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2019-01-19

叱咤激励プリーズ

なんにも やる気が 起きなくて

それでも 焦りは やってきて

勉強しなきゃと 思うけど

一晩 動画を 見てました

無意味で つまらん 動画です

朝は すっかり 寝坊して

家族の 期待が 重くって

今年も センター 逃げました

センター試験を 逃げました

願書は 一応 出したけど

受かるわけない バカから

昔は 何も しなくても

毎回 100点 とれたのに

20歳 すぎれば ただの人

過去問 やっても 80点

調子が 悪けりゃ 65

明日は 心を 入れ替えて

数学だけでも 受けとくか

いやいや ダメだ もうムダだ

受験票すら どこへやら

明日から もいちど 受験

ああ 来年も 受験

このまま 一生 受験



(この世からセンター試験がなくなればいいのに)

2019-01-05

東大入ってみて、なぜ鉄緑会が圧倒的に強いか分かったか

鉄緑会のことを何も知らないで書く。なので、完全に的外れかもしれない。

結論から言うと、

東大先生の授業レベルが、そのまま受験バックグラウンドになっているから、現役東大生が集まった塾ではその知識バックグラウンド集合知となるから

だと思われる。

  

具体的に言うと、例えば物理電気問題

あれって、大学レベルだと、フーリエとかラプラスとか使ったり、等価回路使ったりする。

抵抗だけでなく、ジーメンスとか言うの使ったり、

閉鎖回路をグラフ理論から最小の手順で解いたり。

で、実際過去問でそういえばそんなものテーマになって高校生用にアレンジされてる感の問題があった。

その知識があると、問題理解が違う。

この知識があって、そう言う感じの問題が出れば、圧倒的に有利だ。しかも周りは解けない。

「新作問題だ!東大はすごい!」とかよく言うけど。

そもそも東大日本大学生の標準的教科書を書いてる先生と書いて、それをパクって全国の大学が授業してるわけで。

その根本的な「東大生の学問理解レベル」を作成してる東大先生脳味噌は、東大生に反映されていて。それで問題を解析してるわけだ。

  

全国の塾で、東大の授業、レベルを知っている人がどれだけいるか

もちろん、最先端まで知ってる塾講師はいるだろうが、「東大生のレベル」を色々な分野含めて知ってるとなると、鉄緑しか無理だと思う。

  

自分場合物理数学生物ではこの手の感覚や、誰先生の授業が元ネタだろうなとかまでわかる。

おそらく、社会化学英語国語もそう言う感じじゃないかと思う。

  

そう言う理解の元でやってるからそら強いわ。

だって普通受験生は、ラグランジュとか二回微分の解析とか知ら無いで、そこから発想された問題は捨てるか大量のハンデで解くしかない。

一方で、鉄緑会は、そう言うのを織り込み済みの中で教育されていて、問題への対応力が違うわけだもん。

一般受験参考書の著者も、研究として1分野を知っていても、「現役の東大集合知」となると敵わないから、あくまでこれまでの参考書アレンジしかできないと思う。

一般受験生が、過去問などから、「東大テイスト」を知ろうと必死になるよりも、さらアドバンテージ持ってるし、それをベース計画された問題演習やってるわけじゃん。

そら敵わないわ。

2019-01-04

大学 3年次編入試験の思い出

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anond:20190102174908

anond:20190103131014

高校時代

同じく地方出身者はなんとなくわかると思うんだが、高校は「地元では自慢できる」レベルのとこに通っていた。

県下一、というわけでもないけど、地元で一目置かれるようなそんなところ。東大学者を毎年1名出したり出さなかったりするような。

自分はというと文化系運動系狭間みたいな部活にがっつりのめり込みつつ、子供の頃から親の影響で続けていたとある楽器寺社仏閣が好きな、自他ともに認める「変わった子」であった。学力でいえば中学までは特に勉強しなくてもまあまあいい成績が取れる、中途半端に器用な子だった。

親は勉強については大してうるさくなかったが(むしろ楽器練習をしない方が厳しく怒られたし、数学10/100点をマークしようが音楽の成績が満点じゃない方が嫌な顔をされた)、お金には厳しく、「大学は国公立しかさない」と宣言されており、真に受けた私は私立すべり止めも一切受けなかった。だが高校3年間を部活に捧げた、数学テストで毎回赤点叩き出すような人間にそのルートは厳しかった。見事に滑りおち、進学先を失った。進学校に通っておきながらこの体たらく

これから1年浪人するしかない、と思ってふさぎ込んでいたが、そこで偶然にも某専門学校の「大学編入コース」なるものを知る。専門に2年通った後、大学へ3年次編入するというコースだ。ははぁ、よくできてるなあ、と思いながらも学校担任と両親に相談し、その専門学校へ進むこととなった。

専門に入る

正直入試はあってないようなものなので割愛する。学力レベルからペーパーテスト免除され、英語面接だけだった。まあまあ緊張したが絶対かると半ば解っていたので強気でいった。ちなみに高校時代苦手にしていた教科は数学英語だ。瞬間的な暗記力となんとなくで世界史及び国語高得点を叩き出す完全なる文系である。妙にコアな知識を植え付けてくれたラノベ推理小説たちとヘタリアには今も感謝してる。日本史文化史だけ異様にできた。

学校生活

身バレが怖いので色々伏せるが、駅チカでこぎれいなビルキャンパスだった。キャンパスと言っていいのか?

専門学校内での大きな学科のくくりとしては「英語学科」に属することになり、その中で「英語を使った仕事に就きたい人のコース翻訳通訳など)」と「海外大学に行きたい人のコース」、あと「大学編入したい人のコース」に分かれる。

なんで大学編入英語学科に属するかというと、ほとんどの大学編入試験の科目が「英語」「小論文」「面接」のみだからである。(学科によっては専門科目の試験がある場合もある)

授業は9割は英語の授業だった。ネイティブ講師日本人講師もいたが、とにかく英語リーディングリスニングライティングスピーキングの授業がそれぞれあり、それ以外に大学編入のための英語試験対策授業がある。少人数にこだわってて、基本の4つの授業はそれぞれTOEIC学内試験の結果から5段階にレベル分けされていた。私は入学時のペーパーテスト免除しか学費も一部免除特待生扱いで入学したので、「は~やっぱこの程度か専門」とか思っていたが、最初TOEICテストで300点台叩き出して5レベルあるクラスの下から2番目に入れられる。「出身校」の学力が高かっただけで「私」の学力はクソだった。ただ真面目に授業を受けていればクラスはすぐに上にあがり、最後は一番上のクラス所属していた。この基本の4つの授業は大学編入以外のコースの人もいた。

残りの1割は資格の授業(英検、ワー検、秘書検、漢検など好きなもの選択できる)の他、第二外国語小論文対策PC(というかOffice)など……まあ大学1年生の一般教養と似たような感じだろうか。選択教養の授業もあったが種類は2,3種類しかない。しかも大して面白くない。

大学1年生と違うのは、自分で授業を選ぶ幅がとても狭いところ。というのも学年によってどの授業を受けるか、カリキュラムが既に綿密に組まれており、「朝ゆっくりしたいから1コマくそ~」というのは全くできない。選択授業も「とってもとらなくてもいいよ」ではなく「この中からどれか選べ」という選択。なので学期はじめにコース人間全員集められてHRみたいなことをして、時間割を配られたりしていた。

学生

上記の通り様々なコース人間が入り混じって授業を受けていたので、通っている人は本当にいろんな人がいた。アンタこんなしょぼい専門いていいの!?っていうような頭のいい人から、クソほど簡単テストを「難しくてヤバかった~」という人まで、本当に様々。Lv.2→Lv.5まで駆け上がるといろんな人と話した。超絶パリピ野郎もいたし、内気で根暗で今にも引きこもりになりそうな人もいた。

同じ大学編入を目指すコースの中だと、まあまあ頭いいけど大学入試では一歩及ばなかった、みたいな人がほとんど。大体がプライド高くてそれを一度へし折られてしまった人、という印象。(私もだけどさ)すべり止め私大に受かってたけど行きたくなくてこっちを選んだ、という人もいるにはいた。あとは行ってた大学が嫌になってやめて再チャレンジしたいとか……。比較的頭のいい人は多かったけど、それでもやっぱ学力でいうと「まあまあできる」か「いまいちできない」のどちらかだった気がする。コース内で一緒に行動していた友達は国公立に受かっていった人から最後最後どうにか推薦で滑り込めた人までいた。

コース人間の数は結構多かった。高校の一クラスくらい……?もっと少ないと思って入学したので意外だった。やっぱり学力レベルでつるむグループが分かれる。男女比は男子の方が圧倒的に多かった。3分の2くらい。でも学年全体で見ると女子の方が多かった気がする。

あと意外といろんな地方から集まってた。やっぱり学校周辺の人が多いのだけど、隣県や新幹線帰省するくらい離れている土地から来る人もいた。私はかろうじて同じ県ではあるが学校までは通学に2時間かけていて、隣県出身学校近くに一人暮らししている友達がうらやましかった。

学費

高い。私大に2年行くとのかわらん。でも高校時代まあまあ成績取れてたら学費免除簡単に取れる。(模試の点数とかセンターの点数を基準学費免除とかしてくれる学校もあると聞く)

