。
それに放送してはいないけど、他にも面白い場所はたくさん紹介した。
「布教活動する名物キャラの教祖とか、イケイケのお立ち台でファンサービスをする魔法少女とか、シロクロの家で未来のアイテムを使ってドデカい花火を打ち上げたり色々あったのに」
「まあ番組の趣旨と違うからだろうな。新興宗教を民放で気軽に流すのはアレだし、魔法少女はスポンサー契約してない」
「花火は?」
「何かコンプライアンス的な感じじゃねーの? 或いはSF的な都合」
「というかお前ら、いつも以上に好き勝手やってたな。いちいちディレクターのオッサンにケチつけるし、傍から見るとクソガキっぷりが五割増し」
「だって、あのオッサンがアレコレ注文つけてくるんだもん。あーでもない、こーでもないって」
「そうかあ? そこまでクドいようには見えないが」
「放送だとそこまでじゃないけど、実際はもっとウザかったんだよ!」
「さすがに自意識過剰だろ」
この番組に出たのは二度目で、最初の内はテレビに出ることを喜んでいた。
だけど、これじゃあ素直に喜べないというか、むしろ嫌だ。
兄貴がこういうのに映りたがらない理由が、今は少しだけ分かる。
「あ~あ、最近できた信号機なんて、ドラマティックな話までしたのにバッサリいかれてたなあ」
「それは単に見所がなかっただけだろ」
初報、京アニの第一スタジオで爆発があったというところで被害状況がどんなものかもわからないうちに炎上大喜利開始。
ここでヤマカンこと山本寛氏の名前がトレンドに上がってきた。ヤマカンが犯人じゃないかという不謹慎な憶測。言っていい冗談とそうじゃないのがあるのかもわからないことに呆れた。
その後、被害の深刻さがわかってくると、京アニはこんな素晴らしい制作会社だとバズ狙いの無断転載。
報道がこの件だらけになってくると「またアニメオタクが差別される」という自意識過剰。そんなこと言ってる場合か?
ニュースで「アニメ」の単語が扱われるだけでいつもバカにされる、差別されると心配して先回りでマスコミ叩く奴ら。そういうとこだよ。
時間が経って被害状況がはっきりしてくると、公式発表されたわけでもない京アニ所属のスタッフの方へお悔やみツイート。見ず知らずの人間達から死んだことにされて、祈るような気持ちで安否がわかるのを待っている家族や関わりある人たちがどんな気持ちになるか想像できないのか?
ブログやツイッターが途絶えた声優たちへの「心配だから何かツイートして」の声。それくらい慮れよ。ブログやツイッターなんてファンサービスの一環なんだからこんな時にまで要求するなよ。
はじめに、この感想はBTSをほとんど知らない人間が、印象だけで書いた感想であるので、事実とは異なる部分も多くあると思うし、
アーミーのみなさまには不愉快な部分もあるかもしれないことをはじめに謝罪しておきます。
しかし、私自身はとってもたのしい時間を過ごせたので、せっかくだから書き残したいなと思う。
ひょんなことからBTSのコンサートチケットを手に入れた。私はほとんどテレビも見ないので、BTSの曲もメンバーも知らない。
もともと、ロックバンドのライブやフェスには足を運ぶ方であり、知らないバンドの演奏を聴いたりするのが好き(それをきっかけに新しい出会いがあるため)なので、軽率に行くことを決めてしまったが、そんな、メンバーすらあやふやな私よりも、コンサートに行きたくて涙を飲んだ人の方が、チケットの行く先はふさわしかったに違いない。ファンの人には一抹の申し訳なさを感じたが、個人的にはそんな遠慮よりも好奇心が勝ってしまった。アーミーのみなさま、許してほしい。
いちおう予習はした。曲はけっこう好みだったので、ハマったし、いちおうコールも少し覚えた。
ただ、バタバタしてて、メンバーの顔と名前を一致させるのは間に合わなかった……。
・音楽番組と違って、長丁場となるコンサート。ずいぶんといろいろな発見があった。
メンバーの体力や集中力の差は如実に現れる。しかし、それがマイナスなのかというと、そうではないことを知った。
少し集中力が切れてきたメンバーに、余裕のあるメンバーが絡みに行って見せ場を作ってあげたような場面もあった。
なにより、そういう現場の苦悩を知ったことによって、ぐっと彼らの人間的魅力が増したように私は感じた。
・ずば抜けてパフォーマンスが目を引いたのは、ナムジュンとジミン。
この二人は、自分のやりたい表現と方向性と、周囲の求めるものがほぼ一致に近いのではないだろうか。両者ともに、パフォーマンスに隙がない。
コンサートの後半までパフォーマンスが決まり続けていたのはこの二人だったな。
・ナムジュンは、ラップもダンスも、どこを切り取ってもキメてくる感じだ。精神的にも、体力的にも余裕がある。
かといって、前に前に出てくるというよりかは、きちんと周囲を見ているように見えた。ファンサービスも旺盛。
予習の段階ではそこまで注目していなかったが、今回一番好印象だった。能力が高いことで他のメンバーを気後れさせてしまう可能性さえも、考慮しているかのような賢さを感じた。
MCでも、日本語と英語、韓国語を堪能に混ぜていたのがすごい。"雨 EDITION"という表現に、彼の語学センスの高さを感じた。英語表現に引っ張られていたら、形容詞的に「雨の」 EDITIONといってもおかしくないところを、日本語センスでうまく名詞を形容詞化してとっさに喋れるのがすごいと思った。後から調べたら、この人はIQが高いそうですね。
とにかくシンプルにかっこよかったし、ずっと目で追ってしまう力強さがあった。
・ジミンは、ソロの曲の時に「えぐいダンスうまいやつがおるぞ」と思って注目していた。
バラードの曲の時、ずっとその曲の世界観の顔になってたもん。美意識とプロ意識の高さを感じた。とにかくダンスが上手い、いいものを見せてもらったという感じ。
・その他のメンバーで印象に残ったのはJ HOPEことホソク。
彼はずっとにこにことしていて柔らかい雰囲気。門外漢から見てもわかる、絶対に必要なメンバー。
あの余裕のあって安心感のある顔を、しっかり自分の役割として自覚し、振舞うことができるのは強い。
見ている側も、安心するし、きっとメンバーにとってもそういう人なのかな、と想像した。
・世界一かっこいい顔に選ばれたらしいVことテテ。この子に関して私はどう評価したらいいのか、とても慎重に言葉を選ばねばならない。語弊を生みかねないのを承知で、素直な感想を書けば、
体力や集中力のあるメンバーと対比的に、ムラがあった。バラードの曲の表情の作り込みも、ジミンと比べたらあまりに素直すぎる。しかし先にも書いた通り、それが彼の魅力にもなりうるポイントである。彼の天然っぽいMCで私は、彼はこういう不思議なバランスで、自然でいることを隠さないことで、スターになっているのだとわかった。
隙のなさすぎる人に、果たして魅力を感じるだろうか。うっかりすれば高嶺の花のような偶像になりかねないほどの美しすぎる顔を持つ彼が、一人の人間として受け入れられることは相当にすごいことだ。テテはもっとも刹那的なバランス感を持っており、ほんとうに、「今しか見れない魅力」に溢れたメンバーだと思った。
・もっとも苦悩して見えたのはユンギちゃん。。。この人は、自分のやりたい表現と、自分のできる表現の間にギャップを感じているように見えた(妄想です)。しかしそう思ったのは、彼のパフォーマンスから努力の跡がにじんでにじんでしょうがなかったからだ。表情の真意は、ファンですらない私には読み取れなかったが、ジミンが自身の美意識をある程度形にできる段階にいるのに対し、ユンギはその過渡期にあり、苦悩しているような印象をもった。そして彼のパフォーマンスは、もちろん申し分のない素晴らしいものだったので、すごく応援したい。
・ごめんなさい!後のメンバーはよくわかりませんでした!!でもみんなかっこよかったです。
帰宅してさっそくBTSを復習している自分がいる。今回きちんと追えなかった残りのメンバー(ジン、グク)のこともきちんと知りたいと思った。
基本的に完成度が高く、いいものを見れた素敵な時間を過ごせたので、行ってよかったと思った。
