はてなキーワード: お節介とは
台湾に行って来た。
一人での海外旅行は初めてだ。
台湾であった事、感じた事つらつらと書く事にする。
長いし、起こった順に書いていて、特に脈絡もないので、ドラマは期待しないで欲しい。
取り留めない旅行記だ。
もし文書の中で一文でも、行ってない人の興味を唆れたり、行った事のある人に「あ〜、あるある」って思ってもらえたら嬉しい。
出発前
そもそもなぜ台湾に行こうと思ったかというと、少し前にちょっと凹むを事があり、いつまでも気に病んでも仕方ないし、何か面白い、自分の興味を引かれる事がないかなぁなんて考えてたところ、「そういえば、台湾料理で気になってるものがあるんだけど、実物を食べた事がないんだよなぁ」と思い出し、休暇の予定も決まってなかった事もあって、「じゃあせっかくだから行ってみよう」となった訳である。
初めてなので、ツアーを予約して、飛行機とホテルの世話だけをして貰うつもりだった。
いざ行くと決まれば、何より問題なのは言葉で、元々日本でもコミュ障気味なのに、別の言葉が話されている国で過ごすのは甚だ不安だった。
でも出発当日が来て、フライトをまつ夜の羽田空港国際線ターミナルで、簡単な中国語を暗記していてた時にふと気付いた。
そうだ、俺、イラスト描けるじゃん。
言葉の通じない国に行くんだ、使えるスキルは何でも使わないと。
午前4:50、タイガーエアに乗り込んだ。
ツアーなので、自分の他にも出発する日本人がいるかと思ったが、日本人は少数派のようだった。
ちょっと不思議に思ったのは、機内の台湾人の男性はほぼメガネ。
なんでどいつもこいつも目が悪いんだ。
後から更に不思議だったのは、台北の地に着くと男子メガネ率がむしろ低いのだ。
台湾人は飛行機に乗る時だけメガネをかける決まりでもあるのか?
1
1日目 午前
LCCの狭いシートで変な姿勢に耐えながら3時間のフライトを終え、朝の桃園空港に降り立った。
空港でキョロキョロしてると、いきなり兄ちゃんに現地の言葉で話しかけられた。
バス?とか言ってたので、行き先に迷ったと思われたらしい。
一瞬どう答えていいか迷ったけど、オレンジのベストを着てゲートのすぐそばに立っている女性を指差し、「大丈夫」と言うふうに手を振ったら、彼は「なんだ」という顔をした。
あ、言わなきゃ。
「謝謝」
実はツアーガイドはすぐに見つけていたのだけど、他のツアー参加者が集まってから声をかけようと思っていた。
しかし、誰も集まる気配がない。
機内に日本人が少ない筈だよ。
「すいません」と日本語で言うと、ちょっと訛った日本語で「どこにいたの?すぐに声かけてよ〜」と笑顔で言われた。
より覚えやすくする為に、勝手に「エリーさん」と呼ぶ事にした。ちょっと伸ばしただけだから大きく違わないだろう。
ホテルに向かうミニバンでエリーさんに「何かみたいものある?」と聞かれたので、「九份に行きたい」というと、「どう行くか調べてますか?」
「ざっくり」と答えると、「ざっくりじゃダメよ!」とひどく呆れられた。
エリーさん曰く、九份は凄く人気、今は祝日で台湾人も行くから人でごった返している、行くなら早くいけ、と。
さらにはついでに十分も行くべきで、こんなこんなこんなツアーがあって・・・と説明が止まらない。
「実は蚵仔煎と肉圓を食べに来た。あとお茶も買う予定」と言いうと、彼女は「それだけ?」とまたもや呆れ顔で言った。
「それだけじゃ量が少ないよ!」
さらっと書いているが、この会話の中で、エリーさんは料理の名前を何度も聞き返している。
曰く、「発音がメチャクチャだから何言ってるのかわかんないよ!」
日本人とは随分テイストの違う接客なので思わず笑ってしまった。
夜市にも詳しいエリーさんによると、蚵仔煎の様な夜市料理は行列の店で食べるべきで、それは味の問題というより、回転の早い店の方が素材が新鮮なので、当たる事が少ないからであるとの事だった。
台湾人がよく行列するのは、そういう理由もあったのか。なるほど。
エリーさんの勢いに呑まれかかってたけど、会話が少し止まって、ふと窓の外から街を見れば、台北市は建物が密集しているのに気付く。
その中にセブンイレブン。
漢字もコンビニも人の背格好も一緒なのに、行き交う人は全然別の言葉を話している。
それは不思議な感じだ、と言おうかと思ったけど、それを言うとエリーさんが凄いエネルギーで何かの説明をしそうなので言わないでおいた。
ホテルに着いたらチェックインの15:00まで、荷物を預けて自由観光。
エリーさんは、台湾での見所と注意をまくしたてたあと「わからないことがあったらLineで連絡して!」と事細かに連絡方法を教えてくれた。
「あと折りたたみ傘を持って行って!今の台湾は天気が変わりやすい!」
どうやら手が届く限りは面倒を見ないと気が済まないらしい。
台湾人は親日とよく聞くが、接した感じでは、どうもナショナリズムの問題ではなく、何か人間が親切というか、お節介焼きであるように感じた。
エリーさんと別れてしばらく歩くと、南国の陽射しの下、台湾国旗がはためいている。
そういやエリーさんに「暑いな、さすが南国」と言うと「ここは南国に入らないよ!台南の方が亜熱帯!」って言ってたっけ。
すぐに暑さに耐えかねて、冷房の効いてそうな店に飛び込んだ。台湾で食べたかったものの一つ、豆花を食べていると、店内ラジオからはB'zが流れて来た。
細かい注文が出来ないので、かき氷とピーナッツの甘煮だけをトッピングしてもらった豆花はとてもアッサリしていた。
大通りで信号が青に変わるたび、びっくりするくらいのライダーが駆け抜けて行く。
この台湾的光景を収めようと交差点の歩道でカメラを構えたら、後ろから「前方!」という様な声をかけられた。
「前危ないよ」とでも言われたのだろうか?ひょっとしたらもっと荒っぽい表現なのかもしれない。
台湾人は親切だけど直接的でもある。
1日目 午後
ホテルのチェックインの15:00にはまだ間があったが、台北は午後になって更に気温が上がって来た。
本来は2日目の午前にこなす予定だった、台湾茶の買い出しを前倒す事にした。
エリーさん曰く、祝日の台湾人は勤勉では無いらしく昼頃にようやく起き出すとの事だったので、一抹の不安を抱えてはいたが、しばらく歩くと、お茶のいい香りが漂って来た。
通りに面した倉庫の様な店。
林華泰茶行。
上質なお茶が卸値で買えるとの事で、予め来ると決めていた店だった。
実際に来て見ると、その倉庫の様な空間に微かに漂う不思議で素敵な香りに心が踊る。
ただ、少し計算が狂ったのは、店が思った以上に小ぢんまりとしているし、本来は問屋なので、店員もぶっきら棒。
タンクトップから腹を放り出したオッさんが茶葉のチェックなどしていて、ゆっくり見るのは場違いだった。
そこでは吟味しながら4種類買う予定だったけど、実は到着直後の免税店で、エリーさんの勢いに押されてすでに高山茶を1つ買っていたので、3種類にした。
金萱
蜜香紅茶
20代とおぼしきにいちゃんに、それぞれ「1/4斤」とメモして伝えると、「150?1300元」とぶっきら棒に返して来る。
台湾の店員さんは人がよく、自分の言葉が変でも何とか必死にコミニュケーションを取ろうとしてくれていて、それが返って不甲斐なく、少し凹んでもいたのだけど、さすが問屋のにいちゃんにそんな忖度は無い。
一杯の茶のイラストと
「喜歓的香味(とても好きな薫りです)」
「謝謝。」にいちゃんは微笑んで言った。
初めてエリーさん以外の台湾人とちゃんとコミニュケーションが取れたと思った。
昨日から大して寝ずに動き回ってるので、良い加減疲れて来たけど、ホテルのチェックインにはそれでもまだ時間がある。
台北101に向かう事にした。
地下鉄にのっていたら、博愛席(日本でいうところの優先席)に座ってたばあさまが、乳幼児を抱いている母親に気付いて、手招きして席を譲っていた。
台湾人はほんとうに人が良い。
うっかり降りる駅を間違えて、次の電車を待っていたら、地下鉄のホームでロードバイクを押す人がいた。
曰く、あんな古くさい台湾ではなく、もっと近代的な今の台湾を見てくれ。
でも、実際歩いてみると、やはり台北の街は自分がイメージするアジアのエネルギーとノスタルジーに溢れている。
そうかと思えば、台北101は東京で言うところの押上のソラマチの様に、周囲から浮いて急に出現した近代モールだった。
その地にはその地の食い物が有る。
乾麺のコーナーで、刀削麺と同じ棚に讃岐うどんが並んでるのには何だか笑った。
大して腹も減ってなかったけど、疲れを癒す意味で、ここのフードコートでガソリン補給をする事にした。
加油、俺。
頼んだのは排骨と魯肉飯のセットで排骨には八角の強い風味が有る。
これが中華な味だ。
魯肉飯をかっ込んでふと顔を上げると、半袖シャツを着た対面のにいちゃんの袖から綺麗な花柄が覗いていた。
そういえば林華泰茶行に行きすがら、通りかかった裏路地でも、書き描けの紋紋を背負ったおっちゃんが上半身裸で何かを食っていた。
デパ地下と紋紋に満足したので、人でごった返した展望台には登らなかった。
1日目 夕方〜夜
やっとホテルにチェックインできて、シャワーも浴びてさっぱりできた。
どこで何を食うかは決まっている。
寧夏夜市で蚵仔煎を食べるのだ。
実はエリーさんに、この暑くて食品が傷みやすい時期に牡蠣を食べるのは勧めないと止められていた。
「私たち台湾の人間は胃が大概のものに慣れている。でもあなたたちは違うでしょ」と。
一理あるんだろう。
でもこの旅行の重要な目的の一つが本物の蚵仔煎を食べて、どういうものか知る事だったのだ。これはマストなのだ。
日が落ちて、明かりが灯った台北の街。
道中驚いたのは、街中に野良犬がいた事。
少し遠巻きにしてる人もいたが、同時に野良犬を気にするふうでも無く、すぐ脇で座ってなんか食ってるおっちゃんもいて、日本ではもうない風景が日常なんだなぁと驚いたりもした。
日本で伝え聞く喧噪はちょっと盛ってるんじゃないかなんて疑っていたが、実際に行くと日本の縁日以上の人、人、人。
