はてなキーワード: ファンサービスとは
今更だけど「ジョーカー」を見た感想を書き散らす。映画ファンでもなんでもないド素人なので増田に書く。
この前この増田 https://anond.hatelabo.jp/20200911200534 を見て気になっていたので視聴。
けど正直ふーんって感じだった。もっと心揺さぶられる、あとから色々考えてしまう系かと思ったのに。
これだけ評価が高いのだからなにか見落としていた視点が有ったのかもと思って色々レビューを漁ってみたがイマイチ納得できず…。
バットマン自体を見たことないのがいけなかったのかもしれないが、他のレビュー見てみてもバットマン要素はファンサービス程度でそんなに関係なさそう?
主人公はたしかに可愛そうな境遇ではあるけど、金持ちが見下して暴力を振るってくるのに対して弱者である主人公も暴力で反撃して怯える金持ち共を見てスッキリ!っていうのが短絡的でつまらない。弱者でありながらも必死にまっとうに生きてきたものとして、人を殺してしまったことに葛藤があったのが徐々に消えていく…みたいな、そういったものがなかったので実在感のあるキャラクターとして見れず、「軽薄なフィクション」って感じで終わってしまった。
あとは展開読めた俺すげーみたいな話になってしまうけど、途中から主人公に都合の良い展開が多くて「ん、これ妄想かもな?」と思ってたら本当に妄想だった。
都合の良い展開とは下記のようなところ。
付き合ってると思ってた女性が妄想だったのも、デートや病院での付添に女性の子供が一切顔を出さないことに違和感があって、「これ妄想だな」と思った。
ウッソだろカバー⋯⋯いつだってマズい対応ばっかりしてきたお前、今回も火に油じゃねえか。
この解説だけで終わる程度の話がとんでもない方向に発展しちまった。俺にはもう何がなんだかわかんねえよ。
下の打ち消し線は今引きました。
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これはファンの内紛なので興味ない人は帰ってください。
本日はバーチャルYouTuber桐生ココ(ホロライブ所属)の炎上騒動について話します。
桐生ココがYouTube配信中(bilibili同時送信)にGoogleの画面を表示しながら自身の視聴者の属性を語っていたところ、国(Google Analyticsの表記では地域と出ない)の欄に台湾が表示された。
これにより中国共産党(注1)の検閲が発生し、bilibiliの桐生ココのアカウントで放送権が喪失する。
これが一時的なものか、同じ事務所(法人)に所属する別タレントに波及するか不明ではあるが、中国ファンコミュニティが騒然とする。
この翌日に同事務所で大きな中国人気のある湊あくあの記念配信が控えており、実施が危ぶまれる論説が上がる。
湊あくあファンによる不用意な配信を中国で実施するホロライブ運営および桐生ココへの怒りの声が頻発した。
何が悪いかって言えば検閲が悪く、中国本土で一国二制度へ疑義をぶちあげるのはシンプルに将来と命の危険に晒されることになる。
お国柄の大前提を踏まえた上で以下ホロライブの問題点について。
例えば中国で活動している企業は山程あり、多国籍企業なら何かしら中国共産党とニギって解決することが多い(それが良いとは言っていない)
しかしホロライブを運営するカバーは現地に主体がない。そのため誰も責任を取れない状況にあり、プラットフォームのbilibiliは責任を負う義務もないので一撃でペナルティを課す。
またボランティアも娯楽活動に命や社会スコアをかけられないため極力責任は回避する動きとなり、結果としてタレントのYouTube配信をそのままbilibiliにミラー送信するようなことが起きる。タレントの大半は中国で配信されている自覚もないから配慮も忖度もなく(当然)、最終的に看過し得ぬ内容を垂れ流し放送権剥奪に至った。
注1:中国の大きな企業の多くには社内共産党(のようなもの)があり、党の観点から企業の運営に指導することが認められている。bilibili社はお取り潰しを恐れて専門の独立した検閲部署を保有しており、先回った検閲を行うことも多い。この部門を自前で組織するか、本物を連れてくるかは経営判断だがbilibiliは党籍保持者がいる(と聞いているが当然温度差はあり以下略)
いわば無責任の集合体が中国ホロライブであり、中国のファンを蔑ろにしていると受け取るホロライブファンもいる。
中国人気を持つ同社所属タレントは独自に現地向けのファンサービスを行うこともあり、強い温度差がある。
そのため今回の騒動は「やる気のないやつ、邪魔するやつは出ていってくれ!」が本題であり、台湾云々は原則どうでもいいのだ(もちろん現地のネット右翼みたいなのはいるが)
私は私のファン第1号だ。
たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。
自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画の主人公じゃないか」と息を飲む。
自分というアイドル、偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。
壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。
迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。
いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。
本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。
歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識だけがふよふよと漂っているのだ。
偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまでファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。
私は私の人生を自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想でしかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分に容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。
誕生日が来る度に「来年はもっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。
そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。
この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。
何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。
私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。
さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。
私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字の遺書。よってこれを最後のファンレターとして筆を折ろう。キショ。