そして、彼らの関係性やひとりひとりの性格が、長丁場の中で見えてくるのがほんとうに面白かったし、
知れば知るほど、魅力が増していく、とてもいいグループだと思いました。またどこかで見たいです。
これまで20年余り、ゲームにもYoutuberにも興味なかったのに、突然一人のゲーマーYoutuberを好きになってしまった。リアルで他人に言えないけど感情を抑えられないので、その人の好きなところを書く。
とにかく賢くて、頭の回転が速い。逃げていたはずなのに、一瞬にして攻めに転じるシーンも多くて、どこからどこまでが計算なのかわからない。
集中力が持続するのもすごい。最近はアンカットをいっぱい出してくれてるけど、一つの戦いが終わっても次々とチームに襲われるのに、それぞれに対して適切な対処をしている。
まだ小さいのにトップ争いにガンガン首突っ込んでいって、実際トップを取ってしまうときとか、どの段階でどこまでの計画を立ててるのか理解できない。何回も見直してるのに、結局「かっこいい…」だけしか考えられなくなってしまう。
繊細なコントロールがめっちゃ上手い。攻撃の正確さ、敵の群れに突っ込んでいくときの角度やタイミングの的確さが最高。簡単そうにやってのけるけど、自分の体の末端のみを膨らませるのも相当難しい。
瞬発力も優れていて、相手の動きを察するのも、それを阻害するために動くのも、とにかく速くてかっこいい。
諦めないし、笑ってしまうくらいしつこい。相手よりだいぶ小さくなってしまっても、絶対相手にひっついていって、相手の集中が切れた瞬間を狙う。死にそうになっても、最後の最後まで障害物を投げつけ、リベンジの機会をうかがう。自分の体を取っていった相手に対しては、必ず奪い返すという心意気を見せる(そして大抵成功する)。
失敗シーンはほとんど見せてくれないけど、リベンジの前振りとしてたまに動画に入っている。4対1くらいの圧倒的不利な状況でも、為すすべもなく死んでいくところは見たことがなくて、反撃したけど微妙に角度やタイミングが悪くて死ぬ、みたいな失敗が多い。それも含めてかっこいい。リベンジ失敗してボツになったシーンもいっぱいあるだろうけど、全部見たい。
高度なトリック繰り出してるところもかっこいいけど、それよりも、追い詰められて応急処置をしつつも反撃の機会を狙っているシーンに興奮する。
FFAでは自分一人でプレイするし、不利な状況でも他のプレイヤーに助けを求めない。たまにふざけて協力してしまったら、相手に向かって自殺したりして、チーム状態を長引かせない。助けられたときは、相手に全部財産あげて自殺するか、貰った分だけ返してからソロに戻ることが多い。
二人のチームに一人が追い詰められているとき、私だったら一人の側に感情移入して助けてしまうけど、この人はそれをしない。常に自分自身にとってどの状況が最善かを見極めて、不利な方のプレイヤーを始末してから、チームも破滅させる。
3チームに別れて対戦するチームモードでも、のんびりしている味方を邪魔だと言わんばかりにあしらいつつ、自分一人で敵を仕留めてしまう。Cross teamerがいても、淡々と一人で立ち向かう。自分のチームに割とスキルがあって協力的な人がいると、めっちゃ生き生きと協力プレイするけど、そんな状況はまだ一度しか見たことがない。
そのときの気分によるだろうけど、ファンサービスが旺盛。ファンが自分の近くでくるくる回って構ってほしそうにしてたら、どんなに小さくてもちゃんと気づいて一緒になって回ってあげていて楽しそう。
バトルロワイヤルにおいては普通にファンも殺すけど、全ての敵を仕留めたと確信できてから、ファンに全部あげて勝たせてあげることもある。敵の相手をファンに丸投げなど絶対にしない。一度、ファン側もこの人が自分に向かって自殺しようとしているのを察して瞬時に自分を弱体化することで、二人が互角に追いかけ合いする状態に持ち込んだ、ということもあった。あれはファンの人もかっこよかったし、二人とも楽しそうだった。
ここで勝負に出て失敗したら今までの頑張りが台無しになる...って状況でも、リスクを負って行動を起こす。相手が失敗したトリックを自分から仕掛けにいくということもよくやる。あれ、失敗したら結構恥ずかしいと思うけど、それでもやりにいくところがすごい。
アンカット動画では、なるべく退屈な場面が続かないように、わざとリスクの高い行動を選んでいるように見える。無難に殺せそうな相手はさらっと無視していく。
最近の動画では、自分に好意的な大きいプレイヤーを攻撃しまくって怒らせて勝負に持ち込んでいて、おもしろかったし、その勇気に感動するしかなかった(そして勝ってた)。
他の人は結構動画内にミスの言い訳とか動きの意図を書いたりするんだけど、この人はそういうことをしない。「I should have ...」とか「I was gonna ...」みたいなことを言ってるの、たぶん見たことがないと思う。そういえば昔、助けてくれた人が傍にいたのに気づいてなかった時、「Sorry bro, didn’t see you there」的なことを書いてたことはあったかも。
自分が失敗しても他人が失敗しても、ふざけた効果音を当てて笑いに変えてしまう。Lagや突然のサーバーとの接続切断についても、文句を言う代わりにおもしろおかしく加工する。文字を使わず音とタイミングのみでおもしろさを表現するのがすごいなぁと思う。
たまに初心者のふりして、他の下手な人とチームを組んでプレーしたりするけど、初心者あるあるをおもしろく完璧に再現のも上手い。
チャット機能があるゲームだと、負かした相手に恨まれて悪口を書かれていることもある。「F*ck you」、「this nigga」、「f*cking noob」とか、オンラインゲームのノリを知らない私にとっては過激すぎる言葉で煽られてるけど、この人は全く言い返さず、向かってくる相手をただ黙々と潰し続けていた。
あと、動画のコメントに批判や悪口を書かれていても一律でlikeをつけている。読んでないのか、読んでても気にしてないのか、どういうテンションなのか知らないけど。
やろうと思えばチームもめちゃくちゃ上手い。チーム中でもいけると思ったら一人でサクサク敵を仕留めちゃうけど、必要とあらばチームメイトに花を持たせたりフォローしたりするし、自分だけ逃げることもないし、とにかくチーム全体にとって最善のプレーをする。これだけチームプレーに習熟しているからこそ、ソロのときチームの動きを読んで対峙できるんだなぁと実感する。
Botと一緒にプレイするときも、意思疎通ができているのではないかと思うくらい息の合った(というかこの人が合わせている)プレイをする。もしかしてbotの動作決定のアルゴリズムを知ってるんだろうか、と思うレベル。
BGMのdropを好プレーにぴったりなタイミングに合わせ、そのために曲をキリのいいところで繰り返したりする(たまに繋ぎが雑だけど)。曲の種類も組み合わせ方も無限にあるから難しそうだなぁと思うけど、毎回ちゃんと揃っていてすごい。以前、TROLLって名前でいいプレーができたところに「Let the darkness take conTROL」って歌詞を完璧なタイミングで合わせたことがあって、見ていてめっちゃ爽快だった。
オリジナルスキンを作るときに、全ての色を全てのペンの太さで4回ずつ点を描いてたんだけど、点の散らばらせ方が綺麗だったし、ちょっと間を詰め過ぎたなと思ったらCtrl-Zしていたのも、丁寧さが表れていて好きだった。
音楽の趣味が最高。だいたいNCSのHouseかDance系のやつなんだけど、YouTubeで再生回数2〜3桁台レベルでもいい曲を普通に発掘してくる。この人が使ってる曲は全部名曲に聞こえるので、私もプレイリストにぽいぽい放り込んでしまう。
スキンの趣味はよくわかんない。めっちゃnewbieっぽいスキンも普通に使うけど、レベル100のやつも使うし。思い返してみると、純粋にかっこよさを求めたようなデザイン(ドラゴンとか)はあんまり使ってなくて、ファンキーなものやかわいいもの(てんとうむしとか人面ラズベリーとか)を好んで使っている気がする。
