はてなキーワード: お節介とは
こんなに多くの方に祝ってもらえると思わなくて、すごく驚いている。ありがとうございます!
「おめでとう」と祝う側だった今までは、結婚報告増田をみて「幸せそうだなぁ」と勝手にほっこり幸せ気分をもらっていたのだが、
実際自分のこととなると、周囲から「幸せそう」とか「末永くお幸せに」と言われてやっと、幸せだなぁと実感したりして、とても不思議な感覚です。
ブコメからは「入籍は間違い」「溶岩に飛び込むのは苦しい」など、増田に書かなかったら知る機会もなかったかもしれないことを知れて、すごく面白かった。
それから、wattoさんに特大の「ありがとう」を、人気ブコメトップの方にはお節介ながらブーケをトスしたいです。届けこの思い!
あなた方が行っている行為は、言論弾圧や自由な発言、使い方を全否定する運営方法であって、
Qiitaの運営事務局は、いつからそんなに莫大な権限を持ったのでしょうか?
Qiitaは言論弾圧して、そこまでして恐怖政治を行いたいのですか?
私個人が、広告塔を貼って、利益を得ていたというのであれば話は別ですが、
普通に投稿して、広告も貼っていないので、私には利益は一銭も得ていません。
そんなに自由に使われたくなければ、インターネットの世界からQiitaは退場して頂け無いでしょうか?
個人的な感情で、私個人を攻撃するのであれば、このカレンダーに記事を提供して頂いた他の皆さんを巻き込む
必要は無く、私の記事だけ削除なり、非公開にすればよいのではないですか?
そちらが感情的に削除や非公開を繰り返すのであれば、インターネットの自由を取り戻すために、
私が御社へ伺って、直接対面の話合いで決着をつけようではありませんか。
たった一人のユーザを潰すのに、必死になっているQiitaは会社として、Webサービスとして
みっともないです。
ここは逃げずに、メールではなく、対面で話し合いを希望致します。
このやりとりは、私一人が記事を提供しているわけではないので、
2017年1月6日 20:49 Qiita/Qiita:Team Support :
##- 返信の際は、この行より上にご記入ください -##
mesakaさま、
Qiitaのご利用及びアドベントカレンダーの作成ありがとうございます。
http://qiita.com/advent-calendar/2016/free_zankoku
こちらのアドベントカレンダーを作成していただきましたが、作成フォームに記載の通り
Qiitaでのアドベントカレンダーはプログラミングに関連するものに限定しております。
https://qiita.com/advent-calendar/2016/calendars/new
当アドベントカレンダーの投稿を精査させていただいた結果、
多くの投稿がプログラミングに関連しないと考えられるため、削除させていただきます。
よろしければ代わりにAdventarの利用をご検討ください。
削除は2017年1月10日午前0時(日本時間)以降の実施を予定しています。
当アドベントカレンダーに登録されたQiita上の記事が削除されることはありませんが、
利用規約にもとづいて記事を個別に非公開にするなどの対応を取らせていただく場合があることをご了承ください。
なお、バックアップのため当アドベントカレンダーの情報を本メール末尾に添付します。
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URL:http://qiita.com/advent-calendar/2016/free_zankoku
概要:
フリーランスで良い面ばかり宣伝されていますが、悪い面、ひどい目にあったことを匿名っぽく書いて、心の傷をなめ合いませんか?
