はてなキーワード: 練習問題とは
とある不定方程式の解が存在しないことは、x^n+2y^n=4z^nが存在しないことは、15行程度で証明できるので、ファーでもなんでもなくこれはただの練習問題で
係数がないときが数学の本番なので、係数があるときにファーと思う人もいるから、フェルマーというのは孤立した骨董品であるとも言われる一方で非常に有名な定理である
なぜなら似たような方程式で解けないわけではないので、係数に2,4がついたものはすぐに解ける。しかし、本番になると解けない
証明の技術としては、 補完定理やなんかを思い付く方法によってもできますが、え?過激なものと簡潔なものを重ねると、そこでぐるぐる回るようになっている。
大体同じ。はい。え?正方形の面積のことを2回指摘しただけだから最後も正方形の面積を使う。変数の入れ替えの場合は、過激な奴と簡潔な奴を使うだけ。
それが一体となっているときが定理で、そうでないときは技術の1つです。柳田彩花? はい、進研模試の偏差値は45くらいで、読んだら分かるけど自分ではできないと
申してました。多分人間ではない。5月3日に児島伸一に紹介されて、6月23日まで黄色チャートを教えたんですけども、24日から定期試験に入るというので、
コンプレックスなので、コンプレックス一次元の方程式、2倍のc2が、c1のスクウェアよりも大きい。言い忘れましたが、7月3日に東京駅で禿もぐらが便所を壊していたのを目撃した。
目撃したんですけども、ちっとも分からない。
フェルマー予想は、x^n+2y^n=4z^nであると解けるのですがこの係数がついているのは明らかに幾何学的に無駄なので練習問題で本番の問題の体を成してないからでは
ないかと思うが。本番の問題になると、該当するものが存在しないというところに出てn≧3の全てのnで存在しないという完全性なものだから非常に難しい。
ペーターショルチェが解いたIMOの問題は、せいぜい、平面に凸多角形をもってきてそこに三角形を割り当てる発想をしてその面積を全部足したら多角形の2倍を下回る
ことがないという定理ですので。フェルマー予想は非常に不思議な内容でなおかつ、4のときでも複雑な議論になる。しかし4のときを解いておかないと、素数pだけでいいという
ことが言えない。また、素数pだけいいということになっても、余計に難しくなっただけ、赤チャートに書いている議論をすると、4のときは、初等的な議論と、無限降下法で存在しない
ことがいえるので、全く出来ないわけではない。しかし、3のときは同じように無限降下法を使っているが、オイラーの証明は、何が書いているのか分からない。だから全然だめなわけです。
ただし、4のときに存在しないことは初等的証明で非常に分かりやすくできるということを、赤チャートが既に例題っていうか、入試問題に出ていますので、4の場合は、ただし赤チャートという
本自体を誰も読んでいないからわかるわけがないと、あ、そうだ、延岡のブックオフに行ったら赤チャートは置いていない。私が赤チャートを買ったのは東京のブックオフです。その上のランクに
x^3+2y^3=4z^3は幾何学的に解釈すると、円周上のインターセクションと呼ぶに値しない一点の事実に過ぎないが、係数がないときは全てが円周上のインターセクションと呼ぶに
値する点であり、定理は、n≧3のnであるから、趣旨内容が非常に規模が大きい。係数に、2,4があるものは無限降下法という手段により容易に解決する練習問題なのに
対して、係数がないときは最終定理と呼ばれる。大分県警の警官は素数のときだけでいい、ピカルの定理、ひとんかたん、と言っていたがどれもおもしろくなく
素数のときだけになっても素数は無限にあるので、自然数と同じであり、驚愕的な定理であることに変わりがないがその程度が大きい。
そうですねー、20世紀頃は、 正四面体が正方形の穴を通過するかどうか述べろという問題もありましたが、確かあれは、通過するんでしたよね、だから、通過するっていう定理ですよね
証明はけっこう簡単だったんですよね、正四面体を切断面で切ったら長さが一定になるって書いてあって
東大もけっこうおもしろい問題を作るなあと思って、あとは、なんだか、永山悟さんっていう行政の人がいますが、あの人が東大に入ったときの後期試験の問題も色々あって
