はてなキーワード: 朦朧とは
2年くらい前にコロナ禍の異様な空気に便乗して死のうとしてた。
私は20代半ばにして処女だった私はマッチングアプリで出会った人とワンナイトをした。
自分はマグロだし相手も別に上手くないしでこんなもんかあ…って悟って
うわああああああああああああああああああ
相手も妊娠したら困るだろうし、避妊はちゃんとはするでしょ…って自分と同じ価値観が当たり前だと思ってた。
急いでアフピルを処方してもらって服用した。
白状しなかったら、元々生理不順なのもあって気付かなかったかもしれない。
そのまま数ヶ月過ぎてたらどうなってたんだ一体…と今思っても背筋が凍る。
でも、私のタイプの容姿、性格、社会的地位、諸々何かを持っていたら喜んでその遺伝子を遺したくて産んでたかも。
産まないにしても「産んでもよかったな〜」くらいは思えた。
「子供なんていらない!」じゃなくて「お前の子供なんていらねえ!」ってのが正しい。
相手は私のことを大切に扱っていないし、私も相手のことを1mmも好きじゃないということが分かったので
ズルズル続けていたものを断ち切った。
一連の流れを話した友人や、この日記を見た人に私は
自分でもそう思っている。
そう思ったまま死ねない。
まあ、事故などで死んだら死んだでかまわない程度の執着ではある。
スマートな人間だと自認して死ぬのが目標で、しばらく達成できそうにないので、もう少しだけ生きる。
でも、もし達成できたらまたちょうどよく目標を見つけてどうにか生きるのだろう。
グローブを買ったけどキャッチボール相手がおらず、とりあえずバッセンで試してみようとなった土曜の昼
新しめの設備があるところで、入ったゲージには低速(100km)、中速(120km)、高速(130km)、変化球の4種類があった(ベイの今永が投げてくれた)
4回分のカードを買っていたので、とりあえず中速から試そうと思い開始
いきなり正面に座ると怖いので1球様子見、思ったより速かったがまぁ大丈夫、と座り2球目から捕球した
乾いたいい音が出る素晴らしいグローブだと感激、だがまだ新品だから弾くな、などと考えていたらあっという間に終了
そういえば先日の試合でバッティングがからきしだったと思い、好奇心で変化球を選択して開始
遅い上に全然曲がらないな、と思いつつそんなもんかと思いながら2回分打ち込み、そこそこ打てたなと満足
最後にキャッチングをして帰ろう、今回はちゃんと芯で取りたいからと低速を選択、中速が取れたからと安心して初球から正面に座った
今永がシュッと腕を振り下ろし、よっしゃとグローブを前に出したところ、ベースの手前でボールがククッと沈み、「えっ」となったが体は反応せず
まさか40にもなってこんな体験をするとは思っていなかったが、なんというか、「殺してくれ・・・」と思うくらいの痛み
今永の変化球は本当に鋭い曲がりで、ストレートと同じ感じできて突如ククッと落ちる、しかもさっきまで打ってた球より球速もあり、こんなすごい変化球(スライダー?)は初めてだった
客は私だけだったので、他人に「キャッチングし損ねて股間にボールをぶつけ、悶え苦しむ中年のおっさん」の姿を晒さずに済んだことは幸いだった
朦朧としつつも店員に気づかれたくなくて、10球目くらいに立ち上がり、鋭く曲がるスライダーをヘロヘロになりながらカットするおっさんを演じた
演じながら低速と変化球のボタンがあべこべになっているんだと思ったが、とにかく恥ずかしくて終わった直後に退店した
その後コンビニのベンチで休んだがなかなか収まらず、結局2時間くらいはなんとも言えない鈍痛が消えなかった
今となってはバッセンの店員にボタンがあべこべだと教えるべきだったか、などと思うが、あの時は本当にもう逃げることしか考えられなかった
私は250円を払って股間の痛みを買ったのでかと思うと腹が立つが、バッセンでキャッチングだし不注意もあったので割り切ろうと思う
ちゃんとしたキャッチャー経験者ならサイン違いでも今永のスライダーを股間に当てることもないだろうとも思うし
そして、消えない鈍痛の中苦しみながら1番考えたことはなぜか、珍プレー好プレーで股間にボールが当たった選手や審判を効果音をつけてみんなで笑う番組だった
笑い事じゃねえぞ
シマウマの蹴りは肉食獣を撃退することもある(写真:Dziewul/PIXTA)
動物園で飼育されている動物は野生より安全と思われがちですが、飼育員や獣医などはつねに危険と隣り合わせです。また、旭山動物園元園長の小菅正夫氏は、「動物園の事故は初心者かベテランが起こすことが多い」「肉食獣より草食獣のほうが事故は起きやすい」と言います。いったいなぜでしょうか。
獣医でもあり、『角川の集める図鑑GET! 危険生物』の哺乳類・鳥類部分を担当した小菅氏が、国内外でヒヤリとした自身の体験談を語ります。
動物園で働いていた間、さまざまな動物の危険な側面を目の当たりにしました。特に自分は獣医だったので、動物たちを診療する際に、ひやりとすることが多かったです。動物園の獣医はもちろん、大きくて力の強い、肉食獣だって診なくてはなりません。
自分が旭山動物園に入ってすぐ、ホッキョクグマを治療することになりました。もちろん檻に入る前に、麻酔を打ちます。麻酔が効いて倒れて、もう大丈夫だなと確認をとって中に入ったのですが、治療を終えようとした頃、なんと眠ったはずのクマが起き上がるではないですか! 突然のことですごく慌てました。
「やばい!」と思い、いちばん安全なところはどこかと思って、そうだクマの背中に乗ってしまえば、抱きつかれないと思い、そっと背中にしがみつきました。クマは朦朧としていて、体をゆっくりと左右に揺らしていました。2歳の若いホッキョクグマだったのですが、当時の自分が乗れるくらいの大きさはあったんです。
クマの背中に必死にしがみつきながら、外にいる人に「追加の麻酔薬をとってきてくれ!」と叫びました。動物園で使用する麻酔薬は、最初から液体ではなくて、動物の大きさに合わせてその都度溶かさなくてはなりません。実際は2~3分だったと思うのですが、クマの背中で待つその時間の長いこと……。一生のうちでいちばん長く感じた2~3分でした。
vtuberは夢を与えてくれた
この僕に夢を……そして生きる意味を
ただいまぁ……あまり広くない部屋に力無き声が響く
僕だけの唯一の空間
大型のTVに電源を付けその時を待つ
「早く来ないかなぁ……」
口癖になりつつあるがそれも良い
そして待ちに待った声が脳を貫く
「こんるしー!」
ー来た!!待ってたよー
こんるしーと僕も返す
幸せだった
普段誰にも見向きされなくても家に帰ればこんなにも満たされるのだから
僕に取っての終わりが始まりを告げた
画面左上に表示されたボイスチャット
点と点が線となり
疑いようも無い事実
刃物を胸に突き刺されたようだ
その痛みが響けば響くほど
僕の居場所を狭くしていく
終の住処だった居場所が形を無くし消えていく
僕の居場所が……
それは出来なかった
それが例え叶わない夢だとしても
僕は台所に行き
一応無いだろうけど手料理を振る舞って……等と浮かれて新品のまま今日この日まで使われて居なかったのだが
節約して買ったグッズの数々
少ないながらも勇気を出して配信にスバチャした日にありがとう!と言われた時
仕事が上手くいかなくて全てがどうでもなり僕には誰も頼るものがいない時にふと現れたのがるしあだったんだ……
それも今は全てが懐かしい
リアルでは過ごせなかったけどそんな短い間に夢を見させて貰ったこと
「っ………騙すなら騙しとう……せよっ」
声にもならない慟哭が部屋に響く
SNSをとうして伝えたら
一緒に生きようねと…
今では思えば思う程の生き地獄だ
何を言っても何を叫ぼうとも届かない
赤スパ等でほのめかす事も出来るがそれはヤメた
僕の胸に大きな穴は埋めきれないから
震える手で新品の包丁を手に取り脇腹を突き刺す
彼女を守る為にと鍛えてきた身体は無惨にもその凶気によって失われていく
命の灯火が失わせまいと鼓動打つ中 苦しみで更に3度4度僕の身体を突き刺す
真っ赤な鮮血が推しを真っ赤に染めて僕の身体はふらふらと向かうべき場所へ逝く
ありもしない幻想を抱きながらベットへ突っ伏すと横にはいつも抱きながら寝ていた物が
「る…ネクロ…マンサー……来世は……あるならそっちにうまれ……後…かのじょがしあわ……せで……」
僕は死んだ
自分自身の手によって
僕に届くはずの無い指輪
……………
力が欲しいか?