食習慣が全然違うのを肌で感じる。
夜市を一回りすると、一番行列のできてる店がわかった。
ここに決めた。
朝にエリーさんに酷評された付け焼き刃の台湾語は捨てて、筆談だ。
蚵仔煎を描いたメモを見せて注文する。
やがて店内に通されて、目当ての品が運ばれて来た。
おお、これが蚵仔煎か。
まず写真を一枚。
そして口に運ぶ。
プルプルしている!台湾風にいうとQQだ。
牡蠣オムレツと言いながら、片栗粉ような生地の方が主で、それに卵が絡み、その中に青菜と小粒の牡蠣が旨味を添えていた。
かかっているタレは甘酢か。テーブルに置いてある辛味噌を添えると更に風味が増す。
エリーさんの忠告は忘れてないが、ひょっとしたらヤバいものを食べているのかも知れないというスリルもまたスパイスのようなものだった。
「很好吃!」メモを見せると、店員のお姉さんはサムズアップした。
煽りとかじゃなくて純粋な疑問なんだけど、あれはどういう感じで答えて欲しいんだろう。
前提として、公開してる情報⇒私は20代終盤の既婚者で子供が居ない。結婚して6年経った。欲しいなとは思ってる。
聞かれたら相手によっては答えるけど率先して公開しない情報⇒2年ちょっと前から子供が欲しいなとは思ってるけど実ってはいない。一応検査ではお互い異常無しで様子見中。
子供居るの?までは解る。話題のチョイスも変わるだろうし、聞かれる事に嫌悪感も無い。
まだ居ないよ~って感じで答える事が多いんだけど、そうすると結構な確率で作らないの?と続く。大抵は和気藹々とした飲み会の席で。この質問の意図が解らない。
そもそもこの質問ってその後明るい話題にはなりにくい質問だと思う。
既婚者になって日が経っているって事はつまり社会的には子供を作っても何も問題は無い立場って事で、
それでも尚居ないって事は、何かの事情があって作らないって決意をしているか、ワケあって保留にしているか、望んでいるけど出来ていないかどれかになる。
なんにしろディープな話題だし、内容が重すぎる。軽い感じで話しても早々打ち消せない重さの話が出て来る可能性だってある。
でも踏み込んでくるんだよなぁ。もうかるーく踏み込んでくる。意外と年齢男女関係無くライン越えて来る。
とりあえず暗い空気にするのは嫌だから欲しいとは思ってるんだけどね~なんて答えてる。
個人的にはベターな答えかな?なんて思ってるんだけどどうなんだろう。本当はどんな答えを期待してるのかな。
とりあえず聞いてきたからにはどんな重さの話が出て来てもキッチリ楽しい空気に戻せよなんて思ったりもする。
以下追記
色々なご意見ありがとうございます。
悪意がある場合はさておき、そうじゃない場合は単に気になったから聞いたって事が多いみたいですね。
考えてみればお酒が入ってる場で聞かれる事が多いですし、普段より思った事がそのまま口から出やすいっていう面もあるのかもしれません。
今までずっと、なんでこんな楽しい空気の時にリスキーな話題をわざわざぶっこんでくるんだ……?そもそも聞いてどうすんだ……???と不思議だったんですが、
これにおもわず膝を打ちました。なるほど確かにそういうコミュニケーション方法ってある!
良し悪しは別としてコミュニケーション手段の一つに過ぎないって事ですね。内容に意味は無いと。
想像力足りなすぎかよ!って思っていた部分も正直ありましたが、トラバにあったハーフと問われる事をに関する件では私は今日まで想像力が足りない側でしたし、私も相手を一方的に責められないなとも思いました。
書き込んでくれた方々本当にありがとうございました。勉強になりました。
とりあえず返事は今まで通り適当な相手には適当にしようと思います。どうもそれが限りなく正解に近い感じ。
あとこれは多分信じられない人も多いと思うのですけど、私は不妊になる前からこの手の質問はゲェーッってなってたタイプでした。
自分が大丈夫なラインでも隣の人が大丈夫か解らないですし、ライトな人間関係って明るい空気を維持する事を前提としてる事が多いので、
これ下手な答え方して場の空気悪くすると回答者側が悪いみたいな雰囲気になる危険もあるよね。どう考えても質問者の悪手なのに。
ブコメにあるようなこういうリスクもあります。本当にあるんです…。文句があるなら質問者に言ってくれ……。
加えて私は嘘がド下手くそで苦手なので、質問に答えつつ、周りに居る人のどこにあるか解らない地雷を避けつつ、場の空気を崩さないように…って考えるとすっっっっごい面倒臭い!!んです。昔懐かしのイライラ棒を突然渡されてクリアする事を強要されてる気分です。
なので不妊とか関係無くこの手の質問を不快に思う人は居ると思うのですが、子作り保留期間中はそれが理解されず不快を表明すると不妊でナーバスになってる人扱いされたりお節介をされたりしてうんざりしたので、今実際に不妊になったらそういう逃げ場がある分ある意味では楽になりました。別の苦しみはあるけど。
なので不妊の人は不愉快だよね。って言い回しだと個人的には少し違うかなと感じます。質問自体が嫌な人も居るのねー程度に認識してもらえるとどこかの誰かがうへぇってならずに済むかも。
リア充はメイド喫茶に行く時、必ずリア充仲間数人の集団でもって行くわけだが、「あそこだとヒエラルキーのトップになれる」みたいなことを意識している。絶対に意識している。
オタクの方がメイドさんとお話ししている様子を半ば小馬鹿にしたような態度をとりつつメイド喫茶を楽しむわけです。
オタクの人にとっては清潔感のある服装、整った顔立ちの集団がその空間にいるってだけでプレッシャーなわけですよ。
リア充側は「オタクの中にいる俺らイケてる奴ら」になりたいわけですよ。
周囲に萎縮させるような雰囲気が出ることを理解していながら、さらに萎縮させることを楽しむような態度でメイド喫茶に向かうわけですよ。
僕が大学生の時、文化祭があるということで呼んでもいないスケート仲間数人が勝手に遊びにやってきました。
僕の仲間はどちらかといえばワルのスケーターでした。
そこそこの大学に通っていたので(嫌味な言い方でごめんなさい)大学の仲間には真面目そうな子が多かったわけですよ。そんな中でスケート仲間は大声で話したり、ナンパしたり気持ち悪くて仕方なかった。
彼らの目的もリア充メイド喫茶と同じで「真面目な学生の中にいる俺らスケーター」が気持ち良くて仕方がないんですよ。
それ以降別に彼等と仲が悪くなったわけではないですが「人間って自分の見下してる相手に混ざることでマウンティングしたい生き物なんだな」と実感。自分は絶対にこういうことしないようにしようと思いました。
でも、僕のこういったオタクや大学の仲間への配慮って自分の差別的な意識から来てるんじゃないかなとか思っちゃって悩みます。
だって別に彼等はスケーターやリア充より下の存在ではないですし、とんだお節介かもしれません。
色々その辺の考え方なんかも自分の頭の中で議論してるんですが、さらに長くなるのでこの辺でやめときます。
突然だがお姉さん属性がついたキャラクターによる女性同士のセクハラが結構好きだ
お姉さんキャラによるセクハラ行為は普通の漫画だと展開上ありえないため
エロ系だと普通の陵辱系のほうが好きだからお姉さんキャラで抜くことはない。
しかし、これがレズものだとお姉さんキャラによる陵辱プレイが見られるのでダブル効果で物凄い興奮するのだ。
これが疑問であった、なぜ自分はこの展開で興奮しているのか
====
男性と同じ欲望に忠実であることで、男性は親近感を得て、感情移入がしやすくなる。
(どこかでネット記事を呼んだが忘れた、女性はあまり逝くことはないが、男性は逝くので、男性はその違いを埋めたがるという話だった気がする)
さらに大体のお姉さんキャラはセクハラしてる時の興奮ぶりがすごいのだ。
大体の絵師は男だからか、男性側の感情を細かく描くことはないが、女性であれば存分に描くことが出来るのだろう。
ここで性という欲望に忠実であろう、ビッチキャラについても考えてみる。
ビッチキャラも同じく、性の欲望に忠実であるという点は共通している。
しかしそこには、自分の欲望の発散であれば誰でも良いと言う考えがある。
他のキャラクターでは駄目であり、この人でないと駄目という条件付きの性の欲望の発散なのだ。
つまり、その一途であることを全面的に押し出しながらも性に積極的であることができるのはお姉さんキャラでしかありえず
もちろんここで一途で性に積極的であることができるのは、その属性をつければ何にでも適用できるといえる。
しかし違う点といえばお姉さんキャラには元から、詳しい説明もいらず女性に対してセクハラを加えることが可能だ。
その理由はお姉さんキャラは長女であることが多いため通常は禁欲的であることや、庇護欲が強く、それは独占欲にもつながっている。
お嬢様学校に通っていることや、通常時はまじめであることなどが禁欲的であることのシンボルは満たす、庇護欲は何だろか?風紀委員、お節介焼きか
黒子のこれら設定は、明らかにお姉さんキャラを意識して作られている。ああ黒子のキャラを考えると頭が痛い・・・
雑多な根拠が弱すぎるお姉さん論でしたが、文章になったので公開。
※これは半端な二次元の記号についての話なので、実際三次元のお姉様方が禁欲的であり、庇護欲があると言ってるわけではないので注意されたし
俺はあの子のことが、本当に、本当に大好きだった。
でもあの頃はそれの正体がよくわからなくて、なんて言ったらいいのかもよくわからなくて、結局、俺は最後まであの子に自分の気持ちを伝えることができなかった。
中学1年の夏休み、あの子は家庭の事情で突然住んでいた街から引っ越していくことになって、終業式の日に教室で見た姿があの子についての最後の思い出になった。
あれからずいぶん時間が経って大人になり、人生の大きな選択みたいなこともいくつかあったけれど、事あるごとに「もしも」「あの時ああしていたら」というようなことを考えることがあると、真っ先にあの中学1年の終業式の日のことを思い出すんだよね。