本来公立しか行かせてくれなかったはずの両親があっさり行かせてくれたので、絶対学費無駄にすまいと2年間は真面目に必死に授業や資格取得に打ち込んだ。その後まあまあ就活に有利そうな資格とかちょいちょい取れたので、短大とか他の私大行って仮面浪人するよかよかったなあ、と思った。けどその辺って結局当人努力次第なので、学校の授業の時間を使って資格取得や受験対策に打ち込める環境お金払ったと思っている。払ってくれたのは親だが。でも無利子の奨学金も2年次から勝ち取って少し貢献できた。と思いたい。今返済しんどいけど。

編入試験を受ける

編入試験

1年間みっちり英語を叩き込まれたあと、2年生からいよいよ編入試験が始まる。

3年次編入試験は多くの大学がやっているが、大学によって受けられる条件は様々。私が行きたかった大学は他の4大からの受入のみで、専門卒は受け付けていなかったので諦めた。(でもそういう学校の方が少ない印象)

編入試験の日程は学校によってかなりばらつきがある。早いところだと6月くらいで、遅いところだと2月くらい?私は全部で3つ受けたが、ひとつ8月で、残りのふたつは12月だった。やっぱ秋~冬にかけてが多い。

面接練習なども授業でしながら、それぞれの試験日に向けて準備を重ねていく。8月試験を受けたところが第一志望にして最難関の大学だったが、ものの見事に落ちてしまい、泣きながらそのあと友人らとカラオケに行った思い出がある。編入試験受験科目が少ない分やりやすいと言われるが、その門はかなり狭く、私が受けたところも倍率は5~10倍くらい(だったと思う、もう記憶あいまい)最終的に編入浪人の道を選ぶ人もいる。専門→大学編入のいいところは浪人などの1年のロスを出さずに大学卒業できる所だが、結局編入試験の壁が高くて編入浪人したりレベルを落としてD~Fラン大学に入ったりと、メリットが活きないことも多い。でも努力してそれが実ればいい大学に入れるのも事実なので、そこは編入チャレンジする人次第なのかな……とも思う。専門入って遊んでしまった人たちは上位クラスの人でも結局ランクの低い私大に行った人が多く、しっかり努力し続けていた人は国公立偏差値高い私大に進んでいった。英検1級取得したり、TOEICマックススコア出した人もいる。

あとTOEICスコア試験免除がある学校とかあって、TOEICマジもっと気合入れてやればよかったな、と思った。試験免除にならなくても入学後の単位に換算してもらえたりした。

試験対策

英語はもうとにかく授業をガンガンうけてガンガン問題解くだけ。喋る・聞くは捨てて、ひたすら読むにステータスを振り続けていた。(書くは申し訳程度にやった)9時半から15時まで授業を受けた後、18時まで学校に残り友達と多少ぐだりながらも勉強(というか課題)、家に帰ってから英語の長文読解とひたすら向かい合う日々。

小論文は書き方の作法を徹底的に叩き込まれ、あとは個人文章センス知識量がモノをいう感じだった。国語世界史、そしてラノベから影響を受けた文化史系に強かった私には最高の科目だった。

編入試験過去問も一応あって、見せてもらうためにその大学に足を運んだこともある。(コピーはさせてもらえないので、目で見て出題傾向を把握するのが精一杯だが)あと学校過去問を回収して過去問集みたいなのを作っていたので、行きたい学校が人気校ならそんなことしなくてもコピーできたりした。英語試験はどの学校も長文読解系が多く、TOEICをそこそこにして英検受けまくっていた自分にはありがたかった。

面接指導就活とほぼ一緒、だと思う。なんでこの大学に行きたいのかをはっきりさせろ!と言われ続け、「御校に在籍の〇〇先生研究室で●●について研究したいです!!理由としては!!」みたいな答えをガチガチに固めていった。これはのちの就活に活きたと思う。

試験

どの大学小論文は楽勝だった。8月に受けたところは英語で予想外の作文が出て動揺し、読解問題では時間が足らず、涙を呑んで不合格覚悟した。翌日即結果発表だったが、当然私の受験番号はなかった。

第二志望の大学の前に第三志望の国公立を受けにいったが、家から遠く深夜バスでの移動となった。しかバスからまた電車で移動するが乗換をミス試験遅刻。席に着くために荷物通路に置いたら試験管に怒られ、萎縮しながら受験したが英語は予想できたレベルでむしろしかった。1週間後には結果が開示され、無事合格

そして満を持しての第二志望。同じ学校から他にも2名受けることになっており、一緒に移動。英語試験はやや苦戦した覚えがあるが、それよりも面接がしんどかった。大学に、特にその学校に入りたい理由を述べ(行きたい研究室があるでゴリ押しした)、なぜそれに興味を抱くに至ったかなどを話したが、とにかく緊張して噛みまくり面接官に不審な顔をされ落ちたと悟った。しかしその試験当日、夜から私の受験期を中学から支えてくれた某バンドライブがあり、普通に間に合わなさそうだったので走って会場を後にした。ライブギリギリ間に合った。そして入試も無事にパスできていた。

大学編入

進学先が二つ用意されたわけだが、もちろん第二志望を選択。一応国立大なのと、高校時代から学びたいと思っていた専攻があったのが決め手だった。思う存分研究に打ち込めたと思う。嘘。2年では足りない。もっとやりたかった。でも取りたかった単位や聞きたかった講義はほぼコンプできた。

上記でも少し触れたが、入学時に専門学校の授業の単位大学単位へ変換してもらえるため、本来4年で取る卒業単位を2年間で全部とれ、ということにはならなかった。特に私は人文学系だったので、変換がスムーズにいったというのがある。法律経済系の学科は専門科目の変換が難しく、卒業単位を取れなくて留年した人が多かった。(と後に聞いた)

1年大学ライフ満喫したのちすぐ就活なのはきつかったが、興味のあったサークルにも在籍し2年間最初から最後まで活動できた。でもいくら単位変換してもらったとはいえ他の3年生に比べると圧倒的に単位は足りてない(その上私は卒業単位にならない資格系の講義も取っていた)ので、ほぼ毎日1~4コマ、そのあとサークルバイト!みたいな生活をしていたし、就活の時期は本当にしんどかった。英語資格TOEICスコア700前後英検準1級)と進級のために取らざるを得なかった数々の英語以外の資格、そしてあの日面接対策小論文対策が活きたのだろう……と思うと私はこのルートをたどってきてよかった。他の短大や4大出身編入生は就活で軒並み苦労していた。でも専門より大学の方が圧倒的に楽しかったです。普通に1年生から大学入りたかった。

大学編入後で一番しんどかったのは、3年生でありながら1年生に交じって体育やらされたことかなあ。


色々書いたけどあくま文系の話です。理系編入もっと大変と聞くし、そもそも専門→理系学部編入というルートが恐らくない。

東大京大に比べたら底辺もいいとこだけど、こういう抜け道もあるよっていう話をしたくて。でも根っから文系だった私だからこそうまくいった裏ルートみたいな感じではあるんだけどさ……。うまくいかなくってせっかく編入した大学やめて引きこもりになってしまった知り合いもいるし、正直この専門→大学編入というルートを誰にでもお勧めできるかというとそうでもないけれど。

あと社会人なってから編入大学入って、教員免許だけ取って中退した編入生の知り合いもいる。社会人なってから大学で学びたいという人で4年は長いという人にもいいんじゃないかな。あと大学とりあえず入ったけどつまんなくて他の学科行きたいとか他の環境行きたいって人。

私は本当は大学院に進みたかったのだけど、やっぱり学費関係で諦めて就職した。研究してた分野とも全然違う仕事をしているけれど、趣味としてまだその分野についての情報収集勉強は続けている。なお英語をかなり使う仕事だし専門時代に取った資格もそれなりに活かせてはいるので業務内容には満足している。

いよいよセンターが近づいてきて、不安受験生たくさんいると思うけど、どうかここだけが人生の決め手とは思わずに気楽に頑張ってほしい。案外人生どうにかなることの方が多い。

[]2019年1月3日木曜日増田

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2019-01-03

anond:20190102063518

北大の人がいたので懐かしくなって自分も書いてみたが、どうやら消してしまったらしい。勿体ない。

だがまぁ見かけたので僕も自分語りなどしてみようと思う。もう20年は前の話なので話半分程度に聞いて欲しい。あ、とくに受験に役立つ話とかは無いです。自分語りのみです。

中学時代

 関東のどこにでもある公立中学に通っていた。

 成績は良い方だったが先生にウケがいい方だったかというと別にそういうわけでもない。虐められていたわけでもないが、自分にはよく分からない理由からかわれることがあった。

 当時は少し不思議がる程度だったのだが、今にして思えばクラスの中でも割と、いやかなり浮いていたのだとは思う。

 成績はトップクラス運動もできた(サッカー部で足が速かった)から大事に至らなかっただけで、先生にも同級生にも興味が無く、他人不快にさせても気付かず、いつもぼんやりとしていて一人遊びが好きな子供だったらしい。昔、母親に「あんたは自分が虐められていても気付かなそう」と言われたことを今でも覚えているが、つまりはそういう子供だったようだ。今でも他人の心が分からないのは変わっておらず、割と苦労することが多い。

 暢気な性格であり、行く高校も学区内で近くて偏差値が高いところ(親が文句を言わないところ)であればいい、と思っていた。滑り止めも受ける気がなかったので調べもしなかった。今なら分かるが、そういうとこやぞ。

 その上適当でも受かるのが分かっていたので真面目に受験勉強もしていなかったところ、みかねた両親からとにかくお前はもっと偏差値の高いところを一校受けろ、と言われ学芸大附属高校を受けることになった。