謎の声に僕は目を覚ました
2021夏、世間はコロナで医療崩壊の真っただ中、私はコロナとは全く関係ない理由で死にかけて入院した。
半年経って当時の日記を発掘したので、正月休みで暇な今せっかくなので当時の日記を日記を増田に供養する。
経緯を言うと、膀胱炎を放置していたために、血中に細菌が侵入し、敗血症性ショックになり、生死の境をさまよったのである。
コロナワクチン接種とタイミングが重なってしまったため、副反応だと思って放置してしまい、大分大変なことになってしまいました。
本当に処置が一歩遅かったら私は死んでいた。
膀胱炎は、大腸菌などの細菌が尿道から膀胱に感染することで起こる。女性に多い病気で、自覚症状は排尿時の痛み、残尿感、頻尿、尿の白濁、陰部のかゆみなど。
おしっこをがまんしすぎたり、疲れて抵抗力が弱まったり、不衛生な陰部の環境だったりなどで発症する。
そして膀胱炎は放っておくと菌が尿管から腎臓に上がり、腎盂腎炎を発症する。すると発熱や下腹部の痛みが起こる。
さらに放置すると血中から大腸菌が全身を回り、全身の臓器が機能不全を起こし、血圧が低下し、ショック症状を起こす。これが敗血症性ショックである。
膀胱炎は放っておくと死ぬので放置せずすぐに病院に行け、は界隈の常識らしいですね。私知りませんでした。
今回身をもって実感しました。
8/13 (金)
膀胱炎の自覚症状。一般的に言われる自覚症状のオンパレードで、これは明らかに膀胱炎ですな、といった感じ。
3年前くらいにも一度膀胱炎にかかっており、その時は病院で抗生物質をもらったらすぐに治った。
もう一回くらいかかったことがあるような気がする。その時は市販薬で治ったはず。いつかは覚えていない。
この時期友人の家に入り浸りまくっていたので、まあそのへんとかで疲れがたまって不衛生になっていたのかな…、そういえば恥ずかしくてあんまりトイレ借りて無かったな・・・、と考える。
という訳で市販薬(腎仙散)を飲み始める。病院に行ってもよかったのだが、前述のとおり友人の家に入り浸っていたので、出先で病院を予約するのが面倒で、「市販薬で治るでしょ」とごまかしていた。
この後も友人の家に入り浸る生活。8/15と8/19しか実家に帰っていない。それも終電近くに洗濯物を取りに帰っただけである。
8/19 (木)
あまりにも薬か効かないのでボーコレンに変更する。まだ少し効く
8/20 (金)
発熱はなし。
思い返せばこの日の夜下腹部痛があり、今思えば腎臓が痛かったのかもしれない。
腎盂腎炎になると逆におしっこが出なくなるので、排尿時の痛みはあったが、排尿の頻度が下がったのでこのあたりから膀胱炎のことを忘れはじめ、薬を飲むのを忘れ始める。
8/21 (土)
夜23時頃、直前まで何も無かったのだが、突如猛烈な寒気に襲われ、体が勝手にガタガタ震え出し、熱を測ると41.7°Cを記録。人間ってこんな体温出せるんだな。
8/22 (日)
翌日になると熱は37.4°Cまで下がっている。友人のワクチン接種に付き合う。
帰りがけあたりから熱が上がっている感覚がする。帰って熱を測ると38.8°C。
最大で40°C台まで上がった。
ただ薬を飲むと熱が37°C台に下がった。
8/23(月)
この日から頭痛と嘔吐の症状が出てきて一気にしんどさが上がる。
頭を動かすたびにガンガンとなる頭痛がするので起き上がりたくないし水も飲みたくない。
水を飲んでも胃液を吐いてしまう。水分補給が出来ないのがしんどい。
薬を飲むとこれらの症状がマシになるが、2-3時間しか効かないし、6時間空けて飲まなければいけないので薬が効いてない時間が地獄。
熱は薬を飲んでも下がらずにずっと40°C台、最大で41.3°Cまで上がった。
インターネットを参考に薬をバファリンルナiに変えたら効きが上がった。薬が効くと熱は38°C台まで下がった。しかしこれも2-3時間しか効かない。
薬が切れた途端猛烈な寒気に叩き起こされ、震えが止まらなくなり、熱が上昇する。
「なぜ私だけこんなつらい目に合わなければならないのだ…!」との思いが募る。
そろそろ、「ただの副反応じゃないんじゃ…?」と思い市の副反応相談センターに相談したところ、「明日になっても熱が下がらなかったら医療機関へ」とのことだったのでもう一晩様子を見る。
8/24(火)
症状は昨日と変わらない。副反応相談センターにもう一度相談したところ、市の医療機関を紹介してくれる番号を教えてもらう。しかし今は横浜の実家でなく世田谷の友人の家にいるので使えない。
#7119でもいいですよと言われたので、そちらに電話をかける。深呼吸をしなさいと言われる。
友人が最寄りの発熱患者可の病院を探してくれる。家から50 mの距離だが歩ける気がしなかったのでタクシーを呼んでもらう。
病院では栄養剤の点滴をしてもらい、コロナに効く解熱剤(カロナール)を頂く。
今思えばこの医者はヤブだったのでは?発熱が4日も続いているのにPCR検査もしないし、その他検査もしないし、点滴と薬だけ貰って「様子見て」と言われた。
もし血液検査をしてくれていたら、きっと白血球の数値とかがおかしかっただろうから、原因も分かったろうに、、、
ただこちらも、「そういえば膀胱炎でした」と言い忘れたし、もうそんなのすっかり忘れていたし、さすがに医者もそれを聞いたら尿検査と血液検査くらいはやってくれたと思うので、言えればよかった。
あとワクチン接種でめちゃくちゃ忙しそうだったしね。初診の外来患者なんて後回しよね。
吐き止め成分も一緒に点滴してもらった。しかし帰ってポカリを一口飲んだらそっこーで吐いた。嘔吐RTA。吐いたら2時間は飲み食いしないでと言われていたが、しんどすぎてそのまま薬を飲んだ。
カロナールはよく効いた。熱は37°C台まで下がった。これも2-3時間しか効かないが。一緒に処方された吐き止め薬ドンペリドンの眠気誘発効果も高く、薬が効いている間は快適に眠れた。
薬が効いていない間は相変わらず40°C台の発熱と頭痛と嘔吐。
薬が効いている間しかまともに飲み食いが出来ないし、薬が効いている間は強烈に眠いのでまともに飲み食いできないので、要はまともに飲み食いできず、それがしんどかった。
おかゆを買ってきてくれたが、一口食べてギブアップした。ゼリーはすこし食べられたような…?
