はてなキーワード: 大吉とは
大吉だったんだけどどうしよう
「おみくじ」っていうのは、その人間の運勢を示すテスターみたいなものじゃないの?
科学実験で、実験器具に対して「良い結果が出ますように」とは願わないわけで、
それと同じ意味で、おみくじを引く前の「大吉」を求める祈りに意味不明さを感じる。
その祈りが通じて、実際には「大凶」な一年が始まるのに、おみくじで「大吉」が出てしまった、
みたいなシチュエーションを考えてみれば、その「大吉」を求める祈りには、何の意味もないことがわかるだろう。
だから、幸運を願う祈りはおみくじの前に済ませておき、おみくじを引く際は、「大吉」を願うのではなく、
テスターとしての精度が高いこと(今年一年の運勢を適切に示し、そのアドバイスが今年の運命を切り開いていくものとなること)を願ったほうがよいと思う。
そして、そのおみくじを本当に信じているのであれば、枯れ木に結んで、その記載内容を気分よく忘れてしまうのではなく、
持ち帰って机の前にでも貼っておき、そのアドバイスを毎日気にしながら生きていくべきだろう。
それぐらい活用すれば、おみくじの100円は十分元が取れると思う。
元旦だけ神に願えば、一年ずっと守ってくれるってほど、神も寛容ではないだろうから、毎日、そのおみくじを前に神の加護を願ったら良いのではないのだろうか。
⛩🚶🚶♂️🚶♀️🚶🚶♂️🚶♀️)))
どんな願いも叶うらしいよ!
お気軽にどうぞ
【由来】
2006年に、ある増田が資産運用でFIREに成功し、増田の地に創建
【ご祭神】
増田大明神。通称「増神さま(ますがみさま)」として慕われています
【ご利益】
縁結び・転職成功・ブクマ増加・色星獲得・下痢防止・その他なんでも
【お守り】
カラースターがお守りです。ここで買ってください https://www.hatena.ne.jp/shop/star
【参拝の方法】
ブコメかトラバでお願いごとを伝えましょう。ブクマだけでもご利益があります
【ご食事のご案内】
【アクセス・参拝料】
スマホ・PC等で徒歩0分、入場無料(通信量はご負担ください)
【よくある質問】
・参拝時の服装は?→ユニクロやGU、ワークマンがおすすめです
・会社に神棚を建てたい→増田信仰は匿名が基本。自宅に飾りましょう
ブクマやコメントくださった皆さんありがとう。ひとつひとつ大切に読ませてもらっています。
この日記は、コロナ前の2018-2019年。妊娠&出産したとき書き殴っていたメモがスマホから発掘されまして、削除するのも勿体なかったためここに放流させてもらいました。
あれから我が子はもう3歳になっており、毎日元気にすごしています。(「うちの子と同じくらい!」とコメントくださった方ごめんな...)