まあ少なくともラブライブではないと思う。
あれは「努力・友情・勝利」の物語が、努力も友情も勝利という目的のための手段に成り果てるという構造的欠陥を抱えていることに無自覚すぎる。青春も、思いも、全てがアイドルとして多くのファンを獲得するための道具になってしまっている。アイドルは物語によって夢を売るものだけど、その物語が飾らない自分たちの青春であれば、それは青春すべてがファンサービスの一環として商業主義の中で昇華されるリスクを抱えることになる。μ'sの物語は見事に自ら生み出したその消費の渦に飲み込まれてしまい、学園生活のすべてがアイドルとして勝利をおさめるまでの過程となった。手つかずの自分たちだけの青春はもう欠片ほどしか残っていない。自分たちだけの努力、ファンの手垢にまみれていない純粋な友情、それらすべての当たり前の学生らしい青春が失われて、アイドル活動の一環でしかなくなった青春。その世界観が貫かれているならいいが、実際は甘酸っぱい青春の物語であろうとし続け、そうして売り込むがゆえにその青春はいつまでも消費され続けていく。その矛盾が結果的に広げた不協和音の結果がアニメ二期以降シリーズ全体に漂うちぐはぐさだ。それがある時点で最高峰とは言えない。減点があるというより、全力でのめり込もうとしても障害物がコース上に多すぎて見ていて何度も感情にブレーキがかかる。偶像崇拝の触媒として、決して優れているとは言えないだろう。
別に推しくんからの認知が欲しくて手紙を書いているわけではないの。私信が欲しいわけではないの。
いや、正直に言えば欲しいか欲しくないかでいえばめちゃくちゃ欲しいけど、私にくれるってことは他の人にもあげてるんだってなってそれはそれで嫌なの。
ただお手紙は読んでいてほしいし、内容を覚えていてほしいの。
覚えている内容を私へのファンサービスとして話そうとしなくていいの。ファンへのファンサービスとして話してほしいの。
「名前はわからないけれど手紙でこんなこと読んだな」って思いながら、ファンという集合体へ向けて話してくれるのが理想なの。
ライブでも「いつも来てる増田さんだ」って思いながらファンサしてほしいんじゃないの。「誰かわかんねーけど俺のファンだな」って思いながらファンサしてほしいの。私へのファンサじゃなくて私の持ってる推しカラーのペンライトへのファンサが欲しい。
夢を見た。
広い原っぱのような公園にまばらな人がいる。
それはゆるキャラのようなデザインをした巨大なヤンキーのぬいぐるみだった。
周りの人たちは出現したそれを見て「あ!二頭身ヤンキーだ!」と叫んだ。
あっという間にスマホを持った人達が二頭身ヤンキーを取り囲む。
二頭身ヤンキーなどという名前は初めて聞いたが、これほど人気なら何かのイベントなんだろう。
そう思って人の群れに加わり二頭身ヤンキーを眺めていた。
すると、人に取り囲まれて許可もなく写真を撮られたことが気に食わなかったのか、二頭身ヤンキーが暴れだした。
「何メンチ切ってんだオラ!」
自慢のリーゼントをぷるんと振るわせて周囲に凄む。
人々は二頭身ヤンキーが喋ったので大喜びだ。
キャー!こっち向いて!と黄色い声が飛び交う。
動く大きなぬいぐるみにしか見えない二頭身ヤンキーが暴れる様子をほのぼのと眺めていると、隣の人がプチン…と潰れた。
二頭身ヤンキーが踏みつぶしたのだ。
途端に叫び、逃げ出す人々。
しかし相手は10メートル級である。狙われたら逃げきれるわけがない。
中に仲間がいるから安心、と安易に罠の中に入り駆除されるネズミの動画である。
周りに人がたくさんいるから安心だろうと考えた自分が馬鹿だったのだ。
必死に走っていると、ふとあたりが暗くなった。
上を見ると、合うはずのない目が合った。
公式から公表された訳では無いが、しばらく休み(ツアーの一部のライブがコロナで延期された)になる前に行った、全てのライブでは女装をしていたのだ。
推しにとって、ちょっと気が引ける服を着るぐらいならば普通に着たいものを着ればいいと思う。
あと、推しはすごくファンの間での噂などを気にする。例えばすごく臍がエロいとかファンの中で噂されたらそれを意識してかしらずか扇ぐ振りをして服の臍に近い部分をばたばたとして一瞬だけ臍を見せてきたりするのだ。
やはり男が女の姿を模するというのは苦手でこれは昔からなのでどうしようもない。
推しはファンの間での噂に敏感で、たまたま流行っていた女装をしたらきっと良くなるはずという噂のせいで、不覚にもわたしにとっての地雷を仕込まれてしまうということになったのだろうかと思う。
推しが女装をしてステージに上がった瞬間、女ファンの黄色い声が会場中に響いたという。
推しは男にも地味に人気があるが、男のファンはよく分からなかったらしい。
上記のような例
推しはすごくファンの間での噂を気にする。例えばすごく臍がエロいとかファンの中で噂されたらそれを意識してかしらずか扇ぐ振りをして服の臍に近い部分をばたばたとして一瞬だけ臍を見せてきたりするのだ。
死ぬ気で取ったチケットだが、推しの女装姿だけは生理的に無理なので(もちろん普通に推しの歌や推しの顔などは好きだ)泣く泣くチケットを払い戻し処理にした。
出来る限りの方法で推しを応援していこうと思う。 ライブの物販(わたしは行ったライブのグッズしか買わない主義なのだ)などで落とせなかったお金を別の推しのグッズなどに使ったりしようかと思う。
自分は今まで生きてきてアイドルというものを推したことが無いのですが、snsでフォロワーさんが最近アイドル沼にハマったと言っていてそれを覗いた感想です。
本当に顔の綺麗な人ばかりですごい。それに加えてダンスもして歌も歌って運動ができない人間からすると異次元の行為に思えました。みんなキラキラしていて、どの人も天職なんだろうなという気持ちで見てました。
なぜ今までハマらなかった理由について考えたところ、「自分には眩しすぎる」という結果になりました。光が強すぎて自分の体が光で飛んでしまうような気分になるからかなと。本人たちにしかわからないパーソナルな部分をこぼれた言葉から受け取るには安易すぎて、それじゃあもっと苦しめているのでは無いかと感じてしまいました。どんな仕事でも苦しかったり大変なことはあると思うのですが、他者からの干渉が多い仕事なので結局この人たちを苦しめているのは好きでいる自分なんだなという気持ちになるような気がして今まで幼かったんだろうなと。
ここからは自分の考える「こんなアイドルがいたら推すかもしれない」です。
・ファンクラブがない
理由は特にないのですが知り合いの好きなアーティストがファンクラブを作らない理由に対してファンに順位を付けたくないからという言葉が素敵だなと思ったからです。
忙しいだろうからただ単に休んでて欲しいだけです。あと失言が怖い。
これもあり得ないと思うのですがファン同士でマウントの取り合いになることが減るんじゃないかなと。あと個人的にこまめに推しに手紙を書きたいという願望から。もし高価なものや手紙以外のものが送られてきたら事務所から送り返される方式がいいです。(気持ちは有難かったですがお手紙限定での受付となっていますみたいなメッセージ入りで)
・サイン会や握手会などは先着順ではなくランダムでその場で選ばれる方式
説明が難しいのですが、早くきたから早く会えるのではなく整理券がランダムに配られて書いてある数字が呼ばれたら行くという(一番早くに来て1番の整理券でも最初に呼ばれるのが整理券番号100~150番の人たちだったら一番早く来ても会うのは最初ではない、みたいな感じです。分かりにくい...)