あの時、あの子に「好きだ」と言えていたらって、その頃の中学1年生によくありがちっぽい、そんなささやかな出来事を考えてしまうんだよ。
別に、もしそのもしもが叶っていたとしても、きっと何も変わらないんだとは思う。あの子は何も変わらずあと何日かしたら遠くへ引っ越していくし、そのあと何ができたわけでもないんだろう。でもあの時、俺はあまりに幼くて、かっこ悪くて、無力だったよ。
あの子は小学校の真ん中くらいの時に転校してきて、それからずっと同じクラスだったんだ。
あまり女の子の友達がいなかったけれど、あの子とはその時からとても気が合ってよく一緒に遊んだ。俺の小さな世界にいる数少ない女の子だった。
きりっとした綺麗な顔立ちで、ちょっと気が強くてお姉さん肌の明るい女の子だった。実際、同級生だったけどほぼ1年誕生日が早かったあの子はいつも少しだけオトナで、俺はよく背伸びをしていた気がする。それこそ13歳のときの奥菜恵みたいな誰から見ても完全無欠な美少女、というわけではなかったとは思うんだけど、間違いなく、俺にとっては世界で一番の女の子だったんだよね。
そうこうしているうちに中学生になったんだけど、入学式に行って最初に確認したのは、あの子がどこのクラスにいるのかだったのを覚えている。
あの子は俺と同じクラスだった。その頃地域のマンモス校だった中学校で1学年9クラスもあるのに、同じところに一緒に名前が載っていて、嬉しかったのもあるけど、なんだかとても安心してしまったのも覚えている。ああ、これから不安もあるけど、きっと、2年生になっても、3年生になってもまた一緒のクラスになるんだ、なんてなんとなくぼんやりと思ってた。
1学期の間、あの子とは隣同士の席になった。なんだろう、子供だった俺はその状況に満足して、当然のように思って、そしてそれ以上何かをするということは無かった。学校に行って、好きな漫画やアニメの話なんかを話して、ずっとこの席にいられたらいいななんて思ってた。
俺があの子のことが好きなことは、おそらくクラス中にバレていた。同じ小学校から来た友達もいたし、何より俺がずっと隣の席を見ていたからだ。
でも、そんな日は長く続かなかったんだよね。
あと一週間で夏休みだ、となった7月の半ば、俺はあの子の様子がなんとなくおかしいことに気づいて、とんでもなく不安な気持ちになっていた。
急に態度が冷たくなった、とかそういうことは一切なくて、その逆のことが起こっていた。終業式の数日前からいつになくいろんなことを話しかけてきた。初めて会ったころのことや、小学校の林間学校のときのことを話した。何か、とても嫌な予感がした。
終業式の前の日の放課後に家に帰ろうとしていると、掃除当番だったあの子が後ろから
「掃除、一緒に手伝ってよ!」
一瞬時間が止まった気がしたよね。あの感触を、今でもありありと鮮明に覚えている。
絵に書いたようなお約束の少年だった俺は、たぶん嫌だよヘヘーン、みたいなことを言って、あの子から逃げた。
クラスの他の女子からなんかヒューヒューと茶化された。廊下に出ると、心臓がバクバクしていた。
俺は教室の前の廊下で前の入り口と後ろの入り口の間を5往復くらいウロウロして、やっぱり教室に戻れなくて逃げるように帰った。
そんな日々はその次の日に、映画みたいな出来事もなく、あっけなく終わった。
終業式のホームルームで担任の先生はあの子を黒板の前に呼び出して、突然ですがご家庭の都合で転校することになりました、と紹介した。
本人の希望があって、今までお知らせしていませんでした。
なんとなく薄々様子がおかしいことに感づいていたから、動揺はしなかった、フリを全力でした。
あの子のことを見ることができなくて、礼が終わった瞬間隣の教室にやっぱり逃げるように入った。特に用事は無かったのにね。頭が真っ白だった。
隣の教室でぐだぐだしていると、小学校のとき一緒のクラスだったちょっとおませなお節介焼きの女子がやってきて、俺を見るなりあんた何やってんの、あの子にちゃんと自分の気持ち伝えて来たんでしょうね?ちゃんと告白してこいよ、後悔するぞとかなんとか言いやがった。12歳の世界において、女子は男子よりもだいぶオトナだと思い知らされたね。
その時俺が口走った言葉を思い出すと我ながらひどすぎて死にたくなるんだけども、確かこんなことを言った。はぁ!?ばっかじゃねーの!?やめろよ、そんなんじゃねーよ。
って、漫画かよ。今でも死にたくなってくるよ。
でも、それもそうかとなんとか思い返して、人影もまばらになってきた自分の教室にエイヤーと戻った。
が、それとあと2人くらい、普段あまり話したことのない女子が何やら残念だねと話していた。
そこで俺は黒板の前にバン、と立って、ちょっといいか?今日は俺と一緒に帰ろうぜ!
と言い放つ妄想をあとから何度もしたのだけれど、現実の俺はそんなことはなくて、2人の女子に怯んでまた廊下に出てしまい、やっぱり前のドアと後ろのドアの間をウロウロウロウロとしていた。
そうしていると、友達が通りかかって、何やってんの帰ろうぜ、と言った。
お、おう、そうだねみたいなことを言って、学校を出た。
帰る途中、意味もなく遠回りをした。また、とんでもなく受動的なバッタリに一縷の望みを掛けていた気がするけど、すぐに忘れようともしていた。
その友達が、ああそういやあの子転校するんだろ?と言ってきた。ああ、そうみたいだね。と答えたら、ふーん、と返ってきた。そいつになぜか無性に腹が立った。彼は別に何も悪いことしてないんだけども。
歩きながら、無理やり色々なことを考えて納得しようとした。そうだよ、そんなどうせあと何日かでいなくなるのに、今更何か変なこと言ったって迷惑だ。俺の自分勝手だ。そうだ、どうにもならないんだから、何も言わないのが正しいのだ。だから、これでいいんだ。とかなんとか。
何もできなかった。あまりに子供で、勇気が無くて、情けなくて、後悔とも無念ともなんとも言えなくて、ほろ苦いというか、苦かった。
あの時こうしていれば、って何度も何度も繰り返して、何パターンもの別ルートを妄想した、そんな10代の時間だったよ。
大したことじゃないってことはわかってるんだよ。誰にだってあることで、よくあることで、ちっぽけなことだよ。
でも、12歳の心の風景っていうのはとても、とても不安定なものなんだよね。オトナでも子供でも無くて、気持ちだけそこにあるけれど、どうしていいのかわからないんだよね。イマドキの中学生はまた違うんだろうなっていう気もするのだけれど、少なくともあの頃の12歳はそんな感じだった、きっと。
別にとんでもない大事件なんか起きなかった。宇宙人も、未来人も、超能力者も出てこないし、況してや隕石が落ちてくるようなことなんてないし。
でも、12歳の世界にとって、好きな女の子に「好きだ」って言えるかどうかっていうのは、時に隕石が落ちてくるよりも大きな問題だったりすることもあるんだな。
あの頃の、あの「純度100%の『好き』のカタマリ」って一体なんなんだろうな。
なぜそうなのかという理由も問わず、えろい下心もなく、ただただ純粋な何かだった。あの頃のあれと同じ気持ちって、一生戻ってくることは無いんだろうな。
そんなことを考えていた。
インターネットの普及した現代のせいだ。俺はムクムクと出来心が湧き上がって、ついFacebookを立ち上げて、検索窓にあの子の名前を入力してしまった。
便利な社会は残酷だ。ものの10秒だった。この長い長い時間は何だったんだっていうくらいあっという間に、あの子がそこに存在しているのが見つかった。
どこからどう見ても、間違えるはずもなく俺が知っているあの子の顔がそこにあった。
あの時の歳の何倍もの時間が経って相応の歳の女性になってはいたけれど、変わらずちょっと気が強そうな美人だった。
その写真を見て、今まで薄々感じながら自分に気づかないフリをしていたことにやっぱり気づいてしまった。
俺はどうやらその後の人生において、好みのタイプだとか、好きな芸能人だとか、そういった気持ちの基準が、すべてあの子になっていて、いつも面影を追いかけていた。
そんなことをしていたらハッと我に返って、今度はとても自分が気持ち悪くなって、そっとその画面を閉じ、Facebookの検索履歴を消した。
子供の頃、初めてあの子の家に遊びに行った時に一緒にコースを作って遊んだエキサイトバイクのプイーンというBターボの音と、出してもらった麦茶の味と、あの日グイッと引っ張られたシャツの裾の感覚がぐるぐると回って、それからゆっくりと消えていった気がした。
もう、検索することはきっと二度と無いだろう。
そんなこんなで挙動不審になりながら「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」を3日連続で観に行こうとしていたら、今年中学1年生の息子が、あーあれ俺も観たいんだ、一緒に行くわとかなんとか言ってついてきた。
映画を観終わったら、息子が
「何だよ、めっちゃいい映画じゃんか。何で評判イマイチなんだよ。俺すげー好きだよこれ。」
と言った。
オッケー、わかったよ。
君がそういうなら、俺はもう、それでいいよ。
同期の中でコミュニケーション能力の高い奴が出世していて課長代理になっているが
彼の発言について多くの人が返信をしなくなった。
彼と社内掲示板で議論したある1人の若い社員が彼の社内掲示板での議論に対して
私に愚痴を言い、課長代理は基本的な論理もわかっていないと言っていた。
内容を精査して見てみると確かに彼のいう通りだった。
そういうことを繰り返して誰も返信しなくなったんだろう。
だけどおそらく私も能力的に似たような目で見られているんだと思う。
(略)
自分は超氷河期で今まで困難しかない人生だったがなんとか努力して頑張ってきたが
いろいろな本を読んだが老害になった時の余生の過ごし方なんて書いてない。
あと20年近くあるんだけどどうすればいいの?