・妊娠しているのが判明したとき母親になる実感とか覚悟とか全然なかった。子供は嫌いじゃないけど自分が育てるとなると。。不安と恐怖ばかり。
・仕事や趣味もいっぱいやり残した事あったし、まだもう少し夫と恋人同士でいたかった。でもまあ…40前にもなって結局大成もせず何者にもなれない人生だったが、どうやら母親にはなれそう。か。
・妊娠8wかな。心音確認後、母子手帳交付へ。保健センターは大勢の妊婦さんでいっぱい。つわりが始まりかけていたので、しんどかった。
・エコー写真は相変わらず宇宙人みたいなウネウネ。その得体の知れない存在が怖かった。母としての実感なし。
・空腹が気持ち悪い...かといって何か食べても気持ち悪くて吐いてしまう。。
・つわりの酷かった時期の全てがトラウマに。当時よく食べてた物、よく行ってたスーパー、トイレの芳香剤の香り、よく聴いてた音楽までも…思い浮かべるだけで気持ち悪いよだれが口いっぱいに湧いてきて軽くえづく。
・食材のにおいや鍋の熱気などが気持ち悪くて台所に立てなくなり、以来ずうっと現在に至るまで夫が料理を作ってくれている。。夫は元々料理が趣味だからと快く引き受けてくれている。掃除洗濯皿洗いが私、買い出しと料理が夫。役割分担をしてちゃんとやってるのに、料理をしないことに罪悪感がある。
・15w頃。高齢出産のため出生前検査を受ける。何かしら障害があるのなら生まない選択をするつもりだった...が、容易いことではない。だって、あんな元気な心音を聞かされて、くるくるよく動き回る胎児の姿を見たら。
・18w 結果がわかる。異常なし。いくで!ようやく決心がついた。このあたりから母性と覚悟が座ってきた。
・22w頃。エコーでの最終検査もまったく異常なし。元気な男の子と判明。
・妊娠糖尿病に引っかかる。。1日5回の血糖値測定、毎食の記録、週1糖尿病内科への通院を義務付けられる。
・お腹が大きくなってきた頃、夫以外の男性に生理的嫌悪。道の向かいから男性が歩いてきたら回り道をする、レジ係の男性、会社の同僚と目が合うのも嫌。体の表面が警戒心という電気でビリビリ覆われている感じ。
・妊娠中期〜(産後半年まで続いた)はホルモンバランスのせいか感情過多&涙もろくなる。
・母親学級にて、先生が朗読したポエム「わたしがあなたを選びました」で、おんおん号泣。
・TV番組「ワイルドライフ 野生動物のリアル」産卵終えたばかりで弱っている母ウミガメをバリバリ食うヒョウ。むご過ぎて号泣。
・エコー越しの赤ちゃんが、ただ、ただ、可愛くて愛おしすぎて号泣「可愛い」って感情だけでここまで泣けるものなんだな。
・出産予定日に検診。胎動カウントを聞かれ「そういえば昨晩からあまり動いてないんですよね」と伝えたら即日入院になった。臨月は胎動が落ち着いてくるとか聞いてたから特に気にしてなかったがあかんかったのか。。内診エコーNSTの結果、いまのとこ緊急性はないけど予定日だし促進剤いれてもう産んじゃいましょうって。
・翌朝破水、陣痛はじまる。なんかおかしい...なんか異変を感じるんです看護師さん...→ヘイヘイ赤ちゃん心拍弱ってる〜→緊急帝王切開の流れ。
・硬膜外麻酔で大暴れしてごめんなさい。。陣痛よりも背中に刺す麻酔が1番痛い&恐怖だった…
・感覚のない下半身は、長時間雪遊びしたあとのジーンと痺れる感じに似てた。
・ずっとお腹の辺りでカチャカチャすること約30分後、赤ちゃんの鳴き声。生まれましたよ!と同時、胸元にドサッと生暖かい肉塊を置かれたのを感じた。カンガルーケアってやつ?シートで阻まれ姿がよくみえないうちに連れ去られたw
・術後、朦朧として「お腹の上に乗せてる重り?文鎮ですか?をどかして下さい」と言った。重いと感じていたものは文鎮ではなく、どうやら傷の痛みだったらしい。
・術後の姿を見て「難産だったね…」と義母に同情されたが、赤ちゃんが無事健康に産まれてきたのなら安産だと思う(思ってた。。)のでそう答えた。