プログラミングやシステムだけ知っていても、エンジニアとして生きていけないと思うんだな。本来ならば会社の飲み会で先輩から教えて貰うことを、このカレンダーでは、おっさんが淡々と語ります。技術的な話も書くかも知れないし、エンジニアとして生きて行くために必要な知識を、若いエンジニアに知っていて貰いたいというお節介なカレンダーです。
どうしても削除したいらしい、私のadventカレンダーを。
これの意味の解釈が自分とは違う人が結構多いのかなと思ったのでこれについて少し感想文書きます。考察じゃないよ感想文だよ。押し付ける気はないけど自分の考えを喋ってみたくなったよ。
結論から先に言うと「ベイマックスのAIが持つ人助けの本能みたいなものはタダシ自身が持っていた本能的な部分の生き写しであり、タダシという人間の持っていた本質的部分はベイマックスの中で生きている」って話ね。
そもそもなんでベイマックスが生まれたのかっていうと、タダシが科学オタクであると同時に、人は誰かの役に立つべきだと考えて生きているお節介さんだったから。苦しんでいる人やどうすればいい分からない人がいたら救ってあげたい側にいてあげたいっていうのがタダシという人間の在り方。ロボットバトルの会場から弟のヒロを助け出して説教しているシーンやヒロを明るく導いていくシーン、そして命がけで教授を助けに行ったシーンにそれは現れている。
そしてベイマックスに治療法や行動パターンを組み込む時にその気質は十分に受け継がれた。痛いという声を聞いたら飛び出していったり、もう大丈夫と言われるまで離れられないっていうのはタダシの人柄そのもの。ベイマックスが「親しい人の死を乗り越えるためのプログラム」として周りの人と悲しみを分かち合う事を推奨し、それからそっと抱きしめたシーンがあったけど、もしタダシがいたらきっと同じことをしたんだろうなと思う。実際タダシの友人たちはヒロにメッセージを送ってきているし、抱きしめてあげたいと語っている。あの時ヒロの事を抱きしめていたのはベイマックスであると同時にベイマックスの中で生きているタダシの優しさだったんだよね。
そしてベイマックスが「タダシはここにいます」と語りながら動画を見せたシーン。あそこでベイマックスがあの動画を見せたのは、もし親しい人と別れた誰かがいたらこうしてあげたいとタダシが考えた治療法として、その人の動画を見せるという手段を考えついた事がまず起因になってるわけ。つまりさ、あそこで動画を見せているのはベイマックスであると同時にベイマックスにそういうプログラムを組んだタダシでもあるってわけ。タダシの肉体はもうそこにないし、動画もただの過去の映像であってヒロに語りかけてはくれないけど、自分の死を乗り越えようとしてるヒロを救う助けになりたいっていうタダシの気持ちは間違いなくあそこにあったんだよ。そしてそれはベイマックスという肉体を通してヒロにはっきりと向けられていた。だからさ、あのシーンでベイマックスが言っていた「タダシはここいにいます」はかなりの部分で本当のことだったんだよ。確かにあそこにタダシはいた。悲しんでいる誰かの助けになりたい一緒に側にいてやりたいっていうタダシの思いは、本当にあの場所にあって、ヒロのすぐ目の前に立っていたんだよ。
これは余談になるけど、事件が全部終わってからもヒロ達がヒーローとして戦い続けているってのは彼らの中にヒーローへの憧れがあったというのもあるんだろうけど、同時に一連の出来事を通して人助けの心に目覚めたってのもあると思うんだよね。その最初の火種を作ったのは、ベイマックス。戦いを始めたのはヒロだけど、後半になるまでのヒロはやり場のない悲しみと怒りをぶつける為にカブキ男を追っているだけでまだヒーローとは呼べない存在だった。途中までヒロのいいなりみたいな状態ではあったけど、ベイマックスの中には確かな「人の助けになりたいという強い気持ち」が間違いなく燃えていた。皆がまだどこか面白半分でヒーローになりきっていた頃にもベイマックスの中には人出すけの本能が燃えていた。そのベイマックスと行動をともにすることで少しずつBIG HERO 6は本物のヒーローになったんじゃないかって自分は考えてる。あのチームのリーダーはヒロなんだと思うけど、あのチームの象徴はやっぱりベイマックスであり、そのベイマックスの中ではタダシという人間の決して消えることない残り火がいつまでも暖かく燃えているんだろうなって、俺はそう思うんだよ。感想文終わり
