あの頃は何をするにも全力でただ目の前の出来事のみを楽しんでいた。
幼稚園の送り迎えはおばあちゃんがしてくれていた。
やがて小学生になり少しずつ目の前の事以外にも目を向けられるようになったのはこの頃だろうか。
両親が共働きなので、平日の夕飯は殆どおばあちゃんが作ってくれた。
不味いなんて一度も思った事はない。
何もしないで目の前に並べられた夕飯をひたすら口に運んでいた。
そして、中学高校と進むにつれ次第に大変そうに母が考えた献立通りにご飯を作ってくれていたのを覚えている。
やっとその時気がついたのである。
あの時もっと夕飯を作る事手伝えばよかったと。
その思いを何処かで抱えつつ今日まで生きてきた。
何をするにしてお節介だったおばあちゃん。
嫌だと思っていた時もあった、そうじゃなかった時もあった。
でも、そういうのも含めて全部思い出だ。
そして、いつまでもずっと元気で生きている世界が続くものだと何故か思っていた。
勿論そんな筈はなく、次第に弱っていく姿を見てなんとも言えない気持ちになった。
何れ自分もこうなってしまうのだろうか、両親もこうなってしまうのだろうかと考えてしまった。
こういう考えをしていつも思う、もっと優しく接してあげればよかったと。
いつも後悔してばかりだ。
あの時手伝えばよかった、そんなに怒る必要も無かったと。
その帰り道、後ろに乗りながら急なカーブにいつも危ないと思ってたこと。
そんな何気ない出来事が今では本当に大切な思い出だ。
そんなおばあちゃんの葬式を今日に控えながらこの文章を書いている。
直接面と向かっては恥ずかしくて言えなかった。
ごめんなさい。
ほんとに今までありがとう。
今頃何してんだろうなぁ。
いってらっしゃー
https://anond.hatelabo.jp/20170617012802
今日も糞嘘松お疲れ様です!