はてなキーワード: 朦朧とは
薬キメてたとかじゃなかったら素直に病院行こうな
別に大した額じゃないし分割払いもできるから。相談すればさ・・・ってスゲー思う
血まみれの自転車乗りのおっさん。気絶してて意識を取り戻した後も横たわったまましばらく朦朧としてた
→ 救急車呼んだのに血まみれのまま立ち去る
高校生〜大学生くらいのロードバイク乗りの子。段差で盛大に前のめりにコケ、ロードバイク大破して血まみれ
タクシーに乗ろうとしたばあちゃんが、歩道とタクシーとの段差に盛大にすっ転び流血し動かなくなる
→ 頭を打ってたので動かさず声かけだけしたが、自分でムクっと立ち上がり、ふらついてたので支えたら、
・どれだけ手伝っても感謝はされない
私の場合、1日4時間くらいは手伝っている。仕事ももちろんしている。
休日はここぞとばかりに使われる為、朝6時~夜10時くらいまで家事を含むすべてをさせられてさすがにキツい
あくまで頭は妻で手足が夫という考え方に近い。
罵詈雑言を浴びることも多い
・「私が産んだんだから」という印籠を出される
これを言われたら終わり
出産は大変だとは100も承知で感謝もしているし母子ともに無事で良かったとも思う。
やって当たり前、で終わる。
うつ病になるのも良くわかるし実際に保健所に電話して相談しました。
これを書いているのも意識朦朧だが愚痴の一つも言いたくなりました。
お疲れ、自分。
24歳の時の話
初めての会社のパワハラセクハラから脱して転職するため私は方々を駆け回っていた
前日の帰宅が夜中近くなってしまっていた私は、その日起床も電車の乗り換えもギリギリだった。
当然トイレに行く暇もなかった。
そんなことはわかってたはずなのに、家を飛び出た私は眠気で朦朧とする意識をセブンイレブンのLサイズのホットコーヒーで叩き起こすことしか考えられなかった。
会社へは駅からバスで5分もかからないのに、本数が極端に少ないせいで余裕を持って面接に行くには歩くしかない。
私は何も考えずに歩き始めた。その瞬間に微かに感じた尿意を無視しなければあんなことにはならなかったのに。
半分ほど歩いたところで、かなり尿意は強くなっていた。
必死に歩きながら、会社までのルートにコンビニがないか必死にGoogleマップで検索するも、道中唯一のトイレは会社の横の大きなスーパーの中。
履き慣れないパンプスで足の小指は限界だったけど、私はひたすら歩き続けた。
スーパーの看板が見えてきた。あと100メートル。苦しい。50メートル。もうダメだ。入り口はすぐそこ。もう諦めたい。入って即座に天井を見上げトイレの看板を探す。あった、赤と青のあれこそが----
ジョワァ…………
人間は安心すると副交感神経が働き、緊張が緩む。高校の生物の教科書の図面がフラッシュバックした。
ストッキングを伝う生々しい温度を、どうか膝までで止まってくれと祈る以外に、私はどうしたらよかったんだろう。
ヤクルト一本分くらいで済んだのは、私の祈りが届いたからだろうか。
清掃がまともにされてない個室で生暖かいストッキングと下着を脱いで、ビニール袋にぶち込む。ノーパンで面接に挑む覚悟は出来ていた。
貧乏性の母親の影響で私のカバンにはスーパーのビニール袋がいつも小さく折り畳まれて入っていた。
下半身をガサガサのトイレットペーパーで必死に拭き取るけど、安物のそれはカスをポロポロ出すだけでまともに吸水しない。
泣きたくても泣くこともできなかった。