男の子って言っても20歳くらいなんだけど、
バイト先にいるこで、多分うちで働きはじめてからは8ヶ月くらいたってるとおもう。
その日はシフトが2人だけで、倉庫で探し物しなくちゃならなくて、
ふたりで分担してやってたんだ。
男の子のほうには布を探して貰ってた。
結構時間かかってるみたいだから「布あった?」って近寄って声かけたら「まだです。」って。
で、その時気付いたんだけど、そのこ、1m以上ある布をわざわざ広げて長さを測ってたんだ。(布は元々畳んでしまってある)
それで私、ちょっとお節介かなと思いつつも「1mm単位で正確な大きさの布を探せって言われてるわけじゃないから、十字折りになってる状態で図っていいよ〜2倍すれば大きさわかるからね」
って言ったんだ、言ってすぐ一旦自分の探し物に戻って、そしてまた そのこの所へ行ったら泣いてた。
わんわん大泣きとかじゃなく、鼻すする感じで、グスグスって…。
私もさ、「えっ泣いた?まさか…鼻詰まってるだけかな」と思ったけど、
倉庫にはもう結構長い時間いたのに、埃で鼻詰まったりするにしても突然このタイミングでってのは変だし、なにより"泣いてるのを鼻詰まりに見せかけて誤魔化そうとしてます"って感じなんだよ。
ほんとにびっくりした。
まじでびっくりした。
二回もびっくりしたって書くくらいびっくりした。
いろいろ考えたけど、本人も誤魔化そうとしてるみたいだし「泣いたの?」とか聞かないほうがいいかと思って、何も言わないでその日は業務終了した。
あ〜〜〜〜まじであれ私のせいで泣いたのかな?私、言い方キツかったかな?普通に友達に「これも便利だよ〜おすすめ〜」って言う程度のテンションで言ったつもりだったんだけど。
それともなんか普段からめっちゃ怖い先輩とか嫌な女とか思われてるのかな…
できれば、たまたま、あの時LINEで「お前の好きな子 彼氏いるらしいぞ」って連絡きたとか、実家のペット死んじゃった連絡きたとかだといいな…いや、やっぱり実家のペット死んじゃうのは可哀想だから無しで!
まあでも、前から少し繊細な人なのかな?とは思ってたんだよ。
バイトが大勢入ってる日、みんなで恋愛の話になった時ちょっとイジられたらめっちゃ嫌そうな顔してたり、
バイトの日誌(みんなテキトーなことしか書かない 雑談日誌みたいなもん)をなんか毎回すごいちゃんと読んでたり、
そのこがバイトに入ってすぐの頃、少しだけミスしてたから「ここ違うよ」って言ったら、なんかすごいあせってる感じで言い訳をきかせてくれたり(まだ新人だから、わからないのは当然だから、別にいいのになぁとおもった)、
なんかでも、あんなことで泣くのかぁ…
いや、人が泣いちゃったことをあんなこととか言っちゃだめか。
なんかともかく気が重い、次シフト一緒になった時どうすればいいの…謝ったほうがいいの…?なんにも気づかなかったふりしたほうがいいの…?まじで困ってる 困ってるっていうか どうすりゃいいんだよ〜〜
も〜このバイトも結構長くやったし飽きてたところだから やめたほうがいいかな?
ていうか、本当に本当に私のせいで泣いたのかな?誰か教えてくれよ いや彼の心のことは彼以外わかるはずないけどさぁ あ〜〜〜〜どうすりゃいいんだ どうしてればよかったんだ…………
増田の流儀は分からないから、無粋な返ししか出来ないけどごめんな。
大元の記事はこのおれ(元増田)が書いたんだ。おれが青春を送ってた時期の作品が「名盤」になったからな。
それで歳を取ったなと思って、ふとフィッシュマンズ『空中キャンプ』がどんだけ聴かれてるか調べたんよ。
で、今の若い子が「これはロック史に残る名盤だから聴けないのは音楽が分かってない証拠」とかね?