でも平成15年の理系最後の問題は、 円周率が3.05より大きいことを示せっていって何を言ってるのか、問題の体を成していないものもありました
その頃は東大はもうどうでもいいと思っていたんでしょう。幾何学でソファーの問題という未解決問題があって、それに似たような練習問題が後期試験に出たこともありましたが簡単な問題で
x^3+2y^3=4z^3 は整数解ではなく、「自然数解をもたない」。自然数とは1から開始するので0は含まない。この問題の出典は、首都大学東京の入試問題なので
検索しても出てこないだろう。証明に使う道具は、無限降下法である。 x^3+2y^3=4z^3だから、 xは偶数であるので、2x'に置き換えたい。置き換えると、
8x’^3+2y^3=4z^3 より、 4x’^3+y^3=2z^3が得られる。この得られたものから、yも偶数だから、2y’と置きたい。すると、
2x’^3+4y’^3=z^3だから、zも偶数である。よってz=2z’と置きたい。すると、x’^3+2y’^3=4z’^3が出て来る。つまり、 x^3+2y^3=4z^3というものは
たまたま、偶数解があると仮定すると、無限に降下していくので無限降下法が使用できる練習問題であることが理解できる。 x^3+2y^3=4z^3に自然数解があると仮定すると、自然数の
数学では完全無欠であることが理想とされ、完全無欠なものの一番初等的なのは円であるけれども、その円のように使用できる様々な完全無欠と考えられるものが存在する。
ところでそんなことはどうでもよくてここで、現在の問題を解くときに、何を用いたらよいのか?帰納法はなぜ円のように使用できるのか疑問なしとしない、しかしinductionが円のように
使用できることは間違いないことである。ところが民事訴訟法などと呼ばれる、法と呼ばれるものが、全て、このように高度な知能指数がないと理解できないようなものであるかというと
悪質すぎてまだ解明されていない。なぜなら誰も教えていないし理解しようがないからである。数学的帰納法とひとくちにいっても練習問題のように円ではないものがあることは誰でも理解できる
だろう。しかし、民事訴訟法は社会に出てからは円であるのかというと分からないという他ない。a,b,cの直角三角形に対して、a+bの正方形の中に一辺がcの正方形が与えられることに関しても
ミクロ経済学の教科書をもう一冊読み終えて、現実世界に経済の練習問題が沢山あることに気が付きました。
経済ニュースを理解することも重要ですが、もっと高度に、現実問題を解決できるような数理モデルを発見したいと思いました。
数理モデリングの書籍はいくつか読んだことがありますが、「ケーススタディ」という形式になっているものが多く、「これだ」という手法だけがあるわけではないようです。
私が解決したい問題とは何かというと、経済と環境の両立という問題です。これを数理化するにはどうすれば良いでしょうか。
考え方はいくつかありますが、問題の本質を見つけ出す方法と、具体的なシナリオを見つける方法があります。
数学では完全無欠であることが理想とされ、完全無欠なものの一番初等的なのは円であるけれども、その円のように使用できる様々な完全無欠と考えられるものが存在する。
ところでそんなことはどうでもよくてここで、現在の問題を解くときに、何を用いたらよいのか?帰納法はなぜ円のように使用できるのか疑問なしとしない、しかしinductionが円のように
使用できることは間違いないことである。ところが民事訴訟法などと呼ばれる、法と呼ばれるものが、全て、このように高度な知能指数がないと理解できないようなものであるかというと
悪質すぎてまだ解明されていない。なぜなら誰も教えていないし理解しようがないからである。数学的帰納法とひとくちにいっても練習問題のように円ではないものがあることは誰でも理解できる
だろう。しかし、民事訴訟法は社会に出てからは円であるのかというと分からないという他ない。a,b,cの直角三角形に対して、a+bの正方形の中に一辺がcの正方形が与えられることに関しても
ネット予備校講師のよびのりがしている無限降下法の解説は閲覧しても理解できないと思う。というのも、よびのりの無限降下法は、かなり難しい状況下において出てきているので
