はてなキーワード: 理科一類とは
フェルマーの大定理の実質的な内容は、満足する整数が存在しないことが全てのnについて成立するというだけ。非常に珍しいしたまたま規模が大きいので骨董品とされながら350年間
解かれなかった。類似の問題で係数をつけたものがあるが、これはその係数を全部1にそろえられるという意味で価値がないから解けて当たり前だというのが数学界の通説。
ワイルズの証明は、オイラーが3のときに検討した、u^p+v^p+w^p=0 uvw≠0 などの初等分野で出尽くした定理を多数陳列して、次第に証明の完成に向かっており
非常に難解。
本質的には、有理数体、p進簡約群などの問題になるので、それは、(x/z)^p+(y/z)^p=1 だからであるが、モジュラー性は複素関数の理論で非常に深いことを大量に言わねばならない。
5ちゃんねるのVipperは、20年前に書かれた書籍によると、コリヴァギンフラッハ法というもっと完全無欠な技術があって、東大の教授はこれについては沈黙。
ABC予想は類似の様々な定理を証明するがそれ自体が証明できないからどうともならない。
平成14年に東大文Ⅰに入った人だと白根真理雄がいますがおそらく死んだ人なのでフェイスブックでも平成14年のコメントはないし、平成15年だと、永山悟は前期試験で落ちたので
だからコメントする者が誰もいないという状況。平成29年にぺちが理科一類に入ったんですけど面白味のないくだらない問題しかなかったのでコメントしない。
平成23年の理科の問題はかなりの難問が並んでいたんですが誰もコメントしないと。
それから昔は、数学0点、英語120点とまではいかなくても、 数学5点、 英語105点とかで入った人もいるので。しかしコメントは一切ない。
ピタゴラスの定理は宮岡洋一先生などの間でも定理なのかどうかが疑われている。デカルト座標の距離を決定する極めて重要な機能を果たすので重要であることには
間違いがないが、定理なのか事実なのか、一般的には定理であろうと言われているが、一般に定理は、難しい趣旨内容をしているので、直角三角形のときだけ長さの
関係が存在するといっても、どこがそうであるのか、確かに、そのような定理で、a^2+b^2=c^2という内容であると完全無欠なので応用の幅は広いと思われる。一般に数学上
完全無欠を思料される道具は、個別の問題における分析や事実の指摘を通じて、最終的な解決の道具となるが、厳しいものとなる。
東大理科一類の天才が解いたとされるバッタの問題も、最後の決め手は、帰納法である。しかし、それでまとめ上げるまでの、事実の指摘が4つもあり、
6年間で2年のビハインドがあるんだよ。初期研修までやったら追加で2年だぞ。研究者生命は短いんだ。
俺は理学部に進学したことも後期課程に進学したことも後悔していない。
苦しいけど失敗ではないんだよ。お前らが勝手に「失敗」と看做したいだけだろ。
お前は俺が小さい頃からお医者さんがどんな素晴らしい仕事かよぉーく聞かせてくれたよな。お前は俗物だから基礎研究に携わってる学者よりその辺のクリニックの院長を崇めるような典型的な専業主婦だもんな。
俺が理科一類に合格した時も「そのセンターの点数なら山大の医学部に…」とかブツブツ言ってたもんな。
駒場にいる時も何回も医学部仮面浪人進めてきたし、進振りのタイミングで東京遊びに来た時も「医学部は全科類からの枠あるんでしょ⁈成績見せて!」って目をキラキラさせながら言ってきたよな。
理学部卒業して理学系研究科に進学した時には「子育て失敗」扱いしたよな。
別に俺は失敗なんかしてねえよ。後悔はない。
別にお前らに迷惑はかけないよ。普通に結婚して家庭を持つような収入が得られる職に就けなかったってだけの話。死ねば解決する単純な話だろ。
後片付けだけよろしく。
M
(3)バカだし金に興味がない
(4)自分で数学の問題を研究し、実践することが楽しみぺこ、もしくは、楽しみなのら、である。
(5)小さい子供に目がない。
(6)フランス語が好き。
(7)計算機にも興味があるため、東京大学工学部計数工学科に進学した。
N
(2)予備校時代、君は東工大だ、と言われているほど数学が好きだった
法律や警察は、「ごみ」ではない。平成14年に文科一類に合格しその際に出題された数学の答案で大した問題を解かなかったはずの白根真理雄すら特にコメントを
しないようなものが法なので巨悪。ついでにいうと、理科一類に前期試験で落ちて後期試験で合格し、市役所に合格した永山悟すら論破しようとしないものが、小池百合子が書いている裁決だったり
警察なので巨悪以外の何物でもない。とりわけ、戸田中の校長は、知能指数が特段に高いごくわずかの生徒にしか解けないような数学上の問題であって平成時代の30代40代が
経験したことがないような問題が解けるのが当然であるかのような前提に立ち、完成した高度な社会について誰もが付き従うのが当然であるかの如く考えている吉崎佳弥や任介辰哉は
昭和40年代に出来た驚愕的な文化施設。建物として規模が最大でなおかつ過激。平成15年にわたしはここに入りました。普通、建物の歴史は、江戸時代末期、武家の木造屋敷が