そんな風に言われてプレッシャーを抱えているとしたら気の毒だなと思ったの。
おれは映画も観るけれど、散々他の「映画通」とされる人に言われたよ。「キューブリックも観てないのか!」とかね。
でも、その「映画通」と絶交してから他の通の人と仲良くなって、そういう人たちはそんなこと言わないのよ。
むしろ今のおれみたいに「観た方が良いよ」と薦めるけれど「必ず観ろ」なんてことは言わないの。
ああ、本当の通っていうのはこんなものなんだなと思ったよ。
だから、これは本当に「要らんお節介」かもと思ったけれど音楽は映画より馴染みが深いジャンルなんで。
映画におけるおれ(キューブリックを理解出来なくて苦悩していたおれ)みたいなヤツがひとりでも減れば良いかなって。
そんな気持ちで書いたの。
それはそれとして、真面目に調べると「邦楽は凋落した」って意見も見掛けるけれどワケ分からんね。
九十年代はフィッシュマンズやスピッツやミスチルが居た。もっと沢山名を挙げることも出来るだろう。
ゼロ年代はおれはくるりやナンバーガールやスーパーカーや椎名林檎を聴いた。
テン年代は最近の邦楽は追い掛けられていないけれど、さっき書いたアジカンとか、そういうミュージシャンがいる。
どの時代にもそれらの時代を代表するミュージシャンは颯爽と現れたわけ。
それは過去の音楽の焼き直しなのかもしれん。ナンバーガールがフリクションを焼き直したように。
でもおれにとって唯一無二の経験だったことは確かに言い切れるし、若い世代もそんな上の世代の「陳腐」とかいう言葉は気にせずに聴けば良いんじゃない?
読んだ。
なにこれ?ちょまど氏界隈に対する憶測と性格を変えろみたいな見当違いかつお節介なアドバイス?よくこんなもの書いて公開できたな。
ちょまど氏って人は全然知らんけど、要するに常にこういう扱いされてきた人なんだね。フロッピーのまとめも覚えてるわ。いわゆるオヤジ転がし的な能力を十分自覚してやってきた人でしょ。
このエントリ書いた人とかちょまど氏をチヤホヤして可愛いだの姫だの持ち上げてた人たちは、ちょまど氏を人間扱いしてないよね。
アイドル産業見れば分かるとおり、チヤホヤする側にこそ快楽があるんだよ。チヤホヤされる側だけが快楽なんじゃなくてね。
だけどそういう快楽追求は仕事や勉強会では邪魔だからTPOわきまえましょうねって話。たったそれだけ。
アイドルじゃなくて人間なんだから人間として扱えってことだよ。
今回炎上したのはちょまど氏の性格や容姿や職業のせいではなく、TPOわきまえずに手近なところでアイドルオタク活動をやりたがった貧乏性の取り巻きたちが原因。あいつらが変わらない限り第二第三のちょまど氏が現れてその度に炎上する。
ちょまど氏のような人を避ける方法はない。だって氏には問題はないんだから。男性恐怖だろうと容姿が優れてようと若かろうと女性だろうと、それらの条件でコミュニティ出入り禁止にできないことなんか誰でも分かるよね。
手近なところでお金かけずにアイドル探ししてチヤホヤして仲間と盛り上がりたいって奴らは、自分にとっての「異物」を探して同じ人間とは認めないことで相対的に自分の立ち位置を確認したいだけ。
実はいじめと同じ構図なんだよ。