誰も経験したことがない手段なので何をいっつるか分からないのである。だからフェルマーのn=4のときの無限降下法の使用方法についても無限降下法が出てきているというだけで
なんで出てくるかが分からないので、その部分だけが出現するわけなので、しかしよびのりは、右から左にこうなりますと言ってるだけで、このように出てくるはずがないものが出現します
ていうふうには教えていないので聴講者は何を言ってるのかが分からないと思う。また自分でノートに書いて考えようとしてもそもそもその分野を体系的にやってるわけではないから分からない
と思うし、その無限降下法を発動する場所というかとにかくそういう基礎問題では理解が簡単でも撃つのが難しい問題に対して出して撃つのは容易なことではないので、x^4+y^4=z^4
の場合は、まあまず無理だろうと、井上修二はままんがなくなって、最近はマグロ漁船に乗り込んでいるのですが国の人間は詐欺師かできないので、そのノートを買ってきて自分で取り組む
とかですねそういうことは出来ないと思いますよ、出来るとか出来ないとかでなくてやる気がねえし何のメリットもないからだと思いますが、なんせ詐欺だからね。無限降下法のちゃんとした例題は
「無限に多くのp/2^nを作らないといけないがそれは自然数の最小値が1であることと矛盾する」という例題だがこれはこれで出てきたときは驚愕されたがそのままどこかに隠れ別の問題で何らかの
方法で出てくるのですがそういう練習問題がないので、自分で無限降下法を使った先生に聞けば理解できるがその先生がなんでそこに出てくることになるのか教えなかったら理解できないと思いますよ
アホが勘違いしていること inductionは無限の可能性を秘めていること
(1)山之内隆樹が、inductionを習ったのは、平成11年ごろである。そのときに練習問題として、 2^n>n をinductionを用いて示せ、というのをしたと思う。
(2)しかしこれは練習問題で、inductionの本領発揮ではない。
(3)inductionとは、使用場所が発見されて出てくるのを究極とする。究極的な場合、inductionは、手段として発現するものであって機械的に使用するものではない。
(4)その、悟空のカメハメハのように出てくるときが究極的である。しかしお前のような真面目に数学の問題に取り組んだことのないくされには永遠に分からない。
(5)任介辰哉はそもそも数学の問題演習をしたことがなくて裁判官になった者である。一橋大学法学部や早稲田大学法学部では話にならない。
(6)人生においてinductionを大量に用いたことのある者は東大生くらいである。東大の入試問題でもinductionを使うのが当たり前の応用問題が大量にあるが、ここで用いられている
のはカメハメハではない。
(7)かめはめ波のように、究極的な場合に出てくるタイプのinductionに興味をもたないとすれば、そいつはただのバカである。
数学検定1級の過去問題で、 二次元平面に 2点と 直線があって、この2点を通り、直線に接する円は2つあるが、その1つを作図しなさい、という問題がある。これは中学生でもできる教科書の練習問題である。
(1) 2点を通る補助線を引き、その中点をとる。それの垂直二等分線をひく。その垂直二等分線の上に円の中心があるだろう。
(2)模範解答。 方べきの定理を用いて10個の円を描いてから、最後に、所望の円が出てくるようにする。教養は見につくが、サーカスのような解答で何を言っているのか分からない。
数学検定1級がこのような問題を出題した趣旨。 数学検定協会は東京のはずれの方にある財団法人だが、もうどうでもよくなっているので滅茶苦茶な問題を出している。
「そう言われても、俺にはAとA'の振り分ける見分けがつかないんだ。新しいBとかCの事象に思える」
→ここはわかる。経験が少なかったり、あと俯瞰がめちゃくちゃ苦手で小さな違いにとらわれてしまったりする。ミクロとマクロを言ったり来たりしながら調整したりすることも難しかったりする。
