はてなキーワード: ファンサービスとは
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
私は小学生の頃からオタクで、そこから10年間オタク街道まっしぐらだった。
中学生で体重が60kgを超え、高校生になった時点で体重が70kgを超えた。
そう、周りが恋愛というものに夢中になるとき、私は圧倒的にブスすぎた。
そこで私がハマったのはアニメロックバンドジャニーズ女子アイドルのオタク全部載せ。
最初はアニメで二次創作にハマりお父さんのパソコンにかじりつき、アニメイトととらのあなに通い、同人誌を買い漁る日々…。
高校になったら今度はロックバンドにハマり全国ツアーに着いていく日々。
その中でも自分がデブだなブスだなと思う瞬間はある。例えば、当時流行ってたいわゆるビジュアル系の服は細くて何一つ入らない。本当に入らない。コンサートにいる子でも可愛い子はいる。そんな子たちにファンサービスをするバンドマン。ああ世の中やっぱり顔なんだな。
でもコンサートに熱中している間は忘れられる。
そして気がつくと体重が75kgに。
大学に入り、一念発起してダイエットを試みるも、リバウンドを繰り返し結局70kg程度に。
大学に入り、初めて好きな人が出来るも避けられまくる日々。それでも好きが止められず誕生日にはプレゼント、バレンタインは好きな先輩の研究室の冷蔵庫にチョコレートを置いていった。1週間後に見に行ったらまだあったから自分で捨てた。
現実の男は冷たいと思い、今度はジャニーズにハマる。ジャニーズは本当にキラキラしててコンサート中は辛いこと全部忘れられた。そしてそのままオタクずぶずぶの日々に…
その後、就職して仕事が忙しくなって6kg痩せ、さらにそこから気合で8kg落とした。
するとなんということでしょう、これまで冷たかった男性という生き物がみるみるうちに優しくなっていく。職場で知り合った人と付き合ってみると現実の男の人ってお金払わなくても生で見れるし、デート出来るし、なんなら手を繋ぐことも出来る。なんだこれは。そこから10年間のブランクを取り戻すように遊びまくったら楽しすぎた。夜中まで飲んでタクシーで見る東京の夜景も、手を繋いで歩く街並みも、男の人がこっちの気持ちを探りながら話す表情も、あーこういうことね、みんなこういう楽しいことしてたのね、というアハ体験だった。世の中のあらゆるエンターテイメントは恋愛の代替品かもしれない。でも青春の思い出に大好きなバンドやアイドルがいてくれたのはとても貴重な思い出だし、後悔はない。コロナが落ち着いたらまたコンサートにいきたい。
小説家のA先生は自分の作品に社会問題ネタを入れるのが特徴で、私はA先生の作品を何作も買って読んできた読者だ。ファンと言ってもいい。
TwitterでA先生のアカウントを見つけた時、私は嬉しく思ったのと同時に、不安にもなった。
プロアマ問わず、字書きがSNSで失言して騒がれる様子をこれまで何度も見てきたからだ。
そして嫌な予感は的中した。
喧嘩腰で政治的主張を繰り返すA先生は、他のTwitter民に嘲笑されまくっていたのだ。
残念な事に、A先生は「思い込みで政治を語る」タイプの人だった。
この手の政治語り屋は右向きだろうが左向きだろうが自分の思い込みで語るから
「その主張、実際のデータに反してますよね?」「なんかそういうデータあるんですか? 偏見だけで語ってませんか?」「実際は真逆なんですが……」
ちなみに、A先生はTwitterが日本で流行る前からプロとして活躍してきた作家だ。
現実世界の社会問題を物語の中に組み込むという手法をずっと続けてきたせいなのだろうか、「自分は政治をよく理解している」と勘違いしてしまったのかもしれない。
思い込みの激しい愚者が周囲に被害を撒き散らして最後には社会的に不必要な悪として制裁される……っていうのがA先生の作品のお決まりのパターンで、
正直しつこいくらい何度も見てきたけど、まさか作者自身がこんなに偏見こじらせてる人だったとは……。
A先生は批判に負けず、厳しい口調で自分の考えをツイートし続けた。
自作品語りなんてほとんどせず、新刊の宣伝より政治語りの方に熱心になっていた。
着実にTwitter内で敵を増やし、悪い意味で知名度が高まっていき、
そのうちフォロワー数の多い有名な政治語りアカウントからも反論されるようになって、A先生はさらに多くの人々に自身の無知を晒す事となった。
ファンの自分はというと、A先生を擁護する気にはなれなかった。
浅い知識と激しい思い込みで自信満々に政治を語り、主張の対立する相手を徹底的に蔑む姿に、正直幻滅してしまった。
「あの人、本当に小説家なんですか?www」「小説家ってバカでもなれるんだなwww」と空リプされているのを見た時はさすがにかわいそうだと思ったけど。
んで、A先生とは全く関係ないB先生の話になるんだけど、この若手の小説家さんはA先生とは対照的だった。
・ツイートの大半が自分の新作の宣伝あるいは過去作の話、あるいは自作品に関連したネタツイート(読者へのファンサービス的な)。
Twitterを読者を増やすための場と割り切ってる感じで、個人的にはこっちの方向性の方が好き。
賞を取ったデビュー作が凄く面白くて元々好きな作家さんだったけど、Twitterを見てもっと好きになった。
新刊は必ず予約して買うようにしている。
クリエイターはSNSで自由に語ればいいと思う。そしてそれを見たユーザーは何らかの意見を表明してもいいし、無言で離れていってもいい。
ぶっちゃけて言うと過去作の方が面白かったって思いながら読んでたし、ファンを辞めるきっかけを与えてくれて結果的には良かったのかもしれない。
エールロスよー。
今回ばかりは泣けたわーってまだ今日の最終回は見てないんだけど、
まとめてそれらの通知してくれるありがた迷惑なネタバレをまったく考慮しないニュース配信はやめて欲しいの。
スマートフォンにネタバレ防止機能が無いのは何故かしらって思ってしまうわ。
そっち付ける方が可及的速やかにやって欲しくない?
おかげでニュースサイト避けでニュースサイトも全うな運営が出来ないんじゃないかしら?
中でもすごく不思議だったのは
裕一さんが作曲するときに一切楽器をほとんど使わなくて出来ちゃうのは
ドラマ的というか、
そう言う産みの苦労の描写は一切無いところが、
そう言った苦悩も見たかったなと思いつつ、
ジョン万次郎さんが乗ってアメリカに行ったでお馴染みの万事順風満帆号で行く感じで、
まあ良いと言えばいいんだけど順調な話しで
あんまり不安になることはなかったかなーってところが感想よね。
だから、
そう言った苦悩がなかった分
裕一さんの苦悩がなかった分それが必要だったのかしら?