 自主学習では限界があるということで近くの塾にも行ったが、バイト大学生先生過去問を見せても的確な解説が帰ってくるでもなく困った様子だった。そこで使っていた教材とのレベル差も大概だったしまぁ仕方ない。というかそこはあくま学校の授業について行けない生徒の補習的な個人塾だったようで、よく考えれば筋違いである。高難易度受験校に受かろうとするならそれ相応のところに行く必要があったはずだ。まぁ当時は僕も両親もそんなことはよく知らなかったし、塾ならどこでもいいだろう、という程度の発想しか無かった。

高校時代

 学芸大附属高校には当然かすりもせず、第一希望公立高校入学する。

 世の中には自分と似たレベルあるいはそれ以上で勉強が出来る奴がいるんだなぁ、というのをようやく理解するが、この頃でも生来ぼんやりした性質は変わらずにのほほんと学校生活を過ごしていたらしい。変人の多い学校だったのであまり浮いていなかったようだがたぶん中学の時と余り変わっていなかったはずだ。

 今でも覚えているのだが、廊下ですれ違った先生挨拶をしながら「この人どこかで見た顔だな……」と思っていたが、よく考えたら一年世界史の授業をしてくれた先生だった、という事があった。他人の顔や名前を覚えるのが苦手だと思っていたが、そもそも他人に興味が無いのだ、という事に気付かせてくれる出来事であった。今でも仕事で会う人の顔と名前が一致せずに苦労しているし、これはどうにもならないのだろう。

 大学受験という物に本腰を入れ始めたのは三年からだった。

 といっても例によって「まぁどこでもいいかな……」という感じだったのだが、両親から「国公立」「一人暮らし」「浪人は一回まで」という条件を出され、紆余曲折合って北大を志望することになった。

学校に進路相談をするでもなく、成績とのギャップに悩むでもなく、軽く決めたので相変わらずアレな性格だったらしい。

 友人に東大を受ける奴がいて、そいつ天才だったので自分の分というのはよく分かっていた。数IIIの定期テスト理系コースの学年平均点が30点くらいだった(僕もそんなものだった)のに、そいつだけ満点近くを取っていたし、暇つぶし数学の高難易度問題集をやるような奴だった。世界が違うなぁ、というのが正直なところだったから妬むこともなかった。

 受ける模試はいいとこD判定(一度だけCが出た)、予備校には行ったが授業が身になった気はせず、もっぱら図書室や自習室でひたすら自習する日々であった。

 どこに自信があったのかは知らないが、センター何となく取れると思っていた。実際目標ラインの点数を取れた。

 過去問を解いていても2次試験がイケる自信は全くなかったが、恐ろしいくらい焦ることがなかった。他人事のように淡々勉強をし、まぁなんとかなるでしょ、と楽天的な構えを取っていた。……もっとも、この性質のツケは後で受け取ることになるのだが……

 試験から帰ってきてから溜まっていたエロゲー(年齢がアレだがもう時効だと思うので勘弁していただきたい)をプレイして春休みを過ごし、ネット合格通知を見ることになった。合格祝いに買って貰ったノートPC月姫プレイしたことを良く覚えている。

 勉強自体特別なことは何もしなかった。テキストを読んでもよく分からなかったのでひたすら過去問を解いたことくらいだろうがそれだって目新しいことではないはずだ。

 まぁ、北大程度の人間から画期的な物を期待されても困る。そういうのは東大京大に行った人達に任せておきたい。

【その後】

 入ってからものほほんと過ごしていたところ、4年の時に8割受かるはずの院試に余裕で落ちて途方に暮れるという事になった。人生適当に過ごしていたことのツケをここで受けることになった……が、結果的には塞翁が馬という奴で何が幸で何が不幸かは分からない。

 冬の再試験を受けるかそれとも今から就職活動するか、と教授に言われたが、どうやら自分にはアカデミックな才能は無さそうだ、というのに薄々気付いていたので就職活動をすることにした。人間にも物事にも興味が薄く執着の無い人間にとって研究の道はあきらかに向いていないのでこれは正解だったと思う。

 といっても時期は既に秋、適当一社だけ受けてダメなら就職浪人でもするか、と思っていたところを拾って貰い、そのまま就職して今に至る。

 適当に選んだ会社だったが気付けば海外を飛び回ることになり営業のような技術のようなよく分からない仕事をしている。しんどいしんどいしさっさと仕事辞めたいとは毎日思っているが、給料がそこそこいいので未だに辞められていない。

 ソーシャルゲーム課金し、声優を追いかけ、両親に「あん結婚は」と追い立てられる普通ヲタク人生を送っている。誰か結婚して下さい(

文教大学までの受験の思い出

私は高校中退のあと大検を取って、二浪してたまたま受かった文教大学に入りました。

高校受験

ADHDの症状のためかなんなのか自宅ではまるで勉強ができず、三年間で家でやったのは県立高校過去問だけ。

ただ知能テスト?の結果は学年で一番とかだったので授業態度や提出物等はボロボロものの、なんとか偏差値60ぐらいの県立高校入学

最近親に「勉強のやり方がわからなかった」という話をしたら、どうも話が噛み合わないのでよくよく聞いてみると塾とかで丁寧に指導してもらえばもっとできたのではと思っていたらしく、「いやいや毎日コツコツ机に向かって勉強するっていうのができなかったんだよ」と言ったら少し驚いていた。

そんなんで入った高校適応できるはずもなく1年で中退大検予備校には通うもまたもや家では過去問だけをやってなんとか合格

大学受験

しか大学はそう甘くはなかった。現役の年齢では手も足もでず、一浪するも全滅。親から圧力とかの恐怖心もあって予備校に通う電車の中で「試験にでる英単語」だけはやり、例によって赤本アタック

正直もう体力も精神力限界に近かったが、5校受けた中で「こりゃダメだな」と思った文教大学情報学部になぜか受かっていた。合格発表も見に行けず家でゴロゴロしていたのだが、親が「大学から何か来てるわよ」というので見てみたら、入学書類だった。

最後に】

運かなぁ。

北大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

こういった大学の話になると、全く登場しないことで(自分の中だけで)お馴染みの北海道大学。きっと旧帝大の中では人権が与えられていないので遠慮しているのだろう。

ということで、帰省したものの朝まで寝付けなかった私が、タバコを吸いながら書いてみようと思う。完全なる自分語りとなることを許して欲しい。

中学時代

まれも育ちも北海道だったため、なんて事のない普通の市立中学に通っていた。しかしながら、赤ん坊の頃に白内症を患い、日中殆ど目が見えず、親譲りの喘息と、アトピー性皮膚炎まで完備という、キャラメイク時のステ振りダイスが完全にファンブルっていたため、集団の中では嫌でも浮く存在になっていた。

自然光の中ではほぼ目が見えないので、通学途中に普通電柱にぶつかったりするし、体育の授業でサッカーなんてやろうものならゴールポストにぶつかったりするし、10cmくらいまで近寄らないと顔も判別できないしで、他の人から見ればどう考えても頭のおかしいやつに見えたことだろう。当然ながらいじめもあった。小学生から中学2年生くらいまでが人生で一番きつかった(しか小学生6年の時に面白キャラへの展望見出し、そのおかげで幸運にも友達もいた)。

目が見えない道中はひたすら脳内イメージを描いて妄想していた記憶がある。

そんか日々の妄想のおかげか、何故か文章能力だけはあったようで、小学生の頃書いたなんかの感想文が先生の心を打って、私に内緒で突然全文プリント掲載されたり、中学の頃書いた読書感想文では国語先生から普段から小説書いたりしているの?」などと言われていたので、自分は将来文字を書いて生きていくことになるのかと思っていた。

そんな私の勉強法はというと、まず白地のノートが見えない(日中は黒板も見えない)ので、一度だけ集中して読み込んで、短期間で暗記することにしていた。なんの参考にもならなくてすまんな。人工光の中ではなんとか目が見えていたので、普通テスト勉強などはした。

そして同じく人工光の塊であるテレビゲームが私の心の支えであった。喘息がひどくなっても、ゲームに集中していれば、なんとか発作をやり過ごすことが出来た。

ちなみに目は中学3年のときに手術を受けて人並みに見えるようになった。病院から帰る車中で見た、生まれて初めての鮮やかな景色の衝撃は今でも覚えている。

また、小学生の時から通っていた塾で出会った女の子のことを、中学から高校の終わり頃まで片思いするハメになるのだが、その子は頭が良く、とてもレベルの高い高校を志望していた。その子に出来る限り近づきたくて、志望校は少し無理をして高い所を目指したが落ち、このあたりからいよいよ根暗ロードへの扉が開いていく。

高校時代

滑り止めで受けた私立高校入学する。

特待生だったので格安で通えるという理由だけで選び、格安で通える以外何も良いことは無かった。

例の好きな子のことはいまだに好きで、その子と話すためだけに塾を続けていた。高校二年生の時に人生で唯一告白されたときも、好きな子が居るからという理由で断った。その子北海道のどこか偏差値の高い大学を受けるらしいということだけは耳にしていたため、その子との関係を続けたいがために、北大を目指した。というのは嘘だ。

実際のところは、高校受験に落ちたショックで完全に無気力になっていた。自分は何をやってもダメなんだと考えるようになっていた。物理化学テスト偏差値は当時30とかで、今思えば大学に行けるかどうかも怪しかった。特に行きたい大学も無かったし、先生からも見放されていた。

勉強に本腰を入れたのは高校三年の夏休みの終わり頃だったと思う。いよいよ将来を考えるという時期になった時、私は自分の心を支えてくれたゲームを作る側になりたいという気持ちが強くなったのだ。