・メンバーの人たちがジェンダーやフェミニズムについて勉強している
これは同性、異性のグループ関係なく学んで欲しいです。好きな人に思想で傷つけられたくないからです。
普通!でもこれって難しくって某アイドル界隈を覗いてたらかなりの頻度で問題が噴出していて、それを擁護する人非難する人で地獄絵図が頻発してたので(グループ自体が大きいので民度が低いというのもありますが(いろいろな人がいるので))。外で女抱こうが、抱かれようがクリーンなお付き合いをして欲しいです。
・私生活の切り売りをしない
別に推しの私生活はどうでもいいというか、プライベートと仕事が混じるとしんどいのはあちら側でこちらは搾取しているような気持ちになるからです。
これもまた無理だと思うのですが、女性がものすごい短いスカートとかお腹の出ている服、胸を強調した扇情的な服装をしていたり、男性が半裸のような格好で踊ってたりするのを見ていると、そんなことはしなくてもいいのに、という気持ちになるからです。鍛えられた美しい肉体を見せるということがファンサービスということは自分には合わないというか、普通そういう裸に近いような姿は親とか大切な人にしか見せられないと自分は考えていて、アイドル側からしたらそりゃファンは大切な存在だろうけど、そういう姿を見るたびに彼ら、彼女らから何か大切なものを見ている側は削ぎ落として言っているんじゃないのかと思えて、こんな風にやってくれているのは私たちのためだけど、彼女はきっとあんな胸のあいた服で踊りたくないんだろうなとか考えで集中できなくなってしまいます。
夜中の生配信や無理なスケジュールとか全部無しにしてとにかく休んで美味しいもの食べて!という感情が常にあります。心が乱されることも多いだろうからカウンセリングとかもしっかり通って心と体のケアをして欲しいです。アイドル側はファンの為にやってくれているのは百も承知ですが、ファンの為にしっかり休むとこは休んでいいコンディションで仕事して欲しいなと思います。
本人たちがやるとなんかボロとか出たらやだなあと思うので。スタッフさんが今日はダンスの練習でした!ってメンバーの写真あげているくらいでいいです。更新も週に二回とかそれくらいでいいです。
・無理なスケジュールは組ませない
体が心配なので
・人気がありすぎない
これは人気ないと事務所側は困るだろうけど推してる側(自分)的にはあんまり人気が出すぎると忙しくなりすぎちゃうし(メンバーが)、民度は人が増えるにつれてどんどんよくない方に傾いて行くというのがわかったので。その方が安心して好きでいられるというか、すごい人気のグループだと自分なんていなくても変わらないって気持ちになるんですがそんなに人気あるわけじゃないとかだとこの人たちを大切にしたいなって気持ちになるからです。まぁ人気なくても態度悪かったりしてなくなるべきして人気ないグループとかもいるでしょうけど。めっちゃ人気あるわけじゃないけど、メンバーの関係性や事務所の関わり方もよくて曲も好きなように作ったり歌ったりできてれば最高です。やっていけないわけじゃない位が丁度いいです。
・曲の方向性はやりたい方向に突っ走って言って欲しい
もうこれに関してはファンを置いて行くくらいの勢いで自分たちのやりたい方向性に振り切っていて欲しいです。お前らついてこれんのか?!ってくらいの気概でやっていて欲しいです。
したところでお互いにいいことなんて一つもないのに気づいてください。基本アイドルは恋愛禁止なのに(違ったらすみません)なぜ恋愛営業をするのか永遠に謎です。好きなタイプとかどうでもいいので最近見た夢の話とか、散歩中に見た猫が可愛かったとかそういう話がいいです。そもそも相手の好きなタイプに変わらないといけないみたいな発想がそもそも嫌いで、なんでそっち側に寄せないといけないん?って思ってしまいます(話がズレている)
民度がいい界隈は存在しないのですが、それでもメンバーが不祥事や何か問題を起こした時に注意できるような空気があればいいなと思います。もちろんほとぼりが冷めるまで静かにしていたとしても、自分の正義感を振りかざしたりする人がいなければいいなと思います。声をあげる人もあげないで静観している人も許され入れる場所がいいです。
もう解散したグループの曲とか聞いていると必死に追いかけなくてもこんないい曲が聴けて贅沢だなっていう気分になります。
某アイドル界隈は数年前まではこんなに民度低くなかったとよく言っている人がいて、そんな事もなかっただろうけどでも人気が出てどんどんめちゃくちゃになって言ったんだろうなということは容易く想像できました。一部の人たちがメンバーとの妄想で露骨に性的な表現を使ったのを呟いていたりするのを見ると自分はここには入れないな思いました。いい意味でも悪い意味でも大きくなりすぎると無法地帯と化してしまうんだなと。
抱かれたい!とかこの〇〇エロすぎるとかというのも見るのがしんどいですし、それは性的な搾取ですよ?と言いたくなってしまいます。せめて鍵かけて呟いてくれと。(過激なツイートでフォロワー増やすという感じかもしれませんが)異性だろうが同性だろうがそういう発言は基本的に表では慎んで欲しいです。自分はメンバーと恋愛したいとは思わないし(そもそも絶対に無理なのがわかっているので)そういう所の差異が気になるのかなと感じました。
長々と書いてもこんなアイドルは絶対に生まれないしきっと自分は一生アイドル文化には馴染めずにいるんだろうなと思います。
最近昔よく聞いていたアニソンとかよく聞くんですがやっぱりいいなと思いました。安心感がすごい。二次元の触れないから、実体がないから安心して好きになれる感じが好きです。
あと同性のグループを推すといいらしいです。これはわかる気がします。「最終的には同性アイドル推した方がいい。マウントの取り合いがめっちゃ減った」って言っている人の意見に納得したからです。
アイドルについてもっと勉強していつか推せたら、今推せてなくても別の世界線の自分が楽しくアイドルを推してたらそれはそれでいいだろうなと思えました。
ずっと思ってたけど、これに対して何か言ってる人あんまり見かけない。
最近、芸能人が家で配信することとかリプ返企画とかやる流れが来てる中で、芸能人に何か質問したり聞き出せたりするチャンスが増えてると思う。だけどそこから求めるのはその本人のことにしようよ、その人のファンサービスなんだしさあ。
俳優のオタクしてると、好きな俳優がジャニーズと共演することはちょくちょくある。共演した誰かと仲良くなるのは私もホクホクする。するよ!嬉しいけど…
たとえば俳優がリプ返企画をしてるとする。こちらからしたら好きな俳優本人の話題で盛り上がりたいのに、リプ欄に特別興味もない共演者のジャニタレの名前がびっしりで、本人の話聞きたいのにそっちの話題ばっかだったら悲しい。YouTubeの動画をあげてコメント盛り上がってるなあって思って見たら、「〇〇くんにも教えてあげて!」「〇〇くんと連絡とってますか?」みたいに全く脈略のない人物の名前出てきたら鬱陶しいよ。
逆の立場になったらわかるじゃん。自担の配信、ブログ諸々のコメントに共演者の名前ばっかだったら面白くないじゃん。
ジャニオタは母体がでかいから、共演者から話を聞きたいって同じように考える人が多いことわかってくれ。ファンの数が桁違いなんだよ、かかってこられると敵わないの。
ていうかジャニーズだったら雑誌毎月出るじゃん!テレビも出るじゃん!ラジオあるじゃん!なんなら今動画出してるじゃん!安定した本人からの発信があるじゃん!って思うんだけど、そういうことじゃないのもわかる。誰かが自分の好きな人の話してくれたら嬉しいもんね。
でもね、失礼も承知で言うけど興味ない人の名前がたくさん流れてくるのってかなり疲れるよ。自担の共演者にもファンがいること忘れないで欲しいな。
毎週のように観劇していたヲタクですが3月から徐々に観劇が出来なくなり、今は1ヶ月以上テレワークで自宅に籠っている。
刀剣男士が紅白に出るなどして2.5次元舞台のブームは目ざましかった。それと同時に2.5次元舞台は飽和気味にあったように思う。2.5次元舞台だけではなくて、それらに出演している若手俳優と呼ばれる20~30代の男性俳優達の舞台がありとあらゆるところで開催されすぎているように感じていた。
何せ客席が埋まる公演と埋まらない公演の差が激しい。人気の舞台は本人確認!1人1申し込み!という処置が取られる一方、埋まらない公演では後出しでアフタートークやお見送り会が開催され、リピーター特典なるものまで用意されることもある。
若手俳優界において観客全体人口の内、人気の舞台に行かない層のヲタクは、実はそんなに多くないと思う。人気の舞台にも行く数少ないこの層のヲタクを有象無象の舞台で取り合うので、客席は埋まらない。そして永遠にこのヲタクを再利用し続けるのみで、観客の全体数は増えないし、ヲタクは再利用されすぎて疲弊してきていたように思う。
ずっと再利用されていたヲタク達が、減らない貯金残高を見て冷静になってきているように思う。若手俳優達はこぞって配信サービスを利用して様々なファンサービスを試みている。現場に行くことが生きがいだったヲタク達が果たしてどこまで残るのかという疑問と、休業を余儀なくされる業種が多々あり世界的に経済が悪化する中で、これから先もどれだけヲタク達の貯金残高が減らずに済むのかもわからない。
アフターコロナが1年後に来るのか、2年後に来るのかはわからないが、果たしてアフターコロナでヲタクはまた埋まらない公演に再利用され続けられるのだろうか。個人的には開催される舞台は人気の舞台だけになってしまうのではなかろうかと思う。これは勝手な想像だが、恐らく再利用されていたヲタク達は同じ想像をしている人は多いのではなかろうか。そうなると数多の若手俳優達はどこに向かうのだろうか。コロナ禍を生き残っても、アフターコロナで生きていく事が出来るのか。この疑問は若手俳優だけでななく再利用されていたヲタクにも全く同じことが言える。若手俳優も再利用されたヲタクも、どちらの人口も減ってしまうのは想像するに難くない。特にヲタク側は前述の通りすでに疲弊していた(疲弊が過ぎて麻痺して気づいてないパターンもある)ように思うので、この機会にヲタクを辞めてただの観客になる人も多々いるだろうなと思う。
観劇か…何もかもが懐かしい。
ジャンプで連載中の漫画「ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したことで大炎上しています。
結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。
純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います。
この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。
ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。