正攻法としては<どこまでが同じでどこまでが違って、その結果マニュアルのステップXまでは適応できるが、その次のステップが適応できなくなるのだが、そこはどうしたらいいのか>みたいな分析をした上で、<どうしたらいいか>の仮説を立てて、<この部分がAとは違うので、マニュアルとは違うがこう対処する、ということでいいのか>という質問をする、ということになるのだろう。ただ、ここまでの分析検討に時間がかかりすぎて時間切れになってしまったりするんだよな。
まあ、でもミスってそのミスを後から分析して先輩が出した答えと同じになるように練習問題として考えてみて、時間を少しでも短くしていくしかない。
ASDには「見えないものは存在しないのと同じ」「知らないことは出来ない」みたいなことに陥りがちなので、可能な限り情報集めて疑似体験していくしかない。
別の場所で成功できたんならそれはそれで本人にとっては良かったんだと思うが、今後何かつまづいたときにはこれを試してみるといいかもしれん。
白チャートに載っている、 2^n > n を誘導法で示せというのはただの練習問題であって誘導法には様々なヴァリエーションがあり、より難問のときにそなえるための練習である。
n=kのとき 2^k > k とする。 k+1のときに、 2^(k+1)-k-1 = 2*2^k-k-1 > k-1 > 0
これが誘導法というものである。この問題は自明なので証明する必要がないが、誘導法が美しくて確実な証明法であることを生徒に知らしめるための基礎である。現に、これを用いたときに
しかし、inductionは実に多くの種類があり、 いくつかの事実を指摘して例外的に使用できるものや、補題に対して使用するもの、整数に対する独自の理論を編み出してそれに対しての
使用が成功する場合もあるなど、整数論に関して蓄積された多くのノウハウというかテクニックがあり、帰納法は奥が深いと言える。
このように数学的帰納法に使用例が大多数に及び、問題解決法の沃野を形成して華々しい議論が陸続した経緯などは明らかではないが、整数論者が多くの問題に取り組む中で次第に
発展していった分野であるともいえる。
数年前に結婚した妻を観察した結果をどこかに殴り書きしたく、結論のない文章を投下してみる。
良い国立大学の文系出身なので勉強はできたはずなのだけど、勉強自体にコンプレックスがあった様子。
まぁお互い30歳を超えているので、いい年の大人が高校の勉強どうだったのかなんて話すのはアレな気はするが、
思春期の記憶は強く人格形成に影響するらしく、数学っぽい話をすると拒否反応みたいなのが起きてしまう。
自分は理工学部の出身なので結構楽しく数学の話をする時があるが、そういうのを見て自分との差を感じて一人で辛くなってしまうらしい。
思い切って教科書取り扱いのある販売店に行き、数学の教科書を買ってみた。
ちなみに高校の教科書はすべての書店にあるわけではないが、教科書取り扱いの販売店なら一般の人にも売ってくれる。アマゾンでも買える。
買ったのは数研出版の高等学校シリーズで、教科書によって難易度の差があるのは知っていたが、何でもいいかなと思って目についた標準っぽいのを買った。
妻の数学理解度を確認してみると、数学1の二次方程式の解き方・不等式の解き方についてはかなり鮮明に覚えていた。
躓きポイントは数学2からの三角関数・指数・対数のあたりっぽい。
観察の結果、定義を定義として受け入れるときに、なぜそうなっているのか?というのを真っ先に考えてしまい、
あまり無味乾燥と感じる状態では理解を拒否反応を示してしまう、というのがあった。
例えば指数関数で、 (a^x)^y = a^{xy} なんだよ、というのを理解するのにどうして?というのが真っ先に思い浮かんでしまう。
初学者はまず定義を受け入れて、いろいろな練習や思考を重ねていくうちにどうしてその定義になっているのか、という順序で考えたほうがいいと思うのだが、
この順序でなかなか物事を考えられない。
定義がどうしてそうなっているのか、はある程度それ自体に親しまないとわからなかったりする。
こういう時は具体的な例を列挙して、これがただしそうだよね?という話をしてあげる。
こういうときは、実験を観察を繰り替えす自然科学のようなアプローチがいいと思っている。数学はもちろん論理的に厳密な学問なので定義の積み重ねの上だけでも議論できると思うのだが、高校の基礎レベルの理解だと体で納得できないといけないこともあると思う。