そして、ゲームを作るのにはプログラム必要だということを知り、情報工学系の大学に行きたいと考えるようになった。

そのことを塾の先生相談したら、何をするにせよ基礎的な学問を学んだ方が良い、そのためには良い設備のある良い大学に行くべきだと言われ、東工大電通大に行きたいと考えるようになった。

そこから毎日塾でセンター問題を解きまくった。学校の授業中も全て無視してひたすらセンター問題を解き、過去に参加した模試を何度も何度も繰り返した。

偏差値が最低のところからスタートしたのが、結果的に功を奏した。模試過去問を繰り返すたびに必ず少しずつ点数が増えた。これが凄く面白くて、そこに自分ゲーム性を見出したのだと思う。

また、過去問を解くのに使ったルーズリーフを捨てずに毎日積み上げることにしていた。そこもゲーム化しようと思ったのだ。結果的に、自分のやったことがルーズリーフの山という形で可視化されて、それがモチベーション維持に繋がった。

そして願書を出す直前に受けたセンター模試でかなり良い結果を出し、今まで私のことは眼中に無かった担当教師も興味を示し始めた。

しかし流石に東工大には手も足も出ないだろうと思っていたので、前期も後期も電通大を受けようと思っていた。しかし件の教師にそれを伝えると、前期は北大情報工学系を受けてはどうだろうかと勧められた。

かくして私は北大生になることが出来たのであった。

当時を振り返ると、理系志望者ながら国語英語が得意だったため、センター対策二次試験対策勉強時間の配分を理系教科だけにほぼ全振りできたのが良かったと思う。

【その後】

その後は紆余曲折あって、現在ゲーム関係仕事をしている。

ちなみに好きだった子には高校三年の時に告白したが振られた。人生とはプラマイゼロだなあと思う日々である

完全に自分語り過ぎて草も生えないが、そういう人生もあるということで、どうかひとつ大目に見ていただけると。

理三受験の思い出

anond:20190102063518

こういうの書きたくなるね。自分が頑張ったことは思い入れがある。

微妙に書くところ間違えたので投稿しなおした。


小学生

関西田舎の町立小学校に通っていた。友達がみんな塾に行っていたのが楽しそうだった。

「僕も行きたい」と親に言ったことがあったが、なぜか断られた。

自分が子を持った今なら分かるが、3人目の私にお金をかける余裕がもはやなかったのだと思う。家にはアップライトピアノがあって姉が習っていたが、自分は習いたいと言ってもお茶を濁された。


父は会社勤め。ホームレス気質天才タイプ。母は専業主婦。真面目な秀才タイプ。親は教育に興味が無いわけではなかった。むしろかなり意識的独自戦略のようなものを持っていたと思う。

小6の夏休みに入ると、「レベルの高い学校に行くとめちゃくちゃ楽しい」などと、うまいこと母に言いくるめられて中学受験を決心した。


「力の五千題」とか「自由自在」を各教科買ってきて、夏休みに二回ほど通した。なにかババのようなものを掴まされたような気もしなくもなかったが、面白かったので続けた。

からは応用問題集、冬になると過去問をやった。模試は受けなかった。「自信を失わせたくなかったから」とあとで母から聞いた。どういう意味だ。

私立を2つ受けてどちらも合格した。ちなみに、受験直後の自分感触としては98%落ちたと思っていた。未だに謎である


中学生

中高一貫校寮生活が始まった。

強制的勉強する時間毎日3時間あった。小学生の頃とは比較にならないほど学校の授業を面白く感じたので、予習・復習をやった。みんながやっていたので、ラジオ英会話を毎朝聞いて、テキストを暗記した。完璧発音テキストの会話を一人で完全再現できるようにしていた。一年イギリス人先生普通の会話ができるようになった。
中学3年生のときに、全員がZ会模試を受けることになった。はじめての模試で超わくわくした。総合で全国100番位だった。初めて自分立ち位置を知った。思ってたより良いという感覚。でも同じクラスに全国一桁台とかが普通にいた。


音楽室に個室のピアノ部屋が5台分あった。昼休みにほぼ毎日通ったので、結構弾けるようになった。今考えると異常な環境である音大かっていう。親友ピアノが超すごいやつがいた。ヤマハをずっとやってきた人で、聴いたら即弾ける、ハ長調譜面初見で見て変ロ長調で弾ける、メロディを見ると即座にステキ伴奏を思いつく、など。理解不能であるピアノをメインの楽器にするのはやめようと思った。


高校生

下宿に移り、自由になった。学校以外で勉強しなくなった。暇なので、絵を描いたり生徒会をやったりピアノの人などを誘ってバンドをやったりと、生活を広げ始めた。

授業中に予習復習などすべて授業を聞きながら終わらせたので、成績は特に落ちなかった。

こういうことを書くと、舐めてるとか自慢とか思われるわけだが、違うんだ。

自分なりに一番効率が良い方法を追求していた。授業中に寝て、家で数時間独自勉強するみたいな非効率的なことはしたくなかったのだ。

授業は120%の集中力で聞く。それでも時間が余るので、次の予習をしたり、問題の別解を考えたりしていた。家で半徹夜で何時間勉強している人たちよりも結果的に長時間勉強していたと思う。だって毎日9時から17時まで勉強していたんだもの毎日7時間くらい集中して勉強しているのに、「増田勉強せずに成績が良いな」みたいなことを言われてたのは未だに納得がいかない。


高2で東大模試を受けてみると、理三以外はすべてA判定だった。理三だけが完全にE判定だったので、「は?しばくぞ」と思った。
なんかの奨学金アメリカにただで行けた。夏休みの一月まるまるESL漬けで楽しかった。自分英語力はあんまりしたことないと気づいた。同級生アラブ皇太子とかトルコ首相の息子とかがいた。そういうのも自分には無い。


高3になって流石にクラス空気も変わり、自分放課後勉強するようになった。小学生の時は夏休みから半年でなんとかなったけど、さすがに東大一年位はやらないとやばいだろという感覚があった。

一学期にあった駿台統一模試で、英数国の三教科の偏差値が80を超えていた。一方で、本来好きな理科がボロクソだった。準備不足を痛感して夏休みに強化することにした。


・高3夏休み

化学生物だった。教科書はさすがにすべて頭に入っていたので、いよいよ応用問題週に手を出すことにした。東大過去問をちら見すると、化学の出題の半分くらいは似たような問題しか出ないことがわかったので、同じ問題を何十回も解いた。滴定とか。30分かかって6割しか正当でいなかったところから、5分で100点の回答ができるようになった。時間が余るので、初めて見る問題ゆっくり考えられて便利。生物は、問題文に答えが書いてある。

一方で、わりと大丈夫そうな主要三教科は、根本的なところをやることにした。

数学

チャート式などは数冊終わっている状態大学への数学をひたすら解く。新しい問題は、ひたすら考える。未知の問題に解法の方針を立てる練習

英語

TIME誌を定期購読していたので、毎号気になる記事を一つまるまる訳してみる。超大変。NEWSWEEKにすればよかった。のだが、一年定期購読してしまったのでやるしかない。んで、訳したあとは要約を英語で書いてみる。ラジオ英会話ビジネス英語までランクアップしていた。正直東大受験ではこのレベルリスニングスピーキングは当時必要なかったので、聞き流していた。ハマっていたのはパーソナリティの訛りを真似すること。

国語

Z会小論文をやっていた。元来文章がそんなにうまくはなかったけれど、読むのも書くのも好きだったのでこれは半ば趣味結果的200字作文に多少役に立った。


・高3秋

9月学校最後イベントがあり、燃え尽きた。勉強は2ヶ月ほどお休み。焦りはなくはないが、みんなそれで合格するやつは合格するっていう先輩の像を見てきている。今回は自分がそれをやるほか無いという感覚。流石にバンド解散した。


・高3冬

10月から2月まで5ヶ月もある。


センター試験

英語198 

数学191 まさか満点じゃないとは。世知辛い東大理系はわりとこういう感覚だと思う。

国語167 古文漢文論説は150/150。小説めっちゃ間違えた。こういうこともある。

化学100 

倫理93  一応、山川倫理用語集を3回くらい読んだ。手抜き教科のつもりが、哲学に興味が芽生えた。大学に入ってから哲学系の本をたくさん読んだ。自己形成に大きな影響を与えた。人生何が大事わからん

合計

前記749/800

後期489/500

センター試験

ようやく赤本に取り掛かった。感想は、英語簡単すぎ、数学難しすぎ、国語意外とお得、理科けっこう簡単

というわけで薄々気づいていた数学不安定さと、国語のお得さに焦点をあてる。数学が0点でも受かる謎の計画をたてる。国語最後の一ヶ月だけ、古文漢文個人先生に習った。

ちなみに東大模試は3社2回とも全部受けて、最後を除いてすべてE。でも成績は徐々に上がって最後だけはC判定だったので、本番の頃にはB判定くらいになってるんじゃない?と思っていた。


・本番

当日はなぜか20時に寝て、25時に覚醒し以後眠れないというアホなことをした。

ただ全く寝てないわけでもないし、ただ少し眠いだけなのでやるしかない。


 点数非公開時代なので自己採点

国語 60/80 ほぼできた。

数学 40?/120 難しすぎ0完6半ワロタ。。1完だと思ってたのに、弥生門を出たところで配ってた駿台の速報を見たら計算ミス発覚。かなり暗くなったが寝たらわりと忘れた。