好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。
恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます。
漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。
読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前からの分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。
ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能な作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。
ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームのノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。
他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。
ラノベとして一番ちゃんとマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写の密度も漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます。
シナリオメインの恋愛ゲームは基本的に出会いとそれぞれの事情を簡単に知っていく共通ルート、個別のヒロインとイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。
共通ルートと個別ルートの比率は作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。
なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験の比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。
個別ルートが1,2時間とかいう作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間で描写が済んでしまうような運命に説得力などありません。
主人公のした選択によって、別のヒロインと結ばれる運命が生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。
オリジナルアニメでマルチエンドはないでしょうから概ねこの辺りでしょうか。
「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれたときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています。
ですから今現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。
じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います。
「ぼくたちは勉強ができない」での分岐は文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だから各ヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルートに関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。
そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間の描写で相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。
その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。
いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから。
でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか。
恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。
恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルートに共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロインを選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度が上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロインの個別ルートに進むんです。
つまりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインのルートに進むわけですから、主人公とヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインのルートに行く作品って全然多くないんです。
バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子を攻略するゲームなんですよ。
じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルートの価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。
ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命の密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間で匹敵できるのはラノベくらいでしょうが、ライブ感は比較になりません。
そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。
だからゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。
ところで文化祭で分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロインの長編後から始まると思います。
あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから。
センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生の正気を疑います。
理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います。
ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。
少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。
最近のネットの論調のせいかと思いますがセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。
私の中では人類普遍の原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。
オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。
enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートのイベントを時系列でザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに
これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去のトラウマを乗り越えた真冬が卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。
そうやって成幸がヒロインズの問題を解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命の純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現をしました。
別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。
Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭の花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。
イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭の花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインのルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。
キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。
tmkyz 最初にマルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのは悲しかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。
最低限事前告知して欲しかったですね……
houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄に大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる
ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います。漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛に伏線と展開は求められているのでは。
isaisstillalive 終始想像だけでディスってる
deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?
