はてなキーワード: フーリエとは
鉄緑会のことを何も知らないで書く。なので、完全に的外れかもしれない。
「東大の先生の授業レベルが、そのまま受験のバックグラウンドになっているから、現役東大生が集まった塾ではその知識やバックグラウンドが集合知となるから」
だと思われる。
あれって、大学レベルだと、フーリエとかラプラスとか使ったり、等価回路使ったりする。
で、実際過去問でそういえばそんなものがテーマになって高校生用にアレンジされてる感の問題があった。
この知識があって、そう言う感じの問題が出れば、圧倒的に有利だ。しかも周りは解けない。
そもそも、東大が日本の大学生の標準的な教科書を書いてる先生と書いて、それをパクって全国の大学が授業してるわけで。
その根本的な「東大生の学問理解レベル」を作成してる東大の先生の脳味噌は、東大生に反映されていて。それで問題を解析してるわけだ。
全国の塾で、東大の授業、レベルを知っている人がどれだけいるか。
もちろん、最先端まで知ってる塾講師はいるだろうが、「東大生のレベル」を色々な分野含めて知ってるとなると、鉄緑会しか無理だと思う。
自分の場合、物理、数学、生物ではこの手の感覚や、誰先生の授業が元ネタだろうなとかまでわかる。
おそらく、社会も化学も英語も国語もそう言う感じじゃないかと思う。
だって普通の受験生は、ラグランジュとか二回微分の解析とか知ら無いで、そこから発想された問題は捨てるか大量のハンデで解くしかない。
一方で、鉄緑会は、そう言うのを織り込み済みの中で教育されていて、問題への対応力が違うわけだもん。
一般の受験参考書の著者も、研究として1分野を知っていても、「現役の東大の集合知」となると敵わないから、あくまでこれまでの参考書のアレンジしかできないと思う。
一般受験生が、過去問などから、「東大テイスト」を知ろうと必死になるよりも、さらにアドバンテージ持ってるし、それをベースに計画された問題演習やってるわけじゃん。
そら敵わないわ。
良くはわからんけれども、
政治思想なんてのは時代の変遷とともに思想自体も、親和的な文化とも変わっていくものだよ。時代って言うには大げさすぎるかもだけど。
例えば社会主義なんかサン・シモン、フーリエ、ロバートオーエンの思想と、マルクスの思想はだいぶ違い、
科学的社会主義者を自負する者の中には前者を「空想的社会主義」として叩く人もいたわけだ。
同じくくくりでは「ネトウヨ」でも、昔の「古典的ネトウヨ」とは合わないように変わってしまったネトウヨが多くなってきた、ってだけの話なのでは。
ネトウヨは社会主義者と違って、空想的だとかそうやって切断することをやってないという点で差異はあるけど、
まあインテリ的では全くない思想だからそのあたりツメの甘さが別にあっても不自然ではないと思うし。
思想が変化したからって、ネトウヨという集団そのものがなくなったとみなすのは、油断であるように思えるよ。
実際、以前はネトウヨとあまりみなされてなかった意見や思想が新しくネトウヨとされてるのはだいぶ前から結構見るし。
そして最近、ネトウヨを名乗りながら、あるいはネトウヨ扱いされても否定せずに、その上でネトウヨを叩く人も増えてるように感じる。そういうことではないだろうか。
昨日hokusyuuさんの文をリンクしてたたき台にしたら怒られたので今日は地の文で書くようにしてみる
hokusyuuさんのは魔法少女まどか☆マギカ論と言うのは嘘で魔法少女一般論だから結論が違ったら本編が間違ってると言い張れるけどw、自分の話はまどか☆マギカにしか通じない
えーと構図から
QBとの契約に現れる世界は通常の世界が魔法の世界によって脅かされる世界
これを2重の円に例えると内側が日常の世界、外の大きい丸が魔法の世界、外側の円に存在する魔法的存在により脅かされる。
この2重の世界は神話的暴力により、普通の世界しかないひとつの円から発生するわけだ
ここで自分にわかりやすいように神話的暴力ををフーリエ変換と考える