よくよく考えてみたら岩城さん死ななくても物語的には良かったんじゃないの?っても思うの。
志村けんさんのことは残念でならないけど、
最終回を見たいような見たくないような、
これほどまでにNHKホールを朝ドラで使ったことあるかしらとも思うぐらい画期的な
もうほんと本編ぜんぜん関係ないところがいいわ。
笑っちゃうけど。
むちゃくちゃだけど、
ファンサービスとしては大満足よね。
また帰ってから録画見るのが楽しみだわ。
うふふ。
うーんタムハマゴサンドにしようかと思ったけど
たくさん急須で出したので
半分水筒に持ってきました。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
問題はここだよな。これがなけりゃ「有名税じゃね?」とか「表現の自由やろ」で済むんだけど。
お前ら非実在女キャラが出てきたときに何て言ってた? ねえ何て言ってた? って話になるわけで。
ほんと腐フェミの韓流アイドル・洋画沼率高すぎてヤバい。あとバチェロレッテ見すぎ。バチェラーやテラスハウスも見てるやつそれなりにいて草しか生えない。リアリティショーとかいう生身の人間を骨の髄までしゃぶり尽くす搾取コンテンツ見ながら架空の女キャラに文句言ってるのマジウケる~って感じ。あいつらの人権感覚マジでどうなってるんだろうな。
あと、男オタってAKBや女性声優のエロ本とかあんまり描かないよなって思ったけど、男オタク文化圏は二次元と三次元が割と離れてるっていうのと(二次元のオタク、だいたい三次元が嫌いなんだよな。2.5次元が男性向けでは低調なのもそれが理由やろ)、そういうやべーことするやつは直接アイドルや声優に加害に行くっていう違いがあるのかね。声優に変態アプローチかまして問題になってるの、たいてい男だしな……
実際低調やんけ。俺の知ってる女オタはたいてい2.5見てるし女向けの雑誌やアニメイトの陳列棚ではむっちゃ2.5の特集組まれてたりするけど、俺の知ってる男オタで2.5見てるやつなんてレアケースだよ。レヴュースタァライトとかアサルトリリィとかの舞台やってるけど、あれが女向けの2.5と同じくらい男の間で流行ってるなんて聞いたことねーぞ。
さすがにそれは不当に厳しすぎる。いい大人が自分の意志で同意している以上それは同意。Yes means Yes. 嫌なら自己決定権を行使して「nmmnは訴えます」と言えばいい話。「本当は嫌だったけど別れ話を持ち出されたら困るからセックスに応じた」は有効な性的同意だろ、常識的に考えて。
昔、2ちゃんの半角文字板とかでは女性アイドルのエロ作品が多かったが、児ポが厳罰化するに伴い消えていった。男オタが三次に興味ないのではなく、2000年代に(未成年)実在女性のポルノが許されない社会に変わったのだ
そういう流れは知らなかったんだけど、なんか理屈がおかしくね? 18歳以上のアイドルの消費は児ポにはあたらないから児ポの厳罰化で廃れる理由がないし、仮に児ポ規制で年齢を問わず実在アイドルファンのポルノが許されない社会に変わったというのなら、なんで男性アイドルのポルノは生き延びてるの? 当たり前だけど、児ポ法が規制している「児童」には男子児童も含むよね……
女性の地位が低い国で女性の表象をおもちゃにするのはけしからん! とか言ってる腐フェミ見たときは草生え散らかしたわ。未だに同性婚すら認められておらず「ホモっぽい」がいじめの理由になるゲイの地位が低すぎる国で男性同性愛をおもちゃにしてる連中がよく言えるよなって。腐フェミには恥の概念が備わってないんじゃないか。
沼の外から見えるのが「問題ないと思ってる人たち」だけなのでは。ただ他人の性的消費という自覚が麻痺するのはやばいよな。タイBLドラマなんかは本人たちのファンサービスも多いらしく、距離感を掴み損ねるのかも
いや、別に韓流アイドルも洋画沼もリアリティショーも好きにすればいいと思うんだけど、男性向けコンテンツの女性描写に文句言ってるフェミがそれにハマってる率高すぎるのを見てると「はぁ?」ってなるって話(もちろんドルオタや洋画好きやリアリティショー視聴者の全員がそういうフェミやポリコレ厨ではないのはわかるし、フェミではない人たちをどうこう言うつもりはないよ)
タイBL、あれ性的消費というよりも性の消費の方がポリコレ的にはヤバいよね。出てる俳優の多くがGかBの当事者だってんならともかく、そうじゃないか、あるいはそのへんを曖昧にして匂わせで釣りに来てるなら、ポリコレ的には“クィア・ベイティング”の誹りは免れない。
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47877196
別にポリコレとか興味ないしって言うなら気にする必要どこにもないんだけど、ポリコレに意識高い系腐女子がタイBLにハマってるのは割と見かけるから、見かける度にこいつバカじゃねーのって思ってるわ。
そもそも論として、『ムーラン』の制作陣にアジア人がいない! って中国系アメリカ人の俳優がキレてた流れでいくと、ポリコレ的にはBLの制作陣が女だらけなのはありえない、って話になるんだよなぁ。ポリコレ派腐女子、存在自体が自己矛盾すぎる……
男性の性的消費を批判する声の少なさ、ひとに欲情されることは喜ぶべきことってガチで信じてる男性が多いからかなあと暗澹としていたのですが、これからなのかもしらんね。
ほんと疑問なんだが、こういうこと言うやつって個人主義や自由主義っていう観念が頭の中にないの?
性的に消費されるのが嫌なら、そもそも性的消費の対象であることが自明なアイドルなんかにならなければいいし、アイドルであったとしても耐えられない性的消費があるなら個別に嫌だと言えばいい。本人が明白に嫌だと言っていないのに、わざわざ外野が「そのアイドルの消費は性的消費ですよ!」とか批判しないといけない理由がどこにある?
もっと言えば、性的消費されて喜ぶ男もいれば嫌がる男もいるだろうけど、前者が積極的に性的消費されに行ってるのに後者が文句を言う権利はどこにもない。「男全体」をなんで後者が代弁できると思うのか。「男性の性的消費」なんてものはなく、個別の男への個別の性的消費があるだけだ。そして、架空の男を消費している分には、実在する男としては何も迷惑がかからないんだから放っておけばいいだろう。一緒になって楽しむとかならともかく、わざわざ批判しに行くのは馬鹿のやることだ。
だから、腐女子の人たちが男を性的消費してたり勝手にカップリングしてたりする分には、モデルにした実在人物から抗議が出ない限り彼女らの自由だし、同じ男だからという理由で文句を言う筋合いはなかろうと思うよ。同じ口で「女を性的消費するな」とか「マイノリティの表象を好き勝手するな」とか言われると「ああん? どの口でそれを言うんだ?」ってなるだけ。
鬼滅の良さは「マニアック感」を出しつつ設定はマニアックではない(覚えなきゃいけないことは少ない)&一見ショッキングだけど救済措置を用意してフォローしてる」のがヒットした理由じゃないかと思う。キャラは大胆に殺して「これは今までの普通のマンガと違う!」と特別に思わせつつも天国描写とかでファンを傷つけすぎない(進撃は傷つけすぎた感じ)。学園パロディつけて死亡済キャラ萌えしてたファンも逃がさないし、殺しまくって話題にした後、二次創作で人気のキャラをくっつけての最終回発情期と転生のコンボでファンサービスも欠かさない。意外と多い「これは他のマンガとは違うの!と言いたいがきつかったりマニアックすぎる展開は嫌」という層をがっちりつかんだ、凄くよく考えられてたシステマチックな頭のいいマンガだと思う。
つまり、アニメ化前は「話は面白いけど伏線とかミスリードとか考察要素とかそこまでないし設定は大味なので、アンケート出すような設定に矛盾があったら萎えちゃうような層」にはそこまで受けなかった。しかし、そういうジャンプアンケート層には多いが世間一般では少ない層には打ち切りにならない程度に受け、BLEACHとかNARUTOみたいな専門用語とか技の仕組みとか出されてもなあって層には「これはマニアックで私位しか好きじゃないかもという特別感と、求めてるマニアックすぎない王道な面白さ」が両方満たされる漫画としてヒットしたんじゃないかな。
https://orangestar.hatenadiary.jp/entry/2020/10/01/222627
科学的考証の正しさについては正直どうでもいいと思っているんだけれど、「のび太の新恐竜」に腹が立っているという点は自分も同じ。
下記、ネタバレを回避しようとはしていないので未鑑賞の方はご注意です。
川村元気の脚本のレベルは高い。多少趣味に合わない「感動の押し売り」成分が混じっているとしても、本作はエンタメとして、かなりの完成度だと思ってる。観客の満足度が高いのも当然だ。
だからこそ。