あと、ゲーム内での名前のチョイスも全体的に好き。👀や🙄のような絵文字1個のときもかわいいし、よく使う顔文字もじわじわくるかわいさ。攻撃的なプレースタイルとのギャップがすごい。
プライベートを全く明かさないし、顔出しもない。性別も年齢も不明。毎回の動画は、ちょっと過激なタイトルと、「Thank you all for your support」という3年間変わらぬテンプレdescription、そしてプレー中の画面レコーディングのみ。😊って顔文字も使うけど、どう見ても文がコピペだし無表情で書いてそう。
これで3〜4日に1回の頻度で、近況報告も言い訳もなく、淡々と動画をアップロードし続けるので、あまり人間味を感じられない。この頻度で毎回10分程度の好プレー集動画を上げ続けるって相当大変だと思うんだけど、何か自分の中で義務化してしまっているんだろうか。楽しんでプレーしててほしい…。
他のYoutuberみたいに、同じゲームの動画を上げてるプレイヤーと交流しに行かないので、なんか孤高っぽいイメージがある。忙しいだけだろうけど。他のYoutuberからのコメントも普通の視聴者からのものと同じように扱うし、返事してるのもほとんど見ない。
効果音や加工で他人をおちょくってるとき、「よかった、この人にも感情あったんだな」と安心する。
前はSublime Textがタスクバーに入っていたし、今はVSCodeを使ってるみたい。
この前何かのツールのデモ動画上げてたけど、そこではGitHub上のリポジトリをダウンロードしてきて、READMEやIssueにも特にインストラクションなさそうなのにJSコード内の変数を書き換えたりして挙動を変えていた。ターミナルやChromeのdevtoolsの使い方もすごくスムーズに見えたので、そういう仕事の人なのかなって勝手に想像してる。
母国語はロシア語だし、初期はロシア語で動画投稿してたけど、英語も普通に書ける。自分のプレー動画投稿してね、とか、giveawayあるから応募してね、とか。「Can I play with you?」とか「1v1?」って誘われたときの肯定の返事が「ye」なんだけど、そのカジュアルな感じがめっちゃ好き。
好きすぎて、この人が操作するカーソルの一挙一動がかっこよく見える。0.25xで再生しながら、プレーの美しさにどうしようもなく笑顔になってしまう。幸せ。
増田に書くことによって渋谷ハジメというしょうもない男を周知できる気がする。
でも書くとなったら渋谷ハジメについて詳しく書かなきゃならなくなる。
でもすごく単純に言えば、配信もつまらない上に配信に協力してくれた他の配信者に対して蔑ろにしたり、更には配信で知り合いが演奏してくれたという体で勝手に他の動画サイトから引っ張った音源を使って歌い出したり。
やることがしょうもなさ過ぎて嫌いです。
。
企業所属を振りかざす癖にやることが個人配信者以下なのもそうです。
困ったらイケボ出せばいいと思ってるところとか嫌いです。
散々世話になった人に対して世話になったと思っていないと透けて見える部分が嫌いです。
ファンのことを大切に思ってる風に見せてやることなすこと自分本位なのが嫌いです。
そして、その自分本位な行動がファンの為にならない事も嫌いです。
YouTubeというプラットフォームで勝負しなきゃいけないからか、数字で一喜一憂してる様子が見えるのも嫌いです。
気にしてる癖にファンサービスを理解出来てないのが致命的で嫌いです。
ましてや、著作権違反を指摘されて活動自粛したにも関わらず、著作者の返答も待たずに復活したところとかクソです。
熟成されたクソです。
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
応援しているVtuberユニットが無事誰も抜けず1周年を迎えそうだ。
とても嬉しい。Vtuberは油断してもしなくてもすぐ死んでしまうので誰も抜けず1周年を迎えられのはとても凄いことだし、本当に良かったと思う。
状況を鑑みるに1年続いたことは奇跡だと思っているし、本当に1年でここまで行けるなんて夢見させてもらってありがとうという感謝の気持ちしかない。
本当にありがとうございます。関係者含め関わった方すべてに感謝していますし、次の1年も違う夢を見せて欲しいと思っています。
で、1周年記念に東京で大きな箱でライブをするということが発表された。
とても嬉しかったと同時にああ、分かっちゃいたけど東京かーって気分と日曜日の夜に東京なんて最初から無理だなってさらっと流したんだけど、
朝起きてこれ関西で同じイベントを土曜日の夜にやったとして行くか?本当に??って疑問に苛まれて考えていた。
で、一日考えた結果。多分行かないって結論に達した。
メモ程度にその理由を列挙する。完全に個人の意見なので意見は反論は受け付けない。
→まず人気イベントでチケットの争奪戦を勝ち抜かないといけない。
クッソめんどくさい。
なぜそんなめんどくさいことに僕の時間を割かないといけないのか分からない。
北海道行フェリーの争奪戦すらめんどくさいのにそれより倍率が高い争奪戦なんてめんどくさすぎる。
→人が多い所に金払って長時間いるなんて耐えられない。
疲れ果てて次の日動けなくなるのが分かっている。考えただけで吐きそうになる。
人間が嫌いなのに金と時間を浪費してそんな大規模で人がぎゅうぎゅうな場所に行くなんて嫌だ。
3.歌動画が一つもない状態なのに長時間歌メインのコンテンツを見て楽しめると思えない
→歌動画の一つもなく、普段聞いている音楽でもない音楽を演者が好きって気持ちだけで長時間聞く気になって心底楽しめると思えない。
4.そもそも僕が好きななのは各々が好きな事をやっている姿と仲良しの様子であって歌が聞きたいわけではない。
→日ごろから歌動画とかすごすごMV出してるアーティスト路線のVtuberなら音楽聞きたいし、
見たいけどそういう活動がなくて唯一アカペラで歌ってる活動しか知らない子の
リアルガチ歌唱に特に現状興味ない。後、きっちり歌メインでやるなら仲良しで和気あいあいとした姿ではなくリハーサルきっちり入った姿だと思うのでそこもあまり興味が沸かない。
5.なんとなく苦手なコンテンツ臭がする
→あまり好きじゃないラブライブとかアイマス臭がする。アニメのまんまのライブが見れるってあのコンテンツ正直嫌い。
アニメはアニメで完結して欲しい。リアルイベントまで参加しないとファンじゃないとか言われるとはいそうですか。じゃあ、どうでもいいですってなる。
6.そもそも値段が高すぎる。
→他の1周年のVtuberさんと比べてあまりにも値段が高すぎると感じる。もちろん箱の大きさ、人気度それらすべて合わせての価格であることは分かるが、
九州へのフェリー往復で買えるなーとか計算してしまうと割高感を感じてしまう。
7.周りの温度差がひどそう
→もしそれで参加したら周りのファンの人達との温度感に耐えられなさそうな気がした。
正直毎日常にコメントもしくはtwitterで実況している人ばっかりの中にいれられると考えたら温度差で死にそう。
マジで無理。VRで人が見えないなら耐えれるというか気にならないけど、リアルにそんな人生ささげてそうな人達の中に入れられるなんて精神が持たない。
僕も一般人に比べれば遥かに詳しいと自負してるが、見てない配信かなりあるし、ながら作業で見てるから詳細覚えてないのとかも多い。
塩ふって焼いただけの肉より手間暇かけた料理の方が上だというのは当たり前だと思っているし、
でも、この考え方そのものがVtuber界隈ではマイナーっぽい。とにかく生至上主義が蔓延している。
別に僕もそれを否定する気もないし、それはそれで素晴らしいと思う。
けど、その考えの人とは分かり合えないとも思っている。
僕は生配信はファンサービスだと思っているし、月二回もやってくれたら十分すぎるというスタンスだったりする。
と、いうことを考えている僕がライブ配信信仰者の方々が多数派を占めるイベントに参加して同じノリで楽しめるだろうか?