多分、私は似たような年代の人間で、学歴等、あなたより優秀ではないと思うが、同期の人に多少頑張って欲しいかなと思って少し書く。
(少し上から目線で書くけど許してね)
まず、こういうことをこの年代で、しかも増田で聞いている時点で色々アウト気味という自覚は必要かと思う。
「ただ話を聞いて欲しい」女性であれ(お節介だったらごめんね)。
若手の愚痴を聞いてやり、それを精査して同期の課長代理にプライドを傷つけない形でそれとなく伝える。
両方が話しやすい位置にいるのはあなたである訳だし、そこを最大限利用する。
本業を減らしてもらって、パイプ役の作業を増やしてもらうように、戦略を立てて事に当たる。
実際、そういう人がいれば重宝されるのではないかと思うけれど。
もちろん、社内政治などはほとんどの人がやりたがらない仕事であるし、あなたも本業をやりたいだろうし、やりたくないと思う。
ただ、生き残る手段を選んでいる余裕があるかという点と、皆がやりたがらない仕事をやる人は生き残る確率が高い(その希少性ゆえに)。
また、生き残っている年配の人達を見てみると、少なくとも、社内政治はおろそかにしてないと思うのだが。後年、コネとして活きるかも知れないし。
何の本を読んできたのかは分からないが(資格やスキルの本が中心なのかな)、少なくとも生き残りを必死に考えて本を探して読んでいけば本に書いてあることだと思う。
AIがいくら発展してきても、ビジネスの基本は人間相手な訳だし。
親権者とか法的な保護義務者じゃないなら、黙って追放したらいいだけ。
そもそも殴る権限って無いでしょ。ルールに従えない人は粛々とその場から排除する。
いろんなニュースを見ていて、結構単純な結論にたどり着いて、「権限を持つにふさわしくない人に権限を与えたら、ろくなことをしない」ってことに行き着く
東芝やカネボウなんかが傾いたのは無能な人を即時解雇・追放することが出来なかったからで、地位にふさわしい能力を持ってない人が蔓延する組織はだいたい衰退するか滅ぶ。
「権限を持つにふさわしくない人」は権限濫用や逸脱行為が多いので、わりとすぐにわかる。
世の中なんでも表裏一体で、多様性を認めるほど管理する側のリスク管理のコストが上がって、排除を強めるほどディストピアだとか独裁だとか言われる。
人道支援や平等主義がちょっと強くなりすぎて、「権限を持つにふさわしくない人に権限を与えたら、ろくなことをしない」弊害が日本の日常生活から世界中の国々の幅広いところに至るまで強くなってきている。
その弊害の結果、排除の風潮が強まってきた。リスク管理をやりやすくするには、多様性を管理可能な水準まで落とすだけでいい。リソースがないときは、そうしないと自分たちまで死ぬから。
みんな殺されたくないから生きていて、宗教だ歴史だ人種だというのは後付けの理由でしかない。
絶滅危惧種を保護する活動する人だって牛丼や豚肉のしょうが焼きは食べてるんですよ。生きていくための商売として絶滅危惧種を題材に使ってるわけで牛や豚の命は割りとどうでもいいわけです。
あの人を排除する、あの会社を排除する、あの学校を排除する、あの人種を排除する、あの国を排除する。「排除する」は「死なせる(広義の意味で)」に置き換えても成り立つ。
管理する側の理屈としては、殴って言うことを聞かせるのも風評リスクが発生するだけなのだから、あのトランペッターさんは黙って子供を会場から出せばよかっただけです。
アメリカの大統領が最近日本に米軍駐留費全額負担だとか言い出したり、アメリカで白人至上主義団体が暴れだしたりしてるのは、単にカネがないから。
アメリカの人々および国が衣食足りるようになれば以前のようなアメリカに戻るかもしれないし、戻らないかもしれない。
アメリカがお人よし的に世界の警察やお節介やってるおかげで存続できて、自力では国家維持できない国がある。代表的なところでは日本だけど。
天然資源も石油も取れないし、近隣に核武装してる上に強固な軍隊を持っていて、領土と資源が豊富な国連常任理事国が近所に2つもあるのに日本国が存続しているのはアメリカが何らかの目的があって日本を生かしているからで、アメリカがロシアと仲良くしだす、アメリカがロシアと日本の接近を黙認するというのは日本を死なせることにしたということ。
お友達も増えるほど維持やトラブル回避するための関係管理がめんどくさい。アメリカがロシアと、あるいはアメリカと中国が仲良くなるんなら日本と朝鮮半島は不要なわけで・・・
本質は意外と単純なものかもしれない。複雑な問題は解けるレベルまで単純化すればいいだけで、これはまさしく経済学のやり方であるらしい。
日常的に、着物を着ている若い人に対してその着付けを直したがるお節介なおばさま達は存在しますが、この時期は本当に多いです。
実際に歩いていて急に脇に手を突っ込まれるなんてことはないですが、SNSで「浴衣」「着崩れ」とか、「浴衣」「下手」「直してあげたい」とかそういうワードで検索すると、街中を歩いている浴衣女子の着崩れを直してあげたい欲望と戦っているツイートがワンサと引っかかって風情があります。
個人的にとても好きなのは、おばさまたちよりもどちらかと言えば若い方でそういったツイートをされている方ですね。
大学生になって着付けを習ったとか、日本舞踊のサークルに入ったとか、「一応、資格持ってますんで」「中学生の時に勉強したんで」「職業病ですね(笑)」などの文句が付け加えられていると、ツイートに味わいが生まれます。
ベテラン着物警察から若手着物警察の皆様まで共通していることは、ほとんどの方が「せっかく浴衣女子かわいいのに」といった旨の文章が含まれていることです。
「直してあげたい」と並んで常に上から目線でくるところがとても趣深いですね。
皆様も夏の風物詩浴衣警察を見かけた際はその趣を味わい夏を実感してください。今年も熱中症に気をつけて元気に過ごしましょう。
彼とは二年ほどご無沙汰だったのだが, これが非常にできる後輩で, 名ばかり先輩の私は, 学生時代常にケツに火がついた心持ちだった. 緊張感と競争心を掻き立ててくれた彼には頭が上がらない.
そんな優秀な彼が学生結婚ということで, もちろん私は全力で祝福しているのだが, 彼の心中はどうにも全てが順風満帆というわけではないらしい.
それは, 遠い親戚や私の同窓達の面々のなかで, 一部批判的, 風当たりが強い人がいるというものが原因らしい.
私は正直驚いた. 今まではとても良好な関係を築いてきた(私もその同窓たちとは面識がある)はずなのに, 学生結婚したらいきなり態度が豹変, 批判的になることなどあるのだろうか. なぜだろうか. と.
私は(ちょっと悲しいことに)学生結婚という話題に全く縁がなく, ワードを聞いたことがある程度だったので, お節介だとは思うが少しネットで情報収集をすることにした.
すると出るわ出るわ. 学生結婚を認めない大人たちの厳しい意見が
反対意見の中でも, はやまるなというアドバイスから, 本人たちの人格否定, 具体的な貯金額の条件まで. 私の調べ方がまずかったのか, ネットでは反対意見が多数派のようだ.
後輩は大学院に在学中だが, 嫁さんの方は独立しているし, もちろん所謂できちゃった結婚ではない.
結婚を期に, 後輩本人の研究・就職へのモチベーションも高まっているそうだ.
う~ん. 特に私には絶対にやめておけとまで言う材料は見当たらない.
むしろ子供が出来たとしても, 両親の支援を受けながらだとしても, 本人たち(両親含め)が同意し, 支え合って努力しようと思っているのであれば特に問題はないのではないかとすら思えた.
そうやって幸せになっている事例をいくつか知っているし, 高卒の同窓たちは, 金がない自由がないといいつつ, 子どもたちとの笑顔いっぱいの写真を送りつけてくる.