私はあの時、誰よりも無力だった。
仕事帰りに夜食を買いながら、あの時漏らした場所を見つめている。
もう3年も前だろうか。まるで昨日のように鮮明に思い出せるのに。
付き合って1年、同棲して1年目の30歳彼氏のセックスが不思議な気がする。
でも、自分も経験がこの彼と元彼しかいないし、彼氏を友人たちに紹介済みなので友人にセックスの相談はできないからここに書き置く。
お互いごろごろしてたり、寝起きとかに急にぎゅっと抱きしめられる。
スキンシップの多いタイプなので、この時点でじゃれてきてるだけなのか、セックスしたがってるのか判断して反応を変える。
じゃれの場合はそのまま犬のように腹や頭を撫でられる。セックスの場合は髪を嗅ぎながら胸を揉み始める。
で、3分くらい胸を服の上や直接、すっっっっっっっごく優しく触ってくる。
痛く無いだけマシなんだけど、この優しさだと30分続けてくれないと濡れないからどうしようかな…と焦ってるうちにパンツを脱ぎ脱がされお互い下半身以外着衣のまま挿入。
なぜか相手がびしょ濡れなのと、形状がフィットするせいかこちらが濡れ度5%でも挿入に痛みはなくスムーズ。
物足りなさだけが残る。
そして、こちらが動けないようぎゅっと上半身を抑え込んだ密着正常位で突かれる。
その間、首や耳にめっちゃキスしてくれる。そしてまた相手の形状がちょうどいいのか、私も1ストロークでビリビリしびれるくらい気持ちよさを感じる。
10回ほど突かれたのち、少し物足りなさを感じたまま、今度は密着したまま私が足を閉じる。
彼は足ピンしないとイけないから、最終的には必ずこの体位になる。
抉られるようにピストンされて、相当気持ちがいいのだがこれもまた10回も突かれないうちに射精。キスされまくって終了。
「大好きだよ…」と意識が朦朧としながら伝えてくれ、雄うさぎの射精後のように、パタンと倒れて就寝。
ちょっと淡白というか、あの〜もう少し胸を舐めるとか、こちらも乳首舐めやフェラをしたいのですが〜…と申し出ても「入れたくなっちゃう」の一点張りで、乳首舐め手コキをしても3分と経たずに挿入へ…。
休日は割と時間あるし、インドアなカップルなのでスローセックスしたくない?という話をしても「したい…でも入れたい…」ととにかく入れたがってしまう。
最中電気は真っ暗だし、コスプレはリクエストされるからするけど膝丈スカートの制服とかぶかっとしたパーカーとかで、女の体があんまり好きじゃ無いのかな?とか、女性器の形状とか匂いとか嫌なのかな?と思うんだけど、たまに死ぬほどクンニしてくる日もある。
私の見た目や体型が嫌いなのかな?あまり興奮できないのかな?と思うけど、一切そういうわけではなく、正直に言うとセックスのムードじゃない時も寝顔とかスマホいじってる顔見てるだけで実は勃起するくらい顔は好きだとのこと。
そんなに好きなら明るい所で見てくれや…もっと触ったり舐めたりしたくはならないんか…?という不思議な感じ。
全体的に繊細な手つきだし、日頃から優しいしかわいいかわいいと愛を伝えてくれるからおおむね満足なんだけど、なんか、変な感じ。
同棲も長いし、お互い激務だし、休日は休みたいのもあるだろうから(射精後、失神するように眠るのも、男性は疲れるのかなと思うし)、レスじゃ無いだけまし、作業的でも愛を伝えてくれるし文句を言える立場じゃ無いんだけど
たまには獣のような雄度高いセックスをされたい。
ディズニー、何度か行っているけど最近はキチガイの巣窟な気がする。