f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ
はい。
fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。
はい。
※ ネタバレはしていないつもりです。
※ BL要素はありません。
知り合いの女性(刀ミュオタク)から、「チケットが余ったのでよければ一度観に来ないか」と誘われた。秋ごろのことだった。
彼女(以下、Aとしよう)はひとつの公演でそりゃもう何会場も回る筋金入りで、推し俳優のリリースイベントやバースデーイベントなどにも足繁く通うほどの生粋のオタクだ(ほめてる)。都市圏ならば全国どこでも行くような人物であるが、もちろんこういうジャンルは得てしてチケットの争奪戦が厳しい。というわけで仲間たちと複数人で申し込んで当たった誰かのチケットに便乗して……というのが通例になっているのだが、なんでも我々の地元・愛知会場も同じように複数人で申し込んでいたところうまいこと全員当たってしまい、誘うアテがなかなか見つからなかったため試しに私に声をかけてくれたのだそうだ。(ちなみにA名義で4席あったため、共通の女友達B、Cにも声をかけていた。)
最初は断ろうと思った。まあほぼ間違いなく浮くだろうし、「本当に観たい人がいるはずなのに自分なんかが行ってもいいのか?マナー的に。あとでツイッターで怖い女性ファンたちに匿名で叩かれ、磔刑にかけられるんじゃなかろうか」などということを思ったからなのだが、実際少なからず興味はあったのと、まあお金は出すんだし着席する権利はあるだろうと自分に言い聞かせ、誘いに乗ることにした。
私はもともと、女性向けコンテンツに興味がないわけではなかった。そもそも男性声優のラジオ(DGSとか)を聴く程度にはオタクであったし、アニメはほとんど見ないものの、ハマってしまったFree!!のブルーレイは2期+劇場版までそろっているし(ちなみに推しは宗介)、最近はヒプノシスマイクの曲を聴いており、キャラごとのドラマパートまで聞くようになってしまったし。それに、件の刀剣乱舞もサービス開始から1年程度はプレイしていたこともある。比較的少年系の刀が好きだったので、蛍丸や獅子王を最後までメインの編成に入れていた。
しかし、2次元キャラでもなければ声優でもない、いわばゲーム原作が立ち上がった段階では関係のなかった、俳優たちによるゲーム原作のミュージカルに、果たして惹きつけられるような魅力はあるのか。一応演技のプロではあるが、歌のプロでもなく、ダンスのプロでもない。原作への愛はあるのかとか、クオリティはどうなのかとか、気になる部分はいくつもあったし、今思えば少し懐疑的に見ていたような気もする。その答え合わせのために行ったような側面もあったと思う。
今回の会場はセントレアすぐ横のスカイエキスポという場所。初めて行く所だったので、少し早めに名古屋駅から中部国際空港駅への電車に乗ったのだが、まずここで驚いた。乗客の9割が女性。「え?これは”やった”(女性専用車両に誤って乗ってしまうの意)か?」と思った。必死で背伸びし、血眼になって男性を探したところ、扉のすぐ前にスーツケースを持った初老の紳士を発見した。心から安堵した。私には彼が救世主(メシア)に見えた。違和感に気づいてから紳士を見つけるまで時間にしてわずか3秒ほどのことであったが、私にとってはひとつなぎの大秘宝をめぐる壮大な冒険の時間であった。ワンピースの正体が初老の紳士だったらウケるだろうな。
多くの女性たちはよく見るとなんかカバンとか髪とかに似たようなヒモみたいなやつをつけており、ああ、彼女たちが今日の公演の来場者か、とそれで察しがついた。
私は音楽が好きでライブやフェスにもよく行くのだが、そういったイベントに向かう来場者が一様に身に纏う”モード”みたいなものが好きだ。同じようなアイテムを身に着けた人々が、同じような期待感をもって同じ会場へ向かう。まったくの他人のはずなのに、全員で遠足に来ているような感覚に陥る。私は所有していた唯一の刀剣乱舞関連グッズ、蛍丸のラバーストラップをカバンにつけながら、そんなことを思った。
到着したのは開演の1時間ほど前だった。先に現地に来ていたAと合流し、遅れてくるB・Cを待ちながら辺りを見渡してみた。女性ばかりだ。チラホラ見かける男性も、その多くは隣で開催されているFGOの展示会に訪れたような風采で、見たことあるキャラの見たことないグッズを手に奥の施設へと歩いて行った。事前には聞いていたが、男子トイレはがらんどうで、広々としたスペースの中に3人いただけであった。普通にめちゃくちゃ刀剣男子の缶バッジつけてる方とかもいて驚いた。
B・Cとも合流し、我々は人波に流されるまま会場内へ吸い込まれた。会場内は予想していたより二回り以上大きくて、コンテンツの覇権っぷりを身に染みて感じた。
席は通路側から4席分だった。私のにわか知識でも通路側は人気だと知っていたため、さすがに通路に接する席はAに座ってもらい、私はその隣に座った。Aはなんとも用意周到で、私の分のペンライトやうちわまで用意してくれていた。刀ミュの専用ペンライトは優れもので、推しの色を先に登録しておけるらしい。私は操作の指南を受けながら、スタンダードな青色を初期配置として記憶させた。
またも話がさかのぼるが、私は以前からAに(オタク気質を見抜かれて)刀ミュ関連の画像や動画の視聴を勧められていた。男性が男性を推すというのは恐らくややイレギュラーなことなのだろうが、その中で私は2人の”推し”を見つけた。
1人は鳥越裕貴氏。役は大和守安定だ。刀剣男子自体の役どころとしては真面目で実直ながら、どことなく女性的で可愛らしいキャラクターだ。しかし、私はむしろ、役に入っていない状態の鳥越氏に非常に魅力を感じた。というのも彼は、ツッコミが上手い。
これは私の持論なのだが、いわゆるコント的な場の空気になったとき、「なんとなくボケる」ことは誰にでもできると思っている。もちろんその巧拙については個人差があるが、ボケは簡単なのだ(だからこそ才能の発揮される部分でもあるのだが……)。対してツッコミは、才能だけでは解決できない。その場の状況を整理し、その場に応じた言葉を、できるだけ早く用意する能力は、長年のトレーニングによってのみ形成される。そうして身につけた能力を、玉石混交のボケに対応して発揮してあげるのだ。その点で、ツッコミはサービスだ。だから、適切な、上手いツッコミができる人というのはボケの人数に対してかなり少ない。そして、鳥越氏のツッコミ能力は(少なくとも私が視聴したいくつかの動画でのトークで判断するならば)刀ミュ俳優の中では群を抜いている。おそらくこれは、彼が多様な人物と積極的にコミュニケーションを取り、相手を尊重しながら話すことを心掛けてきたからなのではないか。そんな背景が透けて見えたりするところに人間味と魅力を感じた。(あと筋トレの動画がシンプルに参考になった。)
もう1人の推しは、大平俊也氏。役は今剣。これは役のイメージと本人のイメージがぴったり合致する。中性的・少年的で、あどけなさが残るところが氏の魅力だと思う。普通に顔が可愛い。初めて写真を見たときは、そういう印象だった。