生物 50/60 多分まあまあできた。

化学 55/60 多分ほぼ間違えてない。

英語 120/120 まじで満点じゃね?と思った。

合計 325/440 数学が0点でもギリ受かるかも?と思った。

・発表当日

赤門から会場へ向かうと、のちの上クラになる姉が向こうからやってきた「あ!○○ちゃん、受かってたよ!」

弟に「ちゃん」づけはまあしょうがないとして、俺が知るより先に結果を言うなよ。未だに恨んでるぞ。

合格してから

家賃が安いという理由三鷹寮に申し込んだのだけれど、その書類を集める際に親の年収が600万であることを知った。そりゃ無理だわ、塾もピアノも。ちなみに中高は奨学金もらってた。それでも親は教育のために借金してたんじゃないかな。決定的に計算が合わない。ちなみに三鷹寮は生活費が安すぎて家庭教師バイトだけで異常に金持ちになった。楽器を買ったり海外旅行に行ったりした。ヨーロッパまで6万円で行けた時代である。さておき、感覚としては、医者になってまともな収入がある今よりも、当時は自由に使えるお金があった。人生まじで謎である

おじさんもなぜか未だに人生謎のままに頑張ってるけど、受験生の皆さんも頑張ってね。

2019-01-02

東大までの受験の思い出

私は、中学受験御三家に入り大学受験を経て東大入学した。

中学受験

動機は3つ。小学校で好きだった子や友人と張り合うため。先生に勧められたため。行きたい学校を見つけたため。

小学校東京郊外私立に通った。いわゆる東京私立というイメージとは遠く、付属中学もなく田園の教育という方針実践しているのんびりとした学校だった。学年に男女合わせて30人ちょっとしかおらず、当然クラスひとつしかなかった。

私は四年生の時に親の母校であるその私立へと転校した。学校では何もしなくても成績が良かった。テストはいつも早く終わり、ほぼ満点しか取らなかった。いつもトップを争う子がおり、私はいしかの子好意を寄せるようになった。その子とは度々一緒に学級委員に選出されて囃されたが、実際悪い気はしなかった。

五年生になって周囲が塾という習い事のため足早に帰ることに気づいた私は、特に深く考えもせず受験がしたいと親に申告した。担任先生相談すると、可能性を広げる良いチャンスなので多いに推奨すると言われた。この時の先生一言だけで私は世界が広がった気がした。

学校をいろいろ見学した結果、最後に訪れた御三家一角を目指すことになった。門を叩くまで母は恐れ多いと躊躇していたが、行ってみると風通しが良く自由校風で私は一発で気に入った。ここしかないと強く思った。

好きになった子とは家族ぐるみの付き合いがあり、テーマパークへ行ったり共学を一緒に見学したりした。同じ学校で無敵の青春時代を過ごす妄想が捗ったが、世間的に知名度の高かった共学も思ったほど私には語りかけてこなかった。試験日程も遅かったので、お互いそれぞれの御三家第一志望となった。

塾は近所の個人塾に通った。寺子屋みたいな雰囲気で、先生塾長奥さんの2人、生徒は4人、そして授業中は正座だった。私だけ必要な科目数が多かったので、マンツーマンで教わる時間も多かった。回答を間違えると「バカチン」と先生はよく言った。指導は厳しかったが、頻繁に飴を配ったり可愛がってくれた。

塾は行ったら行ったで面白いし好きではあったのだが、束縛に耐えられなかったのか、私はよく直前にお腹を壊したり、自転車で行くふりをしてバックレたりした。もちろんすぐバレた。何度もやめてもいいよと親に諭されたが、そう言われると余計に引けなかった。何より勉強は楽しかった。自宅で勉強と称して漫画を読むのも楽しかった。

大手の塾には模試と講習だけ行ったが、普段学校や塾とはまるで異質な空気に圧倒された。何点取ったらゲームもらえるとか、模試で何位だったかお小遣い増えたとか、そんな会話が横行しできない奴は容赦なくバカにされた。私は萎縮してしまい、模試や講習では御三家を狙うにはギリギリ偏差値をいつも取っていた。

そんなこんなで中学受験第一志望の受験日は2月1日受験番号は402。母が「フォーチュンだね」と言ったので覚えている。大手塾特進クラスの連中はまるで家にいるみたいに寛いでいた。田んぼ学校に通いちっぽけな寺子屋からひとり送り出された私は、担任塾長言葉を思い出しつつ、昼休みに母の作った弁当を噛みしめた。

手ごたえはあった。得意科目算数だったが、特に国語ができた気がした。第二志望以降も受けたはずだが、第一志望で力を使い果たしておりほとんど記憶がない。2月3日に結果が出るとその後はもう受けなかった。サクラサク

大学受験

東大受験することにした。理由は、別の進路を断念したため、学費が安かったため、そして周囲のほとんどが目指していたため。

はじめは芸大の先端芸術表現科というところに行きたかった。アートを学び実践たかったのだ。しかし、東大からでも道はあるという説得と、受験対策のための出費がかさむという理由で断念した。今思えば金をかけずに挑む方法模索して食い下がればよかったが、当時は思い至らず折れてしまった。

私が中学の頃に父は長年勤めた会社早期退職したが、その後仕事が奮わず家計は火の車となった。学費生活費の捻出に家族があくせくする状況の中、私だけ美大受験意志を押し通すことはどうしてもできなかった。大学受験は塾に通わず授業と自習で挑むことになった。

幸い有数の進学校には通っていたので、目標東大に変えることは自分の置かれた環境を最大限活かすことにもなった。上位25%が東大に進学する学校で私は時折圏内に食い込む程度の成績だったので、そう遠くない目標に思えた。

ところが、目指し始めた頃には届きそうに思えた赤門も、時間が経つにつれ遠のいていった。ハイレベルな塾に通う周りからは目に見えて離され始め、模試の判定も振るわなかった。いくら寝ていても自習をすると眠くなり、分からないところがあっても差を感じると素直に質問できなくなった。焦るほどに時間けが過ぎていった。

願書を出す段になると、父と腰を落ち着けて話した。弱気になった私とは裏腹に、父は自信に満ちていた。「滑り止めに金は出さない。行きたいところだけ受ければいい」と父は言った。それもそうかと妙に納得し、私は東大のみを受験することにした。東大一本なら正直落ちてもカッコつくと思った自分がいたのは事実である

余談だが、父は学生紛争東大受験がなくなった年に受験生だった。成績優秀で東大を目指していた父はその年第一志望に挑戦することすら叶わず第二志望へと進学した。私はその話を本人からではなく母から聞いた。複雑に絡み合った様々な思いを背負って私は試験に臨んだ。

結果はボロボロだった。足切りこそされなかったものの、センター試験合格者平均を大きく下回っていた。二次試験数学に至っては頭も回答用紙も真っ白だった。案の定、私は東大に落ちた。

大学受験2】

浪人した。親の期待と、自分の意地だけだった。

東大に落ちて私は忸怩たる思いでいっぱいだった。自分が周りに一目置かれたいがためにいたずらに東大を目指した気がした。東大しか受けずに落ちたと言うと、周囲はその勇気を讃え不運を嘆いた。だが私が一番良く知っていた。それは勇気ではなくただの処世術で、不運ではなく純然たる力不足だった。

私が卑屈にも自分と比べていた仲間たちは一足先に合格をその手で掴み大学生となってしまった。毎日通っていた高校卒業してしまった。私はからっぽになった。現役受験が終わってから、これは他人との競争などではなく自分との戦いなんだとやっと気付いた。

就職浪人かという選択肢を前に、働くと言いかけた私に親は浪人を勧めた。もったいないから、という言葉に私は到底納得できなかったが、ある種自分を見直す時間だと捉え受け入れた。親に頭を下げ予備校に通った。

浪人の前半期はくすぶっていた。授業は新鮮で楽しめたが、予習復習には身が入らなかった。借りた小説を読み漁り、レンタル映画を見倒した。私は物語の主役であり、困難に立ち向かう若者であり、世界の広さを思い知る冒険者であった。自由を求め無頼を気取っていたが、その実何の変哲もない予備校生だった。

後半期になると配属クラスが上がった。自分でも気持ちが乗ってきているのが分かった。模試では結果を出せるようになり、勉強試験のサイクルが単に知識の吸収と確認をする作業なんだと理解できた。高校教科書をはじめから読んだり、資料集を飽きるまで眺めたりした。そこに書かれていたのは試験のために記憶すべき情報ではなく、世界を紐解く手掛かりだった。

この頃から私はセンター試験をひたすらやった。現役受験の際に感じた基本の不足を徹底的に見直そうと思った。周りは東大対策に余念がなかったが、私は自分が一番手応えを感じられる道を進めばいいと思えた。センター試験で満点が取れるようになると、不思議二次試験過去問も解けるようになった。

結果からいうと、私は当時の前期日程試験不合格だったが、後期日程で理科一類合格した。

前期日程で落ちたのは予想外だったが、余計な要素が削ぎ落とされるほどに私はなぜか冷静になれた。後期日程では科目の絞り込みに加え選択もあるため必要試験が少なく、私の場合はほぼ英語数学のみだった。そして私にとってはそれが望ましかった。

試験前日はよく眠れた。朝は自然と目が覚め、焦りや気怠さを感じることなく落ち着いて試験に臨むことができた。数学はあっけなく終わり逆に不安になったが、英語会心の出来だった。やるべきことはやったという清々しい心持ち試験を終えた。

結果発表では安堵と高揚感からか、現実感が薄らいですべてがぼやけた夢のように思えた。勝鬨をあげたり号泣したりする見知らぬ同志たちを横目に、私は特に湧き上がる感情もなく立っていた。アメフト部に合否を聞かれ、小さく頷くと胴上げされた。着地の際に自分体重が戻ってきたのを感じ、それまでの漂うような気持ちは消えた。

こうして私の受験は終わった。

最後に】

小学校で好きだった子は私と同様に第一志望の御三家合格したが、中学進学以来疎遠になった。私は大学を出て10年になる。

受験競争心を煽って奮い立たせる仕掛けが多く、そういう経験を経て比較しか物事を測れなくなる人間もまた多い。実際に私も周囲の人間環境に大きく影響を及ぼされたが、最終的に納得の行く結果は自分選択からしかまれなかった。

正月受験生たちに、あけましておめでとう

2018-12-16

anond:20181216124431

そそ

結局単位取得なんて過去問試験情報がどれだけ得られるかだから

まともに授業を受けてる奴が過去問持ってるチャラ男に敗北するなんてざらにある

2018-11-17

失業給付をもらいながら職業訓練校に通った話(忘備録

失業保険をもらいながら職業訓練校に通った話

どんなのがあるの?