ここで結婚式あげた子、たまに言動変だなあと思ってたんだけど彼女の家でゴタゴタしている時に少しでも慰めになるならと思って美術館誘ったら
会うなり早々ディズニシーに行きたいとずっと言い続けてまあ入場料払えなくもないし、とも思い予定変更して行ったら美術館向けの服に潮風が吹き込んで、すごい体調悪くなってきていた。
それを伝えると、人が変わったみたいにブチ切れて叱責しまくり、「体調が悪いなら体調悪いって顔に書いておきなさいよ」とか
「昨日仕事で嫌な事があった」(私もあなたよりも下に人がたくさんいて嫌な事もあるけど、休みの日にディズニーで体調悪い人にわがまま言える免罪符になるとお思いか?)とか
「こんな人混みで文句を言うなんて向いてない」(あなたが連れてきたのだが)とか
「高級お散歩なの」(入場料があるだけでどこが高級なのかさっぱりわからん)とか
本当バカ丸出しみたいな発言を連発するくらい豹変して怒り始めてるのを面倒だから横で聞きながら放置しつつ、休むところを探しても人がいっぱいだし、医務室を探そうとしたらブチ切れるし、だんだん意識が朦朧とするくらい気持ち悪くなってるのに、ずっと彼女は自身が思う「ディズニー楽しい生活」が私のせいで出来なくてブチ切れてた。
正直ここまで頭がおかしいのは知りませんでした。
家や職場でゴタゴタするよね。そりゃ。
20年くらい付き合いがあったし、最後に会った時は某社で工業エンジニアとして色々と作ってたはずだけど
以降彼女が何して生きているのかよくしらない。
その時の冷えが原因で次の日から立て続けに持病が悪化して別の症状が出始めて神経がやられ、運動機能に障害が出たり内蔵にいろんなものができたり普通に生活できるようになるまで年単位で時間がかかった。
そんなにディズニーシーが生きている友人を蔑ろにしても良いくらい好きなら、死んで遺骨でずっといればいいんじゃないか。普通の人みたいな顔して生活される方が迷惑だよ。
この事以降、あんな欧州や中東の文化をむりやり切り貼りをしてデザインした建物が乱立して、文化とはおおよそ言えないようなめちゃくちゃな所にあるゴテゴテした遊園地が楽しいとかある程度分別のある年齢の大人が感じるているのは、ちょっとセンスがやばいとしか思えないし、ディズニーはともかくTDR好きな人見るとイカれてるとしか思わなくなった。あそこが夢の国なんて今は大嘘だよ。ただの建築とメンテナンスにお金をかけた大型商業施設って忘れちゃだめだよ。
子連れの親が子供を遊ばせるか、修学旅行の子供が遊ぶか近隣のヤンキーのデートスポット程度の扱いが関の山だよ。
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ディズニーで無理やり謝らせおばさんに泣かされた話を受けて書きました。あそこ赤ちゃん乗せてストローラーで人にぶつかって行く人とかいるから怖いよ。
治安いいと思ってた友人が豹変して人が変わったみたいにわがまま放題になったのも恐怖。
上着は買いたいけど水避けポンチョしか目に入らないし(店とか入らせてくれない)出口のあたりでやっと家族連れがきてるフリース見つけて防寒着あるの知った。服とかないのかと思ってた。
20年も付き合いあると分かったつもりになってたけど人って分からんなって。
坊主憎くて袈裟が憎くなってるのと同じ構図…な気もしたけど、TDRてこういう行動取る人量産してない?
あと同性同士で行きました。すぐ下心とか言う人大丈夫?