仮定の話だからそうとう変な妄想入っているのは認める。きっと現実はそんなことないと思う。
でも、仮定だからこそ頭のリソースをこれ以上しょうもないことに取られたくない。
こんなどうでもいいこと考えてる時間があるならこの前公式で出してくれた夢の集大成をもう一回見る時間に充てたい。
やっぱり僕は画面外で本人に認知されない部外者で応援するっていうのが性に合ってると実感した。
けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)
所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。
それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。
もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。
吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間が必要かを知っているはずだ。
人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。
けものフレンズは吉崎先生がキャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。
鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。
彼に出会えたことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。
また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生はアニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。
たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。
しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続中なのだろう。
木村監督はアイカツで名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。
ただ、木村監督はたつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。
世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客の選択と作家同士の切磋琢磨が生じる。
監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。
ただ、第3回上映会にて、かばんちゃんとサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。
アニメ監督は演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから、監督が設定を知らないことは異常事態と言える。
理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からぬものが出来てしまう。
吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。
その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないかと想像してしまうのだ。
いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。
それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。
ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。
<結局何が言いたいかというと>
けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。
もちろん、動画もどこまで信じていいか分からないし真相は闇の中だ。
この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから、外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。
今回書けなかった脚本のますもとさんは、正直私はよく知らない。
ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。
やっぱり何か、監督や脚本が自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。
界隈ではおそらく何度も言われてることだろうけど、
所謂ガラケー向けのゲームとして開発されたのが始まりなので"声が無いのが通常"の状態。
声を付けてもらったことに感謝こそすれど、声が付いてないことに文句を言うのは筋違い。
そもそも最初期に"全員に声つけるのは無理"だと明言されている。
上位メンバーでCDを出すという結果があり、そこに声が未実装の子が入ったから、
じゃあ声を付けましょうという流れであり、初めから声を付けるために動いてるわけではない。
こんなもの選挙記念CD出すの辞めますと言われたらそれでなくなるシステムなんだから。
そもそも第1回総選挙では存在しなかったシステムであり、CDを出すことは決して"義務ではない"ことは忘れてはいけない。
あくまでも周年記念として2年目以降に出されたファンサービス企画の中の一つに過ぎず、当たり前のものではない。
もちろん今更辞めれば反発も生まれるだろうから企画が無くなることはまず無いだろうけど、
それは善意からくるものであって、実施しないという選択を選ぶ権利はあちらにも当然ある。
そうなれば新規に声が付く機会も当然無くなる。声が付くのは当たり前じゃない。
というか偶に見かけるけど、声があって当たり前!残りのメンバー全員に声をつけろ!とかいう考えがそもそも常軌を逸してて、
いくら声優飽和時代だからと言ってもいきなり百人以上追加しても面倒を見きれるわけがない。
声付きを増やすにしても現状のように選挙結果だったり、アニメ・漫画の記念のサプボで少しづつが一番最善で最速。
良かった点が無いわけでもないけど、ぜんっぜん面白くなかったんだけど。
まず敵がドローンってのが面白くないわ。機械相手はやっぱり面白くない。裏で人間が操縦しているから、操縦者の個性が出るとよかったかもしれない。でもそういうのも無し。途中で操縦者が交代したけど別に挙動に変化は無し。
それにドローンはドローンでも描写が適当すぎ。戦闘を通して学習してリョウが撃った弾を弾く描写があったけど、戦闘を通して学習しているならあの弾の当たらなさは何?人間の動きを学習して弾を当てるほうにリソース使えよ。なんで避けるほうにリソース使ってんの?負け犬根性染み付きすぎでしょ。人間が打つマシンガンが1発も当たらないのってアクション映画ではよくあるけど、学習して進化し続けるって設定なのにドローンの弾が当たらないのはさすがに無しでしょ。とりあえずドローンと人工知能を出してみましたみたいな感じ。あれは無いわ。ミサイル避けるのもダメ。リョウならやりかねないけど、あくまでもそれは神技なんだから、神技として描写しないとダメでしょ。なんでひょいひょい避けてんの?
第一ドローンを使う意味がない。「市街地で突然戦闘が始まるかもしれないという恐怖感があれば武器がもっと売れるはずだ」って論理で悪の組織が新宿にドローンを放つわけだけど、別にドローンじゃなくてよくね?金払って傭兵さんにテロ起こしてもらえばいいじゃん。実際やってるし。ドローン使う意味がわからない。流行ってるものを出せばいいってもんでもないでしょ。
親玉のドローンがトドメを刺されて爆発するところなんて意味不明。岩が崩れてリョウは生き埋めになるけど、なんで生きてるの?普通死ぬでしょ。ギャグっぽいシーンならわかるんだけど、ガチ戦闘の結果岩が崩れて相打ち!とおもいきや・・・って流れで理由もなしに主人公だけなぜか生存してたら白ける。作戦とかなんもないんかい。
いやでも、そんなのはどうでもいいわ。ドローンの設定が雑とか、とりあえず流行り物出しただけだろとか、そんなのはどうでもいい。よく考えなくてもシティーハンターってそういう作品だし。でも肝心の女子大生さあ、なんだったの?何?まじで。最初は父親のこと恨んでたわけでしょ。それはわかる。かーちゃん置いてなにやってんだよって。わかるわ。でも最後父親のことだいぶ許してたよね。なんで?いや、もちろん、父親が家族のために頑張ってきたってのを知って心が変わったんだと思うよ。それが何?って思わん?よくある話すぎて映画のストーリーの柱にするにはさすがに弱すぎ。あまりにもよくある話。てか心が変わる瞬間を描写しないのはなんで?なんとなく察しはつくけど、そのシーンが無いと意味不明すぎでしょ。女子大生って元々そこまで深く悲しんでいたわけでも、苦悩していたわけでもないように描写されているし、考えが変わった理由もよくわからない。ゲストキャラクターとしての扱いが雑すぎるでしょ。シティーハンターは言うまでもなくシティーハンターが主人公だけど、シティーハンターは舞台装置でもある。ゴルゴ13と一緒。シティーハンターが舞台装置だとしたら、主人公は女子大生なんじゃないの?もっと感情にクローズアップすべきでしょ。家族に対する父親の思いとか女子大生の苦悩をもうちょっと情感たっぷりに描けなかったの?
いや、てか父親だよ。おめーだよおめー。意味不明。「家族を殺すぞと脅されてドローン兵器の開発に手を貸してしまったけど、最後の抵抗として、開発したドローンシステムにロックをかけました」これはわかる。最後に抵抗するくらいなら最初から作んなよって気持ちはあるけど、まあ人間ってそんなもんだよな。でも「ロックを解除する方法がたった一つあります、それは娘(女子大生)の眼球を使って虹彩認証をすることです!」は~?何いってんだこいつ。娘を殺したいの?俺が悪の組織だったら、娘を生け捕りにして虹彩認証に使って終わったら山に埋めるわ。俺じゃなくてもそうするはず。実際映画の悪の組織もそうやってた。なんなん?本当は娘を恨んでいたのか?国際秩序を揺るがしかねない激ヤバ兵器の起動パスワードに娘の虹彩を使うとかヤバすぎでしょ。サイコパスか?
あと虹彩。父親は娘とは長年会っていなかったって設定だけど、いつのまに娘の虹彩情報をゲットしたの?直接会って提供してもらわないと無理だと思うんだけど、いつのまに会ったの?そういう描写一切ないよな。
女子高生じゃなくてリョウと香に注目しろって?まあ確かにそうかも、って思いそうになったけど、それもダメだわ。リョウと香の心理描写も謎なんだもん。リョウは香が社長にチヤホヤされてるの見て知らんぷり。なんで?嫉妬しろとは言わんけど、超怪しい社長と飲みに行くのを黙って見てるのはさすがに無いでしょ。リョウは最後の最後で「香はドレス着ようが着まいが綺麗なんだよなあ」みたいなこと言っていい話っぽく終わるけど、それリョウの心の声だろ?香に言ってやれよ。それを言ってやらないのがリョウと香の関係性だ、ってのは確かにそうなのかもしれないけど、でも香は最後までずっとモヤモヤしてるわけでしょ。救いがなさすぎる。香目線だと「ドレス姿を褒めてもらえなかった上に、怪しい社長とデートしたときも心配一つしてくれなかった、悲しいなあ、つーかあの社長が怪しいってわかってたならデート止めてくれたらよかったのに」って気持ちを一生抱えて生きていくわけだぞ。救いが無すぎ。そこ解決しないで「お幸せに」みたいなことを女子大生に言わせても「どこが幸せなの?」としか思えん。
ファンサービスなのか知らんけど時々挿入されるお約束ネタみたいなのもいらねーわ。てかキャッツアイって誰?サイクルコンピュータのメーカーか?いや、正直に言おう最後のGet wildは良かった。確かに良い。そこばっかりはファンにサービスしないといけないわ。でも他はなんなの?挿入歌入れまくりで確かに懐かしいといえば懐かしいけど、懐かしさを味わいたいだけならdアニメストアでTVアニメのほうを見るわ。肝心のストーリーが2時間の映画に見合ってなさすぎ。シティーハンターって元々そういう作品でしょ、って言うやつ絶対いるとおもうけど、それシティーハンターって作品にすげえ失礼だと思うわ。こんなもんじゃないでしょ、さすがに。TVアニメのほうも確かに設定は雑というかあまり練られてなかったかもしれないけど雑さが目につかない構成にしてたでしょ。キャラクターの心情も30分アニメに見合うレベルではあるけどしっかり描写してたでしょ。別に懐古で言ってるわけじゃない。映画見る前にdアニメストアで20話くらいまで懐かしいなーって思いながら見たもん。正直TVアニメも大味ではあったけど、見どころも多かったでしょ。今回の映画はなんなの?良かったのGet wildだけじゃん。あれだって元々の曲がいいだけかもしれない。それ言っちゃだめか。2時間の映画にしてはちょっと物足りなすぎだわ。もうちょっとちゃんと作って欲しいし、絶賛してるやつってファンサービス以外でどこが良いと思ったの?謎。
よく若手俳優好きな人たちはファンではなく、オタクと名乗る。その一方で俳優は、自分を応援してくれる人のことをオタクではなくファンと呼ぶ。
両者に違いはあるのだろうか?
