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はてなキーワード: 土工とは

2021-12-15

EV車推進政策にともなうおそれのある有毒スラグによる環境汚染

EV車普及の影響

 →廃棄ガソリン車の鉛バッテリーや鉄鋼、ステンレスから生じる有毒スラグ(鉱さい)がリサイクル建材の原料になることが増えることが予想される

産廃関連事業

 →スラグ1974年には、取扱事業所が全国532所あり300万トンが全国各地で埋立処分となったが、今は99%がリサイクル

 →建材試験センター土工用製鋼スラグ砕石」規格は、鉛・六価クロムセレンフッ素ホウ素の溶出量基準含有量基準を定めている

 →廃棄物処理法土壌、土壌汚染対策法がある

・有毒スラグに関する違反事件

 →群馬県大同特殊鋼(2014、強アルカリ性)、千葉県新日鉄住金(2016、強アルカリ性)、群馬県東邦亜鉛(2019、鉛・ヒ素

・コトワザ「急がば回れ

 →トヨタなど経団連企業は派手なことを好みがちだが、急激な変化は汚染を齎しかねない

2021-11-15

anond:20211114103724

水道やガスの配管もやる業者が付帯する土工わずかにすることがあっても土工をメインにしてる連中が配管をやることはまずない。

2021-11-14

anond:20211113210228

上下水道、ガスとかの敷設の一部に配管作業はあるけども、配管専門職人っているんかな?

土工兼務してるイメージなんだが。

2021-04-24

anond:20210423124350

借りれる枠のこと考えてる時点で甘いかまだ余裕あるよ

マジで詰んだ土工がある

土木雑用下っ端

いま工事現場に入るのに身元確認必要だけどそれだけあれば一日数千円は作れる

ほんとに人生終わった人の集まりみたいな業者があるので朝早く人だけ載せて工事に出かける車が出てるとこあれば聞いてみたらいい

ほんとに何もない人間でも逆にマイナス人間でも入れる

2020-12-19

anond:20201219080451

手配師仕事を融通してもらってる日雇い土工と変わらないのに、フリーランスって書くとなんかいい感じになるな

お小遣いもらってお使いに行ってくるだけのウーバーイーツもフリーランスだっけ

2020-08-15

8月15日に記しておきたい怖い祖父の話

大正まれ祖父は、坊主頭メガネをかけ、こけた頬に冷たい眼差しを持ち、いつも気難しそうな顔をしていた。息子であるから聞く話でも、私は祖父に対して怖いというイメージしか抱いていない。第一印象も第二印象も、とにかく怖い。祖父を評する言葉はそれ以外に無い。もっとも、祖父は私が生まれる7年前に亡くなっている。だから、私が見る祖父はいつも仏壇の脇に飾られた白黒写真のみであり、その気難しそうな佇まいを見るたびに幼心にピシッとした気分になり、怖い爺さんだなぁと思うだけだった。私にとって祖父は、無機質な写真のみで完結していた。

対照的祖母はとても優しい人で、おっとりしたお婆ちゃんだった。私は末の孫だったこともあり、とにかく甘やかされていたので、特にそう思うことも多かった。祖父とは会ったこともないが、祖母とは長い時間を共にした。私は幼稚園に入る前、母が働いている間は朝から夕方まで祖母の家に預けられていたので、祖母とは二人きりの長い時間をゆったりまったり過ごしていた。かなり幼い頃の記憶だが、何故だかその日々のことは断片的によく覚えている。暴れん坊将軍と蒸し芋が大好きな未就園児だったので、祖母とは気が合い可愛がられた。

祖母は幼い頃の私にとって第二の母のような存在で、お話もたくさんしたけれど、既に亡くなっている祖父遺影インテリアのように飾らせているだけで、その人となりについては何一つ聞いたことがなかった。息子であるはずの父や叔父からも、祖父の話は聞いたことはほとんどない。思い出話も一つも聞いたことがない。祖父がどんな人かと聞いても「おっかねぇ(怖い)人だった」と返ってくるくらいだ。そんなこんなで、私が知る祖父像は極めて薄い。とても薄っぺらい。お前の爺さんだよと言われてもピンと来ることはなく、いつまで経っても白黒写真遺影の人でしかなかった。