本気でこの後1年、色々あって死ぬかと思った。
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追記の追記でもないけれど。anond:20221010222825
事故に巻き込まれて救急車で運ばれた。軽症だったので処置室みたいなところで寝かされていたのだが、同じ部屋にヤクザがいた。なぜヤクザとわかったのかといえば、警察官が怒鳴り声をあげてその処置室に入ってきて、そいつと話している内容を聞いたからである
そんでその警察官が、これまたどっちがヤクザやねんという暴力的な態度なんである。もちろん手を出したような音は聞こえて来なかったが。せっかく警察権力というものがあるのだから、そんな威圧的な言葉を使った怒鳴り声とかに頼らず、粛粛と対応してほしいなあと思った。本物のヤクザの方は意識が少し朦朧としており、フニャフニャ答えているので(話を聞いていると薬物を使用した様子)まるで警察のほうが一般人を恫喝するヤクザだった。
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
[B! 医療] 【調査】女性に“AED” 男性4割「ためらう」 上半身裸に抵抗 専門家「必ずしも…」(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース
よくある質問が見られるので、この機に回答をまとめる。
リモートだと社内チャットで情報連携する運用になってたので、まるまる1月は喋ってない事に気づいた。
ぼっち大好き、室内大好き、外出たくない人間なので特に支障無かった、むしろ有りがたかった。
工数通りに進んでいる限り特に会話もいらん仕事なので、進捗報告だけチャットで。
というか会話の仕方を忘れていた。やべぇ。
別に会話いらないじゃん?この要件だと、って思っていたのも悪かった。
上司とも同僚とも会話なんかしたくねーわ。
客先と会話するのは私の仕事じゃないので、仕事関係は全部チャットで済めばいいのにな。
大手ECサイトの問い合わせもチャット推奨なんだし、もう会話しなくていいじゃん、チャットなら証跡残るし、余分な事は書かないから議事録も簡単だし。
コミケ二日目、早朝の天気は曇り、一番の目当ての竹箒が参加するこの日に一般参加の11時ぐらいの入場の枠という微妙なチケット抽選運に見舞われながらも、意気揚々と東京ビックサイトに向かう。
Twitterや掲示板の情報では既にサクチケだけで長蛇の列との情報あるが、ただの情報戦だろ…と自分に言い聞かせながら自分の枠の集合時間に間に合うように道を急ぐ
入場の列に並び手続きを終えて一時間程度待ちながらぼんやりとスマホでTwitterや掲示板を眺めていると写真や図付きで行列が現在とんでもないことになっていることの証拠をまざまざと見せつけられ
既に買えない可能性が高いことを認めるしかない状況に。この時列は東7・8ホールまで伸びていたとのこと…
入場して竹箒列の最後尾であろう東7・8ホール辺りに向かうが、情報以上に列は伸びており、東7・8ホールから折り返していた。戻っていく列をだどると東4のシャッターの辺りまで最後尾が
これはもう買えないのでは?という考えがよぎる、最後尾の看板をもつコミケスタッフも買えない可能が高いですよーと叫ぶが次々と列に加わる人々を見て自分も身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれの精神で
ええい!と列に加わる。
3分に一度15・6歩程度進む列にこれはもしかしたら意外と早く買えるのは?と楽観的な考えがよぎる、時折列から離れるものを見ながら
映画アメリカンスナイパーで主人公がシールズの激しい訓練から落伍していくものを見ながら耐えているシーンが頭に浮かぶ
この時には雲ははれ炎天下の夏の熱射を浴びながらも列は折り返し地点の東78ホールの午後入場の人達が見えるあたりまでくる
東7・8ホールの入場口から微かに漏れてるエアコンの冷気を持っていた団扇で仰ぎながら身体を癒す。入場口あたりに立っていたコミケスタッフにもう何時間並んでるの?と話しかけられ
一時間半程度と告げると驚かれた。そんなガッツあるならコミケスタッフにならないかと言われるも、はははと笑い流す。
それまで3分に一度は進んでいた列が突然止まりもしかして完売したのでは?と思うがそれを告げるスタッフは何も来ない。