舞台に行くのは1つの公演につき数回で、SNSで同じ俳優や同じミュージカルのファンと繋がって楽しく過ごしていた。
初めてのファンイベントに胸をときめかせて、普段は舞台と客席という距離感でしか見られない好きな俳優が目の前にいることに、彼と話が出来て写真が撮れることに感動した。この時は彼を見られることが、彼の話を聞けることがただ楽しかった。
私は彼のオタクと名乗っていたものの、極めて善良なファンだった。
彼のことは結局5年くらい応援していたのだが、段々と熱が冷めて降りてしまった。
何かにハマっている時の何とも言えない充実感というのは一度経験すると忘れられない。
次に好きになった俳優は、彼が出ている舞台に出演していた俳優だった。彼のことをBとする。
Bとの出会いが私を変えた。
Bを好きになった舞台はかなり大きな舞台だったのだが、彼はデビューしてすぐの俳優で、その後の舞台は小劇場と言って良いのかもわからないくらい規模の小さなものだった。そこでは舞台の後にお金を払えば写真が撮れて、話せて、手紙やプレゼントが渡せた。
「イベントにもきてましたよね?いつもありがとうございます。○○さんって言うんですね」
この舞台の前に事務所イベントがあり、そこではお見送りハイタッチがあったが、流れ作業で覚えられてる訳がないと思っていたから驚いた。しかも手紙を確認して名前まで読んでくれた。
毎回写真を撮ってるファンはいても、毎回手紙を渡すファンはいなかったらしい。
Bは必ず前日に渡した手紙の内容に触れてくれた。出演者全員との写真撮影の時も「○○さんは僕の隣ですよね?」と言ってくれた。
好きな俳優が自分のことを個として認識してくれることの嬉しさ。これは経験したことのある人にしか分からない嬉しさだと思う。
あまり詳しく言うと誰を応援していたのかバレそうなので控えるが、ある事情でBのことは応援することができなくなってしまった。(炎上で降りたとかではなく)
格好良いなと思える俳優、凄いなと思える俳優はいても、応援したい、推したいと思える俳優には出会えなかった。
しかし、ある人気舞台を観に行った時Cという俳優に一目惚れした。
彼のパフォーマンスと笑顔に釘付けになり、気づけば次の舞台のチケットを集めていた。
Cはこの舞台をきっかけにかなり人気が出たため、接触に来るファンの数は凄まじく、積んだところで対応が変わりはしなかった。
それでもCのパフォーマンスと笑顔が大好きだから出る舞台には行けるだけ行った。全通とまでは言わないが8割は行っている。その度に手紙を書いた。
SNSで手紙やプレゼントに対してお礼を言う俳優ではなかったので、何の意味があるのだろう?と思うこともあったが、とにかく彼の演技が好きだからその想いを手紙に書いた。
しかし、物足りなさも感じていた。
Bの時に好きな俳優に個として認識される嬉しさ、見られることの嬉しさを体感してしまっていたから、ただ見るだけでは満足できなくなっていたのだ。
メジャースポーツではあるが2部リーグの観客は少なく、最前列でプレーを見ることができた。
その中で1人目を惹かれる選手Dがいた。プレーも勿論素晴らしいのだが、俳優顔負けのルックスだった。
どうしても忘れられなくて次の週Dのチームが出る試合を観に行った。
やっぱり彼のプレーは素晴らしく、そして格好良かった。
その日はファンサービスの日だったらしく、会場の中にはファン対応を待つファンが多くいた。(といってもチーム全体で数十人)
彼はびっくりするくらい良い人で、沢山話をしてくれて、写真を撮ってくれた。
家に帰っても熱が収まらず彼の過去の試合やファンがあげた写真などを片っ端から調べた。
Cの舞台に通いながらもDのことが忘れられなかった。
しばらくCの舞台がない期間があり、そこがちょうどDのリーグ戦の時期と重なっていたので、行ける限りDの試合に行った。
試合を見に行くほどチームや競技のことも分かるようになり、試合を見ることもどんどん楽しくなっていった。
そして試合終わりには毎回出待ちをして差し入れと手紙を渡しDと話をした。
Dのファンで遠征をするほどの熱心なファンはおらず、Dはあっという間に私のことを個として認識するようになった。
前に話したことも覚えていてくれてそれについて向こうから話題を振ってくれたり、髪型を変えれば気付いてくれたり。
私はDのことをこんなに知ってるし、Dも私のことをこんなに知ってくれてる。チームメンバーにもDのファンの子だと認識されている。会場内で会うと(選手は結構うろうろしてる)向こうから挨拶をしてくれる。
追っかけやオタクと無縁な人にとっては、くだらないと思うかもしれないが、これがすごく嬉しいのだ。
舞台の上でのCはやっぱり輝いていたし、好きだ、応援したいと思った。でも、Cにとって私は何万人といるファンのうちの1人でしかないのだとも思った。
ある日CのCD発売イベントが発表された。どうしてもスケジュールが確保できず、必要最低限の枚数だけ買って、イベントにはいかなかった。
その内容をざっくり言うならファンの力は凄く助かっているが、オタクになられると困るといったものだった。いくら積まれてもそれによって対応を変えるつもりはないと。
Cの接触でいくら積んでも個として認識される事はない、あっても向こうはそれで態度を変えたりしないのでは意味がないと思ってしまったのだ。
私は接触イベントで、一方的に俳優を見るだけでは、一方的に想いを伝えるだけでは満足できなくなっていた。
今でもCの舞台には行っている。
ただ自分が面白いと思う舞台だけ、自分の見たい回数だけ、見るようになり、接触イベントにはきっぱり行かなくなった。
結局のところ、自分の好きな存在を見るだけでは満足できない、見られたいと思ってしまう限り私はファンではなくオタクなのだろう。
私はその作品が大好きで、人生の半分以上をオタクとして過ごしてきたけれど間違いなく一番好きだと言えるキャラクターがいて(以降推しと呼ぶ)、楽曲も全部好きで、これからもずっとその作品の、そして推しのファンでいたいと思っている。
そんな中での声優ライブ。声優の方々がキャラクターになりきって?歌って踊る。ファンサービスをする。喋る。キャラクターの声で。キャラクターを連想させるような衣装を着て。ライブにはキャラクターのイラストや名前が使われたムービーが流れる。声優同士でキャラクターそのもののように絡んだり、話したりすることもある。
ライブが終了すると、Twitterのタイムラインは現地やライブビューイングに行った人達の感想で溢れた。
「△△(声優)がこんなことを言って、**(声優)と絡んでいた。推し(△△が演じているキャラ)と推し(**が演じているキャラ)が絡んだ」
「☆☆(声優)がこんな風な振り付けで踊っていた。♪♪(☆☆が演じているキャラ)はそんな風に歌って踊るんだね」
友人も言っていたし、フォロワーのフォロワーも、好きな絵師も、字書きも、別件でかけた検索の先の知らない人たちも、みんな言っていた。みんながこのライブを楽しいと言い、絶賛していた。みんな本当に嬉しそうで、楽しそうだった。
推しや好きなキャラクターたちの声優が、推しや好きなキャラクターのように振る舞うのが苦手だ。
この作品の声優ライブは何度か開催されていて、前回のライブのとき私は現地に居た。
友人が「応募したらチケットが当たったから一緒に行こう」と誘ってくれたのだ。
初めての声優ライブ。どうやら声優として扱うことはダメらしいので(声優の名前を叫んだりなど)、推しのうちわと推しのキンブレシートを作った。声優に「推しくんこっち見て」「世界で一番愛してる」なんて書いてあるうちわを見せてどーすんだとも思ったが、とりあえず作った。ありがたいことにアリーナ席で開演を待つ。
推しの声優が出演していた。推しの声優を見た。推しの声優の歌を聴き、踊りを見、トークを聴き、推しの声優に推しのうちわと推しの名前が入ったキンブレを振った。推しの声優が歌う。喋る。推しの名前で呼ばれて嬉しそうに笑う。
嫌だと思った。推しじゃないと思った。推しと同一視なんて絶対出来ないと思った。推しのように振る舞わないで欲しいと思った。声だけ推しに提供して欲しいと思った。別にその声優の容姿がどうのとかそういう訳じゃなく(むしろ容姿は良いと思う、顔面が好みなタイプだ)、そういうのじゃなくて、ただ圧倒的に「違う」と思った。そのライブで、推しなんてどこにもいなかった。
だって、私の推しと推しの声優は違う生命体じゃないか。ただ、声を提供されているだけじゃないか。推しの声優がこんな風に踊ったからといって、私の推しがこんな風に踊るとは限らないじゃないか。運営から用意されている以外の言葉を推しの声優が推しっぽく喋っても、それって声優の言葉じゃないか。それは、私の推しの言葉じゃない。推しの声優が推しのように喋っているだけだ。
推しは「2次元に生まれ、2次元に存在している」のだから、3次元の人間がなりきろうとすることに違和感を覚えた。私は2次元に存在する推しを好きになった。生身の人間を介して推しを見れなかった。
(考えてみたら昔からコスプレとかも苦手だったし、この作品は舞台化されているけど舞台の推しにときめいたことは一度もない)
なので今回のライブは行かなかったのだけど、まあ〜出てくる出てくる「声優=キャラ」という感想。そして出来上がる、声優ライブを楽しめないとファンじゃないという風潮。
だめなんだ、どうしてもだめだった。言い方は悪いが、本当に申し訳ないのだが、声優が推しの真似事をしている姿が。
でも世間はそれを良しとする人の方が多くて、それを許容しなければまるで推しのことを愛してないかのように見られる。現に数人に「声優を推しとしてみれないから、今回のライブは見送る」と打ち明けたが、その大半になぜ?と問われたり(なぜもなにもないよ)、少し不満そうな顔をされたりだとか、そんな感じだった。
私だって声優ライブを楽しみたかった。ただでさえ不定期な供給、楽しめるものがある方がいい。推しについて悩む時間より、推しを好きと思える時間が多い方がいい。
皮肉ではなく、純粋に羨ましいのだ。声優に何も感じない人達が。声優ライブを当たり前に楽しめる人達が。
私も声優からファンサを貰って喜びたい。声優と声優が絡んでいるのを見て、声優の踊りを見てはしゃぎたい。生歌を聴いて「推しが歌ってる」と思いたい。
私には""声が一緒""というだけで声優から推しを感じることは出来なかった。感性が足りない?のだろうか。欠陥があるのだろうか。2次元に生まれ2次元に存在する推しだからこそ、それしか認めたくないと思うのはおかしいのだろうか。
まさかこういった形でコンプレックスが増えるとは思わず、あまりに不意打ちすぎて笑ってしまった。
あと友人、せっかく連れて行ってくれたのにこんなことを思ってしまってごめんなさい。声優を推しとは思えなかったけど、好きな楽曲でペンライトを振れたのは楽しかったです。あれ?もしかして、楽しみ方これか?