夜9時、あまりにもしんどさが天元突破したので実家に帰る決断をする。一人で他人のシングルベッドを占領していたのが申し訳なかったのもある。友人に布団で寝て欲しかった…
親に電話して洗いざらい話す。「なぜもっと早く連絡してくれなかったのだ」と親にめちゃくちゃ怒られる。
タクシー(8000円)で帰りたかったがなんとタクシーは発熱患者を乗せられないらしい。
しょうがないので翌日始発の電車に乗って帰ろうという話になる。
(別にコロナじゃなかったからいいけれど、もしコロナだったら電車移動よりまだタクシーの方がウイルスを広げる可能性が低いのだけど、このへんどうにかなりませんかね、えらい人)
私はこの後薬を飲んで寝てからの記憶が無い。次の記憶は木曜か金曜の病院のベッドの上である。以後は伝聞。
8/25(水)
友人のカバンを持ち、友人の靴を履いて、家の扉をガチャガチャして「あれ…?開かないなぁ」とつぶやいていた。
これは薬のオーバードーズによる奇行だと思った彼は、とりあえず私を引きはがした。
すると私は白目を剥いて倒れた。レギュラーの西川のようだったそう。
これは死んだわ、と思った友人は、ひとまず#7119に相談。
すると「それは救急車呼んだ方がいいですね。こちらで救急車を手配します」と言われた。
ほどなくして救急隊がやってきて、私を救急車に連れていく。友人はよく分からなかったそうだが、救急隊曰く当時の私は痙攣していたらしい。
救急車に運ばれ、受け入れ先の病院を探す。しかし医療崩壊ど真ん中の時期だし、夜中だし、高熱なのでコロナ疑いだし、意識不明だから救急病院でなくてはならないし、で受け入れ先が全然見つからない。結局1時間半くらい各所に交渉したそうである。
熱は42°C、血圧60、意識不明重体の私の横で受け入れ先の病院が見つからない中ひたすら待つ友人…。不安だったろうよ…。ごめんね…。
最終的に、最初に断られた病院に無理やり病床を開けてもらったらしく(他の人を一般病棟に無理やり移したらしい)、そこで受け入れてもらうことになった。コロナの為病院には同居家族以外の侵入不可だそうで、友人はその場で救急車から追い出された。申し訳ない…。
病院到着が午前4時。両親がタクシーで病院にかけつける。コロナ疑いなので、両親も別室に隔離され、沢山の同意書にサインをさせられる。
点滴をする同意書、点滴のために喉に管を通す同意書、けいれんを抑えるために麻酔を打つ同意書、けいれんがひどくなった時に体を縛り付ける同意書、などなど。
最初は医者も原因が分からず、とりあえず白血球の数値が異常に高いことが分かったので、適当に抗生剤を打っていたらしい。
培養検査の結果、とある種類の大腸菌が原因だということがわかり、おそらく膀胱炎が悪化し、腎盂腎炎になり、血中にも大腸菌が侵入して、臓器が機能不全を起こした、敗血症性ショックだろうということが分かった。
原因が分かってしまえばあとは早いので、それ用の抗生物質を点滴し、あとは回復を待つのみである。
8/26(木)
私は意識を取り戻し、「スマホが欲しい」と言ったそうだが、何一つ覚えていない。けいれんを抑えるために麻酔を打っていたそうだし、意識朦朧だったのではないだろうか。金曜日あたりまでの記憶は私は曖昧である。主治医と1回話したはずなのだがうっっっっすらとしか覚えていない。
そのまま2週間くらい入院ですね、と言われる。コロナの為面会謝絶で、必要なものは母に届けてもらい受付経由で受け取る。
両手と首に点滴が通っているので、私はひたすら気をつけの姿勢で寝ることしかできない。暇。うつ伏せで寝られないのがストレス。
あと食欲が全くわかず、病院食が食べられない。「これだけは飲んで」と言われた栄養飲料(そんなに美味しくない)と、たまに出るフルーツくらいしか食べられない。なので栄養剤の点滴も外せない。
とはいえ意識は取り戻したので近いうちに一般病棟への移動が決まる。
8/27(金)
この日から元気にLINEをしている。この日か翌日に一般病棟に移った気がする。
8/28(土)
この日あたりから食欲を取り戻し、病院食が完食できるようになる。
8/29(日)
8/30(月)
食事が完食できているようなので、と栄養剤の点滴が外される。これで点滴が朝晩3時間ずつの抗生剤だけになり、夜うつ伏せで寝られるようになる。超ハッピー。
8/31(火)
抗生剤だけなら飲み薬にして退院しよっか、とのことで急遽翌日の退院が決まる。急いで両親各所に連絡する。
9/1(水)
退院。声はカッスカスで、支えが無いとまっすぐ歩けない。10日くらい臥せっていると筋力その他が大分落ちるのだなと理解した。
私が入院していた間、私が死ぬんじゃないか、と毎日家の中はお通夜状態だったらしく、大分ご迷惑をかけてしまった。非常に申し訳ない。
あのまま友人が朝まで様子を見る決断をしていたら私は本当に死んでいた。そしたら原因にワクチンは全く関係ないがワクチン副反応で死んだ人扱いされただろう。
繰り返すが、今回得た教訓は、膀胱炎は市販薬で誤魔化さずに、病院で抗生物質を貰うべきだということである。
それから2021年の医療崩壊はやはりひどかったですね。治療にあたってくれた医療関係者方、そして各所でたゆまぬ努力を続けてくださっている各医療関係者様方に感謝します。
2021年冬は少し落ち着いていましたが、冬休みにかけてじわじわ感染者が増えてきていますね。また当時のような惨状になると医療機関がまた悲鳴を上げてしまいます。我々は基本的な感染対策を怠らず、淡々と過ごしたいですね。
あとそれから友人に本当に感謝。私の看病をしてくれ、救急車を呼んでくれ、救急車でも意識のない私に声をかけてくれていたらしい。本当にありがとう。あなたは私の命の恩人です。もし我々の縁が切れることがあったとしても、その事実は変わらず、私は一生あなたに感謝して生きていきます。
それから家族にも本当に感謝。だいぶ心労をかけてしまいました。楽しく労働することで恩返しするね!
ちなみに、「あんな経験をしたんだから、ちょっとくらい失敗しても「死ぬよりまし」とか思えるようになりなよ」と友人によく言われる。
確かに今日記を読み返して、「本当に死ななくてよかった」との思いを新たにしました。生きていることに感謝ですね。明日から新学期なので頑張らねば!