「新恐竜」は、「恐竜」とほぼ同じ冒頭から始まる。某所でたまたま見つけた「恐竜の卵の化石のように見える石」にタイムふろしきを被せてみたら、恐竜が生まれる、そういう序盤。
ここで、生まれるのが「ぴー助」ではなく、「キュー」と「ミュー」だった、というのが新恐竜の展開。つまりこの瞬間に、ぴー助はパラレルワールドに飛ばされ、この世から消えた。のび太の記憶からも消えたことになる。
なんでこんなことができるのか。
「恐竜」に感動した、昔の子供の思い出はどうでもいいと思っているのか。
「新恐竜」なのだから、タイトルも違うのだから、ぴー助の記憶もある世界で、全く別の発端から始まるストーリーで何がいけなかったのか。川村さん、あなたなら十分それで、面白い話が書けるはずだろう。
それでいて、中盤では「ファンサービスです!」とでもいわんばかりに、ぴー助が謎のゲスト出演を果たすのだ。
ぴー助はのび太を知っている。でものび太の記憶にぴー助はない、ということが明らかな描写で。並行世界に飛ばされた者の悲哀しか、そのシーンからは感じられなかった。なんなんだこの仕打ちは。
別に川村元気に限らず、「ドラえもん」の元締めたちは伝統を大事にしていない。例えば、自分が最初に腹立たしさを感じたのは、世間では名作と名高い「ひみつ道具ミュージアム」だった。
同作では、ひみつ道具の数々が、未来の世界でも“選ばれた魔法使い”によって作られた“魔法のアイテム”であるということが明かされる。
これにより、22世紀では皆が当たり前に使っている日用品であり、未来では当たり前に量産化された技術だという、幼い頃に認識していた世界観はぼろぼろに破壊された。
今のドラえもんが、むしろ全盛期の人気を取り戻しつつあり、皆に好意的に受け取られていることは知っている。自分は二次創作に寛容な立場であり、気に入らない人は見なければいいだけだということは認識しているから、別に抗議の声を上げるつもりはない。
でも、年頃の子供がいる以上、自分にこの作品から離れて暮らすことは許されていない。その度に不快感は湧き上がるので、ちょっとだけ愚痴ってみてもいいかなと思った次第。
最近、ポケモンのアニメを見返す機会があった。というか自粛期間中あまりにも暇だったので何か長いアニメないかなあと探していたらポケモンにたどり着いてしまい、そこからだらだら続けていた感じなのだが。
それで結構しっかり見てしまって、子供の時に追っかけていた頃とは、特によく言われる『シリーズごとの設定のリセット』について、少し違うイメージを持ったのでなんとなく書き出してみる。
まず、無印~AG~DPは基本的に一続きの話であった、ということ。
ポリゴンの例のアレや当初構成を務めた首藤氏の離脱、あるいは単なる世情の変化など、放送時期それぞれの事情に合わせて多少設定のブレはあるが(細かい部分ではAGバトルフロンティア編で里帰りしたカントーの街が無印に比べて妙に小奇麗になっていて面白かった)話としてはかなり直接的に繋がっている。
無印→AG、AG→DPの移行も記憶にあったイメージより全然シームレスだった。今でも衝撃的なお別れ回としてよく挙がるR団のアーボックとマタドガスの離脱回は、無印終盤ではなくなんとAG6話で、ピカチュウ以外のサトシの手持ちもシリーズ跨ぎでついてきたり(AG→DPのエイパム)、一旦控えになった過去シリーズの手持ちがシリーズ移行後レギュラー復帰したり(無印→AGのゴマゾウ/ドンファンなど)、研究所ボックスがあるからこそ、特に各シリーズ終盤での大きな戦いにおける手持ち入れ替えは逆にかなり流動的にやっているという印象。
AGフロンティア編なんてほぼ全編通して研究所預け組含めての総力戦で、なんだ無印組全然現役じゃんと思いながら見ていた。
公式戦に関しても、「優勝していない」という事実に隠れがちだが一応各シリーズごとに成果自体はちゃんと挙げている。
AG:ベスト8、(紆余曲折あったものの)バトルフロンティア完全制覇
かつ前シリーズの公式戦の結果が次シリーズでサトシ自身の成果・経歴として語られる場面も多々ある。
それどころかAGで達成してしまった『フロンティア完全制覇』が、DPで軽視・無視されるどころかある意味物語自体に非常に濃い影を落とす大ネタとして使われていた……のは、知っていたとはいえ改めて目の当たりにすると結構テンション上がってしまった。そこでこれ持ってくるか!みたいな。
で、BW以降。
XYとSMは逆にイメージしていた以上に完全にそれぞれ独立した話になっていた(XYは導入こそBWデコロラ編の延長だが本当に一話最初の導入だけで、以降はXY単体で話が完結している。SMのカントー帰省編もあくまで正しくファンサービスという感じで、そこまで本編自体への影響は感じなかった)。
個人的にXYは映像のカロリーの高さや物語のシリアスさ、連続性でテレビシリーズというよりかは物凄く長い劇場版ぽかった。SMはコンセプトを際立たせた分ちゃんと独立した日常ものテレビアニメという感じ。この二つは路線自体が正反対なので完全にお好みで、という印象。どちらがどうという訳ではなくて見る側がアニポケに求める要素にしっくり来るか来ないかというだけだと。
ただどちらも前提として無印~AG~DPで語られた物語を包括している気配は残っていた。が、話自体が独立しているので、あくまでも気配にとどまっているというか、包括した要素を切り出して描写している……ので、結果的にどちらも単体作品として見ごたえがあった。
ちゃんとスッキリ完結しているなあというか、この二つはとにかく1シリーズごとに一つの物語作品として纏まっているので、過去ネタを気にしないでも普通に楽しめるという意味ではそれぞれとても見やすかった(要素を切り出す方向性が、今までの物語で培われたヒーロー性を強調したXYと物語が培われる中でも変わらない歳相応の少年らしさを強調したSMで、こういった部分でもほぼ真逆なのがちょっと面白かった)。
BWはやはり立ち位置が若干特殊というか、開始当初はR団のイメージ変更やサトシがDPまでに積み上げてきた背景の「語られなさ」から見て、サトシ自身のリセットというよりかはアニメ自体の『新シリーズ』化を狙ったように思えた。
……が、結局後半になって過去手持ちや過去レギュラーが再登場してきたのでよくわからなくなってしまった。
勿論震災の影響で大きく話の構成が崩れたのはリアルタイムで経験しているので、色々と勿体なかったな……という感じ。当初の路線通りで行けば、BWもXYやSMのようにDPまでとは切り離された一つの独立作品として語られたのではないかという予感はある。
それはそれとして、R団がイメージ変更した影響か、日常回のマンネリが大きく解消されていたのは凄く良かった(というよりDPまでの日常回がある意味マンネリ極めすぎてしまっていて、そこは思い出補正の強さを悪い意味で実感してしまった)。あとオーキド邸の集合写真最高でした……。
以上踏まえて新無印について。
結局過去シリーズをだらだら見てしまったので新無印も何だかんだで見てしまっている。原作ゲームのストーリーからついに完全に切り離されたこともあり、正直方向性が見えずふわふわしているという印象が強い。
敢えて過去シリーズとの連続性を排除し、一つのシリーズとして完結するように描かれてきた最近の作品の方向性と違って、新無印では当初から過去シリーズのゲストが度々再登場している。一方で過去シリーズで積み立てたサトシ自身の経歴が語られることはあまりなく、手持ちの再登場もほとんどない。
ただしBW開始当初のようにサトシの背景自体が「語られない」という訳ではなく、過去キャラの登場から直接的に描写される部分も含めて、過去シリーズの存在は意識されているように見える。
ただ、こういうふわっとした方向性の方が、原作ゲームの新作が出るなどの世情の変化に対応しやすくて良いのかもしれない。
少なくとも新無印は今のところ妙に気負わなくて良い分とても見やすい。原作ゲーム共々色々とアニメもまた変化していくのだろうが、それもそれでまた楽しみということで。
……あとやっぱりDP編は余裕があったら無印AGも(せめて公式戦関連は)見てから見た方が良いなと改めて実感した。DP自体クソ長いしそこまでも超大長編だけど、それまでの10年分の総決算としての色がとにかく濃かった。DPだけでも十分面白いとは思うんだけどね。
今更だけど「ジョーカー」を見た感想を書き散らす。映画ファンでもなんでもないド素人なので増田に書く。
この前この増田 https://anond.hatelabo.jp/20200911200534 を見て気になっていたので視聴。
けど正直ふーんって感じだった。もっと心揺さぶられる、あとから色々考えてしまう系かと思ったのに。
これだけ評価が高いのだからなにか見落としていた視点が有ったのかもと思って色々レビューを漁ってみたがイマイチ納得できず…。
バットマン自体を見たことないのがいけなかったのかもしれないが、他のレビュー見てみてもバットマン要素はファンサービス程度でそんなに関係なさそう?