じりじりと浴びる熱射のなか持参した2リットルの飲み物も尽き死を覚悟し始める。列には時おりスタッフが車椅子を運ぶ姿も見かけたので倒れた人もいたのだろう。
前後の人の了承を得て脇にあった自販機に飲み物を買いに行くも既に珈琲以外すべて売り切れ。ここ一番の絶望を味わう…
体感時間で15-20分くらい経ったら列が再び歩み始めたのでまだ在庫がある!まだ在庫がある!と頭の中で叫ぶ。
動悸が激しくなり、太陽の熱射を浴びる身体が明らかな危険信号を告げているが
気力だけで立っている。この頃には列の前後の人達と話すようになり、互に声を掛け合いお互いに気を遣っていた。
東4のシャッター前まで来ていたためふり絞りながらあともう少し!あともう少し!と気力を奮い立たせる。
すると突然列がこれまでにない速度で東4の入り口に吸い込まれていく。なんだなんだと?が浮かぶが列を整理しているスタッフが
竹箒完売です…と告げたのであった…3時間以上並び買えなかった、頭の中でぐるぐると完売の二文字が巡る、
周囲を見渡すと皆、完売!完売!完売!と叫んでいた、自分も思わず完売!と叫ぶ。
今考えるとなんなのか本当に叫んでいたのかもよくわからないが高揚感だけは確かにあった。
列から散っていき朦朧とビックサイト内の自販機に向かいペットボトル2,3本買い一気に飲み干し一息つく
不思議と買えなかったことへの悔しさよりも三時間炎天下の列を耐えきった謎の達成感と地獄のような苦行から解放された思いで胸がいっぱいに。
しかし、その後一時間程度休むも他のサークルを巡る気力体力はすでになく、とぼとぼと増田は東京ビックサイトを後にしたのでした…
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20220602124912
拾ったねこなので誕生日とかもわからないのだけど、ボロボロのこねこを9月に拾った時に多分生後3ヶ月くらいだった。ということで毎年6月をお誕生月にしているのでこないだ22歳になったばかりなのですが、たいそう老いたねことの生活は毎日がおなじことの繰り返しである一方で、こねこにも負けない速さでうつろっていくことを身にしみて感じています。日常と非日常が並立する中で感じたことを文字にしたく思い、ここに駄文を記します。
あいもかわらぬねこ一匹ひと一人の生活ですが、どうもお食事を召し上がる際に飲み込むよりもお口からぽろぽろと落としてしまうことが多くなりました。幸いなことに食欲はもりもりとあるので、そのもどかしさを晴らすような勢いでお皿の中にお顔を突っ込むような食べ方をされるようになりました。お皿をかつかつと鳴らしながら勇壮に召し上がる姿はなかなかに晴れやかなものですが、お食事後はお顔から喉にかけてでろでろになってしまいます。もちろんできるだけお拭きするのですが、ねこも汚れが気になるのかグルーミングしたいけど肩のあたりしか届かず、そこだけが禿げて痛々しくなってしまいました。そこで、良さげなねこ用スタイを見つけたのでお召しいただいています。
https://item.rakuten.co.jp/tissue/10000020/
増田は彼女のくび周りがはげるのがちょっと悲しくてずっと首輪は付けないようにしていたのですが、このスタイはあまり気にならないご様子ですし、こころなしか可愛さも増したようにも感じます。
ところで、増田は最近動画サイトで「猫の惑星」という曲の存在を知り、それ以来お口の周りを拭いたり使用済みのペットシーツを片付けたりといったお世話の際はずっとくちづさんでいたりします。特定の運命の元で生まれた特定の人間にとっての上位種たる猫に奉仕する喜びを歌い上げた名曲だと思うのですが、増田にとっては奉仕というよりもっと自己愛に近いもののように感じます。22年間に渡るねこ一匹ひと一人の生活のなかで増田のねこはもはや増田の自我の一部分が拡張されたものになっていて、お世話と称しているものも単なるセルフケアに過ぎず、他者に対して無償の愛を捧げるような立派なものでは決してない、と思うのです。彼女にしてみれば、勝手に同一視した上で自由であるべき生活の一部を拘束しているわけですから何を言ってるんだということになりますが、それはそれでお互いうまくやってこれたと感じてほしいなどと、増田の膝の上でくつろぐねこの拭ききれなかった汚れがちょっとかぴかぴになってる毛皮をなでながら願っています。
