はてなキーワード: 心肺停止とは
男性は悪くないのに、男だからというただそれだけの理由で不当な目に遭うシーンがいくつかある気がする。前置きとして、私は身体/性自認共に女性である。
男性が全員加害欲求を持っているわけがないのに、夜道を一人で歩いている時に後ろから同じ道をたどって歩いてくる男性がいると怖くなって駆け足になるかコンビニ等に逃げるかしてしまう。女性がそういう動きをすると、男性は「あ、今俺怖がられてるな、何もする気はないのに」と思ってやや傷ついてしまう可能性があるのはわかっているので申し訳ないが、どうしても怖い。過去に一度、人気のない住宅街で「すみません、駅ってどっちですか?」と声をかけられたことがあるんだが、いや普通夜道で女性に道聞くか?スマホで地図調べたりできないんか?と思って怖くなって、無言で駅の方向を指差した後走ってコンビニまで逃げて、その男性が私の自宅を特定しようとしていなさそうなのを確認してから帰った。
道で女児が一人で泣いている時、男性が声をかけて助けようとすると誘拐か?性加害か?と思われて通報されかねないので、男性は声をかけてあげにくい。というか、女児に限らず一般に女性が道で倒れたりとかしていても、男性は助けの手を差し伸べにくい。心肺停止状態っぽい女性を見つけたが、服を脱がせてブラジャーとかまで外してAEDを使うと性加害だと思われそうなので助けてあげられなかったという男性のエピソードを聞いたことがある。
男性が道端でうずくまっていても、ただの酔っぱらいか?そもそも声をかけるとこっちが何かされる可能性があるな?と思って声をかけられない。本当に体調が悪くて倒れてしまったのかもしれないのに。うずくまっているのが女性なら声をかけると思う。男女差別のようで申し訳ない。この理屈で行くと、外で倒れてしまうなどした時に、男性は女性よりも周囲から助けてもらいにくい可能性がある。
男性の方が警察からの職務質問を受けがちな気がする。Twitterのフォロワーがたまに「夜あてもなく公園を散歩してたら職質受けたw」とか言っているのを目にするが、経験上9割男性である。私は深夜にあてもなく外を歩くとか、明らかにふらっふらになって歩くとかした経験はあるが、職務質問を受けたことがない。
これは社会設備の問題だが、男性が一人で乳児を連れている時、おむつ替えをしにくい。女性用トイレには結構な頻度でおむつ替え台が用意されているが男性用トイレにはそれが無いからである。多目的トイレがあれば入れるが、無かったら詰む。亜種として、こういう男性は乳児にミルクをあげる場所すら限定されてしまう。大きなショッピングモールなどには育児ルームみたいな場所があって、そこでゆったり乳児のおむつを替えたりミルクをあげたりできるが、基本的に母親とその子の利用が想定されていて、男性が利用しにくい。しにくいというかできない。入った瞬間性加害として通報案件である。
男性保育士がロリコンだと思われて「うちの子見ないでください」と言われた案件をどこかで目にした。女性保育士が小児性愛者であると糾弾された例は見たことがない。(あるのか?)
男性は加害者(特に性的加害者)である可能性がある人間として見られがちな気がする。実際性犯罪は加害者が男性であることの方が相対的に多いのだが、一般男性にとってはなんとも不遇である。
中国の山に登る(ヒマラヤ山脈の東部、7000メートル級、死の山とも呼ばれる)
遭難。
それでも数日後、何とかキャンプに戻る。
しかしサポートメンバーは、二人が死んだと思い日本へ帰国済み。
中身はインスタント食。
だがお湯は無い。
テントも無し。
相方さん死亡。
17日後。。。。
しかし丁度その日。
皮膚は凍傷で真っ黒。
衣服はズタボロ。
靴は途中で脱げてなし。
しかも肉が腐って腐乱臭。
まさに化け物のような風貌。。。
でもこの農民親子は、そんな遭難者を自分の家に担ぎ込み、必死で手当。
その日のうちに100人以上の救助隊が編成。
翌日、1日がかりで、ふもとも病院まで降ろす(人力)
しかも当日は大雨。
ふもとの病院では20人以上の医療チームを急遽編成して、蘇生手術開始。
一時は心肺停止。
でも運べる車が無い。
翌朝出発し、数百キロのガタガタ道を夜中まで走り続け、成都の大病院に到着。
しかし翌朝、体調急変。
緊急手術により両手の全ての指、両足を失う。
45日間にわたる入院。
総輸血量は体内液量の2倍以上。