つまり日常の世界をフーリエ変換するとフーリエ空間上に2重の世界が現れると考える訳だ
hokusyuさんのではフーリエ変換とかの世界を変換する力を神話的暴力としてる事になる、個々の要素をA→aに変換する操作
それに対してその操作する主体である神が行う、変換する操作自体を選んだり、捨てたりするメタな力が神的暴力になる
真の魔法少女はこのメタ操作をして変換自体壊してしまえと言う主張になります
で昨日書いたのはここに、大人/子供軸 を導入すると説明範囲が広がるよねという話
魔法の世界が児童画的に書かれてるのが理由ですが 大人(=コスモ)/子供(=カオス)と考えてもらったほうが分かりやすいですね
hokusyuさんのは円の中身には踏み込まなかったけど、ここで2重円の中央に大人(コスモ)をおいて、子供(カオス)を円の周辺方向に軸をとる
画像のフーリエ変換を行ったとき、フーリエ空間中央部分に周波数0が来るイメージですね
でその画像の真ん中あたりに境界を守る魔法少女の境界線がかける
まどか☆マギカの世界で対応させていくとコスモの中央はコスモ=ノモス(日常)とすると、まどかの家庭(家)にあたると思う
ここから離れるにしたがってカオス度が上がっていく、他の魔法少女に付き合って戦いに行くと一番端っこの境界線までいくことになる
だからまどかの家庭(家)の演出ではシンメトリーの構図が多用されコスモ秩序が記号として強調されるわけです
それに対して境界に存在する魔法少女がいるとカオスになり、秩序が破壊された不条理を強調する演出が多用されるわけです
また大人/子供とコスモ/カオスを同時に扱うことで子供から大人に向かう成長物語が立ち現れる事になります。
キャラクター一人一人のストーリーラインは大人に向かう少女の物語として現れます
魔女と戦う魔法少女たちは幼児的無規範な世界から規範のある大人の世界を守るためにも戦うともいえる
大人として不適格な行動をとった場合闘争に負ける、つーかもともと少女だから勝ちよう無いのだが
マミはまどか本人に無利益戦いに引き込みそれに依存しようとした、独立した大人にあるまじきことに
さやかは成熟した女性としての恋愛感情の解決に失敗した・・・らしい8話によると見てないからよーわからんが
ほむらは負けそうにないな、(大人性を強調してるし)子供なのに大人って変な話だなー
今考えると魔法少女になると年をとらないので大人の年齢なのに外見は少女のままなんだな、やっぱし大人にはなれないわけだ
だから成長物語としては規範を内面化し、幼児性を規制してりっぱな大人になると言う話になる
では目指すべき大人としてのモデルは何かとなるのだが、そこに出てくるのがまどかの母である
テレビの人おまけにTVの世界で権力闘争までやってるスーパーウーマン
うんちょっとモデルとして問題あると思うよ
つまり、まどか☆マギカとは非情なサバイバルを生き抜いて大人になる訓練をして大人のせかいのサバイバルをする話だったんだ、ええーなんだってー
いや言いすぎだけど、時々そういう説明みるけど
まどかが神的暴力を振るうとき大人の階段をひとつ上ると言うストーリーラインが用意されてるとはいえると思うんだ。
と言うことで終わります
7月現在、12人のユーザーがレビューを書いているが、うち11人が最高評価の5つ星を与え、トータルの評価でも、5つ星を獲得している。キユーピーによれば、同社の米国でのマヨネーズ販売は近年、平均2~3%の伸び。同社広報室では「米国販売での販売は、アマゾン効果かどうかは分からないが、じりじり伸びており、今後もその傾向が続く」と話している。
この程度で絶賛 というのはいかがなものかと思ったので、自分の知ってる例を一つ
Who Is Fourier?: A Mathematical Adventure
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http://www.lexhippo.gr.jp/publication/