増田にねこのことを書くようになって、このように自分のあやふやな感情を言語化する癖がつきました。正直なところ夜中の3時から2時間ごとに起こされて朦朧としながらお食事の用意をしたり、その中にお薬を間違えないように混ぜ込んだり、お水を替えたりしているときに、粗相されていたものをあやまって踏んでしまったときなど床を叩いて喚き散らしたい気分になってしまい未明にひとり気まずい気分になることもままあります。でも、それは増田が自分のために自己愛でやっていることであるならば、本質的には箪笥の角に小指をぶつけるのと何も変わりませんし、小指をおもいっきりぶつけたら床を叩いて喚き散らすくらい当然です。「犠牲厭わぬ愛の極み」に辿り着けない増田はそのように考えています。
冒頭で述べたように、これまで描いてきたような宇宙船や新幹線の中で安穏と隔離された世界は消えてしまったのかもしれません。残念ながら彼女の体重もだいぶ減ってしまいました。ねこが今まで以上に増田のお腹の上で足を伸ばして寝ようとするのもどこかしら調子が悪いからだとおもいますが、それでも抱いているとそのままぷすーぷすーと鼻息を鳴らしたり、夢を見つつまえ足あと足をぱたぱたさせたりします。そして増田はすっかり起伏があらわになってしまった背中を撫でながら「増田のねこはかわいいよいこ」と魔法の呪文を唱え続ける。そんな感じの代わり映えのない生活は続いています。こちらからは以上です。
私は生理が重い日は痛みと貧血が酷い。生理中朦朧としながら電車をホームで待っている間、生理のことを怨みながらバカなことを夢想する。
「もしこのまま意識を失ってホームに転落したらただの事故と思われるんで体中に“生理中です!”って書いておこうかな。そうしたらニュースになって生理に優しい社会が来るかもしれない(来ません」
「生理って月に1週間ぐらいあるから、ホームに立っている女性5人に人は生理かぁ。10人に1人ぐらいは辛いでしょ?もう生理が嫌になった皆で鞄を線路に投げ捨てませんか?そしたらニュースになって(略」
ただ女に産まれたことから来る怨みや妄想も生理が終わるとスっと消えて日常に戻る。
女性全員が一斉に生理なら暴動が起こってたかもしれないが、5人〜10人中に1人生理中で辛くても社会はどうってことない。
でも辛い間ぐらい愚痴ったっていいでしょ。
夏の選挙で今まで死者が出なかったのは、ただ運が良かっただけだと思う。
空調のない締め切った体育館で、5時間立ちっぱなしで開票作業。
飲み物の持参は許されず、水分補給ができたのは終わってから配られたお茶だけだった。
会場から出るには管理者の許可を取る必要があるので、誰もトイレにも行かない。水分補給もできずに汗をかき続けているからかトイレに行きたくなることはなかった。
最初のほうに初めてのポジションに戸惑いモタついていたら、ほかの人に悪態をつかれる。暑くてイライラしていたのか性格が悪いだけなのかは分からない。無駄話は禁止のはずでは。
真夜中に解散。
風呂に入って全身びちょびちょになった汗を流して、少し眠っていつも通り出勤。
寝不足で朝から頭が痛い。選挙の次の日だから業務量が減るなんてことはない。普通に残業する。
開票中は暑さに耐えきれず離脱したくて、ここで倒れることができれば持ち場を離れられるのに、と何度も思った。
でも、倒れたところで問題にはならずに終わるだろう。
開票作業中の熱中症で誰かが死ねば開票のあり方が変わるんだろうか。
例えば投票をタッチパネルにすれば1票1票手書きの投票用紙を確認して集計する必要なんてないのに。
せめて開票は休憩時間を設けて、水分補給をしながらできるように切にお願いしたい。
夜に投票したい人は期日前を利用してもらうことにして、当日は15時ころに投票所を閉鎖してもいいんじゃないか。そうすれば少なくとも夜中まで開票作業に従事しなくてもよくなる。
完全に続きものなのでこれだけ読んでも
よくわからないと思う
亡き父のことを知ろうとしたらまさかのご存命という事実が判明。
電話口で教師にどういうことが問うも薬の服用で呂律が回らず、仕事だからと電話を切られてしまった。
ただ教師はこの時母に子供から「父親について知っていることを話さなければ死ぬ」と脅されたと連絡しており、風邪から復帰し仕事に出ていた
母が急いで帰宅した、らしい。
というのもこの電話の最中から大量に飲んだ薬と出血の影響で意識が朦朧として、そのまま気絶してしまった。
病院には連れて行かずに、母が何か処置をしていたのをうっすらと覚えている。
いつもなら罵詈雑言が飛んできそうだが、
母は泣きながらただひたすらごめんなさいと謝っていた。
なんだか、自分が少しも予想していないことになってしまったなとうっすらと回復する意識の中