ただ実は、彼に関しては開演前、これ以上の印象がとくになかった。動画などを見ていても、ただ容姿や仕草が可愛らしい真面目な人という感じで、もう一歩魅力を感じる部分に欠けていた。強いて言うなら彼にはただ天真爛漫なだけではない、いわゆる「闇(この言葉が深い意味で使われることってほとんどないのであまり使いたくはないのだが)」を感じたような気がして、そこを興味深く考えたからなのかもしれない。(あとこれは完っっっ全に言いがかりなのだが、邦楽ロック界隈では見た目が中性的なバンドマンほど性欲が強くてファンと寝まくっているという根も葉もない(たぶん葉くらいはある)噂がまことしやかに囁かれており、同じく大平氏も男性的な部分を見せたりするんだろうかという謎の興味もあったのかもしれない。)
そういうわけで、私はひとまず、2人のうちとくに人間として魅力的だなあと思った鳥越氏(安定)を推しとして設定し、ペンライトの色を決めたというわけだ。
私の席から見渡した辺りはほんとうに女性ばかりで、電車内の女性が9割だったとしたらここはもう99割が女性だった。男性の存在についてAに訊いたところ、「まあほとんどが彼女に連れてこられてるだけの人だね」と言っていた。リア充爆発しろという一言でも言いたいところであったが、ここで爆発されたらイベントに影響あるし片付けとか面倒だろうな、と考えて口をつぐんだ。
照明が落ち、舞台が始まる。観劇自体がずいぶんと久しぶりだったので、なんだかいやに緊張した。隣に座るAは早速双眼鏡を取り出し、推しの額に光る汗を堪能しているようだった。(Aは同公演に何度も通っているため構成や内容を覚えてしまっており、推しが出てくる数秒前から出てくる位置にすでに双眼鏡を向けていたためさすがにすごすぎて笑ってしまった)
ドラマパートでは刀剣男子たちが次々に現れ、おのおののキャラクターらしい台詞で我々を楽しませてくれる。思っていたよりも総じて演技のレベルが高く、ちょくちょく挟まれる小ボケも普通に笑える。
そうこうするうち私が注目する安定が現れ、男子たちの会話の輪の中に飛び込んでいった。しかし、私はここで少し違和感を覚える。筋トレの動画を何度も見ていたせいか、あどけない口調の安定と兄貴肌の鳥越氏のイメージが重ならない。まあまあこれはこれでいいか、役なんだから、と納得させながら私は舞台のほうに居直った。
逆に、今剣は役と人物が寸分違わず重なった。大平氏の声・仕草は、本家のゲームで出てきた今剣のイメージとほとんど同じだった。鳥越氏の力不足とかそういうことでは断じてなく、これは純粋に大平氏の持つ魅力と、またそれを見越してあてがわれたキャスティングの妙だと思う。それほどまでに今剣の立ち回りは見事だった。
しばらくすると、おもむろに周囲の女性たちが起立し始めた。なんだなんだ、校歌でも斉唱するんかと思いながら付和雷同、私もペンライトを持って起立した。どうやらここからしばらくはライブパートらしい。ミュージカルと言いながらけっこう現代的な曲(EDMとかそっち寄り)なんだなあなどと思っていると、演者たちがステージで踊りだし、さらには客席中央のステージでもダンスが始まった。
先に言っておくが、歌もダンスも全員上手い。だがその中でも、大平氏のダンスは別格に感じた。なにって、踊っているのがはっきりと”今剣”なのだ。彼は背も高くない、体つきも華奢で、いわゆるダンサーとしての資質は他の刀剣男子に劣っているといえる。しかし、手足のフリが誰よりも大きい。大きいだけでなく、キレもある。そしてその懸命さが、彼のマイナスの資質をいっきにプラスへと逆転させていた。ステージ上で彼の弱点は、はっきりと長所だった。「おそらく今剣が踊ったらこんな風なんだろうな」という彼なりの答えが、あのダンスには込められていた。
踊る彼を見て、この人は無敵だ、と思った。
ダンスに魅入っているのも束の間、舞台はまたすぐにドラマパートに戻り、ライブパートと交互に展開しながら進んでいく。そしてついに山場、俳優たちが客席まで降りてくるフェーズが訪れた。通る刀剣男子から直接手を振ってもらえたり、ウィンクされたりすることを、ファンサービス(ファンサ)というらしい。私は自分の推しが通ったらなんとなくうれしいな、という程度で呑気に構えていた。(隣のAは推しの様子を見ながら奮起していた)
通りがかる刀剣男子たちをぼーっと見ていたときのこと、後ろ側からやってきた和泉守兼定が、私に向かって指をさし、はっきりと目線をくれた。一瞬、自分に向けられたものかどうかわからなかった。よくわからないが笑顔で応えたことだけは覚えている。こんなことを言うとタイトルの通り誤解されそうではあるのだが、私の知る限りあのときの感情に最も近いものは、恋だ。
理由は説明できない。できないのだが、「イケメンが選んでくれた」という感情は、きっと男であってもうれしいのだと思う。それほどまでに私が受けたファンサは衝撃的だった。そして、推しでもない人でこれなのだから、これを自分の推しから直接もらえるなどということがあれば、それはどれほどのクソデカ感情になるのか。想像すると、むしろ恐ろしくなるほどだった。
終演までのライブパート、私は自然と目で今剣を追っていた。彼の、あの衣装でのダンスをもっと見たい。いつまでも見たい。だんだんとそう思うようになっていた。
終演後、私はAに感想を伝えた。予想していたよりずっと面白かったと述べると、Aはしたり顔であった。彼女は物販に行くと(地元なのでここでお金を落としたいという敬虔なオタク然としたことを言っていた)私に伝え、人波に消えていった。
帰りの電車は行きよりも空いていた。今思えば、夜公演まで見ていく人たちがけっこうな数いるのかもしれない。私は大平俊也氏のツイッターアカウントを捜し、迷わずフォローした。
Fear, and Loathing in Las VegasというバンドのMinamiというメンバーがいる。彼はステージ上で、まさに狂人だ。髪を振り乱しながら叫び、かと思ったらわけわからんパラパラみたいなダンスを踊り、でも楽器はちゃんと弾く。そして、嘘くささが一切ない。
Soil&”PIMP”Sessionsというバンドの社長というメンバーがいる。紅白のとき、椎名林檎の後ろでヒマそうにしていたあの人だ。彼はジャズバンドの中にいながら、楽器を(ほとんど)弾かない。彼の担当は”アジテーター(煽動者)”。悪趣味なマフィアみたいな恰好で、ステージ上をふらつきながら、メンバーの演奏をのぞき込んだり、客席をメガホンで煽ったりする。ほんとうにこの役割を必要だと思っているのか。どこまでが演技で、どこまでが素なのか。まったく読めてこない。
私は彼らを見るたび、自分に成しえないことをしていると尊敬する。
私は、エンターテイナーが好きだ。それは、役を”憑依”できる人のことだ。舞台の上で演じる人たちは、素の自分のままではもちろんいられない。しかし、役を演じすぎると、それはそれで嘘くささが付きまとう。だから、役を演じていながら、まるでそれが役だと感じさせない立ち振る舞い。そういう”憑依”を楽しみに、私はミュージシャンのライブへ足を運んでいる。
大平俊也氏は、まさにこのエンターテイナーだと感じた。彼は舞台の上で、間違いなく今剣だった。仕草や声の可愛らしさと、ダンスの躍動感。(あと顔の良さとかもろもろ。)それらをひっくるめて、私はしてやられた。
鳥越氏はもちろん好きだ。しかし、実際に見た舞台では(少なくとも刀剣乱舞という題材では)、大平氏のエンターテイナー性のが私にとっては魅力的だった。それだけのことだ。間違いなく今後も、鳥越氏の動画は見続けると思う。
私は自宅に帰り、もらったペンライトを取り出した。推しの色をピンクに設定し、棚にしっかりとしまった。次は、ピンク色のヒモみたいなやつも手に入れたいところだ。