2019-01-04
年が明け、2019年が始まった。早速有名人たちのご報告が飛び出している。
僕は昨年いっぱいで声優オタクをやめてライトなファンとなったのだが、やめる前からこのことは記事にしようと思っていた。
上手く、綺麗に、見やすくまとめようと思ってたんだけど、気持ちの整理がついていないのでごちゃごちゃで分かりづらい文章になると思う。それでも書きたいので書く。
ちなみに僕のざっくりとしたオタク略歴は、ゆるゆり ⇒ 七森中ごらく部 ⇒ 大久保瑠美さん(以降大久保さん) ⇒ 青春学園GirlsHigh↑↑(以降ガルハイ) ⇒ 原紗友里さん(以降原さん)という流れ。
※オタクの定義は人によると思うけど、僕が思う声優オタクというのは、出演番組へのメール投稿、出演イベントへの参加、ファンレターを送る、プレゼントを贈る、イベントや舞台出演時に祝い花を贈る、年賀状や寒中見舞いを送る、グッズとかCDを積む、などをやっている人。
ご報告が怖すぎた
ご報告と言っても色々。この場合は、熱愛報道後の声明、結婚、妊娠、出産など。
声優として、人間としてを超えて、異性として好きになりすぎてしまった。
推しのペットになりたいとか気持ち悪いことを考えたときもあったが、目の前で推しとその恋人とのセックスを見せられたら生き地獄だなと思った。
大久保さんならFateやFGO(違いは分からない)、原さんならアイマス、デレステ、デレマス(違いは分からない)。
推しが出ているので、当然アニメや関連動画番組やラジオ番組を視聴した。ライブビューイングにも参加したものの、全く共感できなかった。
関係ない別のコンテンツなのにFateとかアイマスのことを持ち出すオタク達が嫌だった
僕の好きな歌で「好きになれないものを見つけたら わざわざ嫌わなくていい そんなもののために時間割かず そっと離れればいい」という歌詞があるのだけど、こっちが離れているにも関わらず好きになれないものが目についてしまうので、とても不快だった。
ファンサービスが少ない
お渡し会、ハイタッチ会、サイン会など、直接触れ合ったり話せる機会。いわゆる接近。事務所の方針とか本人の好き嫌いとかあると思うけど。そもそもアイドルではなく声優なのでやらなくてもいいのかもしれない。でもどうしても接近が多い声優と比べてしまう。
原さんは朗読劇や舞台の時の物販に立ってくれる時くらい。会うたび好きになってしまうので逆に全くない方がいいのではとも思ったがそれも悲しい。大久保さんは接近は皆無。
ファンレターやプレゼントや祝い花を撮影して自身のブログにアップすることがほぼ無い。事務所の決まりなのかもしれないけど。そういうファンサービスをやってくれる声優のオタクが羨ましかった。
単純にお金を使いすぎたし、その見返り(お礼とか)を求めすぎた。
この世に推しが存在しているだけでありがたいという境地には達せなかった。
この人よりも自分の推しの方が凄いのに何で?推しを出せよ推しを、ということが多くなりイライラすることが多くなった。
観たい!聴きたい!送りたい!から、観なきゃ…聴かなきゃ…送らなきゃ…という義務感に駆られるようになった。
自分の理想を押しつけてしまい、以前は全て肯定していた推しの意見に対し、批判的な考えに至ることが増えた。
今思えば、始めてメール投稿をして声優オタクになるきっかけとなった番組、ガルハイが終わった時点で声優オタクはやめるべきだったのかもしれない。でも急すぎて辛かったので難民と化し半ば惰性で推しを追ってしまった。
声優オタクを始めてからやめるまで約3年ちょいだった。飽き性の僕にしては続いたほう。
他の番組のノリがイマイチ合わないときが多々あった。まりえさゆりのオフラインセッション(以降オフセ)もそう。なんなんだよシンデレラ一門って。
単独でのラジオ番組もしくは動画番組があればまた違ったかもしれない。大久保さんはあるけど。
推しを増やせなかった
2次元⇒2.5次元ときたので3次元オタクになるのかと思ったが興味が湧かなかった。
探せば他にも出てくるかもしれないが、大体こんな感じ。こうして書き出してみると、独りよがりでどうしようもないクソキモオタっぷりが浮き彫りになったなー…。
いやらしい言葉を盛り込んだメールや軽めの下ネタが採用されなかった。
そういうノリの番組がもう無いのだからしょうがないのかもしれないが。誰か達成したら教えてください。メールじゃないけど、随分前にオフセで原さんがバイアグラという単語を口にしたときは驚いた。
大久保さんは自分からそこそこ話していたこともあったと思う。原さんは謎が多かったがすでに実家暮らしではなく一人暮らしっぽい。誰かあぶりだせたら教えて下さい。まあもしやばいこと言ってしまってもカットされるか。今となってはどうでもよいことだけど。たとえ恋人と同棲していても。
イベントに行くのは主に東京だったので、それ以外の全国各地に新幹線や飛行機などを使って行ってみたかった。
今思いつくのはこのくらい。達成できたことに関しては、これまでのまとめで書いたと思うので割愛。
グッズについて
駿河屋に売り払った。安心買い取りを依頼したのだが、見積もり依頼時に出てこない商品は全て詳細を調べて手入力した。向こうとのやりとりも含めてくっっっそめんどくさかったものの、その甲斐あってかそこそこの値段になった。部屋も片付いたし金に困っていたので助かった。
何より推しの名前で検索したときに表示される商品の件数が増えて達成感があった。
0円のものや買い取り不可のものは近所のブックオフに持ち込んだ。とてもスピーディーだった。
2018年末に発表された、原さんとアパレルメーカーとのコラボアイテムについては買うかどうか迷っている。
現状と今後について
番組を観ないなど、他界覚悟で推しに関する情報をなるべく遮断し、推しのことを考えない日々を送っていたら、推しへの尊さが減ってきてだいぶ心が楽になってきた。いずれ太陽と地球くらいベストな位置まで離れてその距離を維持したい。
オフセのおまけ放送おふしかいにて、原さんが「そのコンテンツを思いっきり過剰摂取すれば卒業出来るよ」と言っていたのが印象に残っている(この回はオタク卒業というテーマだった)。確かに僕は過剰摂取したのかもしれない。
応援される側からすれば、ファンなんてただの数字でしかないし赤の他人なので、熱狂的なオタクが10人いるより、ライトなファンが100人いた方がいいんじゃないかと思う。例えばだけど。熱量ありすぎると向こうも怖いだろうし。
嫌いになったり飽きたわけではないので、ライトなファンとして番組を観たり聴いたりしていきたい。
今後もしご報告が来ても、推しが恋人と心を通わせて気持ち良いセックスが出来ているならそれでいい、と心の底からお祝いできるようになりたい。
さて、空いた時間で何しようかなー(晴れやかな表情)。
よくできたまとめ。
かくいう自分はロストメビウスあたりで離れた組(※と、いいつつ結局今でもどこか目の端で作品群を追いかけている)
このあたりの解説もまさに増田の言うとおりで、作品のテーマが難解になって、作者の言わんとしているところと作品読了後の自分の得たいカタルシスが一致しなくなったため。
自分がブギーポップに求めていたのは第一に『笑わない』のような多重構造のミステリーを通して語られる世界というものの複雑さと適当さに圧倒される閉塞感。
第二に『パンドラ』『ホーリィ&ゴースト』『冥王と獣のダンス』『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』で示されるような、閉塞的な世界において個々の人生という名の運命=<試練に立ち向かう戦士>の話。
第三に、前項ふたつの要素が組み合わさって終幕を迎えた物語におけるカタルシス。
初期作品は間違いなくこの三つの要素で形作られていたといっても過言ではない。
そして著者のあとがきで語られる分析と考察と独白みたいな結論(通称:上遠野節と言われる)がこのカタルシスに絶妙な味を与えてくれて、二週目以降の読破にも興が乗る。