いじめられっ子の中にも、いじめに染まりすぎてどんな集団にいても無意識に蔑まれるような位置に自分を置いてしまう癖のある人がいる。ちょまど氏がやってるのはそういうこと。最初は純粋に技術が好きだったのかもしれないが、どこ行っても多かれ少なかれ姫的な立ち居振る舞いを期待されるのがわかってきたら、それを特技として生きていこうとしても不思議はない。じゃなきゃエヴァンジェリストとかいうよく分からん職種に就こうとはならんしね。そう言えば、ばびろんまつこも広報として採用されてたんだっけ。
重要なのは、そういう立ち位置を自ら希望して就職しようが何だろうが、それ自体は他人から咎められる謂れはないってこと。いじめられっ子が自らいじめられやすいポジションについてしまうことは責められることではない。
いじめられやすい位置につくいじめられっ子がいようと、チヤホヤされやすいポジションに進んで収まる姫だろうと、周囲は決していじめもチヤホヤもしてはならないってことだよ。
本当に技術が好きならチヤホヤされなくても業務を進めるだろうし、それで終わることでしょ。何が男性恐怖だよ。問題があるのはちょまど氏じゃなくてお前ら自身だよ。
余談にはなるが、鶉まどか氏も北条かや氏も他人との相対的な位置関係でしか自身を捉えられず、「そういう社会をあえて俯瞰してキャラとして売ってます」というポジションでやろうとしたが結局うまく行かなかった。斜に構えた姿勢だけで成功できるほど社会は甘くない。人間性を売り物にするなら最初から芸能界に行って「私を人間扱いしなくていいですよ」と宣言できるだけの胆力が必要なんだろう。
かなり時代錯誤を感じる。ネタであって欲しい。もしかしてITリテラシー低すぎ?というか、好きなソフトウェアは何なんだよ。ノーカンプラ???
高い
"Excel" なら安い。アプリの数百円からデスクトップ版の1.5万程度。ていうか、¥14,526で売ってる。
https://www.amazon.co.jp/dp/B015SMNVAK/
重い
Excelが重いとかどれだけ糞スペ。
よくバグる
それはExcelに限った話ではない。ソフトウェアである以上多少のバグはしゃーない。つかリソースが糞なせいじゃねーの?滅多に落ちないが。
検索性が悪い
ブラウザでOK。
タブ表示が面倒臭い
ショートカットご存知無い?馬鹿?ページスクロールも面倒臭そうだな。見なくていいよ。
バージョン管理システムで管理した場合Diffが見にくい
それはそのバージョン管理システムが糞なんだろ。Diffを見るだけならWinMerge+xdocdiffで普通に見やすいが。馬鹿なの?
嫌ならマクロで一括解除&復元でもしろ。マクロからでも普通に扱えるし、イミフ。罫線も死んじゃうの?
知らんがな。使い方の問題だろ。ExcelじゃなくてWordならいいのか?馬鹿?
お節介な補完がうざい
Excel方眼より良いものがあれば使わないだろ。普及度、使い勝手、トータルでExcel方眼より良いものがあればぜひ教えろ。
むしろ、今の大学でOffice使わないところあるの?マジ?普通の総合大学ならITの授業あるだろ??レポートもOffice使うだろ???
それとも持ってるけど使えない脳足りん系?F欄なのかな。
つか、Excelの話じゃないのか?