という批判的な同窓たちの考えについて小一時間頭を悩ませた結果行き着いた私の答えは
だった. という話
家族が車椅子使うようになって外出しなくなったって旨のツイートでぺこぺこしてずっと感謝していないといけないのがつらいって言っててよくわかりませんでした。
決めつけはよくないとは思いますけど、バスの運転手さんやレジしてくれた人にありがとうって言わない人なんですかね。
助けられたり、手伝ってもらったりしたときは、健常者であれどうであれ、ありがとう、すみませんとかって相手に言うのは当たり前でしょう。実際に申し訳ないとかありがたいとか思っていなくても、自分に対して何かしようとしてくれたその人に、何か一言かけるっていうのは、今後の関係に影響してくると思うのです。助けてくれた人と自分とではなく、困っている人を助けたらブチギレされた、みたいなお節介だったのかもしれないという思い込みで、本当に手伝ってほしい人が手伝ってもらえなくなる可能性が出てくるじゃないですか。もちろんお節介の場合もありますけど、そういうときこそありがとう、で済むと思うのです。
電車で座りますか?って声かけるのも同じだと思います。最近はツイッターなんかで、立って広告見せたりしてる方が子供が泣き出しにくいから断る、ってことも見かけたしいろいろと事情があるのはわかります。でも、そのときいきなりきつい口調で断られたら、私だったらちょっとへこみます。別にいいことしてやるぞ!って思って声かけてるわけじゃないけど、気は使います。知らない人に声かけるのって緊張します。私はそう思いながら声かけたりするので、何か手伝ってくれたりしたときはありがとうって言います。
飛行機会社の車椅子云々の件は改善されるのであればいいなと思いますが、個人的にあの車椅子の方のような人は身近にいてほしくないなと感じています。性格的に。
彼女が小学生だった当時、サンタさんが届けてくれた「毛糸のカービィ」を期に、カービィ沼に填まり始めた娘も、この春から高校生になってしまった。表現が「なってしまった」と残念形である点は父親共通ではないだろうかと思う。
一軒家で物置になってる部屋が3つほどある我が家なので、ちゃんと整理すれば子供部屋が作れるんだが、(ギャグではないが)今は居間が彼女の部屋となっていて、ピンク色をした球体が増える一方である。
高校生にもなると父親と出歩きたがらなくなるという風評を耳にするので、いつ我が身に降り注ぐことになるか心配で仕方ないのだが、そんな娘にせがまれて大阪までカービィオーケストラを観に行くことになった。会場は別であるものの、そう遠くないところで「プププトレイン」という物販イベントも開催されていて早い時間から並びたいという。
関ヶ原のあたりで車の調子が異常になるというアクシデントに見舞われつつも、米原駅前の打止め駐車場に車を捨て置き新快速で入阪を果たし、物販イベントの会場である毎日放送の社屋へ移動する。
ところで米原に着く前、助手席の娘に電車の時間検索を依頼したところ、「14000円もかかるんだって、どうしよう!」って困惑していて、聞けばマイバラがマエバラに聞こえたらしく、千葉の前原を起点にしたせいというオチだったんだが、中部地方に住む身として交通の要所たる米原くらいは覚えなさい。
開店(入店)まで90分くらい待つ羽目になったが、何とかお目当てのグッズが手に入って娘は御満悦の様子。それはそれでいいんだが、会場に多数潜伏しているらしいカービィクラスターのフォロワーさんを見つけようと、手にしているタブレットからメンションを飛ばしているのは画面を見ていない私からでも分かり、それがまた不安で仕方ない。
キリがないので「オーケストラに間に合わなくなるぞ」と引き剥がし地下鉄に潜る。本町が最寄駅なので、梅田から御堂筋線で2駅だ。
工夫すれば近い出口まで地下で行けるみたいだが、後ろ寄りの車両に乗ってしまったことに加え土地勘もないため、自動的に出口④に排出される。ちょうど娘と同じくらいの女の子が一人で駅員に道を尋ねていたので、「おまえの同業じゃないのか」と耳打ちすると「ちょ黙って」と叱られた。娘からはカービィの映ったスマホの画面が見えたらしいので、同業であることは確定なはずだが、見ず知らずの人に声をかけること(相手からみたら声を掛けられること)自体が「不審者」という認識らしい。
とりあえず、その女の子が先行したので、距離を置いてついて行くわけだが、中央大通りを横断することなく彼女は左折してしまう。「おーい、そっちじゃないぞー」と大声を出そうとするも、またや娘に制止される。今どきの若者の心理構造は昭和世代には理解し難しい。
開演の30分も前に着いたんだが、会場前の公園に入場待ちの列が既に何重にも出来ており、「開演まで30分も前」じゃなく「開演まで30分しかない」に変わり、付近でランチを取る作戦は未遂に終わった。
昭和世代のお節介焼きとしては、さっきの女の子が気にかかるところだが、スマホがあるのだから徒歩ナビできるだろうし、道に迷いながらも辿り着くというのも後になれば良い思い出になろうと、自分を納得させる。
一応は今回のコンサートに備えて過去のゲームを予習しておくべく、2週間ほど前からゲームボーイを手にして夜な夜な挑み、なんとか初代と2はコンプリートしておいた。2の最後のデデデをどうしても倒せず娘に攻略法を聞くと私がコピー能力という機能を使っていなかったせいだったことが判明。つまり、デデデよりも前のボスまでは全て吸って吐くだけで倒してきたということになる。
オーケストラの内容については、語れるほどの知識を持ち合わせていないので割愛するが、幾度かコックリしそうになりかけたということは内緒である。たぶん気がつかれていまい。
初めてお目にかかったカービィの父親たる桜井氏は私の同じ歳か一つ年上くらいの、ほぼ同年代の方で、初期のカービィのプログラミング上の技(メモリー節約術)を講話して下さった。PC-8001mk2からパソコンに触れていた私にとっても、その話は非常に懐かしいものがあり頷きながら聞いていた。ゲームボーイは背景との重ね合わせ処理をハード側でやってくれていたようだが、それを手動で(マスク用のビットマップ用意した上で)やっていた世代からするとちょっと羨ましい。
コロコロカービィだったっけか、カセットの中にモーションセンサーを内蔵した型破りゲーム。ゲームボーイアドバンスで遊びにくいということで、娘に頼まれてICの天地反転をやってあげたが、最近のゲーム筐体ではあーいう着眼が不可能になっている点、21世紀になって失った物の一つに数えられる気がしてならない。
アンコールが終わりウルウル感動している娘の横顔を見ていると、それだけで幸せな気分になるものの、会場を出たら、先ほどの物販イベントと時と同じようにメンションを飛ばし始め、父親としてはなかなか辛い。女性フォロワーさんはともかく、男性フォロワーさんにまで「会いたい」は自制してほしいと父親としては強く要望したいが、中学4年生と言っていい田舎の天然系女子高生が納得する説教を垂れる自信もないので、眼球の隅で監視するに留める。
昼夜2回公演の夜の部を待つ人が会場に吸い込まれてから公園は落ち着きを取り戻し、先ほどまで長蛇の列だった撮影向けオーケストラの看板の周囲は片手で数えられる人しかいない。看板をバックに記念写真を口実に公園から踏みだし、乗じて地下鉄の駅に足を向かせることに成功した。
さて、これからどうするか。娘としては難波・心斎橋あたり徘徊したいみたいだが、強い希望はないようなので、父親が主導権を握る。ずばり、海遊館だ。結婚前に嫁と来たことがあるが、今度は娘を海遊館に誘う。
大阪港駅から随分と(15分くらいだが)歩くのは予想外だったが、特徴ある外観は20年以上たった今でも鮮明に覚えていた。
館内では、タブレットを使って水槽の中を撮る娘 を撮る父親、の構図であったが、傍から見て親子に見えたかどうかは興味深い。(年の離れた兄妹 もしくは カップル くらいに見られていたのだとしたら嬉しいところだが、さすがにそれは自惚れすぎか)
エイやサメに触れるコーナーでは、一瞬だけ小学生に戻った娘を見れた気がする。
見て回るのに2~3時間かかるという前評判とは裏腹に1時間ちょっとで退出。母親への土産を買うというので「あいつはジンベエザメが気に入ってる」と助言してやったが、これは感謝されてよいと思う。ただし支払いは私だ。
まずは梅田に戻るわけだが、朝から食べ物を全く口にしていないことに気がつく。
もし米原に置いた車が動かないとなったときに備えて、車が使えずとも終電まで家に着ける時間を逆算すると、あまりゆっくりしていられないのではあるが、駅ビルの中の「カフェ ラ・ポーズ」で少し小腹を満たす。なぜその店であるかの説明も割愛するが、嫁とはファミレスや定食屋ばかりで、いわゆる「カフェ」には行ったことない気がする。
20時台の新快速は朝と違って凄い混んでいたが、長浜行きのその電車は米原に近づくにつれて空席が目立つようになる。「駅に着いたら運転なんだからパパは寝てて。起こしてあげるから。」と最初は気丈だった娘だったが、草津に差し掛かるよりも前にウトウト始め、ついにはオーケストラの続きを見始めてしまった。長浜まで行っちゃうと後がないのだが。