以上です。皆様も体にはお気をつけて、、、。
以下、一般マゾの独り言です、下品なワードが飛び交っています。吐き出したかったので書きました。
私は 顔のいい男にボコボコに殴られたり、蹴られたり、踏みつけられたりするのがめちゃくちゃ好きで好きで堪らなくて、
歴代の彼氏にはよく殴ったり切ったり首を絞めたりしてもらっていた。
単純に誰でもいいからボコられたい、という話であればこんな悶々としないんだろうけど、私はエゴマゾなので、
色白で、筋肉が付きすぎておらず、細身。
これが私の条件だ。
ともなると全然いない。
私がまだ23歳で、あんまりにも年の離れた人は嫌だという我儘を付け加えると、
男性のマゾは、SMクラブで女王様にやってもらえるけど、女の子はそうもいかない。
SMバーや、ハプバーにも行ったりしたけど好みの人はいなくて、悩みに悩んだ結果、
好みの男性がいたからこの人しかいない!と思って、秒で予約した。
こういう時 ちゃんと金持ってて良かったと思った。(あ、風俗嬢ではないです)
呼んだのは、なんか、歌舞伎町のトー横に屯してたり、メンチカしてそうな男の子にした。顔がメンヘラっぽくていいなと思った。通ずるなにかを感じてしまったな。
カウンセリングの時にボコボコにして欲しいって伝えたら 「いいよぉ~~~」と言われたので笑ってしまった。
ODしてるんか?ってくらい変な喋り方で泣いちゃった。
「何笑ってんの」と冷たく言い放たれて、腹部を容赦なく踏みつけられたり、殴られたりした。
お腹がじんじん痛くて気持ちよくて、最高に興奮してるところでマウントとられて首を絞められて、これ以上ない程の幸福を感じた。
首絞めされてる間も膝やもう片方の手で殴ったり蹴ったりしてもらって、
あんまりキス好きじゃないけど、これは脳みそが蕩けてたせいもあって、人生の中でいちばん気持ちいいキスだったと思う。
その後もボコボコにされたりなんだりして、もうズタボロになって荒い呼吸を繰り返してたら、突然ちんぽ挿入された。
急速に脳みそが冷やされていく。
「え、ちょっとまって、」と制止しようとしたら、そいつは もうニタァ、という表現が適切としか言いようがない笑みを浮かべた後、黙れと言わんばかり私の口を手のひらでオモクソ塞いだまま、犯してきた。
最初はクソほど抵抗してたんだけど、圧倒的な体格差だし、動かせるのは足しかない。
どうにも抜け出せないし、喋れないし、もう諦めた。
ただ、めちゃくちゃムカついたのは最後にザーメン顔にぶっかけられたことです。
人に暴行を働くのって疲れるだろうし、こんな異常性癖に付き合わせてしまった手前、まんこくらい差し出して然るべきなのかもしれないが、さすがに無断でぶっかけるのは違うと私は思う。
終わったあとはたくさんハグやキスしてくれたり一緒にゴロゴロしたりして、飴と鞭を実感した。でもやっぱり終始冷たくされたいし嘲笑われたいしゴミみたいに扱われたいし、恐怖で私を支配して欲しい....。甘いのは違うんだよなぁ。
ホテル出て、駅まで手を繋いで歩いたけど、
手よりも髪の毛を引っ張って歩いて欲しい派なので、微塵もキュンと出来なかった
この後このお兄さんを2回呼んだけど、結局そのどの回も無断で犯されたので、今年からはどうするか悩んでいる。
あとなんか私の好きって言ってたブランドのものをもらってしまって逆にめちゃくちゃ気まずくなって、LINE既読無視してたら
2人目は、ハーフっぽくて童顔で、V系とかメンチカ系に居そうなお兄さんにした。
こちらのお兄さんは身長も高いし、細身の割に体もがっしりしてて、いいボコりをしてくれそうだ。
カウンセリングの時に、「ボコボコにされたい」って言ったら、普通にOKしてくれて、
1人目の時同様、一緒にお風呂に入った後、
なんか、催眠術かけられた。
は???と思うでしょ?私もね、思った。
でも私はめちゃくちゃ催眠に掛かりやすい体質らしく、あっという間にかかった挙句、脳イキ地獄に落とされ、意識が朦朧としていた。事実、この間のことは何一つ覚えていない。
意識がはっきりとしてきた頃にはまたもや犯されていた。ビビっちゃった。
もうおわかりかと思うが暴行要素は一切ない。
そいつのちんぽがクソでかくて子宮口がオモクソ潰されて ギィン!!って痛くて絶叫した記憶はある。帰ってる時も生理痛?みたいな痛みに襲われていた。
物証として、ベッドに普通に精液入ったコンドーム落ちてたので間違いない。
というか、いつの間にか裸だったしその人。
いつ脱いだ?!私が脳イキ キメすぎて失神してる間??それとも酸欠で落ちた瞬間.....???
「ボコボコにして欲しいって言うから子宮ボコボコにしちゃった」ってニコニコしながらいわれて
「そういうことじゃねンだわ」と思ったけど、
子宮をボコボコにする、という言葉の響きエロいなと思って2割くらい許してしまった(は?)
あとその人手がおっきくて首絞めがいい感じに決まるのと、クソほど犯しながら紐みたいなやつで首絞めてくれたのが好感度高かったです。
罵りワードも私好みのキショキショヤンデレ風味だったし、子宮を抉られるような鈍痛と、恐怖と若干の興奮で泣きじゃくる私を押さえつけて犯しながら「着床しろ」って囁いてきたのがポイント高かったです。
顔も好みだし、催眠術できるの普通にすごいし、脳イキも気持ちよかったけどやっぱりsexが入ってしまうと、別の世界になってしまう気がします。
そんなわけで私のボコられ体験は1度幕を閉じたわけだが、未だに正解が見つからないままでいる。
どちらかというと、以前都内にあるSMクラブで女王様に時間いっぱいボコられ続けた時の方が完成度・満足度ともに高かった。
でもやっぱり男の人に殴られたいと思ってしまう。
実際、女王様と1人目の人を比べると、圧倒的にお兄さんの方が力が強かった。あんなにモンエナしか飲んでなさそうな体型なのに。
あと多分声フェチ?みたいな部分もあるので、殴られてる時に女性の声が入ってきてしまうと冷めてしまう。
めんどくさい自覚はある。
顔のいい男はたくさんいても、なかなか理想のボコリストには出会えなくてつらい。
欲を言えば、カッティングや、スカリフィケーションと焼印と根性焼きもして欲しい。でもここまで来るとしてくれる人がほんとにいない。
こないだもようやく顔のいいサドと出会えたので有頂天になってたら
『電気首輪を〇〇ちゃん(わたし)につけて家に軟禁して肉オナホにしたい。』という性癖の人だったので、
さようならした。
なんでだよ....
気持ち悪い存在だという自覚もある、だからこそこんな私を〇して欲しいと、罰してほしいと思う。
私はどうしたらいいんだろうか。
もう自傷行為や タトゥーやピアッシング、スカリフィケーション程度の痛みでは、つまらないし、オナニーにすらならなくなってしまった。
そもそも、彫り師さんも ピアッサーさんも、皆お仕事で真摯にやってくれてるのに、
変態要素を出すのって失礼だなとおもって、
最近は施術中に邪な考えをしないよう、読経をしている(????)