正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。
だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。
さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。
スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。
そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。
エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリーや世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。
エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。
そして今回の最新三部作。
これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。
エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。
というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。
勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。
しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。
そしてエピソード8。
開始時点では私も戸惑った。
しかしアナキンの三部作をスターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。
確かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本のアニメーションのような描写も見受けられた。
しかしアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術の進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズそのもののように感じられたのだ。
英雄には相応しくない孤独な人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。
多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。
しかし、なんと言えばいいのだろうか。
私にはまるで人間がフォースの奴隷になってしまったかのように感じられた。
主人公はいるものの、群像劇の様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。
しかしファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。
実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。
しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。
私はあの映画のレトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。
好きなはずの両シリーズ。
まず注意いただきたい。
以上気をつけて欲しい。
そもそも推考をしていないただのゲロなので気分が悪くなったらそっとタブを閉じて欲しい。そこら辺は自衛してくれ。
みんな思ったでしょ。
いや別にだから悪いってことではないんだけど、安易に気持ちの問題で強くなるっていうのを連発しすぎじゃないか?(少年週刊誌のバトルものにありがちだが)
ちがうんだ、それは別にいいんだ、私も歳だしそういったことには慣れている。だが今回私が言及したいのはどうして心理描写が曖昧なまま強くなるんだ? 共感できない部分が多々あったということだ。
少し応援されたからと元気になったりしすぎだろうと、いい加減そんなゲームじゃないんだからと、せっかくのボンズ屈指のバトルシーンで映画に入り込んでいた自分が急に覚めてしまったりして非常に残念。
まあ、それもいいだろう。どうせファンタジーだ。
しかし、ヒロアカ原作に関してはファンタジーでも確かにそこにキャラクターたちが生きていて、それがリアルに、まるで自分がその世界で生きているような引力のような没入感が素敵であり、だからずぼらな私も1ファンとして単行本、アニメ、映画を欠かさず見ているのだろう。
キャラを大事にし、そのキャラの迷いやこういうこと考えていてこういうことに重きを置いていて、ストーリ進行時には蚊帳の外にいるときはちゃんと外でモブやってたりする、といったリアルな感じがいいのだ。
たぶんこれは、心理描写のために一時戦闘を中断させたりする、漫画ならではの表現なのかもしれない。映像はテンポだ。リズムが全てだ。わかる。わかるんだ。でもそこを上手に見せれなくてはヒロアカには、いったい何が残るんだ?
とまぁ、いろいろと「おや?」と思う点はあるものの、実際の脚本に文句はない。
個性譲渡、別に良い。そもそもデクもそんなこと言ってた(うろおぼえだが)
めっちゃドラゴンボール。すっごいドラゴンボール。髪の毛そんなとげとげにならんでもいいやん。いやいやそんな規模の攻撃受けてふつうそうじゃん、まじ鉄人じゃん。っていうのがほんと何度も出てくる。4日目のカレーの気分だ。「え、また?!」なのだ。
特になにが嫌って言うとだ、個性遺伝した後のバトルだ。爆轟がすぐフルカウルを使えることや100%っぽい力が使えたこともそれ全て含めてワンフォーオールの奇跡って言いたいのかい・・?それは、あまりに投げやりすぎないかい? ヒロアカって、”なんでも個性のせいにしてしまおう”っていうのがなくて、“個性を持ってるからこそこういう悩みがあってそれをどう解決して行こうか向き合う”みたいな葛藤と成長を描く作品なんじゃなかったのかな?
余談だが、私は海外のグロやバトルものの映画でよくある、音楽だけで効果音なしのバトルシーンが大嫌いだ。
馬鹿の一つ覚えと言うと言葉の悪さが際立ってしまうが、まあその表現方法はあまりに使い古されてしまった。
なのでラストバトルの音楽だけですごいバトルを見せられた時、冷めてしまった。映画館でやるんだ。もっと音響を意識して、音速を超えた一撃みたいな表現でも面白かったんじゃないかとか思う。 パッと思い返すのが映画 幼女戦記だが、常にバトルしてて、音があちこちから聴こえてきて自分もその場にいるという臨場感がほんとうに素晴らしい映画だった。
それを、こういってはなんだが1曲に全ての感情を背負わせるのは重荷すぎたのではないだろうか。
私は、そこで完全に映画からリアルの世界に戻ってきてしまった。
(ただこの映画に限っては、ボンズの全力のバトル映像のおかげでまだ見入ることができた。本当に動画がいい。ほんとコマ送りで見たい。ガンダムやAKIRAや攻殻機動隊なんかをよくコマ送りで見た口だ)
少し話が脱線したが、豚カツカレーマーボー天津飯みたいになってしまった可能性はあるか?