そう思っていた。
回復した後、母はぽつりぽつりと
私の出生について話し出した。
父は存命で既婚者だったこと。母は父と出会い、結婚をするがこの時、すでに父の家庭には子供がいて、腹違いの兄弟がいるらしいこと。
母が既婚者だと気付いたのは、父に任せた婚姻届の提出が実は出されておらず、私の出生届けを提出した際に受理されなかったことから判明したらしい。
父は離婚して母と一緒になると口約束をしたが相手の妻が離婚に応じず話が長引き母の気が
おかしくなったタイミングで縁を切ったらしい。これは私が幼稚園に通っている頃の話らしかった。
なのでこの時期の母を知っている一部の人はこの事情を知っていて、私に可哀想だ可哀想だと言っていた。
今は離婚し父は一人暮らしらしいが相手の妻とその子供は我々親子を憎んでいるらしい。
他人を信用できなくなったこと、嘘に人一倍嫌悪感を覚えたこと、私の顔が父に似ていることから
あの人のようになってはいけないと父は亡くなったと嘘をつき、厳しく育ててきたと言った。
幼少期、イベントに勝手に参加したことに怒ったのは当時、父家族が私を連れ去ろうとしているのではないかと常に不安だったかららしい。
全ての話を聞いてなんというか、なんじゃそりゃ、と思った。
これまで私が原因で怒られて来たと思ってたこと全部、私が原因じゃなかったってこと?
納得できなかった。
これまで私はその自己中さゆえ、何度も何度も母を怒らせてきた。
自己中であるという母の評価は的外れではなく、私自身もそう思っている。
だから、悪いことも当然、私に原因があるものだと思っていた。心当たりがない暴力でさえ。
しかし出生の真実を知り、思いのほか自分が蚊帳の外というか、いや当事者ではあるのだが
これまでの暴力ってもしかして八つ当たりだったんじゃね?とか父と揉めてた時のストレスで余裕がない母が私にキツく接してただけじゃね?とか色々思ってしまうようになった。
曲がりなりにも私にとって母は常に正しい存在で、白黒つけるのが難しいこの世の中でハッキリと物事を分けるその生き方は正しいものだと思っていた。
だから正しい存在からの暴力は教育であり指導で、親から子への愛情なのだと思っていた。
それがこんな背景があると知った今では、
本当に運よく、そしてありがたいことに友に恵まれ、事情を話して居候させてもらっている。
でも、研究する気は起きない。
私という人間は生まれるべきじゃなかったと思う日々が続いている。
でも何故か自殺しようとは思わなくなった。
今の私は猿なんだろうか、それとも人の家庭を壊した子供なんだろうか、
母とはもう何年も話してない。話せない。気持ち悪い存在になってしまったから。
父は知らない。興味がないから。
これから私はどうしたらいいのだろう。
おわり
読んでくれてありがとう
http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1850.html?sp
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覚えてますか?
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⇒ http://yaroneko.blog55.fc2.com/blog-entry-1145.html
が・・・
※宮城
⇒ http://sp.kahoku.co.jp/tohokunews/201511/20151102_13013.html
それも事故で…
亡くなった時は5歳にもなっていない頃。
死ぬには若すぎる!
これから書くことで
もし気分を悪くしたらごめんなさい。
読むんじゃなかった。
だって…
嫌なんだもん、この記事!
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※【動画】海上ガレキ漂流後奇跡生還犬:「飼い主と再会できたバンちゃん」
https://youtu.be/ZZaMbI1WVSY @YouTubeさんから
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※【動画】3週間漂流犬飼い主と再会。 https://youtu.be/YxZQBU_-Mi4 @YouTubeさんから
なのに、そのバンが無残な最期を迎えたというのにまるで他人事のような言い草。
お前のせいでバンは死んだんだよ!