・腹の傷の痛みがとにかくつら過ぎた。腹筋どこいった?て感じで腹に力が入らない。あと、傷口にブッ刺さった2本のチューブから出血を溜める小さなボトルがぶら下がってる。トマトジュースのように濁った体液が常にタポタポしてて気持ち悪かった…
・縦に走った傷跡にはホチキスの芯がびっしりと。抜糸はそれを一本一本抜いてく。「陰毛を抜く程度の痛み」とネットで事前に知れたので、恐怖はそれほどでも。
・術後のガスがなかなか出てくれなかったので、入院食はずっと五分粥。お祝い膳をすごく楽しみにしてたが結局出てこなかった…ものすごく豪華で美味しいと評判の産院だったので残念。。
・術後のガス出ない。。お腹はガスでパンパン膨れ、とても産後に見えない大きさw傷口が開きそうで怖くなる。歩くのも苦痛。ガス出すために下剤飲まされたり浣腸されたが無駄だった…肛門ボロボロいぼ痔悪化…。ネットで調べたオナラ体操が一番効いたかな。体をひねってなんとか出した。
・「赤ちゃんと一緒にがんばりましょう♪」という通常分娩を前提としたイメージトレーニングを受け続けてきたせいだろう。緊急帝王切開となり「ちゃんと産めなかった」みたいな負い目がずっとある。泣きたくなる。「出産頑張ったね、大変だったね」の声に紛れて、実母が「この子はラクして産んだから〜」と親戚に話してるのが聞こえて悲しかった。
・産後翌日。保育器に入り色んな管に繋がれた我が子と対面。こんなに可愛い子が胎便漏らすほどお腹の中で苦しんでたなんて...可愛さといたましさに保育器の前で体をくの字に曲げおんおん号泣。異様な姿だったと思う。
・産後すぐ姉や友人たちに送ったメールを読み返すと、出産時の様子を生々しく熱っぽく報告してあって、テンションが二郎レポのそれだった。以上、レポっす!!ってやつ。
・産後すぐ、実母がすごく嫌だった。帝王切開はラクなお産発言とか母乳足りてないんじゃないのとしつこかった。マルチ商品みたいな怪しいドリンク持ってくるし。
・実父が「自分に似てる」と言うのが心底嫌だった。授乳する時思い出しては最悪。。
・ 実家は狭いうえ底冷えがひどく、両親が高齢なのもあり頼れないなと思ってたから里には帰らなかった。かといって、赤ちゃんとの暮らしなんて想像もつかないし実際体験してみないとわからない事だらけだ。退院後すぐ自宅育児が出来る自信がなかったので、産後ケア施設に2週間入所することにした。
・24時間助産師さんのもと赤ちゃんと2人の生活を監修して貰えるのはありがたいと思う。自宅育児が始まる前に、赤ちゃんと実生活しながら育児に必要な細々としたものを揃えていき(夜な夜なAmazonポチポチ)、日々のお世話の仕方をしっかり身につけられてあんしんできた。母乳の状態もみてもらえるし、疲れたら助産師さんに子を預けて休息をとれるし、栄養ボリュームたっぷりな1日3回の食事、おやつ、マッサージと至れり尽くせり。お金があれば、ずうっと入所してたいくらいだった。。。
・2週間、夫は毎日来てくれた。夕食の18時から2時間ほど親子3人で過ごした。たまに夕食を持ち込んで一緒に食べたり。面会終了時間までベッドで横になり、初めて3人一緒に眠ったり。嬉しくて幸せで貴重な時間だった。赤ちゃんの名前はこの時に2人で決めた。
・施設を退所して自宅育児開始。産後0ヶ月は壮絶だった。。赤ちゃんは1日のほとんど寝るか泣くかの繰り返し。愛おしい我が子なのに理由のわからないギャン泣きは異生物感凄くて、正直ギブつって放って逃げ出したかった。独身時代の自由気ままな暮らしに戻りたくてたまらなかった。産後はもっとこう、母性が芽生えて無限の愛に溢れたキラキラママへ自動的になれるものだと思ってたのに。なれない自分に自己嫌悪したり。
・止まないギャン泣き。途方にくれる。リビングが精神と時の部屋化する。
・おっぱい咥えてる間は泣かない、咥えたいだけそうさせればギャン泣きしない。解決!