「絵師は幼い頃に頭を強打している」みたいな都市伝説を耳にしたことがあるが、この娘も小1の時に家族での登山中に滑落した経験が幸いしてか、今は絵師の端くれをしているようだ。一ノ越から黒部平に向けてタンボ平を下山中、先頭でハシゴを登っていた娘があと数段のところで手を滑らせて崖側に転落したのだ。学生時代から山をやっていた私はとっさに死を覚悟し、気を失いそうなくらい動転したが、落石の音が止んだと同時に泣き声を発してくれたのだ。1ミリたりとも動くな、と声をかけて落ちていった場所に近づく。ちょうど2階建の屋根から落ちたくらいの高さだったが、付近は鋭利なガレが窪地を埋め尽くしていて、重登山靴を履いてるからこそ何とか歩けるような状態。そんな中に半畳だけ、あきれかえるほど平らな岩があって、その平らな岩の上に娘が倒れていた。これまでに見たことのない巨大なタンコブを額に作っていたが、出血もないしタンコブが出来るのは大丈夫な証拠でもある。平らな岩がなかったら、落ちた場所が50cmでもズレていたら、尖った岩々が確実に娘の頭蓋骨を叩き割っていたはず。
黒部平のロープウェイの駅まで1時間ほど負ぶって下山し大町の病院のCTで異常なしを確認。翌日は包帯を巻いたまま登校し、そのまま9年間無欠席を続け義務教育期間皆勤賞を得るに至ったが、あのとき奇跡が起きてなかったら、いまこうして電車に乗ってることもなかったのだと思いふけっているうちに長浜行きは米原駅に滑り込んだ。
駅に置いた車は何とか動きひとまず安堵だが、また調子が悪くなるといけないので、深夜の名神はトラック並のスピードで。そういえば、嫁と結婚する前は、やたら高速をゆっくり走っていたなぁ。いまなら2時間のところを当時は3時間かけて。
あの頃は何をするにも全力でただ目の前の出来事のみを楽しんでいた。
幼稚園の送り迎えはおばあちゃんがしてくれていた。
やがて小学生になり少しずつ目の前の事以外にも目を向けられるようになったのはこの頃だろうか。
両親が共働きなので、平日の夕飯は殆どおばあちゃんが作ってくれた。
不味いなんて一度も思った事はない。
何もしないで目の前に並べられた夕飯をひたすら口に運んでいた。
そして、中学高校と進むにつれ次第に大変そうに母が考えた献立通りにご飯を作ってくれていたのを覚えている。
やっとその時気がついたのである。
あの時もっと夕飯を作る事手伝えばよかったと。
その思いを何処かで抱えつつ今日まで生きてきた。
何をするにしてお節介だったおばあちゃん。
嫌だと思っていた時もあった、そうじゃなかった時もあった。
でも、そういうのも含めて全部思い出だ。
そして、いつまでもずっと元気で生きている世界が続くものだと何故か思っていた。
勿論そんな筈はなく、次第に弱っていく姿を見てなんとも言えない気持ちになった。
何れ自分もこうなってしまうのだろうか、両親もこうなってしまうのだろうかと考えてしまった。
こういう考えをしていつも思う、もっと優しく接してあげればよかったと。
いつも後悔してばかりだ。
あの時手伝えばよかった、そんなに怒る必要も無かったと。
その帰り道、後ろに乗りながら急なカーブにいつも危ないと思ってたこと。
そんな何気ない出来事が今では本当に大切な思い出だ。
そんなおばあちゃんの葬式を今日に控えながらこの文章を書いている。
直接面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。
ごめんなさい。
ほんとに今までありがとう。
今頃何してんだろうなぁ。
https://anond.hatelabo.jp/20170614201508
普段、ブコメ欄でしか活動してないんですが、名指しされたので書く。記法はよくわからない(甘え)。
私が警官だったとして「増田は口答えした。反社思想だ。逮捕」となったら嫌でしょ。でもそういう時代があってこの憲法は生まれたんです。いかなる思想、感情であっても国家権力を介入させない、という権利なんです。
・ブコメ欄に書ききれなかったこと:
気に入らない表現は私もある。山ほどある。
少女がひどい目にあう話は、少女じゃなく少年でも嫌だし、老若男女問わず、力の弱いものが暴力でどうにかされる展開は苦手です。
でも、それを国家になんとかしてもらおう、って考えはないです。
嫌な表現を見た時に、その相手がなんであれ、どうであれ、「私は嫌だ」と言える権利が、表現の自由です。
「表現を規制する」というのは、その「嫌だ」を誰かに代わりに言ってもらおう、という理屈だと私は思っています。
誰かに悪口を言われた時に、その仲裁を誰かにお願いすることはあるかもしれませんが、「私が仲裁してさしあげますよ」と第三者がしゃしゃりでてくるのは余計なお節介というか、単に邪魔です。
それ、99%こじれるし。
不愉快なことがあったら、自分の口で「不愉快だ」と言いませんか?
これが右翼思想なのか左翼思想なのかは分かりませんし、興味もないですが、かつて、この国に住んでた人たちが欲しくてたまらなかった権利だと思うんですよ、これも。
数年前に同じ職場だった方が、亡くなった。
私はその人が嫌いだった。
その人は異動してきてすぐに、心の病で休職経験があると私に言った。お節介の私は、その人が早く職場に慣れるよう何かと世話を焼いていたと思う。
その頃 職場は本当に人手不足で、ほとんどの人は持ち帰り仕事をしていたし、残業も会社の協定ぎりぎりだった。初めはその人も早く慣れなきゃ、一人前にならなきゃと言っていた。
社会には優先順位などを判断して自律的に動ける人と、それが苦手で指示を受ける方が向いている人がいる。その人は後者なのに、リーダーを任されるはずの等級を与えられていた上、うちの職場は企画業務ばかりで、不向きな業務であることは誰の目にも明らかだった。
毎月ルーチンの担当業務も全て、課の他メンバーと一緒でなければ進められなかった。その人と、その人が頼りきりのメンバーの業務は玉突き的に他の人に回った。
その人は自分の業務に精一杯で、他のメンバーの都合を考えられないタイプだった。重要な会議の始まる時間に出席メンバーに相談事を始めて、周囲が声をかけても中断しないなんてことが頻発していた。残業中22時近くに業務の相談を受け、数十分かけて説明したのにメモ一つ取ってもらえず、翌日完全に同じ相談をもう一度されたこともあった。
その頃、女子トイレで「あなた残業中いつも化粧崩れてるよね」と言われた。「女を武器にしてるよね」とも言われた。
誰のせいで残業が増えてるのか、甘えた声で男性に仕事を押し付けてるのは誰か、私の倍の年齢で倍の給料をもらいながら半分以下の仕事しかしてないのは誰か。
私はその人が嫌いだった。
心の中で給料泥棒と見下していた。
恥ずかしいことだが、私はその人が頼りきりにしていた男性と一時期こっそり付き合っていたこともあり、女々しくて薄暗い嫉妬の気持ちもあった。
その人の体調不良による休みが数日続いた後、休職になったと発表された。後ろめたい気持ちもほんの少しあったが、正直その人がいない方が仕事は早く回った。
そのまま別の職場に籍が移って、その間に部には人の出入りがたくさんあって、私も部内異動をしたある日。
その人が亡くなったことを知った。
うちの職場で休職した最大の要因は、業務のミスマッチだったと思うが、私の影響が無かったとは言いきれない。異動してからの数年、その人に何があって、どうしてそういう決意をしたかは分からない。
おそらく表面張力の限界を超えてグラスから水が溢れるように、長年の積み重ねだったのだろう。私が棘になった日もあったのだろう。
会わないうちに赦されていたと思いたい気持ちと、あの頃に戻ったとしても、自分の感情や行動は変わらなかった、正当だったという気持ちと、きっと異動してからの数年が原因なのだと思いたい気持ち。
少し前に主に増田をブクマしていたIDを消した。今書いているIDは、この増田のためにとったもので、すぐに消すつもりだ。
増田を知ったのは2014年だったかな。たまたま最初に書いた増田が800ブクマを超えてしまって、それ以来、自分の文章に誰かが反応してくれる、という事にハマってしまった。
自分は人間関係を必要以上に重く捉えてしまうタイプなので、自分の人格や人間関係が積み上がらない増田は楽だった。
その後、増田をブックマークする顔ぶれはいつも似通ってることに気づいて、自分も自然にブックマークする側に回った。
最初はそもそも増田しかブックマークしないつもりだったので、そうと分かるID名をつけたんだけど、ちょうどその頃ははてブオフ会の話題が盛り上がっていて、そしてそれは増田を舞台にして様々な波乱を呼んでいた。
自分も軽く首を突っ込むうちに、ネット上とはいえ緩い人間関係ができたり、真面目なお節介をしたくなったりしてしまって、ふざけたようなアイコンのIDにもある程度の人格ができてしまった。
また、増田をブクマする人らの、半ネット半リアルみたいな関係があることも知って、面白いと同時に、そこに生身の人間を感じてしまい、どうにも増田との距離の取り方がわからなくなってもしまった。
増田にハマっていた2年弱は、リアルでは社会からは取り残されたような不安定な状況だったけど、その後なんとか状況は変わりリアルにおいても社会と関わるようになって、永遠のモラトリアム的な増田からはだんだんと遠ざかってしまった。
先日、たまたまバズフィードの去年の記事、ゲイの恋人に振られた話を書いた増田へのインタビュー(https://www.buzzfeed.com/jp/ryoyamaguchi/gay-life)を読んで、確かにここには人間関係があったな、ということを思い出した。
日本全国に散らばる増田ブクマカ達と、これまでも今後もリアルでバッタリ会うことはまずないだろうし、もし会ったとしても知らないフリをするだろうけれど、どこかで元気でやっていることを想像するのは楽しい。
もうずっと食事が喉を通らない。