このカタルシスだが、二期後半以降かなり薄れる、
具体的にはまさに増田が触れているとおりで、ロストメビウスとそれ以降の作品群。
『世界の謎要素』が強くなった二期以降のブギーポップにおいて、ロストメビウスは作品群として重要な位置づけにはなりえても『戦士』よりも『世界の謎』を優先したために作品単体としての完成度が低い。
そのわりにロストメビウス以降も大筋でブギーポップの世界観に進行があったということはないので、かなり肩透かし感がある。
そして二期作品以降はこの傾向が加速して、世界観に一切進行のない肩透かし感(「結局あれはなんだったのか」)が続く。
その原因について、ブギーポップを含む作品群についてを含めてこのblogがすばらしい考察を書いているのでリンクを張っておく。
http://gentleyellow.hatenablog.com/entry/2019/01/03/135038
もともと上遠野氏の作風はストーリー自体がもともとスタンドアローンで、ストーリー同士をつなぎあわせることで全体が見えてくるというミステリーみたいなスタンスだった。
つまり最初期における『笑わない』で用いられていた手法が、今度は作品群全体において用いられるというスケールアップが面白かった。
したがって、巻が進むごとに世界の謎が徐々に解き明かされるというミステリーっぽさが熱狂的なファンを生んだ。
しかし二期後半くらいから過剰になってきたために、年単位で放置されてきた伏線が増えてきたことで、作者の中でネタの賞味期限が切れてきた、というのが正直なところではないだろうか。
この賞味期限の切れ具合から起こったネタの在庫整理が、そのまま上遠野氏における二期、三期の切り替えの時期に一致している感じがある。
したがってこの賞味期限切れの結果、世界の謎要素は徐々に手仕舞いしなければならなくなる。この手仕舞いが「ヴァルプルギスの後悔」である。
ではそれ以降のブギーポップはどうなるのかというと、作品全体を覆う世界の謎がなくなってしまったので、あとにはスタンドアローンになったストーリーしか残らない。
筆者が特にこの傾向を感じたのは「沈黙のピラミッド」あたりであり、確信したのが「化け猫とめまいのスキャット」あたりである。
この辺になってくると、もはや世界に謎がないのでスタンドアローンで作品を見ていく以外に楽しみ方がない。
もともと外伝作品とスピンオフのかたまりだけで構成されていたブギーポップシリーズが、それでもシリーズの体を保っていたのはブギーポップの存在と世界の謎だったのだが
世界の謎がなくなったことで(※まぁ、振り返ってみるともともとそうではあったのだが)ブギーポップシリーズが明確に単純なスピンオフの塊シリーズとなった。
類似作品としては「地獄少女」みたいなものだと思ってもらうと分かりやすいだろうか。
ブギーポップの魅力が一番詰まっているのはやっぱり原点である「笑わない」とそこに連なる初期9作品、ロストメビウス手前までの二期前半だと思う。筆が載ってた時期が一番面白かった。
個人的には「ビートのディシプリン」シリーズこそ真骨頂だと思っている。<世界>と<戦士>の構図をカタルシスと共に描くことにかけては著者の作品でいまだ右にでるものがない。
時系列的にも世界の謎がもっとも沸騰していた頃だったので、ここまでは大きな流れが見えて面白かったように思う。
二期後半以降から作者はたぶんブギーポップ関係とは別作品を書き始めて、ブギーポップの位置づけが自分の中で変わってしまったんだと思う。
やりたいことをやるために別の枠が用意されているなら、ブギーポップではもはやそれをやる必要はない。特に<ヴァルプルギスの後悔>という大仕事を終えてからはそれが顕著である。
したがって初期作品に見られたカタルシスは二期作品と並行で書かれた著者の別作品できちんと得ることができる。
たとえば<戦士>と<世界>の構図の代表作であれば『冥王と獣のダンス』や『ビートのディシプリン』『ナイトウォッチシリーズ』
そして<世界の謎>=ミステリーであれば『しずるさん』『ソウルドロップ』があげられる。
つまりこの辺から上遠野さんは、やりたいことがいろいろとできちまってブギーポップについてはとっちらかし始めた感じがあり、最終的にもともとそうであったようにスピンオフとスタンドアローンストーリーの寄せ集めに落ち着いた感じがある。
すでに二話まで見てみたが、まぁこんなもんなのか?という感じ。
もっとカットを多様してキーワードとなる台詞にはキャラクターの口元を映したり、必要なシーンを瞬間的な回想で一瞬だけ挿入させるなど、雰囲気を出すためにシャフト的演出が必要なのではないか。
シーンごとのつながりは見た人に分かりやすいつくりにはなっていると思う。
ただ木村君を出さないのはどうかと思う。「笑わない」を読んだことがある人にはわかると思うが、通しで読むと途中までは単なる青春ストーリーでしかなかったものが
木村君のチャプターから徐々にストーリーの肝へと近づいていく、いわば切り返しのチャプターなのだ。
というよりそもそも三話か四話程度で「笑わない」をやってしまう今回の計画自体に無理があると思うのだがどうなのか。
聞くところによると中盤から後半は「vsイマジネーター」をやる予定らしい。
上遠野氏にとって間違いなく重要な存在だったイマジネーターだが、多分筆者の雑感ではおそらくまだこのテーマは著者の中ですっきり終わってないまま放置されている。
原作がまだすっきりと終えていないものをアニメ化したところで面白い話になるはずもない。
個人的に監督に対する批判としては、アニメ化するなら上遠野氏の作品のなかでもスタンドアローンできれいに完結しているものを選ぶべきだった、と言いたい。
何かと話題になる『笑わない』とか『イマジネーター』ばかりに目をやるのではなく、形としてワンクールに綺麗に収めやすい初期の作品なら
『ペパーミントの魔術師』『ホーリィ&ゴースト』『エンブリオ侵食・炎上』『パンドラ』があったではないか。
初期作品の趣を正当に継承しつつ、ワンクールという短い話数でまとめやすくきちんとカタルシスを与えられるストーリー強度を持っているのは間違いなくこの四作品だ。
三期以降の著者の作品は手にとっていないので分からないというのが正直な感想だが
懸念していることとして何点かあげておきたい。
成熟期~衰退期にある現在の日本は、当時の熱狂からの急速の冷却時期をある種越えて、落ち着いた感じがある。
またITの広がりを受けて知識を得ることが一般かつ容易になったために、今まで知らなかった社会の謎や不満、不安が解き明かされつつある。
少なくとも「自分の感じていること」が何なのかを社会的な構造や論理できちんと説明できるようになった。「何がなんだか分からなかったもの」から、少なくとも「原因はこれなんじゃねえか」と言えるような、手触りのあるものにまで落ち着いてきた。
そしてエヴァで示されるような自分自身の心理的な問題や、ガンダムのような社会と自分との対決ではなく、もっと普遍的なある種受け入れざるをえないような構造上の問題として理解されつつある。
働き方も人生に対する考え方も将来に対する展望も、今の若い人たちはよりリアルで現実的だ。
自己実現の形も身近で多様になってきた今、閉塞感を主要な題材として手探りで作品を作る事は普遍的とはいえやや共感が難しい。
ある種のカウンターカルチャーから始まっているとはいえ、ストーリーの路線はもっと王道的なものへ回帰する必要があるのではないか。
いまの若い子たちのほとんどは迷いがない。情報がたくさんあり、そのことに慣れているので、彼らのほとんどは過去90年代に存在していたような迷いや苛立ち、先行きの見えなさというものからきちんと卒業している。
先行きが見えないレールとして見るのではなく、多くはレールを立派に相対化して統合評価し、少ない選択肢のレールの中から自分の納得のいく選択を手にして自分の人生を生きている。