そんな祖父遺影の脇には、立派な額に入れられた賞状が飾ってある。内容は、抑留生活を慰労し、銀杯を贈られたという内容で、すでに故人になっている祖父政府が贈ったものだ。戦後日本には57万人以上もの人々がシベリアへ連れて行かれており、祖父もその一人であった。『祖父戦争へ行き、シベリア抑留をされていた』たったそれだけの漠然とした事実が、私の中の祖父像を大きく占めていた。小さい頃から、「うちのじいさん、ロシアに連れてかれたんか」と単純に思っていた。どこからともなくの知識で、多くのシベリア抑留者がそうであるように「終戦時は満州にでもいて、捕まったんだろう。だが、どうにか生き延びて帰ってきた」と思っていた。

去年、祖母が97歳で亡くなった。50過ぎの時にヘビースモーカーが祟って肺癌で亡くなった祖父に反し、かなりの大往生である。そこで私は、葬式での親戚が口にした言葉で「祖母が嫁いだ翌日に、爺さんに赤紙が来た」と耳にした。おいおい、なんだそのタイミングは。ドラマかよ、と思った。そもそも祖父母はお見合い結婚だし、祖父戦後抑留され、長いこと家に帰って来なかったし、つまりそれが事実なら祖母は長々と見知らぬ姑と過ごしたことになる。しかも、ど田舎山中にある村で、家業農家という典型的な家だった。時代時代とはいえ、婆ちゃんは肩身の狭い思いをしていたんだろなぁと可哀想に思った。

その頃から興味が沸いていたんだと思う。

遺影の中で怖いオーラを放っているだけの、実態の無い祖父像について。

私はどこからともなく『兵籍簿』の存在を知り、取り寄せたいと決意して、去年の8月15日実家終戦番組を見ながら父に話を切り出して頼んだ。兵籍簿の取り寄せは三等親まで可能で、孫の私でも可能だが、故人の息子にあたる父が取り寄せた方が、必要書類が少なく済むからだ。父は戦争映画などを見るのが好きな人だし、その手のものに興味があるタイプなので、あっさりOKしてくれた。断られたらどうしようと思っていたので、聞いた時はタイミングを見極めドキドキだった。

兵籍簿の取り寄せは案外簡単だ。やり方は調べればネットに載っている。うちの祖父陸軍なので、県の恩給科に電話で問い合わせ、手続きを始めた。ちなみに、海軍だと厚生労働省になる。陸軍であれば『〇〇県 兵籍簿』あたりで調べれば、どこの県もやり方を導いてくれるだろう。発行に際して必要ものは、対象者が故人の場合申請者との繋がりがわかるための除籍謄本戸籍謄本といった、役所簡単に発行してもらえる書類。あとは申し込み用紙を書いて郵送する。コピー代などで数百円かかるが、あまりにも簡単なので、もっと早く取り寄せればよかったと思った。

まぁ、取り寄せた所で、どうせ祖父はちょろっと満州にいて、そのままシベリアに連れてかれていたんだろう。祖父は誰にも戦時の話をしなかったので、家族の誰しもがそう思っていた。語らずに亡くなったがために、語るまでもない軍歴だったのかと、我々は思い込んでいたのかもしれない。みんなが祖父戦争について知っていたのは、彼が『シベリア抑留されていた』たった一言事実のみであるのだから

待望の兵籍簿は一か月かからずに送られてきた。

当時の書類ということで、読み難く難解な旧字も多かったが、やはり同じ日本語なのでほとんどは解読可能だった。それもネットで調べられた。

読み解いてまず驚いたのが、祖父1940年から43年2月まで、きっちり軍生活をしており、一度は満期除隊をしていたということだ。その時は主に満州国境警備をしていたらしい。大きな作戦戦闘に関わることなく、晴れて日本へ戻っていたのだ。もしかしたら亡き祖母は知っていたかもしれないが、祖父は息子たちへ語らずに亡くなったので、満期除隊をしていたことなど誰も知らなかった。

次に驚いたのは1944年2月祖父除隊からほぼ一年後に再び徴兵されており、(祖母が嫁いですぐに赤紙が来たエピソードは日付けから事実だと裏付けられた、祖母マジでお疲れ様すぎる)今度は満州ではなく、北海道の先にある『千島列島』に行っていたことだった。私は先入観からてっきり、祖父満州終戦を迎えたと思っていたので、想像していた祖父人生はガラリと色を変えた。