主人公はたしかに可愛そうな境遇ではあるけど、金持ちが見下して暴力を振るってくるのに対して弱者である主人公も暴力で反撃して怯える金持ち共を見てスッキリ!っていうのが短絡的でつまらない。弱者でありながらも必死にまっとうに生きてきたものとして、人を殺してしまったことに葛藤があったのが徐々に消えていく…みたいな、そういったものがなかったので実在感のあるキャラクターとして見れず、「軽薄なフィクション」って感じで終わってしまった。
あとは展開読めた俺すげーみたいな話になってしまうけど、途中から主人公に都合の良い展開が多くて「ん、これ妄想かもな?」と思ってたら本当に妄想だった。
都合の良い展開とは下記のようなところ。
付き合ってると思ってた女性が妄想だったのも、デートや病院での付添に女性の子供が一切顔を出さないことに違和感があって、「これ妄想だな」と思った。
ウッソだろカバー⋯⋯いつだってマズい対応ばっかりしてきたお前、今回も火に油じゃねえか。
この解説だけで終わる程度の話がとんでもない方向に発展しちまった。俺にはもう何がなんだかわかんねえよ。
下の打ち消し線は今引きました。
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これはファンの内紛なので興味ない人は帰ってください。
本日はバーチャルYouTuber桐生ココ(ホロライブ所属)の炎上騒動について話します。
桐生ココがYouTube配信中(bilibili同時送信)にGoogleの画面を表示しながら自身の視聴者の属性を語っていたところ、国(Google Analyticsの表記では地域と出ない)の欄に台湾が表示された。
これにより中国共産党(注1)の検閲が発生し、bilibiliの桐生ココのアカウントで放送権が喪失する。
これが一時的なものか、同じ事務所(法人)に所属する別タレントに波及するか不明ではあるが、中国ファンコミュニティが騒然とする。
この翌日に同事務所で大きな中国人気のある湊あくあの記念配信が控えており、実施が危ぶまれる論説が上がる。
湊あくあファンによる不用意な配信を中国で実施するホロライブ運営および桐生ココへの怒りの声が頻発した。
何が悪いかって言えば検閲が悪く、中国本土で一国二制度へ疑義をぶちあげるのはシンプルに将来と命の危険に晒されることになる。
お国柄の大前提を踏まえた上で以下ホロライブの問題点について。
例えば中国で活動している企業は山程あり、多国籍企業なら何かしら中国共産党とニギって解決することが多い(それが良いとは言っていない)
しかしホロライブを運営するカバーは現地に主体がない。そのため誰も責任を取れない状況にあり、プラットフォームのbilibiliは責任を負う義務もないので一撃でペナルティを課す。
またボランティアも娯楽活動に命や社会スコアをかけられないため極力責任は回避する動きとなり、結果としてタレントのYouTube配信をそのままbilibiliにミラー送信するようなことが起きる。タレントの大半は中国で配信されている自覚もないから配慮も忖度もなく(当然)、最終的に看過し得ぬ内容を垂れ流し放送権剥奪に至った。
注1:中国の大きな企業の多くには社内共産党(のようなもの)があり、党の観点から企業の運営に指導することが認められている。bilibili社はお取り潰しを恐れて専門の独立した検閲部署を保有しており、先回った検閲を行うことも多い。この部門を自前で組織するか、本物を連れてくるかは経営判断だがbilibiliは党籍保持者がいる(と聞いているが当然温度差はあり以下略)
いわば無責任の集合体が中国ホロライブであり、中国のファンを蔑ろにしていると受け取るホロライブファンもいる。
中国人気を持つ同社所属タレントは独自に現地向けのファンサービスを行うこともあり、強い温度差がある。
そのため今回の騒動は「やる気のないやつ、邪魔するやつは出ていってくれ!」が本題であり、台湾云々は原則どうでもいいのだ(もちろん現地のネット右翼みたいなのはいるが)
私は私のファン第1号だ。
たとえ活動が無くてもどこかでまた輝く私を夢見て、私が幸せになることを毎日祈り続けている。
自分で歌っては「なんて綺麗な歌声なんだ」と思い、自分の書いた文章を読んでは「こんな文章は私以外の誰にも書けやしない」と感嘆して、可愛く着飾った自分の姿を鏡で見て「こんなの映画の主人公じゃないか」と息を飲む。
自分というアイドル、偶像崇拝をすることで自分のあぜ道を照らし続けてきた。
壊れかけの懐中電灯のような頼りない光は私に三叉路の間違った道を勧める。
迷っているのはとうの昔に気づいているけど「もうこんな所まで歩いてきてしまった」と見栄を張って気づかないフリして自分が正しいと疑わずずんずんと進み続けた先には何も無かったのだ。
いつか見えない手が私に救いを差し伸べて私はただその時が来たらその手に縋ればいいと機会を待ち続けていた。
本当にしょうもない人生だった。ずっと夢ばかり見てきたと思う。
歩き続けてれば勝手に上手くいくほうに導かれるだろうと思ってたけど本当に何も無かった。真っ暗闇に意識だけがふよふよと漂っているのだ。
偶像は振り向かない。微笑んで手を振ってはくれるけどあくまでファンサービスだということを忘れてはいけない。夢を見せてくれるけど夢に見せられてはいけない。応援し続けていればいつか見返りがあるだろうと期待することは甚だおかしい。
私は私の人生を自分の足で歩まなければいけない。叶える気もない夢は幻想でしかなく幻想に囚われていたと気づいた時には見惚れていた夢が煤になり自分に容赦なく降りかかるのだ。自分のことを灰被りの少女だと思っていたけどそれこそ私が作り出した幻想に見せられていたのだ。
誕生日が来る度に「来年はもっと多くの人に祝ってもらえるように頑張ろう」と心に誓うようになってから4年は経った。今年は家族に祝ってもらえたので2人増えたと言っていいんだろうか。
そんなのでもいつか絶対にこの日々が光を帯びて眩い思い出として何度も振り返られる時が来ると思う。
この先の人生で得るはずだった休暇を全てこの瞬間に閉じ込めて消費しているんじゃなかったら何なんだとすら思うほどに自由に生きている。
何にもない私にも自由だけは有り余るほどある。
私は私のファンだけどプロデューサーなんてついていない。「こういう私が見てみたい」「きっと私ならこれができるはず」と思ってもこれまで私一人だけで叶えられなかったことも多かった。
さっき見た映画の余韻に浸っていたらもう既に2時間が経っていた。こうやって限りある人生というのは私の意図に反して終わっていくのだろう。
私は私を幸せにしたい。これは自分という名の偶像と決別するための1200文字の遺書。よってこれを最後のファンレターとして筆を折ろう。キショ。
まあ少なくともラブライブではないと思う。