起承転結で、転結はかなりテンポよく進めるのがスタンダードだが、それにしても端折りすぎたように感じた。
見せ場のバトルはほんと多彩に入っていてこれはもう大満足で言うことなしなんだがちょくちょく強敵との対峙で勝てない描写をとことんやりたいが為にどうしてもワンパターンなキャラパワーアップに違和感を覚えてしまって、没入感の減少を感じた。
映画だけでなく、どんなアニメも、漫画も、ゲームも、小説も。 その世界に、私が存在できるかどうかでその作品を好きになるかどうかが決まる。
本作に関してはラストに行くにつれ、私はこの映画の世界と融合できなかった。非常に残念だ。
私は、今作でヒロアカ製作陣に何かお偉いさんからのお達しがあったのではないかとか深く勘繰ったりしたほど様変わりを感じた。
とにかく派手に、とにかく意外性を、とにかく話題性のあるものを! みたいな思いを感じてしまった。
もちろん商業作品なのでそういったことを意識して作るのは当たり前だし、別に反対もしない。だが作品を生かしてくれ。頼む。
ここら辺の違和感の解のようなものは、パンフレットを読んでいて考えたのだが、先生監督脚本の皆が口を揃えて「1作目を超えたかった」と言っていた。(1作目はほんとうに良かった。作品を通して”ヒロアカ”していたし、オールマイトの過去の描写や共闘も原作の延長として受け止めることができた)
大変受けた1作目の後の2作目、3作目と作っていく際にやはり重荷になったんだろうか
パンフレットの対談インタビューを読んで、堀越先生が原作ラストで使うネタ候補の一つ「ワンフォーオールの譲渡」を提供し、制作側もそれに飛びついたような発言がうかがえた(個人の感想だよ)
やっぱり人間が作っているんだなぁと実感したし、これからも応援を続けたい。
(なんだ急に媚びうるのか?)と思った皆様、違うんだ、聞いてくれ。
その作品の感想って好きなところ・嫌なところが入り乱れた上で成されるものじゃないか。
もう間違いないやつだ。ボンズファンにとっては言うことなしすぎて、逆にボンズ色強めな印象で、純粋なヒロアカファンは大丈夫か?とか思ったが、そもそもアニメも体育祭やらUSJやらワンフォーオール戦でアニメ視聴者は調教済みだった。
何度でも見れる。ほんとうによく動くし、戦闘の表現のパターンがすごい。これは良い。ほんとうに良い。
ちなみに私が一番好きなヒロアカアニメシーンは体育祭の轟vsデクの回だ。あの回を見た後そっと忘年のザムドを見に行った(私のボンズを意識して見た初めての作品だ。デビューはハガレンだ)
本作を見た後、一番印象に残ったのが雲やなんかの描写なんだが、すまない語彙力がなくて伝えられない。だがみんなの心にも残ってるでしょ?私は今すごくひそねとまそたんが見たい。映画に何度も行く余裕がないので、今作の空の映像を思い出すべくnetflixでひそねとまそたんを見たい
最高だ。原作やアニメでは活躍の少なくなりがちな1-Aのみんなが余すことなく活躍する。各々の連携や委員長の指示なんかも見れてほんとうに良い。
キャラへの愛がほんとうに感じられたし、この人たちはこういう動きをするのか、と私の記憶の中の1-Aの皆に命が宿ったようだった。
尾白くんはやっぱり弱い印象を持って残念だったが、いつもの8割マシで戦っていた。たぶん。 (私は尾白くんを推している)
青山くん、瀬呂くんなんかもしっっっかりと活躍をしていて、ファン大歓喜だ。次回は砂藤くんにも頑張ってもらいたい。
(この活躍というのがちゃんと戦っていて大変興奮もので、本作で印象深いバトルの一つだ。といっても本作は常に戦っているのでどこからどこまでを一戦と見るかは謎だが)
(無理やりな理由で少し違和感を覚えたが)大人を排除した上での各々のヒーロ像というものがしっかりと見て取れて本作はほんとうに原作の延長線にあるもののように感じた。
「君はヒーローになれる」
私は、今まで「良いファン」になれたことが一度もありません。今後もなれそうにありません。
何を好きになっても良いファンになれなくて、対象に申し訳ない。
ずっとそう思ってきたけれど、そう思いながら応援するのに疲れてきていて、今の気持ちをどこかに吐き出したくて、ここを使います。
私は、ヴィジュアル系バンド、男性アイドル、女性アイドル、舞台俳優、ニコニコ動画の投稿者、YouTuber、二次元のキャラクターを好きでいますが、全く良いファンになれません。
まず大してお金を使いません。よく見かけるような痛バ等を作ることに関心が無く、チェキやブロマイドや写真集の類しか買わないのです。
イベントやライブも不定休の昼職では日程が上手く合っても半通程度しか行けません。
更に、行ったイベントやライブもあまり楽しそうに振る舞えません。
そもそもノリが悪いのです。私の行くヴィジュアル系バンドでは前に体当たりをしに行くノリがありますが、絶対に行けないので、邪魔にならない後ろでしか参戦できません。
また、ファンサ、レス、営業というものが嫌なのです。当然接触イベントは参加できませんので、握手会では握手する前に帰り、チェキ撮影は撮影する前に帰り、お渡し会では渡される前に帰ります。
キャストの方々のお見送りがある舞台では、上演後、退場アナウンス前にお手洗いに行って、そのままお見送りをされずに帰ったこともありました。あの時のスタッフさんには大変申し訳なかったと思っています。
ファンサービスが、こちらの喜ぶ顔が見たくてやっていたとしても、金になるファンを釣りたくてやっていたとしても、最高に興醒めな反応しか返すことができません。
布教もしません。良さを分かってもらい同士が増える楽しみよりも、相手の地雷を踏む恐ろしさが勝ります。同時に、対象がメジャーでも、自分の好きになるポイントがマイナーなので、好きなポイントを分かってもらえると思っていないのかもしれません。
私は、大して金も使わず現場にも行かず、ノリは悪く布教もしないのに、文句ばかりは一丁前です。
今回の衣装はダサいし安っぽい、歌割りやMVで抜かれる回数に偏りがある、会場のキャパが合っていない、事務所の後輩や他のチームの方がお金をつぎ込んでもらっている。SNSやアンケートで言うことはありませんが、新しい発表される度、頭をよぎるのは文句ばかりです。
最近太った、ライブでこの曲をやると毎回リズムが走りすぎている、この曲の間奏のダンスで手を抜きがちなのをやめて欲しい、似合わない役をやらないで欲しい。
ファンレターやリプライでは大絶賛しながら、心中穏やかではありません。
もっと極端に、ある化粧品やアパレルブランドのプロデュースやコラボが発表されたときは、本業は音楽であって、あれだけライブでミスをするのになんでそんなものにかまけていられるのだろうと思ってしまったこともありました。それでも評判が悪ければ悲しむだろうと思い買いましたが。
全肯定するファンが偉い訳でも、良いファンな訳でもないのかもしれません。
でも、対象を全肯定できるファンの方が、ファン本人の精神衛生だって良好なのではないかと思うのです。
本当は、良いファンになれなくて申し訳ないなんて思いながらファンを続ける必要などないのです。
しかし、「あの時の誰々がとても格好よかった」「あのコンサートが信じられない位楽しかった」と思い出すと、やめることが出来ません。
お金も使わず参戦数も少ないけれど一回一回の発表に一喜一憂していた時は本当に楽しかった。
次の新曲や現場が、あの時の楽しさを甦らせてくれるかもしれないません。
惰性で通ってた時期があった、という話は耳にしますが、これは惰性ではなく未練だと思います。
そもそも並行していくつもの沼に浸かっているから、手が回らなくてこんな思いになるのかもしれませんが、もう何のファンにもなりたくないとずっと思っています。
でもお前が「嵐の曲わかる?」っていわれるとA・RA・SHI(You are my soul soulっていう曲)しかでてこないだろ。「感謝カンゲキ雨嵐」っていわれてフレーズ頭に浮かぶか?嵐ファン以外は多分それしかしらないわけ。
SMAPの曲は?っていわれたら、「世界に一つだけの花」が多数だろうけど、「らいおんハート」「夜空ノムコウ」ぐらいはくる。
単純に人の良さだとか、ファンサービスだとか、そういうのが受けたんだとおもうよ。
多分、上7組は音楽がやっぱメインだった。でもアイドルに必要なのは音楽じゃなかったんだろうな。AKBだって音楽の良し悪しよりも会いに行けるとかファン投票で盛り上がってんだから。