たとえば(a^x)^y = a^{xy} の正しさの確認なら、
(a^2) ^ 3 は a^2 * a^2 * a^2 = a * a * a * a * a * a = a^6 みたいに具体的な数をあてはめて、合っているねというのを見ていく。
なんとなくこの定義でいいんだ、というのがつかめてきたらそれを定着させるべくたくさん練習問題を解いてもらう。
大切なことは、一度挫折している人なので、事あるごとにほめること。
たすき掛け早い!理解が速い!いいね、合ってる、などとにかくポジティブにほめる。
逆にどれだけ学生時代に自信を失わせるようなことがあったんだと想像してしまう。
女子学生は昔から勉強してない自慢したり、集まってヤバイヤバイと言い合って安心する、みたいなことがあったと思う。
出来なければテストで悪い点を取り、親から・先生から怒られて、自信を無くすとどんどん数学自体に向き合えなくなっていってしまう。
数学に向き合えないと、勿論数学ができなくなっていき、授業も何言っているのかわからなくなり、ついていけている子から日を追うごとに差をつけられてしまう。
計算ミスが多いから、本質的な問題の理解に時間を割くことができず、学びもうまくいかない。
最初に数学が得意になるかどうかの分かれ目は、少しワーキングメモリーが大きいとか、少し注意深いとか、少し計算が速いとか、そういう差なのかもしれない。
とりあえず数2の範囲については章末問題が全て解けるようになった。
こころなしか、最初のころは私に「トラウマに向きあえ~~」と言われてイヤイヤやっていた感じがあったけども、自分ができるようになる過程を楽しんでいる感じがある。
別に彼女の仕事には今更高校数学を振り返っても役に立つわけではないが、週末には数学をやるのが定着してきた。
そのうちどこかの大学の入試問題を一緒に解いてみようか。自信にもなるだろう。
何歳になっても学ぶことは良い。
「猿でも分かるプロンプト活用術」というタイトルでの電子書籍について、以下に簡単な目次と章ごとの概要を示します。実際の書籍を作成するには、これらの各セクションを詳細に説明し、例や図を追加する必要があります。
目次:
1. はじめに
2. コマンドプロンプトとは何か
8. まとめ
9. はじめに
・グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)との違い
・コマンドプロンプトの開き方
・基本的なコマンドの使い方(例:help、cls、exit)
...
はじめに
コンピュータの世界は日々進化し続けており、我々が日常的に使用するデバイスやソフトウェアは常に更新され、より使いやすく、効率的になっています。しかしながら、コンピュータの基本的な操作や理解には、依然として古くから存在するコマンドプロンプトという強力なツールがあります。このツールは、多くのユーザーにとって未知の存在であり、その力を十分に発揮できていないかもしれません。
本書「猿でも分かるプロンプト活用術」は、コマンドプロンプトをこれまで使ったことがない方や、基本的な操作しか知らない方を対象に、この強力なツールを効果的に利用する方法をわかりやすく解説します。また、既にコマンドプロンプトを使用している中級者にも、さらなる活用方法を学んでいただける内容となっています。
コマンドプロンプトは、グラフィカルユーザーインターフェイス(GUI)に慣れ親しんだ現代のユーザーにとっては、最初は少し難しく感じるかもしれません。しかし、本書を通じて、コマンドプロンプトの基本操作から高度な活用法までを習得し、日々の業務やパソコン操作に役立てることができるようになります。
各章では、具体的なコマンドの例やスクリーンショットを用いて、わかりやすく説明を行います。また、章ごとに練習問題やチャレンジを設けていますので、学んだ知識をすぐに実践して確認することができます。
この本を通して、コマンドプロンプトの力を最大限に引き出し、あなたのコンピュータスキルを向上させることができることを願っています。それでは、さっそく「猿でも分かるプロンプト活用術」の世界に飛び込んでみましょう!