以上、実話です。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E7%94%B0%E5%AE%8F%E4%B9%9F
今までコロナウイルスについて考えをまとめるために記す。匿名ダイアリーを用いるのは、所属する組織に何らかの影響を与えることを懸念して(別に過激な思想ではないと思うけれども)。
中堅小児科医。専門医取得済み。いわゆる第一波の時は院内に小児患者はいなかった。東京でも都立総合に3,4人程度、いずれも家庭内の感染だったそうだ。成人の救急の先生が重症患者にECMOを回し忙しそうにしているのを横目に眺め、ガラガラの外来・病棟で暇を持て余していた。全国のPICUのネットワークでも、重症患者はおらず、基礎疾患のある児が関西地方で入院しているのみと聞いた。山梨大学の乳児のCPAの例ではコロナウイルスPCR検査が陽性とのことだったが、続報がなく、個人的には偽陽性であったのではないかと考えている。事前確率が低ければ、検査陽性でも陽性適中率が低くなるからだ。
第二波では、小児の患者も何人か。いずれも症状はほとんどなく、あっても鼻汁程度。成人のCOVIDでは鼻汁やくしゃみは少ないという話ではあったが。家族が陽性→保健所からの要請でPCR検査を行い、二類感染症として入院という流れ。入院中もほとんど診察はせず、full PPEの看護師さんがバイタルをチェックし、両親に様子を伺い、退院していく。医者がやることは電子カルテ上のオーダーくらい。ホテルもすでに準備され、軽症者は順次ホテルに移っていくだろう。
第一波の時は未知のウイルスであり、 影響が測りきれない部分もあった。緊急事態宣言は、小児医療に関わるものとしては、適切なタイミング・適切な程度で出されたのではないかと考えている。
今回、患者数が再び増え、医療と経済とのバランスの中で、どのように今後の方針を決めていくかについて、様々な意見があると感じている。小児科医として、何点か述べたい。
緊急事態宣言後、公園の遊具はロープで縛られ、動物園や水族館、テーマパークなども軒並み休業した。学校も休校となり、大学などは現在でもオンライン授業が続いていると聞く。甲子園も開催されなくなった。スポーツ大会などでは、開催されないことで将来が大きく変化する児童も多くいることだろう。子供の1年、若者の1年の重みは、成人の1年とは異なる。小児がコロナウイルス感染に対して、vulnerableと考えるのであれば、学校の休校やスポーツ大会の休止は子供を守るためにやむを得ないが、重症化のリスクが低いと見積もれるのであれば、果たして必要な措置なのだろうか。重症化リスクが高い層を守るのが目的であれば、外出自粛すべきなのは子供や大学生ではなく、高齢者になるのではないか。そういった意味では、「旅行は良いが、里帰りは控える」といった経済担当相の発言は、色々叩かれているが、一つの真理を含有している気がする。なお、自粛により家庭に閉じ込められた小児に対して、家庭内暴力や望まない妊娠が増えていることは世界的な事実であることを付け加えておく。
・適切な免疫を獲得する機会を奪っていないのか
静岡厚生病院小児科の田中医師がidatenメーリングリストで述べていたことの受け売りではあるが。小児は感染を繰り返しながら、免疫を獲得していく。手足口病や伝染性単核症などは、両親や同世代の間で不顕感染や軽症状を経て、獲得免疫が形成される。vaccine preventableでないこれらの疾患は成人発症の場合、重症化する可能性が高い。「新しい生活様式」を真面目に守れば守るほど、将来プール熱やりんご病で思いも寄らない合併症に苦しむ患者を産む結果につながらないのだろうか。
感染症、特にウイルス感染症は「100%絶対にかからないこと」を目標としてはならない。インフルエンザワクチンの効果についても然り。接種することで、重篤な合併症が防げれば、それは見えづらいが大きな成果である。感染 = 悪というデジタルな二元論ではなく、ウイルスがそこにある状態で、どうやって生活していくのかを考える必要がある。
新型コロナウイルス感染症については、そもそも感染しても、あるいはワクチンができてそれを接種したとしても、終生免疫が獲得されるのかどうか、という問題もあるが。