あれは「努力・友情・勝利」の物語が、努力も友情も勝利という目的のための手段に成り果てるという構造的欠陥を抱えていることに無自覚すぎる。青春も、思いも、全てがアイドルとして多くのファンを獲得するための道具になってしまっている。アイドルは物語によって夢を売るものだけど、その物語が飾らない自分たちの青春であれば、それは青春すべてがファンサービスの一環として商業主義の中で昇華されるリスクを抱えることになる。μ'sの物語は見事に自ら生み出したその消費の渦に飲み込まれてしまい、学園生活のすべてがアイドルとして勝利をおさめるまでの過程となった。手つかずの自分たちだけの青春はもう欠片ほどしか残っていない。自分たちだけの努力、ファンの手垢にまみれていない純粋な友情、それらすべての当たり前の学生らしい青春が失われて、アイドル活動の一環でしかなくなった青春。その世界観が貫かれているならいいが、実際は甘酸っぱい青春の物語であろうとし続け、そうして売り込むがゆえにその青春はいつまでも消費され続けていく。その矛盾が結果的に広げた不協和音の結果がアニメ二期以降シリーズ全体に漂うちぐはぐさだ。それがある時点で最高峰とは言えない。減点があるというより、全力でのめり込もうとしても障害物がコース上に多すぎて見ていて何度も感情にブレーキがかかる。偶像崇拝の触媒として、決して優れているとは言えないだろう。
別に推しくんからの認知が欲しくて手紙を書いているわけではないの。私信が欲しいわけではないの。
いや、正直に言えば欲しいか欲しくないかでいえばめちゃくちゃ欲しいけど、私にくれるってことは他の人にもあげてるんだってなってそれはそれで嫌なの。
ただお手紙は読んでいてほしいし、内容を覚えていてほしいの。
覚えている内容を私へのファンサービスとして話そうとしなくていいの。ファンへのファンサービスとして話してほしいの。
「名前はわからないけれど手紙でこんなこと読んだな」って思いながら、ファンという集合体へ向けて話してくれるのが理想なの。
ライブでも「いつも来てる増田さんだ」って思いながらファンサしてほしいんじゃないの。「誰かわかんねーけど俺のファンだな」って思いながらファンサしてほしいの。私へのファンサじゃなくて私の持ってる推しカラーのペンライトへのファンサが欲しい。
夢を見た。
広い原っぱのような公園にまばらな人がいる。
それはゆるキャラのようなデザインをした巨大なヤンキーのぬいぐるみだった。
周りの人たちは出現したそれを見て「あ!二頭身ヤンキーだ!」と叫んだ。
あっという間にスマホを持った人達が二頭身ヤンキーを取り囲む。
二頭身ヤンキーなどという名前は初めて聞いたが、これほど人気なら何かのイベントなんだろう。
そう思って人の群れに加わり二頭身ヤンキーを眺めていた。
すると、人に取り囲まれて許可もなく写真を撮られたことが気に食わなかったのか、二頭身ヤンキーが暴れだした。
「何メンチ切ってんだオラ!」
自慢のリーゼントをぷるんと振るわせて周囲に凄む。
人々は二頭身ヤンキーが喋ったので大喜びだ。
キャー!こっち向いて!と黄色い声が飛び交う。
動く大きなぬいぐるみにしか見えない二頭身ヤンキーが暴れる様子をほのぼのと眺めていると、隣の人がプチン…と潰れた。
二頭身ヤンキーが踏みつぶしたのだ。
途端に叫び、逃げ出す人々。
しかし相手は10メートル級である。狙われたら逃げきれるわけがない。
中に仲間がいるから安心、と安易に罠の中に入り駆除されるネズミの動画である。
周りに人がたくさんいるから安心だろうと考えた自分が馬鹿だったのだ。
必死に走っていると、ふとあたりが暗くなった。
上を見ると、合うはずのない目が合った。
公式から公表された訳では無いが、しばらく休み(ツアーの一部のライブがコロナで延期された)になる前に行った、全てのライブでは女装をしていたのだ。
推しにとって、ちょっと気が引ける服を着るぐらいならば普通に着たいものを着ればいいと思う。
あと、推しはすごくファンの間での噂などを気にする。例えばすごく臍がエロいとかファンの中で噂されたらそれを意識してかしらずか扇ぐ振りをして服の臍に近い部分をばたばたとして一瞬だけ臍を見せてきたりするのだ。
やはり男が女の姿を模するというのは苦手でこれは昔からなのでどうしようもない。
推しはファンの間での噂に敏感で、たまたま流行っていた女装をしたらきっと良くなるはずという噂のせいで、不覚にもわたしにとっての地雷を仕込まれてしまうということになったのだろうかと思う。
推しが女装をしてステージに上がった瞬間、女ファンの黄色い声が会場中に響いたという。
推しは男にも地味に人気があるが、男のファンはよく分からなかったらしい。
上記のような例
推しはすごくファンの間での噂を気にする。例えばすごく臍がエロいとかファンの中で噂されたらそれを意識してかしらずか扇ぐ振りをして服の臍に近い部分をばたばたとして一瞬だけ臍を見せてきたりするのだ。
死ぬ気で取ったチケットだが、推しの女装姿だけは生理的に無理なので(もちろん普通に推しの歌や推しの顔などは好きだ)泣く泣くチケットを払い戻し処理にした。
出来る限りの方法で推しを応援していこうと思う。 ライブの物販(わたしは行ったライブのグッズしか買わない主義なのだ)などで落とせなかったお金を別の推しのグッズなどに使ったりしようかと思う。
自分は今まで生きてきてアイドルというものを推したことが無いのですが、snsでフォロワーさんが最近アイドル沼にハマったと言っていてそれを覗いた感想です。
本当に顔の綺麗な人ばかりですごい。それに加えてダンスもして歌も歌って運動ができない人間からすると異次元の行為に思えました。みんなキラキラしていて、どの人も天職なんだろうなという気持ちで見てました。
なぜ今までハマらなかった理由について考えたところ、「自分には眩しすぎる」という結果になりました。光が強すぎて自分の体が光で飛んでしまうような気分になるからかなと。本人たちにしかわからないパーソナルな部分をこぼれた言葉から受け取るには安易すぎて、それじゃあもっと苦しめているのでは無いかと感じてしまいました。どんな仕事でも苦しかったり大変なことはあると思うのですが、他者からの干渉が多い仕事なので結局この人たちを苦しめているのは好きでいる自分なんだなという気持ちになるような気がして今まで幼かったんだろうなと。
ここからは自分の考える「こんなアイドルがいたら推すかもしれない」です。
・ファンクラブがない
理由は特にないのですが知り合いの好きなアーティストがファンクラブを作らない理由に対してファンに順位を付けたくないからという言葉が素敵だなと思ったからです。
忙しいだろうからただ単に休んでて欲しいだけです。あと失言が怖い。
これもあり得ないと思うのですがファン同士でマウントの取り合いになることが減るんじゃないかなと。あと個人的にこまめに推しに手紙を書きたいという願望から。もし高価なものや手紙以外のものが送られてきたら事務所から送り返される方式がいいです。(気持ちは有難かったですがお手紙限定での受付となっていますみたいなメッセージ入りで)
・サイン会や握手会などは先着順ではなくランダムでその場で選ばれる方式
説明が難しいのですが、早くきたから早く会えるのではなく整理券がランダムに配られて書いてある数字が呼ばれたら行くという(一番早くに来て1番の整理券でも最初に呼ばれるのが整理券番号100~150番の人たちだったら一番早く来ても会うのは最初ではない、みたいな感じです。分かりにくい...)