けどまあ共有環境で使えないならもう捨てるべきだと思う
お節介ついでにあと幾つか。
1、彼氏の靴の中、細菌が繁殖しまくりだと思うから、次は洗える靴でどうですか。ちなみに革靴だって上手くいけば水で丸洗いできるからね。
2、本来は靴底に穴が開くほど履き潰すのはダメで、穴が開く前にソールやヒールのリペアをすれば長持ちするよ(素材にもよるけど)。あ、でも一足しかない場合、長持ちすればするほど汚れが溜まり不衛生な靴になっていくから、履き潰した方がいいのか。難儀だ・・・・
3、説得方法ですが、「とにかく不衛生だから2、3足履き回してくれ」というのは如何ですか。不衛生なのは問題だ、と。足は人間の体の中で一番不潔らしいよ。足は一日にコップ一杯分もの汗をかく。それを乾燥させずに履き続けた靴はさらに不衛生。白癬菌やカビの温床にもなるので靴を乾燥させる時間を設けるべき、と。買うのは同じ靴2足(3足)でもいい。「物が増えるのはムリ」とか言われませんように。
とはいってもなんだかんだで20代半ばなので、言い寄られたり、告白されたり、付き合ったりっていうのは、
子供の頃の「ごっこ」から含めると何回かあるわけで、恋愛なんかについて話す権利はあると思う。
だから言ってしまうのだけど、恋愛を語る際は、まずあなたにとっての恋愛、というのを定義すべきだ。
それは簡単なものでよくて、例えば『私はいわゆる重い人間なんだけど』や、
『私はセックス=恋愛って価値観なんだけど』または『私は恋愛っていうのは何回も試してみるものだと思う』などなど。
『( )』をつかって説明するのでも良いと思う。(因みに私は重いです)
それはなんでかって言うと、恋愛って言葉は思っている以上に曖昧で、その2文字だけじゃ、どの関係性について語っているのか相手に伝わりにくいからだ。
恋愛ってのは複数の人の合意を得て行うものだから明確ではないか、というのも、わかる。わかるけれども、その合意は複数人の間だけのものだ。
というか、恋愛が全員同じ価値観で行われるなら、想像して見て欲しい。ちょっと大変な世界じゃないですか?
で、なんでわざわざこんな話をしなければならないかというのは、非モテや、出会いない系の人の話になると、
やれ、出会いの場は死ぬほどあるだの、やれ、周りの女を全員性的対象と見ろだの
(まあ、ちょっと悪意のある言い方だと思うが私は両刀なので世の中の人全員をそういう目線で見なきゃいけいないってなるわけで、ちょっとね…)
やれ、どうでもいい女で試せだの。というお節介さんがあらわれるからだ。
しかし、そんなお節介は非モテや出会いない系の参考にならない。
それってあれでしょ。飲み会でちょっと仲良くなったら『友達』みたいなレベルの感覚での『恋愛』の話でしょ?
お前らが『友達』だって思ってる相手の半分はお前のことを『友達』だと思ってないよ。
そして、お前らの『恋愛』を軽くてダサいと思ってる輩はいっぱいいるよ、自覚して!
そもそも、私がこんなことを思ったのは私の『友達』が皆、私のことを『親友』だと思っているということに気が付いたからだ。
正直こわい。というのはちょっと大げさだけども、でも「親友だよな」と確認されたら誰だってヒヤリとする、と思う。
んで、それだったら、恋愛だって同じで無いだろうかと思い、書き出してみたのだが、これが結構な量になった。
例えば、「いつまでも愛してる」と言われたり、1年くらいセクハラまがいのボディタッチをされたり、
此方の負い目にかこつけてデートに誘われたり、アプローチも割と受けていたりするし、
付き合った人には同棲を持ちかけられたりしていたわけで、
つまり、愛されているのだ、私は。
それでも恋愛につながらなかったことが殆どで、それは私が愛を拒んだからである。
向こうが勝手に思っている『親友』はどうにもできないし、どうする必要もないが、
恋愛は恋愛の定義がずれ込んでいる場合、拒むことが出来るのだ。そして私はままな頻度でずれ込むことが多い。
しかし、同じ文化圏にいる人間でも定義はずれ込むのに、インターネットの『非モテじゃない人』は
『非モテ、出会えない系』が自分等と同じ関係性でもって恋愛が出来ると思っている。馬鹿なのだろうか?