こちらを参照

https://www.mhlw.go.jp/bunya/nouryoku/jarnal/tokusyu/2009_04.html

大きく分けて

高齢・障害・求職者雇用支援機構

都道府県高等技術専門校

・県が民間企業委託してるやつ

3種類がある。雇用支援機構のものは通常6ヶ月。県が実施しているものは3か月~2年と長期間のものもある。

東京都に関しては雇用支援機構センターポリテクセンター)がなく、都立職業能力開発センターが全て実施している。私は雇用支援機構の方に通った。

県の職業訓練について調べたい場合は「○○県 職業訓練」で検索すれば出てくると思う。

県の職業訓練高等技術専門校という施設で行っている。期間が長いものが多いものの年間¥100,000~の学費必要なのと年に一回しか募集しないことが多い。県のホームページなどにはきちんと書かれてない場合が多いが、離職者向け訓練でかつ失業給付日数が所定より多く残ってる時点で入校すれば失業給付給付期間が卒業まで延長されるはず(確認はしてませんが…)

民間の訓練については各県が民間企業委託して実施している。それぞれ条件が異なってくると思うので県のホームページ確認してほしい。

内容は検索すればわかるが、溶接とか機械加工とか現場のものが多い。もちろんIT系の訓練科もある。

県の方は工芸など特色ある訓練を行っているところもあり興味がある場合はよく調べてほしい。

例:東京都アパレルパタンナー科、埼玉県 川越技術高等専門校の木工工芸

雇用保険の受給資格がない場合にも求職者支援制度という給付金が受けられる制度がある。

応募

応募期間中に各ポリテクセンター高等技術専門校説明会を行っている。これは是非出席して、いくつか質問をしたほうがいい。実際に面接を行う先生に顔を覚えてもらえる。応募書類ハローワークでもらえる。応募にあたって志望動機とか就職活動実施状況を書かされた気がする。応募書類には写真必要なので注意。

選考試験

面接では転職活動の状況、志望動機等について聞かれた。受験者はスーツで来ていた。面接の前にテストがある。過去問(のサンプル)は説明会でもらえた。

前職で訓練科と関係がある仕事をしていた人は受からないとまことしやかに言われているが真相はわからない。実際私が通ったクラスでも15人中3名は経験者だった。その方々は前職で経験はあるがきちんと体系立てて技術を学んだことがないので1から学びたいと仰っていた。倍率と志望動機次第なのではないかと思う。

失業給付給付残日数が多い人ほど受かりやすいという話も聞いたことがあるがあまり関係ないと思う。

受講期間中失業給付給付を満額貰うには(2018年2月現在

講中失業手当てをフルで貰いたい場合→入校日当日に給付残が31日以上必要

この給付残日数というのが曲者だった。私の場合一回応募して落ちたせいで、二回目の応募の際には何もせず入校日を迎えた場合入校日当日で日数が31日を割ってしまって受講期間中失業給付金が受けられなくなってしまうところだった。

仕方ないので私は派遣紹介会社のRandstadに登録して週2日で物流倉庫バイトをした。週2日以内、20時間未満であれば雇用保険への加入義務がなく、働いた分給付日数が後ろ倒しになる。Randstadの担当者にこのような事情申し伝えたところ、幸い物流倉庫仕事を見つけることができた。ここで2ヶ月ほど働き、私が職業訓練校の合格通知を貰った時にはギリギリ入校日に31日を超えることになった。