千島列島……千島列島……たくさんの島が連なる北海道の向こう側……北方領土……。そうか、そこにいた人たちもシベリアへ連れて行かれたのか……。そりゃそうか。

千島列島といえば、日本降伏後にソ連が乗り込んできた占守島の戦いが有名だが、祖父は『新知島(シムシル島)』から途中で『得撫島ウルップ島)』に回され、その二度目の徴兵では約一年半の千鳥列島生活を送り、終戦を迎えていた。兵種はずっと砲兵終戦時は上等兵だった。祖父はヒョロ長い体を駆使し、轟音の轟く砲をぶっ放していたのだろうか。なんともたくましい。

お恥ずかしいことに、私は新知島のことも、得撫島のことも、「なんか名前は聞いたことあるなぁ〜」程度で何一つ知らなかった。千島列島ソ連が攻め入った経緯すらも、占守島の戦いの名前漠然としているだけで、よくわかっていなかった。

どんな所か調べたくなった。特に長くいたらしき得撫島について。当時の千島列島について。

祖父のいた部隊結果的には戦闘をしておらず、言わば活躍をしたわけでもないので、ほとんど資料がなくて見つけ出すのには苦労した。

得撫島はもとより、千島列島自然の宝庫であると同時、一年を通してほとんど霧に包まれ、風も強く、ましてや長い長い冬を有する極寒の地。白夜であり、夏の夜は極めて短い。夏でも長袖は欠かせない。ほぼ無人島。そんな場所で「はい今日から暮らしてね〜」となったら苦労していないわけがない。制空権を奪われていたので、空から米軍攻撃もあった。制海権も奪われており、艦砲射撃が降り注ぐ。戦時中その海域では民間人も含め、2-3万人の人が亡くなっている。祖父のすぐ後に続いて小樽港を出港した同郷の部隊は、魚雷を撃ち込まれ沈没。冬の海に投げ出され、当時は軍機密に隠され2000人以上が死んでいた。祖父もほんの僅かな順番が違っていたら死んでいた。私もこの世にいない。数奇な巡り合わせで今の私は生きている。

得撫島ラッコの島と呼ばれるほどラッコがいるらしい。オットセイもいるらしい。祖父は間違いなく野生のラッコを見ただろう。自然豊かな大地。現代人の私が見たこともない美しい景色を、祖父は計らずとも見ていた。不本意戦時下に望んでもない場所へ飛ばされてはいるが、愛くるしいラッコちゃんとの遭遇が顰めっ面の祖父の心を癒してくれていたことを願わずはいられない。

兵籍簿には、祖父召集や転属などの略歴が淡々と日付けと共に記されていた。必要最低限の事務的情報であるが、その一つ一つの行間にも目に見えぬ多大な苦労があったはずだ。

昭和20年

8月15日終戦

9月29日ソ連により武装解除

10月19日ソ連により得撫島出発

10月24日ソ連ポートワニー上陸以降土工作業従事

昭和23年

7月22日舞鶴上陸

古ぼけた紙は語っていた。戦争8月15日に終わっていなかった。南方の激戦地のように食糧に困る事はなく、敵と遭遇することも戦闘もしなかったとはいえ祖父戦後も長らく闘い続けていた。自分血縁である祖父が歩んだ具体的な数字を見せられ、これはリアルなことだったと肌身に伝わってきた。日本がしていた戦争と、祖父存在への深みが増した。

シベリアでの日々を、祖父の白黒写真の顔と合わせて想像してみた。マイナス40度の永久凍土で働く、ろくな装備もない日本兵たち。栄養失調。ひもじい。所々にシラミが沸く。病気流行る。ご飯は堅い黒パン。粗末なスープ戦争は終わったのに、周りがどんどん死んでいく。いつまで経っても日本に帰れない。故郷よりももっと寒い、極寒の異国の地。日本には結婚生活を1日しか送らなかった嫁が待っている。祖父は雪深い土地で生まれ育ったから、シベリアでも適応能力が多少なりともあったのだろうか。そう思うことが唯一の救いである。

祖父が何も語らずに亡くなったのは何故か。千島列島を盗られた背徳感か。過去抑留生活に蓋をしていたのか。赤化教育を受けたことによる偏見を隠すためか。南方の激戦地に比べたらと、自分の半生は話すまでもないことだと思っていたのか。祖父の心を知る事はできない。私は想像することしかできない。祖父日本に帰ったが、一切を語らずに亡くなった。故郷山村とは掛け離れた四季の彩りのない場所で、途方もない八年もの戦争と闘ったのに、一言も喋らずに亡くなってしまった。