昨年、RSウイルスが大流行した。小児で心肺停止に至る症例もあった。集約施設では毎日のようにハイフローネーザルカニューレが必要な症例が入院してきたし、気管挿管例も多くいた。
また、インフルエンザによる脳症で、後遺症を残す例も毎年いる。米国では毎年それこそ数万人といった単位でインフルエンザによる死亡が見られる。ウイルス感染症は一定の確率で重篤な後遺症を残しうるし、成人でも命を失う方はたくさんいる。このことは、自分の知りうる限り大きくは報道されていないし、「乳児へのRSウイルス感染を防ぐためにマスクの着用を」「インフルエンザが流行しているから外出を控え自粛をしましょう」という議論にはならなかった。
RSウイルス感染症は、現時点で有効なワクチンは存在せず(パリビズマブはワクチンではなく、適応にはいくつか条件がある)、治療薬も存在しない。乳児では重症化のリスクも高いにも関わらず、成人では重症化しないという点で、放置された訳だ。
「インフルエンザは治療薬もあり、新型コロナウイルスとは違う」という発言も頻繁に目にするが、オセルタミビルですらWHOの必須薬ではない。本邦での使用が大半だと考えられるラニナミビルについては、欧米での治験が中止されるくらい、有効性についてのエビデンスは乏しい。ノイラミニダーゼ阻害薬について、エビデンスがあるのは、一部の薬において、発熱期間を有意に短縮するという点のみだ。
ワクチン接種云々によらず、ウイルス感染症で重症化した患者に対して、できることはとても少ない。抗ウイルス薬を投与した場合でも、重症の肺炎や脳炎、髄膜炎などは、急激に回復が望めるわけではない。それこそ今新型コロナウイルス感染症に対して現在行われているように、ステロイドや免疫グロブリン投与など、感染に対して過剰に活発化した免疫を抑えるよりほかない。
恐怖を煽り、RSウイルスやインフルエンザに対応しろと言っているのではない。新型コロナウイルスはただの風邪とも言わない。新型コロナウイルスについて、「何もわからない」状態から少しずつ情報が集まり、データに基づいた議論が可能になりつつある。軽症や無症状も多く含まれる感染者数を毎日発表しつづけることは、果たして有意義なことなのか、発表が徒に恐怖を煽っているだけではないのか、現時点でも封じ込みを目的としてPCR検査を行い、二類感染症として隔離入院を続けるべきなのか。立ち止まって考える時期ではないか。
子供の権利の話ともつながるが、新型コロナウイルスに関して、「自分が死ぬかもしれない中高齢者」の恐怖が、議論を歪め、RSウイルスやインフルエンザ感染症などその他ウイルス感染症への対応と比べた時、歪な方針となっていないか。
一般臨床医にとって、ウイルス検査とはあくまで実臨床上補助となるものでしかない。発熱、咽頭痛、眼球結膜充血を主訴に来院し、周囲で咽頭結膜熱の流行があり、飲水ができず入院が必要そう。その場合、あくまで診断の裏付けとしてアデノウイルス迅速検査を提出する。出さなくても方針には変わりない。インフルエンザ迅速検査にしろ、迅速が陰性であっても病歴から事前確率が十分に高いと判断できれば、ノイラミニダーゼ阻害薬の使用を考慮する(必ず投与するわけではない)。医者がインフルエンザと診断し、病名をつければ、その患者はインフルエンザなのだ。
PCR検査陽性の場合、ただ一つ正しい言明とは、「咽頭にウイルスが存在する」ことのみだ。インフルエンザ迅速検査陽性で、発熱があっても、咽頭発赤がまったくなく、結果として尿路感染症であった小児などいくらでもいる。主訴がまずあり、病歴・身体所見に矛盾しない。そのうえで検査が陽性である場合、治療が正しいものである可能性が高くなる。
検査結果が出るのに月単位で時間がかかる感染症もある。例えば猫ひっかき病の原因であるBartonella henselaeは国外でしか検査を行えず、結果が帰ってくるまでに患者の症状が消失していることも多い。それでも、臨床的に病名をつけて、治療を行うしかない場面も多々ある。逆に、検査結果がすぐ出て、感染が証明されても、何も行わない場面もある。アデノウイルス感染症もそうだが、対症療法しかない感染症もいくらでもある。症状の強弱はあれど、世の中治せる病気ばかりではない。自然に治っていくものの方が多い。
無症状の接触者に対しても積極的にPCR検査を行い、診断・隔離を行うという政策(これはもはや医療ではなく、「政策」であろう)は、臨床医として、完全に間違っていると考えている。一部の県では軽症者が増えすぎ、ベッド数が逼迫しており、無症状のものには検査を行わないことにしたそうだ。今後、広がっていくことだろう。