web上で公共職業訓練選考スケジュール公表されているので、事前に計画してこのようなことがないようにしたほうがいい。

このあたりの対応は、ハローワークごとに異なるので確認したほうがいい。

倍率

倍率は1倍台後半~2倍台前半だった、当然落ちる人もいる。実際私は一回落ちて、次の募集で受けて受かった。

2018-11-15

黒い靄と私

6年前から、黒い靄で包まれている。

正確に言うと、目の前と、頭の中が黒い靄の中にあって、私は私の体をコントロールしたり、外の世界に触れることができない。

キーボードを打っているのも、気づいたら文字が打たれている。

どうやって打ったのか、誰の考えなのか思い出せない。

黒い靄がそこにあるだけである

日常生活普通に送れていると思う。

今年大学院卒業して、就職した。

それから今日まで無遅刻無欠勤だ。

なんならむしろ行動的な方で、

2週間に1度は習い事に行くし、

海外一人旅もする。

新しいご飯開拓もするし、

知らない人にも結構しかける。

就活の時は毎日ぎっしりセミナーの予定を入れて、夜遅くまで活動していた。

学部時代部活部長をやった。

指名されて部長になった。

みんなの前に立って、言うべき時は強く言ったし、飲み会では人一倍はしゃいだ。

でも、思い返せない。

それは私じゃない。誰かの記憶

何かを思い出そうとすると、頭の中にある黒い靄の塊と、思考文字の塊が邪魔でよく見えない。

黒い靄の外で、近くにある手と足が動いて、声が聞こえて、映像流れる

鏡を見ても、それは「私」だけど、私じゃない。

感覚が無い。

自分の手を自分で触れても、ただ目の前で手と手が触れる映像として流れるだけ。

つねると痛いけど、それが目の前の映像と結びつかない。

音声と画像がちぐはぐなビデオみたい。

気付いたら全て終わっている。




黒い靄がかかった日のことは覚えている。




第一志望の大学試験である




受験を考え出してすぐ、

その大学になんだかすごく行きたくなって、

偏差値のこととかあんまり考えずに好きになった。

一生懸命勉強した。

早起きすごい苦手だけど、5:30から23:30までびっちり勉強した。

今思えばそこまで非現実的でもないレベルだったと思うけど、

親はすごく心配した。

からいかレベルを落としたら?と言われた気がする。

私にはレベルが高すぎるってずっと思ってたみたい。


ところで私は絵を描くことが寝食を忘れるくらい大好きだった。

休みの日は絵が描きたくて早起きした。

小中学生とき少しいじめられてて、毎日死にたいと思っていたけど、

絵を描きたくて、生きていた。

思ったように描けなくて泣くほど悔しくても止めようなんて1ミリも思わなかったし、テスト前でも睡眠時間削って描いてた。

描けなくなるなら死んだ方がいいと思った。

でもとにかく絵を描きだすと時間を忘れて没頭しちゃうので、

受験直前から絵を描くのを封印した。。

最後最後我慢できなくなって勉強ノート一枚隅々まで使って絵を描いたときはほんとに気持ちよかったな。

技術的には全然だけど、やっと自分が描きたいと思う絵が描けつつあって嬉しく思ったのを覚えてる。

大学生になったら、親の目も無いし好きなだけ絵が描けると思ってた。

同人誌出したいなとか、

動画絶対作ろうとか、

かに絵を使ってもらいたいなとか、

今思えば絵が生きがいだった。


なぜかはっきり思い出せないんだけど、

試験の直前だか当日だかになって、

母親に、あなたが受かるわけないでしょ的なことを会話の中で言われた。

えっ、私受からないんだ、って素直にびっくりした。


そのまま試験を受けに行った。

そこだけはっきり覚えてるんだけど、

英語の長文解こうとして、読み始めて、どうしても読めなかった。

過去問で長文何回も読んだけど、まるで初めて英語を見たぐらい意味が頭に入ってこなくて。

見えてるのに見えてなくて、読んでるのに読んでなくて、何も分からない。

黒い靄がかかっているのに気付いた。

もうパニックになって、見えろ!見えろ!って心で叫んだ。

泣いてた。


黒い靄は晴れないまま、試験は終わった。

会場外で母と待ち合わせして一緒に帰った。

どうだった?って聞かれたから、全然解けなかったんだって言ったら、

「ええ~?あんなに頑張ってたのにどうして?」

って。

すごく裏切られた気がした。

からないと思ってたんじゃないの?って

私、受かるかもしれなかったの?って、混乱した。

なんて言ったらいいかいかからなくて曖昧に笑った。





第一志望の大学には落ちてた。

慌てて受けた大学に行った。

親としては十分満足な大学らしいけど、私は受かっても何も思わなかった。




大学生になって、一人暮らしをさせてもらった。








気付いたら、絵が、描けなくなっていた。




自分の中から絵が無くなってしまった。

とにかく手を動かしてみても全然違う。

私ではない誰かが、「絵を描くために描いた絵」って感じで、

心が全然こもってなくて、あさましくて気持ち悪くてすぐ捨てた。


今も描けない。

あれから6年、まともに絵を描いてない。

黒い靄の中で私はずっと眠っている。

どんなに強く刺激してみても、黒い靄は破れない。


今でも親は、言葉にできない怖さがある。

目の前にすると何も言えなくなるし、

自分が何者なのか全然からなくなって混乱する。

さすがに黒い靄との付き合いも長くなってきて色々考えるんだけど、

しかすると、黒い靄は私が現実を見て傷つかないように守ってくれてるのかなって思う。

大学に落ちたとか、親とか怖いことを見せないように包んでくれてるのかなって。

時々、黒い靄と私のことを深く考えると少し視界がまぶしくなって、

なんだか立っていられないほどに自分が心もとなくて怖くなる。

これは私が黒い靄の外に出ている状態なのだろうか。


素直に、今まで守ってくれてありがとうって思う。

きっとその時の私じゃ耐えられなさそうなことが黒い靄の外では起きてたんだろう。

本当に死にかねなかったのかもしれない。

でも最近は黒い靄生活に行き詰まりを感じている。

というか、ちょっと飽きた。いいかげん動きたい。

これから人生は、黒い靄ごしじゃなく、私の目で世界を見たいなとか思ってる。

黒い靄からの出方はコツが掴めそうで掴めてなくて、

今この瞬間も黒い靄の中。

文字勝手に打たれてる。

2018-10-29

anond:20181029190747

センターは、英語めっちゃ間違えた!死ぬ!とおもったら1問しか間違ってなかった。模試でも過去問でもそんな高得点を取ったことは一度もない。国語めちゃくちゃ頑張った!ドヤ!と思ったら大量に間違えていた。模試でも過去問でもそんな低得点を取ったことは一度もない。一発勝負からそんなもんだぞ。おっさんセンター受けたの結構前だから参考にならんかもしれんが。

2018-10-21

システムアーキテクト2018/10/21@青山学院大学

FEAPPMSTSCSMAUときて、SAに来ました。

SAって一般常識的な感じで何勉強すべきかわかりませんでした。。過去問と関連調査くらいです。

■午前2

イウエエイ アアエウア エイエイ ウウウイエ ウエアイイ

  多分合ってる:1,2,5,6,7,9,10,11,17,29,20,22,25

  疑わしい  :3,4,8,12,13,14,15,21,23

  テキトー  :16,18,24

  ---------

  過去問少なくない?知るかよって問題が多すぎる。

■午後1

<大問1>

設問1(1)受講者に向け5週間前に案内メール送信する運用。(3/20内示で4月上旬実施から。)

   (2)人材開発部で受講者と登録したタイミングで案内メール送信する。(これは想像で書くところ。)

   (3)   受講者:所属が変更となる受講者

     タイミング:月の2日,3日から始まる講座。(名簿など作ったタイミングと、月初から所属が変わるからと考えたが…これは間違ってそう。)

設問2(1)人事異動対応できるように社員基本情報所属複数登録できるようにする。(なんかこれも間違ってそう。)

   (2)a:専門分野、b:レベル、c:取得資格、d:資格

   (3)資格名は受領データにないので登録時に設定できるようにする。

設問3: 機能:講座一覧の照会機能(間違ってそう。この機能は有ると思うけど、ぴったりな表現は見当たらなかった。)

    不具合:照会日付での最新情報判別できず正しく表示できない。(主キーじゃないとNULLが入るうると…と考えました。間違ってそう。)

  1-(3)と3がやばい。この問題で4割~5割かも。

<大問2>

設問1:文書登録後、公開前に承認必要とする機能

設問2:開示請求件数の約半数が年度初めの4月、5月に集中するという特性

設問3(1)利用者登録していない個人法人から開示請求する際に、手数料など追加項目を設定するため(いい感じに思ったが、ちょっと飛躍しすぎかも。)

   (2)職員認証システムとのデータ連携が月1頻度に抑えられるため

設問4(1)現行同様、必要に応じ情報提供先に電話で連絡できること

   (2)場所時間制限がなく即時に文書を取得できること(手作業の手間を低減したい、も書きたかったが文字数足らず。)

   (3)事業者の開示請求が多く、メールアドレスより法人電話番号の方が登録やすいため。

■午後2

設問2(PKGと要件ギャップ対策案)を選択過去問にほぼ同じがあり考えたことがあったので。

骨子だけ記載しておく。

1.対象業務システム概要、PKG選定の理由

1-1.対象業務システム概要

1-2.PKG選定の理由

  顧客システム10年動いていて、文書腐ってたり保守コスト運用コスト挙がっているのがPKG導入の背景。

2.PKGと顧客希望機能ギャップとそれに対し検討した解決

2-1.実施したFit&Gap分析

  顧客現行システム機能一覧と、自社PKGの機能一覧を紐づけて整理。それを複数回のデモ確認した。

2-2.分析の結果検知したPKGと顧客希望機能とのギャップ

  以下の3つのギャップが発生した。

   ①PKGのにはAAA機能がなかった。まあどうでもいいトラブル対応用の機能

   ②PKGのにはBBB機能がなかった。これは企業競争力寄与する業務機能

   ③PKGのにはCCC機能がなかった。これも重要だがPKGの追加開発はコストが大きく厳しい。

2-3.ギャップに対して検討した解決

   ①別機能を組み合わせて代替としてもらうよう依頼。マニュアル作って補足。

   ②業務インパクトを鑑みて、追加開発する。

   ③自社追加開発のコストを整理して高いとアピールし、接続する他方システムで改修してもらうように打診。

3.ギャップ解決策と評価

3-1.ギャップ①の解決策と評価

   大変良いと評価した。安易な追加開発に進めずよかった。デモでその認識相違も埋めてよかった。

3-2.ギャップ②の解決策と評価

   業務インパクト分析したのがよかった。

   契約書の追加記載などで避けられたかもしれないので、その可能性も比較すべきだったのが✕。

3-3.ギャップ③の解決策と評価

   情報整理してすすめたことは大変よかった。

   ちょっと強引で顧客や他システム側に嫌われたかも。もっと早めに気づいて展開できればよかった。

  午後1がOKなら、この論文は受かると思う。

以上

2018-10-15

高専5年間を、田舎オタクが通った感想

結論から言うと、特に後悔はない感じだわ

パリピなやつはパリピしてて、オタクなやつはオタクで集まってていい感じにすみわけできてた気がする

科にもよるんだろうけどウチは半々くらいだったわ

からといっていじめが起こるわけでもなく普通だったな

実験研究勉強が大変だっていうけど過去問友達使えばなんとか乗り切れたし

就職や進学には地元進学校に比べてよかったらしい。これ聞いて高専よかったってちょっと思ったわ

というのもうちの地元一の進学校だと思ってた学校って実はネットでよく蔑まれている「自称進学校」ってやつだったらしい。

本当に地元一番で賢いんだぜ?○○高校いってるつったらまあ県内で一番っていかないまでもトップ3くらいには入ってて、「勉強頑張ったんだね」って言われるくらいには。

偏差値もうちと変わらないのに、カリキュラムゴミなんだってさ。特に先生ゴミらしい。まあこれは時代だったり運だったりもあるのかな?

でもまあだからといって高専薦める気にはならんがな!

高専感想を伝えるブログを書きたかったけど、自分の何もしてなさに絶望したのでここに投下させていただきます。うんち

なんか反応くれ

2018-10-14

anond:20181014022259

さっきまでパニックで何も考えられない状態でしたが落ち着いてリスニングできました。国立国際系志望で英語偏差値だと65ぐらいなのですがこの前模試結果返ってき浪人でこれはやばい!(判定はc)と焦る&来週また模試ダブルで昨日からパニックになってしまいました。

かに英単語8月以降やってなかったはずなので振り返ってみます

予備校は現役は駿台行ってたんですが、行きたい大学コースが近くにないので、塾のテキスト取り寄せてネット添削してます。基本は図書館カフェルーティンでやってます

英語私立やら国立やら参考書やら手出しすぎてたので、第一過去問、塾テキスト単語CNN透視図に絞りました。

やっぱ宅浪なので周りの雰囲気がわかってなかったのですがもうネット断とうと思います。だらだらやるのやめます睡眠しっかりとりまありがとうございます頑張ります!!!!!

anond:20181014001928

あと、宅浪だったら尚更

増田含めネット遮断したほうがいい

試験日と試験会場以外

受験生にとって

有益情報は、ネット上には存在しない

教科書問題集過去問模試

( あれば、予備校テキスト )

とだけ向かい合え

現役時より上の結果出したいなら

もう増田には来るなよ!