お前が適切な飼い方してないから!!
外で放し飼いしてたんでしょ?
たとえ復興事業の車両が昼夜構わずひっきりなしに通る道沿いにお宅があるとしても
この飼い主には二度と動物は飼ってほしくない(もう次の子飼い始めたようですが)。
せめて今度こそ、行政主導で講習か何か強制的に受けてもらって、適切な飼養方法をしっかり学んでいただいた上で、次の犬を飼っていただきたかったですね。
でなきゃまた同じ間違いを繰り返すだけじゃないですか。
その後たった1年で飼われることになった柴犬だってバンと同じ目に遭わせてしまう危険性大ですよ。
たとえ寂しかろうと(該当記事はすでに消えてたけど、新しい犬を飼った理由は寂しかったから!)
バンをあんなひどい目に遭わせておいてよくもまぁたった1年で別の犬を飼おうと思えるね。
それもその柴犬、ペットショップで買った1歳弱のまだ子犬らしい!
http://www.j-cast.com/2015/11/02249623.html @jcast_newsさんから
やっぱり放し飼い!!
たとえ震災時に奇跡的に助かったのは鎖に繋いでなかったからだとしても、今度は震災前のような穏やかな自然たっぷりの平穏な頃と違って、復興のためお宅の前を大型車両がひっきりなしに通る環境に変化してるんだからさ、ちょっと考えたら以前と同じ飼い方したら、バンにとってどんな危険なことが起きるかわかりそうなもんでしょ?
奇跡的に助かった命なのに
あんなに再会を喜んでたのに
バンの分までしっかり長生きして、ご長寿で、天寿を全うできますようにと祈ります。
検索かけて関連記事を読み漁り、詳細が明らかになるにつれ、この飼い主に益々怒りがこみあげてくる!
全く懲りてないよ、この飼い主!
どうすればこれが美談になるの?
今日は、今日だけは静かに穏やかな心で祈りの気持ちでいたかったのに…
あぁ…気分悪い!
※別の参照記事
【訃報】未曾有の大災害 東日本大震災を生き抜いた『漂流犬・バンちゃん』復興事業関連の車両にはねられ・・・・(涙)【事故】 - 『徒然と』・・・道楽 http://blog.livedoor.jp/dourakukousuke/archives/1094278.html
種は違えどうちにも同じ名前の猫がいるんでね
他人事とは思えなくって。
だからね、あまりに悲しい最期だったから私、バンのためにお話を書きました。
「バンに捧ぐ」
だけど、死ぬ間際、朦朧とした意識の中で必死に神様にお願いをしたの。
「神様、お願いです。このまま死にたくない。もう一度だけ飼い主に会わせてください。」
神様もバンを可哀そうだと思し召し、願いを聞き届けてくれました。
一つ条件付きで。
「バン、お前はすでに死んでおる。だから長くこの地上にはおられぬぞ。
そして、この世を去ったものが再度死ぬのだから、それなりの別れ方をせねばならぬ。
今より辛く苦しい思いをせねばならぬがそれでも良いか?」
そして再び期限付きの命をもらってあのがれきの上に立ち、助けを待ったのです。
だからこそ私たちが首をかしげ、奇跡と呼ぶほど傷一つなく、あんなに元気だったのですよ。
そのあとのことは報道で伝えられた通り。
が、その幸せは長くは続かなかった。
飼い主は無意識のうちにバンを震災前と同じ放し飼いにしました。
「バン、時は満ちた。別れの時だ。」
柵を超え道路に出て、
近づいてくる車の前に身を投げ出しました。
だって願いが叶ってもう一度、愛する飼い主と再会し、共に暮らせたんですもの。
それがどんなに短い間であっても。
再び巡り会って3年も暮せなかったけど。
飼い主とまた再会するまで
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