2022-06-22

人生がよくわからなくなってしまった話3

anond:20220622160151の続き

長くてスマ

死にたくなるまで(3)

私は猿じゃない人間だと思うようになってから

母と私の関係悪化する一方だった。

大学進学は入試を半ば無理やり行い、合格したため、母の友人たちの説得もあって(国立大学で行って損はないでしょうと話してくれた)なんとか通えることになった。

しかし自宅での母と私の仲は最悪なままで、顔を合わせれば「裏切り者」「恥知らず」と罵られた。

母の罵倒は今に始まった事ではないので、聞き流していたが「人間ではない」と「お前は猿だ」にだけは「違う」と私も声を荒げていった。

次第に母は私を殴らなくなった。

成長し、私の方が力が強いことが互いにわかっていた。

そんなこんなで家にいても空気が悪いだけなので私は大学研究に没頭した。

ゼミに配属される前から気になる研究室をいくつも尋ね、知らなかったことをたくさん知り

それらの活動にのめり込んでいった。

大学へ入ってよかったことの一つに喧嘩揉め事が起こっても、私のことを猿扱いする人がいないこと、暴力を振るう人がいないことを知ったことだった。

基本的には話し合いで解決しようとするし、どうしようもない時は距離を置いていた、どちらが悪いとか悪い場合謝罪をするべきだとか言う人は

ほとんどいなかった。

ゼミに配属されてからはより一層研究にのめり込み、学会参加や論文執筆なども意欲的に行なっていった。

研究活動環境に恵まれたおかげで学会で賞をいただけたり、ある学年では学費免除対象になったりして、本当に楽しい学生生活を送れた。

だが、研究にのめり込むあまり体調を崩し長引く風邪をひいてしまい、1ヶ月ほど寝込んだ。

そして運悪く風邪は母にもうつってしまった。

死にたくなったとき

この風邪コロナ前の話)は本当に厄介で

とにかく長引いた。

予定していた学会への参加も投稿予定だった論文も全て再調整になってしまい、これまでの成果が無駄になったと酷く落ち込んでしまった。

そこに母との喧嘩毎日起こった。

「やはりお前はダメ人間、猿だから計画性がない。私にも風邪うつして迷惑をかけた。最悪だ。」など毎日言われ続けた。

大学に入って以降、私は人間!猿じゃないマインドで今までにないポジティブさで活動してきた私だったが病気もあって精神的に弱ってしまい、母の暴言に耐えきれず自殺を考えるようになっていた。

だが病気さえ治ればまた研究室に通えばいい、元通りになると思い直し、でもなかなか治らない辛い症状にどんどん心が荒んでいった。

少し症状が軽くなった日、寝込んでから触ってなかったパソコンで少し作業をしようと思ったらパソコンが明らかに破壊され使い物ならない状態になっていた。

明らかに母の犯行だった。

そのパソコンお金がなく購入できなかった私に教授研究室の備品を貸し出してくれていたもので母もそのことを知っていたし、

まさかから借りているものに手を出すとは

思っても見なかった。

この件で母に激昂してから死ぬ準備を始めるようになり睡眠食事もろくに取れなくなっていった。

いざ死にましょう!のとき

パソコン破壊されてから教授への申し訳なさと研究データが消えたことで大学へはもう戻れないと思い込んでいた。

(その後実際に教授謝罪した時は、

適切な処理をしてくださり退学することはなかったし研究データクラウド上にあるため消えていなかった。)

大学に行けないなら、もう生きていてもしょうがないなと本気で考えていた。

そうしたらじゃあもう死にますか!と

気持ちを切り替え自殺に向け色々と準備を進めていた。

自殺決行の日に、数少ない友人たちにお礼のメールを送り、教授にはパソコン破壊したため大学へは通えないことを連絡した。

この辺は記憶曖昧なので見返したら、”もう人生終わりにします!!ありがとうございました”とメッセージを送っていた。テンションが高い。

この時ふと、そういえば私の父親ってどうやって死んだんだっけと気になった。

これまで父の話はほとんどと言っていいほど触れられることはなく、いないものとして扱ってきた。

ただ死ぬ前に父がどんな人だったのか、どうして亡くなってしまったのかが、それまで気にならなかったのにどうしても気になってしまった。

母は親族との交流を絶っていたので、

父のことを知る人はほとんどいなかった。

ただ1人幼少期電話で話したあの教師を除いて。

私は漠然とした記憶を頼りに我が家電話帳に

登録してあったその教師にいきなり電話をかけた。

教師困惑し、いきなりなんだとか母はどうしたとか言っていたが、

そんなことはどうでもいい私の父について知ってることを全部話せと言った。

教師

「〇〇さんにお会いになったんですか?」

と言った。

父は生きていた。

次でラストです。

記事への反応 -
  • 色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため 出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語ら...

    • anond:20220622143012の続き 前置きがだいぶ長くなってしまったが、幼少期の出来事が一番印象深いのでそこは勘弁してほしい。 死にたくなるまで(2) 電話での一件で、私は自己中で母に苦労...

      • anond:20220622160151の続き 長くてスマソ 死にたくなるまで(3) 私は猿じゃない人間だと思うようになってから母と私の関係は悪化する一方だった。 大学進学は入試を半ば無理やり行い、合格...

      • ここまで読んだけど辛すぎる。 当たり前だがあなたは猿じゃないし、事情があるかもしれないが母親が相当ひどい・・・

    • いりません

    • 私は読みたいな、気になるよ。書いてほしい。

    • 2 までは読んだが、当時に母や代わりの保護者から見放されるのは、生命に関わる危機だった。 今はそうじゃない。 自分の力で出会った人を信じて生きていこう。 書くことで整理できる...

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