ちなみに、SMのパートナー探す掲示板に書き込んだらネカマ扱いされた上に、
sex目的のオッサンとか、自分のことをイケメンだと自称するオッサン(よくわからん角度で取られた自撮り付き)とか、サディストではなく ただ単に女嫌いこじらせたチー牛みたいなやつしかいなくて地獄だった。
まだtinderで捕まえた カスのバンドマンやホストの方がマシでした。
あと、こういうことを話すと、家庭環境などを心配されるんだけど、
むしろめちゃくちゃ大切に愛されて育ちました。裕福な家庭で、何不自由なく育ててもらって、今もめちゃくちゃ仲良しだ。
大晦日にこんな意味不明で来年の運気が下がりそうな話はどんな場所を選んでも言えないけど、もういい加減しんどいので増田なら誰かがそんな人もいるのか程度に笑ってくれるかもと思って全て本音で書いてみる。タイトルの通り、なんともひどい話だと思う。それでも興味があれば、いろいろな人がいるなという感じで見てもらえればと思う。増田を見るのは好きだけど、初めて投稿するので何か不手際があったら申し訳ない。
長くなってしまったが本題に入る。自分は若手芸能人のリアコ(ガチ恋と言ったりもするが、芸能人等に本気で恋してる人のこと)なんだけど、その人に世界に羽ばたいてもらいたい、夢を全て叶えてほしい、と思う反面、なかなかうまくいかずに飛躍できずにいる姿を見るとホッとする。アンチに対して疑問はあるものの、ふとアンチコメが目に入ると安心する。芸能人にリアコの時点で理解に苦しむ人もいるだろうに、さらにややこしいことこの上ない。
タイトルの通りだけど、正確に言うと不幸になってもらいたいわけじゃなく、積極的に大成功を収めてもらいたいわけじゃない、という感じ。とにかく今は、推しが意外とブレイクをしないので、なんとか精神を保って応援(もはや応援なのかわからないけど頑張れという気持ちはある)している。最近は、この前始まったらしい何かの撮影の情報公開が怖い。主演映画なんてやろうものなら、鬱になってしまう。周りが、情報解禁楽しみ!と言っていて、そうやって純粋に楽しめたらなと羨ましい。
その意味不明な感情は、どういうわけで来るものなのか、自分で考えてみるんだけど、多分、リアコだから、と言うのが答えな気がする。え、リアコなら幸せを願うものじゃないの?と思うかもしれないが、リアコだから、相手がどんどん遠くの存在になるのがつらいのだと思う。
ただ、やっぱり一般的なリアコは幸せを願っているものなのだろうか?話を聞くと、どうやら自分のリアコのタイプは、巷のリアコとは異なるところがいくつかあるっぽい。
いや、自分みたいなタイプもいるのかもしれないが今のところ聞いたことない。自分もこのタイプだ!と言う人がいたらむしろ色々話してみたいので、書いておく。
私のリアコのタイプは、"結婚かそれ以外か"。結婚されれば一巻の終わり、結婚以外ならなんら問題ない。婚姻届に名前を書いたもん勝ち。私のゴールもここ。うっかり婚姻届にサインして入籍してくれないかな〜と思う。(だからなのか、不思議な話だけど付き合う妄想とかはしない)
そんなんだから同担拒否の気持ちは全くない。現場で誰かがファンサをもらってても構わない。だって結婚に関係ないし。まぁファンサされて結婚なんてことになるならそれは困るけど(そんなことはない)。
イベントに全通したいという気持ちもない。別に全通しても結婚できるわけじゃないから。グッズ等にもお金はほとんど使わない。むしろ、ファンサもらっても舞台に通っても雑誌を買っても何しても、それはファンである、ということをより一層突きつけられる、という感覚が強い。それはきつい。もちろんファンとしてはお金落とした方がいいとは思いつつ。
というか、世界一好きだからこそ、全くそのコンテンツに触れたくないというのもある。感情が振り回されすぎてしんどい。リアコが、イベントに全通しないと気が済まない、自分の知らない推しがいるのが嫌だ、と言ってるのをみてタフネスと思った。
SNSのアカウントはブロックしてるし、ミュートワードに入れてる。でもやっぱり好きな男だから、ふとした時に見に行っちゃって、それで病む。今もTikTokでファンの女が作ったキュンとするシーン集みたいなの見て意識朦朧とした。世界一好きな男が「俺のことだけ見てろよ」て画面越しに言ってくる。あなたは私のことを見てないのになぁと、本気で落ち込むから救えない。でも、そんな自傷行為がやめられない。どこかで心を痛めつけまくって、ふとふっきれるんじゃないかという感覚があるからかもしれない。今のところ傷を抉られるだけだけど、そのうち屈強なリアコハートになるのだろうか。
好きすぎるのに、向こうは自分のことを全く知らないというのは、つらい。この、どうしようもない感。やっぱりイベントに行けるリアコはすごいなと思う。それでも、自分も10回くらいは行ったことあるけど、肉眼で確認できるところに存在してるぶん、実際こんなに距離があるんだなと実感して、毎回私ここで何してるんだろうと思ってしまう始末。
芸能人に恋してると言うより、たまたま好きになった男が芸能人だったから困る。だいぶ話が逸れてしまったが、結局、手に入りそうもない男が、さらに手に入らなくなってしまうことが嫌で現状のままから遠くに行って欲しくないということなのだろうか。もはや結婚が遠のく云々は抜きにして、とにかく遠くに行ってほしくないという感覚に違い気がする。やっぱり違う世界の人間だなと実感したくない。そもそも、付き合って手を繋いだり、ハグをしたいという気持ちはそこまで考えたことがなく、ただひたすらに結婚したいというのも、対等にありたいという気持ちの表れなのかもしれない。同じ土俵に立ちたい、世界一好きな男と同じところにいたい。ここでふと、自分は、世界一好きな男自身になりたいんじゃないかと思った。推しの成功が喜べないのも、自分の現状との開きがつらいからなのかもしれない。なんとなく合点がいった気がするけど、そんなややこしいことがあるか……。
ところで最後まで読んでくれた人はいるのだろうか?思いついたまま書いた文を読んでくださって、ありがとうございます。
子宮頸がんワクチンの積極推奨が来年の4月から再開される。このワクチンは、接種後に全身に強い痛みを感じる副作用が多く見られた故、1997年から2005年の間、積極推奨が一時的にストップされていた。
安全性と有効性が確認されている、という事から積極推奨を再開するそうだ。
ということで、積極推奨されていない中このワクチンを打った私の体験談を書こうと思う。娘さんの接種を悩んでいる方に届く事を願って。