・報道のあり方
ティッシュペーパーの買い占め、マスクの転売、赤の他人に自粛を強要する一般市民。これらの事象において、報道の影響は看過できない。不安や恐怖を煽り、一体何がしたいのだろうか。最低だと思っていた機関の、より最低な姿を見せつけられ、もはや残念とすら思えない。
コロナウイルスの完全な消失、あるいは治療薬・ワクチンの完成を望んでいるとしたら、おそらくそれを実現するのには途方も無い時間を要するだろう。経済活動、あるいはこどもの権利(もちろん病気で亡くならない権利も含めて)を守るためには、ウイルス根絶を目指すのではなく、我々自身の考え方を変えるよりほかない。
肺炎をこじらせたが積極的な延命を望まず、大勢の家族親戚に看取られていった老人が居た。
働き盛りで指定難病を患い、懸命に闘病するも職場復帰が敵わないまま亡くなっていった人が居た。
言葉も分からぬ年で遺伝病が判明し、両親と会話することも叶わず息を引き取った赤子が居た。
心を病んで縊頸し心肺停止の状態で搬送され、涙を流す子を残して帰ってこなかった母親が居た。
ふつう、自立した人が経験したことがある死というのはせいぜいが祖父母やペットのそれであって、真に近しい人のものではない。
だからこそ、残された人々にとってそれはどこか隔絶された概念であって、突きつけられて初めて実感として湧いてくるものであるようだった。
人間というのは傲慢な生き物なので、何にでも意義を求めたがる。
自分自身の人生だとか、勉強することだとか、働くこと、結婚すること、子を残すこと、そして死ぬことにも。
だから突然に死を突きつけられた人間はそれに意義を求めてしまうらしい。
タバコを吸ってたからだとか、食生活に気を配ってなかったからだとか、もっとあのときああしてればよかったとか。
あなたは旦那さまの死の可能性を突きつけられて、なにか後悔をしているのではないだろうか。
まるで自分が良くない妻であることを責められなくてはならないと感じているようだ。
結論から言うと、あなたが何をしようと、あなたの旦那さまの寿命は変わらない。
勿論医師は最善を尽くすだろう。
しかし最善を尽くした結果、確実に延命されると証明できるのは詐欺師しか居ない。
医師が行うのは群を対象とした研究から導き出される最適の治療であって、あなたの旦那さまを確実に救うただ一つの方法ではない。
誠に歯痒いことだが、現代の医療はそれを可能とする域まで至っていない。
あなたがいくら自分を罰しようと、いくら過去の行いを悔いようと、これからあなたが旦那さまと過ごす時間は決まっているだろう。
今回の出来事はそれが間近に迫っている可能性を示されただけである。
もちろん治療が奏功し、人並みの寿命を全うできる可能性だってあるだろう。
どの治療が成功するか、或いはどれをやってもうまく行かないのかは、やってみなければ分からない。
私からあなたへ言える確実なことは、旦那さまが今まで過ごしてきた時間は幸せであったであろうということだけだ。
あなたは旦那さまにとって、そして旦那さまもあなたにとって、とても大切な存在であるということは十分に伝わる。
すべての人生に意義などないが、旦那さまはそんなあなたと共に家庭を築き、今まで人生を歩んできたことは事実だ。
バカみたいに波の高い日に波打ち際にいて高波にさらわれた男女を救助するため海に飛び込んで亡くなりました。男女は駆け付けた人たちになんとか引き上げられたけど、一番に飛び込んだおっちゃんは波に呑まれて見えなくなりました。
その日は連休の最終日で、でも数日前から天候が崩れていて船や飛行機も欠航になるほど風が強い日が続いてました。僕の友人も連休に合わせて遊びに来ていたんですが、友人の乗る飛行機も「視界が悪くて着陸できなければ本土へ引き返す」という「条件付き就航」で、なんとか着陸して島へ来られたという感じでした。バーベキューをしたいと友人は言っていたけど、小雨も降ってたし風が強かったので、炭も買って食材も買って準備万端だったけど諦めたというくらい、天気は悪かったんです。
その日、昼間に展望台から海を見たとき、ものすごく波が高いと思いました。僕はこの島へ移住してきて三年経たないくらいなんですが、初めて見る波の高さでした。