・産後1〜2ヶ月頃。夢を見るが不思議と我が子は出てこない。一度だけ、仕事もバリバリやってスタイリッシュなオフィス、魅力的な同僚に甘酸っぱい恋、うんとオシャレして素敵なレストランでワインを飲んで…というコテコテの月9かよみたいな世界観の夢みて、まじでどんな悪夢よりもきついものがあった。だって自分には決してもう有り得ないんだもの。
・我が子はものすごく可愛いし毎日幸せでたまらん…のに、退屈で死にそうになる事がある。
・開き直るようになった。これまでは、電話が取れなかったりメールの返事が遅れる自分をだめなやつだと責めてたけど、今では「だって育児してるんだもーんしょうがないでしょ」と。
・お洒落しなくなった。白髪増えていくのにそのまま、化粧も適当、服買わない、身なりに興味なし。
・人とうまく喋れない。言葉がでてこない。話し相手は夫だけ。それも生活上必要最低限の会話だけ。
・自宅育児初日のこと。「沐浴はどうしようか...」となり、とりあえず沐浴マットを敷いたシンクに横たわらせシャワーをジャーっと…したっけ大号泣よ。洗剤スポンジ置く鉄網?を、ちっちゃな手で力一杯握りしめながら怯え泣いている姿を見てハッと我に返った。赤ちゃんをお皿や食材みたいに洗っちゃいかん、これはいかん、わしら何てことをしてしまったんや(寒かっただろうしね…)それ以降は湯舟に一緒に浸かるスタイルで安定。
・母親学級で習った「怒責感(どせきかん)」という言葉が流行る。うんこしたい時の合言葉になった。
(使用例:「怒責感が…」と言ってそそくさとトイレへ立つ。怒責(どせき)ってきた。など)
・オムツ替えは、うんちの回数が多くまぁ進んでやりたいような楽しい作業ではないのもあり、そこでちょっとワクワク感を加えようという思いもあって、うんち量が多いほど小吉〜中吉、うんちがオムツからはみ出したら大吉といううんち占いを
・自宅にて家族3人ようやく念願の川の字になるが、我が子ピンポイントで夫の股間を蹴るため、PK時のサッカー選手みたいなポーズで就寝する夫。
・イベント化する選挙。夫婦2人だった頃の生活上には「投票に行く」なんて一度もなかったが、いまでは選挙があるたび散歩がてら家族揃って投票所へ足を運ぶようになった。
・産後1ヶ月あたりからずーーーっと手首痛い。抱っこが苦痛。おむつ替えのとき、赤ちゃんの蹴りが手首にちょっと当たっただけで痛みにうずくまって泣いた。
・整形外科通院。手首の腱鞘炎に注射。むちゃくちゃ恐怖だったが、硬膜外麻酔よりマシ...!と脳内で繰り返し唱えて耐えた。手首への注射はすんごく不思議ななんともいえん新感覚な感触。。ポクン!て鳴った。
・痛みが緩和されるのはほんの数日。根治治療にはならないのと、あと注射の効きにムラがある。。注射後かえって痛くなる日もあった。
・やたらとオナラがでるんだが。。。
・首、肩、手首、乳首がボロボロ。。首という首がやられる。(足首だけが無事)
・妊娠中20kg近く太り、産後1ヶ月で10kg痩せたが残り10kgェ…
・産後すぐの授乳指導で、助産師さんがおっぱいのあげ方を「手に乗せたハンバーグを差し出すように」と表現したのだが、いまだにイメージがわかない。もしかして単に聞き間違いだったのかな。。
・母乳が壊れた蛇口のようにビャービャー出る。我が子の顔や頭にまき散らして笑ってしまった。
・紐の扱いが天才的にうまいw いつのまにかヒュヒュッと絡め取ってる(見ないで取ることも)胎内で臍の緒で遊んでた名残とも言うがはてさて...。
・新生児期、ミルクあげると両手を胸元でキュッと寄せるぶりっ子ポーズをしたり、ゲップ出しで背中とんとんする際、酔っ払いみたくクッタリする姿がほんと可愛くて。
・いつ見てもホコリや垢を握りしめている。
・布類を顔にかぶせたがる。洗濯物に埋もれていることが多々ある。
・「THIS IS IT」のポーズで大喜びしてくれる。