平凡ではあるが、意思ある存在としてその平凡さを選んでいるのだ。わけもわからず梯子を登り続けた90年代を背後から俯瞰して「だいたいこんなものだ」という感覚を肌で分かっているのが00年代だ。
したがって、振り落とされて振り回される世代ではない。また将来に対する不安はあれど、道しるべや指標、解析ツールは探せば手に入る時代に、無理をして多くを手に入れようとはしない。
したがって、ピート・ビートが感じていたような不安感は、物語の没入のためには役立つが、そこに共感を感じさせる要素は見つけにくいだろう。
過去SFは現実の社会を映すものであり、社会の謎を解き明かす鍵があると考える読者も多かった。それがカルト的信者を生んでいた一面もあった。
しかし現在の若年層にとって、SFが提供する社会の謎はエンターテイメントの一部でしかない。
したがって<世界>と<戦士>の構図も同様に、エンターテイメントとしての構図に終始するか、あるいはこの時代における新たな<世界>と<戦士>の構図を再度見つけなおさなければならないだろう。
一言で言ってしまえば、セカイケイはもう終わってしまって古くなった。
人々は自意識というものについての興味を、以前ほどにはもっていない、ということだ。
したがって、意識というもののあり方が大きく変わってしまった以上、<世界>と<戦士>のあり方も本質は変わらずともあり方を変えて描かざるを得ないのではないか。
知っての通り、上遠野氏はジョジョの熱狂的なファンであると同時に、洋楽から多数の引用を行う。
これはあとがきに書かれている通りだ。
これはこれで悪くない選択だとは思うし、古典に学ぶことが創作の近道なのだが、現代のサブカルチャーとその源流についてももう少し学んでいいのではないか。
現代っ子が引用するサブカルチャーのほとんどはpixivはニコニコ動画が主流である。
そして引用のされ方にも傾向がある。
売れ筋に寄せろといいたいわけではないが、そもそも主戦場がライトノベルであるから、ハードな戦い方(※つまり正統的なSFとミステリ)をしていても遠巻きに眺められる終わるのがオチではないか?
もう立派な大御所なのだから売れるための本を書く必要はないのかもしれないが、もっとキャラクターがきちんと動くストーリーを書いてくれたっていいのではないか
ファンサービスのありかたも商業小説のあり方も変化してきたのだから、もうちょっと寄せてくれてもいいのではないか。
そんな気がする。
今更ながら「ファンタスティック・ビーストと黒い魔法使いの誕生」を見た。
1作目は個人的に割と良かったと思っていて、新しく始まった魔法ワールドの更なる展開に胸を弾ませながら2作目を見たのだが…
な ん だ こ の 駄 作 は
私、子供の頃に何十回本を読み映画を見たかわからないほどのハリポタ好きで、知識量は並ではないという自負があるのだが、
この私でもついていけなかった…
これ、ハリポタは映画だけしか知らないって人、絶対ついていけてないでしょ。
いや、本読んでても絶対無理こんなの。
ファンタビ2はクリーデンス君の出生の秘密というのがメインテーマ。
これだけならいい。
待て待て。
あなたは今日初めて出会った人の親や家系などを短時間で説明されて理解できますか?
私はできない。
しかもこの二人の登場人物、クリーデンス君の出生の秘密には実は 一 切 関 係 な い(多分)
は?????
この映画の尺にミスリードなんて入れる余裕があったのか、ローリング女史にはもう一度考え直してもらいたい。
いや、これから活躍するのかもだしナギニちゃんかわいかったけれどさ、
あと、一番闇落ちして欲しくないキャラが闇落ちしちゃったのがなあ…
白黒はっきりつけて自分につかなかった奴は全員56す、というスタンスだったヴォルデモートに対して、
グレーゾーンを限りなく広げて我々は味方だと誘うグリンデルバルドの手法は良かったし、
あの演説に賛同する魔法使いがいてもおかしくないとは思ったのだが…
ローリング女史は、社会が不安定になると人は簡単な理由で誤った道を選択してしまうのよ、的な感じでやったのかもだけれど、
もちろん良かった点ももちろんある。
特に冒頭のグリンデルバルド脱走シーンは凄かった。そこから落ちていく一方だったが。
ま、まだ2作目であと3作もあるのだからいくらでも挽回できる(はず)
今作は間違いなく駄作だったけど、子供の頃から好きだったシリーズの続編が今でも出るって本当に幸せなことなんよ…
だから次は期待してまっせ。
http://news.livedoor.com/article/detail/15685527/
梅原「いやしないですよ」
二人「「(笑う)」」
梅原「してるように見えますか逆に」
梅原「うんー。だって、どーこで測るのそのこう……ねぇ。あの好感度高いなとかさぁ、喜んでくれてんなーなんて分かんねぇじゃん」
西山「そうねぇ確かにねぇ。サービス精神が旺盛な人、っていうのがいわゆる」
梅原「あー」
梅原「ああ~」
西山「なんだろうなぁ、『あ、目ぇ見てくれた』とか」
梅原「あー(納得したように)」
西山「まあファン、としては僕自身さ、ファンの心理は分かる、からぁ、そういうの思うわけですよ。でも逆にぃ、」
梅原「うんー」
西山「いつもツンツンしてる人ー」
梅原「うん」
梅原「うんうん」
梅原「そうなんだー」
そして梅原は、その流れで「ファンっていう言葉が嫌いなの」と断言し、「自分のファンって嫌じゃない? ファンの人が嫌なわけじゃなくて、言い方が好きじゃない」と話していた。
梅原「あのーーー……僕ねぇ、ファンていう言葉が嫌いなの。分かる?」
西山「おっ。へー」
西山「うんうんうん」
西山「あーあー、なるほどね」
梅原「なんかすごい、嫌なんだよねその言い方が」
梅原「ファンの人が嫌とかじゃなくて、その言い方が僕はあんま好きじゃなくてぇ、」
梅原「そう」
梅原「そう。で誰かのファンになったこともないからー、ファン心理も分かんないしー、」
「事細かにスタッフさんから『ここでウインクしてください』『ここを投げキスをして』って言われてるだけだから。感情はない」とファンサービスについて自身はやる気がないことを明かし、「まあ、人それぞれですけど」と言いつつ、
梅原「そう。で誰かのファンになったこともないからー、ファン心理も分かんないしー、でなんかこうーー……、たまにさぁ、手を振って、」
西山「うんうんうん」
梅原「振ったり、イベントでね」
梅原「する時もー、あれは俺言われてるからやってるだけだから」
二人「「(笑う)」」
西山「あれ?(笑う)」
二人「「(笑う)」」
西山「ま、そうね、」
梅原「(笑う)あのー、事細かにー、」
梅原「あのスタッフさんからここで、ウインクをしてくださいとかここで投げキッスをしてね、っていう風に」
梅原「感情はない」
二人「「(笑う)」」
西山「でも、逆にぃ、僕はそれを聞いてぇ、梅原さんを応援してる側だとしたらぁ、『あ、そんなに自分を持ってるんだぁ。好感度上がるわ』って今なってる」
梅原「なるかなぁ(笑う)」
西山「なってる!(笑う)」
梅原「ならないだろ(笑う)」
二人「「(笑う)」」
西山「あと、ちょっとファンじゃない人がファンになった瞬間だと思うの今」
梅原「ああ、そうなのかなぁ?」
西山「あっそういうの好きかもみたいな」
梅原「あー。や、でも過激派(※以前の回からのネタ)もいんじゃないの」
西山「(笑う)」
西山「あるかもしれませんね」
梅原「まあまあ人それぞれだからねやり方は」
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ニュースサイトでもまとめサイトでもリスナーの実況でもなく、そして書いておいてなんですがここでもなく、せめて聞ける環境にある人は実際の会話を聞いてください。それから判断してください。
前後の文脈やその場の雰囲気を無視して切り取られた言葉だけが独り歩きして叩かれていることだけは、リスナーとしても彼を応援している者としても見過ごせません。