固形物を口に入れた瞬間、それが喉に詰まって窒息したりあるいは気管に入って誤嚥性肺炎を起こすことを想像するからである。いままでモチを詰まらせたことも魚の小骨を引っ掛けたことも無いというのに不思議な話であるが、おれの頭の中では食事と死のイメージとが鮮やかに直結しており、視界に映り込んだ鼻の頭のようにあるいはピンク色をした象のように、意識しだすと止まらない。おれはやがて経腸栄養剤しか口にできず糖分を採りすぎて糖尿病になって失明し脚は壊死して腎臓を壊して透析で苦しんで死ぬ。親が大手病。年収が×××万円以上でなければ、なんとかと云う結婚紹介所におれを登録できないのだと云う。収入の不足分を補うためにかれとかれの母がもつ不動産を相続させるとも云った。過干渉。おれが未婚で長男でキモオタで身の回りの支度ができない無職のプー太郎で優良企業就業済既婚の弟がいるものだからそういう余計なお節介をされるのであろう。自分はその紹介所で妻との縁ができたのでお前もそこに入会せよと云う。おれくらいの年齢の頃、かれはすでに一と三分の二流くらいの企業に勤めていたからかれはその相談所に入会できたわけだが、28歳無職就業経験ゼロという現状そしておれのもつ素質たとえばわが指導教官にそれゆえにお前は研究者に向いてないと直々に云われるほどの社会性の無さなどの資質を鑑みれば、おれがその年収を達成することはとうてい困難なことに思われた。だからおれは早く家を出て住所も電話番号も秘匿して蒸発してしまいたいくらいなのだがおれの学費と生活費と住居費の××年分および奨学金の返済にかれの収入の大部分が充てられているという事実がある以上そういうわけには行かない。ところでかれはおれが野良博士という現代の不可触賤民であるにも関わらず一流有名企業に入れる実力を持っていると勘違いしているようで、どこぞの某大電機メーカーが博士卒を重点的に募集しているなどと有難いタレコミを呉れる。あるいは予備校の講師などしながら企業の研究職を狙えばどうか、などとも云う。博士の就職がいいと云っても景気がいいのは人工知能関連の分野だけだということをどうもかれは理解しておられないようである。おれはと云えば研究室にも行かず×年間も自宅に引篭もってノートの上の数式を弄っていただけの人生だったから、プログラミングのスキルも各種資格もろくに無く、きょうびどこの企業からも御呼びでない。頭の回転も遅く某社のSPIでは酷い点数を取ってしまったために面接すら受けさせてもらえない。これでは受験数学の問題など到底解けないだろう。登録していた就職斡旋屋からは貴方にはシンクタンクなどが向いているでしょうなどと調子の良い言葉をもらったが一か月経ち二か月経っても音沙汰が無い。当たり前である。何かの手違いで某外資社から研究内容を紹介する機会をもらったこともある。おれの能力を試すためにあえてそういうポーズを採ったのかもしれないが、かれらはおれの話を理解するそぶりを全く見せなかった。ショックを受けた。明らかに企業側の需要とのミスマッチが感じられた。おれのプレゼンに問題があった可能性は否定しないが、要するに世界でも十人くらいにしか価値を認めてもらえない仕事を延延黙黙やっていたということは、おれも同意するところである。その十人のうちの一人がわが指導教官だったのは幸運だったのか不運だったのか分からない。もともとおれは数学などで分からない問題があるとイライラが募り便通が悪くなり院試の頃は特に最悪で原因不明の腹痛で入院するくらいで、睡眠時間も食事の回数もゴリゴリと減っていき、歯ぎしりが止まらなくなり、かと思えば今日はサボりの日だと云ってネットサーフィンに明け暮れるものの心はまったく休まらず、夜中唐突に呻きながら自転車で遠出をしたり、風呂も洗濯もせず、機嫌は最悪で周囲に怒鳴り散らし、ただでさえ無口な性格だというのにいっそう塞ぎこんで誰にも相談できなくなり全て自分の力だけで問題解決したくなる人間だったから、博士課程に進学することは当然の帰結であった。おれが天才数学者だったなら上記のエピソードは天才の微笑ましい奇行としてウィキペディアの埋め草にでもなったのだろうが、悲しいことにおれはアホでマヌケでIMOメダリストなどからは程遠い知能の持ち主だったから学位をとるのに結局◆年もかかり(思考速度と問題解決能力が研究能力のすべてではないという当たり前の事実に気づけたことが大学院における唯一の収穫である)今では無職である。元から変だった自意識は余計に拗れメンタルは不調をきたした。食事が怖い。面接が怖い。唐突に脳血管の破裂が怖くなる。あれほど楽しかった学力試験が今では恐ろしい。自分の劣等具合を再確認させられるから。大学院など行かなければよかった。博士課程など行かなければよかった。満期取得退学しておけばよかった。学位など取らなければよかった。高卒で就職すればよかった。以上。
内容の無いコミュニケーションを馬鹿にしている人は、何もわかっていない
あいつらは、内容の無いことばかり喋っている」と言って、学校や職場の同僚を馬鹿にする人は多い。思春期にありがちなセリフかと思いきや、年配の人が、同じようなことを喋っているのを見て驚くこともある。
ウェイ「あいつらゲームとかの話ばっかり何が面白いんだ」に対して陰キャが「あいつらの会話内容なんじゃん」と言ったところにマジレスされても困る(わざとやってるのだろうけど)。その年配の人とやらも配偶者とかに「電波で仕事の話ばっかりよく飽きないね」的なことを言われて「主婦同士の会話のほうが飽きそうだが」とか感じてるだけのことだろう。
クラスの上半分のウェイは上昇・秩序ゲームやってるのかもしれないが下半分は生き残り・秩序ゲームなのである。上半分はいかにもっと有利なポジションにいけるか、いかに仲良くなるか、いかに役に立ってるアピールをするかで動いているが、下半分はいかにいじめられないか、トラブルに巻き込まれないか、余計なことを押し付けられないかで動く。
おいそれと転校・転職できない環境下なら、カースト弱者は簡単には逃げられないから、内容の無いコミュニケーションを回して校内政治・社内政治を確立し、ヒエラルキーを確定させるのは、コミュ強の社会適応としては有効だと思いますよ。多かれ少なかれ、これはみんなやってるじゃーん、な事だとも思う
https://twitter.com/twit_shirokuma/status/862819416282603520]
1年間はクラス替えもないのだから、上に行こうなどと考えるよりDQNの気まぐれいじめルーレットを避けることを考えたほうが現実的である。「優しいというのは言い訳であり自己保身」みたいな言い方がある通り、いい人キャラはいじめにくい。無害であり、上に行こうなんていう生意気なことは考えてない、という雰囲気を出す以外の選択肢はない。雑談で盛り上がるより相手の話を面白く聞いて興味深く質問するふりをするほうがいい。抵抗できなさそうなヤツだと思われる副作用もあるが、男気ある系のDQNや教師や先輩に気に入られていればなんとかなる。ウェイとは逆に「無害であること」「その集団に入らない努力」「分際を自覚し身の丈に合わない権利・責任は放棄すること」「過剰に買いかぶられないこと」「お節介を気分を害さないように断ること」が必要なのである。(そういう状況であるのに、某問題群のこととなると臆病だの批判をかわすための安全に痛い自己批判だの安全圏からメタ視線でのポリコレ批判だのという批判もあるが、彼らはオタクにどういう反応をしろというのだろうか)。陰キャが抵抗したり牙を向くときというのはこの秩序が強要や抑圧で乱れたときである。悪魔的なことを言えば陰キャ勢は一人いじめられっ子を生贄として差し出せば1年間は安泰なのであり、そのとき選ばれるのは上からも下からも反感を買う「自分は下じゃない」みたいなナルシスト系の陰キャだ。この時ウェイと陰キャの利害は一致している。
回避的であること、表向き主体性を放棄していることは陰キャにとって合理的である。何かの本で回避性人格障害の治療法が変わったと書いてあったのだが要するに「いじめれっこを同性同年齢の集団に戻していたが最近ではいじめが発生するからなされていない」というものだった。地域にもよるかもしれないがDQNにいじめられて回避的であることを合理的に選択した陰キャを1匹、DQNの群れに投げ入れるなんて狂気の沙汰じゃないだろうか。教師や先輩の介入が入りにくい「集団」に入れるなんて逆効果になるとしか思えない。治療方針の転換は妥当なのだろうと思う。また真面目系クズをACとする意見を見たことがあるが、これも因果関係が逆のように思う。自己犠牲ではなく、自分を大切にするためにこそ逆らわないのだから。
陰キャにとって「あいつは真面目wつまんないやつ」「空気」「影が薄い」「人生楽しいか」と言われたらそれは適応に成功している証拠である。「自分は透明な存在だ」「自分は誰の役にも立っていないのではないか」「何のために生きるのか、なぜ生きなければいけないのか」と感じる機会は当然ウェイより多くなるが、はなからそれ以外の選択肢などないのだから、感じるだけ問うだけ無駄なのであり、そう感じたり問うたりするのは大体が脳のコンディションが悪いときなのなのだから心より体調に気を使ったほうが良い。
長くなったが要するに、サッカー部に入ろうとも考えてない野球豚が「サッカーなんて玉けり遊び何が楽しいんだ」と言ったことにサカ豚から「玉ける練習で、レギュラーを目指してるんだ。」とかガチでこられても唖然とするほかないという話だ。昔のid:p_shirokumaなら「レギュラーになれないやつの僻みだ」と、あさっての方向の批判をしていたと思うが、今回のマジレスはさらに一光年あさっての方向に退却しているように思える。
地域社会の暇な専業主婦共やジジババ共がワーママのアテクシを一方的に助けるべきだけど、
アテクシは地域に対しては何もしないわよ、だって仕事の方が大切なんだから