勿論その合意を得るために、いろいろちょっかいを出すんだろ、といいたい人もいるのだろう。
しかし、その、いろいろちょっかいを出すという時点で、すでに非モテ的な関係性と離れるという可能性を考えてほしい。
そもそも論で言えば、恋愛なんて聞かれなきゃ語らないのが普通だ。友達を作る秘訣なんてのを語らないのと同じだ。
それは、「結局なんでそうなったか」の統計を出せるほど、量を確保できないし
それで非モテや出会えない系の人はそういう人たちの恋愛をしたい場合があるのだ。
というか殆どそうだと思うのだが…
恋人ができた瞬間もう非モテについて語りたくないと言い出すボケ、
セクハラを推奨する屑のでなくて。
いやしかし、私はボケだが恋愛を語りたいし、恐らく参考になる、という人もいるでしょう。
なので、はい、タイトルどん!『恋愛を定義しろ』というわけです。
つーか、これしないと混乱させるだけだって。混乱させたいの?させたくないでしょ?
混乱すると、つまんねー奴に引っかかっちゃったり、
それがしたいわけでないでしょ?じゃあやめなさい。
端的に言って、思いのほか面白かったです。
監督の過去の作品から憶測して「どうせまた雰囲気だけの恋愛映画だろう」と思い、
あまり乗り気ではなかったのですが、
実際にはそうではなく、非常にエンターテイメント性に富んでいて、
過去作とは段違いの人気があるのも素直にうなずけましたし、見に行って本当に良かったと思います。
その上で、気になったことが主に二つありました。
それは、恋愛作品としての欠点と、恋愛以外のストーリー上の欠点です。
前半のコミカルな入れ替わり劇から、後半のシリアスな展開へといっきに変える重要な部分であるだけに、
こまかいことではありますが、違和感のようなものが最後まで残ってしまいました。
今が何年かというのは、嫌でも目や耳にする機会はたくさんあるはずですし、
もし何月何日という日付が同じで気づきにくかったとしても、曜日がちがうはずです。
テレビで彗星のことを見て、それを思い出せなかったのはすごく不自然に思えます。
ただし、このことについては、設定上の説明はいちおうされていると思われるので、
「入れ替わってるあいだは、まるで夢の中にいるように、意識や記憶があいまいになる。」
というような説明が何度かあったので、
おそらく、日付のちがいに気づけなかったり、彗星や糸守の惨事のことを思い出せないような、
ただし、この入れ替わりの能力自体が、糸守を惨事から救うためにあるとしたら、
記憶があいまいになるように働く力は、その目的に反したものになってしまうので、
その矛盾を解くために、さらなる説明が必要になる気はしますが・・・。
そういえば、入れ替わった瀧が、朝、制服を着て学校に行こうとして
四葉に「なんで制服着てるの?」と言われるシーンがありましたが、
もしかしたらあれが、「曜日がちがっているけど気づけない」ということを
表現したシーンだったのでしょうか。
さじ加減の難しい部分ではあると思います。
そして、恋愛作品として、はっきり欠点と言えるのがこの部分です。
入れ替わる前までの二人は、せいぜい胸を揉んだり、都会の生活を楽しんでいただけで、
入れ替われなくなり、シリアスな展開になったとたん、
「お前が世界のどこにいても、必ず会いに行く!」などと言い出してしまうほど、
たしかに、急にもう会えないと知って、もういちど会いたいという気持ちが盛り上がるのは、
瀧は三葉のことを好きになっていることを先輩から指摘されていますし、
ということは、入れ替われなくなり、会えなくなる前から、
すでに二人は好き合っていたということになるのですが、
そうなった理由もわからないですし、それらしい描写も何もなかったように思います。
自分一人では行き詰ってしまっていた問題を、入れ替わってる間に相手が献身的に解決してくれたなら、
そうやってお互いの心の深いところまで知るうちに、
相手を大切に思う気持ちが芽生え、それが徐々に好きという気持ちに変わっていって、
ラストシーンでようやくそれが最高潮を迎える、というような展開であったならば、
おそらくもっと納得できたでしょうし、感動できたのではないかと思います。