・メンバーの人たちがジェンダーやフェミニズムについて勉強している
これは同性、異性のグループ関係なく学んで欲しいです。好きな人に思想で傷つけられたくないからです。
普通!でもこれって難しくって某アイドル界隈を覗いてたらかなりの頻度で問題が噴出していて、それを擁護する人非難する人で地獄絵図が頻発してたので(グループ自体が大きいので民度が低いというのもありますが(いろいろな人がいるので))。外で女抱こうが、抱かれようがクリーンなお付き合いをして欲しいです。
・私生活の切り売りをしない
別に推しの私生活はどうでもいいというか、プライベートと仕事が混じるとしんどいのはあちら側でこちらは搾取しているような気持ちになるからです。
これもまた無理だと思うのですが、女性がものすごい短いスカートとかお腹の出ている服、胸を強調した扇情的な服装をしていたり、男性が半裸のような格好で踊ってたりするのを見ていると、そんなことはしなくてもいいのに、という気持ちになるからです。鍛えられた美しい肉体を見せるということがファンサービスということは自分には合わないというか、普通そういう裸に近いような姿は親とか大切な人にしか見せられないと自分は考えていて、アイドル側からしたらそりゃファンは大切な存在だろうけど、そういう姿を見るたびに彼ら、彼女らから何か大切なものを見ている側は削ぎ落として言っているんじゃないのかと思えて、こんな風にやってくれているのは私たちのためだけど、彼女はきっとあんな胸のあいた服で踊りたくないんだろうなとか考えで集中できなくなってしまいます。
夜中の生配信や無理なスケジュールとか全部無しにしてとにかく休んで美味しいもの食べて!という感情が常にあります。心が乱されることも多いだろうからカウンセリングとかもしっかり通って心と体のケアをして欲しいです。アイドル側はファンの為にやってくれているのは百も承知ですが、ファンの為にしっかり休むとこは休んでいいコンディションで仕事して欲しいなと思います。
本人たちがやるとなんかボロとか出たらやだなあと思うので。スタッフさんが今日はダンスの練習でした!ってメンバーの写真あげているくらいでいいです。更新も週に二回とかそれくらいでいいです。
・無理なスケジュールは組ませない
体が心配なので
・人気がありすぎない
これは人気ないと事務所側は困るだろうけど推してる側(自分)的にはあんまり人気が出すぎると忙しくなりすぎちゃうし(メンバーが)、民度は人が増えるにつれてどんどんよくない方に傾いて行くというのがわかったので。その方が安心して好きでいられるというか、すごい人気のグループだと自分なんていなくても変わらないって気持ちになるんですがそんなに人気あるわけじゃないとかだとこの人たちを大切にしたいなって気持ちになるからです。まぁ人気なくても態度悪かったりしてなくなるべきして人気ないグループとかもいるでしょうけど。めっちゃ人気あるわけじゃないけど、メンバーの関係性や事務所の関わり方もよくて曲も好きなように作ったり歌ったりできてれば最高です。やっていけないわけじゃない位が丁度いいです。
・曲の方向性はやりたい方向に突っ走って言って欲しい
もうこれに関してはファンを置いて行くくらいの勢いで自分たちのやりたい方向性に振り切っていて欲しいです。お前らついてこれんのか?!ってくらいの気概でやっていて欲しいです。
したところでお互いにいいことなんて一つもないのに気づいてください。基本アイドルは恋愛禁止なのに(違ったらすみません)なぜ恋愛営業をするのか永遠に謎です。好きなタイプとかどうでもいいので最近見た夢の話とか、散歩中に見た猫が可愛かったとかそういう話がいいです。そもそも相手の好きなタイプに変わらないといけないみたいな発想がそもそも嫌いで、なんでそっち側に寄せないといけないん?って思ってしまいます(話がズレている)
民度がいい界隈は存在しないのですが、それでもメンバーが不祥事や何か問題を起こした時に注意できるような空気があればいいなと思います。もちろんほとぼりが冷めるまで静かにしていたとしても、自分の正義感を振りかざしたりする人がいなければいいなと思います。声をあげる人もあげないで静観している人も許され入れる場所がいいです。
もう解散したグループの曲とか聞いていると必死に追いかけなくてもこんないい曲が聴けて贅沢だなっていう気分になります。
某アイドル界隈は数年前まではこんなに民度低くなかったとよく言っている人がいて、そんな事もなかっただろうけどでも人気が出てどんどんめちゃくちゃになって言ったんだろうなということは容易く想像できました。一部の人たちがメンバーとの妄想で露骨に性的な表現を使ったのを呟いていたりするのを見ると自分はここには入れないな思いました。いい意味でも悪い意味でも大きくなりすぎると無法地帯と化してしまうんだなと。
抱かれたい!とかこの〇〇エロすぎるとかというのも見るのがしんどいですし、それは性的な搾取ですよ?と言いたくなってしまいます。せめて鍵かけて呟いてくれと。(過激なツイートでフォロワー増やすという感じかもしれませんが)異性だろうが同性だろうがそういう発言は基本的に表では慎んで欲しいです。自分はメンバーと恋愛したいとは思わないし(そもそも絶対に無理なのがわかっているので)そういう所の差異が気になるのかなと感じました。
長々と書いてもこんなアイドルは絶対に生まれないしきっと自分は一生アイドル文化には馴染めずにいるんだろうなと思います。
最近昔よく聞いていたアニソンとかよく聞くんですがやっぱりいいなと思いました。安心感がすごい。二次元の触れないから、実体がないから安心して好きになれる感じが好きです。
あと同性のグループを推すといいらしいです。これはわかる気がします。「最終的には同性アイドル推した方がいい。マウントの取り合いがめっちゃ減った」って言っている人の意見に納得したからです。
アイドルについてもっと勉強していつか推せたら、今推せてなくても別の世界線の自分が楽しくアイドルを推してたらそれはそれでいいだろうなと思えました。
ずっと思ってたけど、これに対して何か言ってる人あんまり見かけない。
最近、芸能人が家で配信することとかリプ返企画とかやる流れが来てる中で、芸能人に何か質問したり聞き出せたりするチャンスが増えてると思う。だけどそこから求めるのはその本人のことにしようよ、その人のファンサービスなんだしさあ。
俳優のオタクしてると、好きな俳優がジャニーズと共演することはちょくちょくある。共演した誰かと仲良くなるのは私もホクホクする。するよ!嬉しいけど…
たとえば俳優がリプ返企画をしてるとする。こちらからしたら好きな俳優本人の話題で盛り上がりたいのに、リプ欄に特別興味もない共演者のジャニタレの名前がびっしりで、本人の話聞きたいのにそっちの話題ばっかだったら悲しい。YouTubeの動画をあげてコメント盛り上がってるなあって思って見たら、「〇〇くんにも教えてあげて!」「〇〇くんと連絡とってますか?」みたいに全く脈略のない人物の名前出てきたら鬱陶しいよ。
逆の立場になったらわかるじゃん。自担の配信、ブログ諸々のコメントに共演者の名前ばっかだったら面白くないじゃん。
ジャニオタは母体がでかいから、共演者から話を聞きたいって同じように考える人が多いことわかってくれ。ファンの数が桁違いなんだよ、かかってこられると敵わないの。
ていうかジャニーズだったら雑誌毎月出るじゃん!テレビも出るじゃん!ラジオあるじゃん!なんなら今動画出してるじゃん!安定した本人からの発信があるじゃん!って思うんだけど、そういうことじゃないのもわかる。誰かが自分の好きな人の話してくれたら嬉しいもんね。
でもね、失礼も承知で言うけど興味ない人の名前がたくさん流れてくるのってかなり疲れるよ。自担の共演者にもファンがいること忘れないで欲しいな。
毎週のように観劇していたヲタクですが3月から徐々に観劇が出来なくなり、今は1ヶ月以上テレワークで自宅に籠っている。