僕が事故を知ったのは翌朝でした。朝起きて、ゴロゴロしながらなんとなくスマホを見ていると、島で水難事故があったというニュースが目に入りました。しかも家からほど近い海岸です。昨日なんだか騒がしいと思ったのは事故があったからだったのかと思いました。島は毎年なにかしらの水難事故があるので、また観光客かと思ったんです。
この一文を見たとき心臓がゾワッとしました。ニュース記事には行方不明の島民男性の年齢も書いてあって、その年齢からまさかおっちゃんじゃないだろうなと頭によぎりました。急に不安になり、確認をしたくて島の友人に電話をかけました。
「ネットの記事に〇〇歳の男性って書いてあったけど、まさかあそこのおっちゃんか?」
違うと言って欲しかったんですが、そうでした。そいつはおっちゃんの家のそばに住んでいるので、すぐに情報が回ってきたそうです。
遊びに来ていた友人には知人が海で行方不明という話はしたけど、せっかく遊びに来てくれているので詳しい話はしませんでした。その日に帰る予定だったので空港へ見送りに行ったとき、朝に電話をかけた友人にたまたま会って、また話をしました。
聞いた話によると、30代の男女が岩場に座っているところ高波に呑まれたらしい。ここの海水浴場は岩場だらけで、岩場のプールから外洋に出られるようになっているんだけど、プールから外洋に出るあたりに座っていた。(バカみたいに波の高い日に海のそばにいたというのが僕はまず頭がおかしいとしか思えない。言葉が悪くてごめん。)で、波にさらわれた時に海岸のトイレの掃除に来ていたおばさんがそれを目撃していたらしく、パニックになりながら駐在さんに電話をした。駐在所と居酒屋はほど近く、すぐに連絡が入り、消防団員でもあったおっちゃんは真っ先に駆け付けて、警察や消防などの救助隊が到着するのを待たず、真っ先に海に飛び込んだ……
男女は助けられて、ドクターヘリで本土へ運ばれ、一時心肺停止だったけど息を吹き返したらしい。
おっちゃんは、救助隊がおっちゃんの手を掴んだんだけど、波の力が強すぎて海へ引き戻されてしまった。それを聞いてから涙が止まらなかった。車へ戻ってひとりで泣きました。二十年ぶりくらいにしゃくり上げて泣きました。
おっちゃんが行方不明になっている海を見に行こうと思って、空港から帰る足で海水浴場へ行きました。狭い駐車スペースに車が10台以上停まっていて、警察や消防やおっちゃんの身内がじっと海を見ていました。まだ波が高くてダイバーも潜れなくて、陸からしか探せないんだと言っていました。
実際に波を見て「この波の高さでどうして海に近付こうと思ったんだろう?」としか思えませんでした。それぐらい波が高かったんです。島民だからわかるとかそう言うレベルじゃないです。台風の日の波以上なんです。
結局おっちゃんは丸二日間海の中にいて、三日目の朝、ようやく波が落ち着いた日に見つかりました。救助隊のダイバーが潜ってすぐ、海底に沈んでいるのを見つけたそうです。
この匿名ダイアリーで何が言いたいかって、「波が高い日は海に近付くな」これだけなんです。
波にさらわれた男女が助かったからこんな書き方するけど、バカな観光客のために島のみんなに愛されていたおっちゃんが死ぬだなんて許せないんです。どうしておっちゃんが二日も冷たい海の底にいなくちゃいけなかったんだろうっていう気持ちでいっぱいなんです。
波が高い日は海に入るな、じゃないんです。「海に近付くな」なんです。
どうしてあの人たちはあんな波の高い日に海に行ったんだろう。救助隊や身内の人がおっちゃんを探しているとき、海に入りにきた学生たちがいたらしい。信じられないよね。僕がその場にいたら怒鳴っていたかもしれません。波は人間を避けてくれると思ってんのかな?それとも高波が来てもちょっと強いシャワーを浴びるだけみたいな感覚で、波に呑まれて強引に海に連れて行かれるイメージが希薄なんだろうか?
なんかもう波はヒグマだと思ってほしい。遠くから見てると落ち着いてるみたいに見えるけど、近付いたらいきなり襲ってくるんです。近付いたら最後なんだよ。ゴールデンカムイみんな読んでるでしょ?不死身じゃないとヒグマには勝てないのと同じで普通の人間は波には勝てないんだよ。
波が高い日は海に近付かないで下さい。
あなたが波にさらわれたら、あなたを助けるために誰かが海に入るんです。
その人が生きて帰れるとは限らないんです。
波が高い日は海に近付かないで下さい。お願いします。