って人だらけだからねえ。
本当に「地域社会で子育て」を実現しようとしたらクッソ面倒臭いわけだよ。昔の田舎みたいにね。
実際の「地域社会」は、都合がいい時だけ一方的に助けてくれるわけじゃないからね。そんな都合がいい人間はいない。
自分も散々「地域社会」に貢献しなければならない(子供がいない時も、子供が成長した後も)し、お付き合いするのに金だって使う。
周りのお節介な人たちに子育てに色々と口を出されても笑顔で受け入れなければならない。
瓶にラベルを高速で貼り付ける自動化の機械に1日つきっきりで、機械に対する指示出しや上手くラベルが貼り付かずラインから吐き出された瓶の処理やその他エラー対応や機械の清掃やらをしているらしい。
高校時代以来の友人を私はそれなりに大切に思っていて、いずれ正規雇用になって欲しいと思っている。
しかしその製薬会社では正規雇用の門戸は相当に狭いらしく、ラインの責任者として長年バリバリ仕事している人間が契約社員だったりする。
ライン作業なんてそんなものだ、と言われればそうなのかもしれない。
なので、私は今の段階で転職を見据えて友人に何か「スキル」をつけてもらって、転職先で正規雇用になれないものかと色々提案したのだが、どうやら本人は仕事以外の時間に勉強をする気がイマイチ湧かないようで、お節介を押し付ける私と少し喧嘩になってしまった。
曰く、お前とは元々頭の出来が違う、とか、若い頃に勉強をもっとしてればよかったんだよな、とか、仕事のなかで使わないと勉強しても忘れてしまう、とか。
勉強に早い遅いは無いと説得はしてみたものの、仕事のなかで使わないと〜というのは、もっともだと思った。
刺身にタンポポを載せる仕事、とまでは言わないが、友人のしているようなライン作業は、いわゆる「スキル」が付きにくい。
仕事自体単調で人を無力にさせがちだし、ラベルの色、印字の大きさなどを決める機械のUIは多くがその会社独自のもので、それを必死に勉強したところで、他所ではほとんど役に立たない。
仕方がないので、仕事の中でできることの提案もしてみた。作業改善とか、人を育てることとか、リーダーになるとか、工場の仕組みを捉えるとか(危険物はどこに管理されている?ボイラー室は?電気室は?クリーンルームの等級や並び方は?工場のどこかで必要になる資格は無いか?)。
とにかく、転職先にアピールできる具体的なものが欲しい。本人は「工場、向いてないのかなぁ」などと言っていたが、今20代後半、さしたる資格も経験もなく、他の業界に正規雇用で入っていけるほど甘くはないと思うのだ。
どうにか、今の環境からでも、できるだけたくさんを学び取ってもらいたい。
私にできることはないだろうか。
今日は私にちょっとお時間をいただいて、男性を見分けるポイントについてお話できたらと思います。
私は若い時分から恋愛相談に乗るのが好きで、数えきれないほどのアベックの成立をお手伝いしてまいりました。
今では珍しくなった、人の恋愛にお節介を焼く、お見合いおばさんです。
そんな私が結婚して幸せになれる男性を見分けるのにお薦めしているのが、エアコンのフィルターチェックです。
エアコンのフィルターをきちんと掃除している男性にハズレはありません。
エアコンのフィルターの掃除は、ほんの10分もあればできて、冷暖房効率を著しく上げます。
その分、電気代も安く済みますし、部屋で快適に過ごすことができます。
室温が適切でないことによるストレスは、QOLに直結する大きな問題です。
電気代も月に1000円から2000円も安くすむことがあります。
月に1000円と言っても、年で1万円から2万円です。
数か月に1回、ほんの10分の掃除で、これだけの効果があるわけです。
それだけに、こういった細かい所をきちんとしている男性は、アタリである場合がほとんどです。
エアコンのフィルターは部屋の掃除と違って、一見して見えないのがポイントです。
見栄や世間体ではなく、生活の上で重要な所にきちんと焦点を当てることができる人だということです。
こういった人と結婚すれば、日ごろの生活の中でかゆい所に手の届く、温かいサポートのある家庭を育むことができるでしょう。
チェックの仕方としては、エアコンをつけてしばらくたってから、さりげなく
と言って中を見るのがいいでしょう。
それでフィルターがきちんと掃除されているようなら、彼はアタリです。
埃がつまっているようなら、一度は掃除してあげましょう。
単純にフィルターを掃除する利点を知らなかっただけかもしれません。
そして、フィルターの掃除の利点を説いて、数か月後にまたチェックします。
その時にフィルター掃除の習慣がついているようなら、大丈夫です。
最悪なのは、自分で掃除もせず、掃除してあげたのに礼も言わない男性です。
私は虫が怖い。
当然触りたくないし写真も見たくない。
芋虫毛虫に関しちゃこうしてタイピングするだけでぞわぞわするし、文字を見ただけでも心拍数が上がる。
虫遭遇率が低いというだけで東京に住んでいるし、虫を幻覚で見たくないからという理由で酒も薬も全く興味が沸かない。
理由なんて無い。とにかく怖い。姿を見ると正気を失う。死骸すら片付けられない。葉が生い茂ってる木の下は走って通り過ぎる。
学生時代は理科の教科書が怖くて仕方がなかった。小学生の頃は理科の虫のページを持って何人もの男子に追いかけられた。
好きな漫画に虫が出たら読むのをやめるしか無かったし、ポケモンだってキャタピーがおぞましくてプレイがしんどかった。
虫遭遇率を下げてくれるコンクリートジャングルと農薬は最高だ。無農薬野菜なんて恐ろしくて触れない。
こんなんでも小さい頃は田舎に住んでいた。その頃から虫が駄目だった。そこかしこに虫が溢れる外は恐怖の空間でしか無かった。
かと言って田舎なので室内でも安心出来なかった。遭遇する度にぎゃーぎゃー泣いてうるさかったと親は言う。
とにかく筋金入りなのだ。
種類なんて勿論関係無い。私は虫に対して平等だ。ゴキブリも蝉もカブトムシも蝶々も蛍も全て等しく恐ろしい。
えー?蝶々も?!じゃねぇよ。どこからどう見たって虫だろうが。むしろ大丈夫な要素ねぇよ。
どっちかって言うとゴキブリNGでカブトムシOKな方が意味解んねぇよ。言う程造形違うか?
第一これも?あれも?って妥協点探してどうするの?どれも怖い。とにかく全部嫌って言ってるでしょ。日本語通じないの?
虫の方が怖がってるよなんて事もよく言われる。だから?という感想しか浮かばない。
あっちがこっちを恐れているからどうした?それで何が改善する?
とって食うわけじゃないんだからともよく言われる。だから怖がるなと。
ジェットコースターだって安全基準はクリアしてるのに怖いだろ。恐怖は理屈じゃないんだよ。
田舎に行けば慣れるよって言うけどなんで慣れなきゃいけないの?
田舎育ちだって言ってんの聞こえなかった事にしてんじゃねぇよ。耳鼻科紹介してやろうか?
嫌な物は嫌。それを避けて生きていくじゃダメなの?
別に改善したくて言ってるんじゃねぇよ。伝える必要があると思ったから伝えただけだよ。
そのうち気にならなくなるからキャンプ行こうよじゃねぇよ。てめぇとは二度と関わらないからな。
子供が出来たらどうするの?それ私に聞いていいの夫だけじゃない?お前に関係無くない?
なんで親族でも友達でもないただ仕事で繋がりがあるだけのお前にそんな事言われなきゃなんないの?
ついでに言うとどうもしねぇよ。勉強嫌いな奴でも子供作るし料理嫌いな奴だって子供作るだろ。
虫が嫌いだから子供諦める?子宮から抗議の生理痛が来てもおかしくないほどアホすぎる結論だろ。
私もダメなの!!って言ってくるそこのバカ女。お前が一番の敵だ。
お前みたいに自己アピールのために虫嫌い装う奴のせいでこっちまで迷惑してんだよ。
たいしてダメでもないのにギャーギャーギャーギャー騒ぎやがって。
腹から声出してんじゃねぇよ。余裕あり過ぎだろ。こちとら腰抜かしそうで声なんか出ねぇよ。
でも悲鳴あげなかったら意外と平気じゃんってお前は眼科が必要か?
とにかく虫嫌いは受け入れられない。驚くほど受け入れられない。
いくら主張しても信じられない。皆駄目だからと言われ、聞かなかった事にされる。
それならまだいい方で、何故か改善させようとお節介を焼かれる事も多い。
アレルギーを好き嫌いと勘違いし食べさせようとして来るお節介ババアのごとく出没する。
聞いてもいないのにあぁしたら治るこうしたら治ると主張してくる。
それを受け入れなければ出来てもいない子供を引き合いに出されて糾弾される。
虫はどこにでも出没する。
家の中でも外でも関係無い。出る時は出る。
東京には虫が居ないと言うが、蝶々もハエもカブトムシもゴキブリも居るし、なんなら蛍だって居る。
私はその陰に日々怯えている。道端を転がる枯葉を虫と見間違えて心臓が止まりそうになるなんて事は日常茶飯事だ。
そういう時私の体は全身の筋肉が硬直して、他の音が聞こえなくなるほど自分の鼓動が大きく聞こえるようになる。
当然呼吸も乱れる。元の状態に戻るのに3~5分はかかる。全身に力が入るせいかどっと疲れる。
勘違いしないで欲しいが私は虫に滅んでほしいとか皆殺しにしたいなどと言う気持ちは抱いていない。
私だって義務教育を受けているのだから彼等が生態系に必要な事は解っている。
どちらかというと滅ぶべきは私だ。
ただ、出来る事ならば生息スペースを完全に分断したい。勿論できない事は解っているから口には出さない。
もしもこれを読んでくれる人が居たならば、他人が怖いと言った事を安易に克服させようとしたりしないでほしい。
恐怖は理屈では解決できない。本人にも理解できない圧倒的な恐怖が体を支配するのだ。
世の中の恐怖症は高所や閉所だけではない。