刀剣男士が紅白に出るなどして2.5次元舞台のブームは目ざましかった。それと同時に2.5次元舞台は飽和気味にあったように思う。2.5次元舞台だけではなくて、それらに出演している若手俳優と呼ばれる20~30代の男性俳優達の舞台がありとあらゆるところで開催されすぎているように感じていた。
何せ客席が埋まる公演と埋まらない公演の差が激しい。人気の舞台は本人確認!1人1申し込み!という処置が取られる一方、埋まらない公演では後出しでアフタートークやお見送り会が開催され、リピーター特典なるものまで用意されることもある。
若手俳優界において観客全体人口の内、人気の舞台に行かない層のヲタクは、実はそんなに多くないと思う。人気の舞台にも行く数少ないこの層のヲタクを有象無象の舞台で取り合うので、客席は埋まらない。そして永遠にこのヲタクを再利用し続けるのみで、観客の全体数は増えないし、ヲタクは再利用されすぎて疲弊してきていたように思う。
ずっと再利用されていたヲタク達が、減らない貯金残高を見て冷静になってきているように思う。若手俳優達はこぞって配信サービスを利用して様々なファンサービスを試みている。現場に行くことが生きがいだったヲタク達が果たしてどこまで残るのかという疑問と、休業を余儀なくされる業種が多々あり世界的に経済が悪化する中で、これから先もどれだけヲタク達の貯金残高が減らずに済むのかもわからない。
アフターコロナが1年後に来るのか、2年後に来るのかはわからないが、果たしてアフターコロナでヲタクはまた埋まらない公演に再利用され続けられるのだろうか。個人的には開催される舞台は人気の舞台だけになってしまうのではなかろうかと思う。これは勝手な想像だが、恐らく再利用されていたヲタク達は同じ想像をしている人は多いのではなかろうか。そうなると数多の若手俳優達はどこに向かうのだろうか。コロナ禍を生き残っても、アフターコロナで生きていく事が出来るのか。この疑問は若手俳優だけでななく再利用されていたヲタクにも全く同じことが言える。若手俳優も再利用されたヲタクも、どちらの人口も減ってしまうのは想像するに難くない。特にヲタク側は前述の通りすでに疲弊していた(疲弊が過ぎて麻痺して気づいてないパターンもある)ように思うので、この機会にヲタクを辞めてただの観客になる人も多々いるだろうなと思う。
観劇か…何もかもが懐かしい。
ジャンプで連載中の漫画「ぼくたちは勉強ができない」が今週一つの最終回を迎えたところですが、同時に少年誌では前代未聞のマルチエンド方式であることを発表したことで大炎上しています。
結ばれたヒロインが決定してからそれなりの時間が経ち、荒れかたも落ち着いてきたところでの爆弾投下だったので酷い荒れ方でした。全盛期の頃の俺妹にも負けず劣らずの荒れようで、罵詈雑言が飛び交う酷い有様でした。
純粋に喜んでいる人もいるのでしょうがそういう人はあまり多くは書き込まないので、大抵は今までの鬱憤を晴らそうとする書き込みですね。見るに堪えない人も多かろうと思います。
この方式が嬉しくないかと言われると嬉しい気持ちもあるにはあるのですが、それでも個人的には「ラブコメ漫画」でのマルチエンドには反対です。1話2話程度の完全にifルートと分かるような形式であれば良いのですが、過程も含めて描こうとするのは絶対に反対です。
ラブコメを読むことを競馬に例えることも多いし、その感覚もあるのは否定しませんが、それでも一番は唯一無二の運命の人と結ばれる過程を見たいから読むというようなロマンティシズムなところなんですよ。
好きなヒロインがその相手であれば最高ですけど、そうでなくともその運命が美しければそれで良いんです。
恋愛ゲームはいいのかと言われそうですが恋愛ゲームはいいんです。ラノベにもあると言われそうですがラノベも今のところはいいものしか知りません。媒体の違いは大きいです。知ってる範囲で違いを書きます。
漫画でのマルチエンドは少年誌では前代未聞ですが、、青年誌では「すんどめミルキーウェイ」という前例があるそうです。
読んでいないので詳しくは知りませんが、本編のフィナーレ手前からの分岐のようです。読んでいないのでなんともいえませんが、「ToLOVEる」のようなエロよりならありかなと思いますし、そうでなければちょっとどうかと思います。どのくらい続きを書くかにもよりますが。
ちなみにジャンプで連載中の「ゆらぎ荘の幽奈さん」も擬似的なマルチエンドを行っています。一本道の話の中で必然的に各ヒロインのあり得たかもしれない将来を描いているもので、設定的に可能な作品は限られるとはいえ上手いやり方だなと感心します。
ラノベで一番有名なマルチエンドは最近出た俺妹のあやせルートでしょうか。これはゲームのノベライズです。ifなのは明らかなのでこれはいいです。
他にも「ベン・トー」の最終巻もマルチエンドですがこれも短編でそれぞれと結ばれたかもしれない世界を書いてるだけなのでifなのは明らかですからこれもいいです。
ラノベとして一番ちゃんとマルチエンドを書いてるラノベは「お前をオタクにしてやるから、俺をリア充にしてくれ」の小豆エンドでしょうか。ドラゴンマガジンで本編と並行して短編連載していたパラレルストーリーをまとめたものですので、これもifなのは明らかですね。時系列的に半年以上かけて別の世界を書いていますし、小説なので描写の密度も漫画よりずっと高いです。このくらいかけていればこういう選択をしていれば小豆と結ばれる運命だったんだなと素直に思えます。
シナリオメインの恋愛ゲームは基本的に出会いとそれぞれの事情を簡単に知っていく共通ルート、個別のヒロインとイベントなどを通して結ばれていく個別ルートに分かれています。「シュタインズ・ゲート」のように実質一本道なものもありますが、恋愛メインならほとんどこういう形式です。
共通ルートと個別ルートの比率は作品によって色々ですが、大抵は共通ルートのほうが短く、個別ルートのほうが長いです。
なぜかといえば、最終的に主人公がどのヒロインと結ばれるにしろ共通ルートでは同じ経験をしているわけですから、その同じ経験の比率よりなぜそのヒロインと結ばれたかという個別に仲を深める比率のほうが高くないと説得力が薄くなってしまうからですね。
個別ルートが1,2時間とかいう作品もありますがそういうものは基本駄作と言っていいでしょう。1,2時間で描写が済んでしまうような運命に説得力などありません。
主人公のした選択によって、別のヒロインと結ばれる運命が生まれる。恋愛ゲームのいいところはあったかもしれない運命をいくつも見られることですね。まあそれをメタるのもまた恋愛ゲームですが。
オリジナルアニメでマルチエンドはないでしょうから概ねこの辺りでしょうか。
「唯一無二の運命の人」という表現ですが、生まれたときから赤い糸で結ばれているという意味ではなく、その場その場での選択によって結ばれる運命となった人という意味で使っています。
ですから今現在ラノベでやったことがあるような方式ですとか、恋愛ゲームならその運命になるだけの十分な説得力があるからいいんですね。
じゃあなんで漫画だと反対かというと単純にそんなに長く描けないでしょ? というだけです。長く描けるなら別にいいと思います。
「ぼくたちは勉強ができない」での分岐は文化祭だそうですが、文化祭は150話中69話目です。恋愛ゲームでいえば共通ルートが69話、個別ルートは81話です。この時点で成幸が誰かに惚れてる感じもしないので分岐するタイミングはいいと思います。だから各ヒロインこのくらい描くならいいと思いますよ。でも81×4って無理でしょ? 直接ルートに関係あるところだけとして適当に半分にしたって約160話、約3年分って半分にしても非現実的じゃないですか。