結論から言って、私はとても稀な副作用に見舞われる事になった。接種を受けた周囲の子は接種部にちょっと痛みが続いた程度で(これは筋肉注射なので当たり前である)、私と同じ副作用が出た子には会ったことがない。
持病などはないが、昔から一家でお世話になっている病院がある。そこで子宮頸がんワクチンの話をしたところ、扱っていないと言われた為、仕方なく家から一番近いクリニックで予約をした。2013年の3月半ばだったと思う。
子宮頸がんワクチンは、計3回摂取する事になる。例えばサーバリックスなら、中学1年生になる年に1回目の接種を行い、その1か月後に2回目の摂取を受け、その6か月後に3回目の接種をする。
かくいう私も、3回しっかり受けた。1回目、2回目は副作用なし。それで安心しきっていた事もあるのだろう。
3回目を受ける日、クリニックに到着後、受付時に体温を計かる。どんなワクチンでもそうだが、熱があるとワクチンを打てないからだ。
その日、体温が37.1だった。
家から10分ほどの距離を歩いてクリニックに向かった事と、私の体温はいつでも36.7度近くであるという事から、そこまで熱があるとはいえなかった。しかも、2回もうって副作用がなかったのだ。クリニック側と少し話し合いをして、10分ほど様子を見てから再度熱を計り、そこで決める事になった。
10分後に計った体温は、36.9だった。これならば打てるとなり、私は3回目の摂取を受けた。
摂取を受けたその日は一日中安静にしていた事もあり、何事もなかった。
一階から起こしてくる母の声がかすかに聞こえるが、目が開かない。体も重い。熱い。頭もひどく痛かった。
動きにくい体を無理矢理起こして立ち上がると、強い目眩を感じて床に倒れ込んだ。音で気付いてくれた父と母が部屋へすぐに来てくれた。
体温計で熱を計ると、39度近くあった。目眩もすごく、黒い粒みたいなものがいくつも視界を漂っていて、歩く事もままならなかった。
父に抱えられて車に乗せられ、ワクチンを打ったクリニックに向かう。クリニックに着いた頃には、何故か体温が急速に上がり、私は春先だというのに汗だくになっていた。
処置室にそのまま運ばれ、脇、首、足首に氷の入った袋を当てられる。冷たくて気持ちが良かったが、熱はそのままどんどん上がっていく。下がる様子がないのを見た医師が、市営の大きな病院に紹介状を書いてくれた。
目眩で体を動かせないので、また抱えながら車に乗せられて、すぐ病院に向かった。病院に着いてからは、連絡が行っていたらしく用意してもらった車椅子に乗せられた。
熱は41度を超えていた。人は42度が10時間続くと命が保たないらしく、本来は内科にかかるところを、待合が誰もいないからと小児内科で見てくれることになった。
正直病院に連れて行かれる前からずっと意識が朦朧としていたが、車椅子に抑えられて採血される時だけは意識がはっきりした事を覚えている。嫌だったんだと思う。
そのまま採血を受け、検査をする間に解熱剤を入れた点滴を受けた。人生初の高熱&採血に思いっきりダメージをくらった私は、車椅子に座りながら、点滴が終わるまでの3時間弱、ぐっすり眠った。
点滴をはずすからと起こされたとき、驚いた。目眩も黒い粒もなければ、体はややだるいが熱くない。体温は37度弱まで下がっていた。
血液検査の結果は、特に異常なしとの事。ワクチンとの因果関係も見られないと言われた。
あまりにも熱が高かったので後遺症が残る可能性があるから、気になったらまた来てくれと言われたが、その後は今に至るまで何もない。
以上が、稀にある副作用の一例だ。もしあのまま点滴で熱が下がらなかったら、多分死んでいたと思う。
これから子宮頸がんワクチンを打とうと思っている人、娘に打たせるか悩んでいる人は、一度よく考えてみる事をおすすめする。
これは稀な例だから自分は/自分の娘は大丈夫に決まっていると思うだろうか。そうだろう。私も、自分がこうなるまでは大丈夫だと思っていた。
ここに書いた話は病院に付き添ってくれた父と母の話を元にしている。正直この日は、クリニックに連れて行かれてから熱が下がるまでの間、採血をされた時以外の記憶がほとんどないのだ(意識が朦朧としていたから当たり前)。
それでも、死んじゃうのかと思った、と本気で心配していた父の、熱が下がった私を見て号泣していた母の顔だけは、鮮明に覚えている。
腫物の切除。神経通ってる部分に繋がってるかもというので要全身麻酔。短期入院となった。
日程決めるのが大変。1週間前にはPCR検査。手術日の前日から入院しなくてはならない。
書類多い。費用は現金払いだと要保証人。クレジットカード払いだと保証人不要。5000円で保証会社と契約するのもある。
賃貸住宅の家賃の保証会社は増えているけど、入院費にも導入されてるのかと驚き。
全身麻酔の説明。気管を確保するので管を通すので「あー」とかで喉奥見られる。骨の形を見てるのか「アイーンみたいにしてください」がツボに入って笑ってしまう。麻酔科医は真剣。
16時までにシャワーを浴びる。手術当日、翌日は浴びれない。
手術前にT字帯という紙のふんどしみたいのをつける。付け方がわからないのでググる。あってよかったインターネット。
8時に手術室へ。手術室は病室と違って、冷たくて無機的な部屋のつくり。
手術用のストレッチャーに乗せられ移動。動きながら天井を見るって不思議な気持ち。もう自力では何もできない場所に来ている。そのまま手術台へ。
医師とあいさつ。上から顔を覗かれるのも最近なかったな。甘い酸素を吸い込み、「眠くなりますよ〜」で記憶がない。
「◯◯さん、終わりましたよ」名前を呼ばれて目覚める。夢を見ていた気がする。予定より30分延長したらしい。うまく処置できたらしい。気管の確保もできたらしい。ちょっと朦朧としている。
そのまま病室へ戻る。
自分の後の人の手術が長引いて、同じ日に手術した同室の人は夕方スタートとなっていた。新しい患者が入院してきていた。
点滴?の管をいっぱいつけられている。指先で酸素測るやつ、足にエコノミー症候群防止するやつ、いろいろついている。ひたすらうなされながら寝ていた。微熱が続いて、麻酔の影響か吐き気がする。
一度だけ胃液のようなものを専用の容器に吐いてしまう。二日酔いでしか吐いたことないのに。すごく辛くて心細い。
同室の患者が夜に戻ってきて、自分の比ではない辛さのようだった。自分も出ていたのかもだけど、夜は呻き声がすごかった。
看護師にはトイレに行きたくなったらナースコールをと言われる。「今日、水一滴も飲んでないんで出ませんよ(キリッ)」って返したら、「点滴打ってるから出ますよ……」「えっ!」ってなった。その説明を呻いてる彼にもして去っていく。常識?
