けものフレンズ2の負の連鎖が止まらない(そのうち、勝手に鎮静化するとも思うけれど。好きの反対は無関心だからね)
所説有るけれど、誰が悪い、というのが明確に(そして案外あっさりと)決まる話ではあると思う。
それを指弾しても仕方がないのでここでは敢えて触れないが、何となく「それは違うでしょ」と思うことが2つほど。
もはや煽り文句のように繰り返されるこの説は、余りに稚拙と思わざるを得ない。
吉崎先生もヒット作を持つクリエイターで、ヒット作を世に出すためにどれだけの人・金・時間が必要かを知っているはずだ。
人というのは関わる才能の広さ、高さ、そして数。それらはヒット作の必要条件だ。
けものフレンズは吉崎先生がキャラクタライズに相応の時間を使ってきた作品であることを誰も疑わない。
鳴かず飛ばずだったけものフレンズを押し上げてくれた、たつき監督という才能。
彼に出会えたことを一番喜んでいたのは、吉崎先生だったのじゃないかと私は思っている。
また、たつき監督が交代をTwitter上で触れるまで、吉崎先生はアニメ版を含め、ファンサービスに力を入れていたように思う。
たつき監督との関係も悪いようには見えないし、まさにこれからと思っていたはずだ。
しかし、あの日を境にTwitterでは何ひとつコメントされていない。余程のことがあったのだろうし、それは継続中なのだろう。
木村監督はアイカツで名前を上げた人だ。数年のロングラン作品のかじ取りができる能力を誰も疑わない。
ただ、木村監督はたつき監督ではないし、逆もしかり。そういう才能を持った監督だ、という話だ。
世の中にはいろんな作品があるべきだし、たつき味も木村味もあるからこそ顧客の選択と作家同士の切磋琢磨が生じる。
監督であるからこその責任は当然に生じる。その点で、彼は監督を受けるべきではなかった。
ただ、第3回上映会にて、かばんちゃんとサーバルの設定が練られていないことを監督自ら述べている。
アニメ監督は演出家に近い職務であるが、物語を知らなければ演出もできないのだから、監督が設定を知らないことは異常事態と言える。
理解の及ばぬ所にある物語を、無理に演出するからよく分からぬものが出来てしまう。
吉崎先生のところでも述べたが、作品を生むには人が不可欠だ。数年間人気作のアニメ監督を続けた木村監督が知らぬわけがない。
その彼をして設定が分からないと言うのは、やはり彼が抗いきれない力が現場に働いていたんじゃないかと想像してしまうのだ。
いずれにせよ、自分でも良く分からないものを、作品にまとめあげる作業は、大変なストレスだっただろう。
それでも彼は「真面目に」ノルマを終わらせたのだろうと思う。その真面目さが全て仇になったとしても。
ただ、どれだけ過大なストレスでもTwitterはやめるべきだった。そうしたら同情ももう少し集まったとも思うのでそこは残念。
<結局何が言いたいかというと>
けものフレンズ2は業界の闇が色々と詰まっていて、アップされた動画をいろいろ見ているとためになることも多い。
もちろん、動画もどこまで信じていいか分からないし真相は闇の中だ。
この駄文だって言いたいことは「クリエイターだって馬鹿じゃないんだから、外野が余り無思慮なことを言うもんじゃないよ」って程度なものだ。
今回書けなかった脚本のますもとさんは、正直私はよく知らない。
ただ、ゾンビランドサガの担当回に限れば、批判される回も有るにせよ、良い脚本も有ったのだから、頭ごなしに否定するのはやはり違うのではないかと思う。
やっぱり何か、監督や脚本が自分の手腕を発揮できない状態に追いやられてしまったのでは、と想像してしまうのだ。それは、時間なのか、人なのか、その両方なのか・・・やっぱり気になってしまうのよね。
闇ってほど闇じゃないよね。 けもフレは原作のないメディアミックス前提のコンテンツで、 当初から二次創作を認めるなど、作り手にかなり裁量を委ねている(他ならぬたつき監督がそ...