2018-10-12

anond:20181012173639

私も応用受ける予定だけど、過去問の点数がギリギリ

もっと過去にさかのぼるか、もう一度今までのを解いて精度を上げるか悩む

2018-10-06

点は取れるけど苦手な科目

高校英語リスニング

ほぼ満点をとっていたけど聴き心地の良い音声なのですごく眠くなる。聴き心地が良いのに解いて点を取らなきゃいけないか必死で聞いて考えていた。

寝れない夜に思い出したので過去問の音声をDLしてきて聞いて寝ることにする。

読んでくれてありがとうおやすみ

2018-09-25

anond:20180925192830

過去問やってればだいたい取れる

しわかんなければ神に祈れるよう鉛筆を持っていけ

2018-09-17

簿記勉強をしているけど些細なことにつまづいて全然先に進まない

まだ三級なのに

いま、参考書仕訳のところを読んで、仕訳練習問題を解いている

決算書に出てくる科目はある程度見たことがあって、よくある下のような表を思い浮かべればなんとなくわかるようなわからんような程度

資産」/「負債」「純資産

費用」/「収益

でもこの表も、「資産」と「純資産」が違う列にあるのがよくわからない。どっちも資産って書いてあるのになんで負債純資産が同じくくりなのか。

それに「資産」と同じ列にくるのが「収益」じゃなくて「費用」なのも統一感なくて気持ち悪い

貸方とか借方とかはよくわからないけど、「借方は左側の列」というのは覚えた。

なんで左側が借方で右側が貸方と呼ばれるのかはわかっていない

売上100

入金100

みたいな問題で、なんで仕訳だと入金100が現金100になるのかが理解できない

入金という言葉決算書の科目で見たことがないから何か違うのに変えるんだろうなぁというくらい

でも、入金されたなら当座なり普通なりとにかく預金じゃないの?

仕訳は暗記っていうらしいけど、何を暗記したらいいのか…

学生時代の専攻もあるけど、去年基本情報を受けた時は過去問3年分くらいを解答見ながら2〜3回解いたら受かったから、暗記はできる方だと思ってたのに、簿記三級は解答見てても理解が出来なくて全く頭に入ってこない

未来永劫受かる気がしない

2018-09-16

職業訓練IT系)に半年通った感想

(※半年といっても7月後半〜8月まで夏休みでした)

私は20代半ば手前の者です。

昨年仕事第一次産業)を辞めてしまい、学歴スキルもないのに何やってんだろ...と引きこもりかけたところ、

ハローワークで長期の職業訓練を見つけたので応募してみました。

それは専門学校委託される2年間の訓練でした。その間失業保険支給は、期限が過ぎても延長してもらえます

要するに入学料・授業料タダ、お金をもらいながら勉強でき、専門卒になれるチャンスというわけです。

(本当に有難い制度です。就職したら、きちん税金を納めて世の中にお返しするつもりです)

どうやら希望者は少なかったようで、筆記(中学レベル知識大丈夫でした)と面接はすんなり通りました。

受講するコースIT系を選びました。

(他には、介護系・看護系のコースがありました)

訓練の様子

専門学生に混じって授業を受けます

同じ訓練生は1割程度です。(30~40代の方が2人おられます

ほとんどは地元高校卒業したばかりの18才の子たちです。

ワイワイやる人が3割、静かな人が7割ぐらい? といった印象です。

男子100%ですが、ホームルームだけは女子100%のコースと一緒にやります

悪い人はいない感じで、授業が荒れて成り立たないとか、そういうのはなくてよかったです。

ただ、バイトが忙しいのか授業中イビキかいて寝ちゃう人や、全然授業について行けなくて辞めちゃうはいます

この辺の雰囲気大学1〜2年と似たような感じですかね。

授業内容とか

Office(前期のみ)

word,excel,powerpointを一通りやりました。PC操作に慣れていない人も多いので、

手取り足取りゆっくりやる感じでした。自分仕事で使ったことがあったので、課題を早く終わらせて

自学をしたり、隣の子に教えてあげたりしました。

C言語

terapadコマンドプロンプトを使っての授業です。(コンパイラborlandです)

SE先生(本人曰くCOBOLer)の説明聞いてから課題をこなしていく感じです。

入学前に、RubyやらJava参考書を一周してみたり、ドットインストールC言語動画を見たりしていたので、

授業にはついていけています

ただ授業だけだと完全に足りなさそうなので自学を頑張ってます

基本情報技術者試験対策

分野ごとに授業があります教科書を読んで先生が板書・たまに問題集プリントを生徒にやらせるといったスタイルです。

ただ試験対策なので、問題演習を重視した方が良いと思いました。

授業を聴きながら(たまに当てられるので)、ひたすら過去問をやっています

ちなみに学校は12月の修了試験合格すると本試験の午前問題免除)→来年4月の本試験 を前提にカリキュラムを組んでいますが、

私は年も食っているし、合格就職活動に間に合わないので、来月受験します。

就職指導先生応用情報技術者も取っておけ、と言われましたが、必要ですかね...?

勿論取らないに越したことはありませんが、Railsチュートリアルとか他の技術書時間をさいたほうがいいかな、と思いました。

アルゴリズム(前期のみ)

フローチャートや疑似言語を使って、バブルソート基本選択法など初歩的なアルゴリズム勉強です。

実際のプログラムコードの方がわかりやすい気がしますが、基本情報技術者試験対策なので仕方ないですね。

今も現場ではフローチャートや疑似言語は使われているのですかね?

そんなの古い現場しか使ってないよ、という意見はよく聞きますが...

HTML/CSS

先生意向でなぜかメモ帳推奨。(他のエディタを使っていたら嫌な顔をされた)

素人がいうのも何ですけど、ミス気づきにくいし、使いづらくないですかね...

案の定何でもないところでハマる人がいて、授業はよく止まってしまます

ブラウザ開発者ツールの使い方を隣の子に教えてあげたら、喜んで使ってくれていましたが、

やっぱり変なもん教えるなという目を先生から向けられちゃいました...

データベース実習(後期〜)

Accessを使った授業です。テキスト通りにやっていきます

Accessは初めて使いましたが、Mysqlをちょこっと触ったことがあるので、要領はなんとなく掴めました。

これも授業は遅いので、先に教科書の内容は家で一通りやってしまいました。

今はVBAの本をやっています

就職指導

ビジネスマナーや、ちょっとしたゲーム、話し合いなど。

グループワークとかやめてください死んでしまます、と思ったけど、意外と楽しめました。

ただ、喋らない人たちしか居ないグループだと、何を話しかけても反応が薄かったので、ちょっと辛かったです。

訓練(学校)の不満なところ

(勿論、アンケート等で学校側に伝えています

・授業で使うPCはメモリ4GBでもうちょっと欲しいなあと思いました。

エディタAtomUSBに入れて使っていましたが、カクカクでよくフリーズしました...

(VSCode大丈夫でした。)

モニタも19インチ正方形で、ウィンドウをたくさん出したい時は不便ですね。

どんな職場に行ってもどんな環境でも何とかやれ、という訓練ということなんでしょうかね。

そんな感じです。

1年生後半にRubyの基礎、インターンシップ強制)、就職活動の開始

2年生からは、Java,Rails,サーバ構築, データベース構築あたりの授業、という流れで進んでいきます

来年卒業します。

年齢が20後半になるので、周りの若い人たちと何かしら差をつけないといけないので大変ですが、

地元企業SE(Web系を希望しています)で採ってもらえるよう頑張ります

アドバイスがありましたら、いただけると嬉しいです。

追記

拙い感想文にいろいろと反応いただきありがとうございます

>>学費取れないぶん設備が劣るのは仕方ない気もするが

もっともです。私は皆様の雇用保険から学校に通わさせていただいているので、文句言う立場じゃないですね...

ただ、年100万近く払っている一般生徒の方は、不満に思っているかもしれませんね。

>>田舎で数年間無職してるけどIT系就職訓練無くて最悪 羨ましい 田舎ゴミ 

そうですか... 私の住んでいるところも地方都市ではない田舎なのですが、

近隣にIT企業進出してきていることもあってか、今年からIT系が訓練の対象となりました。

都市部ではない地域も、もっとIT系の訓練が拡充されると良いですね。

>>otihateten3510 基本情報さえ取ればどっかに潜り込めるだろうから、そこで3年くらい真面目にやれば結構いけるとおもう。

>>コード書けると良い。/授業はまあそんなもんだよね。現役の人に聞いたほうが正しい。/東京のほうがイージー

ちょっと精神的に病んで前の仕事をやめてしまったので、家族サポートを得て、地元就職しようという情けない有様でございます

なんとかしてこちらの企業に潜り込みたいと思います

仕事事情は、やはり現役の方に聞くのが一番ですね。企業訪問インターンで色々聞いて見ようと思います

2018-09-15

それでもボクは数学を解く

数学問題を解くのがボクは大好きだ。

大学文系だし、別に得意というわけでもない。

今の仕事に繋がるわけでもない。

買ったばかりの持ち家の書斎にこもって、ノートを開いて。

スマホ大学過去問ネットで探して時間も決めずにだらだら解く。

ボールペンで書きなぐる。間違っても消す必要はない。白紙の次のページに行けばいいだけ。

無責任に考えて、無責任な解答を作る。

解答を見てこんな頭の良い解き方思いつくはずないじゃんって思う。

でも、最後の答えは合ってるから、嬉しくなる。

次の大問に進んでみる。やりたくない。この問題はやりたくない。なんかつまらなそうな問題だ。やりたくない。そんなときは、飛ばせばいい。

やってみたいって思う問題出会えるまで、飛ばせばいい。

こんな時間、はっきり言って無意味だし、時間無駄だ。

やって何になるんだろう。ゲームですらトロフィーがもらえるのに。サラリーマン高校数学を解いて何になるんだろう。

それでもボクは数学を解く。

無責任な充実感。代えがたい贅沢なのだ

2018-09-08

anond:20180908115526

今じゃありえないな。

戦後学制改革1960年代までの東大なんかもそんな感じだったらしいけど。

中学の授業聞くだけで日比谷や西や新宿あたりの都立高校にサクッと入って、そこでまた授業聞いて過去問チョロっと解いて練習するだけで東大現役合格普通だった時代。  

今なら絶対にありえない。

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