夜中に点滴の管がついたまま、付き添ってもらいトイレへ。
きのうは何も食べなかった。朝食を貪るように食べる。なぜだかエヴァの食事シーンを思い出していた。
朝は給食みたい。パンに牛乳、チーズ、ジャム、スープ、フルーツ。栄養バランス。
病院食は味がとにかく薄い。わー卵焼きだ→味うっす、ネギだー→味うっす。普段が塩分摂りすぎなのか。まー好き嫌いないので全部食べる。
食べたら寝るを繰り返した一日。点滴ついてると動きづらいのもあるし、病室って眠くなるようにできてる気もする。
微熱続く。汗めっちゃかいて、そのあと急に寒くなって。温度調整が難しい。
スマホを触っては寝る。点滴の針が刺さってて、文字が打ちにくい。Wi-Fiがないので、7ギガあったのに退院時には2ギガになってた。
手術を甘く見ていたので、仕事用パソコン、読みたい本数冊持ち込んだけど、メールは数通返したのみ。本は寝るために読んでた感じ。そういう作業をする場所、できる場所ではない。
4人部屋で3人入室。なんていうか、いきなり共同生活を強いられる感じが落ち着かない。シャワー、トイレ、洗面台……。他人に配慮しながら使う。プライベート空間のありがたみをめっちゃ感じる。
一方で医師、看護師の献身的な姿勢には感謝しかない。数値異常だと駆けつけるし、夜中に点滴とかチェックしてくれるし。自分がそういうことをできない人間というのもあるけど、本当にすごい仕事だと思う。
最後の夜だけ寝付けなかった。天井を眺めてミスチルを聴いた。「365日」「口笛」「Sign」……。桜井さんの声が沁みる。病室のミスチルはいいぞ。
「お母さんが1週間前から具合が悪くて、今朝電話したら床で寝てるらしい。さっき電話したけど繋がらない。明日の朝救急車を呼ぼうとお兄ちゃんとお昼に話しした」
姉は結婚し地元を離れており、私は実家から歩いて5分のアパートに暮らしていたので何か知っているのではと
電話をかけたらしい。
が、私は母親が具合が悪いことすら知らなかった。
私は基本的にLINEとか電話の類が嫌いだし、当時仕事がパンク状態で参っており、会社とアパートを往復する以外は何も出来ないような生活を送っていて、
それ以前にそもそも母親のことが好きじゃなかったので接触を避けていた部分がある。
母親と同居している兄にも連絡を取っているが携帯は繋がらないし、勤務先の番号も知らないと。
おそらく急を要する状況だ。なんで姉と兄が今日じゃなくて明日救急車を呼ぼうなんて言ってお互い納得したんだろう?と思いつつ、
2人とも私と色んな部分が合わない事はこれまでの人生で散々あったのは分かってる、それはいいから自分が出来ることをしようと思った。
私は会議をキャンセルし、実家に救急車を呼び、電車で1時間かけて搬送先の病院にに向かった。
救急隊からの電話で朦朧としているが意識はあるとのことだった。
隣町の搬送先の病院で検査したところ、発熱があるためコロナの危険もありその病院で受け入れられないので、発熱外来のある大きな病院に行ってくれと言われ、救急車に母と一緒に乗り、そこに向かった。
久しぶりに会った母は全く意識が無かった。
9時すぎぐらいに発熱外来のある病院に到着し、母にコロナの恐れがあり、私も接触してる可能性あるので発熱外来専用のプレハブ小屋に隔離され、待っていてくれと言われた。
私はテンパって会社を出たためコートを忘れており、二十畳ぐらいあるプレハブで、部屋にいるのが私ひとりで暖房を全開にしても寒くてしょうがなく、スマホのバッテリーも切れてしまい、パイプ椅子にへたり込みながらつまらないテレビを見ていた。
11時ぐらいに兄がやって来たが、「頭痛いから帰っていい?」と言われた。
私も上司や取引先からのストレスで色んなところが具合悪いんだけどと思いつつ、兄と同じ空間で息を吸うのもイヤだったのでいいよと言って返した。
夜の3時、ようやく医師から母親の状況が敗血症性ショックで相当まずい状況、コロナが原因か他の病気が原因かわからないということを告げられ、すぐ集中治療室にうつすと言われた。
頭がぼーっとなり、誰かに話をしなきゃと思ったが、スマホのバッテリーが切れていたので出来なかった。
なぜかよくわからないがプレハブからICUの家族用控室に移動していいよと言われ移動した。
ICUの控室はテレビはないがソファーがフカフカでパイプ椅子とは雲泥の差だった。暖房もしっかり効いて快適だった。
朝になりとりあえず一旦帰っていいですよと言われて少し眠った。
10時すぎ兄から電話が来て病院から電話が来たので一緒に来てほしいと言われた。
タクシーで病院に向かい、一緒に医師から死亡した旨を伝えられた。
姉はどうしても抜けられない仕事があり病院に来るのが昼以降になるとのことだった。
11時頃、PCR検査の結果が出てコロナ陰性だと分かったので母親と面会できることになった。
ただ寝てるだけにしか見えず、死んでいるのが信じられなかった。
男性の側が「セックスしよう」「うん、しよう」という会話があったと主張し、
女性側が「そんな事は言っていない」と主張しているような事例ならばまだ分かるよ。
でも問題にされる事例はそういう「言った、言わない」の話ですらないじゃん。
口頭の同意がないのに男性側が一方的に「同意があったと主張していしている」事案ばかり。
泥酔して意識朦朧としていたのに目が合ったからとか、男性側が勝手に「抵抗しないから同意があると『思った』」とか
本当に言った言わないの話で、女性側が嘘をついているんだったら裁判官も分かるよ。
世の中にはいちいち契約書を作らない行為なんて沢山あるし、それで世の中上手く回っているし裁判になっても負けてないのになんで性交の時だけ極端な事を言い出すのか不思議。
普通に生きてたら、友達から契約書無しで物をもらう事くらい当たり前に経験してると思うんだが…
ジュースや缶コーヒーを奢ってもらったとか誕生日プレゼントにゲームソフトをもらったとか。
そういうのにもいちいち冤罪ガーっていうのかね。
獣医の「1日様子見て」という言葉よりも、目の前のあなたを信じて早く連れていけばよかった。
結局のところ原因不明だから助かったかは分からないけど、もっと早くに点滴受けていたら、せめて脱水を軽減させてあげることはできたはずだ。身体がつらいときに様子見てしまってごめんね。
苦しいのに見当違いの薬飲ませようとしてごめんね。あのせいで、せっかくちょっとずつ飲んでいた水も吐いちゃったね。
おかしいと思って獣医に電話した1回目の時に連れて行っていたら、なにか変わっていたかもしれないと思うと耐えられない。飼い主のわたしが、判断を何度も間違えたんだ。
朝はお散歩できていたのにね。朝一の病院も自分で元気に歩いて帰ってきたのにね。
病院も下痢した直後の朝一じゃなくて、様子見てから症状が悪化した午後に連れて行っていたら、診察ももっときちんとしてもらえたね。
もう何を後悔してもあなたは帰ってこれないけど、今しかないから全部書き残しておくね。
こんな日が来るのは10年以上先のことだと思っていたよ。反抗期がきたあなたにイライラする時もあったけど、こんな形で唐突に終わると思っていなかったよ。本当にごめんね。助けてあげられなくてごめんね。あなたを苦しめたものの原因すらみつけられなくてごめんね。
もしかしたらあの日齧っちゃった布切れのせいなのかもしれないとか、あの日の散歩で泥だらけにしたからかもしれないとか、草むらで何か食べたのを見逃したのかとか、いま考えても遅いね。