・たっちができる頃には組み手、歩けるようになったらぶつかり稽古の相手をしている。
・突進してきては抱きついて私の着ている服で口や手を拭ってゆく。
・夜中寝ているとき、ちゃんと生きているのか不安になって呼吸や鼓動を確認する。
実母との関係を心配されているようでしたが関係は至って良好です。母は人から褒められたり持ち上げられると、つい自分sage身内sageをしてしまう性格に加え、母自身もあの頃は孫ハイになっていて深く考えず発言していたんだと思います。実父に対してはほんと理不尽だったなと反省...。
超個人差があると思いますが、ガルガル期、いま振り返ると自分でも異常なほど攻撃的でした。人が変わったように感じることがあるでしょうが一時的なものですので安心してくださいね。
本文中あまり登場しないですが、とても家事や育児に積極的で頑張ってくれてます。
優しくユーモアがあり私にはもったいない。「THIS IS US」って海外ドラマわかる人いますか?ケイトの旦那トビーに似てる。
https://anond.hatelabo.jp/20200725021108
1年間の育休が明け、いざ職場復帰!...のはずが時はコロナ禍まっただなか。いや〜乱世乱世!
https://anond.hatelabo.jp/20220618055150
私たちだけじゃない、大変な世の中ですよね。それでも負けへんで!!(OVER THE SUNリスナー)
こんなグダグダな長駄文......最後まで読んでくれて本当にありがとう。お疲れ様でした。
育児をしていて確信したことがあります。私も、あなたも、多くはないが決して少なくもない人たちに慈しまれ愛されて育ってきたことを。
全ての人に幸多くありますように!
と、今年の正月、2人で行った初詣の帰り道に小5の甥っ子が言った。
甥の言う「良い事」とは、初詣中に車椅子の手助けをしたことだ。
親娘のように見える80代くらいの車椅子に座ったおばあさんと、60台くらいのおばさんが自分達の前にいた。
神社の敷地に入る所に段差があり、中々上がらないようで、「良かったら押しましょうか?」と声をかけ、
手伝って押し上げた事。もう一度、今度は拝殿前にある階段、あがるのは娘さんに支えられ自分の足で上がりはったが、
車椅子は階段の下のままだったので、今度も声をかけてから車椅子を上に運んだ。
甥の言葉は公正世界仮説とか、因果応報とかそういうものの表れなんだろう。
俺は因果応報も公正世界仮説も信じないし、おみくじも信じない。
だから、大吉引こうが大凶引こうがふーんて感じだし、一人ならおみくじ引かない。
俺は甥に嘘付いた酷い人間なのかな?と逆にそんな事を考えてしまう。
そもそも、今のご時世だから、参拝も1組ずつってことで、神社の入り口の外までずらーっと並んでた。
車道の邪魔にならない様に道なりに折れて並んでたのに、車椅子の親娘は俺と甥が目に入らなかったのか、
俺達の前に並びやがったんだよね。「ワレなに横入りさらしてくれとんねん、どこに目ェつけとんのや!」って
心の中で一瞬沸騰したけど、直ぐに「まぁ急いでないし別にええか」となって上記のお手伝いしたんだけど。
まぁ普通それくらいはするよね。
心の中で悪態付いた因果はどういう応報として帰ってきたのだろうか……まぁ応報なんて無いんだけどね。
甥っ子はいつどうやって因果応報的な考えを身に着けたのかなぁ?と正月から暫く考えてたんだけど、
基本そういうお話おおいし、子どもが触れるコンテンツは特にそうだから、そう考えるのは自然なのかなぁという結論に至った。
甥っ子は喋り始めるのが結構遅くて、ちょっと鈍くさい所も多いのだが、親の教育がいいのか心根はまっすぐでいい子に育ってると思う。
この増田書いたんだけど。
「僕の感覚で0~10の尺度を作りました、この尺度によれば軽いということが分かります」という言説の危なっかしさが分からないもんかな?/転校を量刑10に設定する権利は誰にあるの?