通常ですが、木造屋敷は、地震や火災で倒壊するからなんら、過激でもないし、規模も小さい。価値のないものである。宮崎県人寮につきまして、昭和49年築、これ以上にない構造物。
住居思想として鉄筋コンクリート、個々人に居室を与えるのが基本。ただし、税金により担保されているので二人部屋で人権が確保されないなどの点はある。風呂場は地下一階にありめす。
平成15年時点での風呂場は規模最大、シャワー完備で、最大規模で過激。敷設のトイレは臭いでしたが機能に問題はない。寮監が設置されていたが、寮の規則が崩壊しているということ
はあった。寮監は、この規則はあってないようなものである、読み上げなさい、門限は22時と書いているが関係ない、開けておくのでいつでも帰ってこいと言っていた。寮の食堂はH15年4月1日
時点ではやっていましたが不人気で、数か月後に閉鎖しました。理由は50メートル先に当時弁当店が出来たことと、コンビニなどの一斉開店で学生がそこで食べればいいので食堂の食事をとる
必要がなくて破綻した。当時入っていた学生には、東大理科一類、文科一類から早稲田、慶応が数人いたが、それ以外は不明。非常に悪質。全体的な設備構成や工事実施の手法などについて
は建築学などにより様々に研究され体系化されているとおもいめす。そこには様々な案があったり様々な布石などが定式化してあって次第に完成しているのではないかと思う。
平成15年4月10日時点では全部機能していて何も問題がないように見えた。私は平成17年にいなくなりましたがその後の経過は知らない。インターネットによると、更に改善が加えられて
ますます便利になっていると書いているが、令和5年4月28日づけで見たときには、閉鎖予定、宮崎県管財課の鬼束が計画して決定したといっていて、管理会社はジャパンプロテクト株式会社
聖なる夜にぺちづけを 冬鳴りの果てに風の詩が聞こえた
今年はどんな問題だったの? 不意に聞かれて言葉に詰まる時代だ
そうどちらも徒然に胸を裂き胸に咲く
季節は変わり
片想いの切なさを超えた二人のこの恋は
やがて愛に変わる 最後の恋と呼べる
そう思うよ
微笑みを宿すただありふれた恋に もう何度救われたのか分からないよ
知らず知らずにまた夢を 軽く口にすればしぼんでいくようで
「夢に疲れたら帰ってこいよ」なんて
癖のある話し方 不器用な優しさに涙こぼした
振り返れば親戚は人ではなくて 👿でした
子供を抱き駆けた夜道(みち)
帰らざる日々は想い出となって ひとりの夜にはそっと取り出して
出逢いという道の上 別れの足跡数えながら
片想いの切なさを超えた二人のこの恋は
やがて愛に変わる 最後の恋と呼べる
そう思うよ
そう誓うよ
個人名 斎藤秀司 来歴 昭和50年代の最初頃に理科一類に合格していると記載されているがその後の経歴は不明で現在の仕事等も信用性はない。
平成17年までは誰にも知られていなかったが、平成19年頃に突然、東大理学部数学科のビデオアーカーブスで、フェルマーの小定理の
講義をしていると確認されるが、容姿容貌が現在と著しく違う。最近では授業として成立してなく自分が孤独に研究してきたつまらない講義を
インターネットで垂れ流しているが、明らかに誰かが視聴するようなものではない。東大理学部数学科には事務長が存在するが、「うちの先生は
もうバカばかりだから聞いても分からないと思いますよ、すみませんが・・・」という発言が確認されそれ以外に東大理学部数学科の情報はない。
対談会では色々なことを述べているが、頭が悪いという点を強調する。
「田舎出身」かつ「親族に東大卒、東大生はいない」かつ「母子家庭」から東京大学工学部計数工学科を卒業し、情報理工学系研究科にて修士課程を修了した。今はただのサラリーマン。親ガチャや教育格差についての一般例に対する個別一事例として。
両親は歯科医だったが俺が3歳の頃に離婚し、中国地方から東海地方の母の実家へ。家族構成は母、俺、祖父、祖母の4人。祖父も叔父も歯科医で歯科医院を営んでおり、離婚後の母もそこで働いていた。祖母は教員だったが俺が生まれた時には定年済だったため、平日は祖母に育てられたようなもの。祖母や母はそんなに勉強にうるさくなく「学校の宿題と公文のプリントだけしっかりやればあとは自由」だった。家に帰って学校と公文の宿題を済ませばいくらでも遊べたしゲームもできた。
家族の学歴的には祖父は戦前の歯学専門学校、叔父と母は私立の歯学部、祖母は駅弁大学になる直前の師範学校女子部卒。東大や帝国大卒は親族含め誰もいない。
県庁所在地まで電車や車で1時間以上かかる田んぼしかない町で育ったため、習い事や塾はなく公文のみ。幼稚園、小学校、中学校ともに地元の町立。小学校は毎日遊び、中学は毎日部活。高校受験で初めて本格的に勉強して県庁所在地の県立高校に電車で1時間かけて通学した。高校でも毎日部活。勉強は英単語や古文の暗記と学校の課題のみ。高2と高3の春休みから学校の近くの大手予備校に通い始め、現役で東大理科一類に合格した。
高校の長時間通学はきつかったし、県庁所在地付近で育ち小さい頃から塾に通ってた友達や駅弁附属の小中から入ってきた友達との学力差を感じることもあったが、受験期には差がなかったと思う。大学でもそこまで灘や開成出身との差は感じず普通に仲良くなれたので、結局は環境とかではなく本人のやる気や性格次第な気がしなくもない。