ここでは政治的な話はしない。

兵籍簿を読むことによって、それまで漠然としていた祖父存在がぐんと近づいた。存在のものを実感した。祖父ちゃんと生きていた。過酷時代を生き抜いた。ドラマ映画主人公になるような経歴ではないが、私が一分で根を上げるような過酷環境に長々と身を投じていたのは明らかだ。じいさんすごい。マジでお疲れ様すぎる。生き抜いてくれてありがとう。じいさんが頑張ってくれたおかげで、私はこんな平和世界ツイ廃をしながら、ソシャゲに夢中になれて、推しに心血を注ぎ、それを通して素晴らしい友人と出会うことが出来た。夏にはクーラーの効いた部屋でアイスを食べられるし、冬には暖かい部屋でアイスを食べられる。平和は素晴らしい。色んな国の友達もいる。その中にはじいさんが憎んでいた国の人もいるかもしれない。私は紙切れ一枚で戦地へ送られることなく、空や海からの脅威を感じることもなく、当たり前の明日をのほほんと待ちながら好きなように生きている。これは素晴らしいことだ。そんな当たり前のことを、強く思った。

兵籍簿を取り寄せて良かった。兵籍簿はどこからともなく知った物だが、私はこれを読まなければ自分流れる血に関してとても大事なことを知らずに死んでいた。

仏間へ行き、再び祖父遺影を見上げた。祖父は相変わらず怖い顔をしている。けれど、もうそれだけではなくなっていた。その遺影漠然とした無機質なものではなく、凄惨時代を生き抜いた血が流れているのだ。仏間を見下ろす祖父は、計り知れない威厳を背負っていた。

2018-12-24

ソシャゲは阿片なんだから

国内では禁止にして(完全禁止露骨なのでガチャ射幸性利益率を殺す)輸出オンリーにすればライバル国の若者壮年ダメにして相対的に国力を上げることが出来るはず

つか中国はそのうちそうするんじゃないか

いや共産党なら人民(特に貧しい数億の土工周辺民族)にソシャゲを与えるのかな

2018-06-12

男の子だって女中になれる」「女の子だって土工になれる」

こういう幼児向けアニメがあるべきだ。

キラキラしてるものばかりを憧れさせるのは、職業差別助長するだけだから

2017-11-07

土木技術者不足と先鋭化問題

数年前から日本中土木技術者の不足が。

そんな話はどこででも聞けるのだけど、現実問題として技術者及び職人の不足と公共事業の増加でミスマッチが起こっており、どうにか現場をやっつけないといけないということで日本中で奮闘と徒労、場当たり的な対策が積み重ねられていく。

最近はもっぱら省エネ化に技術が特化しているのだけど、例えばドローンを使った測量、簡易化された積算方法無人で動き、あらかじめインプットされた計画図に合わせて土工を行う重機群なんかがどんどん広がっている。

これらの機能自体は意外に簡単に使えるので、初期投資さえできれば(リースでもいいが)技術の発展に伴って回収も可能だろうとは思う。

が、この新技術群は簡単はいってもやはりそれまでの技術を追いかけてきた人材にとっての話である

からいて、作業員と一緒になって汗をかくことが仕事の名ばかり代理人や基礎のない新人にとっては仕組みがさっぱりわからないらしい。

なんというか、この最新技術の先鋭化が、今まで土木業にいた人間の半分くらいを振るい落としそうで恐ろしい。

もっと進めば僕もおいて行かれるかもしれない。

人手不足を解消するための技術革新ではなかったかハードルが高くなっていることで新規参入が減り、戦力外が増える。

結局、技能を身に着けた人が日本中現場を駆けずり回って、対処し、一人だけ経験値を貯めていく。

初期のコンピュータもそうだったのかな。

2017-09-17

https://anond.hatelabo.jp/20170917020508

ぐぐるとそんなかんじだよねぇ。

でもそれ専門職でもないと思うんだよね。

大工とか土工仕事の一部っていうか。

からはてなーの人は「無職や型枠解体工」と言っていて、そんなバカでもチョンでもできる仕事wwwみたいに言ってるのかなって。

無職や型枠解体工」という職業差別

そもそも「型枠解体工」なんて職種があるのか?