軽いから悪いとか軽くないからいいとかそういうのをやめて、軽かろうが軽くなかろうが漫画に描くのは自由って主張をしたほうがいい。
という話を俺は書いたけど、それはそれとして「いやこれは軽くないんだ」という主張をしたい人もいるんだろうし。
たとえ話で書いただけではあるけど確かに俺は軽いと思うから、俺の書いた主題とはあまり関係ないことではあるけど、そうとは思わない人は反論したいだろうからまあまだ分かる。
だけどさ。
「現実より重い刑の描写を強要する事で、性的な要素を楽しみたがるキモい男どもに性欲の抑止を教育・洗脳したい」という毒親みたいな支配欲が見え見えなんですよね、この「扱いが軽い」論のカルト宗教って
仮にスカートめくり以外のいたずらだとしても本気で叱るシーンなんて不要だよなあ。ただやんちゃな子供の表現であって、主題ではないし。
漫画を描く上で本筋と関わらない部分にリソースは割けないし、この漫画を読む層はいけない行為だとわかっていて当たり前の年齢。
これとかそのとおりのこと書いてるだろ!!??? 強要なんて書いてもないしようとも思わないんだけど!!!!??????? 読めよ!!!
俺は
「軽いけどそういう漫画もあっていいし、軽いけどそれは悪い漫画というわけじゃない」
「真面目に扱うのが適当なのかもしれないけど、そうするとテンポが悪くなるし漫画の雰囲気にも合わないからそうはしないってはっきり言えばいい」
「軽いから悪いとは思わないし、それ以外の要素との全体のバランスもあるからそうすべきとは言わない」
ってはっきり「全体のバランスもあるからそうすべきとは言わない」とまで書いてんだろ!!!???
なんで俺が反省するシーンが必要って言ってるように読み取ってんの????? 俺はこれでいいって言ってるんだけど!!???
批判されるのは仕方ないっていうのをそのシーンが必要って読み替えるのやめろよ。
更にこれとかさ。
作中での扱いが「良い悪い」ならまだ分かるけど、「軽い重い」とか言い出したらそれこそコナンの殺人とかめっちゃ軽いからそれも駄目になるよね?
駄目だとかいう話はしてねえ~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!!!!!!!!!
誰が駄目だって書いてんだよ!!!???? 俺の書いた文章の何を読んだらこれが出力されんの????? 母語が日本語じゃないとかそういうこと????????
「軽いけどそういう漫画もあっていいし、軽いけどそれは悪い漫画というわけじゃない」
「軽く扱っていると言われても不快に思われても当然だけど、それはそれとしてこういう漫画があってもいいし、それを楽しむことは何も問題はない、規制しろと言われても応じる必要はない」
「繰り返すけど軽いから悪いとは思わないし、それ以外の要素との全体のバランスもあるからそうすべきとは言わない」
「作品の流れやバランス、作者の意向等々の理由で軽く扱うことは全然問題ない」
「俺はそもそもそういう尺度で測った結果がなんであろうが漫画として描くのは自由だって立場」
これだけ繰り返し繰り返し軽くても悪くないって話してるんだけど!!?????? どんだけ都合よく読み取ったら俺が「軽いのは駄目」って話してるって読み取れんの!?
どこにも書いてないこと勝手に読み取るのマジでやめろよ。「サイゼリヤで喜ぶ彼女」の絵見て都合のいい女だとか騒ぐ層と同レベルだからなお前ら。マジで自覚しろよ。
それと一応念の為なのですが、「軽いと言われるのは仕方ない」を駄目だという意味だと読み取っているのでしょうか?