そうするとどうなるかっていうと今まで描いてきた描写を使い回さざるを得ないじゃないですか。そうする度に成幸が同じ経験をしてきたにも関わらず、些細なことで全然別の相手を好きになりましたってならざるを得ないんですよ。運命の、物語の純度が下がるんですよ。1,2時間の描写で相手が変わるみたいなことになって、成幸の経験が薄く、軽くなるんですよ。
その程度で揺らぐような運命を見たって感動できないんですよ。ていうか一度感動した分今までの感動何だったんだってなるんですよ。
いやまあ使い回さないこともありえますよ。各ヒロイン1,2話みたいな。それはいいんですよ。明らかにifなんで根幹の物語の純度は下げませんから。
でもあの発表の仕方でそれはありえないじゃないですか。それで描写を使い回さないならヒロイン間の描写密度が違いすぎて軽すぎますし、そもそも成幸がそれで惚れるのは解釈違い甚だしいんですよ。それに歯抜けの描写で結ばれても感動のつまみ食いみたいになるの嫌じゃないですか。音楽のサビだけ聞くようなもんじゃないですか。サビだけ聞いたっていい気分にならないわけじゃないですけど、でもその程度で満足できるわけじゃないじゃないですか。
恋愛ゲームと同じじゃないかみたいな声も聞きますが、恋愛ゲームやったことある人間に言わせると違うんですよ。
恋愛ゲームにおける共通ルートって各ルートに共通する設定を説明するパートであると同時に各ヒロインを選択していくパートなんですね。そこで選んだ選択肢によって好感度が上下していき、最終的に最も好感度が高いヒロインの個別ルートに進むんです。
つまりその選択肢を選んだ世界だけ見れば、そのヒロインを追いかけてそのヒロインのルートに進むわけですから、主人公とヒロインが結ばれる運命って言われてるほど安くないんですよ。選択肢一つ選んだらそのヒロインのルートに行く作品って全然多くないんです。
バトルとか恋愛メイン以外なら結構あるかもしれませんが、恋愛メインならあまりないですね。恋愛ゲームって女の子を攻略するゲームなんですよ。
じゃあ漫画だとどうかってまた1話からやることありえないですよね? だから漫画では全く同じ共通ルートにならざるを得ません。ですから漫画における共通ルートの価値ってゲームと比べても必然的に軽くなるんです。
ラブコメ漫画って作中の時間は置いといて、リアル時間で何年も掛けて連載を追って、たった一人の相手と結ばれる流れを見守るという点で運命の密度と純度が高いんですね。こればかりは恋愛ゲームは敵いません。リアル時間で匹敵できるのはラノベくらいでしょうが、ライブ感は比較になりません。
そういう意味で「ラブコメ漫画」って唯一無二のジャンルなんですね。漫画以外じゃ代替効かないんですよ。
だからゲームのいいとこを取ろうとこんなサプライズのようなやり方をしないで、「ラブコメ漫画」の強みを活かした作品を読みたかったなあと、今週号を読んで思いました。
ところで文化祭で分岐ということですが実際に連載自体は各ヒロインの長編後から始まると思います。
あしゅみー先輩以外は同じ内容の長編をやることが不可避でしょうし、一度長編をやっているのにもう一度やるのは馬鹿らしいですから。
センター試験あたりからロードするんじゃないかという話も多いですしぶっちゃけそんな気がしないでもないんですが、さすがにこれやったら筒井先生の正気を疑います。
理珠の長編のあとでも成幸の気持ちを動かすのに時間が十分とは言えないと思いますし、ましてセンター真っ只中から受験終了まで恋愛に頭悩ます暇ないでしょうからさすがにやらないと思います。
ルート分岐時点で先にマルチエンド宣言しておくのが誠意だと思うよ。
少なくともルートエンド前でしょう。余韻も何もあったもんじゃねえわ。
最近のネットの論調のせいかと思いますがセンシティブになり過ぎでは……? 個人レベルでのありなしって話なので作者は好きにしたらいいと思います。というか規制どうこうのレベルの話に読めます? まあどっちでもいいんですが読まないでもらえると嬉しいです。
私の中では人類普遍の原理に反する(比喩です)絶対に認めない価値観ではありますがそういう価値観があることは当然でしょう。同意されたら嬉しいですが、されなきゃしょうがないというか当たり前です。
オムニバス形式の一人の主人公がやったところでそもそもの積み重ねが大したことないので……。
enya_r 描写不足には不賛同。ぼく勉って個別ルートのイベントを時系列でザッピングしてきた漫画なんだよ。ヒロイン当番制がむしろ意図通りで文化祭以後も共通ルートじゃなかったわけよ、告知ページの作者コメント読み取るに
これは違うと思ってまして、というのもうるかの待つ空港まで辿り着けたのは、人の心が分かるようになった理珠がうるかと文乃が気まずくならないように私もキスしたいですと言ったり成幸の背中を押したりしたからですし、父親との確執を乗り越えて自分の心と向き合えた文乃が笑顔で成幸を助けたからですし、過去のトラウマを乗り越えた真冬が卒業式に出ることより成幸に手を貸すことを選んでくれたからですし、自分の夢を再確認したあすみが仕事を抜け出してまで成幸のところに駆けつけてくれたからなんですね。
そうやって成幸がヒロインズの問題を解決するのに協力したり交流してきたりしたからこそ辿り着けたわけで、その過程が実は唯一ではなくて他の道に逸れることもあるんですよとなるとその辿り着いた運命の純粋さが落ちるんですよ。だから今まで描いたものを使わないなら長く連載しないと描写不足になりますし、使い回すなら描写不足ではないでしょうけど同じような経験をしたのに別の相手を好きになってしまうわけですから、選んだ運命の純度が下がるという表現をしました。
別に今回で正式には最終回で次回からはifですっていうならいいんですけど、筒井先生曰く結末は読者次第だそうなので。
Arturo_Ui 「前例があるそうです」程度の知識でイキるなよ… // 「過程も含めて描こうとするのは絶対に反対」って、「学園祭の花火」が伏線だった件を増田はどう評価すんの? ていうか「ハーレムエンド」より余程マシだろ。
イキリってあれでですか……? 後段は何言ってるのかよくわからないんですが、ルートによって相手が変わる「学園祭の花火」が伏線だということ自体何言ってんのかなって感じなので評価も何もないです。うるかのやってきたことではなくて花火で全て決まったことになったけどどうなのという意味ならまあゴミですけど、他のヒロインのルートでも外形的にはそんなことやらないと思うのでやっぱりどうということはないです。
キャラとしての一貫性ならハーレムエンドよりマシなんですが、物語としての一貫性だとハーレムエンドのがマシかなあと思います。でもまあハーレムエンドはやらないですからね。どっちも嫌ですが。
tmkyz 最初にマルチエンドですって言ってくれれば良かったのに。うるかルート最終回の余韻を壊すような告知の仕方なのは悲しかった。/ここ数週、全体的に雑だったのも気になる。
最低限事前告知して欲しかったですね……
houjiT なんか恋愛の捉え方が無駄に大長編的で怖い。知り合いでもないのに一瞬で火がつくようなものもあれば、今まで別を見てたけど急に気になることもあるわけで、伏線と展開がなきゃ恋愛と認めない、は視野が狭すぎる
ラブコメ漫画読むのに大長編的に捉えないほうが間違ってると思います。漫画に限らずラノベ含めた恋愛メインの大衆小説一般でも恋愛に伏線と展開は求められているのでは。
isaisstillalive 終始想像だけでディスってる
deadwoodman アリかナシか読んでから決めても遅くはないと思うんだが、ちょっと盛り上がりすぎじゃない?
f_oggy 賛成だなぁ。個別ルートでどれだけ各ヒロインの魅力を引き出せるかが勝負所よ。というか全てが完結する前の論評なんて野暮ってもんよ
はい。
fusanosuke_n 正史を求めたい感じはある。ヒロインAと結ばれるストーリーが本物、正史で他のルートは戯れやファンサービスのifルートですって明言して欲しいっていうか。
はい。