解体業とはちがうよね?

コンクリートの型枠をバラす人ってこと??

「型枠大工」ならわかるよ。

それで型枠を組んで

コンクリ打設したあとに大工土工が型枠を解体する。

それなら大工土工って言うよね。

型枠解体工とはなんなのか。。。

はてなでは職業差別する隠語としてそういうのがあるのか・・・

2017-09-06

anond:20170906115746

それとは全然違うかもしれないけど

自分が働いている工事現場に来てる作業員土工)は

日当から宿舎代(光熱費含む)等が引かれていて5000円くらいが手取りになってる

つの宿舎からその中の偉いやつが運転して会社の車でみんな同じ現場に行くので運賃はタダ

2017-04-22

http://anond.hatelabo.jp/20170410224317

もう逆に生理とき調子がよくなることを見出してそれに適した生活に変えたらいいんじゃない

イライラしたときにしたくなることとかできることかするとすっきるすることはないの?

なんでもものを投げたくなるとかだったら配送とかごみ収集とか土工かいけるんじゃないのとかみたいにさ

2016-05-14

http://anond.hatelabo.jp/20160514091902

ほかに価値がないときにそういう「感覚価値にすりかえる」ことをするんだよ

楽しいとか健康にいいとか豊かさとか誇りとか

安い大きい長持ち 便利早い高性能 そんなものがもうみんな出尽くしたあとに

でてくる商法

ぶっちゃけホームレスとか日雇い労働者とか宿舎につめこみの土工とか

最低限の生活して三食カップめんでも大企業エリートより健康だよ

楽しいこととか豊かさとか健康への気遣いとかそんなものなにもなくても生きていけるんだ

消費者必要ものなんじゃなくて販売者が儲けるためだけに発信してる付加価値

豊かじゃない健康じゃないたのしくない と追いつめることで購買意欲を掻き立てたいんだ

2009-07-24

山ちゃんのニコヨン日記

ワシの仕事はニコヨンや

ほんだら ワシのホンマの仕事を教えたろか

ワシの仕事はなあ 日記タイトルどおりニコヨンや

ニコヨンいうても わからんやろな ニコヨンいうたら土方のことや

スポーツ新聞求人欄で土工とか人夫とかで募集してるやろ あれや

昔はニコヨンいわれてたけどな 今では日給で12000円から14000円くらいやで

なんで 金に幅があるんかわな ピンハネの度合いや

直でやったら 13500円でも 飯場通したりすると12000円(ワンツー)とかになりよるんや

ワシらが やり始めたときは8000円とか9000円とか1万以下やったけどな

バブルの時に 一気に値上がりしよったんや

あの時は ホンマに景気がようてな とにかく人夫が足らんかったんや

そやから 手配師とか番頭があっちこっちから人間かき集めてきとったんや

それでも 足らんかったんやで実際

そういう時にも タコ部屋ができるときもあるんやけどな

(タコ部屋については またあとで 教えたるわな)

夜勤いうて 晩方から朝までの仕事やったら 日当は昼間の2倍くらいあるで

体力に自信があるもんは 通しでがんばってや ワシは堪忍やで

ニコヨン・・・

日雇労働者のこと 労務者

昭和24年 「緊急失業対策法」の施行により職安を通して日雇労働者を受け入れた

その定額日当が当時240円だったので そこからきている


始発でGO! センターをめざせ!

そういう仕事にどうやってありつけるか いうたらな

まず 最初にいうた 新聞求人欄で見つけることがあるわな

そやけど ワシらも含めて ほとんどの人間センターからの斡旋やな

センターいうたら 西成のあいりん総合センター環状線新今宮駅の近所

南海電車新今宮駅の下や 俗に言う釜ヶ崎やな 西成でも霞町でもエエで

そこで 窓口にはられた 求人の紙を見て選ぶんや

ほんで センターの横付けしとる ワンボックスマイクロに乗り込んで現場へ行くんや

(昔は 観光バス中古みたいなデカイバスも着てたけどな)

ワシらは センター通さんと 直でバスに乗り込むんやけどな

そのバスフロントガラスにも おんなじような 仕事内容の書いた紙が貼ったあるからな

現金日雇い)とか出張契約つまり泊まり)とかのな

それで 選んで乗り込むんや

バスに乗りこんで そのまま現場に行くんやないで

まずは その人夫出しのとこか飯場へ行くんや

(この人夫出しは「ニンプだシ」と「だ」にアクセントがあるんやで)