当たり前のことなのですが、ある立場の人間から非難されるということはすなわち駄目な描写であるということを意味しません。
例えばうさぎドロップで大吉とりんが結婚したことに少なからず批判の声がありましたがそれは駄目な描写だからというわけではないでしょう? 単に批判した人には受け入れられなかったというだけです。
一方で父親代わりであった大吉が娘のように育てていたりんと結婚するということが受け付けないという人が悪いわけでもありません。気持ち悪いと思うのもまた当然の感情でしょう。
大吉とりんが結婚することがたとえ批判があったとしても駄目ではないのと同様に、スカートめくりを軽く扱っているのもたとえ批判されたとしても駄目ではありません。
そして駄目ではないからといって批判されないというわけでもありません。批判されることと駄目というのはイコールではないのです。
皆々が我に詣でた後、おみくじを引く光景を見ていつも不思議に思うんだが、
箱をジャラジャラ振ってリズムを取りつつ、我に向かって必死に「♪大吉がっ♪出ますっ♪ようにっ」と願う奴が居る。
あれは、全くもって何の意味があるのかのぅ。
もちろん、我に「一年の幸せ」や「無病息災」を願うのはよくわかる。
しかし、「大吉」を願うなんてどうかしとるぞ。「大吉」かどうかは、そなたの性根を見て我が判断することじゃ。
例えば、占い師に「良い運勢出してくださいよ」と言って得られた結果に、そなたは信頼を置けるのかのう。
いや仮に、その場のちょっとの願いで運勢が変わり、思い通りの「大吉」を得られたとしてどうなるんじゃ。
そんなボラティリティを持つ結果であれば、例えば帰り道で容易に「大凶」に変わり、犬の糞でも踏みそうなもんじゃろう。
(「なーに、ウンがつく」ってか。やかましいわ。)
それに、「大吉」が出て喜ぶ奴もいまいちわからんのう。まあ、皆々の喜ぶ様子は見ていて悪い気はせぬものの。
そもそも、おみくじとは運勢を測るリトマス試験紙みたいなものなんじゃから、嬉しいも何も無いじゃろう。
その人に「大吉」が出るのは、その人が既に大吉に値する運勢を持っているから出るだけのこと。
宝くじのような偶然で出てくるのはない。偶然で結果が変わるのであれば、我の居る意味が無いじゃろう。
我の存在に関わることなので、二度繰り返すことにする。おみくじの結果は偶然ではなく、我の力じゃ。
だから、宝くじの当たりみたいに嬉しがられると、我は不思議な気持ちとなる。当たり前のことになぜ喜ぶのかと。
それはあたかも、レモン汁にリトマス試験紙を入れて赤くなったと喜んでるかのように見える。中学生か。
それより、「大吉」だの書かれた運勢の下にある我の記したエッセイをしっかり読んでもらいたいももんじゃ。
「大吉」かどうかは我の頭にビビっときてパパっと答えられる簡単なお仕事だが、
エッセイの部分は我が1年かけて必死に考えた珠玉の品々なんじゃからな。毎年考えるのも大変なことよ。
だから、そのエッセイを読んで欲しいがために、エッセイ通りの一年を送ると、運勢以上の幸せが得られるようになっているぞ。
ちなみに、それらしいことを言っておくと、そのエッセイを毎日の生活の参考にして初めて、その「大吉」という運勢が末長く成立するわけじゃ。
その点では、おみくじなども世の中の啓発書のひとつだと考えるとよろしい。
行動を変えるきっかけとして、現在の運勢を表示しているだけに過ぎぬ。おみくじと啓発書の違いはそれだけじゃ。
おみくじの書かれている運勢も、生活習慣病の指導をする際に血圧の値を示すようなもので、
別に血圧の値が重要なわけではない。だから、先に述べたとおり「大吉」を喜ぶ必要はないわけじゃ。
だから、「大吉」をただ有り難がって引き出しにしまっておくだけでは何の意味も無い。