せめて1日前に戻って、早く点滴受けさせて家に返してあげたい。最後そばにいられなくてごめんね。
ひっぱり癖もだんだん直ってきていたし、座っておかないとドアが開かないことも覚えてきてたね。一回転がうまくできなくてロールが覚えられていなかったけど、仰向けのゴロンは得意だったね。
まだまだこれから教えたいことがたくさんあったんだよ。家と公園しか知らないと思うけど、あなたに見せたい世界がもっとたくさんあったんだよ。
29歳女で生理は軽い。
どのくらい軽いって木槌で毎秒叩かれる程度の腰痛と朝の濃いめのコーヒーでも撃退できない眠気とトイレにギリギリ引きこもらないで済む下痢程度のもん。あと無駄な性欲増強。軽くて気力で乗りきれるし生活に支障はないから薬飲んだことはない。
この度最悪なことに生理とコロナワクチン二回目の接種が完全にブッキングしたので感想文を書きたい。
まず刺された瞬間は一回目と同じ。押しピン刺された時くらいの痛み。押しピンを靴や鞄の中に入れられた経験ある人ならわかるでしょ?あれだよあれ。
その後病院待機中にちょっと人差し指に突き指みたいな症状が出たら看護士が蒼白になって酸素濃度計りに来たけど問題なし。この時点では体温36.2。
なんとこの時頓服処方してくれなかった。政府方針がかわって発熱しないと処方しちゃダメ!になったらしい。審議は定かではないが。
摂取して一時間くらいは注射されたところをつまようじでツンツンされてるような痛みが続く。あと腫れてない?ってくらい二の腕が熱い。家族に見てもらうが変化無し。
二の腕の痛みがチクチクから筋肉痛のようなじくじくした痛みに変わってくる。一回目と同じ痛みでちょっとほっとした。
そここら進展あったのは摂取から10時間くらいかな。手足の冷たさ、しびれで目覚める。体温は37.8。
飯は普通に食ったけど何食っても味が濃い。本当に驚くくらい濃くてインスタントやお惣菜は一口でやめた。冷えたプチトマトがうめえ……ってずっと食ってた。
摂取か20~24時間くらいが一番ひどくて記憶がおぼろげ。体温39.2。
実はこの時腕は全く痛くなくて着替えもできるし腕あげて冷蔵庫も漁れるしペットボトルも自力で開けれた。強いて言うなら筋肉痛みたいなのは残ってるから後ろに引くとひきつる感じだけ。髪の毛も自分で結えてた。
でも頭痛と腰痛がマッハ。いやマジで意識も朦朧とするレベルで襲ってくる。鼓動に合わせて頭も腰もズッキンズッキン言ってる。控えめに言うて地獄。そしていつも通り下痢なのでトイレにいくけどトイレで何度かしんどすぎて手足冷えて動かすのも億劫になって動けなくて泣くかと思った。もしこれウォシュレットついてなかったら絶対泣いてると思う。
冷えピタを導入するが気休めにすらならん。でも頓服はない。もらってないから。でもしんどくて病院行けるかよクソが。
最初は歩き回ってると頭痛や腰痛が紛れてたけどそれも一時間くらいで効果なくなってきてついに今の床に突っ伏して寝た。ここから4時間くらい記憶がない。
目覚めたら38.5まで熱は下がってた。
頭痛も腰痛もひどいけどかなりまし。意識保てるレベル。相変わらず味は濃い。
摂取から40時間くらいで37.2まで下がった。頭痛もなくなって腕の痛みもほぼなくなったので終了。
結論。
生理関係なくキツいけど生理あるから余計キツい。しんどさは2倍じゃなくて20倍で来るよ……
あと性欲は死に絶えました。たぶんこれは男女共通だと思うので。
会社でどうしても対面で会議する必要があったのでひさびさに7人で集まった。マスクも着けていたし、警戒ゼロだった。
帰る段になって1人が「あ、家族が発熱したらしい。牛乳とか買って帰らなきゃ。」といったのが始まりだった。
それを聞いた上司が備蓄してある民間PCR検査キットをいくつか持たせてあげていた。
翌日、上司からの鬼電が来て「本人も無症状スーパースプレッダーだった、そしてさっき発熱したという報告を受けた」ということを教えてくれた。1mlの唾液に数千万匹のウイルスがいるCt20を切るデルタ株らしい。それと、こういうのは確率で起きることだから恨むなと強く言われた。このへんのことは前々からよくいわれてた。
「デルタ株だから、うつっていれば早くて明日からあなたもウイルスをばらまき始めます。いますぐに、1週間引きこもる準備をしてください。うつっていたとしてもまだ感染性はないはずです。とはいえ、ワクチン打っているから、発症しても入院まではしにくいとは思うけれども。あと、キットを送るのでできれば毎日検査してください。デルタ株にかかった場合、だいたい5日後までに陽性になるらしいので、5日過ぎたらおそらくうつってなかったってことでしょう。なので特に最後の検査は大事です。」
状況を聞くと、同居している人がいる人は慌てて空き家に移ったとか聞いた。
いわれたとおりに検体を提出していたら、会議から3日後、TMSクリニックというところの女医さんから電話がかかってきて陽性でしたよ、といわれた。その前日の検体では出ていなかったけれども、数十万匹のウイルスがいて十分な感染性のある状態で、ワクチン打ったのに、って思いました。保健所に連絡して対応もしてくれたけれども、保健所はいまの東京の状況だと自宅療養ということでした。
一番恐ろしかったのが、その翌日辺りから、嗅覚がなくなってきて、食べ物の味がしなくなったこと。これ、このまま治らないんじゃないか、一生味がしなくなったらどうしよう。熱もその後出てきて、とてもきついインフルエンザみたいだった。めちゃくちゃ辛い。その後も自宅療養で、ときどき検査していたら、ずっと陽性で一番濃いときにはスーパースプレッダーと同じCt20くらいになって、ウイルス濃度が数千万匹/1mlと、とても濃い状態で、人にめちゃくちゃうつる状態だといわれました。デルタ株はとても濃いらしく、ワクチン打っていてもこうなるのね。
結局、その後1週間くらいで徐々に味覚は戻ってきて本当にうれしかった。いまは、まだPCR陽性だけど、もう感染性がない状態といわれていて後遺症らしき後遺症はないです。これでも運が良かったってことかなと思います。
デルタ株の判別は技術的にも手間的にも大変だから、するところはほとんどないみたいだけど、今回お願いしたところは、オプションなしで変異をいろいろ調べてくれて技術にこだわる職人ぽかった。デルタ株じゃないときは陽性になるのが遅い場合があるから、さらにもう数日引きこもれと上司は言っていた。
それから、7人のうち4人はワクチン2回接種2週間経過済み、3人は未接種だったらしい。
接種していなかった3人は、全員発症、うち2人は自宅療養からの重症化で入院。救急車を呼んだけれどもそのまま帰っていったこともあったり、入院先がなかなか見つからず、相当悪化して意識朦朧で酸素飽和度90でようやく入れたみたい。ウイルス濃度もずっと濃かったみたいだし、一時期は本当に悪くて本人に可能性の告知がされたが、なんとか回復傾向になってきたらしい。けれども、どれくらい元通りに戻れるかは不明。接種済みの残りの3人はPCRがずっと陰性で仕事復帰が早かった。ただ、この3人、1人は翌日発熱したけれどもすぐ下がっていたり、2人は感染すると上がる抗体の定量検査の値がかすかに上がっていたりで、ウイルスをばらまきはしなかったみたいだけれども、ウイルスが体内に入り込んで戦ったのかもしれない。やっぱりワクチンは大事だ。
正直、新型コロナウイルスなめてた。とくにデルタ株は、これ、もう別の病気といっていいくらいやばい。マスクもワクチンも打ち破ってくるなんて。