こちらの記事でSIMフリーの安いタブレットがもうないと嘆いていたら、Blackview Tab 6というのをトラバですすめてもらったので、買ってみた。この文章もBlackview Tab 6で書いている。
https://anond.hatelabo.jp/20230227231314
数日使ってみた感想をいうと、そんなに悪くない。
8インチ、SIMフリー、シリコンケースつきで1万4千円くらいだった。iPad miniのセルラーモデルの5分の1くらいの値段なので、そんなに贅沢なことは言えないと思っている。
にしても、悪くないと思っている。
ものすごく動作が速いというわけではないけど、実用レベル以下、というわけでもない。用途によると思うけど、ネットを見て文章を書く程度だと全く問題ない。
自分の場合は資格試験の練習問題を解くためにこのタブレットを買って、その用途にはしっかり使えているので文句を言う筋合いもない。
重量は350g超なので、それなりにずっしり感はあるが、最近のスマートフォンは重いので、そんなに気になるほどでもない。
解像度は低いので、よく見ると文字のギザギザが見えるが、自分の場合はこのタブレットは勉強用の道具で、雑に使う実用品なので、そんなに気にしてはいない。
ちょっと困る点をあげると、画面のON/OFFがハードスイッチでしかできない。
あと、持ち上げて角度を変えるとスリープから復帰する機能がちゃんと機能していないと思う。
このへんはAndroidのカスタムOSの作りの甘さかなと思う。
バックエンドでどういう通信をやっているか、自分のデータがどこに送られているか、まだ確かめていない。色々書いたが、そのへんは自己責任で使うことになると思う。
まずクラスにいる数少ない中学受験組は最初から担任にめちゃくちゃ敵視されてて
→正解を答える
→「授業でまだやってないのにどーして正解できるの?ねぇなんでー?」とその場でガン詰めされる
これが当たり前だったわ。
練習問題をみんなに解かせて教室が静まり返ってるさなか、担任が前ぶれなく
「塾でやってるから勉強できるんだと思って。フザケロォっ!!!ったく(笑)」
「これから当てられた時どうしよう……」
と話し合いしてた。
結果、以後の彼らは例によって授業中に教師から当てられた時は脅えながら三文芝居丸出しの誤答を連発するようになっていた。
当時も違和感ハンパなかったけど今考えたら正真正銘のキチガイだわ。
(掃除の時間に突然後ろから男子生徒にガバって抱きついてズボンの上からチンコを手のひらで押さえながら
「悪いことするとオチンチンちょんぎっちゃうんだからな!?わかってんのー!?(笑)」とかやってる教師いたし)。
教師がそんなんばっかだから生徒も大体情緒不安定になってガチのイジメと密告合戦が横行してたし。
障害者にゴキブリ食わそうと追っかけ回すゲームがクラスで流行ってたよ。
「自分の担任の先生は物凄く優しくて良い人で学校凄い楽しかった」
と揃って同じような振り返りをしているのを聞くに、こういうのは地域の所得が関係してんのかなとも思った。
横浜市は旭区や瀬谷区を境に南のほうは貧乏と不良ばっかりのエリアだったし。
上述の狂ってる文化に加えて
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「少年院上等。スポーツ以外の目標に向かって頑張ってる同級生は自殺寸前まで追い込んで妨害する」という使命感に燃えた不良が跋扈する地上の地獄が待ち受けていた模様。
途中で転校してきた震災被害者が新聞載るだろこれってレベルのイジメにあって人生詰まされてたしな。
地域にまつわる体験があまりに苦々しすぎて故郷なのに横浜大っ嫌いだわ。
それに伴って
みたいな偏見もできた(でも地元が柏とか相模原とかの奴の公立小中学体験もビックリするほど似てたからあながち間違いじゃないかも)。