そんなわけで、我の啓発書兼エッセイの重要性を力説したところで、この男もすなる増田というものを終えることとしよう。
それでは、よいお年を…始めてくだされ。
共通の女友達が夕方私の家に来て、そのあとに彼が来て3人で鍋をした。
なもんで、その日の朝方、みんなが来る前に部屋を片付けているときは
彼が泊まるなら、彼が風呂でも入っている間に
いつも通りクローゼットに隠せばいい。
そう思ってしまったのだ。
私はこんなにもウッカリ者だというのに。
ぬいぐるみこと、わんころべえとは、恐らく小学校2、3年生からの付き合いだ。
別に某漫画のキャラクターでもなんでもなくて、本当にただの犬のぬいぐるみ。
私はわんころべえと名付けて大切にした。
毎日一緒に寝た。
わんころべえがいなければ、本当に私はどこかで死んでいたかもしれない。
人が家に来るときは今までずっとクローゼットに隠し続けてきた。
ずっと大切にしているなんてどん引きする以外にないだろうと、
恋愛面においてわんころべえの存在をにおわせたことなんて一度もなかった。
なんて考えていたのに、友人を駅まで送って、
家に二人で戻って彼と片付けをして、
眠り支度をして、「さー寝よ寝よ」とシーツをめくり、
「!!!!」
普通に忘れていた。
私にとってはいつもの光景。彼にとっては「ナンダコレ」というところだろうか。
言い逃れはできないと、大事にしているぬいぐるみで、普段は隠していたと白状した。
彼は普通に「そうか」と返して、そのままその日はいちゃいちゃして寝た。
予想よりも普通だった。もう早くいちゃいちゃしたかっただけかもしれない。
でも、内心はわからない。どっちか判断がつかないまま翌日彼は普通に帰った。
まあもうバレちゃったししょうがないか。どん引きされたらそのときはそのときだ!
そんな風に考えていたら、後日、電話していたときに彼はこう言ったのだ。
あんなに隠していたのに、自らしっかりと存在を主張してしまう。
その会話をきっかけに、私たちの間にわんころべえは普通に存在するようになった。
「いぬじろう元気?」「いぬじろう今日はどこおるん?」「今日は椅子の上か」
そうやって彼から存在を確認されるたび、なんか、もう隠さなくていいかな……と私も段々と隠さなくなってきた。クローゼットの暗闇の中ではなく、ベッドの上や棚の上など、ひっそりと見えるところにちょこんと座らせている。
彼の反応は、私の人生を受けて入れてもらったようで、とても嬉しかった。安心した。
彼となら、もし一緒に暮らすことがあっても、連れて行って怒られたりはしなさそうだ。
いられる間はずっと一緒にいたかったので、本当に、泣きそうなぐらい嬉しかった。
そのとき、ふと彼が「いぬじろうでもやってみよう」と言ったのだ。
「わんころべえだよ!!」
もうその頃には、私が正式名称を返すのが定番になりつつあった。
姓名判断は名字と名前で区切られるので最初「わん・ころべえ」とかでやっていたのだけど、いまいち運がよくない。私がどうすれば運がよくなるかを唸っている間に、彼は私の名字とわんころべえを組み合わせはじめ、そのうち私の名字といぬじろうをいろんな漢字にしてやりはじめた。
と、彼が見せたのは私の名字に、犬治郎という漢字表記の組み合わせ。
そして、なるほど確かにいい。めちゃくちゃいい。
唯一家庭運だけ凶だったけれど(笑)わんころべえよりめちゃくちゃ良かった。
あんなに訂正していたのに、うっかり「いぬじろう、ありかもしれん」と思ってしまった。
そのあと、私はうっかりと、彼の名字でもわんころべえの姓名判断をやってみそうになったのだけど、彼の名字が画数的に何をやっても凶になってしまうのでやるのをやめた。でも、もし私の名字が変わることがあったら、わんころべえも私と一緒に変わって欲しいなと思った。
彼とも、わんころべえとも、ずっと一緒にいられたらいいなあ。