でも実際には、瀧は自分の感情から机を蹴って意地悪な同級生たちを威嚇してみせただけですし、
三葉は、興味本位から先輩との仲を取り持って余計なお節介を焼いただけでした。
これだけではとても、お互いの心の深いところまで踏み込んだことにはならないと思います。
にもかかわらず、ストーリーの中盤ですでに、二人の恋愛テンションはマックスになってしまう。
これでは、観客は置いてけぼりにされた上にどん引きされてもしかたありません。
結局、この問題は、監督自身の恋愛に対する価値観から生まれているのだと思います。
ささいな出来事でも惹かれ合い、出会ってしまえば恋に落ちるのは当然、ということでしょう。
宮水の神様から与えられ、三葉のご先祖様たちから受け継がれた、
「時を超えた入れ替わり」の能力のことなのだと、いちおうは理解できます。
本人たちの意志とは関係なく無理やり結び付けられた二人というのは、
もし、瀧と三葉がその「運命」によって惹かれ合っていただけなのであれば、
糸守の人々を救うことができた時点で、その必要はもう無くなってしまうことになり、
五年後に再会した時に、お互いを「運命の人」とすぐに認識できた理由が説明できなくなってしまいます。
このように、「運命の人」という言葉自体は、この上なくロマンチックな響きのようではありますが、
実は本来のロマンスとは異なるものだというジレンマを併せ持っています。
だからこそ、その「運命」によって惹かれ合った二人が本当の恋に落ちるための理由、
いわば「運命の人のジレンマ」を埋めるためのプロセスが、本来であれば必要なのです。
また、運命の人かどうかはともかく、
誰かを好きになるために、第三者が納得できるような客観的な理由というのは、
じつはほとんど無いのだろうと思いますし、必要も無いでしょう。
たんなる直感や一目惚れといった、本人だけにしかわからない理由であったとしても、
本人さえ納得していれば、何の問題もありません。
そう考えると、瀧と三葉が恋に落ちた理由も、べつに無くても良いのではないか
と、思えてしまうかもしれません。
ですが、ことフィクション作品においては、それではダメなのです。
監督や脚本家という第三者によって、観客という別の第三者が見るためにつくり出された
ですから、その第三者が納得できるだけの理由が、絶対に必要になります。
もし本当にリアルな、つまり理由の無い恋愛を描いた作品にしたいのであれば、
監督や脚本家がつくり出したものでもなく、観客が見るためのものでもない、
実際に恋愛をしている二人のありのままを撮ったドキュメンタリー作品をつくるべきです。
そうではなく、あくまでフィクション作品をつくりたいのであれば、
たとえ恋をしたことが無い人でもそれが「リアル」だと感じられるような「リアリティ」、
わかりやすく言えば、たとえ「ウソ」でも「リアルっぽい」と思わせる説得力であり、
もしそうでなければ、リアルにおいて「理由の無い恋愛」をしたことのある人にしか、
これは恋愛だけでなく、たとえば、殺人や戦争などの表現に置き換えてみると、
たとえどんなにリアルでも、
実際に殺人や戦争を体験した人でなければ、理解も共感もできないような表現を、
フィクション作品に用いることは悪手なのです。
そもそも、今作のようにオカルトやSFなど、リアルではない世界観を扱っている作品で、
それは一つの作品の中で各要素における「リアリティのレベル」が合っていないことになるでしょう。
恋愛体験の異なる人たちのあいだで論争になっているようですが、
そのこと自体がすでに、恋愛をテーマにしたフィクション作品として、
この作品が大きな欠点を有していることの顕れである、と言えると思います。
恋愛作品としての欠点が、監督自身の恋愛観に因るものであるとすると、
今後の作品において何度でも繰り返されることになってしまうのでしょうか。
今回は、監督のその間違った恋愛観を表現するための設定や伏線の副産物として、
エンターテイメント性の高いストーリーがたまたま生まれてしまっただけだとすると、
今作のヒットは、ただのラッキーパンチだったということになってしまうでしょう。
できれば、そうならないことを願いたいと思います。