飯場についたら まず朝飯や 粗末なな

それから 現場の振り分けやな 10人ほどバスで連れてきても

全員同じ現場いうことはまずないで あそこは5人 あそこは2人とか

そうやって振り分けするわけや 飯場現場とは直接関係ないからな

人夫を斡旋するだけやから 人材派遣業になるんとちゃうかな

で またバスに乗りこんで現場に出発するんやで


ワシらのコスチューム

ワシらのかっこ言うたらな 昔はニッカーボッカーで地下足袋トレードマークやったけどな

今は普通の作業ズボンジャンパーやな これも季節によるけどな

絶対 半袖のシャツでは作業せんで なんでかいうたら 日焼けや これが 体力奪いよるんや

靴も一足580円くらいの スポーツシューズで マジソンバッグみたいなもんに

地下足袋長靴を持ってるくらいやな

(これはどんな現場にも対応できるようにや 通常=足袋 生コン等=長靴

最近の作業ズボンで文句言いたいのはな あの 足首までぶかぶかのズボン

ワシのは ちゃんと足元にまとわりつかんように ゲートルみたいになっとるやつやけど

あんなもん なんの意味があるんや 余計に危ないやないか

流行やろうけど 機能美が全然ないやないか ぶさいくなだけや 腹立つで


やります できます あんこです

仕事の内容いうたら いろいろあるで もちろん 建築関係がほとんどやけどな

まず ホンマの土方やな スコップもって穴ほったりするやつや

今時はユンボ(土すくう アームのついた機械や)があるさかい ユンボが使われへんとこ

つまり 隅とか いりくんだとことかの 穴掘りやな これが 汚れるんで いやがる人間もおるな

他には 解体屋の手伝いやな 解体屋が家とかビルとか壊しとるやろ

その手伝いとか その廃材を ダンプに載せる手伝いとかやな

あの 道路工事とかで見る ガガガガいうて 道路の穴開ける機械 チッパーいうねんけどな

それも やらされるで あれは 目にカスが飛んでくるからな 防護めがねは必需品やで

できれば 防塵マスクもやけど これは タオルで我慢やな

ここで ワシはエライ目に会うたで

箕面風呂屋の解体に行ったときに 柱を引き倒すから 柱の上にロープ結んで来てくれ

いわれてな 登ったんや 風呂屋は平屋やけど 屋根が高いんや

それに ほとんど壊し終わっとるから 登る足場もぐらぐらなんや

そんなとこに 登らせるないうねん ワシは鳶(とび)やないで

あとで 文句いうといたけどな


物事の本質を見抜け!

という具合にな ワシら土方はなんでもできる万能選手なんやで

それこそ 「大きなビルから小さな増築まで」や

実際 ええように使われてるだけやねんけどな

その分自由というもんがあるんや 働きたい時だけ働いて 休みたいときに休む 何者にも縛られへん 自由がな

ホンマはこれがあかんねんけどな これに浸かってしまうとな なかなか 一般人には戻られへんのや

しかし わかるやろか この感覚自分にあるすべてのしがらみからの開放

親や兄弟 妻 子 友人 近所 上司 同僚 得意先などなど 諸々の自分にとって大切であるからゆえのしがらみ

自分自分であるためのつながり こういう 一切のもんからの開放や

あるときは 自分を救ってくれたりしてくれるんやけど その反面 多大に自分を苦しめ 制約するもんや

完全な自己完結世界やな ある人は自由といい またあるひとは 負け犬のねぐらとも言うな

まあ 一遍 その世界から抜け出して見るのも ええかも知れんで

そうすることによって 自分のホンマに大切なもんが見つかるかもしれんしな

(全部が いらん いうこともあるかもな)

平々凡々と暮らしとったら 本質を見抜く目ぇが 雲ってしまうかも知れんのやな

当たり前と思ってることが なんでそうなんかが 分かるかも知れんで かもやで かも

そやから そこいらでゴロゴロしてるおっさん 見かけても 乞食 とは違ういうことを認識してや

(また 乞食には乞食ポリシーがあるのもおるからな 乞食とは違うということだけやで)

なれの果て と みるか 憧れの究極の自由人とみるかは それは勝手やけどな

 
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